1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
さ、皆の話を聞こうじゃないか
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 05:08:22
今更いなかったと言われてもねー
2ゲット
何でも耳が十個あったんだって
僕はそれ耳たぶって聞いた
5 :
聖徳太子 ◆9wyZyL8qrQ :2007/02/10(土) 07:58:50
わたしも人間だ耳はふたつしかない
曽我馬子は舌が十枚あったが
かつてお札の象徴も既に忘れられた存在になりつつある聖徳太子
壱万円への復活ははたしてあるのだろうか?
子供の頃はバアちゃんが聖徳太子とかの話してくれたんだけど・・・・
いなかったの?( ´Д⊂ヽ
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 20:02:21
辻元清美ですが、憲法9条改正についてどう思いますか?
9 :
聖徳太子 ◆9wyZyL8qrQ :2007/02/10(土) 20:12:22
自国の平和は自国の軍事力で守り通すべきだ
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 02:12:42
聖徳太子は存在したと発覚したら大山誠一と谷沢永一はどうするんだろう?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 02:14:36
追加 劇団ひとりや聖徳太子はいなかったと主張した歴史研究者や学問者
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 03:27:00
あいつらのアホなところは
「聖徳太子伝説はウソだ」といわず
聖徳太子がいなかったと言ってしまったことだ。
聖徳太子っていつから居ないことになってたの!?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 15:59:09
諡号の法則的に、「徳」が付くのは暗殺された人。「もっと徳が有れば命永らえたのに、ねぇ」って事だそうで。別に悪人だったって意味ではないが。
少なくとも「モデル」はいたと思われる。こちら筋の最有力候補は例の、カレですよ、ハイ。
「太子」と諡された唯一の人。ここから渡来の王族説。
何人でもいいけどさ。慕われてた方だった訳ですよ。後であんだけいい扱いにされたんだから。勿論、「殺した側」が祟られたくないから、褒めて奉ったのだとしても
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 16:08:12
でも奈良に行って聖徳太子ゆかりの寺院に行って聞いたら「いたよ」って言うと思うよ。
心の中にはいまでも太子様はいるんだよ。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 19:28:01
>>12 ひとりはまあ素人だからしょうがない。
研究者はなあ……。
なんかネッシーみたいな扱いになってきたな>聖徳太子
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 19:30:51
もし「実在しない」説が真実なら、まさに不比等の狙いはそこ、フィクションの心象の中での実在化、だったんでしょうね〜。
あ、諡号法詳しい人いない?「聖」の場合の法則忘れちゃった。大学にあった諡号法のコピー、人にやっちゃったから
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 19:33:19
あのすみません、親鸞さんはある女人の体を借りてあなたとやったとか
言っていますが真相はどうでしょうか?
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 10:18:53
まあ、不比等が蘇我氏の事跡を抹消するために
馬子の実施した政策を、学問好きな一皇子によるものと改竄したという
オーソドックスな線が一番ありそうではなかろうか
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 10:35:32
膨らますと蘇我王家なんてのもあるね
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 18:41:23
十七条とか冠のやつとかは実際行われていた政策なのかな。
創作だとしてもどの程度まで史実に沿っているのか。
23 :
【フランス革命】ナポレオン総合スレ【戦争と平和】 :2007/02/15(木) 03:07:11
冠位十二階は、実際そういうことをやったんだろうな。
問題は、蘇我氏が大王だったのかどうかだな。
記紀が嘘っ八となると、何を史料とすればいいのか
万葉集か?考古学か?
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 17:16:57
そこらへんの時代の野史みたいなやつって残ってないの?
