何に驚く池袋『ビックリガード』

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1ξミヽ( ・∀・)ノξ ウンコー ◆2.0Km1unko
 JR線と西武線の二つの鉄道の下をくぐる正式名「池袋架道橋」を、誰もが愛着を込めてこう呼ぶ。

 通称「ビックリガード」の下には、片側二車線の車道と、その両側に歩道が通る。
JR線下で長さ五4.4メートル、西武線下で86.7メートルだ。JRと西武の池袋駅の南側に位置し、東西を結ぶ主要な交通路になっている。

 一体、いつから「ビックリ…」と呼ばれているのか。西武鉄道広報部によると、前身の「武蔵野鉄道」の池袋−飯能間が大正4年4月に開通。
当時は踏切で「昭和38年に立体交差が完成したが、その時点で既にJR側の高架は“びっくりガード”と呼ばれていた」と説明する。

 それではと、JR側に尋ねてみると、JR東日本東京支社では「いつからガードがあるかさえも正確な記録がなくて…」。
明治18年3月に赤羽線(現埼京線)が開通した。ただ、ガードについては、昭和37年12月に建て替えた記録があるくらいという。

 南池袋一丁目町会の会長は「建て替え前のガードは、歩道と区別もなく車が一台通るのがやっと。天井が低くて、下から線路の枕木も見えた」と振り返る。
 副会長も「戦時中にオヤジと一緒に通ったが、すぐ上を電車が通っていて、大人と一緒じゃないと怖かった。そのころから“ビックリガード”と呼んでいた」と証言する。
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 同町会で今年五月に設置した由来板によると「(昔は)頭上を通る列車の轟音(ごうおん)と振動で、人も荷馬車の馬もビックリ仰天…」。
この由来は、郷土史研究家矢島勝昭さん(77)の記憶に基づく。
矢島さんは「戦前は貨物列車の往来が多くて、耳をふさぎながら駆け足で通り抜けた。戦後しばらくまで、しょっちゅう荷馬車が往来していた」と教えてくれた。

 豊島区立郷土資料館の学芸員の伊藤さんは、かつて地域の古老たちから「馬を都心の騒音に慣れさせるために、わざわざガード下に連れてきた」と聞いたという。
渡辺さんも「そういえば昭和30年ごろまで、JR線の西側に荷馬車のたまり場があった」と記憶をたどる。
(全文) ttp://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060812/mng_____thatu___000.shtml
ttp://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060812/20060812t.jpg
2番組の途中ですが名無しです:2006/08/16(水) 12:01:02 ID:9dt/uAzp0
うんこスレじゃああああああああああああああ
3オホーツク:2006/08/16(水) 12:03:44 ID:Gt9WeEgt0
びっくりフラッシュ、画像禁止
4ニュー速始まったな:2006/08/16(水) 12:03:45 ID:VdI1AuPtO
ヘッドロココ出なすぎワロタ
5貧困層
目白からこの辺に来るのは凄くめんどくさい