1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
面白いよね逆説の日本史
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 20:51:55
武士はなぜ生まれたかは面白かった
あれはトンデモ
トンデモでも面白ければいいよ
学問板じゃないもん
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 10:10:14
1977年9月14日、6のクセに『2げt』と書いたら『30年ROMってろ』と書かれて以来の書き込みです。
お久しぶりです。
涙がでそうです。
2げt
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 10:21:30
30年ROMってろ
もう自演が・・・
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 00:28:14
■■■■■■■■■■■______■___________■_______■____■____
■____■____■_■■■■■■■■■■■___■■■■■■■____■____■■■■■
_■■■■■■■■■_______■________■__■__■___■■■■_■_____
__■__■__■_____■■■■■■■___■■■■■■■■■■■__■____■____
__■■■■■■■_____■__■__■_____■_____■____■■■__■■■■■
__■__■__■____■■■■■■■■■____■■■■■■■____■_■_■__■__
__■■■■■■■________■___■____■_____■____■_■____■__
_____■______■■■■■■■■■■■___■■■■■■■____■_■_■■■■■■
■■■■■■■■■■■______■___■____■_____■____■_■____■__
_____■_______■■■■■■■■■____■■■■■■■___■__■___■_■_
_____■___________■______■■_______■■_■_■__■■___■
________________■■_____________________________
_______________________________________________
荒らしにはくじけないで、井沢さんの評価できるところを書いていきましょう。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 15:33:48
11はもうほぼ終わりやん
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 07:30:20
実は、徳川家重は名君だったんだよ!
実は山田太郎は明訓だったんだよ!!
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 15:22:42
度々井沢スレに出てきた一匹の白い羊は名前がメー君だったそうだw
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 19:47:57
>>12 普通卓越した歴史論を読んで感動したとしても、それで論者の才能までは云々しないけどな。
なぜ井沢だとそうなるのか?
まるで教祖様だなw
読んでいる側の感覚がおかしくなっているとしか思えないが。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 06:17:16
日本史板の方は論議論議とウザいので、ここで井沢スレを立て直します。
井沢さんの逆説の日本史について、ご意見のある方は何でも書いてください。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:00:15
井沢はトンデモw
日本史板の方はキモイ・・・
朝から平日の昼間も夜もずっと自作自演で粘着している奴がいる。
何を書いてもそいつからのレスしか来ない。キモイだろw
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:19:44
三大改革の評価とか、家重がバカ殿ではないとかいった話はどう思うんだ?
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:25:16
田沼意次は極悪人w
徳川家重は知能は普通だったらしいけど、側用人をおくと名君ってのはねえ。
>>25 向こうは無断コピペとかで、近々潰れるらしいw
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:29:36
>>22 論議と騒いで悪かったな。
申し訳なかったが、それ以前の内容的に無意味なレスによって、賛成でも反対でも自分の思ったことが言えないような人が多いのではないかと思ってのことだ。
前向きなお話なら、何も緻密に論理立てて話さなければならない訳ではない。素朴な感想でも良いと思う。
今や日本史板の方は、著作権としての問題もあり、かつ内容が残念だがなくなってしまった。
状況は見させて頂くが、基本的にキチンと話が通じる方で進めてみたいと思っている。
反対している人間は、ここで書いてはいけないかな?
委員でないの?
ただし罵倒はなしねw
今度はこちらでやり直しですか。
賛成でも反対でも、それぞれの意見を尊重して逆説の日本史を語れれば良いですね。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 07:48:02
三大改革とか田沼時代とかいっても、井沢元彦ってただ逆をいっているだけじゃないのかな?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 11:21:39
逆説だからだろ
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 20:07:39
いや、井沢の逆説の日本史というのは、元々逆に書いていた訳ではない。
むしろ史学が専門で蛸壺化して瑣末になってきた事に対して歴史を総合俯瞰的に観ようと試みていたんだ。
しかし、現在連載している江戸中期については、完全に蛸壺化しており、むしろ史学と同じ陥穽にはまっているんだ。
それは、おいおい書いていく事にしよう。むしろ江戸中期のような「経済政策」が絡む場合こそ、総合俯瞰的な観点が求められているんだ。
面白そうですね。というか逆説の日本史もとても面白い要素を元々持っていたんですよ。
でも支持基盤が悪かったのか、媒介する媒体基盤が悪かったのか、井沢氏も苦労したみたいですね。
おそらく、井沢氏の意向というより、週刊ポストの意向ではないでしょうか?
もう史学なんていいから、時代劇とかドラマとか、一般大衆(≒ポストの読者)に対して逆説を提示した方が面白いんじゃないかってね。
井沢氏は結構真面目だが、媒体がそういうのであれば、従わざるを得なかったとか。
もちろんそこは、高圧的ではなく、慇懃かつ婉曲に言ったんでしょうが・・・
面白くなくはないんじゃない?
時代劇とかって忠臣蔵とか?
やはり沢山の人が興味を持っていることを題材にするのは悪くないよ。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 12:34:15
そっちのスレは、もうすっかり廃れていまつ
それに立てたのが後なので削除依頼で消えてしまいまつよ
それ以上に粘着乙が常駐していてキモイスレでつ
近寄らない方が無難なスレでつw
コワイモノみたさに覗いて来ました。
キモーイ。何だか2,3人が応酬していますね。
もう書き手がいないのが現状じゃないかな。
>>35はしゃちょ、でしょ?
もうこっちで書いてよ。向こうで書いてもつまらんよ。
向こうでわざわざ意見を小出しにしたのはどれだけの人間がいるのか探りを入れるためでしょ?
読んでいて解りましたよ。
そしてほとんどいないってことも解ったはずです。
ここではまとめて書いてくださいよ。こっちでは長文でもおkですよ。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 13:29:52
こっちもそれほどいるとは思えんなw
罵倒がない分、穏やかでほのぼのスレ
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 21:10:11
>>40 しかしな、どっちのスレにも言えることだが、ひとりの意見を巡って全体が右往左往する展開は余り良い展開とは言えないぞ。
何人かそういうのがいて、論議も並行して進むような展開が自由に意見を出せる雰囲気なんだ。
誰かに賛成してはならない、とか、誰かにマンセーしなければならない、とかね。
反論も義務ではない。
自分の立場を決めてしまうような展開は良くない。
そういうのは、匿名でないバイネームで責任を取らなければならないところでやるべきことだ。
意見を出す中で賛否が見えてくる。反論であっても言う中で自分の考えた内容を相手に伝えようとするものがある。
それが必要だろうね。
社長が日本史板で提示した問題、
> 実は前スレでもう書いたのだが、当時は「経済理論」らしきものは殆どない。
> だから、状況見合いで、かつ試行錯誤してやっていくしかないのだが、その事とこの頃の一連の流れを見ていけば、より正確な分析が可能なんだよ。
> それについては、別途書く。もう一度に書くのも大変だから、小出しにね^^。
>
> ヒントとして、以下を提示しておく。
> 徳川綱吉と、新井白石は、実は対立したことはない。
> 徳川吉宗と、田沼意次も。吉宗と白石もね。
> 荻原重秀と新井白石は、対立した事がある。
> 田沼意次と、松平定信も、対立した事がある。
についてですが。
(引用面倒だしアンカーつけられないので、こっちで書いて欲しいです)
まず大きな勘違いとは、三大改革とか田沼意次の政治は時期がそれぞれ違い、それぞれの時期で政権を担っていた者がやった政策である。
そういうことでしょうね。
それは同時期に政権内にいて、同じ時期の政策について対立していた訳ではないと。
よく我々は改革政治と重商主義政策を対立の構図で見てしまうが、実はほとんどが対立していた訳ではない。
荻原重秀と新井白石、田沼意次と松平定信は同時期に幕府内にいて対立した事があると。
そういう事でしょうか。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 18:54:56
え?ええー?と思いながらやって来ましたw
田沼意次の話がほとんどないまま日本史板の方が終わったというか
荒れに荒れてしまいましたね。
なんであんなに歴史の話以外で荒れるのか。昔の2ちゃんではよく
あったんですが。
で、最後の辺りで話があった部分は面白そうでした。
昔あった田沼スレでは、田沼は経済重視だったが幕府財政の立て直し
つまりは従来体制の立て直しに終始したからそれまでだったという話
だったと思います。
私はあの時のコンサルタントさんが社長さんだと思うんですが。
意見が似ていますからね?違っていたらゴメンナサイです。
ただその時は田沼意次の話だけだったんですが、何かもっと大きく考
えられる方法があるんですか?
田沼スレのコンサルさんが社長さんなら、絶対その先を聞きたいです。
あ、ホントに違っていたらお詫びしますが・・・・・・・。
>>43 そうだな。
誰かが意見を書くまで虎視眈々と待っていてちょっと長いレスが
上がるとそれ!みたいな感じでツッコミに走る。
元々井沢スレは井沢叩きスレだったから、
アンチ井沢が井沢厨も叩く展開が続いてきたんだ。
それがアンチでもマンセーでもないという中立が出てきた時に
井沢厨がその独自なる意見を叩くことで味をしめてしまった。
鬱憤が溜まっていた気持ちは解るし目の前で井沢元彦や厨房が
叩かれるのを見て真似してしまったんだろう。
しかし何か転校生になったような感じでギクシャクだ。スマソ。
>>45 日本史板の井沢スレは何かというと態度がどうとか、そゆことを問題にするだろ。
自分たちの態度はどうなんだとなるよな。
井沢は儒教嫌いで有名だが、儒教嫌いをマンセーする乙が礼儀みたいな話をするのが笑える。
文章とか論調ではなく、マナーの問題だろうよ。意見が高姿勢だからといって叩くのが礼儀か?
鬱憤を晴らしてもらうのは結構ですが、陰口スレにならないようにお願いします。
逆説の日本史について語りましょう。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 23:30:22
ここで続きを書こうか。
俺自身の姿勢については、相手がどうであれ同じかどうかは分からないが、そんなに大きく変わらないだろう。
相手が丁重なのに、こちらが無礼を働いたならダメだろうな。
反論と誹謗中傷、批判と罵倒は違うと思っている。尤も相手が勘違いしている場合も、今後は留意しよう。
口で言う場合は何とかなるのだが、正直書くのは面倒でね。その辺りは。「落ち着いてくれ」が実際なのだが、相手は却ってムカツクようだな。
ただ、申し訳ないが、こちらも正直合間をぬって書いているのでね。いつとか、どれくらいとか、そういう事は約束出来ない。
向こうで書いたことは、一度総括して書こう。「総括」と言ったってサヨだとか言う輩はいないと信じるが。
ただし、俺を中心に据えようなんて事は考えないでくれ。
俺は、数多くの論議のひとつで良いんだ。関係なく進められるのは進めてくれ。
ただ、それ以外に希望を挙げるなら、賛否に関係なく、井沢も含めて誰の人格も権利も貶める発言はしないで欲しい。
それだけかな。あとは2ちゃんや板、スレのルール通りだろう。
いろいろと期待して頂いて、感謝する。
これからも、よろしく。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 23:56:32
>>45 そうだ。その通りだ。田沼意次を語るスレで書いていたよ。
俺はその頃会社設立を考えていたが、M&Aに絡んだ仕事(正確には防衛)を手がけていてね。
そこの創業者の会長さんの依頼で会社の防衛は果たしたが会長さんは体調を崩して亡くなられた。
甥に当たる人が後継になったが、俺を役員として迎え入れた。その人が留学することになってね。
結局俺は代表取締役になったって訳だ。
しかし、日本資本は今、外国特に米国や香港系に食い散らされつつある。特に老舗の中堅企業がね。
日本人は、自国の資産がなくなりつつあり、かつ人も減っていく現実をもっと心配すべきだと思うが。
井沢は知ってか知らずか、そういった路線の旗振り役をやっている。売国奴などというつもりはないが、日本のことをもっと正しく考えて欲しいよ。
歴史認識の正しさは、確かにその人の国家観とか生き方にも影響を与える。それだけに発言力のある人には、それだけ真摯かつ慎重になって欲しい。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 03:31:29
俺はあんた等とは違って井沢は面白いから読んでる。
社長なる人の意見も、結局は井沢と同系統なのではないか?
ま、史学がどうとかそんなことには余り興味はないけど。
でも連載は読まないな。週刊誌買わないし。単行本も買わない。
文庫本だね。そんなに金かけようとは思わないから。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 11:40:33
日本史板に終了なんて書いたの誰だよ!
ここは難民収容キャンプか
駆け込み寺か
それとも日本史板からの殴りこみ先かw
井沢さんの逆説の日本史のスレですが、何か?
>>55 あの、ちょっと互いに干渉やめませんか?
何か今日本史板の方がおかしくなっているので、ホトボリが冷めたら考えてください。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 15:12:19
>>55 ここは荒れてないって
自分はもう日本史板のバトルは懲り懲りなんで、ここにそれを持ち込まないでよ。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 15:34:10
井沢のスレなんか、そもそもまだあったんだw
近代史板にもあるなww
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 22:44:43
吉宗はバカ殿ってどうバカなんですか?
儒教を知っていたらバカ殿?
経済に疎いからバカ殿?
井沢先生によればどちらもだそうだ
名君などという言葉を使ったが最期、儒教徒だしなw
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 04:06:41
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
このレスをみたあなたは・・・3日から7日に
ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり
成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて
ほしくないことが起きてしまうでしょう。
コピペするかしないかはあなた次第...
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 11:40:46
井沢さんのティティングの文献の引用の仕方、おかしくないですか?
何か無理やり持論に持って行ってるような
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 23:37:57
>>63 新井白石の批評の時と同じだ。
「すり替えの論理」だな。
以前書いたのだが。
すなわち、どうとでも取れる微妙な見解と、明らかに井沢の考えに反する見解を持ってきて、
確かに・・・・・・(明らかに井沢の考えに反する見解)という考えもあるが、(どうとでも取れる微妙な見解)と考えればそうでないことが分かる。
という論法が基本。
これだと、短文なのだが、文章全体の構成でも同じ。
最初に従来の見解や通説を持ってきて、「という考えもあるが」とし、後半に自分が説にしたいものが論拠に出来そうなものをもってきて、
「従って・・・」と結論を自分の希望へ持っていく。
この場合、当然正しい場合もある。
それが、本当かを検証するには、前後を逆にしてみるんだ。
そして、同様の論理展開をしてみる。
その結果(特に最初と比較して)どう思えるかだね。
前者(書いてある通り)の方が正しいと思えれば、井沢の考えが正しいと自分で判断できる。
後者(自分で入れ替えてみた論理)の方が正しければ、井沢の考え方はおかしいのではないかと考えられる。
前者も後者も似たようなものであれば(これが今まででは最も多いのだが)実は、
一概に言えないような事を根拠にして、さも井沢の結論が正しいと思わせている。
ということになる。
井沢に悪意があるのかどうかは分からない。しかし、少なくともその場合検証が不十分であることは言えるだろう。
今回も、俺自身にも見解はあるが、それはまだちょっと置いておこう。
是非、まずは自分で検証してみては?
どこがおかしいの?
俺には意味がわからんから教えてくれない?
井沢が田沼親子の政治を高く評価し、その論拠としてティチングの書いたものを引用するのは、論の構成として当然なのでは?
ティチングが田沼政治を批判しているというなら話は別だがそうじゃないわけで
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 23:47:09
井沢のトリックの代表的な論理として、もうひとつは「対偶無視・軽視の論理」があるが、それはまた別の機会にw
俺たちの業界では、よく「契約書のトリック」を見破る際に使用する方法だ。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 23:52:00
>>64 どこがすり替えなの?
前号引用部分でティチングは意知のことを「才幹あり進取の気性に富む青年」とはっきり書いてるじゃないか
他の部分ももちろん無駄ではない
何度も言うが、史料なんてのは十全でも、中立でも、無謬でもない
故に傍証の採用は歴史解釈に必須なのである
まあ、最終的には解釈する人の判断力が試されることになるが、それをおそれてはいけない
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 00:11:29
>>68 うーん、まずおそれていないよ。何故なら、恐れる者ほど自分の考え方の論理を隠すものだから。
俺は結論や主張も大切だが、まずはより客観的に、かつ出来るだけ多くの人と共に考えたい。
その為に、今回は主張を出す前に論理を公開した。ここではまだ井沢の今回の記事を、どのようにも決めつけていない筈だ。
新井白石についてはすり替えだったと結論を出した。それは過去の井沢スレのログでも参照してくれ。俺は何度かに分けて論証しているから。
それと、今回の連載を読んでいて、検証する前にすぐに「感じた」のは、みなもと太郎の「風雲児たち」だね。
また「パクリ」とか言い出すアンチの人がいるかも知れない。それくらい似ている。
それで、ほぼおなじ文献を、例えば上村瑛の「大江戸文人戒名考」では逆の結論を出すのに使用している。
俺自身も、自分なりの意見を書いていくが、まずはそんな井沢以外の本も読んでみたら面白いと思う。
俺は井沢に賛成しろとか、反対しろとかは他人には強制しない。ただし、正確に判断するにはどうしたら良いのだろう、ということは、いろいろ考えていくつもりだ。
>>68 チチング(この表記が最も一般的なのでこう書かせて頂くよ)は田沼政治を批判しているよ。
井沢氏はどうしてああも厚顔無恥に逆に書けるのかと私などは思ってしまうけど。
逆説だからでしょうか?
井沢氏の書き方だと、チチングはまるで他人事のように批判している狂歌などを引用した事になっているけど、積極的にその考えに沿って採用したという意見の方が多い。
「バカ年寄り」との明言まであんな風に書いてしまうのは、むしろ曲解と思えます。
普通に読めばこれは若年寄田沼意知の批判だよ。いや普通に読めば批判の度を越して罵倒でしょう。
普通に読むのが「常識」であって、井沢氏が常識と書いているのは非常識を人に強要または誘導する便宜ですね。
狂歌ではなく、落首な。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 07:17:21
昔の逆説なら「うんうんなるほど」なんて頷いていたけど
今は「どうしてこんなことが言えるの???」という感じ。
歴史に興味を持ったけどそれでいろいろ本を読んだ後に
読むと説得されてしまわないね。言い包まれていたのかな?
今までは。
アナトァウァ イザワヲ シーンジマスカ?
江戸期の正史はこういう立場で書かれているから、こう読まねばならないと井沢は書いている。
これはいつもの逆説のパターンだからすんなり読める。正しいかどうかは別問題。
ティチングの話も同じように読めるかと言うと、ちょっと違う、
「ティチングはこういう立場で書いているからこう読まねばならない。」
こういう立場とこう読むの「こう」はいつもなら「逆に読め、だから逆説」これがいつもの王道のはずだか、
今回はティチングの立場の逆からではなく、「今回の逆説の見方で読めば」になっている。
おれはすり替えとは思わないが、逆接じゃないよなと思うよ。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 22:16:09
ええとね。
どうやら「すり替え」という言葉のイメージが誤解を与えたかな。
>>68さんも
>>74さんも。
>この場合、当然正しい場合もある。
と書いている通り揶揄したり誹謗したりではない。ただ、前回の新井白石の時には俺自身明らかに見解が反対で、その際の感情が多少反映したのは認める。
それで
>>74さんの内容だが。
井沢はいつもそうではないが、たまにそうなる。
要するに
1.「これは普通○○と読めるが、実は△△と読むべきである。」
という場合と、
2.「これは普通○○と読めるので、そのとおりである」
大抵の人が読めば、何か実に都合の良い解釈だと思えるのではないか。
俺に言わせれば1.は通説批判。2.は自己結論への補強。
それで、俺が「すり替え」と「言わない」場合はどうかといえば、1.オンリーなんだ。
それが
>>74さんのいう「これはいつもの逆説のパターン」だと思う。
これも正しかったり、誤りだったり両方ある。ただ、従来とは違う見方を提示している、という評価は共にしても良いケースだと思う。
問題は、新井白石や、今回の場合だ。
今回のものは
>>70さんのように「曲解」と思うか、
>>63さんのように「無理やり」と読むかが多いようだね。
要するに文章が検証の過程ではなく、既に結論があって、それへと読者を誘導している(予定調和)ではないのか?
という話。
この辺りを考えるには、
a.複数の考え方の「比較」をどれだけしているか。
b.ひとつの考えだけの説明になっているところがどれだけあるのか。
で考えれば良いとおもう。a.が多いほど客観性が高く、b.が多いほど主観的または予定調和の傾向だ。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 22:20:03
上記a.b.が理屈っぽくて分かりにくかったら、ちょっと疑り深い観点だが、
「言い訳に読める説明をどれだけしているか?」
でも良い。これは、上記のb.なんだ。そうでないものはa.と看做してもそれほど外していない。
いつもいつも長い文章ご苦労さんです。
もちっと簡潔になりませんか?
論理が好きなのは結構だがひとことで言うとどうなるのか?というのも
合わせて書いておいてもらえれば少しは読む気になるw
>>68 >史料なんてのは十全でも、中立でも、無謬でもない
そりゃそうだがそれは史料に限らずどの時代の誰でもそうだよ。
だからより多くの史料をいろいろ比較して複数の観点からものごとを考える。
それが客観的というのじゃないかと。
それで井沢先生の不公平な点は自分の主張として受け入れられないものは
これは政敵が書いたものだから信用できない
とか書いておいて自分の賛同する意見はそれだってある立場から書かれたもの
だろうにそれについては同様の批判をしていないこと。
十全でも、中立でも、無謬でもない史料なら、せめて同等の批判をいずれにも
施すのが客観的な分析じゃないかと思われ。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 22:51:44
>>75 >>74だが、一般的な「すりかえ」の意味で書いたんだから別に意義を唱えてるわけじゃない。
だから白石論に交えて論ぜられても当惑するのみ。
>>71 そういうことではないよ。それでは狂歌≠落首になってしまう。
そうではなく、狂歌を沢山の人が読むような場所に掲示したりすると落首と
呼ばれるんだよ。
>>69>>70 要するに、ティチングの本に意知を高く評価するコメントと、意知を大悪人とみなす狂歌、その双方が記載されているということ
ポストに戻っていうならば、最初から悪人と決めつけた上で、狂歌の部分のみ引用している海音寺より、取り敢えず双方を紹介している井沢の方がより公平な態度といえる
更に、ティチングが江戸狂歌を記載しているのは、いわば文化論に当たる部分であって、決して意知の人物評価・政策評価をしている部分ではないということは、井沢が指摘しているとおり
文脈を読めば即ち、海音寺と井沢のどちらが恣意的な引用をしているかは明らか
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:07:07
>>79 それは悪かった。別に俺も異議を唱えてはいない。
ただ俺は、誹謗する意味ではなく「論理的なすり替え」という意味だったんだ。
場合によっては、それでより有効な論証になる場合もある。
順序を変えても、同じ主張が成立するような内容の場合、あとはより分かり易くする為とか、より効果を与えたりというのも考えられる。
ただし、順序を変えると主張が変わってしまったりする場合では、内容ではなく順序が「思わせる」効果を生む。
これは注意すべきだね。今回の場合、もう既に何人かが似たような次元の(ある意味ではもっと鋭い)指摘を書いてくれている。
実は今、なかなか田沼意次の内容を書かないのは、ちょっと自宅を離れていることもある。
申し訳ない。具体的に書いた方が分かり易いのだが、今出先にいるのでね。何にも史料がないホテルで書いている。
ここでは思った事を好きなだけ書いても良いよ。批判もあり。俺は少なくとも誹謗中傷はしない。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:13:35
>>81 ええとね。海音寺がかなり歴史上の人物評価を恣意的(主観的)にしているのは認めるよ。
俺は海音寺の擁護をしている訳ではない。平将門や藤原純友(海音寺の代表作の登場人物)に対する評価もそうだ。
しかし、実は井沢はこれはかつての逆説の日本史で評価したりしているが。
別に井沢なら何でも反対と思っているのではなく、これは偶然だが。
でも海音寺との比較で井沢がより正しいと言う相対的な評価をする訳ではない。
海音寺は海音寺。井沢は井沢だ。また改めてこれについては書くよ。
>>78 > だからより多くの史料をいろいろ比較して複数の観点からものごとを考える。
それが客観的というのじゃないかと。
そんなの敢えて言うまでもないこと
井沢がティチングの文献を持ち出したのは、意知が「バカ」「悪人」であるという見解に対する反証としてであるということをお忘れなく
あとね、悪人だの善人だのという視点からだけではなく、当然田沼親子の評価には、その経済財政政策もみなければならない
井沢もチョロチョロ書いてるのだが、読んでるよね?
>>81 それはおかしいかも。
なぜなら井沢氏は、チチングの史料というたったひとつのソースで無理やりふたつの観点を作ってしまっています。
その根拠がチチングは文化としての一環でのみ、狂歌を引き合いに出していると断じているが、それは逆の見解が現在では主流(つまりチチングも同意見だから引用)ですよ。
それに対する説得力のある論証がなされているとはとても言えないです。井沢氏の説明を求めたら、或いはそれを裏付ける見解が別途あるのかも知れないけど、少なくともそれは明らかにされていません。
この文章の内容では、余りにも都合が良すぎると感じるんです。それこそ恣意的か、善意に解釈しても説明不足です。
逆に
>>81さんは、この部分を読んで、チチング自身の評価が狂歌が示す意知の評価とは別物だとなぜ思いましたか?
>>83 話をすり替えないでほしいな
今議論になってるのは、当該箇所における井沢の文献引用が恣意的であるかどうかということ
一般的に言って、海音寺と井沢が相対的にどちらがより正しいか、なんていう大雑把な話ではない
>>84 違うぞw
>史料なんてのは十全でも、中立でも、無謬でもない
と書いたのは、井沢先生ではなく、おまいだろうがw
井沢への批判ではなく、おまいへの批判だよ、勘違いだなw
>>85 同じティチングの本に書かれているコメントのことは完全無視ですか?
それを裏付ける見解が示されてないとありますが、同じティチングの文献にあると井沢は言ってるんですが
あなたはどうやらポストを読んでないようですね
江戸狂歌の紹介が単に文化論としてなされたものである、という見解ついての説明も今週号にありますので、先ずはご覧ください
>>87 それなら話ははやいw
井沢憎しで客観性を失ってるのはあんたの方だ、と言い返すのみ
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:46:14
へええー
難民板ってみんなメソメソ泣いているようなところだと
思って来たけど盛り上がってんじゃん
俺を叱り付けた社長さんもえらく理屈っぽい人だね〜
まあそんなことは前から分かってるけど
でも下層民たちは相変わらずだね。中には自分が
イザワ大先生だと勘違いしてるようなヤツもいるし♪
それ以外も同じだよ。自分が徳川吉宗とか田沼意次
にでもなったと勘違いしている。そんなに偉い人間の
ことなんて、下層民には理解不能だよ
まず自分が現代の社会でそれ相応の地位に就けばいいじゃん!
それでその田沼意次を上回るような業績を挙げてみなよ
それからじゃないの?言えるのは?
バカな大人たちだね!!
社長以外は下層民ww
>>88 もうそれは書いています。何度も言わせないでね。
バカトシヨリ、とまで書かれているのにこれはもう批判ではなく罵倒ですよ。
わざわざ日本史板の方に書いたのですが。
それから、チチングの書いた原書をお読みでしょうか?
まずは読んでみてください。日本語でも英語でも結構です。
オランダ語のは解らないでしょうが。私もですが。
日本語のは解り難いですが、英語だと明らかです。
今手許にないですが「I thought」と書いていましたよ。
チチング自身の意思です。
>>91 ゴメン自己レス。
今朝方日本史板に書いたけどそれは別のレスだった。
こちらの板の
>>70でした。スマソ
もうあっちこっちに書くの、止めます。
そんな心もとない記憶力なら I thoughtも怪しいもんだなw
もう一度ちゃんと思い出せよw
今日読んだよ
9巻の武田信玄の限界って章おもしかったよ
>>93 それはもう反論できないけどorz、もう一度見てくるよ。
考えてみると、日本語って表現が曖昧で解釈が大変な言葉だ。
まだ現代のは論理的な文章も多いけど、昔のは論理性が少ないから余計にね。
外国人の原書か、英語や独語など論理が見えやすい言語で書いてあれば曲解の余地もほとんどない。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 00:16:32
>>94 そうか、おもしかったんだ、良かったじゃん♪
おーたまじゃくしーはか〜えるーのこ〜♪
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 00:22:13
おーまえーらみ〜んなかーそうーみん〜♪
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 00:23:46
>>94 兵農分離できてないから一年中戦えないだっけ
まぁ「〜」ってのがビブラートだってのは判るw
やっぱり井沢スレは荒れるのか???
>>99 織田信長も実はそうだったんだよw
イザワの思い込み
>>99 逆に兵農分離していなくても大内なんかは1年以上も
尼子の城を包囲していたりする。
なんだか日本史板はドコモ、難民板はauか?
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 01:20:55
>>104 そうですね。堺屋太一氏の「日本を創った12人(前編)」(PHP新書)に書かれていました。
井沢氏の信長編やその前の天下人の条件編より前(堺屋氏のは1996年11月)ですし、主旨だけでなく論理展開方法まで全く同じで、かつ堺屋氏の原作による大河ドラマ「秀吉」の中でも解説された内容なので井沢氏が見聞している可能性が高いです。
私も井沢氏の連載を読んだ時に同じように思いました。
井沢氏は先人の考え方を使用する場合、まったく断りを入れないのが多過ぎますね。
書いた本人がというより、そのようなやり方は過去にそれを読んだことがある人間に対してすら失礼な行為です。
ネタをダブって売られるのですから。それに「おまえにわざわざ言われなくても知っているよ」という反発にもなるでしょう。
それに感動するような人は、きっとそのような本を普段から読んでいる訳がないと見くびられているのでしょうか?
もしそうなら、実は井沢氏にバカにされているのはそれを読んで目からウロコを落しているような人たちという事になりますね。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 17:08:11
イザワのディープな読者はむしろイザワを批判する
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 18:11:47
見っ直そう〜 見直そう
(⌒) .(⌒) (⌒) .(⌒) (⌒) .(⌒)
( ´・●・)つ ( ´・●・)つ ( ´・●・)つ
( 二つ ( 二つ ( 二つ
\./ /、 \./ /、 \./ /、
∪`J ∪`J ∪`J
>>95 井沢が儒教嫌いだってのもむべなるかな
漢文も表現が論理的だ。むしろ英語に近いだろう。
それではいい加減な解釈ができない。
チチング論争はもう決着のようですね。
あのように曲解しているような見解がいつまでも続くはずもないでしょう。
井沢氏はチチングを曲解して連載に書いたものの、ずっとマンセーしている人でない限り、同意を得られるような内容ではなかった。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 21:35:38
日本史板の
>>399についてだ。
> 新井白石についていうなら、長崎貿易については別に儒教の論理で対応したわけではなく
> 日本からの銀の流出を憂慮しての事だと思います。なぜなら、儒教徒でない者が見ても
> それが問題点であることが明らかだからです。
> 井沢氏がなぜこの問題を詳しく取り上げなかったのかは分かりません。新井白石のやった
> こととしては中学高校の教科書ですら書いてあるのにです。
> 人は例え宗教家でなくてもポリシーを持っています。自分のポリシーと実際の問題点が一
> 致した場合、ポリシーを大義名分(これも朱子学用語ですが)とか自分の抱負名誉や本懐
> を遂げる手段として利用する場合は考えられます。これはおそらく、政治家ならほとんど
> すべてに言える事だと考えられますね。
これが憂慮されたのは銀が大坂の経済に影響を及ぼすからだった。
しかしそれを考えたら田沼意次の政策はかなり評価できるものだ。
南鐐二朱銀の発行は銀の軽量貨幣としての位置づけを否定し、
金とのレートを固定化することで事実上金銀の相場を解消するもの。
金銀相場の存在が江戸時代の経済をどれくらい不健全なものにしていたか。
計量貨幣ね。
>>399を書きましたが、確かに田沼意次の南鐐二朱銀の発行は評価される政策だと思います。
やっと江戸時代の貨幣政策として、根本部分に手が入ったということでしょう。
それと、それは大坂商人にとっても利益があることでしたから。
でもそれらは、綱吉の頃くらいから延々と試行錯誤してきた政策の集大成であるという見方も出来ます。
その間のすべての関係者、荻原重秀・新井白石・徳川吉宗などのすべての解答だといえるでしょう。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 22:04:57
>>109 曲解して書いたのではなく曲解させようとして書いたんだろ。
イザワは確信犯だよw
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 22:33:08
>>94 >>99 楠木正成も兵農分離していないが長期間戦いを続けている。
同じ頃の足利や新田も。
応仁の乱は都での戦いだったが11年も続いた。
細川とか山名は兵農分離していたのかな?
専門家でなくてもちょっと考えればすぐに分かる。
それにイザワのパクリ元、堺屋太一はもう少しマシな事を書いている。
できるだけ末端ではなく少しでもマシな内容と読み比べてから
結論を出すべきだな。
>>109 うん、決着済みだろうね
社長は苦し紛れに、蘭語の原典にあたれ、なんて言い出して、翻訳のソゴと日本語の曖昧さの問題にすり替えようとしてるし
あなたは曲解であると言い募るばかりで、何の説明も出来てないしね
>>110 経済学的にみた海舶互市新例の評価は難しいね
貿易の制限を強化したことで輸入品が高騰し、かえって不当な安値での銅の流出を招いたという見解もあるし、
金銀の海外流出については、既に綱吉の時代に対策されていて、白石の時代にはほぼ解決済みだったという話もある
一つ思ったのは、白石が金銀の海外流出に神経を尖らせたのは、やはり彼の通貨政策と大いに関係があるのだろうということ
彼の通貨政策では、マネーサプライは金銀の保有量に制約されざるを得ないからね
それでは結局行き詰まるしかないと思うんだけど
堺屋太一の『巨いなる企て』は、司馬遼太郎の小説の影響がもろ出ちゃってて笑た
きっと司馬遼の小説を読み読み執筆したんだろうな…と(笑)
別に俺は、それだからダメだとか言うつもりはないけどね
堺屋のものは、昔けっこう好きで読んだし
>>113 俺も実は兵農分離と動員能力をあまり関連付けて考えるのには賛成ではないが、少なくとも楠木正成の例は不適切だろう
彼の戦力の中核はいわゆる悪党といわれる人々で、もともと土地(農業)に縛られた集団ではないよ
織田氏の動員能力や継戦能力の高さも、そういった観点からみた方がいいと思う
>>114 >>91を書いたのは私ですね。
そうではなく、イザーク・チチングは日本では田沼の一味なんですよ。
田沼方から援助を受けて日本で洋式船の建造を目指していた訳ですから。
井沢氏はよく、敵方の書いたことは当てにならないと書きますが、一味の書いたものも同様の面があります。
その一味ですら「バカトシヨリ」と言った訳です。
チチングは利害関係のある部分については田沼よりの発言はありますが、そうでないところではかなり田沼を批判していますよ。
あなたは誰の発言かも勘違いした上に、井沢氏万歳発言だけであなた自身の意見は一向に見えてきませんね。
だから決着済みなんです。いうならば私の不戦勝でしょう。
まだ論議を続けるつもりなら、チチングの書いた内容を順次ここで分析していきますが。
>>117 つまみ食いがお得意のようで。
では、足利尊氏や新田義貞、細川勝元や山名宗全はどうでしょうか?
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 23:43:31
>>117 おまえの発言は、はっきり言って訳が分からんぞ。
>俺も実は兵農分離と動員能力をあまり関連付けて考えるのには賛成ではないが、
>織田氏の動員能力や継戦能力の高さも、そういった観点からみた方がいい
これでは矛盾だろう?
何のために書いたものなのか見えてこないな・・・
徳川吉宗の倹約令を井沢元彦はどう評価しているのだろう?
バカ殿なのか?
絹の着用を禁じたのは当時はまだ絹は輸入が多かったから。
金銀の流出防止のこの政策は十分経済政策だ。
同時に関東各地で養蚕の奨励を始めている。
幕末に日本は絹を輸出できるにまでなっている。
>>118 確かにティチングが田沼派と利害が一致していたことは事実でしょう
その彼の田沼政治に対する高評価は、直ちに全面的に信用していいものかどうかは検討を要するでしょう
しかし同時に、田沼と利害を異にする人々の書いたものも全く同様なのでであります
要は総合的な判断ということになりましょうか
ティチングによる田沼批判が、文化論の上での単なる引用としてではなく、政治論として存在するならば、それを是非ともご教授いただきたく思います
よろぴくね!
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 23:54:55
>>118 そういうことだったか。
論議の如何に関係なく、分析があるのならして貰った方が良いと思うがな。
それはあなたの自由ではあるが。
この人の大和朝廷の解釈になんとなく吐き気を覚えてしまいその他を読んでない。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 00:18:21
>>122 う〜んとね
文献的なことは
>>118のオジサンがやってくれるんだろうけど、
チチングの田沼批判って別に庶民が巷でやっていたような批判
じゃないんだよね?
つまり「何でもっとうまくやらないの?」ということだよ。
松平定信とか門閥の連中と権力争いをしている。
チチングは柳営を訪れた場合とかは田沼以外の人間とも話をする。
特に溜りの間にいた定信とも会っている。
意次と定信がいがみ合っているのを見てチチングは困惑しているんだよ。
どうでもいいからうまくやって、結果ちゃんと目的を果たしたいだよ。
目的って船の建造ね。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 07:36:25
田沼意次が通商を目指していたってのはどういうところから判るのか?
日本史板もここもだけど人が随分減ったね。
なぜだか解るかい? 連載の話にばかり持っていこうとするからだよ。
連載を欠かさず読んでいるなんてディープな人はそういるもんじゃない。
連載がどうしても中心だろうが別にこだわりなし
参加人数もこだわりなし
カキコがあればよし
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 13:00:15
連載が一番ホットな話題だからしょうがない。
来週は「庶民が何故儒教の影響で田沼を悪だと思ったか」らしいな。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 13:02:44
松平定信のプロパガンダで決まり
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 15:25:25
この人、一時期出家僧みたいに髪刈りこんだことあるけど
ただでさえ運動神経なさそうなキモい小肥りだったのがますますキモさが倍加し
たな
小林や西部や西尾もそうだけど運動音痴っぽい奴ってウヨっぽくなるのはなぜだ
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 15:47:00
>>131 たぶん若い頃は軟弱でオクテで成長してからそのことを後悔するパターン
三島由紀夫と同じだよ
トロい、ニブい、ミニクい、ウヨ
なぜか共通する四大要素
ウヨサヨは前世紀の遺物
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 22:02:27
しかしなんだな、江戸期はこのまま儒教を中心とした逆説でいく方針が決まったのかもしれないな。
儒教、時代劇、門閥の改革・・・への逆説で逝ってみようかって・・・・・・
何かいかにも週刊誌の編集方針って感じがするね。
井沢氏本人は正直どう思っているのだろうか?
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 22:38:34
>>136 「信長の棺」の太田牛一かよw
そんな大層なものじゃないだろ
「逆説の日本史」なんて後世では第994級史料だよw
>>125 わ!
もうそれを書いてしまったの?
チチングの文書の分析の結果としてそういう主旨の話をするつもりだったのにorz
>>137 後世の人が逆説の日本史を史料として扱おうとしたところ、
「史料至上主義はよくない」
と書いてあって取り扱うのをやめてしまったら笑えるかも知れない。
で、一橋民部卿治済だが・・・・
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:14:51
>>138 な〜んだ!その程度なの? やっぱ下層民は大したことないね♪
こんなの常識じゃん!!
チチングからしたら田沼だろうがタヌキだろうが松平アナウンサー
だろうが誰でもいいんだよ!
自分の利益に適えばいいんだから
改革だろうが専制政治だろうが呪術政治だろうが取引相手として
対応してくれればいいんだよww
チチングは対日のオランダ商館長としての立場から取引相手として
見てるだけだよ
バカトシヨリってそれも何をゴタゴタしてるのか、早く決済しろよ
その前に殺されてんじゃねーよ!! と書いてるだけ
これから田沼意知の政治姿勢がどうだったらなんて言えないなww
悪いけどこれに関しては井沢大先生に一票だね!下層民の負けwww
>>140 君、あの日本史板にいた東大生か・・・・
連載を読んでないだろうからあれだが、井沢氏もそんなことは書いてないよ。
>>140 ムチャクチャ暴論だが・・・・・・で、デキる・・・・・・!?
おい東大生!
おまいまさか自演なんて下層民のやること、やっていないだろうなw
松平アナウンサーかよw
どうせならマツケンにした方が芸が細かいと思われw
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:37:41
しゃちょ、来ないね
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:48:04
>>143 自演?
自分に自信がないから演じるの?
俺は誰が何と言おうが事実は変わらないから平気なんだよ〜!
平気じゃない人は諦めた方がいいよ!!
オーレーオーレェー(、ジャカジャカジャン)マツケンサンバー♪
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:58:53
オーレーオレーェー・・・・・・・・・俺は東大♪
>>129 多分「天人相関説」を使ってくるんじゃなかろーかと思う
>>119 取り敢えず、楠木正成の例を持ち出すのが如何に不適切で愚かなことかは理解していただけたでしょうか?(笑)
応仁の乱については、答えは簡単です
ある一定の期間、兵が農業という生業から引き離されていたとしても、食っていけたいう意味で「兵農分離」が出来ていたということですよ
>>125 なるほどね
確かにそういう批判ならありうるな
しかし、相手は利害が対立してる上に、思想的にガチに固まっちゃってて、自身の手で二度までも田沼を刺し殺そうと思ったという男だぞ(笑)
>>121 確かに、どんな下手な政策であっても“政策”には違いない(笑)
問題は、その政策の当否だろう
例えば、現代の政治家が「財政赤字は赤字国債を発行し続けて補えばよい」なんて云ったとしたら、「そんなん政策と呼べるような代物じゃねえッ!」くらいは言いたくなるだろう(笑)
さて、正徳金銀については白石自身が、それは宗教的信念に基づくものであると吐露している
だとすれば、以前私が述べたように、正徳新令の制定が彼の貨幣政策の延長線上にあるものだとしたら、正徳新令もまた彼の宗教的信念の産物であると言っても間違いではないのではないか
152の続き
もう一つ別口から
昨日私が紹介した、金銀の海外流出問題は白石の時代には既にほぼ解決済みだったという見解が正しいものだとすれば、長崎新令はその政策目的の大義名分を失ってしまうではないか!
そうなると、残るはただ彼の宗教的信念でしかないと言っても過言ではないと言えるのではないか
また、白石の金銀の海外流出量の計算はデタラメだったという見解もある
だとしたら、錯誤であるにせよ欺瞞であるにせよ、彼をしてそうさせたのはやはり、彼の宗教的信念であるとは考えられないか
以上、白石の経済政策が合理的思考によるものであったのか、それとも宗教的信念に基づくものであったのかについて自分なりに考えてみた
>>140 あなたの仰る通り、この史料の採用にあたってはチチングの立場を考慮する必要があります
しかし、これまでの田沼の評価のもととなった史料は、一方的に反対派のものに偏っていたということを忘れてはなりません
井沢としては、そうでない別の見解が存在することを示すことができれば、実はそれで充分なんです
それを示すことでようやく田沼を評価するための史料がある程度出揃って、ようやく総合的な判断という段階に進めるわけです
もちろん、人物論だけでなく、彼の経済政策の評価も含めてね
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 02:19:57
>>153 うんそうだねw
でもさ、新井白石さんの場合シドッチと話をしたというのがあるから。
綱吉の頃の実績というのもあるんだけど、当時はそうした政策という
のはみ〜んな場当たり的なものでさ♪
で、白石みたいな理屈っぽいオッサンにはそれがどうにも我慢ならないんだよ
それがシドッチと会って裏話を聞いてナルホド!と思ったはずなんだ
そうか!それで日本から銀が流出していたんだなって
あのさ、当時は金ではなく確か銀の流出だよ!秀吉の頃は金流出だけど
それで理屈だけがとりえのオッサンは現状なんか無視だよ
シドッチの話をそのまんま真に受けて新例を作ったw
金はね、流出も何も絶対量が不足している!相対的に銀が安くなって
流出しているんだw
これも効果も何もないだろうね!シドッチだって経済に精通している
わけじゃないしかなり前の話をしているはずだから
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 02:39:32
なんか知らんがいろいろなキャラが現れてきたなw
これ、良スレと言って良いのかな?
