「名古屋の笑点」とも呼ばれた、よく比較された「お笑いマンガ道場」
のレギュラー、鈴木義司先生がお亡くなりになった。
以前、ナンシー関(この人ももう居ないが)が歌丸・小圓遊の名勝負に
対し一朗・義司を比較して「遠く及ばない」と苦言を労したがこうして
今、振り返れば義司、やっぱりあんたは「ガチ」だったよ(つД`)。
せめてゆっくり休んでくれ。
何故そう感じるのか?
柏村は本当に灰汁の強い、人格障害と言っていいくらいの嫌な性格だそう
である。関根勤がネタにしているくらい。
しかし、笑点が「マンネリの象徴」とされているのに対して、マンガ道場
はそれほど最後までマンネリな印象を与えることは無かった。
あのメンバーは灰汁の強い人間じゃないと押さえることはできなかったんじゃ
ないのか?
「嫌な奴」だからこそ20年近くマンガ道場はクォリティを保つことが出来たのでは?
初代司会者、米丸時代は誉めてばかりでちっとも面白くなかったそうだ。柏村になって
から視聴率はうなぎ登り。容赦なかったもんね、あの人の突っ込み。
(似たようなことが大橋巨泉にも言える。思想は正反対だが・・)
笑点が円楽になってつまらなくなったのは彼の受け答えが上品すぎるからだ。
三波伸介の受け答えは幼心に見ていて怖かった。
松崎真も怖かったが。悪役専門の俳優さんだったんだっけ?
(でも必ず言う言葉は「手を挙げて横断歩道を渡りましょう」あれは
違和感あった)
ただ、談志はあまりにも灰汁が強すぎて、メンバーの殆どが一旦降板
するという事態に陥ったけどね・・。
長文スマソ。ある意味「ライバル番組」の主要メンバーの冥福を祈る
ためとして許してくれ。
ををっ、目からウロコなご意見ありがたく拝見いたしやした。
>>319長文読んでくれてdクス。
あの灰汁のつよ〜い司会者だからこそ一朗も義司も輝けたんだよね。
ただ、小圓遊師匠はかなり若くして亡くなってしまった。
その点義司は番組に最後まで出ることが出来たし、その後も十年
漫画家・コラムニストとして活躍できたからずっと幸せだったというのも
あるが。