極道を叩くスレ

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61名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!
俺の人生録−

□ 人生録について
なんとなく以前から過去の自分を振り返るページを作ってみたかった。
という訳で気分転換も兼ねて振り返ってみることにする。

□ 1987年4月16日
北海道という寒い北国で生まれる。
無論、当時の記憶は何もない。

□ 1992年
幼稚園に入園。
そろそろ物心がつく頃だが、当時の記憶は殆どない。
唯一、"折り紙名人"と先生に呼ばれていた記憶がある。

□ 1993年
なんとなく記憶が残っている。
友達と遊ぶときは必ず外だった。
家に友達を呼んだ記憶は全くない。
当時は遊ぶ友達も限られていた。

□ 1994年
小学校に入学。
幼稚園とは全くスケールが違って驚きの連続だった。
担任は女性だったので、親しみやすかった覚えがある。

勉強が始まる。
俺はとにかく字を書くのが苦手だった。
文章をまとめるのも嫌いだし、本を読むのも嫌いだった。
そして逆に算数のような計算問題が大好きだった。
今の俺とはまったく逆である。
62名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:43:12 ID:Y65lu2AX
□ 1995年
小2になった。
だいぶ学校にも馴染んできて、友達と遊ぶ機会が増えてきた。
この頃からゲームをやるようになった。
だが、家の躾が厳しく、1時間以上は絶対にやらせてくれない。
1時間をオーバーしたら家から追い出される。
この頃、俺は夜8時には寝かされていた。
アニメはあまり見たことがない。
だからゲームはより楽しく感じた。
家を追い出される時は丁度晩飯前が多く、いつも親父に助けてもらっていた。
鍵を閉められるのでどう足掻いても家に入れないからだ。
晩飯の時に俺がいないと「追い出されている」と親父が判断していたみたいだ。
ほんと、当時は母がかなり恐ろしい存在だった。
そしてこの年、パソコンが家にやってくる。
当時は40万円代で"安い"という時代。
俺は凄くこのパソコンというものに興味を持った。
分厚い説明書を見ながらローマ字打ちを覚えたのはこの時だ。
まだろくに漢字も読めないのに何故か頑張っていた記憶がある。
63名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:43:50 ID:Y65lu2AX
□ 1996年

小3になり、クラスが変わった。そして妹が入学。
この年、俺はかなり変わった。
今も親友とよべる友達との出会いもこの年である。
この頃、ミニ四駆が物凄く流行っていた。
俺は小1の頃から国語が嫌いでマンガすら読まなかった。
だが親はどうしても童謡にすら興味がない俺に本を読ませたかったらしい。
そこで「コロコロコミック」を毎月買ってくれるようになった。
お小遣いすらくれない親が買ってくれると言ったので、嬉しくなり読むようになった。
そう、このコロコロコミックのお陰で親友と友達になれた。
アニメを見なければマンガも読まない俺にとって、話題が増えるのは凄い発展だった。
ミニ四駆に興味を持ち、それをきっかけに親友と遊ぶようになった。
無論、俺はお小遣いが無いからミニ四駆なんて買えない。
だが祖母が俺にミニ四駆を買ってくれて、友達と遊べるようになった。
みんなの輪に入ることがこんなに楽しいことだとは今まで知らなかった。

しかし、以前として親の躾が厳しい。
毎日、無理矢理勉強させられる。
そして5時までに帰宅をしなければ家に鍵を掛けられ、しまいに怒鳴られる。
部屋が少しでも散かると怒られるので、安易に遊べない。
母が怖くて友達を家によぶことはできなかった。
だが、親友の場合は違った。
両親が親友のことを気に入ってくれて、たまに家に呼べるようになった。
自分の家で友達と遊ぶ楽しさを知ったのもこの時だ。
64名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:44:25 ID:Y65lu2AX
この年、妹が小学校に入学し、初めての通知表(あゆみ)が渡された。
妹の成績は凄かった。1つBがあっただけで他はオールAというのが毎回だ。
それに比べ、俺は国語がダメだった。
さすがにCは一度もとったことはないが、全体的に見ると妹より劣っている。
かなりの精神的ショックだった。
俺はプライドが高くて負けず嫌いである。
そして国語の勉強を真面目にするようになった。
まずは漢字の勉強。
この年で辞書に載っている部首などは全て暗記した。
国語の漢字50問テストでは常に90点後半キープ。
しかし、やはり感想文を書いたり字を書くのは苦手である。

