82 :
↑:04/03/28 22:19 ID:Y2jGm0BH
スレッドストッパー
83 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:05 ID:kDHUz/N7
幼稚園とか小学校低学年ぐらいの時だったから、分かりやすい
正義のヒーローvs悪者(たけちゃんマン)があるひょうきん見てたなぁ。
それなのに何故かたけちゃんマンよりさんまの方が好きだった。
今思うと2人の絡みが好きだったのかもしれん。
後にたけちゃんマンのコーナーで、肝心のたけちゃんマンが
出なくなってカトケンに移行したっけな。
ドリフのコントは全員集合・大爆笑と本気で面白いと思って見たことないわ。
84 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:08 ID:3EixuQep
ひょうきんベストテンでよくあずさ2号歌ってたよね。
85 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:11 ID:G3g1y07p
最終回付近でもドリフ〜は視聴率20lぐらい有ったらしいから
移らず見てた奴も結構いたんじゃないか。
86 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:12 ID:xS3b3zPc
全員集合 見てた奴→40超えて無職ひきこもり、いかりや死んで2chで暴れる
ひょうきん見てた奴→30超えて無職ひきこもり、いかりや死んで懐かしむ
暴れん乏 見てた人→現在、青年実業家、医者、弁護士、政治家
87 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:18 ID:BA4cXGcC
>>77 へー。
全員集合は16年もやったんだから、そろそろ潮時だったんだろ。
メンバーも疲れちゃってたらしいし。
ひょうきん族がドリフより劣ってるとは思わないし、その逆もない。
笑いは時代に乗ったもん勝ち。
88 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:20 ID:sk4qOlGG
ナウい俺様は当然ひょうきん族を見ていた!
当時、民放2局(日テレ、フジ系)しかなかったんだよ・・・富山なんで・・・・・
だからザ・ベストテンもリアルで見たこと無い。
今はTBS系あるけど朝日系はまだないから、富山の人は久米ひろしを
知らない人もいるかも?
89 :
サリバン ◆GeGmI96rMk :04/03/29 00:20 ID:P0BTAepr
高田純二がブラックデビルしてたので、
ひょうきん見てたら、さんまに変わった。
でも俺はひょうきんを見ていた。
90 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:24 ID:RKh5afhG
てーと、いかりやの次は武者あたりか?
91 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:40 ID:p1TDMiTf
年齢層意外と高いんだなニュー即
92 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:41 ID:BA4cXGcC
94 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:50 ID:VsVaF/L5
人気度において一時は全員集合に勝利した(圧勝とは言わない)ひょうきん族だが、
その後、フライデー事件がきっかけとなり、カトケンに再逆転を許してしまい、やがて消えていった。
熱い時代だったんだな ( ´,_ゝ`)
やっぱりクイズダービーは大橋巨泉だよな
96 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 00:55 ID:0nN4wFNL
1974年産のオレ、兄は1973年産。
兄はドリフ派だったが、オレはひょうきん派だったな。
でも、1回だけ渋谷公会堂にドリフの公開録画見に行ったことあるんだよな。
死んだばあさんがハガキ出して当たって。
志村の忍者コント、生で見たなあ
97 :
aa:04/03/29 00:59 ID:f3a1RsvG
ひょうきん族がやった色々な革新がその後使い古されて
98 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:01 ID:CQkQdCtz
全員集合
↓
ひょうきん族
↓
ごっつええ感じ
99 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:05 ID:gTy4gHGE
全員集合
↓
ひょうきん族
↓
ごきげんテレビ
100 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:07 ID:BXXuc/ig
32歳。
ひょうきんのエンディングが流れると寂しくなりました。
101 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:13 ID:GbMthBMy
ひょうきん族も面白かったのは最初の方だけで
あとは惰性で見てただけだったような気がする。
トリオ・ザ・テクノとフルハム三浦はサイコーに受けたけどね。
28歳。
全員集合とひょうきんが被ってる時期があったこと自体が
江戸時代から明治に移って江戸時代生まれの人が日露戦争
をやったんだなーというのと同じような時代の流れの感覚、
一種のものの哀れのような感覚を受ける。
ひょうきんのエンディングは僕も感傷的な何かが心の中に
生まれてくるのを感じていた。時間への焦燥感覚?
今となっては80年代の匂い。
103 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:30 ID:9DDoFKZQ
正直、加藤茶はおもしろくない
104 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:35 ID:cFXsujDt
殿が崩御されたら、どんな特番やるんだろう?
