◇◆◇◆有閑倶楽部を妄想で語ろう33◇◆◇◆

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1名無し草
ここは一条ゆかり先生の「有閑倶楽部」が好きな人のためのスレッドです。

前スレ 
◇◆◇◆有閑倶楽部を妄想で語ろう32◇◆◇◆
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1214411616/

お約束
 ■sage推奨 〜メール欄に半角文字で「sage」と入力〜
 ■妄想意欲に水を差すような発言は控えましょう
*作品への感想は大歓迎です。作家さんたちの原動力になり、スレも華やぎます。

関連サイト、お約束詳細などは>>2-6の辺りにありますので、ご覧ください。
特に初心者さんは熟読のこと!
2名無し草:2008/11/14(金) 18:58:28
◆関連スレ・関連サイト

「有閑倶楽部 妄想同好会」 http://houka5.com/yuukan/
 ここで出た話が、ネタ別にまとまっているところ。過去スレのログもあり。
 *本スレで「嵐さんのところ」などと言う時はココを指す(管理人が嵐さん)

「妄想同好会BBS」 http://jbbs.livedoor.jp/movie/1322/
 上記サイトの専用BBS。本スレに作品をUPしにくい時のUP用のスレあり。
 *本スレで「したらば」と言う時はココを指す

「有閑倶楽部アンケート スレッド」
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/1322/1077556851/
 上記BBS内のスレッド。ゲストブック代わりにドゾー。

「画像アップロード用掲示板」
※これまでの競作などに使用した暫定的な掲示板です。
途中で消えることもあり。
http://cbbs1.net4u.org/sr4_bbs.cgi?user=11881yukan2ch
3名無し草:2008/11/14(金) 18:59:01
◆作品UPについてのお約束詳細(よく読んだ上で参加のこと!)

<原作者及び出版元とは全く関係ありません>

・初めから判っている場合は、初回UP時に長編/短編の区分を書いてください。

・名前欄には「題名」「通しNo.」「カップリング(ネタばれになる場合を除く)」を。

・性的内容を含むものは「18禁」又は「R」と明記してください。

・最終レスに「完」や「続く」などの表記をしてもらえると、読者にも区切りが
 分かり、感想がつけやすくなります。

・連載物は、2回目以降、最初のレスに「>○○(全て半角文字)」という形で
 前作へのリンクを貼ってください。

・リレー小説で次の人に連載をバトンタッチしたい場合は、その旨明記を。

・作品UPする時は、直前に更新ボタンを押して、他の作品がUP中でないか
 確かめましょう。重なってしまった場合は、先の書き込みを優先で。

・作品の大量UPは大歓迎です!
4名無し草:2008/11/14(金) 18:59:30
◆その他のお約束詳細

・萌えないカップリング話やキャラ話であっても、 妄想意欲に水を差す発言は
 控えましょう。議論もNG(必要な議論なら、早めに別スレへ誘導)。

・作家さんが他の作品の感想を書く時は、名無しの人たちも参加しやすいように、
 なるべく名無し(作家であることが分からないような書き方)でお願いします。

・あとは常識的マナーの範囲で、萌え話・小ネタ発表・雑談など自由です。

・970を踏んだ人は新スレを立ててください。
 ただし、その前に容量が500KBを越えると投稿できなくなるため、
 この場合は450KBを越えたあたりから準備をし、490KB位で新スレを。

※議論が続いた場合の対処方法が今後決まるかもしれません。
 もし決定した場合は次回のテンプレに入れてください。
5名無し草:2008/11/14(金) 19:00:00
◆初心者さん・初投下の作家さんへ

○2ちゃんねるには独特のルール・用語があるので、予習してください。
 「2ちゃんねる用語解説」http://webmania.jp/~niwatori/

○もっと詳しく知りたい時
 「2典Plus」http://www.media-k.co.jp/jiten/
 「2ちゃんねるガイド」http://www.2ch.net/guide/faq.html

○荒らし・煽りについて
・「レスせずスルー」が鉄則です。指差し確認(*)も無しでお願いします。
 *「△△はアオラーだからスルーしましょう」などの確認レスをつけること

・荒らし・アオラーは常に誰かの反応を待っています。
 反撃は最も喜びますので、やらないようにしてください。
 また、放置されると、煽りや自作自演でレスを誘い出す可能性があります。
 これらに乗せられてレスしたら、「その時点であなたの負け」です。

○誘い受けについて
・有閑スレでは、同情をひくことを期待しているように見えるレスのことを
 誘い受けレスとして嫌う傾向にありますので、ご注意を

○投下制限
・1レスで投下出来るのは32行以内、1行は全角128文字以内ですが、
 1レス全体では全角1,024文字以内です。
 また、最新150レスの内の15レス以上を同じIPアドレスから書き込もうと
 すると、規制に引っかかりますので気をつけてください(●持ちを除く)。
6名無し草:2008/11/14(金) 19:00:23
◆「SSスレッドのガイドライン」の有閑スレバージョン

<作家さんと読者の良い関係を築く為の、読者サイドの鉄則>
・作家さんが現れたら、まずはとりあえず誉める。どこが良かったとかの
 感想も付け加えてみよう。
・上手くいけば作家さんは次回も気分良くウプ、住人も作品が読めて双方ハッピー。
・それを見て自分も、と思う新米作家さんが現れたら、スレ繁栄の良循環。
・投稿がしばらく途絶えた時は、妄想雑談などをして気長に保守。
・住民同士の争いは作家さんの意欲を減退させるので、マターリを大切に。

<これから作家(職人)になろうと思う人達へ>
・まずは過去ログをチェック、現行スレを一通り読んでおくのは基本中の基本。
・最低限、スレ冒頭の「作品UPについてのお約束詳細」は押さえておこう。
・下手に慣れ合いを求めず、ある程度のネタを用意してからウプしてみよう。
・感想レスが無いと継続意欲が沸かないかもしれないが、宣伝や構って臭を
 嫌う人も多いのであくまでも控え目に。
・作家なら作品で勝負。言い訳や言い逃れを書く暇があれば、自分の腕を磨こう。
・扇りはあまり気にしない。ただし自分の振る舞いに無頓着になるのは厳禁。
 レスする時は一語一句まで気を配ろう。
・あくまでも謙虚に。叩かれ難いし、叩かれた時の擁護も多くなる。
・煽られても、興奮してレスしたり自演したりwする前に、お茶でも飲んで頭を
 冷やしてスレを読み返してみよう。
 扇りだと思っていたのが、実は粗く書かれた感想だったりするかもしれない。
・そして自分の過ちだと思ったら、素直に謝ろう。それで何を損する事がある?
 目指すのは神職人・神スレであって、議論厨・糞スレでは無いのだろう?
7名無し草:2008/11/14(金) 19:04:13
お、スレ立ってるね
乙です
8名無し草:2008/11/14(金) 21:26:35
>>1
スレ立て乙です
9名無し草:2008/11/15(土) 00:39:42
乙!
10Graduation:2008/11/15(土) 08:10:11
>>1
乙です

>前スレ837より 
第六話は全9レスです。一気に行きます。
11Graduation第六話crescendo(1):2008/11/15(土) 08:12:06

(はあ・・・。)
野梨子は、今日何度目かのため息をついた。魅録との思いがけないデートから、もう4日が経った。
あの日の帰り、魅録と別れてから野梨子はどっと疲れが押し寄せて来た。清四郎が
「今日のお詫びです。」
と、野梨子を食事に誘ったが、野梨子の様子を見て、
「疲れていそうですね。またにしましょう。」
と、結局タクシーで家まで帰った後、「お休みなさい」を言って二人はすぐに別れたのだった。
早々と床に入った野梨子は、すべすべした真新しいヘルメットを抱きながら眠りについた。
そうせずにはいられなかったのだ。理由は考えたくなかった。
そして、その夜、野梨子は初めて魅録の夢を見た。

あの日以来、いけない、いけない、と思いながら、気がつくといつも魅録のことを考えていた。
記憶とは、一度より二度、二度より三度、経験の回数を重ねるごとにその定着度は高くなるという。
文化祭で舞った「月の光」、秋風の中のバイク、その度ごとに忘れかけていた甘い感覚は、
3度目の偶然によって、より強く研ぎ澄まされたものになり、今や簡単には無くなりそうもなく、
その予感に野梨子は怯えた。二人でいる時に見せた彼の表情、声、匂い、会話、
そして時折触れ合ったささやかな肌のぬくもり。それらの記憶は、絶えず野梨子に
まとわりついており、隙あらば野梨子の心を占有せんとしていた。

裕也への想いは、時と空間が忘れさせてくれた。しかし、今回はそうはいかない。
彼はいつだってそこにいるのだ。
そう、彼は大切な友人であり、仲間なのだから。

12Graduation第六話crescendo(2):2008/11/15(土) 08:14:08

裕也への想いと今の気持ちを同列に扱う気はなかった。
(大丈夫。しばらくすれば、きっとこんな気持ちは無くなりますわ。一時の事ですわよ。
たまたま二人で、二人だけの体験が続いたので、そしてそれが思いのほか楽しかったので、
つい何度も思い出してしまうだけですわ。ですから、どうか、このおかしな気持ちが消えるまで、
どうか誰にも気がつかれませんように・・・。)
ヘルメットは、初めの晩以来、クローゼットの奥に押し込んでしまった。
それを見て幸せだったのは最初だけで、今はもう、それを買った事の後悔で
押しつぶされそうだった。それを見る度に思い出すからである。
しかし、時々こっそり取り出しては、膝にのせて、そうっと指でなぞってみたりしており、
野梨子はそんな自分の愚かさを呪うのだった。
魅録が野梨子ほどデパートデートのことを重大に考えていないのは確かだった。
なぜなら、翌日の月曜日、早速楽しげに美童と可憐にこの話をしていたからだ。
二人は本気で驚いたように見えた。一瞬、
「へえ!」
「まあ!」
と二人とも顔を輝かせたが、でも、魅録から野梨子に目を移し、更に清四郎と
悠理に目を移すと、そそくさとこの話題を終わらせにかかった。
「野梨子、今度は僕とデートしてね。」
「魅録も一度くらいあたしもバイクに乗せなさいよ。」
あくまで明るく冗談めかして言う二人に、野梨子は心から感謝した。
一方、清四郎と悠理は、あの日の事は申し合わせたように何も話さなかった。
それはまるで、「あの日のことは無かった事」にしたいかのようであった。

しかし実際は、バイク事件の後、一瞬近づいたように見えた野梨子と魅録との距離は、
デパートデートを頂点にして、再び遠くなっていた。それは、実は、魅録を必要以上に
意識していることを他のメンバーに悟られない為に、野梨子がとった自衛の策に
よるものであったのだが。
野梨子は用心深く、魅録と接触を持つことを避け続けた。時折、何か言いたげな
魅録の視線を感じることがあったが、全て無視した。

13Graduation第六話crescendo(3):2008/11/15(土) 08:15:59

だが、実を言えば、誰もいないところで、野梨子はいつも魅録を見ていたのである。
校庭で、下駄箱で、廊下で、体育館で、教室で、そして生徒会室で。至る所で
野梨子は無意識のうちに彼を目で探していた。そのようにして見る彼は、6人でいる時とは
別の顔も沢山見せた。でも、いつも真っ直ぐで、男っぽくて、暖かかった。
そうして、野梨子は改めて分かったのだ。美童と違い、魅録の周囲にいるのは
男子が多かったが、やはり悠理は特別だった。魅録に言わせれば、悠理も男友達の
カテゴリーに入るのだろうが、悠理にとって魅録は女友達ではない。
そして悠理自身は自分を男だとは思っていない。
同じクラスとはいえ、悠理はいつも魅録の隣にいた。つつき合い、こぶしで叩き、
腕をからませ・・・そして、食い入るようにいつも彼を見つめていた。

今までずっと、二人の天真爛漫な仲むつまじさを微笑ましいと思って来た野梨子だったが、
今はそのような場面に出くわすと、自然に顔を背けるようになってしまった。
そして、突然、野梨子の心に一つの疑念が生まれた。
(もしかして、悠理は魅録を・・・?)
それは野梨子の物思いを一層悩ましいものにした。しかし、おかしな事だが、
野梨子はこうも思っていた。
(もしそうでしたら、悠理の気持ちが通じると良いですのに・・・。)
そうすれば、そうなれば、自分のこの落ち着きのない気持ちも、収拾が付くと思ったのだった。
そしてこの様に、誰も見ていないところでは彼を盗み見、人目のある所、そして
彼のそば近くでは、彼を極力避けるという、人知れぬ努力を野梨子は一人続けて4日経った。
もちろん、怪しまれないように、必要最低限の会話をかわし、笑顔を向けながら。
彼は友人であり、仲間なのだ。

5日目の金曜日、野梨子は放課後、その日初めて生徒会室に寄った。朝と昼休みは、
文化部長の仕事で、職員室に呼ばれていたのである。
(今日は金曜日ですから、まだ期末テストまでは時間がありますし、美童と可憐は
来ていないかもしれませんわね。)
14Graduation第六話crescendo(4):2008/11/15(土) 08:17:03

生徒会室に向かいながら、野梨子は愛すべき、交友関係華やかな二人の友人の
ことを思い、くすくす笑った。しかし、ドアの前に来た途端、野梨子の心臓は
手のつけられないほど激しく鳴り出した。
ドキドキドキ・・・。
(もう来ていますかしら?いませんかしら?)
ガチャ。
いつもの光景。清四郎は新聞を広げているし、美童と可憐は来ていたものの、
やはり出かけるのか、身づくろいに専念していた。しかし、魅録と悠理の姿はどこにも見えない。
(まだでしたのね。)
ほっとした様な、残念な様な、複雑な気持ちが野梨子を襲った。
「遅くなってごめんなさい。今、お茶を入れますわね。」
お茶当番の野梨子が荷物を後方の椅子に置き、お茶の準備にかかろうとすると、
可憐が薄ピンクのマニキュアを塗る手を止めて言った。
「今日はあたしと美童の分はお茶だけでいいわ。お菓子食べてる時間ないから。
悠理と魅録もいらないって。」
「悠理が?めずらしいですわね・・・。」
小首をかしげながら後ずさって給湯室に向かった時、おもむろに手前の資料室の
ドアがバタンと開いて、勢い良く飛び出て来た人物に野梨子はぶつかって倒れこんだ。

「きゃ!」
「悪い、野梨子。」
今、一番聞きたい声が頭上で響いた。この声で自分の名を呼ばれたのは久しぶりだ。
差し出された手を、皆が見ている前でむげにすることも出来ず、おずおずと掴みながら
引き起こされた野梨子は、そこで初めて相手の姿を見て、声も出ない程驚いた。
資料室で制服を着替えたらしい魅録は、真っ黒いレザースーツを着込んでいた。
手には愛用の銀色のヘルメット抱えている。続いてガチャリと奥の部屋が開き、
これまたお揃いのレザースーツに身を包んだ悠理が満面の笑顔で飛び出して来た。
手には真っ赤なヘルメット。二人はよくツーリングへ出かけたが、これほどハードな
格好をしているのを、野梨子は初めて見た。

15Graduation第六話crescendo(5):2008/11/15(土) 08:18:22

「ひゅう!」
美童が思わず口笛を吹いた。
「いやあ、似合うね、お二人さん!」
「本当、二人とも格好いいわ〜!お似合いよう!」
美童と可憐が手をたたいて褒めちぎった。
「そっ、そうかあ〜?へへ、これ、この間の日曜、魅録と二人でお揃いで買ったんだ。」
頭をかきながら、悠理が嬉しそうに言った。
(この間の日曜日・・・というと、あの後ですわね。)
野梨子の胸がきゅっと痛んだ。
「こいつが、買おう、買おうって、うるさくってよ。ま、俺も前のがぼろくなってたから、
丁度いいと思ってさ。」
魅録も少し赤くなりながら、鼻の頭をかいている。
「本当に、よく似合いますよ、二人とも。僕にはとても着こなせませんね。
ところで、今日のツーリングは、二人で?」
清四郎が、今野梨子のとても聞きたい、でも聞けない質問を代わりにしてくれた。
「いや、俺のツーリング仲間と一緒。お、もうこんな時間だ。遅れるとやばい。行くぞ、悠理!」
「あ、ずるいぞ、待てよ!」
疾風のように部屋を駆け抜けて出て行った二人は、まるで黒い雄豹と雌豹のようだと野梨子は思った。
窓辺にそっと近づいて裏庭を眺めていると、すぐに二人が現れた。
まず、魅録が走り出て来た。負けじと悠理が後ろを走りながら、手を振り上げて
何事か言うと、魅録が立ち止まって振り向き、悠理の口をつまんで捻った。
そして二人でどっと笑い合いながらまた走り出し、色づいて来た美しい秋の裏庭を、
美しい2頭の黒豹がじゃれ合うようにして、くっついたり離れたりしながら、
裏門のわきに隠してあったバイクまで辿りついた。魅録が颯爽とバイクに跨ると、
悠理が軽々と後部座席に飛び乗った。二人ともヘルメットをかぶり、またもや
ああだこうだと一しきりもめた後、悠理がひしと魅録の腰に手を回し、爆風、
爆音と共に、二人はあっという間に走り去った。

