【Refrections】寺尾 聰(聰) 全方位

このエントリーをはてなブックマークに追加
263昔の名無しで出ています
>>224-225
マジレスすると、和光高校在学中にザ・サベージ(ショーケンはテンプターズ
なので関係ない)を結成して、フジテレビの「勝ち抜きエレキ合戦」で優勝、プロ
としてデビュー。バンド解散後、文化学院に在学中、映画「黒部の太陽」で俳優デ
ビュー、石原プロ入り。

石原プロは「俳優は裕次郎と哲也だけ、あとはカスだ」のコマサの方針の元に動
いてて、それに結構、反発していたのが寺尾。潰瘍穿孔で生死の境をさまよった後、
リハビリ中に書き溜めた曲を東芝EMIに持っていったら「自分で歌ってみないか」と
誘われ、久しぶりに歌うことになった。

コマサは寺尾が曲を出すのに猛反対。「こんなお経みたいな曲売れるわけがない」
とボロクソにけなしたが、裕次郎から「OK」の返事が出て、出したところ、西部警察
人気とシティ・ポップス人気が絡まって、記録的な大ヒットとなる。

寺尾は翌年、ギャラと芸能レポーターとの距離のとり方でコマサと揉め、石原プロ
を破門され、個人事務所をつくって現在に至る。