聖徳太子弟の墓は大王級 外堤出土、テラスで儀式か
宮内庁が聖徳太子の弟、来目皇子の墓だとしている大阪府羽曳野市の塚穴古墳(7世紀前半)南側で、高さ約2
ートルでテラスが付いた外堤が見つかり、羽曳野市教育委員会が19日発表した。
古墳全体は大王墓に匹敵する規模と判明。高い外堤がある同時期の方墳は、蘇我馬子の墓ともいわれる石舞台
古墳(奈良県明日香村)以外に見つかっておらず、発掘した市教委歴史文化課の高野学係長は「石舞台とよく似て兄
弟のような形。第1級の古墳に位置付けられる。来目皇子の墓の可能性が一段と高くなった」と話している。
市教委によると、古墳は一辺約50メートルの方墳。墳丘の南側で、盛り土して築いた上下2段構造の外堤が出土し
た。東西約100メートル、南北15メートル程度の巨大な土手とみられ、幅約2メートルある下段のテラス部分で、葬
送などの儀式が行われたらしい。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2006011901003409
日出処の天子か
3 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:16:01 ID:0+Nxwid50
キン肉マンで言うとミート君レベル?
4 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:17:45 ID:327YJet5O
間人媛は来目王子ばかり可愛がって(つд`)
5 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:23:42 ID:haierIuD0
ニュー速では日本史世界史系のネタは食いつきが悪い
6 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:26:16 ID:CmSUVll10
どうして馬子はしょぼい古墳になったの?
7 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:34:33 ID:/op3XWx70
この時代はもう昔より古墳小さいのな。
8 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:36:27 ID:0/1MoIHQ0 BE:191387669-
なんで昔の王族って奴隷も一緒に墓に埋めるんだぜ?
9 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:37:00 ID:0+Nxwid50 BE:22085524-#
馬子は朝鮮半島南部から沢山発見されてる
支石墓でしょ
石舞台遺跡じゃなかったけ?
10 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:37:45 ID:iigIoqx90
大阪すげー
11 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:40:32 ID:eJt8Iyzc0
>>9 ありゃあ古墳の土盛りの部分が無くなって
石室?だっけ、あの部分が露出している状態なんじゃなかったか?
12 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:42:13 ID:JoXIvslN0
羽曳野(笑)
13 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:43:11 ID:0+Nxwid50 BE:115945676-#
>11
勘違いしてたみたいだ
ごめんよ
14 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:44:53 ID:+apjyjuR0 BE:626378898-
聖徳太子は存在しなかったと最近の学校では教えてるらしいが、弟はいるのか?
15 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:47:00 ID:CmSUVll10
>>11 ええ!!!そうだったのか!
ずっと火の鳥の嘘知識を信じてたよ、、、
16 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:47:17 ID:QR4JUrW20
大和は熊襲や蝦夷のひとたちに酷い事したよね(´・ω・`)
17 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:50:41 ID:+apjyjuR0 BE:121795872-
馬子は昨日だかおとといだかの「そのとき歴史は動いた」でやってた
18 :
ネス ◆Ness.AmS0A :2006/01/19(木) 17:55:12 ID:6ZA4XDqy0 BE:442689067-
歴史上の有名人ってヴぁかばかりだよね
ぜんぶ捏造でうんざりする
19 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 17:59:33 ID:+j2OjMKuO
↓朝生の動画↓
20 :
番組の途中ですが名無しです:2006/01/19(木) 18:00:28 ID:+RXGmcyg0
堺市の仁徳天皇稜が最強です。
21 :
番組の途中ですが名無しです:
ウマーの屋敷とか飛鳥寺の再現CGとか
昨日のその時歴史が動いたは有意義であった。