【美しい十代】三田明【夕子の涙】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1昔の名無しで出ています
一時、御三家をしのぐ人気を得ていた吉田正門下、三田明を語ろう。
2昔の名無しで出ています:2007/07/12(木) 21:33:55 ID:8kKM7FKP
橋幸夫だったら三田の方が好きだったな
顔も声も甘かったし、吉田メロディーによく合っていた。「薔薇の涙」「ナイトイン六本木」「夕子の涙」…
3昔の名無しで出ています:2007/07/12(木) 22:07:21 ID:???
「若い港」「若い翼」も忘れられたなあ。いい青春歌謡なんだが。
4昔の名無しで出ています:2007/07/12(木) 22:15:31 ID:8kKM7FKP
>3
いわゆる若いシリーズですね(2曲しかないけど)
「若い翼」は昭和40年の紅白で歌われたね。
5昔の名無しで出ています:2007/07/12(木) 22:46:38 ID:???
まあ若者事情だけじゃないけどあれから40年
以上も経って、違う国みたいになったなあ。
はたして良くなったのか悪くなったのか。
6昔の名無しで出ています:2007/07/13(金) 13:52:43 ID:i47iM8/Q
整形さえしなければね
7昔の名無しで出ています:2007/07/14(土) 21:48:31 ID:vEY6u9lh
「赤毛のおんな」ってのもあったね。ジャズっぽくてよかったけど、あんまりヒットしなかったような
8昔の名無しで出ています:2007/07/14(土) 22:05:18 ID:PVdelZWH
紅白6回はちょっと出すぎ?
9昔の名無しで出ています:2007/07/15(日) 07:44:11 ID:wqrqc7kf
>8
出過ぎではないんじゃない。7回出場時の昭和43年は御三家の3人よりもレコードセールスは上回っていたし
10昔の名無しで出ています:2007/07/15(日) 07:45:18 ID:wqrqc7kf
>9 【訂正】7回→5回
11昔の名無しで出ています:2007/07/18(水) 07:04:49 ID:Ex57R20P
吉田正のお稚児さん
12昔の名無しで出ています:2007/07/18(水) 07:38:24 ID:???
デビューして人気が出たての頃にはあまりにひどいブレスのしかたになんと歌の下手なかわいいだけの歌手って感じだったけど、
その後歌はかなりうまくなるにつれ人気は反比例して消えていった。
人気消滅にとどめを刺したのが一重まぶたを二重にした整形手術。
これでさわやか美少年がいなかのホストに変わっちゃったから・・・・・。
13昔の名無しで出ています:2007/07/18(水) 21:31:54 ID:/5Q/aXjs
デビュー曲のレコードジャケットは、御三家はそれぞれモノクロ二色刷り
だったが、三田はカラーだった。ビクターは相当期待してたんだろうな。
14昔の名無しで出ています:2007/07/19(木) 21:21:47 ID:hOD0bwR0
青春歌謡スターは、10代から20代前半までが花。大人になった姿は違和感を感じよう。現に最後の紅白出場「サロマ湖の空」(昭和44年)の三田は青春歌謡スターの最末期の姿と言えよう。
15昔の名無しで出ています:2007/07/19(木) 21:29:17 ID:vCVf4Kx8
>13
御三家の3人よりも美少年だったからだろう。
後輩の西郷輝彦に抜かれ御三家と称されなかったことは惜しまれる。
16昔の名無しで出ています:2007/07/24(火) 22:10:12 ID:i/AG3HEY
来月、テレビ東京の「田舎へ泊まろう」に出るみたい
17昔の名無しで出ています:2007/07/25(水) 21:21:37 ID:???
>>16
8月5日オンエア予定。
ブログで、ロケのことなどに触れてるね
ttp://homepage2.nifty.com/akiramita/index.htm
18昔の名無しで出ています:2007/08/02(木) 18:45:14 ID:???
ひょうきん族に出てた。
コントで、仲のいい兄弟、という場面に現われて
“美しい兄弟、ああ〜兄弟〜♪”、と歌うだけwww
19昔の名無しで出ています:2007/08/05(日) 17:42:17 ID:hZaB+OFb
「田舎へ泊まろう!」は7時から
ttp://www.tv-tokyo.co.jp/inaka/
20昔の名無しで出ています:2007/08/05(日) 18:53:23 ID:gQXa2mzY
三田の阿久悠作品は「ふれあい」。ただし、放送禁止になってしまっている。
21ノスタル爺:2007/08/18(土) 02:41:23 ID:yRBuw1+H
>>1 目だけ‥?
鼻もかなり高くしたよ。それまで人気があったのに完全に致命傷になってしまった。
「明日は咲こう花咲こう」「夕子の涙」
「数奇屋橋ブルース」
「恋のアメリアッチ」
「薔薇の涙」
「カリブの花」
「ナイトイン六本木」
  ・・・ets.中でも我輩の一押しの曲は「ナイト・・」だ!
整形前の最後か?その前位の曲だったと思うが、出来栄えは上々で吉田 正がリズム路線に集中し
てた頃、橋と競い合わせて三田の魅力を十二分に引き出したリズム歌謡の決定版とも言える。
22昔の名無しで出ています:2007/08/18(土) 18:20:47 ID:2LK3EBSQ
「薔薇の涙」や「恋人ジュリー」もいいけど
「恋人の泉」や「サロマ湖の空」なんかも
わりと好きだったな
23ノスタル爺:2007/08/18(土) 20:18:15 ID:yRBuw1+H
>>22 >21です。あまりにも懐かしく思い出しながら書いた曲だけなので‥不覚にも「恋人の泉」を忘れていたのには不徳の至りです!
恐縮ですが、序でに出だしが♪幼なじみの君だから〜、の詞で始まる曲のタイトルを度忘れしてしまいました。(;^_^A
教えて貰えますか?
24昔の名無しで出ています:2007/08/19(日) 22:47:39 ID:qSrouRSY
>23
「僕のそばには君がいる」
25昔の名無しで出ています:2007/08/19(日) 22:49:28 ID:???
三田明さんって大ベテランなんだけど
えらそーにしてないですね。
26昔の名無しで出ています:2007/08/19(日) 22:51:07 ID:qSrouRSY
>25
その辺は吉田正のしつけがよかったから。
27昔の名無しで出ています:2007/08/20(月) 09:33:50 ID:ezGsUwlq
三田は吉田正門下なのは周知のとおりだが、その割には
佐伯孝夫作詞の歌は、あまり歌っていない。あっても「スキー仲間」ぐらい。
やっぱ宮川哲夫や山上路夫とのほうが水に合ってるってことか!?
28昔の名無しで出ています:2007/08/21(火) 19:47:25 ID:1x3HXLLO
>27
あと「数寄屋橋ブルース」ぐらいかな。
佐伯は、デビュー当初歌が下手だった三田にあまり興味がなかったのか、あるいは宮川哲夫が三田につきっきりで書いていたから佐伯の出る幕がなかったのか、どちらかだね。
29昔の名無しで出ています:2007/08/27(月) 01:29:39 ID:K55qOSAB
>>28 宮川哲夫は橋 幸夫にも結構、書いてる。
「雨の中の二人」
「霧氷」など。
30ノスタル爺:2007/08/29(水) 03:51:24 ID:D6vnI9jl
昨夜、ΝΗΚ「歌謡のコンサート」に久しぶりに三田 明が出演し、もう定番とも云うべきデビュー曲「美しい十代」を歌ったが、この番組(※幾度
か番組名を変更)を十数年、視聴してるが記憶の上で四回ほど出ていると
思うが毎回「美しい‥」ばかりで、ファンの心情を完全に裏切られている
。「恋人の泉」や「夕子の涙」といった三田の歌の魅力が最も充実してた頃の曲を歌ってほしいも
のだ‥せめて「君のそばには‥」辺りを歌ってくれても良いと思う。
いつ、サプライズの曲が聞けるのだろうか?
31昔の名無しで出ています:2007/08/29(水) 07:01:54 ID:G7xgyUyi
確かにテレビだとどの歌番組でも「美しい十代」ばかりで閉口しちゃう。ラジオの公開歌番組でたまに「夕子の涙」を歌うくらい。
ちなみに三田は紅白に6回出場しているが、意外なことに「美しい十代」は歌われていない。
32昔の名無しで出ています:2007/08/31(金) 18:44:34 ID:GaLkyj08
当時、三田明に近づいた人間の中にはホモが結構いたはず
美少年の代名詞だった
33昔の名無しで出ています:2007/09/02(日) 21:54:26 ID:U9GjXRk5
吉田正の厳しいレッスンが終わると、三田は吉田の寝室に通される。吉田は三田をベッドに座らせ、おもむろに三田の股間に手を伸ばす…
34昔の名無しで出ています:2007/09/09(日) 01:26:24 ID:8nyeZpQ6
和製マーク・レスター
35昔の名無しで出ています:2007/09/22(土) 21:33:27 ID:I73T/ZcW
整形さえしなけりゃね。
36昔の名無しで出ています:2007/09/24(月) 15:45:32 ID:a0dsdi4q
「田舎へとまろう」「歌謡コンサート」等メジャーな番組に出てるし、
新曲もリリースしてる割には、メジャー感(あくまでも懐メロ歌手)が無いな。
コンサートもワンマンでは無く、数人でのジョイントばかりだし。
彼の公式ホームページも素人みたいで、ブログなんか最悪だよ。
37昔の名無しで出ています:2007/09/24(月) 16:07:41 ID:B0hd9Wra
料理中に油を被った
というアングルがなぁ・・・。
WWFかと。
38昔の名無しで出ています:2007/10/10(水) 18:49:44 ID:WK65xBL1
今月、群馬県・水上のホテル聚楽水上の三田明ディナーショーは盛況だったみたいだね。
ソロのコンサートはないけど、ディナーショーはまだまだソロでいける。
39昔の名無しで出ています:2007/10/27(土) 18:48:02 ID:tlJiS9cc
山田真二追悼

吉田門下生、お帽子かぶり勢ぞろい
http://jp.youtube.com/watch?v=JURIhuJJFo4
40昔の名無しで出ています:2007/11/07(水) 23:17:01 ID:J81TMYa9
本名は辻川潮(うしお)
うしおって名前がすごい。本名じゃデビューできなかったわな
41昔の名無しで出ています:2007/12/04(火) 19:58:12 ID:W56RhA3r
今年の紅白も漏れたね。昭和44年「サロマ湖の空」以来、もう38年も落選している。
42昔の名無しで出ています:2007/12/31(月) 00:44:44 ID:lpyZqU8t
紅白歌合戦 「恋人ジュリー」
http://www.youtube.com/watch?v=2-0iO9mTxIY&feature=related
43昔の名無しで出ています:2008/01/09(水) 21:18:38 ID:30Ameyq3
橋、舟木、西郷の3人よりも、声は一番維持してる感じだね
44昔の名無しで出ています:2008/01/10(木) 13:29:56 ID:K15YGmMB
>>20 「ふれあい」が放送禁止とは知らなかった。理由は?
45昔の名無しで出ています:2008/01/12(土) 13:05:19 ID:joUejN65
「薔薇の涙」と「真珠の恋人」はどちらの方がヒットしたのでしょうか?
ちなみにその年(昭和43年)の紅白出場曲は「薔薇の涙」だっけ?
46昔の名無しで出ています:2008/01/12(土) 15:43:48 ID:+XqWl+gt
両親が言ってたけど、最初は歌唱力はいまいちで、努力して歌唱力アップした、
偉い人だ。と。
47昔の名無しで出ています:2008/01/12(土) 21:16:01 ID:4/Htn2Nu
>>45
「薔薇の涙」の方がヒットしたでしょう。昭和43年紅白歌唱曲は「薔薇の涙」で、三田はこの年白組トップバッターで出場。
48昔の名無しで出ています:2008/01/22(火) 09:49:19 ID:4NMDJyFM
昭和43年頃は、三田も御三家に迫って「四天王」と言われてたんだよね。
ちなみにこの年は御三家よりもヒットが多かったと何かに書いてあったけどどうなんだろうね
三田明
「数寄屋橋ブルース」「薔薇の涙」「真珠の恋人」「ナイトイン六本木」
橋幸夫
「花太郎笠」「夜明けの二人」「雨のロマン」「赤い夕陽の三度笠」
舟木一夫
「くちなしのバラード」「残雪」「夜霧の果てに」「銀色の恋」
西郷輝彦
「月のしずく」「虹を買おう」「ガラスの涙」「友達の恋人」
49昔の名無しで出ています:2008/01/22(火) 10:08:41 ID:IptV1ubu
昭和43年はGSブームの最中、歌謡界の中心が移り変わった時期。
もう青春歌謡の歌手たちには勢いが感じられなくなっていた。
50昔の名無しで出ています:2008/01/23(水) 10:54:29 ID:TXhU/ATX
昭和42年が青春歌謡全盛の最後の年だよね。
三田明
「カリブの花」「また逢う日まで」「恋人の泉」「夕子の涙」
橋幸夫
「殺陣師一代」「恋のメキシカンロック」「佐久の鯉太郎」「思い出のカテリーナ」
舟木一夫
「一心太助江戸っ子祭り」「夏子の季節」「心こめて愛する人へ」「夕笛」
西郷輝彦
「恋人をさがそう」「願い星叶い星」「この雨の中を」「潮風が吹きぬける町」
51昔の名無しで出ています:2008/01/23(水) 12:20:18 ID:ZNpizgwc
TVでもGSの出演が多くなって、ラジオの仕事なんかを地味にやるようになっていたもんだ。
52昔の名無しで出ています:2008/01/24(木) 15:29:10 ID:eLGu9pw5
本来、三田の「美しい十代」は舟木の高校三年生を意識して作られたのだろうから、
美少年とかビジュアル面的要素ではなく、音楽的な要素を前面に押し出した売り方をすれば、
のちに称される御三家は「舟木・三田・西郷」だったろうね。
年齢も三田と西郷は同じだし、デビューは三田の方が約半年弱早いわけだからね。
結局旧勢力の橋幸夫が、後輩青春歌謡歌手の台頭に危機感を感じて、折からのエレキブームに乗り
リズム歌謡で舟木西郷の新勢力に食い込んで御三家となったわけだけど、三田は結局その割を食った格好だよね。
やはりデビュー当時の三田は本格的歌手として見た場合、舟木と対抗するには弱かったのだろうか?
53昔の名無しで出ています:2008/01/24(木) 15:49:50 ID:???
三田は今で言うと「かわいさ」をアピールしたキャラでしょう。
後の郷ひろみ・城みちる・あいざき進也あたりの先輩格のような。
その時代の若い女性には、今ひとつ物足りないと思われたのかも。
54昔の名無しで出ています:2008/01/24(木) 21:17:26 ID:ng+3OHlf
当時にしては珍しいジャニーズ系だった。三田がもう少し遅れて登場していたら、また違っていたかもしれない。
55昔の名無しで出ています:2008/01/24(木) 21:27:37 ID:ttRGJb2G
GSのボーカルなんかでね。ジュリー、ショーケンと御三家時代を築いたかも。
56昔の名無しで出ています:2008/01/24(木) 21:29:53 ID:ng+3OHlf
>>55
そもそも吉田正門下に入ったのがいけなかったんだろうな。
57昔の名無しで出ています:2008/01/25(金) 09:28:49 ID:???
ワイルドワンズあたりでボーカルやってたりしたらもっと爆発的人気を得ただろうか?
愛称はチャッピーとかw
58昔の名無しで出ています:2008/01/26(土) 22:34:10 ID:0k7zHy4x
>>57
充分有り得たかもね。
吉田門下で青春歌謡歌手になったのは間違いだったな。
59昔の名無しで出ています:2008/01/26(土) 23:07:56 ID:???
でもね、御三家の次といえばこの人で異論なし、でしょう。

三田明>>美樹克彦>梶光夫≒山田太郎≒久保浩>永井秀和

他にも大勢いたけど、実績はこんな感じじゃないかなあ。
60昔の名無しで出ています:2008/01/26(土) 23:16:40 ID:???
あ、あとジャニーズがいたか。大変な人気者だったけど、向こうの
ポップスのカバーが多くて、オリジナル曲の印象が薄いのが残念。
でも「太陽のあいつ」は、青春歌謡の名作として残ると思う。
61昔の名無しで出ています:2008/01/26(土) 23:22:38 ID:0k7zHy4x
>>59
同意。昭和43年正月の芸能雑誌付録の歌本を見ると、男性歌手の掲載順番は舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦、三田明、加山雄三…と続く。
62昔の名無しで出ています:2008/01/30(水) 15:36:24 ID:k8LXKBXk
☆☆ アメリアッチの名曲対決 ☆☆
「恋と涙の太陽」vs「恋のアメリアッチ」vs「恋旅行」
どの曲が一番好きかな?もちろんここは三田スレだから、おのずと結論はひとつだよね?
63昔の名無しで出ています:2008/01/30(水) 19:47:48 ID:Ub0TMO9Z
>>62
そりゃ「恋のアメリアッチ」でしょう。三田のハツラツさが全面に出ていていい感じだ。「恋と涙の太陽」は、妙に橋幸夫が小粋に歌いこなしてしまい、アメリアッチの雰囲気を台無しにしている感がある。まるで「恋と涙の太陽音頭」だ。
ちなみに「恋旅行」は聞いたことないな。
64昔の名無しで出ています:2008/01/30(水) 21:06:40 ID:k8LXKBXk
>>63
「恋と涙の太陽音頭」に賛成!
橋ファンにこの曲の感想を訊いたところ、「音がやかましすぎる」というお答えが・・・
ちなみに「恋旅行」は久保浩と小川知子のデュエット曲で、ロマンスカーに乗って
アベックが旅行に行くという内容。小川知子は「ゆうべの秘密」でデビューする前年に
この曲をレコーディングしているんだね。まあ、貴重な曲ではあります。

やはり「恋のアメリアッチ」がベストということだよね。
ところで、この曲のB面「タッチ・アンド・ゴー」も負けず劣らない名曲。
65昔の名無しで出ています:2008/01/30(水) 21:28:34 ID:Ub0TMO9Z
>>64
へぇ〜小川知子が久保浩と…意外な取り合わせですね。
確かに橋の「恋と涙の太陽」は伴奏がやかましい。売り上げ的にはどちらが上か分からないけど、俺も「恋のアメリアッチ」に軍配を上げたい次第です。
66昔の名無しで出ています:2008/02/05(火) 09:09:58 ID:fv9viIo8
昭和44年にも優れた曲があるよね。
「惜別のワルツ」「太陽のカーニバル」「サロマ湖の空」「あなたの涙」・・・
この年がアイドル歌手三田明の全盛期最後の年になるのかな?
ところで、映画主題歌になった「街に泉があった」って曲知ってる?
67昔の名無しで出ています:2008/02/05(火) 20:38:19 ID:43RCGyjr
>>66
「街に泉があった」は聞いたことはないけど曲の存在は知っていました。
「惜別のワルツ」は、三田が「ワルツは難しい」と相当苦労してレコーディングしたらしい。それを不憫に思った吉田正は次回作にリズム重視で歌いやすい「太陽のカーニバル」を作る。
68昔の名無しで出ています:2008/02/06(水) 09:30:32 ID:/Bw3AwBv
昭和44年といえば御三家はもう夏物リズム路線から離れていたから
三田の「太陽のカーニバル」は吉田正のリズム歌謡の最後の作品として位置づけられるのだろうか?
ところで、この年の初荷レコードは「タートルルックのいかす奴」だよね。
69昔の名無しで出ています:2008/02/06(水) 19:07:54 ID:6qpidyjX
>>68
確かに昭和44年以降はリズム歌謡はなくなってきており、「太陽のカーニバル」はリズム歌謡の最末期の曲と言えよう。
「タートルルックのいかす奴」は「青山通り」の路線を踏襲した感じの曲。
そしてこの年の紅白出場曲が「サロマ湖の空」。今現在、三田にとって最後の紅白出場曲となってしまった。
70昔の名無しで出ています:2008/02/07(木) 10:41:07 ID:t1KddWTW
ひとつ気になることがあるんだけど、
昭和45年発売の「ふれあい」のレコードジャケットがイラストなんだよね。
それまで発売のレコードジャケットはすべてカラー写真を使っていたのに、
いきなり白地に一色でしかもよく見ると「サロマ湖の空」のジャケットで使われた写真を
ベースにして起こしたイラストで処理されているのはなかなか怪しいものを感じるよね。
71昔の名無しで出ています:2008/02/07(木) 17:43:43 ID:ddxHsim3
「ふれあい」のレコードジャケットは奇をてらう狙いがあったのだろう。阿久悠作詞、すぎやまこういち作曲と、従来の三田のイメージを一掃する作家陣でもあったが、思うようにヒットしなかった。
72昔の名無しで出ています:2008/02/08(金) 19:20:47 ID:iKdaPxFw
「タートルルックのいかす奴」はさほどヒットはしなかったでしょ?
B面の「あなたの横顔」の方が哀愁味があって断然いい曲だと常々思ってたんだけど、
何故こちらをA面にしなかったのか悔やまれるね。三田には地味すぎたのかな?
前年の「数寄屋橋ブルース」はもっと地味なんだけどね。
ちなみにその「数寄屋橋ブルース」もB面の「星と貝がら」の方が素晴らしい。
73昔の名無しで出ています:2008/02/08(金) 23:28:25 ID:DQU85CmU
B面の方が名曲っていうパターンは結構多いかもしれない。
「タートルルックのいかす奴」が発売された昭和44年は三田や御三家の人気に陰りが見えはじめた頃だから、ヒットは見込めなかった。
前年の「数寄屋橋ブルース」は地味だけど「有楽町で逢いましょう」に匹敵するブルースの名曲だと思う。当時流行っていた森進一や青江三奈の「ご当地ブルース路線」にあやかってつくられた。
74昔の名無しで出ています:2008/02/09(土) 12:39:12 ID:fI6+bidR
三田明の「初恋こいさん」を聴くと、
マヒナの「お百度こいさん」やフランク永井の「こいさんのラブコール」を思い出す人が
きっといるにちがいない。
75昔の名無しで出ています:2008/02/09(土) 20:44:17 ID:TQevzEhw
「お百度こいさん」も「こいさんのラブコール」も吉田メロディーじゃないけど、雰囲気は何となく似てるね。
この曲は三田明初の大阪モノらしい。メロディーラインは典型的な吉田メロディーだが、アレンジで何とか大阪の雰囲気を醸し出している。個人的にはかなり好きな曲だ。
76昔の名無しで出ています:2008/02/12(火) 14:28:58 ID:+5XT8uTQ
自宅のレコードライブラリーを整理していたら、
おそらく昭和45年以降の曲だと思うけど、「太陽の恋人たち」というタイトルの
シングルが出てきたので、「太陽のカーニバル」の続編のような曲かな?と
さっそく聴いてみたら、ごく普通の70年代ポップス系歌謡曲だった。
たしか20年以上前に中古レコード店でたまたま見つけて、タイトルのイメージから
リズム歌謡かな?と期待して買ったと記憶しているんだが・・・・
それから、「雨のバラード」の作者植田嘉靖作曲の「さよならした長崎」とか、
このころの三田にも隠れた名曲は多いよ。
77昔の名無しで出ています:2008/02/12(火) 18:59:33 ID:bRTMeddf
>>76
「太陽の恋人たち」「さよならした長崎」「寄り道来た道帰り道」が発売された昭和46〜48年あたりは吉田正以外の曲を積極的にリリースしている。
それから程なくして、吉田正作曲による三田のデビュー10周年記念曲「赤毛のおんな」が発売される。
78昔の名無しで出ています:2008/02/13(水) 08:34:41 ID:Ev/Ii69d
昭和52年に塚田三喜夫や尾崎紀世彦らの競作で発売され、その後布施明や湯原昌幸も
リリースした「五月のバラ」は三田明も歌ってるよね。
79昔の名無しで出ています:2008/02/13(水) 18:41:58 ID:z/WkL8/e
「五月のバラ」は布施明版は聞いたことあるけど、三田版はないですな。カバーと違うのかな。
80昔の名無しで出ています:2008/02/14(木) 09:36:15 ID:DTSLPMs6
「五月のバラ」は昭和52年に塚田三喜夫や尾崎紀世彦らと競作でシングルが発売されて
います。まあ「氷雨」や「浪花節だよ人生は」あたりと同じ各社競作パターンです。
おそらく当時は塚田三喜夫の盤が一番売れたんでしょうね、その辺はよくわからないけど。
当時のNHK-FM昼の歌謡曲で「さよならの向こうで」(これも競作曲)あたりと一緒に
流れたのを聴いて、近所のレコード店を回ってもどこにも置いて無くて買うのに難儀したからね。
ちなみに、それぞれの盤の曲のアレンジは若干違うみたいだね。
81昔の名無しで出ています:2008/02/14(木) 19:25:36 ID:e6hbpyFi
三田明も「五月のバラ」を吹き込んでいるのは確実みたいですな。
シングルではなくてアルバム用だったかもしれないけど。

それから「五月のバラ」はブレンダ・リー来日公演に際して
彼女が日本語で歌うためにつくられたのが最初みたいで
「思い出のバラ」とかいうタイトルだったと思う。
塚田三喜夫版以前に鹿内孝版やジュン沢木版などもあり
以後はほとんどスタンダード・ナンバー。
82昔の名無しで出ています:2008/02/15(金) 08:41:43 ID:uxgRfp40
昭和42年のレコード大賞はブルコメの「ブルーシャトウ」だけど、
この頃は「ブルー○○」とつくタイトルの曲が多いよね。
舟木一夫「ブルートランペット」いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」
荒木一郎「ブルーレター」青江三奈「ブルーブルース」とか・・・・・
そんな中で、三田明も「ブルーシャンペン」と言う曲を昭和42年に
出しているの知ってる?だいぶ地味な曲で、夕子の涙と数寄屋橋ブルースに
はさまって印象は薄いんだけどね。
83昔の名無しで出ています:2008/02/15(金) 23:14:33 ID:GIJo3/3d
「ブルーシャンペン」は隠れた名曲と言っていい。幼稚っぽい印象が否めない「夕子の涙」や盛り上がりに欠ける「数寄屋橋ブルース」よりも、「ブルーシャンペン」の方が楽曲としては優れているかもしれない。
あと、「五月のバラ」の話題で盛り上がっていたようなのでバラつながりで言えば、「薔薇の涙」も忘れてはいけない佳曲。
84昔の名無しで出ています:2008/02/16(土) 09:53:14 ID:8NE53WpB
三田明の曲には女性名が多数出てくるよね。
「薔薇の涙」を最初聴いたとき、ローザが人名だとは気づかなかったよ。
ジュリーから始まって、エルビラ、ジェニー、ローザ・・・・・
ちなみに日本の女性名だと夕子が挙げられるけど、ほぼ同じ頃安達明の「悲恋」にも
歌詞の中に夕子〜〜とあるけど、夕子という名前は流行りだったのかな?
だいぶ後年には、増位山が「そんな夕子に惚れました」をヒットさせてるけどね。

「薔薇の涙」「真珠の恋人」「ナイトイン六本木」はタイトルを見ただけでも
GSを意識してるのはよくわかるよね。
85昔の名無しで出ています:2008/02/17(日) 17:59:15 ID:Bb45xI5W
確かに「ナイトイン六本木」「アイビー東京」「夕子の涙」はGSを意識したアレンジとなっている。アレンジは吉田正によるがなかなかマッチしていて今聞いてものれる。
86昔の名無しで出ています:2008/02/18(月) 09:27:15 ID:GJCifSAs
三田明「薔薇の涙」「真珠の恋人」
スパイダース「真珠の涙」
ワイルドワンズ「バラの恋人」
・・・・タイトルが錯綜してて何がなんだか・・・ちなみにすべて昭和43年の曲(しかも、どれもそこそこヒット)

「数寄屋橋ブルース」で都会調のブルースを歌い、「初恋こいさん」で日本調の曲のあと、
「薔薇の涙」でGS調という・・・・よく言えば幅広いジャンルを、悪く言えば無節操にいろいろ
歌ってるね。ただ、聴き手としては、ワンパターンの曲ばかりより楽しめていいんだけどね。
87昔の名無しで出ています:2008/02/18(月) 09:41:01 ID:0A70vHa6
三田がフランク永井先輩の曲を歌いたいといったら
師匠の吉田正先生がおまえには10年早いと言われた
そうですが、実際のところはどうなんでしょうか?
彼に歌いついでもらいたいのですが。
88昔の名無しで出ています:2008/02/18(月) 19:59:00 ID:bRCGGZa3
>>86
「薔薇の涙」と「バラ色の雲」は前奏と間奏に似てるフレーズがあるね。「バラ色の雲」が先にあったので吉田正は「バラ」つながりでそのフレーズをパクっちゃったのかもね。
>>87
フランク永井の「妻を恋うる唄」はカバーしてるね。吉田正が亡くなってからもう「10年」たつからちょうどいいをじゃないかな。「死人に口無し」
89昔の名無しで出ています:2008/02/18(月) 23:16:49 ID:GJCifSAs
「若い翼」のB面「東京で二人」は、三浦洸一の「東京の人」に曲の雰囲気が似ている。
なぜこちらをA面にしなかったのかな?
まあ、アイドル的売り方をするなら「若い翼」がA面は妥当だとは思うけど、
曲的には「東京で二人」の方が断然いいと思う。
また、それから2年後の「数寄屋橋ブルース」は逆にB面の「星と貝がら」の方が断然いいと思う。

♪誰も見てない〜星降る渚〜二人歩こう〜何処までも〜〜
なかなかロマンチックな曲です。
ちなみにそれから2年後に愛田健二が「花と貝がら」という曲を出して非常に紛らわしいです。
90昔の名無しで出ています:2008/02/19(火) 16:22:16 ID:AYVhx61R
>>75
三田明初の大阪モノは、吉永小百合とデュエットした「若い二人の心斎橋」かもよ。
9130歳の男:2008/02/19(火) 16:43:16 ID:tAwT+ux5
概して吉田メロディは作風が似てるんだよね。
それにしてもみなさんは三田のコアなファンだね。
僕は全曲集しか持ってないからCD化されていない曲は
まったく知らない。いや勉強になりますよ。
92昔の名無しで出ています:2008/02/20(水) 07:04:23 ID:XkwsXLdB
>>91
茨城県日立市の吉田正記念音楽館に行けば、CD化されていない三田明の曲が聞けます。
93昔の名無しで出ています:2008/02/20(水) 10:07:06 ID:yB9SeNVh
都内の中古レコード店を回ると、三田明のレコードを見つけるのは苦労しないよ。
普通の中古店ならシングルレコードで500〜1500円くらいが相場かな?
私もそれで未入手レコードをほぼ集めましたからね。
先日、長年探してた「山に登って」も入手して、
デビュー〜44年頃までの全盛期の未所持レコードは「森蘭丸」のみ。
94昔の名無しで出ています:2008/02/21(木) 09:05:33 ID:PS1eo9dJ
三田明は股旅物は歌ってないよね?
その点を比較すると橋幸夫より歌の幅が狭いかもしれない。
三田明は橋以上にリズム歌謡に力を入れるべきだったと思う。
「恋のメキシカンロック」は三田の方が合ったかもしれないし、
同時期発売の三田の「また逢う日まで」は橋の方が合ったかもしれない。
95昔の名無しで出ています:2008/02/21(木) 21:19:28 ID:+y1X40rH
>>94
三田にも股旅モノを歌わせようとすればそれなりのものができたんじゃないかな。
ただ、それをすると橋と三田のイメージがますますかぶっちゃうことも否めないね。
96昔の名無しで出ています:2008/02/22(金) 09:06:48 ID:7ZAne208
三田明には、昭和40年に橋が出した「すっとび野郎」のような軽快なリズム的股旅物が合うかもしれないよね?
「佐久の鯉太郎」も三田に歌わせたかったな。
ところで、橋が昭和41年に大賞目的で利根一郎作曲の「霧氷」に力を入れてる頃、
三田は吉田正作曲の「恋人ジュリー」を歌ってるよね。
この曲は、吉田正がかなり気合いを入れて作った渾身の作のように思えるんだけど(ちなみに作詞も吉田正)
この頃から吉田正の作品のウエイトは橋から三田の方に傾きだしたように思えるけど、どうだろう?
42〜44年頃の吉田正作品は、橋より三田の方に優れた作品が多い気がするんだけど・・・
97昔の名無しで出ています:2008/02/23(土) 16:34:33 ID:uvFYnjfp
「僕のそばには君がいる」は、「君たちがいて僕がいた」にタイトルが似ている。
98昔の名無しで出ています:2008/02/24(日) 00:31:19 ID:iNGPLnIJ
三田は橋のようにコブシがコロコロ回らないので股旅ものは不向きかもしれないけど、比較的軽快な「すっとび野郎」や「佐久の鯉太郎」の三田版は聞いてみたいと思う。意外と橋より粋でいなせになるかもしれない。
99昔の名無しで出ています:2008/02/27(水) 09:34:50 ID:UcmokyOa
三田の紅白初出場曲が「ごめんねチコちゃん」だったのが色々な面でまずかったと思うのは
私だけだろうか?
同じ年初出場の西郷輝彦「十七才のこの胸に」と比較しても幼稚さが全面に出てしまって
歌よりもルックス重点のかわい子ちゃん歌手のイメージを強烈に植え付けてしまった気がする。
逆に西郷は三田と同年齢ながら、大人びた雰囲気が目立ったし(年齢詐称云々と騒がれたね)
結局そういう点が、三田が出発点で御三家に遅れをとった原因のような気がする。
吉田正から見たら三田の歌唱は、橋に比べかなりの低評価だったのだろうか?
100昔の名無しで出ています:2008/02/27(水) 19:04:55 ID:1fKywGgA
三田のデビュー当時はあまり歌はうまくなく、「美しい十代」のレコーディング時にも吉田正は相当手を焼いたらしい。
デビューは西郷より三田の方が先輩なのに、三田が御三家からもれたのは、彼が久保浩や梶光夫、安達明などと同レベルの青春歌手のイメージがあったからだろう。
GSブームが来ると久保や梶らはすぐ売れなくなるが、三田は着実にヒット曲を重ねて行き御三家を追いかけるポジションに登り詰め、ついに「四天王」と玉置宏に言わしめるようになる。
101昔の名無しで出ています:2008/02/28(木) 15:16:55 ID:NfEbNsOA
同じビクターの久保浩は三田よりかなり地味で、青春歌謡の衰退と共に森進一系統の盛り場演歌路線に
流れて行ったね(昭和44年の「流転花」あたりは森をモロにパクリ)
ただ、昭和43年に出した「北国の渚」はGS歌謡の傑作と言っても過言ではないGSを意識した名曲で、
この曲を三田明が歌ったらまた違った味わいがあったと思う。
結局ビクターでは森進一系統の盛り場演歌路線が爆発ヒットして、橋幸夫ですら同様な路線の
「京都神戸銀座」を出しているけど、三田は結局演歌路線には流れなかったね。
102昔の名無しで出ています:2008/02/28(木) 15:58:08 ID:tnvM3086
歌謡祭で「また会う日まで」を歌ってたよ。
初めて聞いたわ。
103昔の名無しで出ています:2008/02/28(木) 19:27:03 ID:qrlpK4z3
青春歌謡の衰退と同時に森進一と青江三奈の「盛り場演歌」「ブルース演歌」が台頭、折りからのGSブームに飲み込まれることもなく森と青江はヒット曲を量産する。
三田もそれに乗ろうと「数寄屋橋ブルース」を発売、そこそこ売れるが、青春歌謡歌手のイメージを払拭することはできなかった。
104昔の名無しで出ています:2008/02/29(金) 09:08:33 ID:101FGbDL
ただ、「数寄屋橋ブルース」は盛り場演歌やブルース演歌の類というより、
フランク永井的都会派ムード歌謡(このジャンルもムードコーラスグループを除けばこの頃は青春歌謡以上に衰退)
の延長線上の曲だから、曲そのものに森や青江のようなバタ臭い演歌臭はしないよね。
三田の場合は、だいぶ後に出した「並木の雨」とか「ほおずきうそつき」あたりは
演歌のカテゴリーに入れても遜色はないだろうか?
105昔の名無しで出ています:2008/02/29(金) 18:19:10 ID:QDLbdwNQ
確かにフランク永井に代表される「都会派ムード歌謡」と、森進一らの「盛り場歌謡」は別物。三田明の「数寄屋橋ブルース」は吉田正作曲ということで前者に属すだろう。
吉田メロディーにはバタ臭い曲が極めて少ない。それが、吉田門下生のほとんどが昭和40年代に廃れてしまったゆえんでもあろう。40年代以降は、バタ臭い曲がもてはやされたからだ。
後年発売された「並木の雨」は演歌調ではあるが、三田がバタ臭くないので、聞いていても不思議と演歌っぽく感じない。
106昔の名無しで出ています:2008/03/01(土) 08:19:55 ID:AeIJI/n+
昭和40年代に入って廃れた歌謡ジャンルといえば、
「股旅物」と「マドロス物」が挙げられる(これらは30年代までは流行歌のテーマの王道だった)
三田に股旅物はないけど、「若い港」はマドロス物といえるかもしれない。
かなり青春歌謡風にアレンジされてるけど、なかなかいい出来だと思う。
その2年後に橋と吉永小百合のデュエットで出した「夢見る港」が
完璧に旧時代的な古くさい仕上がりになっているのに比較したら、
「若い港」はマドロス物最末期の洗練された名曲といえるかもしれない。
107昔の名無しで出ています:2008/03/02(日) 00:20:31 ID:kUNlAGd1
「若い港」は「月月火水木金金」によく似ている。「月月火水木金金」は艦隊勤務の曲で、軍歌にしては曲調が軽快でハツラツとしている。推測の域を出ないのだが、おそらく吉田正は「若い港」の曲のイメージを同じ船つながりの「月月火水木金金」から拝借したのかもしれない。
108昔の名無しで出ています:2008/03/02(日) 01:05:56 ID:fkRl8XSG
当時、ニートなんて概念は誰も持っていなかったろうね。
今、あれから四十年余が経ったわけだが。「若い港」は
マドロス物かな?航行練習生だ。「若い翼」もそうだね。
109昔の名無しで出ています:2008/03/02(日) 23:23:44 ID:kUNlAGd1
「若い港」は立派なマドロス物。この曲が発売された昭和39年はマドロス物ブームはすでに終わっており、あえて勝負に出た曲なのだろう。「若い翼」はマドロス物とは言えないが、「若い港」の続編と言える曲か。
「若い港」「若い翼」の間に発売された「高校騎兵隊」も忘れてはいけない佳曲だ。
110昔の名無しで出ています:2008/03/05(水) 17:45:01 ID:cq6A7ae8
「高校騎兵隊」を聴くと、明らかに舟木を意識した学園物だね。
その他に「友よ歌おう」「すばらしき級友」等々あるが、
その中でも「赤い夕陽」は内容的にあまりにも舟木の二番煎じ的な曲で印象が弱い。
学園物という範疇で考えるなら、舟木は別格にして
三田よりも舟木と同じくコロムビアの安達明の方が名曲揃いだと思う。
この頃の三田明は、まだ歌手としての個性や方向性が定まっていなかったのかもしれない。
「若い港」はそういう意味で色々模索しながら、敢えてテーマをマドロス調の青春物に
挑んだと思うんだが・・・・
111昔の名無しで出ています:2008/03/05(水) 19:43:56 ID:P4Lvztmv
当時、ビクターや吉田正サイドは橋幸夫の売り込みがまず第一で、三田はどうしても橋の後塵を拝せざるを得なかったのだろう。
「美しい十代」でデビューしたころは鳴り物入りで売り出したが、それ以降しばらくは方向性を見失い、ヒットの規模も小さくなっていた。「若い港」や「ごめんねチコちゃん」あたりはまさにその暗中模索の最中の曲と言えよう。
三田の方向性を決定付けた曲は「アイビー東京」だろうか。以降「恋人ジュリー」「夕子の涙」など“三田カラー”の名曲が続く。
112昔の名無しで出ています:2008/03/06(木) 09:32:43 ID:DWhG9xiT
本来なら、昭和39年の橋の「恋をするなら」から始まるリズム物は三田明が歌うべきで
あったと思うんだが・・・・・
そうすれば、三田明=リズム歌謡という個性が定着して、以後の三田の歌手活動もプラスに
影響したかもしれない(当然御三家は三田が入ることになる)
当時舟木や西郷の勢いに、少々押され気味だった橋が新機軸開拓の一環としてエレキブームに
乗ってリズム歌謡を打ち出して大成功したわけだけど、
三田のリズム物は、41年の「アイビー東京」まで1曲もないのはちょっと解せない。
リズム物は、少々歌唱力に問題があってもリズム感があれば簡単にこなせると思うんだが・・・・
113昔の名無しで出ています:2008/03/07(金) 21:32:14 ID:QQFe2wVv
デビュー曲「美しい十代」のインパクトがどうしても強くて、なかなか青春歌謡が脱却できなかったのだろう。「美しい十代」でデビューしなかったら、三田は青春歌謡にとらわれることはなかっただろう(売れたか売れなかったかは別にして)。
114昔の名無しで出ています:2008/03/08(土) 00:00:17 ID:7PudwzEn
こぶしがコロコロ回る橋のリズム物より、三田明の一連のリズム物
「アイビー東京」「恋のアメリアッチ」「タッチアンドゴー」「カリブの花」の方が
洗練されてて、リズムセンスも良くカッコいいよね。
115昔の名無しで出ています:2008/03/08(土) 12:50:42 ID:U+YMwWU4
「カリブの花」のB面「世界の街で恋をしよう」はなかなかの傑作だと思う。
世界各地をテーマにした壮大なご当地ソング的仕上がりで、アレンジも面白く
B面で埋もれてしまっているのはもったいない。
これをA面にしても「カリブの花」同様売れたと思う。
116昔の名無しで出ています:2008/03/09(日) 20:49:53 ID:0jifZi1V
三田の歌に限らず、B面にこそ名曲が多いものだ。せっかくの名曲もB面に追いやられたが故に埋もれてしまうのはもったいない。
それでも両面がヒットしたり、B面曲がA面に入れ替わったりするパターンもある。
三田の「恋人ジュリー/青山通り」や石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う/粋な別れ」は両面ヒットし、三田の「ごめんねチコちゃん」はB面曲だったが、A面(三田の曲ではない)をしのぐヒットとなり、三田はこの曲でNHK紅白歌合戦に初出場している。
117昔の名無しで出ています:2008/03/10(月) 11:07:09 ID:0R0sOMJy
「青山通り」はお洒落ないい曲だよね。これも吉田正の都会派ムード歌謡の範疇に入るのかな?
118昔の名無しで出ています:2008/03/10(月) 18:34:21 ID:liqRVQea
「青山通り」は都会派ムード歌謡と青春歌謡をうまく融合させた曲と言えるか。確かにおしゃれなメロディーだ。吉田メロディーは類似曲も多いが引き出しも多い。
119昔の名無しで出ています:2008/03/12(水) 10:28:52 ID:HAktRxK0
三田の「恋人ジュリー/青山通り」は両面とも名曲だけど、
同じ時期に発売された久保浩の「星空のミッシェル」も負けず劣らずいい曲だよ。
ともに吉田正作曲だけど、この頃の吉田の青春歌謡は哀愁味があって力作揃いだよね。
個人的には橋の「霧氷」より「恋人ジュリー」「星空のミッシェル」の方が好きだな。
120昔の名無しで出ています:2008/03/13(木) 08:30:30 ID:/3iZjUOq
三田明のレコード売り上げベスト3は、
「美しい十代」「恋人ジュリー」「夕子の涙」で問題はないのかな?
121昔の名無しで出ています:2008/03/13(木) 21:22:09 ID:MmCSx232
確かに昭和30年代後半から40年代の吉田作曲の青春歌謡は力作が多い。同時期に青春歌謡を数多く手掛けた遠藤実を意識していたからかもしれない。
122昔の名無しで出ています:2008/03/13(木) 21:27:52 ID:GCbNyBvM
>>120
1位は「美しい十代」でいいが、2位は「夕子の涙」だろう。3位が微妙で「アイビー東京」か「恋人ジュリー」あるいは「薔薇の涙」あたりかと思う。
三田全盛期にオリコンがないから正確なデータがない。ちなみに、オリコンデータの中での1位曲は「薔薇の涙」。
123昔の名無しで出ています:2008/03/14(金) 19:36:39 ID:ekNvwnlb
個人的には、「薔薇の涙」より「ナイトイン六本木」のイメージの方が強いな・・・・

それから「サロマ湖の空」は、「薔薇の涙」以上に売れてもおかしくなかったと
密かに思うんだけど、やはりインパクトが弱かったのかな?
124昔の名無しで出ています:2008/03/14(金) 21:15:53 ID:xABCEmIR
「サロマ湖の空」が発売された昭和44年から、三田の人気にかげりが見え始め、レコードセールスも落ち込んで行くが、辛くも紅白には出場できた。
翌年「涙と微笑み」「ふれあい」などが発売されるが思うように振るわず、ついに紅白落選の憂目を見る。それから実に40年近く、三田は紅白に出ていない。
125昔の名無しで出ています:2008/03/15(土) 08:32:38 ID:2AzGnEwl
昭和42年・夕子の涙
昭和43年・薔薇の涙
昭和44年・あなたの涙
・・・・・これはひょっとして「涙シリーズ」なのかな?ただ、曲調はそれぞれ全然違うんだけどね。
126昔の名無しで出ています:2008/03/15(土) 19:53:45 ID:Fu1gVYhH
「涙シリーズ」と意図してつくられたものではないみたいだが、たまたま「夕子の涙」が予想以上に売れたので、2匹目のドジョウというわけではないのだろうが、涙つながりで「薔薇の涙」「あなたの涙」がつくられたんだと思う。
面白いことに3曲とも作詞者が違う。「夕子の涙」は作曲した吉田正の作詞で、「薔薇の涙」は水島哲、「あなたの涙」はなかにし礼が作詞している。
127昔の名無しで出ています:2008/03/17(月) 09:47:09 ID:R1G8gSTq
「夕子の涙」の一つ前に発売された「恋人の泉/海の道」は両面とも隠れた名曲だよね。
128昔の名無しで出ています:2008/03/18(火) 23:11:45 ID:UUfd9jFj
「恋人の泉」は確かイントロが日野皓正のトランペットだったはず。ちなみに「惜別のワルツ」のジャケットの撮影カメラマンはかつて三田も絶賛した秋山庄太郎によるもの。当時の三田の期待度がうかがえる。
129昔の名無しで出ています:2008/03/19(水) 08:32:47 ID:KzzHCb8B
「惜別のワルツ」は曲調が三田のカラーに合ってなかったような気がするけどね個人的には。
むしろB面の「神秘な恋」の方が、恋人ジュリー的哀愁味があって好きだな。

ところで昭和40年の紅白では「若い翼」を歌ったことになってるけど、それで間違いないのかな?
130昔の名無しで出ています:2008/03/19(水) 19:30:30 ID:w7sjXg6H
紅白に関するあらゆる資料を見ても、三田明の昭和40年紅白歌唱曲は「若い翼」となっているから間違いないだろう。
以前、NHKアーカイブで昭和40年の紅白(カラー版)を視聴したが、一部の映像が欠落しており、三田の出番も見ることはできなかった。同年紅白の白黒版なら全編残っているが、残念ながらアーカイブでは公開されていない。
131昔の名無しで出ています:2008/03/20(木) 12:02:03 ID:8uFasTko
>>130
モノクロ版は平成元年にBSで放送されたのみで、私はそれを(親戚に頼んで)録画してある。
観てみたら、三田はパイロット姿で歌っており、出だしの英語セリフにはじまり、テンポ速めでフルコーラス歌っていた。
余談だが、三田が歌い終わると、スッチー姿のペギー葉山・西田佐知子が現れ、
「皆さま、乗り物酔いしませんでしたでしょうか。気分が悪い時にはこれを」と、客席にキャンディーを配っていた。
132昔の名無しで出ています:2008/03/21(金) 16:40:28 ID:r3UEz6pc
>>131
それは見てみたいものですね。今現在、NHKアーカイブ公開施設で三田の紅白出場の勇姿を拝見できるのは、昭和41年「恋人ジュリー」、昭和43年「薔薇の涙」、昭和44年「サロマ湖の空」の3本しかない。
133昔の名無しで出ています:2008/03/22(土) 17:27:22 ID:S5x7A1OL
布施明は昭和49年に「積木の部屋」をヒットさせてるけど、
三田明も翌昭和50年に「孤独の部屋」というレコードを出している。
さすがにこの頃の曲になると、曲を聴いてもヒットの要素が乏しいのがよく分かるが
その中でも翌昭和51年に出した「さよならの向こうで」は名曲だと思う。
たしかこの曲はどこかのムードコーラスグループも後にレコード化したと思ったが・・・
134昔の名無しで出ています:2008/03/22(土) 19:50:31 ID:u4wVnqOg
「さよならの向こうで」はロス・インディオスもレコード化している。
昭和50年代、すでに三田はヒット歌手としての地位はなく、主にものまね番組に出演、橋幸夫や森進一などのものまねを披露している。
三田のものまねはレパートリーが広い上にものまねする本人によく似ており、当時の「ものまね四天王」の一翼を担うことになる(ちなみに他の3人は五木ひろし、ちあきなおみ、森昌子)。
そんな中でも、三田はコンスタントにシングル盤をリリースしていた。
135昔の名無しで出ています:2008/03/24(月) 21:08:06 ID:gWA56Jum
「真珠の恋人」「ブルーシャンペン」など未CD化(現在吉田正記念音楽館で聴けることができる)の歌がCD化されるのは果たしていつだろうか?
136昔の名無しで出ています:2008/03/25(火) 13:46:59 ID:YsINBuNW
歌手生活○○年記念ベストアルバムとかが出ないとまずCD化は無理そうだよね。
レコードプレーヤー持ってるなら、中古店でシングルレコード探すのが手っ取り早いけどね。
「真珠の恋人」「ブルーシャンペン」などはまだ三田が全盛の頃の曲だから、可能性はある
だろうけど、昭和45年あたり以降の曲を聴きたいとなればもうレコードを探すしか手はないのでは
なかろうか。三田のシングルは以外に安価で手に入るしね。
(以前、東京の某中古レコード店で三田明のリサイタル実況LPがおいてあったけど、
 1万円に届く価格にさすがに手が出なかったことがあったけどね)
「ブルーシャンペン」のシングルは中古店でもあまり見る機会はないけど、
たまに見つけても値段はせいぜい1000円前後だから入手はしやすいかもね。
また、シングルレコードは音を聴くだけではなく、ジャケットそのものも価値あるからね。
137昔の名無しで出ています:2008/03/26(水) 10:00:07 ID:dXyaybnr
昭和45年以降になると、
「振り返ってみたけれど」「よけりゃ死ぬまでついてこい」「運命と云うのはたやすいが」など
ダラダラ長いタイトルの曲が出てくるよね。
138昔の名無しで出ています:2008/03/26(水) 19:27:17 ID:VRXzj3ZU
「寄り道来た道帰り道」なんてのもあったね。タイトルを長くすることでインパクトを出したかったのだろう。
あるいは、全盛時の「みんな名もなく貧しいけれど」「僕のそばには君がいる」「泣かせてごめんネ」などにあやかって長くしたのかもしれない。
139昔の名無しで出ています:2008/03/27(木) 12:02:00 ID:Qt4uhkxw
「すばらしき級友」の級友の読み方は、
「きゅうゆう」ではなく「クラスメート」と読むのかな?
歌の最後の部分で、♪すばらしきクラースメートよーー♪・・・と歌ってるから
曲のタイトルもそんな感じがするんだけど・・・
140昔の名無しで出ています:2008/03/27(木) 20:31:45 ID:Jh3n9Xfl
タイトルは「きゅうゆう」で、歌詞は「クラスメート」と読ませる可能性もあるね。
141昔の名無しで出ています:2008/03/28(金) 18:04:38 ID:oWlBSso5
デビュー曲の「美しい十代」「みんな名もなく貧しいけれど」はレコードジャケットが
カラー刷りだったけど(同時期デビューの梶や安達、さらに翌年デビューの西郷ですら2色刷りのモノトーン)
この「すばらしき級友」や「友よ歌おう」では西郷らと同じ2色刷りになっちゃったよね。
それから再びカラーのジャケットに戻るのは「泣かせてごめんね」あたりからだと思うけど。
142昔の名無しで出ています:2008/03/28(金) 21:26:00 ID:/Ptgw+jv
「美しい十代」が発売された(昭和38年10月)同時、レコードジャケットはまだ白黒か2色刷がほとんど。同じビクターの看板歌手・橋幸夫ですら、その当時はまだ白黒ジャケットだった。
いかに三田への期待度が破格だったかが伺える。美少年はカラーだから映えるもの。
143昔の名無しで出ています:2008/03/29(土) 14:14:48 ID:IQFIiQ2d
ひょっとしたら、昭和39年11月に発売された「美しいあした」は、
デビュー1周年を記念して出された「美しい十代」の続編かもしれないよ。
144昔の名無しで出ています:2008/03/31(月) 09:19:00 ID:K1pwVE7x
「薔薇の涙」のレコードジャケットのデザインは2パターンあるのは知ってたけど、
「ナイトイン六本木」にも2種類あるらしい。
三田明には、知る限りでは別ジャケのある曲はこの2曲だけだと思うが・・・
145昔の名無しで出ています:2008/03/31(月) 16:00:31 ID:WMUs84S+i
Α面「ブルーシャンペン」もΒ面と(曲名は忘れたが)2枚ジャケットだと思ったが‥
うろ覚えなので間違っていたら失礼。
146昔の名無しで出ています:2008/03/31(月) 17:20:23 ID:K1pwVE7x
あ、それはWジャケのことだよね。
昭和41〜43年頃のシングルはA面B面別々のジャケットが二つ折りで入ってたんだよね。
「ブルーシャンペン」「カリブの花」「恋のアメリアッチ」あたりがそうだよね。
あと、「恋人ジュリー」「恋人の泉」あたりは一枚物の写真を二つ折りで横長見開きだよね。