聖徳太子は日本人のくせに中国語を使う売国奴
まるで東スポを読んでるようだ
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 02:14:21
女性が君主だともっともないから、
摂政の厩戸を外交文書で主君にしたという説は説得力はあると思う
ただし、蘇我馬子でも同じことは言えるわけで。
しかし蘇我氏がもし大王だったとしたら
あそこまで完全に隠蔽するのは不可能だっただろう。
王統の交替はあったとしても欽明以前だろうな。
>>14 懿徳
仁徳
孝徳
文徳
崇徳
安徳
順徳
こんだけ徳が諡に付いてる天皇いるけど暗殺と確定してるの一人もいねぇ
何を根拠にその説ができてるんだい?
懿徳と仁徳みたいないたかどうか不明な人は除き
孝徳・・・難波宮に置き去り。。。
文徳・・・私は急死しました
崇徳・・・讃岐で鬼になったとか
安徳・・・海中には都がありまする。。。
順徳・・・佐渡は寒いです
暗殺はどうでも、悲しい人たちではあるね
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 21:24:56
いない事にしたいサヨ学者の陰謀だろ?
上宮王家というもったいぶった家は、日本初の宮家だったのではないだろうかと思ってる。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 08:17:13
俺は聖徳太子はいたと信じるね。
>>33 鎌倉期の岩倉宮ぐらいからじゃ
と軽く反論してみる
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 18:25:38
聖徳太子は厩戸皇子をリーダーとした政策集団(チーム)
聖徳太子という個人はいない
小野妹子もこのチームのメンバーだった説は濃厚
じゃ俺は 矢立肇や八手三郎と食事の約束があるからこれで
捏造ばっかりの朝鮮人が在日として日本にいる今、日本の始まりをの聖徳太子をなかったと捏造してもおかしくない
いないと言った学者をよく調べてみないと、日本の教科書も捏造の嘘ばかりになる。
…不安
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 22:07:48
聖徳太子はいない
厩戸皇子はいる
そういうこと
ハヤタ隊員「ウルトラマンは誰なんだろうね?」
それって聖徳太子はいるってことなんだが・・・
政策立案のスタッフの総称だから聖徳太子はいないとか言ったら、殆どの歴史人物はいなかったことになる
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 13:19:35
たしかに
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 14:51:09
厩戸皇子が存在しないなら聖徳太子は存在しないよね
でも厩戸皇子をリーダーとした政策集団として厩戸皇子は実在してるんでしょ?
おかしくない?
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 01:35:04
39の定義だと、その政策集団のリーダーが実際には厩戸皇子ではなく
蘇我馬子だった場合、
聖徳太子=蘇我馬子だったという言い方になってしまうので
それはそれでまぎらわしい問題がおこるのではないか
居ないということ自体が紛らわしい…。
正直、スレ立ててスマンかった。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 06:12:14
「厩戸」という諱の人物の諡が「聖徳太子」なのに、諱の「厩戸」は実在で、諡の「聖徳太子」は「架空の人物」とか「いなかった」って理屈は変だよね。
その諡が何時贈られたかが問題と思うが
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 11:20:27
諡って没後に贈るもんでしょ
没後の何年後に贈るかは人により違いがあるが、贈る時期が早かろうが遅かろうが実在性とは別の話し
大友皇子に弘文と水戸学の連中が贈ったところで、架空にはならんでしょ
ただ、大友皇子を弘文天皇と呼びましょうって話しなだけだから
諡号や大師号、戒名で故人を呼ぶのは近代以前において常識なんだから、厩戸や空海の伝説が没後に形成されれば、聖徳太子や弘法大師の名前で伝説が語られるのも当たり前だし
伝説や文飾を学術的に批判するのは結構だけど、贈られた名前を取り上げて架空とするのは、厩戸や空海を架空の人物だと誤解させるだけで不適切な表現だよ
弘文天皇は本当に天皇だったのか?