□ 1997年
小4になった。
今も思うが、この小4が一番充実していて楽しかった。
小3の頃に出会った親友とは毎日遊んでいる。
朝の登校、学校での休み時間、放課後の帰宅、常に親友と一緒だった。
親友だけではない、この年たくさんの友達が常に周りにいた。
ポケモンが流行ったのもこの年である。
俺の小学校でもかなり流行った。
一応俺もゲームボーイを持っていたのでポケモンを購入。
ハマった。
1つのゲームをこんなにやったのは今の所このポケモンがダントツで1番だ。
ちなみに俺は「赤」を買い、弟が「緑」を持っていた。
一時は真面目に勉強をする気になった俺だが、このポケモンより途絶えた。
家で勉強をしてるフリをしながらポケモンをやるのは苦難だった。
1度もばれずに過ごした俺を褒めたい(ぉぃ)
65名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:44:51 ID:Y65lu2AX
この小4の頃、俺に始めて「夢」というものができた。
それは"お笑い芸人"である。
当時ナインティナインが凄い人気があった。
俺はそのナインティナインに憧れたのだ。
何に憧れていたのかと言うと、人を"笑わせる"という点だ。
そして何より人を"楽しませる"という事に興味を抱いた。
学校の授業で毎回笑いを取る為に必死になったのは今でも覚えている。
俺のネタは人気があり、必ずみんなが笑ってくれたので嬉しかった。
今まで親しい友達としか会話をしなかった俺だが、
この頃から色んな人と話すようになった。
そして何より女子にモテた。
クラスで「ラブラブ調査隊」を6人程で結成。
もちろん親友や女子も含む。
この調査隊はクラスの誰が誰のことを好きか調べるチームである。
ちなみに俺がリーダーを努めていたが、調査隊を作ったのは俺じゃない。
さっそく始まった調査活動。
だが実に簡単だった。というか直ぐに終わってしまった。
クラスの大半の女子が俺のことを好きだった。
これでは何も面白くない。女子のあとに男子を調べる予定だったが、
あっけなく終わってしまった。
そしてその後、担任にばれて注意された('A`)
あまりよろしくない行為だったらしい。(当たり前だ)
2月になり、男子が心待ちにしているのはチョコレート。
そう、バレンタインデーである。
先にも述べたように、モテていた為にチョコはかなり貰った。
中でも手作りのケーキは嬉しかった。
66名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:45:11 ID:Y65lu2AX
そういえばこの年、学校ではなく外で色々といたずらをしていた。
いつものように親友と帰宅。
家に帰ってポケモンなどを鞄に入れてそのまま親友宅へ。
これがいつものパターンだった。
元々外で遊ぶのが好きな仲だったので、天気の良い日は外で遊んでいた。
そう、そこで問題がよく起こる。
石を蹴ったら他人の家の車に直撃。
そこでとる俺たちの行動は今の小学生には考えもつかないだろう。
俺たちはただ単に逃げるのではない。
隠れるのだ。
しかも隠れる場所は木の上だ。
回避率は100%だった。
逃げた子供が木の上に隠れるなんて想像もつかないだろう。
時代が違い過ぎる。
並外れた運動神経があり、足も速く、当然木に登るのもかなり早い。
見つかるわけがないのだ。
そんな感じで特に怒られたり見つかったことはない。
他にも工事現場へ侵入したり、空き地に秘密基地を作ったりした。
木の上に基地を作るのはさすがに断念した。

夏にキャンプへ行った。
親友の家族と、他に仲がよかった友達の家族と俺の家族によるキャンプ。
物凄く楽しかった。
親友が川に流された時は焦ったが。
実はこの時のキャンプの写真が本に載っている。
「キャンプ場」を紹介する本があるのはご存知だろうか?
元々、互いにキャンプへ行ったりしていたので当然こういった本を買う。
自分達がたまたま写真に写っていたときは驚いた。
それと同時にかなり良い思い出になった。
67名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:45:33 ID:Y65lu2AX
□ 1998年

小5になり、上級生の仲間入りだ。
クラスが変わり、なんと親友とクラスが別になってしまった。
それと同時に新たな親友ができた。
新しい親友は物凄く頭がいい。
通知表(あゆみ)ではほぼオールAをキープ。
中学でもオール5を取ったりするほどの天才である。
この親友と仲がよくなったきっかけは、通学路である。
帰る道が同じだったのだ。
そして同じくコロコロコミック愛読者であり、話が合った。

この年も俺はそれなりに女子にモテた。
だが以前好きだった子は春に転勤してしまい、凄く辛かった。
もちろん引越しの日に親友と見送りにいった。
送る言葉が浮かばなかった。
殆ど影から眺める感じになってしまった。
その子が気づいてくれていたかどうかは分からない。
だが最後に顔が見れただけでも良かった。
可愛い、優しい、頭いい、運動神経抜群という素晴らしい子だった。
こんな子が側にいたら間違いなく惚れてしまう。
この子以上に惚れた女性は未だにいない。
仲がよかっただけにまたいつか会いたいものだ。
68名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:45:58 ID:Y65lu2AX

