90年代初頭
大学中退後、元プロジー社長の榎本大輔氏と共にマジコン、MODチップ(当時は合法)を販売
それを元手に榎本氏はプロジーを設立、吉野もプロジーに入社する
97年頃
裏ニュース設立
当時は完全にアングラサイト
UGサイトにwebスペース提供、広告斡旋等もやっていた
現在の連邦とは違い、かなり有益な情報があった為、とんでもないアクセス数をほこるようになる
しかしその裏で「サイト潰しの裏ニュース」としても恐れられる
更新は夜11時ころであったが、ちょうどそれはテレホーダイ突入時刻と重なり、
裏ニュースでリンクされた先はとてつもない負荷が…
紹介されて1、2時間後にはサイト消滅ということも珍しいことではなかった
リンク禁止サイトでもかまうことなく紹介し、潰していく吉野(裏ニュース君)にサイト運営者、ソフト開発者の一部に深い憎しみを植えつけることとなる
01年9月13日
その後、榎本氏に裏ニュースの存在を感づかれ、プロジーの宣伝サイトもかねるようになり、サイト(ソフト)紹介もマンネリ化しながらも掲示板人気で続いてきた裏ニュースだがここで大きな変化が
突如掲示板停止
荒れ果てていた掲示板だった為に一時的な処置かと思われたが…
01年10月12日
裏ニュース、おしまい
01年12月4日
連邦設立
榎本氏のやり方を見て「俺にもできる」と勘違いした吉野がプロジーを退社し自分の会社を設立することが裏ニュース終了のきっかけとなったことが判明する
連邦では掲示板を置かない方針だったが、やっぱりないと人がこないのでしょうがなく掲示板設立
・産経事件
現在の連邦で唯一有益なコンテンツ「ゲットニュース」に対して産経新聞のweb担当者が
勝手にリンクすんなゴルァ!
と吉野に難癖をつける
2chでも産経批判が高まり、それまで2chを毛嫌いしていた吉野だったが、味方が増えて嬉しくなり2chにも頻繁に出入りするようになる
この問題を詳しくしりたけりゃググレ(多分出てくるだろう)
03年3月
CD−R板突如消滅
詳しくは後述
03年4月
セガサターンの公式エミュレータのハック版が某所で公開される
動かし方がわからーん、てな奴が大量発生する中最も詳しい情報が集まっていたのはエミュサイトでも2chでもなく連邦のゲーム・エミュ板であった
しかしセガに目をつけられ吉野にセガからクレームメールがくる
その為ゲーム板でのエミュ話は禁止となり、エミュ情報においては2ch以上の情報が入ってきていた掲示板も糞と化す
吉野が代表を務めるコンセプトエンジンよりMagicCDR発売
CD−R板が消滅したのはこの為であった
YSS氏等が検証したところ、肝心のエンジン部分は当時500円程度で投げ売られていたCDMAKITのものであることが判明
ろくに焼けもしない上に、理解不明の日本語化に連邦雑談掲示板でもクレーム多数
ブチギレた吉野、クレームをつけていた一人の人物に目を付ける
webよりの通信販売で直接購入してくれた人物をこともあろうか「営業妨害で訴える」と脅したのである
もちろん連絡先も判明しているわけで、直接電話し訴えられたくなければ掲示板で謝るように指示
その人物もゴタゴタはゴメンということで謝罪文を投稿する
その後掲示板はホスト表示され、以前のように荒れることはなくなった
そして吉野の信用もなくなった
トップにて、
>こんな提案がだされた。普段から顔がひん曲がり、微妙に引き笑いで、
>最強の腹黒男がニヤついた笑顔で次のような事を言い出した。
>「こいつら、あれでしょ、同人なんでしょ?