「薔薇の涙」に関してはジャケットは1枚ペラ物だけど、全く違うデザインの物が存在するんだよね。
(薔薇の鎖の囲みの中に三田がいる構図のデザインと、グレー地のバックの右側に薔薇の
イラストがあって三田が左側から右方向へ横を向いたショットの2種類)
147昔の名無しで出ています:2008/03/31(月) 20:14:31 ID:WMUs84S+
>>145だけど情報有難う。
そうなんだよね。
あの頃のジャケットって2枚折りが流行りで買って帰宅して開けるのが楽しみだった。
148昔の名無しで出ています:2008/04/01(火) 12:47:41 ID:xnMh4Q+1
「真珠の恋人」のB面の「夜霧の36階」は、日本初の高層ビルの霞ヶ関ビルを歌ったものだけど、
今聴くと時代の流れを感じるよね。
149昔の名無しで出ています:2008/04/02(水) 21:01:57 ID:7doUxKNF
二つ折りのレコードジャケットは、昭和42、3年頃のビクター版に多い。わが家にある古いレコードの森進一「盛り場ブルース」「命かれても」「女の岬」、青江三奈「伊勢佐木町ブルース」も2つ折りジャケット。
その翌年あたりの青江三奈「長崎ブルース」「池袋の夜」、森進一「港町ブルース」「年上の女」あたりは1枚ジャケットに戻ってしまい、なぜか損失感を覚えた記憶がある。
150昔の名無しで出ています:2008/04/02(水) 23:18:29 ID:38UGtkbK
A面とB面がセットになったWジャケットのほかに、二つ折りで歌手の全身を収めた縦型のジャケットもあったよね。
ビクターでは橋幸夫が「夜は恋する」「恋のメキシカンロック」「佐久の鯉太郎」「思い出のカテリーナ」と
結構多いんだけど、三田の場合は「また逢う日まで」のみだね。
あとWジャケは、ビクターはたしかに昭和44年に入るとほとんどなくなるけど、
コロムビアは昭和45年初頭ころまであったと思う。
ちなみに四天王のWジャケ最後のレコードは、
三田が「初恋こいさん」、橋が「荒野のまごころ」、舟木が「再会」、西郷が「掠奪」

151昔の名無しで出ています:2008/04/03(木) 00:42:34 ID:SaX3DQL/
俗に「両Α面」なんていってた。(笑)
152昔の名無しで出ています:2008/04/03(木) 10:43:28 ID:XE39VF6a
その「両Α面」曲は、実際のところ歌番組なんかでは同等の扱いで歌っていたのだろうか?
たとえば「恋人ジュリー/青山通り」は、こっちの歌番組では恋人ジュリーを歌い、
あっちの歌番組では青山通りを歌い、とちゃんと等しく歌い分けていたとか・・・・
153昔の名無しで出ています:2008/04/04(金) 14:12:34 ID:j984eLv+
歌手生活10周年記念で発売された「赤毛のおんな」は、ジャズっぽい曲調で
フランク永井あたりが歌ってもいい味が出そうな名曲だよね。
吉田正も相当力を入れて作った曲ではないのかな。
ところでこの曲は、三田自身が後年再リリースしてるよね?
154昔の名無しで出ています:2008/04/05(土) 14:13:37 ID:9vwGAUNc
「来た道寄り道帰り道」のB面「夜行列車」もいい曲だよ。
155昔の名無しで出ています:2008/04/07(月) 11:41:20 ID:ubzN9Y7B
♪白い野バラを捧げる君に〜(昭和38年・美しい十代・三田 明)
♪白い野バラの花のように〜(昭和34年・ 恋 人 ・三浦洸一)

ともに、作詞佐伯孝夫 / 作曲吉田正だけど、出だしが似ている。
156昔の名無しで出ています:2008/04/07(月) 21:56:03 ID:KLYLs8Ug
>>155
美しい十代は宮川哲夫作詞
157昔の名無しで出ています:2008/04/08(火) 17:01:38 ID:C/jsCtJ8
なぜ三田明のデビュー曲をビクターの大御所佐伯孝夫が書かなかったのかな?
158昔の名無しで出ています:2008/04/08(火) 22:39:59 ID:RtL/G3+y
>>157
三田の佐伯作品は皆無ではなく「数寄屋橋ブルース」などはあることはある。でも同じ吉田門下の橋幸夫、フランク永井らに比べたら圧倒的に少ない。
それはなぜか。あくまで推測の域を出ないのだが、佐伯が三田の歌手としての力量を認めていなかったのかなと思う。あるいは三田の所属事務所の関係かもしれない。
159昔の名無しで出ています:2008/04/09(水) 15:44:04 ID:Na9/akUW
レコード会社側にも、橋幸夫とまったく作家が同じだとまずいという配慮もあったんじゃないかな?
昭和39〜40年に三田にリズム物が一曲もなくて、むしろ舟木路線的な曲が多いのも
橋と三田の方向性が完全に重複するのを避けた結果のように思えるけど、どうだろう?
160昔の名無しで出ています:2008/04/09(水) 21:55:20 ID:AQ2hwADG
それはあるかも。同じ門下だから、ある程度住み分けが必要だったんだろう。
過日、川内康範氏が亡くなったが、三田の川内作品は「高校騎兵隊」「ブルーシャンペン」がある。
161昔の名無しで出ています:2008/04/09(水) 22:31:24 ID:???
美少年は美中年になりえずキモイ姿をさらすようになってしまった。
これでやっぱり美容整形の怖さと言うものを知った。
162昔の名無しで出ています:2008/04/10(木) 16:49:28 ID:k8rtQ8yR
「高校騎兵隊」を聴いてると、何となく「君たちがいて僕がいた」の曲のイメージとダブってしまう。
163昔の名無しで出ています:2008/04/10(木) 22:05:15 ID:xBK0+bsy
「高校騎兵隊」と「君たちがいて僕がいた」はどちらも軍歌調っぽい感じで、雰囲気が似ている。歌詞の内容は全然違うが。
「高校騎兵隊」なんてのはいかにも極右の川内らしい作品だ。
164昔の名無しで出ています:2008/04/11(金) 17:14:02 ID:QkzNBwxM
川内康範は、橋幸夫に機動隊を賛美する「この世を花にするために」という曲を書いているが
橋は機動隊で、三田は騎兵隊とはすごいですね。
しかも「高校騎兵隊」の歌詞の中で、♪赤い血潮で染め抜いた〜〜 というフレーズは、
とても戦後20年も経た後の流行歌の歌詞とは思えない鋭さがあって驚くよ。
165三田さん大好き:2008/04/11(金) 21:47:40 ID:SLsxn0hq
お邪魔します。
あなたは三田さんのファンですか?
だったら161のようなことは書かないですよね。
悲しいです。
166昔の名無しで出ています:2008/04/11(金) 21:51:44 ID:zEuAXTaD
川内康範は過激派と言っても過言ではない。だから森進一を死ぬまで徹底的に許さなかった。
見たは「高校騎兵隊」の歌詞を♪僕らは中年騎兵隊〜などと勝手に変えて歌わなくてよかった。
167昔の名無しで出ています:2008/04/12(土) 09:33:58 ID:9qw1wR4t
その川内が、森進一の「花と蝶」や水原弘の「君こそわが命」を書いているというのも
意外だけど、三田の「ブルーシャンペン」を書いてるのはもっと意外に感じる。
カタカナ横文字タイトルの曲をよく書いたもんだよね。
この曲がもし軽薄でアッケラカ〜ンとしたリズム物だったら、絶対許さなかったかもね。
168昔の名無しで出ています:2008/04/14(月) 09:09:40 ID:iGHXVk7g
「明日は咲こう花咲こう」は吉永小百合主演の日活映画の主題歌だけど、
三田明自身も、歌手三田明の本人役で出演してるね。
169昔の名無しで出ています:2008/04/14(月) 20:06:21 ID:r4QBrl9e
歌とのタイアップだが、三田明出演の映画は何本かある。その中に三田主演の映画もある。
170昔の名無しで出ています:2008/04/15(火) 11:46:30 ID:BDVqo9cz
たしかデビュー曲の「美しい十代」も昭和39年に映画化されてるんじゃなかったかな?

その他、「近代映画」四天王特集号(昭和43年末・刊)の記事によると、
三田主演の「街に泉があった」正月封切り云々とある。
あと、「恋人ジュリー」もたしか映画化されたと思うけど、曖昧で分からない。
171昔の名無しで出ています:2008/04/16(水) 16:44:06 ID:ZTAX26yl
三田明の時代物を調べてみると
「安寿と厨子王」「燃ゆる白虎隊」「牛若丸」の3枚しか無さそうなんだけど、
橋・舟木から比べたらかなり時代物は少ないよね。
やはり時代物は三田のカラーに合わなかったのかな?
ただ、西郷輝彦はもっと少なそうで「青年おはら節」くらいしか思い浮かばない。
172昔の名無しで出ています:2008/04/18(金) 09:37:28 ID:rK/L7zAM
「大阪ろまん」「大阪ぐらし」はフランク永井の名曲だけど、三田にも「大阪ナイト」という曲があって混同しやすい。
173昔の名無しで出ています:2008/04/20(日) 18:58:44 ID:hCZFfeAg
吉田正の大阪モノは結構あるね。三浦洸一の「大阪な人」も忘れてはいけない。
174昔の名無しで出ています:2008/04/20(日) 21:03:30 ID:sxR/8y8t
>>172
「大阪ろまん」は吉田先生であってるけど、「大阪ぐらし」は大野正雄作曲。

三田の大阪ものは他に吉永小百合とのデュエット「若い二人の心斎橋」がある。
175昔の名無しで出ています:2008/04/21(月) 11:35:35 ID:2TdEKJ98
>>173 
三田明版「大阪の人」聴いてみたいね。
三田の場合は、フランク永井の低音よりは三浦洸一の高音の方がカバーしやすいんじゃないかな?
176昔の名無しで出ています:2008/04/21(月) 19:15:10 ID:iE8Rhgqj
三田は音域が狭く、特に低音が弱いから、高音の方がカバーしやすいかもしれない。
177昔の名無しで出ています:2008/04/22(火) 17:21:14 ID:k/84RIj4
三田明が「弁天小僧」を歌ったら、結構軽いタッチでノリのいい仕上がりになりそうな感じがする。
三田が、三浦洸一の曲をカバーしたアルバムを出したら絶対に買うんだがなあ。
178昔の名無しで出ています:2008/04/22(火) 23:04:57 ID:43D8EShG
三田の「弁天小僧」聴いてみたいですな。意外と合うかもしれない。音域もそんなに広くないし。
ただ、三田の三浦洸一カバーアルバムは厳しいかも。「落葉しぐれ」「東京の人」「踊子」などは音域が割と広いので、三田は相当苦戦するだろう。
179昔の名無しで出ています:2008/04/23(水) 17:08:48 ID:htWG508d
もし三田に、吉田門下の先輩のカバーアルバムが出るとするなら、
ジャズ歌手出身のフランク永井や、音楽学校でクラシックを勉強した三浦洸一の技術の域に
三田がどれだけ自分の個性で迫れるか・・・というのが聴きどころだろうね。
自分流に消化して、先輩とは違った味が出せれば成功だと思うが。
180昔の名無しで出ています:2008/04/24(木) 17:05:53 ID:K4tRpfqf
昭和39年の紅白出場曲は「ごめんねチコちゃん」だけど、
この年は「高校騎兵隊」や「若い港」より「ごめんねチコちゃん」の方が売れたのだろうか?
181昔の名無しで出ています:2008/04/24(木) 18:01:04 ID:X0Wykp3V
紅白の出場曲の選考って何が基準かいまいちよく分からない。必ずしもその歌手にとってその年一番ヒットした曲が歌われるとは限らない。
「ごめんねチコちゃん」が紅白で歌われたのは、「高校騎兵隊」や「若い港」よりも曲のインパクトがあったからなのかな。
182昔の名無しで出ています:2008/04/25(金) 15:23:55 ID:pUqyUARF
昭和41年の紅白出場曲「恋人ジュリー」
昭和42年の紅白出場曲「夕子の涙」
昭和43年の紅白出場曲「薔薇の涙」
・・・・ここらへんの選曲はまあ順当だよね。ただ、妄想すれば
昭和41年の紅白出場曲「アイビー東京」(橋が霧氷だったから、三田でリズム歌謡を)
昭和42年の紅白出場曲「カリブの花」(2年連続吉田正のリズム歌謡で)
昭和43年の紅白出場曲「数寄屋橋ブルース」(吉田正の都会派ムード歌謡最末期の作品を)
・・・・ここら辺の曲も紅白で聴いてみたかったね。

183昔の名無しで出ています:2008/04/25(金) 18:52:10 ID:pP1xNN71
昭和43年紅白で「数寄屋橋ブルース」はぜひ紅白で聴いてみたかったね。
ただこの年、三田は白組トップバッターで、都はるみ「好きになった人」と対決した。紅組先攻だったので「好きになった人」のあとに「数寄屋橋ブルース」は地味かもしれない(選曲によって順番が変わるかもしれないが)
184昔の名無しで出ています:2008/04/26(土) 09:11:30 ID:dHUdJvfT
しかし都はるみと三田明の対決とは何度考えても凄いね。
唸り節演歌vs青春歌謡という、一見して妙な対決もまあ面白そうといえば面白そうだけど好みが分かれるだろうねえ。

「数寄屋橋ブルース」はフランク永井が歌っても、独特の低音が生きて素晴らしかったと思うけど、
逆に「西銀座駅前」の軽妙な都会的ムードを三田が歌ったら面白そうな感じがする。
次の新曲にこの曲のカバーなんてどうかな?

185昔の名無しで出ています:2008/04/26(土) 23:37:31 ID:???
美しい10代がみっともない60代にたどり着くまでの変遷には興味が湧きますねぇ。
やっぱりあの美容整形がことの始まりだったんでしょうか?

二重まぶたの手術に失敗しなければ、結構シブイ小柄なおやじになってたかも・・・・・・
歌唱力もデビュー当時を消し去るほど上達したんだし。
186昔の名無しで出ています:2008/04/27(日) 16:40:48 ID:aNkIdCCU
「西銀座駅前」のカバーは、一番三田にあってるかも。ただ出だしの♪ABC XYZ〜の低音がポイントだから、そこを三田がいかにうまく表現できるかどうか。
187昔の名無しで出ています:2008/04/28(月) 11:56:09 ID:zX1pnTdl
三田明の「赤毛のおんな」は完全なジャズだよね。
吉田正もよくあれだけのジャズ仕立ての曲を三田に書いたもんだと感心するけど、
この曲をじっくり聴いてみると、実際かなり難しそうな曲だよね。
こういった吉田正のセンスある曲を十分こなせれば、フランク永井のカバーも期待できるよ。
188昔の名無しで出ています:2008/04/28(月) 23:39:47 ID:j1D2AnTV
「赤毛のおんな」は、三田が吉田正に「大人のムードのある曲が歌いたいです」と懇願、吉田は「こういう曲は三田くんにはまだ早い」と言いながらも書き上げた曲で、三田のデビュー10周年記念曲としてリリースされたが、残念ながらあまりヒットしなかったようだ。
吉田が「まだ早い」と言っていた通り、レコードを聴くと三田はこの曲をあまりうまく歌いこなせていない。平成に入ってから三田はこの曲をセルフカバーしたが、そちらの方が格段にうまい。
189昔の名無しで出ています:2008/04/30(水) 21:38:05 ID:YtYJfkN6
「赤毛のおんな」の作詞は千家和也だと思ったけど、三田には珍しい作家を起用したもんだね。
ただ、この頃の三田は吉田正以外に結構いろいろな作家の作品に取り組んでるね。
190昔の名無しで出ています:2008/04/30(水) 22:30:15 ID:rAZU6ojM
「赤毛のおんな」の作詞は、三善英史の「雨」や殿さまキングスの「なみだの操」などを手掛けた千家和也で間違いない。
三田の曲は昭和44年頃までは100%吉田正作品と言っても過言ではなかったが、翌45年あたりからようやく吉田以外のメロディーを歌うことになった。しかしヒットには結びつかなかった。
話は変わるが、昨4月29日、三田は茨城県日立市の吉田正音楽記念館の開館記念コンサートに出演、そこでフランク永井の「有楽町で逢いましょう」「西銀座駅前」「公園の手品師」を披露したが、意外に合っていて驚いた。
191昔の名無しで出ています:2008/05/01(木) 10:58:53 ID:hXhBWM9C
三田明と橋幸夫を比較した場合、橋より三田の声質の方が柔らかい感じがする。
当然、橋より三田の方がフランク永井の曲に合うと思う。
ただ、フランク永井独特の低音を生かした音域を三田が完全に模倣するのは無理があるだろうから、
三田は三田なりの歌唱でカバーすれば、いい感じになるのもうなずける。
逆に橋の場合は、三浦洸一の朗々たる高音をいかした「青年の樹」あたりのカバーを聴いてみたい。
192昔の名無しで出ています:2008/05/02(金) 17:09:48 ID:klTIF1rx
三田明はデビュー当初は、舟木みたいに詰め襟でステージに立ったことはあるのだろうか。
舟木と違い、三田の場合は紛れもなくデビュー時は高校生だったわけだし。
193昔の名無しで出ています:2008/05/04(日) 19:00:05 ID:EsgeKtY9
三田は、高校卒業するまでは詰襟の学生服でステージに立っていた。
194昔の名無しで出ています:2008/05/07(水) 15:18:11 ID:nEcg7Q6F
現役高校生歌手三田明を考えた場合、ビクターよりコロムビアの方がツボにはまった
学園ソングを大量にリリースできたかもしれない(安達明の学園物が三田に合いそうな感じ)

学園物からリズム物に転換していく過程においても、ビクターでは橋幸夫の存在があったのに対し
コロムビアにはリズム歌謡の歌い手が見当たらなかったので(舟木のリズム物は少々無理がある)
三田明がコロムビアでリズム歌謡の一線歌手として、ビクターの橋と対抗させた方が面白かったかもよ。
ただ、そうなると吉田正のリズム歌謡ではなく船村徹あたりの曲を歌うハメになるだろうけど、
三田明が歌う「太陽にヤァ!」なんてのは、相当面白いんじゃないかな。

まあ、単なる妄想だけどね。
195昔の名無しで出ています:2008/05/07(水) 19:31:36 ID:50yjFHM4
橋幸夫が遠藤実門下の頃にコロムビアのオーディションを受けたが「歌がまだ未完成」との理由で落とされている。橋ですら「未完成」と言うコロムビアに、果たして三田明がコロムビアに入れる余地があっただろうか。
万一三田が作曲家陣の層が厚いコロムビアに入ったとしたら、主だった作曲家が吉田正しかいないビクターよりはバラエティーに富んだ楽曲に巡り合えただろう。
196昔の名無しで出ています:2008/05/09(金) 19:17:00 ID:HvlHJF5y
三田の場合、あと1年くらいレッスンを積んで基礎がしっかりした段階でデビューしても
よかったのではないかという気がする。
舟木の出現にあせったビクターが、歌の基礎もしっかりしていない段階の三田をあわてて
対抗馬としてデビューさせたのは三田にとって不幸だったのかもしれない。
昭和41年頃の曲から三田の歌唱力が安定してきて、レコードを聴いてもデビュー当時との
違いがよくわかるのでなおさらそう思う。
ビクターでは当時、歌手の力量よりまずレコードを売ることのみを優先して、
三田のような「秋山庄太郎も絶賛する美少年」や吉永小百合のような「人気映画女優」など
歌より別のアピールポイントで無理にプッシュしたのだろうか?
(三田も吉永も、デビュー当時のレコードを聴くと歌唱力が不安定この上ない)
そうだとすれば、三田あたりが「歌よりルックス重視」のアイドルの起源になりそうだけど・・・・・・

197昔の名無しで出ています:2008/05/11(日) 15:23:34 ID:dniwq724
三田さんが昔、懐メロや演歌、女性のヒットソングのカバーLPを
出していたのはご存知ですか?歌唱力に唸りました。
知らない人は絶対聴いてほしいです。
それと、最近では「しあわせの法則」、久しぶりに歌で泣きました。
ほんとに上手いですよ。
198昔の名無しで出ています:2008/05/11(日) 17:11:55 ID:dniwq724
古いレスですみません。
五月のバラ…競作でしたが、レコードが出ています。
私は三田さんのが一番好きだな。
「西銀座駅前」始め、フランクさんの歌はいろいろと
ステージで歌ってますね。
昔、ものまねでもやってたことがあるけど
よく合ってると思います。
歌唱力がなければ歌えない歌ですから、やっぱり努力で築き上げたものは
本物ですね。身近に西郷さんのファンがいるんですが、
彼女が、自分の好きな西郷さんでもやっぱり歌唱力で三田さんに負けてる
と言っていました。
風貌が変わろうとやっぱり三田さんが好きでついてくるファンが多いのは
いいのは、人柄です。
全盛期からですがファン一人ひとりを大事にする姿勢、変わっていません。
そのあたたかさが、歌に出てるのかなと最近では思っています。
199昔の名無しで出ています:2008/05/11(日) 18:26:25 ID:gUBy8RrK
デビュー当時は歌が下手だと言われていたが、今はのどをダメにした西郷輝彦よりも圧倒的にうまい。
またデビュー当時とキーが変わらず、現在「高校三年生」のキーを下げて歌っている舟木一夫よりも喉は維持している。
200昔の名無しで出ています:2008/05/12(月) 11:35:09 ID:BtVPqXiV
橋幸夫がフランク永井の曲を歌ってるのは見たことがないが、
三田明は、フランク永井の曲を好んで歌っているようだね。

ビクターの吉田門下歌手を系統的に分けると、
三浦洸一  →橋幸夫
フランク永井→三田明
・・・のような感じになるだろうか?
201昔の名無しで出ています:2008/05/12(月) 19:55:21 ID:UXHNx8zY
橋幸夫が三浦洸一の系統と言えるかどうか微妙だが、曲目だけを見ればそう言えなくもない(「弁天小僧」と「お嬢吉三」、「初恋〜たけくらべより〜」と「舞妓はん」)。
三田明とフランク永井の類似点は、2人ともド演歌調の曲が少ないことぐらいか。
202昔の名無しで出ています:2008/05/13(火) 09:28:29 ID:jsQvl9/L
三浦洸一の「落ち葉しぐれ」や橋幸夫の「潮来笠」は、吉田正の手によるド演歌ヒット曲と言えるが、
フランク永井、三田明にこの手の曲が見当たらない。
三浦洸一も橋幸夫も、30年代にブームだった股旅モノや時代物を相当数歌っているが、
同じ吉田門下にありながらフランク永井にも三田明にもその手の曲がほとんど無いというのは、
三浦・橋と、フランク・三田の個性の違いとは言えまいか。
フランクの「おまえに」あたりは演歌のカテゴリーに入るだろうが、フランクの声で
歌われると演歌に聞こえないし、それは三田明の「数寄屋橋ブルース」にも言えるが、
橋幸夫はリズム物ですら演歌に聞こえてしまう。


203昔の名無しで出ています:2008/05/15(木) 17:10:57 ID:lwrjpdxQ
>>198
三田明の「五月のバラ」シングルレコード持ってるよ。赤い色のジャケットだよね。
曲はいいだけに、ヒットしてもよかったと思うけど、ビクターではあまり力を入れて
プッシュしなかったのかな?
当時ラジオではこの曲聴いたけど、テレビで歌ってるのは見たことがなかったからね。
204昔の名無しで出ています:2008/05/15(木) 20:17:17 ID:mNDhBc1F
>>203
「五月のバラ」をリリースした当時の三田は歌手としては落ち目の状態だったので、いくらビクターがプッシュしたとしてもヒットは厳しいだろう。それに「五月のバラ」は競作だから、三田にとっては凶作となってしまった。
205昔の名無しで出ています:2008/05/16(金) 03:08:33 ID:pzAfA19K
>>203
>>204

確かにビクターがプッシュしてくれなかったんでしょうが
結構当時のテレビで歌っていましたよ。
ファン以外でも、三田明の「五月のバラ」がいいと評判がよかったのを
覚えていますから…
勿論、今でもファンの集いではこの曲をリクエストしてくる人は多いですしね。
206昔の名無しで出ています:2008/05/16(金) 04:45:50 ID:rd49YRHc
>>202
「落葉しぐれ」をド演歌というなら、フランクの「大阪ぐらし」も堂々のド演歌だと思う。
フランクは都会派歌謡の旗手というべき存在だったから、股旅物とは無縁なのも当然。

またカテゴリーの区分に関しては、ムード歌謡、というのを使うと便利だと思う。
207昔の名無しで出ています:2008/05/16(金) 16:09:01 ID:6AvdTFzH
吉田門下で「ムード歌謡」というカテゴリーで分けると、当然フランク永井、松尾和子、マヒナに集約されるよね。
三浦洸一「東京の人」三田明「数寄屋橋ブルース」橋幸夫「京都神戸銀座」は、
曲はムード歌謡だけど、歌手はムード歌謡歌手では無いからね。

ところで、三田明の「ナイトイン六本木」は、「数寄屋橋ブルース」に続く都会派ムード歌謡の第二弾かと思いきや、
曲を聴くとムード歌謡とエレキ歌謡とリズム歌謡と一人GS歌謡を足して4で割ったような、
どのジャンルにもドップリ入らない、それぞれの中間に位置するような曲だよね。
208昔の名無しで出ています:2008/05/16(金) 22:30:32 ID:f4MMu2rj
「ナイトイン六本木」は曲だけをみれば「アイビー東京」や「夕子の涙」の流れをくむ曲だろう。
作詞は「ブルーライトヨコハマ」の橋本淳。「ナイトイン六本木」も「ブルーライトヨコハマ」も、タイトル構成が何か似ている。
209昔の名無しで出ています:2008/05/19(月) 07:38:33 ID:???
恋人沢田研二
210昔の名無しで出ています:2008/05/19(月) 16:58:53 ID:BwcOXy3T
「ナイトイン六本木」の出だしの、
   ♪あなたを一日待ちました〜夜がゆれてる六本木〜〜
    ヘッドライトに照らされた〜あなたの長い黒髪を〜〜
・・・というフレーズから受ける印象は、どうもムード歌謡の世界だよね。

橋本淳は、GSに曲を量産している一方で、橋幸夫の「京都神戸銀座」とか、
ロスプリモスの「ヘッドライト」とかムード歌謡や演歌っぽい作品もだいぶ書いているね。
211昔の名無しで出ています:2008/05/20(火) 15:08:53 ID:uhM6Xz4o
「ナイトイン六本木」のサビの、
♪ルルルルル〜ルルルル〜ル〜〜〜という意味不明のハミングは、リズム歌謡お得意のパターンで、
最後に、♪ろぉっぽぉんぎ〜〜〜と熱唱して閉めるところは演歌的だし、
一曲で色々な味を楽しめる非常に楽しい曲だよね。
212昔の名無しで出ています:2008/05/20(火) 22:39:23 ID:tsz2lNje
↑作曲家(吉田正)の癖なんだろうが、いくらひとりGSっぽく作っても、どうしても要所要所に演歌っぽい箇所が出てしまう。いい曲には変わりはないんだけど。
213昔の名無しで出ています:2008/05/21(水) 15:40:34 ID:HcTHcQbl
「サロマ湖の空」の出だしなんかも、演歌色が強いよね。
この曲を同じビクターの森進一が歌ったらドツボにはまった演歌になるだろうけど、
三田明は演歌的唱法じゃないから、青春歌謡の範疇にいれても違和感は感じない。
ところで吉田正は、森進一には一曲も書いていないのだろうか?
214昔の名無しで出ています:2008/05/21(水) 18:48:30 ID:Im08gJze
吉田正は、森進一には1曲も書いていない。事務所やプロデューサーの関係があったのだろう。だが、吉田作品のカバーアルバムはある。繊細な吉田メロディーを見事なまでに壊しまくった絶唱である。
ちなみに森と三田は同い年。森のものまねの常套句「こんばんは、森進一です」を初めて使ったのは三田だという。
215昔の名無しで出ています:2008/05/22(木) 16:28:54 ID:XHr9CgxN
三田明の「ごめんねチコちゃん」と森進一の「女のためいき」を聴き比べると
とても同年齢の歌手とは思えない(この2曲は時間的にたった2年の隔たりしかない)
三田明の「ごめんねチコちゃん」はあまりに幼稚すぎるし、
(同年齢で橋は「潮来笠」西郷は「十七才のこの胸に」を歌ってるのと比較すると歴然)
森進一の「女のためいき」は、逆に19才の青年歌手が歌う内容の歌ではないような気がする。
216昔の名無しで出ています:2008/05/22(木) 21:07:31 ID:FLep4xCh
そもそも三田明と森進一は生い立ちが違うし、それにより歌手としての個性も分かれたのだろう。
三田は高校在学中に「美しい十代」でデビューし、一般世間を知らないままスターになった。
対して森はデビュー前にさまざまな仕事を経験し、10代にして酸いも甘いもかぎわけ、この世の裏の裏を嫌と言うほど見て来た。そんな森だからこそ、あの若さで「女のためいき」をふり絞って歌いこなすことができた。
217昔の名無しで出ています:2008/05/22(木) 21:18:57 ID:8Xp3Z2bK
「三田明大全集」たる豪華版仕様(コロムビアファミリークラブのようなもの)はまだかな?
218昔の名無しで出ています:2008/05/23(金) 18:00:28 ID:kaAgdae0
三田明が歌う、女心を切々と綴った盛り場ネオン演歌なんか聴いてみたい気がするな。
青春歌謡衰退の後は、三田明の場合バタ臭い演歌路線に多少踏み込んでもよかったような気がする。
もちろん戦略的にレコードの売れ線を考慮しての話だけど、
中途半端な青春歌謡崩れのポップス歌謡を凡々と歌い続けるよりインパクトがあったと思うよ。
ビクターには演歌の売れっ子作家猪俣公章もいたことだし。
219昔の名無しで出ています:2008/05/23(金) 21:38:37 ID:edVVb6R+
吉田正は、三田明の美少年のイメージを大事にしたくて、汚れた盛り場演歌を歌わせなかったのだろうか。
確かに「美しい十代」のインパクトがあまりにも強烈で、彼が盛り場演歌の「命かれても」などを歌っても、ある程度歌いこなすことはできてもイメージ的にピンと来ない。
ちなみに昭和46年頃、三田はコテコテ演歌のカバーアルバム「望郷」を発売している。収録曲はタイトルにもなった「望郷」(森進一)、「別れたあとで」(ちあきなおみ)、「星影のワルツ」(千昌夫)など。一度聴いてみたいものだ。
220昔の名無しで出ています:2008/05/24(土) 15:20:42 ID:+/d7kPre
三田明の場合は、演歌のバタ臭い演出には欠かせない「コブシ」が回せるかどうか怪しいから、
森進一あたりの盛り場演歌を歌っても、さらりと爽やかで清潔感溢れる溌剌歌謡に仕上がる
危険性が大きいと思う(もちろんそこが聴きどころなんだけどね)
だけど「星影のワルツ」は意外に三田明に合うかもしれない。
もっとも千昌夫や遠藤実ときくとド演歌のイメージがあるから「星影のワルツ」もド演歌かと
思ってしまうけど、この曲をよく聴くと演歌的要素を含んだ青春歌謡の延長線上にある曲だよね。
221昔の名無しで出ています:2008/05/24(土) 21:52:55 ID:Nc5QcOUc
遠藤実は青春歌謡も書くぐらいだから、曲調は割とソフトで、難解な曲はあまり書いていない。三田にとって遠藤作品はすんなり歌いこなすことはできよう。
「星影のワルツ」はご指摘の通り、ド演歌ではない。歌詞を替えれば青春歌謡にだって化けることは充分可能。
222昔の名無しで出ています:2008/05/26(月) 15:41:08 ID:oJxvqdl6
当時はレコード会社間の専属の問題などの縛りがあって、
ミノルフォンの遠藤実がビクターの三田明や橋幸夫に曲を書くのは不可能だったんだろうね。
ただ、昭和45年にコロムビアの舟木一夫が、クラウンで西郷に曲を書いていた北原じゅんの
「紫のひと」を出しているし、昭和51年には橋幸夫が遠藤実の「浅草人情」を出したりと、
時代とともに専属の縛りも緩くなったんだろうか?
三田も昭和45年以降は、曽根幸明やら中村泰士やら今までにない作家の曲を出してるけど、
特に目新しい感じの曲が見当たらないのは残念である(当然ヒットの可能性も限りなく薄い)

223昔の名無しで出ています:2008/05/26(月) 19:22:43 ID:pDhdtIGd
昭和40年代までは、作詞・作曲家陣は映画の五社協定のような強固なレコード会社の専属制度で縛られていた。
昭和40年代後半あたりから、他のレコード会社への移籍あるいはフリーの作詞・作曲家が激増、以降従来とは違った組み合わせの曲が発売されるようになる。
三田もその頃に多数の非吉田メロディーをリリースするが、すでに三田の人気は低迷しており、ヒットに結びつかなかった。
224昔の名無しで出ています:2008/05/27(火) 15:39:02 ID:KYzilWoR
少々うがった見方になるかもしれないけど、
三浦洸一、フランク永井は吉田門下にありながら、デビュー当初から吉田正以外の作家の曲を歌って
十分結果を残しているんだけど、
(三浦洸一の最大ヒットは渡久地政信の「踊子」、フランク永井の「夜霧に消えたチャコ」も同じく渡久地政信でレコ大歌唱賞)
橋幸夫と三田明は、デビュー後かなりの期間吉田作品だけしか歌っていないというのは、
吉田正自身が、この二人が別の作家の作品を歌うのを嫌った結果なのかな・・・・・・
225昔の名無しで出ています:2008/05/27(火) 21:10:57 ID:tuLNbcLZ
それでも橋幸夫はデビュー4、5年目ぐらいで非吉田メロディーを売り出し(「雨の中の二人」「八州喧嘩笠」「すっ飛び野郎」など)、昭和41年には利根一郎作曲の「霧氷」でレコード大賞を受賞した。橋もフランク永井らと同様、非吉田メロディーでも実績は残した。
一方の三田は、全盛期の昭和44年まで100%吉田メロディー。吉田は当時の三田の歌唱力のことを考え、吉田自身ですべての三田の曲を引き受けていたのだろうと思う。
226昔の名無しで出ています:2008/05/28(水) 18:54:42 ID:6fxFfcxC
橋幸夫がデビューして2〜3年間に出した股旅ものは今聴くと、やはり同一作家のせいか
ワンパターンに聞こえなくもない。
しかし、一人の歌手の可能性を引き出すためにあらゆるジャンルの曲を提供しようと思えば、
一人の作家のみに頼るのはかなり荷が重い仕事だろうと想像するが、吉田正の場合は
幅広いジャンルの曲を書いていて、職業作家としての力量には実に感服せざるを得ない。

そう言えば、たしか昭和44年当時の近代映画だかの雑誌の記事に、
「今年(昭和44年)は、三田君のあらゆる可能性を引き出すために、吉田先生がいろいろ構想を練って
今まで歌わなかったような曲にもチャレンジしていこうと意欲満々・・・・」
とか書いてあるのを見たことがあったが、三田の場合は作詞家はとくに固定せずに良い作品に
吉田正が曲を付けて三田が歌う、というパターンが確立されていたんだろうね。
227昔の名無しで出ています:2008/05/28(水) 23:03:36 ID:KIIs9Kp2
吉田作品のジャンルは確かに広いが、そのジャンル内だけの曲同士を比較すると曲調は似たようなものばかり。
佐々木俊一の死後、ビクターの一本柱として十数年にわたりあらゆる曲を書いたが(佐々木の生前、吉田と佐々木がビクターの2トップというわけでもなかったが)、同一人物ではさすがに限界がある。
三田の曲の作詞陣は橋やフランクらに比べると多岐にわたる(吉田作品に限り)。「美しい十代」の宮川哲夫、「恋のアメリアッチ」の山上路夫、「アイビー東京」の白鳥朝詠、「高校騎兵隊」の川内康範、「明日は咲こう花咲こう」の西沢爽、「薔薇の涙」の水島哲など。
吉田メロディーの常連、佐伯孝夫作品も「数寄屋橋ブルース」などがある。
228昔の名無しで出ています:2008/05/29(木) 14:30:44 ID:A6/sMUMO
昭和45年あたりになると、御三家にヒットはなかなか出なくなったけど、
三田明も歩調を合わせてヒットが出なくなったのは、
もう世間的には、四天王は旧勢力的見方が出てきた結果なんだろうか?
その頃でも4人それぞれいい曲は歌ってるんだけどね。
三田明の「あなたの涙」「涙と微笑み」あたりは割にいい曲だと思うし、
昭和41年頃発売したなら当然ヒットするに値する曲だと思うんだけどねえ。
曲の質より、歌手の人気がレコード売上げに対する影響が大きいということになるのかな?
229昔の名無しで出ています:2008/05/29(木) 16:19:30 ID:Y7gDryn5
昨日のステージで「美しい十代」「サロマ湖の空」を歌ってましたが、「サロマ湖の空」は詞はともかく、曲調は演歌のように感じました。
230昔の名無しで出ています:2008/05/29(木) 19:49:18 ID:wbE3DsTJ
人気があればどんな駄曲でもヒットするが、人気が降下するといくら名曲を歌っても売れない。それが世の常。「あなたの涙」も、当時脂が乗っていた歌手に歌わせたらヒットは間違いなかったはず。
昭和45年は、四天王が共演した映画「青春の條件」が封切られたが、同年三田明は紅白落選の憂き目を見る。三田も橋も舟木もこれと言ったヒットが出なかった年だったが、西郷は「真夏のあらし」が久々のスマッシュヒットを出している。
231昔の名無しで出ています:2008/05/30(金) 20:05:39 ID:2JNWhiIi
さすがに昭和45年あたりになると、ヒットメーカー吉田正でもおいそれとヒットを出すことが
難しくなってきたんだろうね。この頃になると吉田門下の歌手は総じて沈滞化してるよね。
フランク永井、三浦洸一、松尾和子、マヒナ、橋幸夫、三田明、久保浩・・・・
ただ、これより後に鶴田浩二が「傷だらけの人生」で大ヒットを出すんだけど、
もう70年代に入ると、吉田正の時代は終わったんだな ・・・とは感じる。
三田明はデビュー以来、吉田作品ばかりで吉田カラーが染みついただろうから
その吉田正の勢いが止まるともうどうにもならなかったんだろうね。
232昔の名無しで出ています:2008/05/30(金) 20:56:41 ID:5gjkay+A
「傷だらけの人生」の翌年に出た橋幸夫の「子連れ狼」が、吉田メロディーにとって最後の大衆ヒットとなった。
昭和50年以降、吉田門下生もヒット曲を出すことはなかった。その時期から三田は歌から離れ、テレビドラマ「長七郎江戸日記」など役者としての活動を始める。
吉田メロディーは、高度経済成長の時代に国民を支え続けてきた応援歌と言えよう。
233昔の名無しで出ています:2008/05/31(土) 19:08:14 ID:atX79ZAo
GSブームの頃、西郷輝彦はJ・トップス(のちのヴァンドックス)というバンドをバックに
「月のしずく」を出してそこそこのヒット、橋幸夫もフレッシュメンをバックに「名なし草」を出している。
三田も時流に乗って、GSバンドをバックに完璧なGS曲を1曲くらい歌っても良かったんだが・・・
三田明とスウィングウエスト「雨のバラード」とかね。
234昔の名無しで出ています:2008/05/31(土) 21:34:37 ID:yHFhxx3z
三田側のスタッフに、三田に本格GS曲を、という気運がなかったのかもしれない。
三田と本格GS曲とはイメージ的に結びつかない気もするが、少なくても橋幸夫よりしっくり来たかと思う。
235昔の名無しで出ています:2008/06/02(月) 18:03:07 ID:byLM1UGm
GSのワンダースでリードボーカルだった尾崎紀世彦が昭和46年に「また逢う日まで」で
レコ大受賞したけど、三田明にも同じタイトルの「また逢う日まで」があるよね。
こちらはフォーク調のスローバラードで、吉田正にしては珍しいタイプの曲だと思う。
前年に吉永小百合で「勇気あるもの」がヒットしてるけど、この時期GSとならんで
フォークがブームだったこともあって、その線を狙った作品なんだろうと思って聴いている。
ちょうど同じ時期の西郷輝彦「恋人をさがそう」もそうだけど、
出だしのギターで始まる前奏がなかなか哀愁味があって、隠れた名曲だと思う。
236昔の名無しで出ています:2008/06/02(月) 20:29:59 ID:2S+vsgsQ
吉永小百合「勇気あるもの」は、カレッジソングの雰囲気もあり、清純な吉永には打って付けの曲であった。
さて、この頃の吉田作品は非常に多種多様で、吉田自身限界いっぱいで曲作りに励んでいたように思う。
237昔の名無しで出ています:2008/06/03(火) 17:45:29 ID:OlvqNbyv
もし、「勇気あるもの」が吉永小百合&トニーズではなく、
「明日は咲こう花咲こう」と同じく吉永小百合&三田明だったら、ヒットしただろうか?
238昔の名無しで出ています:2008/06/04(水) 09:19:32 ID:8vDNVBOZ
↑ヒットしたでしょうね。吉永小百合&トニーズでもそこそこだったし。
それにしてもこの「勇気あるもの」、確かに名曲だが、サビの部分が三田の「夕子の涙」に似てる。
239昔の名無しで出ています:2008/06/04(水) 16:45:29 ID:TxfnC0ob
「夕子の涙」の歌詞にはしっかり「銀座は西の裏通り」という地名が入ってるね。
数寄屋橋といい、六本木といい、ルート246といい、三田明にも東京を舞台にした曲が多いよね。
これらの曲は、フランク永井の都会派ムード歌謡にならって「都会派青春歌謡」とでも呼ぶべきかな?
240昔の名無しで出ています:2008/06/04(水) 20:02:29 ID:8vDNVBOZ
三田が東京出身ということもあるし、声が割とソフトで甘いので、都会的な曲が多いのだろう。
「別れの一本杉」や「早く帰ってコ」「お月さん今晩わ」などのふるさと歌謡は、三田には合わない。
241昔の名無しで出ています:2008/06/05(木) 18:07:19 ID:K7O4ToHO
その三田明にも、少ないながら田舎を舞台にした曲があるよ。
北の最果て「サロマ湖の空」とかね。それから南の果て「さよならした長崎」とかね。
ところで、だいぶ後年の曲で「ほおずきうそつき」は語呂合せみたいなタイトルだけど、
これは浅草のほおずき市を舞台にした曲なんだろうね。
242昔の名無しで出ています:2008/06/05(木) 23:05:14 ID:ULCkhPfZ
それでも三田の「地方ソング」はこじゃれた雰囲気の曲ばかり。春日八郎や三橋美智也、青木光一らの「ふるさと歌謡」路線とは一線を画す(年代も違うし、ビクターにはそもそもそのような路線はない)。
243昔の名無しで出ています:2008/06/06(金) 09:04:51 ID:ebeF5HvQ
ビクターでは三浦洸一が、春日八郎や青木光一路線的な曲を結構出してるね。
「北海だより」「ふるさとの岬」「郵便船が来たとョー」とか(まあ三浦洸一の個性には合わないけど)
ところで三田明は、ふるさと歌謡が少ないのと同じく時代歌謡も極端に少ない。
「牛若丸」「燃ゆる白虎隊」「安寿と厨子王」「森蘭丸」くらいかな。
橋幸夫が股旅をはじめとする時代物が大量にあるだけに、三田が時代物に合わないという
印象は強烈ではあるけど、もっと歌ってもよかったのではないかという気もする。
244昔の名無しで出ています:2008/06/07(土) 20:21:11 ID:m5GMFO+Q
吉田正やビクターとしては、股旅物は橋幸夫に特化したかったのだろう。それに三田はこぶしがあまり回せないので、こぶしが命とも言える股旅物には向かないと思われる。
三浦洸一の「ふるさと路線」はまさにビクター色。どこか垢抜けしていて田舎臭さを感じない。春日や三橋が東北・北海道出身に比べ、三浦が神奈川出身ということもあるのだろう。
245昔の名無しで出ています:2008/06/09(月) 17:56:43 ID:Y/ZQlzOp
フランク永井は宮城県出身だけど、その歌唱法は都会的センス十分だよ。
やはりジャズやってたのが、歌謡曲にも生きてるね。
吉田門下出身歌手の出自は、
フランク永井→ジャズ、三浦洸一→クラシック、マヒナ→ハワイアンとバリエーションが豊富。

三田明は声質とか考えると、この3路線ではやはりフランク永井のジャズ路線が一番近いのかな?
246昔の名無しで出ています:2008/06/09(月) 21:44:35 ID:y5ysXQyF
「夕子の涙」以降の三田の声質は、確かにフランク永井系統であると思う。三田はもともと洋楽を好み、学生時代は仲間とバンドを組んでいたりしたので、ジャズのフィーリングはある程度は身に着いているはず。
だだ、フランク永井は吉田門下だからこそ売れたのだろうが、もし中村八大についたらどうだったろう。音楽的見地から言えば、フランクは吉田より八大向きの歌手だと思う。
247昔の名無しで出ています:2008/06/10(火) 14:41:17 ID:Pap3FNSx
吉田正は、フランク永井が大好きだったと思うよ。
「有楽町で逢いましょう」のヒットで自分が作曲家として一人前になったと自覚したと言ってたくらいだからね。
フランクの個性と吉田正の曲は、特に不釣り合いとは思わないけど、
三浦洸一は吉田の曲調に合う歌手ではないのはよくわかる。
三浦洸一がコロムビアに入って、伊藤久男路線の曲を歌ったら面白かっただろうとは思う。

そして、橋幸夫と三田明を対比した場合、
吉田正の好みからいえば、声質の甘い三田の方が意外に好んでいたのかもしれない(勝手な想像だが)
(デビューを急がず、安定した歌唱力を身につけてデビューしていたら、
 三田はきっと吉田門下で第二のフランク永井的歌手になっていたかもしれないよ)
248昔の名無しで出ています:2008/06/10(火) 19:12:55 ID:WTCUxKeO
三浦洸一は紛れもなくコロムビアカラーの歌手である。伊藤久男のような豪快さはないが、藤山一郎や霧島昇、岡本敦郎あたりの路線は充分に継承できると思う。
ちなみに三浦はもともと霧島のファンで、学生時代には「旅の夜風」や「旅役者の唄」などをのど自慢などで歌っている。
249昔の名無しで出ています:2008/06/10(火) 19:14:22 ID:WTCUxKeO
それから今日は、NHK歌謡コンサートに出演、「美しい十代」を披露する。
250昔の名無しで出ています:2008/06/11(水) 17:52:24 ID:s2FVMrwp
しかし、三田明がテレビ出演時には「美しい十代」以外の選曲はないのだろうか?
個人的には、吉田正作詞作曲の「恋人ジュリー」をお願いしたかったが誠に残念である。
もっとも、万人向けの知名度で選曲すれば「美しい十代」に落ち着いてしまうのはしょうがないんだろうけど、
いつもいつも「美しい十代」だけだと、三田は一発屋というようなイメージがついてしまう。
その点橋幸夫は、今回「潮来笠」ではなく「メキシカンロック」を歌ったのはまだマシだったと思う。
それから三浦洸一も、お決まりの「落ち葉しぐれ」より「東京の人」をお願いしたかった。
251昔の名無しで出ています:2008/06/11(水) 21:32:14 ID:abzHLGP5
テレビ出演時は必ずと言っていいほど「美しい十代」しか歌っていない。極稀に「明日は咲こう花咲こう」を歌うぐらい。
ラジオだと「夕子の涙」を歌う時もあるが、その他のヒット曲(ごめんねチコちゃん、若い翼、アイビー東京、恋人ジュリー、薔薇の涙…など)はまず歌われない。
それらのヒット曲は、当時ヒットしたにもかかわらず認知度が低く、歌番組で披露しても分からない人が多いから歌われないのだろう。三田のヒット曲で認知度が高いのは「美しい十代」ぐらいしかない。三田のファンならば、前述のヒット曲は網羅しているだろう。
252昔の名無しで出ています:2008/06/12(木) 13:38:31 ID:UuSGxgUU
一度はテレビで、
♪よ〜んでるぜ呼んでるぜ〜ななつの海が〜〜・・・・ヨーソロヨーソロヨーーソロ〜〜
と景気のいい歌声を聴いてみたいものだ。
でも考えてみると、橋幸夫の「メキシカンロック」も長い間封印してて歌ったこと無かった
みたいだけど、漫才ブーム時にザ・ぼんちのおさむがメキシカンロックの歌真似してから、
本人もテレビで歌うようになったんだよね。
やはり、テレビ番組では常に数曲はレパートリーを持っていないと、ホントにつまらないよ。

●橋幸夫→潮来笠、江梨子、いつでも夢を、恋をするなら、雨の中の二人、霧氷、メキシカン
●三浦洸一→落ち葉しぐれ、弁天小僧、東京の人、踊子、釧路の駅でさようなら、異国の丘
●三田明→美しい十代 のみ
・・・・先輩たちと比較すると、あまりに寂しいのがよくわかるよ。
253昔の名無しで出ています:2008/06/12(木) 14:17:15 ID:aWN9aGtk
視聴者も満足するし、歌手をはじめとする製作側もレパートリー
を限定したほうが楽だから、仕方ないんだろうね。
254昔の名無しで出ています:2008/06/12(木) 21:47:17 ID:X75ro0VP
親父のカセット整理していたら、ひるの歌謡曲エアチェクした
三田 明 ありました。

さよならの向こうで・五月のバラ・春の風・星影の二人、悲しみに乾杯
サロマ湖の空・みんな名もなく貧しいけれど・ナイトイン六本木
恋人の泉・高校騎兵隊・恋人ジュリー

30年位前ですか?
255昔の名無しで出ています:2008/06/13(金) 09:26:43 ID:+VMdxsWg
>>254
そ、それは、懐かしい。私もラジカセで録音して現在も保存してある。
たしか、昭和52年NHK・FM昼の歌謡曲(この番組はたしか12:00〜12:45の放送でいつもかかる曲は11曲位だった)
当時発売中だったのが、2番目の「五月のバラ」で、前年に発売されたのが「さよならの向こうで」
そしてそのB面が「星影の二人」(この11曲の中で一番いい曲だなと、当時思った)

NHK昼の歌謡曲で、その後も三田明特集が組まれるたび録音したけど、
「ほおづきうそつき」「並木の雨」「来た道寄り道帰り道」「赤毛のおんな」あたりから
「太陽のカーニバル」「数寄屋橋ブルース」などなかなかの選曲で、気に入っていた。
(この番組を聴いて、初めて知った曲も結構あった)
ただ記憶では、この番組で「薔薇の涙」は流れたことは一度も無かったと思う・・・
256昔の名無しで出ています:2008/06/13(金) 22:03:40 ID:ErMf1rn1
「薔薇の涙」は三田のオリコンチャート内での最大のヒット曲なのに(オリコン発足前のヒット曲の売り上げデータは不明)、今まで発売された三田のCDアルバムには収録されていない。
だが、まったくCD化されてないわけではなく、「吉田正自撰77曲」に収録されている。
257昔の名無しで出ています:2008/06/16(月) 22:08:38 ID:AIAF/4DO
昭和43年のオリコンの記録を見ると、
三田の「薔薇の涙」は、西郷の「月のしずく」よりは若干落ちるが、
舟木の「残雪」を上回っていて、「四天王」という言葉にふさわしいとは思うが、
数字を見る限りでは、やはりブームだったGSにだいぶ喰われているのがよくわかる。
だけど、「一人GS歌謡」という観点で見ると、橋の「思い出のカテリーナ」「雨のロマン」より
三田の「薔薇の涙」「真珠の恋人」あたりの方が、よりGS色が濃いように感じるのは、
この両者の歌唱法の違いのせいだろうか?
258昔の名無しで出ています:2008/06/17(火) 18:40:18 ID:iZ+nDwrU
そもそも橋幸夫にGS路線を歌わせたことが間違い。橋が歌うと音頭っぽくて、当時はヒットしただろうが、今聴くと失笑してしまう。橋と比べたら、三田の方がGS向きかと。
さて、三田の「薔薇の涙」は、昭和43年紅白で歌われたが、三田は白組トップバッターでの出場だった。白組司会の坂本九は「先取点の欲しい白組、その重責を担うのは薔薇の涙、三田明くん」と紹介している。GSブームの当時でも、三田の人気はまだそれなりにあった。
259昔の名無しで出ています:2008/06/17(火) 18:52:19 ID:???
w
260昔の名無しで出ています:2008/06/18(水) 15:06:40 ID:8E1Cg5ac
橋幸夫が、フレッシュメンというバンドをバックにつけて「名無し草」という
何の変哲もない歌謡曲を出してるけど、三田の「薔薇の涙」あたりもどこかのバンドを
バックにつけて、モロGSとして出してたらもっとヒットしたかもよ。
同じビクターのバンドといえば、モップスやオックスやダイナマイツなどアクの強いバンド
だらけだけど、サニーファイブあたりだとかなり地味でイケたかもしれない。

