【衝撃】SMAPは本当は6人だった!!

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902マジレス
森且行(28)元SMAP、現オートレーサー

中学生の時、兄の付き添いでジャニーズのオーディションに参加、
なぜか自分も通ってしまう。
その後SMAPの前身、スケートボーイズ(総勢12名)に加入、
現在のSMAPメンバー5人との運命的な出会いを果たす。

ある日、ジャニー喜多川所有の車に現SMAP+森で乗っていた所、
ジャニー喜多川に「今日からユーたちSMAPだから」と宣告され、
91年、6人はSMAPとしてCDデビュー。
しかしデビュー日は大雨、デビューの年には歌番組が続々と終了し、
コンサートは席がガラガラ、というような散々なスタートであった。
903マジレス:02/01/17 23:29 ID:I59jK0Cn
人気もCD売上も低迷し、今いちパッとしないSMAP。
そこでSMAPは自分たちを
「ドラマ班(木村・稲垣・森)バラエティ班(中居・草ナギ・香取)」
とキャラ別にわけ、バラ売りを積極的にしだした。
森且行もその一環として「3年B組金八先生」「つよししっかりしなさい」
などのドラマに出演、知名度を高めていく事になる。

個々の露出により、SMAPの名もじょじょに売れ、
「$10」「がんばりましょう」がスマッシュヒットとなる。
森は歌唱力が高かったため、SMAPのメインボーカルを張る事も多く、
歌の面で非常に貢献したと言える。
この頃からSMAPの、国民的アイドルとしての快進撃が始まるのであった。
904マジレス:02/01/17 23:29 ID:I59jK0Cn
しかしそのような中でも、森且行には1つの夢があった。
「オートレーサーになりたい。」
小さい頃、父に連れられ、兄と見にいったレース。その緊張感は、
SMAPとして活躍している時でも、森の心を捉えて話さなかった。

95年、12月のある日。
森は新聞の広告に、オートレース選手養成所入所試験の文字を見つける。
年齢は22歳まで。当時の森は21歳で、その年がラストチャンスであった。
森は悩む。SMAPとして生きていくのか、夢を取るのか。
12月下旬、彼はSMAPの仲間にその事を打ち明ける。
そして翌年の96年、森は試験会場へと向かっていった・・・
905マジレス:02/01/17 23:30 ID:I59jK0Cn
3次まである入所試験を、森は無事通過する。
そこで、SMAPの活動をどうするか、という話になった。
養成所での生活は10ヶ月ある事、公営のギャンブルである事・・・
やはり芸能活動との両立は難しく、彼は5年頑張ってきたSMAPの脱退を決めた。

5月初旬、脱退発表。5月いっぱいでSMAPを抜ける事が発表された。
ちょうどブレイク途中であったSMAPからの脱退は、世間を驚かせた。
906マジレス:02/01/17 23:31 ID:I59jK0Cn
5月27日。
その年の4月から放送開始となったスマスマが、2ヶ月目になる頃だった。
森が出演する最後の回は「森且行SP」と題して森をフィーチャーし、
ビストロ、コントなど、森をメインにしたものが放送された。
そして最後の歌コーナー。6人での最後の歌とダンスである。
森の選曲で構成され、それはまさに5年間のSMAPの集大成であった。
そして最後に6人で歌った曲、それが「BEST FRIEND」である。
シングルのカップリングとして世にでたこの歌は、大切な友達を歌った歌であった。
頭に今までの思い出が流れたのか、森やリーダ−の中居は涙を流し、
他4人も涙をこらえながらの歌唱であった。
最後のコメントでも、いつも進行役の中居は涙を抑えきれず、
代わりに木村拓哉が進行をした。
森は「オートレースの世界でもトップになります」と最後に一礼し、
森且行の”SMAP”は終わったのだった。
907マジレス:02/01/17 23:32 ID:I59jK0Cn
その後のSMAPの活躍についてはいうまでもない。
森の抜けた穴を埋めようと5人で頑張り、今では国民的グループへと成長した。
森且行はその後養成所に通い、レースデビューの前に大怪我をした事もあったが、
同期よりやや遅れて無事デビュー。
現在ではオートレーサーとして活躍し、将来を期待されている。

SMAPが5人になってからは、事務所的には森のモの字も厳禁であった。
しかしメンバーは昔の話がでた時には「6人」という言葉を何気なく出したりし、
最近ではMステで森の話に触れたり、スマスマでも森の映像が流れるなど、
森への圧力も緩くなってきている。
908マジレス:02/01/17 23:33 ID:I59jK0Cn
ちなみに、森の脱退を一番悲しんだのはリーダーの中居であった。
中居の夢は「何十年たっても6人でSMAPをやっていたい」というほどであったから、
森の脱退には誰よりも衝撃を受けたのだった。
しかし脱退会見では自らの昔の夢「野球選手」のコスチュームで登場するなど、
森の夢のために、彼の背中を押してやったのであった。

ちなみに脱退直後の夏、彼はとある番組の企画の七夕の短冊に、
「もうこれ以上人数が減りませんように」と書いている。