「冷たい水の中を」にはいってる「トライアングル」は三角関係の歌で、
三角関係なら昔から谷山浩子はたくさん作ってるわけだが
それ以前に比べて一つ異質な点がある
それは、語り手が三角関係の一当事者というより
客観的な傍観者に見えるような位置にいるということ
三角関係を「外側」の目で描いた作品はそれまでは
なかったような気がする
というか、このアルバムのあたりから、
失恋や三角関係の女の当事者の立場の歌が減って
ある意味余裕をもって客観的に(あるいはフィクションであることを
意識して)作ったような歌が増えてきているように思われる
「森へおいで」とか「王国」みたいに、女の子を閉じ込めたり害したりする側の
(男?人外の魔者?)立場で語る唄ってのも、いかにも
現実にはありえないフィクションとしてていねいに考えられた作品って感じで
それ以前にあったような、当事者としての生生しい情念をこめた唄は
どんどん減ってきてるようだ