しかしまたヲナニィ脳内エッセィ始めようと思ったら
シャルに邪魔されてやんの
( ´,_ゝ`)プッ<ヲカマ克彦
復活か?
落ちたスレのレスを削除した上にフカーツかい・・・
塚、コピペ削除したらこれだけしかレス付いてなかったんかい (苦藁
8 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/16 22:31 ID:NFbEkRuD
よくわからんけど保守
もう岡やんはいいよ・・・。
飽きた。
『響き合いを求めて』
住友信託銀行 システム開発第一部 岡田克彦
(1990.9.執筆、1991年度、住友信託銀行 新卒者向け会社案内グラビアページ
‘his point of view’のグラビア添付用自己紹介文として掲載)
「音楽はうその中でも、もっとも美しいうそです。」
これは、私の好きなドビュッシーのことばです。私も美しいうそを求めて、
小学生のころから書きためてきました。もう、600曲くらいになるでしょうか。
一昨年、「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディ
ーOP.61」という、日本の原風景といったものをイメージした曲を、
東京・御茶ノ水にある室内楽専用のカザルス・ホールで行なわれた
コンクールで発表し、1位をいただきました。
そのときの審査員だった、ヴィオラ奏者の今井信子さんはオランダに戻って
(彼女はアムステルダムに住んでいます)この曲を演奏会で弾いてくれた
そうで、たいへん光栄に思いました。
でも、もっとうれしかったのは、コンクールを聴きに来ていたあるお年寄り
の女性から、「聴いていて自分の育った田舎の山や川が浮かんできました」
という手紙をもらったことです。
音楽は、美しいうそであると同時に、それを受けとめてくれる人との
感受性のコンタクトだと思います。あるモチーフで、例えば旅行したとき
に見た風景を素材に私なりの感性で作曲をします。それを演奏家は
演奏家なりの感性で弾き、聴く人はまたその人なりの感性で受けとめる。
その三者のコンタクトの中から生まれる響き合いが私にとっていちばん
大切なものなのです。曲というのはそのための手段に過ぎません。
クラシックの作曲をしているというと、気難しい人間を思い浮かべる人も
いるかも知れません。でも私は「明るく楽しく」こそが、いい曲づくりの
秘訣だと思っています。
創作というのは何でもそうでしょうが、自分の感性がそのまま表れるもの
です。いい曲を作ろうと思ったら、弾く人、聴く人の反応やいろいろな
外からの刺激を素直に受けとめる姿勢が大切で、自分の世界だけに
こもっていては、すぐに限界がきてしまうでしょうね。
新しい人と知り合え、新しい刺激と出会えるという意味で、私は転勤が大好きです。
赴任先の一つ松山支店時代に盲腸を患って、1か月ほど入院したことがあります。
入院は生まれて初めての体験だったので何もかもが珍しく、その感動(!?)が私に
「点滴の詩(うた)」という曲まで作らせてしまい、見舞いに来た人や看護婦さん
を呆れさせました。
今、仕事では、私はシステム開発に携わっています。システムという興味深い
ものとの新しい出会いを求めた私が、会社に希望を出し、それが受け入れられたのです。
マーケット・リサーチのシステムを作ったときは、全店発表会で委員長賞を
もらいました。預金・ローンなどの大量一括処理に代表されるのがこれまでの銀行の
システムでしたが、現在住友信託では、信託ならではの、手づくりやきめ細かさと
いったノウハウをシステムに取り込もうと、力を入れています。
20 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/16 23:11 ID:aWSwdiKf
121 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:03 ID:aWSwdiKf
土産に花火持ってくぜ
122 名前: ◆gyganPkUoY :02/12/16 23:07 ID:9TSV5dv2
いいなぁ、花火。
123 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:08 ID:aWSwdiKf
夏のキャンプで大量にあまったのが役に立ちそうだ
124 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:08 ID:pO3lQAvF
過去ログとかどこにあんの?
125 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:09 ID:aWSwdiKf
ここに岡やんの住所かいたらまずいかな?
何が言いたいの?
22 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 00:53 ID:ghWrGetL
23 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 02:03 ID:znt+Ut8/
おかださ〜んここにもあるよ〜(プ
『孤独とノスタルジーの果てまで』
・・・プーランク・・・
岡田克彦
1986.8.10.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1986年8月号)』に掲載
演奏する立場において、僕が一番愛している作曲家は、フランシス・プーランクです。
今まで出会ったどんな作曲家よりもぼくに近くて、もしかしたら彼はぼくの
ために曲を書いてくれたんじゃないかと思えるほど、水を得た魚のように、
自然に演奏できるからです。
初めてプーランクの曲を聴いたのは、4年前、APA(エイパ・日本アマチュア
演奏家協会)に入会して間もない頃でした。できたばかりの、簡易保険会館
で行なわれたベルリンフィルメンバーによる室内楽コンサート。曲は
「オーボエ、ファゴット、ピアノのためのトリオ」でした。この時の
第一印象で、そのうち、ぼくが夢中になる要素を持った作曲家だ、と直感しましたが、
まさか、今のような深い関係になるとは夢にも思いませんでした。
当時は、ただ、フォーレの室内楽曲をやることだけが当面の課題でしたから。
ところが、APA入会後、フォーレをやるかたわら、プーランクをやるはめに
なってしまい、最初は、管楽器の人達に頼まれてやっていたものが、だんだん
とぼくの中で大きな部分を占め、ついにはフォーレをしのいでしまいました。
「木管ピアノ六重奏曲」を皮切りに、「ピアノ協奏曲」「フルートとピアノのためのソナタ」
「ある日、ある夜」「クラリネットとピアノのためのソナタ」「ノクターン」
「オーボエとピアノのためのソナタ」等、レパートリーも増え、考えてみると、
その数はフォーレよりもずっと多いのです。一方、聴く方でも、バレー組曲「牝鹿」
はじめ、「オーバード」、オペラ「ティレジアスの乳房」「カルメル派修道尼の対話」、
無伴奏カンタータ「人間の顔」、「2台のピアノのための協奏曲」などは、特に気に入りました。
彼の作品には、彼の尊敬していたモーツァルトのパロディーや収拾のつかない
転調など、ディレッタントなギャグがいっぱい詰まっています。
「牝鹿」に『プラハシンフォニー』が出てきたり、「2台のピアノのための
協奏曲」に『戴冠式』が出てきたり、思わず吹き出さずにはおれません。
もちろんこれらは、十分ほくを楽しませてくれ、また、一般的にも、
この機知に富んだセンスには定評があります。
しかし、ぼくが最も好きなところは、他にあります。それは、例えば
「ピアノ協奏曲」の第2楽章の冒頭のオーケストラの刻むリズムにのって
だんだん懐かしい気分になってゆく和声進行や、「フルートとピアノのための
ソナタ」の1楽章の第1モチーフの熱い思いや、これの下のバスラインの
クロマティックな和声進行によって醸し出される、薄氷の上を歩くような
不安定さや、
「オーボエ、ファゴット、ピアノのためのトリオ」の第2楽章の
終結の調性が定まらずに、美しく妖しげに揺れ動いたりするところや、
「クラリネットとピアノのためのソナタ」の第3楽章の懐かしい第3主題や、
かの有名な「フルートとピアノのためのソナタ」第2楽章の官能的なテーマの
美しさなど、に代表されるものです。
若い頃の作品から既に垣間見えていたこの孤独の裏返しとしてのノスタルジー
は、晩年、ギャグがなくなってゆくのにつれて、次第に強くなってゆきます。
その極めつけが、ぼくがプーランクの全作品中最も好きな「オーボエとピアノのためのソナタ」
死の前年、1962年に書かれたこの曲には、全くギャグも遊びもありません。
ただ、ノスタルジックな気分の美しさと、恐ろしく孤独な独白だけから成っています。
第1楽章
懐かしいト長調で始まります。静寂に向かってオーボエが呼びかけピアノが
ト長調の主和音で8分音符を刻みながら答える。…なんと、ト長調な響きでしょう。
曲はセブン系の分散和音を加えて次第にメロドラマ風になってゆきますが、突然、
変ロ短調の透明な第2主題によって飛躍し、それが美しく遠隔のニ長調に移ったかと
思うと変ロ短調の別のテーマの孤独な影が少し差してくる。
少しとどまってから、恐ろしく寂しい中間部に入ります。
が、これは長く続かず、最初のト長調が再現し、ほんのしばらくの安堵に浸る
ことが出来ます。その後も、気分は、何回も不安定にゆれ動き、結局は、
ト短調で暗く終わってしまう。
ノスタルジックなト長調に昇華されている外見は、それと同じだけの恐ろしい孤独に裏づけされている。そのため、本来、底抜けに明るいはずのト長調が、ここではちっとも明るく感じられないのです。
…プーランク以外の誰も、こんな世界は表現できなかったでしょう。
第2楽章
スケルツォ。三部形式の中間部はノスタルジーに満たされた美しいテーマですが、
前後のバカ騒ぎは、従来の茶目っ気タップリのものとは無縁の、気狂いじみた
ストイックなもので、いわば、全く肉体を伴わない世紀末の乱舞でもって、
聴く人の心を掻き回します。
第3楽章
ようやく、この3楽章の冒頭の2小節のピアノの和音によって、聴衆はノスタルジックな
世界に再び救われ、懐かしいテーマがオーボエに再現し、しばらく歌われます。
しかし、美しい一時もここまで!