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 12:42:59
しゃちょ
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 17:39:09
戦国の兵農分離なら嚆矢は朝倉だろう
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:57:40
信長はパクリの天才
何か日本史板が見るに耐えないのですが。
難民板と日本史板に分かれてから有意義な意見交換をする効果が半減。
どこかで統一しませんか?
(あっちにも同じ事を書いてきました)
>>149 「浅間しや富士より高き米相場 火のふる江戸に砂の降とは」
を使ってくるねw
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 22:48:29
分かれている方が良いんじゃないの?
向こうはウヨサヨとかブサヨとか誹謗中傷ばっかり
最近覗いてみたらお子ちゃまがどうとか書いているし。
統一不要
意見が面白い方が良スレ
競ってみるもの面白いかも
文句があるなら書きにいけばよい、勝手だしw
結果沢山の意見が出るならいい
どうせ次は儒教と庶民の関わりについて滔々と語るのではないかしらん
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 03:34:53
井沢はトンデモ
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 03:44:04
2つあると展開が違っておもしろいじゃん
逆説のパラレルワールド・・・
社長、早く「もうひとつの逆説」書いてね
>>152 >問題は、その政策の当否だろう
ってそれは「当否」があると考えているだけで吉宗の政策と赤字国債とは何の関係もないぞ。
当否があると考えていない奴なんていないよバカかおまえはw
それ以外の内容は自分なりと言いながらイザワマンセー
感化されて自分なりというのは笑うしかないか。
あ、だから(笑)なんだなw
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 15:28:45
まだ田沼か?
その辺りは、田沼意次、一橋治済、松平定信ワンセットだろう。
個々にあげつらっても歴史の真実は見えてこないぞ。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 16:58:29
>>150 このオジサンは哀れだね。無視されたら理解してもらえたと
勘違いしていたようだが。
>>117 >彼の戦力の中核はいわゆる悪党といわれる人々で、もともと土地(農業)に縛られた集団ではないよ
それなら「兵農分離」だろうw何を考えているんだ?
そりゃそうだろ・・・と無視してたら
>取り敢えず、楠木正成の例を持ち出すのが如何に不適切で愚かなことかは理解していただけたでしょうか?(笑)
と来たもんだ。
土地(農業)に縛られるから兵農は分離できないのであって・・・アホらし。
井沢の論理にマンセーしたくなくても結果すり寄ってしまっているという
最悪のトンデモパターンだな。たぶん井沢賛否に関わらず無視されるタチだろ?
一応優しく教えておいてやるよw
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 18:34:11
やっぱ井沢や堺屋では歴史は語れないなw
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 18:51:51
誹謗中傷なら日本史板でやれw
どっちにしたってもう井沢元彦なんて飽きられているし忘れられつつあるよ。
連載中はついて逝こうなんて賛成でも反対でもバカだろ。
>>170 まぁ
>>150のバカは織田信長が兵農分離の嚆矢ではないと認めたんだよw
許してやれww
感化されている癖にそれをプライドが許さないだけなんだろなw
笑うしか能のない奴だw
(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
orz
>>168 ああ(笑)そこはあなたが長崎新令は経済政策だと強調したのを受けてのものですよ
勘違いさせて申し訳ない
倹約令? 実は私は倹約令などというものはあまり重視してないのですが、倹約令は財政的にはプラスだろうが、経済政策としてはマイナスの面もあるという一般論だけ述べるにとどめておきます
井沢マンセー?
実は、私は『逆説』で正徳新令を扱っているところは未読なんですが……どの辺が似てるのでしょうか?
それに、井沢は『逆説』では長崎新令を取り上げていないとここで聞いたのですが……どうなんでしょう?
まあ、私は井沢の方法論をできうる限り吸収したいと考えていますから、そう仰っていただけるのは誠に結構なことだと思っております(笑)
>>170>>174 はっきり言いましょう
井沢の「兵農分離」に関する言説には誤りがありますよ
ただし、織田の戦力が「兵農分離」によって強化されていたのは事実だと思います
わけわからん?
でしょうね(笑)
実は「兵農分離」という概念は三つに分割するべきなのです
それをごちゃ混ぜにしているから、話がおかしくなるのです
まあ、ここでは建設的な意見交換ができるとも思えませんからこれ以上はやりません
近いうちに他所でやるつもりですので悪しからず
この人の論は思想と概説と私観がいびつに混じってるイメージだなあ。
歴史を史料でなく辻褄で考えた一例なんだと思う。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 00:21:58
俺は逆説の日本史は好きだけどな。
あの本で知った事って一杯あるしね。
まぁ批判したい奴はすればいいと思うけど、せめて呼び捨てはやめろよ。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 05:41:47
>>179 呼び捨てって「井沢」とか書くことか?
ではあんたは何と書く? 書いてもいないようだが。
俺は好きな作家を挙げるときでも呼び捨てだ。
また、歴史上の人物を指すときも。
いちいち「信長公」などとは言わないし、書かないが、何か問題があるのか?
まあ批判したい奴はすれば良いと思うが、自分の価値観だけで世の中が動いていると思うなよ。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 05:50:33
>>177 他所でやることをわざわざ書きに来る心底は何だろう?
せっかく良い意見を書いても、そのような感情を含めてしまうことや、何等かの効果を狙うことが浅ましいことだと気がつけよ。
他人を貶めることは、結局自分を貶めることでもあるんだ。
俺は例えば井沢の意見を批判することが多いが、井沢を貶めるつもりはない。
意見の賛否は相手を貶めることではないが、例え賛意を示していても結果的に貶める行為はいくらもある。
自分がなぜ意見を表明したり他人の意見を読んだりするのか、そのこと自体を考え直してみてはどうだろう?
>>179 おそらく儒教の立場からお書きになっているのでしょう。
先人は敬わねばならないと。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 14:02:32
伊沢氏とか伊沢さん、とか書かない?
敬省略とでも書けば別だけどさ。
自分より年上の人間に対して敬語を使うのは日本では当たり前じゃないのかな?
最近その風潮は崩れてるけど…
直接相対したら敬語で話するんじゃないの?
自分の価値観で世の中動いていると思っているのは180。あなたでしょ。
2ちゃんで礼儀だ何だと書くのは野暮だと思うけどな
たぶん敬称なんて取るにたらんが井沢を伊沢と書く方が失礼だろうなw
確かに2ちゃんで礼儀や敬語を言うのは俺が馬鹿だった。
伊沢はたんなる間違え。
すいませんでした。
でも、歴史上の人物と生きてる人を一緒にする180の考えは分からん。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 21:35:13
>>185 今の作家でも同じ。石原慎太郎でも田中康夫でも書く場合は呼び捨てだな。
その場合、呼び捨てはある種の敬意だ。硬派というと言い過ぎだが、「石原さん」という呼び方をして彼の硬派な意見を紹介したり論評したりしたらどうなるか。
ドッチラケじゃないかな?
「井沢の論理にはここに問題があると思う」という表現で展開するのはひとかどの人物に対するひとつの表現だ。
それで「呼び捨てとは何事!?」というのはどうだろう。俺は井沢と面と向かって話をした事はないが、面と向かうことを意識しているのなら、一度本人に会って感想を求めてみたらどうかな?
「井沢さん」とか読んで貰わないと不愉快になる人物なのだろうか?
もしそうなら、俺は井沢元彦に対する人物評(ここではそんなことはやっていない、逆説の日本史評だが)を大幅に修正するが。
それでもなお、「井沢氏」という表現があるだろうが!? などと言い張るのなら、それはもう「大きなお世話」だろうな。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 21:48:16
高校野球の選手を「○○君」とアナウンスするが
プロ野球選手は呼び捨てにするのと同じ理屈じゃ
ないかな。相手は一人前の人間なんだし。
もちろん国会議員も院内では君づけだから、何か
決まりがあってそうするというものじゃない。
ただ呼び捨てイコール侮蔑じゃないのは確か。
面倒臭いから、
「以下、敬称略」
で
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:11:00
以上w
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:16:31
このスレにも荒らしが現れたね。
慇懃無礼な敬称ヲタ。
ところで田沼意次についてはどういう評価になるんだろう?
自分はそれを期待して井沢スレに来たんですが。
井沢スレには期待しても良いが井沢氏に期待するのは???
とにかく反儒教という考えから田沼意次を相対的に見ているので田沼意次そのものの評価というのは間接的に考えていくようです。
期待したいなら、まずは自分の田沼意次に対する考え方を提示してみてはどうでしょうか?
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 10:57:28
確かに天人相関説を根拠に田沼意次が門閥の一派から指弾されたのは間違いない。
しかしそれでも田沼の政策は失政部分があって致命傷になったこと明らかだろう。
今週は連載もグシュグシュ。風邪かな?
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 01:01:31
家治は気宇壮大な気風を持っていて、祖父である吉宗の期待も大きかったらしいのだが、実際は意次に「押し込め」に遭っていたのだろう。
田沼意次の価値観を考えるときに結構興味深いテーマなので、いろいろ意見を聞きたいから、敢えて自分の意見を言い切ってしまおう。
多分、田沼は君臣の秩序なんていう従来の価値観に「辟易」していたのだろう。才覚や能力がある人間が何故台頭できないのか。
根っからの逆臣ではなかったと思うが、儒教(特に朱子学)的な価値観でいろいろいう奴(従来からだが、特に改革路線・松平定信なんかは最悪?)も多い中でそういうものに対する忌避感が拡大して行ったのは間違いないと思う。
そういう人間をまとめて言えば「門閥」なんだろうが、それを「排除」はしない、できない? は興味あるところ。
意次にとっては、将軍も、いや将軍位こそ門閥の最たるものとも考えられるのでは?
反門閥ではない。しかし、門閥の考え方では、門閥にとってもダメだと意次は考えていて、だから俺のような実力派に任せておけよ、みんなが良くなるようにしてみせるから、という位の考え方ではなかったか。
「賄賂やカネ」と「忠義」に対する独自の考え方も残っているが、田沼にとっての「良い」とは何かを考えてみるのも面白そうだ。
井沢パパを仕事中に見かけた事がある。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 01:05:41
ある意味、田沼意次も門閥も「現状肯定」なんだろ。
17世紀初頭から19世紀半ばまでが江戸時代だが、18世紀という時点は、ほぼ真ん中に当たる。
まだ江戸幕府という体制そのものを疑問視するという発想は出てこない。
享保や寛政の改革にしても、田沼意次の政治にしても「改革」には違いない。内容が正反対ではあるが。
吉宗の政治の継承者は定信だという意見があるが、大勘違い。
意次の印旛沼開拓は、吉宗の政策を引き継いだものだし、
その人材登用は、吉宗が用いた紀伊系幕臣団の2世を多く登用しているそうだ。
倹約令など吉宗の緊縮財政路線さえ、最初は踏襲した。
ただ不景気が拡大して、のちに重商主義へと路線変更しただけ。
意次の吉宗〜家重〜家治〜家基への忠誠心は生涯変わらなかったと思うな。
>>195 田沼意次の政策も松平定信の政策も、吉宗の政策の双子の派生形と考えた方が良いと思います。
両者はまったく相容れないようですが、共に享保の改革の内容の派生形ですよ。
>>196 >意次の吉宗〜家重〜家治〜家基への忠誠心は生涯変わらなかったと思うな。
この通りだとするとやはり意次も儒教の影響を受けてるんだよな。
なんで井沢は意次の儒教分析はいないんだろう。片手落ちだ。
「儒教の影響」というのをぶっちゃけどう捉えるかでしょうね。
例えば現代に生きている私たちは「資本主義社会」の影響を受けている。
ではみなが資本の権化なのかという話だと思うが。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 12:31:05
結局、儒教忌避の主張は結構なのだが、そのことと江戸中期の経済政策、特に三大改革と田沼政治の違いとか特色とは別問題だという事だな。
松平定信の思想統制は事実だろうが、それを改革全体にまで波及させて論じるのは現実的ではない。
>>199 つまりそういうことですよ。
儒教による批判を行う限り、誉めている人間に対しても同様の分析が必要。
アホかいな
同じ共産主義者なら、毛沢東も四人組も周恩来もトウ小平も皆同じだとでも?
誰も言っていないことをアホといわれてもなw
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 21:45:39
儒教を巡る話になっているようだが、現代の日本社会はもう儒教による影響はない。
そういう考えを標榜しても時代錯誤としか思われないだろう。
ほとんど儒教反対にような考えが現代に現れるのは、朝鮮半島や中国を意識する場合に限られる。
あともうひとつは、江戸時代そのものを分析しようとした時なのだが、ひとつの事実として言えるのは、
「儒教が広まった事により、少なくとも政治レベルでは『怨霊信仰』は駆逐された」
ということだろうな。良いとか悪いということではなく、ひとつの事実としてだ。
井沢は「日本の歴史は怨霊の歴史」という命題をかつて提示していた。
しかし、実際は儒教の為に怨霊信仰はその力を失ったともいえる。
このことは、既に逆説の日本史スレの13くらいで指摘があった。
「君子怪力乱神を語らず」という考えや、新井白石の「古史通」にあるような「神はヒトなり」という発想が、古代から続いてきた怨霊とか迷信に止めを刺したのだろう。
江戸時代は、安定した長期政権の下、秩序と泰平を継続した。そして怨霊信仰を政治や政策から限りなく駆逐した。
これはひとつの「儒教」の功績だろう。
井沢は綱吉の生類憐みの令や赤穂事件で怨霊信仰的展開を試みたが、結局尻すぼみに終わっている。
(連載にない部分を、実は忠臣蔵分析のところで追加したりしているが、徒労に見える。)
もちろん、俺は儒教など支持したりしない。しかし、ものごとの表裏はどちらも客観的に見る必要があるだろうと思う。
そして、これは井沢も書いていたはずだが、江戸幕府が衰退した際に、それに止めを指したのも朱子学の教えである
「尊皇攘夷」
だった。
むー相変わらず長い人がいますね。
儒教について書いてるのは儒教をもっと分析しる
等と言いたいのではない。
儒教無しでも十分分析できるだろうに、ことさら儒教を持ち出すのは自説のためのネタでしかないと言いたかったのだ。
しかし何だ今週の米本位制は、前の連載にもあったけどいささか妄想じみた話だった。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 23:15:25
>>205 >儒教を持ち出すのは自説のためのネタ
もちろんそれには同意だ。それは随分前から何度か書いているが、同じネタなら客観的な観点はどうだということだ。
井沢は、ただ儒教が嫌いだというだけではなく、今までも長く見ていると一応随所で踏み込んではいる。
「ビーフカレー朱子学」の考え方がどうかはともかく、一通りの内容は押さえている。
だが、いくら掘り下げても一面を見ている部分から抜け出ていないところがある。
>>204はそれに対する他の面を書いたまで。
ただし、俺も江戸中期の経済政策に関しては、儒教はほとんど主ではない。
これは
>>200で既に書いた。
それで、経済政策の包括的な見解は、日本史板の前スレで結論を書いたので、繰り返すかはこれ以降次第だな。
米本位制と井沢が書いている部分については、別途書くつもりだが、妄想というか、あれでは田沼も他の改革もどっちもどっちという事を自分で示してしまっており、腰砕けの印象を持ったな。
>>206 米本位制は別の話として
田沼改革が飢饉のために挫折して、庶民(主に農民)の反感を勝ったのは
儒教の天の考えって言う説明はどうよ?
現代だって天災によって政策が頓挫したら為政者が責められるのは当然。
天災に対して十分な対策が出来なかったのならやはり責められるのは当然。
これも儒教いらないよな。
>>204 作家や歴史家のレトリックにいちいち噛みついてもね(笑)
「日本の歴史は怨霊の歴史」というのは、「思想宗教的知識の欠如、もしくはそれらの側面の軽視」に包含されるべきヴァリエーションの一つに過ぎませんよ
そして、現代人が思想宗教の影響からまったく解放されているなどという考えは、現代人の現代人らしい錯覚に過ぎないでしょう
それに、江戸時代の著名な儒者は皆鬼神を取り扱っていますし、さらに視野を広げて思想史的にみれば、鬼神論は儒学の主要テーマであったとさえ言えます
さあここで「逆説」の出番ですよ(笑)
どうして孔子は「怪力乱神を語らず」などと、わざわざ言わなければならなかったのでしょうか?
それはね、実は儒教が「天」や「祖霊」を扱う関係上、常に怪力乱神を語らずにはすまなかったからなのですよ(笑)
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 23:44:11
>>207 天人相関説だな。
確かに儒教の場合はそう考えられていた、という「説」もある。
だが、逆にあなたの場合は儒教いらないの固定観念が先行しているな。
普通に考えて要らなければ良いし、一応考えてみて不要だったでも良いが、要らない、という予定調和はどうかと思うぞ。
それは井沢と逆の考えを持つ、同一の論理になってしまうだけだと思えるが。
それで、上記で言った「説」だが、これは儒教の一般的な見解ではない。そして井沢の独自説でもない。
これも小室直樹だ。随分古いのだが、80年代後半に「資本主義中国の挑戦」という著書が出ている。
当時にこれだけの論理を展開して、今日の中国を予見した小室の論理は驚嘆しても良いくらいだが、井沢のはそれのコピーだよ。
儒教は「天」という概念を重んじる為に、そこから派生する迷信もある(怨霊信仰ほどはないが、現代科学ほどの合理性もない)為、現代で考えればおかしな見解も成立してしまう。
しかし、「天災に対して十分な対策が出来なかった」事に対する責任糾弾という観点も存在する。
儒教が悪いのではなく、儒教に対する偏見が天人相関説のうちの、上記の「説」だ。
尤も小室はそれを「主張」しているのではなく、客観的な分析結果のひとつとして提示しているに過ぎない。
井沢の場合は、その小室説を自分の主張の為に使っているんだよ。
>>200 新井白石はその自著の中で、正徳金銀を導入する政策理由が儒教思想によるものだと自ら告白していますが……これについては如何お考えでしょうか?
まあ白石は自覚的だったからあれですが、松平定信などの思想統制・風俗矯正政策は言うに及ばず、経済政策についても無自覚であったかも知れないとはいえ、思想宗教の影響を強く受けていると言わざるを得ないでしょう
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 00:01:36
ここで書いている人たち、別に答える必要はないが、年齢はどれくらいなんだろうか?
俺の場合は井沢より少し下で、ほぼ同年齢だ。だからおそらく、井沢が学生時代にベストセラーとなって読んだ本は、俺も同世代として多く読んでいる。
そういったこともあって、井沢の源流みたいなものをいつも感じてしまう。
そして、実を言うと、それはこれから後を考えた場合、もはや「時代遅れ」だ。
俺などはもう、社会的地位も得たし、あとは後進の指導や後に伝えていくことが主になりつつある立場だが、これからの人は、今更こんな考え方で目からウロコなんか落さないように。
井沢や俺などより若い世代は、もっと新しい考え方を切り開いていくべきだとマジに思うよ。
>>209 >だが、逆にあなたの場合は儒教いらないの固定観念が先行しているな。
それは違う。
井沢が通説に対して無理やり儒教的観念で否定するのが井沢の歴史解釈であれば
肯定するものに対しても同じく儒教的観念での分析が必要と言っている。
それがなければ、儒教を否定的説明の便法として用いているだけだと書いている。
飢饉に対する民衆の批判も儒教に基づくという分析があれば、これは田沼批判は儒教による偏見だと書いている。
これは単なるイデオロギー批判であって歴史認識の問題ではない。
次週は松平名君は儒教による偏見となったら、逆説の日本史ではなく儒教批判の日本史になる。
儒教いらないと取られているとすれば、儒教による分析無しでも論述可能だと言っているからだろうが。
>>205 米本位性の部分が妄想じみているというが、少なくとも現代のマクロ経済学の話よりはずっとわかりやすい話だと思うが
自分の理解力の不足をもって、他人の言説を妄想呼ばわりするのはどうか
まあ確かに、俺なんかも時々混乱するので、書込は慎重にせざるをえないがなw
サンプロや朝なまで現代のマクロ経済の話をされたりすると、妄想のように聞こえるってのもわかることはわかるけどなw
思想が歴史に与える影響力を侮ってはいけないよ
今まではそれが扱われてなさすぎたんだ
言ってみれば、井沢は足らざるを補っているのであって、そのことがある種のバランスの悪さをもたらしているともいえる
しかし、井沢は井沢、それでいい
俺は、井沢に教科書的な通史など書いてもらいたいとはまったく思わない
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 00:18:45
>>210 それねえ・・・また書くのかと思ってしまうがw
実は井沢が新井白石の頃を連載している頃のこのシリーズ・スレでさかんに議論されたんだ。
まあ日本史板の方でね。
その中で出てきているので、日本史板過去スレを読んで欲しいのだが(俺のレスだけでない、もっと有意義な指摘も沢山出ていた)。
実は井沢ですら、新井白石の「立場」は確信犯だったと書いている。
俺はまったく逆の意味でそう考えたが、ごく簡単に(俺の見解の方を)言えば「儒教」は便宜、ということだ。
つまり儒教が主ではなく、政策が主であり、儒教を引き合いに出したのは、政策を正当化する手段だった、ということ。
それで、松平定信の場合は、その際は出ていないのだが、定信の場合は逆に吉宗の改革路線でありながら、違いを出すのはそれしかないのでは?
ということだろうか?
吉宗は儒教には殆ど拘っていない。むしろ吉宗は家康(東照神君)がベースだ。
そして、これは2ちゃんの「田沼意次を語るスレ」でも論議になったが、実は江戸幕府は儒教は「便宜」であって、幕府が主、儒教は手段に過ぎないということだ。
家康は林羅山に従ったのではなく、統治の便宜として林羅山を登用したに過ぎないからだ。
そして、定信の場合も統制の手段として活用しただけだが、吉宗とは違う独自色として「朱子学」がメインになるという展開になってしまったのではないか。
逆に言えば、定信は、他の政治家に比べてアドバンテージがなかったとも言えると思われるが。
実は、取り敢えずという感じで書いたが、経済政策の流れと併せて、ここでまとめてみようと考えてはいるが。
ま、若い奴は共産主義が“はしか”のように蔓延した不思議な時代が、ついこの間まであったことを知らんのだろうw
>>213 米本位制に現在のマネーサプライを当てはめているのが妄想と考えている。
豊作、米の流通量大→インフレ。豊作でも百姓は豊かにならない。
飢饉、米の流通量減→デフレ。飢餓者いっぱい。
物凄く単純な理屈に見えるが、米本位制でなくても飢饉なら餓死者は出るし、
豊作なら過分所得は増えるから少なくとも平年作よりも百姓は豊かになる。
米本位制なら貨幣についてのいままでの論述は大きな意味を持たないはず。
結局米本位制などという経済体制が成立している訳でもないのに自説のために作った
仮想経済体制において理屈を展開し、しかも分析を間違っている。
>>211 君子は豹変すべき(←元々は誉め言葉ね)
いつだって、どこだっていいんだよ
そして、それがまさに井沢のやっている仕事だ
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 00:38:15
>>213 >>217 実は俺も
>>217の方に同意なんだ。
それを「現代のマクロ経済学の話よりはずっとわかりやすい」というのは、マクロ経済が理解できない、と言っているのに過ぎないと考えられてしまうが。
「本位」という考え方には、基本的に「二元」はない。本位とは一元化を意味する概念だからだ。
ただ、都市と農村の経済構造の二面性というのはある。それは現代でも同じ。
ただし・・・これも田沼意次スレの過去ログでも読んで欲しいがw、幕府は「中央集権」ではないんだ。
それを前提に考える必要がある。
中央集権政治に出来ることが、幕府に出来ない。それはある意味「当たり前」の部分があり、それは改革だろうが、田沼の政策(重商主義というと語弊があるが)だろうが出来ない部分がある。
同様に、近代経済学では当然の政策でも、当時は試行錯誤でもやむを得ない部分が多い。
それでは、「歴史分析」ではなくなってしまう、という事も考慮して欲しい。
井沢氏の儒教嫌いは「ポーズ」でしょう。もっとも本人は嫌いだという自覚があるかも知れませんが。
新井白石の分析のことを書いた時の井沢氏の趣旨はこうです。
「徳川将軍が王者だという論理を装っているが、実は尊王である」
これは井沢氏にそっくりそのまま返されるのでは?
「儒教が嫌いだという論理を装っているが、実は儒教の論理である」
名君がどうだとか、豹変する君子が良いのだとするなら、口では反儒であっても、行動原理は儒教的なのかも知れないですね。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 17:13:53
ええねんでェ〜♪
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 22:18:53
>>221 面白い見解だな。
だが、ちょっと反論。というより、以下のような考え方もあることを一応提示しておこう。
出典を明らかにしておく。これも小室直樹だw 井沢もきっと読んで知っていると推定されるw
小室直樹のどの本かは忘れたが、小室直樹の分析の中に「教育勅語」についてがあった。
あの戦前の教育勅語だ。
結論から書くなら、「教育勅語は儒教的な表現だが、儒教ではない」というのが小室の結論。
確かに教育勅語は、漢文調で書かれているし、儒教の忠孝が概念として存在しているような展開をしている。
しかし、小室はそれを否定する。
その理由として小室が指摘しているのは、「正統性の創造をしているから」ということだ。
それはこういうことだ。
儒教の本質は「述べて造らず」。すなわち何が正しいことで何が誤っていることか、何が為すべきことで何を為してはならないのかは誰かが決めることではなく、それは予め決まっていることである。
(この発想が「天」にも通じるのだが)
すなわち正統性は予めあるものであり、誰かが規定した創造したりするものではない。儒教にあるのは、その予めあるものを「発見する」ことだけ。
だから、誰が言ったかは余り問題にはされない。孔子が言ったから正しいというものではなく、孔子が言った事は孔子が発見したことである。
これが儒教の考え(と小室直樹が分析している)。
それに対して例えばキリストの「山上の垂訓」などは、これはキリストが言ったから正しいのであって、それ以外の誰かが言うことだけでは正統性はない。
何故なら、キリストは神の預言者でもあり、神の具現形でもあるから。
そして、教育勅語もこれに近いものである。何故なら、天皇が言ったから正統性を持つものだからだ。
この考え方からすれば、儒教的な表現を使用したからと言って、考えまで儒教とは限らない事になる。
俺は日本史板の前スレ(逆説の日本史15)で「名君」という言葉を使うのは儒教だ、と書いた。
反論はいろいろ出たが、本質を突いたものはなかった。感情的なものか、屁理屈。
それに敢えて理論的に反論するとすれば、この小室直樹的な論理がそれに当たるだろう。
実は俺は、この考え方自体は半分賛成だが、半分疑問だ。表現を倣うと言う事にはある程度の意味があり、その表現が他人に与えるイメージの中にその考え方や概念も含まれる場合が多いと思われるからだ。
「忠孝」などと書かれて、儒教でないと言えるだろうか? ということだな。尤もこれはまだ俺も結論は出していない。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 00:04:53
かなりディープだなww
もう普通の井沢厨はついていけないだろ
でも井沢はこういう80年代の論理の劣化コピーなんだというのを知っておいて損はないなw
>>224 どうなんでしょう。反論されたから言う訳ではないですが、儒教も正統性の創造ってやってませんか?
論語は「子曰く・・・」という表現が多いですが、これは孔子が言ったからというのが正統性になっていませんか?
ひとつお願いだが、社長なのか、ヨイショ社員なのか良くわからないからさ。
名前欄になんか入れてよ。
>>226はいったい何なんだコレ?
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 10:49:33
>>227 宗教家なんてみんなそうだろう。俺もだから、小室直樹の論理を全部受け入れている訳ではない。
正統性がないのに信じろとは言えないからな。何等かの形で正統性は想像されているものが宗教なんだと思う。
だが、敢えて言うならそういった「正統性」を「正当性」にしてしまうのは、本人(教祖とか)ではなく、むしろ周りの人間だ。
キリスト教の教えもイエスの死後に十二使徒が広めた。仏教にしても釈迦(ゴータマ)の教えを周りが広めた。
論語にしてもそうだ。弟子たちの手によるものだ。
ある考え方があって、その是非が問われるとき、当人は案外、是も非も普通に考えるものだと思う。
ところが、周りの人間が利害に絡んだり、または利害がなくても下手に心酔(批判的精神を失う、という意味)してしまった時に、頑なな宗旨を持つ宗教に変貌していくのだろう。
>>228 >>226のいうことは分かるが、俺でもないし、社員でもないだろう。社員には俺が井沢スレで書いているなんて言った事はないし、またこれを読んだだけで俺がどの会社の社長かなど知る由もない。
ひとつお願いだが、「何なんだコレ?」ではあんたの感情しか伝わってこない。
出来れば意見の形でお願いしたい。どう考えているのかを伝えてもらいたいところだ。
このレスで書いた通り、目立つ存在の周りにヨイショがつくのは常なので、そう勘違いするのも無理はないと思うが、
>>226は単に自分で書いただけだと思うぞ。
俺は感情を抑えて、理性で表現することをある程度以上の年齢の人間にはやって貰いたいと思っている。
それは納得w
井沢元彦も批判は聞くだろうが井沢厨はかたくなで批判には感情的になる
それで自分自身は井沢マンセーで批判するだけの思考力がないw
>>193 ん〜う!? なかなか挑発的で斬新な意見だネ。
でもネ、何より意次の権威の源泉は、家重・家治父子の全幅に近い信任にあったから、
家治を「押し込める」必要などまったくなかったと思うな。
意次は何も徳川政権の乗っ取りを考えていたわけじゃないんだから。
意次は政治家としては理念型だったが、なかなかどうして実際面ではマキァベリストでもあったから、
無能な門閥派が幕政を牛耳ってきたことに忸怩としながも、血縁を結んだりして取り込むことは考えても、
「排除」みたいな極端な志向はもともとなかったと思うな。
改革志向の強い将軍は、綱吉、家宣、吉宗、慶喜など成人後に他家から入った連中だ。
(15歳と13歳で入嗣した家斉と家茂は、政見を持ちまでに至っていない)
彼らはいずれも将軍の有力後継候補として、政権構想をずっと温めてきた経緯がある。
そうした彼の下では、側用人も将軍の意を迎えることに汲々としがち。
その点、家治は生まれながらの将軍として、聡明の聞こえ高いが、温厚に育って果断な政治を
自ら断行する気力に欠けた。
だからこそ、家重の遺言もあって、有能な田沼意次を信頼し、彼に政治を委任した。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 12:35:11
>>232 家斉の改革志向とは、係累を増やすことで徳川家の力を増すこと。
そのために必要なのは子作りで、むしろ家康路線だな。
政策に見るべきものがないと考えるムキもあるが、当時は民主政治でないから、一概に定義できない。
権力志向一辺倒というのも「政策」だ。太政大臣にまでなっているから、無能な射精魔ではない。
家茂は政治見識はともかく(稚拙かも知れないが尊王家だったようだ)、長州征伐という、(大阪の陣を除けば)江戸幕府がやったことがない大名の討伐をやっている。
他の他家から入った将軍に比べたら霞むかも知れないが、それなりに面白い将軍たちだ。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 12:43:50
やっと儒教の話も一段落かな?
田沼意次が海外との通商を始めたら大変なことになっただろう。
この状況下で始めてはいけない。始めるにしても条件がある。
そして、その条件をクリアする為には幕府は根本的な戦略達成が必要だった。
それが、実は吉宗以来の戦略だった。
江戸幕府はその戦略目標を達成してからでないと、海外との通商は命取りになる。
では問題だw
その「戦略」とは何か、分かるかな?
>>234 問題みたいな形式に乗ってくる人はいないでしょう。
結局黒船の来航で通商しなければならなくなりました。
田沼の問題とは通商しようとしたことですか?
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 18:33:18
やあ!!下層民たち〜すっかり秋だけど冬に凍え死なないようにね〜!!
どれどれー・・・ミファソラシド!って簡単じゃん!!
>>234 幕藩体制のような状況で通商なんか始めたら幕府も儲かるかも知れないけど
それ以外の大名も通商を始めて儲けちゃうじゃんか!?
そうなったら幕府の権威なんて簡単に吹っ飛ぶよ!
幕府が一番儲けられるとは限らないもんね!徳川なんて関ヶ原と大坂で勝っただけじゃん?
いくら幕府が大名の通商は禁止する!って言ったってダメだよww
外国側が始めたら幕府のできることは要請だけで取り締まったり
拿捕したりできない〜!!
♪♪♪♪♪♪♪〜
井沢っていう人はその辺、どう言ってるわけ!??
あんたらをうまく騙して本を売って稼いでるからそれくらい分かっているんだろうケドww
あ〜それで!結局戦略ったって結果はできなかったんだよね!
答は幕藩体制をやめて、徳川家による中央集権国家の建設だよww
当たってる? 社長さん〜♪
乗ってきやがった・・・w
>>229 ヨイショ社員っていうのは単なる喩えですよ。本当に社員来てる様ならまともな会社じゃないわな。
何だコレっていうのは、
>>226って単なる厨房煽りだろ。そういうのを自作自演と思われたら社長が難儀でしょということ。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 20:50:29
ヨイショっとw
田沼意次は外国との通商も視野に入れていた、というのは多くの場合田沼意次のプラス面だと見るものですが、逆なんですか?
それだと本当の逆説ですね。
井沢氏さえ、その部分は史学と逆ではないのですが。
>>236 やっぱしこいつ・・・・・・暴論だが、デキル!
>>236 それを唱えたのが、幕末の小栗上野だったりするわけだが・・・
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 22:31:56
>>236 禿同
しかし井沢先生なら織田信長だったら出来たはずだと言いそうw
>>207 またまた新井白石の事例で申し訳ないが、白石は萩原重秀の政策は理解できないわけでもないのだが、富士山が噴火した以上、天の意は萩原と別にあったというような意味のことを述懐しています
つまり、白石にとって萩原の政策が悪いから富士山が噴火したというのは、彼の心理的精神的事実であったわけです
そのような論法が、現代の私たちからみていかに怪訝しかろうが、可笑しかろうが、当時の人々がそういう論法を使ったという事実はまったく動かせないのであって、あなたが現代から見て儒教抜きで説明できるとかできないとか言っても、実はあまり意味がないのです
結局、あなたの言うところは、まさに井沢のいう「思想宗教的知識の欠如」「思想宗教的側面の軽視」にあたるのだということをご理解ください
>>244 それ「曲解」。あなたの都合で勝手に変えないようにw
井沢氏の書いている日本の歴史学の三大欠陥とは、
1.日本史の呪術的側面の無視ないし軽視
2.滑稽ともいうべき史料至上主義
3.権威主義
ですよ。尤もこれに同意するかは別途ですが。
「思想宗教的知識の欠如」「思想宗教的側面の軽視」はあなたが言っていることで、井沢氏が言っていることではありません。
悪しからず。賛否いずれにせよ、「井沢のいう」と書く以上は、正しく書いてください。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 23:43:24
まさに話に尾鰭がつくとはこのことか?
しかし
>>245も一種の史料至上主義だなw
イザワの本は資料として扱ったら書いてあることがコロコロ変わって
ワケワカメだけんどなw
イザワみたいなのが後世現れたらイザワが書いたように
「逆説の日本史」は、太平記みたいに別の複数の作者が書いたものである
とか言いそうだw
>>224 要するに、明治政府の採用した儒教とは、儒教の宗教的側面を排除乃至希釈した倫理道徳ということだ
小室の言うように、それを儒教ではないと言ってしまうと極論の謗りを免れないであろうが、一応言いたいことはわかる
しかしながら、恐らくあなたは白石がその経済政策の採用の動機として表面上儒教の論理を用いていたとしても、それは方便に過ぎないという主張を弁護せんがためにこれを書いたのではないかと推察するが、ご自分でもおわかりなのであろうが、実は何の証明にもなってない
その理屈を使っても、白石は方便を使ったのかも知れないし、そうでなかったかも知れないと言う他はない
否否、むしろ彼がどれほど儒教の影響下にあったかという証明ですらある
それが方便であったとするならば、彼はその理屈が世間的に通用することを確信していたということにはなりませんか?
現代の私たちには通用しない理屈を彼が大真面目に主張していること自体、それが方便であろうとなかろうと、彼が思想宗教の強い影響下にあったという証左なのであります
また、政策評価の観点からも、白石の経済政策は当時の経済状況に対応したものとは考えにくいというのが私の見解です
>>217 > 結局米本位制などという経済体制が成立している訳でもないのに自説のために作った
仮想経済体制において理屈を展開し、しかも分析を間違っている。
> 米本位制なら貨幣についてのいままでの論述は大きな意味を持たないはず。
別に米本位制という言葉は井沢の独創ではないんだけどな
まさか、農民は年貢として米を納め、武士は給料として米を受け取っていたということも知らんのか?
また、以前流行した「日本の資本主義は土地本位制である」いうような言説で用いられた用法の場合でも、江戸時代において米が経済的信用の源泉であったことは間違いないだろ
こんな基本的なことがわかってないんじゃ次に進めないよ(それが狙いか?w)
もう一度勉強し直して出直してこい
そうだな…吉宗がどうして米将軍といわれるほどに米価の安定に心を配り、その対策としてどのような施策を行ったのか、いい例だからじっくり考えてみろ
>>244 それ話がループしてる。現代人が理解するために当時の思想を持ち出すのはいいんだよ。
それを専ら否定の材料に使うのは変だろうと言ってるだけだが。
>>236 鎖国の第一義的な目的はキリスト教対策であって、
鎖国によって幕府が貿易の利益を独占したために、幕府体制が長続きしたなんていう言説は、後付けの結果論でしかないよ
しかも、それは誤りだ
鎖国体制下にあって一番ボロ儲けしたのは幕府公認の琉球貿易と密貿易をやっていた薩摩藩じゃないか
しかも、鎖国体制で供給が限られていたからこそ薩摩藩はあれほどのボロ儲けができたんだよ
また、通商の統制は家康がやった朱印船貿易や奉書船制である程度可能である
さらに、幕府が本気で取り締まるつもりになれば密貿易もある程度は取り締まれる
実際、薩摩藩の場合でも「享保の唐崩れ」という事例がある
教科書には載ってないが、少し調べてみろ
>>248 ちゃんと読めよ。米本位制にマネーサプライを当てはめているのが妄想だといってるの。
>まさか、農民は年貢として米を納め、武士は給料として米を受け取っていたということも知らんのか?
それぐらいは常識。
>>217にそれに反することを書いたか?
>>245 おまいはどうやらモノを読む能力もないようだな
せめて、井沢が江戸時代の考察にあたって、儒教を取り扱ってるということだけでも理解できてればよかったのになw
まあ、頭の悪い香具師には、どっちが正しいかは「史料絶対主義」でなければわからんのだろうが、その場合でも悪いが俺の勝ちだ
近日中にきっちり引用を示してあげよう
ただし社長が怒らなければ、な(笑)
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 01:02:56
なんか一昔前のネラーがいるな
>>249 否定すべきは否定すればよい
それだけだ
物事には二元論では割り切れない面があるのは確かだが、それは否定的見解を排除しなければならないということを意味しない
物事には多面性というものがあるのも確かだが、物事を細分化すれば否定的な側面が存在するのはなんら不思議ではない
今まで肯定的な言説ばかりで、否定的な考察に欠けていたとするならば、否定的な言説が増えるのはやむを得ない
てかむしろ有意義
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 02:36:50
>>250 やっぱ下層民のいう事は情けないな〜♪
対策、なんてキリスト教そのものだと思ってるんだww
第一義も二義もないんだよ! 下層民はそうやって一面しか見れない
人もモノも、思想もカネもみ〜んなだよ!!
総合的に考えた上でひとつの方針や結論を出す!それが社会の上層部だよ!
下層民はその結果を自分の能力だけで見て、解ったような事をホザくだけww
薩摩がどうした? 解ってないなww
ましてや「ある程度」なんて言っちゃってるよ!!
書きながらもうダメだって解ってんじゃん!?
歴史だけを見てる奴ってとにかく事例!!
何かひとつあればそれがすべてを表すような幻想に浸るんだね!!
流石は下層民だwwwww
下層民がいやなら社会の上層に実際になってみなよ!??
そうすりゃ解るよ、下層民のままで上層の人間が考えることなんて
永遠に理解不能だからさww
俺は現実に上層にいる奴のいうことしか信じないよ〜だ!
下層民の分際で上層のことなど語るなんて過ぎ去った昔の話だからって
甘えてんじゃないよ〜♪
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 10:48:53
>>236 >>255 意見を書かない限りスルーだと日本史板の方でかつて書いたが、いろいろ意見を持っていたな。
さすがに東大生だな、論理的思考が出来ている。でなければ合格しないからな。
まさかそのような文章を答案に書いたとは思えないがw
それで問題の答だが・・・
大正解だ!! ただし「半分」だけなw 従って100点満点中の50点だ。
この採点の意味するところは、将来おまえは優秀な官僚や優れた社員になれるかも知れないが、このままでは一国を率いるような政治家や企業を率いる経営者にはなれない、ということだ。
田沼意次が、当時の状況のまま、経済政策だけを手直しして外国(特に西洋)との通商を始めた場合、問題はふたつある。
ひとつは
>>236で書いてある通りだ。これは「ひとつ挙げよ」という設問ならほぼ満点をやって良い。
幕藩体制のまま西洋との通商、すなわち幕末における開国のような事をしてしまったら、この問題が間違いなく出てくる。
そして、この問題をクリアするには「幕藩体制」から「中央集権」への転換が必要だ。これは田沼意次のような「官僚」には極めて難しいことだ。
だが、吉宗はこの方向で行きたかったのではないかと思えるふしがある。
江戸幕府は家康の晩年に成立した。更に15年近くかかってようやく豊臣氏を滅ぼした。だがそこで家康の寿命が尽きた。
家康のやり残した事、それが「豊臣恩顧大名の完全消去」と「それ以外の戦国以来の大大名の討伐」だ。
ただし、家康の頃の徳川なら、時間さえあればそれは可能なだけの戦力と指揮能力を持っていた。
その自信が家康をして貿易にも手を出すことを許容した。
しかし家康亡き後の幕府はそうしたものを許容する余裕はなくなった。ただし、家康が築き上げたシステムを稼動させて統制することだけは出来るようになっていた。
だから幕府は統制への道をひたすら進んだ。
現代、企業や組織は「内部統制」がひとつのブームになっている。システム的な観点からも組織構成の部分からも。
多くの経営者もかなり高度な手法を使って、この内部統制を指向し出している。
江戸幕府というシステムも、そうした内部統制上極めて有効に稼動するシステムのひとつだ。それが江戸中期までの流れだ。
豊臣恩顧大名の消去くらいまでは家康路線の延長でなんとか出来たが、薩摩、長州、土佐などにはもう簡単に手は出せない。
それだけでなく、経済の発展と幕府財政の逼迫という問題が出てきた。これらの課題にどう取り組むか。
それが徳川吉宗以降の課題だった。
おいおい続きを書いていこう。途中でも反論しても良い。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 10:54:52
そうだ。順序立てて書きたかったから書かなかったが、気になるだろうからふたつめの答を概要だけ書いておく。
答は「幕府を変質、下手をすると滅亡させるかも知れないが、幕府内に外様勢力を入れ、また貿易も国家権力でなく、商人主体でやらせる」
だな。これだけだと誤解を生みそうだが、上記のレスの続きの後に説明する。
歴史は繰り返す
また荒れて終わりな気がしてきた。
>>256 肝心なところをひとつ。
田沼意次は外国との通商をすべきだったのかすべきでなかったのか?
