206 :
昔の名無しで出ています:2008/06/12(木) 20:23:36 ID:nb/P4om1
207 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 11:37:42 ID:oGPqfVCi
「サヨンの鐘」の曲譜については、多数の方が個人的に採譜しているが、公
刊物としては、意外となかなか見当たらない。例えば、㈶古賀政男音楽文化財
団の御示教では、『古賀政男110 名曲集 古賀政男生誕百年記念 ギターでつまび
く 我が心の歌』(全音楽譜出版社、平成15 年11 月刊)103 頁がある。
208 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 11:40:03 ID:oGPqfVCi
2 歌「サヨンの鐘」
(1) 歌「サヨンの鐘」余話
歌「サヨンの鐘」2のレコード(裏面は「南の星」3)は、西條八十(1892~1970)
作詞、古賀政男(1904~1978)作曲、奥山貞吉(1887~1956)編曲、渡辺はま子
(1910~1999)歌で、昭和16(1941)年10 月に発売された。歌「サヨンの鐘」が作
成された経緯について、渡辺はま子が直接台湾総督長谷川 清(1883~1970)に頼
んだという話は、周知のことである。
○サヨンの鐘(昭和16 年10 月 西条八十作詞、古賀政男作曲、渡辺はま子歌)
嵐吹きまく峰(みね)ふもと 流れ危(あや)ふき丸木橋
渡るは誰(たれ)ぞ うるはし乙女 紅(あか)きくちびる ああ サヨン
晴の戦(いくさ)に出(い)でたまふ 雄々し師の君 なつかしや
担(にな)ふ荷物に 歌さえ朗(ほが)ら 雨はふるふる ああ サヨン
散るや嵐に 花一枝(はなひとえ) 消えて哀しき水けむり
蕃社(ばんしゃ)の森に小鳥は啼(な)けど なぜに帰らぬ ああ サヨン
清き乙女の真心を 誰(たれ)か涙に偲ばざる
南の島のたそがれ深く 鐘は鳴るゝゝ ああ サヨン
209 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 11:41:53 ID:oGPqfVCi
3 映画
(1) 映画資料
映画『サヨンの鐘』(満映・松竹提携作品、清水 宏〈1903~1966〉監督、昭和
18 年7 月1 日封切作品)については、平成に入ってから、ビデオ(松竹ビデオ事
業部、VHS、平成4 年8 月21 日刊〕が発売されている。
(2) 映画主題歌、挿入歌
映画『サヨンの鐘』の主題歌、挿入歌のレコード(A面「サヨンの歌」8、B面
「なつかしの蕃社」9)については、戦後のものとして、「日本映画主題歌集五 戦
前編1941~44」(コロンビアミュージックエンタテインメント、平成7 年9 月30 日刊、SP復刻版、曲目解説 森 一也))がある。映画の最後の場面では、歌「サヨンの鐘」の四聯も歌われている。
詳細は、以下のとおりである。なお、これらの歌詞を掲載したものとしては、前掲『西條八十全集 第九巻 歌謡・民謡U』(国書刊行会、平成8 年4 月30 日刊)が参考になる。
@「サヨンの歌」(A面 映画『サヨンの鐘』主題歌、西條八十作詞、古賀政男
作曲、仁木他喜雄〈1901~1958〉編曲、李香蘭(1920~ )歌、コロンビア、昭和
18 年5 月20 日発売)
A「なつかしの蕃社」(B面 映画『サヨンの鐘』挿入歌、西條八十作詞、古賀
政男作曲、霧島 昇〈1914~1984〉・菊池章子〈1924~2002〉歌)
B「山の合唱」(西條八十作詞、古賀政男作曲、昭和18 年1 月、映画『サヨン
の鐘』挿入歌。但し、これはレコード化はされずとの由。)
210 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 11:45:50 ID:oGPqfVCi
