ああああああああああああああああああああああああああああ
1 :
名前書いたら負けかなと思っている。:
あ
2 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/18(日) 01:44:25 ID:PyZD7qYT0
/) / /
( @ @ )/
ヽ Q,ノ<ションベン飲ませてくれてありがとうございます
∪▼lヽ: / ̄\
∪∪~ ヽ. | |
ヽ. _| (_
ヽ: / \
ヾ. / /| | |
ヽ/ / | ||
/ /,| ||
\ \| |/
\| |
| ノ |
| Λ. |
| | | |
| | | |
(__| (_|
3 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/18(日) 01:45:32 ID:mjMsUY3Q0
たしかに
4 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/19(日) 13:34:19 ID:/OulmT/y0
ああああああああああ
5 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/20(日) 04:34:08 ID:LYyQjlfB0
6 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/20(日) 09:32:49 ID:sN67y12F0
じゅもんが ちがいます
7 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/21(日) 20:29:45 ID:e2C5ddJV0
8 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/22(日) 21:35:42 ID:hnh6+kWO0
9 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/24(日) 05:21:20 ID:jkWyk/O80
日本の成功を適性国でももはや否定できない。日本の成功はその際、軍事、政治経
済、それに精神面とあらゆる分野に及んでいる。
日本人を独自の創造的力をもたない単なる巧みな模倣者とみなすことは、現実には
あてはまらない。日本人は少なくとも、外国の文化、外国の文明をおのれの目的のた
めに受容し、変形し、何か新しい独自のものを形成する才能をもっている。
日本は以前この面で中国の文化、文明と取り組む際に成功した。現在では西欧の文
化、文明を相手どってもやはり成功するようにみえる。しかし根本的にはこのことは
さして重要な問題ではない。これによって日本の成功の謎が解けるわけではない。問
題の謎は一つの民族が、単に人口が何倍も多いばかりでなく、精神的にも肉体的にも
よりすぐれ、あまつさえ世界の他の国々の大部分の同情と支持を勝ち得ている別の民
族を撃破したことにある。
しかしこうしたいいまわしは日中関係を極端に簡単な形式にまとめすぎている。わ
たしたちはまず問題を日中関係に制限し、日本が西欧諸国を相手どり、あらゆる分野
で始めた競争についてはここでは問わないことにしよう。
かつて日本人はある種の奇妙な驚きと苦悩に満ちた遺憾の念を交じえ、一般に個人
としての日本人が、個人としての中国人に、肉体的にも精神的にも劣っていることを
認めた。
肉体的に劣っていることは、日本人がとくに背が高く頑丈そうな華北の人間に相対
したときはっきりわかる。しかし精神的にも一般に中国人は日本人よりすぐれてい
る。このことはまさに現在の中国において十分に観察できる。日本人と中国人が一緒
に働いているところでは両者は共に相手の言語を習得しようと努める。中国人は日本
語を楽に使いこなし、北京の中小企業者などは少なくともすでにある程度の日本語が
話せる。その反面、日本人は苦心惨憺、昼となく夜となく中国語を覚えようと熱心に
勉強してもうまくゆかない。同じ経験があらゆる分野でなされており、中国人と日本
人に接する人はだれしもこのことがわかる。
中国人は不気味なほど知的な民族である。こうした中国人を単に日本人ばかりでは
なく、わたしたちヨーロッパ人も凌駕できないであろう。
いずれにせよ、わたしたちは今後の事態の動きに関して、中国人の知性を勘定に入
れるのが賢明であろう。日本人を最初見たときはいかにも鈍重に思われる。しかし中
国人はおどろくほどすばやい理解を示す。
日本人に相対した者はだれしも、日本人の知性が不活発であり、日本人が決断力に
乏しく何事についてもためらいがちであり、とくに形式にこだわる官僚主義者である
ことに、最初に驚き、しまいには絶望する。しばしば日本人は一般にいかなる決意、
決断にも踏み切ることができないように思われる。
それでいてこの国民はアジアのなかでただ一国、西欧の技術の巨大な飛躍を受け入
れ、白人の優れた力に対抗し、英米ソ仏といった大国の抵抗に遭いながらも、年々い
や日々成果をあげつつ大がかりな対外政策を追求しなければならない。
現実に即してこれらの要素を吟味する時、まずある種の謎に直面させられるが、日
本の青少年の教育、訓練を観察すると、その謎の一端が解けたように思われてくる。
訓練は国民学校〔当時の小学校のこと〕から始まり、ここで英雄的少国民が養成さ
れる。学童は生命をうつか天皇と祖国に捧げるとの目標をもつ。彼らは単に戦場での
英雄的行動の中ばかりではなく――もっと困難なことだが――日常のつらくて苦し
く、しかも何ら感謝されることのない些細な仕事の中で、彼らの心意気が示されるよ
うになるのだ。