16Graduation第六話crescendo(6):2008/11/15(土) 08:19:38

野梨子は、二人の姿が視界から消えてもまだ、そのまま窓辺に座って、ぼんやりと
外を見続けていた。
「野梨子。」
その時、清四郎の落ち着いた声が部屋中に響いた。
「はっ、はい!」
野梨子は慌てて席から立ち上がった。
「お茶を下さい。もう随分待っているんですが。」
新聞から顔を上げないまま、清四郎は事務的に言った。
「ごっ、ごめんなさい。すぐ用意しますわ!」
そそくさと給湯室へ入る野梨子の肩をぽんと叩いて、可憐が呼び止めた。
「あたしと美童はもういいわ。もう出かけるから。」
「あら、ご一緒ですの?」
「そう。実は、最近、息抜きと言っては何だけど、美童に英会話を教えて
もらい出したの。」
「ほう、初耳ですね。でも、どうしてまた?」
清四郎は今度は興味を持ったようで、新聞から顔を上げた。
「ほら、あたし、ヒヤリングが弱いでしょ。」
可憐はふわふわの髪を、良く手入れされた指先で振り払った。
「で、美童ったら、会話なら実践ありきってことで、早速英国大使館の青年部の
パーティーに誘ってくれたのよ。」
「どうせなら、クィーンズ・イングリッシュがいいからね。」
美童が手鏡で髪の流れの最終チェックをしながら得意げに言った。
野梨子と清四郎は、アングロ・サクソンの若者達の中で、臆すことなく社交を
楽しんでいる美童と可憐の姿が目に浮かんだ。確かにいいやり方だ。

17Graduation第六話crescendo(7):2008/11/15(土) 08:22:37

明るく華やかな二人が出て行くと、部屋は突然シーンとなった。
清四郎は再び新聞に目を戻し、野梨子の入れた日本茶を啜りながら、時折お茶菓子の
海苔煎餅をかじった。しかし今や二人切りの静かな部屋に、「ぼりぼりぼりっ」という
煎餅を噛み砕く音はとてつもなく大きく響き、最後にごくり、と飲み込む音まで
聞こえそうだった。清四郎は新聞に隠して眉を顰めた。

(全く・・・、野梨子も気が利きませんね。この状況で、煎餅を出すとは・・・。
音が気になって食べられやしない。饅頭か、羊羹でも出してくれれば良いものを・・・。)
しかし、五感が全て他の方面に使われている野梨子は、煎餅の音には全く気を止めていなく、
自分も「ぽりぽりぽり」と、それなりの音を立てながら、その味覚と歯ごたえを楽しんでいた。
魅録が去ったことによって、寂しさはあったが、野梨子は同時にリラックスしている自分も感じていた。
午後の太陽が窓から差し込んできて、清四郎と新聞を直撃していた。野梨子はお茶を啜りながら、
清四郎をちらと盗み見た。黄金色の光は無表情の清四郎の顔を柔らかく彩っていた。
魅録ほど男っぽくないし、美童ほど華やかではない。品の良い、整った端正な凛々しい顔は、
理想の日本男子というのにぴったりだった。

(清四郎とわたくしが和服を着て並んだら、先ほどの魅録と悠理のように「お似合い」
と言われるのでしょうね。)
野梨子はぼんやりと考えた。清四郎が相変わらずなので、野梨子は自分の頭を
整理することにその時間を使うことにした。
(先ほどの魅録は、普段のちょっと不良な魅録とも、この間の男の子のような
魅録とも全然違って見えましたわ。あんな格好をしていると、何ていうか・・・
男性としての凄みが勝って・・・。わたくしとは、全く別の世界の人のようでしたわ。
仲間とツーリングだと言っていましたけど、あんな人たちが何十人もいてバイクを
飛ばしているなんて、とても怖くて近づけませんわ。)
野梨子はお茶を一口啜って、小さなため息をついた。
清四郎が、顔を上げて野梨子を見た。

18Graduation第六話crescendo(8):2008/11/15(土) 08:26:07

(それに比べて、魅録の隣で、悠理の何て自然だったこと。まるで魅録の隣に
いるために存在しているようでしたわ。)
二人がじゃれ合いながら裏庭を走っていく姿を、そして悠理がいかに華麗にひらりと
バイクの後部座席に飛び乗ったかを思い出して、野梨子は突然の苦痛に顔を歪めた。
(わたくしなんて・・・、わたくしなんて・・・、お門違いも甚だしいですわ!)
突如込み上げて来た熱い感情を抑える為、俯いて、テーブルの下で手を握り締めて
こらえていると、「ぼりぼりぼりっ」という大きな音が聞こえた。
思わず顔を上げると、そこには日本茶と海苔煎餅と幼馴染。
「ごくり。」
最後の煎餅を食べ終わった清四郎が、野梨子を見てにっこり笑った。
二人の目と目があうのは放課後ここに来て初めてだった。
「待たせましたね。そろそろ帰りますか?」
「ええ。」
野梨子は立ち上がって、お盆に湯のみを片付け始めた。

翌日の土曜日。清四郎がこの間のお詫びだと言って、結構値の張る仏レストランに
野梨子を連れて行ってくれた。レストランは都内の有名な日本庭園の中にあり、
週末は予約が大変だと聞いていた。清四郎がどれほどの尽力をして窓際の席を
確保してくれたのかを想像すると、野梨子の胸に暖かいものが満ちていった。
先週ほどの好天気ではないものの、決して悪くはない天気で、二人で植物の名前を
言い当てながら、庭園をのんびり散策した後、窓から庭園を眺めながら、
ゆっくりとランチをとった。今日の野梨子は、ふわふわした白いモヘアのセーターと、
海老茶色のツイードの膝丈のプリーツスカートに同色のロングブーツとベレー帽を合わせていた。
セーターの襟ぐりは開き気味だったので、そこに例の清四郎から貰ったリボンの
ペンダントを合わせた。清四郎がそれを確認したとき見せた、驚きと嬉しさの
混じった表情は、野梨子に「つけて来て良かった」と思わせる以上のものであった。
「似合っていますよ。」
「あ、有難うございます。」
日頃憎まれ口を叩きあっている二人とは思えない、素直な会話だった。

19Graduation第六話crescendo(9):2008/11/15(土) 08:29:13

一方、清四郎は、ブルーグリーン系のチェックの綿シャツに白いアラン編みのセーターを着て、
オリーブグリーンのコーデュロイのパンツを合わせ、足元はかっちりとした茶のローファーだった。
秋という季節に白い装いは目立つが、カップルが、それも美男美女のカップルがお揃いのように着ていると、
紅葉の色づく秋景色の中、そこだけ絵のように美しく、幾人もの人々が振り返った。

食事時、野梨子はグラスワインをちょっとだけ飲んだ。有閑倶楽部に入って覚えたお酒の味。
美味しい食事とワインは気分を高揚させた。清四郎の話は(うんちくが過ぎなければ、
そして人を小ばかにしなければ)、いつもとても楽しい。二人の会話は、今日はまた特に興が乗り、
古今東西、森羅万象、会話が会話を呼んで、果てることがないようだった。
時々口論になるのもご愛嬌で、野梨子はとても幸せな、満ち足りた気持ちで家に着いた。
家の前で清四郎が、
「今日は楽しかったですか?」
と、優しく聞いて来た。頬が少し紅潮しているのは、きっとワインのせいであろう。
「ええ。とっても。でも、高いレストランでしたでしょ。悪かったですわね。
今度はわたくしがお連れしますわ。」
「女の人はそんな事気にしなくていいんですよ。」
女の人扱いされたことに野梨子は軽い違和感を覚えた。清四郎も同様だったらしく、
自分で発した言葉に「?」という表情を浮かべた。
「ふむ・・。まあ、いいでしょう。では、野梨子、また月曜日に。」
「月曜日に。」
しっかりと清四郎の視線を受け止めた後、野梨子は家に入った。今日は両親が共に家にいた。
ただいまを言って、一旦着替えるために自分の部屋に入る。
「モヘアのセーターは可愛いですけれど、くっつくのが難点ですわ・・・。」
部屋着にしている簡素なワンピースに着替え、穿いていたスカートに付着した
沢山の白い毛糸を取り終わってクローゼットに戻そうとした時、ふとクローゼットの奥から
シルバーグレーの丸い物体がころんと野梨子の足元に転がって来た。野梨子の手が止まり、
目は足元のヘルメットに吸いつけられたまま、しばらく彼女は立ちすくんでいた。

第七話 seesaw gameに続く

20名無し草:2008/11/15(土) 10:11:00
>Graduation
ぎゃー、恋した野梨子がかわいすぐる!!悶絶!
倶楽部内恋愛は、あくまでこんな風に友情>>>恋愛であってほしいなぁ。切ないけど…
続き待ち遠しいです。
21名無し草:2008/11/15(土) 10:49:49
>Graduation
懐かしいなと思って読みました。
魅録を目の前にするとドキドキして、でもいつのまにか目で追ってしまう野梨子が
初々しかったです。
そして煎餅をぼりぼり食べる清四郎もなんかかわいかったです。
続き楽しみに待っています。
22名無し草:2008/11/16(日) 22:43:02
>Graduation
作者さま、新スレでも楽しみにしています!
大人と子供の同居した清四郎がいいな〜
23Graduation:2008/11/19(水) 09:03:09
>>11 第七話は全24話の予定です。今回8レスいただきます。
24Graduation第七話seesaw game(1):2008/11/19(水) 09:04:57

週明けの月曜の登校時、野梨子と清四郎は土曜日の華やぎの名残に思いっきり身をまかせ、
何時にも増して二人とも饒舌だった。しかし、学校が近づくに連れ、野梨子の心臓は
自動的に音を立て始め、神経という神経は全て一点に集中し、よって、次第に
清四郎の高レベルの会話には付いて行けなくなってしまった。
「・・・ですね、野梨子?」
「あ、ああ、そうですわ・・・ね・・・。」
「・・・。」
何ら的を得ない返事に、清四郎は傍らの幼馴染を見下ろした。校門は目の前で、
朝の通学ラッシュが始まろうとしていた。まだ登校して来る生徒は多くはないが、
野梨子の黒目がちの大きな目は、らしくもなく、まるで誰かを探しているかの
ようにせわしなく動いていた。清四郎は空を仰ぐと、口に手をやって大きく苦笑いし、
一呼吸して、表情を整えた。自分の頭上でそんな変化が現れているとも知らず、
野梨子の頭の中のコンピューターは、カタカタと音を立てていた。
(魅録はいつも来るのが遅いですものね。わたくし達は早い方ですから、この
時間に会うわけありませんわ。だいたい、魅録はバイク通学だから裏門から登校ですし。
生徒会室には寄りますかしら?ツーリングでしたから、今日は遅刻かもしれませんわね。)

コンピューターが一先ず結論を出し、ここで会うことはない、とほっとした途端、
「うーっす!」
威勢のいい声が後ろから聞こえた。
振り向くまでも無かった。
(なぜなぜなぜなぜなぜ・・・?)
清四郎と野梨子が歩みを止めて後ろを振り向くと、魅録と、そして可憐が、
ニコニコしながら並んで歩いていた。
「早いなあ、お二人さん。」
魅録は言いながら清四郎の横に並んだ。可憐がその横についた。

25Graduation第七話seesaw game(2):2008/11/19(水) 09:06:20

「お早うございます。魅録、可憐。お二人こそ、今日は早いじゃありませんか。
魅録は今日はバイクじゃないんですか?」
「あら、あたしは最近こんなもんよ。心を入れ替えたのよ。」
可憐が自慢のゆらゆら揺れる茶色いロングヘアを朝日に透かしながら、明るく
笑ってつんと華奢な顎を上げた。きらきらした雰囲気を身にまとう彼女は、
周囲の空気を一遍させた。
(紅薔薇のようですわ・・・。)
野梨子は感嘆の目で可憐を眺めた。

「俺は、バイクはツーリングで乗り過ぎたからちょっと休ませようと思って、
今日は電車通学さ。そしたら、中で可憐に会ったんだよ。」
「ツーリングはどうでした?」
野梨子があくまで自然を装って、会話に参加した。
「ああ、良かったぜ。悠理が剣菱の何とかってパーティーに出なきゃならないから、
俺たちだけ早めに引き上げたんだけど。」
魅録はここで急に顎に手をやって真顔になった。
「けど、何だな。あいつもあんな風に見えて、やっぱり剣菱の娘なんだなって、
改めて思ったな。今はまだ好きにさせてもらってるけど、その内、俺とツーリングなんて
出来なくなるんだろうなって・・・。あ、この事、あいつに言うなよ。きっと、
すっげー、怒るから。」
一瞬、しんみりとした雰囲気が流れたが、最近、何やら調子が良いらしい可憐がそれを吹き飛ばした。

「ばっかねー!悠理が剣菱の娘ってことは、前から分かってることじゃない。
でも、ただの剣菱のご令嬢じゃないから、あたしたちと付き合ってるんでしょう?
今更あたしたちの関係は変わったりしないわよ。だいたい、そんな先の事より、
今の事よ!今を精一杯生きていれば、それに応じた未来が作れるのよっ!」
そして、ばん!と思いっきり手の平で魅録の背中を叩いた。
26Graduation第七話seesaw game(3):2008/11/19(水) 09:07:32

魅録が、げほごほ咳き込んでいる間に、清四郎が「ほう」と感心したように
可憐を見つめて、口元をほころばせた。
「可憐が、そんな哲学を持っているとは知りませんでしたね。見直しました。」
「あら、そうお?」
可憐は踊るような足取りで二、三歩前に進むと、パッと振り向いて嬉しそうに言った。
「清四郎に褒められちゃった。ふふ、美童に自慢してやろっと。」

「そう・・・そうだよな。可憐、サンキュ。」
咳が収まると、魅録がようやく口を開いた。
「そういや、今週は球技大会だな。」
「そうよ!女子はバレーボールと、テニスだけど、バレーボールなんて、悠理の独壇場よ。
あんな殺人アタック、誰も受けられないわよ。あたしはテニスで良かったわ。
野梨子はやっぱりテニス?」
「・・・じゃんけんで負けて・・・、バレーボールですわ。」
野梨子は思い出したくないことを思い出してくらっとした。
「大丈夫よ。うちの学校の女子バレーなんて、サーブが相手のコートに入れば
点が入るんだから。野梨子の運動音痴がどうのってレベルじゃないから安心しなさい。
もちろん、悠理のクラスは別だけど。」
「美童は今年もテニスだと言っていましたね。男子テニスは美童のクラスの優勝が濃厚ですね。」
「そういや、清四郎、バスケだってな。毎年テニスなのに。」
魅録が思い出したように清四郎の顔を見て言った。
「・・・ええ。最後なので、別の競技もやってみたくなりまして。」
「おまえのクラス、弱小とはいえ、バスケ部いるもんな。けっこういけるかも。
決勝戦で当たろうぜ。途中で負けるなよ。」
魅録がにやりと笑って清四郎に宣戦布告した。
「望むところです。」
清四郎はまばたきもせず、魅録を見返した。