「なつかしの蕃社」(映画『サヨンの鐘』〈昭和18 年7 月1 日封切〉挿入歌、レコード〈昭
和18 年5 月20 日発売〉B 面)(A 面上記「サヨンの歌」) 西条八十(1892~1970)作詞、古賀
政男(1904~1978)作曲、霧島 昇(1914~1984)・菊池章子(1924~2002)歌
1 春はやさしい 緋桜(ひざくら)が 赤く七つの 峰染めて
谷はペタコの 歌ばかり おもひでの おもひでの
蕃社(ばんしゃ)の村はなつかしや
2 霧がふるゝゝ 秋の夜に 聞いた杵歌(きねうた) 愛の歌
旅のこころが また痛む おもひでの おもひでの
蕃社の村は なつかしや
3 けふが別れと ふり返る 小雨さびしい 山の径(みち)
泣いて手をふる 君や誰(たれ) おもひでの おもひでの
蕃社の村は なつかしや
(註): ペタコは台湾にいる頭の白い鳥の名。「白頭鳥(ペタコ)」: 昭和3(1928)年
野口雨情(1852~1945)作詞、中山晋平(1887~1952)作曲、平井英子(1918~ )歌
8/8
211 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 11:47:22 ID:oGPqfVCi
「サヨンの歌」(映画『サヨンの鐘』〈昭和18 年7 月1 日封切〉の挿入歌〈主題歌〉、レ
コード〈昭和18 年5 月20 日発売〉A 面)(B 面下記「なつかしの蕃社」)
西条八十(1892~1970)作詞、古賀政男(1904~1978)作曲、李香蘭(1920~ )歌
1 花を摘み摘み 山から山を 歌いくらして 夜霧に濡れる わたしゃ気まぐれな 蕃
社の娘 親は雲やら 霧じゃやら ハイホー ハイホー
2 谷の流れが 化粧の鏡 森の小枝が 緑の櫛(くし)よ わたしゃ朗らか
蕃社の娘 花のかんむりで 一踊(ひとおど)り ハイホー ハイホー
3 月の夜更けの 杵唄(きねうた)聞いて 何故に涙よ ほろほろ落ちる わたしゃ年頃
蕃社の娘 深山(みやま)育ちの 紅(あか)い花 ハイホー ハイホー
4 紅(べに)の檜(ひのき)に 黒髪寄せて 遠く眺める 浮世の灯かり 泣くな可恋鳥(カ
ーレン) おまえが啼けば 山の蕃社に 霧が来る ハイホー ハイホー
212 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 12:40:53 ID:oGPqfVCi
213 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 12:50:05 ID:oGPqfVCi
214 :
昔の名無しで出ています:2008/06/14(土) 13:06:49 ID:oGPqfVCi
ビデオ「松竹女優シリーズ 山口淑子(李香蘭)」 収録内容一覧
蘇州の夜●監督:野村浩将 ●出演:山口淑子/佐野周二/日守新一●モノクロ94分/スタンダード/1942年作品
サヨンの鐘●監督:清水宏 ●出演:山口淑子/近藤敏明/大山健二●モノクロ75分/スタンダード/1943年作品
わが生涯のかゞやける日●監督:吉村公三郎 ●出演:山口淑子/森 雅之/宇野重吉●モノクロ101分/スタンダード/1948年作品
◎モノラルHi-Fi ◎VHSのみ ◎制作/松竹(株)
http://www.rakuten.co.jp/cfc-co/506623/511137/512578/ 商品番号 V3709
価格 9,800円 (税込10,290円) 送料別
つまんね。
216 :
昔の名無しで出ています:2008/06/15(日) 17:57:44 ID:+lfXVjx9
「あゝそれなのにそれなのに」
力を入れた映画主題歌よりも
30分で作曲したB面の方が有名になってしまったときの作曲者の心情。
「義理が廃ればこの世は闇だ なまじ止めるな夜の雨」
「あんな女に未練は無いが 何故か涙が流れてならぬ」
