安比奈のなないろディップスイッチ晒しスレ13【酋長】

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734名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!
ダライ・ラマ法王14世とは

ダライ・ラマ法王十四世テンジン・ギャツォは、チベット民族の国家的、
精神的指導者の地位に就かれています。チベット北東部のタクツェルという村落で、
1935年7月6日、自作農を営む一家にご誕生後、ラモ・ドンドゥップと命名され、
2歳の時に、ダライ・ラマ法王13世、トゥプテン・ギャツォの転生者であるとの認定を
受けられました。
→ 14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度

ダライ・ラマとはモンゴルの称号で「大海」を意味し、歴代の転生者は、慈悲の観音菩薩、
チェンレンシの化身とされます。観音菩薩は、悟りを得ても涅槃に入らず衆生を救済するため
転生することを誓願された存在、とされています。
チベットでの教育

ダライ・ラマ法王は、6歳の時より僧院での学習を始められました。1959年、23歳の時には、
毎年開かれるモンラム (祈り) の祭典の期間中にラサのジョカン僧院で最終試験を受けられましたが、
法王は、この試験に見事に合格され、ラランパの学位 (最高位のゲシェーの学位で仏教哲学の博士号) を受けられました。

指導者としての責務

中国が1949年にチベットへ侵攻した後、1950年、全政治的権限がダライ・ラマ法王に
委任されました。法王は、1954年には北京を訪問し、毛沢東やトウ小平など、
その他の中国の指導者たちと平和に関する会談を行われましたが、1959年、
中国軍がついにラサ市民の武装決起を残虐な方法で弾圧するにいたると、ダライ・ラマ法王は、
国外への脱出を余儀なくされたのでした。法王は、現在までの40年間、インド北部のダラムサラに
おいてチベット亡命政権の元首としての立場を保たれています。

中国の侵攻以来、法王は、国連がチベット問題を取り上げるよう要請されており、その結果、
1959年、1961年、そして1965年のそれぞれの年に、国連総会においてチベット問題に
関する決議案が採択されました。