別館★羽生結弦&オタオチスレ539

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6名無し草
■■日本経済新聞電子版(2011/4/16)フィギュア・羽生 被災地へ届け、16歳の「勇気の舞」■■
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO26815010V10C11A4000000

東日本大震災があった3月11日、昨季のフィギュアスケート世界ジュニア王者で
今季の四大陸選手権で2位となった羽生結弦(16、東北高)は
仙台市内のアイスリンク仙台で練習中だった。
■4日間、避難所で過ごす
ゴムや柔らかい布以外の地面を踏むと、ブレードは一度で使えなくなる。
カバーを付けることは染みついた習慣なのに、すっかり抜けていた。
羽生を含め、阿部奈々美コーチ、その生徒たちは無事だった。
しかし、しばらくしてリンクに戻ると、氷が解けて水浸し。
配管が壊れたと聞かされたが、詳細は分からず、立ち入り禁止になってしまった。
リンク近くにある羽生の自宅も電気、ガス、水道が通じなくなり、
家族で4日間、避難所で過ごした。
「水や食料を供給してもらって、たくさんの人に支えられていると実感した」。
電気が通じたので戻ったが、ガスは4月まで使えなかったという。

結局、震災から10日後、羽生は母親と高速バスで横浜に向かった。
リンクから脱出したときにダメにしたスケート靴をまず新調、
そのまま、横浜で練習を再開した。
4月1日、節電で営業を休止していた青森県八戸市のリンクが再開すると、
今度は阿部コーチの生徒30人らと共に、八戸に移動して合宿。
それを終えると、再び横浜に戻った。