癌が見つかりました。子宮癌。
でも、絶対に死にません。
子ども達と子どもにネクタイだけ付けたようなダンナを置いて死ねません。
私と私の家族の幸せを自分達の幸せと思っている両親と義両親を置いて死ねません。
算数の文章問題が苦手でプリント前にして涙ぐんじゃう長男を置いて死ねません。
おじゃ魔女ドレミごっこで、おんぷちゃん役になれないと暴れる長女を置いて死ねません。
明後日入院します。内臓全部くり抜いても良いから生かして下さいを先生に言ったら
苦笑いされましたけど。
本当は、不安で不安で転げ回りたいくらいですが、ともかく私は死にません。
と高らかに宣言させてください・・・・・。
ばあちゃんのぼけは日に日に進行してゆき、次第に家族の顔もわからなくなった。
お袋のことは変わらず母ちゃんと呼んだが、それすらも自分の母親と思い込んでいるらしかった。
漏れと親父は、ばあちゃんと顔を合わせるたびに違う名前で呼ばれた。
あるとき漏れがお茶を運んでいくと、ばあちゃんは漏れに駐在さんご苦労様です、とお礼を言って話しはじめた。
「オラがちにも孫がいるんですけんど、病気したって見舞一つ来ねえですよ…
昔はばあちゃん、ばあちゃん、てよくなついてたのにねえ…」
そう言ってばあちゃんが枕の下から取り出した巾着袋には
お年玉袋の余りとハガキが一枚入っていて、よく見てみるとそれは
漏れが幼稚園の年少のとき敬老の日にばあちゃんに出したもので、
「ばあちゃんいつまでもげんきでね」なんてヘタクソな字で書いてあったものだから、
漏れはなんだか悔しくて悔しくて、部屋を出た後メチャクチャに泣いた。
当時小2で俺の家会社やってて倒産しちゃって親父とオカンは別居状態で、
親父側の婆ちゃんの家に預けられてたんだけど、
ある日オカンが会いにきて何か欲しい物あるか?って聞かれてファミコンって言ったら、
すると「ファミコンかったらもうお母さんと会えないけど、それでもいい?」って聞かれて、
それでもいいと言っちゃう俺。
どうして、ファミコンを選んだのか当時の自分に聞かないとわからない。
今となってはどうでもいいが、フとあの時ファミコンじゃなくオカンを選んでたら、
俺の人生変わってたのかなぁとちょっぴりセンチメンタルになる時がある。