俺は塾に通っていた。
勉強は嫌いなので当然集中できない。
親は相当俺に勉強してほしかったらしい。
そして妹は頭が良かった。
同じ塾に通っていたので、時折妹を眺める。
偉い。ちゃんと勉強している。
通知表(あゆみ)にもちゃんと結果が出ているのだ。
やはり悔しい。
今と違って昔の俺は集中力がなかった。
同時に根気もなかった。
そのくせプライドが高く、負けず嫌いという矛盾。

小5の頃は小4の頃よりもたくさんの友達と行動していた。
帰宅時は男女含めて10人は必ずいた。
かなり仲の良いクラスだったのは今でも覚えている。
しかし、この年はあまり遊んだ記憶がない。

学校の勉強はいまいちだった。
成績は人並み以上だが、特別凄いと称えられるほどではない。
この年も授業中に笑いを取ろうと頑張った。
みんなはかなり笑っていたが、
今思えば真面目に勉強している人の邪魔だったかもしれない。
69名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:46:32 ID:Y65lu2AX
□ 1999年

とうとう最高学年になった。
6年になると昼休みに体育館を占領できる。
そんな訳でいつも昼休みはクラスの男女総勢20名ほどで鬼ごっこ。
かなり燃える。
使用していたルールは「氷鬼」である。
鬼から仲間を助けるのは当然燃える。
それに伴い怪我人も出たりする。
特に気合の入った女がいた。
男子の間では怪力女と呼ばれている。
男を軽々と投げ飛ばすのだ。
有り余る力のばかりか、助けると同時に思いっきり人を投げ飛ばす。
物凄い腕力だった。
同じ女子も平気で投げ飛ばしては謝っている。
本人に悪気はないらしい。
実はこの怪力女に俺は好かれてしまった。
正直、かなり迷惑な話だ。
決して悪い奴ではないが好きにはなれない。
この怪力女には1人の親友がいた。
いつしか俺はその親友と付き合うことに。
つまり告白された。
そう、俺には小学生の時点で彼女がいた。
少し早い気はするがそれなりに楽しんでいた。
70名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:47:02 ID:Y65lu2AX
この年、家を建てた。
今までボロい家に住んでいたが、新築の家はかなりハイテクだ。
1階、2階、地下1階の3階建てである。
もちろん玄関は2つあるし、トイレも2箇所ある。
さらには家の中にボイラー室まであるくらいだ。
あまりの生活の変化に中々馴染めなかった。
贅沢な家での生活は憧れだったが、実際に済んでみると以前と大して変わらない。
大きな変化は冬くらいだ。
セントラルヒーティングにより、家中の気温などを自由に設定できるのだ。
これにより俺は夏も冬も家の中では常にTシャツでいるようになった。
そして新しく自分用の部屋ができたことに感動。
さっそく親友を呼んで毎日家で遊ぶ。
今までは他人の家にお邪魔する側だったが、一変して呼ぶ側になった。
当時流行っていたのは「ドラゴンクエストモンスターズ」である。
これにもハマった。
自分の部屋を持つことにより、ゲームを幾らでもできるようになった。
かなりやり込んだのは今でも覚えている。
あのHPの低いゴールデンスライムのHPを999まで上げたくらいだ。
未だかつてこの「DQM」で他人に負けたことはない。
71名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:47:22 ID:Y65lu2AX
学校の勉強だが、やはり捗らない。
とても納得のできる結果ではなかった。
自分の部屋ができたことにより、さらに勉強しなくなった。
さらに俺はクラスの女子数名と交換ノートをしていた。
色んな人から誘われ、断れずについつい参加。
男が俺だけだったりするので、書き込む内容に困る。
先にも述べた通り、俺は文章を作ったり字を書くのは苦手だ。
女子はみんなボールペンを使ってカラフルに仕上げている。
真似て俺も挑戦するが中々うまくいかない。
そのせいか、いつも俺は意味深な質問に答えてばかりの交換ノートに。
当時の彼女が参加していた交換ノートにはかなり気合を入れた。
だが気合が入ってるだけで結果他の交換ノートと同じだ。
この交換ノートにより少し文章力がついたかと思ったが、
読書感想文には苦戦した。
しかし何故か作文を書くのが得意になっていた。
というか、いつの間にか自分の考えをアピールする力がついていた。
原稿用紙3枚で良いと言われても、俺は8枚近く書いていた。
もちろんクラスで1番書いている。
これには先生にも褒められた。
少し国語に自身がついたが、結局成績は変わらず。
唯一、漢字の成績だけはトップレベルだった。
72名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:55:26 ID:Y65lu2AX
そして春。
いよいよ卒業式である。
俺の小学校は2つの中学校にそれぞれ分かれることになる。
残念ながら俺は圧倒的に数の少ない方の中学校へいくことに。
全体の10分1だけが俺と同じ中学校である。
この差はデカい。
仲の良いと友達とかなり別れてしまった。
唯一の救いは彼女と親友2人が同じ中学校だったことである。