1959年の村田英雄のヒットだが実は●國●音器株式会社の潔癖重役が
1938年に退社を表明したときの心情。
「君に囁くわが言葉 この幸福よ歓びよ」
「君に寄り添うわが姿 この幸福よ歓びよ」
新妻のかがみ。気が合う歓び。
「秋の七草色増す頃を 役者なりゃこそ旅から旅へ」
旅行中だったため霧島昇のレコード吹き込みに立ち会えず霧島昇が
歌詞を間違えて吹き込んでしまったときの西條八十の嘆き。
「三百六十五夜」
録音も発売も閏年。歌手の没年も二人とも閏年。
217 :
昔の名無しで出ています:2008/06/20(金) 21:01:21 ID:rw63JbEY
>>211 なつかしの蕃社 「なつかしの蕃社」 西条八十/古賀政男 霧島昇・菊池章子 昭和18年 映画「サヨンの鐘」李香蘭主演の主題歌です。
「サヨンの鐘」西条八十/古賀政男 昭和16年 渡辺はま子で曲のほうが先にヒットしそのヒットに便乗し映画「サヨンの鐘」が作られました。
李香蘭も主題歌として「サヨンの唄」を吹き込んでいます。
ところで「蕃社」とはなんぞや、気になりつゝも今日まで調べずにいましたが、改めて調べてみました。
場所は台湾で高地族の「村」と解釈するのが一番わかりやすい。
「サヨンの鐘」の内容はタイヤル族の少女サヨンが日本人教師の出征見送りの途中、川に落ちて落命しました、これが美談化され、「愛国乙女サヨン遭難」となり曲が作られ映画が作られた。
「なつかしの蕃社」は古賀政男の曲の中でも異色な旋律で中近東の音楽に近い旋律を用いています。菊池章子の若々しい歌声が印象的です。聞きかじりですが霧島昇とのデュエット「相呼ぶ歌」の当時十五歳だったとか..
http://www.geocities.jp/rojin1937/_yomoyamahanashi.htm
218 :
昔の名無しで出ています:2008/06/24(火) 20:46:26 ID:ZeJsYvKm
219 :
昔の名無しで出ています:2008/06/24(火) 20:51:18 ID:ZeJsYvKm
220 :
昔の名無しで出ています:2008/06/24(火) 20:57:40 ID:ZeJsYvKm
サヨンの歌
李 香蘭
西條八十 古賀政男
1805 COL 100690 @ 赤盤(スダレ) 19130
サヨンの鐘
渡辺はま子
西條八十 古賀政男
1611 COL 100357 @ 赤盤(スダレ) 17559 14
なつかしの番社
霧島 昇、菊池章子
西條八十 古賀政男
1805 COL 100690@ 赤盤(スダレ) 19131 11
221 :
昔の名無しで出ています:2008/07/06(日) 18:21:59 ID:XGcU5a88
222 :
昔の名無しで出ています:2008/08/09(土) 06:44:05 ID:fSlGJ3bc
223 :
昔の名無しで出ています:2008/08/10(日) 17:39:32 ID:2ITyzHbY
「懐かしの昭和メロディ」(昭和歌謡大全集のリニューアル番組)
8月15日(金)
テレビ東京系・19:00〜21:00
司会・宮本隆治
ゲスト
東貴博(Take2)・柏木由紀子・五月みどり・橋幸夫
曽根史郎・島倉千代子・岡本敦郎ほか
224 :
昔の名無しで出ています:2008/09/02(火) 21:44:26 ID:kY4LrKeG
何だこのスレ?
225 :
昔の名無しで出ています:2008/09/14(日) 08:52:05 ID:lcMnu7P8
大雑把に言って、国道一号は東京から、古賀メロは「日本橋から」から
最近戦前のを色々聴いてるけど、曲想が全く異なる「影を慕ひて」と「丘を越えて」と「青い背広で」が
ごく近い時期に作られてることには驚いたし、それを全部軽く歌いこなす藤山一郎も凄い
学生時代はどちらかというとクラシックの要素が強くて、プロになってから演歌っぽくなったのかな?