いずれにしても終わりだろ。
井沢なんてもうほとんど読まれていないよ。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 18:02:54
井沢なんていいから田沼意次の話をもっとやろうよ!
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 18:27:26
>>238 要するに俺が「社長」とかコテハンにすれば良いということか?
実は以前にそれをやった。日本史板の井沢元彦の逆説の日本史11スレだ。
(ちなみに同名のスレが今でも近代史板にあるが、ちょうどいろいろ書き出したのはその頃。
最初知らずに近代史板に書いて、日本史板に移った。考えてみれば当時も井沢スレは割れた時期だったのかも)
コテハンを鳥をつけずにやったところ、成りすまし攻撃に遭ってね。
鳥をつけようかとも思ったが、やめた。理由は二つ。
ひとつは不要印紙のようにコテハンで偏見の目で見られること。
ふたつめは、匿名掲示板だから書くこと。実名で書いたらえらい事になる(結構知られているのでね)し、ハンドル名は中途半端に思える。
何も名乗らずに書いて、内容から察してもらえるならそれが一番。
もちろん、自演だとか誤解されることもあるが、それは勝手に読み手が判断しているだけだ。
また逆に、読み手がどれくらい理解して読んでいるかも分かる。
だから俺は名乗りは持たずに書く。
>>264 了解した。
匿名掲示板なら肩書きより書き込みの内容で語るのが正しい。
だが、レスを不用意につけたくない書き込みもあるのは事実で悩むところ
正直
>>254も社長かどうか思い悩んでいる。
俺は井沢の儒教的側面分析は不十分でしっかりやるか、さもなくば儒教に触れぬほうが
論理展開として望ましいと書いている者だが、単レスしか読まないものにレス返しても
同じ事を何度も言うのは疲れるんだ。
自分は便宜的にレス番コテぐらいなら使うけども、成りすましがでるのは仕方ないかもな。
>>256 あ、段々見えてきました。東大生君のは文章が読みにくくて・・・
江戸幕府は徳川家の軍事的優位から成立して、軍事的な戦国時代は終わったものの、経済を野放しにしたり、迂闊に通商を認めたりすると経済的な戦国時代を招来してしまうということでしょうか。
田沼意次はそれをやってしまって失敗したわけではないですから解っていたとは思いますが。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 20:38:55
その、あの、そう、そうだよw
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 21:43:18
>>268 そうした意見は面白いと思うが、ちょっとスレチかも知れないな。
コシャマインとかのスレがあるからそこで紹介してみたらどうだろう?
>>268 逆説の日本史との関連でいうなら「ケガレ」の発想の根源に関わる部分だと思いますね。
縄文人に対して弥生人が抱いた「差別感情」がケガレの原因であると私は考えています。
それが「皮革業者」や「部落」への差別ともリンクしているとも。
日本人の起源を改めて考えてみても良いかもしれません。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 00:14:52
うむ
部落と差別を切り離して考えられないのがもうね。
なぜ象徴という観念を持ち込まねばならなかったかで答えが出てるのに。
間飛び過ぎ
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 08:35:21
>>265 >>254は俺の書き込みではない。断言しておくよ。
せめてもの識別として、これからはsageないで書く事にしようか。
何と驚愕の今週の内容。
田沼はスルーして一気に定信へ
そりゃないよキューピー
そして田沼の貨幣政策の集大成、南鐐二朱銀については
書かれてはいたが松平定信が廃止しやがったあぼーん
みたいな引き合いに出しているだけ。
内容的な間違いとかはないけど書き方がガッカリ。。
という感じでした。。
そんなに定信が、そして儒教が憎いのかね?
結論を言えば、田沼は失敗して定信も失敗した。それだけのこと。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 23:07:23
それだけでも良いのだが、書く以上もちっと書いておく。
南鐐二朱銀については、田沼意次の経済政策でも高い評価のようだな。
これはこのスレでも日本史板でも、また今回井沢元彦がプラス評価を書いたことでこの評価は動かないようだ。
俺もある意義は感じる。理由はここでも連載でも書かれた通りの一般的な評価という「面」でだ。
ひとことで言えば、「計数貨幣」と「金銀二貨(銅も入れて三貨制)」からの実質的な貨幣統一だ。
逆の面はないのか? ある。
南鐐二朱銀の評価を高い評価だけにしている人には、こう問いかけてみようか?
「あなたは、現在の変動相場制に基づく国際通貨の外国為替の実情はダメで、ニクソン・ショック以前の固定相場、金本位制の方が優れたシステムと考えているのか?」
田沼意次の南鐐二朱銀とは、そういった政策のことだが。もちろんメリットは十分理解した上での別の面での指摘だ。
もっと分かり易く書こうか。
「あなたは、国家が決めた料率による貨幣制度の方が、経済実勢を反映し各人の経済活動の結果として評価される流動的な評価よりも、より良い経済の仕組だと考えるのか?」
江戸時代の評価は評価で良い。それは俺もハンデキャップを考慮して、だから田沼意次はダメな政治家だ、などと短絡的でアフォな評価はしない。
しかし現代の価値観で考えるべきだという井沢の江戸時代における評価指標※を当て嵌めたらそういった視点になるはずだが。
田沼は統制型、現代の自由主義経済を善しとすれば問題があるという事になる。
(※・・・吉宗はそれで「バカ殿」にされた:尤も戦国時代は井沢は逆の評価指標=その時代の価値観でなければ正しい評価は出来ない〜を使用していたが)
もう少し踏み込んだ見解も持っているが、取り敢えずここで止めておこう。俺の主張とまでは行っていない。
分析する「面」として、このような面もある、という提示だ。
逆説以上の逆説だなw
だけど、最近しゃちょのホンネがだんだん解らなくなってきた。
>>277の考え方はひとつの客観視した考え方だとして
しゃちょの見解は賛成なのか反対なのかだけでも教えてほすぃ。
おいおい
なんか自称東大生が乱入してからみんな表現がヘンになってないかい?
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 00:26:55
松平定信がケチョンケチョンに書かれるのはもう予想通りだろ
上杉鷹山を引き合いに出してきたな
上杉鷹山を後程詳しく書くようなことを予告していたが
誰の説をパクルつもりなのか?
また堺屋太一じゃなかろうか???
そろそろ来るぜよ
一橋民部卿治済が・・・・・・・・・
まだ定信に行くの早過ぎるよ、井沢さぁん!
田沼意次と一橋治済の壮絶な暗闘を描いてくれないと!!
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 01:31:44
側用人の話でドクター・ストップがかかったようです。
編集部はもうこれ以上やるな。評判悪いからと。
田沼意次を書き過ぎると高めの評価で行かざるを得ないので
マニアの人はとにかく一般のサラリーマンには受けないと。
松平定信を叩く展開は週刊誌的に良いのです。
田沼を従来の悪役ではなく斬新な観点から叩けたら一番面白いのですが。
サラリーマンにもウンチクを与えながら
>>277みたいなネタがいいです
週刊誌を読む人はウンチクネタなら面白く読んでくれるんです
井沢氏は書くのは良いが出典を明らかにして欲しい(バレているけど)。
逆説の日本史で独自論展開はもはや中国・朝鮮半島・儒教の批判のみではないだろうか。
松平定信はともかく徳川吉宗をバカ殿呼ばわりして田沼意次をあげたってダメだろw
田沼意次の政策も吉宗に影響を受けた部分は多い。
儒教を攻撃したいためと尾張宗春を持ち上げたいためだけに逆説の日本史はボロボロになってしまった。
もう社長みたいなシロートの方が逆説度=多面的な歴史の観点提示は上回ってしまっている。
もう♪ 尾張だね〜♪ きーみが 小さく見ーえる♪
逆説の日本史はほとんど白身だけのゆで卵・・・・・・
逆説を読んで、井沢の元ネタを探るのもまた一興
もう昔みたいに井沢を真に受けるほど初じゃなくなったなぁ
俺も年取って知恵がついたってことか
>>277 社長の天の邪鬼振りはホントにおもろいなw
俺も一瞬考え込んじゃったし、もう少し考えてみるが、南鐐二朱銀に関して引き合いに出すとしたら、ヨーロッパの通貨統合の方が適切じゃないか?
それを踏まえて社長のFAを伺ってみたいものだ
>>286 おまいは歳くって耄碌したんだろ
年寄りは定説にでもしがみついてるのがお似合いだわw
中身のない罵倒はなしね
しゃちょはもう、本でも書きなさい。
本を執筆するといくらでもどこまでも書きたいことが書ける
なんだか実際書いてみたら井沢先生と瓜二つになったりしてw
>>277 ほんでもってマジレスするとして
>「あなたは、国家が決めた料率による貨幣制度の方が、経済実勢を反映し各人の経済活動
>の結果として評価される流動的な評価よりも、より良い経済の仕組だと考えるのか?」
確かに後者の方が自由主義経済だろうしいいんだろ。
でも統制経済は無秩序乱雑な一国二元本位通貨みたいなものよりマシと違うか?
ものごとには順序があるからいきなり自由主義経済にはならん。
まずは封建制?から商業が盛んになってきてそれから少しずつ。
>>285 それいっちゃ最初からだよw
でも井沢先生の人物評はメリハリが利いててええんとちゃう?
好き嫌いは人それぞれだから一致しなかったら不満かも試練
逆説だから余のメジャーな評価に阿らないんで。
しゃちょも井沢も天邪鬼w
だから多くの人は従来の評価と天邪鬼の評価を両方見たら
自分の評価を考え出すことができるのかも試練
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 22:31:47
ニュートンが柿ピーを食ったら何というだろうか?
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 23:00:06
∧,,,,,,∧
ミ,,´∀`彡ニャア〜♪
ミ ミつ
ミ,,,○,,,,,,,,,ミ
井沢さんってこのスレ読んでるの?
読んでるも何も社長って実は井沢元彦なんじゃないのか?
週刊ポストが編集方針がどうとか干渉が強くてストレス
それでここで好きなように書いている
いかにも逆説だもんなー
連載への批判はポストへの批判じゃないのか?
井沢は内容はともかく文章はわかり易いだろ。
何を言いたいかは明確だよ。だから素人でも叩ける。
だから矛盾点も解り易いですね。
以前(中世くらいまで)はもっと構想が練られていたと思うのですが、最近は場当たり的だと思えます。
忙しくて構想をほとんど練らないで書く事に追われているのでしょうか。
通史として残そうと井沢氏が考えているのなら、連載は隔週でも良いからしっかり構想を練ってから書いて欲しいですね。
>>296 そうなんですか?
井沢って呼び捨てだから?違うような気がしますが。
ただ、社長の文中の「井沢」を週刊ポストに置き換えたら、それらしく読めてしまって笑えてしまいましたがw
>>298 歴史というか記述内容についてではないから、日本史スレには向かないが避難所だからと言う理由で述べると。
連載も長期にわたると当初の井沢氏の考えていた「書きたかった逆説」が、一定の読者を獲得した現在においては、「書かなければならぬ逆説」になった。
これは当の井沢氏は明言できないだろうが、自身が一番わかっている事ではないだろうか。
途中から読み始めたからよくわからないけど
これって推理なの?
推理です(キッパリ)w
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 16:43:25
忠臣蔵がでたらめなのは常識なのに今更何を書いてるんだ!?
単行本を読んでそう思った。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 16:46:50
>>300 そんなこと最初から解ることだろう!?
明言しなくても誰でも解っているはずだ。
なりゆきでそうなったんじゃない。
そんないい加減な気持ちで始めたんじゃないだろう?
推理ひとつ満足に出来てない歴史学よりは、井沢の方が格段にいい。
>>303 『忠臣蔵』がフィクションなのは誰でも知ってるが、どこがなぜどのように史実と異なるのかを指摘できる人は意外といない。ときには歴史学者ですらね。
あなたはわかってますか?
>>304 何言ってるの?
いい加減とは言わないまでも、通史を最初から書くなら、今のように行き当たりばったりにはならないだろう?
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 20:21:04
>>306 アホか?
赤穂事件なんて、単なるあだ討ちのような討ち入り事件に過ぎない。
時代や歴史を変えたとかそのようなもんじゃない。
忠臣蔵という名作フィクションのソースになっただけだ。
歴史学的にはほとんど問題にしないのが正解。
「どこがなぜどのように史実と異なるのか」を推理してなんになる?
久々の・・・いや難民板では初の史学厨乱入ですか?
これは記念として拍手喝采でお迎えをせねば
パチパチパチ・・・・ヒューヒュー♪(AA略)
しかし史学論争なんてここでは成立しないよ!
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 22:05:31
>>308 禿同〜してあげるよ♪
もともと忠臣蔵なんて下層民が楽しむために作られたんだよ!
今でいえば上層の人間のスキャンダル 社会面ネタだよ
それを下層民は楽しむんだ〜!
それで今ではね 昔の下層民が楽しんだまんまじゃつまんないから
ちょっとリアルさを求めているだけだよ〜♪
井沢って人は元々TV記者で、そのあと推理作家なんだってね!?
つまりちょい上層からスピンアウトして下層民を楽しませてふんだくって
生きようとしたんだけど推理小説ではもう面白いと思われなくなったから
もう少し今風にリアルな路線を考えてみたんじゃないの?
本当の歴史を考える〜なんて触れ込みで実はやっていることはそれほど
変わらない もうかりゃ良いんだから一番受けるところを狙ったんだろね
狙われてるよ!下層民たちの懐〜♪ww
>>311 ほとんどの「高等」な歴史学のセンセー方は、一生蛸壺掘ってるだけなんですが……そんなん楽しいんでしょうかね(笑)
>>312 井沢以外では教科書しか浮かばないのが悲しいですねえw
せっかく井沢で興味を持ったんなら専門書のひとつくらい
読んだらどうですか?
井沢先生だってそうしていますよw
>>311 週刊ポストを毎週店頭で買って、単行本を年に1〜2回買うと
年間に2万円弱使う事になりますねえ。
>>314 いくら専門書を読んだところで、おまいのように満足な意見のひとつも言えないようではまったく意味がない。
低能は低能の分を守って無駄な労力と金は使わん方がいいぞ。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 23:26:08
>>315 他人の事を低脳とか迂闊に書かない方が良いぞ。
おまえの意見は満足なものなのか?
まあ自己満足なのは分かるが。
忠臣蔵が出てくるのは一番最近の単行本だからか。
連載ばかりでなくてこういう話題が出た方が良いと思うがな。
それで、忠臣蔵・赤穂事件についての井沢のアプローチだが、それでははっきり言って従来からすれば随分レベルダウンだ。
忠臣蔵が史実ではないのは誰もが知っている。でも史実との違いがそれほど問題になるものなのだろうか?
逆説の日本史を書き始めた当初の井沢なら、こんなレベルのアプローチはしなかったはずだな。
例えば、「オオクニヌシ」の話はウソだろう。特に国譲りの話は。
そして史学、特に昨今はだから考察するに値しない、という話になる(と書いていた)。
しかし、事実でなくても、以下の点で考察するに値する、と井沢は主張したはず。
1.すべて史実でないが、史実を伝えるものが少ない中で、その話の「史実でない部分」をはがしていけば、それは史実を解く手がかりになる。
2.史実があって、それからそのような話がなぜ作られたか、を考えることが、その後の歴史を考える事になる。
それで、井沢の逆説の日本史は、1.の場合は古代の場合に有用で、2.は歴史全般で重要な考え方だったはずだ。
ところが、だ。
忠臣蔵の話と赤穂事件の話の場合、1.に近い話か、または史実とフィクションの違いについてはいろいろ書かれているが、肝心の2.についての言及が殆ど為されていない。
つまり赤穂事件という歴史上のひとつの出来事が、何故「忠臣蔵」というそれ以降の多くの日本人の共感を得るようなお話のレベルに「昇華」したかについての考え方だ。
これが実は一番重要で、それ次第で忠臣蔵や赤穂事件の話のレベルは、史学以上かまたは別格のものになる。
そのウェートが(かつてに比べて)格段に少なくなっている。
古代とまでいわなくても、例えば「義経伝説」の話のときより、それへの言及はなくなってしまっているだろう。
そこに触れることが日本の「出来事の歴史」を超える「日本人の精神の歴史」だったはずだが。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 23:40:07
>>316 自己レスで敷衍しておく。実は書くかどうか迷ったがw
NHK(BS-hi)で数年前の暮れに赤穂浪士の特集をやった。
これがその点の言及をしていた。実を言うと、俺はその番組に出ていたがw
井沢はネタとしての価値観(最近言われた事は書かないとか)だけでなく、良いものは良いという角度で書いて欲しい。
それが全体の通史を書いた結果としては出来が良いはずだからだ。
>>316 社長いいこと言うな
特に2番だよな、やっぱり
アフォな低能連中によおく言い聞かせてやってくりw
『忠臣蔵』は戦後アメリカに、日本人の精神文化の根元の一つと見なされて、上演中止にされるほど後世に強い影響を与えてるんだよ、バカ
ま、井沢がここでそれを取り扱わなかったことには、俺は何の不審も不満もないがね
>>311 あはははは
実は東大生、陰で隠れて逆説の日本史を買って読んでいると見たw
忠臣蔵のお話は怨霊鎮魂なの?
>>321 否、井沢が『忠臣蔵』でやったのは、「虚構が虚構であることの証明」だよ
それで必要かつ充分
浅野ナガノリはバカ殿
それで十分
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 00:45:52
>>320 買わないよ〜だ!!
東京大学の図書館にあるよ♪
なんでこんな下層民向けの本があるのか解んないけど!
法学部の図書館は文学部と一緒だからだろうね!!
文学部なんてなんで東大にあるんだろ?と思えるくらいの
下層学部なんだけどね
あ?史学なんてのも文学部の下層民学科だよね!?
こんな勉強したって社会の支配者にはなれないよ〜だ♪
>>316 > そのような話がなぜ作られたか
>「日本人の精神の歴史」
だねぇ。
社長の良いところは、評価出来る所は評価し、そうでない所は遠慮なく叩くところだな。
あとは大上段に構えるところが無ければ、最高なんだがw
>>322 「虚構が虚構であることの証明」なら、井沢氏の歴史は単なる校正で何の主張もない事になるはずですが。
校正とも違うんじゃないの、虚構だと思っていない人間なんて少しずれた人だから
まともな読者に再度の証明することの意味?
なんだろう、自己満足なのかな?
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 22:08:37
>>318 >>322 >>325 論議は常に賛否両方があった方が面白いし、やり甲斐がある。
それも個々の意見が出る方が。
それで、井沢へのアンチテーゼとして俺なりの忠臣蔵論を書いても良いがおそらくつまらない。
いや、大体ここで読み書きしている人なら想像できるだろう。出来ない人は
>>317のDVDでも探して観てみれば良い。
もう少し論理で言えば踏み込めるが、結論的には似ているから。
もっと「逆説の日本史」にとって重要なテーマがある。
それは、
>>316の2.を「逆説の日本史」という著作そのものに対して適用した時、一体何が言えるか? だ。
これにも虚実がある。いや虚の部分はないと井沢支持者は言うかもしれないが、少なくともそれへの賛否はある。
今まで問題点を個々に指摘してきたのは、いわば
>>316の1.の作業をしてきたことに該当する。
そうすると、2.の方はどうなるのか?
これもいろいろな取り方がある。井沢の主義主張を正当化せんが為というのもある。
それを指摘してきた人もいる。しかしここは、敢えて歴史探求に絞ろう。
歴史の追及という観点で、この著作は何故書かれねばならなかったのか?
実は俺自身は、逆説の日本史とは、ただ一点を除いて、日本史の流れを大きく言い当てているとおもう。
ただし、その一点は致命的だ。その為に現在連載が進行中の江戸時代は展開が大きく狂っている。
これを正せば良い。
鎌倉時代の辺りからずっとその危機感を持っていたが、やっぱりそうなった、という感じだ。
その一点は、もうお分かりかもしれないw 「儒教の取り扱い」だ。
これを井沢は根本から違えてしまっている。ただし、言っておくが「賛否」ではない。賛否は展開がどうなろうが、ある。そうではなく、井沢の流れに本来儒教の登場は合致しており、儒教(特に朱子学)は日本の歴史に登場すべくして登場したんだ。
必然性(蓋然性でも良い)があった訳だから、これは歴史の重要な部分だ。
ここを補正すれば、逆説の日本史は、歴史学説の一派を為す存在として認めても良い。
どうすれば良いか?
俺は明日はちょっと早朝から多忙なので、本日の書き込みはこれまで。
ちょっと考えてみて欲しい。「怨霊信仰」と「仏教」と「儒教(朱子学)」だ。
これを日本史の流れに沿って体系付けてみて欲しいが。
(><)難しすぎる
スルーする
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 23:44:58
あ、今リロードしたらレスが・・・
自分は田沼意次の話題があるからとやって来たんですが
ちょっと井沢元彦なる人のことは解りません。
読む限りではかなり儒教が嫌いな人のようですね。
逆説って通説の逆ということですか?
あんまり逆のような気がしませんね。吉宗がバカ殿という
のは逆だと思いますが。
井沢の最大の逆説は名古屋を中心に世の中が回っていることw
これでおk?
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 00:11:56
>>328 社長〜♪
それは壮大な幻想だよ〜♪
何を言い出すかと思えばねえー!
要するに社長も井沢先生という人も人間の思いの原点みたいなのを
歴史の中に求めているんだろうけどさ!
現実はそうじゃないよ!
みんな現実逃避で宗教とか信じるんだよ!
他の人が用意した宗教とは限らないさ!
自分のポリシーとか主義主張とかさ
目的はなんなの〜???
自分を支えたいだけだよ!何とかしてさ
挫折したら また戦えば良いじゃん!?
戦うのをやめてそれでも負けた自分を支えるための言い訳集じゃん!
宗教なんて!
怨霊って何? オバケか何か?
それとも負けたまま救われなかった人?
救わなくてもいいじゃん!何で救わなきゃならないの?
死んじゃった人ならなおさら!!
そんなのが怨霊とかタタリとか言ってたら この世は怨霊だらけだよ!
勝利者なんて一握りだからね 俺みたいにww
だから物語とかフィクションとか過ぎ去った過去の歴史上のエライ人
にでもなったような幻想を抱いて麻痺していればいいんだよ!
ヤクなんかと同じだね!
運悪く負けただけでも また立ち上がって戦いを挑む人は
そんなの要らないよ!
連戦連勝で負けを知らない人もね!俺みたいに〜♪
負けたまま立ち上がらない人の慰めだよ!そんなのみ〜んな!!
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 00:14:55
社長は最低でも勝利者に一人だと思ってたけど
そんなこと言ってたら負けちゃうよ〜♪
>>332 相変わらずバカだな、おまいは
怨霊に恐れおののき、救いを求めたのは「勝者」の方だよ
俺もおまいみたいな怨霊を生み出しちまって、悪かったと思ってる
散々赤っ恥をかかせちゃってごみんに(笑)
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 00:54:26
>>334 バカだね〜あんたも♪
例え勝利者でも「負け」を意識したときから負けは始まるんだよ!!
自分が負けるかもしれない。勝者の座を狙われるかもしれない
そう思ったら、お願いだから許してピョーン!だよwww
そんなのがせっせと鎮魂を始めるんだよ!!
来るなら来て見ろ、いつだって相手になってやる!って奴が怨霊鎮魂
なんかするかよ、バ〜カ♪
>>330 吉宗がバカ殿だったとは思わないが、享保の改革の経済政策は必ずしも成功したとは言えない
まず、同じ享保の改革といっても、前期と後期ではその政策はまるで違う
真逆といっても過言ではない
しかしそれは、吉宗の政策の失敗を示すと同時に、吉宗の状況に対する柔軟な対応力を示すものであろう
また、結局吉宗は農業中心・米本位制の枠を超えることができなかったとされるが、彼の紀州藩主時代の経済政策は、商業が経済の大きなウェートを占める時代状況に対応したものだったと思う
将軍になってからは何故、それを採用できなかったのか、よく考えてみる必要があるだろう
そして、そういう流れの中で田沼の経済政策も捉えるべきだと思う
ついでに、
南鐐二朱銀を、単に通貨統一のための施策と捉えていては、その真価ははかれないよ
もっと大きな通貨政策の一環として位置付けないとね
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 01:10:49
>>337 口だけじゃん♪
もっと大きな通貨政策ってのを書かないと意味ないよ♪
>>336 享保の改革、徳川吉宗と言っても前半はベテラン老中水野忠之、
後半は二階級特進で大抜擢されたエリート老中松平乗邑が筆頭です。
自ずから性格も変わってくる。徳川家康と石田三成というと極端ですが、それくらい性格が違う筆頭老中ですからね。
また、吉宗の紀州藩主時代と将軍としての政治ですが、藩政と幕政ではかなり性格が違います。
経済政策なら藩政は「外交」に近いですが、幕政では「内なるもの」との対決です。
また地金主義による通貨発行権をもっている幕府とそうでない藩では対応策も全く違います。
採用できなかったというより、紀州藩政は幕府には通用しません。
逆に言えば、倹約とか農政など、通用した部分は有効に作用したのでしょう。
連投で書いてしまいますが、幕府も商業が発達するに伴って責任を負わねばならない範囲が増えたことが性格を変えたのだと思います。
成立時は、幕藩体制という大名連盟の盟主であれば良かった。
ですから最大の巨大大名が征夷大将軍であり、盟主としての役割が別途あるだけで、内政面は大名も将軍も相違はない状態でした。
しかし大坂や江戸が経済成長するに伴い、日本の中央政府としての役割を担わなければならなくなって、大名の盟主というだけではうまくいかなくなってきたということでしょうね。
>>335 東大生君は鋭いのは鋭いですね。
確かにその通りです。井沢氏の書いた内容でいうなら徳川家光みたいに
「文句があるなら腕で来い!」というような政治家なら、怨霊鎮魂などまったく不要です。
織田信長や豊臣秀吉もそうでしょう。
怨霊鎮魂は当事者というより、周りに対するアピールだと思います。
「周りに対するアピール」なら、信長や信玄などもやっています。
信長が熱田神宮で戦勝祈願を行なう、などという行為は「正義は我にあり」というアピールを周り(の生きている人間)に対して行っているので、神様にお願いしているだけではありません。
これは井沢氏が指摘していないことですが、怨霊鎮魂も出雲大社のことも、そういった観点も必要だと思います。
>>335 つまり怨霊怨霊だ徳の字だなんてホザイているような奴は負け犬ってことでおk?
和の精神のスレw
>>247 それこそ何の証明にもなっていないw
でも証明証明って三角形の合同条件でもここで論議するのかね?
>>328 それってもしかして、前に言ったことをまた繰り返すつもりですか?
(違ってたら申し訳ないが…)
言っとくけど、儒教が「怪力乱神を語ら」ないものだと思っているなら、悪いがそれは若干認識不足と言わざるを得ないよ
前にも書いたけど
>>338 悪いが俺にも話す人と場所を選ぶ権利があるんでな
はっきり言って、おまいは対象外だ
それを書くか書かないかは、社長とか田沼に興味がある人の反応次第
まあヒントくらいは出してもいいが、安売りはしないよ(笑)
>>341 まあよく聞く見解ではありますが、その程度の理解では享保の改革について何もわかってないと言うに等しいですね
まず、享保の改革の前期後期の政策の違いは、米と経済をめぐる問題に集中しており、他の施策はほぼ一貫しているといってよい
また、貨幣改鋳について吉宗は度々老中の建言を退けたとされ(後に採用)、また、株仲間??の組織については大岡の献策を一貫して退けています
つまり、そこには政策決定における吉宗の判断がはっきり見て取れるわけで、単に人が違うから政策も違うなどという見方は単純に過ぎるとしかいいようがないですね
後半については、あなたが言ってることは真逆です
貨幣発行権を持っていればこそできる…否、しなければならない政策があったのですが
貨幣改鋳がそれです
まあ、吉宗はやらなかったわけではないですがね
家臣の進言どおり、もっと早く着手すべきでした
>>343 別に鋭かないでしょう
そういう見方はよく聞くありきたりの話だと思いますが
俺なんかは子供の頃からそんな話は散々聞かされてるよ
「そんな迷信いくら昔の人でも信じてたわけねえ」
とかね
しかし今は、それはあまりにも一面的で、人間というものの理解に欠ける考え方だと思っています
まあ宗教的感覚に乏しい現代人にありがちな、実に浅薄な見解といえましょうか
別に私はそういった機能主義的?な見解が誤っていると主張するものではありませんがね(むしろ好むと言ってもよい)
しかし、若干現代的な理に傾きすぎている感なきにしもあらずだと思うのです
人を殺したり、罪なくして人を陥れた人間が、まったく疚しさや後ろめたさを感じないとは思いません
例えば、藤原道長が最後は仏にすがるようにして死んでいったことに、私は何のケレン味も感じることはできません
まあ、居たとしてもそれは特殊例でしょう
徳の字みたいな人でなしとかね(笑)
信長?
さあ…彼はどうでしょうかね(笑)
更に言えば、信じていたにせよ、別の目的があって信じている振りをしていたにせよ、いずれも宗教が人の行動を規定しているという一点はかわりはない
つまり、そういった観点からの分析は、人間や社会、歴史を理解するためになくてはならないものなのです
>>335 安保闘争の折り、学生に「専門バカ」といってつるし上げを喰ったある教授は、こう言い返したそうだ
「おまえらなんてただのバカじゃん♪」
まあ「勝者」になったつもりでいるだけの「ただのバカ」には、「勝者」の気持ちなんてのはわかろうはずもないがな(笑)
それと、おまいの言ってること前後で真逆だよw
そういうのはな、脊髄反射しかできない低級低能生物の証拠にしかならんから、これから精々気を付けるこった(笑)
おまいは日本史板へ強制送還が適当だと判断しますたよw
ついでに自称東大生も日本史板へ追放
ふたりだけでバトルやっててくらはい
本スレから参考コピペ 今時の一般的な学生への講義内容 既に3大改革と言う教え方では無いと?
ちょうどNHK-教育で幕府3大改革部分を放送していたので、日本史高校講座、どんな内容か見てみた。
お題は、『幕政改革を見直す』。
これまでの3大改革という見方に対して、享保の改革、田沼時代、寛政の改革を1セットの連続する流れとして
幕政改革を見直そうというもの。
吉宗享保の改革への評価〜主に米の増収
上米の制 諸大名から1万石につき100石を課税
税制変更 4公6民 → 5公5民 検見法→定免法
新田開発 180万石超え
他に、米市場開設、人材登用、倹約令、目安箱、洋書一部解禁
問題点〜年貢負担の増加と、米価格下落、幕府財政は好転せず。
田沼政治に関しては、発達してきた市場経済を元に幕府財政を従来の米本位制の貨幣財政による強化を目指した。
株仲間−で貨幣収入
長崎貿易−俵物(イリコ、フカヒレ)輸出で、貿易黒字化、ロシア貿易も目指す
貨幣−南鐐ニ朱銀で貨幣流通円滑化
他に、蝦夷地・新田開発
等の評価をして経済的な功績を積極的に評価
一方、低い地位からの出世した者、癒着・賄賂政治家と世情的な評価
まいない(賄賂)つぶれ〜かたつむりをもじった当時の風刺を紹介
この虫常は丸の内にはひ廻る 皆人銭出せ金だせまひ ないつぶれといふ
浅間山噴火など天変地異、将軍の死、反田沼勢力により、失脚
>>350 それでは吉宗には決断主体としての意思だけが認められ、それへの実効性がないと言っているのと同じですね。
話の主旨は、要は吉宗の判断でうまくいったものはなく、終始老中以下の進言通りにやっていれば良かったということに。
それはまさに、水野忠之や松平乗邑のウェートが大きかったと認めている事に他なりませんが。
あと他にあるとすれば、加納久通などの御側御用取次でしょうか。
何を否定し、何を主張したいのか、もう一度整理してもらえませんか?
たぶん、論議にもならないと思います。
>>355 あの、それは出来れば止めて下さい。
日本史板とここは別スレですから。
それを話題にしたければ、日本史板でやれば良いでしょう。
ここは、原則日本史板がイヤで移ってきた人がやり取りをしているという認識です。
尤も今や日本史板はすっかりスラムと化しているようですが、それは自業自得でしょう。
ここの人たちにも日本史板で書かれたことを話題にして欲しければ、日本史板の井沢スレをまともなスレとして運営してみて下さい。
このスレを立てた者よりの要望です。
ちなみにそのスレを荒らしが立てたと誤解している人がいますが、まったくの逆で、荒らしがイヤで別途立てたスレです。
>>357 荒らしはお前か?
よけーなことすんじゃねーよハゲ
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 00:00:11
>>355 >>357に禿同。
だいたい『本スレ』なんて書いてるよ。
このスレを認めていないのならコピペなんて情ないことをしない方がいい。
このスレが荒れて欲しくないですね。せっかく論議が進んでいるのに。
一時は社長スレになっちゃうのかと思ったけど思い切り長文を書くけど
頻度は少ないし。それも日本史板であったような不毛なバトルがないから
だと思いますよ。
>>358 それは極めて簡単です。
15までは過去スレと認めています。
16は別スレです。大体立てたのもこちらが先です。
もう日本史板に見切りをつけたので。
どうしてもこちらで一緒にやりたいのなら日本史板のスレを削除して合流すればどうですか?
そうでなければこちらも干渉しませんから、こちらへも干渉しないで下さい。
統一を望んだ人もいたようですが望まない人の方が多数だと判断しています。
私以外でここできちんと論議している人は、二つある中で自分の判断でこちらを選んでいるのでしょう。
「本スレ」がどちらかなどという論議はしません。
各自が自分で選択してください。
荒らすとかそんな論議もここでは不要です。
誹謗中傷したければ、日本史板で陰口の形ででも書いてみてはどうですか?
こちらには原則関係ないことだと思います。
>>360 しゃちょ、ヒートアップすると止まらなくなることがあるもんねw
てかやっぱくだらん話のやり取りは要らない。
歴史の話なら、是非に及ばずw
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 00:28:16
>>355 ひとつ聞いていいかい?
それあなたが自分で日本史板に書いたのを持ってきたの?
何か井沢さんの連載記事の抜粋転載に似ているね。
それ自体も問題視された。でも自分に言わせればそういう板書みたいな
箇条書きって却って見づらくて読む気がしないんだね。
2ちゃんって何だかんだと言ってもレスを書く人は一応ちゃんと文章を
書くよ。授業やセミナーなどの板書は説明する先生や講師がいるから
理解できるのでそんなの唐突に出しても大半の人は理解しようともして
くれないのでは?
>>349からの一連の(笑)と「真逆」という表現を利用している同一人物の一名へ
日本史板はおまえと不要印紙くらいになってしまったのかも知れないが
何故そうなったかを考えるべきだろうね。
すべてはおまえの責任。おまえは井沢元彦の逆説の日本史という日本史板の長寿スレを潰した張本人だ。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 14:59:56
井沢スレとかの歴史には興味がないけど田沼意次はどうだったのかと
思ってみてみたんですよ。
田沼意次の話題が終わりなら、私は撤退しますが。
もう日本史板の話はスレチと思うけど。
普通に逆説の日本史の話をやり取りしませんか?
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 21:22:38
田沼意次の「南鐐二朱銀」の発行について、ですが。
確かに金銀の二種類の本位貨幣があるような江戸時代で、かつ銀(西日本)については
計数ではなく秤量貨幣だったのを改革して行こうとした「意思」は読み取れますね。
問題点は、
1.金と銀の二種類の本位貨幣がある問題(従って変動相場が成立)
(プラス補助貨幣銅銭による「三貨制」)
2.(1)金については計数貨幣、(2)銀については秤量貨幣という問題
これを整理しないと行けない訳です。
南鐐二朱銀に先行して、「明和五匁銀」が出ています。これは純粋に2.(2)を解決する
ための発行でした。
しかし、市場においてはほぼ、無視です。これは計数貨幣という形にだけ拘った為、金銀
の実勢相場とかけ離れていたからでした。
「南鐐二朱銀」は、金2朱(8分の1両)を明記することで、金銀の変動相場を否定し、
銀貨も金貨の補助貨幣に事実上してしまったところが最大の特徴でしょう。
これは、上記1.2.の両方に対応するものだったので、意義はあると考えています。
社長さんはこれが統制経済だということでしたが当時の幕府は統制政府なのでしかたない
かも。現在の市場主義経済でそれをやると問題でしょうが、他に問題点がありますか?
井沢さんの本は読んでいないので分かりませんが田沼意次のこの政策の是非は読者の方
からすればどうなるのでしょう?
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 23:11:00
>>277で俺が書いた事に関しての続きを書けということかな?
申し訳ないが、ちょっと来週から大きな取引が控えていて、取り敢えずのことしか書けないが。
田沼意次の「南鐐二朱銀」の政策と、実は整合性を取る上で解せないものがある。
それは「外国との通商を始めようとしていたか?」ということだ。
結論から言うならば、通商を始めようとしていた場合、金と銀の両方を通貨として使用していながら、そのレートを固定化してはならない。
それは、海外の金と銀との交換比率との不均衡を招き、必ずいずれかの流出を招き、国内の経済が大きく混乱するからだ。
それが意次に理解出来ていたなら、「南鐐二朱銀」という形で金銀両方流通の通貨体制での金銀の料率固定と、外国との通商開始が両立出来ない事が分かっているという事になる。
南鐐二朱銀の発行は事実だから、そうなると通商を始める意図はなかったということになる。
理解出来ていないなら、通商を始める意図はあったと考えても良いが、そうなると田沼意次の経済政策はもう少しで日本経済を大混乱に陥れるものであった(失脚してくれたお蔭で日本経済は救われた)ということになる。
この部分をどう考えるか、なんだ。それによって田沼意次の評価がどうなるかのひとつが決まる。
そして、江戸時代における貨幣政策の本質も見えてくるはずだ。
銀が秤量貨幣だった理由は、中国や南蛮との貿易のような際に好都合だったという面がある(これは先週の井沢の連載でも書かれていたし、それはその通り)。
そして、江戸時代に「いわゆる鎖国(正確にはキリスト教国との貿易の極端な制限)」となり、かつ歴史的に西日本の銀と東日本の金という地金主義の本位となるものがふたつあるという状態でいろいろと不便な点が出てきた。
だから、適当な経済政策としては、
1.鎖国を前提とした貨幣相場の固定化
か、または
2.通商を睨んでの変動相場の維持と適正化
のいずれかを選択すべきだった、ということになる。または、両立する案として、
3.金銀のうち、通貨として使用するものをいずれかに限定する。
というのも考えられる。もっと言えば、
4.地金主義を止め、幕府の信用だけで通貨を発行できる体制(兌換制)
が理想だが、幕藩体制下ではそこまでは望めないだろう。
明治以降は「金本位制」になる。これは上記の3.だ。
そしてその後は4.となる。これが大きな歴史の流れだという事になるだろう。
>>277で「もう少し踏み込んだ見解」と書いたうちのひとつがこうした考え方だ。
もうひとつある。それは更に現代の通貨の多様性との絡み(比較)になるが、それはまた改めてということで。
>>368 なるほど、そういうことですか。
田沼意次の南鐐二朱銀についての高い評価について敢えてアンチテーゼを挙げていたのは。
あまのじゃくと書いていた人もいますが、確かに通商とは相容れない部分が解りました。
しかし井沢氏も松平定信がそれを廃止した理由として「商人が不便と思っていた」というのを挙げていました。
もっとも井沢氏は松平定信を批判調で決めつけて書いていますから、両替商=悪徳商人みたいに書いていますが。
悪徳商人の両替商はいたでしょうが、みんなそうかというとね?
金と銀の交換比率の違いによる金または銀の国外流出は、南蛮貿易のときにもありました。
また、松平定信が廃止した南鐐二朱銀ですが、同じ性格のものとして天保一分銀が出されています。
この頃は開国を前提としていなかったでしょうから、整合性の問題はなかったでしょうが、やがてこの状況のまま開国を迎えます。
と同時に一時期幕府は一分銀の発行を停止しています(1854年〜)。これも開国と関係があるのでしょうか?
また1859年から新たな一分銀(安政一分銀)を発行しています。これは天保一分銀より少し軽量になっており、金銀の交換比率を海外実勢で考慮したかも知れませんね。
通商を実際に開始してからも、幕府はいろいろと貨幣政策の紆余曲折があったように思えます。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 03:10:01
ポムキョンスキャットボルポノサクライ
>>369 南鐐二朱銀だって寛政の改革が頓挫した後また出されているよ。
文政7年には改鋳されている。
あと軽量化というより銀の含有量の問題ね。細かいところだが。
>>337だが、
南鐐二朱銀の発行は秤量貨幣の駆逐という目的があってのことだと思う
では何故秤量貨幣の駆逐が必要とされたのか?
それは貨幣改鋳(究極的には完全なる信用貨幣化)の障害となるからというのが、俺の「推理」なんだが(笑)
しかし、もう少し詰めて検証しなければならんことが幾つかある
例えば、「グレシャムの法則」は果たして「法則」と呼びうるのか…とかな
取り敢えずもう少し、江戸時代を例に検討してみたいと思っている
それと、社長の論には幾つか反論がある
>>368 金銀の交換比率の違いによる幕末の混乱は、開港が「急に」起きたことに起因するのではないか?
それがもし、通商の漸増という段階を踏んだものであったなら、混乱の度合いはずっと小さなものだったとは考えられないか?
当然、その間に対応策がとられるだろうしね
もちろん、その場合でも金貨の流出があるかもしれないが、それはある意味、自然の摂理
国際間の金銀交換比率の格差の存在など永続的に許されるべくもなく、いずれそれは解消されなければならないことであって、経済が混乱するからといってやらずに済む問題ではない
>>368 あと、4番
幕藩体制下ではそれは望むべくもないと言うが、貨幣改「悪」というのも一種の信用貨幣化とも言えてね(ちょっと乱暴かなw)
萩原重秀なんかは、貨幣は「瓦礫」でもいいなんてことを言ってる
どうも、江戸時代を経済的に遅れた社会だという一種偏見が強すぎるんじゃないか?
最近聞いた話だと、江戸時代にはすでに先物取引なんかも行われていた
「世界初」なんだそうだ
結局、そういった固定観念が(ここでの議論や教科書的な歴史認識に見られるように)、江戸幕府の政治をも理解しきれていない原因になってるんじゃないかというのが俺の感想だ
>>374 どちらかというと経済的に遅れていたという観念を持っているのは貴方に思えるな。
世界初の先物取引の例を引くことがどの証左。
進んでいる遅れているという、進んでいること=良いことのような観点で語るから話がおかしい。
必要とされる事は江戸と現代では経済体制が違うことの認識だ。
現代経済学を江戸期に用いたりするならば、成り立つ前提を満たすかの考察は必須。
偏見が強いと主張しているが偏見で書いてるんじゃないの?
