>>852 お前、「推定無罪」、疑わしきは罰せずって言葉を知ってるのか?近代民主主義の大原則なんだが。
たしかにこの国では最高裁すら
http://d.hatena.ne.jp/PaPeRo/20090807で酒井法子『容疑者』を推定有罪としたようなひどい現状なのだが。
米国のメーガン法ですら、あくまで一度「行為」に及んだ者に対する処分だが、
それでさえ何度も違憲だ、性犯罪者に対する差別だといわれ、裁判が起こされている。。
まして、何の行為にも出ていない者を裁き、権利を制限することが許されていいはずがないだろう。
「闘う民主主義」とは、ファシズム以外の何物でもない。
「たとえ100人の真犯人を見逃し、1000人の無辜の者が新たに被害に遭うとしても、
1人たりとも無辜の者が冤罪被害者になることはあってはならない」
これこそが自由主義、民主主義の大原則ではないのか?
第一、「正常」な社会、「異常」な思想とはなんのことで、誰が決めるというのだ。
「民主主義」的に多数決で決めるというのか?それこそマジョリティによるマイノリティの抑圧だ。
以前にも
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100123/p1で挙げたとおり、
>ある人の個性が「障害」になるのは、どこまでも社会の都合であり、社会の側がそれを手当てするのは当たり前
なんだ。ここで、「障害」を「差別」と言い換えてもいい。
性差別も、障害者差別も、嗜好による差別も、すべて「社会の都合」によるものではないのか?
なぜにそこまで「社会」を絶対視できるのだ?個人がそれぞれの尊厳や自由を守るため、
個人がそれぞれの目的をより楽に果たすためにあるのが 「社会」だろう。個人にとっては、
「社会」など道具に過ぎないのは当然のことじゃないか?「社会の都合」のために個人が犠牲になることは、
本来何としても避けなければならないことじゃないのか?