□ 2000年

中1になった。
周りは知らない人ばかり。
1学年に5クラスある。
同じクラスで元同じ小学校のやつは2〜3人である。
また俺は親友達とクラスが別になり、全く話す相手がいない。
休み時間に廊下へ出て同じ小学校のものが集う感じになった。
73名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:55:55 ID:Y65lu2AX
学校が始まって2日後、自己紹介である。
趣味はゲーム・パソコン・アウトドアとアピールしてみる。
インドア+アウトドア派という俺は珍しい人間だ。
なかなか俺の評判はよく、すぐに友達ができた。
すぐに気の合う仲間が見つかった。
俺は野球部に入るつもりだったが、誘われて剣道部へ。
入るつもりはなかったが、行ってみると楽しそう。
というか、先輩達の竹刀を振る姿や掛け声がカッコいい。
すぐに剣道部へ入ることを決意。
部員がかなり多かった。
そんな中、先輩の半分以上の顔を知っている。
よく見ると同じ小学校出身だった。
お陰ですぐ先輩たちと親しくなり、普通に遊んだりもするようになった。
だが部活の練習は厳しい。
顧問の先生は女だが、なんと国体のメンバーである。
つまり北海道代表というかなり強い人だ。
考えられないほどの厳しい練習だった。
運動神経には自身があるが、体力には自身がないのだ。
部活に入って1週間ほどが経ち、小3の頃仲良くなった親友を誘う。
小5の頃仲良くなった親友は元々野球少年団に入っていたので野球部へ。
74名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:56:15 ID:Y65lu2AX
初めは嫌がってた親友を殆ど無理矢理状態で連れ込む。
気に入ってくれたようで、同じ部に入ってくれた。
クラスは違うが同じ部になったことから、また毎日遊ぶようになる。
学校の登校は親友3人いつも一緒だった。
夏になり、やっと防具をつける許可が出た。
いよいよ剣道らしくなってきた。
毎日何千回にも及ぶ素振りから一気に練習内容が変わる。
胴着や防具を着るととにかく暑い。
そんな中あのハードメニューとなると、死にたくなってくる。
数日後、初めて試合をやった。
一応俺はほぼ全勝だった。
そして中体連である。
うちの剣道部はかなり強い。もちろん全道狙いだ。
だが2位だった。かなり惜しい。
しかし個人戦で全道へいった先輩がいる。
その先輩の数々の技は華麗でカッコいい。
同じ1年生同士で真似るが、全然うまくいかない。
圧倒的に竹刀を振るスピードが違うのだ。
やはり全道レベルは違うなぁ〜っと心に染みる。
3年生が引退後、1年も顧問の先生と稽古をするようになる。
メニュー内で一番辛い。
というか先生が強すぎる。色んな意味で。
俺は先生に小手を打たれた、練習後にヒリヒリする腕を見ると…
物凄い内出血だ。友達もだった。
当然の如く、頭にたんこぶも出来る。
プロの面打ちは凄い。
当たる瞬間に風の刃がやってくる。
とにかく凄い先生だった。
75名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:56:35 ID:Y65lu2AX
学校の授業だが、以外にも順調なスタートだった。
大体90点台をマークし、上位の仲間入り。
150人以上いる中であの順位は中々だと思う。
唯一、社会(地理)の点数だけ納得がいかなかった。
英語の99点も納得がいかなかったが…。
とりあえず勉強で苦になることは無かった。
むしろ皆から頭のいい奴という印象までつけた。
これは予想外だ。

そしてこの年、俺は「ファイナルファンタジー」というゲームを知る。
今までまともなRPGは「ポケモン」、「DQ6」、「DQM」くらいしかやったことがない。
というか俺の小学校ではこれくらいしか流行っていなかった。
しかし中学へ行くとFFやガンダム、遊戯王といった話が主流だった。
俺には全然分からない世界だった。
俺は友達や先輩からFF9のディスクを借りた。
DQ7購入の際にPS2を買ったのでPSのゲームができるようになったのだ。
DQと任天堂系列のゲームしかプレイをしたことのない俺には衝撃的だった。
ゲームで"感動"という体験を初めてした。
今まで俺はゲーム如きと甘くみていたようだ。
それからFF7やFF8もプレイ。
新たな世界に入った気分になる。
中学に入ってから月1500円のお小遣いを貰っているので、
中古でゲームを探すようになった。
部活は夜7時〜8時までだったのでゲームをする時間はあまり無い。
長時間プレイなどはできなかったが、少しづつ色々なゲームに興味を持つ。
ゲームだけではなく、遊戯王のカードにもハマった。
友達や先輩から貰ったカードでのスタート。
当然弱い。だがそれなりに楽しめた。
76名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:57:42 ID:Y65lu2AX
□ 2001年