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 12:36:37
>>372 何かまた偉そうに書く奴が現れたけど、その問題はもう書かれていて
かつ話はもっと先に進んでるよ。
>南鐐二朱銀の発行は秤量貨幣の駆逐という目的があってのことだと思う
って、書いているような人はみんな解っていると思うけど。
そしてそれは、考察として不十分。というよりちゃんとレス読んでないでしょ?
>>367の2.(2)のレベルでしか考えてないように思える。
田沼はそれ(秤量貨幣の駆逐)を考えていたのは事実だがそれだけなら
南鐐二朱銀ではなく、明和五匁銀で実施されている。
それは市場で無視。すなわち秤量貨幣から計数貨幣にしただけでは市場は
受け入れなかったんだよ。「五匁」と書いてあるだけで実際には五匁かどう
かも解らない(というよりもウソが書いてあるように見る人もいただろう。
そのレベルの人は計数貨幣の概念もない人。そして五匁と刻印してある
ことの意義を理解できる人ですら、既存の金との関連性がないこのような
対応は不十分という認識をもつだろう。)
すなわち秤量貨幣からの脱却という点だけなら、既に明和五匁銀で実施され
ており、かつそれはうまくいかなかった。
南鐐二朱銀は、そのような明和五匁銀の失敗を田沼意次自身が反省し、それ
を踏まえて出したもの。ここで初めて銀貨の単位として金と同じ「二朱」と
いうものが使用され、金との互換性が確保されたんだよ。これが
>>367の1.
と2.を両方達成するものだったから、市場は受け入れた。
ここまでは「通説」に準拠。
>>372は通説にまで到達すらしていないよ。
社長さんはその通説を踏まえた上で、それを田沼意次がやろうとしていた
とされる「通商」が果たして事実だったのかとの関連を経済の原則から
考察されている。これは独自じゃないかな。少なくとも自分は寡聞にして
知らない。
そして
>>373については、
>>369さんが既に書いている。
「当然、その間に対応策がとられるだろうしね 」って、
>>369を読めば
「とられた」と結論が出ているでしょう。幕府は1854年から天保一分銀の
発行を停止している。それで1859年、すなわち日米修好通商条約締結後に
改めて料率を事実上調整した「安政一分銀」を発行しているんだよ。
あなたの論議は、ここではトラック競技でいうなら2周くらい遅れていると思う。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 13:01:23
>>375 そうでしょうね。現代において経済分析をする場合と、歴史上での検証は
そこが違う点なのでしょう。かつ分析をするのが他でもない私たち現代を
生きている人間なので、ややもするとゴッチャにしてしまいますね。
自分もややもすると間違えるので自戒したいと思います。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 13:18:33
グレシャムの法則(悪貨は良貨を駆逐する)についてはもう享保期に裏を
かかれているしね。
元文の小判改鋳の際、吉宗は大岡忠相の進言により金貨品質を下げるリスク
を銀の更なる品質低下でヘッジしようとした。
しかしそれに市場(商人たち)は反発、却って銀高を招いた。これはグレシャム
の法則より、経済全体の思惑の方が優先した市場側の勝利だよ。
幕府がグレシャムの法則レベルの理解だったのに、商人たちはもう、その
レベルをも凌駕していた。
>>378 (><)解んねーよ!
レベル高杉!
もうちょっと間をkwsk説明してよ
しゃちょみたいにちょっとくらい長文になってもいいからさあ
難民板は日本史板より行数長く書けるんだYO!
銀が相手の陣地にまで進んだら金に成るという話なら理解できるよね!?
>>378 あ、でも些細な間違い発見!
それだと享保期じゃないよね、元文期!
やったーw
>>379 >>378は一寸気をつけないと誤解するからw
グレシャムの法則自体は理解しているとすると、この場合小判改鋳の結果駆逐(退蔵)されるのは同じ金貨になる。
ただし、当時は銀貨及び銅貨も流通していたから、より競合性の高い銀貨が退蔵される。
コレに歯止めをかけるために先んじて銀を改鋳して品質を下げることにより、金銀の交換比率を維持しようとした。
ところが実体経済は銀の改鋳にもかかわらず銀高という幕府の思わぬ方向に動いた。
これを現代的な経済でみて結局自給関係のみで銀高になったのか、商人の反発と捉えるのかは難しい。
だが、幕府はもくろみ通りに進まなかった(経済政策空振り)は同意できる。
>>380 そりゃ将棋だろうがw
そこまでボケるか!?
ネタに突っ込むと銀が敵陣で成っても成銀であって金じゃない。
成金は将棋では使わない。将棋板住人から書いておくw
>>382 さんきゅ、です!
途中経過が書いてあるから分りましたですw
でもなんだか経済ニュースを読んでいるような感じ
江戸時代の武士とかあきんどとか、そんなスゴイこともうやってたんだ!
ちょっと感動w
井沢氏の逆説の日本史ってそうした歴史の感動的な部分を提示してきたという面があったはずなのに、最近はそれも失われていませんか?
彼は例えば北条早雲を伊勢宗瑞と呼んだり、真田幸村を信繁と呼ぶのに対して否定的で、従来の呼び方のもつ意味も考察しています。
それは最近の史学がやたら史実の正確性だけを尊び、史実に加えて伝説性とかによって日本人が付加価値的に付け加えてきた文化的なプラスアルファを軽んじる傾向に対するアンチテーゼだったはずです。
ちょっと前に(日本史板の15スレ)で教科書の記述について論議があったので、その時話題になっていた山川出版の日本史の教科書、書店にいったらたまたま売っているのを見つけたので買って読んでみました。
何か、拍子抜けしました。源頼朝画像も足利尊氏画像も掲載されておらず、ただ文章で幕府成立が書いてあるだけ。
確かに神護寺の頼朝似絵とされたものは現在では否定されています。尊氏のも。
でも私たちが日本史を学生時代に勉強したときに歴史をイメージしたのは、何年に何があった、とかいうものより、そうしたイメージの提示によってではなかったでしょうか?
画像を載せないというのは解りますが、何かそれに代わるような史実を超えた人に感動を与えるような工夫がないと、人は歴史に対して無味乾燥で意味すら持たないもののような位置づけとしてしか考えないようになってしまうと思います。
井沢氏の江戸時代編は、段々かつてのイメージを失い、今では昨今の教科書のようになってきていると思えます。
それも井沢氏の主張の為の教科書と化してしまい、共感できる人を次第に失っているのではないでしょうか。
江戸時代をマトモに書けば単行本が何冊にもなってしまい、編集方針とも相容れないのかも知れません。
でも徳川綱重がどうだとかダラダラ書くより、それこそもっと田沼意次のような箇所をしっかり内容まで書くべきでしょう。
江戸時代編が単行本レベルですべて揃ったとき、その内容がなんだか凄くいびつな構成になってしまうような気がしています。
(--)難しくないけど、スルー
>>385 わかっていただけてうれしい。
本人でない人間が解説したので、解説と自分の意見とがごっちゃで読みにくかったな。
>>382で言いたかったことは
厳密な(単純な)グレシャムの法則の適応ではないと言うことと、
市場の勝利というより幕府側の思い通りにならなかった。という点。
これの詳細な分析になると日本史よりは経済史みたいになって難解になりすぐる。
松平定信ってもし本気で田沼を殺るつもりなら
イザーク・ティチングが将軍拝謁を賜って国書
を読み上げている時に首チョンパしちゃえば良
かったのにw
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 19:04:02
>>379 >>381 スマソ
>>382 >>388 そうですね。自分も田沼意次に関心があって来たんですが
ちょっと調子に乗りすぎたかも
ただ元文の改鋳の場合、個々の思惑というか一般的な動向だけだと
やはりグレシャムの法則に準じた結果になるのではと思われます。
大坂の経済圏がどれだけ自立しているかという観点もありますが
やはり江戸を睨むと金との相場の動向が上方経済でもかなりウェート
が高い。元禄期ならともかく、もう江戸は大都市ですからね。
それからすると元文改鋳時の銀高はやはり大きな思惑が背景に
あるのではという考えになる。
そして、現実に彼らは銀を市場から引き上げる等激しい抵抗を示した
ようです。これは吉川弘文館の「享保改革の商業政策」などを
読んで頂ければと思いますが。今でいえば出来高を自主的に抑制した
ということでしょうか。
商人というのは普段は鎬を削る間柄でありながら、いざという場合は
共同戦線を張るのも早い。ましてや当時は株仲間も存在していましたし。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 19:07:28
>>390 なるほど大阪商人の力も歴史学的に史料としてあるんですね。
吉川弘文館はなにげに凄いですね、今度読んで見ます。
本題の逆説の場合、一般人の理解しやすい形で書いていることは流石と思うが
ちょっと考えれば稚拙なことが多すぎる。特に昨今の連載は囲繞している文献を読もうという気にはなっても
井沢説を受け入れるには躊躇する。
定信の名君否定は酷かった。県知事レベルの政策で日本全体を考えていないが本旨だが、
今で言う県知事相当の役目のときに県知事としてふさわしい業績を否定する。
評価すべきは領民は感謝するのは当然と書いていることだが、県知事が総理としてふさわしいかは別の問題。
確かに上杉の取った行動が現代的価値観で良いのは自明だが、名君ではないというのは暴論。
同じ論法なら某宮崎県知事も名知事ではないと言わねばならない。
名君を自説のため日本国宰相に(勝手に)置き換えている。
言い方が悪いが、井沢の昨今の連載はよく言って強弁、辛辣に言えば詭弁になっている。
>>393 ちなみに「享保改革の商業政策」の著者は井沢氏が田沼意次を顕彰すべく引用した「田沼意次の時代」の大石慎三郎氏ですから。
データや史料引用は十分参考になりますが、考え方としてはそういうものだというのは踏まえておいても良いかと存じます。
やはり幕藩体制とかの大きな問題点のひとつは今で言えば県知事レベルの人が集まって国政を行っているということでしょうか。
ですから人物評という場合、その両面が混在するという面があります。
それは、こんにち私たちが歴史を評価する際だけでなく、当時の人が政治家として評価したり期待したりする際にもいえます。
もちろん藩主でありながら日本全体を考えるのも名君といえるのでしょうが、鷹山の名君たる所以はあくまで米沢藩政の成功にある訳です。
そして松平定信の場合もそのレベルでは同じでしょう。
井沢氏は鷹山が他藩から米を融通してもらったことは賞賛しているが、定信が市場から調達したことを非難している。
ここまで来ると言い掛かりとさえいえますね。
市場は誰が売ろうが買おうが全くの自由。取引が自由で結果価格が変動するのは当然で、取引後の市場価格の変動を気にして米が必要なのに買わない選択があったのか?
そんなことをしたら日本全体を見ていたから名君で、買い付けたら名君でないのか? 本末転倒ですね。
井沢氏は理屈で成立することでも、どう捉えるべきかを書いてからでも検証して世に出して欲しいです。
それで、やはり藩主が国政を行うということの問題への解決方法は、やはり社長のいうような中央集権の確立しかなかったのでしょうか。
社長の独壇場スレだったのが、かなり解消してきましたねw
社長もそれを望んでいたようですから、いろいろな人の有意義な意見を読みたいですね。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 21:08:40
逆説の日本史って次の単行本は水野忠邦まで入れようとしているんだろ。
前回は新井白石までだった。
後残るは松平定信・大御所時代・化政文化そして水野忠邦。
幕末への助走として外国船の接近についても書くだろうし
はっきり言ってもうこれ以上田沼意次のことなんぞ書いちゃいられない。
>>394 公開往復書簡みたいだかw、ちょっと井沢側の弁明をすれば
鷹山の名君とすることは備蓄米をしたことが主だった気がする。
しかしながら備蓄をする事は飢餓の点では確かに有益だが、豊作が続けば無駄な支出にもなる。
個人的には鷹山が名君であることに異論はないが、備えあれば憂いなしはいいが、
備えていた鷹山ですら他藩から融通する選択をせざるを得ない現実で、市場から買うことによる定信批判はダメだろう。
批判するだけなら、コネで融通するのはいいのか?という疑問は生じる。
社長のターンはこれからだから中央集権に関しては今は控えるが、社長そんなこといってたのかは認証できてない。
今言える事は藩に於ける権限が知事より強いが、国政に於ける幕府の力が現代より弱いかは難しい。
で、一橋民部卿治済だが・・・
>>397 治済? と食いついてあげようかw
たぶん井沢先生は田沼はもう流さないといけなくなったので、一旦定信叩きを
やっておいて大御所時代の家斉を取り上げる時に前の話を蒸し返す形で大々的
に取り上げるよw
今までの逆説の常套手段でないかい?
それまで待ってろw
>>396 備蓄米は無駄な支出かもしれないが「保険」というシステムがないのでそれが最善でやむなしでしょうね。
「保険」があれば、保険料で食っていく立場を社会的に養えるだけのコストで済みますが、それがない以上仕方ないです。
むしろ大飢饉の場合は外部からの調達リスクは計り知れないほど高い。
まあ備蓄という方法だと保険料=保険金? いや食えなくなる減価償却も考えると保険料>保険金ですから、現代の視点だとかなり高いコストですが。
時代の限界ということで。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 07:06:44
>>398 以前にも書いたと思うが・・・ってねw
400げt
今週の連載のお題は林子平の海国兵談です。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 21:46:02
>>399 リスクはね♪分散させればいいので保険はそのひとつに過ぎないよ〜だ!!
てかそもそも市場の存在がリスク分散の一形態なんだよww
市場には売っても良い人が売る!買いたい人が買いに来る!!
市場で売っていればそれは♪ど〜このだーれかーは知ーらないけ・れ・ど♪
米を売る余裕があった人がいたんだよ〜だ♪
俺はそんな辺りの事情には興味ないけど!
松平定信が飢饉の時に市場から米を調達したとしたらこんなに適切な対応は
ないんじゃないのぉ!?
キレイゴトばっか言ってんじゃないよ〜だ!!
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:01:51
>>390 ついでだよ〜だって感じで!
大坂商人が銀を引き上げたのをかなり無理しているような感じで書いているけど
それはゴカイを招いちゃったりするね♡
だって銀の品質を落したのが先だよ!従来の銀貨を貯め込んじゃうに決まってるじゃん!
結果銀は市場から姿を消した。グレシャムの法則どおりじゃん♪
モチ大量に発行された低品質の銀も買いに出ているよ!
でも幕府が小判の改鋳をしたい為にやってんのはミエミエじゃん!てことは
それ以前に銀だけでなく品質が高いうちの小判も金高を誘発しない程度に確保〜!って
しておけばそんなに損にはならないよ!グレシャムの法則通りじゃん!
まあグレシャムの法則がどうとかより!日本は昔撰銭やってたんだからそんな
のはあきんどにとって常識ね!
身分が低くても金もうけが出来る人間は下層民じゃないよ!
あきんどは幕府が金高を期待したウラをかいた!
まあ俺様が財務省に入ったらそんなに企業の思う通りにはさせないけどね〜♪
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:25:11
>>403 はあ???
またこいつ自称東大生か、なんて思ってたら何だ?こちらに向かって
きたのか?
元文の改鋳の場合、商人たちは銀を買い支えた。ただし東大生のいう
ように銀が最初に改鋳されたからそういった面があったのは認める。
でも論調がムチャクチャだなw
言っとくけど、財務省にそんな権限はないよw日銀か金融庁とか経済
産業省なら解るけど。いい大学に入ったんだからそれなりに勉強して
ね。
>>372-374 ご挨拶が遅れました。いつも井沢氏と書かせて頂いておりますが、井沢先生、わざわざこのスレに書いてくださって有難うございました。
ご本人が書いてくださったのに、コテンパンにやられてしまいましたね。
世の中の人はそれほどバカではありません。
特に現代人は経済に関しては大抵の日本人は一流ですよ。
もう少し経済のことを考察なされた上で、江戸時代のことも言及してくださいませ。
江戸時代は商人もさることながら、幕府の人間もそこそこセンスを持っています。
このせめぎ合いが日本人の経済センスを鍛え上げたのだとも考えられますし。
儒教がどうとか、まずは江戸幕府の経済政策もなかなかのものですから、偏見を捨てて今一度ご再考ください。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 00:02:01
>>405 おいおいw
それはともかく、
>>401が案内してくれた通りだが、俺はまだ一回だけ目を通しただけなのだが。
実は井沢の書いていることは理解を示しても良い。書いてあることは事実関係も主旨も意義も理解出来る。
松平定信が林子平を弾圧したのは、日本にとってある意味損失だった。
しかし、また天邪鬼といわれるかも知れないが、そのことにはそれほど大きな意味を見出せないんだ。
むしろそうした評価は「史学」の評価ではないのか? 俺もそうした歴史学の本は読んだが、井沢の意見は史学と何も変わるところがない。
無理に反対のことを書いても無意味だが、実は余り意味のないことを殊更強調しても、それも意味が希薄だろう。
林子平の見解は、その後の日本の憂慮を良く示している。
しかし、実際、その後の経緯をよく考えると、林子平の憂慮とは違った方向に進んでいると考えてよい。
沿岸に大砲を設置するという発想は、確かに水戸藩や幕府、薩摩や長州などの諸藩が実際に行なっている。
しかし、それが日本に対する脅威を解消する手段だったのだろうか? いや手段として機能したのだろうか?
外国船打ち払い令なども出されたが、それが結果的に有効だったとはいえない。
下関の馬関戦争や鹿児島での薩英戦争は確かにあった。しかし、日本が本当に憂慮すべきは、戦闘による敗北で即、国土が占領されてしまうようなことだったのだろうか。
むしろ、幕藩体制であるが故にそれぞれの王国同士が対立し、それに欧米列強が介入することでインドのように植民地分割されてしまうことが最大の憂慮すべき点であったと思われる。
現に林子平の唱えたような策は、海国兵談が発禁となったにも関わらず、また井沢の言うように十分な対策もないうちに黒船が来航する事態になってしまったが、沿岸の砲台設置は侵攻を受けるような事態になる前に対応されている。
そして、馬関戦争や薩英戦争があっても、それが即、国土が奪われるような事態にもなっていない。
だから、結果論ではあるが、林子平を失った日本は、それがダメージに繋がった訳ではなかった。
インドはまさに全土が植民地になってしまった。またインドシナ半島の国々も(タイを除く)。
またアフリカ諸国などもそうだろう。
これらの地域に共通して言えるのは、部族や地域がバラバラで、その対立などにつけこまれた、ということだろう。
清国は中央集権があったが、国土が広く、随分国土を事実上占領されてしまう事になった。だが国が滅びた訳ではない。
逆にアフリカでもエチオピア、東南アジアではタイなどは植民地になることを免れている。
それは「中央集権」のような体制があり、国が一枚岩だった、というのが大きい。
日本の江戸時代は幕藩体制だ。中央集権ではない。それが最大の「危機」だったと考えられる。
今日も取りあえずで申し訳ない。ここのところ多忙で。仕事をずっと自宅でもやっているものでね。
他にもまだ保留になっている課題がこのスレにもいくつもあるが、本業も課題が山済みでね。
でも盛り上がっているようだから、論議が盛んに為されることを期待するよ。それでは。
あの、ですから松平定信叩きの一環ですからw
林子平より定信許すまじ! なんでしょう。
でも林子平を儒教の林家と勘違いしていなかっただけでも良かったでしょうかw
武装中立でよく非武装中立が非現実という辺り、
またまた小室直樹の新戦争論のパクリを書いてる。
パクリを繰り返すにしても同じネタを繰り返すからなあ・・・
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 01:29:28
林子平の「三国通覧図説」は竹島が韓国領であるという根拠にされている。
ただし、小笠原諸島が日本領である根拠としても有効で幕末の日米交渉で
小笠原諸島が日本領となる決め手になった。
>>408 パクるのは意見が同じなら良いですが、小室氏の意見を使うなら小室氏も言っている通り、とか書けばという問題ですよね。
確信犯かなと思っていたんですが、最近ではそうしたベースも自覚できなくなっているのではないかと思うようになりました。
>>409 小笠原諸島の領有は幕府が宣言していますが日本領と確定したのは明治になってからです。
>>406 定信叩きと書きましたが、社長さんの話は解ります。
しかし、おそらくそれは相手次第のオプションでしょうね。
たぶん田沼意次も評価した「赤蝦夷風説考」の工藤平助や林子平の念頭にあったのはロシア。
これが大きく前面に出てくると領土拡張の意味が必ず含まれているので、これは国土をかけての国防が必要になる事態だと思います。
しかし現実には日本に来たのはアメリカ、次いでイギリスであり、フランスもロシアも時期は同じくですが結局「通商を求める」という事での競合となりました。
通商問題がメインなので軍事的脅威はその条件次第。不利な条件を呑まなければ当然次の段階の軍事的脅威のステージがあったはずです。
不利な条件を呑んだのでそこまでいかなかった。おいしい条件があるのだからしゃぶるだけしゃぶろうというのが欧米列強の姿勢になったのでしょうね。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 07:15:11
ボニン群島
クリル列島
フォークランド諸島
小笠原諸島+α
千島列島
マルビナス諸島
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 21:55:27
あーええと、もう田沼意次は終わってしまったんですね。
では自分はしばらく引っ込みますか。
でもかつての日本史板「田沼意次を語るスレ」とは一味違った有意義なスレでした。
どうも有り難うございます。
また家斉とか出てきたら何か書こうと思います。では。
>>406 エチオピアはイタリアと二度に亘る植民地化目的の戦争があったがそれを両方とも撥ね退け、独立を守り通した。
国が一枚岩だったのはその通り。あと攻めにくい高地、そして相手がイタリアだったというのもw
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 15:21:51
何か元の襲来か、秀吉の朝鮮出兵みたいだなw
一国が他国を侵略する場合、2回までやってダメなら諦めるのが相場なのか?
二度あることは三度
(^^)
>>406 で、結局そこで中央集権につながってくるわけかいな??
田沼意次がうかつに通商を始めたらアカン!というところは
経済が自由化の状態になってしまうと戦国時代の事実上の
復活という意味だったと思ってたんやが、外国からの脅威も
同じことが言えるんやなぁ。。。
ま、明治維新で中央集権が実現していくからそれはなるべく
してなったちうことか?
もし関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 00:26:39
>>368 社長の「もうひとつ」というのが気になりますね。
林子平の海国兵談の連載が入ったので話題がそれましたが、現在の貨幣の多様性との絡みって・・・・・・・・・?
確かに幕府の政策は金銀の貨幣制度の統一があったことでしょう。
それと信用貨幣への転換ができれば尚可。
でも例えば現在の日本は一応「円」で統一されていますよ。外貨もあることはありますが。
イマイチ解りませんね。
ご多忙なのは伝わってきますから、時間が取れたら説明してください。
まぁ、東大生が「そんなの決まってんじゃん!!」とか割り込みたければ勝手に割り込んで貰ってもいいですがw
「円」には違いなくてもクレカとかあるんじゃないのかw現代は?
PASMOもSuicaもあるw
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 19:28:38
ポイントカードw
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 22:33:57
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 22:38:33
江戸時代の連載、もう巻きが入ったようで。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 23:09:21
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 23:15:42
社長がいないだけでディープなカキコはなくなるのか?
日本史板もここもだなw
井沢元彦のスレなんてとっくに終わっているんジャマイカ??
井沢さんの支持者がいなくなってしまったからかも。
というより井沢さんの意見に賛同するだけで世間知らず歴史知らずみたいなレッテルがずっと貼られるしね。
そんなに一筋縄ではないはずだけどその部分まで言及したら社長みたいな長文にならざるを得ない感じ。
それと論議は進むかもしれないけど、いつも参加している人だけでなく参加してくる時もあるから少しは斟酌した方が良いね。
トラック競技じゃない。好きな時に書いて好きな時に読むんだから。
でも連載については社長がみんな余すところなく書いてしまって、それでほぼ決定だね。
松平定信叩きが井沢さんの精一杯。
そんな程度で今までずっと各時代を書いてきたとは思えないけどね。
確かに朱子学を叩くというのは後醍醐天皇かそれ以前の元寇の前に中国史に立ち入る形で予告はされていたけど。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 08:51:52
>>432 簡単な話だw
井沢はもう化けの皮がはがれた
遅まきながら連載読んだ。
感想は
>>406の社長とほぼ同じと言うか言いたい事は
>>407に近い。
言論弾圧は良くないのは現代の価値観から見て当然なんだけども、
数十年後に現実になることの対処案を書いていた良書を弾圧したのは名君ではないは言いすぎ。
その対処案が有効であったかどうかは社長見解とほぼ同じだ。
なんか最近三段論法になっていて、どっちかも怪しい論拠をもって自説を主張している傾向が強い。
たぶん本人は言論弾圧だけで暗君は弱いから、後世を予測する能力に欠けるという点を強調して暗君にしたかったのかと思うが。
暗君とするなら言論弾圧を行うことにより自分の施政が上手く行かなかったことを論ずるべきだ。
藩主時代に国政に目が行っていないから暗君。後世に目が行っていないから暗君。
言いすぎだろう、名君だが次のような欠点があるなら多くの人の理解も得られように。
内容が頓珍漢というより予断していることが頓珍漢なんだよ。
反珍頓は文明の衝突w
井沢さんもうかなり無理しすぎ
もう一回江戸時代をやり直せば?
井沢叩きをしておいて松平定信叩きがおかしい、はないだろう!?
どっちもどっちだw
それはそれ、これはこれなんて誤魔化すなよw
井沢氏の逆説の日本史がモトモト叩き。
叩くものは叩かれる。
しかしもう、ここは井沢氏の肩を叩いてあげたい気持ちですねw
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 08:41:39
俺の逆説は世間の定説。
__
ヽ|'A`|ノ_
、_し ⌒ー'
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 09:11:42
2ちゃんねらの夢を実現しようとしたのがイザワ。
夢の実現者に対しかける言葉は「おつかれさま」であって「印税ドロボウ!」ではない。
折れはすくなくとも「人」でありたいと思う。
ゆえにチャレンジャーに対し「お疲れ様」をいいたい。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 14:35:21
乙枯れ様
井沢は全国の藩で発行された藩札については、まだ何も言ってないよね。
かなり重要な事柄だと思うが。
タヌキが葉っぱで買い物するのは、藩札のもじりだよね。
忠臣蔵のところで出てこなかったっけ?
とはいえ、赤穂藩の整理の話程度かもしれないが。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 13:21:35
藩札!!
と聞いて(読んで?)舞い戻ってきちゃいました。
藩札というか畿内では昔から有力者の信用に基づく私札は
発行されていた。
信長・秀吉はいずれこれも金銀に取って代えるか統一したい
と思っていたようだが江戸幕府はそうした継承はなかった。
しかし綱吉の時代に幕府は一旦全国の藩札の発行を禁止
している。貨幣改鋳の障害になると思ったのだろう。
吉宗は調査の上それを却って再開させている。通用期限付きだが。
改革といってもいつも新たなことをやるのではなく、従来のやり方
でより良いものを復活させるのも改革だよ。
ところが田沼意次は(これを書きたくて戻ってきた)この藩札の
発行を事実上再び禁止に動いている。御側御用取次の頃でまだ
田沼時代と言えるかどうかはあるが、これは田沼意次の意思が
十分働いているといってもいい。これも貨幣改鋳を睨んでの事。
社長は
>>277で南鐐二朱銀に関する異論を提示した時に「田沼は統制型」
と書かれていたが、自分もそう思います。
あっ!そうか、貨幣の多様性って、ひょっとして???
>>444さんに感謝! また考え直してみますよ。
>>433 アンカーミスは逆説の日本史スレの名物だからw
゚ o . 。 . . , . , o 。゚. ,゚ 。 + 。 。,゚.。
゚ , , 。 . + ゚ 。 。゚ . ゚。, ☆ * 。゚. o.゚ 。 . 。
。 . .。 o .. 。 ゚ ゚ , 。. o 。* 。 . o. 。 . .
。 . 。 . .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +. . .
。 . . . . ★ . 。 ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,。 . 。 , .。
゚ 。 ゚ . +。 ゚ * 。. , 。゚ +. 。*。 ゚. . . . .
。 . . 。 。゚. 。* 。, ´。. ☆。。. ゚。+ 。 .。 . 。 .
. 。 ゚ ゚。 。, .。o ☆ + ,゚。 *。. 。 。 . 。 .
゚ .゚ ゚ 。゚ + 。. +。 * 。゚。゚., ,+ 。゚. 。 . . , , .
゚。゚+゚`, o。。.゚*。゚ 。.゚ 。 ☆+。。゚. ° 。 . , ゚ ゚
。, .゚。 + ☆。,゚. o。 。+ 。゚., . ゚ , 。 。 . .
゚. o * 。゚。゚.。゚。+゚ 。 。 ゚。 ゚ 。 ゚
゚` .゚ .゚. ゚. . ゚ . ゚ . , . . . 。 ゚ .
. . . , 。 . . , .
。 ゚ . 。
, . . , . .
。 ∧∧ ∧∧ 。
( :;;;;;:::) ( :;;;;: ) にほんのれきし。。。
. . /:;;;;;: | | :;;;:ヽ
〜(::;;;;;;:/. |:;;;;;;: )
‐''"´'''"""''"`''""`"""''''''"´'''"""''"`''""""'''"''''''"`"""''''``'‐
定信の業績については批判調なので定信失脚に絡んでいよいよ一橋治済さんの登場なのでしょうか?
尊号一件についてはどう触れるでしょうか。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 19:41:27
影響されて週刊ポスト買って読んじゃいました。
なんだか押し付けがましい論調ですが、いつも
こんなものなんだろうか。ここらあたりで定信が名君でないのがわかっただろう、みたいな内容。
初めて読むからそうはならないですが、みなさんはいかがですか?
まぁ今日はこの辺にしといたろかw
ゆうんやったらまだ愛嬌があるんとちゃうか?
同じ連載やったらたけしのコラムを見習ったらエエワw
井沢氏公式サイトbbs
http://www.gyakusetsu-j.com/bbs/b_izawa/index.pl ------------------------
■■ 2ch「井沢元彦『逆説の日本史』15」スレッドでの連載内容無断転載 次の投稿 >>
投稿者 : puremalt 09/24 14:29
2ちゃんねるの「井沢元彦『逆説の日本史』15」というスレッドで、井沢元彦氏の先週の連載内容が週始めに内容の大意がそのまま転載されているようでした。
転載が行われたのは9月18日の昼頃、そのスレッドの461と462番目のメッセージとして掲載されました。内容は連載記事の内容全般を抜粋したもので、冒頭に
「誰も逆説読んでないようなので私が今週号ポストの要点を書きます。」と書いて、連載記事で井沢元彦氏が触れた要点についてはすべて掲載されています。
かつ、この2つのメッセージは、それがコンテンツのすべてであって、それに対する本人のコメントも意見も記されておらず、これは引用という性格のものではないようです。
井沢元彦氏や小学館は、この転載に対し許諾されたのでしょうか?
またその掲載に関してのスレッド内での反応ですが、ひとりがそれを「著作権法に反するのでは?」というクレームをつけた後、かなりスレッド内が荒れていたようです。
中には「掲載してくれたら、買わなくて助かる」という意見もありました。クレームをつけた人は、「通報する」と書いていたようです。どこに対する通報か判りませんが、小学館や井沢元彦氏には通報が行っているのでしょうか?
一旦は収拾する人も現れたようで沈静化したようですが、その後また同一のメッセージをコピー&ペーストする人がいました。
また、今週連載された週刊誌が発売されますが、どうなるかはまだ判りません。転載した人がもうやらないとは表明していません。
動向に注意しておいた方が良さそうですが。
ただ、不思議なのは、井沢元彦氏の著作権を問題にして講義しているのは、井沢元彦氏の意見に反対のお方のようで、
転載した人、およびそれを擁護しようとしている(自演かもしれません)人たちは、井沢元彦氏の意見を支持するようなお方のようです。
不思議と言えば、不思議です。
■■ ホントに「転載」ですか? 次の投稿 >>
投稿者 : gouldfan 09/24 17:35
puremalt さん
> 2ちゃんねるの「井沢元彦『逆説の日本史』15」というスレッドで、井沢元彦氏
>の先週の連載内容が週始めに内容の大意がそのまま転載されているようでした。
私は週刊ポストの当該記事を読んでいないので何とも言えませんが、文章のある程度
まとまった部分をそっくりそのままコピペしない限り、著作権侵害には当たりません。【注】
なぜなら、著作権とは「表現」を保護するものであって、思想やアイデアを保護する
ものではないからです。
【注】
そうはいっても、文章の所々をちょびっと改変するというような小細工は通用しません
けどね。だけど、今回の件はこれには該当しません。
ちなみに、無断コピーだけが著作権侵害ではないけれど、本件とは無関係なので省略。
■■ re:ホントに「転載」ですか? 次の投稿 >>
投稿者 : puremalt 09/24 19:44
有難うございます。
「転載?」と書こうと思ったのですが、断定みたいなタイトルになってしまいましたね。
問題だと思われたのは著作権侵害という観点だけではないようです。すなわち発売中の週刊誌内容を読まれる前に書いてしまうことで、
買わなくても良いと考えるような人が出て来るという問題もあるようでした。営業妨害ということでしょうか?
いずれにせよ、これは出版元の小学館と著者の井沢元彦氏が判断する問題です。ご存じだったのかと、どう考えているのかが気になったので書かせて頂きました。
なんかあったな、そうゆうの
それ日本史板の話やろw
日本史板はそんな騒動があって廃れてしもたなw
ワシもここに移ってきた、よろしゅうたのんますm(__)m
今週の連載読んでいてムカついた。
たくさんの人に読ませる内容じゃないのでは。
感情を込めることは一概に悪いとは言わないけれど読まなきゃよかったと思ってしまう。
いつも駅売りで買っているから読むのは買ってからなんですが、次回からは書店で見てみてつまらなければ買わない事にさせて頂きます。
少なくとも繰り返し読もうと思わなければ、買う必要なさそう。
以前の井沢氏の連載なら、信じる信じないは別にして「へーこんな考えもあるのか」というのがある意味楽しみだったんです。
でも今は「何書いているんだろ?この人?」って感じで失礼ですがちょっと軽侮の気持ちを持ってしまいます。
書くのもバカバカしいと言わんばかりに『「バカ殿がバカ殿である」という下らない証明のためにあまり紙数を費やしたくない』って、書くだけ書いておいてそれはないでしょう?
そんなことを書かれて、読まされる側はもっとたまったもんじゃないのでは?
井沢さん、ここを読んでいるとは考えにくいですが、そんなこと書いていたら支持者だけでなく、読者も失っていきますよ。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 23:55:23
それ、トーンダウンっていうんだろw
嫌いな人物を徹底的に鞭打つ松平定信ってのは
きっと井沢先生みたいな人だったに違いないw
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 00:26:38
自分に性格が似ていると気に入らない門ねw
でもここでイザワを叩いている人も似ているかもw
確か漢民族って鞭打つ文化ってイザワは書いてたよな?
この前TVで岳飛廟を見ていて思い出したw
460 :
まだ忙しい社長(試しのハンドル):2007/11/06(火) 00:54:48
井沢を叩いている、か?
井沢は日本の歴史観でいえばやや復古調だよ。だが皇国史観などではない。
むしろ、日本人の従来持っていた人物に対する価値観みたいなものを昨今の史学が、
「XXはこう思われているが、或いはこういう事をしたとされているが、実はそれほどでもなかったんだよw」
という、歴史をややもするとつまらなくしてしまう行き過ぎた現実主義に対して、精神文化も含めてもう少し幅を持たせようとしていた。
この部分は「歴史家」井沢元彦の歴史観として肯定して良い部分だ。怨霊信仰や和の精神など、手法として採り入れようとした試みは、十分に体系付け切っているとはいえないが、従来断片的だった部分をデフラグしてきたという功績はある。
デフラグを「パクリ」と書かれることも多いが、これは作法を心得れば済む問題なので、指摘するとすればそれぐらいだ。
だが、江戸時代、特に儒教の部分について言えば、これは「間違っている」と言って良いほど方向性が定まっていない。
間違っているとは「歴史家」としての分析や取り組む方法や方針だな。
儒教もひとつの精神文化だ。しかも、怨霊信仰に井沢が陥っている等の異教徒的な問題ではなく、その辺りは冷静かつ客観性を保っているはずの井沢が儒教に対する見方だけ狂っている。
それは中国に対する現在としての井沢(ここでいう「現在」とは「哲学の現在」というような場合と同様)が歴史眼を狂わせている。
これは大変に残念なことだ。他の部分は個別に(俺だけでなく、多くの人が)間違いを指摘し、仮に井沢がそれを修正すれば、より客観性の高い史論になり得る。
でも儒教と、特に江戸中期の進行中の分析はこの誤りのお蔭でまったく体を為していない。ハチャメチャと言っても良い。
どこがどうというレベルを超えてしまっている。
しかも儒教自体の客観的な視点を井沢が全くもっていないのかと言えばそうではない。
「ビーフカレー朱子学」が正しいかはともかく、そういった主旨の考え方の中に、中国一辺倒でない儒教の展開についても考え方があったし、またその論理展開は賛否は別にして十分冷静な分析をしていた。
それが何故こうなるのか?
まさかと思うが、「名古屋」が原因なのか?
田沼意次も領国は「名古屋圏」と考えても許容範囲(相良藩)だ。織田信長、尾張宗春、田沼意次・・・。
まさか、なあ。これが結論ならコメディだが。
井沢は、もはや読んでると恥ずかしい作家の一人になったと思う。
次回は「落合監督名君論」だそうです(ウソ)w
パーフェクトゲームがなんぼのもんじゃい?
今度はちょっとマンセー気味?
しゃちょはホントにあまのじゃくかもw
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 04:33:30
松平定信って踊らされただけじゃん♪
何をムキになっているんだろ、この井沢って人・・・
って雑誌なんか読んでないけど!
まあバカ殿とかいって、それも下層民からみたら
そう見えるだけで自分たちのしたいようにしたんだから
典型的な上層の人間だね!
井沢って人はそうして下層民の味方をしていると
見せかけてカネをふんだくるんだろ?
でも所詮は一橋治済が自分の息子を将軍にする為だけに
田沼意次も松平定信も利用されただけ。十代将軍家治の
世子家基暗殺は意次か治済かは微妙だけどいずれかに消された。
その前に定信は田安家から白河松平に養子に出されてこれも
候補から外れた!
あとは豊千代丸@治済の子しかいないじゃん!それでめでたく
十一代徳川家斉の誕生だよ!だけどまだ14歳だからとりあえず
自分でやってくまでの間松平定信に政局の収拾を任せただけ。
この辺りのことは井沢って人は何か書いてるの???
松平定信って上層でも負け組みだよ〜結果的には♪
松平定信の治世についてはほとんど語ることなし、でしたね。
人足寄場の設置や鬼平の事を少しは書いて欲しかった。
紙数を費やしたくないそうですから書かないでしょうね。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 08:25:15
真の実力者は一橋治済w
宝暦治水の薩摩義士の話が出そうな予感・・・?
出る出る・・・
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 08:26:52
吉宗の政治の継承者は定信だという意見があるが、大勘違い。
意次の印旛沼開拓は、吉宗の政策を引き継いだものだし、
その人材登用は、吉宗が用いた紀伊系幕臣団の2世を多く登用しているそうだ。
倹約令など吉宗の緊縮財政路線さえ、最初は踏襲した。
ただ不景気が拡大して、のちに重商主義へと路線変更しただけ。
意次の吉宗〜家重〜家治〜家基への忠誠心は生涯変わらなかったと思うな。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 08:33:37
吉宗の継承問題辺りから、事実関係はいろいろあると思うけど、謀殺・毒殺の類の案件が徳川家では確かに増えるね。
これって、何かひとつの流れとか、一貫した担当者、一族みたいなのがいるのかな。
こういうのは思いつきだけではなかなか出来ないし、それなりのノウハウの蓄積・継承があるのでは。
田沼がよく絡んでいるのではという話は確かに多いが、その通りなのか、或いは田沼だと思わせるような何かとか。
田沼ではないとするなら、これは相当高度な技術だと思うがね。
一橋治済が関係していたのは確かだとして、一橋家当主の一個人だけでどうにかなるものでもないとも思えるのだが。
大体、吉宗が将軍後継になった頃なんて、一橋家そのものが存在していない訳だし。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 09:45:54
日本史板は不要印紙に乗っ取られてしまいました。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 13:06:53
松平定信は独立した章ももらえていない。
田沼を潰した人間としての評価しかないようだ。
その程度の認識で日本の通史を展開するつもりかい?
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 17:29:11
ここで出てきたティチングの日記にも家基の死の事が出ている。
不審な死だと思うがはっきりとは解らない。
ハンミョウの毒を盛られたとも巷間伝わっているが誰の仕業かも不明。
動機からすればほぼ一橋治済なんだが。実行犯はどうだろう?
家斉将軍誕生で徳川家基についての話も出てくると思われ。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 20:50:23
家基は若年ながら田沼意次に批判的だったという説があるからね。
将軍を継ぐと田沼の政治生命が危うい。
それと豊千代丸を将軍にしたい一橋治済の思惑が一致した。
後継ぎを狙って将軍暗殺を試みるより、失脚を恐れて試みる方が
切実なので、共謀の可能性もあるが動機としてより強いのは田沼
意次の方ではなかっただろうか?
松平定信は、田沼が気に入らなかったのは事実でしょうが、自分から田沼排斥には結果的にそれほど暗躍していない。
却って一橋治済が際立つ結果になったと思います。
家治死後に御三家を動かして田沼罷免を決めたのも背後にいたのは治済。
松平定信が名君だったなんて一般的にもそんなに言われていないですね。
井沢氏が必死に名君否定を書いているのが滑稽にさえ読めます。
松平定信の田沼転封や田沼意次の居城だった相良城破却を粘着だと書いていましたが、この程度の粘着なら当時はいくらもある。
織田信長は松永久秀が反逆するとその居城から追い出し、後に筒井順慶に命じて多聞城を破却させている。
また井沢氏が名君と書いた徳川家重は、自分が将軍になると田安宗武を後継者に推していた松平乗邑を老中から罷免・隠居させ、家督を相続した松平乗祐は出羽山形に懲罰的に転封されている。
現代的ではなく、当時の状況を考えればそんなにおかしな状況ではないでしょうし、逆に相良城は当時の状況としては変則。
一国一城令からすれば、あるのがおかしいということで、田沼の権力で作られたという風に考えれば、その状態を解消とする考えは「当時からすれば」そんなにバカな判断ではないようです。
>>474 もうそろそろ、日本史板は忘れましょうか?
井沢元彦も忘れたらどうかw
>>481 ホントにね。
それでも良いと思っていますよ。私自身はもう井沢氏を見直すということは今後考えにくいです。
ただし連載はまだ続いていて、今からそれを読んで「目からウロコが落ちた」なんて言い出す歴史認識がそれまでなかっただけの人が今後も出て来るかも知れません。
その為にもここで井沢氏が題材にしている部分についておかしなところは指摘し続けることが重要だと思います。
大切なのは、ただひとりの人間が(経済的成功とかの動機はともかく)歴史を解釈するという展開は必ず偏見や誤りを伴うということ。
例えば私だけが同様の試みをしてもそうなる可能性が高いと思います。
それを複数の人間でここで考えていく事に意義があると考えています。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 06:48:25
>>479 >「当時からすれば」そんなにバカな判断ではないようです。
現代からすればバカな判断だろうなw
だが、それは松平定信に限った話ではなかった。
それが正しい歴史の見方といえるだろう。
現代人の歴史の見方も様々
歴史研究なら
>>482、
一般人なら
>>483かな?
