■脳死レンジャー@ゴーゴーゴーゴー!■

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きょうの脳死ニュース 2/12 第1面

 謎である。植物が、原先生をバカにしながら同時に要求を聞き入れる意思を表明した
文を掲載。原先生はこれを受け入れ停戦成立。残念ながら宇宙言語による交流の意
味を解読することはできなかった。
 私刑はトップに謝罪文を載せるとともに、他サイトによるいわれのない言及を非難。
脳死6体目の登場かと思われたが、すでにそのサイトは消滅した模様。また、青木氏
掲示板に出現し、マサムネ氏に釣り上げられた「某大型サイトCEO兼管理者」も有力な
6人目候補だったが、正体が掴めないこともあり惜しくも失格である。
 私見だが、脳死レンジャーの承認は「この界隈に新しく彗星のように現れてきたアホ」
ということを重視するべきだろう。すでに有名なサイトを続々脳死レンジャーに取り上げ
た所で意味がない。アホが芋蔓のようにどんどん掘り出されるその感覚が良かったの
ではないか。すでに地上に現れているのを埋めてどうする。獄氏やナミ氏やイガラシ氏
の脳死認定などという話は、脳死ヲッチャーの脳まで脳死の影響を受けつつあるのかと
懸念せざるを得ない。そんなことをすれば、脳死の面白みがなくなってしまうのである。
きょうの脳死ニュース 2/12 第2面(論評?)

 関連分野ということで、「やってることが魚類と一緒」なナミ氏の今回の文章について
考えてみたい。前半部分については、昨日の本欄をなぞられたような感じがしてくすぐ
ったい。ひょっとして「想い」に名を借りたナミ氏の隠れ理論形成行為に手を貸してしま
ったかもしれないなどとおこがましいことを一瞬思ってしまったが、そんなことを言うと
はるたんみたいになってしまうのでやめておこう。匿名のくせに。
 後半である。ここで、あらかじめ昨日の筆者の文章の意図を解説しておきたい。
「斬鉄信者は斬鉄剣にナミ氏が込めた『想い』を読み取っていない。」
ナミ氏の文には、基本的でアホでも理解しやすいことが表面的には書いてあるので、
それを理解したということで「サイト管理人には参考になる」といった評価を受けている
のだろう。そして信者が増える。増えた信者が信者を呼ぶ。だが、自分の過ちを繰り返
させまいというナミ氏の「想い」など理解していない上っ面のナミファン。そして脳死。
 筆者の文は斬鉄信者を揶揄するものであったことは言うまでもない。そして、ナミ氏
の文章は前半で同様のことを言いながら、その剣先は面白いことに無題グループを向
いている。
きょうの脳死ニュース 2/12 第3面(論評? つづき)

 今回のナミ氏の文章の後半は、自分の想いをそのままぶつけたものであることは間
違いないだろう。その文章の核心を一言で表した文は、
「許せないのよとにかく他人を簡単に罵倒ばっかしてるこの流れがさ。」
である。だが、どうも厚いオブラードに包まれたような物言いであると感じる。下手に
一般論になっているのがいただけない。はっきり言ってみたらどうか。
「許せないのよとにかくオレを簡単に罵倒ばっかしてるこの流れがさ。」
「恐らくはオレはそういう人間に対してのみ『オレに関わるな』って言いたいんだよ。」
と。ひまわりの口など借りずに自分の言いたいことを言えば良い。「想い」を語るという
のはそういうことだろう。他人に理解してもらい、他人に影響を与えたい、テキストサイ
ト論を語りたいというのなら、その「想い」を筋立てて、齟齬のないように書かなければ
ならない。それができていないから論理的に叩かれるのであって、本当に論理もなに
もなく自分の感情だけを汚い言葉で叫んでいるのなら、そんな叩き方をされることは
ない。基地外扱いされるとは思うが。文章力などいらないなどと言いながら、下手に論
理的な部分を込めてしまったのがナミ氏のこれまでの失敗だったと言えるだろう。
 簡単にまとめよう。これまでのナミ氏の文は、自分への想いを、うやむやのうちに他人
への想いに転化して説教する、中途半端な駄文だった。「信者」にすら正しく理解され
ないのも無理はない。そんな文章をかざしてご意見番面しているナミ氏への批判は正
当なものである。
きょうの脳死ニュース 2/12 第4面(論評? つづき)

 今回もそのような点を残してはいる。まだナミ氏の文章には、自分へのバッシングを
他人へのバッシングとしてすり替えた議論をし、テキストサイト界としてのご意見番とし
ての地位を保持したいという意思が感じられる。
 もっともそれもナミ氏の「想い」の偽らざる一面である。いつでも閉鎖していいという
のはでまかせであろう。したがって、ナミ氏の「想い」自体が尊敬されるような性質のも
のであるとは思わない。しかし、今回のナミ氏の文章は、ナミ氏の薄汚い「想い」を全面
に出した、見事な罵倒文である。これを罵倒文でない、とは言わせない。
 その証拠に、イガラシ氏の感情に任せた反応を引き出している。これまでこのような
事態があっただろうか。これまではナミ氏に批判を与える方にも、どこか呆れたような
引き方があったように感じられる。
 イガラシ氏の怒りもまた、自分の思いを前に出したものであり、その点で評価されて
良い。ナミ氏の「想い」のおかしさを追求した部分ではイガラシ氏に分があるだろう。
 今までのナミ氏バッシングは、ナミ氏の主張の述べ方への批判である面が大きかっ
た。つまり、アホなことを利口面して垂れる態度への批判であった。
 ある意味では、ナミ氏近辺のいざこざは、ようやくナミ氏の主張自体への純粋な批判
にレベルアップすることができるのかもしれない。
 これからはナミ氏を含め、罵倒が罵倒で返される愉快な事態に発展していくのであろ
うか。ナミ氏が嫌悪するのは「罵倒」ではなく、「自分への罵倒」であったということが白
日のもとに晒されたという点だけを取っても有意義な一日であった。
 つまり、罵倒批判など出来る身分ではないし、俺に関わるなと言える身分でもない、
ということでもあるのだが。