はてな村ウヨサヨヲチスレ 29

このエントリーをはてなブックマークに追加
926名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!
>>852 
お前、「推定無罪」、疑わしきは罰せずって言葉を知ってるのか?近代民主主義の大原則なんだが。 
たしかにこの国では最高裁すらhttp://d.hatena.ne.jp/PaPeRo/20090807で酒井法子『容疑者』を推定有罪としたようなひどい現状なのだが。 
米国のメーガン法ですら、あくまで一度「行為」に及んだ者に対する処分だが、 
それでさえ何度も違憲だ、性犯罪者に対する差別だといわれ、裁判が起こされている。。 
まして、何の行為にも出ていない者を裁き、権利を制限することが許されていいはずがないだろう。 
「闘う民主主義」とは、ファシズム以外の何物でもない。 
「たとえ100人の真犯人を見逃し、1000人の無辜の者が新たに被害に遭うとしても、 
1人たりとも無辜の者が冤罪被害者になることはあってはならない」 
これこそが自由主義、民主主義の大原則ではないのか?

第一、「正常」な社会、「異常」な思想とはなんのことで、誰が決めるというのだ。 
「民主主義」的に多数決で決めるというのか?それこそマジョリティによるマイノリティの抑圧だ。 
以前にもhttp://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100123/p1で挙げたとおり、 
>ある人の個性が「障害」になるのは、どこまでも社会の都合であり、社会の側がそれを手当てするのは当たり前 
なんだ。ここで、「障害」を「差別」と言い換えてもいい。 
性差別も、障害者差別も、嗜好による差別も、すべて「社会の都合」によるものではないのか? 
なぜにそこまで「社会」を絶対視できるのだ?個人がそれぞれの尊厳や自由を守るため、 
個人がそれぞれの目的をより楽に果たすためにあるのが 「社会」だろう。個人にとっては、 
「社会」など道具に過ぎないのは当然のことじゃないか?「社会の都合」のために個人が犠牲になることは、 
本来何としても避けなければならないことじゃないのか?