27Graduation第七話seesaw game(4):2008/11/19(水) 09:08:36

子どもっぽい事だが、野梨子は球技大会が雨になればいいと実は思っていた。
学生でなくなることは寂しいが、学園というものから外に出れば、もう「体育会」
「水泳大会」「球技大会」等の運動能力を競い合い、披露し合う催し物にもう
出なくて良くなるというのは、とても魅力的であった。球技大会の前日、野梨子は
逆てるてる坊主を作ろうかとさえ思ったが、大会を楽しみにしている者も多いのを思い出して、
それは見送った。
「最後の球技大会ですしね。」
大学でも似たような催しはあるかもしれないが、基本的に個人主義の大学生活と、
集団生活の高校生活ではその力の入りようには雲泥の差があるに違いない。
野梨子はこれが最後だからと、自分を言い聞かせて眠りについた。

当日は晴天だった。青空の下、緑が多いのが自慢の美しい学園内に、真っ白い
体操服姿の生徒たちが一斉にちらばった。聖プレジデント学園の体操服は、
上は男女とも白いポロシャツ、下は男子は白、女子は紺の半ズボンだった。
いずれも、伝統のクラシックな、野暮ったいと言って良いほどのゆとりのあるデザインで、
いわゆる色気とは程遠い物であった。
男子は体育館と第一運動場を使ってのバスケットボールと、生徒たちの趣味嗜好上、
やけに多いテニスコートを使っての5人一組の勝ち抜きテニス。女子は第二運動場を
使ってのバレーボールと、男子と同じくテニス。ちなみに、バスケとバレーの
決勝戦はどちらも体育館で行われる予定だった。高等部の全学年がクラス単位でチームを作り、
クラスの指定色のゼッケンとハチマキをつける。今年は、清四郎のA組が赤、
魅録と悠理のB組が青、野梨子のC組が白、美童のD組が緑、可憐のE組が黄色であった。
試合は、学年は問わずトーナメント方式で行われるので、下級生が上級生を抑えて
優勝することも多々あり(実際に過去二年は、魅録のいるクラスはバスケで、
悠理のクラスはバレーボールで、美童と清四郎はテニスで、それぞれ優勝経験があった。)、
三年生としては気の抜けない、高校生活最後の大会なのであった。
28Graduation第七話seesaw game(5):2008/11/19(水) 09:09:49

掲示板に張り出されたトーナメント表を見て、野梨子はほっとした。
(悠理のクラスとは当たりそうもありませんわ・・・。)
野梨子のチームは自分を除外しても、とても勝算があるチームには見えなかった。
(さっさと負けて、皆の試合をゆっくり観戦したいですわ。)
野梨子が頭を抱えるのは、試合そのものもさることながら、この時とばかりに
シャッターチャンスを狙うカメラ小僧たちであった。競技中の写真撮影はもちろん
禁止されているが、それでも携帯の普及したこの時代である、それを全部取り締まるのは
不可能というものだ。しかも、彼等はお互いに協定を結んでおり、誰かが疑いを
かけられても周りの者がアリバイを証明してやる、その代わり、お宝写真を譲ってもらう・・
という仕組みになっていた。
(皆はいいですわ・・・。少なくとも素敵な写真を撮ってもらえることでしょう。
ああ、でも、わたくしは・・・。)
自分の無様に転んだ写真や、大口を開けた写真がこの世に存在するなど、考えただけで背筋が寒くなった。
(とにかく、負けるが勝ち、ですわ!)

ピーッ!
試合開始の笛が鳴り、クラスの紹介が始まった。
「Aコート、三年C組、・・・・・・白鹿野梨子・・・・・・。」
この試合の審判を担当する二年生の某女子も、さすがに野梨子の名前を呼ぶ時は
緊張するようで声が震えた。野梨子の名前が呼ばれると、周囲の見物人たちからどよめきが起こった。
(始まれば、終わりますわ。早く始まれ、始まれ・・・。)
その時、野梨子の目に信じられない光景が飛び込んで来た。相手コートの後ろの金網越しに、
青いゼッケン4番をつけ、同色のハチマキを頭に巻いた魅録が、同じチームの
仲間と思われる男子数人に囲まれながら、腕を組んで、興味深げにこちらを見ていた。
(・・・。)
いつの間にか、代表同士がじゃんけんをし、相手チームがサーブを取ったようだ。
この学園には珍しく、体格の良いショートカットの女子がサーブをはなった。
青い空越しに白いボールが飛んで来る。しかもボールは野梨子を慕っているらしい!
(もうっ!やぶれかぶれですわっ!)
野梨子は両手を組んでこぶしを作ると、ボールに向かって突進した。
29Graduation第七話seesaw game(6):2008/11/19(水) 09:11:12

十分後、野梨子は保健室のベッドの上にいた。結局、最初のボールを野梨子は頭で受け、
よろよろとコートに倒れこんだ。ぐるぐる回る世界の中で、最後に見たのは魅録が
驚いた顔で駆けつけて来る姿だった。
次に夢うつつの中、ぼんやりと目に入ったのは、「4」の数字が浮かび上がった
青いゼッケンだった。
「!」
我に返った野梨子が頭を起こすと、鋭角的な顎が目に入った。青いゼッケン4番が
誰かは分かっていた。そして、忘れようとしても忘れられない、懐かしいこの
匂いも・・・。では、今、自分は彼の腕の中にいるのか・・・?
その時、清四郎の声が耳に入った。
「野梨子!いったいどうしたんですか、魅録!?」
「バレーのボールを頭に受けたんだよ。軽い脳震盪だと思う。保健室に運んで来るよ。」
振り向いた野梨子の目に、清四郎の今まで見たこともないような驚愕の表情が
写って、通り過ぎて行った。

保健室の前で、野梨子は魅録のゼッケンを掴んで言った。
「魅録、わたくし、もう大丈夫ですわ。降ろして下さいな。」
魅録はほっとしたように息をついた。
「気がついたか、良かった。長い間、意識がないのは危ないからな。これ位なら平気だな。
でも、まだ顔が真っ赤だぞ。無理すんなよ。」
結局、魅録はベッドまで野梨子を運んで行った。人の良さそうな養護教諭が
慣れた手つきで野梨子の脈と血圧をはかり、様子を見た。
「ごく軽い脳震盪ね。これ位で気が付けば大丈夫。念のため、少し休んで行きなさい。」
「はい・・・。」
しょんぼりとベッドに沈み込む野梨子の頭を魅録が優しく撫でた。まるで悠理にするように。
野梨子がそうされるのは、初めてだった。
「本当、大した事なくて良かったよ。あん時はびっくりしたからな。さっき、
清四郎に会ったから、試合が終わったら飛んでくるだろう。それまでついていてやりたいけど、
試合があるから、悪いけど、もう行くな。また、様子見に来るよ。」
30Graduation第七話seesaw game(7):2008/11/19(水) 09:12:40

一人になった野梨子は、しばし窓の白いレースのカーテンが風にたなびくのを
ぼんやりと眺めていた。脳震盪による頭のふらつきはもうなかったが、違う意味で
野梨子の頭は働かなかった。今、起こった事は全て夢のようで、とても現実の事とは思えず、
そして、野梨子は現実に戻るのが怖かった。
その時、トントントンと保健室のドアを叩く音がした。
(次の患者さんですかしら。もう、起きなくては・・・。)
野梨子が身を起こそうとすると、養護教諭の声が聞こえた。
「ええ、いるわよ。もう大丈夫よ。起きていると思うわ。」
アコーディオンカーテンが開き、清四郎が入ってきた。赤いゼッケン4番に赤いハチマキ。
一試合終えたのか、髪が少し乱れ、汗をかいている。眉間にしわを寄せ、心なしか、
苦渋の表情を見せながら、傍らの椅子に座った。
「僕が、・・・僕が助けてやれなくて、すみませんでした。」
清四郎は、開口一番こう言った。
「その場にいなくてすみませんでした。試合の作戦会議をしていたもので・・・。」
搾り出すような清四郎の声に、野梨子は得たいのしれない不安を感じた。
(清四郎、何故そんなに悲しげな顔をしていますの?)

「わたくしこそ、ご心配かけましたわ。皆、わたくしのひどい運動音痴がいけないのですもの。
本当に、情けないですわ。」
野梨子はここで、今までこらえて来た、ぐっと熱いものが胸に込み上げ、ぽろぽろと涙をこぼした。
慌てて、指で涙を拭うと、野梨子は笑顔を取り繕って清四郎に聞いた。
「清四郎は、試合、順調ですの?」
「今の所。次は準々決勝です。魅録も順調なようで、頂上決戦は夢ではないかもしれません。」
「楽しみですわ。他の皆は?」
「悠理はもちろん、美童も順調のようですよ。可憐は、残念ながら2回戦で敗退したようです。
本人よりも、ファンの男子生徒達が残念がっていましたね。」
「うふふ。可憐らしいですわね。」
仲間達の話は野梨子の心を明るくした。野梨子の笑い声に、清四郎も強張っていた表情を緩めた。
31Graduation第七話seesaw game(8):2008/11/19(水) 09:16:13

そこへ、どやどやと魅録を除く皆がやって来た。
「野梨子っ、大丈夫かあ?」
悠理が心配そうに野梨子の顔を覗き込む。青のゼッケン一番と青いハチマキ。
「大丈夫ですわ。悠理、活躍は聞いていますわ。頑張って下さいね。」
「もっちろん!野梨子の分まで頑張ってやるよ!」
悠理は鼻をフンフン鳴らしながら益々テンションを上げていた。
「大したことなくって良かったね。僕の応援も忘れないでよ。」
美童が大げさにウィンクする。ご自慢の長い金髪はスポーツをする時にいつもするように、
太い一本の三つあみにして後ろに垂らしてあった。緑のゼッケン一番と緑のハチマキをつけている。
「野梨子、もう大丈夫なら、一緒に回らない?あたしも、もう負けちゃったから、応援に回ろうと思うの。」
これもポニーテールに髪をまとめていた可憐が汗を拭きながら、黄色のゼッケン3番とハチマキを外しながら言った。
「いいですわ。」
野梨子はのろのろとベッドから出た。ちょっと歩いてみて、頭を動かして見る。
「大丈夫ですわ。」
結局、可憐を除いて、皆は次の試合のために先に出て行き、野梨子は改めて養護教諭に
OKをもらうと、可憐とゆっくり外へ出た。

並んで歩きながら、可憐が野梨子を肘でつっついた。
「魅録が運んでくれたんだって?生徒たちの間で、ちょっとした騒ぎだったわよ。」
「そうらしいんですの。でも、わたくし、気を失っていて何も覚えていないんですのよ。」
野梨子は嘘をついた。
「ふうん。」
可憐はそれ以上つっこむ事もなく、楽しげに掲示板で対戦表をチェックした。
「ええと・・・。効率よく観るためにはどう回ればいいのかしらね。テニスコートはちょっと遠いのよねえ〜。」
美しい眉間にしわを寄せ、真剣に悩む可憐を見ているうちに、野梨子も当事者意識が
芽生えて来た。分析をするのは野梨子の得意とするところだ。
「わたくしにまかせて下さいな、可憐。」
野梨子はキラリと目を光らせた。

続く
32名無し草:2008/11/19(水) 16:55:57
>Graduation
球技大会!懐かしいですね。
有閑のみんなも高校生なんだよな〜とこのお話をよんでいると改めて思います。
野梨子の心の変化に気がついているっぽい清四郎がせつないですね。
続き楽しみにしています。

33名無し草:2008/11/19(水) 21:41:59
>Graduation
テストや球技大会などの高校生活の描写も、作品を読む楽しみのひとつにしております
可憐の哲学、かっこいい!
次は野梨子と可憐が一緒に行動するんですね
原作でも好きなペアなので嬉しいです
34名無し草:2008/11/19(水) 23:34:30
>Graduation
もしかして、バスケ決勝は…?
ドキドキしますね〜。八面六臂の活躍であろう、悠理の試合もみたい。
ボルグの再来w 美童も。
35これ、いただくわ 113:2008/11/20(木) 02:26:26
http://houka5.com/yuukan/long/l-52-5.htmlのつづき

「……あの子、また逃げたわ」
モニタを見つめた可憐はがっくりと肩を落とした。この呟きをもう何度
繰り返したことだろうと清四郎を見ると、彼もまた同じ思いで顔を顰め
ていた。
無事40階にたどり着いたふたりであったが、悠理の捕獲作戦はとん
でもなく難航を極めるものとなっていたのだ。この時も、あと三つほど
角を曲がれば出会えるというところで、又しても悠理のブリップは入り
組んだ通路の向こうへと遠ざかっていったのだった。
「……ねえ、清四郎。たしか私たちの現在地を表示する為にモニタを
再起動したわよね?」
「ええ、しましたよ」
「でも悠理が落としていった発信機は、その前から表示されてたわよね?」
「……あ」
清四郎は己の迂闊さを苦々しく思いながら、急いで発信機の電源を切った。
すると案の定、悠理のブリップはフラフラと迷走し始めた。
「……やっぱり」
気を取り直してふたたび追跡を開始したものの、侮れないのは野生の
勘だ。あと一歩のところまで近づくと、悠理の輝点は的確に逆方向へと
逃走していく始末だった。
「いったい悠理はどんな嗅覚をしているんですか……」
清四郎は呆れつつも感服した。しかしこれでは埒が明かない。
「ここはひとつ、挟み撃ちといきましょう」
さいわいこの階の警備員たちは殆どが眠りに堕ちている。おそらく逃げ
惑う悠理が麻酔銃を使ったのだろう。地下道で野梨子が乱射した銃と同
じものである。言う迄もなく清四郎たちも携帯してはいるが、できる事なら
穏便に済ませたい。しかし危急に瀕した悠理はあの折の野梨子同様、
惜しげもなく乱射しながら逃走しているらしい。
36これ、いただくわ 114:2008/11/20(木) 02:27:17

清四郎はすぐさま待ち伏せに最適な箇所を割り出し、可憐に指し示した。
「可憐はすこし戻ったこの辺りで待機してください。僕がそこまで追い
込みます」
作戦に賛同した覚えなどなかったが、唇を尖らす間すら与えられずに
可憐は持ち場を割り当てられた。
「では、頼みましたよ」
「ち、ちょっと待ってよ、ひとりで行動なんて……」
「それから無意味な通信は控えてください。どんな拍子に警備員が覚
醒するか分かりませんからね」
「だから待ってったらっ!」
と言いかけた時、すでに清四郎の姿は消えていた。
「もおぉッ!」
怒りを込めて唸ってみたが、今さらどうすることも出来ない。ひとり取
り残された可憐は急に心細くなってきた。当然だろう。清四郎という頼
もしい相棒がいたからこそ、不承々々ながら先発隊を承諾したのだ。
ひとりで行動させるなど契約違反にも程がある。
不安が昂じ、キョロキョロと落ち着きのない視線を飛ばしながら可憐は
後退りで壁にすりよった。だが冷たい壁の感触に心細さは増すばかりだ。
「だから潜入部隊なんてイヤだって言ったのよッ!」
思わず口を衝いた愚痴をあわてて引っ込める。清四郎が言ったように、
いつ何どき警備員たちが目を覚ますとも限らないのだ。仮に目を覚まさ
ないにしても、増援部隊が現れぬ保証はどこにもない。
(こんなときに……)
胸の中で呟くと、ますます暗澹たる気持ちが湧いて出た。
(こんなときに思い浮かべる男のひとりやふたり、居ないなんてっ!)
デートの相手に事欠くことはないけれど、こういった窮地を託せる相手
となるとてんで思いつかない。財力や地位名声が通用しない逆境の中
で己の存在感を煌めかせることのできる男など、然う然う居ないのだと
いう事実が泣きたくなるほど身に滲みてきた。
37これ、いただくわ 115:2008/11/20(木) 02:28:14