>自分達の絵をパッケージに使うって条件出せば、よろこんでホイホイ商用化に乗ってきますよ」
>確かにそれは道理かもしれない。しかし、現時点出ている案の中では最も「説得力のある解答」であった事から、
>この企画を立てた人間は、「午後のこ〜だ」の作者様にこのアイディアを提案したところ、
>本当に「作者様」は大喜びして企画に乗り出した。
との記述を行う。
恨みを持つ元プロジー代表の榎本氏(腹黒男)をけなす為になら、関係ない第三者を誹謗中傷することになろうと記事にする。
そんな行動に連邦掲示板及び2chでも非難轟々。しかしそんな批判には俺論理で反論。
連邦掲示板の書き込みは削除、「連邦のことを2chで話題にするな、文句があるなら俺にメールしろ、この問題は当事者同士(吉野が一方的に加害者だが)で解決済み」とのたまう。
産経問題のときは毎日連邦トップで取り上げ、連邦掲示板で話題になれば自分も参加、あげくのはてには2chにまで乗り込んできていた人間の言うことかとあきれられる。
まさに、他人に厳しく自分に甘い、人のふり見て我がふりなおさぬ人間であることを見せ付ける。
韓国企業nhn Japan(NAVER)との仕事上のトラブルに腹をたて、連邦トップにてnhn Japan社員が大麻を使用、所持していたことを暴露。
正義は我にあり、と判断すると大騒ぎする吉野、他サイトまで巻き込んで暴れ回る。
吉野に賛同するものも多数現れたが、それ以上に吉野の行動を批判するものも多数現れる。
麻薬関連といえば殺人、誘拐等とならぶ重犯罪である。
仮にも代表取締役を務める社会的に責任ある地位にあるものが、大麻使用者と知りながら放置し、仕事上でむかついたからといってウェブ上で晒し、証拠隠滅の時間を与える。
社会的常識、責任に欠く行動をしてしまった吉野の罪は重い。
吉野健太郎列伝
・IT企業の社長
・青年実業家
・高級マンションを所有
・泉のごとく湧き出る豊富な話題
・マジコンの帝王
・バッカス吉野
・常にreadmeのトップ10にランクイン
・電池屋をはじめとする狂信的信者のカリスマ
・父方の祖父のコネで「一流企業」の帝国データバンクに入社できたが「蹴った」
・父方の祖父は帝国データバンクの「超役員」で長者番付にも載ったことがある
・父方の祖父は満州で大問題を起こしている
・母方は「徳川家」と関係がある
・数々の書籍を執筆している
・古書を愛読している(主に漫画)
・黒人をタイマンで倒したことがある
・生まれつき肝臓、心臓などに障害がある
吉野史 その1
90年代初頭(プロジー前夜)
榎本大輔氏は香港からサイモンチョイの名でコピーCD売ってたりしていた。
これはエクサ作る前。その頃は、まだ榎本氏と吉野と面識なかった。
90年代中盤にエクサ作って香港でプロバイダ業はじめた。
プロジーはまだまだ先。
90年代後半(榎本氏と吉野が出会う)
90年も後半に差し掛かった頃、榎本氏がはじめてMODチップ商売に手を出す。
香港から日本へ卸しをはじめた。
エクサとしての業務だったか榎本氏個人の副業だったかは不明。
そこで、コンソールセブンの稲見氏やあきばんぐの大嶋氏に対して販売していた。
ここでやっと吉野が登場する。
当時、吉野は自称カメラマンと名乗り、
不動産業を営む親父の会社から仕事を貰い不動産物件の写真を取る仕事をしていた。
カメラマンと言えば聞こえはいいが、要するにプーで親からお小遣いを貰って生活。
で、あきばんぐ大嶋氏とマジコン繋がりで仲良くなり、
大嶋氏のとこに出入りしつつMODチップの通販の発送の手伝いなどをしていた。
吉野史 その2
97〜98年頃(プロジー社設立、吉野入社)
榎本氏が日本に戻り、あきばんぐ大嶋氏と
当時、現役東大生プログラマーの佐藤氏と組んでプロジーを設立。
(後にこの佐藤氏が自殺)
プロジーも当時はまだ有限会社だった。
吉野がプロジーに入社するのは、プロジー設立からちょっと後。
98〜99年頃(裏ニュース開設)