ちなみに「薔薇の涙」の最後の部分、♪いとぉしのぉ〜〜ロォ〜ザァ〜〜〜〜
は、演歌歌手に歌わせたら、絶対コブシがゴロゴロ回ると思う。
261昔の名無しで出ています:2008/06/18(水) 23:27:14 ID:tKWc4bzf
「薔薇の涙」を、橋幸夫が歌っていたら間違いなく、♪いと〜しの〜ロ〜〜〜↑↓〜ザ とバリバリこぶしが入ったであろう。
本格的GSに味付けするならば、「薔薇の涙」より「夕子の涙」「アイビー東京」の方がしっくり来るのではないか(「薔薇の涙」はGSの「バラ色の雲」に似てる要素はあるが)
262昔の名無しで出ています:2008/06/19(木) 14:48:33 ID:vENva5z3
「夕子の涙」はワイルドワンズのチャッピーあたりが歌ったらツボにはまりそうだなw

だけど、「夕子の涙」をよく聞き込むと、メロディーは青春歌謡風にアレンジされてはいるけど、
 ♪小雨にけむる〜宵で〜し〜た〜 銀座は西の〜裏〜通り〜〜
ていう歌詞は、まるでフランク永井の西銀座駅前顔負けの都会派ムード歌謡の世界が
広がっていて妙な感じがする(しかも吉田正による作詞なだけになおさら)
どうも三田の「青山通り」「夕子の涙」「ブルーシャンペン」「数寄屋橋ブルース」「ナイトイン六本木」
「タートルルック」「大阪ナイト」・・・・等の曲とフランク永井の一連の曲は、どこかで連接性があるように感じる。
(ちなみに吉田正作曲の橋幸夫作品には、フランク永井を想像させる作品は見当たらないが・・・)
263昔の名無しで出ています:2008/06/20(金) 06:56:10 ID:xk214MWO
橋幸夫作品は股旅かリズム歌謡って相場が決まっている。吉田正の作品分野を大別するとリズム歌謡、股旅歌謡、ムード歌謡、青春歌謡、日本調歌謡に分けられる。
三田には股旅歌謡や日本調歌謡はちょっと無理なので、残るのはムード歌謡かリズム歌謡しかないのだ(青春歌謡はすでに歌っている)。
264昔の名無しで出ています:2008/06/20(金) 15:10:39 ID:jN9KuH6u
三田明が、三度笠かぶって出てきて「○○笠」なんて曲歌ったら限りなく売れなかっただろうな。
でも「牛若丸」の裏面に「花笠娘」という曲がある。もっともこれは股旅ではないが・・・・

西郷や舟木も、青春歌謡のあとの大人の曲を模索する中でテーマがどんどん尽きていった感が
否めないけど、三田の場合は吉田正が大人のテーマとしてムード歌謡を考えた形跡は
「数寄屋橋ブルース」あたりにありそうな感じかな?
時代的には「都会派ムード歌謡」より「ブルース演歌」(森進一調)の方が主流だけど、
ブルース演歌は猪俣公章の十八番で、吉田正の趣味では無かったんだろうね。
インパクトでは圧倒的に、盛り場ブルース>数寄屋橋ブルースだもんね。
265昔の名無しで出ています:2008/06/20(金) 21:58:29 ID:xk214MWO
吉田作品はどこか上品で、森進一らの薄汚れた泥臭い演歌路線はあまり得意としなかったのでは。だから、吉田門下歌手もそういう類の曲のカラーではない。吉田メロディーの真骨頂的曲をあげれば「いつでも夢を」だろう。
266昔の名無しで出ています:2008/06/21(土) 09:11:28 ID:G/d9ABUX
ただ吉田正にも、久保浩「女の生きがい」という曲がある。
明らかに「女のためいき」を意識した曲だけど、やはりこういう路線は、猪俣ー森にはかなわない。
久保浩は、三田より演歌臭のある声質で結構演歌調も出しているが、やはり青春歌謡出身は拭えず、
森ほどのインパクトはまるでない。
三田の場合は、モロに吉田正の清潔感あふれる青春歌謡の世界にドップリ入っていたから、
泥臭い曲は苦手なんだろうけど、もしそれをこなし得ていたら、大人の歌手として大きく脱皮
していたかもしれない。
267昔の名無しで出ています:2008/06/22(日) 21:16:34 ID:LX0m4i7W
三田が吉田門下じゃなかったら、泥臭い演歌ももしかして歌っていたかもしれないし、その路線で成功していたかもしれない。はたまた、まったく売れなかったかもしれない。
青春歌謡歌手の人気は一過性で、そこから脱皮しようとしても継続しようとしても人気は続かない。だが一過性と言えども売れることは売れる。一時期売れた過去の実績で今でも歌手として何とか食べていければ、それはそれでよかろう。
三田の歌手としての可能性は、吉田門下に入ったことで頭打ちになったのは確かだろうが。
268昔の名無しで出ています:2008/06/23(月) 17:01:31 ID:9HVTMHO2
考えるに、三田の場合は吉田門下に入った事云々よりも、デビューがあまりに拙速すぎた感が拭えない。
初期の作品を聴くと、明らかに歌手三田明の個性を生かした曲作り&売り出し方をしたとは到底思えない。
舟木の勢いに焦ったビクターが、年齢的にも舟木より若く美少年でルックス的人気を得られそうだという
その一点の魅力だけで、三田を舟木の対抗馬として仕立て上げただけのような気がする。
(おそらく吉田正も、もう少しレッスンを積んでからデビューした方が良いと思ったかもしれない)
もっとも、デビューが昭和40年以降にまで遅れれば、GSに押され始めた青春歌謡歌手ではなく
もっと違った売り出し方の可能性も模索出来たかもしれない。
ただし、吉田門下でデビューしたおかげで「美しい十代」という吉田の名曲に巡り会えたのも
事実だから、結果としては良かったんだろうと考えるのが妥当なんだろうとは思う。
269昔の名無しで出ています:2008/06/23(月) 20:06:31 ID:sv4cR2/v
ビクターが三田のデビューに焦った感は確かに否めない。コロムビアの舟木一夫の対抗馬を、どうしても年内にデビューさせたかったのだろう。
音感が先天的に優れた人ならば短期間のレッスンでも歌手として完璧な形になるが、三田の場合は残念ながらそこまでの音感はなかった。三田が吉田から「まぁいいだろう」と初めて褒められたのは、デビューから4年たった「夕子の涙」だったという(三田談)。
ちなみに三田は「青春歌謡」のレッテルを貼られているが、彼の音楽的センスを考えると幾分もったいない気がする。彼はジャズや洋楽にも造詣が深く、洋楽カバーアルバムもリリースしているわけだし。
三田は青春歌謡で名を挙げた訳で、それはそれでやむを得ないことか。
270昔の名無しで出ています:2008/06/24(火) 17:18:43 ID:DgcaEbUy
>>269 >彼はジャズや洋楽にも造詣が深く、洋楽カバーアルバムも・・・・・

そこで、三田明=フランク永井のムード歌謡路線というのが見えてくる。
三田の場合、もっと早い時期(全盛期)から「赤毛のおんな」のような
ジャズ色の強い曲に挑戦してても良かったのかもしれない。
(大人の女を歌ったジャズのフィーリング満点の曲を三田が全盛期に歌ったら、
森の盛り場女の人生ブルースと好対照で、インパクト絶大だっただろうと
勝手に想像しているが・・・・・)


271昔の名無しで出ています:2008/06/24(火) 22:21:32 ID:TIwfkLe/
三田の音楽的ルーツはフランク永井と近いものがある。だが「美しい十代」のインパクトがあまりにも強烈で、しばらくはそのイメージにさいなまれていた感がある。
いっそデビュー曲が「美しい十代」じゃなくて都会派ムード歌謡だったら、三田は同じビクターにおける森進一の好対照になり得た可能性はないとは言えない。
今となっては青春歌謡のイメージを大切にし、出世作の「美しい十代」に感謝しながら歌い続けているわけだが。
272昔の名無しで出ています:2008/06/25(水) 15:34:10 ID:KhACGHGd
♪風は今夜も冷たいけれど〜星はやさしくささやきかける
♪昼は楽しく働く仲間〜みんな名もなく貧しいけれど〜〜

「美しい十代」だけがビッグヒットで一人歩きしてるけど、
セカンドシングルのこの「みんな名もなく貧しいけれど」も珠玉の名曲。
内容的には、山田太郎の「新聞少年」的な勤労青年をテーマにしているけど、
3枚目以降は「友よ歌おう」「すばらしき級友」・・・・などの学園物が続いていくだけに
三田の曲としては珍しいテーマの曲だと思う。
これらの曲も、積極的にテレビやステージ等で歌えばいいんだけどね。
273昔の名無しで出ています:2008/06/25(水) 22:39:47 ID:gkoUb3Vp
確かに三田は「美しい十代」の一発屋ではない。ヒット曲は数多ある。だがどういうわけか、懐メロ番組では「美しい十代」しか歌わせてもらえない。だから余計に「三田明=美しい十代 ONLY」のイメージがつきまとってしまう。
三田は日本一の美少年という触込みでデビュー、そして曲は「美しい十代」。何ともピッタリ過ぎるではないか。あまりにピッタリ過ぎて、その後他の曲を歌っても、三田の顔を見ただけで世間は「美しい十代」を連想してしまうようになったのではなかろうか。
他にヒット曲があるのに、もったいない。ちなみに一発屋じゃない証拠に、紅白には6回出ている。(ごめんねチコちゃん、若い翼、恋人ジュリー、夕子の涙、薔薇の涙、サロマ湖の空)
274昔の名無しで出ています:2008/06/26(木) 17:59:35 ID:QVXfQgfy
三田の発売曲を順に見ていくと、昭和44年と昭和45年の間にだいぶ
落差があるように感じるのは錯覚だろうか。
昭和44年は「タートルルック」から始まって「惜別のワルツ」「太陽のカーニバル」
「サロマ湖の空」「あなたの涙」ときて「涙と微笑み」あたりまでは流れに乗って
良い曲が続いていたと思うけど、45年に入るとその流れが止まってしまった印象を受ける。
当然ヒットも無くなり、結果的に紅白落選になるわけだけど、
「ふれあい」あたりを聴くと、明らかに「涙と微笑み」以前と趣が違うように感じる。
ちなみに、この頃から吉田正以外の作家の曲もボチボチ歌うようになったんだよね。
275昔の名無しで出ています:2008/06/26(木) 23:47:01 ID:xk88pD9I
昭和45年は三田にとって悪い意味でのターニングポイントの年だと言える。
この頃すでに青春歌謡が低迷、三田の人気も整形手術失敗などで急降下していた。
そんな三田に新境地をとの流れもあったのだろうがどうも波に乗り切れず、紅白も落選。以降、ヒット曲を出す事もなかった。
三田のカラーの紅白歌唱映像が見てみたかったものだ。
276昔の名無しで出ています:2008/06/27(金) 19:05:06 ID:W0PKsIhe
「ふれあい」(すぎやまこういち作曲)「振り返ってみたけれど」(藤本卓也作曲)
など、吉田正から離れて違う作家の曲にチャレンジしたのはいいけれど、
橋のようにまだ勢いがあった時代に吉田以外の作家の曲を歌えば、
すんなり新境地の開拓成功となっただろうに、三田の場合は人気下降時期であることと
それまでの曲があまりに吉田カラーが強すぎて、吉田以外の曲はかなりインパクトに劣る
というところが不幸ではあったと思う。
人気があった昭和43年頃から年に1曲くらいは、他作家の曲にチャレンジしててもよかったような気がする。
(特に、青春歌謡色がまったく無い作家の曲ならば、新たな新境地が見いだせた可能性無きにしもあらずと)
277昔の名無しで出ています:2008/06/27(金) 22:41:41 ID:GHdLp30i
確かに、脱吉田メロディーに切り替えるタイミングが遅かった。昭和41、2年頃だったらほぼ間違いなく成功していただろう。
デビューから7年間、持ち歌すべてが吉田作品というのも尋常じゃないかもしれない。実子がいなかった吉田は当時、三田を養子に迎えたかったという。それぐらい、吉田は三田をかわいがっていた。
278昔の名無しで出ています:2008/06/28(土) 18:27:29 ID:vlxy5j40
だけど考えてみると、昭和44年まで100%吉田作品であったのが、
昭和45年以降になるとピタッと無くなったのは不可解とも思える。
同じ頃、橋も吉田作品はだいぶ少ないとはいいながらもコンスタントにレコードは
出していたのにも関わらず、三田の場合は橋以上に吉田作品が見当たらなくなって
しまったのは何故だろうか?
吉田作品が急に無くなるのと、三田にヒットが無くなるのと、紅白落選と、整形問題等が
昭和45年1年間にすべて凝縮しているから、この年の三田の急速な失速ぶりが気にかかる。
279昔の名無しで出ています:2008/06/30(月) 18:38:01 ID:XbvDABWM
今のところ最後の紅白出場となっている昭和44年紅白の三田(サロマ湖の空)を見ると、かつての青春歌謡スターの精彩はなく、凋落ぶりが見て取れる。落ちぶれる前に何か手を打っておけなかったのだろうか。あるいは、手は打ってもすでに遅かったのか…。
昭和40年代後半にもヒット曲が出ていれば、現在の歌手としての待遇はだいぶ違っていただろう。
280昔の名無しで出ています:2008/07/01(火) 17:00:42 ID:niAc17qN
御三家の場合、とりあえずは70年代に入ってからもヒット曲はあるにはあるが、
(橋→子連れ狼、舟木→初恋、西郷→真夏のあらし)
三田の場合、せっかく「四天王」と呼ばれる位置にまで接近して来たのに、
70年代に入るとヒットと呼べるヒットがほぼ皆無になってしまったのが痛い。
(その意味では、御三家より凋落が激しかったと言える)
「寄り道来た道帰り道」「赤毛のおんな」あたりの曲がもう少しヒットしていれば、
「四天王」という言葉が、その後もっと語られていただろうにね。

281昔の名無しで出ています:2008/07/01(火) 21:01:57 ID:AL7uoMVu
玉置宏が三田を含めて「四天王」と称したのは昭和43、4年頃。それから程なく三田がコケたので、実質「四天王」が活躍していたのは3年にも満たない。
その間、橋幸夫主演で四天王が共演した映画「青春の條件」が製作されたり、芸能雑誌では「三田明、御三家と契りの杯を交わし四天王誕生」といった感じの企画物が掲載されたりしたが、「四天王」が定着することはなかった。
282昔の名無しで出ています:2008/07/02(水) 17:20:07 ID:1opoJXzV
結局三田の衰退は、「青春歌謡の衰退」や「作曲家吉田正の衰退」と軌を一にした感じだね。
70年代に入ると、青春歌謡や吉田作品で以前のようなヒットがコンスタントに出なくなった結果、
三田がその煽りをモロに喰らった結果ともいえる。
さらに三田のレパートリーに、橋の股旅モノのような認知度の高い特定ジャンルがなかったのが
よけいマイナスに働いたような気もする。
283昔の名無しで出ています:2008/07/02(水) 22:36:02 ID:eYMk5Clj
結局吉田正と三田は一蓮托生だったということで…。
70年代に入って忽然と吉田メロディーが下火になった原因として、新たな門下生が育たなかったこともあるが、清楚可憐でこじゃれた吉田メロディーが70年代のニーズに合わなかったことも考えられる。
284昔の名無しで出ています:2008/07/03(木) 17:17:19 ID:VZhGKbe1
その点、同じく青春歌謡を書いていた遠藤実は、70年代に入っても森昌子あたりや
千昌夫「北国の春」など、バタ臭い歌謡曲を書き続けたからヒットが続いたわけで、
70年代にもなると歌謡曲の要素として「バタ臭さ」や「アクの強さ」は大事な要素になったんだね。
フランク永井の一連の吉田作品(都会派ムード歌謡)と、ロスプリモスあたりが
歌った都会調ムードコーラスを聴き比べると、吉田作品の都会派歌謡の方が、
サラリとした薄味だということに気付くよ。
吉田門下生は、三田明も含めて全般的に「アクの強さ」や「バタ臭さ」を感じない。
285昔の名無しで出ています:2008/07/03(木) 21:05:36 ID:ul5bZHf2
遠藤実はそもそも演歌の作曲家で、吉田正との音楽的な接点は少ない。2人の共通項は青春歌謡と股旅歌謡ぐらいか。
アクのないのが吉田メロディーとその門下生の売りだったわけだが、その分早く飽られたということか。その門下生の中でもさらにアクのない三田の場合は、余計に廃れるのが早かったのだろう。
ただ今となっては、吉田門下生は懐メロ界においてはブランドネームなので、その一員である三田は他の懐メロ歌手よりは恵まれていると思う。
286昔の名無しで出ています:2008/07/04(金) 17:11:48 ID:i4yM+exQ
やはり国民栄誉賞受賞が大きいね。
ただ、三田明は門下生では最後の方だけど、先輩に比べてレパートリーの幅が狭いのはつくづく残念である。
フランク永井は都会派歌謡が主流だったけど、三浦洸一や橋幸夫は幅広く吉田メロディーを
歌ってるので、三田も合う合わないは別にしてもっと幅広いジャンルに挑戦しても良かった気がする。
個人的には、吉田の手によるバラード調の曲などを、三田の声でもっと聴きたかったと思う。
(たとえば、「また逢う日まで」あたりは地味ではあるけど、かなり質の高い名曲だと思う)
287昔の名無しで出ています:2008/07/04(金) 22:59:14 ID:Nw0ADFjx
三田のレパートリーが狭いのには、デビュー後数年間の三田の歌唱力を鑑みた吉田正が、三田に比較的歌いやすい曲ばかりつくっていたせいもあるのかもしれない。
だが三田は声質が甘いので、幅広いジャンルの曲を歌わせたら橋幸夫よりもよかったのにとは思う。
余談だが万一、三田が遠藤実の門下生になっていたら、遠藤は三田にどんな曲をつくっていただろう。遠藤作品は吉田作品より演歌臭があるので、三田がそれをどのように歌いこなすか、すごく興味がある。
288昔の名無しで出ています:2008/07/07(月) 19:23:21 ID:3S5ljEJq
「星影のワルツ」は、千昌夫より三田明の方が絶対に合うと思う。
もちろん千昌夫のようなアクの強さ(演歌色)はないから、もっと軽いタッチの
青春歌謡色が強い仕上がりになっただろうとは想像がつくけど、一度聴いてみたい気もする。

考えるに、もし三田が遠藤門下からデビューしていたら、
コロムビアには舟木がいる以上、舟木の二番煎じ的存在に甘んじた可能性は高い。
例えば、安達明や梶光夫のポジションを想像するけど、もしそうなったら、
吉田門下にいるよりも、後々の道は閉ざされていたような気もするが、どうだろう?
ただ、三田の声は「青春の城下町」や「潮風を待つ少女」あたりにとても合いそうにも
思うから、そういう想像は非常に楽しいけどね。
289昔の名無しで出ています:2008/07/07(月) 21:58:23 ID:TH78kKOM
コロムビアはそもそも歌手の層が厚く、青春歌謡スター歌手だけを見てもビクターよりは間違いなく多いので、三田が食い込める余地が果たしてあったかどうか。
ちなみに遠藤実は昭和40年にミノルフォンレコードを設立するにあたりコロムビアを退社、以降コロムビアに残った門下生は「見離された」格好になってしまった。歌手としては致命的なことであろう(舟木一夫のように遠藤無き後もヒットを重ねたケースもあるが)。
しかしよくよく考えると、遠藤にも三田向きの曲は充分書けると思う。いや、すでに書いている。梶光夫「青春の城下町」も三田の路線っぽいが、山本リンダに提供した「こまっちゃうナ」「ミニミニデート」などは「アイビー東京」に近いものがある。
290BOX買い:2008/07/07(月) 22:55:02 ID:lGysRZaS
ちょっと場違いだが、梶光夫の「可愛いあの娘」なんかもあっているかも。
実質的には、インドネシア民謡を遠藤実がポップス寄りに編曲したものだが。
291昔の名無しで出ています:2008/07/08(火) 17:13:56 ID:WO763CvO
梶光夫の曲は、三田にも合いそうな曲はたくさんあるよ。
昭和40年の三田明「若い翼」は、昭和39年の梶光夫「涙の向こうに明日がある」の
裏面「翼の若人」にそっくりだしね。
ただ、コロムビアの青春歌謡は、ビクターより文芸色が高い作品が多いから、
その手の曲と三田の個性が合うかどうかだよね。
(「我が愛を星に祈りて」「野菊の墓」など、梶光夫の代表曲にも文芸色の高い作品が多い)
292昔の名無しで出ています:2008/07/08(火) 23:39:20 ID:dG6tjWFV
ビクターの青春歌謡には文芸色はあまり見受けられないが、文芸色に特化したものは三浦洸一の独壇場だった。
合う合わないは別にして、三田の文芸色の強い青春歌謡が聴いてみたい気がする。清楚な雰囲気がある三田には、文芸作品は意外と打って付けだと思う。
さて、さらに想像を膨らませて、もう一人の御三家、西郷輝彦がいたクラウンレコードにもしも三田も在籍していたら、どんな歌を歌っていただろう。クラウンでの青春歌謡の旗手、米山正夫の手にはかかったのだろうが…。
293昔の名無しで出ています:2008/07/09(水) 19:47:48 ID:yOIL2HdB
クラウンだったら、当然山田太郎路線で決まりだね。
「友情のうた」「高校生マーチ」「明日を信じよう」・・・どれも三田に合いそうな曲ばかり。
さらに山田太郎独自の「新聞少年」「牛乳少年」「東京の仲間たち」などの勤労青年路線
などもあるし(実際の三田には、この手の曲は「みんな名もなく貧しいけれど」くらいかな)
これらはほとんどが島津伸男作曲だけど、米山正夫の手に掛かれば、西郷・美樹克彦の
リズム路線も考えられるし(恋人ならば・西銀座五番街・赤いヘルメットあたり)
それと、浜口庫之助の曲を三田で聴いてみたい気がする。
三田なら「願い星叶い星」はどんな風に歌いこなしただろうか・・・
さらに、三田なら「花はおそかった」をどんな風に歌ったか・・・とか考えると実に楽しい。
294昔の名無しで出ています:2008/07/10(木) 23:21:48 ID:Y46hMIh7
浜口庫之助が三田の全盛期にオリジナルを書いていたら、吉田作品よりも三田のカラーを最大限に生かした曲が出来上がっていたかもしれない。非常に興味深い。
浜口作品は吉田メロディーに作風が似ていて、吉田メロディーより洋楽志向でモダン。まさに三田にピッタリではないか。
米山正夫作品も三田に打って付けな曲が多い感はあるが、米山作品は凝った難曲が多く、三田がどこまで歌いこなすかが見ものと言えば見もの。
295昔の名無しで出ています:2008/07/11(金) 18:47:37 ID:dGAKdh/Q
米山正夫が西郷に書いた、フォーク調の「初恋によろしく」バラード調の「恋人をさがそう」
あたりは、ひょっとしたら西郷よりも三田の声の方がピッタリのような気がする。
また「恋人ならば」「恋のGT」あたりは、吉田正の「アイビー東京」に勝るとも劣らない
名曲だから、三田がクラウンにいたらハマクラ・米山両作家のリズム歌謡を歌う機会も相当多かっただろうね。
そして、橋のリズム歌謡に対抗する強力な「クラウンのリズム歌謡の旗手」的地位を築いたかもね。
296昔の名無しで出ています:2008/07/13(日) 16:16:49 ID:ncCQMht6
米山正夫や浜口庫之助の手による三田の本格的なリズム歌謡は、ぜひ聴いてみたいものだ。だがあまりパンチの効いた曲は、三田の迫力不足が露呈してしまう恐れもあるが。
実は意外と西郷輝彦よりも三田の方が中音域には深みがあるので、「初恋によろしく」などの軽いタッチの曲が三田向きかと思われる。
逆に西郷の「アイビー東京」「ナイトイン六本木」あたりを聴いてみたい。
297昔の名無しで出ています:2008/07/14(月) 18:15:54 ID:B+Bto1Tn
三田明にも「初恋によろしく」のようなフォークタッチの曲があるよ。
昭和42年「また逢う日まで」のB面の「花を求めて」は軽いタッチの曲で、
吉田正には珍しい部類の曲だと思う。

ところで、名前が同じ「明」の布施明は、ほとんど平尾昌晃の曲を集中的に歌っているけど、
吉田の曲オンリーの三田と聴き比べてると、平尾と吉田のセンスの違いが際だって面白い。
吉田の曲と比較すると、平尾の曲の方が洋楽的要素がかなり濃いよね。
これは、音楽的嗜好と世代の差なのかな?
298昔の名無しで出ています:2008/07/15(火) 19:05:53 ID:GLmM95EE
周知の通りだが、もともと平尾昌晃はロカビリー歌手から作曲家に転向したわけで、少なくても吉田正よりは洋楽志向が強い作曲家であろう(世代的なものも含めて)。
布施明も三田明も共にオーディション番組「ホイホイミュージックスクール」出身だが、歌手としての路線は近からず。ついた作曲家の違いもあったのだろう。
299昔の名無しで出ています:2008/07/16(水) 18:51:53 ID:nii6DWH7
橋幸夫が股旅演歌で、
舟木一夫がブルースで、
西郷輝彦がポップスで、
北原謙二がカントリーで、
布施明がカンツォーネで・・・・・・・

となると、三田に当てはまる曲風はなんだろうか?
300昔の名無しで出ています:2008/07/17(木) 17:11:50 ID:jT9ojtSp
>>299
そこが三田明の微妙なところ。青春歌謡からさらに細分化した場合の三田のポジションは大変不明瞭である。どっちつかずな感じだ。
裏を返せば、ある意味三田は御三家の追随を許さないほどの生粋の青春歌謡歌手と言えよう。
301昔の名無しで出ています:2008/07/17(木) 18:14:49 ID:lbuxS4bM
ビクターにおける三田明のポジションは、コロムビアにおける梶光夫のポジションと同じかな?
三田の場合は、吉田正の洗練された青春歌謡のおかげもあってヒットが順調に続き、
御三家に次ぐ位置を確保したけど、梶光夫はその点ちょっと地味すぎたか舟木に似すぎた嫌いはある。
三田は、リズム歌謡でこそ橋に似た曲ばかりだが、「美しい十代」から始まる青春歌謡は
橋幸夫のテリトリーと重複しない分だけ、三田に幸いしたともいえると思う。

ところで、「サロマ湖の空」のB面「おしゃれな季節」はB面にしておくには誠にもったいない
隠れた名曲だと思う。銀座を舞台にパンタロンやミニのスーツなどのファッションをたくみに
歌詞に登場する、吉田正流のお洒落な都会派青春歌謡の傑作だと個人的には思っている。
「サロマ湖の空」も名曲だが、裏表逆でも面白かったと思う。
302昔の名無しで出ています:2008/07/18(金) 20:50:33 ID:mUjhivi8
「おしゃれな季節」というタイトルを見てもすでに企画時点でA面にする気はなかったのだろう。このようにB面でうずもれた名曲は数多ある。
「サロマ湖の空」は、当初は「サンパウロの空」という曲になる予定だった。「太陽のカーニバル」の流れで南米つながりの曲を企画していたのだがうまくまとまらず、結局「サ」の一文字つながりで「サンパウロ」から「サロマ湖」になったという。
もし「サロマ湖の空」も完成されなかったら「おしゃれな季節」がA面になっていたりして(笑)
303昔の名無しで出ています:2008/07/22(火) 17:43:58 ID:vFV51tUG
「おしゃれな季節」は、「タートルルックのいかす奴」の続編を狙った曲なのかなと思っていた。
三田の場合、歌詞に当時の流行ファッションを盛り込んだ曲が何曲かあって、たとえば
 「アイビー東京」→アイビールック
 「タートルルックのいかす奴」→タイトルのまんまタートルネック
 「おしゃれな季節」→パンタロン   ・・・・・等々。
こういう他の歌手と毛色の変わったものをしつこく掘り下げていけば、
三田独自の路線(橋の股旅や舟木の詰め襟路線的な)が確立したのにね。
ちなみに美樹克彦には、S42年ミニの女王ツイッギー来日にちなんで、
「小枝のような可愛い娘」という曲があるよね。
304昔の名無しで出ています:2008/07/23(水) 21:23:03 ID:qpwX8mnV
結局三田の場合はイメージ作りが中途半端だったというわけか。
確かに三田は御三家に比べ強烈なイメージがない。三田自身に個性がないのか、スタッフの力量不足だったのか…。
いずれにしても、スター歌手として生き残るには、個性が必要。三田は「美少年」という一過性の個性を前面に押し出して売り出したので、ある程度年齢が過ぎたら売れなくなるのは必然。
305昔の名無しで出ています:2008/07/24(木) 19:28:05 ID:cBGrSmwS
橋幸夫が、それまで歌わなかった夜の盛り場歌謡「京都・神戸・銀座」を出して
青春歌謡から脱皮を狙ったように(これは森進一を十分に意識した曲に思える)、
三田もその前年にそれまでのイメージとは違う「数寄屋橋ブルース」を出したんだろうけど、
戦略的には、同じビクターでも橋の方が巧みだったような気がする。


306昔の名無しで出ています:2008/07/25(金) 18:26:00 ID:oeEg5Khk
「数寄屋橋ブルース」は吉田作品なので、新境地と言えども旧態依然。
橋幸夫の「京都・神戸・銀座」は筒美京平作曲ということで雰囲気もガラリと変わり、セールス的にもまあ売れた方。だが、橋の「夜の盛り場歌謡」路線は以降続かなかった。
当時はすでに橋の人気に陰りも見えてきており、この路線で君臨していた森進一を切り崩すところまではいかなかったようだ。
307昔の名無しで出ています:2008/07/26(土) 12:00:55 ID:ym+bFm71
昭和41年の「恋人ジュリー」は、御三家がそれぞれ大ヒットを持っていた年なので影に隠れた印象が
あるんだけど、翌42年の「夕子の涙」より売れたような感じもするんだけどどうなんだろう。
当時はオリコン等は無くて、数字的な記録はないので何とも言えないけど・・・
明星平凡の歌本の人気曲アンケートを見ると「恋人ジュリー」は御三家にピッタリ肉薄している。
(もっともこのアンケートは、実際のレコードセールスとは全く比例しないものではあるけど)
308昔の名無しで出ています:2008/07/27(日) 14:22:29 ID:/UG7MLwi
昭和42年末の平凡歌本掲載のベスト10
1.北国の二人(ブルー・コメッツ)
2.夕子の涙(三田明)
3.佐久の鯉太郎(橋幸夫)
4.夕笛(舟木一夫)
5.世界は二人のために(佐良直美)
6.潮風が吹きぬける町(西郷輝彦)
7.モナリザの微笑(ザ・タイガース)
8.別れたあの人(加山雄三)
9.愛のこころ(布施明)
10.霧のかなたに(黛ジュン)

当時「夕子の涙」は御三家を圧倒するヒットだったのだろう。三田自身の持ち歌の中でも「美しい十代」の次のヒット曲と言える。
オリコン前なので正確なヒット具合が分からないのが残念。
309昔の名無しで出ています:2008/07/28(月) 17:18:03 ID:m9gIvtuO
ただ、この年(昭和42年)は、御三家はヒット曲のスケールが前年より小さい。
橋 幸夫 佐久の鯉太郎<霧氷
舟木一夫 夕笛<絶唱
西郷輝彦 潮風が吹きぬける町<星のフラメンコ

それに対し三田の場合、夕子の涙>恋人ジュリーならば、
御三家→下降線、三田明→上昇気運で、翌43年には「四天王」と言われるところまで
迫る伏線が、すでに「夕子の涙」あたりに垣間見えたということになる。

ちなみに、橋の佐久の鯉太郎が3位につけているところなどを見ると、
歌本のベスト10と実際のレコードセールスに大きな開きがあるのを感じざるを得ない。
(GS全盛の年に、股旅物がここまで大きなセールスを示したとは考えにくい)
310昔の名無しで出ています:2008/07/28(月) 20:12:34 ID:HuMolYkm
昭和43年1月号の平凡歌本の三田明の新曲紹介欄から↓

題名に地名をとり入れたブルースが去年(昭和42年)はヒットしましたが、それにあやかったわけではないでしょうが、東京・銀座の代名詞でもある数寄屋橋をテーマに、今後三田明さんの「数寄屋橋ブルース」が初荷レコードとして12月25日発売されました。
「夕子の涙」が銀座の裏通りをテーマに歌われていますが、それにつづく数寄屋橋は映画「君の名は」で一躍有名になった所。
「恋人の泉」「夕子の涙」「ブルーシャンペン」と典型的な吉田メロディーにとり組む三田さんが、今度の「数寄屋橋ブルース」では、更に一歩大人への足がかりをつけた曲ともいえます。
311昔の名無しで出ています:2008/07/29(火) 17:09:14 ID:a4IuwGL7
意外に見落とすけど、銀座の裏通りをテーマにした曲は「夕子の涙」だけじゃないよ。
その2年後に発売された「あなたの涙」の歌詞にも銀座の裏通りがしっかり出てくる。
(ひょっとしたら、この曲は「夕子の涙」の続編かもしれない?)

三田明の曲のテーマになった東京の地名は、銀座、青山、六本木、数寄屋橋・・・くらいかな?
312昔の名無しで出ています:2008/07/29(火) 23:12:17 ID:1Gy0S5qB
「夕子の涙」も「あなたの涙」も涙つながりだから、意識してつくられたことは否めない。ちなみに「薔薇の涙」を加えて3部作なんて言われているけど、「薔薇の涙」には銀座は出て来ない。
「若い翼」には東京タワー(冒頭の管制官とのやりとりのような台詞)が出て来る(東京タワーは地名ではないが)。ちなみに「アイビー東京」には新宿の地名が3番に出て来る。
313昔の名無しで出ています:2008/07/30(水) 17:34:05 ID:J0ZLfWyg
「薔薇の涙」は明らかに「恋人ジュリー」の路線だよね。
外国人の女性名が出てくるところや、地名がとくに出てこないところなど内容的に共通する。

考えるに、この頃の曲はとにかく外国人の女性名が出てくる曲がかなり多い。
三田には、ジュリー、エルビラ、ローザ、ジェニー(日本名だとチコちゃん)
橋が、カテリーナ、ジェーン(日本名だと江梨子、今日子、お雪さん)
西郷がノーラ、ナナ 
舟木は無し(日本名だと小雪、夏子)

女性の固有名詞が登場する曲は、三田明が一番多いかもしれない。
314昔の名無しで出ています:2008/07/30(水) 19:21:21 ID:skdceV/4
確かに外国女性の名前が出る曲は多い。この一連の曲は後年の鹿内孝「本牧メルヘン」のパイオニア的曲と言えるかもしれない。
結局三田は歌の世界ではかなりの女泣かせだったということで(笑)
315昔の名無しで出ています:2008/07/31(木) 17:22:57 ID:Lx9Nerst
女の生き様や人生をテーマにした曲は、森進一の独壇場だろうけど、
不思議と森進一の曲で、女性名が出てくる歌が思い浮かばない。
記憶にある限り、森の持ち歌で女性の固有名が出てくる曲はないと思ったが・・・・・・

結局、三田明の昭和41〜44年頃(全盛期)までの曲の系譜を大雑把に総括すると、
 「恋人ジュリー」から始まる外国女性の固有名詞をテーマにした曲
 「アイビー東京」から始まる東京(固有の地名等)をテーマにした曲
・・・に大別されるだろうか。(それ以前の曲は、舟木路線を模倣した青春歌謡)
316昔の名無しで出ています:2008/07/31(木) 23:08:38 ID:OXpu3fkN
森進一の曲で地名がつくのは腐るほどあるが、女性名が出てくるのは「波止場町」のB面「夏子ひとり」(阿久悠作詞)ぐらいしか思い浮かばない。
そもそも女性の名前が出る曲は男が主人公のものがほとんど。女歌が大半を占める森の持ち歌の中で少ないのは至極当然。ちなみに「夏子ひとり」は男歌だった(♪夏子が手を振る北の駅 未練がつないだ汽車の窓…)。
ということは全盛期の三田の曲は「青年が歌う男歌」がほとんどだったと言える。彼の曲で女歌を探そうとするならば、少なくても全盛期には見当たらない…はず(笑)。
317昔の名無しで出ています:2008/08/01(金) 18:02:49 ID:3RSbFwoV
そう言えば、橋幸夫の「京都神戸銀座」は、橋自身初めての女歌だったと自伝に書いてあったな。
舟木の場合は、「北国にひとり」あたりが最初の女歌になるのかな?

御三家ですら初期の作品に女歌が見当たらないから、三田明に女歌がないのもうなずける。
逆に「高校騎兵隊」あたりは、さすがに川内康範作詞だけあって見事なまでの青春歌謡版男歌だよね。
318昔の名無しで出ています:2008/08/01(金) 21:27:28 ID:nvFb+zFp
「高校騎兵隊」はほとんど軍歌に近く、曲調も「異国の丘」を彷彿とさせている。若い仲間の友情の大切さを歌っており、何事にも筋を通す川内康範らしい作品である。森進一との一連の「おふくろさん騒動」を見ると、余計に川内の人柄が偲ばれる。
男が歌う女歌は割とドロドロしたものが多く、青春歌謡の爽やかな印象の強い御三家や三田明ではイメージが合わないのではないか。
319昔の名無しで出ています:2008/08/02(土) 16:25:16 ID:vRMQHkTR
舟木一夫の「北国にひとり」を聴いてて、♪さよなら〜あなた〜別れてゆくわ〜〜
という女口調の詞が出てくると、ちょっとそれまでの曲のイメージとは違うし、まず違和感を覚える。
青春歌謡と女歌は、まったく対極のものなのかもしれない。

ところで三田の「ブルーシャンペン」は川内康範作詞だけど、
こういう都会の夜のムードをテーマにした曲を川内が書くとは、ちょっと意外な気もする。
B面の「恋より強い愛を見た」の方は、マヒナの「誰よりも君を愛す」や三浦洸一の
「恋しても愛さない」の路線で、この手の曲は川内の得意ジャンルといえるだろうけど。
320昔の名無しで出ています:2008/08/02(土) 23:16:58 ID:X7HuELXR
女歌の旗手・森進一に「美しい十代」を歌わせたら、想像を絶する青春歌謡になるだろう。
川内康範は、森進一の「花と蝶」「銀座の女」「命あたえて」などのような繊細でありながら情欲的にもなる微妙な女心を描写したものを書かせたら天下一の作詞家であった。
321昔の名無しで出ています:2008/08/04(月) 17:39:26 ID:Aa0s0DxZ
三田明に「花と蝶」を歌わせたら、森のような重々しいムードとはかけ離れた、
サラリと軽いタッチでテンポのいい、大人の青春歌謡に仕上がったかもしれない。
もちろん編曲は完全に青春歌謡風アレンジになるだろうし、時代の流行に乗って
三田明が歌うエレキが唸るビート歌謡風「花と蝶」なんてのも、考えると面白そう。

ところで、森進一の盛り場演歌を大量に書いた猪俣公章は、ド演歌の作曲家の
イメージが強いけど、意外にも昭和42年デビューの永井秀和に青春歌謡も書いている。
322昔の名無しで出ています:2008/08/05(火) 19:07:05 ID:Pujn6ToJ
「花と蝶」や「火の女」「おふくろさん」などは、三田明に限らず例えば森進一と並ぶ女歌の名手・五木ひろしが歌っても物足りない。森の歌で刷り込まれているせいもあるが、作曲の段階で明らかに森を想定した曲だからかと思う。
森の師でもあった猪俣公章は、作曲の引き出しが割と広く、青春歌謡も手掛けるキャパは充分にあっただろう。
323昔の名無しで出ています:2008/08/06(水) 17:37:21 ID:pm8JiXG0
猪俣公章は、森進一や前川清のようなクセの強い歌い手にピッタリの作曲家なのかもしれない。
(現に猪俣のヒット曲は、森やクールファイブに集中しているわけだし)
クセの強い猪俣公章の曲は、クセのない三田明には不向きだし、
アクの無い吉田正の曲は、アクの強い森や前川には不向きだということかな?
324昔の名無しで出ています:2008/08/06(水) 20:50:11 ID:B03cReim
猪俣公章はアクの強い曲が得意だったが、ソフトなタッチの曲も結構書いている。五木ひろしの「千曲川」「愛の始発」や、海原千里万里の「大阪ラプソティー」などがその代表曲だろう。
実際、三田明のオリジナルで猪俣作品があるかどうかは勉強不足で知り得ないが、猪俣ならば三田の特徴を充分生かした曲を書いていたかもしれない。
逆に素直な曲調が多い吉田作品を森進一や前川清が歌うと、面白いことは面白いが、聴き終わった後に妙な疲労感にさいなまれる。現に森の吉田作品のカバーアルバムを聴けば分かる。
325昔の名無しで出ています:2008/08/07(木) 18:11:50 ID:ft1nJLq6
猪俣公章が永井秀和に何曲か書いた曲は、そのまま三田明が歌っても遜色はないと思う。

ところで森進一には、吉田正のオリジナル作品は無いと思うけど、
同じビクターで、森とためいき路線として並び称された青江三奈には、吉田正の作品が何曲か存在する。
青江三奈には、吉田作品に通じるような「都会の夜」をテーマにした曲が多いこともあるから、
吉田正も青江には興味を示したのだろうか?

青江のブルース演歌「池袋の夜」「新宿サタデーナイト」「国際線待合室」あたりは、
フランクの都会派ムード歌謡「夜霧の第二国道」「西銀座駅前」「羽田発19時50分」あたりの
テーマに共通するものがあると思う。
(もっとも青江の歌った吉田作品で、ヒットした曲があるかどうかは分からないが・・・)
326昔の名無しで出ています:2008/08/07(木) 18:34:07 ID:osvzzkjU
>325
青江三奈さんの吉田正作品でヒットしたのは
「銀座ブルーナイト」「ベイブリッジブルース」
がありますよ。
327昔の名無しで出ています:2008/08/07(木) 21:12:52 ID:S/sZeO7M
青江三奈の吉田作品は>>325さんが上げた2曲の他に「おんな酒」「この恋なくしたら」「行かないで」があるが、どれもヒットとまではいかない売り上げだ。
「この恋なくしたら」とはオリコン発足前の発売なので売り上げは不明だが、「おんな酒」と「銀座ブルーナイト」はどちらも1万枚以下の売り上げで、「行かないで」と「ベイブリッジブルース」に至ってはオリコン100位ランク外と、惨憺たるもの。
森進一に吉田正作品が皆無なのは、単に吉田が森に書きたくなかったと言うことではなく、たまたまそういう機会がなかっただけのことかと思う。
ちなみに青江の「この恋なくしたら」は、三田明の「青山通り」に似た感じの曲だ。
328昔の名無しで出ています:2008/08/08(金) 23:32:19 ID:fmusNuJR
たとえば、「青山通り」を三田明で聴くと、都会をテーマにしたごく普通の青春歌謡だけど、
この曲を青江三奈が歌うとまるっきりのためいき演歌路線になりそうな感じがする。
つまりは、同じ曲でも表現者(歌い手)の個性でどのような仕上がりにも化ける可能性が
あると言えるわけで、作曲家から見れば歌手の個性も勘案しながら曲作りをしなければ
ならないといえる。
吉田正の場合は、橋には股旅とリズム物、三田には学園歌謡(舟木路線物)と都会派青春歌謡
と曲作りの上で、それぞれの個性の棲み分けをしていた感じがするけど、
森進一に対しては、食指が動かなかったのではないかと個人的には想像しているんだが・・・・
フランク永井の低音の声質とジャズ感覚に惚れ込んでいたくらい、モダンな感覚の吉田から見たら、
森のあの声質は邪道だと思ったにちがいないと睨んでいるんだけど、どうだろう?
329昔の名無しで出ています:2008/08/09(土) 19:02:32 ID:B9tvIDlM
それはごもっともで、歌手の個性によって曲はあらゆる色に変わるものだと思う(編曲はオリジナルのままでも)。
森進一の「冬の旅」を五木ひろしが歌ったのを聴いたことがあるが、どうも迫力不足で、大げさだがまったく別の楽曲を聴かされている錯覚に陥るほどだった。
考えてみると、「青山通り」も森の「女のためいき」も青江の「恍惚のブルース」も、何となく似ている気がしなくもない。
330昔の名無しで出ています:2008/08/11(月) 17:02:42 ID:qpGcBnKn
森進一の「さらば友よ」は、三田明が歌った方がよかったのにね。
もちろん、ヒット狙いなら森で正解だし、実際ヒットしてるからそれでいいんだけど、
曲の内容から見ると、今までの森の盛り場演歌の世界から離れたテーマだから、
むしろこのようなテーマは、青春歌謡出身の三田の方が合いそうにも思うんだけどね。
もしこの曲を森よりインパクトに劣る三田が歌ったら、やはりヒットは難しかっただろうか?
たしかこの曲の作曲は猪俣公章だと思ったが、猪俣公章がもし吉田門下の三田明に
ヒット狙いの曲を依頼されたとしたら、一体どんな曲を提供しただろうかと考えると興味がある。
331昔の名無しで出ています:2008/08/11(月) 18:32:39 ID:QTniUqpU
「さらば友よ」(阿久悠作詞、猪俣公章作曲)の歌詞は親友に好きな女性を奪われた、という失恋の男歌だが、メロディーは抑揚が激しく、とても三田には歌えないと思う。もっとも、三田の歌で発売するならば猪俣はこんな激しいメロディーを作らなかっただろうが。
猪俣が三田にヒット狙いの曲を作るとしたなら、おそらく「港町ブルース」(森進一)のようなあっさり目の曲を提供してだろうか。
あるいは「愛の始発」(五木ひろし)みたいな少しフォークっぽくも大人っぽいものを挑戦的に書いたかも。
332昔の名無しで出ています:2008/08/11(月) 22:48:56 ID:Q8GkQMnE
>>326
「ベイブリッジ・ブルース」はハマクラ作品だよ
333昔の名無しで出ています:2008/08/12(火) 16:49:55 ID:FFp0CWUr
>>332
「ベイブリッジ・ブルース」はハマクラ作品ではない。
ジェームス三木作詞、吉田正作曲である。
334昔の名無しで出ています:2008/08/12(火) 17:09:56 ID:WtZ4i0h3
やはり70年代は、森進一のような熱唱型の曲の方が受けたんだろうね。
たとえば、布施明の「愛は不死鳥」とか尾崎紀世彦の「また逢う日まで」とか、
もう少し時代を経て、野口五郎「甘い生活」松崎しげる「愛のメモリー」とかね。
三田明には、考えてみると熱唱型の曲が一曲も無いのに気付く。
それどころか、橋にもフランクにも熱唱型の曲が見当たらない。
吉田門下生が70年代に入って衰退せざるを得なかったのは、結局ここら辺に原因があるのだろうか?
335昔の名無しで出ています:2008/08/12(火) 21:53:34 ID:FFp0CWUr
それも大きな一因かと思う(三田の「涙と微笑み」はサビの部分でシャウトするところがあるが、熱唱型とまではいかないか)。
三田も含めて、どう見ても吉田門下の中には熱唱型の歌手はいない。みんなソフトな歌い方で、必要以上な力みはない。
吉田メロディーそのものも、起伏が浅い曲がほとんど。「いつでも夢を」を♪いつぅ〜でぇ〜もぉ〜ゆぅぅめうを〜 なんて前川清バリに熱唱しようものならば、吉田正が草葉の陰で嘆くそうな(笑)
336昔の名無しで出ています:2008/08/13(水) 21:18:20 ID:???
森進一がヒットして歌謡界の世界が演歌っぽくなっる気がします。
美しい十代の少年が大人の歌「数寄屋橋ブルース」を歌うようになり
西郷輝彦は「運命のひと」や「涙は眠れない」…とずいぶんイメージチェンジしている。
☆青春ものから大人のポップスに
時代の流れでしょうか?
…だから「青春歌謡」でしょうか
337昔の名無しで出ています:2008/08/13(水) 23:24:51 ID:Lsec7UYO
>>336
それは時代の流れとしか言い様がない。
そもそも青春歌謡は、大人の作詞作曲家が理想的な青年像を歌謡化したもので、流行のピークは昭和40年代初頭までだった。
以降は若者自身が歌を作るメッセージ性の強いフォークソングや、来日したビートルズに触発された若者たち自身でバンドを組んだグループサウンズが出現し、青春歌謡は見事に衰退することに。
338昔の名無しで出ています:2008/08/13(水) 23:29:28 ID:sIrbILc/
>>335
熱唱型の曲は、やはり最後まで熱唱的に歌い切るというのが
お決まりのパターンだろうけど、「涙と微笑み」はサビの部分が
盛り上がる程度で、熱唱型というには弱いかもしれない。
御三家では、西郷輝彦の後期の作品に熱唱型の曲がある。
「真夏のあらし」「情熱」「掠奪」あたりが該当するだろうか。

吉田門下では、三浦洸一が熱唱型に一番近いかも知れない。
クラシックを勉強しただけに、よく伸びる朗々とした高音と声量は
熱唱型にふさわしい。「青年の樹」あたりを聴くとそう感じるけど、
三浦はもっとこの路線を極めるべき歌手だったのかもしれない。
339昔の名無しで出ています:2008/08/13(水) 23:37:08 ID:???
見方は様々ですが青春歌謡は、次の音楽または
新しい次のブームに必ず生きてます!
…そう信じてます!
いや!
きっと見えないところで活(生)きてます。
340昔の名無しで出ています:2008/08/14(木) 20:21:55 ID:xMsNQ7Y0
「来た道寄り道帰り道」はとてもいい曲だよ
341昔の名無しで出ています:2008/08/15(金) 22:53:58 ID:nlflX2qU
>>338
西郷輝彦の「真夏のあらし」などの熱唱型の曲は、後の西城秀樹の「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」などの彼の初期のヒット曲につながる路線で、御三家と新御三家の数少ない接点である。
御三家と新御三家を比較する時、橋幸夫=郷ひろみ、舟木一夫=野口五郎、西郷=西城、が妥当。三田明は御三家に属していないので比較対象にはならないが、強いて言うならば、三田明=伊丹幸雄、だろうか。伊丹は西城がいなければ新御三家に入れた経緯がある。

三浦洸一の場合、お得意のクラシカルな文芸路線に主軸を移したらヒット曲が出なくなってしまった。フランク永井の台頭もあろうが、三浦のファンが「落葉しぐれ」や「東京の人」などのコテコテの歌謡曲路線を望んでいたからかもしれない。
342ノスタル爺:2008/08/17(日) 00:36:53 ID:qbuy4RL5
♪こんなに〜
こんなに〜愛してる〜
「恋のアメリアッチ」
橋 幸夫は「恋と涙と太陽」どちらも吉田 正がGSブームの最中、夏と若者の恋愛をテーマにビートの効いた新しいリズムをと作曲。

斬新なメロディは今でも脳裏に焼き付いているが吉田 正がもう一曲、同じリズム(アメリアッチ)をベースにした曲を同じビクターの久保 浩にも提供しているのをご存知だろうか?

これはデュエット曲で、意外にも相手の女性は、後にソロで大ブレイクした「小川知子」なのだ。

タイトルが今いち地味な「恋旅行」タイトルのイメージ通りヒットした形跡はなく、この曲をタイトルを変え三田と小川が組んでたら売れてたと思うが‥
343昔の名無しで出ています:2008/08/18(月) 13:01:50 ID:PdYmIMuq
昭和41年夏のビクターいち押しのリズムは、アメリアッチだったね。
久保浩・小川知子の「恋旅行」も、よく聴くと名曲ではある。
ロマンスカーに乗って恋人同士の旅行を歌ってて、ヒットしてもおかしくなかったと
思うんだけど、曲調は橋・三田のアメリアッチよりおとなしい感じなのがまずかったのかな?
ところで、このレコードのジャケットはなかなか素晴らしい。
まだ小川知子は女優時代だったんだろうけど、ソロデビュー以後のどのジャケットより
可愛いと思うんだけど、どうだろうね?