クロマティックな装飾を伴ったピアノ伴奏の死の足音がついに、ついに、近づいて来る。
オーボエから、懐かしいテーマを否定的に激しく奪ってしまおうとする。
オーボエは、あの第1楽章の第2主題を思い出して美しさを取り戻そうとする
ものの、それも、ほんの一瞬の無駄な抵抗に終わります。
…すなわち、ピアノが死の足跡を刻みながらオーボエの孤独なつぶやきに
「複調で答え」、取り返しのつかない 「不協和音の後悔」のうちに曲を
閉じるのです…。
孤独感にもいろいろありますが、このプーランクの晩年の孤独感の切実さは
恐ろしく深いものです。
ぼくは、この3楽章の終結をピアノで弾く度に、胸をえぐられるような痛み
を覚えてなりません。
人間、誰しも死ぬ時は一人ですし、ましてや作曲行為など、もともと孤独な
ものです。
他の作曲家たち、モーツァルト、ショパン、シューベルト、ブラームス、フォーレ、
ドビュッシーなども、最晩年、独特の境地の同じような作品を残しています。
が、これらは、芸術家の晩年にふさわしい、ある種の聖諦の境地にあって、
ある種のあの世の光的なものを発していて、まるで、天国で書かれたような
趣きがあります。でも、プーランクにはそれが全くない!
ただ、ひたすら孤独で暗く恐ろしい世界を覗き込んでいる!
こんな作品を残すなんて、たぶん、プーランクは、前述の作曲家たちよりも
ずっと、「現代人特有の精神的な弱さとデリカシーを具備した、大変な寂しがり屋
だったんだろうな。」それと、「彼はホモセクシャルだったから、一生独身でい
たからなのかもしれないな。」彼の魂は、決して天国に召されることなく、
最後まで現世に執着していたようです。
ここ、4年来、この痛々しいプーランクを一緒に演奏してくれるオーボエ奏者
を捜し続けていました。が、ようやくこのプーランクの孤独を察知している人
とめぐりあえ、最近、練習を始めました。が、何ということでしょう!
一回一回弾き終わる度に、ぼくのハートは、ボロボロに掻きむしられ、どんどん、
精神が削り取られてゆく。…しかし、いけないのはわかっていても、それに魅かれて、
小悪と官能の世界に落ちてゆく自分を、もう、食い止めることはできない。
ドビュッシーが太陽ならば、プーランクは底知れぬ暗闇です。
プーランクのすべては、マイナー志向で否定的で、決して、ドビュッシーの
ように、多くの人に感動を与えたり、励ましたりするようなポジティブな効果
はあり得ません。しかも、客観的に眺めて、プーランクなど作曲技法上、
何の革新もなし得なかった、取柄のない人です。
しかも、ドビュッシーが大衆受けなど考えもせず自分の世界だけからスタート
しながら結局は時代の中心になっていったのに対して、現世に執着して
大衆的な発想のプーランクの本音は、ほとんどの人に理解されることはない
でしょう。…なんと言う皮肉…あと100年もすれば、音楽史の上から
プーランクの名前は消えているかもしれません。作曲技法上の欠点を指摘して、
彼をけなすことは誰にでもたやすくできることです。
しかし、プーランクのことを一人の作曲家として客観的に眺めることは、
ぼくにはもう、絶対に出来ません。ぼくはもう既に、彼の作品の演奏のため
なら、自分の作曲なんて捨ててしまってもいいくらい、プーランクが好きに
なってしまったのです。
『孤独とノスタルジーの果てまで』、
彼につきあってみようと思っています!!
『ネルケンの思い出』
・・・フォーレの室内楽・・・
岡田克彦
1990.8.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1990年9月号)』に掲載
あれは、もう15年前のことになります。当時、早稲田の1年生だった
ぼくは、東京の下宿にピアノを持って行っていなかったので、近所の
高円寺ヤマハ音楽教室でピアノを借りて練習したり作曲をしていました。
「ネルケン」は、このヤマハで知り合ったアマチュアピアニストの一人に「
この近くにいい喫茶があるよ。」と連れて行ってもらった、ぼくにとって
初めてのクラシック喫茶でした。
ともかくここを知って以来、ヤマハでの練習の後は毎日のように行って、
かたっぱしからいろんな曲をリクエストして聴いていました。あの頃が、
今までで一番音楽そのものに狂っていたんじゃないかと思います。
実際、ほとんど、人類と口をきくこともありませんでしたし、大学なんて
月に1、2回くらいしか顔を出していませんでした。「ピアノと遊ぶ会」
を友人と結成して演奏や自作発表活動に動き出したのも、大学3年になって
からのこと。その頃はただ、一人でピアノ、レコード、スコアと対峙していました。
もちろん、ピアノの演奏の方は、大学3年以降、いろんなプロやアマのピアニストと
出会って大いに刺激を受けたのですが、自分なりの和声法や対位法等
の作曲技法は、この頃にほとんど見つけることが出来たように思っています。
たしか、8月のとても暑い日でした。いつものように練習の後「ネルケン」
へ行き、その頃大好きだったモーツァルトのリンツを今日は誰の指揮で
聴こうかな? とレコードリストをめくっていたところ、ものすごく古い
録音で聴いたこともない奇妙な曲が始まりました。
まず、ト短調の主和音に基づく、ピアノの不気味な分散和音が32分音符
で始まり、それにのって、弦のユニゾンが陰鬱なメロディーを奏で始めた
のです。このト短調の重さからして、既に強烈な印象を持ちました。
真夏だっただけによけい感じたのかもしれませんが、熱くエロティックな
響きに、目の前がぼーっとなってしまいました。そのうち、平行調を経て、
音楽は地平線を飛び立ち、宙に解き放たれ、ひと所にとどまることなく、
次第に美しく移ろってゆく。…気がつくと、もう既に何回も転調しているのです。
まず、この魔術のような転調に開いた口が塞がらなくなりました。
そして、第2主題のモチーフがヴィオラとセロのユニゾンで提示される
頃には、もうコーヒーが冷めてしまったのもおかまいなく、そのしっとり
とした響きに聴き惚れてしまっていました。続いて、ゆったりとしたピアノ
の三連符のアルペッジョにのって第2主題が展開されてゆくくだり。
思わず息をのむ同主調移行の美しさ。それだけではありません。
再現部では、シャープ系の遠隔調にまで行ってしまって、いったいこの先
どこに連れてゆかれるんだろうと思っていると、弦楽器によって形成される
ニ長調が静まりゆく中、ハッとさせるように、ピアノがあの懐かしいフラット
2つの変ロ長調(つまり、原調の平行調)で突然第2主題を歌い始め、
予想もしなかった、意外な原調復帰のための複調を見せてくれました。
本当に懐かしい感じ。・・・・・また、もとのテーマに戻って来たんだな、
という感を醸し出す、効果的な再現でした。
この三度下の複調が決定的なショックとなりました。あとでいろいろと
アナリーゼすると、この作曲家は、「レクイエム」の『アニュス・デイ』
等でも同じ複調を用いているのですが、再現部の原調復帰だけに、
これほど効果的なものは他にはありませんでした。
ともかく、この転調の妙味…ただ、変わった転調をやっているのではなく、
遠隔調と近隣調が絶妙なバランスを保っていること、原調復帰への計算され
つくした奥の手が、全く計算を感じさせることなく自然に扱われていること。
それらにも増して作曲家自身の素晴らしい美意識・・・・・これらを耳にして、
長年ぼくの求めていた音楽はこれだ!! と、ほとんど直感的に思ったのです。
誰の何て曲だろう? 1楽章が終わってすぐにレコードジャケットを見せてもらいました。
フォーレ作曲「ピアノ四重奏 No.2」
ぼくにとってはこの曲が最初のフォーレの室内楽曲でした。今にして思えばラッキーな
出会いでした。もし、No.1のピアノ四重奏だったら、当時、ショパンの晩年の和声進行
を既に知っていたぼくには、これほど感銘を与えなかったでしょうし、一方、フォーレ
晩年の難解なものだったら、理解できなかったかもしれません。
演奏は、ピアノ;マルグリット・ロン、ヴァイオリン;ジャック・ティボー、
ヴィオラ;モーリス・ビュー、チェロ;ピエール・フルーニエ、で、GR盤「巨匠シリーズ」
の中の一枚でした。1940年6月10日の午後、ドイツ軍がオランダに侵入した日、
