1 :
昔の名無しで出ています :
2008/05/19(月) 07:40:34 ID:SxP1SlVZ 何かと評判が悪い4人時代のオフコース 聴いてみたらハマってしまいました♪ 打ち込み多用ですが歌詞もサウンドも 洋楽パクパクの5人組の頃より好きになりました。 同じような方いますかね?
俺も1984年までのは好きだった 君が、嘘を、ついたとか夏の日とかは新境地だと思ってた。 緑の日々はいただけないが。 だけどそれ以降の「たそがれ」とかは何か違うんだよな
3 :
昔の名無しで出ています :2008/05/19(月) 20:49:54 ID:motL7Xxb
3ゲット! 俺は皆が言うほど嫌いじゃない。ただ癖(いい意味でも悪い意味でも)が無くなった感じはしたな。
5 :
昔の名無しで出ています :2008/05/21(水) 01:49:19 ID:BC5Q+PnC
ヤスさんいなくなったのがデカかったね、80年代の低迷。 やっぱり5人時代以前のオフコースファンの多くは、小田さんとヤスさんの2人が組んでいるところが好きだったんだよ。 言うなれば小田さんだけでもダメ。ヤスさんだけでもダメって感じで。 (その後、残った4人の仲の悪さが露呈。更にファンが離れてしまった…。) 音楽的には時代の流れとはいえ、厚みと温もりのある往年のオフコースサウンドを捨て去り、 安易にデジタルに走っていったのが痛い。 「The Best Year of My Life」は何とかうまくいったものの、その後のシングルは何かぎこちなく聞こえる。 とは言え、YAMAHA DX7を始めとする折角の新技術を、ダサイアイドルポップスにばかり使っていた当時の日本の音楽シーンの中では、 センスの良い方であったことは間違いないと思うが。 でも個人的には、最初のソロアルバム以降の小田曲は、 ソロに関してもオフコースに関しても、アレンジが凄く良くなったと思う。 やっぱり本場のAORに8ヶ月?も触れてきただけのことはあるなあと、感心した。
6 :
1 :2008/05/21(水) 08:30:02 ID:ffpPG457
>>4 すみません、削除のしかたがわかりません。
はじめてスレ起てしたもので。
みなさん早速の書き込みありがとうございます。
当時はライブも打ち込みのオンパレードだったのですか?
同期演奏も先駆けだったのですかね?
ライブ観てみたかったです。。
確かにThe Best Year of My Lifeは良かったんだよな。 英語の奴も。 というか後期は長い英語ばっかでちょっと引く。 Weare over とかの単純な単語だけが良かったのに。
ようつべ’に4人時代のライブがありますね。音声のみだが
9 :
昔の名無しで出ています :2008/05/28(水) 23:33:05 ID:aNKxjrS5
映像なら87年の武道館のビデオがニコニコにあるよ。 初めて見たとき全盛期(5人時代)とイメージ、音がガラッと変わってたのでびっくりした。
10 :
昔の名無しで出ています :2008/06/02(月) 23:48:45 ID:30ICOKje
オフコースの凄いのはやはり初期から中期まで 当時の日本の音楽シーンを考えれば、セカンドアルバムで それぞれの楽曲をそれぞれが別々に行っても作れるという ことは画期的だった 初期は互いの曲を一緒に唱ったり、メインを入れ替えたり、 一曲の中で2人で一つ的なラインになったり、その癒合が面白い 管弦アレンジ、ヤスEG、小田フルート、転調しまくり楽曲。。 技量を補うセンスと才能が満載って感じ
4人オフコースが好きな人のスレなのに・・・ ラストアルバムはいいと思うよ