三田明は「恋人ジュリー」の直前に、たしか柏木由紀子とデュエット曲を出していたはず。
ちなみにアメリアッチといえば、既出の3曲の他にまだある。
「恋のアメリアッチ」のB面「タッチ・アンド・ゴー」がそれ。こちらの方がリズム歌謡色が
強く、A面にしてもおかしくない出色の作品だと思う。
(さらに、橋の「恋と涙の太陽」のB面「太陽だって泣いている」もアメリアッチだったかな?)
344昔の名無しで出ています:2008/08/18(月) 14:19:39 ID:m7hm3zVj
>>341
全然違うと思いますが。
悪いけど、あなた分析のセンスないね。
345昔の名無しで出ています:2008/08/18(月) 14:35:09 ID:MmUM8DQo
>全然違うと思いますが。

なら、どうお思いか。ご高説を伺いたい。
346昔の名無しで出ています:2008/08/18(月) 15:19:42 ID:PdYmIMuq
私は>>344では無いけど、
個人的には、橋=西城 舟木=野口 西郷=郷 だと思う。
三田明は、あいざき進也かな?(ごめんねチコちゃんのイメージと、あいざきのナヨナヨしたイメージが似ている、と思う)
伊丹幸雄は「青い麦」しかヒット曲を知らないし、あいざき進也や城みちるの方が印象に残っている。
まあ、ここらへんは個人個人の主観だから千差万別いろいろな見解があっていいでしょう。

西城秀樹の「傷だらけのローラ」に対し、西郷輝彦にも「愛するノーラへ」という曲がある。
物の本によると、西城秀樹の初期の激唱型歌謡曲は、美樹克彦をモチーフにしてたらしいね。
347BOX買い:2008/08/18(月) 18:37:29 ID:9G4rZDcS
>>343
三田と柏木由紀子のデュエット曲は「愛の手紙は幾年月」なのだが、同じ題で梶光夫・高田美和も
歌っているが、同じ曲なのだろうか。
348昔の名無しで出ています:2008/08/18(月) 19:33:15 ID:PKDVWkXE
橋幸夫=郷ひろみ、舟木一夫=野口五郎、西郷輝彦=西城秀樹、の分類は、持ち歌や本人の雰囲気と言うより、人気ポジション的な分類である。深い意味はない。
349昔の名無しで出ています:2008/08/18(月) 19:50:06 ID:PdYmIMuq
>>347
梶光夫・高田 美和「愛の手紙は幾年月」1966年7月発売・作詞西沢 爽作曲山本丈晴
三田明・柏木由紀子「愛の手紙は幾年月」1966年8月発売・作詞佐伯孝夫作曲吉田 正

・・・・曲の内容は全く同じですが(当時話題になった小説か何かのテーマからの引用かな?)
作家が違うので、曲は全く別物だと思われます。
(梶・高田盤は所持していますが、三田・柏木盤は未聴ですので断言は出来ません)
350昔の名無しで出ています:2008/08/19(火) 14:37:41 ID:shX2O/rl
>>340
「来た道寄り道帰り道」のB面の「夜行列車」もいい曲だよ。
(ちなみにフランク永井にも「夜行列車」という曲がある。同名異曲だけど)

ところで、昭和45年以降の三田明の曲で一番売れたと思われる曲は何だろう?
(具体的な数字ではなく、印象度などから想定して)
この「来た道寄り道帰り道」あたりは売れた部類に入るだろうか?
351BOX買い:2008/08/19(火) 18:19:29 ID:bvGCcOvC
>>349
なるほど。レコード会社が違うのである程度の想像はつきましたが。
ありがとうございました。
352昔の名無しで出ています:2008/08/20(水) 17:28:14 ID:dcAJ2zAY
デュエットものは、
ビクターなら橋幸夫・吉永小百合、コロムビアなら梶光夫・高田美和には叶わないな。
まあ三田と吉永の「明日は咲こう花咲こう」は名曲だけどね。

でも考えてみると、ビクターでは森進一にデュエットものが無いのは理解できるとして、
三田明にもデュエットものがかなり少ないのは、どうしたことだろう?
橋より三田の方がデュエット向きに思えるんだが・・・・
353昔の名無しで出ています:2008/08/20(水) 23:25:28 ID:vXzZKVCc
森進一はキーが高いので、女性とデュエット曲してもどちらが男だか女だか分からなくなる場合もあり、また森と合うキーの女性歌手が見当たらなかったということもあって、デュエット曲を吹き込むことはなかったのだろう(ただし、離婚前に森昌子とのデュエット曲はある)。
三田のデュエットもかなり少ない。本当にもっとあってもよいと思う。吉永小百合と柏木由紀子ぐらいか。あと、昭和50年代に1曲ぐらいあったと記憶している。
354昔の名無しで出ています:2008/08/21(木) 15:17:19 ID:uVUr+p4w
キーが合う合わないなど度外視して、当時のためいき路線の黄金コンビ森進一&青江三奈の
ハスキーデュエット演歌なんて存在したら物凄かっただろうに、ビクターの企画力はどうも今いちだな。

三田明は全盛期はともかく、昭和40年代後半あたりに若手と組んで
青春デュエットソングなんか出していれば、ヒット云々は別にして話題にはなったかもね。
たとえば、三田明&麻丘めぐみとか・・・・
(ちなみに吉永小百合&三浦洸一「みどりの河」という曲があるが、この意外とも思える
組合わせから考えたら、三田&麻丘の方がまだ違和感は感じない)
355昔の名無しで出ています:2008/08/21(木) 21:06:47 ID:iJJ31wU5
森進一と青江三奈のキーの音域はも割合近いので、「ため息路線」のデュエットは制作上は問題なく作れたはず。本当になぜやらなかったのだろうと思う。
その数年前には都会派ムード路線のフランク永井、松尾和子で「東京ナイトクラブ」をヒットさせているのに(フランク、松尾の場合は同じ門下だったから可能だったのだろう)。
当時としては、三田明と麻丘めぐみの取り合わせは意外性で面白い。ただし、今だったら「同窓会コンサート」や「歌のアルバムコンサート」などで共演していそう。
356昔の名無しで出ています:2008/08/22(金) 17:38:03 ID:GOHfQSIq
吉永小百合は、同門下のマヒナ・橋幸夫・三田明・三浦洸一とはデュエットがあるけど、
フランク永井とのデュエットはない。
逆に橋・三浦は、松尾和子とのデュエットがない。
そんなわけだから、当然三田明と松尾和子のデュエットなどは想定すらできなかった
だろうけど、三田の声質が橋・三浦よりソフトで、フランク永井に近いなら、
数寄屋橋ブルース的路線でのデュエットは可能だったとは思うが・・・・・
(ただ、個性があまりに違いすぎると言われれば、それまでの話だけどね)
357昔の名無しで出ています:2008/08/22(金) 21:25:37 ID:uUDIh9P3
吉田門下は同じ門下の中でも歌手の棲み分けははっきり分かれており(青春歌謡部門、股旅歌謡部門、都会派歌謡部門など)、部門を越えた歌手同士のデュエットをやろうとするなら、作曲する吉田正はどちらに照準を置いた曲にすればいいか悩んでしまうだろう。
例えばフランク永井&吉永小百合でやろうとした場合、ナイトクラブ調の曲を吉永に歌わせるのはあまりにも酷だろうし、「いつでも夢を」的な爽やかな曲をフランクの低音で渋く歌われても困る。
松尾和子&三田明では、男と女というより、母と子、あるいは姉と弟といった感じの雰囲気になってしまう。それを逆手に取り、そういった曲を松尾と三田に歌わせたら、非常に面白いと思う。
358昔の名無しで出ています:2008/08/23(土) 17:03:54 ID:5fvZxU8g
西郷輝彦・水沢有美の「兄妹の星」ならぬ、三田明・松尾和子「姉弟の星」とかね。

歌手が一つのイメージから脱皮するのは、大変な苦労が伴うもので、
三田の先輩フランク永井も、昭和40年代に入って都会派ムードのイメージから
かけ離れたような曲を歌っている(「堂島」なんて曲は鶴田浩二の方が合う曲じゃなかろうか?)
さらに、三浦洸一も持ち味の声質にまるで合わないフォークソングの新曲などを出している。

2000年に日本テレビで放送された「いつ見ても波瀾万丈」に三田明が出演したときに、
昭和40年代後半に新曲「赤毛のおんな」のキャンペーンでキャバレー廻りしたんだけど、
客のリクエストは「美しい十代」ばかりだったと述懐している。
359昔の名無しで出ています:2008/08/23(土) 22:59:37 ID:+PKTYMD8
そのイメージチェンジを、森進一は3度も成功させている。
夜の盛り場・ブルース歌謡から、母物の「おふくろさん」、フォークソングの「襟裳岬」、純ポップス曲の「冬のリヴィエラ」。どれも大転換曲だがどれもそれなりにヒットした。
ただし、森のこの例は極めて稀で、これほどの曲のイメージチェンジをしたら、たいていはポシャる。そんな森も「冬のリヴィエラ」以降も数回ポップス曲をリリースしているが、ヒットまでは至っていない。
三田の「赤毛のおんな」は昭和48年発売だがそのころはもう落ち目で、新曲を出してもキャバレー回りぐらいしかできなかったのだろう。
新曲のキャンペーンで客から昔のヒット曲のリクエストがかかると、歌手としてはツラいらしい。ヒット曲が皆無の歌手にしてみたら贅沢な話だろうが。
360昔の名無しで出ています:2008/08/24(日) 22:54:15 ID:TnaPrtAl
>>357
姉弟系デュエットだと、松尾和子の他にも、少なくとも一曲は吉田作品を歌っている
田代美代子・中尾ミエとかでもよさそう。
日吉ミミ・麻里圭子じゃイメージが違いすぎて無理あるかも。
361昔の名無しで出ています:2008/08/25(月) 17:22:05 ID:aUNV/86j
>>360
麻里圭子と三田明は、ひょっとして合うかもよ。
リオ・アルマを三田明に置換えればいいだけだし、
三田&麻里の「月影のランデブー」なんか、ポップでいける感じがするけどね。
「裸足のままで」もフォークタッチで、三田の声質に合わないこともないと思うが・・・・
日吉ミミは、松尾和子以上に三田には合わないな。
362昔の名無しで出ています:2008/08/26(火) 06:26:08 ID:P327L81E
>>361
そうですね。作曲家云々にこだわるより、手っ取り早くポップス路線で売ってたら、
実現してたかも知れませんね。

そこで、作曲家云々を抜きにしてデュエット相手を考えたら、いしだあゆみ・伊藤アイコなんかも
良さそうに思えました。あゆみとだといずみたく作品に挑戦って感じ。アイコとだとやはり
吉田正のリズム系とかポップス系になりそう。
363昔の名無しで出ています:2008/08/26(火) 17:27:42 ID:M8GLUpr6
いしだあゆみって、たしか昭和42年頃までビクター専属で、
昭和43年にコロムビアに移籍して「太陽は泣いている」を出したんだよね。
その次に出した「ブルーライトヨコハマ」が特大ヒットになるんだけど、
三田明とデュエットの可能性があったとするなら、昭和42年以前の話になるかな?

話は変わるけど、いしだあゆみの「太陽は泣いている」と、
橋幸夫の「太陽だって泣いている」は、タイトルが実に紛らわしい。
森進一の「花と蝶」「花と涙」とか、布施明の「愛の園」「愛の虹」など、
同一歌手になると、似たタイトルの曲のオンパレードだから、曲を聴いても
すぐにタイトルが出てこなくて困るよね(三田だと「若い港」「若い翼」かな)
364昔の名無しで出ています:2008/08/26(火) 23:09:39 ID:iRTMUEKI
いしだあゆみのビクター時代はあまりヒットに恵まれず、「サチオ君」ぐらいしか知られていない。
三田とのデュエットは同じビクターなので物理的には可能だろうが、当時大ヒット曲のないいしだと青春スターだった三田とでは、よほど斬新なアイデアを出さない限り無理だったろう。
365昔の名無しで出ています:2008/08/27(水) 17:21:49 ID:nKuUO+QM
「ごめんねチコちゃん」と「サチオ君」は、イメージ的には近い気がしないでもない。

昭和41年に三浦洸一が、香山美子と「月よりの使者」、柏木由紀子と「東京の人」を出しているが、
それから比較したら、三田&いしだの組合わせはあまり意外とも思えないかもしれない。
ただ、問題は吉田門下の三田が、門下外のいしだと組むことが可能だったのかという
問題だけどね。(レコード会社が同じビクターだから大丈夫なのかな?)
結局、可能かどうかの判断は、それぞれの担当ディレクターの企画力の問題に帰結するのかな?
366昔の名無しで出ています:2008/08/28(木) 17:36:45 ID:cMlQcSI6
四天王と呼ばれる前の三田明の好敵手といえば、梶光夫?
山田太郎や美樹克彦や安達明よりは三田明の方が格上でしょ?
367昔の名無しで出ています:2008/08/28(木) 22:01:32 ID:vshvZnJv
三田は御三家よりは格下だが、その他の青春歌謡歌手よりは明らかに格上であり、そう考えると三田と同等の青春歌謡歌手は存在しないと言っても過言ではない。それは紅白出場回数を見ても分かる。
梶光夫が三田の好敵手と言えた時期はデビュー1、2年目ぐらいだろう。三田は昭和40年代前半までヒット曲を出していたが、梶はその頃失速していたはず。
368昔の名無しで出ています:2008/08/28(木) 22:41:52 ID:ngCWrUeV
三田明>美樹克彦>梶光夫、が普通の評価でしょ。梶は早めに引退したし。
369昔の名無しで出ています:2008/08/29(金) 17:22:35 ID:xRRyUQVa
紅白出場回数だけでいうなら、3回出場の山田太郎の方が1回の美樹克彦より上になるけど・・・・

橋幸夫17>西郷輝彦10>舟木一夫9>三田明6>山田太郎3>美樹克彦1>梶光夫・久保浩・安達明0
(舟木は1994年に出場してるから、10回で西郷と一緒かな?)

まあ、山田太郎が美樹克彦より格上かどうかは微妙だけど、
梶光夫と美樹克彦なら、梶光夫の方がヒットが多いと思うがどうだろう?
もっとも、これらの歌手の大半は、昭和42〜43年に入ると勢いがなくなるが、
三田の場合は、昭和44年頃まで安定して吉田作品でヒットを残したことが、
結果的に差がついた大きな要因だと思う。
(その三田も45年に急失速したために、せっかくの「四天王」と言う言葉は死語になってしまった)
370昔の名無しで出ています:2008/08/29(金) 22:00:05 ID:Yz3cpaaT
よくよく考えると、紅白の出場選考基準は結構あいまいな部分もあるので、必ずしも紅白出場回数が基準とは言えないかもしれない。
梶光夫と美樹克彦を比べる時、ヒットの数は梶の方があるだろうが、持ち歌のインパクトの強さは「花はおそかった」の美樹だろう。曲のインパクトが強ければ、その歌手の存在の忘れ去られるスピードは限りなく遅い。
三田明が四天王に加入した昭和44年はすでに御三家も息絶え絶えで、3人が三田のレベルに近付いたから(この年三田がぶっちぎりで売れたわけでもないが)四天王ができたと言えなくもない。
371昔の名無しで出ています:2008/08/30(土) 13:50:15 ID:5HfQ7zXm
あのころの人気で言えば、舟木・三田・西郷・橋の順番だろう。
372昔の名無しで出ています:2008/08/30(土) 14:32:59 ID:1KVftkjV
紅白の出場なんか人気を計る役に立たん。GSは全く無視されてた。
373昔の名無しで出ています:2008/08/30(土) 16:14:46 ID:O2gA1rGh
基本的に、橋幸夫は舟木・西郷世代よりひとつ前の世代に属する。
たとえば、北原謙二・松島アキラ・佐川ミツオ・高木たかし等と同世代(もちろんこの中では、橋がダントツ)

それだからこそビクターは、舟木の対抗馬として若くてルックスに勝る三田明を粗製のままデビューさせたわけで、
(股旅を中心に歌ってきた橋に、舟木に対抗して学園青春物を歌わせるのは少々無理だとの判断があったのではないか)

舟木が、コロムビアの先輩北原謙二を超える勢いがあったのに対し、
三田は、ビクターの先輩橋幸夫を超えることが出来なかったのは、
三田の歌手としての力量の問題もあっただろうが、
ビクター内に「橋が一番手、三田は橋の次」という、売出し戦略上の意識があったのではなかろうか?
374昔の名無しで出ています:2008/08/30(土) 20:18:57 ID:rD/ULZHJ
そう考えると御三家はデビューが近い舟木一夫、西郷輝彦、三田明の3人になるのが自然。
橋幸夫の同期の歌手がどんどん失速していく中橋だけが売れ続け、舟木、西郷らがデビューしたころにもヒットを連発していた。
程なく舟木と西郷が爆発的に売れ始め(三田もそれなりには売れた)、橋、舟木、西郷の3人がヒットチャートの上位をにぎわすようになり、御三家と呼ばれる所以となったのだが、雰囲気的には舟木や西郷に比べて橋はやや浮いている感じはある。
375昔の名無しで出ています:2008/09/01(月) 18:06:32 ID:juBcUZda
昭和38・39年の2年間だけで、デビューした青春歌謡歌手が、
舟木一夫、三田明、梶光夫、西郷輝彦、久保浩、安達明、山田太郎、叶修二・・・・
と主なところだけ挙げてもこれだけいて、一つの勢力になってたわけだから、
昭和35年デビューで股旅主体の橋が多少浮いているのは致し方の無いところではある。

この勢力に危機感を持った橋が、折柄のエレキブームに便乗してリズム歌謡を打ち出したから
御三家の一角に食い込んで時流に乗ることに成功したわけで、それとは逆に同じビクターの
三田がいろいろと割を食う結果になったのは、運が無かったとしか言いようがない。
376昔の名無しで出ています:2008/09/01(月) 22:00:16 ID:eaJjvVD6
そういう意味では三田明は橋に割を食ったのは確かだが、そんな状況でも御三家に食い下がる勢いがあったのだから、三田の人気はすさまじかったと言える。
橋幸夫が青春歌謡やリズム歌謡に走らず、股旅歌謡一本にしぼっていたら、爆発的なヒットはなくなっても案外息の長い歌手になっていたかもしれない。
そのいい例が北島三郎だろう。リズム歌謡や盛り場ブルース歌謡路線がブームのころは大ヒットは出なかったが、それでも地道に演歌一本道を通し、今に至っても第一線で活躍している(まず北島にリズム歌謡は合わないだろう)。
377昔の名無しで出ています:2008/09/02(火) 17:22:29 ID:0DAxxh3I
昭和30年代までの流行歌の花形ともいえるテーマであった、股旅もの・マドロスものは、
昭和40年代に入ると、完全に流行遅れの古くさい懐メロジャンルになってしまった。
(昭和41年に発売された橋・吉永の「夢みる港」は橋の最後のマドロスものといえるだろうけど、
曲を聴くとやはり古臭さが漂う曲調で、橋・吉永コンビの曲はこれが最後となる)
橋が、青春歌謡につかず股旅で押し通したなら、当然のごとく時流に飲まれて昭和40年代半ばには
もう若手懐メロ歌手になっていたと思う(三波や村田のような浪曲や、三橋のような民謡という方向性が橋には無かった)

三田が股旅物を歌わなかったのは、個性の違いもあるだろうし歌唱力の問題もあっただろうけど、
股旅ものでは三田ファンの支持は得られないし、セールス的にも厳しいと言う判断もあったのではないかと思う。
(そこで都会派歌謡を歌ってみたけど、吉田正の都会物もすでにブームの後だったのが三田にとっては誤算かな?)
378昔の名無しで出ています:2008/09/03(水) 22:37:42 ID:amUGpnfi
でも1曲ぐらいは全盛期の三田に股旅歌謡を歌わせてもよかったような気がする。三田の三度笠姿のレコードジャケットは、きっと映えたろう。
「数寄屋橋ブルース」は三田の人気の末期の頃の曲で、それなりにはヒットしたのだろうが、印象は薄い。ただ出来上がりとしては三田のソフトな歌唱がムード満点で、「有楽町で逢いましょう」の雰囲気を充分醸し出している。これは橋幸夫に歌わせてはいけない。
379昔の名無しで出ています:2008/09/03(水) 23:52:51 ID:PvxA6iGO
そう言われてみれば、橋幸夫の吉田正作品には都会派ムード歌謡は全然無いなあ。
380昔の名無しで出ています:2008/09/04(木) 17:19:10 ID:39PGIZ+u
橋幸夫にも、吉田作品ではないが「京都神戸銀座」や「銀座で逢った人だから」等の都会調歌謡
があるけど、橋の声質はフランク永井や三田明のようなソフトなイメージではないから、
印象がまるで違う。橋は、股旅のような粋な曲調の方が合う歌手だと思う。

股旅物は、都会派ムード歌謡とは逆でソフトに歌いこなすと味も何も無くなるから、
(フランク永井に股旅物が無いのはおそらくここら辺に理由があるのだろうか?)
三田明が股旅を歌ったとしたら、かなりインパクトが弱くつまらない仕上がりになったか、
橋とは一線を画す独特で面白い仕上がりになったか・・・・ さて、どっちだろうか?
381昔の名無しで出ています:2008/09/04(木) 21:04:12 ID:u7BEWC4Y
いずれにしても、今、コンサートでお客を満員に出来るのは、舟木しかいない。。
382ノスタル爺:2008/09/05(金) 00:04:51 ID:OHwtd0vL
>>380
橋が股旅の曲しか似合わないって云い方は是如何に?
世間的には橋=股旅のイメージが強いのは仕方ないと思うが、実際に橋のヒット作には股旅以外に

も、青春歌謡、日本調、(舞妓はんetc.)リズム歌謡(スイム3 etc.)や無頼モノ(裕次郎が歌ったような曲)演歌(後のジャンル)GS歌謡、都会派ムード歌謡など、それぞれに良い味を出して歌いこなしてますけど‥

383昔の名無しで出ています:2008/09/05(金) 00:29:28 ID:7rNPuepO
橋は何でもこなす万能型と言えるだろうね。「霧氷」などは
石原裕次郎あたりの歌だとしても、しっくり来ると思うよ。
384ノスタル爺:2008/09/05(金) 01:50:23 ID:OHwtd0vL
>>383 勿論です!
どのようなジャンルでも歌いこなせる歌手と云ったら橋と‥女性ではひばりぐらいしかいないでしょう。
また「霧氷」は裕次郎の曲とは少し違うような気がするが‥
デビューして3年目辺りには橋は「さすらい者」「俺は流氷」等の流れ者をテーマした曲を歌ってた頃があって敢えて裕次郎の曲とダブらしてみただけで「霧氷」は裕次郎の曲とは趣が違うような気がするが‥
「霧氷」はバラードだが敢えてジャンル分けすれば都会派ムード歌謡ではなかろうか?

385昔の名無しで出ています:2008/09/05(金) 03:21:37 ID:???
そうかね?まあ感覚は十人十色だけど。裕次郎には、都会派ムード歌謡が
ぴったりでしょ。「恋の街・札幌」「二人の世界」「俺はお前に弱いんだ」
「夜霧よ今夜も有難う」「ブランデーグラス」など、代表曲が揃っている。
386昔の名無しで出ています:2008/09/05(金) 16:47:32 ID:T7NPEKSw
>>384
文を読む限り、生粋の橋幸夫ファンと見受けたけど、残念ながら橋幸夫には
「俺は流氷」というシングル曲は存在しない。それは「北海の流氷」の間違いかな?
ちなみに井沢八郎が歌ってもおかしくないような曲。
または、昭和38年「東京ギター」のB面に「俺は渡り鳥」という曲もあるが・・・

それはさておき、
三田明のバラード物にも出色の出来がある。
残念ながらシングルのB面に追いやられているが、
「純愛のバラード」(A面ナイトイン六本木)、「あなたの横顔」(A面タートルルックのいかす奴)
「東京で二人」(A面若い翼)・・・あたりはA面にしても遜色がない。
387ノスタル爺:2008/09/05(金) 22:16:12 ID:OHwtd0vL
>>386
いやはや、恐れ入りました。(^_^;
「俺は‥」ではなく確かに「北海の流氷」でしたね。
ともかく40年程前の曲の話を頭の倉庫から引き出して書いてるので歌詞とタイトルが、まぜこぜになっているようですねw

貴殿が仰るように嘘も隠しもなく橋のスレの住人ですが、生粋とまでには到らず上には上が沢山いますからねw

というのも特段、橋だけではなく歌謡曲全般に渡り許容範囲が広いので‥w
勿論、橋の舎弟分の三田の歌も好きですし、貴殿のようにB面のタイトルが即座に言える程ではないけど、特に好きな曲は、
「君のそばには僕がいる」
「夕子の涙」
「薔薇の涙」
「ナイトイン六本木」
「数寄屋橋‥」と云ったところです。
「薔薇‥」「‥六本木」などは吉田正のリズム歌謡の中では橋にも負けず劣らずの傑作ですよね!
388昔の名無しで出ています:2008/09/05(金) 23:16:04 ID:VBgG5tiO
10月1日にビクターからLPアルバム復刻版の三田の洋楽カバーアルバムが発売される。これを聴けば三田の歌手としての本質を知ることができるだろう。
389BOX買い:2008/09/06(土) 06:12:01 ID:6GyZDrEp
それはうれしい!
確かタイトルは「ワールドヒットアルバム」だと思うのだが、曲も ある愛の詩・ラブミートゥナイトなど
吹き込んでいるし。楽しみだなぁ。
390昔の名無しで出ています:2008/09/08(月) 17:11:42 ID:LI+mHypA
「ワールドヒットアルバム」は昭和46年発売のLPの復刻だよね。
この中の「雪が降る」は、たしか同じ年に西郷輝彦がシングルで
出してるんじゃなかったかな?
全盛期を過ぎた時期に発売されたレコードの復刻が出るのは
喜ばしい限りだよね。
391昔の名無しで出ています:2008/09/08(月) 22:39:45 ID:/FbiCitH
ビクターは4年前からLPレコード(主に昭和40年代発売)の復刻CDアルバムを複数にわたり順次発売しており、今回はその第3弾となる。
第1弾と第2弾では三田明のLPは復刻されることはなかったので、これはファン待望の1枚だろう。
392昔の名無しで出ています:2008/09/09(火) 17:18:46 ID:3Z8/dpd/
三田明に洋楽カバーのLPが存在することは、知ってはいたが、
(このレコードを所持してはいないので、残念ながら聴いたことは無い)
三田明は、いろいろな音楽との接点の中で、洋楽と関わった部分ていうのが、
デビュー前も含めてあったのだろうか?
(たとえば、デビュー前にアマチュアバンドで洋楽をやっていたとか・・・・・)
393昔の名無しで出ています:2008/09/09(火) 21:15:37 ID:DVHLJv3Z
>>392
デビュー前の学生時代に友人とバンドを組んだことがあり、三田はギターを担当。その際、洋楽のカバーばかりをしていた。
394昔の名無しで出ています:2008/09/10(水) 17:32:09 ID:gKsHBROu
2000年放送の「いつ見ても波瀾万丈」三田明出演の時の話では、
「ホイホイミュージック」時の審査では、三田は落選だったらしいけど、
放送後に視聴者からのハガキが凄く舞い込んで、急きょ合格になったとか・・・

ところで、
三田はビクターのオーディションでは「高校三年生」を歌ったんじゃなかったかな??
395昔の名無しで出ています:2008/09/11(木) 22:06:37 ID:jx1sx7Pd
このころの歌手は毎月新曲シングルで出してなかったですか?
396昔の名無しで出ています:2008/09/12(金) 18:49:08 ID:GfX+ah+q
この当時は、月に2〜3枚のシングルを出すなどは人気歌手なら普通だった。
ただしLP盤はシングル曲を寄せ集めた盤が主流で、シングルに無いオリジナル曲のみの
LP盤は極端に少なかった。(シングル盤重視の時代だったんだね。)

三田明の場合、昭和38年10月のデビューから翌39年は、ほぼ月に1枚平均でシングルが
出ていたが、41年頃から若干間隔が開くようになり、42年あたりからは隔月発売くらいの
ペースになったんじゃなかったかな。
397昔の名無しで出ています:2008/09/13(土) 21:56:25 ID:9tZS8YdM
そうですか。
じゃうっかりしてると、ファンでも新曲見逃しちまいますねえ。

今みたいにシングル3か月に1枚のローテになったのは、割と最近なんですね。
398昔の名無しで出ています:2008/09/16(火) 16:36:00 ID:4OHL1SNg
「美しい恋人たち」は名曲だよね。「美しい〜」とタイトルにつくところを見ると
「美しい十代」の続編の曲かなあ?
399昔の名無しで出ています:2008/09/17(水) 09:25:13 ID:fUOoPJr4
昔、テレビの「田舎に泊まろう」という番組に三田さんが出てた。
その家の主婦は、「私は橋さんのファン」と公言して、私はムムッ。
食事の席で、主婦は三田さんに、気持ちはわかるけどずーずーしく
「美しい十代を歌って」と。
気持ちよく承諾し、歌いだした三田さんのその声に、私はテレビのこっち側で
感動して釘づけになった。やっぱり、声が違うのだ!上手い!深いくて甘い!
さすが・プロ・・・こんな席で、さらりと歌うときにも、人をしびれさせる
いい加減に歌うことはないのだなあ・・と。
で、そんな三田さんの商売道具である「歌」を、気安く求めた主婦に
もっと感謝して欲しかった・・・
400昔の名無しで出ています:2008/09/17(水) 13:57:15 ID:C7dPI8hN
三田明が「美しい十代」を歌っても、「ああ、またか・・・」という感じで、
あまり感慨を持たなくなった。
時には違う曲を歌う必要もあると思うけどねえ。
「みんな名もなく貧しいけれど」「若い港」「アイビー東京」「恋人ジュリー」
「カリブの花」「夕子の涙」・・・・いくらでもあるのに、もったいない。
401昔の名無しで出ています:2008/09/17(水) 14:20:55 ID:UM0x+nlU
>>399
TV番組なんて、台本を元に作るんだからね。全ては演出だから。
402昔の名無しで出ています:2008/09/18(木) 20:21:07 ID:NIuxeS4K
吉田正は曲作りの際に、三田明と久保浩の棲み分けに相当の配慮があったんだろうな。
三田明はぎりぎり衰退するまで青春歌謡路線をどんどん進んだけど、
久保浩はいつの頃からか演歌調の地味な曲調に変っていったし・・・・・
403昔の名無しで出ています:2008/09/21(日) 00:48:22 ID:lJUYRTWb
吉田正は、落ち目になりつつあった久保浩の起死回生を図ろうとして演歌路線に転向させたのだろう。三田は人気がある程度維持できたから、無理に路線変更はしなかったと。
久保の路線変更は見事に失敗、以降彼は歌手を生業にすることができなくなった。
404昔の名無しで出ています:2008/09/22(月) 18:53:35 ID:cuO2D1AL
久保浩の声質は粘っこいから、演歌に適していると判断したのかもしれないけど、
三田明の場合は、声質や歌唱法がまるっきり演歌向きじゃないから、
久保浩が演歌に転向して成功しなかったということは、
三田明が無理に演歌を歌っても、まず成功は難しかったといえるかもしれない。
ただ個人的には、三田明には猪俣公章のド演歌を、売れる売れないは別にして歌ってもらいたかったな。
405昔の名無しで出ています:2008/09/22(月) 22:45:21 ID:ONQxGZRn
昭和60年頃に「ひなげし慕情」という限りなく演歌に近い曲が発売されている(吉田正作曲)。そのレコードを聴くと、三田は何となくこぶしを回していて、意外に演歌もいけそうな感じはした。
ちなみにこの曲はまったくヒットしなかったわけではなさそうで、ビクターヒット賞を受けている。
406昔の名無しで出ています:2008/09/24(水) 18:56:01 ID:5JBuQ8I5
ビクターヒット賞といえば、
たしか昭和39年頃の「近代映画」の橋幸夫特集号だと思ったけど、
当時は5万枚でヒット賞(どこまで正しい数字かは疑問)だとかで、出せばヒットの橋が
多数のヒット賞のトロフィーを持ってご満悦のグラビアが載ってたけど、
それでいえば、三田もデビューの「美しい十代」から昭和43年頃までの曲は
だいたいビクターヒット賞に該当する程度の売上げはあったと思うけど、
そこらへんはあまり語られないからよくわからない。

ちなみに、オリコン設立以前に、レコード会社内でヒット賞が存在していたということは、
(当たり前だと思うけど)レコード会社は、各曲の売上げデータを緻密に把握していたということにもなる。
(当時は世間一般には、50万枚とか100万枚とか平気でサバ読んだ数字が横行していたから、
このレコード会社内のヒット賞なるものが、ヒットの有無の判断材料になるだろうか?)
407昔の名無しで出ています:2008/09/26(金) 19:14:52 ID:19IpgtV7
吉田正作品に限って言えば、昭和44年「太陽のカーニバル」「サロマ湖の空」「あなたの涙」などや、翌45年の「涙と微笑み」、さらには48年「赤毛のおんな」までもビクターヒット賞を受賞している。
ちなみに49年の青江三奈「銀座ブルーナイト」は、オリコン上の売り上げは約5000枚だが、これもビクターヒット賞を受けた。
一体、売り上げ何枚以上がビクターヒット賞なのか、定義が分からない。
余談だが、ビクターヒット賞最多受賞歌手は森進一だそうだ。これは理解できる。
408昔の名無しで出ています:2008/09/27(土) 15:37:26 ID:niu0vxEJ
勝手に想像するなら、初回プレス(当然、歌手によって曲によってその枚数は異なる)が
捌けて、再プレスしたレコードはトータル売上げ枚数に関係なく「ビクターヒット賞」
受賞となったのではなかろうか??
ただ、昭和40年頃までは、人気歌手は毎月1枚程度の割合でリリースしていた
から、橋幸夫や三田明の方が森進一より圧倒的にレコード発売数は多いと思う
けど、それでも森の受賞回数が1番ということは、森はデビューからほぼ全て
といっていい位、出す曲出す曲ヒット賞に輝いていたということになるね。
(たしか森進一は、1年間にシングル10枚以上発売した年は無かったと思うけど)
409昔の名無しで出ています:2008/09/27(土) 21:54:21 ID:RIOF+NTS
森進一の1年間のシングルリリースは平均2、3枚ぐらいで、最高は昭和42年の5枚(女の波止場、女の酒場、女の岬、命かれても、盛り場ブルース)。
だが現在に至るまでコンスタントにシングルをリリースしており、そのほとんどがオリコン100位圏内にランクインしている。その曲数は約90曲。ビクターヒット賞も90個は下らない。
三田明もビクターヒット賞は20〜30ぐらいは受けているだろう。
410昔の名無しで出ています:2008/09/29(月) 17:01:19 ID:8Zn/InpF
昭和43年と言う年は、
三田明が御三家と肩を並べて「四天王」と言われた年でもあるけど、
一方、その三田を遙かに超えるレコードセールスを示した森進一の
絶頂期の始まりとも云える年だったわけで、
吉田正&三田明の青春歌謡が、猪俣公章&森進一の盛り場演歌に
太刀打ちできなくなった年であるとも言えるのではなかろうか?
ただ、その前年の昭和42年は三田「恋人の泉」「夕子の涙」あたりと、
森進一「盛り場ブルース」「命かれても」とは、どちらがセールス面で
勝っていたのだろうか?
(まだオリコン発足前で、明星平凡の歌本にあるベストテンを見ると、
圧倒的に三田明が森を引き離しているんだけど・・・・)
411昔の名無しで出ています:2008/09/30(火) 22:33:16 ID:oX61WJ7K
昭和42年発売の「盛り場ブルース」と「命かれても」はオリコン発足後の翌43年になってもかなり売れ続けていたので(オリコンに記録が残っており、2曲とも10位以内にランクイン)、三田の「夕子の涙」などよりはトータルの売り上げ枚数は遥かに多いだろう。
ただその当時、瞬間的な売り上げは三田や御三家の方が強かったので、歌本などの週間ベストテンでは上位に食い込んでいた。
412昔の名無しで出ています:2008/10/01(水) 15:47:08 ID:MapL+/4x
先日の渋谷らいぶステージ、よかったよ。満喫しました。
「赤毛のおんな」なんてなかなか聞けるもんじゃないし。
413昔の名無しで出ています:2008/10/01(水) 22:07:54 ID:37NZQuVq
三田明自身も、フランク永井の唄を好んで歌うくらいだから、
ジャズ風の「赤毛のおんな」は好きな持ち歌なのではなかろうか?
大概の歌手は、自分の持ち歌で好きな曲はライブなどのステージでは
必ずといっていいほど歌うケースがままあるしね。
414昔の名無しで出ています:2008/10/03(金) 20:45:43 ID:NIGqOWXu
かつて茨城県日立市の吉田正音楽記念館において三田は2回ほどミニコンサートを開いているが、常連曲「美しい十代」「夕子の涙」に並んで「赤毛のおんな」も2回とも歌っていた。
「赤毛のおんな」は、三田が吉田正に大人のムードのある曲をと懇願してできたもので、三田もこの曲は大事に歌っていきたいとそのミニコンサートで語っていた。
415昔の名無しで出ています:2008/10/06(月) 18:18:02 ID:oT6oE6bF
「赤毛のおんな」を森進一が歌ったら、
やはりドツボにはまった盛り場ネオン演歌になってしまうだろうか?
416昔の名無しで出ています:2008/10/08(水) 21:14:22 ID:loYENKEh
森進一は意外にも洋楽・ジャズの素養があり、ジャズの雰囲気を壊さずに「赤毛のおんな」を歌うのは充分可能ではある。
ただ聴く側としたら彼のキャラを思いながら聴いてしまうので、盛り場演歌のように聴こえてしまうことはないとは言えない。
417昔の名無しで出ています:2008/10/09(木) 18:21:56 ID:NM1szAd5
森進一は、デビュー当時はキワモノ視され業界内では全くの低評価だったそうだけど、
ビクター内で、もっとも森に対し辛辣な評価をしていたのは、
ひょっとしたら吉田正ではなかっただろうか・・・と勝手に推測している。
吉田ほどの大作家が、同じビクターで一番勢いのあった歌手に一曲も残していない
というのは、ちょっと不自然とも思う。
(売るための企画として、吉田&森コンビの曲なんて結構話題にはなっただろうに)
三田の場合は、最初はその歌唱力に吉田も手を焼いただろうけど、
声質そのものは決して吉田の気に入らない性質のモノではなかったからこそ
吉田正の得意ジャンルである「数寄屋橋ブルース」や、「赤毛のおんな」などの佳曲を歌う機会を得たと思える。

418昔の名無しで出ています:2008/10/09(木) 23:15:08 ID:y4zI4peG
>>417
それは大いにあるだろう。森とほぼ同じ時期にデビューしたハスキーボイスの青江三奈よりも悪い意味でのインパクトが当時は強かった。当然、ビクターも森より青江をプッシュしており、森はすぐ売れなくなるとにらんでいた。
ところが、実際は森の方が売れ続け、この10月、史上初のオリコンチャート100位圏内に通算100曲ランクインという大記録を打ち出すまでになった。
さて、そもそも吉田正はソフトな感じの声質が好みだったのだろう(歌のうまい下手は別にして)。門下生の顔触れを見たらそれは分かりきったこと。
ただ、全く吉田と森との接点がなかったわけではなく、前にも触れたが森は吉田メロディーのカバーアルバム「再会」をリリースしており、そのレコーディングの際、森は吉田のレッスンを受けている。
419昔の名無しで出ています:2008/10/11(土) 08:48:22 ID:SIVASPpA
その森をレッスンした際、吉田正が内心どう思ったかが個人的に非常に
興味のあるところで(今となっては想像の域を出ない話だけどね)
青江三奈にはオリジナルを書いているにも関わらず、結局森にはカバーしか
残ってないと言うところが全てを語っているのではなかろうか?
(吉田正なら、森進一と言う歌手の個性をどんな風に表現しただろうか、非常に興味がある)

三田明は、森と比較したらソフトな声質の分、インパクトに欠けるわけで
フランク永井のような独自のジャンルを確立できれば良かったのだろうが、
青春歌謡衰退後の方向性を探るとき、吉田といえどもかなり悩ましい問題だったのでは
なかろうかと推測している。
420昔の名無しで出ています:2008/10/11(土) 21:50:37 ID:IFWRNcvp
アルバム「再会」レコーディングで、森進一は「有楽町で逢いましょう」を2パターン歌ってみた。1回目は森らしくかなり崩した歌い方で、2回目は崩さずソフトな歌い方。森は後者を主張したが、吉田正は「先のでいこう」と崩した歌い方の方を推した。
結局吉田の意見が通り、相当違和感のある「有楽町で逢いましょう」が吹き込まれた訳だが、吉田の内心・本心は果たしていかがなものであったか、知る由もない。
三田明は「美しい十代」で一気にスターになり、やがて「美しい十代」に縛られ、「美しい十代」にもがき苦しみ、今となっては「美しい十代」で飯の種を得ている、というところか。
421昔の名無しで出ています:2008/10/12(日) 21:57:43 ID:Fht/T9oA
三田明が、「美しい十代」に匹敵するヒット曲があったとしたら、
「美しい十代」に縛られることもなかったと思う。
吉田門下生はデビューヒット以外にも代表曲をそれぞれ持っている。
たとえば、
フランクなら「夜霧の第二国道」やら「夜霧に消えたチャコ」やら「君恋し」・・・
三浦なら「弁天小僧」やら「東京の人」やら「踊子」・・・
橋なら「いつでも夢を」やら「雨の中の二人」やら「霧氷」・・・

三田の場合、「夕子の涙」やら「恋人ジュリー」など挙げてみると
やはり「美しい十代」に匹敵するヒット曲とはいえないところが辛い。
422四天王ファン:2008/10/13(月) 08:27:07 ID:V0cbxNm5
四天王の三田・橋・舟木・西郷の現在の後援会の会員数、私の調査では、橋が500人
舟木が30,000人とのこと。三田と西郷は何人いるんだろう?
423昔の名無しで出ています:2008/10/15(水) 23:13:30 ID:GmjXYeq2
三田のヒット曲とされる「恋人ジュリー」や「夕子の涙」などは三田ファンじゃないと知り得ない曲だ。「美しい十代」を越えるヒットでなくとも、「美しい十代」並みに浸透しているヒット曲があと数曲欲しかった。
424昔の名無しで出ています:2008/10/16(木) 16:09:37 ID:rTzr+AW7
「明日は咲こう花咲こう」や「アイビー東京」あたりは、
もし御三家が存在していなければ、男性アイドル歌謡のヒット曲として
一般大衆の記憶に残っただろうな、と思わせるけど、
やはりヒットのインパクトは、御三家の方が上だったから、
どうしても三田のヒット曲は影に隠れてしまったのは気の毒だと思う。

それは、ハスキーボイスで頭角を現した森進一の影に隠れてしまった
同様な路線の矢吹健や黒木憲あたりにも言えるだろう。
425昔の名無しで出ています:2008/10/16(木) 21:44:25 ID:HGQ2wAZq
それは、もともと別々にデビューした橋、舟木、西郷を、御三家として括ったマスコミの功罪だろう。
御三家に括られることで3人は他の同世代歌手より目立つようになり、若手の青春歌謡歌手は育ちにくい環境になってしまったと思われる。
矢吹健や胡浜三郎(黒木憲もややハスキーだが低音歌手のイメージが強い)は同類歌手の先駆者・森進一がいなかったらある程度売れ続けることができたのではないか、とはよく言われてきたこと。
だが、ルックスや雰囲気的なもの、あるいは歌唱力などを考えると、矢吹よりは森の方が大衆受けすると思う。
426昔の名無しで出ています:2008/10/17(金) 14:43:17 ID:rA/twAhG
三田明の「美しい十代」は名曲ですね

西郷輝彦は一時歌から離れたせいか、声が出なくなったのが残念です。

427昔の名無しで出ています:2008/10/17(金) 17:06:15 ID:PcODKHh6
三田明は、「美しい十代」でスタートダッシュに成功したのはいいけど、
それから続く曲が舟木の模倣だったのが、印象度に欠ける最大の要因だったのではなかろうか?
「友よ歌おう」「すばらしき級友」「赤い夕陽」等々、コロムビアの学園歌謡の模倣だし、
「高校騎兵隊」もよく聴くと「君たちがいて僕がいた」に曲調が似ていなくもない。
そんな中で、「若い港」は青春歌謡とマドロス歌謡の中間の線を狙った三田流の青春歌謡の
傑作といえるし、「ごめんねチコちゃん」は内容が幼稚ではあるけど、御三家とは一線を画す
アイドル歌謡といえるかもしれない。
これらの曲が、今に残るヒット曲として大衆の記憶から失われたのは誠に残念である。
428昔の名無しで出ています:2008/10/17(金) 18:07:42 ID:hSISzchj
結局、三田は強力な御三家に飲み込まれてしまったというわけか。それでも、三田はよく健闘した方だと思う。

三田の一連のヒット曲は残念ながらインパクトに欠けるものが多い。どうしても橋幸夫の二番煎じのような気がしてならない(三田には股旅物はないが)。
429昔の名無しで出ています:2008/10/20(月) 19:50:22 ID:mHEIRzxT
本来なら、昭和39年10月から始まる橋のリズム歌謡は、三田が歌うべきだったのかもしれない。
 橋は、股旅物、時代物、日本調→吉永とのデュエット→演歌
 三田は、学園歌謡→リズム歌謡→都会調ムード青春歌謡
・・・こんな感じで、明確に曲を区分けしていれば、橋と三田のイメージが重複することも
なかったと思うが、リズム歌謡が完全にかぶるからどうしても二番煎じ的に思えてしまう。
(ただし、三田のリズム物は決して橋のリズム物に劣らないと思うが・・・)
430ノスタル爺:2008/10/20(月) 22:22:59 ID:oSwrDoMp
確かに当時の新人歌手のレコード会社や事務所の売り込み戦略は二匹目のドジョウ的なところが多々あって三田は橋の二番煎じだったように思うが‥
皆さん三田の人気が低迷した要因をあれこれと云って、あたらず障らずなのか、お忘れなのか?
はっきり云って一番の要因は顔(目と鼻)の整形 だと思います。
当時は女性はともかく男性が整形するというのは珍しく偏見を持ってた人が少なくなく、あまりの変貌ぶりにファン(特に女性)が驚いてひいてしまったのだと思われます‥

431昔の名無しで出ています:2008/10/21(火) 08:06:22 ID:jVcRK0f8
>>430
スレタイを読んでいただきたい。曲名が2曲もついているように、
ここは、歌手の私生活に関わる件を述べるのではなく、楽曲面での話を中心にしているのであって、
指摘の件は三田ファンなら知らぬ人はいないし、ここでの論点はあくまで曲中心であります。

たとえば橋幸夫スレで、10年もの間、実業にウツツを抜かして歌手業がおろそかになり、
舟木一夫に天と地以上の致命的な差を付けられている現実が深く語られていないように、
さらにその舟木が、自殺未遂を三度も繰り返したことが舟木スレで深く語られていないように、
また、森進一が母の自殺の遠因ともなったと言われる隠し子裁判が森スレで深く語られないように、
そのような私生活に関わる問題を、わざわざ引っ張り出す必要もないでしょう。
432昔の名無しで出ています:2008/10/21(火) 22:45:59 ID:xtqRc1ul
スターの私生活に言及することは、別に悪いことではない気がする。
舟木一夫や森進一のスレッドを見ると、かなり辛辣なことが書かれている。特に森は近年離婚騒動やおふくろさん騒動が立て続けにあったので、相当ボロクソな書き込みが多々見受けられる。
それはしょうがないこと。芸能人にはプライベートも公になってしまうもの。それぐらい芸能人は心得ているだろう。
三田の整形手術は森の一連の騒動や舟木の自殺未遂騒動に比べたらかわいいもの。
433ノスタル爺:2008/10/21(火) 22:50:04 ID:YX8kSBmU
芸能人の私生活云々ではなく低迷した要因は単に曲云々の話だけではなく現実問題として云いたかっただけで‥
橋のスレや森のスレなんかには貴殿が述べてるようなレスは度々出てきてます。
事実は事実として隠す必要性もないと思いますが‥
まあ臭い物にはフタをしたいファン心理は充分に理解できます。
気に障ったようでしたら呉々もお許し頂きたい。


434昔の名無しで出ています:2008/10/22(水) 18:12:31 ID:sldax54u
三田明の場合、整形問題も人気降下に拍車をかけただろうけど、
その問題以前に、青春歌謡の衰退と三田の人気は軌を一にしており、
整形しようがしまいが、70年以降の人気の流れに大差はなかったものと思われる。

それより、デビュー以来100%吉田作品だけを歌ってきたのに、
整形問題を境にパタッと吉田作品が無くなってしまったところが気になる。
もしかしたら、この問題で吉田正が三田を見限ってしまったのだろうか?
435昔の名無しで出ています:2008/10/22(水) 20:25:40 ID:HfjHgS/9
整形後に出した「赤毛の女」は吉田正の作曲じゃなかったったけ?
436昔の名無しで出ています:2008/10/23(木) 22:04:24 ID:KYlSnFa4
整形手術問題で吉田が三田を見限ったとは考えにくい。デビューして5年以上たつのに、持ち歌がすべて一人の作曲家の作品という尋常じゃない事態を打開しただけだったものと考えられる。
吉田は三田を相当可愛がっており、子どもがいなかった吉田は、三田を養子に迎えるつもりだったという。
437昔の名無しで出ています:2008/10/24(金) 17:10:42 ID:/GNWDZMS
本来なら、青春歌謡がほぼ衰退したと思われる昭和45年あたりから、
吉田正の手による本格的な大人へのイメージチェンジを考えて行くべき
大事な岐路だっただろうと思うが、
御三家がそれぞれ苦労しながらも、自らの道を模索してそれなりの結果を出したのに対し、
(橋→時代歌謡「子連れ狼」・舟木→叙情歌謡「初恋」・西郷→ポップス「真夏のあらし」等)
三田の場合は、もうジャンル的に手詰まりだったのだろうか?
三田にとっては昭和45年以降にこそ、吉田正の手腕を必要としたと思えてならない。
438昔の名無しで出ています:2008/10/24(金) 17:54:29 ID:Kt0KaomI
御三家それぞれのイメージチェンジ曲も、結局ヒットは1曲(橋の「子連れ狼」、舟木の「初恋」、西郷の「真夏のあらし」)止まりで後が続かず、起死回生の一発ヒットと言えるだろう。彼らの人気は昭和40年代半ばで頭打ちだったわけだ。
三田には、残念ながら起死回生の一発ヒットが出ることはなかった。でも立派なイメージチェンジ曲はある。それは「赤毛のおんな」だろう。これがヒットしていれば、と悔やまれるところだ。
439ノスタル爺:2008/10/24(金) 21:46:16 ID:Gg2E77M5
ややを入れるつもりはないので断っておくが
そもそも清純なイメージの抜けない三田には、
「赤毛のおんな」というタイトルが似合ってなかったように思う‥
それより、その少し前の「ナイトイン六本木」は
往年のリズム歌謡に舞い戻ったかのような曲だが三田の魅力を十二分に引き出した吉田正のリズム

歌謡の中でも優れた曲で傑作ではなかったかと思うが、ヒットに結びつかなったのが非常に残念。

440昔の名無しで出ています:2008/10/25(土) 17:17:24 ID:v2uQOH46
「赤毛のおんな」はデビュー10周年盤だったかな?
たしかに吉田正渾身の、大人をイメージした力の入ったヒット狙いの曲だとは思うが、
御三家がそれぞれ起死回生ヒットが45〜47年にかけてなのに対し、この曲は48年と、出すのが遅きに失した感もある。
こういった曲こそ45年か46年頃(御三家が最後のヒットを連ねていた時期)に出すべきだったのではないか?
この45〜46年頃の三田の曲には、青春歌謡衰退後の方向性が定まらず、中途半端に模索して
いるような曲が見受けられるから(ヒットの可能性がありそうな曲もこの期間には見当たらない)
時間的戦略的ロスと言えるのではないかな?

「美しい十代」の清純イメージを壊して新境地を開拓するには、まだヒットする素地のあった時期に
こういった曲を打たなければ、人気下降後では手遅れなのは間違いない。
441昔の名無しで出ています:2008/10/25(土) 22:21:46 ID:bddy00Xa
>>440

> 「赤毛のおんな」はデビュー10周年盤だったかな?
> たしかに吉田正渾身の、大人をイメージした力の入ったヒット狙いの曲だとは思うが、
> 御三家がそれぞれ起死回生ヒットが45〜47年にかけてなのに対し、この曲は48年と、出すのが遅きに失した感もある。
> こういった曲こそ45年か46年頃(御三家が最後のヒットを連ねていた時期)に出すべきだったのではないか?
> この45〜46年頃の三田の曲には、青春歌謡衰退後の方向性が定まらず、中途半端に模索して
> いるような曲が見受けられるから(ヒットの可能性がありそうな曲もこの期間には見当たらない)
> 時間的戦略的ロスと言えるのではないかな?