中2になり、学校にも馴染んでくる。
そしてクラスも変わった。
親友達とは相変わらず違うクラスになってしまった。
だが同じクラスに剣道部が7人。
ここまで重なるのは異常だと思った。
とりあえず話せる友達がいると他に友達を作りやすい。
すぐにまた10人以上のメンバーができる。
給食は共に、そして昼休みも共に遊ぶメンバーだ。

中2になったことで、後輩ができた。
剣道部に入った新入りは女子だらけである。
夏になり、中体連だ。
今年の3年も強く、全道狙いである。
しかし団体戦で全道へはいけなかった。
個人戦では数名。やはり凄い。
一緒に汗を流して練習した人が活躍してくれるとこっちも嬉しくなる。
3年が引退し、2年生が主力なる時期が来た。
だがこの年、俺の体にとんでもない異変が起きる。
それは極度の「成長痛」である。
酷い時期はあまりの痛さに階段を登れない。
実は中1の頃の身長は149cmと、俺は小さい方だった。
だが俺は中学に入ってから1日に牛乳を2リットルも飲むようになった。
背の低い自分に嫌気がさし、カルシウムをとるようになった。
牛乳を飲めば伸びる訳じゃない。
だが骨が丈夫じゃないと伸びるものも伸びなくなる。
そのせいか、俺の成長痛は酷かった。
77名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:58:19 ID:Y65lu2AX
結局、病院へ行き診断してもらう。
残念なことに、ドクターストップが掛かりスポーツ全面禁止である。
それくらい酷かった。
膝辺りに骨が突き出ているのである。
触ると痛い。階段やテーブルに足をぶつけると本気で泣いてしまう。
何度泣いたか分からない。
1ヶ月近くスポーツ禁止の挙句、階段もまともに登れない足になった。
学校では優しい友達ばかりなので2階まで背負ってくれた。
元々痩せてるので重くはなかったはず。寧ろ軽すぎる。
結局、ドクターストップがとかれた後もまとも運動できない。
思うように足が動かないのだ。
そしてこの成長痛は更に1年も続いてしまう。
一応こんな中でも部活でレギュラーは取っていた。
しかし思うように戦えないのが悔しかった。
実力を発揮できないのは何より悔しい。

2年になってくると学校で受験の話題がでてくる。
この頃俺はプログラマーになりたいと思っていた。
理由は色んな人が楽しめるものを提供したいという点だ。
お笑い芸人の夢のときもそうだったが、やはり俺は人の為に生きたいようだ。
中1の頃は小学校の名残もあり、笑い取るよう狙っていた。
しかし中2になってからは静かになった。
成長痛の影響もあるだろう。
成績も伸び悩んだ。
色んなことが重なり、かなり精神的に不安定だった。
78名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:58:41 ID:Y65lu2AX
勉強だが、俺は社会科の点数が一番伸び悩んでいた。
そこで俺は塾の先生にも頼み、社会科を中心に勉強する。
なんとか80点代をキープできるようになった。
逆に得意だった英語が90点前半に下がったのが気になる。

そして遊びだが、この年は「ファイナルファンタジー10」が出た。
ムービーが凄い。そしてストーリーが気に入った。
小学生の頃からパソコンを使いこなしていたので、色々と情報を集める。
そして友達に伝えるのが楽しかった。
なんというか人の役に立つという事が楽しかった。
この頃、ゲーム以外ではマジック・ザ・ギャザリングというカードが流行る。
中2のお小遣いは2000円だったのでさっそくカード代につぎ込む。
今思えばかなり勿体無い気がしてならない。
当時は楽しかったんだが、終わってみると何故こんな紙切れに…と思ってしまう。



□ 2002年

早いものでもう中3だ。
部活もラストスパートである。
だが俺はずっと成長痛に悩まされている。
そして身体測定の日が来た。
なんと身長が170cmに到達しているではないか。
これには驚いた。
2年と数ヶ月で20cm以上も身長が伸びたのだ。
もちろん背の順に並ぶと後ろの方になる。
成長痛のこともあり、あまり喜ぶことはできなかった…。
79名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 10:59:24 ID:Y65lu2AX
部活だが、なんと顧問の先生が中2を最後に他校へ転任することなったのだ。
そこでやってきた新しい顧問は若い素人先生。
メニューも全く変わる。
最強の顧問が転任した先はなんとライバル校だった。
去年、一昨年と団体戦で2位止まりだったのはこの中学に負けたからである。
もう部員は笑うしかない。
誰もが勝てるわけ無いと思ってしまう。
結局俺の代は全道に行けなかった。
一応賞は取って俺も表彰台に上がった。
けど…やはり悔しいものである。
ちなみに女子は強い。
団体戦、個人戦、それぞれ全道行きだ。
まだうちの中学は終わっていない。
強い後輩がたくさん控えているからだ。
安心して次の代に引き渡せる。