そして、ティボーの長男が戦死する前日にパリのスタジオで録音されたものだ、
とのロンの手記が載っていました。
59 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:25 ID:znt+Ut8/
感想上げますね。
岡田君が何を書きたいのかわかりません。
内容はただの知識の羅列。その上その知識も中途半端。
0点です。義務教育からやり直しましょう。
録音の状況からしても、まことにすさまじい演奏で、その後、
ユボー、ヴァランタン、コラール等がピアノを弾いて収録したCDと
比較しても、これは世紀の名演です。…
曲は1楽章のあと、ピアノの音譜の一粒一粒が飛び散るような病的な
スケルツォを経て3楽章で、形而上学的な美の極致に至ります。
鐘の音を象徴するピアノが提示され、弦楽器3本は、まるでその鐘の音が
はるかな地平から伝わってくる空間をゆらめく風のようにそれを優しく包み、
その響きを変遷させてゆきます。この3楽章は最後まで美しくない瞬間は
片時もありませんでした。
>>59番
楽器も演奏できず、作曲も出来ず、楽譜もろくに読めない人達からすると、
知識の羅列に見えるのでしょう。仕方ありませんね。あんたとは育ちも
教養もかけ離れておりますのでね。
そして、終楽章のテーマいっぱい総出演の、複合ロンドソナタ形式と
でも言うべきフィナーレ。どれをとってもつまらない楽章は一つもない
ばかりか、4つの楽章は非常に有機的にかかわっているのです。
いつの日か、室内楽を演奏したり作曲しよう、と思ったのは、この時、
フォーレのピアノカルテットNo.2から受け取った大変なショックのためでした。
もちろん、その頃は演奏はピアノソロをメインに考えていましたし、作曲においても、
まだ、ピアノ曲の領域でやることがいっぱいありましたから、すぐに、というわけで
はありませんでした。が、ショパンが晩年にゆきついて、わずか、Op.60のバルカローレ
とOp.62のノクターンに集約した境地がそれっきり音楽史で孤立してしまっているの
ではなく、明らかにフォーレの一連の室内楽曲に引き継がれていること、従って、ぼくも、
本能的に、その方向に進んでゆくだろうこと、をほとんど確信していました。
全て出会いは偶然なのです。その偶然の何パーセントを必然にしてゆけるか、
ということが、人生の快楽の度合いを計る最も有効なバロメーターだと
ぼくはずっと思っているのですが、このフォーレに限っては、そのように考える
余裕も無いほど強い必然的な出会いだったようで、あの日から約1ヵ月というもの毎日
「ネルケン」で、この「ピアノ四重奏No.2」を聴き、アカデミアに輸入を頼んだ
楽譜を手に入れる、かなり前に、全て暗譜してしまっていたのです。
こうして出会ったフォーレが、いったいイデオロギーにおいて何主義なのか、
今だにぼくには適当な言葉が見つけられません。まず、普遍的な美や情緒の
存在を信じていた、という点において、明らかにフォーレはロマン派では
ありません。が、一方、ドビュッシーの始めたサンボリックな新しい音楽とも
無関係にフォーレは存在していました。教会旋法にスポットを当ててそれを
リバイバルさせたという点は、フォーレを語るにあたって重要な一要素だとは
思いますが、これは作曲技法の一部に過ぎません。
今だに、ぼくにとっては、「フォーレ」は「フォーレ」でしかありません。
ただ一つ、ぼくが強く感じるのは、文学における、松尾芭蕉やリルケ
の生き方がフォーレのそれと非常に似通っている、ということです。
さて、フォーレの作品全般について、それを初期、中期、晩年、と分けて
考える方もいらっしゃるかと思いますが、ぼくはこういう捉え方には反対です。
第一、晩年に向かって進歩し続けなくてはならないほど才能の欠落していた
作曲家はベートーヴェンくらいのもので、モーツァルトのように早熟でなくとも、
普通は、ある時期で作風は確立されていて、その後は、それをベースにして、
純化と拡張を行なっているからです。
それに、フォーレは、こういう、ロマン派→近代→現代、の過渡期を生きた
人ですから、和声の扱いが変わっていったのは当然のことですし、また、
こういう時期でなくても新しい和声を求めてゆくのは作曲家として当然の
行為で、何のバロメーターにもなりません。初期のノクチュルヌがショパン的で、
一方、晩年のアンプロンプチュに全音音階を使っていても、両者とも、フォーレ
の信じる普遍的な美や情緒をめざして書かれたものならば、初期とか晩年とかの
区別は適切ではありません。
ぼくの考えでは、フォーレは歌曲から書きはじめ、おそらく「レクイエム」
を書くことによって、全ての作風を確立したと思います。そして、その後、
死ぬまで、フォーレはちっとも変わっていません。ただ、純化と拡張を
行なっているだけです。もちろん、純化と拡張の仕方によって、作品を
傾向でいくつかの群に分けて考えることが出来ます。例えば、室内楽曲
全10曲について、ぼくは下記のようにざっと分けてとらえています。
A.ヴァイオリンソナタNo.1、ピアノ四重奏No.1
B.ピアノ四重奏No.2 → ピアノ五重奏No.2
C.ヴァイオリンソナタNo.2、チェロソナタNo.1
D.ピアノ五重奏No.1 → 弦楽四重奏曲
E.チェロソナタNo.2 → ピアノ三重奏曲
Aは、レクイエム作曲以前に書かれた2曲で、いずれもフォーレの作品としては
習作の域にあるものです。もちろん、ヴァイオリンソナタNo.1は、ブラームスの
ヴァイオリンソナタNo.1よりも先に書かれたことで評価が高いのですが、
「ブラームスの先を行っていたから偉い」とは、何ともフォーレに対して失礼な評価です。
こと、室内楽におけるフォーレの才能は、内面性においても、モチーフ操作、
構成、音響力学等技術面においても、ブラームスよりもはるかに優れていました
から。もちろん、この2つの作品は既に傑作であり、教会旋法が使われる等の
独自性が打ち出されています。が、この後に作曲された8曲に比べるとまだ
本領発揮には至っていません。
さて、フォーレの本領発揮の室内楽曲は、従って、B〜Eの作品群であるわけです。
まず、Bの2曲は、一種の形而上学的な純化のプロセスをたどっている
作品群です。ことに両者の緩徐楽章にはそれがよくあらわれています。
この内、ピアノ五重奏No.2はフォーレの晩年、ほとんど耳が聴こえな
かった頃に書かれたことを考えると、奇跡としか思えない恐るべき作品と
いえます。
ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏など、はるかに単純な和声で書かれています
から、耳が聴こえなくても技術的に十分作れる作品ですが、このフォーレの
ピアノ五重奏No.2は複調や無調など、耳の聴こえる人でもかなり扱いにくい
複雑な和声構造で書かれているうえ、それらのいくつかは、フォーレ自身にとっても
新しい、初めて用いる手法なのです。これらの響きを耳で感覚的に確かめることも
出来ず、頭の中で整理しながら曲の終結に向かって解決してゆくには、相当の忍耐力が
必要です。
穏やかな曲の表面とはうらはらに、フォーレは精神的に非常に強い人だった
と、ぼくは思います。そしてそれゆえに、このピアノ五重奏No.2の演奏
には厳しいものが求められ、フォーレの室内楽の演奏においても、この曲が
最後の目標とされるのは当然のことです。
同じような厳しさの求められるフォーレにしては大変に強い曲が、Cの2曲です。
これらの2曲は、ピアノ五重奏No.2と同時期、最晩年に向かって枯れてゆく
プロセスで生まれた作品ですが、いずれもデュオという簡素な編成ゆえに、
フォーレの同時期のピアノ曲等と共通する要素の方が多く、ピアノ五重奏No.2
とは一線を画している作品です。「レクイエム」しか知らない人達にとっては
一番ショッキングな作品ですが、フォーレがこの世に生まれて来て一番書きたかった
作品はこのあたりだとぼくは思います。
いずれも、重要な旋律を除いて、全てがモチーフのポリフォニックな
積み重ねから成り立っています。その意味で、フォーレの古典音楽、特に、
バッハへの並々ならぬ系統の感じられる作品です。換言するなら、フォーレ
