安比奈のなないろディップスイッチ晒しスレ14【酋長】
井川が証拠出せと言うから答えてやってるんだよボケ、文句は井川まで。
■総括
1978年から始まった改革開放政策によって、中国共産党のチベットによる残虐行為は大幅に緩和された。
しかし28年間にわたる中国共産党の支配は、2000年かけてチベット人が築き上げたものを根本から徹底的に破壊しつくしてしまった。
6000箇所以上あった寺院はことごとく破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所であった(それとて全く被害がなかったわけではない)。
虐殺、戦闘、飢餓によって120万人のチベット人が命を失った。チベットの人口の5分の1に相当する。
(中共侵略前のチベットは貧しくはあったが、その歴史において飢餓を経験したことがなかった)。
■今でも続く弾圧、文化破壊
改革開放以来、大規模な殺戮はなくなったし、仏教を信仰することも可能になったし、破壊された寺院の再建や修復も進んでいる。
それでもチベット人に対する弾圧は依然として続いている。
1989年にはラサでチベット人による大規模なデモが行われ、これに対し中共軍が数百人のチベット人を虐殺している
(そのときのチベット自治区の共産党書記は胡錦濤である)。現在でも数千人が政治犯として収容されていると言われている。
ダライラマの写真やチベットの国旗を所持しているだけですぐさま摘発の対象となるほど自由は制限されている。
ほかにも子供たちにダライラマ法王の写真を踏み絵さたり、中国共産党のイデオロギー教育を行うなど前近代的な植民地支配が継続されている。
2006年10月にヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命しようとしていたチベット人を人民解放軍が射殺した映像が世界に流れたのは記憶に新しい。