その点、有閑倶楽部の男たちはやはり違う。清四郎にしても魅録にし
ても、いかなる窮地に追い込まれようと持ち前の頭脳と度胸で必ずや
血路を切り拓いてみせるだろう。
(美童は……ぜんっぜんダメだけどねっ)
勿論そうは言っても、彼を完全に役立たずだと決め付けている訳では
ない。清四郎たちに比べ、役立たずな場面が圧倒的に多いというだけ
で、役に立つ場合もそれなりにある。
伸るか反るかの大勝負で大役を担うことがない代わりに、事前の諜報
活動をそつ無くこなすのが彼なのだ。魅録や清四郎が心置きなく無茶
な作戦を立てられるのも、そういった美童の働きがあればこそである。
ただ、そのやり方が―――
彼と同じく、色仕掛けを任される自分がとやかく言えた義理ではないが、
しかしそれでも敢えて言いたい。美童には節操が無い、と。
『―――だって僕と可憐は根本的に違うじゃないか』
珍しくマジメな顔をして美童がそんな事を言い出したのは、いつだった
か級友の何某にこんなことを言われた日のことだ。
『黄桜さんもグランマニエくんも華やかな噂が絶えなくていいね、僕も
一度でいいから君たちのようになってみたいものだよ』
その場は軽く流したのだが放課後ふたりして生徒会室へ向かう途中、ど
うにも腑に落ちない顔をして美童は喋りだしたのだった。
「君たちのように、だってさ。僕と可憐を一括りにするなんて、恋愛っ
てものをまったく理解してない証拠だね」
携帯で今夜のデート相手にメールを送りながらブツブツとそう言う彼の
横顔は酷く不満そうに見えた。
「そんなんだから、彼には浮いた噂のひとつも無いんだよ」
「なによ、随分こだわるじゃない。私と一緒にされるのがそんなにイヤ?」
「可憐の方が不満なんじゃないかと思ってさ、僕なんかと一緒にされて。
だって僕のは所詮火遊び。だけど可憐は……いつだって本気なんだろ?」
38これ、いただくわ 116:2008/11/20(木) 02:29:32

この時、すぐに本気だと切り返せなかったのは、美童の流し目が揶揄っ
ているのかと疑りたくなるほど涼しげであったからだ。
実際、彼がどんなつもりであったのかは良く解らない。けれど冷ややかに
さえ見えるその態度は無闇に神経を逆撫でするものだった。
「そんなあんたに付き合わされる子たちはいい迷惑ね」
痛くも無い腹を探られた気分でつい突っ掛かるような言い方をしてしまっ
たが、当の美童は別段気にする様子もみせず、閉じた携帯をポケットに
ねじ込みながら、そうでもないさと軽く言った。
「彼女たちだって本気で恋愛するつもりなんかないんだよ。要するにとき
めきが欲しいだけ。映画に出てくるようなスマートでエレガントな夢物語
を求めてるのさ。だから僕がそれに答えてあげる。それだけの話だよ」
片手をポケットに突っ込んだままそんな冷めた科白を吐き、そうかと思え
ば行き交う女生徒に柔らかな微笑を送る美童。
「……寂しい男ね、あんたって」
他に言い様もなくボソリとそう呟いてやると、美童はこの会話が始まって
以来の笑顔をみせ、まさか、と首を振った。
「世界中に恋人がいるんだよ? 寂しいわけないじゃないか。いろんな子
とデートするのはすごく楽しいし、それに二人でいる時はちゃんとその子
のことが好きだしね。僕はそれで十分。シリアスな恋なんて疲れるだけさ。
遠慮しとくよ」
「よく言うわよ、本気になったこともない癖に」
「ならなくたってそれぐらい分かるさ」
「じゃあ聞くけどどんなの?あんたが遠慮したい疲れるだけの恋愛って?」
39これ、いただくわ 117:2008/11/20(木) 02:30:35
これでは子供の喧嘩だ―――そうは思ったものの、一度口にしてし
まったものを引っ込めるのも癪に障る。それに、美童の言葉にはどこ
となく自分に向けられた棘が含まれているように思え、面白くなかった。
苦々しい気分で唇をゆがめていると、いつの間にか柔らかく表情を変
えていた美童が物思いに耽るような声で答え始めた。
「そうだな……たとえば楽しいデートのあと家まで送っていくとするだろ。
それで彼女が手を振りながらドアの向こうへ消えた瞬間、泣きたいくらい
会いたくなっちゃうような、そんな恋愛」
言った後、ふと黙り込んだ彼の横顔はあまりに静かで、喧嘩腰になりか
けていた気持ちは急速に萎えていった。が、それも束の間のことだった。
「ステキじゃない。たまにはあんたもそういう恋をしてみなさいよ」
「素敵? どこが? ドアの前で泣くなんて只の不審者じゃないか。僕は
ごめんだね」
こんな男に節操を求める方がどうかしているのだろう。返事をするのも
億劫になり、黙ったまま生徒会室のドアノブに手を伸ばす。と、横から
伸びた美童の右手が一瞬早くそれを掴んだのだった。
そしてその姿勢のまま彼は刹那、立ち止まった。
これ以上言い合ったところで得るものは何も無い。平行線を辿る会話に
付き合う義理も忍耐も、生憎と持ち合わせてはいないのだ。
早く開けてよ――そう催促することで話に区切りを付けようとした矢先、
耳に届いた美童の声音は、不思議に凪いだものだった。
「……それにさ、本気の恋なんてしようと思ってするものじゃないだろ。
いつの間にか本気になってる、気がついたら本気にさせられてる。心から
誰かを好きになるってそう云うものの筈だろう。
厄介だね、本気の恋は。綺麗事だけじゃ済まないから。でもそういうのが
大切なんだろうな。だからいつかは……」
そこで美童は漸くドアを開き、話はそれきりとなった。
40これ、いただくわ 118:2008/11/20(木) 02:32:12

暇潰しの会話だ。深い意味などある筈もない。――ただ。
チャラチャラと遊びまわる顔の裏で、いずれ自分にも生まれ来るだろう
本物の恋心を、美童は真摯に待ち望んでいるのかも知れない。
そんな思いが切傷のように胸に残った。
無論、その程度の傷などすぐに忘れてしまうに違いない。この先似たよう
な話になり、また同じように腹を立てることもあるだろう。
けれど、いつの日か彼が心から恋いうる相手と巡り逢ったとき、自分はこ
の日のことを思い出さずには居られぬ気がする。
この時の凪いだ声音にふさわしく、満たされた表情を浮かべる彼を横目に
見ながら、己が恋と呼んできたものの真偽を確かめずには居られぬ気が
するのだ。そしてなにより大切なのは、今はそんな事を考えている場合で
はないと云う事だった。
(……そおだったわああぁぁッ!)
清四郎が一刻も早く悠理を追い込んでくれる事を祈る暇はあっても、美童
の恋愛観を考察してやる暇などどこにも無いのだ。つまらぬ事に気を取ら
れてしまったと心の底から後悔しつつ、可憐は意を決して行動を開始した。
(さっさと捕まえなさい清四郎、とっとと捕まりなさい悠理)
念仏のように唱えながら、可憐はモニタに映るフロアマップを食い入るよう
に見つめ―――ギョッとした。
「あ…あれ……どこで待ってればいいんだっけ……」

  続きます
41名無し草:2008/11/20(木) 06:17:43
>これ、いただくわ
キャー、続き来てるー!嬉しいです、もう本当に有難うございます!
今、時間がないので、後でゆっくり読ませて頂きます。
続きも楽しみにしております。

42名無し草:2008/11/20(木) 10:42:22
>これ、いただくわ
待ってました〜! 美童、かっこいいぞ。可憐とのやりとりが二人らしくてイイ。
それにしても、悠理…

43名無し草:2008/11/20(木) 11:54:15
>これ、いただくわ
うわーっ!嬉しいぞ!待ってました。
こういう美童のまじな面を見ちゃうとどきっとしてしまいそうだなぁ。
続き楽しみに待ってます。

44<SFな朝>:2008/11/21(金) 03:38:27
短編というか小ネタのような話ですがUPさせていただきます。
カップリングは無しです。
45<SFな朝>1:野梨子:2008/11/21(金) 03:39:23
 昨夜、剣菱家では深夜までいつもの面子が揃ったいつもの馬鹿騒ぎが行われてた。
 万作の乱入などもあり相変わらずの騒がしい夜だったが、用意された大量の料理と飲み
物が無くなる頃にはひとりふたりと宴を止めて、いつしか自然に解散していった。
 そんな本当にいつもとなんら変わらぬ宴が明けた朝――。

「……ぅん」
 日付が変わっても騒ぎ続ける仲間たちよりも一足先に撤退し、野梨子は用意されたゲス
トルームで休息をとった。寝支度をしてベットに横たわったとき、宴会の疲れのせいか吸
い込まれるように夢の中に落ちていったのを覚えている。
「……もう、朝……?」
 半分眠りながら考える。先ほど眠りに着いたばかりのように思ったが、閉じられた瞼の
裏にまで光が入り込んできている。
 心地よさに体を委ねていた野梨子は、太陽の気配に夢の中から覚醒を始めた。
 と、気がつく――自分の体に違和感を感じる。
(何、かしら?)
 なんだか体が心もとない。うっすらと肌寒く、落ち着かない。そんな感覚だ。
(なに……?)
 常とは違う感触に疑問を持ちながら、野梨子はゆっくりと、瞳を開けた。

 上を見る。妙に天井が高い。横を向く。驚くほど壁が遠い。
「……」
 これは一体どういう事だろうか? あまりに非現実的な光景に、見知らぬ場所にいる恐
怖よりも驚愕が先にたち、たっぷりと沈黙して考え込んでから野梨子は首を傾げる。
「ここは、どこ?」
 ゆっくりと身を起こし、辺りを見渡す。自分の周囲はどこまでも布が広がっている。そ
の向こうには不思議な形の巨大オブジェ。なんて広い部屋。いや、これでは巨大ホールだ。
 首を傾げながら野梨子は視線を落とし、そうして自分の体が心もとない理由に漸く気が
ついた。
(何も……着ていない!?)
「!!」
 声にならない声をあげ、野梨子は慌てて自分の周囲にある大きな布を手繰り寄せた。
46<SFな朝>2:可憐:2008/11/21(金) 03:40:20
「あら野梨子はまだなの?」
 朝食の用意された部屋をぐるりと見回してから、可憐は瞳を瞬いた。
 身支度に時間の掛かる自分は、朝は最後になってしまう事が多い。だから今朝も自分が
最後だと予想していたのに、と。
「まだ起きてこないよ。野梨子が寝坊するなんて珍しいよね」
「あいつでも寝坊なんてするんだな。昨夜そんなに飲んでたか?」
「いえ、いつも通りでしたよ。一番早く引き上げていましたしね」
 既に食後のお茶を飲んでいた男たちの言葉に、可憐は綺麗に整えてある眉を寄せた。
「具合でも悪いのかしら」
「そんじゃ、様子でも見てくるか?」
 ごちそーさま、と目の前に一般的な朝食とかけ離れた量の皿を綺麗にし終わった悠理が、
口の周りを勢い良く拭いて席を立つ。
「そうね、見て来るわ。悠理、アンタも行く?」
「ん。朝メシも食い終わったしな」
 可憐の問いに頷くと、朝食と呼ぶには多すぎる皿の山を後にして悠理はさっさと食堂を
出ていってしまった。
「あ、もう! 私も行くから待ちなさいよ!」
 どたどたと雑に歩く友人を追いかけようと、可憐は慌てて踵を返した。野梨子は具合が
悪いのかもしれないのだ。だとすれば悠理の大声は辛かろう。
「少しは気を使って静かに声をかけてあげるのよ! ちょっと悠理、聞いてるの?」
 さっさと客間に向かってしまった背中に可憐が怒鳴ると、眠り姫の幼馴染から苦笑と僅
かな心配の混じった声がかかった。
「可憐」
「うん?」
「お願いしますね」
 可憐は片手を軽く上げて了解の返事をし、急いで悠理の後を追った。
47<SFな朝>3:悠理:2008/11/21(金) 03:40:59
 いつも通り勢い良く扉を開けようとしたが、寸前で可憐に言われた言葉を思い出し、
悠理は自分にしては珍しいほど気を使って扉を叩いた。
 ――が、返事がない。
(やっぱり具合でも悪いのか?)
「……野梨子、入るぞぉ」
 一応ボリュームを下げて声をかけ、扉を小さく開く。しかし、
「……あれ?」
 隙間から覗いた部屋には誰もいなかった。
「野梨子?」
 いない、のか? はてと首を傾げながら扉を大きく開き、部屋の中をしっかりと見渡し
たがやっぱり野梨子の姿は見当たらない。
 見当たらないのだが……。
「どう、悠理? 野梨子、やっぱり具合が悪いって?」
 その時、背後から可憐の声が掛かり、悠理は困惑したまま振り向いた。
「それがさ……」
「どうしたの?」
「う〜ん」
 唸りながら、悠理は入り口から退いて部屋の中を可憐に見せた。
「……。……野梨子は?」
「いない」
「見ればわかるわよ! 私はどこに行ったか訊いてるの」
「んなことあたいだって分かんないよ」
「あー、それもそうね。全く野梨子ってばどこに行っちゃったのかしら?」
 さあ、と答えてから悠理はもう一度部屋の中を見回した。客間にはトイレもシャワー室
も付いているが、そちらにも野梨子はいない。しかし不思議なことにこの部屋自体には
さっきまで人がいた気配があるのだ。
(つうか、今も誰かいるような……?)
 悠理の野生の勘はそう告げていた。
48<SFな朝>4:清四郎:2008/11/21(金) 03:41:51
「……確かに、居ませんね」
 慌てて食堂に戻ってきた可憐の言葉通り、野梨子は用意されたゲストルームから姿を消
していた。部屋の様子をぐるりと見渡したが、特に不審な点も見当たらない。ふむ、と
清四郎は目を細める。
「どこに行ったんだろうね。誰にも言わずに出かけるなんて、らしくないよ」
「そうですね……」
 しかし、この剣菱家の中で誰かに連れ去られたということもまず有り得ない。たとえ
不審者が現れたとしてもこの家の防犯システムが必ず感知するだろう。
 彼女の意思で黙ってここから出て行った。そう考えるのが普通だが。
(しかし、どこへ?)
 美童の言うとおり、自分の知っている野梨子は例え急な用事があったしても誰にも声を
掛けず出て行き、こんな風に心配をかけるような性格ではない。声を掛けずに出て行くと
したら、その必要があったときだけだろう。
 考え込んだ清四郎に、部屋の外で野梨子の家へ電話を掛けていた可憐から声が掛かった。
「ねぇ、家には帰ってないみたいよ。あの子が急にいなくなるなら、家の急用くらいしか
思い当たらないのに」
 そうですね、と答えてから清四郎は部屋の真ん中に立って何かを考え込んでいる様子の
悠理に気がついた。こんなとき、いつもでも真っ先に騒ぎ立てるはずの仲間の静かな姿。
 不審に思い、声を掛けようと開きかけた口は、丁度勢い良く飛び込んできた声に遮られ
た。
「おい、変だぞ」
「どうしたの魅録? まさか防犯システムに誘拐犯でも映ってたとか?」
 僅かな不安を隠すようにわざとおどけて尋ねる美童とは対照的に魅録は顔を顰める。
「逆だ。何にも映ってなかった。誘拐犯はもちろん、屋敷から出て行く野梨子の姿もな」
「え?」
 どういうこと、と首を傾げた可憐に答えず魅録は視線を寄越した。その真剣な眼差しに、
清四郎も自然と眉間に力がこもる。
「それどころか、廊下を映してた防犯カメラにもこの部屋の前庭のカメラにも、出て行く
野梨子の姿はなかった」
 ふ、と小さく息が漏れる。
「……つまり、野梨子はこの部屋から出ていないということですね」
49<SFな朝>5:美童:2008/11/21(金) 03:42:48
「で、出ていないって、なに言ってるの清四郎。だって現に、この部屋には野梨子いない
じゃないか」
 清四郎の冷静な声にスッと背中に寒いものが走ったが、それを振り払うように美童は勤
めて明るい声を出した。
「そ、そうよ! いないならどこかから出て行ったとしか……ほ、ほら窓からとか!」
「ここは二階だぞ。何で野梨子がわざわざ窓から出て行くんだよ。第一、庭の方の防犯カ
メラも、ここの前庭だけじゃなく付近のは全部チェックしたさ」
「うっ……で、でもっ!」
 眉間に皺を寄せた魅録の言葉を信用しながら、それでも尚、美童は否定しようと口を開
く。が、否定できるような言葉が浮かばない。
 しかしだからと言って素直に認めるわけにもいかない。だって部屋から出て行ってなく
て、それなのにここにもいないなんて不思議なこと、常識では有り得ないじゃないか。
「み、見落としとか、システムの故障とか……っ!」
 慌てたように言葉を繋ぐ可憐に、急いでそうだよと頷いたが、軽く首を横にふられてし
まった。
「有り得ないな。剣菱のシステムだぜ。点検だってしっかりしてる」
「じゃあ隠し部屋とか! ほら、おじさんそういうの好きそうじゃないか!」
「おじさんにも五代さんにも確認したがそんなのは作ってないって言われた。ここはごく
普通の客間だとさ」
「そ、そんなぁ」
 我ながら情けない声が出てしまった。だけど、嫌なんだ。これが常識では考えられない
現象だと考えるのは。
 だって、そうするとその現象にもちろん分かりやすい名前がつくわけで、その名前はこ
れまでの経験上……。
 さっきから部屋の中心で考え込んでいる様子の悠理の姿をちらりと見る。
 常ならばあまり見ることのない彼女の真剣な表情が、美童の背中を嫌な汗で急速に冷や
していった。
 ああ、嫌だ嫌だ嫌だ。悠理があんなに真面目な顔で大人しいときは、いつだってろくな
事がないんだ!
 ぞくぞくぞくと背中に流れる冷たい汗を感じながら、美童は顔を歪ませた。
50<SFな朝>6:魅録:2008/11/21(金) 03:43:28
 しん、と部屋が静かになった。皆、黙ったままの悠理を見ている。思っていることは同
じだろう。だから魅録はそれを代表するように口を開いた。
「悠理」
「……ん」
 ぼんやりと自分を見上げてきた悠理の考え込んでいる顔に、やはり何かあるのかと魅録
は確信する。
(心霊現象だっていうのか? それにしてはやけに落ち着いてるな)
 霊が関わると、いつもの悠理ならもっと怯えた様子になる。
「どうした?」
 問いかけると、言いかけて口ごもり、また言いかけて止める。
「なんだよ。言ってみろって」
「野梨子の居場所に心当たりがあるんですか?」
「心当たりっていうか……変なんだ」
「へ、変て、何が……?」
 美童がうっすらと青ざめながら尋ねると、悠理は首をかしげながら口を開いた。
「野梨子……ここにいる、気がする」
「な、何、言ってるのよ? い、いるって、いないでしょう!?」
 返される否定に、悠理は口の中で「そうだけど……」と呟き困惑顔で口を閉ざす。
 部屋の中に広がる静寂。けれど、清四郎が静かに疑問を投げかけた。
「それで、この部屋のどのあたりが気になるんですか?」
 それぞれの気持ちが浮かんだ視線が清四郎に集まる。
「……清四郎、信じるの?」
「出て行っていないならこの部屋にいるという可能性もあるでしょう。まずは調べてみて
から判断します」
 相変わらず冷静な男だ、そう思いながら目を細めて清四郎を見た魅録だったが、見つめ
た男の姿に、すぐに自分の考えを改めた。
(そうでもないか……)
 様子を伺えば、どうやらそれなりに常の冷静さを欠いているらしい。やはり幼馴染は特
別なのか。思ってから、魅録は悠理の頭をぽんと叩いた。
「ほら、どの辺が気になるかさっさと言えって」
 掌の下の猫っ毛がうーんとまた唸った。
51<SFな朝>7:2008/11/21(金) 03:44:11
 そんな仲間達の様子を、野梨子は布の下で黙って聞いていた。
 最初に悠理が部屋の中に入ってきたときにはもう自分の状況はなんとなく掴めていたが、
まだ信じられなくて声が出ず。
 そうしているうちに清四郎たち男性三人も部屋の中に来てしまい、今度は状況的に声を
出すことが出来なくなってしまった。
 声をだして呼びかければ、仲間達はすぐに自分のことを見つけてくれるだろう。それで
自分の身に起こった現象が解明される訳ではないだろうが、少なくとも仲間達の現在の心
配は失くすことが出来る。……新たな問題を抱えさせることになってしまうが。
 けれど、
(だって、こんな姿で――)
 そう。野梨子は沢山の布を巻きつけてはいたが、何も身につけていない状態だった。
そんな状態で、声を掛けるなんて出来るわけがない。
 だから仲間達が自分のことを心配する声に胸を痛めながらも、野梨子は声を掛けること
が出来ないでいたのだった。

