安比奈のなないろディップスイッチ晒しスレ13【酋長】
井カバへ
チベット亡命政府は、中華人民共和国が建国(1949)から文革(1979)の終結までにチベットの全土で虐殺された人数の総計について、
120万人をあげた時期もあったが現在は、地方や時期別に、
1952年-1958年における「カンロ地区」(中国の区分で甘粛省甘南州)において10000人
アムド地方ゴロク地区(中国の区分で青海省果洛州)で1956年に130,000人あった人口が1963年に「およそ60,000人にまで減った」と指摘
1959年3月10日に勃発したラサ蜂起では三日間で10000人-15000人のラサ市民が死亡
「人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書」による、として1959年3月から1960年10月までの間に
中央チベットだけで87000人のチベット人が殺害された。
などの数値を挙げている。これに対し、中華人民共和国では「虐殺の規模が120万人である」ことは否定されているが、
地方ごとの個別事例として、兵士や一般民衆に対して相当規模の殺害が生じていたことを述べる記録が多数出版・公刊されている
カム地方における「反乱」と「鎮圧」 1956年末に第1次蜂起(中国の区分で四川省に所属する涼山、美姑、西昌、康定、西蔵所属で
当時チャムド解放委員会管轄下のギャンダ・ゾン(江達)、芒康)。1957末に「平定」に成功。反乱勢力10万人に人民解放軍6万を動員して「鎮圧」。
20,000人殲滅、20,000人逮捕。
カム地方における「反乱」と「鎮圧」 1957年-58年。第2次蜂起(バタン(巴塘)、維西、徳欽、中甸)。1958末に「平定」に成功。5,500人を「殲滅」。
「青海省」における「反乱」と「鎮圧」 1958年3月-8月、甘粛から青海にかけての42万平方キロにかけて130,000人が参加する「反乱」、
うち110,000人を「殲滅」して平定。
「青海省」におけるチベット人・モンゴル人の遊牧民50,000人(総人口の10%)を逮捕 逮捕者の84%、
45,000人が誤認逮捕。拘留中に23,260人が死亡、誤って殺害されたものが173人。
宗教・民族分子259人、民族幹部480人が死亡。
中央チベットにおける「殲滅」の規模 1959年3月から62年3月までに死亡・負傷・捕虜を含めて93,000人を殲滅、
武器35,500丁、砲70問を鹵獲。