部活が終わると受験モード。
ちなみに俺の3年の成績は中々凄い。
ランクでいうとCランクまで上がった。(A〜Hランクまであり、Aが最高)
市内で一番優秀な高校へ行くのも十分可能なレベルだ。
だが俺はそこへ行く気は毛頭もない。
というより、普通科が嫌いだ。
なぜ覚えた所で役に立たない勉強しなければならないんだ。っとよく思う。
そこで俺の目指した先は高専である。
有名所で俺の狙った情報工学科の倍率は2.6倍である。
もはや異常だ…。
80名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:00:10 ID:Y65lu2AX
さらに合格平均ランクはBである。
かなり無謀な挑戦だった。
そして俺にはまた別の問題ができた。
社会科を勉強し過ぎたのである。
そのせいで得意だった数学と英語の点数が下がる。
成績が上がっているのだが、点数が下がっているのである。
逆に社会科は常に90点台という得点源となっていた。
これは致命的である。
高専、しかも情報工学科は数学と理科ができないと話にならない。
不安が募る。
校内特別推薦を受け、面接試験を受けるがダメだった。
もう筆記試験しか残されていない。
実は高専のテストは普通の高校のテストとは全然違う。
より専門的な問題が入試で出る。
過去問題を見ると一目瞭然であり、問題の意味すら理解できなかったりする。
ここにきて社会科よりも今まで通り数学と理科の勉強をしていれば…
と後悔してしまう。
焦りと不安が募り、結局筆記試験もだめだった。
私立行きが決まったのだ。
私立は高い。親に負担を掛けてしまう。
それが一番悔しかった。

この年ハマったゲームは「スターオーシャン3」や「テイルズオブデスティニー2」だ。
初めてFFやDQなどの王道RPG以外をプレイした。
そしてこのゲームをきっかけにネットで掲示板に参加するようになる。
ネットによる交流の楽しさ、そして今までとは違う世界が見えてきた。
俺がホームページというものに興味を持ったのはこの時だ。
81名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:00:31 ID:Y65lu2AX
□ 2003年

市内の私立校に入学。
俺の嫌いな普通科である。
入試の時に問題も読まず適当に回答を埋めたのだが、受かってしまった。
内心人生を捨てかけ廃人になろうかと思った。
それくらい嫌だった。
こういった普通の私立校は頭のいい奴と悪い奴の差が愕然としている。
中には根本的に頭の悪い奴もいて見てるとイライラしてくる。
「なぜ俺がここにいるんだ。」とよく思った。
やはり皆それぞれどこの高校落ちか気になるのだろう。
初めはその話題ばかりだ。
俺ももちろん聞かれ、まずランクを言うと驚かれる。
何故そのランクでここにいると言いたげなのが表情で分かる。
想定範囲内だがやはり傷つく。
もちろん俺よりも頭のいい奴はたくさんいる。
だがそういう奴こそ話を掛けづらいものである。

俺は高校でも剣道部へ入った。
同じ中学の先輩がいたからだ。
それにいまさら野球部へ入っても練習についていける訳が無い。
この高校での剣道は楽しくなかった。
活気が無いし、女子もいない。
2年生はいなくて3年生と1年生だけという状態だ。
練習をして試合もやったりした。
俺はその場にいた3年生全員に勝ってしまった。
これではもう上は目指せないと判断し、殆ど手抜きの練習になる。
学校の勉強もやる気ならないし、部活も中途半端。
なにもかもが面倒になる。
82名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:03:20 ID:Y65lu2AX
そこでふとネットを思い出す。
実は中卒後、祖母にパソコンを買ってもらったのだ。
春休み中に興味を持って楽天でホームページを作ったのだ。
それを思い出し、HTMLの勉強を始める。
1ヶ月する頃にはショボいがサイトとして成り立っていた。
そして以前通っていたサイトの常連さんが足を運び、応援してくれる。
これが俺のホームページ運営の第一歩だ。
初めは分からないことだらけ。
勉強するにもまず何を知ればいいのかが分からない。
俺の知人で俺以上にパソコンに詳しい人はいなかった。
こうなったら自分で全て調べるしかない。
手当たり次第検索、少しずつタグを覚える。
金は使いたくなかったので、ビルダーなどは買わない。
そうなってくると全て覚えるしかない。
まずは初歩的なタグの組み合わせなどを覚えていった。
実験と勉強を重ねていくと楽天じゃ全然自由に作れないことを知る。
そしてインフォシークとジオシティーズをそれぞれレンタル。
俺はまず有名所のサイトのソースをコピーし、丸ごとアップロードしてみた。(←犯罪。今もやってる)
見たことの無いタグがたくさんある。
ここでHTMLの奥深さを知る。
83名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:04:10 ID:Y65lu2AX
□ 2004年