の室内楽曲の成功の種明かし。これだけの対位法的基礎がフォーレを
成り立たせているのです。よく、フランクのことを「フランス近代のバッハ」
なんて呼ぶ音楽評論家がいますが、このあたりのフォーレの作品について、
ちゃんと楽譜読んで下さいよ、ってぼくは言いたい。
フランクが、『コラール』『プレリュード』『フーガ』『アリア』なんて、
バッハと同じ題名の曲をたくさん書いていることに惑わされてはいけませんね。
フランクのフーガは対位法的発想ではなく、和音の一部の偶然の横のつながりから
出来ていて、ラフマニノフと五十歩百歩の対位法しか使っていません。
おそらく、フランス近代の作曲家でバッハの考えたフーガをバッハと同じ発想で、
ポリフォニックに正しく使えたのは、フォーレとその弟子のラヴェルだけでした。
(ドビュッシーは自著「クロッシュ氏」で自ら述べているように、
バッハの平均率を和声的に楽しんでいたので、ここでは関係ありません。)
その意味では、フォーレこそ、「フランス近代のバッハ」にふさわしい
人です。
Dの2曲は、凝りすぎのきらいのある不可解な作品群です。
ヴュイエルモーズは、これらの作品がなかなか大衆に理解されないのは、
聴衆の耳が怠惰なためだ、と言っていますが、この状況は何十年もたった
今も変わっていません。第一、どちらの曲も今だに名演が出ていません。
ことに世の弦楽四重奏団で、フォーレの弦楽四重奏曲を好んでやるグループは皆無です。
ぼくの見るところ、一つには、いずれの曲も教会旋法にこだわりすぎたこと、
また、もう一つには曲想に比べて書かれた編成の方が1本か2本、横の線が
多すぎると思います。これが、この2曲が失敗(失敗と言ってもフォーレは
ショパン同様、駄作のない人ですので、他の魅力的な作品に比べて外部に
与えるインパクトが弱い、という程度の意味ですが)の理由のように思います。
横浜の作曲家の八木下さんとはここで、ぼくは意見が合わないのです。
彼は、ピアノ五重奏No.1が大変に気に入っているのです。確かに、
素晴らしく美しいテーマです。でも、モチーフ処理を見ていると5本の線
は生かしきれていないとぼくは思うのです。また、1楽章の第二主題が
冷遇されているのは、どうしてなんだろう、とぼくは思うのです。
好き嫌いの問題ではなく、ぼくの尊敬するフォーレは室内楽に関しては、
もっとパーフェクトな作曲家だったはずだよ、と言いたいということなの
です。ですから、この2曲、もし、ブラームスが書いていたらぼくは絶賛
しますね。ブラームスは室内楽は大したことないですから、最初から何も
期待してませんので、…。
Eの2曲は、いわゆる、フォーレの最晩年の枯淡の境地にある作品で
極めて似通った書法で書かれています。つまり、1楽章はアレグロで、
喜びも悲しみも超越してひたすら疾走する状態を示し、2楽章でノスタルジー
に浸り、鬼火が飛びかうような3楽章で曲を閉じています。ことに、ピアノトリオの
3楽章は、松尾芭蕉の絶句となった『旅に病んで夢は枯野を・・・・・』を
思い起こさせるような無窮動で、フォーレの最期の作品にふさわしいものです。
(厳密にはこのトリオはOP.120でOP.121の弦楽四重奏曲が
絶作ですが、OP.119のノクチュルヌNo.13からOP.121まで
の3曲はほとんど同時期に書かれており、どちらかというと、弦楽四重奏曲よりも
OP.119とOP.120の方がフォーレの最晩年を代表する作品になっています。)
「モーツァルトの短調は疾走する。涙は追いつけない。」という名言が
ありますが、このEの作品群の2曲、チェロソナタNo.2の1楽章のト短調と
ピアノトリオの1楽章のニ短調の表情は、このモーツァルトの短調の表情に
極めて近いものです。
88 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:38 ID:QTpUArhy
音楽の先生ですか?
私はドボルザークの新世界が好きなのですが岡田さんのような知識はないので詳しく語れないですが、岡田さんは何だか凄い知識があるみたいで、こんな場所で何故カキコされているのですか?
もったいないですよ。
大体、ぼくはロマン派(一口にロマン派と言っても、ショパンの晩年や
ブラームスの晩年のような時代を超越した特殊な物は除きますけど)の短調の扱い
にはうんざりさせられます。ロマン派の短調は、大体が、絶望や失恋などの個人的
感情を押し付けるものが多いと思うのです。でも、少なくとも、ぼくが曲を書く時には、
絶対に自分の個人的な感情を、演奏者や聴衆に押しつけたりはしたくない。
叙情的でも、モーツァルトやフォーレのような、リリシズムを保っていたい、
と思っています。そのためには、(ブラームスのようにシンフォニーにパッサカリア
を使うようなことまでは必要ありませんけど)かなり古典音楽を勉強して、自分の
血や肉にしておかなくてはいけない、と常々感じています。
以上のように、フォーレの室内楽にもいろいろな作品があって、
その世界の拡がりは、一人の人が全てを好きになることが出来ないほどです。
最近は、フランス近代音楽が急速に日本でも定着してきています。まだ、
全部味わっていない皆様も、この豊かな世界を是非試していただきたいと
思っています。で、フランス近代音楽と言えば、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシー、
の3人が代表であることは言うまでもありませんが、全然異なっています。
それが、また、楽しいのですが、特に、フォーレについてぼくが感じること
は、フォーレの作品はドビュッシーやラヴェルに比べて決してインターナショナル
なものじゃない、ということです。あくまでも、フランス的な明澄さとモデスティー
に基づいていること、そして、こうした要素が作品の中で使われている教会旋法と
相まって、特に日本的風土には馴染みやすい音楽だというふうに思っています。
4年前、やっと「原宿マ・ノン・トロッポの会・サロンコンサート」で、
ラヴィーヌカルテットメンバーで、ぼくがピアノを弾いて、フォーレの
ピアノ四重奏No.2全楽章を演奏出来ました。一つの大きな夢が
かないました。
また、その時の演奏のライブ収録テープでもって、「御茶ノ水・カザルスホール・アマチュア室内楽オーディション」
の予選を軽く突破出来、審査員の先生方、特に、その中の一人、オランダ在住のヴィオラ奏者の
今井信子さんに高く評価していただけたことは、とても嬉しいことでした。
その他でも、ピアノソロの練習時間が取れなくなるほど、弦楽器の皆様に誘われて、
いろいろ、やりたかったフォーレの室内楽曲は演奏会でほぼ全部やれて来ていて、
とても満足しています。
95 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:41 ID:3iB63Ced
岡田さんを詳しく知りたいです!
が、この頃でも、フォーレのピアノ四重奏No.2が聴きたくなった時には
「ネルケン」に行って、ロンのレコードを聴くことにしています。
このCDはもちろん自宅に持っています。が、初めて「ネルケン」で聴いた、
あの暑かった日と同じ気分や感動を大切にしたいからなのです。
(そして、もちろん、二度とあの頃の若かった自分に戻れないことを確認させられる
のですが・・・・・・・。)こうした全く不合理な感傷がこれまでぼくが出会った
音楽には全てつきまとっていて、それが重要なのです。
だから覚めた目で自分のレパートリーを眺めるなんてとても出来ません。
浅薄なセンチメンタリズムだ、と一笑に付されるかもしれないけど、
こういう感傷的でノスタルジックな気分に浸れるほどの作品への愛情も
なく音楽をやることはぼくには出来ません。
音楽の世界では、よく、世のため人のために努力しているのです、本当に作曲や演奏は
辛いことなんですよ、という顔をしている人に出会います。辛いのならやめればいいのに
なあ、って思うんですけど。大体こういう人はすっかり覚めてしまっていて、
こんな感傷なんてとうの昔に置去りにしてしまっているので、原則として、
ぼくはこういう人達とは、
お友達になってあげないことにしています!!
