千葉中央郵便局 Part3+26地域郵便局

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9局舎屋上から投身
あの日を忘れるな

二〇〇一年六月十四日(木)、小雨の降りしきる梅雨の一日を私は永遠に忘れることはないだろう。
この日の午後二時五〇分過ぎ、千葉中央局第一郵便課のY君が局舎の屋上から身を投げ自らの命を絶った。
前途がある三七歳だった。彼は心に病を持つ人だった。そのため対人関係や集団の仕事は苦手だった。
彼が配属されていた千葉中央局第一郵便課の主な業務としては、普通郵便の県下分配と県外への差し立て業務である。
人が苦手な彼にとって自分の居場所として約十五年に渡って心血を注いだ職場でもあった。
10局舎屋上から投身:02/12/22 11:28 ID:gQh9d3h+
その日のこと1

局側の異常な対応は事件が起こった直後から始まった。
ドスッというすごい音を聞いて三階から下を覗いた職員が叫ぶ。「誰かが落ちた。救急車だ!」
その声に皆窓から下を見ると、発着場に人形のように真っ白な顔をした人が仰向けに倒れている。
後頭部からはおびただしい出血が,・・。「誰だ」「Yちゃんがいない」「Yちゃんはどこだ」皆口々に叫ぶ。
すぐさま管理者と職員が一階に行き、Y君本人であることを確認する。
しかし救急車が全く来ない。管理者は職員六名につき一名もいるのに、
また当日第一郵便課の副課長は五名もいたのに、誰も自ら救急車すら呼んでくれない。
いらだちが募る。「救急車を呼んだのか」「誰が呼んでいるのか」結局救急車がやってきたのは、
事故発生から二〇分ほど経過してからだ。
しかももうサイレンも鳴らさないし彼を救急車に乗せることはなかった。
後で聞いた話では即死であったそうだ。
この間に再建屋として名を馳せている山崎局長が総務課長とともに現場を確認すると共に第一郵便課にやって来た。
「誰か見た人はいるのか?」「変わった様子はあったのか?」「会話した人はいるのか?」矢継ぎ早に質問する。
11局舎屋上から投身:02/12/22 11:29 ID:gQh9d3h+
その日のこと2

そして勤務時間中に自殺に至ったことを話の中で特定すると、
「私はこういことがないように四回警備のために巡回させている」
と責任を回避するような発言や、前日、Y君が滅多に取らない時間休を取っていることに触れ
「権利権利というが、内容を聞かないとだめだ」と非常事態にもかかわらず、
労務屋ぶりを見せつけ、職員を唖然とさせた。
そして一方的に言いたいことだけを言うと「仕事をしなさい」と号令をかける。
それにあわせて今まであたふたしていた副課長達が「仕事をして下さい」と大きな声を上げる。
今まで一緒に仕事をしていた人の亡骸がまだ生々しく残っているのに、仕事なんて手に着くわけがない。何とも言いようのない情けなさが押し寄せてくる。
今度は警察が三階の作業場にやってくる。労担がぴったりとマークして、
当該課の副課長さえほとんど近づけず、自ら仕切ろうとしている。
おかしな事に警察からはさっきまで一緒に働いていた職員,ゆうメイトに対してほとんど個別に事情聴取がないし、
その後も一切話を聞きたいともいって来ない。
総務の告一が職場を掌握する中、警察
の現場検証もわずか一時間で終了し、その後砂がまかれ、先ほどここで人が死んだなんて一見して分からないようになってしまった。
12局舎屋上から投身:02/12/22 11:29 ID:gQh9d3h+
局側の隠蔽工作の異常さ

また職員有志で事故現場に花をたむけると、「一つならいいが、それ以上は駄目だ」
「線香は聞いていない」等、耳を疑うような事まで言ってきた。
事故現場である発着場だって、遺体を片づけた後、職員がミーティングで言わなければ、そのまま使っていたのだ。
しかも職員やゆうメイトにはあれだけの事件があったのにもかかわらず、周知すらしない。
怒りがこみ上げ、なぜ周知しないのか質問すると第一郵便課の副課長は、「
周知をするときは総務課がする」と逃げの一点張り、「何のための管理者だ」という気持ちは誰もが持ったことだろう。
だいたい課の責任者の課長はこの時研修で不在であり、局に来たのは事故の翌日、研修が終わった金曜日の夜七時以降である。
その総務課主導の事件隠蔽工作は、通夜や告別式にまで及ぶ。
「密葬にするから、行かないように」という内容をミーティングで流し、式に出席することを事実上制限したのだ。
実際ゆうメイトの中には、参列したかった人もいたが局のこの一言で行くことが出来なくなってしまった。
後で聞いた話だが、遺族は一人でも多くの人に来てもらいたかったと言うことだ。
ここまで読んだだけでも局側の人命を無視した異常な対応はおわかりのことだろう。
13局舎屋上から投身:02/12/22 11:30 ID:gQh9d3h+
非常勤化の陰で

すでに事故があってから二〇日以上経過した。しかしこの間、局から何ら説明がない。
人一人が局舎でしかも勤務時間中に自殺したことが、闇の中に隠されようとしている。
その背景には未だもって動機が明らかになっていない事があげられる。
遺族は季節的に滅入る時期だったとかおっしゃっているが、はたして遺書はあったのか。
あったという管理者もいる。彼には二〇年来書きためられてきた日記があるそうだ。
その中から明らかになるかも知れない。ただ家族にはこんな一言もいっているそうだ。
「お世話になった人がみんな異動してしまう。次は自分の番かも知れない」。
自分に障害があることで、異動に対する不安は人一倍あったことだろう。
私たちの職場は非常勤化で職員が三年前の二分の一に減ってしまった職場である。
絶えず過員を抱え、過去二年間に強制配転になった仲間が何人いたことだろう。
そして合わせてここ一〇年来の改善局−重点対策局による、業務よりも労務優先の管理者達。
心に病を持つ者に対しても他の人と全く同じ画一的管理である、対話育成レポートやチャレンジシートの強要。
それが今の千葉中央局第一郵便課なのである。
14局舎屋上から投身:02/12/22 11:31 ID:gQh9d3h+
彼の死が教えるもの

他人とはほとんど口をきかず、一日一日を過ごしていたY君。
彼の死が私たちに語りかけることは多い。
少なくとも私たちが普通ではない、異常な職場で毎日働いていることを気付かせてくれた。
これから公社に向かって郵便再生である「新生郵便ビジョン案」に基づく施策が現場で実施されることになる。
痛みはいつだって弱い者の方が大きい。しかし単なる人減らしに走る管理者を許してばならない。
第二のY君を作ってはいけない。そのためには弱者切り捨ての競い合うだけの殺伐とした職場ではなくて、人間らしい職場を取り戻さなくてばならない。
「彼の死を無駄にしてはならない」そう思いペンを取りました。
Y君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

伝送便 郵便局は今「局舎屋上から投身」より