サムライってどのくらい本当に強かったの

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1名無しさん@お腹いっぱい。
アナルに蜂蜜を塗るモウホがいると聞いて
2名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/05(火) 00:45:20
木から煙出る打ち込みするくらい
3名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 01:57:49
>>1
立ててしまったものは仕方ないから、せっかくだから呼び寄せるのは無しにしようよ
来てしまうのは仕方ないにしても

とか言いつつ、
蜂蜜にアナルを塗るモウホがいると聞いて

サムライってどのくらい本当に強かったの? U
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1280067778/465
4名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 01:27:28
アナルを蜂蜜に塗ったと強弁するけしからんモウホがいると聞いて
5名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/08(金) 19:59:18
同性愛は戦士たる男の嗜みじゃ。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/18(月) 02:05:51
基本ですわ
7名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:24:57
慶長・文禄の役の実像


朝鮮側の記録「宣祖修正実録」の記述
「天兵(明兵)は短剣を持ち騎馬であり火器はなく、道は険しく、泥深くして駆けることができない。
賊(日本軍)は長刀を奮って左右に突撃し鋭鋒であり、敵なしだった」

朝鮮出兵の際の朝鮮側の記録 「武藝圖譜通志」の記述
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、
その剣は鞘を出る暇も無く、槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」

朝鮮側の記録「懲録」の記述
「賊(日本軍)のほうは皆歩兵で、彼らの打ち振る刀は、三、四尺に及び、鋭利無比の物であった。
賊はその鋭い刀を左右に激しく打ち振るい、人、馬の区別なく斬り伏せた。全くその勢いには抵抗
する術がなかった」



「朝鮮王朝実録」の記述
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った(でも、ものにならなかったw)」
8名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:26:25
「日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。
自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、
刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる」
「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン Edouard Suenson 1869年
9名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:27:57
12* 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2008/12/16(火) 01:00:53
-よくある勘違い-
西洋の鎧のほうが日本より発展しているというイメージ。

実際のところいわゆる「板金製の全身鎧」は日本では三世紀には実用化されている。
そして十世紀にはあえて四肢を軽装にし、着用部を頭と体と脛に集中し腕腿の防御は胴から垂らした大袖や草摺に任せる「大鎧」にがらりと変えている。
これらの時代西洋の大半の地域では革鎧か青銅の胴鎧と兜か鎖帷子である。
まだまだ全身鎧とはいいがたい。

そしてようやく西洋で全身鎧が使われ始める頃には
日本では当世具足といって鋼と革と布をたくみに組み合わせた運動性と防御性能のバランスの取れた鎧を着用。

そして西洋ではマクシミリアンによってフルプレートは極められたが、
極めた結果「それでも動きづらくて使えない」ことに気がついた戦士達、ランツクネヒト登場となる。
そう、まるで古代日本律令制の全身板金鎧が侍によって否定されたように…

日本人が10世紀には気づいていたことに西洋人は何世紀までかかってんの?
10名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:29:05
16* 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2008/12/19(金) 04:43:58
蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのまま立ち上がって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。たまらず敵は退却を始めた。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
さらに敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

11名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:29:57
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)

我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが

我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが

我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが

12名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:31:22
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。

(此は日本の武士が支那に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うように動き回り、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである。)
13名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:32:54
「どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。※
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン noel perrin( ダートマス大学英米文学教授)が分析した戦国日本の軍事力(著作「鉄砲を捨てた日本人」より)



※「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)


14名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:34:31
763* 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん [] 投稿日:2009/08/07(金) 17:03:48 ID:PgqDyKKl
李シュンシンを無敵艦隊 対 イギリスでたとえると

スペイン人が上陸してスコットランドまで北上して荒らしまくってる間に、
イングランド南部のプリマスあたりで補給部隊とドンパチやってるレベル。

どうみても英雄じゃないw

上手い例えだろ?
外人に説明すとき一番わかり易いw

If you? compare Yi Sun-sin to the invasion of England by the Spanish Armada,
Yi Sun-sin would still have been harassing supply convoys at Plymouth in the south of England
while the Spaniards had already landed and wreaked havoc all the way north to Scotland.
15名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:39:41
パステルス「日本スペイン交渉史」

ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙・・・コーチシナ、
ここは1000人で征服できます。カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の
生活の面倒をみてくれています。シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:43:30
788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/18(土) 21:48:54 ID:fgpTngI3
戦国の終わりに