『響き合いを求めて』
住友信託銀行 システム開発第一部 岡田克彦
(1990.9.執筆、1991年度、住友信託銀行 新卒者向け会社案内グラビアページ
‘his point of view’のグラビア添付用自己紹介文として掲載)
「音楽はうその中でも、もっとも美しいうそです。」
これは、私の好きなドビュッシーのことばです。私も美しいうそを求めて、
小学生のころから書きためてきました。もう、600曲くらいになるでしょうか。
一昨年、「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディ
ーOP.61」という、日本の原風景といったものをイメージした曲を、
東京・御茶ノ水にある室内楽専用のカザルス・ホールで行なわれた
コンクールで発表し、1位をいただきました。
そのときの審査員だった、ヴィオラ奏者の今井信子さんはオランダに戻って
(彼女はアムステルダムに住んでいます)この曲を演奏会で弾いてくれた
そうで、たいへん光栄に思いました。
でも、もっとうれしかったのは、コンクールを聴きに来ていたあるお年寄り
の女性から、「聴いていて自分の育った田舎の山や川が浮かんできました」
という手紙をもらったことです。
音楽は、美しいうそであると同時に、それを受けとめてくれる人との
感受性のコンタクトだと思います。あるモチーフで、例えば旅行したとき
に見た風景を素材に私なりの感性で作曲をします。それを演奏家は
演奏家なりの感性で弾き、聴く人はまたその人なりの感性で受けとめる。
105 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:48 ID:3AeyGCSp
岡田さんって器が違うんですね。
聴くだけの凡人の私からしたら凄い方です。
岡田さん応援していいですか?
その三者のコンタクトの中から生まれる響き合いが私にとっていちばん
大切なものなのです。曲というのはそのための手段に過ぎません。
クラシックの作曲をしているというと、気難しい人間を思い浮かべる人も
いるかも知れません。でも私は「明るく楽しく」こそが、いい曲づくりの
秘訣だと思っています。
創作というのは何でもそうでしょうが、自分の感性がそのまま表れるもの
です。いい曲を作ろうと思ったら、弾く人、聴く人の反応やいろいろな
外からの刺激を素直に受けとめる姿勢が大切で、自分の世界だけに
こもっていては、すぐに限界がきてしまうでしょうね。
新しい人と知り合え、新しい刺激と出会えるという意味で、私は転勤が大好きです。
赴任先の一つ松山支店時代に盲腸を患って、1か月ほど入院したことがあります。
入院は生まれて初めての体験だったので何もかもが珍しく、その感動(!?)が私に
「点滴の詩(うた)」という曲まで作らせてしまい、見舞いに来た人や看護婦さん
を呆れさせました。
今、仕事では、私はシステム開発に携わっています。システムという興味深い
ものとの新しい出会いを求めた私が、会社に希望を出し、それが受け入れられたのです。
マーケット・リサーチのシステムを作ったときは、全店発表会で委員長賞を
もらいました。預金・ローンなどの大量一括処理に代表されるのがこれまでの銀行の
システムでしたが、現在住友信託では、信託ならではの、手づくりやきめ細かさと
いったノウハウをシステムに取り込もうと、力を入れています。
私が手がけたシステムという曲を、そのユーザーとなる社員が演奏し、
聴衆であるお客様と響き合えたら、こんなにすてきなことはありません。
111 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:50 ID:7HsLhJKq
もしかして
著書などもあるんですか?
112 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:58 ID:QTpUArhy
これだけの文を掲示板ではもったいないですよ。
ぜひ本でゆっくり読みたいです。
もしありましたら教えて下さい。
岡田さんは忙しい方なのですね。
もうつまんねえからsageで書け。もう飽きた。
2ちゃんねらーにも飽きられて相手にもされない哀れな奴。
他のスレが下がるからマジで上げんな。
マジでたまごっち並。
一見さん相手してオナりたいなら他でやって。
114 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 04:06 ID:QTpUArhy
岡田さん
おやすみなさい
朝起きて来てみれば深夜3時40分までコピペしてたのかよ。
無職の人は暇でいいねえ。
こんな風に無駄に時間を使ってもいいんだもんな。
いい加減に働けよ。無能中年さん。
「音楽活動で忙しい」とか見栄張ってないでさ。
大人になりさない。
誰もいないスレで一人もくもくとコピペし続けてるよ。
本当に頭おかしいんじゃない!?
117 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 15:58 ID:Op8WfjrD
ヲカダ皿仕上げ
なんか・・・2ちゃんねらにも相手にされない・・・
かわいそうなオカヤソ・・・
119 :
珍満腹 ◆LpB0apFrxs :02/12/17 16:36 ID:pVIiZroO
こっちも晒し上げとくか・・・
120 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 16:39 ID:2B525VO3
岡田先生へ
初めまして。
HP拝見させて頂きました。先生はとてもピアノがお上手ですね。
僕、感動して涙が出ました。
お気に入りは「朝の海」です。先生の新曲を早く聞きたいです。
あとエッセイもすばらしいですね。
ではおからだにお気をつけて。
121 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 16:40 ID:2B525VO3
岡田先生へ
初めまして。
HP拝見させて頂きました。先生はとてもピアノがお上手ですね。
僕、感動して涙が出ました。
お気に入りは「朝の海」です。
先生の新曲を早く聞きたいです。
あとエッセイもすばらしいですね。
ではおからだにお気をつけて。
岡田さんは音楽に詳しいそうですが、
ドボルシャークの第8番の最後の小節ってどう思いますか?
『響き合いを求めて』
住友信託銀行 システム開発第一部 岡田克彦
(1990.9.執筆、1991年度、住友信託銀行 新卒者向け会社案内グラビアページ
‘his point of view’のグラビア添付用自己紹介文として掲載)
「音楽はうその中でも、もっとも美しいうそです。」
これは、私の好きなドビュッシーのことばです。私も美しいうそを求めて、
小学生のころから書きためてきました。もう、600曲くらいになるでしょうか。
一昨年、「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディ
ーOP.61」という、日本の原風景といったものをイメージした曲を、
東京・御茶ノ水にある室内楽専用のカザルス・ホールで行なわれた
コンクールで発表し、1位をいただきました。
そのときの審査員だった、ヴィオラ奏者の今井信子さんはオランダに戻って
(彼女はアムステルダムに住んでいます)この曲を演奏会で弾いてくれた
そうで、たいへん光栄に思いました。
でも、もっとうれしかったのは、コンクールを聴きに来ていたあるお年寄り
の女性から、「聴いていて自分の育った田舎の山や川が浮かんできました」
という手紙をもらったことです。
音楽は、美しいうそであると同時に、それを受けとめてくれる人との
感受性のコンタクトだと思います。あるモチーフで、例えば旅行したとき
に見た風景を素材に私なりの感性で作曲をします。それを演奏家は
演奏家なりの感性で弾き、聴く人はまたその人なりの感性で受けとめる。
その三者のコンタクトの中から生まれる響き合いが私にとっていちばん
大切なものなのです。曲というのはそのための手段に過ぎません。
クラシックの作曲をしているというと、気難しい人間を思い浮かべる人も
いるかも知れません。でも私は「明るく楽しく」こそが、いい曲づくりの
秘訣だと思っています。
創作というのは何でもそうでしょうが、自分の感性がそのまま表れるもの
です。いい曲を作ろうと思ったら、弾く人、聴く人の反応やいろいろな
外からの刺激を素直に受けとめる姿勢が大切で、自分の世界だけに
こもっていては、すぐに限界がきてしまうでしょうね。
新しい人と知り合え、新しい刺激と出会えるという意味で、私は転勤が大好きです。
赴任先の一つ松山支店時代に盲腸を患って、1か月ほど入院したことがあります。
入院は生まれて初めての体験だったので何もかもが珍しく、その感動(!?)が私に
「点滴の詩(うた)」という曲まで作らせてしまい、見舞いに来た人や看護婦さん
を呆れさせました。
今、仕事では、私はシステム開発に携わっています。システムという興味深い
ものとの新しい出会いを求めた私が、会社に希望を出し、それが受け入れられたのです。
マーケット・リサーチのシステムを作ったときは、全店発表会で委員長賞を
もらいました。預金・ローンなどの大量一括処理に代表されるのがこれまでの銀行の
システムでしたが、現在住友信託では、信託ならではの、手づくりやきめ細かさと
いったノウハウをシステムに取り込もうと、力を入れています。