ただし逆説の松平定信の見方はどっちの見方を取ったにしても偏見
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 14:28:44
>>482 余計なお世話という気もするがw
その理由は歴史認識だけか?
逆に迷走している井沢さんにこう書けば? と提案してあげれば?
しゃちょのレスをパクルw
タダ友の輪の精神
なんだかどーでもいい感じ・・・
連載発売が待ち遠しくなくなった
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 22:58:34
連載ばっかりの話題だからなあ、ここんところ・・・
本の方はどうなんだ?
本って連載内容が単行本化されてるんじゃないの?
いろいろ修正は入っているようだけど
>>491 だって忠臣蔵の話が最新の単行本だし。
何か書くにしてももうネタ切れ・・・って前のスレで話題になったし。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 23:50:26
最近無気力な井沢厨
絶滅間近か?
そろそろワシントン条約で保護するかw
松平定信があぼーんすることになった尊号一件については?
>>478 考えは理解できますね。
でも将軍暗殺ではありません。あったとしても将軍世子家基の暗殺。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 16:30:20
尊号一件は治済と定信が対立して定信が結局失脚する事件だが、これを巡る話は井沢はどちらの肩を持つかだな。
名古屋贔屓が過ぎると、尾張徳川家を乗っ取ることになる一橋治済憎しで定信同情論も出てきかねない。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 17:22:12
今週は要約すると
田沼を否定し定信は暗君。
朱子学信者だから定信は暗君。
なんか読んでて辛くなってきた。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 17:44:23
名君⇔暗君なのか?
明暗の対比なら暗君⇔明君かなあ?
スマソ
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 20:14:11
殿馬や岩鬼は明訓だな
老中なんだからそもそも「君」じゃねぇだろ
(藩主としての功罪なら君でもいいけど)
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 21:40:51
ア〜松平定信君〜♪
ここのところ単行本や文庫本の話題より圧倒的に連載のレスが
多かったけど、最近それも越えて予想スレになっていない?
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 22:11:20
>>499 だからもう、ポストの編集方針で巻きが入ったんだよw
意外と雑誌の連載記事の好評/不評は編集部はつかんでいるよ。
こういった2ちゃんの動向も見ているはず。
昔は編集部へのおたよりとかだったが、それも最近は激減。
逆説の日本史はもう、リストラの対象だねw
化政文化をちゃんと取り上げたいようだ。しかし早く人気のある
幕末へも行きたい。今から化政文化までを好評な連載内容に
しなければ、幕末まで一気に行って終わり。またはそれ以前に
ぽしゃる。隔週とか、スペース半減とか。ヒロカネの回文塾みたい
な扱いになるな。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 22:35:07
>>479 ずっと読んだが、これはなかなか良い指摘だな。
一国一城令に基づいたかどうかは聞いたことはないが面白い。
全盛期の井沢のような着眼点だw
遠江には何と言ってもかつての家康の居城浜松城がある。相良城は不要だな。
松平定信厨なんているとは思えないけど、井沢さんが余りにも叩くから
結果的にそんな感じになっているスレ。
井沢さんの意図からすれば逆効果だw
逆説だなw
うっ・・・!
ここまで酷いと社長も何もいえないぐらいなのか?
>>498 尾張徳川家を乗っ取ったのは将軍家斉とその息子たちだから、ギリギリセーフかもw
>>513 社長は忙しそうなこと書いていたしな。でも長文ばかりビッシリでは読むのも大変。
小粋で小気味いいレスが続くのも味があるw たまーに長文でまとめてくれると助かる。
反対も意見で出てくるから面白い。
ひと桁の頃の日本史板逆説の日本史スレのような感じで好感が持てるよ、今は。
>>508 知ったかで書いているのか判りませんがひょっとして業界の人?
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 01:49:55
フッフッフッフ・・・・(V)@\@(V)
・・・・・・・?
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 11:39:14
∧,,∧ ∧,,∧ ∧,,▲ ∧,,∧
(,,・∀・) ミ,,・∀・ミ (;;・∀・) ミ,,・∀・ミ
〜(_u,uノ @ミ_u,,uミ @(;;;;uuノ 〜ミ_u,,uミ
>>518 (^^)
殺伐話題スレも癒されるYO!
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 14:30:46
真に受けるなw
週刊ポストを読む場所なんて満員電車の中だ。
エロイ女の表紙の週刊誌。読んでいる奴がその佇まいだとどう思われるか。
大した人間とは思われまい。
だがその中で一応歴史について難しそうなことが尤もらしく書いてあるページがあって、それがさり気なく周りにも目に入る(と読んでいる本人が思い込む)。
そうすると少しはマシな人間に見られるんじゃないかという期待を読んでいる本人が幻想として抱ける。
世間話の中で歴史の話なんてまず出ないが、ごくごくたまに出ると一応いっぱしのウンチクが語れる。
そういう社会の副作用が逆説の日本史に求められているものだ。
だから連載は続くだろう。おまけ、添え物だよw
史厨も難民板にやってきた?
日本史のことは全然興味なかったのに、
たまたま最近、文庫版の『逆説の日本史』を2巻まで読み、ちょっと興味が出てきました。
自分の癖で、本読むとき最初ばーっと骨子を追って、次にもう一度ゆっくり読むのですが
逆説の日本史の場合、一気に骨子読んだときは、着想が結構面白く思いました。
ところがまた1巻を読み直すと、何かストレスが…
文章自体は読みやすいのですが論理展開が、素直に入って来ないというか。
たとえば、「倭」が「和」であるという説明の途中に「輪」とか「環」とかの想像。
これ必要なんですか?
日本人の基本が「和」っていうのは結構すんなり入ったし、面白かったんですが
それ以外の「わ」の説明が、根拠が浅はかでうざったい。
論理的でないし(その程度の個人的感想を長々書くなって感じ)、
文章量稼ぐために書いたのかと思ってしまいます。
この本というか作者に関してはそういうもんですか?
でも、4、5巻ぐらいは面白いと、日本史スレの方でみたんで、図書館で借りて読んでみるかな。
>5巻6巻は個人的に面白く思った。
と書いている人がいるのは読んだ。
>>523 >たとえば、「倭」が「和」であるという説明の途中に「輪」とか「環」とかの想像。
>これ必要なんですか?
必要でしょう。「ワ」という音から考察しているのですから。
>この本というか作者に関してはそういうもんですか?
連載から単行本起こしていますから、内容が書き下ろしに比べると冗長になると思います。
読んでみて面白いと思うのは良いのではと思います。
あと賛成できるかとか支持できるかというのは、できれば他の歴史の本を読んでみるなり、こういったスレで「パクっている」などと指摘されている元のソースを読んでみるのがおススメです。
>>523 倭と和、輪と環から古代国家の原点を求める。
意味があると考えるか、単なる言葉の遊びか。
証明できない限りどちらともとれる。
信じたい人は信じなさい。
自分は倭の考察を信じないと言うより意味のないことだと思う。
井沢説に都合が良いから倭の考察が行われている。井沢説が成り立つなら言葉遊びは不要。
>>526 歴史に興味を持つとき、その動機にもいろいろありますからね。
あなたの動機からしたら言葉遊びは無意味なんでしょうね。動機がはっきりしていれば伺うのも一興ですが。
でも例えば、「日本はなぜ昔『倭』と云った(または呼ばれた)のだろう?」というレベルに興味を持つ人もいます。
歴史とは、過ぎ去った過去のすべてのジャンルを含んでいるので、幅の広さを許容することが歴史に対しての度量や識見だと思いますよ。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 20:35:07
今の連載中の江戸中期なら経済が絡んでくるしなあ。
ところで、連載追いかけ展開だからうやむやになってしまっているが、
側用人を置く将軍は名君なのか? これ結論が出ていない。
529 :
523:2007/11/10(土) 20:52:46
>>524 ご指摘ありがとうございます。そうでした。5巻、6巻でした。
>>526 最後の2行にまったく同感です。
無駄に思えて、自分が何か読み落としてるのかと、何回も読んでしまいました。
「逆説」の聖徳太子編に触発されて、梅原猛の隠された十字架を読み始めました。
こちらは飛ばし読みはできないですが、じっくり読んでもストレスにならず、安心して読めます。
「逆説」のおかげで日本史に興味を持てたのはいいのですが、
文章上、引っ掛けっぽいところとか、納得できないところとか
引っ掛かりが多くて困ります。順を追って読み始めると、素直にするっと読んでいけなくて
「え?これってなんで?」と考え始めると眠れなくなってしまいます。
まぁ、それも良しなのですかね。
釣り注意報発令中
>>527 それはちょっと誤解。
日本は何故倭と言うかという考察は決して言葉遊びではない。
歴史とともに言語学も含めて考察する事は無意味でもなければ興味がないわけではない。
ただね、井沢氏が言う日本は「和の国」自体は同意してるんですよ自分は。
だから、なおさら証明不能な言葉遊びは不要だと言ってるんです。
一音の「わ」の考察で同種の意味を求めるなら他の一音でも同じことが言えるハズ。
例えば目と芽と女から同じ意味を持ち出す事だって出来るでしょう。
それと日本が「和の国」とを結び付けられますかということ。
和の思想が古語の輪や環と類似していることと国名の倭との因果関係は証明も否定も困難。
仮に言語学的見地から輪と倭では関連はないという研究結果が出たら井沢説は崩壊するのか?
おそらく井沢氏は自説を撤回しないでしょうし、自分も撤回する必要はないと考えてますよ。
だから私は言葉遊びだと言っているのであって、井沢氏が言葉遊びで無いというのであれば
言語学的批判があったときには答えなくてはならないのではないかと。
また硬派な人がやってきたw
読み応えのある論戦をお願いしますね
>>531 何か互いにずれているような気がしますね。意見交換ですれ違いが起きるのはよくあることですが。
音は手がかりでしょう。それと
>>527の主旨もそんな話ではない。
井沢氏の意図通りに逆説の日本史を利用しなければならないという必要性はなく、ただ興味があって読んだ。
それでも構わないのでは? というくらいの意味ですよ。
ちょっと大げさに捉えていますね。
何だが社長が「落ち着け」とか「余裕を持て」とさかんに書いていたのが解る気がします。
ちょっと
>>526を読んでいて思ったのですが、
>信じたい人は信じなさい。
と書いていますね。なのに
>>531では自論以外は許さないような展開になってしまっています。
井沢氏に求めることと、読者に求めることをちょっと整理して欲しいです。
>>534 横槍を入れてずれたも何も無いでしょうに
元々
>>523へのレスでありその話自体は完結してる。
>井沢氏の意図通りに逆説の日本史を利用しなければならないという必要性はなく、ただ興味があって読んだ。
>それでも構わないのでは? というくらいの意味ですよ。
これは何を言いたいのか意味不明だね。誰に対しての説明なの主語は何?
>>535 は感情論以外何も書いていないと、あなたが書く「社長」に無視されますよ。
つまり
>>536は歴史は専門家のものだから素人は関わるな、という話なんだなw
話を完結させようとするのは逃げだからな。硬直した史学にありがちな態度だw
>>527の話は解るさ。普通に考えれば。
メールでやり取りしているわけではなく公開掲示板でやり取りしているんだから
横槍だなんだはそもそも野暮な言い訳だ。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 01:09:49
自分は古代には余り興味はないけれど。
井沢なる人に対する意見と完全な素人に対する態度の問題は別だろうね。
それに
>>526 >>531の話が同一人物だとすると、論理的におかしい。
>>526で
>倭と和、輪と環から古代国家の原点を求める。
>意味があると考えるか、単なる言葉の遊びか。
>証明できない限りどちらともとれる。
と書いてあるのに、
>>531では、
>日本は何故倭と言うかという考察は決して言葉遊びではない。
>歴史とともに言語学も含めて考察する事は無意味でもなければ興味がないわけではない。
となっている。
井沢という人が古代の考察をどう行っているのかは読んでいないが、
考察というものの位置づけと考察そのものが正しいかの問題がごっちゃ
になっている。
>>526さんは井沢の考察に反対だというのは伝わってくるが、
おそらくそのふたつの事で整理しましょうという話が出たんだと思う。
ただ、
>>527の書いてあることは理解できるが、
「歴史に対しての度量や識見だと思いますよ。 」に相手はカチンと来たんだろう。
度量や識見がないと言っているように読めるから。
釣り注意報継続中
541 :
523:2007/11/11(日) 12:32:55
>>523ですが、昨日はおととい眠れなかったイライラが文に入ってしまい
必要以上に不愉快な書き方をしてしまいすみませんでした。
そもそも、このシリーズの面白さは、井沢氏の小説家らしい想像力・発想力に
よるところが大きいと思うので、そこは表裏一体として読まないといけませんね。
2巻までにまだ色々わからないところがあるので、もっと冷静に
関連書籍も参照しながら質問させていただきます。
o(^^)o
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 14:12:16
松本清張も歴史についていろいろ書いている。
井沢元彦の逆説の日本史も歴史論としての客観的な評価・位置づけとしては同じだ。
だが違いもある。
ひとつは井沢元彦の方が「マジ」に論争目的で書いていること。
もうひとつは「歴史」を主張に使用しようとしていること。
読者の評価もそこで錯綜してくる。
史論としての成否、主張としての成否。しかしそれにマジに乗ってしまうと、
それは賛否いずれにしても井沢元彦に釣られている事になる。
例え逆説の日本史を読んだことがない人間が読んだとしても理解できるような
レスと訳がわからないレスがここでははっきり分かれている。
それが客観性の違いなのではないかと思える。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 15:09:02
>>317 超亀レスでスマソだが、それ2002年暮れにやった特集でしょう?
あれ確か井沢元彦さんは呼ばれなかった。オカンムリだったとか
何とか聞いたなw
逆説の日本史の著者井沢元彦氏が呼ばれなかった・・・云々と
聞いて(読んで、か?)「へー」と思っていた当時の自分はまっ
たく無関係な人間だったが、まさかそのスレで書くことになると
は思っていなかったw
このスレに関わってから何度か読もうと思ったが、余りに批判が
多いので買う気にならないw
で・・・・・・・・・・・一橋民部卿治済だが・・・・・・(泣)
週末はカスが書く・・・なんて以前のスレで書いていたのがいたが・・・
やはり連載のネタが切れるまでの間隔が短くなっていたなw
>>544 井沢先生はかつてNHKによく出ていたが、
最近はトンと呼ばれなくなったようでw
連載中心の話に持っていくのは週刊ポストの戦略なのだろうかw
>>548 それは連載の話をさせたくないあんたの戦略だろうw
>>531 >仮に言語学的見地から輪と倭では関連はないという研究結果が出たら井沢説は崩壊するのか?
崩壊するでしょうね。それ、そんなに恐れなければならないことなんでしょうか?
人文社会関係はどうしてそのように自説の崩壊を恐れるのでしょうか?
自然科学分野ではほとんど考えられないことですね。自然科学では説の更新などしょちゅうありますし、自分で撤回することもあります。
アインシュタインの宇宙定数など自分で撤回していますよ。でも後に(アインシュタインの死後に)それが再び注目されたりします。
自分も他人も、唱えた人の名誉より真実の追究に重きを置く。どんな説でもそれは過程に過ぎないというのが発展する学問だと思いますが。
>>538-539 スマソです。私にも配慮に欠けた表現がありました。
すれ違いは話を重ねることで出来るだけ解消していきましょう。
家基の件が最後に出て来た。
暗殺説でかつ田沼意次犯行に懐疑的。
いよいよ次回は一橋治済の登場だw
何がどうなろうが定信叩きでしかないのでは?
>>550 脱線してるようだけど面白い話なので、
>人文社会関係はどうしてそのように自説の崩壊を恐れるのでしょうか?
自然科学は自然と言う明快な審判がいるから、自説に拘泥しても見苦しいことが本人にわかるからじゃないでしょうか。
人文科学では曖昧な審判を人間が下すから、本人が見苦しく自説に拘泥しても本人にはわからない。
アインシュタインが撤回したのは宇宙項(C項)だったと思いますが、アインシュタインはEPR問題ではかなり自説で抵抗しています。
「神はサイコロを振らない」と言う自説と言うか信念だからかとは思いますが。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 21:34:41
エドウィン@ハッブル
>>554の続きを読みたい方は
ハップル ハップル とお書きください
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 23:14:10
Edwin Powell Hubble
何がどうなろうが定信叩きだったなw
しかももう紙数が無駄なんじゃなかったか?
イザワが定信以上の粘着質だというのはよく理解できたw
おそらくは田沼意次の怨霊鎮魂なんだろうww
シッコ=小便(尿)
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 00:13:01
>>559 そういえばタヌキは昔人をよく化かしたそうだw
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 00:40:30
>>558 小室先生にはサミュエルソンレベルを求めても良いそうだw
今週のは幕間みたいで、切れにかけたね。
でも定信叩いてるところは気が狂ってると言われても仕方ない書き方だった。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 20:41:31
近々また190〜200ページ台に降格の可能性大w
568 :
金曜まで多忙の社長:2007/11/13(火) 21:58:05
>>560 >>567 何かがいつも中途半端なのは、井沢スレだからか?
Cosmological Constant=宇宙項(Λgμν)
だ。
宇宙定数というのは宇宙項の係数(Λ)のこと。
江戸時代における儒教、政治家、経済などの政策については一度整理しよう。
その間の論議はお任せする>ALL
今の俺は、自分の会社の経済政策で手一杯だw うまくは行っているが。
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 23:09:45
社長さ〜ん♪
書かなくてもだぁれも文句言わないから
個人的事情をそんなに書かなくてもいいよーだ♪
いっとくけど社長だろうが会社潰しちゃったら
下層民の仲間入りだかんね♪
>>569 おまえの東大ってのも充分個人的事情だなw
>>565 次は徳川家基暗殺説を一橋治済か下手をすると松平定信説にまで
無理やり持っていってしまうような希ガス
井沢さんマジで江戸時代というか徳川吉宗以降は書き直した方がいいと思います。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 07:30:06
ここで評判を読む限り自分の著書を自分で荒らしているのではと
思えてしまう。
田沼意次に関心があるので単行本が出たら読んでみますよ。
そんなに酷いのかな?
例えば井沢元彦の松平定信評で良い評価をする人はいますか?
単行本は水野忠邦が終わるまで出ないかもw
忠臣蔵から新井白石までもページ辺りの行数がなんか凄く多かった。
改革期と幕末でそれぞれ1巻ずつ。江戸時代は5巻でいっぱいいっぱい。
くだらないところを思い切り落せば良いと思うが。
575 :
sage:2007/11/14(水) 15:01:16
江戸中期の連載は逆説未遂
単行本派だから状況がわからんが、まあ面白けりゃなんでもいいよ。
明らかにおかしいってんなら、誰かが「逆説の日本史は買ってはいけない」とか書いてくれりゃいいし。
面白けりゃ買うから。
歴史を面白く解説すると言うのは著者の名誉だが
無理やりな自説が面白いっていうのは名誉なのか?
面白いかどうかを判断するのは読者たち
しかし飽きたから面白くなくなったのか段々内容が面白くなくなってきたのか・・・
誰か途中から読み始めた人いますか?
必殺仕事人や桃太郎侍も面白いよ。
知的好奇心を満たす大人の面白さ
それは・・・・・・・・・・・・史料を読むことだw
>>576 面白いぞー、田沼時代の連載はw 単行本化が楽しみだなw
あー面白れ、面白れ、面白れーーーーーーーーーwww
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 23:26:34
逆説の日本史は買ってはいけない
もう秋田
あきる野はまだ早いw
連載ネタも週半ばで完全にネタ切れみたいなw
もうお分かりだろう
終了
今週の連載ネタは終了かも
また最下位w
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 00:43:39
やっと終わったw 今夜は打ち上げで飲み会! 大いに盛り上がったw
これで今期も大幅黒字確定。株主にも社員にも十分還元できる。そして次期社長にも。
と言う訳で俺は3月末で今の会社の社長を退任することを発表してきた。 と、ここまでは私事で済まない。
さて、江戸時代だが、思想的な話で言えば古代以来の怨霊信仰とか外来の仏教、儒教、キリスト教と大体主だったものは揃った。
まあキリスト教は禁教となった訳だが。その中で怨霊信仰が廃れ、仏教は神仏習合となった後、戦国期までの隆盛が廃れ、儒教が残った訳だ。
井沢がこれに偏見を持っているので、もう少しその分前向きに捕らえて考え直してみたい。
敢えて少し極論を交えて展開してみよう。
今夜はちょっと(かなり)酔っているので、一休みしてから今後話を書いてみたいと思う。
連載ネタは出たらそれなりのコメントをしよう。先週のは何人かが既に書いてくれている。
それと主旨の部分は次回みたいだったし、まとめて考えても良いだろう。
>>591 社長、お久しぶりです。
社長が社長を辞めてしまうんですか?
まあそれはそれとしてw
私自身も経済と密接に関わっている人間です。というか日本の大多数の社会人が実はそうでしょうが。
井沢氏はちょっとこれらの人々をナメ過ぎたと思っています。
経済を語らせたら井沢氏などは多くの日本人にほとんど及ばないでしょう。経済大国の一般社会人を見下して話は書けませんよw
ましてや社長のような経営サイドの人間を相手に勝ち目はないでしょうね。
それで、思想もいいのですが、自分としては
>>368が印象に残っています。
ちょっとその部分では、話に乗っていながら外れていってしまいましたが。
その頃は私が多忙だったもので。でも
>>376さんや、
>>382さんが読み応えのある論議をされていました。
社長は経済政策に関する謎かけのレスをいくつか書いているので、その答をそろそろ書いて欲しいです。
正解というより社長の考えでしょうか。正解についてはまた論客の論議の行方で決まるでしょう。
父親も文筆家だというのは知られてないのかな。
元TBS政治部の報道記者だというのは?
早大法卒というのはw
先祖が播磨国だというのは?
597 :
376です:2007/11/17(土) 12:23:49
>>592 田沼意次は海外との通商を始めようとしていた、とか視野に入れていた
などはよく言われることなんですが会社を経営している人から見たら
そんな考え方もあるんだと新鮮な観点に感心しました。
歴史ばかり考えていると思いつかない視点ってあるんですよ。自分は
歴史の中で江戸中期に興味があるのは経済政策が重きをなすからですが
もっと経済そのものも勉強しないといけないなと感じました。勉強して
いたつもりだったんですが、現役の企業経営者にはまだ及ばないようです。
>>597 私は社長の
>>368はタイのバーツ危機とダブって映りましたね。
タイも固定相場制を維持しようとしてドルペッグを採用したのが裏目に出た。
タイ自身は結局変動相場制に移行せざるを得なくなって国内経済は安定へ向かったがその後アジアの通貨がそのとばっちりを受け、韓国や日本が重大な経済危機を迎えた。
北海道拓殖銀行や山一證券など、元々内部に問題を抱えていて外部リスクに脆弱な金融関係の企業は吹っ飛んでしまいました。
風が吹けば桶屋が儲かる式の連関関係が高度に作用するのが経済の世界。
日本が江戸時代の経済政策の紆余曲折を経てやがて開国する際も同じような苦しみを味わったようですね。
幕府は政策自体は的を外していないと思います。
>>369で書いた通りです。
けれど経済政策は方向性が正しくても、数量的な過不足や実施タイミングの微妙なズレが致命的な失敗につながったりするのが怖いところです。
逆に言えば、うまくいかなかった経済政策を論じる時、それが方向性の誤りなのか、数量や実施タイミングの妥当性を欠いたのかを分けて論じなければ意味を為さないと思います。
井沢氏の展開はそれがごっちゃになっています。だから改革政治が悪いとか、田沼は良いとかの短絡的な評価に留まっているのでしょう。
史学もそうですね。歴史上の経済政策でも、その評価軸は画一でよいものではないと思われます。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 14:12:05
経済ってさ♪ 例えて言うなら「お天気」だよ〜♪
気圧配置のしわ寄せがどこかに来るとそれでお天気が
良くなったり悪くなったりする!
国境なんて関係ないのも同じ!
また上空高層の天気が良くても下層の天気が悪いことも多い!
立体的に俯瞰しないと見えない。これも同じだよ〜だ♪
経済はお金と財・サービスの配置としわ寄せが生み出すお天気
自然のお天気と違うのは人間がやっているということ!
上層の人間が決め、下層民が従うのが経済♪
史学も逆説の日本史も共に抱えている致命的な欠陥
それは 経済に関する無知w
やっぱしゃちょが来ると盛り上がるw
でもそんな気分にさせてくれたのが当初の逆説の日本史ではなかったか?
それは古代とか中世とか学校を卒業してかなり経つオジサンたちにも
現代感覚で歴史ネタを提供してくれたから。
なのに江戸時代のしかも経済ではオジサンたちは目が肥えているから
それ以上の展開しないと面白くない。
単行本のサブタイトルって必ず”〜の謎”って形になっているけれど
これじゃ次回の単行本は何の謎もないものになってしまう。
思い切って”井沢元彦 失敗の謎”というサブタイトルにしてみてはw
>>598 >韓国や日本が重大な経済危機を迎えた。
そういえば韓国はバーツ危機の時はIMFの軍門に降ったんだったw
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 21:57:56
>>598 >逆に言えば、うまくいかなかった経済政策を論じる時、それが方向性の誤りなのか、数量や実施タイミングの妥当性を欠いたのかを分けて論じなければ意味を為さないと思います。
>井沢氏の展開はそれがごっちゃになっています。だから改革政治が悪いとか、田沼は良いとかの短絡的な評価に留まっているのでしょう。
ごっちゃならまだそういった視点がある、ということだがそうではない。
方向性だけを問題にしていて、経済政策のもうひとつの重要な要素、程度と時機についての考察はないに等しい。
だから短絡的に改革=悪、田沼意次=有能という評価になる。
それでは吉宗から田沼意次、松平定信、大御所時代、水野忠邦と流れる流れは見えていない。
経済の引き締め局面、展開局面で時宜を得た政策が適切な程度為されるかどうか。これが経済政策だ。
>>598の主旨は良いと思う。だが、江戸時代は時機と程度を測る方法論(経済学)がなかった。
これは仕方ないことで、だから現代の視点で考えるだけでは歴史の検証にならないということだな。
関西のお笑い芸人上岡龍太郎が「上岡龍太郎の『もうダマされないぞ!』」
という番組をやっていたが、世相に意見する上岡に視聴者からツッコミが
数多く入った。それで上岡龍太郎は、番組タイトルを思い切って変更した。
それは「上岡龍太郎にはダマされないぞ!!」
いかにも関西らしいw 自虐ネタにして高視聴率を維持したw
イザワ先生も見習ったらどうだろうw
井沢元彦にはもうダマされないぞw
このスレ見るとボロクソだが、逆説は何巻くらいまでは面白かったのさ?
それとももう全否定?
いま戦国時代だけ読んでるんだけど、歴史にそんな詳しいってわけじゃないから、「へえ、へえ」って感じで面白い。
「それ結局は憶測だろ!」って箇所もあるけどさ。
>>603 >方向性だけを問題にしていて、経済政策のもうひとつの重要な要素、程度と時機についての考察はないに等しい。
>だから短絡的に改革=悪、田沼意次=有能という評価になる。
田沼の失政については時期が悪かったみたいな弁護してますよ。
>>606 内容の評価はともかく、面白かったのは家康の頃までじゃなかったかな。
信長編は余りにも信長弁護論だった。秀吉編は意見は意見として中韓との偏見がかなり混ざっていた。
この辺りから怪しかったのかな。信長は井沢氏が最も書きたかった箇所でしょうから気合入れすぎだったのかも知れませんね。
その直後の家康編は、むしろそうした力が抜けて割りと冷静に展開していたので却って家康の危機管理能力がよくかけていたと思う。
鎖国(とされる体制)辺りはもうズブズブ。何を書きたいのかがまとまっていない感じでしょうか。
何巻までといえば12巻の途中までは面白い面があった部分だと思う。
ただし冷静さを欠いている部分が信長以降次第に増えてきているのでそれは正直言ってシラケますね。
>>607 時期と時機は違いますよ。というより対照的と言っていいのかも知れません。
時期が悪かったというなら、田沼意次の責任はないという弁護論。
時機を逸したといえば、それは田沼意次の責任という観点を考える事になりますね。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 11:15:59
誰でもそうだが、得意分野があるんだよ。
得意なところはかなり詳細に分析しているね。
そうでないところは他人の説をまとめただけで新鮮味はない。
朝鮮半島に関してはまともな意見を述べている。
君たちは勉強が足りない。
>>609 勉強が足りてると思い込んでいる人、二人目が登場w
おまいも東大生と同じだなw
>>609は5行書いていて4行までマトモだったのに、最後の1行でブチコワシw
井沢先生の得意分野は仏教だろう。
嫌いなのは儒教。
というより、ウヨ的な立場というと文句が来るのなら非サヨ的な考えの
中で儒教的なものさえなければまともになると考えているのではないか?
いかにも新自由主義w
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 14:08:59
>>610 バーカ、一緒にすんな〜♪
>>609なんて4行の感想文じゃん!
中身なんてない。どこがどうなんて何か書いてあるかよ〜だ♪
おまえら下層民は感想だけで十分だよ!
歴史なんて勉強したって何の役にも立たない!
歴史を勉強して役に立つのは社会の上層に立って人を指揮監督して
世の中を実際に動かすべき人間だけだよ!!
下層民は感想だけで解ったような気になってせっせとお金を出せば
いいんだっての♪
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 14:18:26
>>591 社長!負けたのかよ〜♪ それとも逃げるつもりかな〜♪
戦いは一生続くよーだ!
負けたり逃げたりする奴はその言い訳を文学にしたり怨霊がどうとか
書くだけだかんね!!
年取って隠居するなら解るけど井沢って人より年下ならまだ老け込む
には早過ぎるし!ここで戦うのを止めるようじゃ下層民の一種になり
下がるよーだ!!
火葬火葬って煩い奴だw
(o^-^o)。。
>>613 こいつのような奴が人の上に立ったら松平定信のような奴になるに違いないw
中身のない誹謗中傷罵倒はなしね
江戸時代が泰平だったのは儒教のお蔭じゃないの?
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 19:58:56
>>617 再び日本は身分制度のある階級社会になるよ♪
で、一橋民部卿治済だが・・・・・・
622 :
◆.dZGrsR71s :2007/11/18(日) 23:40:55
>>608 なるほど、じゃあ次は13巻に行こうかと思ってたけど、1巻からちゃんと順に読んでみよう。
しかし、13巻以降は面白い箇所すらないって感じになってるのかー。
歴史解釈も間違いだらけって感じ?
鎖国の話とか楽しみにしてたんだけど。
ちょっと残念。
資料の少ない時代を小説家としての構成力というか妄想で埋めるのはおもしろかったのだが、さすがに江戸時代も半ばになると
「信頼できる資料」が質量ともに安定してくるので、どうしてもたんにいちゃもんをつけるだけっぽくなるわな。
いや、正しい視点で切り込む口なら本当ならたくさんありますよ。でも、
「吉宗はバカ殿」経済を見る眼がないからって井沢氏自身が見る目がなってない。
「側用人を置く将軍は名君、だから家重も名君」根拠提示が希薄。しかも大岡忠光が有能だった姿しか浮かんでこない。
しかも儒教に毒されているからダメだと言いつつ、「名君」という評価自体が儒教的な評価とここで指摘があった通り、井沢氏自身の価値観がハチャメチャ。
尾張宗春が「名君」・・・名古屋マンセーとしか読めない。
田沼意次・・・史学的観点のまま。特に逆説で見るべきものなし。
松平定信・・・田沼意次擁護と反儒教(反朱子学)で叩くだけ。功罪の客観的検証なし。
なんか無理して展開し過ぎのような気がしています。こんなの書いて意味があるのか?
おまけに書いている本人が自ら「紙数の無駄」などと書く始末。これ以来、私はポストを購入していません。
(先週は立ち読み。)
もう井沢氏の展開にはほとんど興味なし。このスレの展開の方が面白いので読み書きしているのが現実ですね。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 07:58:17
今雑誌は売れないからな、特に週刊誌。
情報はネットからというのが大石、それに発行部数で多いのがR25とか
無料配布のものだそうだ。
それをやっているリクルートの発行部数に、小学館、集英社、講談社という
従来の大手(3社)の雑誌売り上げ部数を合計しても及ばないそうだ。
イザワは雑誌連載という手段で日本史のコンテンツを大いに売り出す事に
成功したが、今はそれも曲がり角に来ている。
で、一橋民部卿治済だが・・・・・・
>>627 苦節レス数・・・どれくらいだろう?やっと一橋治済が連載に本格登場したよw
論調は
>>466の東大生、
>>476さんが一橋治済が徳川家基暗殺の犯人ということで
井沢先生と同じ見解。
>>478は田沼意次主犯説だから井沢先生とは異なるね。
(しかし何でそんなに先走りして論議しているんだ???)
ここのところ逆説スレは華やかなバトルがないし、思い切って徳川家基の死に
ついてとか、その周辺事情を巡って論戦しないか?
>>628 そういうのって「まず隗より始めよ」ってものなんだが。
結局、一橋治済は、息子を将軍にする為だけに田沼、定信を利用したんだろね。
一橋って、御三卿の二番目、田安より格下。この微妙な位置がね。
すなわち将軍家の後嗣が絶えるだけでは不十分。定信は田安だが、田安って
宗武の時もそうだけど、能力が高いから後継ぎにふさわしいなんて主張する
ようなお家柄。定信はうってつけの候補者だな(七男だけどね)。
将軍家には、家基という後継ぎがちゃんといた。これらふたりが後継者から
除外されないと豊千代丸(家斉)は将軍になれない。
権謀術策しかないけれど、これには優先度がある。家基から除外すると定信
が将軍になってしまう可能性が大(少なくとも一橋よりは上)。
当然、定信、家基の順で除外するしか豊千代丸の出番はない訳だね。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 22:13:38
一橋治済は、御三家と結託し、田沼の残党である大老井伊直幸、老中首座松平康福、老中水野忠成、御用御側本郷泰行、同田沼意致、同横田準松をおっぱらうため、
白河藩主松平定信、小浜藩主酒井忠貫、山形藩主秋元永朝のいずれかを老中首座にすべく工作していた
定信は、何と言っても「吉宗の孫」という凄い札がかかっているからな。
家臣筋になってしまったが、主筋も同様。
老中首座になるのもむべなるかな。
ただ、既に一橋治済は、もうその先を見ていたのは間違いない。
松山松平定国
桑名松平定信
越前松平重昌
越前松平重富
黒田治之
>>632 定信は白河じゃなかった?
トーシロでゴメン
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 22:37:54
すでにさんざん既出だと思うけど(甲斐素直の随筆にもあるし)、
実は田沼氏のその後は「風雲児たち」に描かれているほど悲惨では
なかったらしくて、たとえば水野家から追い出されてきた子供って
いうのも、意知が亡くなったので田沼の方から呼び戻したもので、
元に水野家とは昵懇のまま、定信が権力をなくした後にまた幕府
財政を担当している。決して幕末の「ニシン倉」まで表舞台に出て
こなかったわけじゃあない。
ただ2年にわたる政争が凄絶なものだったのはたしかで、それは
よく言われているように、これが田沼家対一橋・定信の個人的な
対立という次元じゃなく、綱吉の時代から築き上げられてきた
「家柄にこだわらず能力主義で人材を登用するシステムを維持
したい勢力」と「能力に関係なく家柄で幕府の要職を固めて動かさ
ない門閥第一勢力」の覇権争いだったからで、実質的に江戸時代
180年の歴史の総決算的な路線対立だったから。
で、よくあるように「民衆の蜂起」を理由に革新派が撤退を余儀なく
されて、かえって民衆にはヒサンな政権が勃興してくるわけです。
改革をうたって人気を得て、しかし時代に逆行する破滅政権が
できるのは世の常ですね。かくして田沼意次を中心とした能力本位・
商業経済主義・開国革新路線の幕政は実質的にストップし、松平
定信のトチ狂った経済政策でせっかく蓄えた幕府の余剰金もアッと
いう間に底を尽き、幕政はたちまち破綻に追い込まれていくことに
なります。
とにかく幕末期もそうですが、派閥争いで報復人事を繰り返して
いるうちに、負けるはずのない相手に漁夫の利をくれてやるなど
負けるはずのない勝負を落とすようなことばかりゆやっているのが
日本のトップの体質です。まあ大東亜戦争も平成経済戦争もそう
でしたが、どうしてこう学習しないのか…余談すいません。
>>633 松平定綱から始まるこの家系は桑名藩。越後高田→陸奥白河と転封した家。
通常「白河松平」とは言わないのでこうなった。
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 23:12:26
田沼が失脚してから寛政の改革の号令が始まるまで、まる二年の暗闘が繰り広げられ、幕府政権交代史上類を見ない激動だったと。
というのも、田沼改革はチームを組んで行われていたから田沼一人を閣外に放逐しても政策は簡単には揺るがない。しかも大奥まで田沼派。
その暗闘における一橋民部卿治済の暗躍には非常に興味を感じますが、いかがでしょうか
まる2年じゃなくて足掛け2年。実際は10ヶ月程度
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 23:33:33
最大の問題は、定信の処遇。実は、田沼派と寛政改革派(便宜上こう呼ばせていただく)の戦いは、やはりほとんど決着していたと見ている。
やはり田沼が巨魁であって、田沼なき田沼派は殆ど壊滅状態。政権を失った自民党経世会みたいなもの。
寛政改革派は、定信の処遇如何で、一枚岩になれるかだった。
それに、実は一橋治済は、そういった両派をも超越するような存在であったのではないかと考えている。
田安家の七男定信を、奥州白河藩主へと駆逐したのは、そもそも田沼と組んだ一橋民部卿治済の画策。
豊千代丸を将軍にしたい一橋民部卿治済の意志が働いている。将軍世子家基の暗殺も同じラインの謀略だろう。
御典医も買収されていた訳だし、用意周到。
その後の田沼追放も一橋民部卿治済。ここまでする動機は豊千代丸の将軍就任のみを至上命題にしているからこそ。
豊千代丸は、14歳で第11代将軍徳川家斉となったが、政権運営をする核が必要となる。政権与党側になった訳で、ただ謀略にのみうつつを抜かしている訳にはいかない。
定信の起用の背景だ。当然、家斉が成人するまでの暫定措置であり、何も幕政改革なんて路線を支持してのことではないだろう。
一橋民部卿治済は、暗闘の一方の当事者という考えではなく、両派を超越した巨魁であるという考えがないと、この一連の真相は見えてこない。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 23:44:22
と・・・乗ってしまったがw
ちょっと逆説の日本史を逸脱した(超越した?)論議になっているが、俺は今回の連載内容はここ最近のハチャメチャに比べればマトモな内容ではないかと思っている。
しかし、今回引用されている中央公論の日本の歴史18は、チト古いというか、井沢としては信じられないな。
しかも肯定的に引用(かどうかは分からない。次回ひっくり返す布石にも思える)のようにも取られる。
井沢は、元々史学を否定するところから出発している。ただし、最近の傾向として、史学にもトンデモ(井沢から見て)なのとマシなものがあり、マシなものは取り入れるというスタンスのようにも思えていた。
ただ、今回好感が持てるのは、想像に過ぎないところはハッキリとそう書いていること。それで良いんだ。
細かい見解はまたおいおい書くとして、今回は久々に井沢節らしい内容だったと思う。
(儒教に触れていないからか?)
で、将軍家世子だった徳川家基だが・・・
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 00:15:05
最後の最後で
怨霊対策の鎮魂が出てきたので
なんだかほっとした
井沢先生、原点回帰か?
徳川家基≒早良皇子
次は尊号一件w
御三卿一橋家の本質に井沢氏が迫れるかどうかですね。
定信にはそれがまったく分かっていなかったw
それをキチンと説明できるかどうかが見どころです。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 00:47:10
>>628 先走るも何も田沼意次から一橋治済の話題なら日本史板15スレから
あっただろう?
定信叩きが何週も続いたから延び延びになっていただけ
井沢さんはどうあっても徳川吉宗と松平定信を脇役に貶めたいだけらしい
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 00:55:56
>>644 一橋家の祖宗尹は「生まれながらの将軍の子はわれ一人」と強い自負を
もっていた。家重か宗武かと言われた吉宗の後継者問題の陰で憤懣やる
方なし。
その2代目が治済だよ。しかも治済の兄がふたりも他家へ養子に出され
ていてそれを主導したのが他ならぬ田沼意次。ある意味田安家から養子
に出された定信と同じ憂き目に遭っている。
御三卿VS田沼意次の戦いは壮絶な暗闘となったんだ。
>>646 田沼の係累が一橋家にも入っていたのではなかったか?
>>645 先走るのは井沢支持者対策だなw
まだ書かれていないことなら歴史ヲタの独壇場
井沢支持者は井沢が書いた内容についてコメントを
書くのでついて来ないw
やっぱり井沢先生は今までスランプだったんだ。
逆説の日本史はやっぱり面白いよね。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 22:28:33
「逆説の日本史」を第一回から週間ポストで読み始めてから幾星霜。
やっと終わるところまで来たな。
つ週刊ポスト
>>650 ということは逆説の日本史ファンにとってもここのところの
松平定信叩きは面白くなかったんだなw
ゴキブリ一族一橋
松平定信なんて所詮捨て駒だし
一橋治済&家斉親子がスルー扱いだったら
どうしようかとハラハラしながら読んでた
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 23:36:46
>>644 それはなかなか面白い問題提起だな。
実際この頃の政治家の評価として
・経済重視政策の田沼意次
・吉宗継承のの改革路線の松平定信
・賄賂政治の悪徳政治家田沼意次
・朱子学重視の融通の利かない松平定信
このような価値観が錯綜し、議論百出、専門家も井沢もヲタも興味を持つ人もなかなか評価軸が定まらない時代だ。
いや、それぞれが評価軸を持っているが、物差しがいくつもあって議論がかみ合わない。
ただし、これだけは一致するだろう。
それは一橋治済という男はとんでもなく権謀術策に長けた人物で、功罪の評価はいろいろあるにしても田沼意次や松平定信といった歴史に名を残す一線の政治家を手玉に取った陰謀家である。
これは、田沼意次や松平定信をどう評価する立場を取っても変わらないように思える。
果たして、そうなのか?
これだな、本当の逆説を書くならばw
下手をすると一橋治済を悪玉にして田沼や定信両方を被害者にしてしまう事も可能だし、現にそういうレスも見える。
しかし、一橋民部卿治済の本当の立場とか、人物像に迫った見解というのはなかなかお目にかかれない。
一番の極悪人とされるのなら、逆に一番のキーマンであるはず。
誰も書かないのなら、俺が長文覚悟で書くが、どうしようか?
井沢が書くのを待つか、先行して書いてしまうかだがなw
愛の深いおとうさん説。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 23:45:35
>>658 うむ、なかなか面白いw
では一橋治済は、例えば日野富子みたいな、自分の最愛の息子を将軍にしたいだけの愚かな親だったのかな?