裏ニュース設立は、吉野が榎本氏の命を受けて業務として行ったもの。
給料を貰い、仕事としてサイトを運営していた。
当時は完全にアングラサイト。
現在の連邦とは違い、かなり有益な情報があった為、
とんでもないアクセス数をほこるようになる。
しかしその裏で「サイト潰しの裏ニュース」としても恐れられる
更新は夜11時ころであったが、ちょうどそれはテレホーダイ突入時刻と重なり、
裏ニュースでリンクされた先はとてつもない負荷が…
紹介されて1、2時間後にはサイト消滅ということも珍しいことではなかった
リンク禁止サイトでもかまうことなく紹介し、潰していく吉野(裏ニュース君)にサイト運営者、ソフト開発者の一部に深い憎しみを植えつけることとなる。
アングラ情報サイトと平行しつつ、
webスペース提供(タブブラウザ、Cuamのサイト)やURL転送サービスを行う。
広く一般に提供したのはURL転送サービスだった。転送サービスを利用すれば
裏ニュースにカウントが入る仕組みで、アクセス数を増やすために導入していた。
広告は後に導入。最初はやってなかったはず。
吉野史 その3
01年9月13日(裏ニュース危機)
その後、裏ニュースはプロジーの宣伝サイトもかねるようになり、
サイト(ソフト)紹介もすっかりマンネリ化。
掲示板人気で続いてきた裏ニュースだがここで大きな変化が…。
突如掲示板停止
荒れ果てていた掲示板だった為に一時的な処置かと思われたが…
01年10月12日(裏ニュース終了)
裏ニュース、おしまい
(この間にzionってURL入ったサイトやってなかった?ゴメン、裏がとれない)
01年12月4日(連邦開設)
連邦設立
02〜03年
榎本氏のやり方を見て「俺にもできる」と勘違いした吉野がプロジーを退社し、
自分の会社を設立することが裏ニュース終了のきっかけとなったことが判明する。
連邦では掲示板を置かない方針だったが、
やっぱりないと人がこないのでしょうがなく掲示板設立
03年2月(コンセプトエンジン設立)
有限会社コンセプトエンジン(資本金300万円)設立。
吉野健太郎、代表取締役に就任。
吉野史 その4
・産経事件
現在の連邦で唯一有益なコンテンツ「ゲットニュース」に対して
産経新聞のweb担当者が勝手にリンクすんなゴルァ!と吉野に難癖をつける
2chでも産経批判が高まり、それまで2chを毛嫌いしていた吉野だったが、
味方が増えて嬉しくなり2chにも頻繁に出入りするようになる
この問題を詳しくしりたけりゃググレ(多分出てくるだろう)
03年3月
CD−R板突如消滅
詳しくは後述
03年4月
セガサターンの公式エミュレータのハック版が某所で公開される
動かし方がわからーん、てな奴が大量発生する中、
最も詳しい情報が集まっていたのはエミュサイトでも2chでもなく
連邦のゲーム・エミュ板であった
しかしセガに目をつけられ吉野にセガからクレームメールがくる
その為ゲーム板でのエミュ話は禁止となり、
エミュ情報においては2ch以上の情報が入ってきていた掲示板も糞と化す
吉野史 その5
吉野が代表を務めるコンセプトエンジンよりMagicCDR発売
CD−R板が消滅したのはこの為であった
YSS氏等が検証したところ、肝心のエンジン部分は当時500円程度で投げ売られていたCDMAKITのものであることが判明
ろくに焼けもしない上に、理解不明の日本語化に連邦雑談掲示板でもクレーム多数
ブチギレた吉野、クレームをつけていた一人の人物に目を付ける
webよりの通信販売で直接購入してくれた人物をこともあろうか「営業妨害で訴える」と脅したのである
もちろん連絡先も判明しているわけで、直接電話し訴えられたくなければ掲示板で謝るように指示
その人物もゴタゴタはゴメンということで謝罪文を投稿する
その後掲示板はホスト表示され、以前のように荒れることはなくなった
そして吉野の信用もなくなった
05年11月
Win高速化 PC+の作者Attosoft氏に無断で
