安比奈のなないろディップスイッチ晒しスレ13【酋長】

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735名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!
民主化へのプロセス

ダライ・ラマ法王は、1963年、「チベット民主憲法の草案」を公布されました。
その後、法王は何年にもわたってさまざまな民主的な改革を推し進められましたが、
1990年5月には、法王の命を受けて施行された抜本的な改革により、
本当の意味でのチベット民主政府が樹立されたのです。
この時点で、かつて法王の任命により組閣されたチベット内閣 (カシャック) や、
第10国民代議員大会は解散し、初めての選挙が実施されました。

亡命政府の第11国民代議員大会では、代議員が増員されました。代議員は、インド亜大陸、
そして33カ国以上の国々に在住のチベット人による、「1人1票」の原則に基づく選挙により
選出されます。亡命政府の国民代議員大会は、ダラムサラに拠点を構え、代議員の数は議長、
副議長を含む46名となっています。

法王は、自由で民主的なチベットの創立を目標として、既存の憲法草案を改定するための委員会を設立されましたが、
同時期、第11国民代議員大会は、亡命中のチベット人に対するチベット政府の責務を詳細に示す指針として、
チベット亡命政権の「新憲章」を採択しました。「新憲章」は、チベットの領土は3つの伝統的な州、
ウー・ツァン州、アムド州、そしてカム州であること、そしてチベットは将来、連邦民主国家となることを明言しています。
「新憲章」はまた、言論、信条、集会、そして活動の自由を保証しています。

1992年に法王は、チベットが独立したときに最初に果たすべき務めは、暫定政府を設立し憲法制定議会を選出して
チベット民主憲法の立法と採択を最優先で実施することである、と宣言し、「将来におけるチベットの政治形態の指針と憲法の基本要点」を
発表されました。法王はまた、チベットの独立が実現したあかつきには、
「すべての伝統的、そして政治的な権限を首相代行に委ね、
自身は1市民としての生活を送るつもりである」というご意向も明らかにされています。