> 「美しい十代」の清純イメージを壊して新境地を開拓するには、まだヒットする素地のあった時期に
> こういった曲を打たなければ、人気下降後では手遅れなのは間違いない。
442:2008/10/26(日) 21:40:09 ID:???
↑‥何気に同じレス強調してコピペしてんの?w
443昔の名無しで出ています:2008/10/27(月) 19:56:19 ID:9YbgLG0B
三田の場合、御三家が起死回生ヒットを出していた頃に整形手術問題が浮上、週刊誌上を大いににぎわせていた。そのダメージは計り知れず、とても起死回生ヒットは望めない状況だったと思う。
444ノスタル爺:2008/10/27(月) 22:28:51 ID:QdjYuqh5
>>443 同意。
人気失墜の要因は顔の整形に大いにあると思う。
三田自身が自らイメージチェンジならぬイメージダウンを起こしてしまった。
あの時、ファンの多くはあの甘いマスクが、あまりにも急激に変わり果て唖然とし、非常に衝撃を受けたし何を血迷ってあんな行動をとったのか‥三田本人の真意を疑ったファンも多いと思う。
本当に残念で悔しくて堪らなかったのが、当時のファンの正直な心情だよ。


445昔の名無しで出ています:2008/10/27(月) 22:38:59 ID:???
三田クソのスレはいつもあがってるな〜と思ったら全部一人の自演じゃんw
446昔の名無しで出ています:2008/10/27(月) 22:48:20 ID:dsp3dNwP
結局は、三田明という歌手は、音楽的個性よりもビジュアル重点の歌手でしかなかったといわざるを得ない。
それは昭和43年に週刊誌に女性問題に関するゴシップ記事を書かれて精彩を失った西郷輝彦にも云えるだろう。
たとえば、同時期の森進一が整形したとしても三田ほどの凋落は無かったのではなかろうかとも思う。
ルックス重視のかわい子ちゃん歌手の限界がそこにあると思う。
だからこそ、整形問題以前に大人の歌手への脱皮の糸口となるべき方向性を確立して
おくべきだったのではないかと、今にして思う。
447昔の名無しで出ています:2008/10/28(火) 22:37:27 ID:QyanEofF
青春歌謡の衰退と三田の整形手術問題が「相乗効果」となって、彼は凋落の一途をたどってしまった。整形ばかりが凋落の原因ではないが、一因であることには変わりはない。
その整形も弘田三枝子のように成功したものであればまだよかったのだが(整形と同時にダイエットも行っていた。ただ、現在の彼女の顔に関してはノーコメント)、三田の場合は失敗ではないが少なくても整形(二重瞼)前の顔の方がよかったように思う。
三田は森進一らと違って、顔で売っていた部分が大きい。その顔が変わってしまったので、ファンが困惑するのは必至。
無論、楽曲の問題も大いにしてある。青春歌謡後の路線を明確にしなかった三田側のスタッフや吉田正の力量不足もあろう(その当時、吉田は三田に多種多様な曲を作っているので彼の努力は認める)。
448昔の名無しで出ています:2008/10/29(水) 18:00:29 ID:i694o65l
ただ、これは他の歌手に云えることではあるが、
ルックス的人気のみに支えられた歌手は、年齢を重ねると共にいずれは飽きられ、
ルックス面での印象ばかりが大衆の記憶に残るため、
どんな曲を歌っていたかすらも忘却の彼方に追いやられてしまうという側面があり、
三田の場合も「美しい十代」以降のヒット曲が、ほとんどこれに該当してしまうところが辛い。

舟木の場合は、詰め襟でデビューして、三田以上に大人への脱皮を迫られる場面に早々に直面したと思うが、
その3年後には「絶唱」という自分の世界を確立して「高校三年生」以上の結果を残したというところが
結果的成功を招いたわけで、三田もそういう成功を残せれば、今現在も「四天王」という言葉は
語り継がれることにもなったと思うが・・・・
449昔の名無しで出ています:2008/10/29(水) 21:29:31 ID:cI3n58Qs
三田が大人への脱皮を図ろうとする時、「絶唱」のような文芸路線よりも、吉田正の得意分野の都会派ムード路線にシフトした方が、甘いマスクがトレードマークだった三田のイメージにしっくりくる。
その最たる曲が「数寄屋橋ブルース」。それまでの曲とガラリと変わり、三田の新境地開拓になるかと思われたが、彼のイメージが変わるほどのヒットにはならなかった。
いや、むしろ「数寄屋橋ブルース」は旧態依然の曲なのかも。
450昔の名無しで出ています:2008/10/30(木) 17:26:14 ID:MM1w1TNd
吉田正の都会派ムード歌謡は、フランク永井、松尾和子、マヒナでさんざん出尽くして
40年代に入って三田がこの路線を踏襲しても、先輩の二番煎じ的見方しかできなかったのかもしれない。
しかも、ムード歌謡路線は当時、ロスプリモスやロマンチカやロスインディオスあたりが主流に
なっていて、吉田の都会派歌謡自体が一時代前のものという認識もあったのではないか?
そう言う意味で「数寄屋橋ブルース」は、旧態依然の楽曲と判断される。

むしろ、前述の「赤毛のおんな」のようなもっと強烈にジャズ色を前面に出した
「リズム&ブルース」ならぬ「リズム&ジャズ?」のような曲を目指すべきではなかったかと、個人的に思う。
また、昭和43年には吉田の手により、色々模索的な曲を出しているが、どれも橋幸夫の個性に対抗
できるほどのインパクトのあるテーマにたどり着けなかったのは、返す返すも残念である。
451昔の名無しで出ています:2008/10/30(木) 23:07:15 ID:qa9ravu2
結局、巷間では三田が歌う歌はすべて「美しい十代」にしか聞こえないのだろうし、「美しい十代」しか望んでいないのだろう。「美しい十代」のインパクトが強烈過ぎるのだ。
舟木一夫も「高校三年生」という「美しい十代」よりも印象強い曲でデビューしたが、以降それにのまれることなく「学園広場」や「高原のお嬢さん」「絶唱」など、多種多様な曲で成功を収めた。
この差はどこから来たのだろうと考えると、舟木の楽曲を担当した作曲家陣の多彩さにある。
デビュー直後から1年ぐらいは師匠でもある遠藤実の作品がほとんどだが、ほどなく遠藤はコロムビアを退社、その後船村徹、市川昭介、古賀政男、古関裕而、山路進一、戸塚三博など層の厚いコロムビア作曲家陣の楽曲に恵まれたことが幸いしたのだと思う(舟木の全盛期の間)。
ところが三田は吉田正ただ一人。いくら吉田が引き出しの多い作曲家と言っても、一人じゃ限界がある。早い時期に吉田以外のビクター作曲家陣(渡久地政信、利根一郎)の曲を歌わせていたら、彼の歌手としての幅は今よりも広がっていただろう。
過去にもここで何度も言っているが、いくら門下生と言っても数年にわたり持ち歌の100%が師匠
452昔の名無しで出ています:2008/10/30(木) 23:09:28 ID:qa9ravu2
↑(続き)
の持ち歌であるというのは、歌手にとって決していいことではない。
453昔の名無しで出ています:2008/11/01(土) 01:19:22 ID:k/mE6ltP
それにはまったく同感。
同じ吉田門下の三浦洸一、フランク永井は早い時期に、
吉田以外の作品を幅広く歌って成功を収めている。
特に、三浦は代表曲が渡久地政信の「踊子」であるし、
フランクがレコード大賞を獲ったのはリバイバルソングの「君恋し」で
あることなど考えると、たしかに三田にとっては不幸な一面も
あったかもしれない。
橋が、5年くらいたって違う作家の曲を手掛けたときは、まだまだ
橋の人気が維持できていた時期だからうまくいったわけで、
(雨の中の二人、霧氷、京都神戸銀座 等)
三田は、完全に人気の基盤が揺らいでしまって以降に他の作家
がいくらいい曲を書いても、時すでに遅しだったのかもしれないし、
あまりに吉田色に染まりすぎてしまっていて、そこからの脱却は
橋以上に困難であったとも思える。
454昔の名無しで出ています:2008/11/04(火) 17:07:09 ID:C3qNiHRz
昭和46年「太陽の恋人たち」
昭和47年「来た道・寄り道・帰り道」
昭和48年「赤毛のおんな」
昭和49年「並木の雨」
・・・あたりが、コンスタントにそこそこヒットしてればよかったのにね。
曲そのものはどれも悪くないよ。
455:2008/11/04(火) 21:52:04 ID:???
「ブルーシャンペン」
なんかも良かったぞ
456昔の名無しで出ています:2008/11/05(水) 12:49:06 ID:XS6yeCZu
「ブルーシャンペン」はよく聴くと、銀座のクラブあたりを舞台にした、
「東京ナイトクラブ」の延長線上にあるような曲だよね。
この曲の一つ前が、銀座の裏通りを舞台にした「夕子の涙」で、一つ後が「数寄屋橋ブルース」だから、
昭和42年後半から43年にかけて、三田が都会調の曲にどんどんシフトしていったのがよくわかる。
457ノスタル爺:2008/11/05(水) 16:33:33 ID:bkFG63MF
なるほど、淡い青春歌謡路線から大人の都会調ムード歌謡路線へ脱皮した時期だったのは判るが‥

その後に出した涙シリーズと受けとってもいいと思う「薔薇の涙」はガラリと曲調が変わり一時期のアップテンポの激しいリズム歌謡に舞い戻った感はある
が、三田の魅力を充分に

醸し出していて

吉田正が
精魂込めて作曲したのが伺える名曲だと思ったが、その後の
「ナイトイン六本木」も同様に結果は思ったほど大したことなく肩透かしに終った。

こうして振り返ってみると単にヒット曲に拘り過ぎてターニングポイントを誤ってしまったかのようにも思うが‥
458昔の名無しで出ています:2008/11/05(水) 22:00:14 ID:jYT7nBJa
三田の都会調の曲は、無理して背伸びをしている感じがして、世論も望まなかっただろう。
ところが「涙」シリーズは、三田にとっては等身大の曲なのでヒットを収めることができたんだと思う。
歌手はイメージ戦略が大事なのだ。
459昔の名無しで出ています:2008/11/06(木) 18:38:56 ID:UIEGB9Pq
昭和43年は三田にとって、一つのターニングポイントになる年だったと思うが、
この年は、実にいろいろなテーマを模索した年でもあったのではなかろうか?
 「数寄屋橋ブルース」・・・青春歌謡色から本格的ムード歌謡への足がかりを模索した曲
 「初恋こいさん」・・・・・三田には珍しい大阪物(ほぼ同時期、フランク永井も大阪物を多く歌っている)
 「薔薇の涙」・・・折柄のGSブームに便乗した、ヒット狙いの一人GS歌謡
 「真珠の恋人」・・・既定の三田本来の路線で、「カリブの花」の続編的吉田正流リズム歌謡
 「ナイトイン六本木」・・・都会調ムード歌謡的テーマを、エレキ歌謡仕立てにしたリズム歌謡
 「街に泉があった」・・・この年では一番インパクトに落ちる曲だが、三田本来の青春歌謡路線

どれも今聴くと、吉田正が色々試行して三田の方向性を探ろうとした形跡が色濃く伺える名曲揃いであるが
(これらの曲を歌った結果、御三家に並び「四天王」と言われる所以にもなったと思う)
さて、これらの曲から三田が将来本格的に目指すべきだった路線は、本当はどの曲あたりにあったのだろうか?

460ノスタル爺:2008/11/07(金) 05:46:06 ID:YdyUjrlP
ヒット狙いで試行錯誤、色んな曲調で挑んでみたが、どれも然して変わらない結果に及んだわけだが、思うに「数寄屋橋ブルース」辺りをベースに

、もう2〜3年ムード歌謡路線を崩すことなく巧く引っ張っていき、その後に頭角を現し人気を得る同年代の五木ひろしや

森と違った三田独自の演歌調の曲を歌わせていったら本格的にルックスから大人の歌手へと脱皮し演歌路線で充分に前者らと肩を並べて行けたかのようにも思えるが‥




461昔の名無しで出ています:2008/11/08(土) 11:03:37 ID:oBp3KYXo
ただ残念なのは、吉田正がバタ臭い演歌調をあまり好まなかった傾向が感じられること。
吉田の好むムード歌謡路線は、フランク永井で出し尽くして
三田の「数寄屋橋ブルース」あたりは、その焼き直し的な印象でしかないから、
その延長線での吉田の手による演歌路線は、五木や森に対抗し得たとは考えずらいと思う。

もし、三田が本格的演歌路線を目指すならば、吉田作品から離れて
猪俣公章あたりに依頼して、森とは違ったタイプの三田の声質に合ったオリジナル演歌と
いうものを模索して行った方がよかったように思うが。
462昔の名無しで出ています:2008/11/10(月) 01:43:25 ID:7HdTKd/m
う〜ん‥
それは、どうかと思う。
しかも猪俣公章は森と愛弟子の関係だったし、しかも猪俣は同じビクターでも分かれのRCAの方だったと思ったが‥

何れにせよ猪俣のこぶし満載のメロディーが三田に見合ったかどうかは深く疑問とするところだね。
出来れば低迷期に1〜2曲あったと思った平尾昌晃(確か、ふれあい等?)や三木たかし辺りのあまり演歌色の強くない曲も作れる作曲陣の方が三田にはまってると思うが‥

463昔の名無しで出ています:2008/11/10(月) 17:53:55 ID:IO+3r4mk
森=猪俣のように、平尾昌晃というとどうしても布施明を思いだしてしまう。
三田には、三善英史の「雨」の作者浜圭介あたりのポップス演歌あたりもいいかもしれない。

ただ、昭和49年頃に出した「ほおづきうそつき」や「並木の雨」あたりは、
曲調は演歌調といえなくもないけど、三田が歌うとサラリとした
インパクトの弱い歌謡曲に納まってしまうのは、やはり出自が青春歌謡出身だから
致し方ないと思うけど、これがもし森のようなド演歌歌手が歌ったなら、
強烈なインパクトが出てヒットに結びついたんだろうね、当時は。
464ノスタル爺:2008/11/10(月) 21:15:45 ID:7HdTKd/m
そう言えばその昔三田にも、あんずとずしおお
(漢字は忘却の彼方w)
とか他に牛若丸をテーマにした時代物の曲もあったはず‥
465昔の名無しで出ています:2008/11/10(月) 21:21:30 ID:yaip6bvW
それは「安寿と厨子王」のことだろう。森鴎外の著書に同名のものがある。
三田にはそれ以外にも何曲か歴史物があるが本格的なものではなく、新境地として定着するには至らない。
466昔の名無しで出ています:2008/11/11(火) 17:56:29 ID:glJt43Dx
昭和39年発売の「安寿と厨子王」の一つ前に発売された「君さようなら」は、
三田の曲にしては暗い曲調で、しかも間奏にセリフが入るんだけど、
これが何の感情も入ってない棒読みのセリフだから、かなり変わった曲に聞こえる。
たしかこのセリフは、何かの文芸作品に絡んだ内容のように思ったけど、
この曲も三田のカラーではないのは確かだと思う。
467昔の名無しで出ています:2008/11/12(水) 18:18:10 ID:/Jtsoepf
吉田正が三田に曲を書く場合、歴史物や文芸物はちょっとイメージに合わないと思ったのかもしれない。
せいぜい曲調がパターン化してきたから、ここらで気分転換に毛色の変わった作品をということで、
書いたのが、その数少ない歴史物だと思うが。

橋幸夫の場合は、吉田は「17歳の青年に股旅物はどうなんだろう?」と疑問を持ったらしいけど、
(それでデビュー曲候補として「あれが岬の灯だ」他3曲くらい用意したんじゃなかったかな?)
三田もなにかそう言った、一見イメージに合わないと思える路線をしつこく掘り下げていたら、
意外に面白い結果が生まれたかもしれない。
468昔の名無しで出ています:2008/11/12(水) 21:39:35 ID:+N/fuDE6
吉田正は当初は三田明の新境地開拓には割と消極的だったように思う。基本はあくまで三田のさわやかなルックスに合致する青春歌謡と考えていたのだろうか。
469昔の名無しで出ています:2008/11/13(木) 17:43:40 ID:Qp68Ri0z
三田明は、コロムビアの青春歌謡歌手舟木一夫、梶光夫、安達明に対抗するために、
久保浩と共に、ビクターでの青春歌謡の歌い手としてデビューから運命づけられていたように思える。
だから、あくまでデビュー当初は、舟木や安達あたりの路線を走らなければならなかったのではないか?

ただ、梶、安達、久保が次々戦線離脱していく中で、三田が今以て現役歌手として活動しているということは、
三田の歌手としての資質に、梶、安達、久保以上のモノがあったということにもなるかな?
470昔の名無しで出ています:2008/11/13(木) 20:54:09 ID:elBzTAK0
三田明を、梶光夫や久保浩と比較してはいけないだろう。三田の人気は、御三家に迫るものであった。
後年、梶は事業を興し、久保はスナックを経営したが、三田はその必要がなかった。いや、あるいは三田にはそういった道は無理だったのかもしれない。
471昔の名無しで出ています:2008/11/14(金) 18:38:22 ID:Vr5FdlYn
三田が、御三家に迫る人気に至った理由の根源は、
やはり吉田正の一連の質の高い安定した楽曲にあったことは間違いないと思う。
ただ単なるルックス人気のみなら、2〜3年もたてば飽きられるほど歌謡界の流れは速いわけだから。

そうは言いながらも、同じ吉田門下で同じく吉田作品を歌った三田と久保の差は、
やはりルックスも含めたアイドル性が、三田の方が勝っていたからだと言えるのだろうか?
472昔の名無しで出ています:2008/11/15(土) 03:01:42 ID:r0kZPkce
すごいw相変わらず一人で全部書いてるwwwww
473昔の名無しで出ています:2008/11/15(土) 10:53:49 ID:0VQXbB2x
デュエット物だけに絞ると、三田明<梶光夫だと思う。
明日は咲こう花咲こう・若い二人の心斎橋 < 我が愛を星に祈りて・野菊の墓・アキとマキ
474昔の名無しで出ています:2008/11/16(日) 08:20:31 ID:???
>>473
さらに付け加えると、上にもあげている「愛の手紙は幾年月」(両者とも)、
さらに梶は高田美和ともう一曲歌っており、他には広瀬みさと「いつも二人で歩く街」を歌っている。
明らかに梶のほうがデュエット物を結構出しているってことだね。
475昔の名無しで出ています:2008/11/17(月) 16:29:41 ID:FipNgjVN
梶光夫と高田美和のデュエットは、コロムビアならではとでも言うべき文芸色が色濃く感じられるが、
三田の場合は、個性の違いか文芸色を感じる作品はほとんど無い。
これは結局、コロムビアとビクターのレコード会社の個性の違いとも言えるだろうか?
三田には、やはりリズム歌謡をベースにした吉田正の青春歌謡が一番マッチしていたのかもしれない。
476昔の名無しで出ています:2008/11/18(火) 22:07:38 ID:Ne7gDVd9
正統派のコロムビアに比べ、ビクターのは文芸路線は極めて少なく、三浦洸一ぐらいしか思い浮かばない。これはビクターの社風もあり、専属作家陣の影響も少なくない。
だが、極めて純情な叙情的な文芸ものなら、初期の三田にはうってつけだったと思う。
477昔の名無しで出ています:2008/11/19(水) 12:45:57 ID:t9JqOrE9
三浦洸一の一番最初の文芸物「踊子」も、キングから移籍の渡久地政信作曲で、
この曲が当たらなければ、それ以降の三浦の文芸路線もなかったと思う。

もし三田がコロムビアからデビューしてたとしたら、やはり梶光夫や安達明あたりの
路線を進んだと思うが、コロムビアから分派したクラウンの西郷輝彦の初期の作品に、
三田にも合いそうな曲が散見する。
「十七歳のこの胸に」「純情の丘」「君と歌ったアベマリア」「チャペルに続く白い道」あたり・・・・・
478昔の名無しで出ています:2008/11/20(木) 19:42:02 ID:782XhBqx
もし三田をコロムビアからデビューさせていたら、一足先にデビューしていた舟木一夫に完全にのまれ、御三家に肉薄することはなかっただろう。
例え舟木がいなかったにしても三田の雰囲気はコロムビア向きではないので、自身のカラーを発揮できず埋もれていたかもしれない。
また、もし当時の新生クラウンからデビューしていたら、下手するとビクターよりも爆発的に売れていた(?)かな…(西郷輝彦がいないと仮定して)
479昔の名無しで出ています:2008/11/21(金) 16:11:18 ID:tjN4t78n
クラウンの北原じゅんの作品(西郷の初期の青春物はほとんど北原の作品)は、
西郷より三田のカラーに近い(「十七歳のこの胸に」や「チャペルに続く白い道」など)
もし三田がクラウンでこれらの作品を歌っていたら、御三家は西郷の代わりに三田という
可能性も考えられたかもしれない(ビクターで三田が残した曲よりヒットした可能性は高い)

そうなったら、西郷輝彦はもともと洋楽指向だったから青春歌謡歌手ではなく例えば後のGSになる
バンドあたりでボーカルでデビューして、本来彼が望む音楽(ポップス系)をやれたかもしれない。
あくまでも想像の話でしかないが、三田がクラウンから青春歌謡歌手としてデビューしていれば
三田明>美樹克彦、山田太郎 で、彼がクラウンでのトップ歌手の位置にいただろうと想像できる。
480ノスタル爺:2008/11/21(金) 17:58:54 ID:HH0ti/Cc
そうなると‥
逆に「美しい十代」や「君のそばには‥」「恋人の泉」「夕子の涙」などの三田の魅力が充分に溢れてる名曲が聴けなかったとなると思うと寂しい気もするが‥
481昔の名無しで出ています:2008/11/22(土) 16:22:13 ID:N10B3MM7
>>480
三田が御三家の一員に収まるには、
コロムビアだと舟木がいるし、ビクターだと橋がいる(実際に三田が割を食っている)
もしクラウンだと、青春歌謡の御三家には、指向が違う西郷より三田の方がピッタリ
はまりやすいのではないかという、単なる妄想だから、
現実にビクターで「美しい十代」を歌ったのは、大正解だったということに異論はない。

だけど、三田明が歌う「星娘」を何としても聴いてみたい衝動には駆られるけどねw
482ノスタル爺:2008/11/23(日) 22:13:51 ID:rFxYH3up
ところで最近、吉田門下の大先輩フランク永井が長い闘病生活を経て亡くなった訳だが‥
そのフランク永井の数々の名曲を後世に残す為にも、この際、同じ門下で育った後輩の三田が歌い継ぐというのはどうなんだろうか‥
三田の他に該当する歌手も思い当たらないし‥
‥いや、三田以外にフランク永井の曲を歌いこなせる歌手はいないように思う。
同じ吉田メロディーを歌ってきた同胞でもある三田が声質は勿論あらゆる条件から考えても最適任者だと思う。
フランク永井が残した名曲の数々を総集したアルバムなんかを出したらいいんじゃないかと思う。
483昔の名無しで出ています:2008/11/24(月) 16:39:20 ID:ohqlJhc7
三田は、フランク永井の曲が好きでステージなんかでも歌ってるみたいだね。
たしか、過去にフランク永井の曲をカバーしたアルバムを出してるんじゃなかったかな?

三田の他にも、吉田正特集なんかをテレビでやると、ささきいさおあたりも出てくるね。
彼の低音も吉田メロディーに合うかもしれない。
484昔の名無しで出ています:2008/11/25(火) 22:34:11 ID:y7B54+jW
フランク永井の曲はこぶしをまわす所が少ないものがほとんどなので、三田は好んで歌っている。また、三田の声質がソフトなので違和感もない。
ささきいさおは吉田作品では「おまえに」をよく歌うが、ささき自身のオリジナル曲にも「雪の慕情」という吉田作品がある。
485昔の名無しで出ています:2008/11/25(火) 23:13:32 ID:cAfxD1nh
しかし、一人くらい他人がレスしてこないのかよw
たった一人しか住人のいないスレとかどんだけ人気ないんだよ

三田明
486昔の名無しで出ています:2008/11/26(水) 16:52:23 ID:hUsd55/o
ささきいさおの「雪の慕情」とは、たしか
♪雪が しん しんと 降る ・・・・・とかいう歌詞の曲だったかな?
一度NHKの歌謡コンサートで歌ってるのを聴いたことがある。
ところで、ささきいさおは30年代にはロカビリーか何かを歌ってたんじゃなかったかな?
その当時吉田は、ささきに注目しなかったのだろうか?

三田明も、新曲カバーで「西銀座駅前」あたりをリリースすれば面白いのだが・・・・・
487昔の名無しで出ています:2008/11/29(土) 17:27:04 ID:/BV34r8l
「真珠の恋人」のB面は、当時東洋一の高さというフレーズでオープンした霞ヶ関ビルを
モチーフにした「夜霧の36階」という地味な曲だけど、この曲を今聴くと時代を感じる。
まるでフランク永井の曲のような感じ。
488昔の名無しで出ています:2008/12/01(月) 16:05:23 ID:CPS0KwY6
ビクターの青春歌謡は、スクールメイツのコーラスが入るところが大きなポイント。
489昔の名無しで出ています:2008/12/01(月) 20:55:01 ID:SIhMXDDL
ささきいさおは昭和30年代、和製ジェームスディーンと呼ばれた人気のロカビリー歌手だったが、当時吉田正との接点はなかったと思われる。
490昔の名無しで出ています:2008/12/02(火) 15:47:28 ID:yk2JgtNS
三浦洸一のCDアルバムに収められている「恋人」(昭和34年)は、
どう聴いても、三田明の「美しい十代」のルーツのような曲に思える。
出だしの歌詞(♪白い野バラ〜〜)も同じだし。
491昔の名無しで出ています:2008/12/05(金) 16:46:24 ID:BPVpsgZC
↑確かに歌詞は似ている箇所があるが(作詞者は違う)、メロディーラインはまったく違う。むしろ「踊子」をモチーフにしたような曲調だ。
492昔の名無しで出ています:2008/12/06(土) 15:35:13 ID:OsVPAloR
昭和40年紅白の「若い翼」の動画を見たけど、パイロットのスタイルで歌う姿は、
アイドル歌手そのものだけど、やはり舟木や西郷と比べるとやや幼い感じがする。
曲調のせいだろうか、ルックスのせいだろうか・・・・・
493昔の名無しで出ています:2008/12/07(日) 13:38:34 ID:rGS2Urqk
それはルックスだろう。舟木、西郷に比べて三田は相当な童顔。御三家にはない魅力だった。
494昔の名無しで出ています:2008/12/07(日) 19:21:50 ID:HmGOVhnz
三田明の人気は舟木の後で2番目に人気があったように思える。
495昔の名無しで出ています:2008/12/08(月) 17:43:54 ID:CHSgDPLz
マルベル堂のプロマイド売上げでは、舟木一夫が毎年トップで
西郷を抑えて2番目に三田が据わった年が何度かあったと思う。

三田はルックスを売りにデビューした割には、デビュー翌年(39年)の
レコードジャケットを見るとパッとしたものがない。
デビュー盤がカラー印刷だったのに、それ以後はモノトーンの冴えない写真が使われたりしている。
496昔の名無しで出ています:2008/12/10(水) 22:39:58 ID:f0vxBQ5Y
デビュー盤「美しい十代」をカラージャケットにしたりしてあんまり金遣い過ぎたから、以降は抑えたのかな。
497昔の名無しで出ています:2008/12/13(土) 11:14:46 ID:iHdlK8On
考えてみると、四天王の中でデビュー盤のジャケットがカラーなのは三田明だけだね。
しかも、昭和38年にビクターから出たレコードで、カラージャケットは他にないんじゃないかな?
(たしか橋幸夫の一番最初のシングル盤カラージャケットは、昭和39年の「ああ神風攻撃隊」からだと思うけど)
 
ビクターでは、三田明を力を入れてプッシュしたということなんだろうね。

498昔の名無しで出ています:2008/12/15(月) 22:41:58 ID:hxMp4lJV
看板歌手の橋幸夫でさえ、この年リリースの「お嬢吉三」などのレコードジャケットは白黒だった。
ビクターはそれだけ三田に大きな期待をしていたということか。美少年のデビュー盤はカラーだからこそ映えた。
ちなみに、レコード会社の中でカラーのレコードジャケットを量産したのが早かったのはビクターだったような気がする。
最大手のコロムビアは昭和40年ぐらいまで白黒だったはず。
499昔の名無しで出ています:2008/12/16(火) 01:16:48 ID:yMvXfBM2
>>497
×「ああ神風‥」
○「あゝ特別攻撃隊」
橋幸夫の唯一の軍歌とも云える曲ですね。
500昔の名無しで出ています:2008/12/16(火) 14:48:26 ID:+qBsH0Sp
橋幸夫には、他に「この世を花にするために」(昭和45年)という機動隊の歌もあるよ。

三田明には軍歌とも言える曲は全くないけど(三田の声に軍歌は合わない)
唯一「高校騎兵隊」は、青春歌謡にしては曲調が勇ましく、
軍歌の要素が少々入った青春歌謡といえるかもしれない。

501昔の名無しで出ています:2008/12/16(火) 23:36:28 ID:yJQ5YvOL
そもそも吉田の作曲家としてのスタートの曲は「異国の丘」。当然軍歌調は得意分野であったろう。
三田の最近のステージで「高校騎兵隊」を聞いたことがあるが、当時よりも結構うまく歌いこなしている。
三田はたいていの吉田作品はステージなどでカバーしているが、唯一「異国の丘」だけは歌っていない。聖域なんだろう。
502昔の名無しで出ています:2008/12/17(水) 17:01:25 ID:kS1NFz4/
先日のNHK歌謡コンサート「吉田正特集」で、
三浦洸一と橋幸夫と三田明が3人並んで「異国の丘」を合唱したよね。

結局、吉田正のデビュー曲ともいうべき「異国の丘」をレコーディングして、
シングル盤を発売したのは、竹山逸郎と三浦洸一だけなのかな?
503昔の名無しで出ています:2008/12/17(水) 21:50:19 ID:vt+bkk0U
「異国の丘」をシングル化したのは竹山と三浦の2人のみ。三浦盤はカバーだが、これもヒットしたようだ。
504昔の名無しで出ています:2008/12/19(金) 17:35:46 ID:MO8HMktL
吉田門下生歌手は、それぞれヒットに値するカバー曲を残しているね。
 ・フランク永井→君恋し、おまえに(自作を3度カバー)
 ・三浦洸一→異国の丘、月よりの使者

ちなみに、三田明のシングル曲でのカバーは、
妻を恋うる唄と赤毛のおんな(自作をカバー)の2曲だけかな?
505昔の名無しで出ています:2008/12/24(水) 19:47:49 ID:bOzux1ki
「薔薇の涙」を橋幸夫が歌ってたら絶対に
最後の♪いとしのローザ〜 と言う部分はコブシが回ったにちがいない。
吉田正もそれを危惧してこの曲を三田明に歌わせたのかな?
506昔の名無しで出ています:2008/12/24(水) 22:07:32 ID:mUJSbA9F
「薔薇の涙」は曲調といい、雰囲気といい、三田にぴったりの曲。
この曲は、中間サビの♪ローザ〜の部分をあまり盛り上げると興ざめしてしまうが、三田はそこをうまく抑え気味に歌っている。
507昔の名無しで出ています:2008/12/25(木) 12:49:17 ID:5NcZdGyk
「薔薇の涙」はGSを意識して作られた曲に思えるけど、
どうせなら橋幸夫の「名なし草」みたいにバックにGSをつけて売り出した方が良かったかもよ。
ビクターならオックス、ダイナマイツ、モップスなどいるけど、どれもアクが強すぎるから
インパクトに欠けるけど、サニーファイブあたりなら「薔薇の涙」にピッタリだったかもしれない。
508昔の名無しで出ています:2008/12/26(金) 21:21:07 ID:IHQxlZhO
「薔薇の涙」は吉田正渾身の名曲。むしろGSの曲にするにはもったいない感じがする。
三田はこの曲の雰囲気を壊すことなく、ソフトに歌っている。「美しい十代」よりも三田に合っている。
509昔の名無しで出ています:2008/12/27(土) 11:54:13 ID:m9Rq/YWL
「薔薇の涙」もいいけど、その次に出た「真珠の恋人」も名曲だと思う。
この曲は完全な吉田正のリズム歌謡だけど、
「カリブの花」(42年)−「真珠の恋人」(43年)−「太陽のカーニバル」(44年)は、
中南米を舞台にしたリズム路線だと思う。
510昔の名無しで出ています:2008/12/30(火) 00:01:25 ID:4jzojhVz
四天王の三田明は、舟木一夫の次に人気があった。
511昔の名無しで出ています:2008/12/30(火) 21:09:15 ID:OIJZoK6b
四天王のころはむしろ西郷、橋を抜いていたかもしれない。
中南米路線、結構三田には合っていた感じ。橋のような癖がないからだろう。
512昔の名無しで出ています:2008/12/31(水) 11:46:54 ID:wXBJ/H7O
昭和43年頃になると、吉田正は橋より三田明を重点的に
曲づくりするようになったと思う。
橋は、41年頃から色々な作家に依頼することが多くなり、
吉田作品オンリーの三田の方があらゆる点で戦略的に
曲づくりできたのかもしれない。
(この時期の三田作品は、吉田のムード路線あり、大阪物あり、
リズム路線あり、エレキ歌謡あり、涙シリーズあり、中南米路線あり、
実に多彩な方向性を模索している)
513昔の名無しで出ています:2009/01/01(木) 18:37:02 ID:2V33DbnR
結局、橋幸夫が吉田作品からちょっと離れた時期に吉田門下内でコンスタントにヒットを飛ばしていたのは三田しかいなかったから、吉田は三田に集中したのだろうか。
514昔の名無しで出ています:2009/01/02(金) 22:17:41 ID:0x2Raz2W
吉田正が作詞作曲した曲は、
フランク永井の「霧子のタンゴ」以外では、
三田明の「夕子の涙」「恋人ジュリー」あたりしか思い浮かばないが
吉田が作詞までした曲を提供されたということは、
三田の曲作りに相当力を入れていたと思う。
515昔の名無しで出ています:2009/01/06(火) 22:29:52 ID:ghkO/ZRD
それは三田がコンサートで言っていた。
「先生は、それぞれの専門分野があるのだから歌詞は作詞家がつくり曲は作曲家がつくるものというのが身上で、先生の作詞した曲はきわめて少ないのですが、そんな中、僕の作品には恋人ジュリーと夕子の涙と2曲もあり、非常に光栄です」
516昔の名無しで出ています:2009/01/07(水) 19:01:09 ID:ev69dh/6
吉田正は、三田明を速成ではなくじっくりと時間をかけて育成していたら
フランク永井二世的な大人の歌も歌える歌手に成長していたかもしれない。
まあ、アイドル歌手と大人のムード歌手では方向がまるで違うから、
二兎を追うことは難しかっただろうけどね。
517昔の名無しで出ています:2009/01/08(木) 23:01:17 ID:???
>>486
その当時はレコード会社専属制だから所属レコード会社が違う時点でふたりの接触等はあり得ませんね

518昔の名無しで出ています:2009/01/09(金) 23:18:01 ID:jbIGRLuL
三田はフランク永井的要素を持ち合わせている歌手だと思う。青春歌謡歌手でデビューしなかったら、もっと幅広いヒット曲に恵まれた可能性は高い。
さて、吉田門下を通らずに演歌歌謡曲歌手としてデビューしていたら、同じビクターの森進一に匹敵する歌手にのし上がって行っただろうか。
519昔の名無しで出ています:2009/01/10(土) 17:21:41 ID:MaucL4Je
ただ、三田が頭角を現した昭和40年代前半は、フランク永井のようなソフトな都会派ムード歌謡より、
森進一、青江三奈、黒木憲、矢吹健、藤圭子、そしてクールファイブの前川清等々、
歌い方や声質に独特のクセやアクの強さを持った、強烈なムード歌謡が流行した時代でも
あったから、三田明の甘い声質で歌うムード歌謡がどの程度大衆にインパクトを与えたかは
多少疑問だと思う。(例えば、愛田健二の「京都の夜」あたりは甘い声質で
ムード歌謡の範疇に入れていいかと思うけど、やはり後が続かなかった)
520昔の名無しで出ています:2009/01/11(日) 18:29:37 ID:JOhZTZLt
たしかに新沼謙治もクセがないから、スタ誕出身のわりにはあまりパッとしなかった。
だからと言って、三田にアクの強いのを望むのは無理なこと。ちなみに昭和20〜30年代前半までは、アクやクセのない歌手がよく売れていた。三田もその頃にデビューしていたら、もっと売れていただろうか。
521昔の名無しで出ています:2009/01/13(火) 18:00:52 ID:Al8IPnlG
昭和20年代のビクターだと、タイプ的には三田明は小畑実あたりが一番似ているかな?
ただ戦前からの正統派となると、藤山一郎や岡本敦郎やビクターだと三浦洸一あたりの
「楷書的歌唱」が本道だろうけど、三田明はそれとも異なるタイプだから、
アクやクセの無さから考えれば、小畑実路線が一番ピッタリだろうと想像する。
三田明の歌う「高原の駅よさようなら」「星影の小径」なんか聴いてみたい。
522昔の名無しで出ています:2009/01/15(木) 19:50:30 ID:tpr4MqYb
三田は昭和43年頃に昭和20年代前後の曲をカバーした「白樺の小径」というアルバムを出している。
詳しい曲目は手元に資料がないので不明だが、一聴の価値はありそうだ。
523昔の名無しで出ています:2009/01/16(金) 17:29:25 ID:QozW8Ljh
↑そのアルバムも、ぜひ「ワールドヒットアルバム」のように復刻してもらいたい。
524昔の名無しで出ています:2009/01/19(月) 17:22:05 ID:1yPhjpNJ
三田明の声はクセやアクが無いと言うわりには、
象印ものまね歌合戦での森進一のコテコテの歌マネはうまかった。
ひょっとしたら、三田も意識的にかなりアクの強い歌い方も出来るかもしれない。
例えば、布施明の「ときめき」なんて、もろに森進一的なコテコテの絶叫調の歌い方をしている。
(もちろん布施には完全にミスマッチなんだけど、三田もこんな唱法に挑戦してみたら面白かったかもしれない)
525昔の名無しで出ています:2009/01/20(火) 22:19:40 ID:OKTC4GUP
三田は象印ものまね歌合戦の常連で、番組内では五木ひろし、ちあきなおみ、森昌子らとともにものまね四天王に数えられていたほどの実力があった。彼の森進一の「年上の女」は特によく似ていた印象がある。
そのため、一部の年代には三田はものまねタレントというイメージがついてしまった。現在はものまねはあまり披露しないようだ。歌手としてのこだわりやプライドがあるのだろう。
526昔の名無しで出ています:2009/01/22(木) 15:57:13 ID:6365LhHD
ものまねは、確かな歌唱力のベースがないとなかなか似つかないものだけど、
(五木ひろし、ちあきなおみ、森昌子などは、それぞれ歌唱力に定評がある)
三田明も、基礎的な歌唱力の素地は十分備わっていたということではなかろうか?
年を重ねるとともに大人の曲を幅広く歌っていこうと考えたならば、
やはり16歳でのデビューはあまりに早すぎたと言わざるを得ない。
527昔の名無しで出ています:2009/01/22(木) 19:49:53 ID:kGhncioe
吉田正のレッスンの賜物ではあろうが、三田の歌唱力のレベルは極めて高い。デビュー当時はまだ発展途上だっただけのこと。
その歌唱力が完成されたのはデビューから4年経った昭和42年。この年発売の「夕子の涙」のレコーディングで吉田から「ようやく三田君もきちんと歌えるようになったね」と、賛辞を贈られた。
528昔の名無しで出ています:2009/01/23(金) 17:53:52 ID:7TzGoS0W
昭和42年も後半頃になると、吉田正の曲作りのウエートは完全に橋幸夫から三田明に移ってたような気がする。
橋に対しては以後もコンスタントに股旅物を書いてはいるが、その他に見るべき物が無い。
たとえば、橋のリズム物は「恋のメキシカンロック」が最後だけど、
三田の場合は、さらに「真珠の恋人」「ナイトイン六本木」「太陽のカーニバル」「太陽の恋人たち」と続き、
さらに吉田本来の路線である都会調歌謡やGS調や大阪物やワルツなど多彩で、
この時期の曲を聴くと、吉田正の三田への力の入れ方がよく分かる。
529昔の名無しで出ています:2009/01/24(土) 18:15:32 ID:oSOfBKqV
吉田正が橋幸夫よりも三田に力を入れたというより、その時期から橋の曲は吉田以外の作家たちのものが増えてきたのだろう。
歌手としてのさらなる成長を図る上で、師匠の作品以外の曲を歌うことは重要である。全盛期の三田には、それがなかった。
530昔の名無しで出ています:2009/01/26(月) 17:34:52 ID:5yxgevSc
ただ、もし三田明が当時のビクターの主力作家、たとえば渡久地政信とか利根一郎とか大野正雄とか猪俣公章などの
作品に全盛時に取り組んだとしても、どの程度結果を残せたかは疑わしくもある。
現に橋幸夫の場合でも、他作家のヒットは雨の中の二人、霧氷、京都神戸銀座などごく少数に限られる。

三田の場合は、全盛期が一人の作家オンリーだったことが当初はプラスに働いたが、
徐々にマイナス(イメージチェンジを図りづらくさせた)となって現れていったように感じる。
531昔の名無しで出ています:2009/01/27(火) 21:35:06 ID:BddadQ0G
吉田門下生には強烈な「吉田カラー」が染みついているので、吉田作品以外ではイメージが合わずヒットしにくいのだろう。

考えてみると、吉田門下生で吉田作品以外のヒット曲を持っている歌手はフランク永井、三浦洸一、橋幸夫、鶴田浩二(「弥太郎笠」は佐々木俊一作品)ぐらいだろうか。
残りの松尾和子、三田明、古都清乃などは、ヒット曲は吉田作品のみと断定しても過言ではなかろう。
ちなみに、吉永小百合は、中ヒット曲の鈴木邦彦作品「恋の歓び」がある。
532昔の名無しで出ています:2009/01/27(火) 21:40:20 ID:BddadQ0G
>>531
松尾和子にはマヒナと組んだ「お座敷小唄」(陸奥明作曲)があった。
533昔の名無しで出ています:2009/01/27(火) 22:40:10 ID:ZtdBrTEy
ただ、吉田門下歌手の最大ヒットはどの歌手も吉田作品だけど、
中でも三浦洸一は、一番弟子でありながら、
最大ヒットが吉田作品ではなく、渡久地政信の「踊子」というところが異色ではある。
吉田の個性と、三浦の個性はあまり合わなかったのではなかろうかと推測できる。

三田もデビューして早い時期に、渡久地政信あたりの曲を歌っていれば、
その後の三田の歌手としての方向性は、多少でも変わっただろうか?
534昔の名無しで出ています:2009/01/30(金) 19:57:31 ID:W7g2LA1X
渡久地政信作品は割合柔らかいソフトな雰囲気のものが多いので、ぜひ初期の三田にも書いてほしかったとつくづく思うところだ。
三浦洸一のようなケースは他にもあって、古賀政男門下だった村田英雄の最大のヒット曲は船村徹作曲の「王将」である。
535昔の名無しで出ています:2009/01/31(土) 17:26:19 ID:XGGJpiMA
そういえば、渡久地政信門下には松島アキラがいて、
ビクター内では吉田門下の橋幸夫とライバル的存在だった。
同じ吉田門下の三田明に渡久地政信が曲を提供するのは、何かしらの遠慮でもあったのかもしれない。
松島アキラの歌った「ああ青春に花よ咲け」(渡久地政信作曲)あたりは、
三田が歌ってもピッタリはまると思う。
536昔の名無しで出ています:2009/01/31(土) 19:33:20 ID:Wj4PFnbH
御三家に三田は入っていなかったが、本当の御三家は、舟木・三田・西郷だと思う。橋はおじさん歌手。一世を風靡した青春歌謡は舟木・三田・西郷だ。
537昔の名無しで出ています:2009/02/02(月) 18:46:19 ID:QMlrFGrE
たしかに、橋幸夫の場合はデビューから股旅物中心で来てたから、
舟木や三田や西郷のような、最初からの青春歌謡歌手とは若干違和感はある。
また、同じビクターにあって、三田の場合は何事につけ橋の後塵を拝するような
ポジションに位置してしまったのは不幸であったと思う(門下も同じだし)
例えば、舟木に対する梶光夫や、西郷輝彦に対する美樹克彦などよりも
橋に対する三田明の方が、割を食った感(不運さ)が一層強く感じる。
538昔の名無しで出ています:2009/02/02(月) 20:31:21 ID:7R2TLZyz
三田は橋の陰に隠れ、御三家にも入れなかった可哀相なイメージがつきまとうが、そこが彼の隠れた魅力と言えるか。御三家の3人よりガツガツしてなかった感じがする。

今も根強いファン(中高年の女性)が少なくない。吉田正記念音楽館で彼の屋外ミニコンサートの終了時、ファンとおぼしき中高年の女性たち(十数人)が仮設ステージから降りる三田の背中を触ろうと、「アキラ〜」と叫びながら追いかけていた。
539昔の名無しで出ています:2009/02/02(月) 21:46:22 ID:yqBBIdxJ
三田は橋の後塵だが、人気は三田のほうがあった。
540昔の名無しで出ています:2009/02/03(火) 16:51:01 ID:IA20/Vrr
ルックス面では、御三家より三田明の方が明らかにアイドル性が高かった。
そのアイドル性が御三家より強かったがために、人気の凋落も御三家より
早く来てしまったといえるかもしれない。
そう考えると、大人の曲への脱皮は、三田が一番苦しい立場だったと思う。
吉田正は、そのことをわかっていて三田が20歳を迎える昭和42〜44年頃に、
いろいろ幅のある模索的な楽曲を、三田に精力的に書いたのだろうか?
541昔の名無しで出ています:2009/02/03(火) 22:30:31 ID:qVz6M33t
本当の御三家は三田。舟木・西郷だ。
542昔の名無しで出ています:2009/02/04(水) 20:48:25 ID:nIFPTAch
三田は歌よりもルックス重視で売れた部分もあり、時間が経つといかんせん飽きられてしまう。
デビュー当時は決して歌がうまいとは言えなかったが、彼なりに努力し、後年相当な歌唱力を得ることになる。
「実力派」となった今、もう少し三田に対する評価は高くでもいいじゃないかと思う。
543昔の名無しで出ています:2009/02/05(木) 18:47:22 ID:fyeT4LBE
三田明の場合は、歌唱力が完成していくと同時に、
楽曲面で恵まれなくなっていったのは、返す返すも残念だと思う。
実力派として、大人の曲で一曲でも「美しい十代」に匹敵する
ヒットを放っていれば、後々の評価も違っただろうと思うけど、
今なお三田明というと、御三家の次に位置するアイドル歌手という
「美しい十代」のままのイメージが染みついているのもマイナス要素だと思う。
544昔の名無しで出ています:2009/02/07(土) 13:25:55 ID:JAV6V3Qh
今でも、コンサート開いて、観客動員が多い順位 舟木・三田・西郷・橋の
順番だと思う。舟木の人気は今でも群を抜いている。
545昔の名無しで出ています:2009/02/08(日) 07:37:15 ID:GWvDkEZp
↑西郷は三田より少ないかな…まぁ西郷の場合は今は芝居中心だからね。
いずれにせよ、橋は問題外なわけで…
546昔の名無しで出ています:2009/02/10(火) 18:03:00 ID:hvHYWe7t
舟木一夫の「高校三年生」、三田明の「美しい十代」、西郷輝彦の「君だけを」等
どのデビュー曲も、青春歌謡の代表曲に位置づけられるけど、
橋幸夫の「潮来笠」はどう聴いても青春歌謡ではなく、東海林太郎から続く時代物路線だから
厳密に青春歌謡を語るとき、橋幸夫は視野外になるのは致し方ない部分もある。
むしろ、橋と1年違いの北原謙二の「若いふたり」や松島アキラの「ああ青春に花よ咲け」の方が
青春歌謡路線の中心的作品になると思う。
547昔の名無しで出ています:2009/02/10(火) 21:47:33 ID:SQwv6qPM
橋幸夫のデビューの際、吉田正や作詞家の佐伯孝夫が「彼に股旅物を歌わせたらおもしろいんじゃないか」と話し合い、できた曲が「潮来笠」。以降2、3年は主に股旅物や民謡調の楽曲が続いた。

ここが舟木や西郷、三田らと一線を画す所。橋は青春歌謡歌手ではなく、生粋の演歌歌手なのだ。
548昔の名無しで出ています:2009/02/12(木) 21:06:45 ID:Cs4KlPW8
吉田正は、橋幸夫のデビュー候補作に「潮来笠」の詞を佐伯孝夫から渡されたとき、
「何で、17歳の若者に股旅なんだろう?」と疑問に思ったらしい。
(デビュー曲に股旅物は、むしろ佐伯孝夫の発案だったんじゃなかろうか?)
そこで、デビュー曲候補として数曲用意された(第二弾「あれが岬の灯だ」もその一曲)
西郷の場合も、「君だけを」の他に「ひとりぽっち」、第二弾となる「チャペルに続く白い道」
が用意されたらしいし、舟木も「高校三年生」のB面の「水色のひと」も両A面扱いで当初は
考えたらしい。

御三家は、それぞれデビュー曲選定で多少紆余曲折があったようだけど、
三田明の場合は「美しい十代」が、デビュー曲としての渾身の一作として売り出されたわけで、
このことからも、舟木一夫の対抗馬としての三田明のビクターでの期待の大きさが伺える。
549昔の名無しで出ています:2009/02/16(月) 18:14:50 ID:IjPQldts
三田明の「涙」シリーズ(夕子の涙、薔薇の涙、あなたの涙)は有名だけど、
デビュー曲「美しい十代」、翌年の「美しいあした」、さらに翌年の「美しい恋人たち」と
ほぼ1年おきに続くこの3曲は、「美しい」シリーズ三部作と呼んでおかしくないのかな?
550昔の名無しで出ています:2009/02/16(月) 19:22:26 ID:tjoWJPE4
「美しい」シリーズと言っても違和感はないかと。
その当時、シリーズ物は割と多く、北島三郎の「女(ひと)シリーズ」あたりは有名な所。
551昔の名無しで出ています:2009/02/17(火) 17:32:33 ID:4pm0Dmv2
「恋人ジュリー」(41年)と「恋人の泉」(42年)と「真珠の恋人」(43年)の3曲で
「恋人」シリーズ三部作と言うのは、ちょっと無理があるかな?
552昔の名無しで出ています:2009/02/17(火) 21:22:51 ID:1KvdKciI
この当時、とにかく舟木・三田・西郷の歌が大好きだった。
553昔の名無しで出ています:2009/02/18(水) 20:50:03 ID:lQtrq9Ef
「若い港」「若い翼」の若いシリーズも、二部作ではあるが外せない。
ちなみに若いシリーズは北原謙二が先鞭か(「若いふたり」「若い明日」など)。
554昔の名無しで出ています:2009/02/23(月) 16:35:50 ID:aHS100B8
ちょっと路線的には外れるかも知れないけど、
吉永小百合とデュエットの「若い二人の心斎橋」も含めて
「若い港」「若い翼」三部作と言うのは、ちょっと無理かな。

ところで、北原謙二の若いシリーズに「若い太陽」(昭和40年)という
リズム歌謡があるけど、これが遠藤実作曲で、遠藤のリズム歌謡作品は珍しい。
555昔の名無しで出ています:2009/02/26(木) 17:20:46 ID:Jys7HXgP
三田明は30周年記念CDアルバムで、フランク永井のヒット曲をいろいろカバーしているね。
556昔の名無しで出ています:2009/03/02(月) 20:16:44 ID:iGs7V6pw
遠藤実は意外とリズム歌謡が得意で、「こまっちゃうナ」「ミニミニデート」「帰らなくちゃ」「フリフリ」など、一連のミノルフォン時代の山本リンダの曲は遠藤の手によるもの。
さらには、舟木一夫「修学旅行」「花咲く乙女たち」もプチリズム歌謡と言える。
遠藤と吉田正が一時ライバル扱いされていた所以だろう。
557昔の名無しで出ています:2009/03/03(火) 16:25:31 ID:sMGVD7fu
リズム歌謡に限って言うと、吉田正>遠藤実=船村徹って言う感じかな。
遠藤実も船村徹も、職業作家として時流に乗ったリズム歌謡を残してはいるけど、
作曲のセンスにおいては吉田正にはかなわないと思う。
これは、文藝歌謡ならコロムビア・リズム歌謡ならビクターとか、レコード会社の
方向性や個性の違いも多少影響しているのだろうか?

舟木一夫の「花咲く乙女たち」は、ドドンパのリズムだと思うけど、
(コロムビアでは遠藤実作曲で北原謙二の「若いふたり」などヒットがある)
三田明の「アイビー東京」や「恋のアメリアッチ」「カリブの花」の方がより洗練された
リズム歌謡だと思うがどうだろう?(個人個人の嗜好が大分影響するから、あくまで自論)
遠藤実や船村徹は、土着的な演歌では吉田正よりはるかにインパクトの強い曲を残しているから、
作曲家としての個性や方向性はまるで違うと思う。
558昔の名無しで出ています:2009/03/03(火) 22:49:06 ID:vpESOqy4
確かに吉田正は別格にしても、船村徹よりは遠藤実の方がリズム歌謡は得意だったように思う。
船村の代表的なリズム歌謡と言える「夏子の季節」「太陽にヤァ」「ブルートランペット」(舟木一夫)は、舟木の粘っこい歌唱もあるのだろうが、どうも聞いていてさっぱりしない曲ばかり。船村は難解な曲が得意なので、そのせいもあるのだろう。
だったら前述の山本リンダの一連の曲の方が、吉田正のリズム歌謡に近い感じがする。
ただし、吉田、船村は編曲もしたが、遠藤はあまり編曲は得意ではなく、リンダの曲の編曲は遠藤ではない。遠藤自身が編曲も手掛けていたら、また違った「こまっちゃうナ」になっていたかもしれない。
559昔の名無しで出ています:2009/03/04(水) 00:31:11 ID:???
三田さんって歌がけっこううまくなったのに人気がすっかりあせてしまってかわいそう。
560昔の名無しで出ています:2009/03/04(水) 13:49:07 ID:nlWRghk7
そう言えばデビュー当時は下手だったけど、その後はぐんぐん歌唱力つけた。
561昔の名無しで出ています:2009/03/04(水) 21:43:09 ID:h3vq4AWG
遠藤実のリズム歌謡は、船村徹や吉田正の作品よりエレキのテケテケ音を
くどいくらいに多用していて面白い。
山本リンダの一連の作品もそうだし、唯一遠藤実がGSのシルビーフォックスに
書いた「風がさらった恋人」などは曲の全編がテケテケだらけで
GS歌謡orリズム歌謡というより、見事なまでのエレキ歌謡といえる。
三田明のリズム歌謡で、一番エレキ色が強い作品は「アイビー東京」あたりだろうか。
562昔の名無しで出ています:2009/03/06(金) 18:31:51 ID:ygy++poD
♪あなたも僕も〜 ほら君も〜 みんな楽しく恋してる〜
 好みのスタイル〜 プロポーズ〜〜

・・・と言うフレーズを聴いてて、よくわからないのが「プロポーズ」の意味。
そのフレーズの前に「スタイル」と歌ってるから、
プロポーズの本来の意味(求婚)ではないだろうとは予測がつくが、
これは「プロ」らしい「ポーズ」が好みのスタイルだと言いたいのだろうか?