これらの学校では、かつては日本の青少年の本性に根ざす奔放な情熱的態度をきわ
めて厳格な規律の下で抑制させていた。あるいは一時許容しても再び厳重に管理して
いた。
だが今では、こうした情熱的態度を勝利の獲得のためまったく無制限に発動させよ
うとしている。他のいかなる面よりも古式ゆかしい日本の格闘技である相撲において
このことが十分に観察できる。
力士は土俵上に相対し宗教の儀式のような厳しい作法に従い蹲踞をくりかえすが、
一旦立ち上がるや否や、虎のように猛然と相手のふところに飛び込んでゆく。動物的
な唸り声もあげる。ところが勝負がきまり、一方に軍配が上がれば両力士は突然厳し
くおのれを抑え相手から離れる。最後にいかめしい礼拝の身振りをしたのち土俵を去
る。
この力士のような動物的な叫び声が今やこれまで静かだった森の池の端までとどろ
いてくる。そのため鳥は驚いて樹木の梢めがけて飛び上がる。ゆったりとした白装束
を身につけた男たちは池のまわりに整列し、そして彼らの――どう表現してよいかわ
からない――独特の朝の体操を始める。これは体操以上のものだ。あらゆる運動は、
しばしば野獣の叫び声に似た号令に従って行なわれる。
とにかく、どの号令の中にも極度の緊張、極端な集中、最大の内面化がうかがわれ
る。彼らは池の端にたたずみまるで右手の剣で見えない敵を突き通すかのように水面
を腕でたたく。さらに彼らは太陽を天空からひきずりおろそうとするかのように空中
に拳を上げる。
興奮し、熱狂のかぎりをつくしたあげく、彼らは朝のすがすがしい池の中に身を沈
める(この動作はあらゆる季節を通じ、冬のさなかですら行なわれる)。彼らは池の
中に首までつかる。そして身動き一つしない。白い鉢巻をした頭は睡蓮を浮かべたよ
うだ。その後、彼らは両腕を上げ、祈りのために合掌する。
しかし指導者や訓練を積んだ者はさらに滝まで歩を進める。彼らはひざまずき、落
下する氷のように冷たい滝の水の強大な圧力を頭上に受けつつ平然と祈祷している。
熱烈な祈祷が佳境に入ると彼らは合唱した両手をはげしく震動させる。
窮極の肉体的ならびに精神的緊張の合体がこの修行のすべての過程の目標である。
道場の中庭で行なわれる巨大な太鼓のリズミカルな響きに合わせた体育の実技は、同
時に精神的霊的な訓練でもある。
それと同時に訓話を聞くことにも強力な肉体的緊張が要求される。その際修行者
は、古式ゆかしい日本式の正座をし、身動き一つしてはならないからだ。
正座は慣れない者には時間が経てば経つほど大変な努力がいるつらい作業だ。今日
の世代では、もはや正座に慣れていない者が多い。だが彼らはまだ一般的に様式の椅
子に腰かける方式にも慣れていないので、正座よりずっと楽なあぐらをかくという座
り方をする。
だが修行の頂点は夕方、早朝に開帳される天皇の写真、御真影の前、あるいは国旗
の前で行なわれる祈祷の訓練である。訓練参加者は、現人神の御真影の前に身動き一
つせず、ひざまずいて整列する。
指導員が律動的に太鼓をたたき、それに合わせて祈祷あるいは歌唱を始める。修行
者一同合掌する。祈祷の熱狂の度合が高まれば高まるほど、まるで両手の指が癒着し
たのではないかと思われるほど、はげしく合掌した手がふるえる。
修行者全員が霊的、精神的に極度に緊張し、一つの統一された意志、一つの血肉あ
る存在に融合したかのように思われる。彼らが律動的な歌唱の際叫ぶ言葉も、最後に
は万歳となる(バンザーイと終りの音節を長くのばす)。「一万年」ということをバン
ザーイは表わしている。
これは、日本の威力と偉大さがあと一万年つづくことを望む熱心な祈りであり、同
時に運命に反抗的に挑戦する叫びである。
この情熱があまりにも強力なので、広い部屋にそれによって満たされ、外国人すら
共鳴し、有頂天になって一緒に叫びたい気持になる。
情熱はさらに高まり、普段は非常に落ち着いて、自制心の強い日本人も野生的な興
奮状態に入る。祈祷の音頭をとる指導者は、ひざをしっかりそろえて空中に飛び上が
る。常軌を逸した情熱がほとんど耐え難いまで高揚するために、次の瞬間には、祈り
の威力が天空をも引き裂くに違いないと思われてくる。
しかし発生が突然だったようにすべてがやにわに静まってしまう。そして修行者全
員が身動き一つせず、平穏にひざまずく。こうした熱狂的な祈りのあとは、残りの夜
を全員、無邪気な遊びにふけったり冗談を言い合って過ごすことになる。
ひとたびこのような体験を共にすると、もはや日本の成功の謎などたずねる気持も
なくなる。いまや個人個人をとると、隣国の民族に劣っている民族がなぜ国民として
一体化すると、百倍の力となって隣国の民をしのぎ、撃破するようになるのか、と
いった疑問に驚かないようになる。
日本が意図している東亜新秩序建設という目標は、それだけをとると日本よりずっ
と大きくかつ強力な国民の力をも上まわっている。
この目標は、単に四億の中国人を軍事的に征服し、精神的に打ち勝つことばかりで
なく、このとてつもなく大きな課題を英米仏ソの合体した抵抗、すなわちほどんど西
洋全体の抵抗をも排除しつつ果たすことだ。
日本は結局、失敗するに違いない、と多くの専門的な批評家が確信しているのも不
思議ではない。もし日本国民が、このように不気味なほど巨大な霊的、精神的な潜在
力を備えておらず、全国民の抵抗力を最後の神経の一端まで投入させる術を知らな
かったとしたら、たしかに日本は失敗するだろう。東亜新秩序をめぐる戦いの成否を
決定するのは、結局、強靭な神経と強力な精神であろう。
18 :
名前書いたら負けかなと思っている。:2006/11/26(日) 01:44:08 ID:S/4lVKnm0
ああ
19 :
名前書いたら負けかなと思っている。: