安比奈のなないろディップスイッチ晒しスレ13【酋長】
井川がうるさいから、もっと証拠出すよ。
1949年に中国が侵略する以前のチベットは理想的な社会でも「封建制農奴社会」でもなかった。
政治的に独立していた当時のチベットには自給自足経済があり、世界中のどこにも例のない行政システムによって統治される、
文化的にも他に類を見ない国家であった。
7世紀のソンツェン・ガンポをはじめ、チベットの統治者は仏教の教えに従って倫理道徳についての法典を定めてきた。
統治者が国民の親としての役目を果たす、というのがその本質である。ソンツェン・ガンポの「一般道徳原則16条」や
14世紀にパグモ・ドゥパにより発布された「処分および刑罰に関する指針13条」にそれが反映されている。
他の社会同様、チベットでも様々な処罰の方法(そのうちいくつかはチベットに特有のものであった)が法により認められていた。
現代のチベット研究家ジャムヤン・ノルブ氏によれば、枷はめ(チベット人はこれを「中国のドア」と上手い呼び方をするのだが)や
斬首刑といった刑罰はもともと満州から伝わったものだという。
これらの刑罰が乱用されることはなく、その対象となったのは常習犯のみに限られていた。