【捏造】兵力や戦果を捏造し過ぎだろ【辺境】

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108名無しさん@お腹いっぱい。
大内再興軍を輸送した若林鎮興はこのあとも大友水軍を育てて、国東半島封鎖戦で、ついに毛利水軍を撃破してますよ。
さらに島津侵攻軍には臼杵城防衛に活躍し、朝鮮役にも出陣。

瀬戸内海の制海権を握ってた分、毛利がチートだったわりにボロボロに負けまくったアホ元就。
しかも制海権の痛感した大友側は努力して1580年あたりには大友水軍を毛利水軍と同等かそれ以上になっちゃってますw
田北紹鉄の謀反が鎮圧された頃、田原親貫が城井鎮房と秋月種実に支援されて叛乱。
毛利が支援で派遣した毛利水軍は大友の名将若林鎮興が大友水軍を率い瞬殺し周防灘まで追撃掃討戦。
毛利の大敗を知り、田原側の城が次々に開城し田原滅亡。
秀吉も大友の手法を学んだのか、来島水軍も1582年には秀吉の調略で織田に寝返る始末。

大友三老(臼杵鑑速や高橋紹運の父である吉弘鑑理)の吉岡宗歓(吉岡長増)や大友水軍育成の若林鎮興は大友の隠れた名将ですね。

ビビり臆した元就が陶と戦うのを嫌がったが、ホモ変態兄の義隆を殺されて激怒していた隆元が強硬に陶に謀反するのを主張したからやむなく。
さらに厳島合戦は因島村上と来島村上の水軍が主力であり、
地理的に因島は小早川と親しく、能島は陶と親しく
来島水軍が去就をハッキリしない時に、元就が来島水軍が味方しなければ、
我々は破滅と泣きの言葉を書いている。
陶が拒否した瀬戸内海水運において元就は大幅譲歩して来島を必死に味方にしたから陶に勝てたにすぎん。
北九州攻防戦では大友の吉岡宗歓にこの点を見事に喝破されて、陶に付いて負けた側の能島の村上武吉の買収に成功させられ、
村上武吉が見て見ぬフリをしてもらってる間に、毛利の船舶による補給ルートの破壊と大内再興軍の無事な中国地方上陸を成功させられ
水軍に頼りきる元就が他力本願で勝った厳島合戦は、
結果として大友が正確に毛利の弱点を認識し周到に謀られ毛利大敗敗走する原因を作っている。
筑前方面の通行税を取る権限を武吉にちらつかせ村上武吉を買収した吉岡は最初、
元就に謀られているのか確認で、筑豊方面の毛利軍へ送る周防の食料貯蔵地を奇襲してみたが、
武吉が動かなかったために元就は大したヤツじゃないと知り計略の成功を予見した。

大友三老が相次いで逝き、自らも余命幾許もない老将の道雪の孤軍奮闘と嘆き「吉岡宗歓、臼杵鑑速の死後、大友の政治は無道である」
大友は毛利撃破で大友黄金期を迎えたが、それを支えた人材が相次いで逝くという悲運に見舞われた。