先週9月12日の火曜日、熊本刑務所にいる田中義三さんに面会してきた。田中さんは1970年の「よど号」ハイジャック事件の
実行犯9人のうちの一人、元赤軍派だ。「敵」だと思っていた。でも今は不思議な友情で結ばれている。初めて会ったのはタイだ。意気投合した。
北朝鮮に渡った田中さんはその後、カンボジアで逮捕され、タイで裁判を受けた。「ニセ米ドル事件」だ。
タイの裁判の時、宮崎学氏や塩見孝也氏とともに何度も訪問した。田中さんはじつは僕以上に民族派だった。北朝鮮で人々の祖国愛の強さに心打たれ、
「祖国に基盤をおいた革命でなくてはダメだ」と痛感したという。「鈴木さんも昔のような強固な民族主義者に戻って下さいよ」と言われた。立場が逆転していた。
そして、「これを読んで勉強して下さいよ」と渡されたのが吉村昭の『桜田門外ノ変』と『生麦事件』だった。明治維新の志士の精神に学べという。
熊本刑務所で面会した時も吉村昭の話から始まり、「亡くなって残念でしたね」と淋しそうだった。今まで面会は親族しか出来なかったが、今年の5月頃から「友人面会」も可能になった。
ただし、「更正」に役立つ人だけ。「出たらまたゲリラ闘争をやろう」などという人はダメだ。
その点、僕は「出たら一緒に言論で闘おう」と言っている。「よど号」裁判の時も、頼まれて「証言」した。「立場の違う鈴木さんの方がかえっていいです」と本人や弁護士に言われた。
「こんな有能な、いい人を長期間、刑務所に入れるなんて“国家の損失”だ」と証言した。(略)
面会が終わり、田原坂に行ってみた。西南戦争の最激戦地だ。田原坂資料館を見て、すぐ横の小さな公園に行った。巨大な碑が立っている。亡くなった人々の名前が刻まれている。
驚いたことに、右側に「官軍」、左側に「薩軍」。まったく同じ大きさで、平等につくられている。すごいと思った。これでなくてはと思った。
もう敵も味方もない。立場は違っても、国を思い、国を憂えて闘った人々だ。官軍のみを祀る靖国神社よりも進んでいると思った。学生運動のときは僕らも「ミニ西南戦争」を闘っていたのかもしれない。
元赤軍と民族派の友情 〜 鈴木邦男コラム
http://www.ohmynews.co.jp/OhmyColumn.aspx?news_id=000000001486