その頼と禁断の愛に堕ちる郁(いく)役の榮倉奈々は、いかにも図体がでかすぎる。
身長はほぼ松本並みだし、頭の大きさや肩幅なんかは松本より逞しい程だ。
勢い、「こういう妹(或いは女性)を“守ってあげたい、お嫁さんにしたい”と思うのだろうか」という疑問の方が先に心に浮かぶ。
しかもその違和感は、物語が進行し、松本と榮倉のツーショットが増える毎に強まっていくのだ。
これでこの二人の悲恋に感情移入しろというのは、先ず以って無理な相談であろう。
なお、わたしは嵐ファン(笑)なので、松潤の演技にかなり注目と期待していたのだが、可も無く不可も無し、というレベル。
決して下手ではないが、かと言って目を見張る様な演技力ではなかった。
同じ嵐の二宮和也とは、出演作のクオリティのみならず、演技力という点でも随分差をつけられたな、と感じた。
松本潤の映画以外の活動を見ていると、この人、所謂器用貧乏なのではないかと思う。
司会もバラエティも歌も演技もそこそここなすのだが、飛び抜けたものがない。
それは嵐のメンバー同士で比較してもそうで、例えば他のメンバーは、演技なら二宮、バラエティなら相葉、
歌なら大野、そして司会なら櫻井といった風に得意技が明確であるのに、松本に関してはそれが容易に想起できないのだ。
三十代、四十代ならマルチタレント性にも意味があろうが、まだ二十代前半でこのこじんまりとしたまとまりっぷりではダメだ。
映画同様、コンセプト、キャラクターの再考と再確立が必要ではないか。