皇室御一行様ヲチスレ part512

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826名無し草
AERA 1998.3.2
小和田恒  はれもの大使人事

「怖くて切り出せない」「だれが引導を渡すんだろう」。外務省で一年近く、「はれもの
人事」(外務省幹部)の主役として注目を浴びている人がいる。雅子妃の父親、小和
田恒国連大使(65)だ。
 国連大使に就任してもう四年。すでに一九五五年の同期入省組はおろか、五六年
組も外務省を去った。五七年組もわずかに一人残るだけという突出ぶりで、「先輩の
首に鈴をつけられない」(別の同省幹部)というありさまだ。
 本来、特別職にあたる大使に定年はない。しかし、六十歳を過ぎれば後進に道を譲
るのが通例だ。氏のような事務次官経験者は、米英など有力国の大使を二?三年務
めて勇退するが、「同期や後輩のクビを切り続けた責任」を取り、大使のポストには恋
々としないことが、省を去った仲間への礼儀とされてきた。
 小和田氏の場合、花道と考えた昨年の国連総会での安全保障理事会常任理事国
入りが果たせず、辞めどきを逸した形だ。
 国際司法裁判所判事や国連大学学長、日本国際問題研究所理事長など、噂になっ
た次のポストは多い。「ここまで居座ったんだから、公の職にはつけないでしょ」という
声も省内にはある。
827名無し草:2011/05/22(日) 11:11:13.27
週刊新潮 1997.5.15
外務省から流出した小和田恒氏「特別待遇」の密約文書

 小和田恒氏が国連大使に就任したのは平成六年三月だった。長女・雅子さんの皇太
子殿下との婚約発表は前年の一月。五ヵ月後にご成婚。その翌年の国連大使就任で
ある。当時、小和田氏本人は駐米大使を希望していたらしいが、まだまだ日米経済摩
擦が続いている時期とあって、永田町や外務省の一部から「そんなきな臭い場所へ行
かせるのはどうか」という反対の声があがり国連大使になったのだ。それから丸三年。
外務省の慣例では大使の「定年」は六十三歳だが、すでに小和田氏は六十四歳になっ
ている。
 ところが、小和田氏にふさわしいさらなる転出先はおいそれとは見つからない。「そろ
そろ引退なさっては・・・・」と進言できる者もいない。そして、ご本人に辞める気配は微
塵もない。
 結果、いまや、外務省の人事には「大混乱」が起こっているという。小和田氏の次の
国連大使になることが「内定」していた小倉和夫・外務審議官は、この夏、やむを得ず
韓国大使へ転出する。韓国大使就任を予定していた人物は別のポストへ。玉突き状に
異動すべきポストが異動できない後輩が続出している。
 むろん、そのこと自体、霞が関の格好の話題になってきたのだが、そこへ持ち上がっ
たのが外務省の陰謀を暴く怪文書騒動だったのだ(小誌三月二十七日号既報)。