227 :
昔の名無しで出ています:2008/11/04(火) 01:35:42 ID:AeXCa9X/
彼女は若い頃結婚生活に失敗したのがトラウマになっていて、付き合って20年になるが結婚してくれず、
気がつけば二人とも50前になってしまった。彼女は両親が40近くになっての子供で、お父さんは既に他界、
大正生まれのお母さんと暮らしている。先日遊びに行った時、居間で何気なくピアノの前に座って、
『影を慕ひて』を弾き語りで歌ってみた。真横に座っているお母さんは懐かしそうな様子で聴いていたが、
斜め後ろに立っていた彼女の表情は分からなかった。
ピアノにそれ程自信がないのでずっと鍵盤を見ながら弾いていたが、3番になって、「君ゆゑに」のところで
思わず彼女の方を振り返った。しかし、恐らくこの曲を知らないであろう彼女は無表情だった。
そして「ながらふべきか」と歌いながら視線を鍵盤に戻そうとした瞬間、何か申し訳なさそうな、そして何とも
物悲しい表情のお母さんと目が合った。「儚き影よ」のところで声が震えてしまい、「我が恋よ」がはっきりと
歌えなかった。
228 :
昔の名無しで出ています:2008/11/09(日) 17:05:16 ID:BvTadGcc
国道一号は東京から、古賀メロディは「日本橋から」から
>>227 そんなことを書いて涙を誘おうったって釣られないぞ
(ToT)
どなたか「アリランの唄」と「合歓の木蔭で」の歌詞を教えてください。
231 :
昔の名無しで出ています:2009/01/11(日) 22:06:20 ID:gIUNDLmU
戦後、中学の音楽で「アリラン」を習ったおぼえがあるが、日本で挑戦民謡「アリラン」が歌になったのは、
1932年に佐藤惣之助作詞・古賀政男編曲による『アリランの唄』が最初だったという。
「アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を越えゆく」と始まる。
長谷川一郎と淡谷のり子がデュエットで唄った。長谷川一郎は蔡奎耀の日本名である。
もともと、1926年日本統治下で無声映画「アリラン」があったそうです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0876.html アリラン アリラン アラリ オオ
アリラン丘を 越えて行く
アリラン丘には 十二の峠
最後の峠を いま 越えて行く
(いくつかあるようです。)
また古賀メロデーのルーツは韓国にあるともいわれる。
古賀はウサギに出てくるように7歳で一家で故郷を捨て、それから10年間韓国ですごした。
>>126にも出てくるが、「影を慕いて」ができるまで、日本に三拍子の音楽というのはないといってよいくらい。
ところが韓国にはアリランなど三拍子が。
古賀政男が亡くなる一月位前、女優のうつみみどりを伴って古賀は韓国に渡った。
(
>>149)TBSTV[古賀政男、第二の故郷に帰る]。
韓国の女性がカヤキンという弦楽器を奏でるのをいすに座って聞いている。
古賀は自分のメロデーの「こぶし」は、カヤキンの弦の震えからとったものだと。
・・利根川祐「人物昭和史」ちくま文庫720 (1989)
このとき、古賀はかってすごした善燐商業の生徒の演奏する「アリラン」を指揮している。
232 :
昔の名無しで出ています:2009/01/11(日) 22:39:06 ID:gIUNDLmU
菊池清麿「佐藤千夜子 ・永遠の歌姫 」
発行所=東北出版企画 取扱所=地方・小出版流通センター
税込価格 1,995円(本体1,900円+税)
発行年月 2008年12月
判型 B6
ISBN 9784887610507
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9984017702 永遠の歌姫”と讃えられ、「昭和流行歌史」に不滅の金字塔をうちたてた山形県天童市出身の歌手・佐藤千夜子の全生涯と、その知られざる“実像”を明かし、誤解にもとづく“悪女伝説”を覆す。
第1章 旅立ち;
第2章 昭和流行歌の時代;
第3章 佐藤千夜子と「東京行進曲」;
第4章 佐藤千夜子、古賀メロディーを創唱;
第5章 初代歌謡界の女王・佐藤千夜子;
第6章 プリマ・ドンナへの執念;
第7章 歌姫の空白―SPレコード歌謡黄金時代の開幕;
第8章 歌姫の執念;
第9章 戦後を生きて
233 :
昔の名無しで出ています:2009/01/11(日) 22:45:57 ID:gIUNDLmU
234 :
昔の名無しで出ています:2009/01/12(月) 21:45:09 ID:PAZh0MO8
2005.8.佐高信『悲歌 古賀政男の人生とメロディ』(毎日新聞社) 毎日新聞
2008.11.22佐高信『酒は涙か溜息か 古賀政男の人生とメロディ』(角川書店 角川文庫)
235 :
昔の名無しで出ています:2009/01/26(月) 21:38:05 ID:zlLhcZMu
236 :
昔の名無しで出ています:2009/01/31(土) 17:24:06 ID:lmanMedO
237 :
昔の名無しで出ています:2009/02/05(木) 21:21:43 ID:Ziwu94wG
238 :
昔の名無しで出ています:2009/02/05(木) 21:37:29 ID:Ziwu94wG
>>237 くろがね会「くろがね叢書」1944.10.31の紹介。
239 :
昔の名無しで出ています:2009/02/07(土) 09:26:38 ID:mT2Wswp5
「回想譜」が大好きだけど、どの通信カラオケにも入ってないんだよね。
誰か入ってる機種知ってる?