たかじんnoばあ〜の最終回は、絶対に放映して欲しい。出来れば無編集で。
105 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:46 ID:rgCCJaRj
>>1 俺も34。確か小5か6くらいの時、ひょうきん族に移った。
やはり周りの友達よりは少し遅かった記憶があるなぁ。
106 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:47 ID:QrAHIPDb
EPOは反則だよな。大人になりたかった第二次性長期
当方27歳、全員集合からそのままカトケンに移って、
ひょうきん族はあんま見た記憶無いなあ。これが消防時代。
んで厨房時代、DTはあんま好きじゃなかったから、日曜夜は元気で安定だった。
108 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:53 ID:nBd/Tyh4
♪ダウンタウンへ繰り出そう〜
につられていかりやを裏切った厨の頃
確かに最初はひょうきん族は斬新で面白かった。
しかし、だんだん内輪ネタがひどくなり
(゚Д゚ )ハァ?な気分でひょうきん族を斜めに見るようになった。
そしてそのうちおれにとっての土曜の8時は夜遊びの時間になっていた。
109 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:57 ID:6EZCY+T+
私25歳だけど、全員集合見てた記憶あるよ。
ひょうきん族は嫌いだったから、全員集合が終わった時は悲しかった。
そのあと、すぐだったか間が開いたかは忘れたけど、カトちゃんケンちゃんが始まって、
今度はひょうきん族が終わった。
110 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 01:58 ID:3pyqdyCs
フジ系が無かった・・・
39歳だが全員集合なんて記憶に無い。
家にTV無かったし
112 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:01 ID:9PFnjgMt
俺は全員集合を見てた世代だが、NASA音頭とかで盛り上げってる連中は見てて痛々しい。
113 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:04 ID:ICe8lcSF
ひょうきん族は、全員集合を意識してるからね。
(全員集合は、ひょうきんを意識してはいなかったが)
『前半コント+歌』には、ひょうきんベストテン(〜20:20)
『少年少女合唱隊、ヒゲダンス』には、タケちゃんマン(〜20:40)
『歌、エンディング』には、懺悔室(〜20:50)
ひょうきん族が取ったシフトは
出来不出来の波のある¨全員集合前半コント¨の後半に
ひょうきんベストテンのスポットライトや上位が来る様に勝負させ
全員集合の中盤に主力(たけし、さんま)を温存してぶつけてた訳で
すなわち番組一本の視聴率よりも「コーナー毎の視聴率」に主眼を置いた
今につづく新形式を確立したんだよな(功罪相半ばだが)
114 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:06 ID:bARcOJ7x
ひょうきん族は小学生には向いてない笑いだったのを捉まえて
自分は子供のころから大人の笑いを理解してたっていいたげなやつが
必ず現れるから、みんな俺を信じてついてきてくれ。
115 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:07 ID:h+UrlGVr
ヒゲダンスやスイカの早食いを、よくマネしてたっけ。
「しむらー後ろー!」に反応しない志村が不思議だった。
でもあっさりひょうきん族に乗り換えた消防時代。
以来二度と全員集合を観ることはなかった。
子供って薄情だわ。
116 :
aa:04/03/29 02:08 ID:f3a1RsvG
8時だよ!一名欠席・・・
117 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:11 ID:rgCCJaRj
ひょうきん族のエンディング曲と映像(CG?)はやたら記憶に残ってるね。
何だろう、あの印象深さは、、、
ナゼ、ジャンボマックスが人気有ったのか・・・?
119 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:18 ID:nBd/Tyh4
さんまが「♪今年で30 しっとるけのけ〜」と歌ってたのを
「へえ。さんまもおっさんだなぁ」と当時思っていたわけだが
その歳をゆうに超えてしまった自分がここにいるわけで
120 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:19 ID:9w9Q2u7k
俺13歳だけどドリフとかつまんね
121 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 02:23 ID:04nbByKM
ひょうきん族では笑えなかった。
俺もひょうきん>ドリフだな