「ほら、どの辺が気になるかさっさと言えって」
 それなのに、ああそれなのに……! 悠理の野生の勘が今にも自分を見つけてしまいそ
うで、野梨子は身を固くする。
(ああ悠理、せめてご自分で私のことを見つけて下さいな)
 そう願うが、
「あそこ」
「は?」
「あそこって、ベット? 誰もいないじゃない?」
「……まあ、調べるだけ調べてみましょう」
「調べるったってなぁ」
 願いは虚しく。近づいてくる気配は明らかに幼馴染のそれだった。
(ど、どど、どうすれば……!?)
 常になく冷静さを失った野梨子は、彼の手が自分を覆う布に掛かったとき、策もなにも
なくただ大声をあげた。
「いやーーーーーーっ! 清四郎止めて下さいましっ!!」
 それはまるで、嫌がる野梨子を清四郎が襲っているような悲鳴だったと後で散々からか
われるほどの声だった。
52<SFな朝>8:2008/11/21(金) 03:45:00
 それで結局どうしたのかといえば、元々の問題は解決せずに野梨子に降りかかったままだ。

 いま野梨子は、悠理がこっそりと母親のコレクションの中から探してきたゴテゴテのフ
リルがついた服を着せられ、これもまたコレクションの中のひとつである小さな小さなカッ
プに口をつけ、仲間達の注目を集めながら机の上に正座している。
 もちろん、本来であれば大和撫子の申し子のような野梨子が机の上に座るわけがない。
しかし今はそうしないと仲間達と会話することもままならないからだ。

「にしても小さくなったなぁ」
 自分が口をつけるマグカップくらい大きさになってしまった野梨子をじぃっと見ながら、
悠理はまた感嘆するように言った。
 そう、原因は不明だが野梨子は小さくなっていた。背が縮んだなんてものじゃない。
実際に目の当たりにしても信じられないほど、小さくなっていた。子供が遊ぶ着せ替え
人形程の大きさに。
「私だって、好きでこんな姿になったわけじゃありませんわ!」
 机の上からキッと睨みあげて野梨子は怒鳴った。
「では、思い当たるふしはないんですね」
「ありません。というよりも、こんなことになってしまう原因って何がありますの?」
「そりゃそうだよねぇ」
 野梨子は、はぁと大きく溜息をついた。
「もう私どうしたら良いか……こんな姿お父様にもお母様にもお見せできませんわ」
「そうよねぇ。まあ随分小さくなったわね可愛いわ、なんて迎えては貰えないわね」
「下手したらショックを与えすぎて、なんて事にもなりかねないぜ。野梨子んちはお上品
だからな」
「そうですね……」
 頷いてから、清四郎も息を吐く。
「小父さんたちにこのことを話すかは野梨子が決めてください。その結論によって僕らも
これからのことを考えましょう」
「お父様達には……言えませんわ。言ってどうなるものとも思えませんし、原因が分から
ないんですもの、もしかしたらすぐに元に戻るかもしれないですし。そうなったら余計な
心配をかけるだけですから」
 一言一言考えるように野梨子が言うと、清四郎は分かりましたと答えた。
53<SFな朝>9:2008/11/21(金) 05:30:14
「確かに暫く様子をみてみるのも良いかもしれませんね。丁度休みですし、一週間程でし
たら電話で旅行に行くと伝えれば良いでしょう」
 過去にもそんな風にして突然旅行に出かけたことがある。特に昨夜は剣菱家に泊まった
ことは既に伝えてあるから、その流れで海外にでも旅行に行くことになったと伝えても不
審がられることはないだろう。
 小さくなっても電話をかけることは出来るし、その程度の期間ならそれほど心配されない筈だ。
「でも、一週間くらいでどうにかなるの?」
 とりあえずの目処が立ち浮上しかけた野梨子の気持ちは、不安そうな美童の言葉でまた
ずんと重く沈んだ。清四郎が、溜息混じりに苦笑する。
「とりあえず出来るだけのことをしてみます、としか言えませんが」
「出来る限りって言ってもなあ……何か出来るのか?」
 仲間達の思いを代表した魅録の言葉に、どんどん不安が募ってくる。こんな珍妙な現象、
流石の清四郎でもどうにも出来ないのではないか。野梨子ですらそう思ってしまう。
「ま、調べてみるだけ調べてみますよ。一週間でどうにもならなかったら、そのときまた
考えましょう」
「……まあ、他にどうしようもないもんね」
「もしかしたら明日の朝には戻ってるかもしれないしな!」
 心の底から明るく結論付けた能天気な悠理の言葉とは裏腹に、他の五人は表面だけの笑
顔を何とか浮かべるのがやっとだった。

 しかし、野生の感恐るべし。
 次の日とはいかなかったが、期限を切ったギリギリ一週間目のその朝に、なんと野梨子は
元の姿に戻っていた。
 理由は分からない。清四郎だけでなく剣菱の力を総動員して散々調べたが、小さくなっ
た原因も、元に戻った理由も結局は分からず仕舞いだった。
 清四郎は半ば意地になって理由を解明しようとしていたが、
「……元に戻ったんですから、もうなんでも良いですわ」
 という、波乱万丈な一週間ですっかり疲れきり、何かを悟った野梨子の言葉で原因追求
は強制終了された。

 そんな訳で小さくなった結果得られたのは、悲しいことに珍妙な思い出だけだった。
54<SFな朝>:2008/11/21(金) 05:36:03
おしまいです。

小さくなるのって可愛いだろうなと思って一番似合いそうな野梨子で書いてみました。
途中規制に引っかかってしまい失礼しました。
55名無し草:2008/11/21(金) 09:27:12
>SFな朝
人形サイズの野梨子、かわいいだろうなぁ。
できれば清四郎のポケットに入ってほしかったw
とても楽しく読ませて頂きました。
56名無し草:2008/11/21(金) 12:03:36
南くんの恋人を思い出したwおもしろかったです。
ミニ野梨子似合いますね。
自分もポケットに入ってる野梨子も見たかったです。
57名無し草:2008/11/21(金) 12:10:13
>SFな朝
一週間のうちに様々な試練が野梨子に降りかかったんだろうな〜と妄想が膨らみます。
男性陣のところだと危険そうだから、女性陣のところにいたんだろうな。
ポケット可愛い!悠理と可憐の髪の毛の中に隠れて外出も。(目玉おやじですねw)
58名無し草:2008/11/21(金) 13:17:50
>SFな朝
面白かったです。
>>57さんと同じく、その間に何があったのか気になりますねw
1日ずつ日替わりでメンバーのところに居たら楽しいかも。
妄想心を刺激するSSをありがとうです。
59名無し草:2008/11/22(土) 00:31:54
>SFな朝
面白かったですw
小さな野梨子が百合子さん好みのフリフリ服着てるのを想像して萌えました。

だいぶ前、南くんの恋人のパロの話が出た時を思い出しました。
(清四郎の胸ポケットに入れるとか、
リカちゃん人形の洋服売り場に渋々いく清四郎をニヤニヤしながら見てる皆とかw)
60Graduation:2008/11/22(土) 07:34:46
>>24 今回8レスいただきます。

その後も清四郎、魅録、美童、悠理の4人のチームは順調に勝ち進み、昼休みをはさんで、
残りは準決勝と決勝のみになっていた。この4人は作戦会議があるらしく、
各々自分たちのチームのメンバーとランチをとっていたので、野梨子と可憐は
二人だけで昼食を済ませると、早速、悠理の試合を見に行った。バレーボールと
バスケの決勝はどちらも体育館で行われるので、時間差を作るため女子のバレーボールは、
早めの決勝が行われた。急いで行ったにも拘らず、会場はもう見物人で満員だった。
悠理たちの相手は、弱小とはいえバレー部を4人含む2年C組で、一人一人の運動能力は
とても悠理にかなわないとしても、経験とチームワークで、なかなかの強敵になるかと思われた。
各々のクラスの生徒には、応援するための特別席が設けられていたが、同じB組である魅録は、
自分の試合があるため、そこにはいなかった。
「あたしたちで、思いっきり応援しましょ!」
「そうですわねっ!」
可憐と野梨子はがしっと手を握りあった。

しかし・・・。ふたを開けてみれば、応援の必要もない程、青チームの圧勝だった。
悠理の殺人アタックは経験とチームワークでは阻むことが出来ない異次元レベルだったのだ。
「わーい、わーい、優勝したぞー!」
嬉しくて、ぴょんぴょん跳ね回る悠理に、
「きゃー、悠理さまー!」
「おめでとうございますー!」
「こちらを向いて下さーい!」
と、女生徒たちの黄色い声が飛ぶ。機嫌の良い悠理がニカッと笑い、Vサインを
作って彼女達の方を向くと、携帯のフラッシュが一斉に光った。

勝利の贈り物(食べ物)をもらうのに忙しい悠理をおいて、野梨子と可憐は
テニスコートへ向かった。体育館は、応援団の入れ替え等で決勝までにまだ時間が
かかるだろうと思ったからである。
62Graduation第七話seesaw game(10):2008/11/22(土) 07:39:38

テニスコートでは、男子の決勝が始まっていた。1ゲームごとの勝ち抜き戦で、
相手チームはまだ2人目なのに、美童のチームはもう4人目になっていた。
相手の一年B組の5人目は、自称テニスの王子様、なるほどサラリとした髪に涼しげな目元をした、
一年にしてテニス部エースの男子だった。美童は、美しい眉を顰めて青い目を細め、
口を尖らせて彼を凝視した。
(フン、確かにちょっと可愛くて、爽やかだけどさ。テニス部エースってのは
どうでもいいけど、この僕を差し置いて、テニスの王子さまと名乗るなんて、十年早いんだよ!)
本筋とは違うところでメラメラと敵対心を燃やした美童は、実力以上の力を発揮し、
結局大トリの王子様同士の戦いにて美童が相手を下し、優勝を手にした。
「美童、やったわね!」
「ええ、やりましたわ!」
悠理の試合と違い、こちらは接戦であったので、勝敗がついた時、可憐と野梨子は手に手を取って喜んだ。
最後のボールは、相手のボールがアウトになったもので、フェンスにぶつかって
コロコロと美童の足元へ戻って来た。美童はそのウィニングボールを拾って、
軽くキスする真似をすると、大きく手を振って、笑顔でスタンドの可憐に放り投げた。
「きゃーっ!」
「いやですわ、美童さまーっ!」
「でも、素敵ですわーっ!」
可憐が鮮やかにボールをキャッチすると、美童ファンの女生徒たちから叫び声が起こった。
しかし、可憐が茶目っ気をおこして、おもむろに立ち上がり、ボールを持った
手を振りながら周囲に愛嬌たっぷりの笑顔を振りまくと、皆何かとても楽しい気持ちになって、
盛大な拍手が沸いたのだった。野梨子はそんな可憐を眩しく見つめながら思っていた。
(最近の可憐、女のわたくしから見ても、とても魅力的ですわ。何だかこう、
女性としての自信に満ち溢れているといいましょうか・・・。そういえば、
この頃めっきり男の人の話をしなくなりましたわね。勉強に専念する為だと
ばかり思っていましたけれど、何か他に理由がありますのかしら?)
63Graduation第七話seesaw game(11):2008/11/22(土) 07:40:52

気が付くと、テニスコートからどんどん人が流れて行っていた。
「今度はバスケの決勝戦を見に行くんだわ。あたし達も急ぎましょう!最後の試合だから、
すごい人よ、きっと。」
可憐が野梨子の腕を掴んだ。美童がコートから大声で叫んだ。
「僕も一緒に行くよ。コートの出口で待ってて!」

校庭に出ると、学園内の生徒たち全てが体育館に向かっているようだった。
途中、こんな声があちらこちらで聞こえた。
「決勝戦は、菊正宗さまと松竹梅さまのチームですって!」
「やはり!どちらを応援すれば宜しいのかしら?」
「ああ、こんな日が来るなんて、生きていて良かったですわ!」
「わたくし、もう倒れそう・・・。」
「まあ、まだ始まってもいませんのよ!」