私が手がけたシステムという曲を、そのユーザーとなる社員が演奏し、
聴衆であるお客様と響き合えたら、こんなにすてきなことはありません。
『若き日のドビュッシー』
岡田克彦(1986.12.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1987年1月号)』に掲載)
クロード・ドビュッシー
ぼくの一番好きな作曲家です。作曲家として一番尊敬しています。
フォーレよりもサティーよりもショパンよりも、ブラームスの晩年や
スクリャービンよりも、やはりドビュッシーです。
そして、偉大なバッハやモーツァルトよりも、
やはり時代の近い身近なドビュッシーが好きです。
例えば、フォーレなら、ぼくは中期から晩年が好きだ、
というような好みがどの作曲家にもあるのですが、ドビュッシーの場合は、
どの時期も(もちろんそれぞれ音楽的には異なっているけれども)
最初から最後まで、すべての曲にドビュッシーらしさ、という、
音楽とかいうジャンル以前の、物を創造する人間としての一本の筋が
通っているため、「またやってるな!」というものが必ず感じられ、
その強烈な彼自身のセオリーにいつも心を打たれるからです。
初期の作品にも必ずどこか、後期のドビュッシーの影が見えかくれしていて、
こういったすべての作品に感じられる共通性は、
ちょうどモーツァルトの場合と同様、天才作曲家特有のものなんだ、
と思います。
さて、文部省の音楽教育においては、音楽史上、ドビュッシーなどの
フランス近代音楽全般を「印象派」という言葉で一くくりにしてとらえる、
という非常な過ちを犯しているところを、まず、ご説明しておかなくてはなりません。
もともと「印象派」というものは美術の世界の出来事です。
作者が見たものをそれらしく表現するわけですから、
風景や自然などが先にあって、それを模倣するというのが「印象派」です。
しかし、ドビュッシーは「印象派」ではなく、その逆の、
象徴主義者(サンボリスト)であったということをまず、最初にはっきり
とらえておかなくては、様々な誤解のもとになります。
つまり、風景や情景を音に投影したのではなく、
音楽でもって何らかの風景のようなものを象徴しようとしたのです。
だから、「印象派」とは全く逆で、音楽が先にある、
というのが象徴主義であり、この点は、ドビュッシーに関しては
終始一貫しています。フランス近代音楽の時代で言えば、
「印象派」的な作品というのは、第一次世界大戦前のラヴェルの
「夜のガスパール」「水の戯れ」等の一部の作品の特徴に過ぎません。
このあたりの端的な例として、ドビュッシーの「映像第一集」の
『水面に映る光と影』と、ラヴェルの『水の戯れ』を比較してみれば
明らかです。ラヴェルの『水の戯れ』は装飾音で、水らしく装っています
ので、目の前に水しぶきが感じられますが、メロディーそのものは、
ちょっとおしゃれなテーマで水とは全く関係ありません。
が、ドビュッシーの「映像第一集」の『水面に映る光と影』は、
テーマの形そのものが、水面に広がる水の輪なのです。
第一、『水面に映る光と影』あるいは『水の反映』という題名は、
間違えた和訳でして、直訳すれば『水の中の影』です。つまり、水の状態、
程度の意味の曲です。そして、ドビュッシーの「プレリュード集」の中の傑作の
一つ『雪の上の足跡』などにいたっては、弾く人、聴く人全員に、
雪の積もった雪原についている足跡だけではなく、和声進行で、かなり低い気温までが伝わります。
絵で気温が表現できるでしょうか?
音の持つ強さをドビュシーは存分に発揮して作曲をしています。
音楽で気温が表現できるのは、音楽が時間芸術だからです。
どんな一瞬の響きであってもそれが響き終わるまでに時間は経過しています。
ですから、瞬間芸術で視覚的なものだけで成り立っている美術においてしか、
「印象派」というものはあり得ないのです。
…例えば「ロマン派」のようなイデオロギーならば美術と音楽を横断出来ますが…。
「天才とは努力する才である。」という格言。
まさにこれはドビュッシーのことを言っているものです。
この格言は、凡人でも努力すれば天才になれる、という意味ではありません。
天才は凡人と異なったところに努力を集中するから天才たりうるのだ、
という意味です。彼の作品はどれもこれもへんなところに凝っている。
ふつうの作曲家、例えば同時期のフォーレやラヴェルなら、
さっと書きとばしてしまうような、ちょっとした和音の響きにこだわってみたり、
あるいは、ふつうの作曲家なら下らないモチーフだ、ととりあげもせずに捨ててしまう
ような、ひねくれたモチーフを後生大事にとりあげている。
こうしたひねくれたモチーフを、半分は彼の変わった人格や、
ニヒリスティックなブラックユーモアのセンスでもってとりあげるのだろうけど、
しかし、その取り上げ方は大まじめなのです。
こういうのに出くわすたび、
ぼくは開いた口が塞がらず、あっけにとられ、「いったい何なんだ、
この男は。」と怒りたくなるけど、ついつい許してしまう。
たぶんぼくが作曲でモチーフを選ぶ時にも同じような一種のおもしろがった誇大妄想に
かられることがあるためなんでしょうけど。……そして全曲聴いてくと、
そのひねくれたどーしようもない音列のモチーフが見事に展開され、
ドラマチックに変化してゆく。
そしてドビュッシー一流の構成の中において
は、これ以外のモチーフだと曲が崩れてしまうほど、サマになっているのです。
……まいってしまう。本当に天才だな、この思いつきは。どうしようもないと
あきれはててしまうのです。
このひねくれたモチーフや、それから派生するテーマは、
彼の初期から晩年まで一貫していて、たくさんありすぎて枚挙にいとまがありません。
若き日のドビュッシーの作品を中心に一部ご紹介しましょう。
「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第1主題
……こんなものテーマなんでしょうか? でも、実にいいテーマなんです。
同曲、「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第2主題として登場するモチーフ
……このモチーフは終結のグリッサンドの直前にちょっと一息っていう
感じで再現しますが、聴く人には伝わらないように書いています。
それを弾くピアニストには手首の移動感覚が同じなのですぐに伝わります。
モチーフ操作にもいろいろあって、ブラームスやラヴェルのように
はっきりわかるように書いているものと、ショパンやこのドビュッシーの
モチーフのようにピアニズムに埋没したわかりにくいものがあります。
が、ショパンなどは、例えば、バラードの4番のコーダの直前の最強音の
三つの和音で第一主題のモチーフが内声で再現しているように、
極めて計算して書いているのですが、ドビュッシーは気分でやっているのです。
こんなこと即興で出来る人、他には考えられないです・・・・もう参った、
参りました、クロード君、君はすごい作曲家だよ、と感動してしまうしかないのです。
まあ、わかりやすい、わかりにくいという点について言えば、
シューマンのピアノ五重奏終楽章のフーガの開始など、聴く前から
「さあ、今からフーガですよ、フーガがはじまるんだぞー。
ちゃんと聴かなきゃダメだぞー。」という雰囲気が伝わってきて、
ほんと誰にでもわかりますが、わかりやすすぎて2、3回聴くと、
もう、うんざり。
ここのフーガの開始を予告するやり方は、
モーツァルトがずいぶん前に、ピアノ協奏曲のカデンツァの前のオーケストラの
止め方において何回もやった手口なんですよね。
それをまあ、同じ頃ショパンがバルカローレや幻想ポロネーズのように未来を予告するような
作品を書いてた頃になって、まだ、のこのこ、先人の二番煎じの手口で、
作曲していたとは、本当にシューマンはどーしようもない凡人ですね。
でも、このモーツァルトが発明して何回も使ったピアノ協奏曲のカデンツァ
の前のオーケストラの止め方は、ケッサクな意見なんだけど、当会のM君に
よると、「水戸黄門」なのです。以下、M君の言い分。
「モーツァルトのピアノ協奏曲がどうして日本人にウケるかって?
それは水戸黄門なんだよ。
あのカデンツァの前のオーケストラの
ジャーン、ジャーン、ジャーン、っていう、カデンツァの開始を予告する
終わり方。
あれがいつも、『この紋所が目に入らぬか、
こちらにおはすお方をどなたと心得る。恐れ多くも・・・・・・ご老公の御前である。頭が高―い。ひかえおろう。・・・・・』
といった雰囲気で響くことが最初から決まっているので、日本人は皆安心して聴いてられるんだ。」この意見が当会で流布して以来、
しばらくみんな吹き出しそうになって、モーツァルトのピアノコンチェルト二台でやれませんでしたね。ぼくなんか27番でさえも
笑って笑ってしばらく聴けませんでした。でも、納得できる意見です。
ともかく、ドビュッシーはこのような「メヌエット」の再現パッセージを
ショパンのように頭も使わず即興でいとも簡単に書けてたわけですから、
彼が自分の『映像第一集』について「ショパンの左、シューマンの右」
なんて評したのも、シューマンの部分は、半分冗談の謙遜であることは言う
までもありませんが、ショパンほどの知性がなくても出来てしまうという自信
から、自分はショパン以上の作曲家だと思っていたに違いないとぼくは思います。
>絵で気温が表現できるでしょうか?