「影を慕ひて」の佐藤千夜子盤って残ってないのでしょうか?
242 :
昔の名無しで出ています:2009/03/02(月) 23:44:51 ID:m2O/F9pu
古賀政男は昭和53年8月に亡くなった。同じ年の暮れに「平凡出版」から追悼本「古賀政男・昭和の日本の心・・わが歌は永遠に」が出版された。
その最初のあたりに「日本人と古賀メロデー」と題して歌人・楠本憲吉氏が追悼文を寄せている。古賀作品の真髄は決して「義理、人情」ではない。
人生に真面目に取り組む姿勢であると。以下抜き出して紹介してみる。
私(楠本憲吉氏)は、「古賀メロデー」という言葉には、二つの使い方があるのではないかと思っている。
ひとつは広く古賀政男作曲を意味するものと、もうひとつは、古賀政男の書いた曲のうち、
特に詩のテーマが人生の悩みや苦しみを表現しているもの。
後者の系列に入るものとしては、「男の純情」「人生劇場」「人生の並木路」「湯の町エレジー」「誰か故郷を想わざる」などがはいるでしょう。
こうしてみると、この狭い意味での「古賀メロデ-」は、いかにも日本人の心の琴線に触れるエッセンスがたっぷりという感じがする。
今年の春ごろだったと記憶しているが、NHKで古賀氏にインタビューをした番組があった。
病気の後で言葉は少し不自由だったが、頭はもちろんしっかりしていた。その中で古賀氏は、「今は、曲を付けたくなるような詩がなくてねエ」といって盛んに嘆いていた。
佐藤惣之助、西条八十、藤浦洸、サトウハチローらとつねにコンビを組んでいた古賀氏である。さもありなんと思って聞いていたものである。なかでも、
「サーカスの唄」の詩を西条八十から渡されたときは、あまりに詩がすばらしいので、「僕にはこの詩に曲を付けることができません。」といって返したことがあるという話が印象的だった。
243 :
昔の名無しで出ています:2009/03/02(月) 23:46:47 ID:m2O/F9pu
続き・・
結局は西条氏に「貴方に曲を付けてもらえないならこの詩は捨てる。」といわれ、あの名曲ができたそうだ。
そのとき若干自分の生い立ちにも触れたが、インタビューアーが母親の話をすると古賀氏はもうそれだけで涙ぐんでしまうのである。
とにかく苦労して古賀氏を育ててくれたそうで、このことを話してさめざめと泣かれた。この辺に作曲家古賀政男の原点があるのではないだろうか。
「人生劇場」には、「義理と人情のこの世界」と歌い上げているが、古賀メロデーの真髄は、決して「義理、人情」ではない。人生に真面目に取り組む姿勢である。
真面目に取り組んでいれば必ずいい明日がある。--自分がそうだったから、古賀氏は真実そうおもっていたと思う。
だから古賀メロデーはどんなにどんなに哀愁を帯びていても、暗さがないし陰気な感じをうけないのである。
最後に私の選んだ古賀メロデーベストテンとして、10曲をあげている。
目ン無い千鳥、勝利の日まで、南の花嫁さん、柔、女の階級、サーカスの唄、湯の町エレジー、男の純情、人生の並木路、青春日記
それぞれ簡単な説明つきだが、「勝利の日まで」は軍国歌謡のひとつだが、この歌には思い出があり忘れられない曲だという。
なお、「目ン無い千鳥」は、最近いろいろな人が歌っているがやはりオリジナルの霧島昇夫妻のがいいとある。
男の純情・人生の並木路・青春日記の三曲は説明不要だろうとある。
、
244 :
セイヤング21:2009/03/02(月) 23:49:24 ID:sJpLx++C
ID:sJpLx++C
245 :
昔の名無しで出ています:2009/03/02(月) 23:49:54 ID:m2O/F9pu
246 :
昔の名無しで出ています:2009/04/10(金) 03:25:18 ID:x7Vt8edg
>>240残ってますよ。
って、レコードで探してるの?