バージョンアップ版のWin高速化 Advanced XP 2006として販売。
(以前にもWin高速化 Advanced XP ファクトリーパッケージを無断販売し、
Attosoft氏に見つかり、抗議されて取り下げたという前歴が有る)
・感情失禁事件
2005年6月、SIFE慶應という学生サークルが「うけるブログセミナー」なる企画を行った。
これに、吉野と探偵ファイルの面子が一般参加者として参加する(おそらくネット界の
重鎮として、新参者のブロガーどもをバカにする気マンマンで乗り込んだ)。
温泉につかり料理を食べ、和気あいあいとした雰囲気の中でセミナーが始まった。
その質疑応答の時間に、ついに吉野が動く。さっそうと手を挙げ、「あなたのトークは
"逆に言うと"と言いながら前後の文章が全く逆接になっていない。メチャクチャではないか」
と、講師の接続詞にツッコミを入れたのだ。
全参加者がポカーンとする中、気を取り直した講師に「逆にって言いたくなってまう時も
あるやン?」と返されると、「そうやって、どんどん話をずらしていくんですよね!」など
と意味不明の追求を続けるが、結局意思の疎通はかなわず、ついに吉野は感情失禁。
女子大生のはあちゅうに「何で泣いてるんですか!」とツッコまれてしまう。
(
ttp://d.hatena.ne.jp/K2Da/20050626/p1 ttp://d.hatena.ne.jp/K2Da/20050627/p1 参照)
・はあちゅう事件(現在進行形)
感情失禁事件の後、自分のブログでSIFE慶應に対する粘着を開始した吉野。
しかし、その日本語があまりにも斬新(例:「蝶のように美しい羽のみ見せて逃げるのか?
ヒラヒラ飛んで、知らぬ存ぜぬ私はCHO。言い換えるなら脱出パピヨン」)だったため、
彼が何に対して怒っており、どうして欲しいのかは常人には理解不能だった。
おそらく、セミナーで誰にも有名人だと気づいてもらえず、特別な取り計らいもなく、
それどころか衆人環視の中で感情失禁に至ったことを逆恨みしていると思われる。
ちなみに「うけるブログセミナー」には、事前の告知なく突然キャンセル料を請求する
という不始末があったが、この問題はすでに当事者間で解決しており、吉野とは無関係。
かろうじて吉野が訴えているのは、旅館の男湯が外から覗かれそうな作りだった件、
出された料理が募集時の写真と違った件、講義の内容がビジネス書に書いてあるような
感じだった件など(だと思われるが、正直よく分からん)。
とにかくゴネにゴネて、9月20日、SIFE慶應の代表者だった女子大生のはあちゅうに
直接会って謝罪させることに成功。
なお、はあちゅうのブログには、謝罪した日の行動が、次のように記載されていた。
> (前略)試写会に行くが、定員オーバーで立ち見すら断られる/雨でずぶ濡れ
> →吉野様に会うために新宿に移動→(中略)→吉野様+立会いの方一名と、話し合い
> →吉野様と2人でなぜかお食事(中略)→帰宅
これで終了したかに見えたが、11月16日、吉野がはあちゅうに何かのメールを送り、
その内容が脅しのようだと感じたはあちゅうが「怖いです」という主旨の返事をすると、
何かスイッチが入ってしまったらしく、再び吉野が発狂アチョー。
2ヶ月前に終わったはずの謝罪の件まで、誠意が足りなかったなどと蒸し返す。
> 映画の試写会に入れなかったから「謝罪に行きました」。 結局「謝罪」は、映画の
> 試写会以下だったという事だ。
これに恐怖を感じたはあちゅうは、警察に相談した旨をブログに書く。
> 昨日は授業を全部休んで、然るべき機関と警察に行って、
> 信頼している知り合いに頼れる人を紹介していただいた。
吉野は構わず、はあちゅうを追い込む旨をブログに書き続けている(←今このへん)
> 追い込みなら昔やっていた仕事と方法論は「ほぼ」同じなので良い。
> ただ彼女は未成年。
> 成人になった時に、一気に動き出してもかまわないつもりだ。