と話は横道にそれてしまうが
没直後に贈られる場合と 没後相当の時間が経ってからでは考え方が違うのでは と言いたかった
仮に太子の業績が架空のことだとして
厩戸皇子と業績を結びつけてしまえという恣意さえあれば
でっち上げることは可能であったと思う
書記自体が非常に怪しい書物であるわけで
不比等の作為で虚像がつくられた可能性はある
諡がある=業績も含めてた実在とは言えないと思う
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 12:56:36
>諡がある=業績も含めてた実在とは言えないと思う
別に諡があるから実在って言ってるわけじゃなくて、斑鳩に寺を建てた厩戸の実在を認めるならば、その厩戸皇子を指し示す聖徳太子という名前だけ取り上げて架空と主張したら、読み手が厩戸皇子も架空と誤解するだけで不適切ってこと
聖徳太子の事跡に架空のものが含まれるなら、個々の事跡を取り上げて架空と主張すれば済むだけだし、別に「聖徳太子」じゃなくて「厩戸皇子」の架空の事跡と主張したっていいわけでしょう
書紀には「聖徳太子」とは書かれていないから、厩戸皇子でもOKなはず
厩戸皇子も聖徳太子も同一人物を指す名前なんだから、一方を実在とし、もう一方を架空と分けて主張するのは混乱を招くだけだと思うし、誤解されるのを承知で主張してるようにも思える
どうも話が噛み合わないので やめにするけど
>書記に聖徳太子とかかれていない
確かに推古紀にはないが
用明紀の出生逸話部分に聖徳の割注
敏達紀菟道貝鮹皇女の部分に 東宮聖徳の記述
書記のこの部分が聖徳の初出である
ここは訂正させてもらう
>同一人物を指す名前なんだから・・・・・・・
見解の相違で
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 22:44:10
まあ、「聖徳太子はいなかった」という言い回しは
出版社が本を売るためのキャッチコピーかなんかだから
それを議論の対象にしても噛み合わないということさ
個人的には厩戸の事績は、あったかもしれないが、なかったかもしれないとの立場
十人の話を聴きわけるとかではなく、摂政とか十七条の憲法とか官位十二階の話
書記に信用がおけない以上、信じられなくても仕方ない
厩戸がいたかいないか?それはいたんでしょ多分
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 09:50:11
聖徳太子は居たに決まってます
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 04:01:34
エスパーだったらしいよ。
10だか8人の話を聞けたらしいぜ(^ー^)
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 14:50:26
>十七条の憲法
中に出てくる単語の登場が、厩戸の時代より後だと、津田左右吉先生が。
摂政の存在についても、疑義が出されていたはずです。
>厩戸がいたかいないか?それはいたんでしょ多分
いたのでしょうね。「いなかった」で厩戸まで存在しなかったと思う読み手
はいないと思いたいですが。
59 :
愛:2007/07/16(月) 20:53:53
厩戸王を後世がどんA聖人化してったのが聖徳太子でしょ
それは書記作成を命じた人が、箔付けに必要としたから、かな?
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:00:55
聖徳太子の人間観を教えてもらえないでしょうか?
皇室と蘇我氏の混血具合が面白いな。
今日、聖徳太子は、いなかったという話を聞いて、このスレを見つけました
聖徳太子は実は蘇我入鹿では、なかったのかという話でした
太子の息子に山背大兄皇子がいましたが、この山背もフィクションではないのでしょうか
というのは、この皇子一族を自殺させて滅んだのですが普通、こういう場合は
祟りを恐れて祀られるものですが、まったく、その形跡がない。
また法隆寺に山背を祀っていますが、それは江戸時代からのこと
つまり殺されたのは聖徳太子[蘇我入鹿]
聖徳太子は、あらゆるところで祀られていますよね
蘇我稲目から見て。
入鹿は曽孫。
聖徳太子も曽孫。
天智天皇は来孫。
聖徳太子は実在したに決まってるだろーーーー!!
