>>200 ふと真面目に考えたのだが、そもそも陛下の精液は卑語にあたるのだろうか?
少なくともわたしには、汚いとか、いやらしいとか、そんなよこしまな気持ちは一切起こらない。
まるで人知れず高嶺で清楚に咲き誇る、野生の白牡丹を見つけたかのようである。
そう、造花には見ることのできない本物の美をわたしはそこに感じるのだ。
では、陛下の聖糞と言うのはどうだろう?
人間の老廃物、異臭を放つ汚物、そう嫌悪するものも多く見られるのは確かである。
しかし、ここでわたしは問いたい。
我々臣民の汚便と、陛下の聖糞とは、そもそも普遍的な同一性を持って語られるのであろうか?
答えは否である。
神格化されたもの(ここでいう陛下の聖糞)は、生れ落ちた瞬間、その神格性を同時に引き継ぐ。
つまり、他人の排便を好む食糞主義を、性的倒錯趣味が具現化した「自分への愛」というならば、
陛下の聖糞を好むことは、すなわち「神への愛」、という前者とは全く相対する思想なのだ。
わたしは、現代社会における信仰の喪失、また慈愛精神の忘失といった問題に、
我ら呉帝国の臣民たち原理主義者が立ち返り、国家臣民に最後の警鐘をおこなっているかのように感じたのである。