元和6年(1620)、将軍秀忠は、海外への日本人傭兵禁輸令を出した。
これは東南アジアに進出していたヨーロッパ各国に、大変な衝撃を与えた。

オランダのインド総督クーンは、このような書簡を残している。

「日本人傭兵の禁輸は、我らにとって大変な不便をきたす。彼ら無しでは、とうてい東南アジアでの
戦争は戦えない。

将軍は自らの国民を、外国の戦争のために、大きな危険にさらすことを止めさせようとしている。

将軍から再び日本人連れ出しの特権を得られるよう、あらゆる手を尽くせ。」


日本国内では、元和偃武がようやく定着しようとしていた。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:50:14
117 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2009/04/26(日) 11:16:24
弓なら和弓に負ける

「その遠く戦うや弓を使う。
倭の弓は竹製、長さ八尺、足を持って其端を踏んで張り、立って発す。
矢は海竹を以って幹となし鏃は鉄製長さ二寸、燕尾の形を成す。
重さ二、三両。
発するに当たらざるなし。
当たれば則ち人たちどころに倒る」

118 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2009/04/26(日) 11:19:59
大陸の場合、矢が軽くて小さいから射程はあって当然だったりする。

和弓の場合は大陸の常識では考えられないほど長くてやじりが大きい矢を使う
それでも有効射程1町というんだから相当な強弓。

元寇、弘安の役で築かれた防塁は、塁上から矢を射かけられる構造だが、
この防塁は居ながらにして海上の元軍を射程に収められるように海岸線からの距離が定められている。

119* 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2009/04/26(日) 11:28:17
防塁は敵軍の内陸部への侵攻を止めるには効果的だが、
累上の武士を守る遮蔽としては効果がない。
つまり飛び道具には無力。

したがって本当に和弓より威力も射程も勝る弓を大量に投入できていたなら
防塁の上の武士を矢で射散らしてから上陸すればいい。

ところが実際の元軍は防塁の前になすすべなし、
結局防塁がない陸継島に上陸を試みている(結局今度は武士の白兵戦の能力の前にここからも敗走するが)

つまり海上から、あるいは海岸線から有効な射撃ができるほどの弓はなかったことになる。

仮にあったとして互角の弓であり、あとは弓術の能力の差で負けたということだろう。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 01:07:22
基本ですわ
19名無しさん@お腹いっぱい。
悪魔の証明の要求をからかわれる青牛の図

991* 名前:人間七七四年 [sage] 投稿日:2010/07/22(木) 16:49:24 ID:TcCh40zO
しかも、牛くんしらばっくれていますね。牛くんが反論として掲げた
ピザ屋のブログと日本人のコラムのガイ・ピアソン司令官の逸話URLは
軍板住民にバカにされた薄っぺらい根拠でしたし。
まさか、日本人のピザ屋さんのブログを見てフォークランド紛争でグルカ兵が
最前線で白兵戦やったと思い込んでしまったとか?

992* 名前:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB [] 投稿日:2010/07/23(金) 00:23:21 ID:s0ZHoiTo
>>991
軍板住民云うて、あんたと突撃氏だけじゃないか。(笑)
じゃあ、ガイ・ピアソン氏の発言のどこが間違えとるんか、指摘して
みんさい。ほいからフォークランド紛争でグルカ兵が白兵戦をせんかった
根拠は見つかったんなら発表せにゃあ。(笑)
ほいから、公文書崇拝信徒の突撃氏は最近書き込まんが、どしたんない。
都合が悪うてコテ名で書くんやめたんかのう?

993* 名前:人間七七四年 [sage] 投稿日:2010/07/23(金) 05:04:49 ID:s7Snzfip
フォークランド紛争で武士が白兵戦闘しなかった証拠がないから
武士もがんばったらしい

994* 名前:人間七七四年 [sage] 投稿日:2010/07/23(金) 07:59:52 ID:ghBDplro
白馬青牛もフォークランドで白兵戦しなかった証拠ないぞ
青牛もフォークランドでガチンコかましたらしいな

995* 名前:● [sage] 投稿日:2010/07/23(金) 10:33:58 ID:ky3CNQnY
それ聞いた

996* 名前:人間七七四年 [sage] 投稿日:2010/07/23(金) 13:12:37 ID:TpafMk4O
コテは偉いのか?

997* 名前:人間七七四年 [sage] 投稿日:2010/07/23(金) 17:41:27 ID:yDPkYVJ0
識別するツールにしかすぎんよ

998 名前:人間七七四年 [sage] 投稿日:2010/07/23(金) 18:05:56 ID:ghBDplro
じつは>>992-997みんなフォークランド帰りの戦友なんだ
だからみんな結構ジジイ。退役後は2chにレスするのが趣味なんだけど
青牛はすこしおかしな奴で戦友のタバコ盗んだり
戦友の嫁に白兵戦闘挑もうとしたりして袋叩きにされてからもっとおかしくなったんだ
青牛は否定するかも知れんけど、そうじゃない証拠もないしホントの事