少しでも男気のある男子生徒たちは二人の戦いそのものに興奮していた。
「こりゃあ、東西両雄の対決だな。」
「源氏と平家。」
「家康と秀吉。」
「信玄と謙信。」
「フェデラー対ナダル!」

一部男子生徒たちはこそこそ話していた。
「新聞部にはちゃんと根回ししたか?」
「うん、正々堂々と写真を取れるのはあいつらだけだからな。」
「菊正宗さんのこの一枚!というやつをどうしても手に入れなければ・・・!
松竹梅さんとのツーショットなら尚更・・・。」
64Graduation第七話seesaw game(12):2008/11/22(土) 07:42:57

聖プレジデント学園の体育館はさすがに立派で、通常のものよりずっと大きかったが、
それでもコートを使った上で、生徒全員を余裕を持って座らせるのは不可能だった。
入り口には既に大きな人だかりが出来ており、3人は一瞬ひるんだが、
「あ、美童さまですわ!」
「白鹿さまと、黄桜さまも!」
皆が3人の姿を見て取るや否や、まるでモーゼの十戒の海のように人だかりの
真ん中に道が出来た。この親切のお礼に、美童や可憐を見習って、この時ばかりは
野梨子も皆に上品な笑顔を振りまいた。野梨子の笑顔はレア物の為、この笑顔を
撮った写真はかなりの値がついたとの噂である。
中に入ってからも、道は魔法のように次々と開け、その果てにはコートの真横という、
特等席が待っていた。隣には、新聞部が席を設けていた。
「そこは、生徒会役員のための貴賓席です。僕等が用意しました。」
銀ぶちのメガネをかけた、丸顔の新聞部部長が目をキラキラさせて説明した。
この歴史的な一戦を取材できるのが嬉しくてたまらないらしい。
「その代わりと言っては何ですが、インタビューさせて下さい。ずばり、勝敗の予想はいかがですか?」
「・・・。」
3人は固まった。一応、それぞれに意見は持っていた。が、魅録はともかく、
清四郎が自分についてとやかく予想されることを喜ぶはずがなかった。たとえ
結果が○だったとしてもだ。
「その質問はちょっと・・・。」
野梨子が長い睫の下から上目遣いでお願いするように言うと、新聞部部長は顔を
真っ赤にして、質問を変えた。
「そうですよねっ、仲の良い皆さんのことだ、答えにくいですよねっ。
ではっ、コート上のお二人に励ましの言葉をお一人ずつ。」
「二人ともいいとこ見せろよ!」
「二人とも応援してるわよう!」
「二人とも頑張って下さいませ!」
普通なら記事にはとうていならない平凡すぎるコメントだったが、結局顔写真入りで、
これらは新聞に掲載された。
65Graduation第七話seesaw game(13):2008/11/22(土) 07:44:16

もう二チームともコート上に出ていた。魅録の青チームは、各々ウォーミングアップをして、
体を動かしていたが、清四郎の赤チームは輪になって座り、清四郎がノートを開きながら、
ああだこうだ支持していた。青チーム側の応援席では、悠理が中心となって
大応援を繰り広げていた。応援合戦では青チームの勝利は明らかだった。
両チームの選手達共、基準服のポロシャツは今までの試合で既に汗でグシャグシャになったため、
予備の白Tシャツに着替えていた。青チームのメンバーは魅録を筆頭に、皆Tシャツの
袖をぐっと肩までまくり上げていた。

「ピーッ。」
笛が鳴り、メンバーがコート中心に集まった。魅録は自信満々な様子で、不敵な笑みを浮かべている。
清四郎はマルチ人間だが、それでも全てが圧倒的に上手いわけではない。
バスケはその一つだった。一方清四郎は、勝負師らしいポーカーフェイスを決め込んでいた。
ジャンプボールの為に、魅録と清四郎が一歩進み出た。
さっきまでごうごうと聞こえる程ざわめいていた会場が一瞬静かになった。
二人の目が合う。
(へっ、悪いがバスケなら負けないぜ。)
(・・・。)
試合開始。
ボールが高く投げられ、二人がジャンプした。
「きゃ・・・!」
声にならない声が周りから上がった。
身長では清四郎が勝るが、ジャンプ力と、経験の豊富さで、魅録の指先がかろうじてボールをタップした。
「キャーッ!」
次の瞬間、会場は怒号に包まれ、試合は本格的に始まった。

66Graduation第七話seesaw game(14):2008/11/22(土) 07:45:56

試合は最初、大方の予想通り青チームの有利に見えた。魅録のテクニックは抜きん出ており、
見る者を圧倒した。今日の今までの試合も敵知らずで勝ち進んで来たと言っても過言ではなかった。
しかし今回は勝手が違った。
青チームが、魅録ののびのびとしたワンマンプレーを他のメンバーがフォローする形で
試合を進めて行くのに対し、赤チームは、5人がそれぞれの役割を忠実に果たす事によって、
いわゆるチームワークで魅録たちを攻めて来た。そしてそれは功を奏し、得点差は
徐々に縮まって来た。
しかも、清四郎は徹底的に魅録をマークし、彼のボールをカットすることに
全力を尽くしているかのようだった。

(こいつ・・・!)
何度目かのボールをカットされた時、魅録はやっと、自分が油断していた事に気が付いた。
魅録は汗を拭き、息を整えながら、横目でジロリと清四郎を睨み付けた。
(清四郎の奴、練習してやがったな!)
いくら清四郎が運動能力に秀でていたとしても、ボールのカットなど、バスケットの
テクニックにはそれなりの練習が必要だ。ましてや自分からボールを奪うなど、
そう簡単に出来るはずはないのだ。
(しかも、シュートも抜群に上手くなってやがる・・・。)
清四郎はもう何度目かのロングシュートを鮮やかに決めていた。

前半が終わり、得点は43対40。わずかに青がリードしていた。
休憩時間、汗を拭き、水分を取りながら、魅録はメンバーを見回した。皆、既に肩で息をしており、
今日始めてのハードな試合に、精神的に押されていた。
(やばいな・・・。今まで楽勝で来たのが仇になったか・・・。)
清四郎を見ると、相変わらず淡々とメンバーにノートの説明をしている。
きっと、今までの傾向と対策を教えているのだろう。魅録はメンバーを励ましながら言った。
「清四郎は、俺を徹底的にマークしている。多分、このまま続くだろう。だから、
今までのように必ずしも俺にボールを回す必要はないから、必要とあれば
どんどん攻めて行って、シュートしてくれ。それで、様子を見よう。」
67Graduation第七話seesaw game(15):2008/11/22(土) 07:47:21

ピーッ!
後半が始まった。今度のジャンプボールは清四郎がタップした。
「チッ!」
魅録は思わず舌打ちした。頭と体が熱くなって行くのが、もうどうにも止められなかった。
今度は自分が清四郎のドリブルをカットしに飛び出して行った。

「何か・・・すごい事になって来たわね。」
可憐が眉を顰めながら低い声で呟いた。
「すごい見応えだよ。バスケ部も入っているしね。中学でバスケやってた魅録は分かるけど、
すごいのは清四郎だよ。いったい、どうしちゃったんだろう?」
美童はこう見えてもさすが男だけあって、好試合に刺激されたのか、非常に興奮していた。
目をコートに釘付けにし、肩をいからせて、両手を握り締めていた。

「清四郎?」
実は、バスケのルールが未だ良く分かっていない野梨子は、目の前で何だかすごい
試合が繰り広げられているのは理解していたが、清四郎のどこがどうすごいのかは理解していなかった。
「うん、清四郎は武道に関しては独壇場だし、運動神経そのものも抜群にいいんだけど、
バスケは今まであんまりやってなかったんだよ。」
可憐も頷く。
「そうよね。得意なスポーツといったら、美童は女の子受けするスキーやテニス、乗馬とか。
魅録は男っぽい団体競技のバスケやサッカー。汗臭くて泥臭いのが好きよね。
でも、清四郎は、汗とか泥とかは好きじゃないじゃない。それに、だいたい団体競技より
個人競技向きよね。」
「団体競技なら、司令塔で、前線に出るタイプじゃないよね。だけど、今日は違うんだなあ。」
美童が青い目を面白そうに瞬いた。
「どういうことですの?」
「もちろん、司令塔の役目も果たしているんだけど、それにも増して、今日の
清四郎は魅録つぶしに燃えてるってわけ。」
美童は真正面から野梨子に視線を合わせた。
68Graduation第七話seesaw game(16):2008/11/22(土) 07:49:42

「あんなに執拗にマークされちゃ、さすがの魅録も身動き取れないよ。魅録も
最初はそんな清四郎にびっくりしてたみたいだけど、今や本気になったというか・・・、
相当熱くなってる。」
「・・・。」

そうこうしている間にも、両チームに点はぞくぞくと入り、シーソーゲームが続いていた。
最後の最後での、今日一番の激しい試合に、選手たちは疲労の色を見せ初めていたが、
そんな中で、魅録と清四郎の勢いだけは衰えていなかった。観客達の目には、
この二人しか映っていなかったといっても過言ではないだろう。二人は、
まさに電光石火の勢いで走り、身をかがめてドリブルし、瞬時にパスし、カットし、
体をしならせてジャンプし、リバウンドをとり、シュートした。

魅録は、鋭角的な眉をますますつり上げ、切れ長の目は凄みのある眼光を放っていたが、
それは魅録を良く知る者にとっては、魅録らしいともいえるものであった。
問題は清四郎で、激しい運動としたたり落ちる汗のため、彼のいつも整えられている
前髪は既に見る影もなく乱れ、赤いハチマキの上にばさりとおおいかぶさり、
動くたびに舞い上がって、汗を飛ばした。そして、その濡れた前髪越しに見える瞳は、
いつもの穏やかかつ冷静なそれとは違い、魅録と同様の、野性の肉食動物が獲物を
襲うときのような、ギラギラとした獰猛な光を発していた。
魅録と清四郎が一つのボールを本気で争っているその様は、まるで青い目をした銀狼と、
赤い目をした黒豹が低く大きい唸り声をあげ、牙をむき出して戦っているかのようだった。
時折交わる二人の瞳は、バチバチと音がする火花散る睨み合いそのもので、全身から発散される
汗と熱気と共に、青と赤の危険な、炎のようなオーラが二人からごうと立ち上っていた。

続く
69名無し草:2008/11/22(土) 09:02:14
>Graduation
うわぁ、いいところで続きに…
前髪乱して本気になってる清四郎と魅録の緊迫した様子が目に浮かんで読んでて
ドキドキしました。
続き楽しみにしています。

70名無し草:2008/11/22(土) 11:37:52
>Graduation
清四郎と魅録が争ってるのってやっぱりいいね。
男の勝負ってカンジがする。
自分も続き楽しみにしています。
71名無し草:2008/11/23(日) 00:58:04
>Graduation
自分も続き楽しみにしてます。
男2人の戦いに絡む野梨子が裏山です。

>SFな朝
楽しく読ませていただきました。
人形顔の野梨子が本当に人形になったらカワイイでしょうね。
自分もポッケ野梨子を想像しました。

あと、他の女子だったら。。。も想像。
可憐なら、心配してもえるのをいいことに、
洋服や部屋にここぞとばかりに注文つけて、
男性陣を困らせてそうだなあとか、
悠理なら、ミニサイズでも元気いっぱいで、
一寸法師よろしく大活躍。
でも、ちょっと不安になって、
その意外な悠理の頼りなげさが、清魅美、誰かの心をときめかせてそうとか。
72名無し草:2008/11/23(日) 23:22:59
>これ、いただくわ
わぁい!お待ちしておりました。
すごーーく嬉しいです!!!
可憐と美童のやり取りがいいです。美童がかっこよく見えました。
この作品は、各自の心情が深く描かれてるので好きです。
中でも悠理と魅録の関係が気になってます。
続きお待ちしております!
73薄情女は古き誓いを思い出すか:2008/11/25(火) 00:00:37
本スレ31-32で連載させていただいた「不感症男は脳内物質PEAの作用を体感するか」の
番外編を投下させていただきます。

前回同様、清×野で小ネタ連作です。
途中で微妙に魅×野要素あります。

本編はすでに終了しており、番外編はその隙間を埋めるような内容なので、
とくにオチなどはなく、あくまで小ネタのさらに小ネタです。
【act.1】中学二年生・冬


 かつて僕は、幼馴染の潔癖さからくる頑なさをからかったものだった。
 しかし今となれば、よくも自分を省みずに笑えたものだと苦笑するしかない。
 硬質なばかりだったその佇まいにしなやかさが加えられ、花が綻ぶように
笑うようになった君を、僕は鎖で雁字搦めにすることでしか手に入れること
が出来なかった。
 
 ――僕は自尊心が高く、そしてきっと臆病者だった。


                       ※


「ちょっと白鹿さんって近寄りがたいわよね」
 昼休みのことだった。
 担任教師から頼まれた資料を運ぶために廊下を歩いていると、ふと幼馴染
の名が耳に届き、僕は思わず足をとめた。
 声の主は同学年の少女たちで、なにやら窓の外を見下ろしている。
(――なるほど)
 僕には、彼女たちが何を見ているのか、すぐに分かった。
 この廊下からは、中等部の校舎裏にある花壇とビニールハウスが見下ろせる。
 温かい時期は花壇横のベンチ、そして冬はビニールハウスの中で野梨子が
ひとり静かに昼食を摂っていることは、密かに有名なのだ。
 僕が聞き耳を立てていることに気づかない彼女たちは、なおも噂話を続ける。
「もったいないわよね。あれだけ綺麗だったら、男子たち選り取りみどり
なのに。うちのガッコの生徒って、レベル高いし」
「あれじゃない? 結婚前提でのお付き合い以外はしないってやつ。私たち
みたいな成金の娘と、白鹿さんは違うでしょ」
「三芳君も振られたみたいよ」
「まあ、彼女には菊正宗君がいるから」
 好き勝手にさえずる少女たちに苦笑しながら立ち去ろうとしたが、再び僕は
足を止めることとなった。
 ――どうやら、僕と野梨子は1セットで語られることが多いようである。
 僕自身、なんども野梨子との仲を勘ぐられ、そのたびに否定しなければ
ならないことに、辟易としていた。
「でも別に恋人同士ってわけじゃないんでしょ」
「今は付き合ってなくても、時間の問題じゃないの? 白鹿さん、菊正宗君以外
の男子は寄り付かせないじゃない」
 女生徒の言う通り、野梨子には自分以外の男友達はいない。
 否、友人自体が少ないと言えるだろう。
 数多い習い事関連の知り合いや、家業にまつわる人間関係を除いた、野梨子
個人のプライベートの中心にいるのは、間違いなくこの僕だ。
 そのことについて思いを巡らせるとき、僕は苛立ちと優越感を同時に覚える。
 幼い頃の野梨子は溌剌とし、むしろ僕の方が必死で彼女を追いかけていた
ものだった。
 良家の子女らしく「お行儀のよい野梨子ちゃん」でありながら、ときとして
彼女はこちらを驚かせるような奔放さを見せることがあった。
 ――今はもう遠い話である。
 ふたりの関係が変わったのはいつのころだっただろうか。

「でも白鹿さんと菊正宗君の間に、色恋がありそうな雰囲気は、私も感じない
けどな」
「そう?」
「菊正宗君の方は、白鹿さんのことを好みじゃないって言ってたらしいし」
 そんなことを言っただろうか、としばらく僕は思い返してみて、ふと思い
当たったことがあった。
 そういえば少し前に、野梨子との仲を友人に問いただされたとき、好みの
女性としてとある先輩の名前をあげたのだった。
 それがめぐりめぐって、曲解されたのだろう。
「それに白鹿さんの方も否定してるわよね。菊正宗君とのことを聞かれたとき、
白鹿さん何て言ったと思う?」
「何て言ったの?」
「『清四郎とだなんて、迷惑ですわ』ですって」
「うわー、強烈」
(野梨子の言いそうなことだ)
 僕は口元に笑みを刻むと、今度こそその場を離れた。