いや、いなかったと思うぜ
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 20:47:01
いたとかいなかったとかじゃなくて、ただ聖徳太子像に虚像が多分に含まれてるってことでしょ。
こんなことは大山説以前からいろいろ指摘されてたことで、今更って感じだね。
近代の歴史書と違って、正史と呼ばれる史書でも現代人から見ればマユツバなエピソードを持った人物はいっぱい書かれてるからね。
ただ、聖徳太子は日本仏教の父として尊敬・崇拝されてきたので、国学者や神道家からは皇族の癖に仏教に嵌まりやがってと批難され難癖までつけられ、反天皇の連中からは皇族で聖人のイメージがある故に、そのイメージを剥ぎ取ろうと狙われてる。
要するに、右からも左からも都合の悪い存在として付け狙われる可哀相な人ですね。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 22:19:24
劇団ひとりがさかんに言ってた。「聖徳太子はいなかった」
劇団ひとりの経歴は?
たいしたタレントでもないのに、なんでテレビに出てのかな?
不思議でしかたない?
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 12:03:31
聖徳太子はいるよ
みんなの心の中に
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 20:29:11
王子は超能力があり同性愛者で毛人をあいしていたという事が学会では定説になっていますね。
どこの学会やねん
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 21:09:47
日出処の天子という歴史書にある。
正史なんだな。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 01:04:46
日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや。 小野妹子
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 15:35:04
藤原不比等がわざわざ敵対勢力であった蘇我氏の血縁者を英雄に仕立てる理由がない
聖徳太子不実在説など個人の妄想の域を出ていない
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 02:38:06
>>77 世界史板で、山野さんをはじめとして太子不在説にほぼ傾いています。
ネット右翼は史実を素直に受け入れ、太子の不在を受け入れるべきではありませんか?
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 10:54:14
>>78 太子不在説にほぼ傾いています
実際の傾向は逆だろ。
明日香の発掘などが進むにつれ、
a 日本書紀等の記述が 概 ね (基本的な枠組みなど) 正しいこと、
b しかし地位や呼称などの用語は必ずしも 厳 密 ではないこと
などが、明らかになってきている。
トンデモの多くはbの齟齬をつついてaを否定しようとするものだが、時代の流れに逆行している。
聖徳太子虚構説は、今となっては、古臭いアンチ皇国史観とか唯物史観などの先入観や偏見の遺物。
それに、団塊世代の日教組系の馬鹿教師などが食いついているだけ。
(
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/20010714.html)
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 19:33:13
講談社の日本史概説書でも大山説は批判されてたね。
一般人や大学一年生などが対象の概説書で批判されてる時点でマユツバな感じがプンプンするね。
>>78 実在説を支持すると右翼にされる理屈がわからん
それは左翼的に実在されると困る。との自白に等しいのではないか?
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 21:47:28
右寄りで保守論客である谷沢永一は、大山説の焼き直しで「非実在説」だけどね。
あと本居宣長などの国学者や平田篤胤などの神道家の流れをくむ者は、だいたい右寄りよりだが、「日本仏教の祖」として崇められてきた「聖徳太子」には批判的だ。
あと、アンチ天皇の左寄りの人は、もちろん皇族で偉人・聖人扱いされてきた「聖徳太子」が嫌いみたいだ。
だから、単純に右や左で一まとめにして論じるのは無知を曝すだけ。
>>78 不在というか、「聖徳太子のイメージ」がどういう流れの中に形成されてい
たのかを探ろうとしている所でしょうか。
事実存在したか否かということで言えば、考えにくい点が多いが、それより
もその「人物像」からいかなる文化的背景を想像しうるのか。
私も世界史板で大袈裟に言い過ぎたかもしれません。
