ここはどこだろう。まっくらだ。ワタシがだれなのかもわからない。まわりには、ワタシのような
ものはいないようだ。これから、どうなるのだろうか。
てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。いつかどこかで、ふたつのものがあわさって
ワタシというものがはじまったようなのだ。まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろい
ところがあるらしい。そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、それがであって
あたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。
ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。せまいこのばしょではきゅうくつだ。そろそろ、せかいのほう
にうつるころなのだろうか。
「カッパ」といういきもののせかいでは、そとへのでぐちで、きかれるそうだ。アクタガワリュウノスケさん
によると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。「おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、
よくかんがえたうえでへんじをしろ」。「いやだ」といえば、でなくてもいいらしい。
あれあれっ、そとへおしだされそうだ。すごいあつりょくだ。だれも、でたいかどうかきいてくれない。
きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。
ついに、そとへでた。ひかりがまぶしい。あたらしいせかいのはじまりだ。からだに、ちからがわいて
くるようなきがした。ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、ワタシのハハオヤの
ハハオヤだとは、まだしらなかった。
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