高2になった。
高1の頃に4回のテストで3回も数学で赤点を取った。
さらには1度だけ1ケタという快挙(!?)まであげた。
いまさらどうでもいいと思っていたので、別に気にならない。
むしろ笑いのネタだ。

この年、剣道部が休部になった。
みんなやる気が無いからである。
というか俺は3年引退後から全然部活に行っていない。
2段を受けようかと初めは思っていたが、やめることにした。
指導者がいないからだ。
何しろ先輩はいないし、顧問の先生もど素人。
とてもやる気にはなれない。

そこでホームページ作りである。
この2004年という1年はサイトの内容が一気に変わった。
アクセス数も100倍まであがるほどだ。
10倍ではない、100倍である。いや、500倍だな。
1月に「スターオーシャン3 ディレクターズカット」のサイトを作ってみた。
なぜか検索エンジンの上位に表示され、
コンテンツもろくに揃っていないのにアクセス数が急激に増える。
それまでは1日1000アクセス程度というショボさだったが、一気に1万単位だ。
なんとなく"攻略サイト"というものに興味を持った。
俺は元々ゲームなどの謎解きが早いし、情報収集が得意である。
俺のような人間に向いているのではないかと思った。
そして1ヶ月ほど色んなサイトを見て周る。
やりがいがあると思った。
84名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:04:43 ID:Y65lu2AX
たくさんの人に見てもらえると思ったのと同時に、人の役に立てる。
攻略データと掲載と情報の掲載、そして交流コンテンツを設置すれば…
と思うと色々とアイディアが浮かぶ。
ここで勉強用サイトから内容が一変。
3月にはAmazonに登録し、攻略ページ作りの練習を開始。
稼げると思って登録したAmazonだが、初めは数十円しか報酬がなかった。
やはり誰もが始めは思うように、こんな広告では稼げないと判断。
6月に「ゼノサーガ エピソード2」を攻略。
このゲームが俺の人生を変えた。
想像を絶するアクセス数の増加。
当然、ページ作りにも熱が入る。
ページを作っていると次から次へと新しいアイディアが浮かぶ。
極道の改装する回数が多いのはその為である。
報酬は望めないと思っていたAmazonだが、このゼノサーガEP2で見方が変わった。
関連商品の売り上げが凄いのである。
あっという間にゲームの元手は取れてしまった。
人間とは欲深い生き物です。
すぐに次に売れそうなゲームに目をつける。
「ペーパーマリオRPG」だ。
任天堂のゲームだから簡単だろうし、ユーザーも集まり易いと思った。
結果、アクセス数は予想通り増えた。
どちらかというと口コミ効果が凄い。
だが、問題が生じる。
低年齢のユーザーが増えすぎた。
これは誤算だった。
俺は自分と話しの合う同世代や年上の集まるサイトにしたかった。
アクセス数や売り上げは伸びたものの、所謂「荒らし」の激増である。
既存のユーザーに迷惑を掛けてしまった…。
ユーザーが増えると楽しくなると思ったが、世の中そんなに甘くない。
逆に攻略することにより、迷惑をかけてしまったのだ。
新規ユーザーにとってはどうでもいいことかもしれないが、俺は辛かった。
85名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:05:50 ID:Y65lu2AX
なんとなく居づらくなり、俺の掲示板への書き込みが減っていく原因はこれだ。
そして諦めの悪い俺は8月に「幻想水滸伝4」の攻略を試みる。
これは成功したと思う。
俺が思うような形でユーザーが集まった。
調子に乗って9月に「PS2版TOS」の攻略をする。
GC版をプレイ済みだったので、苦戦することはなかった。
そして間もなくこの「PS2版TOS」と「ペーパーマリオRPG」のサイトがYahooに掲載。
これは予定外である。
一気に「極道」の名が広まった。
同時にAmazonの売り上げも凄い。
特にTOSの攻略本の売り上げはヤヴァイ。
現時点で200〜300冊は売れている。
既に月報酬額が5万〜6万は当たり前になる。
続いて11月にマグナカルタの攻略だ。
なんと攻略開始前にYahooに掲載されたのだ。
当然の如くアクセス数は凄い。
そして立て続けにドラゴンクエスト8発売。
こうなってくると笑いが止まらない。
アクセス数と報酬額の増加が恐ろしくなる。
DQ8のサイトもYahooに載り、勢いに乗ったまま12月は「テイルズオブリバース」だ。
こちらもYahooに掲載され、アクセス数は1日に50万HIT以上である。
1年前の500倍だ。
今でも信じられない。
努力の賜物だと思うが、ここまで成果として出るとは思わなかった。
この月の報酬額が10万を軽く越える。
それを使ってPSPやNDSを買った。
この1年の成果は計り知れない。
きっと真似できる者はいないだろう。
86名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:06:35 ID:Y65lu2AX
話はそれて学校生活。
クラスが変わり、メンツが一気に変わる。
7クラスもあるから当然知らない奴が多い。
はじめて見る奴も多数いた。
このクラスにはゲーム好きが多かった。
そこで俺のサイトを教えてみるとパソコンを持ってる人はさっそく来てくれる。
学校内でも結構しれ渡り、毎日閲覧してくれる人や書き込んでくれる人もいる。
このクラスは中々楽しい。
話題の合う奴が多いのだ。
お陰で修学旅行も楽しめた。
ちなみに勉強は全然していない。
だが何故か成績は上がった。
それとは別に部活をやっていないせいか、体力が落ちている。
それが今一番の不安要素。