私個人の立ち位置としては、『仏教史学研究』の特集の藤井先生あたりで。
この史料からどんな思想が読み取れるのかに関心があります。
>>79にしても、aやbなどは個々の発掘調査の結果から見えてきたもので、
その結果ごとに確認することはできても、「だからこれも正しい」と発掘
結果とは直接関係ない事件にまで敷衍はできないでしょう。
aだとかbだとか、右だとか左だとか原理・原則を先にして解釈すること
は、あらかじめ答えを用意して挑むことに繋がりかねません。
結局は自分の思想用の歴史しか出てこないでしょう。
個々の事象を扱うのであれば、史料そのものをそれぞれ明らかにすべき。
ちなみに、『仏教史学研究』ですが、大山説に対する批判もあります。
石井先生、一寸挑発的であったように見えましたが。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:34:43
「聖徳太子は存在しない」って、玉ねぎの皮を全部剥いて玉ねぎが無くなったから玉ねぎは存在しない
と言ってるようなもの
とりあえず聖徳太子を讃える行為と創価を切り離してほしいもんだ。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 10:15:52
最近の大山は、用明と崇峻も怪しいと言いだしている。
それが、「聖徳太子非実在説」から導かれる論理的帰結なのだ。
もはや、トンデモ認定でよかろう。
少なくとも、まともな学問の場で評価されることはあるまい。
聖徳太子の功績はともかく太子の元ネタになった人は存在するんでないの
書紀だっけ聖徳太子の初出は。
書紀自体あやしい書物だからな。
ウマヤド王がいてそいつが大兄だったらそれでいいんだろな。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 08:27:06
法王帝説の一部には、書紀成立より古い資料が使われてる
92 :
B@a:2008/04/25(金) 08:52:55
一万円札と五千円札から聖徳太子の御真影が消されたのはCI(ヱシュロン検閲済)
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:51:06
しっかし、なんでこうも「聖徳太子」の虚像部分を執拗に取り上げようとするのかなぁ?
オイラみたいな戦後30年生まれにとっては、それほど「聖徳太子」が偉いとか凄いとかを刷り込まれた覚えがないんだよね
だから、ことさら虚像部分を得意げに指摘したって「ふーん」って感じでインパクトが乏しいんだよなぁ
教科書に詳しく書かれてたわけでもなかったし、歴史に興味を持っていろいろと本を読むようになった時は、既に太子の虚像部分には学術的メスが入ってたから、ある意味「常識」として受け入れてたからね
それを大山って学者は、先人達が指摘してきた虚像部分を「聖徳太子」って名前でひっくるめて表現して「架空」だとかぬかし、いたずらに世間を煽ってるのがね・・・
「聖徳太子」ってこんなアホなマネしてでも売れちゃうほどホットなネタかなぁ?
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 02:23:15
邪馬台国はなかった!
みたいな紋だろw同類w
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 15:48:21
聖徳太子はいたよ
いないと力説してる奴らの素性を調べればいない説の嘘が解るよ
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 16:22:19
歴史は存在しなかった、でFA?
私もあなたも、実は存在しないのです。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 23:34:54
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 01:30:29
中国の正史の筆頭に挙げられる『史記』
当然、書紀も編纂時には参考としたのは確実だが、この『史記』にはこんな記述がある
>高祖は、沛の豊邑中陽里の人なり。
姓は劉氏、字は季。
父を太公といい、母を劉媼という。
その先、劉媼かつて大沢の陂に息い、夢に神と遇う。
この時、雷電して晦冥なり。
太公往きて視れば、蛟龍をその上に見る。
すでにして身有り、ついに高祖を産む。
(高祖本紀)
さて、高祖(劉邦)は蛟龍の子だと堂々と書いてあるが
「そんなことは現実にありえないから高祖は架空の人物だ」
と言ったところで何の意味があるだろう?
仮に、本名とされる「劉邦」と死後の呼び名である「高祖(正確には太祖高皇帝)」とを別けて、マユツバなエピソードは「高祖」という名のキャラクターで表現して
「劉邦は実在したが高祖は架空の人物」
といったところで、どれほどの意味があるだろう?
ただ、いたずらに誤解を招くだけでしかない
聖徳太子は正義で、蘇我馬子は悪者!おかしい
馬子のどこが悪者なん?
大老みたいなもんと違うん?