 廊下をひとり歩きながら、僕は幼いころから連綿と続いてきた何かが終わった
ような気持ちに囚われていた。
 それは不思議な心地だった。
 肩の荷が下りたような気もするし、酷く空しいような気もする。
 ただ自分の中でひとつの区切りがついたことを自覚した。
(そうですね、もはや時効だ)
 それは意味を失って久しく、すでに忘れられた契約である。
 後生大事に抱えていたところで、懐かしむこと以外に何の利点もない。

 僕たちは別の道を行く。


                       ※

 あのとき僕の胸に去来したものが痛みであったことに、今になって僕は気づく。
 この時点で自己欺瞞を悟ってさえいれば、あの金髪男に腹を抱えて爆笑
される羽目に陥ることもなかったのだ。 
 ――いいでしょう、認めよう。
 僕は愚かで、臆病だった。
 ただひとつ腹立たしいのは、これを語る今をおいてなお、彼女があの件について
何も覚えていないらしいことである。             

                                 act.2へ
77名無し草:2008/11/25(火) 00:35:39
>薄情女
お待ちしておりました〜。清四郎視点でのお話、楽しみです。
新スレが賑わって嬉しいなあ。作家の皆さん、ありがとう!
78名無し草:2008/11/25(火) 09:29:08
>薄情女
本編が大好きだったので、清四郎視点の番外編をずっと心待ちにしていました!
嬉しいです。続きを楽しみにしています。
79名無し草:2008/11/25(火) 14:50:03
>薄情女
うわぁっ!待ってました!
自分も本編の清四郎と野梨子が大好きだったので、番外編楽しみにしてました。
不感症男と薄情女ですかw
題名ですでに心わしずかみにされてしまいました。
続き楽しみに待ってます。
80名無し草:2008/11/25(火) 16:16:48
>薄情女
不感症最終回投下から間隔が開いたから諦めかけたけどスレ見といてよかったぁ。
自分も不感症が大好きでした。
題名が前回と同じくすごくイイw
清四郎視点が楽しみです。
81名無し草:2008/11/25(火) 17:17:24
にゃんにメール下さいにゃん♪

(^ω^)つ[email protected]
82名無し草:2008/11/25(火) 19:32:32
>薄情女
女子生徒のセリフが、お嬢様っぽくなくて?
と思ったけど、成金組のセリフだったんですね。
確かに、財界とツテを持つために
成金の子女も一定割合いるんだろうな。
そういう子と野梨子は合うわけないな。
いろいろ納得です。
83名無し草:2008/11/26(水) 00:42:08
>薄情女
清四郎視点面白い〜!
清四郎の焼もちというか、心の動転が好きなんで
続きを楽しみにしています。
84名無し草:2008/11/26(水) 06:35:42
Graduation様
投下お待ちしてます・・・
85Graduation:2008/11/26(水) 11:22:35
>>61 今回8レスいただきます。
86Graduation第七話seesaw game(17):2008/11/26(水) 11:25:04

「みーろーくー!負けるなー!」
悠理が自分の青いハチマキを振り回しながら、声を限りに魅録を応援している。
もちろん、会場の女性徒のほとんどが、
「菊正宗さまーっ!」
「松竹梅さまーっ!」
と、ひいきの名前を叫んでいたが、どちらを応援して良いのか未だ決めかねているものも多数いた。
「どっ、どちらもがんばって下さいー!」
「ファイトですわー!」
中には訳がわからなくなって、「きゃー」とか「ひー」とかいうだけの女性徒も
決して少なくはなかった。
可憐が野梨子を肘でつついた。
「悠理は同じクラスなんだから魅録の応援だけど、野梨子は幼馴染だし、当然、清四郎の応援よね?」
「えっ?」
「じゃ、僕たちは中立ってことで、いいよね?」
「そうね。ほら、あんたも悠理みたいに応援してあげなきゃ。悠理のせいで、
魅録の応援ばっかり目だって、清四郎が可哀想じゃない。」
バン!と可憐が野梨子の背中を叩いた。

実は、野梨子は心密かに魅録を応援していた。得意分野のバスケでは魅録に勝たせてやりたかったのだ。
勿論、清四郎にも良いプレーをして欲しい。でも、どちらもベストを尽くした上で、
最終的には魅録に勝って欲しかった。実際に野梨子の目は魅録を主に追っていたが、
とはいえ清四郎が気にならないわけでは無論なかった。彼の醸し出す、尋常ではない
雰囲気は野梨子を不安にさせた。ただ、魅録のいることろ清四郎もいたので、
とどのつまり視線は一極集中で事足りていたのだ。

87Graduation第七話seesaw game(18):2008/11/26(水) 11:27:39

試合は延長戦にもつれ込んだ。
始まる前の休憩時間、2チームの様子を比較しながら、美童が言った。
「これは、魅録のチームが勝つと思うな。」
「あら、どうして?」
「う〜ん。」
美童が目を細め、舌なめずりするように、ニヤリと笑いながら続けた。
好勝負の勝敗の分析は男にはたまらない、極上の蜜の味だ。
「両チームともね、同じ位すごく疲れてるはずだけど、魅録のチームの方は何か
楽しそうなんだよね。」
野梨子が青チームを見ると、皆、真剣な表情の中にもお互い、肩を叩きあったりして、
コミュニケーションをとっていた。
「青は魅録のワンマンプレーで決勝まで来たけど、それは魅録の自分勝手さじゃなくて、
皆が魅録に思う存分活躍してもらいたいって思ってそういう形になってたんじゃないかな?
他の4人皆が、魅録が、魅録のプレーが好きなんだよ。」
確かに、4人の選手は飲み物を口にし、流れ落ちる汗を拭きながらも、ずっと中心にいる
魅録から熱い目を離さない。魅録はそんな4人と笑顔でスキンシップを交わしながら、
強さの中にも温かみのある視線をずっと注いでいた。
「だから、清四郎の徹底的なマークで、魅録のワンマンプレーが崩れた時も、
直ぐに体勢を変えることが出来たんだと思う。元々、ワンマンプレーがなくたって
勝てるチームだったんだよ。お互いがお互いの良さを知ってるんだな。後半に
なるに連れて、どんどん良いチームワークになって来てるよ。これはひとえに
魅録の人徳のお蔭だろうね。魅録は体育会系の男たちに抜群の人気を誇るから。」
「そういえば、魅録、おとといチームのメンバーを家に呼んだって言ってたわ。」
可憐が思い出したように言った。
「だろ?そういうコート外のコミュニケーションが大事なんだよね。」
「・・・。」
88Graduation第七話seesaw game(19):2008/11/26(水) 11:29:51

「それに比べて、清四郎のチームは、始めこそチームの統制が取れていたけど、
疲れが出てくるにつれて、がたがたになって来ているよ。清四郎は皆が自分の
作戦通りに動かないからっていらいらしているし、それが他のメンバーに伝わってる。
清四郎は、自分が何でもそつなく出来るから、そうでない人間に厳しいところがあるだろ?
いつもはそれを隠しておけるけど、こういう肉体を極限まで使った、切羽詰った
時には出ちゃうんだよね。逆に、赤は今や清四郎のワンマンプレーだけで
もっているようなものだよ。それでも、これだけの試合が出来るっていうのは、
清四郎は本当に凄い奴だと思うけど。今日の清四郎はまた神がかったオーラを感じるしね。でも・・・。」
「でも?」
美童の容赦ない解説に息苦しさを覚えながらも野梨子は聞かずにはいられなかった。
「でも、バスケは団体競技だからね。ここまでもつれて、疲労も極限に達すれば、
5人のチーム力が強い方が勝つと思うんだ。あ、始まる。」

ピーッ!
物凄い大歓声と共に5分間の延長戦が始まった。
(この5分で必ず決めてやる!)
魅録は最後の力をここで出すように4人に話していた。今までの10分ごとの
ゲームでは、前半青がリードして、中盤に赤が追いつき、後半はシーソーゲームというパターンだった。
だが、今度は5分だ。死に物狂いで始めから点をかせげば、大丈夫、この試合はいただける、と読んだのだ。
(敵は、清四郎ただ一人だ!)
今回、魅録は全てのボールを他にパスし、攻撃を任せ、自分は清四郎のマークに専念した。
「!」
清四郎は予期せぬ展開に彼らしからぬ動揺を見せた。ボールをパスしようにも、
チームメイトたちは慣れないハードな試合に、立っているのがやっとの有様だった。
かたや青チームは、スピードこそ落ちているものの、魅録なしでもパスを確実に回し、
一人一人がチャンスを確実に物にして、点を入れていた。清四郎は目の前の魅録を見た。
魅録はニヤッと笑った。
(・・・負けましたよ、魅録。)
清四郎の緊張の糸がプツッと切れそうになった、その時。

89Graduation第七話seesaw game(20):2008/11/26(水) 11:32:31

「清四郎っ!頑張って下さいな!」

偶然、一瞬静かになったその時、体育館中に、よく知った幼馴染の声が響いた。
「このまま、ずるずる負けるなんて、男として恥ずかしいですわよっ!」

野梨子は今や立ち上がって、顔を真っ赤にして叫んでいた。
「・・・あんた、やっぱり、きっついわねえ。」
可憐があきれた顔で野梨子を見た。
しかし、このスパルタエールは清四郎の気に入った。ふっと微笑むと、休む間もなく、
ボールに向かいながら清四郎は心の中で呟いた。
(そうですね、野梨子。無様な負け方はしませんよ!)
ここに及んで、点差は開き始めた。しかし、それでも髪を振りみだし、汗だくになり、
足元がおぼつかなくなりながらも、一人ボールに食いついていく清四郎の姿は、
赤チームの選手たちに感銘を与え、わずかに残っていた彼等の試合魂を再び呼び起こした。
(あの、菊正宗くんが、こんなに頑張っているんだ!)
(そうだ、僕たちだって!)
赤チームの最後の追い上げが始まった。点差はまた縮まり始め、試合はまた同点になるかと思われた。

(そうはさせねえぜ!)
電光掲示板の表示が15秒を切ったとき、それまでずっと清四郎の隣にいた魅録が
すっと身を翻して、相手のシュートのリバウンドに走った。
「しまった!」
清四郎が叫ぶより早く、ジャンプしてリバウンドをとった魅録は素早く身をかがめると、
敵味方入り乱れる中をドリブルで切り込んで、一気にゴールに向かって駆け抜けた。
「速攻だ!急げ!」
清四郎が残りの力全てを振り絞って、魅録に追いつこうとする。しかし、魅録は
清四郎の腕をすり抜けて味方にパスし、その後、瞬時にゴール前に走り込んで、
再びボールを受け取ると、全身の力をこめて、体をしならせ、華麗にジャンプした。
「っしゃあ!」
魅録はこの試合一番の、鮮やかなダンクシュートを決めた。
90Graduation第七話seesaw game(21):2008/11/26(水) 11:33:49

ピーッ!
「試合終了!92対88で、青チームの勝ち!」
「ワーッ!」
聖プレジデント学園の体育館は、未だかつてない歓声に包まれた。
選手達は皆その場でコートに倒れ込んだ。勝ったチームにも負けたチームにも
同じくらいの賞賛が送られていた。その大歓声を全て撥ね退けて、澄んだ声が響き渡った。
「魅録っ!やったな!」
悠理がコートわきで滝のように流れる涙を手で拭いながら泣き笑いしていた。
「おうっ!」
魅録は、ひっくり返りながらもなんとか笑って見せ、自分の青いハチマキを
額からむしりとると、悠理に放り投げた。
「キャーッ!」
黄色い歓声が飛ぶ。悠理はそれを軽々とキャッチし、首にかけて軽く結ぶと、
今度は、自分がタオルを魅録に投げてやった。
「サンキュ。」

他の選手たちにも、続々とタオルが投げられた。しかし、さすがに清四郎に
「投げる」というわけにはいかず、コート脇では沢山の女性徒がタオルを手渡したくて
うずうずしていたが、皆、野梨子の方をきょろきょろ見ては、「白鹿さまを差し置いて
お渡しして良いものか」と、ためらっていた。
ようやく、選手が皆立ち上がり、一列に並んで礼をした。
「おめでとうございます、魅録。やっぱり強かったですね。」
清四郎が右手を出した。
「おまえこそ。聞きたいことは山ほどあるけどよ・・・。ま、また今度な。」
魅録は、まだ少し腑に落ちない表情を見せていたものの、好試合の余韻に浸って
笑顔で清四郎の手を握った。
この二人の握手している写真が、後日学園新聞の一面トップを飾ったのはいうまでもない。

91Graduation第七話seesaw game(22):2008/11/26(水) 11:39:17

試合後、魅録と悠理はアベック優勝ということで、興奮収まらぬ中、クラスの皆に
もみくちゃにされながら、体育館を後にした。悠理の歓喜のおたけびが体育館中に響き渡った。
「今夜はうちで、優勝パーティーだーっ!」
清四郎は、試合終了後、チームの皆に頭を下げた。
「残念でした。すみません。僕の力不足でした。」
しかし、顔を上げると、4人は皆笑っていた。
「何、言ってるのさ。菊正宗くんのせいじゃないよ。」
「そうだよ、皆でやった試合じゃないか。それより、いい経験させてもらったよ。」
「・・・。」
「正直、菊正宗くんが、ここまでやるとは思わなかったよ。いい根性してるな。」
バスケ部の一人が言った。
「いい試合ができて、本当、楽しかったよ。君のおかげで、ここまで来れたんだ。」
「高校生活の最後に、いい思い出が作れて、本当に感謝してるよ。」
4人は皆、スポーツマンらしい、清清しい笑顔を残して、去って行った。
清四郎は皆を見送りながら、しばし何か考えるように立ちすくしていた。
そんな清四郎に声をかけるのもはばかれ、清四郎ファンの女性徒たちも、一人、また一人と去っていった。

どの位時間が経ったのか。
「せーいしろー。」
清四郎が振り向くと、
「いい試合だったね。」
「本当、格好よかったわよう。」
美童と可憐がニコニコしながら立っていた。二人が、まるで試合に負けた子どもを
励ます両親のように思えて、清四郎は思わず苦笑した。しかし、それは決して嫌なものではなかった。
ふと目の前に白いハンカチが差し出された。
「ごめんなさい。タオル、持って来ていないんですの。」
「・・・有難うございます。」
清四郎は、今の彼の状況にはとても間に合いそうもない、小ぶりの、Nのイニシャルの
入った麻のハンカチを広げて、額の汗を拭った。

92Graduation第七話seesaw game(23):2008/11/26(水) 11:41:16

「お水、召し上がります?」
清四郎は野梨子の差し出した保冷水筒のコップの冷たい水を、ごくごくと飲み干した。
ふーっ、生き返る。
気が付くと、いつの間にか、美童と可憐は姿を消していた。

清四郎と野梨子は誰もいなくなった体育館の冷たい床に、並んで腰を下ろした。
野梨子は優しい目で微笑みながら清四郎を見つめた。
「残念でしたわね。」
「・・・魅録はバスケは強いですからね。」
「でも・・・いい勝負でしたわ。次はきっと勝てますわよ。」
「・・・その時は、魅録ももっと強くなっていますよ。」
清四郎は、折った膝の上に両手を置き、その上に顎をのせて、大きなため息をついた。
野梨子は、清四郎がこんなため息をつくのを聞くのは初めてだった。
「勝ちたかったんですけどね・・・。」
清四郎は遠い目をした。
「むきになって、自分らしくないと分かってはいたんですがね・・・。」

そう、自分は魅録に勝ちたかった。目に見える形として勝ちたかった。何でも良かったのだ。
たまたま、バスケの試合だっただけだ。
何故そこまで魅録に勝ちたかったのか?その理由は・・・?
(それがはっきり分かれば、少しは楽になれるんでしょうけどね・・・。)
理由はともかく、魅録に勝ちたい、というあくまで個人的な感情で、チームを
勝手に引っ張って来てしまった。本当ならキャプテンはバスケ部がやるべきだったのだ。
それを、初心者の自分が我が儘を言ってやらせてもらって、そして負けた。
それなのに、皆清四郎に感謝しているという、その矛盾に清四郎はやり切れなかった。
魅録はあくまでもチームで勝とう、という健全な目的で試合をしていた。
自分のよこしまな動機とは質が違う。魅録が勝って当たり前だ。
何から何まで自己嫌悪。
93Graduation第七話seesaw game(24):2008/11/26(水) 11:43:27

