豊臣秀吉軍に立ち向かった義兵集団の子孫ら、壬辰倭乱についてのシンポジウム開催

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「欧州文化の鉄砲を携えて玄界灘を渡った豊臣軍団‐壬辰倭乱(文禄の役)について」と
題した国際シンポジウムが23日、京都市内のひと・まち交流館京都2階大会議室で開かれる。
豊臣軍の侵略に対して立ち上がった義兵集団の子孫でつくる壬辰倭乱義兵功臣会(第3代会長、
李龍河)が『方広寺石塁および石塔の内の耳塚(鼻塚)』の出版を記念して企画した。

シンポでは李会長自ら基調講演に立ち、朝鮮王朝製の鳥銃(火縄銃)について論考するほか、
鼻塚の五輪卒塔婆の建立年についても言及する。このほか、日本側から仲尾宏氏、藤林武氏、
韓国側から朴鐘鳴氏、尹達世氏ら12人がいずれも専門の研究分野について最新の研究成果を
報告する。

(2006.9.13 民団新聞)
http://mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2113&corner=2
2番組の途中ですが名無しです:2006/09/14(木) 04:07:21 ID:qVI4KjEm0
ウソです
3草植え杉:2006/09/14(木) 04:08:18 ID:00jDUJ8z0
交戦したのは明だと記憶している
4有識者:2006/09/14(木) 04:08:18 ID:0Xxc+YQv0
島津義弘だけはガチ
5朝日新聞:2006/09/14(木) 04:09:58 ID:jnqDu0MT0
子孫てw
6求職活動中:2006/09/14(木) 04:09:58 ID:LM0H6BPz0
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         /j/三三三三三三三三三三ヾ、
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        / ̄\  (●)     (●)  ||  秀吉と戦ってたのは
      r┤    ト::::: \___/     ||     朕だよ!万暦の三大征の一つだよ!
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
      |   _)_ノヽ\  ハ // /    ヽ   
     ヽ____)ノ      ̄ ̄ ̄   /     ヽ、

万暦帝:明の14代目皇帝。廟号は神宗、諱は朱翊鈞。
7闘魂:2006/09/14(木) 04:11:34 ID:m8gK5I1A0
仲尾 宏(京都造形芸術大学名誉教授)(高麗美術館理事)

ググるとなかなか香ばしい
8ウプレカス:2006/09/14(木) 04:13:52 ID:NZbY6ngp0
>>1
スレタイに ウヨ脂肪 ってつけるの忘れてるぞ
9因果応報
朝鮮では耳塚は戦勝を誇示するために作られた記念碑だと信じられている。
しかし、日本では合戦があった場所には大概、首塚や胴塚が存在する。
それらの塚等は敵味方分かたず葬るのが一般的だ。
日本には「死人の悪口を言わない」や「死者に辱めを与えない」等、
死者を労る文化、伝統が存在する。
一方、朝鮮にはそのような文化が存在せず、悪人は死んでも悪人でありったり、
敵は死んでも敵という認識が持たれる。
現在も、たとえば親日派とされた人の墓が存在しないように日本と朝鮮の
死生観は大いに隔たるものがある。
靖国問題もそうだが日本の文化、伝統を自国の文化、伝統で見ても理解できなのである。