蘇我氏の横暴というと馬子より孫の入鹿のほうがひどい書かれようのような気がする
だけど、馬子には崇峻暗殺があるから、道鏡・尊氏らと共に天皇(朝廷)に仇なす逆臣として悪者にされてたけどね
当時はなんとも思われてなかったと思うんだ崇峻暗殺。
「みんな我が婿」だわな。
>「みんな我が婿」だわな。
この一言で済まされちゃったら、ちょっと崇峻がカワイソスw
でも、崇峻って空気読めない奴みたいだからしょうがない気もするか
だけど、この事件を阻止ないし馬子を罰することをしなかった(or出来なかった)って理由で、後世の国学者や神道家に難癖つけられた聖徳太子はカワイソすぎる
いくら仏教嫌いだからっていっても、あんまりだよね
元ネタは光明皇后なんだけどね。
大兄権を持たない大王は権力揮えないよな。
崇峻暗殺は推古の同意済みだったんだろう
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 06:32:06
居たに決まってるじゃない
こんな日本の歴史の10本の指に入るであろう人をいまされいなかったいわれても
おじさんは困るんだぞ
だいじょうぶ。
ちゃんと居たから。おじさん仲間として保証する。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 08:07:41
むっしゃむっしゃ マズ!
カニの食べられない所みたいな味がする・・・
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/13(土) 00:25:40
聖徳太子。知らない?
↓
聖徳太子?知ってるよ。
ほとんど虚構ばっかりだけどね。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/17(水) 08:06:30
>>111 しってる
馬鹿だけど摂政で小野妹子によく殴られてて
犬が好きで 加齢臭のする法隆寺つくって
聖徳サブレはカニの食べられない所みたいな味がする
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/25(木) 16:16:50
朝鮮の歴史ドラマで百済の王が『聖徳太子が助けてくれる』とかほざいてるのには吹いた
聖徳太子の称は死後100年以上も後に付けられた贈り名なんだよ、予知能力者かよ?
ろくに歴史を調べずにドラマつくってる姿勢にはある意味脱帽。
秋山有徳大使
太子はいた。大蔵省時代まで生存した。不良債権で大失敗し埋め合わせに国民の血税である税金を何十兆もぶち込み
財務省に名を変名。雲隠れしたつもりなのだろうか。
大蔵を通じ国民にその存在を知らないものはいない。
また奈良時代から平成の現在にいたるまで太子信仰は続いている。有名だ。
ゆきっつぁんに変わったのは最近といえる。
明治の廃佛でもとある村は太子信仰を守るため本尊を年毎に各家に持ち回した事実もある。
平安に編纂されたという旧事本紀。すでに太子に編纂を仮託した偽書の
レッテルを張られているが、いない人に仮託したりはしない。
当時は古事記より古い書と言われたのは誰でも知るところ。
律令時代の法律解釈本に旧事本紀は引用されている。
存在して当たり前だ。あまりすっとこどっこいなことを言っていたら
当時の朝廷や禁裏のものに殴られるぞ。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/04(水) 16:48:41
法隆寺と言う名前の日本仏教的ファッションの神社で
ソマクサが主役で踊り聖徳太子が脇で笛吹くあたりからしても、
葬られた蘇我一族と蘇我系王族を鎮魂してるのが太子のimageであることは明白だろ。
エピソードが架空かどうかじゃなくてなぜそうまでして祭り上げてるのかこそ論点だろ。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 00:40:41
正体イルカだからな
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/07(金) 19:05:55
聖徳太子は存在しなかった事にしたい人(国)がいるんだよ。
122 :
名無し:2011/01/08(土) 00:05:30
テレ東は あんなに偏った番組を作っていいのか
むかつく!
