【ピンクの】自称天才作詞家 瓢箪万作13章【ボブ】
[第四話]
目的地の駅に到着した事を告げるアナウンスが流れ、私は席を立った。
あの男が乗車してからの数十分はあまり愉快な経験ではなかったが、私に直接被害がなかった事を幸運だと考え忘れる事にした。
列車は静かに停車した。ドアが開き熱気が車内に流れ込んでくる。日ざしの中に妻の笑顔が見えはしないだろうか、
と淡い期待をしてしまった自分がいて、まだ立ち直っていない弱さにわずかに苦笑した。こんな姿を彼女が見たらどう思うだろうか。
そんな思いにかられていると、先頭車両のドアからけたたましく誰かが飛び出してきた。
見ると、締まりかけたドアに挟まりそうになっているのはあのスーツ男だった。私はげんなりとした。
まさか、降りる駅まで一緒だったとは。
男は電車を降りると、しわくちゃになったスーツを申し訳程度に手で叩き、あっさりと着込んだ。
この暑い中なぜ上着を着たのか分らなかった。だらだらと額から汗を流しながら、無理矢理スーツを着込む姿は醜悪そのものだった。しかも、なぜかネクタイは締めていない。ラフなスーツの着こなしだとしてもひどすぎる。
私のそんな思いも知らず、相変わらず男は一人で何かつぶやいている。私の後を尾けられるのはあまりいい気持ちはしなかった。ホームの端により、電話をかける振りをしながら彼を先に行かせようとした。そして、彼の行動に目を配っていると、
男は何かを思い出したようにいきなり振り返る。そして、何を思ったのかすでに発車した列車を探すようにあたりを見渡している。
私は背中に寒気を感じた。早くこの場を離れた方がいいような気がしたが、あまりにも男に近付き過ぎていたため動くに動けない。
しばらく呆然としていた男はまたもごもごと口の中でつぶやき、私の横を通り抜けていった。
「暑さのせいだったのかな」という言葉だけが聞き取れた。彼が何を見て、そう思ったのかは分らない。
ただ、明らかに私の姿は見えていなかった。
男はふらふらとホームを歩き、改札を抜けた。私はその30M程後を歩いていた。
ひさしぶりの妻の墓参を邪魔されたようで気分が悪かった。
駅を出た男が一目散に向かったのは、古ぼけた喫茶店だった。遠くから見ても明らかに営業はしていない佇まい。
男はその喫茶店を窓から覗き込んでいる。店内はテーブルも椅子もなく配管がむき出しになっている、田舎駅によくある風景だ。
男は入り口に掛けてある改装中の文字に目を止めると、舌打ちをしてやっと離れた。
次に男が足を向けたのは小さな花屋だった。中には若い女性店員の姿があった。
私はさっきの車内での男の様子を思い出して嫌な予感がした。男は店内を食い入るように見つめている。
私はそっと彼の近くに寄った。何かあったらすぐに飛び出すつもりだった。
しばらくして男はその若い女性店員に声を掛けた。
「えっと、この花をありったけ」
男が指差したのは白い百合だった。小さい花屋とは言ってもゆうに50本はある。持てるはずがない。
当然、店員も困惑して尋ね返している。
「まぁ片手で持ちきれる分くらいでいいんですけど」
男はにやにや笑いながら答えている。さっきの話と矛盾している事に気付いていないようだ。片手で持てるありったけ、
しかもかさのあるユリ。店員に対する嫌がらせだろうか。若い女性店員は一瞬困ったような顔をしたが、分りました、
と答え花をまとめ始めた。
その時男の表情が変わった。さっき電車の中でピンク女に嬉々として婚約者の死を語っていたあの陶酔し切った顔だ。
女性店員の後ろ姿を見つめながら、怪しい表情を浮かべている。口元は薄笑いを浮かべ、
女性の腰からヒップのあたりをなめましている。最低だ、この男。もしかしたら、最初に喫茶店に行ったのも、
女性店員がいないかと思っての事じゃないのか。それが閉店していたところに、花屋の看板とこの女性が見えたので慌てて入ったに違いない。
この男何者なのだろうか。この時に至って、私は急に気になりだした。
ただの変態なのか、それとも高度な目的があってやっていることなのか。もしかしたら、某国のスパイとか。
さっきのピンク女は連絡員で、あの電波な会話は暗号。そして、目的は若い女性の拉致。
暑さのせいだな。
私も奇妙な想像に取り付かれつつある。男が花屋を出たのを確認して、私はタクシーを止めた。
(問題はここから‥つづく のか?)