この辺りを考えることが、実は一橋家、引いては徳川吉宗が設けた御三卿の本質に迫るのだと思う。
>>644は回答を用意して提起しているか分からないが、これを考えることがこの時代の正体、すなわち田沼時代と寛政の改革を政治面で解く鍵になると思う。
>>657 どうしようかも何も、書く気があるなら書いてちょうだい。
そうだよ、ここは歴史難民板。
日本史板なら1レス30行という縛りがあるけどここではもっと書けるよ。
読み応えのある内容だったら長久手もいいよw
退屈だったらダメだけど。
しゃちょはどうももったいぶって焦らすところがあるねw
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 00:25:40
ええとね。これは実はかなり気合を入れて書かないと書き切れない予感がしている。
今週末は3連休だから次回の連載前に書いてしまおうか。
その前にちょっと布石を打っておく。
逆説の日本史をずっと読んでいる人は足利義満の部分も読んでいると思う。
単行本でいうなら第7巻か。
井沢はこれとは別に「天皇になりたかった将軍」という著書もある。
これは実は読んでいないがNHKが同じ主旨の番組をやっていた。
それは措く。逆説の足利義満で書かれていたのは権力志向の非常に強い征夷大将軍足利義満の姿だった。
それは上皇を目指すところまでエスカレートする。
実は俺自身は、一橋治済はその江戸時代版だと考えている。
そして大切なのはただの比較や例えではなく、何故人間は時としてそのような権力志向の権化になってしまうかという問題だ。
歴史には時にそうした人物を生み出すんだ。近現代にもいたし、俺が付き合う企業経営者の中にも散見される。
俺はそれは、その人の置かれた立場、取らざるを得ない行動と動機。そういうものが作用するのだと考える。
普通、人は「競争」を通じて似たような状況になることがある。ライバルがいたり切磋琢磨したり。
しかし、義満や治済の場合、少し違う。義満は別にライバルがいた訳ではない。治済の場合は少し違うが、それでも田沼意次や松平定信といった正面の政治家とは少し立場が違う。
彼等は純粋?に自分自身(の立場)を敵として戦っているような感じなんだ。
順を追って書くが、その前にヒントを。先に書かれても文句は言わないw
徳川御三家と御三卿、違いは何だろうか?
御三卿はそこにはじめて名称が付けられただけで、前例があるんだよな。
大御所の名称問題もあるしね。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 00:40:04
>>662 はっきり言おう。
社長、あんた井沢元彦だろう?
>>664 2ちゃんではそんなことはどうでもよい。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 01:06:53
>>662 御三家は尾張、紀伊、水戸
御三卿は田安、一橋、清水
違うよなあ・・・・・・・・・
>>662 社長はひょっとして同じ考えを持っているのかも知れませんね。
日本史板では私は社長の自演だと書かれたこともありますからw
御三家は大名として完全に独立している。御三卿はいわば部屋住みの延長です。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 08:14:27
ここは「ウラ逆説の日本史」が発行されているスレでつか?
超メタボ作家井沢の逆説は激ヤセ、オタク評論家の岡田氏か
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 18:03:59
家斉まで来たということは「逆説の日本史」もそろそろ終わりだね。
来年中くらいかな?
お稲荷さんまで来たらまた怨霊が復活するw
>>670 何の何のw
将軍&大御所徳川家斉をリアルタイムで語れば50年は続くぞw
うむ
徳川家斉は側用人を設置していた。
間違いなく家斉名君論が延々と展開されるw
>>667 自己レス・・・・・・というか
社長が気合を入れて展開したらどうなるのかと期待していたんですが遠慮したら駄目ということなのかな?
私自身の考えは、一橋家始め御三卿は部屋住みに近い存在。
十万石の賄い料はあるものの、一国一城の主とはいえない。
例えば御三家は尾張60万石、紀伊55万石。外様の大大名にも引けを取らない待遇を受けている。
水戸は25万石前後で少し小さいが参勤交代が免除され江戸在住。世評は天下の副将軍。
つまり、彼等は将軍嗣子がない場合の血統のプールで後継問題には絡んでくるが、例え後継者になれなくても大大名として、かつ藩主としての生涯が約束されている。
決して不遇の存在ではない。
水戸光圀、また井沢氏の好きな尾張宗春が、それぞれ綱吉や吉宗の政策に異議があった場合に自分の藩ではそれに対抗するような政策を採って反骨を示したけれど、それが出来るのは一国一城の主だから。
これが一橋家だと、やりたくても出来ない。制度上は将軍家の家族。藩を持っている訳でもない。
それと、何代か経た後の御三家には「譜代の家臣」も存在している。
しかし御三卿の家臣?(用人と呼ばれる)は言ってみれば幕府からの出向。だから田沼意次の係累も一橋家にもいる。田沼意次の意向もそのまま反映される。
また末端の用人はいわば子会社に出される出向者なので幕府からすれば窓際以下の扱い。喜び勇んで赴任するものなどいない。
かつて松平定信は、田沼意次に贈賄してまで幕閣入りを運動したが、辞令は「溜間詰」。つまり表の公職ではない裏役だったので大いに落胆したという話があるが、一橋家用人の辞令を受けるという意味も同じような受け止められ方だっただろう。
幕府での出世の道が断たれる。
一橋家などの御三卿は、だから党首もやりたいことが自由にできない、田沼の権力は浸透している。そして多くの用人はやる気なし。
資本と役人のほとんどを親会社に占められ、出世から外れた出向社員で構成される子会社と同じような境遇なんです。
こんな境遇に不満を抱いた子会社の社長、いや一橋家の党首である治済にとって、何か可能性を考えるとしたらそれはただひとつでしょう。
それは、「一橋家から将軍を出す」こと。
これだけが、まさに唯一の現状打破への望みとなったはずです。こんな境遇に置かれたら、やる気を出すとしたらそれしかない。
治済があのような存在になったのは、治済の個人的資質もあるでしょうが、やはりそのような立場のなせる業ということになりますね。
党首→当主ですね。スマソです。
側用人の設置は指導力や積極性をはかる指標にはなっても
名君暗君をはかる指標にはならないはずなんだがな。
無能な働き者だっているんだし。
だいたい井沢自身も最初はそんな風に断わっていたはずだが。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 16:13:42
有能なサボリもいるよねw
>>676 名君とは人徳を持つ君主でしょう。手腕が優れているだけでは名君とは
余り呼ばない。敏腕政治家かな?
従って儒教上の良い評価という意味になるね。
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 23:11:13
井沢の家重論、治済論などつまらない。
が、中国・韓国についてはまともなことを書いている。
日本政府もいい加減に、中国・韓国の態度には怒るべきだ。
結局井沢さんの話はそこへ行くわけだ。歴史は便宜。
ただ怒るのは劣等感の証w
中国・韓国がなってないと言ってもそれで怒る必要はない。
日本人はもっと賢くなる必要がある。狡猾さも必要と言えば必要だけど
それは表に出さない。
丸出しにするのがアングロサクソンだから彼等が怒り出したら
「まあまあまあ・・・」とか云いながら、そこで主張したい事をさり気なく
通す。
意外と日本の政治はしたたかだよ。うつけを装うのも一流の証。
井沢さんの大好きな信長はそうだったんじゃないの?
まず中国外交がどうにもならんと変わりようがないよ。
でも実際外交官なんてほとんど世襲制状態。
留学時から洗脳されて接待漬けにされて中国企業と癒着して、それが上から下までずっと続いてるからもうどうにもなんない。
政府は国民(特に異民族)に対してメチャクチャやってるのに、その感情をこっちにぶつけるために反日教育とか。
劣等感というか、実際このままじゃなし崩し的に負けてくと思うんだよね。
いまのぬるま湯お坊ちゃん官僚が相手じゃ。
官僚を罰する法律を作らないとそういうのは変わりようがない(それ以外もメチャクチャだけど)んだろうけど、
たぶんずーっとこのまんまなんだろうねー。
スレ違いの上にネガティブでごめん。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 12:11:00
>>674 遠慮する必要はない。お蔭で良い分析内容を見ることが出来た。
俺の言いたいことのひとつも概ね同じだ。かなり書かなくても良い部分が増えたので感謝する。
江戸幕府は家康の時に末端の係累(秀康とか忠輝でない事に注意)を御三家として設けた。
これは
>>674の言う通り。特に尾張と紀伊は大大名クラス。また近畿と東海道の要衝に領国を持つ。
また、秀忠は家光に家督を継がせ、弟の忠長には駿河の国を与えた。だが、この辺りは逆に兄弟の対立を生んだ。
更に保科正之を会津に封じている。越前福井の松平(結城秀康の子孫)と会津松平(保科正之の子孫)は共に徳川を守る藩屏としての役割は果たしたといえるだろう。
家光の家督は家綱。弟はふたり(綱重、綱吉)で彼等は10万石で大名となった。
綱重が甲府、綱吉が館林。関東近郊の大名だ。綱吉が5代将軍を継ぎ、6代は綱重の嫡子家宣が継承した。
この辺りまでは、徳川将軍家の嫡男以外は大名となる路線だ。
同じ頃、例えば紀伊藩だと光貞の後は綱教だが、頼職・頼方(後の吉宗)は領地は与えられたが藩主として赴任したかどうかは定かではない。
光貞の弟(松平頼純)は伊予西条藩主として赴任しているが、段々分家として存立させることが時代を経るごとに困難になってきている。
そして吉宗が将軍になり御三卿が出来た時も、事情的には吉宗(松平頼方)が丹生を与えられたときと似たような状況だっただろう。
石高として10万石は確保したが、田安、一橋とも独立した藩主としての体裁はなかった。
そうした「部屋住みの延長」が一橋治済の権力志向を生み出した要因ではあるが、もうひとつある。
それは、御三卿については、大名としての待遇が不足している分「家格→官職」を異常に上げたという事だ。
一橋治済の初代宗尹、六代慶昌は刑部卿。二代治済、三代斉敦、五代斉位は民部卿。
四代斉礼は兵部卿・・・と官名はまちまちだ。田安家も民部卿、大蔵卿・・・後に出来る清水家も宮内卿、式部卿・・・
これらは本来「宮家」が代々就く官職だった。だから既に宮家で就いている官職があるとそれは遠慮し、その間隙を縫って空いている官職を与える事になる。
上記で挙げたように同じ一橋でも任じられる官職はバラバラ。ちなみに十五代将軍徳川慶喜も水戸家から一橋家に養子に入ってから後に将軍になったが、その時は一橋刑部卿慶喜だ。
これが例えば徳川譜代の井伊家とかなら、代々掃部頭。酒井家なら代々雅楽頭と決まっている。御三卿は文字通り「公卿」に匹敵する格を与える為に、無理やり宮様が任じられるような官職のうち空いているものを与えるような措置となった次第だ。
井沢の逆説の日本史をよく読んでいる人なら、ここでおかしいと気がつかないだろうか?
(表現も似てきてしまったなw)
「公家と武家の官職は別物」と井沢は書いていた。なら、ダブっても良いのでは? と。
それがダメなんだ。それでは武家の官職であって、越前守とかと変わりない。徳川御三卿はそれを超越する必要があった。
でなければ、実際の待遇の悪さ(十万石あるが、事実上の部屋住み)がフォロー出来ないからだ。
名実共に公卿の官職である必要がある。しかも宮家に匹敵する家格。
すなわち、御三卿とは、徳川将軍家における「宮家」だったということになる。
一橋家は、徳川将軍家の分家でありながら、大名や藩主レベルすら適わない。その代わり与えられたのは官職と家柄の高さだった。
公事に関わると、人間はどうも権力志向が強まるようだ。足利義満にもそれは言える。都に幕府があったから、義満も天皇に取って代わろうとしたのかも知れない。
一橋治済も同様だ。徳川将軍家内の最高の家格とは天皇ならぬ「征夷大将軍」だった。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 12:38:08
>>674で
>資本と役人のほとんどを親会社に占められ、出世から外れた出向社員で構成される子会社と同じような境遇なんです。
とあったが「役員」だな。俺もそうなんだがw 取締役とか常務・専務・・・
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 17:06:42
あなかしこ
なんだか逆説の日本史を先行して読んでいるような気がw
尊号一件はそうした治済と家斉の権力志向と関係があるのでしょうか。
>>685 そんなこんなで将軍となった11代徳川家斉は、大した業績は何も残さず、太政大臣兼征夷大将軍という家康秀忠以来の栄誉と、大御所時代を含めて50年も最高位にあって53人もの子供を作るという離れ業をやってのけたw
しかも上洛して太政大臣宣下をうけるのが筋なのに江戸に居ながらにして太政大臣になるという横着きわまることをする。
治済=准大臣、家斉=太政大臣、家慶=右大臣を独占するゴキブリ並生命力一橋党
第119代光格天皇は、閑院宮家という新井白石の時代に設立された宮家から天皇に即位した。
その父親(閑院宮典仁親王)は当然天皇経験者ではない。しかし光格天皇は父親に「上皇」の尊号を贈ろうとした。
これが尊号一件。これに松平定信は反発したことで大問題に発展する。
法制上および学問的な観点では、不登極帝が認められるかという問題。
定信は認めない観点。
朝廷では前例があるとするも、定信はそれは南北朝期の変則的な事態だと反駁する。
結局この問題は、互いに妥協が成立することで上皇の話は立ち消えとなる。
(明治以降、閑院宮典仁親王は慶光天皇または慶光院と言われた)
しかしこの問題は、当時将軍家斉の父親である治済を「大御所」という扱いをするかどうかという問題とリンクしてしまった。
治済は当然将軍経験者ではない。
尊号一件で上皇を否定してしまった定信は、治済の大御所も否定せざるを得なくなり、これが治済・家斉と対立する原因、引いては定信の辞任の遠因になった。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 03:13:51
ふむふむ。
田沼意次が経済政策を何とかしようとしていた時期からそんな門閥の
権力争いが始まっていて、結局田沼意次はそうした勢力の陰謀により
追われる身になった。
意次は御三卿については骨抜きにしようとしていたとされる。
治済の兄二人(重昌、重富)は越前松平家(秀康の系譜)に養子相続、
田安賢丸は奥州白河藩の松平定邦の養子とされた(松平定信)。
当初の一橋治済は、権力を持っていた田沼意次を恐れていたのでは。
田安賢丸の養子縁組については治済が田沼意次の意向に沿って進めたと
考えられる。後に定信と治済が組み、田沼意次に対抗するようになるが
この辺りは一橋家の動向事情は複雑だ。
だから田沼意次や一橋治済について、いろいろな情報が錯綜するのだ
と思う。
で、逆説だが・・・・・・・・・
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 12:05:57
井沢は最近たいした逆説は示していない。
定説をまとめているだけだ。
「定説の日本史」になってしまった。
というわけで、そろそろ終了する。
>>682-687 実際松平定信は御三卿から出される事になったのですが、普通考え方としては二通りありますね。
ひとつは、将軍にはもうなれないが大名としての領地も藩主としての地位を得たのだからそれで生涯を考える。
もうひとつは、将軍にはもうなれないが、老中でも何でもいいから柳営に復帰して田沼を打倒する。
普通は前者でしょう。生きていく身上や充実した人生を全うするならそれがひとつの選択。
御三卿が部屋住み待遇で不満が鬱積しているのなら、ちゃんと領地も領民もいてそれを治める大名としての家があるのならそれを継承させるというのもひとつのテですね。
田沼意次の御三卿骨抜きも前向きに考えたらそういう観点も存在します。
征夷大将軍は所詮同時期にはたったひとりしかなれない。御三卿がその座を巡って争うと将軍の座が不安定になります。
一橋→松平重富などはそれで善しと納得した方ではないでしょうか。
しかし松平定信は納得しなかった。将軍の座は失ったが、権力志向は残った。
そして一橋治済も別の意味で納得しなかった。あくまで将軍職の可能性に望みをかけたかった。
それで徳川家治の世子徳川家基ですが、これを巡る利害関係は極めて複雑です。
まず田沼意次。彼は普通なら家基支持でよい筈です。従来の路線を踏襲できるなら。
しかし、実は家基は田沼意次に対して批判的だったとされます。将軍家を蔑ろにしすぎだと。
おそらく、田沼意次というより、18歳の家基にしてみれば父親の家治に不満だったのでしょう。
何もかも意次に任せ切りで将軍らしいところがない。というより、気位が高いだけで中身がない。
それが不満だったはずです。自分はそうはならない、と18くらいなら父親に対してそう思うのではないでしょうか。
それで田沼意次は、結果的に家基排除に与する可能性が出てきたといえるでしょう。
一方一橋治済は何としても家基を排除したい。自分は無理でも息子の豊千代丸を将軍にしたい。
ただし、政策の実施については特に意見はなく、田沼でも改革でも別に構わない。
松平定信は、自分は将軍になれないからそこは誰でも良いが田沼意次は排除して、改革政治を実施したい。
ここで田沼意次、一橋治済、松平定信は、ジャンケンで言うグー・チョキ・パーの関係になったのではないでしょうか。
普通なら、これで三竦み状態で事態は膠着するのですが、ここで一頭抜きん出るのが治済でした。
利害が錯綜する場合、それを解決するのは「優先度」をいち早く整理できる者です。
そしてそれが出来たのが田沼意次でも松平定信でもなく、一橋治済でしょう。
まず一番排除のターゲットとして浮かぶのが徳川家基。これは治済OK、意次もほぼOK、定信はどうでも良い。
従って「反対」がない。それから着手です。意次と治済が手を組んだかどうかは不明ですが、少なくとも治済がやったとしても、それを積極的に厳しく追求しようとする勢力はない。
これが治済の計算でしょう。ちなみに私は意次は家基暗殺には加担していないと思っています。
次が田沼意次排除。これは意次はNGに決まっていて、定信はOKに決まっている。
後は治済次第。それで政策はどちらでも良いが、御三卿の利害を考えたら、その骨抜きを考える田沼排除はOKとなる。
それが家治死後の田沼排除になる。定信という味方もいる。治済としては進め易い。
この辺りの政局は、やはり治済がとりまとめが出来たのでしょう。
>>689 井沢さんは松平定信は名君でない、とか教科書に出てこない一橋治済とかの
名を出すだけで逆説になると思っているんだよw
読者はバカだと思っているのは他でもない井沢元彦その人だ。
井沢元彦の三大欠陥
1.一般人は教科書レベル。教科書に載っていない事を書けば目からウロコが落ちると思っている。
2.引用を自説と勝手に主張に使用する。これも一般人は読んでいないだろうという思い込み。
3.経済に関する無知、無理解。これは一般社会人以下
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 17:27:55
武田信玄は兵農分離できていないから、農閑期は動けない!
よって織田信長には勝てないのである!
www
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 17:58:58
>>693 スレ違い。堺屋太一さんのスレなら別途立ててくださいw
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 18:23:42
しかし名古屋圏の歴史上の人物マンセーなら水野忠邦はどうなるんだ??
織田信長〜徳川家康と尾張宗春、田沼意次(遠州相良)がマンセー。
忠臣蔵だって批判したということは吉良を間接的に弁護した?
水野忠邦は遠州浜松だぞw
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 20:00:02
>>695 水野忠邦は、まだスレ違いです。
小室直樹のスレでも立ててくださいw
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 20:35:43
そういや小室直樹は水野忠邦のことを自著でボロクソに書いている。
井沢がどういう論評を書くかはもう見えているw
さぁて、大体一橋治済を軸とした江戸中期の政局の論評は大体揃いました。
あとは来週以降、井沢さんがどのように書くかを見る事にしましょうw
ってここは予習スレ?
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 20:55:29
>>698 政局はそうだとしても、何だか田沼意次の経済政策って井沢という人は
どこまで書いているのでしょうか???
連載を読んでいないのですが、ひょっとして「南鐐二朱銀」くらいしか
触れていないのでしょうか?
それで経済政策といわれても、ねえ・・・。
あと、社長さん、「貨幣の多様性」という
>>368の件がまだ書かれて
いませんが、もうそろそろ答を書いてくれませんか?
>>693 >武田信玄は兵農分離できていないから、農閑期は動けない!
って・・・農閑期に動かなかったら、いつ動くんだYO!?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 01:19:44
山は動かんぞw
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 02:29:41
一同、大儀であった・・・・・・・・・・・・と言って、席を立つw
>>699 浅間山の噴火が田沼意次のせいにされたとあった。
株仲間というのが改革にしても田沼意次にしても経済政策のひとつの
キーだと思う。少なくとも貨幣政策に匹敵するくらいの政策。
なのにその検証はすっ飛ばす。
書きたいものに絞る姿勢は悪くはないが、それなら吉宗を「バカ殿」
などと簡単に書かないことだな。網羅しない限り説得力はない。
それと
>>444 >>446で指摘されているような藩札への対応も。
これは貨幣政策の重要な部分だろう。
イザワは本当に経済政策は「無知」だなw
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 12:58:30
>>699 >>368で書いた「貨幣の多様性」だが、その後の指摘レスに近いものがある。
だがもう少し待ってくれ。結論はもう出ているのだが、出来ればこれは江戸中期の総括として書きたい。
享保の改革、田沼時代、寛政の改革を経て、結局江戸幕府の政治は家斉の大御所時代へと変遷していった。
これが異常に長い。家斉の在任期間が50年と驚異的なのもあるが、問題はこのような流れが必然であった(蓋然性があった)のかということだ。
吉宗、意次、定信をどう評価しようが、大御所時代をそれとリンクして考えられるのかが重要な要素だ。
大御所時代は政治が停滞し、一方で文化(化政文化)は華美でかつ退廃的、などという評価がある。
「退廃的」というのは、一時期、左翼が資本主義下の文化を指して表現したものだから、これが一種の「偏見」を含んでいることは察しがつくだろう。
おそらく井沢も似たような分析をするに違いない。したとしたらそれは同意して良い。
(しなかったら・・・・・・おそらくまた十分な分析が出来ていないと批判だろう、なw)
だが、例えば大御所時代の体制が、享保の改革、田沼時代、寛政の改革の政治体制が生み出したものだという見解はどうだろう。
ここまで書ければ、逆説の日本史はまた見直しても良いものになるだろうな。
そしてそれは、日本が来るべき近代に向けての助走を始めた時期だった。
おそらくこの時期がなければ、幕末の日本はもっと悲惨な展開をしたに違いないとさえ思える。
ここも先走って書いてしまうか、井沢が書いてから論評すべきか迷うところだが、歴史難民板の逆説の日本史スレは日本史板のような不毛な中小罵倒はないと信じて、ちょっとここで止めて反応を見ようかw
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 13:05:16
吉宗の改革が欠陥だらけだったことは事実だ。
今や名君とはいえない。
意次の積極経済政策はかなり評価できる。
天明の大飢饉はただの不運だ。
天災では対応に限度がある。
>>706 まるで逆説の日本史を受験勉強の暗記のように使っている人ですねw
>>705 すると例えば「家斉名君説」はあり得ると???
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 14:17:55
>>706 田沼意次の経済政策を高く評価する人の視点は、それが現代の経済政策の嚆矢のように考えてしまう場合が多い。
朱子学で儒教的な政治に対抗した、などという視点も。井沢もそれに近い。
しかしそうではない。
現代の日本の経済政策の嚆矢は幕末に海外から入ってきたもので、田沼意次の路線が引き継がれたものではなかった。
歴史の「もし」を考える人は、もし田沼意次の政策がそのまま延長していたら、鎖国の弊害が幕末に対してそれほどネガティブの作用せず、もっとソフトランディングしたような想像をするのかも知れない。
だが既に書いたように、田沼意次の経済政策(例えば南鐐二朱銀)が外国との通商に結びつかない傾向のものだったことから考えると、それは実現しない方が良かった。
幕府の財政再建もまだ十分でない。そしてまだ商人の経済もそこまで対応していない(工場制手工業や商品作物の量産体制などが整うのは、文化文政期を経る必要があった)。
また幕府の貨幣政策も試行錯誤の途中段階だった。
こんな状況で通商を中途半端に始めていたら、現実の幕末期よりももっと深刻な経済的混乱を招いていることは容易に考えられる。
現実に田沼が失脚し、その後の改革の不毛(と敢えて書いておこう)さえ試行錯誤のひとつとなり、幕府は金銀の料率制御の手法を田沼期よりも修練したはずだ。
それが開国時の天保一分銀の発行停止と日米修好通商条約後の料率改訂後の安政一分銀の発行だった。
これでさえ、国内経済は深刻なインフレとなった訳だが、もしその間の修練を経ずに田沼期にそれをやっていたらどうなっていたか?
田沼意次は、後の日本経済の嚆矢ではなく、江戸時代の幕府における嚆矢という評価で良いと思う。
幕末以降、明治維新の際の経済政策は、田沼から直線的に引き継いだものではないという認識は必要だと思う。
どんどん先走っているなあw
井沢さんは週一にしか掲載できないんだから、ある程度合わせてね。
で、もう一橋民部卿治済は終わりなのか・・・・・・・・・
しゃちょ、日本史板で不要印紙と格闘中??
しかし物凄く筆力のある人だんなあ・・・
>>709書いて、日本史板でも社長節展開して・・・
で、井沢元彦だが・・・
歴史はなるようになります・・・・・・
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 22:41:58
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇ 祝! 怨霊信仰復活!!
◆◇ 日本の歴史は怨霊の歴史である! これが真実!!
◆◇ アンチ井沢共よ、参ったか!! 怨霊信仰は永遠に不滅です!!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
感応寺ってあれだろ、将軍家斉の愛妾お美代の方の父親(日啓)が娘の七光り?か何かで建ててもらった寺じゃないのか?
それが怨霊鎮魂なのか? さすがは射精魔、徳川家斉だw
閨のおねだりで造った寺で怨霊鎮魂。おかげで53人もの子が生まれたw
綱吉が母(桂昌院)の肝いりで隆光に与えた護国寺でいくら祈祷しても子供に恵まれなかったのに。
感応寺っていかにも官能的な名前だなw
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 00:46:13
江戸時代の連載が始まった頃から、怨霊鎮魂の話の復活はあると見ていたが、綱吉の頃だと考えていた。
これは日本史板のかなり前の過去スレに一度書いている。しかし出るには出たが尻すぼみだった。
ここで出してきたかというのはあるが、同時に怨霊鎮魂を論理的に破綻させてしまった結果になった。
お分かりだろうか、とでもいえば良いのかなw
儒教否定(賛否はあるが、これも主張だからそれ自体はよい)を名君論の展開(これは儒教の考え)をしてしまうことで破綻させてしまったりどうなっているのか?
それは破綻とはいえない、という考えも出来なくはない。しかし、もしそうなら同時に安土宗論(信長編参照)で田中智学の発言(妙の意味不明とする法華宗の立場でありながら妙の意味を想起してしまった)も破綻の決定打とはいえなくなってしまう。
どうしようか。もうまた繰り返しの論法になるのだが。
井沢は論理的な考察が苦手なのだろうか? 俺が理工系出身の人間だからそれがアラに見えるだけで、歴史を考える人はみんなこの程度のアバウトで良い、ということなのか?
でも俺には限りなくダブル・スタンダードに見えてしまうのだが。
今回の考えでいけば、徳川家斉は徳川家基の怨霊を鎮魂した事になっている。
それは、自分の将軍職が父一橋治済によって葬られたからであるとしている。
そして、同時に田沼意次はそれには加担しておらず、その根拠として家斉が田沼意次の子息である意正を登用したことを挙げている。
何故なら、怨霊鎮魂の際、加害者を救ってはならないからで、意次がダメでもその係累を取り立てて、それが仮に加害者だった場合は怨霊は鎮魂されず、祟りを引き起こすからだ。
(従って田沼意正を取り立てたのだから、田沼意次は加害者ではないという井沢の論理)
お分かりだろうか? ここで「アウト」なんだ。
菅原道真と藤原時平、そしてそれらを用いる立場であった醍醐天皇の話がちょうど引き合いに出されていた。
ここで書かれなくても、かつて書いていたから俺は比較するつもりだったが、自分でご丁寧に再び書いてくれている。
上記の論理を、道真・時平・天皇に当て嵌めると、以下のようになってしまう。
菅原道真と藤原時平は互いにライバルとして争った。醍醐天皇は(最終的に)時平を登用し、道真を太宰権帥として左遷してしまった。道真は憤死。
それで道真は怨霊となり、祟ったとされる。
だが問題はその後だ。
もし天皇家が、道真を怨霊として鎮魂に努めるのだとしたら、そして家斉で展開した論理で行くのなら一番やってはならないことは何か?
当然「藤原氏の登用」ではないのか?
では実際の歴史はどうだったのか? いわずもがなだろう。
もちろん、この場合の「藤原氏」を時平の系統に限定してしまうという方法もある。それなら一応、時平の子孫は藤原氏の系統として継続しなかった。
でもそんな瑣末な話で終わるのなら、「日本の歴史は怨霊の歴史」などと大々的に語るほどのことではなくなる。
ひとつの物語、エピソードだろう。
家基については暗殺かどうかも実は確定出来ない。また暗殺としても田沼意次が関与しているかどうかも当然不明で、かつ、関与していないのではという考えの方が明らかに優勢だろう。
そしてそれは、怨霊の鎮魂とか、意正の登用とはほとんど関係のない問題だろう。
ここでこんな展開をするとは考えていなかったので、取り敢えずの考えだったが、明らかなのは逆説の日本史は一貫した考えがなく、そのときの思いつきで展開していることが多すぎるということだ。
戦国時代は当時の価値観で考えなければ正しく検証は出来ないという趣旨だったかと思えば、江戸中期の経済政策は現代の価値観で考えるという。
客観的に考えるのであれば、両者を歴史検証の観点で妥当な当て嵌め方をしてどちらの考えでも同様の結論を出す、というのが本当だろう。
井沢はその時の都合の良い考え方だけを採用するから、いつも片手落ちなんだ。そして殆ど常に語るに落ちる結果となる。
まあその片手落ちこそが、ツッコミどころ満載の楽しいネタになってはいるのだがw
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 01:19:04
今の段階で俺が井沢に注文を出すとしたら、ひとつある。
井沢さんよ、あなたはもう一度、推理作家としての眼を取り戻せ、ということだろう。
推理というのは、高度な論理思考作業だ。警察の捜査官がそれにより現実に被疑者を確保出来たりするのはそれが有効な論理思考の手法であることを示している。
歴史を考察する際、史料を丹念に読み解き、そこから導かれるものだけを実直に採用する。それも崇高な歴史考察作業だ。
優劣をつけるつもりはない。それにより多くの人が納得できる結論を導ければよい。
井沢元彦は、江戸川乱歩賞まで受賞した推理作家だろう。
もう一度、その優れた推理思考を取り戻す事に尽力してみてはどうだろうか?
推理思考でも片手落ちは許されないはずだ。
ひとつの歴史題材(田沼意次、とか、徳川家斉)における自分の主張部分を半分程度に抑えて、その分を自分の展開できる手法を複数導入する。
いろいろな手法を取り入れて来ている実績はあるのだから、自分の展開したい手法があったら、敢えてそうでない手法と一緒に展開してみる。
それで同じ結論が導かれるかどうかを検証する。違っていたら仮説を変更する勇気を持つ。
古代の頃の手法は、少なくともそれに近かったはずだが。未熟だったが。
今こそそれをすべきだと思う。熟練してはいるはず。その分手を抜いたら完成度は以前より悪くなる。
私はもう、怨霊鎮魂なんてどうでもいいです。
そんなことがあったにせよ、それは「あとしまつ」であって、歴史の流れそのものではありません。
関ヶ原の勝敗が怨霊信仰で左右されたでしょうか?そこまで行かなくても例えば田沼意次や松平定信の政局が怨霊信仰で左右されたでしょうか?
誰かに政権が決まってから鎮魂や追悼を行った。それは日本に限ったことではありません。
何故なら体制が決まった後の政権当事者の思惑の中には必ず、一貫した支持者も当初の対立者で政争の決着後やむなく従った者も同じように従えていく方針があるからです。
それが体制を固めるということでしょう。
その考えでいくなら、例え田沼意次が徳川家基の排除に関わっていようがいまいが(既に書きましたが、私は関与は否定です)、家斉の体制を固めるために登用することは当然考えられるからです。
謎に迫る手法ということで、特に謎が多い古代では多少興味深い点もありましたが、所詮は歴史の流れを考える方法としては本末転倒だと思います。
>>
ちょっと社長さんの記述で意味不明なところが・・・
>それは、自分の将軍職が父一橋治済によって葬られたからであるとしている
これは、家斉の将軍職が父一橋治済によって(徳川家基が)葬られたから
でしょうね。まあ流れからすれば理解できますがw
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 22:47:24
>>718 正直言って社長の説明だけでは良く解らなかったので、2週間ぶりかな
2度目ですけどまたポストを買ってきちゃいました。
それで、怨霊信仰は弥生人の発想であるとか何とか・・・。
ちょっと古代は詳しくないのでやはりちんぷんかんぷんですが、
逆説の日本史を愛読している人はもうご存知なんでしょうね。
自分の感想も
>>720さんに近くて、何だか本末転倒という気がします。
ただ末節の話でもありという話をするなら徳川家斉の立場とかは
経済政策の件とは別なので家斉の人となりというお話なら許容できる
話ですね。綱吉みたいに迷信深い人だったのでしょうか?
それと、このスレで続いてきた話との関連で言うなら儒教の話とは
無関係なのですか?社長さんは儒教の普及が怨霊信仰なるものを駆逐
したと書いていましたが、対立するものなのでしょうか?
新井白石などはそういった怨霊とか迷信を明確に否定していますが。
こういうのって宗教論とか、民俗学とかを考えないと解らないのでしょうね。
で、改革とか経済政策はもう終わりなのか?
各藩の改革・経済政策など江戸時代はいっぱいあるぞーw
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:28:11
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 01:05:59
どうでもいいけど怨霊信仰って凄く我儘な信仰だな〜♪
出世争いに負けて左遷されただけで怨霊と化して祟るのかよ〜!
きっと崇徳上皇なんかもそうなんだろうね!!
我儘なんだけど、実は負けた側が我儘じゃないんだね!
勝った側が戦い続けるのがイヤで負けた奴が祟るなんてホザいている!
前にも書いたけど勝ってなおしっかり仕事をする奴が怨霊なんて
相手にしないよ!つまりろくでもない奴に勝利が転がり込んで来た時
だけの話なんだよ♪
日本の歴史が怨霊の歴史だったら日本の歴史はろくでもない歴史と
いうことになるんだよーだ♪
勝った奴がそれを誇りに思って、それに相応しい仕事をすればいいだけ
の話!!
負けた奴よりいい仕事さえすれば怨霊なんて出てこない!
怨霊は生きている奴が妄想した所産に過ぎないのだから♪
妄想の所産でも実は気にしているのは勝った者でも負けた者でもなく
その他大勢のギャラリーなんだろうな!!
ギャラリーが勝った奴に対して期待を寄せたり妬んだり恨んだり
やっかんだり、そりゃもう大騒ぎさ♪
そんなのをプレッシャーだと意識して自分で潰れそうになる奴がやれ
怨霊がどうとか、チンコがどうとか言い出すんだよ!!
俺が勝ったんだ!文句あっか!?俺様がきちんと面倒見てやるから
おとなしく従え!文句があるならかかって来い!
これでいいんだよ!自信のない奴が勝つなっての!!
俺みたいに堂々と東大に入ったら、あとは自信に満ちて生きていけば
いいだけの話!
そりゃスランプや失敗がないとは言わないけど!
それで誰を怖れなきゃならんのよ!?
また戦えばいいだけだよ!
勝敗で勝ちがついただけで怖気づくような奴は勝利者じゃないよ!
みんな弱かっただけ!消去法で残っただけ!たまたま勝っただけ!
勝つべくして勝った奴は、何も怖れなくてもいいよ〜だ♪
あの、逆説の日本史は負け犬が著して、負け犬が読む物語ですからw
勝てるような人は読まなくても良いですw
社長も東大生も勝ち組でしょうから、読んで批判しても負け犬は指を
加えて羨むだけです。
負け犬が書いたお話の中に負け犬は共感を見出し、自分を慰めるのです。
勝利者だって怖いものがある。実は恐れている。それがないと辛いのです。
堂々とされると負け犬は立つ瀬がありません。
世の中一握りが勝ち組で大半は負け犬ですから、もうそんなに負け犬を
苛めないで下さい。井沢先生もサラリーマンも苛めないで下さい。
共感したからって自分の人生が変わるわけではありません。
勝ち組を倒すわけでもありません。
ですからそっとして置いてください。お願いします。
>>726 そこまで卑屈にならなくてもいいでしょう。
またそんな卑屈な人ばかりが共感しているとは思えないですが。
卑屈になるくらいだったら人生を変えることをお勧めします。
あなたをそっとしておくのはやぶさかではないですが、井沢氏は世に著書を出している以上、反響を求めているのは明らかですから読んだ者なりの反響を返すだけです。
また読んだもの同士の意見交換をしてはならないという事を言われる筋合いはありません。
今週の連載については
>>720で書いたくらいの話でほとんど終わりなんですが、井沢氏はどうしてそこまでして田沼意次を擁護するのでしょうか?
現代の一般的な見解では田沼意次は不当に悪い評価だけをされている訳ではありません。
忠臣蔵の連載の頃から、井沢氏の論調は対史学ではなく対時代劇のようになって来たようですがそのレベルでも田沼意次は賄賂政治の悪徳政治家というイメージのみではないようです。
見解が激しく分かれる政治家であることは事実だと思いますが。
>>727 いや、
>>726は
>>725辺りの自演と見たw
こいつ、ふざけた調子で書いていながら他人に成りすまして全然違う文体で何度も書いている。
日本史板でも。
>>725 酷い政治をしているのに、自分は素晴らしい政治をしている、と勘違いする自己中よりはまし。
中国の皇帝様に時々そんな自己中が出る。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 18:55:23
結局治済犯人説なだけじゃないか。
井沢もこの件に関しても逆説を出せなかったな。
何のために「逆説の日本史」を書いているんだ?
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 21:33:49
金儲けw
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 21:43:40
>>730 自分は田沼意次で来ただけだったが。
普通家基暗殺説と治済犯人説を採るなら治済の人物についていろいろ
触れて検証するよな。
何で家斉を検証するのかが解らないし、怨霊信仰で犯人を解くって
そういうやり方なのか?
11月最初のポストと今週のポストを買った。逆説の日本史を読んだの
はそれがすべて。
よく知らないから知っていたら教えて欲しいけど、ずっとこんな
調子で古代から書いてあるの?
それとも古代は違っていて最近「何のため」?というような内容に
なったの?
何か・・・未だに単行本を買う決心がつかないw
このスレにそうした分析ならされているから逆説の内容はもういいのでは?
>>719 敢えて社長に反論w
井沢の支持者というのは歴史論に納得しているのではなく、井沢の思想とか井沢の対朝鮮・対中国の主張を支持しているからではないのか?
だとしたら歴史論を充実するより、主張を多く展開するのが本来の話の主旨なんだと思う。
>>734 それが変な議論になる理由だ。
井沢の支持者と井沢の思想賛同者を同一にするから変な議論になる。
俺は現代の対中対韓に関しては井沢よりだが、スレにおいては井沢批判している。
何故かと言うと歴史にイデオロギー批判を加えているからだ。
現代において儒教を批判してもかまわないが、歴史において儒教=悪という単純思考で
歴史は語れないだろう。
確かにウヨサヨ認定されても仕方ない奴もいるが、単純な決め付けでは何にもならない。
井沢の逆説の日本史の目的は史学に代表されていたサヨ叩きだよ。
でももう20年前と違い史学サヨは壊滅状態。だから史学の見解も容れ始めている。
>>736 関係者的には壊滅しているとおわかりなのかもしれないけど、一般人には未だに史学関係ってのは左翼の巣窟に見える。
和田だの小和田だの左翼が未だに外からは、批判されていないように見えるのだが。
>>735 >井沢の支持者と井沢の思想賛同者を同一にするから
同一でしょうねー
井沢の歴史論の支持者と井沢の思想の賛同者はどうだかですが。
なんかいたい奴がいるな
井沢を支持しない奴は井沢の思想反対派か・・・・
支持不支持と思想は相関関係はあっても等しいものではないんだが。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 21:44:05
>>735 変な議論になる原因はそういうことなんだろうが、実はもっと錯綜している。
それは井沢自身の中でも歴史論とイデオロギーと自分の精神性が整理できていない状態で錯綜しているからだ。
これはまあ、個人の考えを完全に整合性を取るのが難しいからで、井沢論を語る場合もそうだが、一般的にも言える事。
ただし、
>>737のいうような面があるのは確かだ。
逆説の日本史の中から、いくつか歴史上の人物を井沢がどう語っているかを考えてみても分かる。
例えば明智光秀。
彼を本能寺の変へと駆り立てた理由はと言えば、いろいろな説が昔からあるし、最近でもいろいろな考え方が提示されている。
井沢はいろいろな説を取り上げながらも、結局結論は「発作説」だった。
次に新井白石。
彼の朱子学的立場は、徳川将軍を王者として天皇は限定的な存在に仕向けようとしているとするのが一般的な見解だが、井沢の場合は立場上徳川将軍を立ててはいるが実は尊王だと展開している。
あと、浅野長矩(内匠頭)。
彼に至っては、行動原理を「統合失調症」にされてしまった。
もう少し考える余地がありそうなのだが、結局まとめ切れなかったのだろう。
昨今も吉宗は「経済についてはバカ殿」田沼は良い評価のようだが結論は(まだ?)書かれていない。松平定信は粘着質の田沼憎しだけ。
殆ど2ちゃんの罵倒レベルの人物評だがw、人物評は確かに社会全般を語るよりもある意味難しい。
だから、人物の内面よりも社会に与えた影響を中心に考えるのが、どちらかと言えば歴史上の検証だと思われる。
実は「宗教」もそうだろう。
社会に対して与えた影響を中心に考えるのでなければ、内面性に踏み込むと一筋縄ではなくなる。
井沢は「宗教的見地」が従来の史学に欠けているというのを糾弾するが故に、ややもすると本来歴史の検証とは違う部分にまで踏み込んでしまい、その整理もつかないままに結論を何とか出そうとして破綻へと向かってしまっている展開が多いようだ。
雑誌の連載だから結論を急がざるを得ないのは理解できるが、もう少しテーマをまとめるべきだろうな。
歴史を解きたいのか、主張をしたいのか、精神性を問いたいのか。
一度にまとめて出来るのは、まだ構造が比較的単純な初期の頃だけだろう。時代が下るに従い、それは段々収拾がつかなくなっているものだと思える。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:11:59
>>741 あ、そうだ。
いつも長文を書いていて、その上に自己レスだが、過去に似たようなレスを他の場で書いた際、宗教を内面に踏み込まないで理解できるのか、みたいな反論に遭った。
宗教そのものを理解するには、内面性を避けては無理だと思う。
しかし、そうではなく何か別に目的があって(逆説の日本史なら「日本史を理解する為」が目的)宗教理解を必要とする場合は、客観性を保ちながら理解すればよい。
とだけ書いてもピンと来ない場合は、いくつかの方法がある。紹介しておく。
本格的に取り組む覚悟があるのなら、マックス・ヴェーバーを読むのが一番だ。
「20世紀の宗教社会学」はそれにほぼ完全に対応していると思う。ただし、日本にある宗教を網羅している訳ではない(当然だが)から、そこは自分で考える必要がある。
もう少し簡単にその部分をやりたければ、講談社の新書「教養としてのキリスト教」だろうか。
実は、仏教と儒教については後者のレベルに近い書籍がある。
それは、他ならぬ「逆説の日本史」だw 鎌倉仏教の箇所と、ビーフカレー朱子学をまとめているところは出来は悪くないどころか、評価出来る内容だ。
こういう風に別立てでまとめているのだから、歴史論を展開する箇所ではそんなにゴチャゴチャちりばめなくても良い筈だな。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:25:16
書きながら思ったのだが、後から書こうと思ったが忘れないうちにやっぱり書いておこう。
井沢がおそらく書きたいに違いないのに、逆説の日本史から思い切って落した部分がある。
それは「いくさ」の詳細の部分。特に戦国時代の部分だ。中世辺りは書いてしまっているが。
これは評価したい。書くとしたら別立てなんだろう。そういうので良いはず。
現代における主張にあたる部分や、宗教の部分も同様にすれば、もっと歴史論はすっきりしたものになっただろう。
>>742 「20世紀の宗教社会学」はヴェーバーが書いたものではなく、その解説なので念の為。本当に知るなら本人の著書を読んだ方が良い。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:31:16
アミイサマイサキチチザトアアレココ
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:34:08
______________■__■■■■■___■____■______■_____■___
______________■____■______■___■_______■_■■■■■■■
____________■■■_■■■■■■■______■___________■___■_
______________■__■■_■■__■___■____■__■_____■_■__
________■____■■_■_■■■_■__■_■■■■■■_■__■____■■■__
■■■■■■■■■■___■■________________________■■■___■■
____________■_■_■■■■■■■__________________■■■■■_
____________■_■_■_■_■_■__■__■■■■■■___■___■___■_
______________■_■_■■■_■__■__■____■___■___■■■■■_
______________■_■_____■_■___■____■__■____■___■_
______________■_■____■■_■___■■■■■■__■___■____■_
_______________________________________________
(><)
タヌキさんとキツネさんの話はもう終わりなの?