クイズダービー→Gメンまでハマった事も有ったけれど小五位で急激に飽きた
長さんなくなったのは悲しいし残念だけれど、追悼番組見たいとは思わなかった
ひょうきんも今見たらマトモに笑えるネタが半分有るか怪しいけど
123 :
番組の途中ですが名無しです:04/03/29 08:31 ID:jVp0b1qx
むしょうに山下達郎の「パレード」が聴きたくなってきた。
品格など欠片も無いが、ストレートな笑いを提供した全盛期のドリフターズを統括する
“長”としての、そして興行師としての“見えざる”リーダーとしての力量は申し分ないのだろうが、
いざ、己が演ずる“見える”舞台、TVドラマとなると様相は一変して、余りにもガサツで、
その演技力の欠如が致命的でもあって、観るも無惨。
しかも、育ちが悪過ぎたのか、遺伝なのか、なんだか知らぬが、
ドリフターズの「ボス猿」としての地位を常にメンバー達に誇示し過ぎた現れとして、
昔からの、高木ブーに対する過剰なまでの邪険な扱い(計画的であるが故に、
より恐ろしい)とも取れるべき態度が挙げられる。その“必要悪”を踏まえても
「8時だよ、全員集合!」、「ドリフの大爆笑」等は当初、
自分の子供時代からの付き合いであって、腹の底から笑えたのであるが、
ブーに対する長介の態度には何かしらの鬱憤を感じたのが
事実。“見える”長介は、いつも自分の演技力の拙さを棚に上げている。
TVドラマにも頻繁に登場しているようだが、とにかくダメ。
そこら辺の高校や大学の演劇部の素人よりも下手クソなのに、プライドだけは高い。
まったく、見ているとムシャクシャしてくる。
そして、更には、ただ単に“聞こえる”だけのナレーションであっても、
脳軟化症でも患っているのか、大声で息巻いてばかりなので極めて鬱陶しい。
喧しい。まさしくドリフターズのコントを見て笑って育った世代なのだが、
長介の芸人としての振舞いには、私的には“引っ掛かる”ものが付き纏っていた。
TVは殆んど見ないのでよく知らないが、前に何かのCMでモーガン・フリーマン気取りで
安楽椅子に踏ん反り返る長介を見た。まったく鼻持ちならなかった。
但し、長介の極めて優良な点は、“古参=キャリア”が上位で
“新参=ノン・キャリア”が下位という余りにも保守的な芸能界の既成概念を崩した所にある。
仲本工事や高木ブー、加藤茶というバリバリの“古参”までをも踏み台とさせてでも
志村のバカを世に送り出す“見えざる”リーダーとしての才能。これは評価せざるを得ない。
日本のボス猿としてはナカナカな切れ者。
日本人とは数人集まれば“立ち所に”暗黙の了解とやらで序列を形成する。
欧米人の様に“反目”する者はマズいないし、
もし万一逆らえば即時、会話の機会を持たせず“除け者”扱い。
しかも、飽くまでも“古参”優先が鉄則。まったく酷い人種だ。
従って、いかりや長介は、その意味では、ことに芸能界にあっては先駆け的な存在
であったということだ。
それにしても、いかにしてボスに気に入られるかを常に念頭に置いてヘラヘラしている、
所詮は軍国主義(全体主義と言う方が解り易いか)がお似合いの日本人の素行というのは
“傍観者”の立場でいる限りに於いては観察していると実に面白い(関わるとそうはいかないが)。
このサイトの投稿者の方々もまた然り。しかし“付かず離れず”の態度は、
この国では中々通用しないようなので、誠に辛いですねえ。元を正せば人間皆同じとは言え、
「長い物には巻かれろ」・・・群れを成すのが大前提にある日本国の第一訓戒だな。
「長い物」とはボス猿とそれに靡く主体性に欠けた連中のことだ。なにが民主主義だ。
豹巾族(ひょうきんぞく)
明朝末期にその名を轟かせた武術の一派で、豹の毛皮で作られた巾(ひたたれ)を首に巻いていたため
このように呼ばれるようになったと伝えられており、その類希なる戦闘能力で、朝廷を守る地位にあったとされている。
特に、嶽長曼(たけ−ちゃんまん)という一族の長の巾はひときわ大きく立派で、
現代で言うところの「マント」のように巾を翻し闘うその姿は、鬼神そのものであったという。
豹巾族の歴史に残る最大の闘いは武羅鼓悪魔(ぶらっくでびる)と呼ばれる、黒衣を纏った
一種異様な反乱軍との一戦であると言われているが、この闘いを含め、公式には豹巾族の歴史に「敗北」の文字は見つからない。
しかし、最近になってわかってきたことであるが、この豹巾族が最も怖れていたのが趙家の一派であるというのだ。
週に一度朝廷にて開催されていた武道大会において、趙家の一派と豹巾族は常に好敵手であり、
趙家の三男趙崇圭(ちょうすけ:通称を趙三・ちょうさんという)の操る拳法「努利封(どりふ)」奥義「禅陰襲剛(ぜんいんしゅうごう)」
と豹巾族の長嶽長曼の操る剣術との一戦は熾烈を極め、毎回時間内に勝負がつかなかったといわれている。
後に趙三は病気でこの世を去る事になるわけだが、その知らせを聞いた嶽長曼は天を仰ぎ、
趙三の死を悼み、三日三晩涙を流しつづけたと言われている。
なおその後、豹巾族は歴史の中にその名を消していったが、
現代の日本において、豹の模様の衣服を纏う人が後を絶たないのは、
嶽長曼の武勇伝が受け継がれているからなのか、それとも、
趙三を心から尊敬していた彼の生まれ変わりの姿なのかを
知るものはいない・・・。
(民明書房刊『豹巾族と趙家、その闘いと友情』より)