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/08(土) 01:49:16
>>121 17条憲法が当時の日本に存在しなかった制度や単語ばかりで
中国古典からの引用だというのは説得力があるぞ。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/08(土) 14:39:04
テレ東酷かった。吉村先生はさすがに分かっててコメントしてたっぽいが。
歴史書は編纂者によって意図的な編纂をされてしまうものだが、
全てを虚構で埋めることは決してできない。
「聖徳太子はいなかった」ではなく、聖徳太子は、実在の人物に
その時代にあった政治動向や作られた政策などの実績に脚色を加えて聖人化したもの。
当時の政治動向や政策作りには、当然ながら厩戸さんも関わっていた。
それを不比等の陰謀で、全くの捏造の如く扱うのは、
確かに視聴者アピールには良いとは思うが歴史学的な観点からしたら
お粗末なものであるとしか言い様がない。
純粋な歴史学者は、自分のストーリーに歴史解釈を当て嵌めることはすべきではなく
ただただ歴史書や歴史的遺物から、その記述について、
検証を行うのが正しいスタンスで、検察みたいなストーリーありきな手法は取るべきではない。
何故なら、過去に生きた人の気持ちを理解することなど到底不可能だから。
純粋な歴史の見方では、厩戸さんという人が当時存在して、
その人が当時の政治に関わり、当時の政治動向や政策作りに
重要な役割を持っていたということは歴史的検証から、紛れもないことなのであります。
>>123 十七条の憲法の様な決まり事、冠制度などについては実際に運用されていた記述がある。
その十七条の憲法の様なものや、政治の役割について記述する際に
派遣団が持ち帰った、最新の政治用語に置き換えたとしても何の不思議もない。
純粋な歴史的視点では、「十七条の憲法や緒制度は運用されていた」
「当時の日本の役職制度は長安の役職制度と同じ役職制度、同じ役職名ではなかった」
ということで、決まり事や役職制度自体が捏造であったり
無かったと飛躍するのは
、純粋な歴史検証から外れてしまうことだ。
緒制度の一部、に訂正する。
書かれた緒制度の全てのが存在し、運用されていたという
ことを裏付ける記述がないからだ。
今テレ東のTVみた。
むかむかするー。大山説が絶対じゃないのに。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/11(火) 12:03:03
藤原不比等に造られた歴史って断定調で進めてたのは問題だな
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/15(土) 14:22:56
10人同時に聞けたのは、言葉が今ほど流暢に話せる人が少なくて
話すスピードがとてつもなく遅かっただけだったりしてww
歴代天皇陛下が即位の後に、黄櫨染の御袍を太秦の広隆寺の聖徳太子に奉納する事になっています。
今上の御世になって、今回脱税であげられた相国寺有馬頼底管長が暗躍して、その風習も途絶えかけました。有馬管長は京都仏教会会長
としてただ意地悪をした。
太秦の後継ぎに娘がなるって時に京都仏教会会長の有馬に挨拶がなかったのを逆恨みして衣の下賜を妨害した。
それを知った東伏見倪下が皇居へ乗り込んで
黄櫨染の御袍を広隆寺の聖徳太子に奉納されるように陛下に申し上げた。
テレ東見られない地方民だから見てないけど
また、大山説に基づく太子虚構論TVでやったのか?
大山説は、日本書紀以前に太子信仰なしってことだけど、
風土記に太子崇められてるの発見されて破綻済みだろ。
>125さんに賛成。
但し「日本」というより、飛鳥大和のローカルな世界での話と
区切りたい気もするが・・・。
太子さんの頃までの建築関係者の失業率は知らないけど
あれだけの寺を建てたんだから
技能集団にとっては、仕事をいっぱい出してくれる
神様のような存在だったろうな。
お寺作りに参加すると
税金免除とか、手当支給とかってあったのか知らないけど
もしあったのなら孫子の代まで、
「厩戸さんは偉い人」って語り継ぐだろうな
最近仕事の無いオイラなら…。
太子の頃の仏像って、
なんか弥勒菩薩が多いみたいですけど、
百済や新羅に
弥勒ブームがあったのでしょうか?