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:53:26
>>747 では家基さんは不幸にも死んでしまいました。
治済さんはとても人の良い人物で、それを心配し息子の豊千代丸ちゃんを将軍家に差し出しました。
それまでタヌキさんが政治を仕切っていたのですが、疲れたでしょう?もう良いよって肩を叩いて降りて貰い、キツネさんを代わりに連れてきて老中をやって貰う事になりました。
豊千代丸ちゃんは家斉さんになり、お父さんはキツネさんと一緒にまつりごとを始めました。
で、家斉さんが成長したところで、治済さんはキツネさんに、もう疲れたでしょう?お稲荷さんをあげるからもう降りてね、家斉さんは自分でやっていくからと言いました。
キツネさんは、その後、本を書いて暮らしました、とさ。
ひでぇ・・・
いや、褒め言葉だけど。
なんか、小和田や和田をのさばらせている史学界ってどうよって言う話をするといつも長文がそのご書かれるんだよな。
まあこのスレは比較的長文多いんだけどさ。
>>754 それは勘違い。
日本史板ではいつも「スレ違い。小和田のスレなら別途立てろ」とか
「小和田のスレなら既にあるからそこで書け」だったろ。
ここではそういうレスがつかない。
でも受け入れられているわけではない。
では俺が書いてやる。
スレチw
大和田獏ならいいのですか?
十和田湖畔を行軍して八甲田山を縦断した弘前三十一連隊ならイタチ。
近代史板で書けw
いや、井沢スレはむしろましだってば。
で、井沢や和田みたいな「イデオロギーが最優先」な連中に歴史学者を名乗らせているというのが、井沢のような「歴史を隠れ蓑にイデオロギーを語る」奴が存在する理由だと思うんだよな。
それをスレ違いと言われると困るな。
だいたい「何で井沢ごときはわざわざスレまで立てて叩く人たちが、小和田についてはスルーですか」は井沢スレで井沢を批判している人に聞いてることだし。
>>758 何度も言わせるなって。その粘着質、何とかしろよ。
「何で井沢ごときはわざわざスレまで立てて叩く人たちが、小和田についてはスルーですか」
ではなく、井沢スレだから井沢について書くのであって小和田についてなら、あんただけでなく、俺でも誰でもそれなりのスレで書くべきという事だよ。
何もあんたにこのスレ出て行けなんて狭量で書いているわけではない。
誰だろうが、スレの話題の即して書くべきという、当たり前のことが何故解らない??
2ちゃんのルールをそんなに理解できないのか???
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 08:04:50
>>758 小和田批判を隠れ蓑に井沢批判から話題をそらそうという奴だと思われて来ているよ。
日本史板以来、ずっと。
そうでないのなら、スレに即して書く。
または、『「歴史を隠れ蓑にイデオロギーを語る」奴』という括りで常に井沢・小和田の両方を常に語るという構成なら許容範囲ではないか?
そういった話題で逆説の日本史のテーマの範囲で書くのならスレに即した話題になるだろう。
もっと悪い事をしている奴は他にも沢山いる!
って悪い事をしている奴の常套句w
今日は休出の代休取ったからテレビを観たら暴れん坊将軍の再放送が
やっていた。
思い切り観てしまったw
尾張徳川宗春(西岡徳馬が配役)が将軍吉宗の座を簒奪せんとして主に
家臣が画策するのだが宗春はもっと大局を見るような人物に描かれていたな。
江戸に火を放って吉宗を暗殺するという、ストーリーはむしろ慶安事件
(由比正雪の乱)がネタではないかと思える内容だったが、宗春はむしろ
家来をたしなめる。焦った尾張家来が直接吉宗を襲うが吉宗(当然マツケン)
はこれらを撃退(チャンバラシーン)。
宗春が終わった後に現場にやってきて、こいつらは悪い奴等だが私にとっては
忠義の者たちだった。だから私が上様と戦わねばならなくなったと言って、翌日
江戸尾張藩邸で吉宗と宗春の果し合いになるという筋。
全国放送だし名古屋にも流れるのだからいくら時代劇でも吉宗をあげ、宗春を悪
役にはできないだろうとオモタ。井沢先生は時代劇も無知・無関心なのにその逆説を書く。
要するに何を逆にしても無駄ということで逆説は終焉
>>762 ちょっと気になるんだが名古屋の人って宗春悪者にすると怒るの?
二度とその番組見ないぐらいに?
>>762 かなり気になるんだがその果し合いの結果はどうなった?
>>764 I沢くらいだろw
中日がバカにされたら激怒する人間は多いw
時代劇で薩摩が悪者になったら鹿児島の人間からクレーム殺到というのは聞いたことがある。
>>766 そうか石沢さんは怒るのか。石沢さんて誰?
soreha
moso
いよいよ十二月かあ。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 00:48:53
>>766 もしそうだったらTV局はそうした配慮はしないだろうなw
ただし、ここ最近(10年くらいのスパンで)の事のような気がする。
何でも神経質になってきたからな。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 10:50:06
お騒がせして申し訳ございません
それが日本人の和の精神w
連載ネタだけでは1週間持たないなw、今やw
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 12:53:13
社会体制の是非を問う時や社会体制に対して何かを主張する場合、その論拠として過去の経緯を出さなければならなくなる。
社会の過去の経緯とは、歴史そのものだ。だからイデオロギーを云々する者は、必ず歴史を引き合いに出す。
そういうことだろう。
隠れ蓑が確信犯的なものかどうかは分からないが、例えそうでなくても結果的にそのような展開になってしまうんだろうな。
井沢論か、俺の自分論かはあるが、俺自身の学生時代は左翼がその理念的誤謬をさらけ出したときだった。
かつ同時に学界は左翼が主流。そうした状況で学問研究に対する虚しさを感じた学生が多いのではないだろうか。
俺もそうだったが、だから将来の進路として大学に残って研究するなどという選択肢は殆ど考えられなかった。
むしろ実社会に出て、実践により何かを為そうとした人が多かったのではないかな。
俺は情報工学だったが、井沢の場合も報道の分野に行ったりしたのはそうした当時の情勢とは無関係には思えない。
しかし「社会」や「歴史」そのものには関心がある者が多かった。関心があるが進路として選択しないという者が多いのが俺などの世代の特徴かもしれない。
当時、アカデミックな分野で左翼に押されていながら対抗していたのが小室直樹とか渡部昇一とかだろう。
それが社会主義体制や思想の大幅な後退で世の中の情勢が変わった。
日本でも政界再編が起きた。この辺りで従来その分野を選択しなかった「在野」の人間からも学問に対しての反旗が起こってきたのだと思う。
井沢元彦という人間もそんな感じではないだろうか?
それはいい。誰が何を考えようが自由だ。逆に自由でなくては困る。
しかし、かつての左翼が犯した誤りを繰り返しては、その結果も似たようなものになることだろう。
歴史を検証しようとする際、まずはイデオロギーの問題は一旦措いた方が良い。
ややもすると、現代の問題を歴史と併せて考えることが、歴史を活用する応用面として実効性を提示するものと考える向きもあるのだが、それはイデオロギーや自分の思想信条を抜きには語れないものになる。
歴史の検証の評価は「客観性」なので、思想信条が作用するとその客観性を失う。それが評価を落す。
理工系においては、理学と工学は明確に分かれている。理学で客観性に重きを置き、工学で応用面に重きを置く。
そうした分担と手順を踏まえることが、歴史と現代社会の問題を整理する際にも必要なことだろう。
それに手順を踏んだ場合でも、実社会への適用を考える場合は、先を見た展開が必要。現在進行中の話とリンクしては、実は一歩くらい遅れた内容になる。
今の逆説の日本史の展開が小室直樹などの二番煎じに留まっているのは、実際の適用局面においてはもう古いものになってしまっている。
小室が80年代に「ソビエトは近く崩壊する」と書いたのは正しかった。ただ崩壊しただけでなく、小室の想定した通りの経緯を辿った。
それは「崩壊すべき」と主張したのではなく、客観的に検証することを徹底したからだった。だから個人の希望等というレベルではない高いレベルの見通しを立てることが出来た。
同時に小室は「中国は政治体制とは無関係に経済は資本主義化して台頭する」とも論じた。それも現実化した。
井沢に欠けているのは、小室のような緻密な客観性だろう。まずは表層を真似ることから始めても良いが、本質的な部分まで先達に見習った上で実践して欲しい。
つまり考えはいいがレベルが低いってことでおk?
日本はこれからどうなるのだろう・・・
>>774 今頃書いたって遅いよもっと早く井沢さんに言って欲しかった
もう逆説の日本史は破局へ向かってまっしぐら
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 17:29:14
誰かと浮気したのか???
>>774 無理でしょうね。
井沢氏は断った引用、無断引用も含めてその部分では考察はありません。
論評はありますが。
井沢氏が意見を提示している箇所もありますが全時代に亘っての見解は正直いってないのではないでしょうか。
ですから井沢氏はいろいろな説を紹介して日本史論の批評をする。その中に推理を交えるというやり方が良かったのではないでしょうか。
説がない
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 22:27:33
怨霊信仰とかそういうテーマで書きたいのなら、全時代を通じて
ではなく、関係する歴史上の出来事を中心に書いた方が良かった
のではないでしょうか。それともすべての時代に怨霊信仰がある
と考えてずっと書き続けているのでしょうか?
定信叩きの中では出てこなかったと見受けましたが。
>>781 一応武士の時代には怨霊信仰はなかったけど、江戸期が続いたため復活したみたいに書いてはいるよ。
今回の変な点は過去の怨霊鎮魂と比べてこう解釈しないといけないというところだろう。
何故衰退していた怨霊信仰が復活したとき鎮魂の(井沢的)ルールに則って分析可能なんだろうか。
なんだが昔一発当ててうらぶれた歌手が、自分の昔の曲をリメイクして歌ってる感じがする。
>>719に禿同かな。
しかし邪馬台国などは未だに論争が決着していないのでひとつの説を書いても
それをバカにはできても否定できなかった事情はある。
いろいろな観点から推理していたからまあそんな結論も否定はできまいってことで。
しかし徳川家斉の頃だともうそんないい加減な進め方はできなくなる。
家基暗殺からして既におかしい。
>>774 それは分かるような希ガス
安保闘争が崩壊した後の大学は学生はシラケていたからねえ。
就職できればいいやというのと社会に出ないと意味がないというのとで
いずれにしても本気で学問をやろうなんて馬鹿馬鹿しいと思う奴が
その後も多くなっていったよ。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 15:37:08
>>781 怨霊信仰は、世界的にもプリミティブな部類に属する信仰形態だ。
井沢自身もそう書いていたはず。
だが、多くの場合はそれに変わる宗教(多くは世界宗教:仏教とかキリスト教)に取って代わられる。
中国の場合もそうだが、東アジアはそうした経緯を経て儒教がそれに取って代わってきた。
だから日本の流れもその例外ではないんだ。
ただし、取って代わる宗教がプリミティブな信仰を滅ぼす訳ではない。
多くの場合は、こちらの方がより優れているからそうしなさい、という「教化」という経緯を辿る。
だから残ることは残る。しかしそれは主流ではない。
例えば徳川綱吉は、江戸時代においても「迷信深い」と思われたことだろう。
なくならないが、主流たり得ないんだ。
しかし、仏教やキリスト教、儒教は主流たり得る。何故なら原始信仰は合理的ではないが、仏教や儒教はある意味合理的(より高い客観性を持つ)だからだ。
それを上回るのが科学的な知識だ。より合理的であるほど、多くの人を説得し、教化出来る。
我々が科学技術を「信仰」し、従来の宗教を迷信だというセンスを持つのは教化されたからだ。
だから、常に他の考えも入り得る余地も持っている。
現在でも時として、人は迷信を信じたり、また科学が万能とは思っていない。
そしてそれは日本民族だけに限った話ではない。欧米人だって同じだ。
だからややもすると、何かひとつ理屈めいたものが出てくると、まずは信じてしまう。
現在のところ、最も客観性の高いのが科学的見地だろう。だがこれも盲信していては発展しない。
井沢の「逆」説は、従来の史学を盲信してはならないという事を提示したが、同時に逆説も盲信してはならないということだな。
井沢さんって昔は「どうだろうか?」と問いかけることが表現の中に
多かったと思うけど、最近はやたら強弁しているね。
余裕がなくなったみたい。謙虚さは余裕の表れ。強弁は余裕のなさ。
ようゆうわw
>>785 それって科学教なんだろうけど、そういった考えって少しおかしいよ。
科学と宗教は相容れないものではないし、科学と迷信も相容れないものではない。
そして重要な事は一神教は他の宗教と相容れないが、原始宗教や迷信は受容力がある。
現代においても一神教は教義に反する科学的見解を受け入れないが科学を否定しない。
やはり科学を宗教と同列に語るのは無理がある。
長文を要しているが結局「盲信はダメよ」っていう当たり前の事しか言ってないんじゃないの?
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 19:07:41
>>788 その辺りが理解が足りないんだと思われる。だから当たり前のことを敢えて書いておいた。
井沢は「当たり前のことは書かれない」と書いていたが。
最大のものは「一神教は他の宗教と相容れない」だろう。
それは間違いだ。
正確に表現するならこうだ。
ユダヤ教を発祥とする一神教は妥協性が非常に少ない。
これだけだろう。そして実は相容れているものもある。
例えば、イスラム教の信者であるアラブ諸国の中で社会主義を標榜している国や勢力がある(またはあった)というのをどう認識する?
一神教(アッラー)であり、かつ社会主義やとりわけマルクス主義を受け入れているのは相容れないのか?
社会主義は宗教ではないとするならイデオロギー化。
しかしマルクス主義はユダヤ教の色彩が強い(小室直樹はユダヤ教だとはっきり書いているが)。
こういった観点からものを見られないのは、井沢をこの部分で「盲信」しているからだろう。
科学は一種の信仰だ。最も合理的な。
例えば1/3=0.333333・・・・というのも科学の「教義」であって、そうでないともいえる。
>>789 ?
わからんことを書く人だな。
自分の意見に賛同しない意見は井沢信者だと盲信してるんじゃないの?
それとも科学は信仰だと盲信してるかどっちかだな。
中身のない誹謗中傷はなしね
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 01:10:13
>>790 宗教というのはどちみち人が利用しているだけのものだと思う。
相容れないというのは宗教の指導者がそういう方針を取っている
だけで、教義を唱えた開祖が排他的だったというのではない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は歴史的に対立してきたが
教義が排他的というのではなく、指導者の都合で対立して来た。
そう思うんだけど、井沢って人の宗教論を読まずに書いている
ので賛成しているか反対しているかは判らないな。
はいはい、宗教はちょっと休止
また連載ネタよろしく
できれば社長さんはちょっと待ってくれない?
でないとみんな圧倒されちゃうからw
それにあんまり詳しく書いちゃうと買って読む気が失せるかも
>>793 井沢の連載はそんなに踏みこんないぞw
792書いたのおれだけど、このスレのほうがおもしろいよ
だめだw
書いてから連載を買って読もうと思わなくなってはダメだ。
怨霊信仰に興味あるひとは必読!
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 22:19:07
>>795 リングの貞子に興味があります。
井戸に蓋をするだけでは不十分なのでしょうか〜
>>797 不十分です(キッパリ)
井戸に蓋をするのではなく、井沢に意見することが必要w
怨霊の呪縛を断ってください
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 23:55:32
怨霊腐食列島 呪縛
>>781 多神教から一神教への変化は、森林の世界から都市の世界に変わる際に起きた、という説があるな。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 00:34:59
>>800 そうなのかな。詳しくは知らないけど、ユダヤ教ってバビロン捕囚の
時代に原型があって脱出した時にモーゼによって神との契約が結ばれ
たんじゃなかったっけか? 十戒か?
都市型の社会ってギリシアとかが浮かぶがギリシアの神様って沢山
いるからね。まあ自論とかましてや主張ではないので、もっと詳しく
知りたいというのはある。
一応わかってることはエジプトのラー神が古いんじゃね
創造神じゃないけどユダヤ教はこのモデルからって考えもある
だぁれも連載のことを書かないね。
やっぱ社長に演説レスを書いてもらうしかないのかな。
>>801 すまん、俺もその説が誰のもので、詳細もはっきり覚えてない。
ただ、養老孟司が、孔子もムハメットも都会の人で、自然は人間の思うままに改造するのが当然という発想で、
逆にブッタは都会から田舎に帰った人だと言っている。
で、ルソーは「自然に帰れ」って言ったわけかw
そして近代民主主義g(ry
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 22:15:31
>>774 亀レスですが小室直樹の「ソビエト帝国の崩壊」は大ベストセラーになりましたからね。
その前に出た「危機の構造」が後から同様に売れて、小室ブームが起きました。
1980年か81年か。
意外と左翼が中心の論壇からの風当たりは少なかった。
小室は海外留学経験が豊富。しかもケンブリッジ・ハーバード・MITとそうそうたる
学歴。こういう舶来指向に弱いですからね。日本のアカデミズムは。
小室の「ソビエト帝国−」に反論したのは意外にも落合信彦とか、在野の人間。
落合は予見や分析が悉く外れ、すっかり信用をなくしてその後は若者向けへと路線を
変更しましたね。あと小説を書いたり。
でも小室の指向した新自由主義は今や米国で全盛。日本はまた後塵を拝しています。
井沢元彦の国家観も近いのか、真似をしているだけなのか解りませんが、やっぱり
時代遅れのような気がしますね。私もおじさんですが。
若い人には、落合とか井沢みたいな似非論者に騙されないようにして欲しいですよ。
>>802 エジプトは多神教だよ。
各地方で主神が違ったりして、ラーを主神として体系がきっちり整備されていたわけでもない。
ギリシャや北欧もそうだけど、後世に残った神話体系はある程度きっちりしているように見えても、
意外とバリエーションがあるというか、地方や時代でバラバラだったりします。
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 22:45:50
>>808 反論ではないですが。
それは結局、極めて狭い地域において一神教みたいだったのが、政治上の
統治範囲が広まるにつれ、併合されていくような形で多神教みたいになった
ということを示していませんかね。
ギリシアとかも。仏教もバラモンの神様が仏の体系に組み込まれたりしています。
日本の神々もそうではないでしょうか。
ユダヤとかは民族的な排他性が強くて他を受け入れなかった。
キリスト教やイスラム教は地域的な結びつきや政治的な統治範囲とは無関係な
広がり方をした。
そんな風に思えるのですが。結局最初から多神教というのはなく、一神教の
広まり方、まとまり方の違いのような気がしています。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 00:38:38
日本人は経済や軍事もだがまずは家庭を築き、子供を作ることだろう。
でなければ将来はない。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 18:50:24
井沢さんも反省してやっと松平定信の良い実績を書く気になったみたいだ。
皆の者、許して進ぜるか?
ふーん・・・
「紙数の無駄」なんて書いていたのはどこの誰だっけか?
許すも何もない。もう買わないだけ。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 22:43:02
人足寄場について書くだけだろ。
やっぱ鬼平を書かないと松平定信は語れないだろw
対史学では逆説でも何でもなくなってしまった逆説の日本史が鬼平マンセーしてしまったら、もう何に対しても逆説性はなくなってしまうでしょう。
それに逆説だろうが順説?だろうが、井沢氏は歴史について書く際に最も大切なことを忘れてしまっています。
それは「流れに沿って書く」でしょう。今やあっちを書いたりこっちを書いたりで流れがメチャメチャです。
流れに沿うとは、読んでいる者に対してそれが何故そうなったかを順を追って説明することで「なるほど」と思わせることです。
一橋家については、手前味噌ですが
>>674のような「御三卿とは?」という本質的な話が必要です。
あと、社長さんが書いてくれた
>>682があれば更に理解が深まるでしょう。
そうした説明の後に、今回のような話を書くべきです。でないとただの唐突なお話になってしまい、「ふうん」はあっても「なるほど」は出てきません。
結局、江戸中期、すなわち経済政策についていろいろな政策が実施されたこの時期、徳川将軍の連枝に当たる取り扱いも大きな変化がありました。
>>682のような流れがあり、将軍家の分家は当初大大名(御三家や駿河大納言忠長)だったのが、関東近郊の中規模な大名(綱重、綱吉の10万石)となり、それが御三卿では領地を掻き集めただけで藩主ですらなくなった。
段々待遇が悪くなる中で、他の大名家への養子縁組路線が出てきた。これが御三卿→松平家への養子の流れです。
一橋重昌、重富の相次ぐ越前松平家への養子縁組、そして田安賢丸の白河藩松平定邦への養子縁組(松平定信)。
田沼意次にしてみれば、部屋住み待遇御三卿は当主も不満で幕府財政にとっても良くない。出来れば既存の大名家で相応しい家があればそちらへ転出させた方が互いの為になる、という「配慮」もあったでしょう。
松平(一橋)重富のような普通の人にはそれで良かったが、権力の座に未練があった一橋治済や松平定信にはそれが裏目に出た。そして田沼意次は彼等によって逆襲され、権力の座を追われた。それが「流れ」です。
その流れを受けて将軍になった徳川家斉は何と50人以上(男子だけで20数名)もの子供を為してしまった。
この待遇をどうする?なんです。
結局治済も家斉も、田沼意次と同じ路線を踏襲するしかなくなった。
それが御三家を始めとする「養子転出」路線です。
しかもそれが将軍家の立場を強化することにもなる訳で、田沼意次亡き後、憚ることなくむしろ積極的に進めたのでしょう。
これは単に治済や家斉の個人的な動機ではなく、それまでの徳川将軍家の後継者以外の待遇全体を考察してこそ出てくる「流れ」なので、それに触れないと「なるほど」にはならないでしょうね。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 09:17:13
なるほどw
ふうんwww
おお〜!
めからウロコが <●> <●>
こんなに落ちた!! V V
V V
V V
V V
V V
射精したくなるようなコーマン、いやコーフン!!
井沢の主張が間違いだ、ならともかく、逆説じゃないってのは井沢が先に刺激的な題名つけたことを考えても、イチャモンとしか思えない。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 22:13:20
なんかおかしい。
刺激的なタイトルをつけたのが原因なら、井沢が悪い。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 23:12:58
井沢だって、何でもかんでも逆説かけないだろ。
逆説が書けないのなら、書けるところに絞るか、
少なくとも正しい内容を解りやすく書く必要があるだろう。
今の連載はそうなっていないとここで書かれているのだが、何か?
IEとかで見ると人大杉になっているなあ
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 23:59:48
しかしこのスレは歴史難民板ではレス数ダントツトップだなw
もう次スレを気にした方が良くなってきたか・・・
歴史に関して書いているのだからウソは書かないで欲しい。
ひとつは、井沢氏の考えを断定で書いていること。「〜だと思う」など考えだと解るように書かないと、知らない人は騙される。
もうひとつは、井沢氏の考えから来たものでないものを井沢氏の考えにしてしまっていること。
「〜と思う」「〜と考えられる」というものの中に、どう考えても先人または他人が既に発表した考え方が含まれているものがある。
それは、出典を明らかにするか、他人の考えであることを明記する。でないと「パクリ」と言われる。
週刊誌の連載で歴史を知らない人間が読むだろうという、読者を馬鹿にし過ぎの態度がありあり。
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 22:45:50
歴史の説って最有力なものがあるんだろうけど、決定は
なかなかないのでは。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 23:52:41
〜だと思うばっかだと、本にならないではないか?
反対するのは勝手だが、書く人がどう書こうが自由。
では批判するのも自由だなw
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 11:56:11
>>815 今回も分析としては良いかも知れない。
だがそこまで書くのだったら、養子縁組路線が御三家に及んだこと、そして井沢が取り上げているような蜂須賀家のような外様大名にまで及んだことを考察すべきだ。
ここで井沢が展開している考え方、すなわち「主君は当代(一代限り)、お家は末代」という考え方は正しいと思う。
それは赤穂浪士の時期・行動などにも現れている。また赤穂浪士について言えば各自によりウェートが異なっているのも興味深い。流れとして「過渡期」だったからだろう。
大石内蔵助などは「お家」に重きを置くが、堀部安兵衛などは「主君」にウェートを置く。これは大石が譜代の浅野家家臣(しかも重臣)なのに比べて、堀部は当代になって仕えた外様だったという事情もある。
そして、時代を経るにつれ、「外様」というのが殆どなくなっていく。戦国時代などでは当たり前だったが江戸時代も中盤以降はそうした「新規仕官」ということから台頭する道が殆どなくなったという「流れ」もあったことだろう。
それが「お家大事」に更に拍車をかけたと思う。
御三家の尾張・紀伊もそのような形になったのだろう。
尾張宗春と将軍吉宗の対立とその結果が尾張家にヒヨらせる結果になったかも知れない。
紀伊家は元々吉宗系統の実家だし、むしろそれ以前は将軍後継者を出したら藩は将軍家に併合(5代綱吉の館林、6代家宣の甲府→柳沢氏に改めて賜う)だったのが、紀伊家は存続したのだからそれだけでも文句は言えない。
水戸は違っていたのは井沢の指摘通りだと思うが、水戸はいつも一筋縄ではない。将軍家寄りの者と、水戸藩独自派が光圀以来常にいて、幕末期はそれで荒れる。
外様である蜂須賀まで養子縁組路線が出たのは影響が大きい。経緯はいろいろあっただろうが、これは多くの大名家にある種の警戒感を与えただろう。自分の藩(お家)がそうなっては一大事、ということだ。
そしてそうならない為には、ということを考えたはず。
そうならない為には、を考えるには、そうなった場合のケース・スタディが必要になる。
蜂須賀家の場合は、財政悪化がある。それも原因はふたつ。
ひとつは、幕府からの負担(工事などの請負負担)。もうひとつは大名としての豪奢な生活。
これは他の外様にも同様に言える。だからこそ、各大名家は改革へと進んでいった。
この点、幕府の改革(享保・寛政等)とは少し様相が異なる。
大名家、特に西国の外様大名の場合は、対幕府という観点が必ず存在する。いい例が薩摩だろう。
宝暦治水で負担が財政を直撃した上に藩主重豪の奢侈が祟って薩摩藩は深刻な財政危機を迎え、調所広郷の財政改革となった。
社長が井沢マンセーすると、また井沢厨が復活する?
>>830 井沢氏自身も書いていたけど、譜代大名と外様大名との間での養子なら例はあるから蜂須賀家の例は特筆すべきことなのかなあ。
そもそも養子に出してOKな将軍子息ってのが、家斉時代くらいしかいないわけだし、
相手にちゃんと後継者がいる家にむやみに押し付けるわけにもいかない。
養子に行く先の格というものもあるでしょうからそれなりの石高・家格の家でないとダメでしょうし。
あと、儒教は血統重視で、蜂須賀家の例は”家”の存続重視というけどそうなのかな。
禅譲・放伐による王朝交代は儒教的には、逆にあるべき姿ですよね。
そこに血統という要素は必要条件としては入らない。(まあ建前と実際の皇位継承は違うけど)
王朝と、個々の家の継承を儒教的には分けて考えて、後者は血統重視というこ?
>>832 井沢の逆説の日本史の中で、かつて室町時代の「門跡」を取り上げていた。
天皇の皇子を養子に迎え入れられるような家など滅多にない。それで出来た制度だった。
これは「家格」だけの問題。室町時代の皇室に「支配」を巡る問題は殆どない。
しかし武家、特に将軍家や大名家の養子となると、それは「支配」の問題に直結する。
戦国時代は大名家同士でもそのような問題があった。
例えば、まだ台頭する前の安芸国人毛利家で嫡流断絶があった際、当時有力だった尼子家から養子を取るという話が出ている。
これは尼後家の支配を受けることで、当時の一方の勢力だった大内の支配を排除しようという動きだった。
この時は傍流だった元就が家督を継承したことで養子の話はなくなった。
そして毛利が元就の下で大きく勢力を伸ばした際、今度は逆に毛利から周辺国人家である吉川、小早川に養子を押し付けて支配を強化した。
武家の場合養子を送る、受け入れるというのは「支配」の問題に直結する。
江戸時代は幕藩体制という大名家の連立支配の時代だ。最大の大名家、徳川将軍家がその盟主であるが、大名家は一応独立している。
養子を受け入れるということは、徳川家に直接支配されるという事になる。親藩や徳川譜代ならともかく、外様は警戒するだろう。
儒教については「禅譲・放伐による王朝交代は儒教的には、逆にあるべき姿」ではない。
それは孟子が規定したが、あくまで例外、最終手段だ。血統という要素は重要。何故なら儒教は典型的な父系社会である中国の宗族社会に根ざした体系だからだ。血統、特に男系の血統を軽視することは、父系の宗族社会では考えられないこと。
何だか今回は井沢弁護に立っているような感じだが、この部分は井沢もハチャメチャではなく整理されていて整合性は取れていると思われる。
ただし、ひとついえるのは「そもそも養子に出してOKな将軍子息ってのが、家斉時代くらいしかいないわけだし」という部分だ。
極めて幸いな事に、徳川将軍家は、代々そのような問題を殆ど起こさないで良い展開をして来た。
家綱、綱吉、家宣、家継、家重、家治、家慶、家定、家茂、慶喜・・・は嫡子以外の男子の問題はなかった。家慶は多くの子息が出来たが、成人した男子は家定(家祥)のみ。
逆に家綱、綱吉、家継、家治、家定、家茂と、5人もの将軍は嫡子がいないという問題(家治は家基がいたが死んだのはこのスレで既出だ)を抱えてしまった。
@家康、秀忠、A家光、B吉宗、C家斉・・・徳川歴代将軍で、嫡子以外の子息が問題になったのは実はこれだけ。
それで、@は御三家や駿河大納言という大大名、Aは館林・甲府の中規模大名、Bが御三卿、Cが養子縁組強行路線。そういう流れだな。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 22:57:30
>>833 ありゃ、下げちまったw これは俺のレス、社長レスなので念の為。
(Janeでの書き込み。デフォルトでsageになってしまった)
流れぶった切ってすまんが。
大名は跡取りを江戸に人質を出しているんだよな。
そこで、江戸幕府に忠誠誓うような教育されていたのかな?
地元の家臣からしたら跡取りが帰ってきたら「向こうの人」になって幻滅した、ということも多かったのかな?
家康の息子の秀康は「向こうの人」になったらしいけど。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 03:45:34
>>835 いや、論議の流れはちゃんと続いていそうだ。
江戸は華やかな将軍のお膝元だ。そういうことは確かにあっただろう。
徳川吉宗の改革の中に「上米の制」があった。
これは参勤交代の江戸在府期間を短縮する代わりに米を差し出させるという制度。
江戸在府期間の短縮は、財政的に上米のバーターになったかも知れないが、中には江戸在府期間短縮を不満に思った大名もいたらしい。
鄙びた国許より、華やかな江戸にいたいということだったのだろう。
どんな時代でも、都など「中心地」は人を惹きつけ、魅了する。
室町時代の守護大名も大抵は都にいた。井沢がかつて書いたように都の政治情勢を窺っていなければならない立場でもあっただろうが、どちらでも選択できる場合でも、都住まいを選択する大名が多いだろう。
平安時代の貴族もだ。地方に率先して出て行くのは、都に居続けるのが立ち行かなくなった場合が多い。
当然、江戸に在住している大名の後継者は、江戸にいることで自分たちが将軍家に支配されている立場であるという自覚を持ったことだろう。
少なくとも戦国末期の小田原北条氏のように、天下の情勢が理解できずに秀吉に反抗するというような形で、将軍家に反抗するような大名は江戸時代にはいない。
実際に教育というアクションがあったかどうかは別にしても、そのような状況が、教育的効果をもたらしたのは間違いないだろうな。
「向こうの人」についてだが、例えば島津斉彬などはそうだろう。江戸生まれの江戸育ち。
藩主になるまで、地元には藩主名代で海防視察に行ったことだあるくらい。
地元の家臣からすれば、薩摩弁も話せない藩主には違和感があったのは確からしい。
アフリカなどの発展途上国のエリートは、国内にまともな大学無いから海外留学が当然となっているが、そこで「向こうの人」になる例が多いらしい。
連載は、松平定信の人足寄場の設置を取り上げることで
「定信叩き」とボロクソに評された連載の怨霊を鎮魂しw、
尊号一件を取り上げることで定信VS治済の決着を書いて
この章は大団円だろう。
そして化政文化に触れて、水野忠邦を叩いてw幕末へ。
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 12:32:27
定信叩きが余りに酷いので読者が怨霊にでもなったのか?
>>833 将軍家って意外に男子が生まれないんだね?
井沢先生が前に書いていたけど将軍家は正室には子供を生ませずに
あえて側室から後継ぎを生ませていたと。
このことも関係あるのかな?
>>837 小室直樹なんか、完全に向こうの人だなw
あれだけの高い論理性を持っているのは英語を長年使っていたのと、論理的なディベートをやっていたからだろう。
井沢氏は英語できるのかなあ? 文章がいつも読みにくい。論理的でないというか。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 15:42:13
法学部出てんなら、論理的なことくらい書けるはずだよ〜♪
ってか、私大の法学部じゃダメなんかよ!
単行本をチラ読みしたらタイトロープ渡っているような日本語!
何じゃこりゃ!?
>>833 つまり徳川には余分な領地がなくなってしまいましたとさ
でおk?
>>842 おまいの日本語だって他人のことは胃炎だろw
アンチ小和田厨がいなくなったと思ったら最近小室直樹厨が多いな。
社長がそうだからかw?
あと名君論ってのはどうなったんだ?
江戸時代の逆説の日本史の連載はダッチロールみたいにいろいろネタが
迷走しているが週刊ポスト編集部の方針がころころ変わるからだろうか?
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 20:18:35
>>844 バーカ♪ 前に書いたことあるけど俺はおまえらみたいなのを相手に
する時はバカ語で書いてやってるんだよ〜♪
東大の試験でこんな書き方で書くかよ! 論理的なキチンとした日本語で
書いたから東大合格したんだよ!
しかしま、何で下層民が歴史に興味持つのか未だに謎だな〜♪
おまえらの今の身分を歴史上の人物に当てはめてみろよー!
誰が該当するんだよ!!
政治家や官僚にはいないだろ! おまえら下層民!
社長でやっとこさ、あきんどの当主だよ〜♪
自分の身の程もわきまえないで、歴史から何を学ぶのさ??
歴史、特に政治の歴史はね、俺みたいな東大出て世の中を率いる
人間が関わるものなんだ!
今は民主主義で投票権はあるんだろうけど、おまえらが歴史に
影響を与えられるのは何百万分の一とか何千万分の一だけだよ!
歴史に対しては誤差の範囲内だね♪
歴史が解ったような気になって井沢センセみたいなのにカネを
ふんだくられて騙されているのが関の山!
どうだ参ったか!!
罵倒はなしね
現代は政治至上の時代ではない。
学問でもスポーシでもいろいろな頂点がある。
あえて言えば経済至上に近いが。
時代を超えて参考になる部分があってそれが歴史に関心が集まるのだろうが、
それが政治ばかりとは限らない。かつての政治家を政治家以外が学んでも一向に構わない。
政治至上なら、それは儒教だろうな。
いずれにしても、とんでもなく時代錯誤な奴が東大にいるようだw
>>840 男子は大事にし過ぎて若死に多かったとか?
夜泣きしたら子守役が怒られるので、睡眠薬処方したという伝説聞いたことある。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 11:15:32
>>814さんお見事、備後!です。
やはり鬼平が出てきました。
やはり定信、人足と来たら鬼平こと火盗改の長谷川平蔵宣以ですねw
人足寄場なw
しかし、鬼平を抜擢した定信は名君ではないのか?
>>849 かくして家基にはハンミョウの毒が処方され・・・・・・ギエェ〜w
>>840 >>849 外来(もろこし渡来の)鉛の入ったおしろいが
普及してきて、その白粉の鉛が良くなかったらしい。母体(乳母)を
通じて子供の口にも入るだろうからね。
また、大奥の制度が複雑になったり、砂糖の消費など子供を産み育てる
にはよろしくない環境が整えられて行ったのも大きいのではないかな?
事実、家綱の時代くらいまでは、大名の生母は正室が割合多く、全く縁の
ないところから養子をもらわねばならぬ事態など滅多に無かった。
あと、わざわざ正室の子を回避していたということもないだろう。
家綱からは家茂まで悉く側室の子だが、その間にも正室の子は生まれてる。
単純に正室は政治的な動機で選ばれるのに対して、側室は好みで選ばれることが多いからじゃないの?
側室腹が多い理由って。
好みの若い女とやった回数のほうが多いから、子供も多いと。
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 22:40:45
>>854 正室の子が誕生すると、赤い靴を履かされて異人さんに連れられて行くそうですw
>>854 理屈は通ってるけどなw
秀忠の正室は武家の娘(お江与)だが家光以降の正室はやんごとなき女だからじゃないのか?
家光も晩年(30後半)くらいまで子ができずに焦った。それで側室から立て続けに3人生ませてやれやれ。
鬼平? 教育刑・・・。やっぱ刑は見せしめに限るw
市中引き回しとか、百叩きとか、さらしもの的刑の復活キボン
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 23:04:07
正室なんてただのお飾りなんだよ。
>>854 しかし、公卿や宮家の姫といっても子を生してる例はザラだからなあ。
家光の場合はやつのホモっ気や、正室に興味を示さなかったというのも
大きいだろうし・・・
>>859 アンカーミスは井沢スレの名物だからwいいとして・・・
将軍家の大奥って規模はでかいが所詮千代田の本丸御殿という閉じた世界。
愛想渦巻く空間で結構ストレスたまる。
家綱も綱吉は結局子ができなかった。家宣・家継の頃は短期間でかつ家継は
セクスなんてできない。それで絵島生島事件なんか起きたりして大奥は余計
厳しくなり、ますますフランキーの役割を失った。
吉宗でさえ、将軍になってからは宗尹だけだろう。
大名の方が気軽だっただろうな。何といっても江戸屋敷と国元の城と本拠地
がふたつある。しかも気兼ねする正室は江戸の方で地元に目は届かない。
将軍家や水戸家は参勤交代がないのは却って問題だったりして。
>>860 >愛想渦巻く空間
何だか楽しそうな空間w
愛憎渦巻く空間ならストレス溜りそ・・・
みんな鬼平の話題を何故反らす・・・・・・・・・・・・・?
これで決まりだろう。
天保の改革もボロクソに水野忠邦を叩いて、遠山の金さんでフォローして終わり。
そういえば吉宗も大岡越前でフォローしていたような気が・・・
>>860 >吉宗でさえ、将軍になってからは宗尹だけだろう。
しかし宗尹が生まれなかったら、稀代の策士、一橋治済はこの世に生を享けなかったw
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 12:44:23
まさに時代劇の世界だな
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 23:00:15
田沼意次編で人足寄場を出して比較しているつもりなのか?
人足寄場というより、世界初の教育刑の実施という観点だった。
しかし、公事方御定書(御定め書き百箇条)はすっ飛ばしたのに・・・
タイトルは、井沢氏の意識の現われだろうね。
つまり、吉宗より後は寛政の改革も含めて田沼時代にしたいんだろう。
えらいのは長谷川平蔵であって、松平定信ではない!って感じで次回また叩きそうな雰囲気をラストで匂わせていたが・・・
松平定信は老中として改革を行ったのはわずか7年。現代からすれば長そうだけど、吉宗の29年に比べたら短い。
いろいろやる前に尊号一件がきっかけで追われてしまったという感じもする。
でも松平定信はそれから後の余生の方がはるかに長いので、松平定信の人物像は改革者というだけで考えるのはどうも。
人物ではなく、歴史上の評価だから
井沢厨どころか、今や読者も数えるばかりなり
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 00:28:39
いや、あの、鬼平とか言ってもね、その時代劇を実際観ていた人ってどれだけいるのよ?
井沢さんとか週刊ポストの発想は時代劇から得られた現代人の江戸時代に対する偏った、
間違った常識に対する逆説でも意図しているのかも知れないが、実はかなり外していた
りして。
読んでいる人は一般人が少しは知っていそうな内容に対してプラスアルファ(要するに
ウンチク)が欲しいんだろ?鬼平の話なんか今時誰が知っているのか。
もともと余り馴染みのないものには最初から逆説なんかないよ。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 07:09:45
まあ廃れる時ってこんなもんだろw
>>837 その「向こうの人」がたくさん集まると、新たな上流階級ができるw
清水重好はスルー?
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 18:36:21
やはり井沢は公平な論評をしていない。
論評するべき出来事はきちんと論評しないと。
不得意なところはすっ飛ばしている感がする。
長谷川平蔵は人足寄場で取り上げたね。
松平定信は鬼平の抜擢と人足寄場、
儒教は性善説
で今まで叩いてきた分公平にしようとしたのだろうけど
こういうのを「後の祭り」という?
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 23:14:11
まだまだ読者の祟りは鎮まっていないようだがw
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 23:39:04
ほう、そうかw
いろいろあって、このスレも批判がデフォルトになったような気もするが。
実を言うと俺は今回の連載内容もやや肯定的な評価になる。
鬼平を取り上げたことがどうというより、内容についてだ。
教育刑の話にしても話の内容もだが、何より話の展開の仕方が良い評価をしても良いとも思う。
まあ、詳しくは週末にでも改めて書くことにするが。
やっぱりしゃちょはあまのじゃくww
でもそのあまのじゃくぶりがもうひとつの逆説を生み出すw
社長も突っ込まれそうな・・・
井沢の時代も終わり
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 12:18:56
>>474 個人的には、小泉改革が「向こうの人」の発想のような気がする。
2ちゃんで評論家を批判した男が有罪判決を受けたらしいw
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 23:51:29
>>885 それ、女性評論家を脅迫したって奴だろ。
批判と脅迫は違うよw
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:29:53
まあ松平定信の章を設けなかったところで井沢の偏見も確定w
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 10:16:52
>>884 長年の自民党「角」支配の向こうには「福」がいたんだろw
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 19:37:55
実を言うと、今回の連載部分についての詳しい知識は俺にはない。
だが、井沢の書いている内容について論理的におかしな部分は感じられない。
それに教育刑に対する考え方は大体同じ考えだ。のみならず、井沢は法学部出身のはずなので、近代刑法の成立と展開の経緯は詳しいはずだ。
(なのに東大法学部出身者が多い財務省が日本の経済運営をコントロールしているなどという、内容的にも正しくないし、自己否定にもなることを平気で過去連載で書いていたが。)
教育刑の考え方の延長で、死刑廃止の是非の話も出ていたが、井沢はどちらなのだろう?
