吉野史 その1
90年代初頭(プロジー前夜)
榎本大輔氏は香港からサイモンチョイの名でコピーCD売ってたりしていた。
これはエクサ作る前。その頃は、まだ榎本氏と吉野と面識なかった。
90年代中盤にエクサ作って香港でプロバイダ業はじめた。
プロジーはまだまだ先。
90年代後半(榎本氏と吉野が出会う)
90年も後半に差し掛かった頃、榎本氏がはじめてMODチップ商売に手を出す。
香港から日本へ卸しをはじめた。
エクサとしての業務だったか榎本氏個人の副業だったかは不明。
そこで、コンソールセブンの稲見氏やあきばんぐの大嶋氏に対して販売していた。
ここでやっと吉野が登場する。
当時、吉野は自称カメラマンと名乗り、
不動産業を営む親父の会社から仕事を貰い不動産物件の写真を取る仕事をしていた。
カメラマンと言えば聞こえはいいが、要するにプーで親からお小遣いを貰って生活。
で、あきばんぐ大嶋氏とマジコン繋がりで仲良くなり、
大嶋氏のとこに出入りしつつMODチップの通販の発送の手伝いなどをしていた。
吉野史 その2
97〜98年頃(プロジー社設立、吉野入社)
榎本氏が日本に戻り、あきばんぐ大嶋氏と
当時、現役東大生プログラマーの佐藤氏と組んでプロジーを設立。
(後にこの佐藤氏が自殺)
プロジーも当時はまだ有限会社だった。
吉野がプロジーに入社するのは、プロジー設立からちょっと後。
98〜99年頃(裏ニュース開設)
裏ニュース設立は、吉野が榎本氏の命を受けて業務として行ったもの。
給料を貰い、仕事としてサイトを運営していた。
当時は完全にアングラサイト。
現在の連邦とは違い、かなり有益な情報があった為、
とんでもないアクセス数をほこるようになる。
しかしその裏で「サイト潰しの裏ニュース」としても恐れられる
更新は夜11時ころであったが、ちょうどそれはテレホーダイ突入時刻と重なり、
裏ニュースでリンクされた先はとてつもない負荷が…
紹介されて1、2時間後にはサイト消滅ということも珍しいことではなかった
リンク禁止サイトでもかまうことなく紹介し、潰していく吉野(裏ニュース君)にサイト運営者、ソフト開発者の一部に深い憎しみを植えつけることとなる。
アングラ情報サイトと平行しつつ、
webスペース提供(タブブラウザ、Cuamのサイト)やURL転送サービスを行う。
広く一般に提供したのはURL転送サービスだった。転送サービスを利用すれば
裏ニュースにカウントが入る仕組みで、アクセス数を増やすために導入していた。
広告は後に導入。最初はやってなかったはず。