また自分の関心ない藝術に対する愚ろうですか?
下品ですね。低俗ですね。
いや、それどころか、この男は、バッハについて、そのフーガなどの対位法については
一切興味を示さずに「バッハの平均率クラヴィア曲集のフーガの和音は美しい。
だから、あの時代の作曲家が一番強いんだ」などと自著「クロッシュ氏」で論評しているのです。
自分が世界で一番エライ作曲家だと思っていたに違いないのです。
サン=サーンスに「この無政府主義者め。」と言われ、サン=サーンスが学長の間、
パリ音楽院に出入り禁止にされたことも、ドビュッシーをかばってくれたフォーレを
毒舌でズタズタにして喧嘩になったことも、カフェでサティーと親しくしていたこと
も、ですから、彼にとっては、大した出来事でもなかったのです。
でも、この「メヌエット」は中世へのノスタルジーが原点にあります。
ぼくは、この「メヌエット」の中で既に使われている左手の平行五度と
三度で形成される響きと雰囲気を味わう度に、
若き日のドビュッシーが訪れた頃のイタリアの「ベルガマ地方」って
どんなところだったんだろうな、というノスタルジックな気分になってしまいます。
そして、この「メヌエット」をピアノで弾く度に、やっぱり、
ぼくはドビュッシーが大好きなことを再確認するのです。
「ベルガマスク組曲」のパスピエの開始左手の音型と対位
……「ベルガマスク組曲」は、前奏曲・メヌエット・月の光・パスピエの
4曲から成ります。月の光は美しい曲であまりに有名ですが、
ドビュッシーの将来を予告するようなすごい技法が潜んでいるのは、
先に述べたメヌエットとこのパスピエです。ドビュッシーの作品には
いろいろ接してきましたが、特にパスピエは、全作品でも5本指に入る
傑作だと思います。
が、この曲、開始左手の10度の音型は、嬰へ短調と
いう調整ゆえに、根音が黒鍵にあり、ピアニストを不安に陥れる効果が
あります。そのうえ、再現部では、対旋律が中に出てくるのですが、
ノンペダル、スタカートという指示では、12度から13度届くような
大きな手でないと弾けなくなっています。確実に言えることは、
ショパンなら絶対こんな弾きにくい曲は書かなかったと思うのです。
が、ピアニストが不安になるというのがこの曲の表現にあたっては非常に
重要なことで、実際、不安な曲想です。
別の観点で見るならば、この頃、既にドビュッシーはピアノから離れた
立場で曲を書けていたのです。彼の想像力はピアノに既に納まらなくなって
いました。彼は生涯にわたってピアノでなくては表現できない曲もたくさん
残していますが、パスピエに関しては、以前エレピアンで弾く機会が
あったのですが、アコースティックでない響きの方がよい作品でした。
こうした中に、彼が「ペレアスとメリザンド」「牧神の午後への前奏曲」
「海」などを書く準備が整っていることが伺える傑作です。
弦楽四重奏曲第1楽章と第2楽章の統一テーマの音列
……第1楽章の第1主題、第2楽章の第1主題、このひねくれた音列の
2つの主題は誰が聴いても別の主題にしか聴こえないんですが、実は、
リズムが全く変形されているために全く別の主題にしか聴こえないだけで、
ひねくれた音列は意地でも1音たりとも変えていないドビュッシーの命がけの
心意気とも言うべきこだわりが感じられます。
が、この音列が、実は、
修道院で若き日のドビュッシーが発見したグレゴリオ聖歌をもとにした、
教会旋法を初めてリバイバルさせて使った音列で、ワグナーを脱却した
新しいサンボリスム(象徴主義)の音楽の起点になっているだけでなく、
カペー四重奏団が見事に演奏しているところの、第3楽章の人懐っこい
メロディーとの対比においても、これがないと曲全体も崩壊してしまうのです。
連弾のための小組曲より、『バレエ』のテーマ
……いったいこれはテーマなんでしょうか?
ピアノに触って遊んでいるうちに出来たとぼくは思うのですが、この「ピアノに触って遊んでいる」
ドビュッシーの姿に匹敵するものといったら、それこそ、あなた、1日中
ドミソの和音をチェンバロで響かせて、1日中、ドミソの和音に浸っていた
、幼い頃のモーツァルト位しか、ぼくは浮かばないのです。
最後に楽しいウィンナワルツから
ジャズワルツにまで発展してゆくこのテーマは、それ程、天才のひらめき以外の何物でもありません。
『海』と同時期に書かれた、
「クラリネットとピアノのためのプレミエラプソディー」の終結の
コーダに向かう最重要なテーマに発展する音列のモチーフ
……「クラリネットとピアノのためのプレミエラプソディー」は、
若き日のドビュッシーの作品ではありません。
「パリ音楽院」の学長に就任したフォーレの招聘でドビュッシーはパリ音楽院の
管楽器担当教授に就任します。当時の「パリ音楽院」は、今の日本の音楽大学では
不可能でしょうが、試験課題曲は教授の新作に決まっていました。
ですから、作曲の出来ない人は教授にならなかったので、素晴らしい音楽環境だったわけです。
この作品は、期末試験用にドビュッシーが作曲したのですが、大変に評判を呼び、
スコア化されました。
今日でもクラリネットとピアノのデュオ作品としては、
右に出る作品はありません。ちなみに、当時のパリ音楽院の学長だったフォーレは
弦楽器担当教授でしたので、試験課題曲としての弦楽器の傑作をたくさん残しています。
いずれにせよ、当時の「パリ音楽院」の学生は素晴らしい環境で音楽を習得していました。
ラヴェルは、フォーレの教室の生徒でした。いい音楽にはいい環境が必須なのです。
このモチーフが、ドビュッシーの全作品中、音列のひねくれ度No.1
なのでご紹介します。このモチーフが最初にピアノパートで登場した時、
これが、この曲を終結に導く大事な大事なモチーフだなんて、
誰一人として感じられないでしょう。…それくらい変な音列です。
作品の書かれた背景や状況を一切無視して作曲技法の観点にのみ立って、
冷た〜い観察をしても、こんなどーしようもなくひねくれた音列のモチーフ
やテーマで曲を書けた人は、古今東西見渡しても、ドビュッシーをおいて
他には考えられないのです。しかも、これらのモチーフやテーマは、
既に述べたように、曲の構成と不可分で、重要な根底をなしているのです。
この、モチーフやテーマが、曲の構成と不可分であるということ、これが、
ぼくが作曲をやるにあたって、『若き日のドビュッシー』から学んだ第一点
です。
それにしても、これらのひねくれたモチーフの採用は、彼の変わった性格から来ているものにほかなりません。
相当な変人ですよ、これは。そして、食中毒でポックリ死ぬ最後までそれを貫いたということは、実に立派なことです。
穏やかな人格者のフォーレや、スタイリストのラヴェルにはこんなこと、ちょっとできなかったと思います。ドビュッシーは彼らと違って、
羞恥心のほとんどない、想像力と誇大妄想だけの人でした。だからこそ、
一曲一曲、違う手段で曲を残しています。同じ手口は二度と使っていません。
ぼくが作曲をやるにあたって、『若き日のドビュッシー』から学んだ、
もう一つの大事なこと。それは、「同じ手口で曲を書かない」
ということです。
作曲を続けていると、曲想の浮かぶ深い驚きに満ちた瞬間を体験すると
同時に、作曲技法というものが一方で蓄積されてきます。が、
作曲技法は感受性ではなく知識の領域にありますから、作曲技法という
知識の既得権の上ににあぐらを書いて曲を書き続けると、
メンデルスゾーンやサン=サーンスのように駄作がいっぱい出来ます。
知識と感受性のバランスを保って生涯にわたって曲を書いた第一人者が
モーツァルトでした。ぼくの尊敬するドビュッシーもそうでした。
だから、ぼくも、作曲技法などはモチーフを浮かべる度に
新しく発見しないといけないと思って作曲しています。
第一次世界大戦が始まります。愛国者のラヴェルは勇敢に従軍しますが、
ドビュッシーはドイツが攻めて来るのが怖くて地下室に
閉じこもったそうです。でも、ドビュッシーも愛国者だったので、
音楽でドイツに戦いを挑みます。それが、晩年の一連のソナタ集です。
フランス人をなめんなよ、という気持ちで、ドイツ人の開発したソナタを
書き始めます。
第一作が「チェロとピアノのためのソナタ」、
第二作が「フルート・ハープ・ヴィオラのためのソナタ」、
第三作目が絶作となった「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」です。
(ちなみに、第四作目は「ピアノソナタ」の予定だったのですが、
その前にドビュッシーは食中毒でポックリ死んでしまいましたので、
第三作目の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」が最後の作品になりました。)
次々と素晴らしい作品が出ますが、同じ手を二度使っていません。
