「自分ん家」で風になる
姉と一緒の部屋には、学習机が二つと二段ベッド。傍らのCDラジカセからはいつ
も曲が流れていた。ユニコーン、槙原敬之、ブルーハーツ、スピッツ……。中学生の
ころ、姉がレンタル店などで借りてきたCDが音楽との本格的な出会いだった。
左京区の家具店を営む家に生まれた。絵が好きで京都市立銅駝美術工芸高校に進学
したが、クラブはフォークソング部に入った。当時、テレビCMで吉田拓郎の「結婚
しようよ」が中国語で流れているのを聴き、「ええなぁ」と思い、弾き語りにあこが
れた。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news01.asp?c=12&kiji=98