□ 2005年
気づけば高3だ。
志望校はない。可能なら推薦で専門学校を狙うとい程度。
だが俺には大いなる夢が出来た。
起業を起こす。つまり会社を作るということだ。
何をやりたいかはとうに決まっている。
今後どんどん増え続けるであろうネットユーザーにより楽しいサービスを提供する事業だ。
それだけではない、今までの攻略ページ作りも会社規模で行う。
ユーザー集めにはもってこいだと判断。
そしていつしかYahooも超えるポータルサイトを築き上げたい。
まだ言わないが既にたくさんの企画を立ててある。
資金面のこのサイト運営で賄える。
あとは人材探しだ。
87名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:06:59 ID:Y65lu2AX
高3になると選択教科が2つになる。
俺の選んだ教科は実用国語と流通経済である。
この2つには気合を入れている。
両方役に立つ教科だからだ。
だが、レベルが低すぎる。
つまり簡単過ぎる…。
その他の教科は赤点を取らない程度に頑張る。
ちなみに3年では数学がない。
そう、赤点の不安は消えたのだ。

1月、「ラジアータ ストーリーズ」の攻略を手がける。
これも大成功だ。
攻略チャートのデザインは気に食わないが、結果的に成功を収めた。
お絵かき掲示板や小説投稿板を中心に幅広いユーザーが出来た。
2月はPSPの「ポポロクロイス物語 ピエトロ王子の冒険」を攻略することに。
こちらのサイトとラジアータのサイトが共にYahooに掲載。
ポポロクロイスの方はバグにハマり、やる気がなくなった…。
そして「真・三國無双4」も調子に乗って攻略。
テストと時期が被り、攻略が捗らない。
結果、未だに中途半端なままだ…。
いつかしっかりデータをまとめたい。
3月は「テイルズオブエターニア」の攻略だ。
PS版を一度やっているので詰まる点はない。
だがテストと被り、こちらも中途半端だ。
Yahooには掲載されているが、やはり後でしっかりデータをまとめたい。
24日には「シャイング・フォース ネオ」の攻略に取り掛かる。
これは成功だ。もちろんYahooにも掲載されている。
88名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:07:34 ID:Y65lu2AX
ただ雑談掲示板やお絵かき掲示板に活気がないのが残念。
続いて「ワイルドアームズ4」も攻略。
クリアはしたが、データをまとめきっていない。
その割にはユーザーが集まって驚きを隠せない状態。
こちらも後でデータをまとめたい。
4月は「天外魔境III NAMIDA」を攻略。
これは失敗だ。ゲームは面白い。
だが、予想を遥かに超えるストーリーの長さだった。
結果、ミンサガまでに間に合わなかった。
そしてそのまま「ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡」を攻略。
ドメインの取得により、移転作業と重なるという大問題。
翌日には「ロマンシング・サガ ミンストレルソング」の攻略を開始。
どんでもない忙しさだ。
そんな中、問題が多発する。
自分の作ったページ量を甘く見ていた。
約3000ページに及ぶとんでもない量だ。
改装・移転作業が面倒になる。
さらにアクセスカウンターの鯖が凍結。
急いで別の有料サーバーに切り替えたが、CGIの処理速度が遅い。
今でも1日に15〜20万HIT以上しているのに、6〜7万程度までしか計測できていない。
これは困る。
89名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2005/12/23(金) 11:08:30 ID:Y65lu2AX
そこで現在は8つ目になる有料サーバーに登録中。
ここだけの話、新しいドメインを取得することに。
5月7日、株式会社ウエストサイド様から1通のメールがきた。
「シャイニング・フォース ネオ」のサイトの掲載が決まったのである。
何に掲載かというと、とあるコンピュータ誌だ。
ついに雑誌に掲載されるほどのサイトになった。
かつて俺はお笑い芸人を目指して雑誌やTVに映ることが夢だった。
それがこんな形で雑誌に載るとは…。
だが載るのはサイトとデータだけである。
いつか何らかの形で雑誌やTVに俺自身も…。

続く。(最終更新日:5/08)