【青い葡萄の実】松田聖子 29【唇を寄せる少女】

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502日常性
80年代は良い時代ではあったが日常性に閉塞感もあった
そんな80年代に、ボクは、横浜の高級住宅街にある中学から名門青山、名門東京大へと歩んでいた
閉塞感を打破する何かがそこにあると思った――――――――――
90年代に入り(大学卒業はバブル時代終焉と同じ92年3月)、
前半に東京大学院にいたりし、出てから
横浜や東京の夜を漂流した
しかしながら閉塞感は打破されなかった
97〜2000年は、東京の夜を漂流し、渋谷のフーゾクに通った
90年代後半の渋谷は凄かった
しかし閉塞感は打破出来なかった
2001年は宇都宮にいた。荒涼とした北関東をふらつき、フーゾクに出入りした
しかし閉塞感は打破出来なかった
2002年からは千葉にいた。千葉や東京を漂流し、船橋や錦糸町のフーゾクに出入りした
しかし閉塞感は打破出来なかった
2005年から2010年はOLと観光三昧、映画三昧の日々――――――
東京を、全国を、場合によっては海外を漂流したが、あの閉塞感は残った

2011年から12年は名古屋や東京にいてネットサーフィンやAVを見ていたが、あの閉塞感は打破出来なかった
2013年は関西を漂流し、京都や大阪のフーゾクに出入りしたが、閉塞感は残った

――――――そう、80年代から何も変わってはいないのだ
503多少の羨望:2013/10/14(月) 17:34:25.33 ID:RT9PUnEI
80年代後半に引き込もり始め、初期おたく文化とその延長上にある価値観を墨守しながら、現在に至るまで引き込もり続けている人が結構いる
テレビ、ネット、マンガの世界に没入し切り、
残余の世界――即ち大学、職歴、異性、結婚、より高い文化は完全無視
高卒、職歴ナシ、高齢童貞――――
一生、あの80年代おたく文化とその価値観の宇宙に没入し、多分そこから出て行かない
それは幸福なことかも知れない
ボクは、80年代おたく文化は、アイドル好きというところしか引き継いでいない。
大学、職歴、異性、結婚、高度文化の世界に飛び込み、やれるだけのことをやったからだ
しかしながら、一生80年代おたく文化とその価値観に没入し、そこから出て行かない彼らを、
少々羨ましく思う面もあるのだが―――――――――



おたく文化の多くは、日常の閉塞感の上に立っています。満更でもない日常だが何か退屈だ、でも自分から何かアクションを起こす気にもなれないーーそんな若者に、気軽にトラブルと解決やカタルシス与えるものが初期おたく文化でした。