ビクターに限らず、リズム歌謡の歌詞はよく聴くと、意味不明なものが多い。
橋幸夫の「チェッチェッチェッ」の、♪ピンクサーモン〜チェッチェッチェッ〜〜という
フレーズなど、いまだに何を言ってるのか解釈出来ないでいる。
563昔の名無しで出ています:2009/03/06(金) 22:39:04 ID:RRjy5UvH
リズム歌謡は、舟木一夫の「太陽にヤア!」が一番好きだ。
564昔の名無しで出ています:2009/03/07(土) 19:58:58 ID:lHujm6gl
「アイビー東京」のイントロは明らかにベンチャーズを意識しており、橋幸夫の同系曲「恋をするなら」「CHECHECHE」よりもノリがよい。

「アイビー東京」は、三田は純青春歌謡路線からちょっぴり大人のリズム歌謡へ成長した転機の曲であろう。
565昔の名無しで出ています:2009/03/12(木) 17:46:49 ID:aBGBvsyo
「アイビー東京」は三田明のリズム歌謡の中でも屈指の名曲だと思うけど、
意外なところで「恋のアメリアッチ」のB面の「タッチ・アンド・ゴー」の
ビート感あふれるノリの良さも捨てがたい。
このレコードは両A面扱いでもいいくらい、両面とも優れたリズム歌謡だと思う。
(ちなみに、御三家のリズム歌謡で、両面とも質の高いリズム歌謡のレコードといえば、
 西郷輝彦の「西銀座五番街/恋のGT」しか思い浮かばない。
 橋幸夫の場合は、A面はリズム歌謡でもB面は全く違うタイプのカップリング盤がほとんど)
566昔の名無しで出ています:2009/03/15(日) 21:17:49 ID:cMXHr8ru
舟木一夫のリズム歌謡は、ほとんどが船村徹の手によるものだが、「太陽にヤァ」「夏子の季節」「ブルートランペット」など、聞いていてけだるく感じるものが多い。
当時はさまざまな作曲家がリズム歌謡に挑戦したものだが、結局は吉田正の独壇場だったと言える。
三田はリズム歌謡を歌うには最高の環境にあった。
567昔の名無しで出ています:2009/03/17(火) 21:32:30 ID:QfBp5bIk
御三家・四天王といっても本当に人気にあったのは、舟木と三田と西郷で橋は人気なかったな。
568こうじ:2009/03/18(水) 05:11:50 ID:SwmCZ1Dq
歌謡祭では、三田の「また逢う日まで」や「サロマ湖の空」など
珍しい曲も歌っている。TVでは聴けないが。
569昔の名無しで出ています:2009/03/18(水) 22:26:04 ID:FprjfnCW
「また逢う日まで」は、三田には珍しいフォーク調の曲で、
前年に出た、同じく吉田正作曲の「勇気あるもの」(吉永小百合&トニーズ)に似た曲。
こういったタイプの曲が、三田明の個性には一番合うと思うんだが・・・・
570昔の名無しで出ています:2009/03/23(月) 22:46:12 ID:um/BzZ9B
リズム歌謡といえば、意味不明の合いの手が入るのがお決まりだけど、
(例えば橋幸夫の「恋をするなら」の♪アアア〜イイイ〜エエオオ〜アイオ〜〜とか
 舟木一夫の「太陽にヤァ!」の♪ウウウウ〜オオオオ〜エエエエ〜ア!とか
 西郷輝彦の「恋人ならば」の♪ブムババブムバ〜ブムババブムバ〜など)
三田明のリズム歌謡にはそれが無いのが、御三家リズム歌謡との違いだろうか。
(唯一「ナイトイン六本木」のサビで♪ルルルルル〜ルルルル〜ルル〜というハミングが入るくらいか)
571昔の名無しで出ています:2009/03/23(月) 23:38:57 ID:YZaakuLl
三田の声質からしてフォーク調の曲は合うが、彼には吉田門下という強烈なカラーがあり、それが彼のイメージを固定させてしまっているのは明らか。
572昔の名無しで出ています:2009/03/24(火) 17:43:16 ID:l/f7PdJq
吉田門下でも、三浦洸一とフランク永井はほとんど同時期に全盛だったにもかかわらず、
歌手としての個性が正反対な上に、曲を提供する作家もそれぞれの個性を
うまく引き出すことに成功しているから、イメージ的に混同される事はないけど、
三田明の場合は、やはり同時期に活躍の橋幸夫との個性の差別化が図れなかったから
現在でも三田の位置が「ミニ橋幸夫」的存在に甘んじている原因になっていると思う。

三田は、四天王と言われて御三家に肉薄した全盛期に、
橋があまり歌わなかったジャンル(フォークなどもそのひとつ)を深く追求するべきだったと思うが。
573昔の名無しで出ています:2009/03/24(火) 20:49:55 ID:DREkbKFw
三浦洸一とフランク永井は確かに歌のジャンルは違うのだが、吉田正はこの2人に似通った雰囲気の曲を書いている。
「有楽町で逢いましょう」は「東京の人」調のムード歌謡だし、「哀愁の高速道路」(三浦洸一)に至っては「国道18号線」(フランク永井・松尾和子)と歌いだしのメロディーがまるっきり同じ。
吉田の中では、2人をそれほど意識してジャンル分けはしていなかったのだろうか。
三田明がミニ橋幸夫なのは同意。さらに三田に本格的な股旅物を歌わせたら、より完ぺきなミニ橋幸夫になったことだろう。
574マジレス:2009/03/25(水) 04:50:14 ID:eO/sGfxO
小百合さんとの「明日は咲こう花咲こう」が好きだが
カラオケDAMには入っていないのが残念。
575昔の名無しで出ています:2009/03/25(水) 22:16:47 ID:3J1U7JPs
天ぷら油が・・・イテテ
576マジレス:2009/03/26(木) 10:14:15 ID:K1eXuhMD
三田明の単独コンサートはないのですか?
2時間たっぷり聴きたい。
577昔の名無しで出ています:2009/03/26(木) 20:21:52 ID:sazXnqRB
>>576

単独コンサートは、企業などのイベントや村祭りなどでの一角ぐらいしかない。
578昔の名無しで出ています:2009/03/27(金) 17:39:38 ID:gCkaCDOS
2時間コンサートをするなら、最低20曲位は歌わないと時間が持たないかもしれない。
三田明が2時間コンサートするとして、歌う楽曲をたとえば20曲セレクトするなら、
1、美しい十代      2、みんな名もなく貧しいけれど
3、若い港        4、高校騎兵隊
5、ごめんねチコちゃん  6、美しい恋人たち
7、若い翼        8、アイビー東京
9、恋人ジュリー     10、青山通り
11、カリブの花     12、夕子の涙
13、薔薇の涙      14、ナイトイン六本木
15、太陽のカーニバル  16、サロマ湖の空
17、あなたの涙     18、来た道寄り道帰り道
19、赤毛のおんな    20、さよならの向こうで
579昔の名無しで出ています:2009/03/30(月) 20:06:09 ID:qLnCv9Uk
↑の選曲ができるのだから、三田の単独コンサートはプログラム上では可能である。あとは集客力の問題だろう。
群馬県水上のホテル聚楽では、毎年三田単独のディナーショーが行われている。
580昔の名無しで出ています:2009/03/31(火) 00:49:11 ID:y/OxYHan
>>578のヒット曲を意識的に除外したとしても、20曲のセレクトはいくらでもできる。
たとえば、
1、友よ歌おう      2、すばらしき級友
3、赤い夕陽       4、燃ゆる白虎隊
5、君のそばには僕がいる 6、泣かせてごめんね
7、恋のアメリアッチ   8、また逢う日まで
9、恋人の泉       10、ブルーシャンペン
11、数寄屋橋ブルース  12、真珠の恋人
13、初恋こいさん    14、タートルルックのいかす奴
15、惜別のワルツ    16、涙と微笑み
17、ふれあい      18、太陽の恋人たち
19、並木の雨      20、五月のバラ
581昔の名無しで出ています:2009/03/31(火) 22:34:38 ID:6BRSq8Gb
ヒットの有無にかかわらず、三田のオリジナルの持ち歌はかなりの数になる。そこからヒット曲を抽出しても結構な曲数になろう。
もっと頻繁に歌謡番組などに出演してもよさそうなものだが。
582昔の名無しで出ています:2009/04/01(水) 14:35:56 ID:7iNcrm/j
個人的に、一度は三田の生の歌声で聴いてみたい曲をセレクトすると、

1、千羽鶴(美しい十代のB面)  2、君さようなら
3、安寿と厨子王         4、東京で二人
5、スキー仲間          6、花笠娘
7、明日は咲こう花咲こう     8、若い二人の心斎橋 (7と8は当然吉永とのデュエットで)
9、美しいあした         10、タッチ・アンド・ゴー
11、世界の街で恋をしよう    12、星と貝がら
13、街に泉があった       14、あなたの横顔
15、おしゃれな季節       16、ふり返ってみたけれど
17、運命と云うのはたやすいが  18、さよならした長崎
19、ほおずきうそつき      20、星影の二人
583昔の名無しで出ています:2009/04/01(水) 20:57:18 ID:YlTeZRZg
>>582

この選曲もまたずいぶんとマニアックで(笑)。
コアな三田ファンには大ウケだろうか。
三田は案外バリエーションが豊富な歌手であることをあらためて思い知らされた。
584昔の名無しで出ています:2009/04/03(金) 18:39:58 ID:9qB9L/vU
三田明が歌った主なジャンルを挙げてみると、
●学園青春歌謡(美しい十代 他)
●アイドル歌謡(ごめんねチコちゃん 他)
●時代歌謡(燃ゆる白虎隊 他)
●デュエット(明日は咲こう花咲こう 他)
●リズム歌謡(アイビー東京 他)
●一人GS歌謡(薔薇の涙 他)
●都会派歌謡(数寄屋橋ブルース 他)
だいたいこんなところかな?
585昔の名無しで出ています:2009/04/04(土) 22:26:29 ID:uRxV2MO8
三田は多種多様なジャンルの曲を歌ったが、大衆のイメージにあるのは圧倒的に青春歌謡路線であろう。さらにその中でも「美しい十代」に偏りがち。
こんなにヒット曲があるのに、後年に伝わる曲が「美しい十代」だけとは、悲しいかな。
586マジレス:2009/04/05(日) 02:42:17 ID:89Ox2UhX
ビクターは三田に冷たいね。
大全集の企画もない。
全曲集も選曲は一緒だし。
ここにいるファンにやらせなさいよ。
587昔の名無しで出ています:2009/04/06(月) 20:06:59 ID:zquQvv/r
ビクターは、他レコード会社に比べて過去の曲のCD復刻率は極端に低いと思う。
例えば、コロムビアの舟木一夫はシングル発売A/B面全曲復刻されているのに、
橋幸夫はまだまだCD化されていない曲が多数あるし、
キングの三橋美智也や春日八郎に対し、ビクターの三浦洸一やフランク永井も
同じくCD復刻率が低い。
ヒットしなかった曲の中にも、埋もれた名曲が多数あるのに実に勿体ない。
当然の如く、三田明にも埋もれた曲がたくさんある。
例えば、「大阪ナイト」とか「純愛のバラード」とか「花を求めて」あたりは、
B面の曲で完全に埋もれているけど、どれもA面に持っていっても良いくらいの佳曲だし。
588昔の名無しで出ています:2009/04/06(月) 22:07:25 ID:plLz8UQs
やはり出して売れるかどうかの問題だろう。舟木は今も凄い人気があるからレコード会社も出すんだろう。
589昔の名無しで出ています:2009/04/07(火) 18:16:31 ID:Q3i20iNw
ビクターは、森進一の総シングルの復刻版のほかに、フランク永井、橋幸夫、青江三奈、森などのアルバムの復刻版が数十枚出ているが、確かに他のレコード会社よりも数は少ないと思う。

復刻版の絶対数が少ない故、森やフランクらの後塵を拝す三田の復刻版は、まだまだ少ない。
590恋太郎:2009/04/08(水) 12:49:58 ID:fJcOMlOO
しかし、まあ、抜け出せない低迷期については、あらゆる要因はあると思うけど‥
確実に言えることは実にブレーンに恵まれていないと言うことに尽きると思う。
同年代の五木ひろしなどは芸名を散々、改名して20代半ばから売れ出し周知の通り、後に大成功を果たしてると言うのに‥
591昔の名無しで出ています:2009/04/08(水) 16:09:05 ID:Zp8YdJF2
大体において、歌手には2つのタイプがあって、それは「早熟型」と「晩成型」に区別できると思う。
早熟型は、デビュー曲から大ヒットを連発して、時の流れと共に尻すぼみになっていくタイプで、
アイドル歌手や青春歌謡歌手はほぼこれに当てはまる。
一方、晩成型は、デビューからヒットに恵まれず下積みを積みながら、歌手としての盤石たる地盤を
固めて、芽が出てからは息の長い歌手として活動するタイプで、演歌歌手がこれに当てはまる。

三田明の場合は、完璧なまでの早熟型で、デビュー曲=最大ヒットというのが
それを歴然と物語っていると思う(その点では、三田明と五木ひろしはあまりにも対照的)
御三家は、デビュー曲を上回るヒットが後年出ているので黄金時代を築くことができたが、
三田の場合はそれが無かったから、尚更一発屋的印象を持たれるのかもしれない。
もし、昭和41〜42年頃に美しい十代を上回るヒットが1曲でも出ていたら、
その後の三田明の評価も今より全く違っていただろうと思う。
592昔の名無しで出ています:2009/04/09(木) 07:14:20 ID:4808ZejV
まあ、「美しい十代」が名曲すぎたからね
593昔の名無しで出ています:2009/04/10(金) 14:41:45 ID:TFajyyaH
三田明の最大ヒットは「美しい十代」で間違いないとして、
2番目が「夕子の涙」でこれも間違いないかな?
問題は、3番目のヒットが何かだけど、
明日は咲こう花咲こう、ごめんねチコちゃん、恋人ジュリー、アイビー東京、カリブの花
この5曲のうちのどれかだと思うんだけど・・・・・・・・
594昔の名無しで出ています:2009/04/12(日) 19:11:07 ID:iobv3Fa1
三田明第3のヒット曲は吉永小百合との共唱「明日は咲こう花咲こう」ではなかろうか。
ちなみに第4が「アイビー東京」、第5が「恋人ジュリー」になるのではないか。
三田の全盛期にはオリコンがなかったので、正確なヒット度数が分からないからあくまで想像だが。
595昔の名無しで出ています:2009/04/13(月) 17:39:40 ID:h16rTHED
日活映画「明日は咲こう花咲こう」は内容的には、いい出来の青春映画だと思う。
主演の吉永小百合が山奥の村の診療所に赴任するところから話が始まるんだけど、
三田明も、スター歌手三田明が村に公演にやって来たという設定で出演している。
ただ、主演の吉永とデュエットで主題歌を歌っている三田が、
肝心の映画にはちょい役で出演とは、ちょっと淋しい気もするが・・・・・
596昔の名無しで出ています:2009/04/15(水) 09:11:32 ID:vquRvcY1
紅白初出場曲となった昭和39年の「ごめんねチコちゃん」も
かなり売れたような感じはすると思うけど、どうだろう。
たしか、初版プレスはB面だったけど(A面は吉永小百合の「この夕空の下に」)
再プレスで、A面に入れ替わったんじゃなかったかな?
597昔の名無しで出ています:2009/04/15(水) 22:25:51 ID:th6oQppT
「美しい十代」以降は尻すぼみで、「ごめんねチコちゃん」もヒットはしたものの、御三家には届かなかった。
その当時、三田は映画やドラマに立て続けに出演、その主題歌は自身で歌うもヒットに至らず、歌手としてはあまりパッとしていなかった。
三田が御三家に肉薄するほどの勢いをつけたのは「アイビー東京」以降だろう。
598昔の名無しで出ています:2009/04/16(木) 14:31:24 ID:7lkoH2hr
やはり、売れ線狙い一本で押したビクターの戦略の失敗と言えるかもしれない。

ビクターは古くから、歌手ではないけど知名度の高い俳優やタレントなどを起用して
レコードを出してきたけど(高田幸吉、鶴田浩二、吉永小百合、山田真二等々)
それでもヒットを出してきたから、結果的に良かったのかもしれないけど、
三田の場合は知名度の無いズブの素人で、しかもルックスが素晴らしいという話題性のみで
(ちゃんと「写真家秋山庄太郎が絶賛する美少年」という肩書き作りも抜け目なく行って)
歌手としては速成のままデビューさせたから、その後2年くらいは歌の面で御三家に対抗できる
結果を残せなかったのではないかと思う。
最初から舟木や西郷のように、本格的な歌手としてきちんとした基礎を固めてデビューしていれば
ビクターの青春歌謡の第一線は、橋ではなく三田が座っていたのは間違いないと思うが。
599昔の名無しで出ています:2009/04/19(日) 00:46:51 ID:/vTFCPN8
高田浩吉はビクターには所属していなかったはず。戦前はポリドール(「大江戸出世小唄」など)で、戦後は主にコロムビアに所属(「伊豆の佐太郎」「白鷺三味線」など)していた。高田の弟子の鶴田浩二はビクター所属の吉田門下で、三田明の先輩筋といえる。
三田の未完成状態のデビューは後々尾を引いたが、それが彼の魅力の一つだったかも。完璧な状態でデビューさせていたら橋はもちろんのこと、舟木や西郷らともかぶり、四天王と言われるまでにはならなかったのではないか。
御三家にはない「未完成」状態が、独自のファンを広げていったのは否定できない。
600昔の名無しで出ています:2009/04/20(月) 17:10:22 ID:geFTELIM
三田明が、歌唱力を完璧に身につけてデビューしていたら、
師である吉田正は、三田をアイドル青春歌謡歌手としてではなく、
本格的なフランク永井の後継歌手として育てたかもしれない。
同年齢の森進一が、三田の3年後に年齢不相応の盛り場ド演歌でデビューしているくらいだから、
三田の場合も昭和40年頃に、吉田の手による若手本格的ジャズ演歌(赤毛のおんなのような
大人のムードの曲→コロムビアの島和彦あたりが好敵手になるようなポジション)でデビューしていたら、
森のような長持ちする大人の歌手として大成していた可能性もあり得たと思うが・・・
601昔の名無しで出ています:2009/04/21(火) 11:15:08 ID:43jWGVXB
青春歌謡の中では三田の「美しい十代」が一番好きだなあ
イントロ聴いただけでジーンとくるわ
602昔の名無しで出ています:2009/04/21(火) 22:24:43 ID:xb+YhtMO
結論から言うと、三田明はコロムビアの舟木一夫の対抗馬としてデビューさせられただけのこと。時あたかも青春歌謡全盛期。三田も有無を言わさず、当然青春歌謡歌手として売り出さざるを得なかった。
さて、森進一がデビューした昭和41年はすでに青春歌謡は下火。少し前には同期の青江三奈が「恍惚のブルース」でデビューしており、森の声質や彼が演歌の猪俣公章の弟子ということもあって、森にはどうしても盛り場歌謡を歌う素養があった。
そこが、三田と森の分かれ目。青春歌謡を突き進んだ三田はやがて青春歌謡の斜陽化とともに低迷し、演歌の森は青春歌謡ブームの後の盛り場歌謡ブームにうまく乗りヒットを量産、安定した人気を得ることができた。
三田と森の共通点は、どちらも女性ファンが多かった、ということ。三田も森もイケメンだった。
603昔の名無しで出ています:2009/04/22(水) 06:31:27 ID:???
なるほどのう。
二人の別れ道には歌謡界いや、戦後の歴史的背景、経済、若者の思想や流行など複雑な要素が含まれておるんだな?
御三家、いや四天王にしても個人の素質、努力だけでなく様々な要因により形作られたもので、
単に評価をしても、意味がないようですな。自分がすきな人をトップと言い、自分と重ね合わせているんだろうな。
それもまた考え方の違いで間違いでもなかろう。
彼らがいたので、楽しみや語る事ができ青春がある(今もなお。)…感謝だなあ。
604昔の名無しで出ています:2009/04/22(水) 09:34:53 ID:qlxXDDOT
ただ、青春歌謡歌手(のちの時代のアイドル歌手も含む)は、
「若さ」が売り物なだけに、歌い手が年を増すごとに消耗していく(旬がすぎていく)のは
デビュー時点で十分予見できたわけだから、三田も全盛期に青春歌謡一辺倒で押したのは、
長い歌手人生を考えると、成功と手放しに言い切れるか疑問が残る。
(舟木一夫も、デビューから続いた学園物は続いてせいぜい1年と思っていたらしいし、
年齢相応の歌への脱皮は、四天王全員の課題でもあったと思う。その中で、
股旅の橋や叙情歌謡の舟木を別にすれば、三田・西郷は決して脱皮に成功したとは言い切れない)
605マジレス:2009/04/22(水) 11:16:50 ID:j4/s+A16
昔話は、どうでもよい。
私は「青春という名の旅人」をカラオケで歌っている。
三田は証券会社のコマーシャルもしていた。
606昔の名無しで出ています:2009/04/22(水) 11:39:33 ID:7Sqp5o1+
三田は今でも歌で全国回ってるし頑張ってるよ
何度聴いても「美しい十代」は名曲
607昔の名無しで出ています:2009/04/22(水) 13:04:13 ID:???
1970年代に入ると24.5歳の若さなのにシングルのリリースも途絶え、
懐メロ歌手みたいになってしまったな。
沢田や布施、森、五木と同世代なのに、彼らより一世代古く感じてしまう。
まぁ西郷もそうだけど。

80年代に入って里見浩太朗の時代劇などに出だすが、
だったらもう少し早くあの美貌を生かして役者業に乗り出せばよかったのに。
608昔の名無しで出ています:2009/04/23(木) 15:44:50 ID:CuZoWtt0
沢田研二がGSから大人のポップスへ、西郷輝彦が青春歌謡から時代劇役者へ
それぞれ転身に成功した陰で、三田明はかろうじて物まね歌手で食いつないでいたような
印象を与えるから、なおさら懐メロ歌手的印象が強くなってしまったのだろう。
アイドル歌手が転身を図る道筋は、なかなか厳しいのが現状だと思う。
609昔の名無しで出ています:2009/04/26(日) 22:27:26 ID:ZJVreFi9
三田が歌手として下火になろうとしていた時期に所属事務所の倒産があり、三田は自身で事務所を立ち上げ負債返済のために仕事も選ばずガムシャラに働いた。
本来その時期に何かしらの転換を図らねばならなかったのだが、そういう状況下でとてもそんな余裕はなかったのだろう。
そんなこんなでにっちもさっちもいかなくなり、一番取り掛かり安く得意でもあったモノマネに走ってしまったのだろう。モノマネはどうしても安っぽく見られてしまうので、さらに三田の芸能界に於ける地位は低落してしまった。
610マジレス:2009/04/27(月) 08:43:13 ID:Q8R3Q+Gu
三田明に限らず、真のファンなら、昔話はやめて
彼の現在の新曲を買い、応援するのが筋ではないか。
中高年は、CDを買わないから演歌が低迷する原因になる。
611昔の名無しで出ています:2009/04/27(月) 11:26:00 ID:DaOA19s6
>>610
なるほど、それがファンのあり方としての常道とは思うけど、
三田明くらいの世代の歌手ともなると、現役としての三田より
自分が青春時代に全盛だった三田の足跡の方により大きな魅力を持っていると
考えるファンもいるということをご承知置き願いたいものであります。
(それは、舟木一夫を見れば一目瞭然。彼も一応は新曲CDをリリースしていながら
ヒットしたという形跡は伺えない。にもかかわらず、公演・コンサートは大入りを重ねている。
これは、新曲よりも全盛期の思い出の曲の方が観客を動員できる魅力を持っているということ)

三田くらいの世代の歌手ともなると、新曲よりも過去の埋もれた曲を復刻販売することに
ウエイトを置いた方がセールス面で効果的だと個人的には思う。
(三田世代の歌手の新曲企画で、売れ線狙いは正直かなり厳しいとも思えるし、
それよりも過去の埋もれた名曲を精力的に復刻CD化する方が、意味があると思う)
三田の場合は、ヒットしなかった曲の中にも吉田正ならではとも言える名曲がまだまだ
たくさん埋もれているから、それをコツコツ復刻CD化してもらいたいし、
それが三田世代の歌手の役割でもあると思う。
612マジレス:2009/04/27(月) 18:32:39 ID:8b3DVS94
ビクターから復刻CDが出ているのは、
松尾和子、マヒナ、青江、フランク、程度。
橋幸夫もたくさんは出ていない。
また、三浦洸一もやっと2枚組みが出た。
しかし、曽根史郎、神楽坂浮子、久保浩、山田真二などは
CDすら出ていないから、まだ三田明は恵まれたほうだと思う。
唐木淳のように若ければビクターを離れられるが、三田は無理か。
いや、マヒナのようにフリーボート移籍もありえなくもない。
ファンの要望があってもCDを買わなければ、復刻はないとみる。
613昔の名無しで出ています:2009/04/28(火) 16:31:13 ID:bwXk/bo7
ビクターは、そもそも過去の曲の復刻化が他のレコード会社に比べ手ぬるい。
キングの春日八郎や三橋美智也などは、全盛期のオリジナルはヒットの有無に関わらず、
復刻が行き届いていて、珍しい曲でも聴く事が出来る。さらには、当時の未発表音源すら
発掘されている有様であり、ビクターのフランク永井や三浦洸一とは雲泥の差がある。

三田明の場合も、新曲も結構だけど、より魅力的な三田&吉田正の青春歌謡の奥深い世界を
知らしめる方に力を入れてもらいたい。

そこで、三田明復刻希望ベスト5曲をあくまで独断でセレクトすると・・・・・
「東京で二人」「純愛のバラード」「夜霧の36階」「街に泉があった」「神秘な恋」
614昔の名無しで出ています:2009/04/29(水) 17:34:20 ID:rJ8Q1yGD
自分は40代だけど新御三家も三田明も売れっ子歌手という記憶ないなあ
かろうじて橋幸夫にそんなイメージがあるかな
子連れ狼がヒットしたし紅白で何度も見たからかもしれない
他の三人はロッテ歌のアルバムとか、ベストテンじゃない歌番組にたまに出る歌手で
たしかに現役というよりナツメロ歌手みたいだったねえ、三田も舟木も西郷も
三田は物まねのイメージが一番強いかなあ
当時は一世代前の歌手に見えたけど、ジュリーや森や五木とほぼ同年代だったんだねえ
615昔の名無しで出ています:2009/04/29(水) 17:38:19 ID:rJ8Q1yGD
象印の物まねに出てた頃20代半ばだったってことになるねえ
でも30過ぎに見えたよ
616昔の名無しで出ています:2009/04/30(木) 22:42:51 ID:0l91yAAh
それでも、ものまね歌合戦に出てた頃は、フリフリの蝶ネクタイに派手なスーツ、長髪で、
にしきのあきらや野村真樹らと同じ路線の人なんだな、とは思っていた。
テレビで見ていて、三田がステージ奥から登場したら、客席からキャーキャーという
三田ファンの声援が巻き起こった光景をおぼろげに覚えている。
617マジレス:2009/05/01(金) 06:54:02 ID:FdWHa12e
ユーチューブに三田さんの珍しい曲を
いつもUPしてくださる方に感謝いたします。
いい歌がたくさんあります。
CD化期待していますよ!
618恋太郎:2009/05/01(金) 20:24:05 ID:AU282YBu
>>609
当時の三田の芸能裏事情を詳しいようで‥
関係者なのかな?

仰るように「夕子の涙」などヒット曲の余韻が、まだ、あったにも拘わらず歌まね番組にしきりに出てた記憶があるが、裏でそういった苦難があったとは‥
しかし、森進一を筆頭に他に真似る人がいなかった同門で先輩の橋幸夫の歌まねは天下一品だね!

619昔の名無しで出ています:2009/05/02(土) 15:55:46 ID:cVg+cHGw
かれこれ10年くらい前になるけど、日曜午前に放送していた「いつ見ても波瀾万丈」って
番組に三田明がゲスト出演したときに、事務所の倒産とかの話が出てきたね。
それから、10周年記念曲「赤毛のおんな」の新曲キャンペーン先では、
新曲よりも「美しい十代」のリクエストばかりだったとか・・・・・
620昔の名無しで出ています:2009/05/04(月) 20:24:08 ID:DBS8RYyK
昭和48年当時、歌謡界はまたガラリと変わり、歌手の低年齢化が進みアイドル全盛期に突入しようとしていた。
その当時のベテラン中堅売れっ子歌手も苦戦を強いられており、歌手としての売れ筋からとうに離れていた三田が食い下がる余地はすでになかった。
そんな時期にもはや時代遅れな感じの新曲「赤毛のおんな」を、「時代遅れ」の歌手が頑張ってみても、ヒットに至るはずはない。
621昔の名無しで出ています:2009/05/07(木) 21:01:53 ID:Rl4p/AZI
三田と同年齢の森進一は、私的な騒動があったせいもあって、昭和48年前後は
沈滞した時期が続いたが、昭和48年に「冬の旅」そして翌年「襟裳岬」「さらば友よ」で
見事に復活している。
また、三田と似た路線の布施明も45年の「愛は不死鳥」以後パッとしない時期が続いたが、
こちらも昭和48年に「甘い十字架」そして翌年「積木の部屋」さらに翌年「シクラメンのかほり」で
見事に復活している。
このことから考えられるのは、森・布施と三田のブレーンの差は歴然だったとも言えるのかもしれない。
さらには、三田の師・吉田正が既に旬を過ぎた作家になってしまっていたというのも
三田にはマイナスに働いたと思う。ただ、「赤毛のおんな」のコンセプト自体は悪くなかったと
思うが、流行歌として考えれば、時代(昭和48年頃)に合う歌ではないというのも頷ける。
622マジレス:2009/05/08(金) 05:43:44 ID:hSmpYVhM
大昔、たけしのお笑いウルトラクイズの
サウナ我慢大会みたいなところで、
三田が延々と「美しい十代」を歌わされていたのが
気の毒だった。仕事を選んで欲しい。
現在は、北原ミレイなどとジョイントでの営業が多いね。
623昔の名無しで出ています:2009/05/08(金) 22:07:01 ID:QcTf7jSZ
森進一も布施明も当時はナベプロ看板歌手だったから、その辺は盤石だったろう。ただ、森も布施も「襟裳岬」「シクラメンのかほり」でレコード大賞を受けた後、方向性を見失いまた低迷してしまうのだが。

三田には、森や布施のようなスターのオーラみたいなものがあまり感じられない。低迷期が長くオーラが消えてしまったのか、もともとオーラが弱かったのか、よく分からないが…。
624昔の名無しで出ています:2009/05/09(土) 15:48:49 ID:6uRQdtR2
やはり、物まね歌合戦なんかに力点をおくような活動をしていれば、
どうしても第一線歌手というより、キワモノ歌手的な方向になってしまうのは
致し方ないと思う。
三田の場合は、デビュー当初から歌の面では、中途半端なイメージがついて回った
のかもしれない(歌は二の次のかわい子ちゃんアイドルというイメージだけが先行)
そう言う意味においても、「舟木一夫の対抗馬」という目的での速成デビューの弊害は、
三田の歌手生活の後々にまで深い影響を及ぼしたと言わざるを得ない。
625昔の名無しで出ています:2009/05/11(月) 20:49:38 ID:h78FUMsW
よくよく考えれば西郷、森、五木、布施、沢田等と同年代なんだよなぁ‥

それぞれが'70〜'80年代に入っても人気をキープして活躍してたと言うのに‥
一言で云えばツキがなかったとしか言わざるを得ない。
626昔の名無しで出ています:2009/05/11(月) 21:05:07 ID:FSnNCULi
西郷、森、五木、布施、沢田のケースは稀な方で、長きに渡り人気を維持するのは容易ではない。

すでに第一線にいないとは言え、三田は歌手を引退することなく、未だに歌で生計を立てることができること自体は評価に値する。
627昔の名無しで出ています:2009/05/12(火) 18:00:23 ID:t5MJ6q88
考えてみると、御三家を別にしたら青春歌謡歌手で今だに現役なのは、
三田明くらいしかいないのではなかろうか。
まあ、考えようによっては橋幸夫がいなければ、三田明が御三家の一員に加わってた可能性も
あったくらいの位置にはいたわけだから、今だに現役であってもおかしくはなかろうとは思うけど、
ほとんど「美しい十代」1曲で長年喰ってきたというイメージを持ってしまう。
全盛期を知らない人が持つ三田のイメージは、やはり「一発屋」的見方になってしまうのだろうか?
628昔の名無しで出ています:2009/05/12(火) 22:58:17 ID:hsqw8q+/
「美しい十代」以外のヒット曲は完全に埋もれていると言える。
60代の叔父に三田のヒット曲を質問したら「美しい十代しか分からない。他にもなんかあったみたいだけど覚えてないな」。
叔父は西郷輝彦のファンだったせいもあるだろうが、三田の全盛期を知っている年代だ。その当時は「夕子の涙」だの「恋人ジュリー」は流れていても、現在まで覚えておけるほどのインパクトがなかったのだろうか。
ヒット曲が少なくないのに「美しい十代」の一発屋と思われてしまうのは、三田にとっては心外だろう。
629昔の名無しで出ています:2009/05/13(水) 16:23:13 ID:mqYK+dcY
おそらく、長年にわたってテレビなどでの歌番組で三田が「美しい十代」だけを
歌い続けてきたから、大衆の記憶から他のヒット曲は消えてしまったのかもしれない。
橋幸夫の「恋のメキシカンロック」もヒット曲ながら、長年テレビでも歌われず埋もれていたが
ザ・ぼんちのものまねで一躍表舞台によみがえり、いまやベストアルバムにも収録されるくらいの
扱いになっている。
本来なら三田も、昭和40年代の全盛期が過ぎる頃から、「美しい十代」だけに特化せず
他のヒット曲も織り交ぜて、テレビ等では歌い続けるべきであっただろうと思うが・・・・・
(それは他の青春歌謡歌手にも全般的に言える。たとえば、北原謙二がテレビに出ると
大体は「若いふたり」ばかりだったし、梶光夫は「青春の城下町」オンリー。
ただ、20年くらい前に一度だけテレビで高田美和と共演して「我が愛を星に祈りて」を
歌ったのを見たときは感動した。
ちなみに、同じ頃歌番組で三田がテレビで「夕子の涙」を歌ってるのを見たことがあって、
当然、喜んでビデオ録画した)
630昔の名無しで出ています:2009/05/13(水) 21:12:27 ID:k9ao5FNm
「美しい十代」以外にラジオでは「夕子の涙」、テレビは「明日は咲こう花咲こう」(ソロ)を歌うことはあったが、稀なケース。
かつて梓みちよが、「こんにちは赤ちゃん」が強烈過ぎて、その後それを越える曲が出なくて困った。またあの曲のイメージに合わせ清純なふりをするのもつらかった、と述べていて、しばらくは「こんにちは赤ちゃん」をステージで歌わなくなった。
その後彼女は「二人でお酒を」がヒット、イメージチェンジを成功させるも「こんにちは赤ちゃん」を覆すほどのものではなかった。
三田も梓も「美しい十代」「こんにちは赤ちゃん」1曲でスターにのし上がったが、良くも悪くもしばらくこの曲に振り回されることになってしまった。
631マジレス:2009/05/14(木) 06:23:43 ID:I0KYYzQl
テレビでの歌唱曲が「美しい十代」ばかりだから、それしかないように
思えるが、本当にヒット作があれば要望どおりの曲を歌っていただろう。
何度も例にあげるが、同門の橋幸夫、三浦洸一、フランク永井などは
最低でも3曲は違う曲を歌える。
しかしながら、三田とは格の違いを感じずにはいられない。
632昔の名無しで出ています:2009/05/15(金) 00:07:51 ID:OnV9G2mP
昭和50年代以降の懐メロ番組で、よく耳にした曲目を歌手別に羅列してみると、
三浦洸一→落葉しぐれ、弁天小僧、東京の人、踊子、釧路の駅でさようなら、異国の丘
フランク永井→有楽町で逢いましょう、夜霧の第二国道、西銀座駅前、東京ナイトクラブ、君恋し、おまえに
橋幸夫→潮来笠、江梨子、いつでも夢を、雨の中の二人、霧氷、恋のメキシカンロック

三田の場合は、デビュー曲の「美しい十代」ばかりなので、確かに先輩3歌手よりかなり見劣りする。
「若い港」「若い翼」「アイビー東京」「恋人ジュリー」あたりはもっと頻繁にテレビで
歌ってれば、後年になっても三田のヒット曲として認知されていたかもしれないと思うが・・・
633昔の名無しで出ています:2009/05/15(金) 21:37:14 ID:xMRIc8ck
三田の曲の中でも特に
好きな一曲だが「ナイト・イン六本木」をテレビで歌ってるところを見たことがないけど発売当時は歌ってたのかな?
因みに当時中三でした。
634昔の名無しで出ています:2009/05/17(日) 12:28:32 ID:???
>>632
追加
橋幸夫「恋をするなら」
635昔の名無しで出ています:2009/05/18(月) 19:14:37 ID:puUtVHlO
四天王は、ロッテ歌のアルバムには準レギュラー的に頻繁に出演してたんじゃなかったかな?
ただ、昭和41年頃までは、年に10枚以上もレコードを出してたりしたから、
なかなかテレビやラジオで聞くことができなかった曲も相当あると思う。
たしかユーチューブの動画に、三田の紅白の時の映像(若い翼、恋人ジュリー、薔薇の涙)
がUPされてるね。それを見ると、昭和43年の紅白からハンドマイクになったのがわかる。
636昔の名無しで出ています:2009/05/18(月) 21:19:30 ID:li9G+f++
ロッテ歌のアルバム出演回数ベスト5歌手

1位…橋幸夫(117回)
2位…森進一(90)
3位…にしきのあきら(84回)
4位…西郷輝彦、三田明(83回)
5位…いしだあゆみ(76回)

橋は断トツ、森はまぁ妥当か、にしきのは意外、西郷と三田は同回数というのも興味深く、いしだあゆみも意外と言えば意外。また、舟木一夫がここにいないのも意外。
637昔の名無しで出ています:2009/05/20(水) 13:16:01 ID:XHRlKEc1
三田明さんのジョイントコンサートが各地でやっていますが
どんな曲を歌われるのですか?
ブログでは三木先生のことにふれていますね。
吉田先生が頼んだとか。
がんばって歌い続けてください。
638昔の名無しで出ています:2009/05/20(水) 20:28:22 ID:wNaOxPCv
>>636
舟木一夫は「残雪」の一件が効いた結果だな。

三田と西郷が出演回数で同じでしかも同年齢でも、西郷の方がヒット曲が多いように
思えてしまうのは、西郷の歌の方がインパクトが強かったということなのだろうか?
「星のフラメンコ」「星娘」あたりと比較しても、
「アイビー東京」「恋のアメリアッチ」なんかはインパクトが若干劣るイメージは拭えない。
639昔の名無しで出ています:2009/05/20(水) 23:14:44 ID:96timplg
あまり興味がなかった三田さん…でしたがBS日本のうたのスペシャルステージを拝見してから三田さんの虜です
あの甘い歌声ダンディーな優しさにすっかり魅了されていまいました、
あんなかわいいキムヨンジャさんも初めて、
まるで本物の恋人同志みたいで久々に癒されました、お二人共に大好きになっちゃいました。
応援してますね
640昔の名無しで出ています:2009/05/22(金) 21:21:51 ID:FplOmNTs
先週日曜日、NHKのラジオの歌番組に三田明が出演、5曲を披露した。テレビでは考えられない曲数だ。
番組の最後には昨年発売された「しあわせ追いかけて」を歌った。聞いていて割合難しい曲だが、三田は難無く歌いこなしていた。
この曲はお蔵入りとなっていたものを吉田夫人が発見、三田のもとに届けられたといういわくつきの曲。
ラジオだけでなく、テレビでも「美しい十代」以外の曲をどんどん歌ってほしいものだ。
641昔の名無しで出ています:2009/05/23(土) 06:15:20 ID:ZbDomHFc
三田明、確実に小規模ながら第二期のブームの気配が…!
ただお年柄、あまりムリはして欲しくないな〜、と言うのもファンの正直な気持ちかも、
山本リンダとのジョイントコンサート、何はともあれ頑張って〜!
642昔の名無しで出ています:2009/05/23(土) 06:25:21 ID:ZbDomHFc
周りの散策目的の旅で温泉を楽しむ為じゃないので、おおるりに泊まって見ましたが…、予想上回るおおざっぱさ!
畳は毛羽だってて藁がズボンについて困ったのを覚えてますね、
ま、八千円弱だもの仕方ないって事ですかね。ハハッ
643昔の名無しで出ています:2009/05/23(土) 06:29:04 ID:ZbDomHFc
↑失礼しました、カテ違いでした。
644昔の名無しで出ています:2009/05/23(土) 18:02:09 ID:u8uqtvwn
スター歌手には、大概全盛時代にお蔵になった曲が何曲かあるものだが、
三田明にも、全盛期に未発表のまま眠っている吉田作品があるかもしれない。
そう言う曲が復刻発売されたら、ファンとしては嬉しいし、
当時を偲ぶ貴重な音源資料になると思うが・・・・・
645昔の名無しで出ています:2009/05/24(日) 15:22:24 ID:3Ip+7t05
LP「白樺の小径」は
買いですか?
646昔の名無しで出ています:2009/05/26(火) 13:11:06 ID:ilBzQvcq
たしか「白樺の小径」は、カバー曲を集めたLPだったと思うけど、
これは古い世代の曲の集成ではなかったかな?
ちなみに「雲にのりたい」というLPもあるけど、これはタイトルでも
分かるとおり、三田と同時期のヒット曲を集めたLPだよね。

私はオリジナル至上主義(シングル重点)なので、この2つのLPは聴いたことがないから
内容に関しては何とも言えないけど、こういうカバー曲でオリジナル歌手と三田の歌唱の
個性の違いを比較してみるのも面白いかも知れない。
647昔の名無しで出ています:2009/05/26(火) 21:47:31 ID:Ct9R6MN3
三田明のカバーアルバムは昭和46年発売の「望郷」がお勧め。
曲目はアルバムタイトルにもなっている森進一「望郷」、ちあきなおみ「別れたあとで」、千昌夫「星影のワルツ」、クールファイブ「逢わずに愛して」など、昭和40年代の愛唱歌がズラリ。
この頃は三田の歌唱も油が乗っていて、甘いムードで聞かせてくれる。
648:2009/05/27(水) 03:52:42 ID:jMN4/sJL
へぇー、そのアルバムは面白そう。(^-^)b
三田の「逢わずに愛して」「星影‥」は是非、聴いてみたい!
他にどんな曲が入ってるのか知りたいのだが‥
649昔の名無しで出ています:2009/05/28(木) 10:55:38 ID:EDkII26H
新曲の評判はどうですか?
650昔の名無しで出ています:2009/05/31(日) 11:30:56 ID:8IPqF6PS
今日の朝、テレビ東京にでてましたよ。
新曲、披露されてました。いいですよ、
年相応に気張らずに歌えそうです。
いけると思いますね。
651昔の名無しで出ています:2009/05/31(日) 11:49:23 ID:OrtXAQsC
白虎の隊〜♪
652昔の名無しで出ています:2009/06/04(木) 15:42:52 ID:gv7b45aq
新曲を聴きました。いい歌ですね。
本人が選んだというベスト盤20曲が、三田さんの
好きな作品だとすれば、これ以上の復刻は期待できないのでしょうか?
653昔の名無しで出ています:2009/06/06(土) 14:16:06 ID:KXlVafZT
今朝、ラジオで聴く。
自身の作曲歌をうたっていた。

ダイソーで復刻CDを買ったが、「♪泣かないで〜♪泣かないで〜手を振って〜」
という歌詞の歌ってなかなか聴けないねー。
曲目わかる人いますかー。
654昔の名無しで出ています:2009/06/07(日) 22:28:17 ID:4wCFKaSz
>>653

「また逢う日まで」ちなみに尾崎紀世彦の曲とは同名異曲。
655昔の名無しで出ています:2009/06/08(月) 09:45:57 ID:FFM+AHaJ
「また逢う日まで」(昭和42年)は、前年の吉永小百合「勇気あるもの」的な
フォークタッチのバラードで、個人的には「夕子の涙」以上の名曲だと思う。
この曲はそこそこヒットもしてるはずだし、テレビやラジオなどで後年になっても
歌い続けていたら、三田のバラード調のヒット曲として大衆の記憶に残ったかもしれない。
ちなみに、このレコードのB面「花を求めて」もなかなかの名曲。
656昔の名無しで出ています:2009/06/09(火) 23:28:49 ID:SvcA6otd
「また逢う日まで」は特に歌詞がよい。それまで三田が歌ってきた少年少女がどうしたこうしたという世界とは違い、単に別れの歌なんだろうが、人生の機微を歌い込んだ奥の深い楽曲である。
曲調は典型的な吉田メロディー。無機質に聞こえて、どこか温かみを覚える。
657昔の名無しで出ています:2009/06/12(金) 18:37:50 ID:tjYaJlLC
「また逢う日まで」の次に出た「恋人の泉」もバラード調の曲だね。
 
   ♪星を浮かべて ひそやかに 泉はねむる 森の道

この頃は、ブルコメが「ブルーシャトウ」「マリアの泉」と立て続けに
大ヒットを飛ばしてた時期だから、この「恋人の泉」の歌詞に出てくる、
「泉」とか「ねむる」とか「森」なんて語句は、やはり意識的に入れたの
だろうかとつい思ってしまう。
ちなみにこの「恋人の泉」は、映画化されたと思う。
658:2009/06/14(日) 13:47:06 ID:K0XMz368

相手役(マドンナ)は誰?
659昔の名無しで出ています:2009/06/15(月) 17:29:08 ID:a9BHyB2G
調べたところ映画「恋人の泉」は、
主演が竹脇無我と鮎川いづみで、三田明は準主役じゃないかな?
660昔の名無しで出ています:2009/06/16(火) 20:32:05 ID:dKseCOtw
三田明が初めてテレビデビューしたとき、伊藤アイコらが司会をしてたビクターの歌番組だった
当時はレコード会社提供の歌謡曲番組が多かった
新譜レコードやステレオ装置のCMをふんだんに流してた頃だった
661昔の名無しで出ています:2009/06/17(水) 22:17:43 ID:MYJiP3Jf
昔はレコード会社主催の歌番組やコンサートがあり、歌手や作家、楽曲もそれぞれのレコード会社によって特徴があった。三田が第一線で活躍していた時期の主なレコード会社の特徴は…
・コロムビア…レコード会社最大手。正統派的なイメージがある。伝統も古く、美空ひばりなどスター歌手を一番多く抱えていて、作家陣も充実していた。
・ビクター…伝統や規模はコロムビアに次ぐ。コロムビアよりは歌手の門戸が広く、スター歌手はそれなりに揃っていたが、作家陣は手薄だった感じがする。
・キング…スター歌手の数はコロムビアなどに劣るが、江利チエミ、ペギー葉山、春日八郎、三橋美智也など、多種多様にわたる本格派歌手が粒ぞろいだった。
・テイチク…昭和30年代当時は石原裕次郎と三波春夫の二枚看板で奮闘、他のレコード会社に比べると劣勢だった。大阪発祥ということもあり、裕次郎はいたがローカル色が強かった。

他にポリドールやクラウンもあるが、割愛。
662昔の名無しで出ています:2009/06/19(金) 15:30:30 ID:PGCrmdNH
青春歌謡に絞ってレコード会社別に見ると、コロムビアが群を抜いている。

◎コロムビア・・・北原謙二、高木たかし、舟木一夫、梶光夫、安達明、島和彦、有田弘二、港孝也
◎ビクター ・・・橋幸夫、佐川ミツオ、松島アキラ、三田明、久保浩、永井秀和
◎クラウン ・・・山田太郎、西郷輝彦、美樹克彦、水戸浩二
これらの会社よりやや劣勢で続くのが、
◎キング  ・・・新川二朗、佐々木新一、北耕一
◎東芝   ・・・車英二、望月浩
◎ポリドール・・・叶修二、愛田健二
◎ミノルフォン・・・千昌夫、平泉保

ところで、テイチクはこの時期に青春歌謡歌手はいたのだろうか?
ちょっと思い浮かばないんだけど・・・・
663昔の名無しで出ています:2009/06/19(金) 19:00:08 ID:FD2jC05l
コロムビアは歌手の絶対数が多かったから、青春歌謡歌手が他社より多いのは必然。
テイチクの青春歌謡歌手は白根一男だろうか。白根は「次男坊鴉」のイメージがあるが、「青春は雲の彼方に」「高原を越えて行こうよ」など、青春歌謡ブーム前に青春歌謡のヒット曲を数曲残している。また東芝移籍後にも「はたちの詩集」がヒットした。
664昔の名無しで出ています:2009/06/22(月) 23:23:49 ID:ppBQeQwI
山田太郎の「新聞少年」は明らかに青春歌謡だけど、そうすると井沢八郎の「ああ上野駅」も
青春歌謡の範疇に入れざるを得ないような感じがするが、井沢八郎はどうも演歌の印象が強いから、
同じ青森出の佐々木新一より青春歌謡色はかなり薄いと思う。

