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名無しさん@お腹いっぱい。:
どちらかというとひょーりみの実力を買っていたのは佐倉だったのに対し、
ひょーりみは春華との共同戦線を選択し、三戦関が原においては春華軍の主力として活躍した。
その後もぷらっと&ムコーニンの親密関係を批判したり、
反春華同盟軍をけん制するような動きを見せるなど、佐倉にとっては痛手となった。
かつて佐倉の第一次くぐつ崇拝政策の際、中野区民憲章が佐倉の下僕になる寸前で春華に降伏したが、
ひょーりみはそれを見習い、いち早く春華のもとで権力を握ろうと画策していたのだろうか?