>>246 いえ、一度聴いてみたかっただけです。
CD売ってるんですか?ちょっと探してきます。
248 :
昔の名無しで出ています:2009/04/24(金) 04:15:09 ID:CCBVl+1b
>>247 聴けましたか?
個人的には、佐藤バージョン、好きだなあ。
>>248 聴きました♪
もっと甲高い声をイメージしてたのですが、高音域も東京行進曲などに比べれば
かなり抑制された感じで、とても情感がこもっていて素晴らしい歌唱ですね。
どうしてこれがヒットしなかったのか不思議なくらいです。
私は絶対音感が殆どないので、聴いた印象からてっきり低めのキーだろうと思って
合わせて歌ってたら喉が苦しくなり、よくよく聴いてみたらヘ長調でした。(笑)
あ、ヘ長調じゃなくて並行調のニ短調でした・・・。
佐藤さんの歌い方聴いてると、「エ」の音がドイツ語のeの長音の発音そのままですね。
やはり東音ではドイツ物が多かったからなのでしょう。
佐藤さんはオペラ歌手になろうとイタリアへ行ってますが、発音も発声法も明らかに
ドイツオペラ向きだと思われますね。ドイツへ行ってたら、もう少し成功したのでしょうか…。
252 :
昔の名無しで出ています:2009/05/02(土) 04:22:50 ID:joFHT8LM
>>249私も素晴らしい歌唱だと思います。しみじみとして独特のムードがありますよね。
しかし、藤山さんは《つつめば燃ゆる》の部分をフォルティシモで歌ってる事に批判的でした。
>>252 でも、高音域もかなり抑制された感じで、決して大声を張り上げてる訳じゃないですよね。
藤山さんがいつ言ったのか知りませんが、たまたま何かの流れでの発言ではないでしょうか?
例えば、この部分を抑えて歌っていることを質問されて、(別に佐藤さんを批判するつもりはないけど)
佐藤さんはフォルティッシモで歌っているが、抑えて歌ったほうがいい感じになると思うと言ったとか。
でも藤山さん自身、20代と60代で面白いくらい歌い方が変わってるし、色々な表現があっていいと
ご本人も思ってらしたと思うのですが…。
それで思い出したのですが、大学1年の終わりごろ、同級生(テノール)がブラームスのSonntagを
練習していて、最初のwollte Gottをかなり抑えた声で歌ったら、そこはもっと朗々と歌えばいいと
先生に直されていました。でも、上手くやればいい味が出たかもしれません。
歌曲はその人の解釈と表現力次第で、同じフレーズをフォルティッシモで歌ってもピアニッシモで
歌ってもいい場合があると思いますよ。
古賀正男さんは、戦時中の韓国で育ったそうです。幼ない頃聞いていた韓国民謡が後の作品に相当な影響を与えたらしいと言うお話を聞いた事があります。
>>254 だから、影を慕ひてのように3拍子の曲も作れたのは有名な話。