教育刑の考え方からすれば、死刑廃止に肯定的になるのだが。
俺自身もそれは近いかも知れない。だがもうひとつ言うなら、教育刑と応報刑を対比させていたが、みせしめとか被害者の恨みを晴らすという観点も刑には存在する。
みせしめは、治安維持・防犯上の観点だろう。被害者の恨みを晴らすのも、間接的な治安維持だ。何故ならそれが十分でないと無節操な私闘に結びつくからだ。
江戸時代の刑は、みせしめ刑が多いと思う。それと被害者の恨みを晴らす為の「仇討ち」も認めていた。これはルールに乗っ取った私闘というべきか。
吉宗の「相対済まし例」については、結局出てこなかったが、これは民事訴訟の私闘とも考えられる。すなわち、江戸幕府は強力な統制の下、世の秩序を乱さない前提では私闘を認めていたとも言える。
現代の日本と対比するとすれば、現代の日本で刑事事件が起きた場合、被害者の感情とかに基づく報道や論評が多い。
刑は被害者の代理で執行するものではなく、社会を代表して執行されるものだと俺は思っているのだが、この辺りの見解はどうなんだろうか。
今回は詳しくない部分についてなので、俺は感想を述べるに留めるが、客観的に意見がある人は補足なり反論なりをしてくれ。
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 21:22:39
みせしめ刑は応報刑の一種。個人に対する応報ならハンムラビ法典
みたいなものだが、社会全般に対して犯罪に対する刑のみせしめは
応報的要素をもつ。
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 21:28:52
罪を憎んで人を肉まん
北京五輪で日本と中華人民共和国は完全に地位が逆転し
アジア最大の経済大国になるだろう。
井沢元彦は憤死して怨霊になるだろうなあw
>>889 社長、今回の連載は流れの中で取り上げていくならここではなかったはず。
それ自体がおかしいのですよ。井沢氏の問題としては「寛政の改革」の章(または松平定信編)を何故設けなかったのか、ということです。
徳川吉宗はひとつの編として設け、最初にあげておいて後半でバカ殿扱い。尾張宗春の退屈な話を延々と展開。
これは内容は良くないが、構成は悪いとはいえない。一応章を割いて、良い点と悪い点を書いた、ということだから。
ところが今度は田沼意次編で、松平定信や一橋治済まで絡めてしまいテーマと内容がリンクしていない。
全部一緒にしたいのなら田沼意次編ではなく、他のタイトルにした方が良かったでしょうね。
たぶん、単行本にした場合、このままの構成だと、書いてあった場所をもう一回見たいと思った時に一番特定し難い部分になってしまったような気がします。
詳しくなくてもそれなりに長文を書いてしまうのが社長w
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 11:41:51
>>893 いつもそうではない?
経済政策でいろいろ対比させるのかと思ったのですが、逆説の日本史は
この時期の経済政策をきちんと取り上げなかったようですね。
何か掠っただけのような気がしています。
専門書を読むというのが前提ですが、あとはこうした情報交換で考える
のが良いのだと思います。
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 16:33:14
日本の江戸時代は朱子学が政治を左右した時代だが、同時に平和が続き、経済が発展した時代でもある。
この姿を内容を分析して裏付けるのが、この時代を説明するために必要なことなのだが、井沢は経済について十分な説明ができず、説得力が感じられない結果になっている。
経済が栄えたのは何故か? 平和が続いたからだ。戦争は国を疲弊させる。戦争を対外的なものに限定でき、国内に膨大な資源があれば平和でなくても経済の発展を求めることは出来るが、日本はそんな事は出来ない。
そして平和をもたらし、かつ継続することが出来たのは、徳川の圧倒的な力に加えて、統制が取れていたからだった。
それを裏付けたのが「儒教→朱子学」だった。
これは儒教・朱子学の本質がどうであれ、この時代の姿を正しく見る為にはなくてはならない視点だ。
それに眼をつぶったり、見方を歪めては、正しく説明できないし、他人を説得することも出来ない。
井沢が儒教や朱子学を偏見の目で見ているのは、近代・現代の問題にリンクしているからだろう。
中国の華夷秩序を支えたのも儒教だし、それを正当化する理論が朱子学だ。それは形を変えて今でもあり、特に(むしろ)朝鮮半島がその影響を受けている。
近隣の国際問題を論じる際、そういった国々との利害関係が問題になるが、その際の相手のセンスを考える際にそういった経緯を理解することは必要だ。
だが、そのことと、江戸時代の幕府がそうした統治をしたこととの評価をゴッチャにしてはならない。
もうひとつ。日本は明治以降から特に昭和初期に皇国史観が台頭し、それが国の運営を誤らせた。
日本人なら日本という国は重要なのだろうが、極端な考えが皇国史観で、それが破綻して今に至っている。
今日、国家を論じると右翼などと揶揄される際に、そのことが汚点として格好の標的になってしまっている。
この皇国史観の正体も、神道など以外に儒教の朱子学がある。何故なら朱子学(宋学)の成立の経緯から考えて、これは本質的に国家主義・民族主義(ナショナリズム)の要素を含んでいるからだ。
だから国を思うという中に、そういった要素が入らないようにすることを、現代の右寄りな、特に知識人を自認する人間は考えるはず。
俺が以前、小室直樹の「教育勅語は儒教ではない」に論理的には半ば同意したものの、本質的に疑問を呈していたのはそうした経緯がある。
しかし、このことと、江戸時代の政策に朱子学が入っていたことはまた別問題だ。
もちろん「影響」はあった。しかしそれは、その後の展開の中で考察すれば良いので、江戸幕府の政治家が国家主義や民族主義を指向して行なった事ではないので、無理に結び付けても正しい分析にはならないだろう。
井沢の江戸時代の展開は、まずそこを区別して(少なくとも読者が区別できるように)展開する必要があったはず。
あとは、経済のことを入れたいのなら、少なくともサラリーマン以上に経済を勉強してくれ。井沢の経済論は酷すぎだ。
逆説の日本史ってまだやってたの?
株仲間はどうした?
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 00:24:29
松平定信は長谷川平蔵を山師と言った。理由は儒教。
なんで?
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 07:14:33
批判する奴はいろいろいるかも知れないがいやなら読まなきゃいいのでは?
>>898 株仲間
徳川吉宗・・・公認
田沼意次・・・積極支持
松平定信・・・不支持
水野忠邦・・・解散
決定的なのは忠邦なので、そこで一気に書くという手もありますね。
>>901 なんだか中学校の歴史w
株仲間
大岡忠光・・・・???
一橋治済・・・・???
徳川家斉・・・・???
清水重好・・・・???
これでどうじゃ!?
>>899 今週は年末でポストお休み・・・
それ、よく知られている話なので書いてしまっても良いけれど、次回の掲載予定内容なんじゃ?
無宿人対策を言い出したのは定信。長谷川平蔵がそれに対して提案を出したのが、石川島の葦地を埋め立て、そこに無宿人を収容、手に職をつけさせて社会へ戻すという策。
そのくだりを「盗賊改メの長谷川某が・・・」と宇下人言に書いてあります。
それで、定信が任せたところ無宿人が減り、効果があった。長谷川の功績だが、彼は功利を貪る山師との評があった(ここに注意。山師と言っているのは定信ではなく、周囲の者)。
「それを承知で任せたのは、そういわれるほどの者でなければ創設はおぼつかないと思案したから」と定信が書いている。
井沢氏の書いた前回の連載内容だと、何か山師呼ばわりをしたのが定信自身のように書いているように読めたのですが。
次回はどう展開するでしょうね。
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 23:39:50
>>903 田沼意次でこのスレにやってきた自分から言うならば。
実は長谷川平蔵は、言ってみれば田沼派の残党。と言って悪ければ
田沼意次路線を継続している立場の人間なんですよ。
それが松平定信には気に入らない。しかし田沼意次の後にすぐ定信
の時代になったので、幕府の内部には田沼派がまだ相当いたと考えた
方がいいでしょう。定信の人事で定信派も増えてはいるのですが。
この辺りがその前の時期も含めた門閥派と実力派との暗闘の時期。
しかし、江戸の治安維持と具体的な民生の政策については鬼平のような
人間に頼らざるを得ない。定信にしてみれば内心忸怩たる思いがあった
のは確か。
その背後で糸を引いていたのは他でもない一橋治済w
策士冥利につきるねおい。
またみんな連載より先走りだしたねえ。
社長の長文爆弾がいつ炸裂するかw
ところでぷらっとさんは治済さんが好きなんでつか??
>>903 宇下人言には「長谷川なにがしは姦物」と書いてあるぞw
山師か姦物か・・・・?
原文は下記
いづれ長谷川の功なりけるが、この人功利をむさぼるが故に
山師などいふ姦なる事もあるよしにて、人々あしくぞいふ。
これまたしれれど、左計のひとにあらざればこの創業は
なしがたしと同列とも議して、まづこゝろみしなり。
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 12:12:09
史料さんくす
史料至上主義乙
山師って鬼兵は博打でもしていたのか??
>>907 教科書には系図以外登場しない奥ゆかしさなのに、歴史的には大成功者。
こういう人物は好きだなあ。
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 00:44:11
>>914 そうだろうな。またマニアックな人が興味を持ち易い。
教科書はそういうのは余り取り上げないのだろう。授業でも。試験にも従って出題されない。
>>ALL
ところで、鬼平こと長谷川平蔵の松平定信の評価が、次回の連載の予想(井沢が匂わせたから)されることになっているようだな。
宇下人言の内容については、原文まで提供してくれた人がいるし、いろいろ考えられそうだ。
だが、ここで考えて欲しいのは「山師」の意味だ。
そして長谷川平蔵がそのような人物であるとは松平定信以外の人間も評価していた。ということは、定信のような立場にいなくても多くの人がそのような認識を持つような出来事が実際にあった、ということだ。
多くの人が「山師」と評価する。それを考えてみよう(もちろん俺は知っているがw)。
山師を単なる罵倒だとか、貶める評価だと考えると正解に結びつきにくくなる。文字通り「山師」とは何かを良し悪し抜きで考えてみよう。
井沢が何を書きたいのかも見えてくるぞ。
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 01:04:10
>>913 あ、既にひとり書いているな。ちょっと違うw
比喩的には博打と言えなくもない。しかしもっと具体的に。
実際に調べてみても良いだろう。そして鬼平が何故そのようなことをしたのか、それが何故松平定信の気に障る事なのか、そしてそんな定信を井沢がどう叩きたいのかを考えれば、次回の展開は予測がつく。
答は希望者がいれば連載が出る前に書くよ。
山本博文が現代新書で書いてたことじゃないの?
それとも「山師」は藤田覚の線で言ってるの?
>>917 私が
>>903で書いたことは大体その辺りで読んだことです。
でもネタというより内容を考えろということなんでしょう。
>>915 でも私も解りましたよ。人足寄場に関係のあることでしょう?
長谷川平蔵は人足寄場の運営資金の捻出の為に、何と銭の相場に介入しています。
ここで田沼意次の南鐐二朱銀に関連して、金銀の相場の話が沢山出てきましたが、平蔵が行なったのは銭(すなわち銅銭)と小判の交換比率の相場です。
江戸での話ですからね。大坂の銀貨との相場ではないです。
そしてそれで大いに差益を出し、それを人足寄場の運営資金の一部に充てた。
平蔵は経済センスも優れていたようです。かつそれは「田沼意次的」なセンスだった。
そうか。それで貴穀賤金の儒教道徳に反するということで定信のセンスと対立した。
それでそんな定信を井沢氏は叩く、と、こんなストーリーなんですかね。
長谷川某は山師=商は詐なり
解答キボン
しかし次回発売は首都圏だと金曜日のはずなのでお間違えなきようw
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 15:41:13
結局定信叩きでしかなかったのか
>>914 漏れも一橋民部卿治済とか、松永弾正久秀とか大好きでつよw
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 22:42:19
弾正忠な
民部卿ごときが一位に叙されそうになってしまう前例倒しってかなり素敵。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 00:30:09
>>918で概ね構わない。正解だろう。
長谷川平蔵は人足寄場により10万両ほども銭を買い込んだ。これは最初から差益を見込んだものかどうかは分からない。
しかし、これにより銭高金安になった。1両=4000文に定められていた銅銭との交換レートが、実勢で1両=6200文前後にまでなった。
この影響は、金本位で価格が決まる商品の物価が下がるという風に出た。酒、油、豆腐類などだ。これは生活に関係する(特に油は大きい)ので、庶民にとっては好感された。
平蔵の策は、江戸の物価を下げるという目的だったと思われたようだ。これは結果論のような気もする。
差益目的だったという考えもだが、当時は田沼時代から寛政の改革が始まる時期で、そうでなくても倹約の風潮からデフレ局面に差し掛かっていたというのもある。
一方、人足寄場の運営資金は幕府から年間500両が初年度に出ていたが、定信はこれを翌年から300両に減額していた。これも諸事倹約の一環。
ところが平蔵の銭買いの後、銭がまた下がる局面になり(補助貨幣は小判などの金貨よりずっと生活に必需な貨幣だ。幕府は発行せざるを得ず、比率は回復基調)、そこですかさず平蔵は売りに出た。
この辺りのやり方は少しえげつない。平蔵は幕府から更に3000両借り出し(銭を買う為)、にも関わらず北町奉行の初鹿野信興と結託して、かつ両替商にも呼びかけて銭の相場を逆に上げるように仕向けている。
今で言えば風説の流布+公権力による操作で、明らかに金商法などに抵触するのだろうが、当時はそんなものはない。それにより、今度は銭高金安の展開。1両=6200文前後だったレートは1両=5300文前後まで銭が上がったんだ。
これで長谷川が得た差益は400両にものぼった。幕府が出している人足寄場の資金300両をも上回る。まあ幕府への返済もあるから、それを差し引いても減額された人足寄場の資金難を補填して有り余るくらいだっただろう。
老中の松平定信にとっては、賤金ということもだが、倹約令を出して減らした分を、そんな運用でカバーしてしまったのがあてつけにも思えたかもしれない。
しかしだ。公権力がこんなに相場を操作して好き勝手にされた日にはどうだろう。経済の健全性は失われてしまう。
だから幕府にはそれを締める立場の人間も必要だろう。田沼意次は一緒になってカネに塗れていたような部分もあるが、儒教が論拠であろうがなかろうが、定信はそういう立場にいたはずだ。
だがそれでも、人足寄場という「政策」を実現・継続する為に、その長谷川平蔵を登用し続けた。これはやはり松平定信もそれだけの評価をしても良いだけの政治家ではあると思う。
後に随筆で「山師」などという評価を紹介しても(それは定信自身も同意だから書いたのだろう)、政策を進める際は登用したのは事実だ。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 00:36:47
ありゃ、訂正。
>>925の上から4行目は銭安金高だな。そして、鬼平が買い込んだのはこの動向を見てからの話だ。
スマソ。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 00:39:30
という訳で、書き直しておく。長文連投スマソ。
>>918で概ね構わない。正解だろう。
当時、銭高金安になっていた。1両=4000文に定められていた銅銭との交換レートが、実勢で1両=6200文前後にまでなった。
そこで長谷川平蔵は人足寄場により10万両ほども銭を買い込んだ。これは最初から差益を見込んだものかどうかは分からない。
この影響は、金本位で価格が決まる商品の物価が下がるという風に出た。酒、油、豆腐類などだ。これは生活に関係する(特に油は大きい)ので、庶民にとっては好感された。
一方、人足寄場の運営資金は幕府から年間500両が初年度に出ていたが、定信はこれを翌年から300両に減額していた。これも諸事倹約の一環。
ところが平蔵の銭買いの後、銭がまた下がる局面になり(補助貨幣は小判などの金貨よりずっと生活に必需な貨幣だ。幕府は発行せざるを得ず、比率は回復基調)、そこですかさず平蔵は売りに出た。
この辺りのやり方は少しえげつない。平蔵は幕府から更に3000両借り出し(銭を買う為)、にも関わらず北町奉行の初鹿野信興と結託して、かつ両替商にも呼びかけて銭の相場を逆に上げるように仕向けている。
今で言えば風説の流布+公権力による操作で、明らかに金商法などに抵触するのだろうが、当時はそんなものはない。それにより、今度は銭高金安の展開。1両=6200文前後だったレートは1両=5300文前後まで銭が上がったんだ。
これで長谷川が得た差益は400両にものぼった。幕府が出している人足寄場の資金300両をも上回る。まあ幕府への返済もあるから、それを差し引いても減額された人足寄場の資金難を補填して有り余るくらいだっただろう。
老中の松平定信にとっては、賤金ということもだが、倹約令を出して減らした分を、そんな運用でカバーしてしまったのがあてつけにも思えたかもしれない。
しかしだ。公権力がこんなに相場を操作して好き勝手にされた日にはどうだろう。経済の健全性は失われてしまう。
だから幕府にはそれを締める立場の人間も必要だろう。田沼意次は一緒になってカネに塗れていたような部分もあるが、儒教が論拠であろうがなかろうが、定信はそういう立場にいたはずだ。
だがそれでも、人足寄場という「政策」を実現・継続する為に、その長谷川平蔵を登用し続けた。これはやはり松平定信もそれだけの評価をしても良いだけの政治家ではあると思う。
後に随筆で「山師」などという評価を紹介しても(それは定信自身も同意だから書いたのだろう)、政策を進める際は登用したのは事実だ。
しゃ、社長・・・
井沢は単に目明を使った捜査手法の方向で説明すると俺は思うけどね
汚れ仕事の重要性がわからずに目明の使用を禁じた定信は世間知らず
定信がそうした理由はやたら倫理を振りかざす儒教にかぶれたせい
儒教は現場の柔軟な裁量を認めないけしからん思想だ
とまぁ、こんな感じだと予想
>>927 社長、修正後も銭高金安になっていますw 最初は銭安金高w
>>929 それも出て来るかもしれませんね。
ただし、お坊ちゃん君主は大抵そうした現場の問題は知らないものです。
織田信長も密偵、乱破の類を「人外の化生」と言って忌み嫌っていた。
戦国期の情報獲得手段としては必須。信長がそうでも、光秀や秀吉や家康は
実際使っており、そうして得られた情報が信長に来るものだから、信長は
人外の化生がなくても情報が集まってくると思っていた。
だから本能寺には殆ど周りの情報が伝わってこなかった。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 10:14:13
松平定信は七分積金積み立てという政策もある
これは明治維新後に東京市に引き継がれて、学校などを設立するのに役立った。
定信もいいとこあるよ
人足寄場だけみたいな政治家ではないね
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:09:18
それでも続く定信叩き
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 22:42:54
井沢って北京オリンピックをボイコットせよ!なんて言っているんだ。
最低な奴。人類の敵だねw
みなさま、おめでとうございます。備後です。
目明しは出ませんでしたが。
尊号一件へと進んでしまって途中で次回へ・・・ですが、
>>686みたいな話でしょうね。
>>933 まあそんなこと言ってたら東京五輪はないだろうなw
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 23:25:02
お前は日中関係を勉強しろ。
井沢は少なくとも対中国論については間違っていない。
その前に実際に中国人とビジネスをしてみたらどうなんでしょうか?
私はやっていますけれど。
日本政府が私たちすべての意見を代表していないのと同様に中国政府は中国人をすべて代表していないですよ。
>>927 初鹿野信興は旧武田系の旗本だよな。
鬼平の長谷川は駿河の旧今川の系統。
してみると、非三河譜代が結構このころ幕府の要所要所にいた訳だ。
こういったことについては、たとえば定信が偏見を持っていたりしないのだろうか?
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 02:08:23
一橋民部卿治済は松平定信が認めようが認めまいがれきとした大御所様でつ
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 11:23:44
>>937 井沢って歴史について知ったかだが、中国についても偏見で知ったか。
中国人の中にも韓国人の中にも反対の意味で日本知ったかがいる。
偏見による知ったか同士がケンカを始めると、周りのみんなが迷惑するよ。
>>936 ほうw
ならおまえが勉強したとやらの日中関係なるものを読ませて頂こうかw
勉強させて頂くよ
どんな内容か楽しみだがw
やっぱり歴史以外の話になると井沢氏の話の内容は荒れますね。
つまらないことだと思いますよ。
同じ話すなら政治論にした方がまだマシでしょうね。
歴史の話にかこつけて、自分の思想信条を相手に押し付けるのは、その人自身の歴史に対する見識も貶めている事になると思います。
家斉名君論はまだなの?
側用人を置いたよw
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 21:40:17
>>938 そういったこともあったかも知れない。
しかしそうした話は聞いたことも読んだこともないな。
だが、示唆としては面白い。というのは、その点で井沢の分析手法に問題ありだからだ。
かつて井沢は「忠臣はバカ殿がいなければ忠臣として顕彰されない」という主旨の意見を書いていたと思う。
これは忠臣というものを分析する観点としては興味深いものだった。
だが、井沢は儒教、特に朱子学の事を悪し様に批判しようとして(特にそうした思想の影響が残っているとして現代の中国や韓国も批判しようとして)その題材として松平定信を取り上げようとしている。
しかしそうなら、松平定信という人物が、朱子学によって影響を受けた部分を明確にし、それが歴史に及ぼした影響を冷静に書くべきだろう。
その場合、むしろ定信の大半をダメダメに決めつけてしまっては、却って朱子学の弊害を説くこともままならない。
この点では、むしろ尾張宗春を書いていた部分の方が(内容の是非とは別に)まだそういった観点をもてる可能性があっただろう。
朱子学がダメな政治論だ、ということを展開したいのなら、一番良いのは、政治家としての資質は優れていたにも拘らず、朱子学を信奉してしまったが故に良い政策が実施出来なかった、というサンプルが最も説得力を持つ。
資質もダメで、朱子学を信奉していて、政策がダメだったというのでは、ダメな理由が資質によるものなのか、朱子学によるものなのかを特定できないだろう。
俺は井沢の過度な朱子学を中心とする儒教批判は、現代中国や韓国の反日論に対する方便である部分が大きいので、論理の殆どを評価しない。
が、例え井沢の意見に賛同する立場であったとしても、この時代を題材にする事によって朱子学・儒教を批判するやり方はうまいやり方とは言えない。
例えば、徳川吉宗を「経済に関してはバカ殿」という言い方だと、それは吉宗の経済に関する「資質」に対する批判とも取られてしまう。
名君であるという一般的な評価があるのなら、それだけの名君にして儒教を信奉していたが故に経済政策においてはその手腕が十分発揮出来なかった、という展開なら、まだ説得力があっただろう。
(名君というのも儒教的な評価なので、優れた指導者とか表現を考えた方が良いが)
だが、尾張宗春でそれに近い展開が出来ていながら、吉宗にはそう書けないのは、尾張びいきと取られても仕方ない。すなわち客観性を欠いていて、井沢の感情論で書いているという評価になってしまう。
「逆説」というのは、ただ逆を言ったり、批判調で書くというだけの話ではなかったはずだ。
「前向きな逆説、前向きな批評」というのもあり、井沢が評価を受けたのは、そうした部分が過去の逆説の中にあったからだと思う。
江戸時代に入って(それ以前から織田信長など、あるにはあるが)思うのは、支持する歴史上の人物とそうでない人物をはっきり分別してしまい、そういった面からしか話を展開していないことだ。
いずれの人物にも功罪はあり、それがどういう分布や傾向を示していて、それが社会にどう影響を与えるかを考える。
その中で儒教や仏教などの宗教や思想についても言及すべきで、そうでなければ、子供向けのアニメみたいな「正義の味方」「悪者・敵」という評価軸での結論しか出て来ない。
それは、人物を語る上で大人ではなく、非常に薄い内容になってしまう。
以前にも書いたが、人物評が難しいのは確かだ。しかし、歴史と人物を評価する上での客観性を保った上で、意見なり主張をしないと、意見や主張まで値を下げるのは間違いないと思われる。
そういや田沼意次の批判って井沢はしたのか?
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 23:57:22
人足寄場の評価をするかと思ったら、長谷川平蔵の悪口か。
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 23:59:56
>>945 してないでしょ。
連載を読んだ限りでは自分としては良い面も悪い面も迫力なさ過ぎでした。
人物像を浮き彫りにする技が井沢さんには余りなさそうに見受けましたね。
そういうのは小説家は得意なはずですが。推理作家はそうではない?
松本清張などはそれは巧みでしたけど。
田沼意次に以前から興味があったわけではない一般の人はこうした内容
で満足なんでしょうか?
家斉の怨霊信仰みたいなのは初めて読みましたが、怨霊だとかそういう
もの以外は何でこんなに浅い内容なのかなという感じ。
それに感応寺って確かに祈祷の寺ですが、あれは田沼意次の怨霊鎮魂なんですか?
自分は以前から田沼意次についてはいろいろ調べている方ですが、
そんな話は聞いた事がなかったです。
結局単行本は買わない事にしました。面白くなさそうだし。
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 00:13:51
>>946 違う。井沢は長谷川平蔵の悪口を書いた松平定信を叩いている。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 13:05:31
井沢イジメのスレはここですか?
>>924 ぷらっとさんはホントにぷらっと立ち寄られるようですね。
ところで
>>663で書かれていた「御三卿」の前例ってなんでしょうか?
大御所の名称問題って?
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 20:22:50
みなさん目を覚ましましょう
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 20:32:00
今年は尊号一件で終りになる見通し
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 21:23:22
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 21:25:18
これで決まりだな
水野忠邦編では眠狂四郎が取り上げられるw
>>950 将軍家にあって御三家以外に徳川姓を許された人たちはそれを括る名称がなかっただけ。
駿河の忠長、甲府の綱重と綱豊、館林の綱吉は通例「将軍家が絶えたときに跡を継ぐ」はずの
御三家より位階が低くても継承順位が上。
大御所の名称問題は従一位も併せて雰囲気でわかってください。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 00:17:00
>>955 将軍家の後継者以外の待遇については
>>682その他で触れたとおりだ。
将軍後継順位は近親者だから高かったと思うが結構5代6代辺りは紆余曲折があったようだな。
大御所については、徳川将軍家は家康以来、必ず生前に位を譲って後見に立つというのが基本方針だったと思われる。
それは、ひとつには信長、秀吉と血統による継承で体制の維持に失敗している事などを考えたと思う。
家光も50を過ぎたら、または家綱が元服したら考えただろうが49で死んだので実現しなかった。
この辺りから将軍継承についての状況が変わってきた。大体宣下を受けるための上洛もしなくなったな。
>>956 >>682の >福井の松平
ここだけは同意しかねたけどね・・・あと頼方は藩主として赴任している。
あと家光は大御所統治を考えただろうか。イザワさんに問いたいところだ。
>>957 家斉の大御所政治をコメントするつもりなら、遡る形で井沢氏が触れる可能性はあり
ますね。
生前に将軍職を譲り、大御所になった人は、
・家康
・秀忠
・吉宗
・家斉
ですね。それ以外の将軍は、
・家光・・・家綱が11の時に病死。死後、慶安事件が起きる。
・家綱・・・嫡子なしで病死。
・綱吉・・・嫡子なし。綱豊を後継者にするも、死ぬまで将軍職。
・家宣・・・嫡子家継が3歳で病死。
・家継・・・8歳で病死。後継者なし。
・家重・・・彼は大御所になっています。しかし、原因は大岡忠光の死で、彼がいな
いと政治が進まなかった為だろうと思います。
後見には立っていないのでは。これをもってしても井沢氏の「家重名君説」はおかし
いです。家重が名君なるが故に側用人を置いたのなら、忠光に代わる側用人を抜擢す
ればよく、また、人材としては「田沼意次」などもいた。
・家治・・・嫡子夭折(家基)。死ぬまで将軍職。
・家慶・・・病弱。嫡子も病弱。後見に立つとかの問題ではなく、主導権はなかった
のでは。
・家定・・・嫡子なし。
・家茂・・・嫡子なし。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 21:40:17
水野忠邦なら遠山の金ちゃんだろうね
>>957 >>682 >江戸幕府は家康の時に末端の係累(秀康とか忠輝でない事に注意)を御三家として設けた。
なんか違うような。
幕府初期に、徳川家の勢力拡大のために家康自身の駿府も含め、子供らに領地を与えた。(秀康・忠吉・信吉・忠輝)
その家がいろいろな事情で潰れて、代わりに幼い弟達が封じられた。(忠吉の跡が義直、家康の跡が頼宣、信吉の跡が頼房)
で、後のほうまで残った家が御三家として成立したと。
徳川幕府に限らず、室町幕府、鎌倉幕府(頼朝)をみても同じだと思うのですが、創業期には実力主義で能力があれば登用されるし、信頼できる身内は権力・地位を与えられる。
足利氏の初期は嫡子以外も僧籍に入らず、それなりの地位に上っている。
一門の斯波とか細川をみても早い時期には分家が守護や探題として独り立ちして後世まで残る。
頼朝だって、門葉として源氏一門を特別待遇した。
政権が固まり、外部との対立がなくなると、本家が分家を抑えようとして対立が始まる。
また、家格が定まり、新たな勢力はなかなか出てこれなくなる。
御三卿はむしろ足利幕府や公家・天皇家の門跡に近いような。
そういや、なんで徳川氏は門跡として跡継ぎを確保しようとしなかったのでしょう。
寺院の勢力が衰えて徳川氏が握っておく意味がないとしても、地位は高いし余計な経済的負担も少ない。
経済的に困窮したから大きな領地を与えられないというのなら、御三卿の当主が不在のときに一旦潰して幕府に吸収するのでは?
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 00:20:21
>>960 うむ。良い意見だと思う。
ただ、結果論かも知れない(=意図したものではないかも知れない)が、江戸幕府の安定した原因を考える時、特に鎌倉幕府や室町幕府、或いは直近の豊臣政権とも比較してひとつ言えることがある。
それは、将軍とそれ以外では、ある部分で決定的な「格差」をつけることで支配の安定を図ったということだ。
例えば、将軍家とそれ以外の徳川家で、実力や権限、役職や位階でほとんど接近していたらどうなるか。
具体的には、大老みたいな役職に御三家筆頭の尾張家の当主が就任するような幕府の仕組だとどうなるか。
尾張家の当主は、きっと将軍の立場をないがしろにしたり、すぐに後継者の座を狙ったり、おそらく忽ちにして将軍職を巡る勢力争いに発展することだろう。
だから、江戸幕府は基本的には親藩大名は、幕政に参画できない。大老・老中以下幕政を実務するのは譜代の「家臣筋」の者だ。
江戸時代の大名は、親藩・譜代・外様といるが、外様は参画できないだけでなく、親藩も原則不可だ。
これが意外に重要。幕政に参画出来ず、ただし後継者の候補にはなれるという事がある意味権力と権威の分散を図る事に結びついている。
家臣筋の譜代は、どんなに逆立ちしても将軍職は狙えない。だから将軍を輔弼することでの栄達に留まる。
親藩は後継者になれるが、中央政治の実権は普段持っていない。これは阻害されているという感覚はなく、むしろ親藩はそれを誇りにしている節すらあった。
一例を挙げれば、幕末。桜田門の変後に幕府は元の一橋派が実権を握ったが、人事において一橋慶喜を将軍後見職、松平春嶽を政事総裁職とした。
将軍後見職は、徳川の格から言っても問題はない。しかし、政事総裁職について越前福井藩の春嶽の家臣は反対したそうだ。
何故なら、越前福井藩は親藩。幕政の役職につくなど、家臣筋の大名に成り下がると看做されたから。
結局幕末有事で請ける事になるが、これが親藩の基本的なセンスだ。そしてその事が、室町幕府や鎌倉幕府のような家格と実力が接近した者同士が争う構図を作らなかった効果を齎した。
また、これは同時に対外的にも「羨望」の分散を図ることにもつながる。徳川一族が幕府に集中すると、他の人間からの妬み、やっかみにもなり、それが体制への不満につながるからだ。
鎌倉幕府は北条氏一族が役職の殆どに入り込んだ。結局鎌倉幕府は北条一族の支配に対する不満から幕府御家人の離反を招いた。
平安末期の平氏もそうだろう。
室町幕府は、足利一門の実力差が極めて近く、それが争いを招いた。また守護大名もみんな実力を持った大大名が幕府の要職にあり、結局争いの基になった。
豊臣政権ですらそうだ。五大老とは豊臣からすればすべて「外様」だ。五奉行は譜代の官僚的な人材が多いが、これで割を食ったのが豊臣恩顧の武断派だ。
五大老にも五奉行にも入っていない。ある意味バランスが悪い。結局武断派は五大老筆頭の家康についてしまった。
江戸幕府は、それらのものがすべてバランスしている。将軍家以外では外様大大名は一切幕政に関われなかった(幕末は例外)。
親藩も後継者にはなれるが幕政には普段関われない。御三卿もだ。譜代のみが幕政に関与し、彼等は小身で将軍家の元でしか台頭できない。
別の分野(野球)の話だが、巨人軍で川上哲治が長期政権を気づく為にやったことは、巨人生え抜きの別所と広岡を更迭し、他球団の牧野と荒川をコーチとして入閣させるということだったらしい。
何かあった場合に「自分に容易に取って代わる立場の人間がいないようにする」のが、自分の立場を安泰にする手法だったとか。
>>960 私も引き合いに出されているようなので。
>そういや、なんで徳川氏は門跡として跡継ぎを確保しようとしなかったのでしょう。
>寺院の勢力が衰えて徳川氏が握っておく意味がないとしても、地位は高いし余計な経済的負担も少ない。
江戸幕府は寺院を完全に既得権益(檀家制度)と引き換えに統制しました。
この辺りは井沢氏も書いていますが、一方では過度な保護はしていないとも思います。
それは宗教的には「堕落」なのかも知れませんね。それは同時に寺院の「格」を少なくとも武家とは密着しないようにしたとも言えるでしょう。
将軍家の菩提寺のひとつ東叡山寛永寺(もうひとつは芝増上寺)には法親王を迎えました。格が求められるこのような場合でさえ、武家から「門跡」のようなものを出さないという考えがあったのではないかと思います。
何故かというと、武家が関わると寺院が政治に関与してくるからではないでしょうか。
政治には、だから儒教が代わって関わるようになった。
それに、過去の経緯から考えて、武家が出家して一旦後継者から退いたとしても比較的容易に還俗する道があったこともあるのでは。
それも万止むを得ない場合だけでなく、争いの火種になるような場合でも他人から進められたり(足利義視など)本人が進んで還俗してしまったり(足利義昭)する。
血統のプールという意味では有効ですが、結構すぐに壊されるプールだったりします。
イモ欽トリオ
>>960 >で、後のほうまで残った家が御三家として成立したと。
後のほうに残った家に徳川姓を与えたのが、家康在命中の将軍秀忠だったのが重要かな。
兄弟とはいえ秀忠と末三人では親子ほど年が違うから、御三家成立(水戸は除いてもいい)の意図は
秀忠の後継ではなく家光の輔弼の色合いが強いわな。
紀伊頼宣と徳川家光は同年齢だしね
>>961 逆に家光と駿河大納言忠長は実力接近し過ぎて忠長が潰された。
>>961 親藩でも松平姓の奴らは譜代と同じで家臣扱い。絶対に将軍にはなれないけど老中にはなれる、でOK?(源氏や平家が天皇になれないけど大臣になれるのと同じ)
老中になった松平某とかも家臣扱いだよね。
>>967 松平姓でも、親藩と譜代がいるから。
譜代の松平は、家康より前の時代に分かれて、力で服従させられた家臣みたいなものでしょう。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 00:12:28
>>967 越前福井の松平や、会津の松平は老中にはなれない(ならない?)。 忠吉や忠輝の系統が残っていても同様。将軍御連枝だから。
もっと江戸時代が継続したらどうなったか分からないが。
ただし土井利勝は大老だったが家康の落胤説もある。
もうひとつただし、養子になると縁組先の門地が優先される事が多い。 定信は御三卿出身なのに、白河松平に養子に行ったので将軍後継不可。
逆に水戸徳川家は将軍後継の枠外とされたが、慶喜は御三卿一橋に養子に行ったので将軍になれた。
松平姓はその成立が様々でひと括りに出来ない。
もっと言えば、例えば柳沢吉保も、薩摩の島津も松平姓。
それと長年の経緯で格も変わる。真田は本来外様だが、老中を出している。 (真田幸貫。もっとも彼は松平定信の次男。個人の血統か、門地が優先かも状況にもよる。)
この辺りが、社会情勢というものだろう。
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 17:59:54
よーし(ry
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 23:29:12 BE:536772029-2BP(0)
来年、ポスト買うのどうしよ・・・・・・・・・・
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 01:26:25
花押
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 01:27:41 BE:1043721375-2BP(0)
保護観察
買う
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 09:59:21
立ち読みで十分だろ。
井沢のクソ連載くらい立ち読みで読み取れなきゃ、この先苦労するぞw
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 18:20:47
おまえら、300円ちょっとケチるのにそこまでするのか?
読むのなら買ってやるくらいのことはしてやれ by 社長
北京五輪ボイコットを井沢さんが主張すると
歴史難民板でここまで伸びるとはね
日本史板井沢スレはもう絶滅したか
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 00:34:57
>>978 いいなあ社長は。300円ちょっと
一般庶民は350円×4で1400円は小遣いから出す出さないはかなり違う。
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 07:16:00
300円ちょっとと書いたのは額の少額ということより、320〜350円ということで300円+αという意味だ。
買う買わないは自由だが、それは本来読む読まないの自由とリンクしているだろう。
それに立ち読みだと、時間と己の身が拘束される。そんな額の節約に拘束時間が対応しているのかな。
俺の場合はそんな安い時間単価で自分を評価しないよ。さっさと買って(または買ってきてもらって)、移動時とか休憩時に読む。
金額を節約したいのなら、定期購読という手もある。それなら1冊辺り110円だそうだ(決済はクレジット・カード)。
俺はそれも考えたが、いつも自宅に帰ってくる訳ではないからな。受け取り場所が限定なのは遠慮。
それで、今年もこのスレも終わりだから、そろそろ
>>368で書いた、
>もうひとつある。それは更に現代の通貨の多様性との絡み(比較)になるが、それはまた改めてということで。
というのを書いておく。
俺は田沼意次の経済政策は、当時としては観点が画期的に見えるが、世の中を考えた政策内容としては悪いとまでは言わないが、吉宗や定信とそう大して変わらないレベルのものだったと思う。
やはり幕府財政が主体であることがひとつだろう。
現代でも、経済政策と財政政策は一緒にされていたり、バランスを欠いていたりするので、中央政府が行なう経済政策というのは難しいもの。
また、財政の健全化は引いては税の適正化にもなるので国民というか、納税者の経済状況にも影響を与えるから結びついてはいる。
しかし、田沼意次が採った政策は財政の立て直しとしては吉宗より効率は良くない。また、一般の経済の活性化という点では所謂「改革」よりは積極的だが、整合性は言われているほどないと思われる。
それが、例えば
>>368で書いたような「金銀の実質料率固定」と「海外との通商」の整合性だったりする。
それと、もっと問題なのは、
>>277でも書いたが、「統制色」が強い政策であるということ。
井沢などは改革政治が統制色が強く、田沼意次はそれと対照的ということで、自由主義経済とニア・イコールみたいに考えているのかも知れないが、本質的には違う。
その象徴は、意外に思われるかもしれないが「南鐐二朱銀」だ。
金と銀の2種類の通貨(正確には銅銭も入れて三貨制)があるにも関わらず、その統一を図った。
これは、円滑な取引を促すという意味でメリットがあるが、実は決済手段の柔軟性を失うというデメリットもあるんだ。
決済手段の柔軟性とは、現在の貿易を想起しても良い。円建てで払うか、ドル建てで払うかを交渉出来る余地があった方が取引の際に柔軟に対応できる。
またそれが商談の際の「条件」のひとつとして、即ちカードとして使える。
国内でも同様。取引の際、現金で払う以外に手形決済もある。その際金額以外に決済期日も条件になる。
受け取った側も、満期で満額を引き取る以外に、期日前に現金が必要な場合は手形割引で期日との条件を勘案して判断することが出来る。
我々の消費も同じだ。現金で支払うか、クレジットカードで決済するか。一括で払うか、分割にするか。
カネを使う・支払うという事ひとつにおいても、いろいろな選択が出来る方が、多彩で柔軟な消費が可能になる。
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 07:17:04
それにより、画一な現金支払いしかない場合なら成立しないような取引も成立する機会が増える事になる。
また、多様な決済のしくみを支えるための様々な業者が手がけるビジネスもその活躍の余地が与えられる。
つまり、決済方法が多様なほど、経済はより活性化する。決済方法が限定されるほど、経済の動く余地も少なくなる。
それこそが重要。ましてや江戸時代は、それまでも三貨制でやって来ており、また両替商など、それを支える仕組も整っていた。
尤も解り難くなるというデメリットもある。しかし、解り易さによる円滑性を指向するなら、金と銀というより、銅との交換の仕組を整える方がより効果があっただろう。
何故なら江戸とか大坂など、地域を限定した場合は金と銀は棲み分けが出来ており、かつ補助貨幣である銅銭は共に使用されていたからだ。
小判と銅銭、丁銀と銅銭の比率の安定化(場合によっては、それぞれで固定化)なら、リテールの部分で経済の円滑性を高めた事だろう。
日本国内で金銀の2種類があるというのは、それ自体悪いことではなかった。
井沢が言うように、日本は経済の仕組においては世界でもかなり進んでいた方だ。それは何故かというと、経済が多彩かつ柔軟で、知恵を使う局面が多かったからだと思う。
だから、酒田五(六)法の本間宗久なども現れた。また先物取引・為替・手形決済・複式の帳簿なども進歩した。
あと、是非とも進んで欲しかったのが「ヘッジ技術」だった。
これは、金銀などの貨幣相場がある場合の究極の金融技術だ。それが更に進めばデリバティブな形態が出て来たかも知れない。
そして、日本独自のヘッジ技術や、デリバティブな取引形態が醸成されていたらどうなっていただろう。
現在、リスクヘッジや金融デリバティブの技術は、殆ど米国の独壇場に近い状態だ。これは俺からすれば「アングロ・サクソン方式」の金融技術だと思う。
しかし21世紀初頭の現代。金融デリバティブとはそれしかない。だから「〜方式」という分類的な表現はおかしいのだが、本当は東洋的な技術が成立していて欲しかったと思うのだ。
日本以外では、中国か、または数学的センスを持っているインドが考えられるが、どちらも歴史的には、そうした金融技術を磨く経緯がなかった。
日本にはあったというよりあり得た。しかし、江戸時代中期以降の政策は、それを画一化することでリスクヘッジやデリバティブに匹敵するか、その萌芽を生み出す契機を失ったといえると思う。
(俺自身の専門が金融デリバティブだ。だからここはプロとしてもそう主張したい。)
井沢が徳川家康編で書いていた通り、江戸幕府は「政治制度」としては、かなり高度な危機管理能力を持ったシステムを構築したと思う。
しかし経済において、それに匹敵するものが遂に構築出来なかった。
かつ、政治制度もそれは継承されずに、明治維新以降、日本は政治においても危機管理能力が却って落ちたと思う。
日本人は、江戸時代という期間に得たものも大きく、また逸したものも大きかったと思うのだ。
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 09:28:16
ケチるんじゃなくて、ゴミだから。荷物にもなるし。
つまんない重量を自分に科すほど、自分を粗末にしてないからねw
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>985 前はヤングマガジン立ち読みだったのが、最近グラビアの
女の子がいいので
つい買ってしまう。腰を落ち着けてじっくりと
××××もできるしね