安比奈のなないろディップスイッチ晒しスレ14【酋長】
貴方はチベット人と出会うことが出来ましたか?人々は自由に話することを恐れますか?
● チベットの人達が私が誰か知った時、自由に彼らの状況について話をしてくれた。
たくさんのチベットの若者達がインドやアメリカ、そしてヨーロッパへ行きたいと言っていた。
チベット人たちは、自分たちだけで安全だとわかれば、しばしば彼らの状況について話をする。
(1997年12月:ドイツのアネット)Anette, Germany, December, 1997
● チベット人と出会うことは可能です。誰も私達と話をすることを恐れていないように見えた。
あるチベット人の警備員さえ、禁じられている、と彼も認めたが、我々と長話をした。
(1997年7月:オーストリアのハンナ)Hanna: Austria, July, 1997
● チベットの人達は不安で、自由になる事を望んでいる。もうこれ以上絶えられない、
という人もいれば、絶対に希望を捨てないで頑張る、という人も居る。
(1997年9月:オーストリアのクリスティン)Christine, Austria, September, 1997
チベット人の生活水準はどのようなものでしたか?
● 我々にとってチベット人の生活水準を評価するのは非常に難しい。一般的には貧しい。
彼らは厳しい人生を送っているように見えた。しかし、彼らが中国人と共同で仕事する場合は、
生活水準はもっと高かった。チベットに居る中国人は一番良い仕事を持っており、お金も多く獲得しているという話を聞いた。
(1997年7月:オーストリアのハンナ)Hanna: Austria, July, 1997
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ラサでは大勢の若者達が居る。カンパ族の若者らは昼間にしばしば酒を飲み、何にもせずウロウロしていた。
ラサの旧市街では、約20家族分の新築の家が建っていた。そこには暖房は無く、
一つの共同トイレ(壊れていて、非常に汚い)で、囲い地には一つの水道口しか無かった。
いかなる天候でも炊事洗濯は囲い地内で行わなければならない。共同住宅は非常に狭くて、例えば、2部屋で6人ぐらいの定員だった。
(1997年4月:ドイツ 匿名)Anonymous: Germany, April, 1997