【儲】津原vs川上戦:中立専用【お断り】

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118名無し草
>>38(マグナではないが)、>>43
恐らく、Tが得たい物は、今の時点でほぼ得られているのだろう。
信頼できる仲間たち、自分の論理的正当性を認めてくれる仲間たち。
ネットはTにとって、チェスの盤上であるとともに、癒しの場となっているだろう。
そしてそれは信者達も同様である。彼らの仲間意識は彼らにとって心地良いものだろう。

Kとのゲームに勝つにしろ負けるにしろ関係なく、Tが最も恐れているのは、
「ゲームの終わり」である。
チェスというゲームと癒しの場が終了させられる事を恐れている。
従って、「何年でも待てる、時間切れはない」となる。
チェスと癒しの場を維持するために。

また、この事が彼のKに対する警戒感を強めている。
この仲間意識は、Tに対する信奉以外に、Kに対する反発心も具現化したものである。
このゲームを終わらせるのは、TやTの仲間達ではない。
Kという存在がこのゲームを終わらせる。
これはチェスの相手であるKではない。いわば盤外にいるKである。
この盤外にいるKが、チェスと癒しの場を破壊する。
「ゲームの終わりの恐れ」を取り除くためには、チェスの相手であるKを、
盤外にいるKと同一化させなければならない。
しかしそれは同時に、チェスと癒しの場を終わらせる事でもある。
「チェスの相手がKでは無かった事」で、彼はむしろ安心してしまった部分も
あるのではないだろうか。
ゲームが続行できるのだから。

彼が最も恐れているのは、「チェスと癒しの場の終わり」だと考えれば、
その発言は辻褄が合う。