【砂の浮いた道路】松田聖子vol26【夏に続く道】
501 :
京都の夜:
京都で5日間だけ大学生やってるわけですが、聞いてる話はほとんど仏教哲学です。
ところで、仏教哲学で一つ気になることがあります。
執着を脱却し、煩悩を滅却せねばならないという、あの煩悩論です。
そもそも、そう煩悩なんてものは滅却出来るでしょうか?
論理はこうらしいです。
煩悩は執着から生じ、執着の根本は我執である。
ここで、我は無であり、空である(即ち、実体としての自我は存在しない)という悟りが必要とされます。
すると、全ては逆転します。
我が空無なら、我執も無く、我執がなければあらゆる執着も無く、執着が無くなれば煩悩も消える。
つまり、煩悩は、我が空無であるという真理を認識出来ない無明による迷妄だというわけです。
が、重大な疑念があります!
女の肌に触れたいセックスしたくても出来ずにモンモンとしてる男に対して、「執着を脱却し、煩悩を滅却せよ」「我の空無を悟り、無明を脱して我執を棄てよ」とか説いても、そんなことが出来るでしょうか?
この疑念を解決すべく、ボクは、まわりの女教師たちではなく、
夜を待ち、京都河原町のフーゾクに足を踏み入れ、フーゾク嬢にこの問題についてインタビューしました!
昨晩やると予告しましたが、実行したのです。最近京都の不良娘とばっかり遊んでますが。
もう客引きにも女にも覚えられているそのイメクラに足を踏み入れると、
女子高生制服を着たごく若い女が出てきます。
色白黒髪で、なんか一般社会っぽい感じです。
尋ねてみると、日中は京都市内の会社で働いてるOLだそうです。生まれも育ちも京都。
さきの疑念についてインタビューしました。すると、
「案外煩悩なくなるんちゃう?男性でも『オレ最近性欲ないわー』とか言うてるヒトいてはるし、まあネコやないけど、発情期が終わったら落ち着いて来るんちゃうかナ?」
「煩悩言うけど女(に対する欲望)はまだマシや思うで。ギャンブルとかこり出すと、どんどんカネ使うたりしてやばいで」
……という答えでした。