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北へ?:
80年代は良い時代ではあったが日常性に閉塞感もあった
そんな80年代に、ボクは、横浜の高級住宅街にある中学から名門青山、名門東京大へと歩んでいた
――アイドル歌謡や新音楽の聴きまくり(86年に岡田有希子が死ぬ)
閉塞感を打破する何かがそこにあると思った――――――――――
90年代に入り(大学卒業はバブル時代終焉と同じ92年3月)、
前半に東京大学院にいたりし(優雅な藝術音楽)、出てから
横浜や東京の夜を漂流した
しかしながら閉塞感は打破されなかった
97〜2000年は、東京の夜を漂流し、渋谷のイメクラに通った
90年代後半の渋谷は凄かった
しかし閉塞感は打破出来なかった
2001年は宇都宮にいた。荒涼とした北関東をふらつき、イメクラに出入りした
しかし閉塞感は打破出来なかった
2002年からは千葉にいた。千葉や東京を漂流し、千葉や船橋、遠征して新潟のイメクラに出入りした
しかし閉塞感は打破出来なかった
2005年から2010年はOLと観光三昧、映画三昧の日々――――――
東京を、全国を、場合によっては海外を漂流したが、あの閉塞感は残った
2011年から13年は名古屋や東京や京都にいてネットサーフィンやAVを見ていたが(少しイメクラ)、あの閉塞感は打破出来なかった
――――――そう、80年代から何も変わってはいないのだ