それと同様に、白根一男は橋幸夫よりもデビューが早く、青春歌謡調の曲を残してはいるが、
神戸一郎「十代の恋よさようなら」や若原一郎「おーい中村君」守屋浩「僕は泣いちっち」あたりと
同世代の、青春歌謡ブームよりひとつ前の時代の人という印象が強い(たしか昭和30年デビューじゃなかったかな?)
白根一男の「はたちの詩集」はなかなか叙情的な青春歌だけど、三田にもこの曲に似た「君さようなら」
という叙情的な曲がある。この手の曲はビクターでは珍しいのではなかろうか?
665昔の名無しで出ています:2009/06/24(水) 23:13:16 ID:jPoR3JbM
井沢八郎は生粋の演歌歌手。「男船」でデビューし、「男傘」「北海の満月」など、青春歌謡とは程遠いコテコテのド演歌のヒット曲が多い。そんな彼の1番のヒット曲が路線の違う「あゝ上野駅」なのが面白いところだ。
白根一男や守屋浩、神戸一郎らが活躍した昭和30年前半は、青春歌謡のプチブームだったかもしれない。その少し前に大流行したウエスタンカーニバル出身歌手の小坂一也や平尾昌章なども青春歌謡をかじっている。
青春歌謡の歴史は意外に古く、戦前から存在した。日本で最初に青春歌謡を歌ってヒットさせた歌手は藤山一郎と言われている。彼は青春歌謡歌手ではないが、テイチク在籍時「東京ラプソディ」「青春日記」「東京娘」などの青春歌謡をヒットさせている。
ビクターの叙情歌謡は三浦洸一の独断場だったが、稀にその限りではなかったのだろう。
666名無し:2009/06/25(木) 13:13:23 ID:uu6rTcCD
三田のブログがアメブロに。

http://ameblo.jp/akira-mita/
667昔の名無しで出ています:2009/06/26(金) 10:01:45 ID:???
素朴な質問だけど四天王って誰がつけたの?
668昔の名無しで出ています:2009/06/26(金) 21:51:36 ID:dTifiBNz
>>667
玉置宏
669昔の名無しで出ています:2009/06/27(土) 11:47:44 ID:W7Iv0LIZ
「一週間のご無沙汰でした」のロッテ歌のアルバムは、御三家+三田明のホームグラウンド的
歌謡番組だったから、「四天王」の名付け親が司会の玉置宏なのは頷ける。
昭和41年頃のロッテ歌のアルバムで四天王が、
星のフラメンコ、恋と涙の太陽、太陽にヤァ!、恋のアメリアッチなどのそうそうたる
リズム歌謡の共演など歌ってたなんてのは、今考えると凄いシーンだと思う。
(ちなみにロッテ歌のアルバムで、4人が同時に出演したのは、ほんの数回とか?)
670昔の名無しで出ています:2009/06/27(土) 18:46:03 ID:XoHLxdSs
「ロッテ歌の‥」は確か日曜の午後とかの時間帯(地方に寄ると思うが‥)だと思ったが‥小学生の頃に橋幸夫を見たさにチャンネルを合わせよく見てたw
それと今は御存命か否か‥司会がなかなかのダンディだった三木鮎郎氏で夜のゴールデンタイムに放送してた「歌のグランプリ」は毎週、楽しみに欠かさず見てたなぁ。
671昔の名無しで出ています:2009/06/28(日) 09:11:33 ID:F+0hvk/U
>670
先日、昭和42年7月放送分「歌のグランプリ」
がTBSチャンネルでやっていたよ。
三田明「また逢う日まで」を歌ってた。
672昔の名無しで出ています:2009/06/29(月) 22:17:29 ID:05IPGvFo
「また逢う日まで」を歌ってた昭和42年は、翌43年のメキシコ五輪を前にして
メキシコをテーマにした曲を、御三家は歌っているけど、
(橋の恋のメキシカンロック、西郷のメキシコ娘等のリズム物)
この年2月発売の三田の「カリブの花」も同様の路線と考えて問題なかろうか?
673昔の名無しで出ています:2009/06/29(月) 22:42:25 ID:WBugqglB
昭和40年代前半はブームもあって、リズム歌謡が相当リリースされた。ついには御三家、四天王ばかりでなく、大御所筋の美空ひばりや島倉千代子、さらには村田英雄までリズム歌謡に手を染めてしまう。
ひばりはともかく、村田のリズム歌謡は何ともミスマッチであまりヒットしなかったのもうなずける。ちなみに、本家の橋らのリズム歌謡も今聞くとこれまたミスマッチ。
橋の「恋のメキシカンロック」は、メキシコ五輪を意識した曲であることを橋自身述懐していた。三田の「カリブの花」については、定かではない。
674昔の名無しで出ています:2009/06/30(火) 15:40:32 ID:???
'60代の歌謡史に残る
活躍ぶりは、その時代をも揺るがし専属のビクターにとっても未だかつてない売上げに驚愕した橋の功績、貢献度は多大だったと言わざるを得ない!
→その通り
675昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 10:30:23 ID:ej/0m0Gr
60年代にブームだったリズム歌謡を、今の感覚で聴いてみて一番カッコイイのは、やはり西郷輝彦だろうか。
「恋人ならば」「星娘」「西銀座五番街」「恋のGT」・・・・など、
曲そのものは他のリズム歌謡と遜色は無いと思うけど、西郷の洋楽的歌唱センスが
一番リズム歌謡に合っていると思う(それが70年代に入って「真夏のあらし」「情熱」などにつながっていく)
三田明の「アイビー東京」「太陽のカーニバル」あたりもリズム歌謡としては佳曲だと思うけど、
三田の場合は、西郷に比べアイドル歌謡的色彩が強いから、三田の一連のリズム物を聴いて、
その歌唱にあまり洋楽的センスは感じない。
676昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 10:45:43 ID:J0oWJ/Uv
しかしながら、輝彦は劣化して今じゃ歌えないだろ。
三田はまだまだ声が出るよ
677昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:06:02 ID:???
しかし、御三家の元祖は橋幸夫から始まる。
それから 舟木一夫、西郷輝彦、三田明が頭角を現す。
時が流れ それぞれの道を歩む。
678昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:10:28 ID:???
しかし、御三家の筆頭は舟木一夫である。
679昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:12:38 ID:???
しかし、御三家の筆頭は橋幸夫である。
680昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:13:35 ID:???
しかし、御三家の筆頭は西郷輝彦である。
681昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:14:36 ID:???
しかし、四天王の筆頭は三田明である。
682昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:16:56 ID:???
しかし、歌謡界の筆頭は村田英雄である。

683昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:19:41 ID:???
しかし、現役ではサブちゃんが筆頭である。

684昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:25:14 ID:???
しかし、だれが筆頭であろうが関係ない。
それぞれの歌手、歌が好きなんだから…
それぞれの意見は十人十色である。
685昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:27:00 ID:???
三田明 ガンバレ!!
いつまでも いつまでも m(_ _)m
686昔の名無しで出ています:2009/07/01(水) 14:28:22 ID:???
乙!
687昔の名無しで出ています:2009/07/02(木) 01:19:23 ID:HfnAW6nB
そうなんだよ。
西郷は歌を離れドラマ漬けで、御三家復活ブームで歌った時には時の流れは恐ろしく、聴くに堪えなかった。
あの劣化は救いようがないのでは‥
現在も昔と然程変わらず歌えるのは四天王の中では橋と三田の二人だけ。

流石に最高の作曲家、恩師の吉田正の下で歌唱指導され基礎がしっかり出来てる賜物と言えよう。
688昔の名無しで出ています:2009/07/03(金) 10:00:07 ID:QOYs9Hwf
吉田正が一番評価していたのはフランク永井の甘い低音だけど、
三田明の声質も甘いムードがあると思う。
フランク永井の曲をカバーできるのは三田明をおいて他にはいない。
689昔の名無しで出ています:2009/07/04(土) 17:34:18 ID:mgkrtnot
橋幸夫には甘さがないから、フランク永井をカバーできる吉田門下は三田明唯一無二だろう。
690昔の名無しで出ています:2009/07/09(木) 11:54:10 ID:9H+/guR6
吉田正が最も得意とした都会派歌謡は、当然のごとくフランク永井が一番多いが、
三田明にも、青春歌謡色に味付けされた吉田の都会派歌謡が結構ある。
おそらく三田の声質は、吉田の描く都会調のイメージにマッチしていたのかもしれない。

曲を並べてみると、「東京の人」的な雰囲気の「東京で二人」をはじめとして、
リズム&エレキ歌謡では「アイビー東京」「ナイトイン六本木」
ムード歌謡では「数寄屋橋ブルース」「ブルーシャンペン」「青山通り」「夜霧の36階」
歌詞を見る限り「夕子の涙」「あなたの涙」「おしゃれな季節」も銀座が舞台だし・・・ 
691昔の名無しで出ています:2009/07/11(土) 12:11:15 ID:0fwYm6FD
今朝、ラジオで出ていたな。毎週でているらしい。
692昔の名無しで出ています:2009/07/12(日) 07:20:19 ID:WSzvtPgE
都会派歌謡を歌うことで、青春歌謡のイメージから脱却を図ろうとしたのだろうが、定着しなかった。

青春歌謡以外の大ヒット曲が1曲でも出ていたら、また違っていただろうに。
693昔の名無しで出ています:2009/07/13(月) 09:24:38 ID:iG0ZcODc
昭和49〜50年頃は、「並木の雨」「いい人ならばいいけれど」「ほおずきうそつき」などの
演歌調を歌っていて、曲そのものは悪くはないと思うんだけど、三田が歌うと地味に聞こえて
森進一のような、耳に残る強烈なインパクトを感じないのが残念である。
694昔の名無しで出ています:2009/07/16(木) 22:39:45 ID:VoBSoJ43
http://meg-cd.jp/artist/akira_mita/

嬉しいけど近くに店が無い。
695昔の名無しで出ています:2009/07/17(金) 07:01:58 ID:83ANeU6C
新曲を購入しました。
最近歌唱力がますますUPしてるね。
696昔の名無しで出ています:2009/07/17(金) 20:37:25 ID:LCSsqOB7
三田のソフトな声質には演歌は合わない。声が沈んでしまう。
演歌を歌うには、森進一ほど強烈な声は必要ないが、五木ひろしのようにソフトな中にも渋さが欲しいものだ。
697昔の名無しで出ています:2009/07/21(火) 05:22:12 ID:vAVTvJ2/
冠二郎のようなガッツも必要だぜ。
698昔の名無しで出ています:2009/07/21(火) 15:18:17 ID:FokDNyVj
連休中にレコード整理してたら、三田明の「悲しみに乾杯」「春の風」が出てきたので、
久しぶりに聴いたが、この曲が出た昭和53年頃は、三田の場合だいたい年に1曲はコンスタントに
レコードを出していたので、当時よくNHK-FM昼の歌謡曲で新曲が流れると買いに行ったものだ。
699昔の名無しで出ています:2009/07/24(金) 17:53:15 ID:29B9IrPf
舟木一夫は、「君たちがいて僕がいた」を歌うとき、
3番の歌詞にある♪大人になるのは〜怖いけど〜〜〜 という部分が今歌うと違和感あるので、
この曲を歌うときは、1番と2番のツーコーラスを歌うことにしているとか、何かで知ったけど、
三田明も今、ステージで「ごめんねチコちゃん」を歌うと、内容的に違和感を感じるかもしれない。
700昔の名無しで出ています:2009/07/24(金) 20:33:27 ID:DJxNXKpe
「ごめんねチコちゃん」は5年前のコンサートで歌う際、三田は客席の熟女たちにお約束の、♪チコちゃん、の後の「アキラ」という掛け声を頼んだが熟女たちのタイミングが微妙に狂い、三田は苦笑いしていた。
青春歌謡には現在の三田や舟木などの年齢と違和感のある歌詞が多々あるが、それは鑑みず一つの作品として堂々と歌うべきだろうと思う。歌は歌なのだから。
701昔の名無しで出ています:2009/07/27(月) 11:06:57 ID:7+NUlxeC
でも、三田のレコードを一通り聴いてみて、今歌って違和感がありそうなのは、
内容的に少女チックな「ごめんねチコちゃん」くらいのものじゃなかろうか?
ちなみに、たしかフランク永井も「ごめんねチコちゃん」と同じ頃、
「アコちゃん」っていうレコードを出してたんじゃなかったかな?
フランク永井は童謡調の曲を何曲か出してるから、三田の「ごめんねチコちゃん」も
幼少アイドル歌謡じゃなくて、童謡調青春歌謡という感覚で聴けばいいのかもしれない。
702昔の名無しで出ています:2009/07/28(火) 21:17:57 ID:tGh6mx2E
松本伊代が、♪伊代はまだ16だから〜と、実年齢からはるかに違う今でも、彼女はそのまま懐メロ番組等で歌っている。それでいいのだ。
フランク永井には他にレコ大童謡賞を受けた「赤ちゃんは王様だ」が有名か。
703昔の名無しで出ています:2009/07/29(水) 18:00:40 ID:m05YIYfa
フランク永井といえば、三田がデビューした頃から大阪物を結構歌ってるが、
「大阪ろまん」あたりは三田が歌ってもピッタリ合いそうだな。
(ちなみに三田にも同じ吉田作品で「大阪ナイト」と言う曲がある)

フランクのソフトな声と、三田のソフトな声は、何か共通のものを感じる時がある。
(三田と三浦洸一、フランクと橋幸夫などはほとんど共通のものは感じないが)
三田は意識的にフランク永井の唱法を意識しているのだろうか?
704昔の名無しで出ています:2009/08/02(日) 03:55:23 ID:OUZVoGw8
コンサートで三田本人が語ってたが、フランク永井の路線で行きたかったそうだよ

ちなみに俺は当時は西郷輝彦のファンだったが、今は三田のファン。
歌も好きだが人柄が良いね
705昔の名無しで出ています:2009/08/02(日) 04:15:25 ID:???
三田は今でも歌一本で全国回ってるんだから立派だわ
それに比べ、役者に転向したとはいえ西郷の劣化にはガッカリ
706昔の名無しで出ています:2009/08/02(日) 16:59:25 ID:???
三田は夕べ町田の夜祭りのステージに上がったんだな
本人も祭り好きらしく盛り上がったらしい
ブログでもすぐ取りあげるし、三田はファンを大切にしてるなあ
707昔の名無しで出ています:2009/08/02(日) 19:53:06 ID:0u1UDj7u
今では歌番組に出ると決まって「美しい十代」だが、紅白では意外なことに「美しい十代」を一度も歌っていない。
三田は紅白には通算6回出場(昭和39〜44年まで連続出場)しており、曲目を見ると…
ごめんねチコちゃん(初)、若い翼(2回)、恋人ジュリー(3回)、夕子の涙(4回)、薔薇の涙(5回)、サロマ湖の空(6回)…となっている。
708昔の名無しで出ています:2009/08/02(日) 19:58:08 ID:???
思い出のメロディで「美しい十代」歌ってほしいわ
709昔の名無しで出ています:2009/08/03(月) 16:53:39 ID:99eS7YPx
三田明は、年も押し迫った10月デビューというのがまずかったな。
もし、あと半年くらい遅れて西郷と同じ頃デビューしていたら、
西郷と一緒に紅白初出場として、デビュー曲「美しい十代」を歌っていたかもしれない。
三田がどうしても御三家よりワンランク下に見られるのは、デビュー年=紅白初出場を
成し遂げられなかった部分も多少はあるかも知れない。
ただ、昭和43年に全盛を迎える森進一はデビューして3年目からの紅白出場だったことを考えれば、
38年10月デビューの三田が39年初出場は、高待遇ではあったのかもしれない。
710昔の名無しで出ています:2009/08/03(月) 17:52:25 ID:byHVPmqR
森進一の場合は、デビュー当初はマスコミから際物扱いされていて、一発屋やゲテモノ歌手などと揶瑜されていた。NHKにおいても森を「卑猥な歌い方をする歌手」と見なし、ヒットを量産してもなかなか紅白には出場させなかった。
だが森の人気はとどまる所を知らず、ついにデビュー3年目の昭和43年、「花と蝶」で紅白初出場を果たす。
翌44年、「港町ブルース」がミリオンセラーヒットとなり、この年の紅白で弱冠出場2回目にして白組のトリを務めた。なかなか紅白出場をさせなかったNHKの配慮もあったのだろう。
ちなみに三田は今のところ、この年の紅白を最後に出場が途絶えている。ぜひ、再出場を望むところだ。
711昔の名無しで出ています:2009/08/04(火) 17:55:36 ID:daefDB8n
2012年のデビュー50周年あたりが、紅白出場のチャンスかな?
ただ、舟木一夫も同じく50周年だから三田だけ出場はあり得ないだろうな。
とにかく、何か節目の年であるとか、話題があるとかしないと紅白は無理だし、
三田明にも、森進一の「おふくろさん」のような強烈な話題を提供する曲が1曲あれば
(特に大ヒットでなくても知名度の高い曲)かなり強味になったとは思うが・・・

まあ、紅白自体が昔ほど威厳を持つ番組でもなくなってきているのも事実だから、
あまり紅白にこだわってもしょうがないような気もする(出場できれば、それは結構な話だが)
712昔の名無しで出ています:2009/08/04(火) 19:00:01 ID:IhtH8bgt
年末番組の多様化や紅白にこだわらない大物アーティストが続出したことで、紅白の威厳は昔に比べるとかなり失墜してはいる。レコード大賞もこれまた然り。
だが、演歌歌手や懐メロ歌手にしてみると、紅白はまだまだ夢の舞台。最近紅白にご無沙汰な水前寺清子も「オファーがあったら出たい」と述べている。他の歌番組より高視聴率であるし、あの派手な演出が昔気質の歌手にはたまらないのだろう。
ただ、今の三田明には紅白出場の落としどころが何もない。デビュー50周年だけでは弱い。今更大ヒット曲は望めない。三田の紅白出場は夢のまた夢と言うことか。
713昔の名無しで出ています:2009/08/06(木) 14:54:37 ID:nLC0jUdG
NHKの歌謡コンサートに、準レギュラー的に出演していれば、ヒットが無くても出場の機会はあるかもしれない?
だいたい、最近の紅白の演歌陣はほとんど歌謡コンサートの延長のようなメンバーばかりだから新鮮味もまるでないし、
マンネリ化しているのも事実だから、出演者を大きくテコ入れして例えば青春歌謡歌手で現役から
毎年1人ずつ出演させるとかすれば、番組に幅も出るし、三田や御三家にも平等に出演の機会が得られると思う。

まあ、でも紅白自体が昔ほど威厳を持つ番組でもなくなってきているし、
三田や御三家はズブの演歌歌手でもないから、紅白で歌うメリットがどの程度あるか疑問はある。
例えば、昔なら紅白出場歌手はグリーン車に乗れたとか、翌年の公演数が増えたとかレコード売上げが伸びたとか・・・・
今はそのようなメリットはほとんど無いと思える。(せいぜい歌手冥利を満足させる程度か)
714昔の名無しで出ています:2009/08/06(木) 23:05:20 ID:W0pNW0WK
三田もNHK歌謡コンサートの常連歌手になればしめたもの。だが、御三家も常連歌手はおらず、三田がそこをかいくぐって常連歌手になることはあり得ないだろう。
今では紅白出場よりも歌謡コンサートの常連歌手になる方が視聴者に浸透し、人気回復の足掛かりになるのではないか。常に第一線で活躍するためには、コンスタントに全国ネット番組に露出することが必要なのだ。
715昔の名無しで出ています:2009/08/12(水) 15:46:48 ID:k59j38Py
三田明は女性歌手とのデュエットがほとんど無いから、カラオケなんかで流行りそうな
デュエット曲なんか新曲で出したら面白いかも知れない。
ヒットは難しくても、カラオケで歌えるような曲なら話題になる素地はあると思うが。
たとえば、美樹克彦&小林幸子「もしかしてpart2」とか、橋幸夫&安倍律子「今夜は離さない」とか・・・ 
この手の曲は今はもう流行らないのかな?
716昔の名無しで出ています:2009/08/12(水) 23:26:11 ID:J81TMYa9
演歌・歌謡曲が厳しい昨今、デュエット曲も当然厳しい。ただ、三田の声質は甘いデュエットに向いているので、デュエット曲の新曲を企画するのは面白いと思う。

だが、誰とデュエットを組むかが問題。往年のペア・吉永小百合は今更歌わないだろうし、コテコテの演歌歌手とは雰囲気が合わない。かと言って新人歌手や売れていない歌手を持ってきても、いくらヒットは度外視しても面白みに欠ける。

…そんなこんなで企画の段階でポシャる可能性大。
717昔の名無しで出ています:2009/08/15(土) 15:04:37 ID:???
変人ジュリー
718昔の名無しで出ています:2009/08/15(土) 15:45:25 ID:X7kFmcgU
ホイホイ」出身だよねー 東洋企画 久保浩も、銀座アシベで見た「高校騎兵隊」ってよっか棚ー
719昔の名無しで出ています:2009/08/17(月) 18:24:33 ID:e0AiMJG8
三田明はデビュー前の段階では、西郷輝彦のような洋楽志向はあったのだろうか?

三田の声質や雰囲気に、西郷ほど強烈な洋楽的要素は感じないけど、三田のデビュー前は
カバーポップスが全盛の時代でもあったから、一歩違ったら舟木の対抗馬としての歌謡曲ではなく
飯田久彦あたりのような洋楽カバー路線に行った可能性も有り得ただろうか?
720昔の名無しで出ています:2009/08/17(月) 19:27:45 ID:vzOcErO8
三田はデビュー前、友人らとバンドを結成、洋楽のカバーをしていた。よって彼は洋楽に造詣が深く、自身がDJを務めたラジオ番組では洋楽の蘊蓄を披露している。
デビューの際、吉田門下に入ったことで青春歌謡を歌うことになってしまったが、違う形でデビューしていたら三田は布施明や菅原洋一のような大人の歌を歌う実力派歌手となっていたかもしれないし、それだけの実力は潜在していた。
721昔の名無しで出ています:2009/08/19(水) 20:11:09 ID:+xQAHrgd
ヤフオクで「惜別のワルツ/神秘な恋」を入札、購入しました。
今まで聴く機会がなかった曲だと思う。
722昔の名無しで出ています:2009/08/19(水) 20:37:56 ID:???
三田明って子供さんはいたっけ?
723昔の名無しで出ています:2009/08/20(木) 23:50:26 ID:4dzdW7Ki
「惜別のワルツ」のシングルジャケットは、写真家秋山庄太郎撮影だったと思う。
三田にとってこの曲は珍しいタイプの曲で、おそらく吉田正の実験的意欲作だったのではなかろうか?
ただ個人的感想では、B面の「神秘な恋」の方が従来の三田の路線を踏襲していて安心して聴ける。
724昔の名無しで出ています:2009/08/25(火) 16:39:51 ID:ZC9RKJyS
「惜別(わかれ)のワルツ」は、当時ヒットしていた千昌夫の「星影のワルツ」を意識して作られたのだろう。
三田はこの「惜別のワルツ」をレコーディングする際、歌いづらくて相当苦労したと言う。後日「ワルツは難しい」と苦笑していた。以降、吉田正は三田の楽曲にはワルツを取り入れていない。
725昔の名無しで出ています:2009/08/26(水) 16:49:30 ID:n+Y6fvJQ
「星影のワルツ」は、歌い手の個性もあるけど、かなり演歌臭がする。
一方の「惜別のワルツ」はそれが全く無い。
アクの強さが無い分、聴き手が受けるインパクトも弱い感じがする。
「星影のワルツ」と「惜別のワルツ」を聴き比べると、三田が演歌系では無いこと以上に、
吉田正は演歌系の作曲家ではないと言うことがよくわかる。
726昔の名無しで出ています:2009/08/29(土) 11:07:52 ID:???
地味ながらもがんばっている三田さんもとうに還暦過ぎたんですよね。
727昔の名無しで出ています:2009/08/31(月) 23:39:55 ID:qwAGk/KZ
「惜別のワルツ」はマイナーコードの緩いワルツで、曲調は同じ吉田作品の「再会」や「愛と死のテーマ」などに近く、演歌というよりは歌謡曲といった雰囲気か。
吉田は演歌系作曲家ではないが、演歌は結構書いている。古都清乃に書いた「潮来育ち」「長良川夜曲」などは市川昭介か遠藤実の作品かと思ってしまうほど演歌臭が強く、艶っぽい(どことなく洗練されてはいるが)。
あらためて吉田作品の幅の広さを痛感する。
728昔の名無しで出ています:2009/09/01(火) 07:45:33 ID:KIV6gRTa
コンサート、いっぱいになるんでしょうね。六十代の女性が中心でしょう。三田と一緒に美しい十代をすごした人たちですものね。
729昔の名無しで出ています:2009/09/01(火) 17:21:48 ID:DkWWtXmt
吉田正が、演歌系作曲家ではないというのは、吉田門下の歌手に本格的演歌歌手がいないことでもわかる。
弟子の中でも一番演歌色が強いのは橋幸夫あたりだろうが、デビュー当時の股旅物が演歌系であるだけで、
次第にリズム歌謡や青春歌謡など方向性が変わっていったから、橋は本格的演歌歌手とは言えないと思う。
逆に、青春歌謡でデビューしたはずの遠藤門下の千昌夫は、いつの間にかド演歌歌手に収まってしまった。
師匠である作家の方向性と、その弟子が行き着く先は、結局は同じなのかも知れない。
(そういう意味で、三田が青春歌謡から脱皮したあと、本格的演歌を歌う土壌は無かったとも言える)
730昔の名無しで出ています:2009/09/01(火) 22:18:32 ID:VrH3ePC1
三田には本格的演歌を歌う土壌もないし素質もない。歌い方も割合素直で、男と女のどろどろした世界を歌うことには長けてないのだ。
「歌がちょっぴり下手な美少年」が三田の魅力。歌唱力向上などでそれを侵され、人気急降下の憂き目に遭った。
731昔の名無しで出ています:2009/09/08(火) 16:34:24 ID:UlxUgWqb
たしか昭和50年頃に出した「いい人ならばいいけれど」などは、
いかにも中村泰士的な質の高いポップス調の演歌だと思うけど、この手の曲があまり伸びなかったのは
やはり三田が演歌歌手としては熟成されていなかったからなのだろうか?
曲自体はいい出来だと思うので、例えば五木ひろしあたりが歌えばそこそこ売れたとは思うが・・・・
732昔の名無しで出ています:2009/09/13(日) 18:26:55 ID:8zJ9lag8
ある程度落ち目になってから、いくら質のよい楽曲を歌っても、三田のイメージに合わない曲はヒットにはつながらない。
中村泰士的な曲は、三田にはしっくり来ないが、三田はそれなりにうまく歌っているはず。それだけに埋もれるのはもったいない。
733昔の名無しで出ています:2009/09/19(土) 13:53:36 ID:moGlpPSG
日立市の吉田正音楽記念館に行くと、三田明の曲も聴けるのだろうか?
734昔の名無しで出ています:2009/09/22(火) 19:34:54 ID:Fp/RmE24
>>733
聴けます。同館はビクターヒット賞の曲はすべて聴くことができ(総曲数200曲以上)、三田の全盛期(昭和38〜44年)のヒット曲はすべて吉田作品なので、三田のヒット曲は網羅できます。
入場料は無料ですが、吉田作品を聴くにはプレーヤーを借りなければならず、そのレンタル代が200円かかります。
735昔の名無しで出ています:2009/10/02(金) 15:18:33 ID:wdGRGoAy
「タートルルックのいかす奴」の中の歌詞に、ルート246というのが出てくるけど、
これは国道246号線のことを言ってるのだろうか?
こういう歌詞を聴くとどうしても、フランク永井の国道18号線だとか夜霧の第二国道を連想してしまう。
この曲の曲調は、フランク永井が歌っても違和感が無さそうに思えるし・・・。
736昔の名無しで出ています:2009/10/02(金) 21:43:40 ID:xXFY1pBi
ビクターエンタティンメントHPで確認したところ、
10月21日にはアルバム「三田明全曲集〜美しい青春〜」がリリースされる。
そのうち「あなたの涙」「星と貝がら」「真珠の恋人」などが初CD化。
737昔の名無しで出ています:2009/10/02(金) 23:22:16 ID:2Z/Hiyou
ルート246は国道246号のことで、「タートルルックのいかす奴」で出てくるあたりは通称青山通り。
まさに「青山通り」の続編と言える曲。
738昔の名無しで出ています:2009/10/09(金) 15:54:52 ID:V0VSwwZ3
>>736
その中でも「星と貝がら」はB面曲ながら、いかにも三田&吉田正的青春歌謡でお気に入りの1曲。
三田の場合は、CDアルバムに収めてもおかしくないほど出来の良いB面曲が他にも多い。
いずれの機会に復刻されればいいのだが・・・・
そこで三田明おすすめのB面曲
東京で二人、世界の国で恋をしよう、花を求めて、海の道、純愛のバラード、
あなたの横顔、神秘な恋、おしゃれな季節、美少女
739昔の名無しで出ています:2009/10/19(月) 17:44:11 ID:rVDobyl9
I Iove ジェニー I Iove ジェニー〜♪で始まる「真珠の恋人」は、
エルビラ〜エルビラ〜♪の「カリブの花」の続編曲だよねきっと?

三田明には、日本外国問わずけっこう女性名が入った曲が多いような気がする。
740昔の名無しで出ています:2009/10/21(水) 18:23:27 ID:RODGLd5G
他に「薔薇の涙」のローザ、「恋人ジュリー」のジュリーなど。三田の颯爽とした外見には、外国人女性がぴったり来るのだろう。
ちなみに「太陽のカーニバル」のオルフェも、女性名だと思われるが、如何に。
741昔の名無しで出ています:2009/10/23(金) 18:20:44 ID:T+SOb8cJ
「恋人ジュリー」の作詞は吉田正だけど、吉田が曲の中でイメージした女性名が、
この曲が出た翌年の昭和42年にデビューした沢田研二のニックネームになるとは
当時は思いも寄らなかったに違いない。
後年、石野真子が「ジュリーがライバル」という曲を出したが、
これは明らかに沢田研二を意識した歌詞だろうが、「恋人ジュリー」はタイガースがデビューする前の曲だから、
逆に沢田研二の方が、ニックネームとして「恋人ジュリー」のジュリーを意識したのだとすれば面白いが・・・
742昔の名無しで出ています:2009/10/23(金) 21:16:21 ID:NOfcM5oL
「恋人ジュリー」
743昔の名無しで出ています:2009/10/23(金) 21:21:31 ID:NOfcM5oL
「恋人ジュリー」はヒットしたが、この年(昭和41年)は御三家がそろって大ヒットを飛ばした(橋幸夫・霧氷、舟木一夫・絶唱、西郷輝彦・星のフラメンコ)。
さらに加山雄三の「君といつまでも」が超ヒットして、沢田研二が自分の芸名に考えるほど「ジュリー」は浸透しなかったはず。
744昔の名無しで出ています:2009/11/05(木) 18:13:09 ID:IBXhis2o
フランク永井が「霧子」なら、三田明は「夕子」という、
吉田正の曲中に出てくる女性名のネーミングセンスはなかなか素晴らしい。
吉田正はもっと作詞もするべきだったと思うが、それぞれ持ち場のプロに任せるのが
正統であると言う考えもあったらしいから、数少ない吉田作詞作品は貴重である。
745昔の名無しで出ています:2009/11/13(金) 22:58:24 ID:hWk5Q2N5
「振り返ってみたけれど」は、作曲が藤本卓也だったんだね。
藤本卓也といえば、矢吹健の「あなたのブルース」や、五木ひろし「待っている女」
西郷輝彦「ローリングストーンズは来なかった」など、かなりアクの強い作品の作り手として
有名だけど、「振り返ってみたけれど」はあまり強烈なインパクトは感じない。
ただ三田の方向性が、オーソドックスな青春歌謡調から脱しつつある過程の中で、
歌唱法を今までのイメージから変えていこうとするような努力の跡は多少感じる。
746昔の名無しで出ています:2009/11/13(金) 22:58:30 ID:hWk5Q2N5
「振り返ってみたけれど」は、作曲が藤本卓也だったんだね。
藤本卓也といえば、矢吹健の「あなたのブルース」や、五木ひろし「待っている女」
西郷輝彦「ローリングストーンズは来なかった」など、かなりアクの強い作品の作り手として
有名だけど、「振り返ってみたけれど」はあまり強烈なインパクトは感じない。
ただ三田の方向性が、オーソドックスな青春歌謡調から脱しつつある過程の中で、
歌唱法を今までのイメージから変えていこうとするような努力の跡は多少感じる。
747昔の名無しで出ています:2009/11/14(土) 14:42:22 ID:NsPLD0Ud
藤本卓也はサイケデリック歌謡の巨匠。そんな彼の作品は他の歌謡曲に比べると強烈に異質なものが多く、数曲のヒット曲はあれどヒットせず埋もれた曲の方が圧倒的に多いと言われている。
三田の「振り返ってみたけれど」は、確かに矢吹健の一連の藤本作品よりもノーマルな感じはするが、三田のそれまでの持ち歌の中ではそれなりに異質な方。ヒット曲が途絶えがちになっていた当時の三田のイメチェンを図るには、ちと無謀だったとも言えなくはない。
748昔の名無しで出ています:2009/11/14(土) 19:24:41 ID:msVq1gTe
2010年4月23日・愛知県芸術劇場・舟木さん、西郷さん、三田さん3名参加の1日限定ユニットコンサートだそうです。(東海テレビ主催)
749昔の名無しで出ています:2009/11/16(月) 11:08:38 ID:bZQeA11+
60年代正統派青春歌謡というカテゴリーで考えれば、
舟木・西郷・三田が、本来の「御三家」と称されるべき位置にいたのは間違いない。
同じビクターの橋幸夫と三田明を比較した場合、三田の方がより青春歌謡色が強いのは歴然だし、
御三家を「アイドル歌手」と捉えれば、尚更である。
昭和40年代に入ると、恩師である吉田正の作曲する青春歌謡のウエイトは、
明らかに三田に移行していたのも明確であろうと思う。
750昔の名無しで出ています:2009/11/17(火) 22:55:07 ID:XqRtxsaL
昭和30年代末期から40年代初期にかけて、雑誌付録歌本のベストテンで1位から3位までが橋、舟木、西郷の3人で占められる回が目立つようになり、それが「御三家」と言われた所以となった。
その頃、三田は上位にランクインする割合が御三家に比べ低かった。良くても5位あたりをうろうろする程度。この時の三田にもっと勢いがあれば、御三家加入もあり得なくはなかったかもしれない。
三田の人気に勢いがつき、御三家に肉薄するようになったのは昭和42年頃。ベストテンでは御三家を割って上位に入ることもしばしば。その前後に「四天王」という名称も出て来た。
751昔の名無しで出ています:2009/11/18(水) 19:45:32 ID:wArtj33L
ただ、雑誌の人気投票は、レコード実売数とは決して比例しないと言うのは
オリコン設立後の昭和43年以降の平凡・明星の人気投票とオリコンチャートを比較すると歴然とする。
(昭和44年の平凡の歌本の人気投票を見ると、三田の「太陽のカーニバル」が、
森進一やタイガースのヒット曲を抑えて堂々の1位だったりする)

昭和40年前後の三田は、歌手というより、歌を歌うカワイイアイドル的存在だったから、
歌で独自の世界を築いていた御三家よりインパクトに欠けたのは致命的であったと思う。
昭和42年頃になると歌唱力も安定してきて、吉田正も三田でいろいろなチャレンジができるように
なった結果、四天王と言われるくらい御三家に肉迫できたのだろうと思う。
752昔の名無しで出ています:2009/11/19(木) 01:24:16 ID:WV3Qd/A/
,,,
753昔の名無しで出ています:2009/11/24(火) 22:47:05 ID:sFuDT3YT
雑誌のベストテンは人気投票もランク付けの対象になっているから、どうしても販売実数が正確なオリコンとは誤差が生じる。
第1回のオリコンシングルランキングは昭和43年1月から始まったが、ランキングを見ると残念ながら三田明の曲はベストテンにはなかった。「夕子の涙」あたり入ってるのかと思っていたが。
754昔の名無しで出ています:2009/11/26(木) 16:38:34 ID:gZNgGF72
「高校三年生」の作詞家丘灯至夫がなくなった。
この作家の作品が、60年代学園歌謡ブームの火付け役になったのは間違いないので、
その功績は実に多大であると思う。
一方、その舟木の対抗馬として、現役高校生だった三田明が「美しい十代」でデビューし、
三田も学園物を残している。「すばらしき級友」「友よ歌おう」「赤い夕陽」等々。
だが、歌詞を良く読むとやはりビクターとコロムビアのカラーの違いのせいか、
学園歌謡ではコロムビアの方が作品的にもインパクトがあるように思う。
舟木は「高校三年生」を歌った時点ですでに高校を卒業していたのに対し、
三田は現役高校生でデビューしたわけだから、むしろリアルタイムでは三田の方が
学園歌謡にふさわしかったのではないかとは思うが。
もし、三田がコロムビアで丘灯至夫の作品を歌っていたとしたらどんな歌を歌って
いただろうか?安達明あたりの路線を進んだとは思うが・・・・
755昔の名無しで出ています:2009/12/03(木) 00:36:57 ID:QhqeUUoZ
「銭形平次」だったかな・・・
三田さんがそば屋の屋台を引きながら、平次との「つなぎ」を取っていた。
756昔の名無しで出ています:2009/12/06(日) 23:26:26 ID:fGzifhxy
三田がコロムビア専属だったら、舟木一夫と梶光夫の間ぐらいのポジションか。御三家には及ばないが、御三家以外の青春歌謡歌手よりは明らかに上だろう。
では、丘灯至夫が三田の作品を作るとしたら、どんなものを書いただろうか…。叙情詩が得意だった丘のこと、美少年の三田をイメージして「美しい十代」よりももっと清らかで叙情的な詞を書いていただろう。
作曲家はやはり遠藤実についただろうか。
757昔の名無しで出ています:2009/12/08(火) 18:10:52 ID:ikMMFzmi
三田の第2弾が「みんな名もなく貧しいけれど」という、タイトルだけ聞くといかにも清らかで清純な世界を
歌った青春歌謡に思うけど、コロムビアの梶や安達あたりが歌った世界とはやはり異質の物を感じる。
叙情的青春の世界なら、やはりコロムビアの方がカラーに合っているのだろうか?
(それは、御三家以前の神戸一郎や北原謙二や若山彰あたりのコロムビアカラーに共通する)
一方、これがクラウンになると、星野哲郎の個性がかなり強烈に出てきて、
青春歌謡というより青春応援賛歌のようになる。(山田太郎の学園物や水前寺清子の「いつでも君は」あたり)

こうしてみると、青春歌謡には、作詞家の個性がかなり強烈に歌に反映されているのがわかる。
三田がもしコロムビアからデビューしていたら、間違いなく叙情歌謡の世界に入っていったと思う。
758昔の名無しで出ています:2009/12/08(火) 18:30:12 ID:aSa3S8a4
「みんな名もなく貧しいけれど」は「美しい十代」なども手掛けた宮川哲夫の作詞だが、彼の作品ははどことなく哀愁があり、うらぶれた雰囲気を含んだものが多い。
「みんな名もなく貧しいけれど」も、そのタイトルからして哀愁がプンプン漂う。これは、同じビクターの佐伯孝夫やコロムビアの丘灯至夫にはない作風だ。
759昔の名無しで出ています:2009/12/16(水) 17:56:36 ID:La43no3Q
佐伯孝夫は、あまり学園歌謡の類は得意ではなかったのではなかろうか?
ビクターそのものが学園歌謡にあまり踏み込まなかったから、そう思うのかもしれないが・・・

三田の初期の作品群「友よ歌おう」「高校騎兵隊」など学園物路線から、早々に普通の青春物に
シフトしていき、橋の後追い路線でリズム物なども歌うようになっていったが、
昭和42年頃までしつこく学園物の延長のような曲を出し続けた山田太郎とは対照的で、
それが三田明=学園歌謡というイメージを希薄にしている要因だと思う。
760昔の名無しで出ています:2009/12/16(水) 23:30:18 ID:9wqthCw8
佐伯孝夫の青春歌謡はあまり多くはないが皆無ではない。橋幸夫と吉永小百合「いつでも夢を」、橋幸夫「若いやつ」など、かい摘まんでだが思い付く。
三田明の「すばらしき級友」も佐伯作品だ。
761昔の名無しで出ています:2009/12/21(月) 10:05:03 ID:118Wbc4n
すばらしき級友(佐伯孝夫)
http://www.youtube.com/watch?v=t8pFF03OJ0Q
美しいあした(宮川哲夫)
http://www.youtube.com/watch?v=u_1ZFyRvaro
762昔の名無しで出ています:2010/01/06(水) 16:22:17 ID:JrZykwHM
「赤い夕陽」は歌詞の内容が明らかに「高校三年生」を意識しているのがわかる。
♪赤い夕陽が校舎を染めて〜〜 ・・・の歌い出しを曲のタイトルにするほど直截的だし。
「すばらしき級友」も、「仲間たち」をモチーフにしてるのだろうか?
763昔の名無しで出ています:2010/01/07(木) 18:42:55 ID:Mcq9nqFi
MEG-CDで「ブルーシャンペン」と「あなたの涙」を購入しました。もちろん初CD化です。
今後もMEG-CDで「初恋こいさん」「街に泉があった」「惜別のワルツ」などのリリースに期待。
764昔の名無しで出ています:2010/01/30(土) 16:21:03 ID:UYSr6qKK
「街に泉があった」は映画主題歌で、三田ならではの軽快な青春歌謡だけど、今ひとつパッとしないイメージだね。
やはりこの当時は、ナイトイン六本木や真珠の恋人のようなエレキ歌謡の方がインパクトが強かったのだろうか?
「初恋こいさん」は、三田には珍しい大阪モノだけど、テーマ的にちょっと時代遅れの感もする。
むしろB面の「大阪ナイト」を押した方が良かったのではないか?
765昔の名無しで出ています:2010/02/05(金) 07:44:34 ID:eH0OJwAc
御三家が衰退していった昭和43年 三田明はまだ小ヒットを
飛ばし続けていた ナイトイン六本木 ではレコ大にまでノミネート
されて 来年は御三家を凌駕がという矢先 あれをやっちまった
あれがなかったら 完全に抜いてたし かなり後々まで第一線で活躍
してただろう 惜しい 男前だったのに
766昔の名無しで出ています:2010/02/10(水) 16:56:16 ID:t7dVjALN
昭和43年当時、御三家が軒並み低調な中で、三田明一人が安定した曲を1年を通じて出していたのは事実だけど、
同じ年の森進一の勢いから比較したら、その差は歴然。
昭和30年代末からブームだった青春歌謡が、GSブームに呑まれて衰退していく中で、
森を中心とした盛り場ネオン演歌が、同時期ブームだったムードコーラスと共にかなりの勢いを得て、
しかもこれは青春歌謡のような一過性のブームではなく、それ以後長く続く歌謡曲&演歌の普遍的テーマにまで
昇華したことが、三田明他青春歌謡歌手の、歌手としての存在価値をおとしめていく要因になったのは否めない。
つまり青春歌謡歌手は、その曲の内容とは裏腹の盛り場演歌に転向するのが難しい分、青春歌謡から脱皮後の
歌手としての進むべき道が閉ざされていたとも思える・・・
767昔の名無しで出ています:2010/02/11(木) 23:12:47 ID:???
すみません、30代の♂で場違いかもしれませんが質問させてください。
親が三田明さんのファンで、自分もよく聴かされてました。ふと思い出した曲があり
歌詞も一部しか分からないし、題名も知りません。。所々の音程は覚えてるんですが・・・
親に聞いても覚えてないらしく、ネットで調べても全く情報無しです。
覚えてる部分だけ書いておくので、曲名と歌詞が分かれば教えてください。お願いします。


♪外に男を待たせたままで 別れてほしいとおまえは言った

風が吹き込む 風が吹き込む 春にしては あぁ 冷たすぎる風が
顔で笑って心で泣いて♪


もしかしたら三田明さんでは無いのでしょうか・・・・。
768昔の名無しで出ています:2010/02/12(金) 16:09:10 ID:t3xHRU7y
>>767
その曲は、昭和53年発売「悲しみに乾杯」のB面の「春の風」と言う曲です。
今、手元にシングルレコードが無いので、歌詞のすべてはわかりませんが、
出だしとサビの部分は多分その通りです。ちなみに歌詞は2番までで、3番は無かったはずです。
この曲は、当時NHK-FM「ひるの歌謡曲」三田明特集で聴いてカセットに録音してたのが、
何年か後に中古レコード店でたまたま見つけて入手して所持していますが、
三田がこの曲をテレビ等で歌ったのを見たことは全くありません。
(当時三田はもう歌番組にほとんど出ることもなかったし、B面曲なのでなおさらのこと)
769昔の名無しで出ています:2010/02/12(金) 23:42:50 ID:???
>>768
ありがとうございます。レアな曲だったんですね。
多分、実家をあさればカセット出てくると思うので探してみます。
youtubeにある曲を色々聴いてみました。
殆どの曲が自分の記憶に残ってるので、ある意味ビックリです。
春の風は見付かりませんでしたが、曲名を教えていただいてスッキリしました。
770昔の名無しで出ています:2010/02/18(木) 15:28:20 ID:wBq/36Yo
三田さんって今でも本当にセクシーですね。
771昔の名無しで出ています:2010/03/15(月) 19:36:55 ID:RrGEUGbH
三田明の昭和51年の曲「さよならの向こうで」は、
たしかどこかのムードコーラスグループがカバーしたと思うけど。
772昔の名無しで出ています:2010/03/16(火) 18:59:29 ID:2kIunHto
さっき、よーつべで「ナイト・イン六本木」を聴いたが、やはり良い曲はいつ聴いてもイイね!(・∀・)ヾ
773昔の名無しで出ています:2010/03/20(土) 12:47:02 ID:ueixKx9k
「恋人ジュリー」は、その直後の
沢田研二の登場を予見していたのか・・・?
774昔の名無しで出ています:2010/03/23(火) 23:20:41 ID:c+8MKXof
逆に、昭和41年秋に発売された「恋人ジュリー」という曲が、
タイガースのデビューを控えて、メンバーそれぞれにニックネームを考えていた矢先に
スタッフの目に止まったのかもしれない。
トッポは、トッポジージョからとか、ジュリーは三田の恋人ジュリーからとか、
サリーはアニメ魔法使いサリーからとか・・・・・
775昔の名無しで出ています:2010/03/25(木) 16:28:55 ID:d+Jn11wU
沢田研二のジュリーって愛称はジュリー・アンドリュースのファンだったから
付けたらしいけど、恋人ジュリーも元ネタが一緒かもな。
776昔の名無しで出ています:2010/03/27(土) 10:46:23 ID:fMppgIiN
「恋人ジュリー」は、珍しく吉田正の作詞だけど、
吉田の作詞作品で出てくる女性名は、霧子だとか夕子だとか日本名が多いのに、
「ジュリー」という外国女性名は珍しい。
ちょうどGSが台頭してきた時期でもあったので、異国情緒でも狙ったのだろうか?
777昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 00:31:06 ID:Uv0HPCg2
この方は「美少年」でしたね
少年じゃなくなった時終わったんじゃ?
この方の一番いい時は記憶にないだけど
物まねやってた時期から後は、なんというか…
なんで普通にまともな歌手と俳優続けなかったんですかね?
778昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 12:09:07 ID:Uv0HPCg2
私は歌番組をテレビで見出したのがグループサウンズのブームのころなんですが
その当時に三田明の歌をリアルタイムで歌番組で聴いた記憶がありません。
だから、この当時にはあまり売れてなかったんじゃないですか?
御三家のほうも同じようなものですが。
実際、この人の曲でリアルタイムで記憶があるのは「若い翼」だけです。
理由は家にレコードがあったから。
御三家も三田明も、その当時名前は散々聴いた記憶あるんですが
不思議とテレビでもラジオでも聴いた記憶がないですね。
779昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 12:22:28 ID:Uv0HPCg2
舟木一夫は40年代初めにずいぶんドラマの主題歌歌ってましたね。
あいつと私とか、銭形平次とか。
そういう記憶が強いですね。
ヒット曲は、これまた聴いた記憶がないです。

橋幸男はメキシカンロック、西郷は星娘、ピンクのカーネーション
願い星ーイェイイェイイェイとか、あの星は兄さんの星ーなど
どこかで聴いたことあって、覚えてます。
グループサウンズのブームも一段落した44年ごろには
御三家も三田さんも懐メロ歌手だったですね。
橋さんはその後、子連れ狼がヒットしましたが。
780昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 12:32:16 ID:Uv0HPCg2
>私は歌番組をテレビで見出したのがグループサウンズのブームのころなんですが

もう少し正確に言うと、昭和42年ぐらいですかね。
自分から見るというより家族と一緒にという感じで
その時々の売れ筋の曲を聴かせる番組でしたが
そういう番組で、三田さんも御三家も見たことないですよ。
だから察するに、このころには、依然人気はあるけど
裏はそんなには売れない状態だったんじゃないでしょうか。

40年代半ばには過去の大物歌手という印象でしたね、完全に。
森進一なんかと比べて、ずいぶん年上のベテランに見えました。
781昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 12:37:20 ID:Uv0HPCg2
だから、ここでよく出てくる、夕子の涙だの、赤毛の女など
全然覚えてません。
782昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 16:17:35 ID:Uv0HPCg2
最近で言うとタッキーみたいなものだったのか?
783昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 16:27:12 ID:Uv0HPCg2
43,44年ごろの「サロマ湖の空」や「薔薇の涙」も当時聞いたことないなあ。
ほんとにヒットしたんですか?
784昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 16:30:13 ID:Uv0HPCg2
>>48
ここに書いてある歌は全部知りません。
785昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 17:25:45 ID:Uv0HPCg2
四天王の誰が、いつ、どんな売れ方したのかわかりませんが
今現在の芸能界におけるポジションは、橋>西郷>舟木>三田ですかね。
橋幸男は紅白出場回数が群を抜いて多く、大物歌手のイメージがある。
西郷輝彦は歌の実績は舟木一夫より下かもしれないが、俳優で成功した。
舟木一夫は印象薄いなあ。
三田明は知名度の割に実績が乏しい感じが。
しかし今でも現役歌手っていうのは、すごいですがね。

よく知らないのに連投して、すみません。
786昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 19:42:15 ID:RTx+KEw2
御三家(三田明含め)が全員並んでヒットを出していたのは昭和42年までで、
43年に入ると、怒濤の如きGSブームに流されて完全に主流からは外れてしまったのは事実。

ただ、昭和43年度だけで見ると、四天王はそれぞれ10万程度の中ヒットは出している。
例えば橋「思い出のカテリーナ」舟木「くちなしのバラード」「残雪」西郷「月のしずく」三田「薔薇の涙」

しかし、この年はタイガースを初めとしたGSと、森進一青江三奈に代表される盛り場演歌ブーム、
さらにはロマンチカ等のムードコーラスブーム、またフォークブームもあって、
これらは30万や50万台の大ヒットを連発していたから、旧世代の御三家の影が薄いのも致し方ない。

ところで、当時の明星・平凡の歌本を見る限りでは、これらブームの渦中にある歌手より
四天王の方が大きく扱われていて、人気投票でも上位にしっかり座っているのがわかる。
(マルベル堂の昭和43年度のプロマイド売上げは、男性歌手部門では舟木一夫が1位に座っている)
787昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 20:20:34 ID:Uv0HPCg2
>>786
そうでしたか。
自分が歌番組を見出した42、43年頃というと、四天王が知名度は抜群で
依然として根強い人気があるけど、大ヒットが出なくなってきた時期と
ぴったり重なってたということですね。

でもまあ、三田さんも今もって現役なので、生涯現役を通されるんでしょうね。
それができる歌手というのも、すごく少ないのだろうと思います。
これぞトップスターの証ですね。
788昔の名無しで出ています:2010/03/31(水) 21:08:19 ID:Uv0HPCg2
とまあ、自分には四天王は年代的に古すぎるんですが
それでもそれぞれの名前はよく覚えてますよ
周りの大人たちが名前を言っていたのを、あちこちで聞いたからでしょうね
特に三田明は、「若い翼」のジャケ写が印象に残ってます。
子供心にもカッコイイなと思いましたよ。
この世の中には歌手という仕事があって、ステージやテレビで歌を歌って
レコードなる品物を売って、それで暮らしているらしいと薄々気がついたころでした。
雑誌に写真が載ってたり、ブロマイドなるものにもなってると。

ただ、名前をしょっちゅう聞いた割に、リアルタイムで聞いたことない
歌手の代表格も、自分にとって四天王かもしれません。
すっぽり抜け落ちてます。
789昔の名無しで出ています:2010/04/01(木) 15:38:43 ID:WBDQ27LB
>>778
地方によって曜日や時間帯は異なると思うけど、日曜のお昼時に放送されてた「ロッテ歌のアルバム」には、御三家と同様よく出てたけど‥
この番組、知らない?
790昔の名無しで出ています:2010/04/01(木) 20:19:37 ID:21iliYE8
>>789
ロッテ歌のアルバムを見るようになったのは、ずっと後だった。
70年代に入ってから時々見てた
その頃なら四天王もたまに出てたような気がする
それでも三田明の出演はめったになかったような
それに4人ともヒット歌手って感じじゃなかった
この番組は公開放送で、もうあんまり売れてない
ベテラン・中堅も必ず一人は出たけど、その中の一人って感じかな
791昔の名無しで出ています:2010/04/01(木) 21:47:09 ID:WBDQ27LB
>>790
「ロッテ‥」が公開生放送をするようになってからは、御三家も三田明も人気が下り坂の時期だったので確かに殆んど出番はなかったように思います。
小生が言ってるのは、公開放送ではなく'60後半まで4人が人気絶頂の頃にスタジオで録画されたものを放送してた当時の「ロッテ‥」のことを言ったまでです。
792昔の名無しで出ています:2010/04/01(木) 23:55:31 ID:21iliYE8
そのころは見てませんが、さぞかし人気がすごかったんでしょうね。
それにしても芸能界でもかなりの美形だったのに、なぜ整形したのか?
イメージチェンジしたかったのか、もっとかっこよくなろうと思ったのか
一重まぶたがコンプレックスだったのか?

