明日香村の島庄遺跡では、去年3月、直径40センチほどの柱の跡が2メ ートル余りの間隔で、
カタカナの「コ」の字型に12個並んでいるのが見つかり、日本書紀の記述などから、7世紀前半に
絶大な権力をふるっていた 豪族、蘇我馬子の邸宅の跡とみられていました。
明日香村教育委員会で 調査を続けた結果、柱の跡が見つかっていなかった東側からも同じ直径の
柱の跡が2メートル間隔と、同じ間隔で2つ並んでいるのが見つかりまし た。
明日香村教育委員会はこれによって、この建物の四辺が確定し、大きさは
▽南北7.5メートル
▽東西 12メートルと、当時としては大きなものである
ことが確認されたとしています。
日本の古代史が専門で、京都 教育大学の和田萃教授は、「周りからは4つの建物跡も見つか
っているが、この建物が一番大きいことが 確定した。馬子の邸宅のうちの中心的なものであっ
たことがうかがわれる」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/08/25/d20050824000155.html