やっぱり「花郎」たちの影響もあるのかな?
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 12:39:55.75
花郎なんて仏像、聞いたこともない
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 06:36:22.77
まだ聖徳太子の頃は浄土教が流行ってなかった。
浄土教が流行る前は、弥勒菩薩が悟りを開いて、この世に仏となるべく生まれてくるタイミングに、自分も生まれ変わろうという信仰が流行ってた
空海も高野山の奥の院で、弥勒菩薩が生まれてくるのをまっている
で、なんで花郎が出てくるのかな?
時代的に統一新羅あたりじゃなかった?
関連性がよくわからない
>137
@真興王の時代に「花郎」の初期形態があったのでは?
(梅原「聖徳」、田村園澄「古代朝鮮と・・」など)
A当時の新羅の若者の元気の元が弥勒信仰では?
B弥勒(百済で言うと「太子」)信仰は、氏族レベルでは
伝わっていたのでは?
C太子ゆかりの寺は、半跏思唯の本尊がほとんどだし・・。
こうして「弥勒」「花郎」「厩戸」をつなげて考えているのだが…
↑↑↑間違えました。
×「半跏思唯」 ○「半跏思惟」 でした・・・。
>>19 聖徳太子「善信(親鸞)よ。お前が宿業によって女を犯さざるを得なくなった時には、
わしがしゃーなしでその女に成り代わって玉のような尻を貸し、お前に犯されてやろう。
一生の間お前と添い遂げ、お前を必ずや極楽状態へと導いてやろう」
親鸞が六角堂で見たという夢告ですね。
当時から聖徳太子は観音菩薩の化身とされていて、
親鸞は妻となってくれた女性を、観音菩薩の生まれ変わりだと一生リスペクトし続けたといいます
全てを如来の発現とする、正式な意味での他力本願という思想の根幹部分がここにありますね
田村圓澄氏の『仏教伝来と古代日本』面白かった。
太子論もあるし、Net古本で500円しなかったし・・・。
田村氏は、実在するけど政治にはかかわらなかったのでは
というスタンスでした。(ここはちょっと疑問あり)
初期の太子伝説発生の起源の一つに、
はっきり弥勒信仰をあげてて
これは、私は大賛成かも。(太子道の件もあるけど・・・)
皇太子位を秋篠宮様に移譲することを求める請願書
皇室を敬愛する私達は、日本の未来のため、皇室を崩壊より護り、
そして 国の安泰と国民の幸せを守るため、皇統の存続と皇室の繁栄を
求め、今上天皇陛下がご健在のうちに、下記事項の1.2.の
いずれかと 3.を実行していただくことを求めて 請願致します。
1.今上 平成天皇陛下がご存命中に、 皇太子位を 速やかに
徳仁殿下から 秋篠宮文仁殿下に 移譲すること
2.現皇太子 徳仁殿下は、シンプソン夫人との愛を貫き、エドワード8世としての王位を退位された ウィンザー公のように
皇位を廃嫡し皇籍を徳仁親王に戻す。 もしくは、皇太子妃のみを 廃妃とすること
3.希望の光である 悠仁親王に 一刻も早い 帝王教育をお授けし、皇位継承第三位であることを尊重し、
順位に相応しい 環境と処遇をもたらすこと
送り先: 〒150-0047 東京都渋谷区神山町31−1 日本の皇室をお守りする会
ご署名締め切り日: 2012年1月31日
*個人情報は事務局弁護士の許で厳重に管理し、署名提出以外の目的では一切使用しません。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11078455667.html
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/10(日) 22:12:08.37
遅レスだけど、
>>132をはじめとする皆、大山ちゃんをイジメんといて!あの人は悪い人やない!悪いのは彼の頭なんや……
P.S.今日「聖徳太子はいなかった」って本を読んであまりのムチャクチャさに目眩がしたよ。
ジムクロケットjr
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。: