脳死ニュース号外 デマ朕の勅諭が読みづらいので短くしよう
テキストサイトを運営するには「文章力」が必要不可欠だといわれている。しかし、「文
章力」とは何だろうか。ネット上で国語辞書を検索した結果、そんな単語は検索されな
かった。「文章力」とは、正規の辞書に登録されない造語だと思われる。いや、「文章力」
と言う単語は、正しい意味を持たず一人歩きしているインチキ語なのだ。
Googleで「文章力」を検索すると、およそ40000件がヒットする。多くの辞書によって否定
されている、つまり正確な意味のはっきりしない単語がこんなにも使われているのだ。誰
もがその存在を知っているが、誰もその正確な意味を知らない。それが「文章力」の正体
である。
そもそも単語の構成がおかしい。「〜力」という単語の種類は三つに分けられる。
[@群]構成上それ以上分割できない、その一つの単語だけで意味を持つもの
[U群]「単語」と「力」の間に「する」を補うことができ、そうすることで意味が通るもの
[B群]「単語」と「力」の間に「する」を補えず、「の」しか補えないもの
「文章力」はあえて言うなら「文章の力」、B群だろう。しかし、B群の単語はすべて物理的
な力のことを言っているのだ。文章に物理的な力はない。これがインチキである証拠だ。
正確な日本語ではない。
私がこの勅諭を書いたきっかけは、親方への「文章力がないからダメ」という批判だった。
しかし、「文章力」とは何だ。どのサイトが「文章力」を持っているというのだ。正確な意味の
ない単語が平然とまかり通り、他人に向かってその有無が問われているのだ。しかし、辞
書にもない単語の意味など知りようがないではないか。
「文章力」という単語は「文章を表現する力」の省略形だろう。つまり「内面的・精神的・主
体的な思想や感情などを、外面的・客観的な形あるものとして、文章を用いて表すこと」に
なる。
私には親方に表現力がないとは思えない。自分の思いを率直にぶつけている。これは
表現だ。表現力の有無は「人の心を動かすか否か」で測られる。親方は大量の信者とアン
チを抱えている。これは表現力があるという証である。
テキストサイト界で「文章力」という単語が使われる場合、ほぼ例外なくネガティブな意味
で、しかも都合よく用いられてきた。その誤用の例を挙げてみよう。
1、「論理性に欠ける」という意味で使っていた
これが一番多い誤用だ。文章力と論理性は全く関係ない。論理性は討論や論文で要求さ
れるものであり、表現には必要のないものだ。辞書を読んでも表現に論理性が必要だとは
書いていない。そもそも論理性を求めることが間違いだ。
2、「言っていることがムカつく」という意味で使っていた
これも多い。お前が嫌いだと直言することを避ける目的で、こういうオブラードに包んだ表
現が好まれる。
3、「理解しづらい文章を書いている」という意味で使っていた
理解しやすい文章を書くことがすなわち文章表現力が高いということになるわけではない。
哲学者の文章力は低いのか。他人の文章を理解しづらいというには、読解力を持っている
ことが前提になる。それを持ってない奴が文章力批判をするのはやめるべきだ。
4、「ただなんとなく、みんなが使っているので使っていた」
これも多い。言葉の意味がないまま、言葉だけが浸透しているのだ。
私がこれまで見てきた300ほどのサイトに、文章表現力の低いサイトはなかった。ただし、
面白いサイトとそうでないサイトは厳然として存在する。それは管理者個人の思想や感情が
つまらないのだ。これをいかに文章に反映させるかが個人テキストサイトの成功の鍵だ。こ
の能力について、各個人で差はほとんどない。差が出るのはあくまで個人のユニークさだ。
以上、適当にまとめました。
原典にもあたりながら、さあ、ツッコんだれ。