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名無し草:
朝日新聞 和歌山版 1989年9月13日
こぞって祝福 ゆかりの人々 紀子さんのルーツ
戦後の急変動じず 蔵を書庫がわりに 庄一郎氏
十二日の皇室会議で天皇家の次男、礼宮さま(二三)とご婚約が整った学習院大
学生川嶋紀子さん(二三)のルーツは和歌山県。川嶋家があった和歌山市や、東京
へ出て名を成した曽祖父川嶋庄一郎氏(昭和二十二年没)の出身地、松浦家があ
る有田郡清水町では、両家ゆかりの人はみな祝福の声を寄せた。川嶋家は既に東
京へ移り、本籍を和歌山市に残すのみだが、庄一郎氏の人となりを知る人は残って
いる。その足跡は、郷土の期待を受けて東京に出て、家の名をおこし、日本の近代
化を支えた当時の日本人の典型で、紀子さんに郷土のつながりを感じる人は多い。
川嶋家
川嶋家の屋敷は、和歌山市本町八丁目十四番地。現在の本町通りを北上し、JR
紀勢線の踏切を渡った所にあった。今は、建設会社や住宅が立ち並び、かつてあっ
たというどっしりとした川嶋邸を想像するのは難しい。
川嶋家は和歌山でも有名な名家。本町に本宅があり、紀の川の北、府中などに和
歌山市の農地改革時の調査によると約四、五町の田畑を持つ地主だった。本宅の敷
地は約五百五十平方bで、蔵が二つあったとも三つとも。かわらぶきの木造建てで、
当時を知る隣人は「上品で落ち着いた屋敷だった」と口をそろえる。
川嶋庄一郎氏は、明治二十七年、清水町の松浦家から川嶋家の婿養子になり、そ
の後、全国各地の師範学校で教壇に立ち教育者としての人生を送り、大正九年、和
歌山市の視学(教育長にあたる)として同市に戻り、昭和二十二年、当時の海草郡紀
伊村弘西(現在の和歌山市弘西、または同市府中あたり)で没するまで同市で暮らし
た。