一重だから、きりっとしてバランスがとれていたんだと思う
二重にしてからは甘くてぼやけた顔になってしまった
後年は全体的にボテっとした顔になってしまったけど
一重まぶただったら印象が違うんじゃないかな
元に戻せないんだろうか
793昔の名無しで出ています:2010/04/02(金) 00:28:15 ID:yVVvdI2i
ここに曲名が出てくる歌をyou tubeで聞いたみた
やっぱり「美しい十代」ぐらいしか聞いたことないわ
「若い港」の出だしだけは知ってた
三田明の歌だったんだね

聞いた感想はというと、60年代の曲は歌詞も曲も古すぎるわ
あまりに古くてピンとこなかったけど
歌が下手だという感じはしなかった
どの曲も丁寧に歌ってて、70年代のアイドルの
フォーリーブスや郷ひろみなんかよりうまいと思う

割と最近の曲らしいものの中には、いいな思うのがありましたよ
後年の曲は、もっと評価されてもいいんじゃ?
物まねなんかやってたから色物のイメージがついて
歌手としての評価が下がってしまったのかな…
794昔の名無しで出ています:2010/04/02(金) 01:06:29 ID:yVVvdI2i
来た道・寄り道・帰り道
君に乾杯

この辺は青春歌謡の頃と全然雰囲気が違って
すごくいい曲だと思います
今聞いても古い感じがしないしもっとヒットしてもよかったんじゃ
思うに、いろんなジャンルの歌が歌えた人なんでしょう
795昔の名無しで出ています:2010/04/02(金) 02:58:26 ID:yVVvdI2i
月刊明星の表紙は創刊から長らく女優か女性歌手が一人で表紙を飾っていたけど
青洲歌謡のブームの頃から男女二人ずつになり、その第一号が三田明ですね
明星の表紙を全部載せた単行本があって、それで見たんですが
たぶん御三家より三田明のほうが表紙に出た回数が多いはず
796昔の名無しで出ています:2010/04/07(水) 14:45:10 ID:9tIWWXQL
昭和39年から始まる吉田正によるリズム歌謡は、本来なら三田明が歌うべきだった。
リズム歌謡ならとくに歌唱力を必要とするわけでもないし、三田でも十分こなせたはず。
そうなっていれば、三田がリズム歌謡の中心的位置を占めることができて、
本来の御三家の一員に、三田が名を連ねることができたかもしれない。
ところが、御三家が39年〜40年とリズム歌謡に取り組む中、三田が初めて手がけたリズム歌謡が
41年に入ってからの「アイビー東京」が最初と、だいぶ遅くなってからである。
これは、ビクターの三田の販売戦略上の大失敗ではないか?
それとも吉田正は、三田はそう言う路線ではなく「青山通り」や「数寄屋橋ブルース」のような
フランク永井と青春歌謡をミックスさせたような路線で持っていきたかったのだろうか?
797昔の名無しで出ています:2010/04/10(土) 03:22:21 ID:TbZuQM0M
よく思い出してみたら、自分が歌謡曲に出会ったのはレコードだったと思う
まだ小学校に上がる前、美空ひばり、加山雄三、坂本九とかレコードがあって
面白半分にプレーヤーに乗せて聞いたのが始まりだったと思う
その中に「若い翼」があって、三田明って名前を覚えたんだと思う
その後は三田明のファンでもなんでもなくて、興味なかったけど
このレコードのことが印象に残っていたのは、間違いない
その後も三田明って名前を聞くたび、あのレコードの人だって思ったもの
798昔の名無しで出ています:2010/04/10(土) 03:27:48 ID:TbZuQM0M
歌謡番組を見るようになった頃には三田明の人気が下降線をたどってて
あまり見た記憶がないのだろう
これは御三家も同じこと

それで今回、三田明の足跡をたどってみたんだけど
想像していた以上にスーパーアイドルで、ヒット曲がいっぱいあり
本当にかっこいいアイドルだったことが分かった
多分、あまりテレビに出なくなった70年代にも根強い人気があって
精力的に仕事をされていたんだろう
今もって精力的に芸能界の仕事を続けていることは立派だと思う
799昔の名無しで出ています:2010/04/10(土) 03:37:01 ID:TbZuQM0M
そして、このスレ立てた方みたいに、今なお熱心に応援している
ファンがいることもすばらしいことだと思う
こう考えると、歌手としてもっと評価されてもいいんじゃないだろうか
800昔の名無しで出ています:2010/04/10(土) 16:44:16 ID:TbZuQM0M
昔の歌を聴いてみると、ビブラートのつけ方や伸ばすところや
サビで声を張り上げるところとか、歌い方が橋幸男に似てますね

試しに舟木一夫と聴き比べてみたけど、舟木のほうが声のレンジが低く
憂いがある声質で、しんみり伝わってくる印象ですね。
三田さんよりも音域も広くて、低音部も高音部も力みなく歌えてる感じもしました。
メロディラインによって歌い方を調整する表現力も一枚上かなと思いましたが
デビュー当時は舟木さんのほうがだいぶ年上なので、三田さんと比べるとかわいそうかなと。

ただ、三田さんも歌が下手だという感じはしませんでした。
音程が取れてるし、曲に合わせてリズムも取れてるし、曲調が表現できてるし
一生懸命、丁寧に歌ってたと思いますよ。
先生にレッスンで言われたとおりに歌ってたってとこでしょうか。



801昔の名無しで出ています:2010/04/10(土) 16:57:50 ID:TbZuQM0M
>デビュー当時は舟木さんのほうがだいぶ年上なので、三田さんと比べるとかわいそうかなと。

デビュー当時は舟木さんのほうがだいぶ年上なので、舟木さんと比べたら三田さんがかわいそうかも、という意味です。
三田さんの曲自体が高度な歌唱テクニックを発揮できるような曲じゃなく
シンプルで明るいものが多かったですからね。

三田さんの声質は、やや高めで明るい声なので
ムード歌謡もいいけど、ポップスやニューミュージックが合ってるんじゃ。
802昔の名無しで出ています:2010/04/12(月) 15:02:41 ID:ao4N8Yyk
呼ーんでるぜ 呼んでるぜ 七つの海がー♪

ここだけ知ってたけどリアルタイムで聴いたんじゃなくて
だいぶ後でテレビか何かで聴いたんだと思う
フルコーラスで聴いた記憶はないから、ちょっとだけ聴いたのかも
これはさわやかで、若々しくて、いい曲ですよ

記憶があいまいだが、三島由紀夫の「午後の曳航」の中に
若い船員が流行歌を口ずさんでる一節があるんだけど
それがこの曲じゃなかっただろうか?

あーすの塩路は ラッパルまかせー♪

ラッパルって何だろうと思って調べてみたら
本当はラッタルが正しいんだって、三田さんがファンの集いで言ってたらしい
作詞の段階で間違ってたのかな?
今はラッタルに訂正して歌ってるそうです

でもってラッタルとは何かというと
英語のrudder(ラダー)がなまったもので、船の舵(かじ)のことらしい
それなら意味も通じるしね
803昔の名無しで出ています:2010/04/13(火) 18:01:14 ID:vcJpoCn9
一人で書きまくってたリアルタイムファンのおじさん
どうしたんだろ?
804昔の名無しで出ています:2010/04/23(金) 17:07:52 ID:bLulGYrY
このスレ中身が濃くて勉強になるわ
805昔の名無しで出ています:2010/04/26(月) 23:21:07 ID:BAL5hZgF
ttp://www.youtube.com/watch?v=H2LmUDukUJI&feature=related

この映像かわいいわー
正しくは1965年の紅白の映像で、高校3年生の時だね
このままでいてほしかったなーw
806昔の名無しで出ています:2010/04/27(火) 00:52:30 ID:uCme3+TJ
70年代で三田明的なポジションの歌手って誰だろ?
新御三家に迫る人気があって、曲がそこそこヒットしたアイドルというと原田真二かな?
ジャンルは違うけどポジション的に近いかもしれない
807昔の名無しで出ています:2010/04/29(木) 15:01:30 ID:wGX2QneP
三田明と原田真二
若くして事務所を設立して独立したところも似てるかもしれない
808昔の名無しで出ています:2010/04/30(金) 09:12:46 ID:FUAel/9b
新御三家に対し、原田真二では時代が遅すぎないかな?
曲の内容も、微妙に違うし・・・・・・
(新御三家は完全なアイドル歌謡の延長であり、原田は当時流行したニューミュージックの歌い手)
むしろ新御三家が登場した昭和40年代後半に、新御三家を真似て大量にデビューした歌手達、
例えば伊丹幸雄、あいざき進也、荒川務、豊川誕、城みちるあたりの方が、
御三家に対する三田明の位置と同じような気がする。
しかも御三家や新御三家より後発ながら、真っ先に没落したところなども似通っているし。
809昔の名無しで出ています:2010/04/30(金) 09:57:21 ID:nXChzOKZ
伊丹幸雄は新御三家をマネたと言えないでしょ。デビューは
西城秀樹より1ヵ月遅く、郷ひろみより3ヵ月早いんだから。
810昔の名無しで出ています:2010/04/30(金) 11:33:16 ID:RFZ38OMY
>>808-809
まあそうんだけど、新御三家に対して伊丹幸男その他だと
人気でも実績でも差がありすぎるんだよ
誰一人紅白に出てないし、あいざき信也以外は、これというヒットもないし

新三人娘全盛当時の浅丘めぐみ、アグネス・チャン、浅田美代子辺りで
女性アイドルにたとえたほうが立場が近いかもしれない

811昔の名無しで出ています:2010/04/30(金) 11:43:12 ID:RFZ38OMY
80年代だとタノキンに肉薄した沖田ヒロユキかな?
三田明のほうが売れたと思うけど
812昔の名無しで出ています:2010/04/30(金) 12:02:52 ID:FUAel/9b
>>809
三田明の場合も、舟木一夫より4カ月遅く、西郷輝彦より4カ月早い。
三田明は、あくまで舟木の対抗馬としてデビューした歌手だから、
橋幸夫よりは、歌のジャンルもデビュー時期もはるかに舟木や西郷に近い存在である。
813昔の名無しで出ています:2010/05/04(火) 00:02:32 ID:R/aPlmqa
四天王比べ

顔  1.三田明 2.西郷輝彦 3.舟木一夫 4.橋幸男
体型 1.西郷  2.舟木   3.三田   4.橋
歌唱力1.舟木  2.橋    3.西郷・三田
存在感1.橋   2.舟木   3.西郷   4.三田
人柄 よくわからん 皆それなりかな?
814昔の名無しで出ています:2010/05/04(火) 13:11:52 ID:R/aPlmqa
橋さんは見た目以外で勝負ってことw
若い時は意外とムッチリしてたけどねw
三田さんはあと5センチ背が高かったら、もっと見栄えがしただろう
815昔の名無しで出ています:2010/05/04(火) 14:25:46 ID:???
西郷、チビじゃん
816昔の名無しで出ています:2010/05/07(金) 13:48:30 ID:W0fjZQJp
日本ビクターは三田明をあくまでも橋の代役みたいな存在としか考えていなかった。
817昔の名無しで出ています:2010/05/07(金) 18:28:35 ID:QmpHRyJQ
しかし吉田正は昭和41年頃から、橋よりも三田に力を入れた作品作りをしていたと思う。
41年の「恋人ジュリー」42年の「夕子の涙」は、珍しく吉田自身が作詞までした佳曲だし、
それ以外にも橋と対等にリズム歌謡「アイビー東京」「カリブの花」「恋のアメリアッチ」「太陽のカーニバル」や、
吉田の十八番都会派歌謡の「数寄屋橋ブルース」「ナイトイン六本木」「青山通り」「ブルーシャンペン」
さらには一人GS調「薔薇の涙」、変わったところでは大阪モノの「初恋こいさん」、ワルツ調で「惜別のワルツ」
フォーク調の「また逢う日まで」等々、いろいろな路線を狙った吉田先品がこの時期に集中している。

一方、同じ時期の橋の吉田作品は、売れ線のリズム歌謡「恋と涙の太陽」「恋のメキシカンロック」くらいしか
めぼしいものはなく、あとは股旅&日本調の「殺陣師一代」「佐久の鯉太郎」「赤い夕陽の三度笠」くらいか・・・
橋の場合は、41年頃から吉田作品から離れて利根一郎やすぎやまこういちあたりの曲を歌うようにもなったから、
この時期の吉田作品は、橋より三田の方が層が厚い。
818昔の名無しで出ています:2010/05/08(土) 12:34:39 ID:???
三田明や御三家の当時のグッズってあんまりプレミアつかんね。
後年のGSとかとぜんぜん違う。
819昔の名無しで出ています:2010/05/08(土) 14:01:41 ID:CtlJ8QyW
そりゃ当たり前。
雑誌でもグッズでも出回った量が多ければ、それだけ現在も残っている数が多いから当然値は下がる。
GS、特にB級C級のカルトグループともなると、シングル盤なんか1万2万出しても買えない場合が多い。
御三家&三田のシングルなどは、その点で言えばレア物はほとんど無いと言える。
(どの中古店に行っても、たいてい御三家&三田の盤は多少なり見つけることが可能だし、
 いままで御三家&三田のシングル盤収集してきて、1万円を超えた盤は1枚もない)

さらに、GSの場合は活躍した時代が3年程度と短く、レコードもグッズも出された総数そのものが
御三家から比較したら少ないので、なおさら希少価値がある。
(ただし御三家グッズの中でも、人形だとかめったに見られない珍品だとかなり良い値が付く場合もある)
820昔の名無しで出ています:2010/05/09(日) 18:39:16 ID:???
はー 勉強になります。
GSと違ってコレクター人口も少ないってことかな。
821昔の名無しで出ています:2010/05/10(月) 00:18:14 ID:???
タイガースなんかは露出がかなり多かったけどレコード以外は今でも結構
高値がつきますね。
822昔の名無しで出ています:2010/05/10(月) 09:15:33 ID:ASAdnpBx
GSグッズが高値の最大の理由は、御三家が今だに現役であるのに対し、
3年程度の短期間でグループとしての存在が消滅したという要素も大きいのではないかな?
(流通量が少ないこと、活躍期間が短いこと ・・・等々はプレミア価値の必須要素)

さらには、GSの場合はブームが消滅後も根強いファンが存在し(その為に度々再結成されたりする)
御三家と比較しても、グッズ全体の流通量も多くない(現存率が低い)から、
熱烈なコレクターが値を引き上げる結果にもなっている(オークション等で値が高騰する)
一方、御三家&三田の場合は、グッズの流通量も多く、現在も比較的残存している確率が高い上に、
熱烈なコレクターがGSと比較してそれほど多くない。

ちなみに昔、神田の某中古レコード店で、タイガースのLPが1000円程度の価格に対し、
三田明の昭和41年頃のリサイタル実況LPが7000円位の値が付いてるのを見たことがある。
三田の場合、全盛期に発売されたLPはほとんどがシングル曲の集成盤ばかりだと思っていたが、
このような珍品LPには結構良い値が付いたりする場合もある。
823昔の名無しで出ています:2010/05/10(月) 12:33:37 ID:???
平凡明星なんかも1960年代前半と後半でかなり重要度がかわりますね
824昔の名無しで出ています:2010/05/12(水) 09:18:03 ID:+Xs2GrMT
平凡明星の歌本はめったに見ないものの、比較的廉価で入手できるので結構集めたけど、
その中にある人気ヒット曲ランキングは、よく見れば見るほど眉唾にしか思えない。
昭和43年以降はオリコンが設立されて、レコードの実売枚数がある程度把握できるようになったけど、
43年に大ヒットした森進一の一連の盛り場演歌や、千昌夫の「星影のワルツ」、
さらには全盛期のタイガースを始めとしたGSの曲は、平凡明星の歌本では決して上位には来ていない。
昭和43年頃の歌本の人気ヒット曲の上位はまだまだ御三家が上位で、それに黛ジュンや伊東ゆかりあたりの
ガールポップが絡んでくる程度。GSも申し訳程度に顔を覗かせているだけ。
レコード会社が言う「レコード売上げ○○万枚」が公称であるのと同様に、歌本の人気曲アンケートが、
そのままレコード実売数の順位では無いのは明らか(純粋な人気曲投票ならオリコンの順位と大差は無いはずなのだが・・・)
ちなみに昭和44年の歌本を見ると三田明の「太陽のカーニバル」が、森やGSを抑えて1位ブッチギリだったりする。
825名無しBOX:2010/05/16(日) 23:41:32 ID:???
今月のCS衛星劇場で三田さん出演の「素敵な明日がきっとくる」を放送しているが、
見た人はいるだろうか。幼なじみ役で柏木由紀子が出ている。
826名無しBOX:2010/05/17(月) 00:08:12 ID:???
>>825
「明日の夢があふれてる」の間違いでした。スマソ
827昔の名無しで出ています:2010/05/17(月) 23:52:32 ID:Xbg53bB3
>>824
歌本のランキングとレコードセールスのランキングが一致しないのは珍しいことではないよ
60年代の明星がどうやってランキングを決めていたのかわからないけど
70年代の明星ヤンソンは毎月の読者の投票で順位が決まってた
投票が始まって1年ぐらいは曲目別の投票だったけど、すぐに歌手名の投票になった
だからヒットチャートというよりは、毎月ごとの人気投票みたいなものだったね
もちろんヤンソンで上位の歌手の曲で、オリコンのランキングなども上位になったものもあるけど
レコードセールスは大したことないのに、ヤンソンでは上位にランクインした曲も珍しいことではなかった。
あくまで明星の読者の間での投票だから、どの曲がヒットしてるかというランキングじゃなくて
ヤンソンで人気がある歌手は、今こんな曲を歌ってますよっていう感じ。
70年代はアイドルの時代だったから、ヤンソン人気上位の歌手が
レコードセールスも多かった時代ではあったけどね。

逆に青い三角定規とかヒットチャートで大ヒット出した歌手が、一時的にヤンソンでも上位に上がったケースもあった。
828昔の名無しで出ています:2010/05/18(火) 00:01:11 ID:gIkSJi+l
70年代だって大ヒット飛ばしたぴんからトリオや殿様キングスが
ヤンソンでトップ20にランクインしなかったしw
眉唾というより、ランキングの性質が違うんじゃないですか
レコードセールスのランキングを知りたいなら
それなりのデータを探したほうがいいんじゃ?
829昔の名無しで出ています:2010/05/18(火) 09:02:56 ID:dMAeXF0Q
昭和43年にオリコンが設立されて以後は、オリコンによるレコード実売枚数が一つの指針になるけど、
それ以前の曲に関しては、正確な資料は皆無ではなかろうか?
オリコン以前の歌謡雑誌を見ると軒並みミリオンセラーのオンパレードで、200万枚売上げとか300万枚とか
平気で書いてある。よく村田英雄の「王将」は戦後初のミリオンセラー曲だとか言われるけど、
それ以前に三橋美智也は何と18曲もミリオンセラーがあるとか・・・・例を挙げたらキリがない。

結局、当時歌謡界に隠然として残っていた歌手の格付けや評価なるものが、
雑誌の人気チャートにも、読者の支持とは関係なく影を落としていたのではなかろうか?
例えば御三家で言えば、橋幸夫は一番先輩だからチャートは基本的に上位とか、
三田明は御三家より若干格付けが落ちるから、西郷輝彦の次とか・・・・・
さらに読者層は若いから演歌は外してとか、GSは世間の評価が厳しいから人気上位だけど外してとか・・・
歌本のランキングには、そういう編集上の恣意的意図が今見るとかなり濃厚に感じられる。
830昔の名無しで出ています:2010/05/18(火) 11:46:47 ID:???
私はGS世代(TGファン)ですが、ここは皆さん詳しく論理的に書き込まれますね。
歌謡界、歌謡曲の事がよく分かります。勿論御三家は知っていましたが。
確かに明星、平凡は御三家が中心、青春歌謡の世界でした。
GSファンは年齢が低かったのもあり、セブンティーン、ティーン・ルックの方が
読まれていたと思います。だから人気ソング、ランキングはGS中心でしたw
831昔の名無しで出ています:2010/05/18(火) 12:44:45 ID:gIkSJi+l
>>829
>結局、当時歌謡界に隠然として残っていた歌手の格付けや評価なるものが、
>雑誌の人気チャートにも、読者の支持とは関係なく影を落としていたのではなかろうか?

そりゃ、その雑誌の方針で決めることだから、そういうことがあったかもしれませんね。
あったとしても不思議じゃないでしょう。
いずれにしろ、レコードセールスだけを元にランキングが決まったわけじゃないようですね。

誰がどんなデータを元にランキングを決めるか、その歌本に書いてないんですか?
832昔の名無しで出ています:2010/05/18(火) 12:45:44 ID:gIkSJi+l
あくまで明星が決めるランキングだから
オリコンみたいなもとのは違ったんでしょうね
833昔の名無しで出ています:2010/05/18(火) 12:56:14 ID:gIkSJi+l
>>830
同じ10代でも読者の年齢層が2つ、3つ違うと、人気のランキングもかなり変わるよね
自分はGSブームの頃は小学校低学年だったけど、姉がタイガースファンだったこともあって
GSの曲はよく覚えてるよ
でも同じ時期の新御三家の持ち歌は、ほとんど知らないし
834昔の名無しで出ています:2010/05/18(火) 15:35:39 ID:gIkSJi+l
もっとも読者の間の人気を無視して歌謡界の格付けを優先してたら
読者にそっぽ向かれて売れなくなるだろうから、読者のリクエストが
最優先されてたんじゃないかなと思うけどね
835昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 10:38:38 ID:SE81n5dL
そもそも「オリコン」の設立意図は、歌謡界に残る歌手の格付けとレコード売上げが
果たして合致するのだろうかという、曖昧な情報に対する疑問から出発したのではなかったかな?
大御所と呼ばれる歌手が、出す曲出す曲ミリオンヒットとか宣伝されるけどそれが本当かどうか、
今、一番売れている歌手は本当は誰なのか? ・・・という素朴な疑問。

昭和43年にオリコンが設立されて、レコード実売枚数が表面に出てくると、
例えば男性演歌歌手では、この年一番売れたのは大御所の三波春夫でも村田英雄でも三橋美智也でもなく
デビュー2年目で業界内での評価も低かった森進一や、無名だった千昌夫あたりの若手だったとか、
昭和30年代までは、レコード売上げ200万300万は当たり前だったのが、
どんなにブームになるほど大ヒットしても100〜150万程度が、売上げの上限だという
レコードセールスの実状も歴然としてくる。

例えば、表紙がタイガースで「歌謡界をGSブームが席巻!」なんて言葉が踊っている歌本の
ページをめくって、目次の次に載っている今月のヒット曲ランキングをみると、
1位が橋幸夫の「佐久の鯉太郎」だったり舟木一夫の「星の広場へ集まれ」だったりする。
当時ブームだったタイガースの「僕のマリー」や「モナリザの微笑」は10位あたりの申し訳程度に
入っていたりするのは、今から思えば明らかにレコード実売数や、当時の人気度から見ても違和感がありすぎる。
ただ、別の観点で考えると、御三家や三田明がレコードを売るためには、
テレビでは「ロッテ歌のアルバム」雑誌では「明星・平凡」は、欠かすことのできない大事な宣伝ツールだった
ともいえるかもしれない。
836昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 16:32:29 ID:lcGA7/ei
>>835
ごく当たり前のことを、ひどく不思議がってる気がする。
レコード会社の売り上げ公称なんて水増しされてるのが当たり前で
ミリオンセラーというのも、大ヒットしたぐらいの意味でしょう。
そもそも、レコードが何枚売れたのか、1枚の狂いもなく正確に記録する方法が
ないんだと思いますよ。どう考えてもできないでしょ?
オリコンのデータだって、100パーセント正確じゃありません。

>昭和30年代までは、レコード売上げ200万300万は当たり前だったのが、
それはどうかな?そんなに売れなかったと思いますよ。
レコードプレーヤーもレコードも高価だったしね。

837昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 16:45:24 ID:lcGA7/ei
歌手の人気のバロメーターはレコードセールスだけじゃないしね。
ハガキのリクエスト、有線のリクエストとか、いろいろあるでしょう。
20年代、30年代は、テレビよりラジオの時代だったし、レコードも
まだまだ高価なものだったから、レコードの売り上げより他のデータが
重視されたのかもしれない。

ただ、ベストテン形式の番組は、30年代、40年代にもあったよね。
あなたはそういう番組を見てなかったんですか。
そういうデータを調べれば、いつ、どういう歌がヒットしたか
割と正確にわかるんじゃないですか。

明星のランキングについては、どういうふうにランキングを決めていたのか
それがわからないと何ともコメントできないね。
読者リクエストなのか(それなら明星では御三家のほうがGSより
人気があったんじゃ?)、他のデータも取り入れて総合的に決めたのか、
(それなら格付けの影響があったかもしれない)。

そもそも、明星のランキングを元に、あなたが何を知りたいのか、
もう一つよくわからないんだけど、明星のランキングを元に
レコードセールスを知ろうとしてるなら、データの使い方が間違ってると思うよ。
838昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 17:10:38 ID:lcGA7/ei
レコードセールスは、正確な売り上げ枚数は記録できないにしても
どの曲がよく売れてるかぐらいは分かるから、そういうデータとか
番組視聴者のリクエストとか、有線放送のリクエスト数とか
そういうデータを総合してランキングを決めた番組は昔からあったよ。
「不二家歌謡ベストテン」とか、「今週のヒット速報」とか。
40年代前半には、三波春夫だの三橋美智也だの、全然お呼びじゃなかったですよ。

今も昔も歌謡界での歌手のポジションと、曲のヒットは必ずしも一致しないしね。
大御所がずっとヒット出してるわけじゃないでしょ。

GSについては、レコードセールスも含めて「売れてるグループ」は
実は、そんなに多くなかったんじゃないか。
タイガース、テンプターズ、スパイダース、ワイルドワンズぐらい?
ファンの年齢層も狭かったし、世間で言われてるほどの大ブームでもなかったのかも。
839昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 17:17:45 ID:lcGA7/ei
>例えば、表紙がタイガースで「歌謡界をGSブームが席巻!」なんて言葉が踊っている歌本の
>ページをめくって、目次の次に載っている今月のヒット曲ランキングをみると、
>1位が橋幸夫の「佐久の鯉太郎」だったり舟木一夫の「星の広場へ集まれ」だったりする。
>当時ブームだったタイガースの「僕のマリー」や「モナリザの微笑」は10位あたりの申し訳程度に
>入っていたりするのは、今から思えば明らかにレコード実売数や、当時の人気度から見ても違和感がありすぎる。

だから、それは、どうやってランキングを決めていたのかわからないと
何とも答えようがないね。もう一度聞きますが、どういうデータに基づいて
ランキングを決めるのか、歌本に書いてないんですか???????

>ただ、別の観点で考えると、御三家や三田明がレコードを売るためには、
>テレビでは「ロッテ歌のアルバム」雑誌では「明星・平凡」は、欠かすことのできない大事な宣伝ツールだった
>ともいえるかもしれない。

そりゃそうでしょうね。だからどうしたの?
それと同時に、御三家が優先されてたということは、明星の読者の間では
御三家が人気があったんでしょうね。
明星もバカじゃないから、読者に人気がない歌手をプッシュしないでしょう。

840昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 17:21:27 ID:lcGA7/ei
明星は芸能雑誌だから、初めに読者ありきなんじゃないの?
雑誌ってそういうものだろ?
841昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 17:26:27 ID:lcGA7/ei
はっきりって、あなた、あんまり文章うまくないね
あまりにぐだぐだしてて、明星のランキングを基にして何を言いたいのか
はっきり伝わってこないんですよ。
842昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 18:02:31 ID:SE81n5dL
まさに、>>836-838の指摘している核心部分こそが、オリコンの設立の大きな主眼だったと思う。

昭和30年代の歌謡曲が、どんなに売れたとしても200万も300万も行くわけがないのは誰が考えても歴然だし、
そういう曖昧な数字の一人歩きが、歌手個人個人の格付けの材料にされていくような歌謡界の体質に対する
疑問は昔から少なからずあったのであります(オリコン以後は200万300万なんてヒットはほんのわずか)
歌謡番組のベストテンでも、雑誌のランキングでも、確たる数字的根拠もないところで順位付けを
明確にされていく不思議さを、歌本のランキングを今見返してみると改めて感じるわけであります。
だからレコードセールスの実態により近い情報を求めるのには、歌本のランキングは何の役にも立たないと
言うのが私の終始一貫した主張なんだけどね。

本当にヒットした曲は、指摘を受けるまでもなく時代が経ても、多くの人の記憶に残っているモノ。
レコード会社も営利企業である限り、人気があってもレコードセールスに結びつかない歌手は
おのずとレコードのリリース数に制限が加えられるのも当たり前。
そう言う意味で、GSなどはそういう意味不明なランキングより、シングルリリース数の方が
そのバンドの人気度(または所属するレコード会社での地位)を推し量るバロメーターになり得るかもしれない。

ちなみに、歌本ランキングとオリコンチャートを比較してみると、
誰がどう見ても、オリコンの方が当時実際に売れた曲をほぼ正確に網羅しているのは歴然。
843昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 19:05:59 ID:lcGA7/ei
あなたが意図的に答えをはぐらかしてるのかもしれないけど
あなたが問題にしてる明星のランキングは、どうやって決めてたんですか?
そこを答えてもらわないと話が先に進まないな
ランキング決定方法は、書いてないんですか?

>だからレコードセールスの実態により近い情報を求めるのには、
>歌本のランキングは何の役にも立たないと言うのが私の終始一貫した主張なんだけどね。

そんなことが言いたかったのか?
そう思ってるの、あなただけじゃないと思いますよ。
歌本のランキングは、あくまでその雑誌のランキングであって
レコードセールスのランキングじゃないんだからw
わざわざ力説するほどのことかね?


844昔の名無しで出ています:2010/05/19(水) 19:13:32 ID:lcGA7/ei
何の役にたたないこともないというか
歌本のランキングとレコードセールスのランキングが
全然関連性がないってこともないと思うよ。

70年代、80年代は、歌本のランキング上位のアイドルは
レコードセールスも多かったし、割と相関関係が高かったよ。
ただしそうじゃない歌手もいたから、ケースバイケースかな。
ともかく、レコードセールスを調べたいなら
歌本のランキングじゃなくて、それなりのデータ探したほうがいいでしょうね
845昔の名無しで出ています:2010/05/20(木) 08:42:08 ID:60hYqL39
はははは、あんたもしつこいねえ〜wwww
ただ単に当時の歌本のランキングと、オリコンチャートにあまりにも違いがあるから
それは一体どうしてだろうという単純な疑問を呈しただけなのに、
明星のランキングの方法なんか俺が知るわけないじゃないかww
当時の明星や平凡の編集部員だったならともかくww
当時の歌本のランキングを見返して、ただ単純に、
「レコードセールスの実態とは違うんだろうなあ〜」という感想を言っただけだよw

ところで、昭和43年に三田明の「街に泉があった」が映画化されたけど、
「近代映画」誌によると、この映画が初めて三田「主演」らしい。
三田の歌謡映画はそれ以前にも出ているけど、それらの映画では
三田はほとんど端役だったのだろうか?
846昔の名無しで出ています:2010/05/20(木) 15:36:59 ID:DJFSyOEY
>当時の歌本のランキングを見返して、ただ単純に、
>「レコードセールスの実態とは違うんだろうなあ〜」という感想を言っただけだよw

そうですか
それにしては、ずいぶん長々グダグダ書き込んでたね
だから、何やら画期的な問題提起しようとしてるのかと思ったら・・・

オリコンと明星のランキングが一致しないと言いたかったって・・・
わざわざ言うほどのことでもないんじゃw
847昔の名無しで出ています:2010/05/21(金) 01:24:19 ID:???
御三家の流れとして新御三家もたのきんもグループとしても個としても
ぱっとしなかったが、ジュリーはGS時代は置いといても解散後の今でも
熱烈なファンが付いていますよね。 熱狂度が他のタレントと違うのか。
848昔の名無しで出ています:2010/05/24(月) 12:20:52 ID:???
>熱狂度が他のタレントと違うのか

ジュリーファンの自分が言うのも可笑しいですが、
確かにジュリーにはライト?なファンは少なそうです。
今も会場の大多数は熱狂的ファンにみえる。。。。かなw
イヤ熱狂的というより、もう「揺るがないファン」が多数というか。
しかしこれはジュリーに限らず長く歌い続けてる歌手のファン共通では。
ちょっとやそっとでは離れなかった(戻ってきたファン含め)魅力が
そこにあるから・・としか説明できないし。

三田さんはじめGS以前からの気歌手のキャリアは考えれば凄い。。。
だから物理的な長さは勿論いろんなことを乗り越えて来た「揺るがないファン」かと。
それこそ熱心な熱狂的(?)ファンが多いと察しますが。

『ジュリーもファンも無敵』だとジュり−ファンは思っていますw
きっと誰のファンも同じ心理なんでしょうね。
849昔の名無しで出ています:2010/05/24(月) 12:33:36 ID:???
熱狂度は優しい言い方かもしれませんね。
ジュリーのファンは独占欲の強い人が多くて何か怖いです。。
850昔の名無しで出ています:2010/05/24(月) 23:53:56 ID:/fd/xLjG
>>845
端役じゃなくて準主役が多かった
851昔の名無しで出ています:2010/05/26(水) 00:03:43 ID:JtTq4zyX
三田明 山に登って という超マイナーな曲を聴きたいです
奇特な方 You Tubeに投稿 お願いします
852昔の名無しで出ています:2010/08/06(金) 08:34:43 ID:PI/L2/Wk
「山に登って」は、三田を代表するヒット曲「恋人ジュリー」と「カリブの花」の間に
発売された曲で、ヒットするにはインパクトの弱い曲だったと思う。
この前年発売の「スキー仲間」のような印象で、強力盤ではなかっただろうから、
三田の全盛期に出した曲の中では、レアな曲に入るだろう。
853昔の名無しで出ています:2010/08/08(日) 13:33:40 ID:???
恋人沢田研二
854昔の名無しで出ています:2010/08/21(土) 18:30:04 ID:5D3NRL4Y
「恋人ジュリー」のジュリーとは、作詞した吉田正がイメージした外国の女性名であって、
まさかこの曲の翌年に、GSのアイドルボーカリストの愛称になるとは、吉田自身も夢にも
思わなかったに違いない。
855昔の名無しで出ています:2010/09/07(火) 05:28:07 ID:TbSgl6hT
TV番組が始まりかけた昭和30年代頃の外国番組(主にアメリカのドラマ)の中に出てくる役名が男はジョージ、女はジュリーとかパッと浮かんでくる名前を単純に使ったんだろねw
856昔の名無しで出ています:2010/09/09(木) 21:02:28 ID:Jp6Q1a3C
「純愛のバラード」(ナイトイン六本木のB面)をMEG-CDで購入しました。
大人のラブソング風の曲だった。
「街に泉があった」は映画の挿入歌に使われた曲で、未だにCD化されていない。
今聴いてみると懐かしの青春映画が見たくなるような曲だった。
857昔の名無しで出ています:2010/09/11(土) 01:15:17 ID:???
「ナイト・イン六本木」のレコード持ってるけどB面の曲は数回聴いただけで全く印象に残ってないなぁ…

「ナイト・イン…」が、剰りにもインパクトがあった所為かもしれない
858昔の名無しで出ています:2010/09/12(日) 22:23:54 ID:???
>>854
ジュリー・ガーランドやジュリー・アンドリュースのことは発想になかったんだろうか?
859昔の名無しで出ています:2010/09/16(木) 16:50:44 ID:???
ジュリー(沢田研二)は『ジュリーアンドリュースから』が、一応公式発表かとw
サリー(岸部一徳)とかピーはデビュー前からの呼び名で、ジュリーは作られた愛称。
女の子の名前でも似合うと思ってつけた周囲の作戦勝ち?かなw
少し前に出されてた三田さんの歌を意識してたかどうかは分からないけど。  
                          
860昔の名無しで出ています:2010/09/29(水) 17:37:46 ID:Wux0YId2
>>856
映画「街に泉があった」は、それまでの三田の映画出演は端役や準主役止まりだったのが、
初めて三田自身が主役として設定された映画だったらしい。
曲調は、三田のデビュー当時に逆戻りしたような、昭和44年頃にはちょっと古い感じがしないでもない
三田本来の青春歌謡だけど、「ナイトイン六本木」と「タートルルックのいかす奴」の間に埋没して
しまった感は拭えない。
861昔の名無しで出ています:2010/09/29(水) 21:06:35 ID:???
【三田明/MyBEST5】

1.夕子の涙
2.ナイト・イン六本木
3.僕のそばには君がいる4.薔薇の涙
5.恋人の泉

以上、苦渋の選曲!
何れも素晴らしい秀作だ〜!
862昔の名無しで出ています:2010/09/30(木) 16:07:37 ID:IXr1W+Bn
三田明の場合は、A面もさることながらB面に隠れた名曲が眠っているレコードが多い。
特に安定期の昭和41年以降は、A面と比較しても遜色がない作品が目白押し。
例えば、
東京で二人、タッチアンドゴー、青山通り、世界の街で恋をしよう、花を求めて、海の道、
星と貝がら、大阪ナイト、純愛のバラード、あなたの横顔、神秘な恋、おしゃれな季節、美少女 等々
863昔の名無しで出ています:2010/10/16(土) 16:12:21 ID:pgJK/pMa
「僕のそばには君がいる」は、曲名を見ただけでも分かるとおり「君たちがいて僕がいた」のパクリのような曲。
昭和40年の三田はちょっと中だるみの時期だったのだろうか、メリハリの効いた曲が無かったように思う。
紅白で歌った「若い翼」も前年の「若い港」の続編のような曲だし、なんで橋同様にこの年リズム歌謡を
出さなかったのか今もって疑問。橋はこの年股旅からリズム歌謡まで幅広いリリースをしているのに、
三田の場合は、曲のテーマ選びがちょっと行き詰まったような1年だったのではないか?
翌41年の春に出した「アイビー東京」がヒットしたところを見ると、決してリズム歌謡が三田に合わない
わけではないと思うのだが・・・
864昔の名無しで出ています:2010/10/18(月) 18:25:07 ID:???
数年前
横領した金持ってホテルで散財してたババァが
「一晩40万円でどう?」って誘いかけたのを断ったんだよな、三田明

いつぐらいの話なの?
865昔の名無しで出ています:2010/10/19(火) 21:59:56 ID:vdxK27aW
九重祐三子と並ぶ整形失敗の代表例。二人は担当医師を訴えたら
絶対に勝訴出来るレベル。立派な被害者だと思う。
866昔の名無しで出ています:2010/10/23(土) 17:46:15 ID:R5aWtEmQ
かなりモテたんかな?
男からしてもええ男やと思う
867昔の名無しで出ています:2010/10/26(火) 16:49:04 ID:qc0sF04o
三田明が御三家の一員として舟木や西郷と並び称されなかったのは、
同じビクターに橋がいたこと以上に、歌よりルックス優先の意識が最後まで付いて回ったせいではなかろうか?
そう言う意味では、テレビ時代のアイドル歌手のはしりは三田明だと言っても過言ではなかろうと思う。
868昔の名無しで出ています:2010/10/27(水) 21:15:06 ID:3TlS4Dt+
モテモテでしょう
http://y7.net/melonpan
869昔の名無しで出ています:2010/12/23(木) 15:26:06 ID:V1vDfvzj
リズム歌謡は、橋幸夫より三田明の曲の方がカッコイイ。
同じ吉田正作曲でも、歌う歌手によって曲のイメージがだいぶ変わってくるのは、
昭和41年の秋、アメリアッチというリズムで売り出した、
橋の「恋と涙の太陽」「太陽だって泣いている」、三田の「恋のアメリアッチ」「タッチアンドゴー」、
久保浩&小川知子の「恋旅行」を聴き比べるとよくわかる。
870昔の名無しで出ています:2010/12/27(月) 18:18:45 ID:eRp9p/su
橋幸夫がリズム歌謡を歌わなくなった昭和44年にも三田は「太陽のカーニバル」を出していて
リズム歌謡としては佳作だと思うが、すでにGS全盛期に陰りが出てきた頃でもあり、
ちょっと発売時期が遅すぎた感は否めない。
さらに45年以降も吉田作品で、リズム歌謡路線の延長線上にあるような「太陽の恋人たち」を出しているが、
ややポップス寄りの曲調であるにもかかわらず、作家&歌い手の印象から完全に時代遅れ的な印象は免れなかった。
871昔の名無しで出ています:2011/01/29(土) 16:43:46 ID:Z6m5gAfJ
昭和44年の明星平凡の歌本に載ってる月間人気ランキングを見ると、
三田明の「太陽のカーニバル」が1位だったりする。
872昔の名無しで出ています:2011/03/08(火) 17:34:25.47 ID:iN6MnPEi
三田明といえば「ごめんねチコちゃん」。
「♪ごめんね〜、チコちゃん」と歌うと、
聴衆からはいつも「ハーイ、アキラ!」
という声が返ってきたとか。
873昔の名無しで出ています:2011/03/08(火) 22:42:26.73 ID:x2a39Vdx
今月、いよいよ新曲発売。「北のなごり駅」。

吉田作品ではないので、ある意味楽しみな曲ではある。
874名無しBOX:2011/03/12(土) 11:57:25.83 ID:QxDFzldx
最近では、通販向けにCD-BOX「三田明 ベストコレクション」が
発売されてるし。ファンはきっと即買いかも。
875昔の名無しで出ています:2011/04/19(火) 19:20:58.55 ID:tp4O97lq
北のなごり駅
心に沁みる良い曲です
876昔の名無しで出ています:2011/05/30(月) 06:00:26.03 ID:???
更に平尾昌晃か浜圭介辺りの作曲で
「六本木哀歌」というタイトルで新曲を出して欲しい。
(※タイトルは勝手な希望)
877昔の名無しで出ています:2011/05/31(火) 14:18:08.84 ID:VFYGky6Q
三田明で「六本木」というと、「ナイトイン六本木」が有名。
むしろエレキをメインにしたリズム演歌のようなテンポのいい曲がいいかもしれない。
ちなみに先日のNHK歌謡コンサートでも歌っていたが、「北のなごり駅」は演歌としては
いい曲だが、サビでもう少し派手な盛り上がりがあると聴き応えがあっただろうと思う。
878昔の名無しで出ています:2011/06/10(金) 23:05:08.87 ID:???
879昔の名無しで出ています:2011/07/06(水) 20:03:45.22 ID:wShx+TG5
100曲収録の「三田明ベストコレクション」では、
惜別のワルツや太陽の恋人たちなどが初CD化されているが、
シングルB面の大阪ナイトや夜霧の36階などが収録されていない。
通販限定。
880昔の名無しで出ています:2011/07/11(月) 18:49:03.23 ID:eP/PzL67
おうちに泥棒が入ったそうですよ。ニュースでやってるわ
881昔の名無しで出ています:2011/07/22(金) 01:24:32.04 ID:ZaiQbXKx
安達明さんが他界されました。
辛いです。
882昔の名無しで出ています:2011/08/04(木) 08:46:00.74 ID:hnGTVvcL
>>879
曲目一覧を見てみたけど、すべてシングル盤を所持してるから
個人的にはそのベストコレクションは買う意味があまりないな。
今年の2月にコロムビアから「青春スター梶光夫・安達明・有田弘二BOX」が発売されて購入したけど、
この中で特に、安達明が未発表3曲収録されていてこれはかなり貴重。
有田弘二の後年の曲などもほとんど聴けない曲ばかりだったので、このBOXは大変価値がある。
三田明にも、おそらくは未発表曲が存在する可能性が高いんだろうから、
そういう曲が発掘されていれば買う価値はかなり高かったと思う。
さらに三田のベストコレクションの場合、後年に発売された曲の収録数が少ないのも難。
883昔の名無しで出ています:2011/08/18(木) 21:06:33.62 ID:wJRHz638
それでも三田明にとって初めての本格的なベストコレクション。それにしてももっと早く発売できなかったのかな。
884昔の名無しで出ています:2011/09/12(月) 15:38:05.94 ID:rcxtI5Ix
「夜霧の36階」は、昭和43年に出来たばかりの霞ヶ関ビルをテーマにした
吉田正得意の都会派歌謡で、ベスト盤に入れてもおかしくない作品ではあると思うけど、
正直のところ三田明とは個性が合わない気がしないでもない曲。
フランク永井に歌わせるべき曲を三田のB面に入れたのかな? ・・・・という感じ。
885昔の名無しで出ています:2011/10/11(火) 23:13:40.80 ID:aUob/K00
ムード歌謡は橋よりうまい
886昔の名無しで出ています:2011/10/14(金) 18:31:18.41 ID:AV+eHCD+
そもそも吉田正は、橋幸夫が股旅物から新たな方向性を探って行こうとしたとき、
一つの方向性として「江梨子」の路線を突き進めたかったらしいが、
肝心の橋の歌唱が「江梨子」を消化しきれずかなり不満だったらしい。
その後「孤独のブルース」等、力を入れた作品を歌わせても橋の歌唱に満足のいくモノがなく、
当然この路線でのヒットもなく、同じ時期に星富佐夫という新人歌手にも力を入れたがうまくいかず
結果的には、デビュー当初から歌唱力に問題アリとされていた三田の歌唱力が上がって行くにつれ、
その三田に、フランク永井的な都会派ムード歌謡に青春歌謡をミックスさせた作品をかなりの数書いている。
「恋人ジュリー」や「夕子の涙」等の自作詞のヒット曲をはじめ、「青山通り」「ブルーシャンペン」
「数寄屋橋ブルース」「ナイトイン六本木」「タートルルックのいかす奴」「惜別のワルツ」等々、
これらの吉田がかなり力を入れた作品群は、いかにも吉田正的都会派ムード青春歌謡と呼ぶにふさわしいと思う。
887昔の名無しで出ています:2011/12/11(日) 10:01:51.88 ID:Rb+hVyIb
1964(昭和39年)1月

[平凡](開始前) [明星](第4回)
(1)修学旅行(舟木一夫)
(2)高校三年生(舟木一夫)
(3)白い制服(橋幸夫)
(4)星空に両手を(島倉千代子、守屋浩)
(5)学園広場(舟木一夫)
(6)若い明日(北原謙二)
(7)あわれ君ゆえに(島倉千代子、守屋浩)
(8)逢いたくて(フランク永井)
(9)赤いハンカチ(石原裕次郎)
(10)島のブルース(三沢あけみ)
(次点)ツキツキ節(畠山みどり)
888昔の名無しで出ています:2011/12/12(月) 14:37:20.25 ID:KvBK0HWU
>>887
三田の曲がランクインされてないなぁ。1964年1月ならまだ「美しい十代」のヒットの余勢はあるし、「みんな名もなく貧しいけれど」もそこそこヒット中のはずなのに…
889昔の名無しで出ています:2011/12/12(月) 16:10:04.82 ID:???
こんなの出版社側が捏造するからね、いくらでも
890昔の名無しで出ています:2011/12/15(木) 14:37:39.42 ID:rpaKe4Pf
ちなみに大ヒット中のドラマ「家政婦のミタ」とは何の関係もない。
891昔の名無しで出ています:2011/12/18(日) 10:13:26.94 ID:knUtZpUT
>>887
なんと、1位から7位までのうち3位だけを除いてすべてコロムビアの歌手ばかりである。
その中でも、舟木一夫と守屋&島倉がスゴイ。
昭和39年1月といえば、もう「美しい十代」が発売されて3か月目で下火だっただろうし、
次の「みんな名もなく貧しいけれど」が上昇してくる端境期だったのかもしれない。
892昔の名無しで出ています:2011/12/18(日) 11:12:03.10 ID:7uOVkmzM
平成に入ってからのNHK「青春の歌」アンケートでも、長年青い山脈が1位を占めていたが
「高校三年生」が1位にランクインしている。
大河ドラマでも、4本目の毛利元就は平成に入ってからの出演である。
まさに第二次全盛期といってもおかしくない活躍ぶりである。

また、青春歌謡BIG3コンサートも精力的に行っているようだが、舟木・西郷・三田という
昭和38〜39年の1年以内に次々デビューしたほぼ同期のライバルが現役で頑張っているのも舟木にとってはプラスだろう。
同じ時代に活躍したライバルが今も元気で活躍しているのは刺激にもなるだろうし。
できることなら、この同期生3人組の青春歌謡BIG3のコンサートは今後もずっと続けてもらって、
舟木の第二次全盛期のライバルとして、西郷・三田と「青春歌謡BIG3」として並び称されれば素晴らしいと思う。
893昔の名無しで出ています:2011/12/27(火) 23:06:32.60 ID:JtV2ctqu
日本コロムビアに舟木さんの50周年記念特設サイト
894昔の名無しで出ています:2011/12/27(火) 23:26:58.35 ID:bizUdj0E
ビクターでも「家政婦の三田明」コーナー設置を検討中
895昔の名無しで出ています:2011/12/28(水) 02:28:09.84 ID:???
橋幸夫のスレ三つも立てて嫌がらせしてんのよ。落ちた古三家スレッドも怪しくない?

ある時〓橋幸夫〓ある時〓舟木一夫〓三田明〓ある時ある歌手とか〜ばけちゃうよ〜

スルーしちゃお(o^-')b

※ハンネやIDだって変えられるし、身代わりの術とか 、 パソコン2台以上とか 複数で嫌がらせとか
携帯使ったり…よその掲示板でも色々あるじゃん嫌がらせ
ポイ (/--)/ ⌒○
スルーしちゃお。ごめんなさい。 (^-^)/~
896昔の名無しで出ています:2012/01/19(木) 21:07:09.97 ID:oAdMrBRT
舟木の新曲「明日咲くつぼみに」は素晴らしい曲だと思う。
あの永六輔の歌詞がまた実に素晴らしい。
売ることや話題になることばかり狙った単なる人気取りで出された軽薄な曲ではなく、
50年という年輪の重みと年相応の落ち着いた気品ある曲調が舟木の叙情性とマッチしていると思う。
50周年コンサートでも披露されるんだろうけど、生のステージでも聴いて見たいモノです。
897昔の名無しで出ています:2012/01/19(木) 22:11:34.76 ID:???
最近になってMEG-CDでシングル28枚が単品でそれぞれ復刻されてる事知った。
898昔の名無しで出ています:2012/01/26(木) 09:31:22.68 ID:GJ4Lun14
あかげ
899昔の名無しで出ています:2012/01/28(土) 14:57:57.63 ID:jxiRf/2b
1964(昭和39年)1月

[平凡](開始前) [明星](第4回)
(1)修学旅行(舟木一夫)
(2)高校三年生(舟木一夫)
(3)白い制服(橋幸夫)
(4)星空に両手を(島倉千代子、守屋浩)
(5)学園広場(舟木一夫)
(6)若い明日(北原謙二)
(7)あわれ君ゆえに(島倉千代子、守屋浩)
(8)逢いたくて(フランク永井)
(9)赤いハンカチ(石原裕次郎)
(10)島のブルース(三沢あけみ)
(次点)ツキツキ節(畠山みどり)

900昔の名無しで出ています:2012/02/12(日) 18:19:46.49 ID:slfhgaBO
月刊近代映画/1969年3月号
1位 舟木一夫 8,399
2位 沢田研二 7,985
3位 橋幸夫 5,484
4位 瞳みのる 4,007
5位 萩原健一 3,696
6位 西郷輝彦 3,682
7位 野口ヒデト 3,125
8位 黒沢年男 2,704
9位 三田明 2,697
10位 加山雄三 2,618
11位 加橋かつみ 2,336
12位 赤松愛 2,023
13位 渡哲也 1,988
14位 浜田光夫 1,891
15位 石原裕次郎 1,627
15位 石坂浩二 1,627
17位 森進一 1,560
18位 植田芳暁 1,475
19位 布施明 1,422
20位 萩本欽一 1,157
901昔の名無しで出ています:2012/03/31(土) 11:14:08.82 ID:mpXdp+zw
人三化け七
902昔の名無しで出ています:2012/04/22(日) 14:40:50.19 ID:UVsiPDxG
この人も入れて御四家で
903昔の名無しで出ています:2012/04/23(月) 07:11:01.90 ID:iu5noLys
私も三田です

よく以前三田明と
からかわれました
904昔の名無しで出ています:2012/04/26(木) 14:34:37.55 ID:LTps6jbL
来月には中野サンプラザで50周年スペシャルコンサートが控えている。
三田にとっては久しぶりの大ステージのワンマンコンサートになるのかと思いきや、田辺靖雄やら山本リンダやら平浩二やらがゲスト出演するらしい。これじゃいくら三田がメインでも、今までの同窓会コンサートと何ら変わらないような気がする。
905昔の名無しで出ています:2012/08/29(水) 12:32:12.72 ID:tAWqUaj+
>>897
「薔薇の涙」手に入れた。
906昔の名無しで出ています:2012/09/29(土) 17:25:25.72 ID:???
三田のファンはローティーンの女の子ばかりだったもんな。

御三家は男女共にファンがついていた。
907昔の名無しで出ています:2012/12/27(木) 23:52:19.62 ID:vYsoV5pt
昭和44年までは吉田正の作品だけを歌っていたが、昭和45年以降は吉田作品はグンと減って
色々な作家の作品を歌ったけど、もうヒットは出なくなった。
結局三田明は、吉田正作品以外のヒットは皆無という吉田作品オンリー歌手になってしまった。
908昔の名無しで出ています:2013/01/10(木) 15:38:00.87 ID:???
アメリカハッチ
アメリアアッチチチ
909昔の名無しで出ています:2013/01/11(金) 10:51:32.25 ID:EUZzntAl
昭和41年秋にビクターはニューリズムとして「アメリアッチ」を発表し、
男性若手歌手3人に計5曲の吉田作品を発売した。
  橋幸夫→恋と涙の太陽、太陽だって泣いている
  三田明→恋のアメリアッチ、タッチアンドゴー
  久保浩→恋旅行(小川知子とデュエット)
この5曲の中で一番ノリの良い曲と言えば「タッチアンドゴー」ではないかと思う。
三田のリズム歌謡をよく聴けばよくわかるが、リズム感と言う点では橋幸夫より上だと思う。
アイビー東京もカリブの花も太陽のカーニバルも三田明の個性がよく出ていると思うし、
吉田正はもっと三田にリズム歌謡を書くべきだったと思う。
ただ、この昭和41年のニューリズム・アメリアッチは39年のサーフィン、40年のホットロッドに比べ
完全な失敗作に終わったせいもあって、他のレコード会社もこのリズムに追随するということはなかった。
910昔の名無しで出ています:2013/01/13(日) 12:53:43.71 ID:???
恋人イモクソブタヂュリー
911昔の名無しで出ています:2013/03/12(火) 13:21:11.58 ID:GkY38ecX
徹子に出てる
912昔の名無しで出ています:2013/03/12(火) 20:56:30.35 ID:SSBQUbMK
四天王
913昔の名無しで出ています:2013/03/12(火) 22:59:54.61 ID:ws9s2RoB
♪青いセーラーの胸はずませ…
この歌詞はやらしい
作詞家の妄想の産物だな。
914昔の名無しで出ています:2013/05/17(金) 21:23:27.52 ID:ZjuBCXVG
♪青いセーラーの胸弾ませて 僕の股間も弾みます〜〜みたいな
915昔の名無しで出ています
>>838
GSの「売れてるグループ」に、ブルー・コメッツが抜けてると思う。