特に、最後の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」。
1楽章が複合三部形式です。ドイツ人が苦労に苦労を重ねて開発して来た
ソナタ形式のカケラもありません。
でも、題名はソナタ、既に喧嘩を売っていますが、こうして、
音楽史上初のソナタ形式でないソナタが生まれました。
そしてこの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」の
2楽章の中間部のテーマは、またまた、あのひねくれた音列のモチーフです。
それこそ、「ゲルマン民族の凡人どもよ、こんな名曲書けるかい?」って
上の方から下界に向かって呼びかけるような、ふざけたせせら笑い声です。
もちろん、この「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」はソナタ形式を
使わないでドイツに対決しているだけでなく、
初めてヴァイオリンを打楽器として使った作品ですので、
基本的に、第一次世界大戦の開始という情勢に対して、斜に構えている、
ドビュッシーのニヒリズムの最もよく出た、……しかし、しかし、
泣きたくなる程、非常に美しいテーマです。
ぼくの尊敬するクロード・ドビュッシーの生涯は次のグルダの言葉どおりでした。
『天才とは一生を通して一つのことに集中できるということ』
……フリードリヒ・グルダ……
手前は万死に値するから一万回死んで来い。そして二度と輪廻転生すんな。
これは要求じゃない。命令だ。分かったか豚の糞以下。豚の糞の方が良い肥料になるからまだ糞の方が
ましだな。
そして、ぼくの大好きな「若き日のドビュッシー」の言ってた、
生意気で素敵なメッセージから、
『ベートーヴェンハンマークラヴィアソナタ:ピアノのために最も悪い作品』
『昨日の不協和音は今日の協和音!』
『音楽はうその中でも最も美しいうそです。』
……クロード・ドビュッシー……
『若き日のドビュッシー』
岡田克彦(1986.12.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1987年1月号)』に掲載)
クロード・ドビュッシー
ぼくの一番好きな作曲家です。作曲家として一番尊敬しています。
フォーレよりもサティーよりもショパンよりも、ブラームスの晩年や
スクリャービンよりも、やはりドビュッシーです。
そして、偉大なバッハやモーツァルトよりも、
やはり時代の近い身近なドビュッシーが好きです。
例えば、フォーレなら、ぼくは中期から晩年が好きだ、
というような好みがどの作曲家にもあるのですが、ドビュッシーの場合は、
どの時期も(もちろんそれぞれ音楽的には異なっているけれども)
最初から最後まで、すべての曲にドビュッシーらしさ、という、
音楽とかいうジャンル以前の、物を創造する人間としての一本の筋が
通っているため、「またやってるな!」というものが必ず感じられ、
その強烈な彼自身のセオリーにいつも心を打たれるからです。
初期の作品にも必ずどこか、後期のドビュッシーの影が見えかくれしていて、
こういったすべての作品に感じられる共通性は、
ちょうどモーツァルトの場合と同様、天才作曲家特有のものなんだ、
と思います。
さて、文部省の音楽教育においては、音楽史上、ドビュッシーなどの
フランス近代音楽全般を「印象派」という言葉で一くくりにしてとらえる、
という非常な過ちを犯しているところを、まず、ご説明しておかなくてはなりません。
もともと「印象派」というものは美術の世界の出来事です。
作者が見たものをそれらしく表現するわけですから、
風景や自然などが先にあって、それを模倣するというのが「印象派」です。
てすと
しかし、ドビュッシーは「印象派」ではなく、その逆の、
象徴主義者(サンボリスト)であったということをまず、最初にはっきり
とらえておかなくては、様々な誤解のもとになります。
つまり、風景や情景を音に投影したのではなく、
音楽でもって何らかの風景のようなものを象徴しようとしたのです。
だから、「印象派」とは全く逆で、音楽が先にある、
というのが象徴主義であり、この点は、ドビュッシーに関しては
終始一貫しています。フランス近代音楽の時代で言えば、
「印象派」的な作品というのは、第一次世界大戦前のラヴェルの
「夜のガスパール」「水の戯れ」等の一部の作品の特徴に過ぎません。
このあたりの端的な例として、ドビュッシーの「映像第一集」の
『水面に映る光と影』と、ラヴェルの『水の戯れ』を比較してみれば
明らかです。ラヴェルの『水の戯れ』は装飾音で、水らしく装っています
ので、目の前に水しぶきが感じられますが、メロディーそのものは、
ちょっとおしゃれなテーマで水とは全く関係ありません。
が、ドビュッシーの「映像第一集」の『水面に映る光と影』は、
テーマの形そのものが、水面に広がる水の輪なのです。
第一、『水面に映る光と影』あるいは『水の反映』という題名は、
間違えた和訳でして、直訳すれば『水の中の影』です。つまり、水の状態、
程度の意味の曲です。そして、ドビュッシーの「プレリュード集」の中の傑作の
一つ『雪の上の足跡』などにいたっては、弾く人、聴く人全員に、
雪の積もった雪原についている足跡だけではなく、和声進行で、かなり低い気温までが伝わります。
絵で気温が表現できるでしょうか?
音の持つ強さをドビュシーは存分に発揮して作曲をしています。
音楽で気温が表現できるのは、音楽が時間芸術だからです。
どんな一瞬の響きであってもそれが響き終わるまでに時間は経過しています。
ですから、瞬間芸術で視覚的なものだけで成り立っている美術においてしか、
「印象派」というものはあり得ないのです。
…例えば「ロマン派」のようなイデオロギーならば美術と音楽を横断出来ますが…。
「天才とは努力する才である。」という格言。
まさにこれはドビュッシーのことを言っているものです。
この格言は、凡人でも努力すれば天才になれる、という意味ではありません。
天才は凡人と異なったところに努力を集中するから天才たりうるのだ、
という意味です。彼の作品はどれもこれもへんなところに凝っている。
ふつうの作曲家、例えば同時期のフォーレやラヴェルなら、
さっと書きとばしてしまうような、ちょっとした和音の響きにこだわってみたり、
あるいは、ふつうの作曲家なら下らないモチーフだ、ととりあげもせずに捨ててしまう
ような、ひねくれたモチーフを後生大事にとりあげている。
こうしたひねくれたモチーフを、半分は彼の変わった人格や、
ニヒリスティックなブラックユーモアのセンスでもってとりあげるのだろうけど、
しかし、その取り上げ方は大まじめなのです。
こういうのに出くわすたび、
ぼくは開いた口が塞がらず、あっけにとられ、「いったい何なんだ、
この男は。」と怒りたくなるけど、ついつい許してしまう。
たぶんぼくが作曲でモチーフを選ぶ時にも同じような一種のおもしろがった誇大妄想に
かられることがあるためなんでしょうけど。……そして全曲聴いてくと、
そのひねくれたどーしようもない音列のモチーフが見事に展開され、
ドラマチックに変化してゆく。
そしてドビュッシー一流の構成の中において
は、これ以外のモチーフだと曲が崩れてしまうほど、サマになっているのです。
……まいってしまう。本当に天才だな、この思いつきは。どうしようもないと
あきれはててしまうのです。
このひねくれたモチーフや、それから派生するテーマは、
彼の初期から晩年まで一貫していて、たくさんありすぎて枚挙にいとまがありません。
若き日のドビュッシーの作品を中心に一部ご紹介しましょう。
「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第1主題
……こんなものテーマなんでしょうか? でも、実にいいテーマなんです。
同曲、「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第2主題として登場するモチーフ
……このモチーフは終結のグリッサンドの直前にちょっと一息っていう
感じで再現しますが、聴く人には伝わらないように書いています。
それを弾くピアニストには手首の移動感覚が同じなのですぐに伝わります。
モチーフ操作にもいろいろあって、ブラームスやラヴェルのように
はっきりわかるように書いているものと、ショパンやこのドビュッシーの
モチーフのようにピアニズムに埋没したわかりにくいものがあります。
が、ショパンなどは、例えば、バラードの4番のコーダの直前の最強音の
三つの和音で第一主題のモチーフが内声で再現しているように、
極めて計算して書いているのですが、ドビュッシーは気分でやっているのです。
こんなこと即興で出来る人、他には考えられないです・・・・もう参った、
参りました、クロード君、君はすごい作曲家だよ、と感動してしまうしかないのです。