野梨子は途中まで、密かに魅録の応援をしていたが、延長戦の前に美童の解説を
聞いた時から心が揺らぎ始め、延長戦が始まって、清四郎たちの形勢が不利と見てとるや、
清四郎サイドについた。
(判官びいき・・・ですかしら?)
しかし、恐らく真の理由は、美童が清四郎の弱みを言い当てたからであろう。
清四郎はまれに見る優秀な男だが、人間である以上、完璧ではない。光の部分が
強ければ強いほど、わずかな闇はとてつもなく暗く感じる。清四郎のその闇を
払拭するのは、自分の役割のような気が、今、野梨子はするのだった。
しばしの沈黙の後、野梨子が言った。
「清四郎。」
「はい?」
「・・・そのハチマキ、わたくしに下さいます?」
「・・・負けた男のものですよ。」
「上手く言えませんけれど・・・。それは、わたくしが持っていた方が良いのではないかと思いまして・・・。」
清四郎は、今日、初めて笑った。
「良く分かりませんけれど、野梨子らしい発想ですね。でも、これは駄目です。」
「どうしてですの?」
意外な返事に野梨子は首をかしげた。清四郎は、隣で、長い睫越しに問いかけるような瞳で
自分を見つめる幼馴染を眩しげに見つめた。
あの時の野梨子の声援がなければ、自分はもっと惨めな負け方をしていたのは間違いない。
正直、今日の試合で、野梨子が自分を応援してくれるだろうという自信が清四郎にはなかった。
19年間の歴史を持ってしても、それは難しいような気がしていたのだ。
「・・・。」
清四郎は、尚もしばらくの間、口にこぶしを当てて苦い顔をしていたが、ついに、
ゆっくりと伸びをし、ゆらりと立ち上がった。
「ハチマキの件ですが・・・。」
清四郎は乱れていた前髪を後ろにかき上げると、彼らしい、不敵な笑みをたたえて、野梨子に振り向いた。
「今、決めました。次は勝ちます。野梨子にはその時に。」

第八話 holy night に続く
94名無し草:2008/11/26(水) 12:48:16
>Graduation
お待ちしてました!
リベンジを誓う清四郎カッコヨス。
野梨子のスパルタエールとそれで張り切る清四郎が
それっぽくてにやにやしましたw
95名無し草:2008/11/26(水) 15:16:17
>Graduation

自信なさ気だったり人間くさいところを見せる清四郎を応援したくなります。
けど自信を取り戻した不敵な笑みを浮かべる清四郎も、らしくてカッコイイw
野梨子の応援もよかったです。
96名無し草:2008/11/26(水) 15:52:46
>Graduation
野梨子が清四郎を応援してほっとしました。
魅録ももちろんかっこいいのですが、金魚の話を読んでからこちらの清四郎がなんだか
愛しくて。
次はクリスマスの話ですねー。
楽しみに待ってます。
97これ、いただくわ 119:2008/11/27(木) 00:22:59
>>40
思った通り、一階の警備員詰所には居残りの男がひとり居る切りであった。
ぽってりと腹の出た見るからにドサンピンのその男に、ああだこうだと適
当なことを言いながら首尾よくキーを入手した裕也は、さっそくそれを使っ
てエレベーターを起動させた。腹に響く駆動音にはヒヤヒヤさせられたが
それも僅かな間のことで、すぐにホールランタンが点燈しカゴの到着を報
せてくれた。
(よし、今だッ)
合図を送ると、物陰に隠れていた野梨子たちが小ネズミのように駆け寄っ
てきた。口を開けたエレベーターに素早く二人を収容し、裕也自身も体を
滑り込ませる。扉が閉まるのももどかしく、制御室と書かれたボタンを連
打すると、ようやく幕板のインジケーターが怠そうな動きで変わり始めた。
これでひとまずは安心だ。三人はそれぞれにほっと息を吐き出した。
落ち着いてくると、カゴの内部に施された優美な彫刻が目を引いた。こん
な場合でなければずいぶん凝ったものを据え付けたものだと感心も出来
たろう。美童は冷めた目でざっと眺め回した後、操作盤を指でなぞりなが
ら呟いた。
「このエレベーター、ヨーロッパ式なんだ」
何故なら地上階を示す数字が零から始まっていたからだ。零と並んでRC
と書かれているところを見ると、どうやらフランス仕様のものをそのまま設
置したらしい。可憐が篭絡した設計者は随分とフランスに傾倒していたそ
うだが、これはそんな彼の趣味を反映したものに違いない。
そんな事を思う内に、到着を知らせる鐘がチンと鳴った。それと同時に
野梨子と美童は扉の陰に身を隠す。
通路に巡回警備員の姿は、無い。但し、すこし向こうの制御室へと続く扉
の前にはやはり見張りが立っていた。
98これ、いただくわ 120:2008/11/27(木) 00:23:39
扉の左右に立つふたりの男は退屈そうな顔をしていたが、それでも無駄口
を叩きもせずジッと持ち場を守っている。
「物々しいな…」
裕也は眉を顰めた。
「こりゃ強行突破しかねえぞ。どうする?」
強行突破―――その言葉に野梨子はびくりと肩を震わせた。だが彼の言う
ように、他に手が無いこともすぐに理解した。警備が一人ならばどうにか誤
魔化して忍び入る隙も作れようが、二人も居てはそれも難しい。
本意ではないが、ここは暫らく眠って貰うしかないだろう。そう結論を出し顔
を上げると、何も告げぬうちから裕也は頷いていた。
「心配すんな、あんたを危ない目に合わせやしねえから。少しここで待ってな」
野梨子に口を開く隙も与えぬまま、裕也はくるりと背を向けた。

「交代だ」と声を掛けながら軽快な足取りで近づいてくる裕也に、手前の男
は不審な表情を作ろうとしたらしい。だがその瞬間、一気に距離を詰めた
裕也の膝頭がその股間にめり込んだ。中途半端な顔つきのまま前のめり
に沈みこんだ男の横を抜け、素早くもう一人の胸倉を締め上げた裕也。
「制御室行きたいんだけど、このドアどうやったら開くのかな、んん?」
呆気なくパスワードを吐いた男の腹にすぐさまコブシを叩き込む。すっかり
堅気の生活に身を落ち着けた裕也だが、昔取った杵柄でこんなところは実
に手馴れたものである。駆け寄ってきた野梨子たちに不敵な笑顔を見せ、
裕也は脇の操作盤に手を伸ばした。
「パスはルート2だってさ。単純なの使ってんな」
生体認証システムなどでなく助かった、と胸を撫で下ろした野梨子であった
が、その直後、裕也の指がとんでもない方向へ動き出したのを目撃した。
「√2は確か、富士山麓オームの法則電流は電位差に比例し抵抗に反ぴ…」
「アッ途中から別物にッ! と言うよりそのゴロ合わせで一体どの数字を…
いえそんな事よりそれはそもそも√2じゃあり……エ?」
言い終わらぬうちに澄んだ機械音が鳴り響き、分厚い鉄扉がしゅぱっと口を
開けた。
99これ、いただくわ 121:2008/11/27(木) 00:24:20
「ん、どうした?」
「……いえ、独り言です……長めの」
裕也が一緒に居てくれて本当に助かった、と野梨子は改めて胸を撫で下
ろした。いろいろ間違っているのは確かだが、しかし現に扉が開いたの
だからこの場合は裕也が正解なのだ。
「さ、行くか」
恩に着せるでもなく、至極当たり前の顔をして裕也は先を歩く。時折り
横顔を見せては自分を気遣う彼の背中を、野梨子は情けない気持ちで
追いかけた。
もしもあの時、同行すると言ってくれた彼を断っていたならば。今頃は
美童とふたり、警報機の鳴り響くこの通路の片隅で震えていたに違い
ない。否、そもそも此処まで辿り着けたかどうかすら怪しいものだ。
迷惑を掛けたくないなどと、イッパシの口を叩いたのはどこの誰だった
か。結局は頼るばかりで何も出来ぬ自分を思い、野梨子は唇を噛んだ。

「―――あのドアの向こうだね」
美童の耳打ちにハッと顔を上げると、大きなガラスの嵌った扉が見えた。
タッチセンサー式の自動扉だ。目隠しの着色硝子であったが、室内の様
子は辛うじて分かる。影が映らぬよう注意して覗いてみると、中では数人
がコンソールに向かっているようだった。
「五人か。多いな」
渋い顔で呟いた裕也に、野梨子は麻酔銃を取り出して見せた。
「これで……眠っていただきます」
「……や、殺るのか?」
「違いますッ、薬で眠っていただくだけですわ!」
しかしそうは言ったものの、いっぺんに五人もの急所を狙い撃つのは至
難の業だ。精々一人か二人を倒す間に、残りの連中が騒ぎ出すに決まっ
ている。
100これ、いただくわ 122:2008/11/27(木) 00:25:00

どう考えてみても、自分などがしゃしゃり出るより裕也になんとかしてく
れと頼んでしまった方が賢明であろう。既にここまで巻き込んでしまっ
たのだ。今さらこの程度の事を遠慮したところでなんの言い訳にも成り
はすまいし、つまらぬ意地を張ってヘタを打つ方がよほど迷惑な話で
ある。―――けれど。
(これ以上甘える訳には……)
どちらとも思い切れぬ自分に野梨子は苛立った。そんな野梨子の肩に
そっと手を置いたのは、裕也ではなく美童であった。
「僕がやるよ」
「え、美童が? え? 何を? えっ?」
反射的に疑問符を連発した野梨子に、失礼だなあと美童は顔を歪める。
だがすぐに気を取り直し、右手に持った麻酔銃をかるく振ってみせた。
「接近戦はダメだけど、これなら僕にも出来るから」
裕也はケッと吐き捨てる。気安く野梨子に触れた手が面白くないからだ。
その上、僕がやる、などと伊達な科白を決めたのも気に入らない。他の
場面でならいざ知らず、今は野梨子の目があるのだ。文通のヘマを挽
回する千載一遇のチャンスだと云うのに、それを横から掻っ攫われては
泣くに泣けない。
「貸せ。俺がやる」
裕也は銃を求めて掌を出した。が、美童は応じようとはしなかった。
「……ほんとに出来るの?」
「ッたり前だろ。お前はうしろで大人しく見てな。なんなら先に帰っても
いいんだぞ?」
「帰れるなら帰りたいよッ、帰れないから苦労してるんじゃないか!」
「それを俺によこせば今すぐ帰れるようにしてやるよ」
裕也は今度こそ銃を奪ってしまおうと手を伸ばした。だがそれよりも
一瞬早く、美童は腕を高々と上げそれを阻止した。
101これ、いただくわ 123:2008/11/27(木) 00:25:56
「……おいおい、大人になろーぜ?」
「だから今大人の判断をしようとしてるんだよ。で、聞くけど君の射撃
経験はどのくらい?」
「射撃経験? んなもん……ねーけど」
「無いのかよ、ないくせに偉そうなこと言ってたのかよッ!」
「この手のもんは経験より度胸だ。いいからテメエはすっこんでろ」
埒の明きそうに無い押問答に先に見切りをつけたのは美童であった。
「大丈夫だよ、野梨子」
腕を水平に下ろし、顔だけ野梨子に向き直る。
「こう見えてもクレー射撃は得意なんだ。これはショットガンじゃない
けど、この距離なら心配ないから。それに僕も少しは役に立っておか
ないと後で清四郎に怒られるしさ」
「オイこっち向けんなって、オイ……」
しかし、野梨子の方もそう簡単には納得しそうにない面貌である。
引き結ばれた唇には不信の影が色濃く滲み、普段は知性と品性の象
徴として煌く漆黒の双眸も、今は場末の占師のような鈍い光を放って
いる。
まるで、安請け合いは事態を悪化させることに為り兼ねないぞと無言
の圧力を掛けられているかのようで、美童は苦笑を浮かべずには居ら
れなかった。
「安請け合いは事態を悪化させることになり兼ねませんわよ?」
無言ではなかった。
「……ほんと信用ないなあ、僕って」
美童は軽い溜め息を吐く。
何事につけ、野梨子が比較対象とするのはあの清四郎や魅録なのだ
から、それも仕方の無いことかと思う。むしろ彼らのように絶大な信頼
を背負わされることを思えば、少しばかり蔑ろにされようが信用されぬ
方が気楽でいいとも思っている。
102これ、いただくわ 124:2008/11/27(木) 00:26:42
けれど、今はそんな事も言っては居られない。魅録と清四郎、そのど
ちらもここには居ないのだ。
「……聞いて、野梨子」
美童は噛んで含めるように語り掛けた。
「僕を当てに出来ない気持ちはよく分かるよ。それを責める気は無い。
だけど、ひとつだけ信じていい事がある。それはね―――僕等の運の
強ささ。ホラ思い出してよ。今までいろんな事があったけど、いつだって
なんとかなってきたろ? 僕のことは信じられなくても、神様が僕たちに
くれた幸運は素直な気持ちで信じるべきじゃなかな。
―――大丈夫。今回だってきっと神様はステキな幸運を用意して待って
てくれる筈だから」
刹那、六人で乗り越えてきた数多の出来事が野梨子の、そして美童の
胸裡を色鮮やかに駆け抜けていった。停学になったこと。留年になった
こと。痛い思いを山ほどしたこと、手足を折って入院するハメになった者
まで居たこと。
「……最終的にはなんとかなったよね? なんとかなったって言っても
いいよね? ね?」
「え、ええ…」
「イヤ、ほんと俺が悪かったって。だからこっち向けんなって…」
神様がくれた幸運の数々はいっそう野梨子を怯ませた。だが確かに
美童の言う通り、最終的にはなんとかなってきた気もする。
―――いや違う。なんとかしてきたのだ、仲間と共に。
その仲間たちは今、このビルのどこかで任務を背負い、ひた走っている。
いまだ行方知れずの悠理は孤独と闘っているであろうし、清四郎に連れ
て行かれた可憐もまた、逃げ出したい気持ちを堪えて懸命に悠理を捜し
ていることだろう。
皆それぞれ果敢に行動していると云うのに、自分だけがくだらぬ逡巡で
時を無駄にして良い筈がない。仲間の退路を確保する鍵は、この扉の
先にあるのだから。
「……やりますわ、わたくしも」
キリリと顔を上げた野梨子に美童は安堵した。
103これ、いただくわ 125:2008/11/27(木) 00:27:32
やはり野梨子はこうでなければいけない。背筋に鉄線の通るが如く、凛と
前だけを見据える彼女であればこそ、気兼ねなく泣き言も聞かせられると
云うものだ。
「じゃあ手前のひとりは僕がやる。野梨子は奥の四人を片付けて」
「なにを莫迦な事を。わたくしが手前のひとりを引き受けますから、残りは
美童がなんとかしてくださいな」
言うなり、野梨子はきびきびと動き出した。
新しい弾倉を挿入、ガチャリと遊底を引く。グリップを握り締めた右手に
左手を添え、扉近くに陣取ると標的に対し半身に構えてみせた。
「なにその本物っぽい構え…」
魅録に教わったウィーバースタンスだ。
ガラス越しに狙いを定めた野梨子はその姿勢のまま低く、囁いた。
「……美童、五秒で片をつけますわよ」


扉が開くのと手前の男が振り返ろうとしたのはほぼ同時だった。だが振り
返る前に、すでにその襟首には麻酔弾が突き刺さっている。開き始めた
扉の隙間から野梨子が放った第一射だ。魅録の教え通り、ダブルタップで
もう一撃。手前の男は完全に意識を失い、椅子から派手に転がり落ちた。
その間、美童の手に握られた銃もさらに多くの弾を吐き出している。奥の
四人に一発ずつ。その上、野梨子の標的にも一発見舞う。口ではなんの
かんのと言いながら、野梨子をフォローしなければならぬと云う思いが、
美童自身も気付かぬうちに体の奥底で脈打っていたらしい。
しかし、滅多に見せぬその男気が仇になった。五人すべてを倒さねばと
気負ったあまり、右端と左端、ふたりの男の急所を撃ち損ねた。
104これ、いただくわ 126:2008/11/27(木) 00:28:20

さらに誤算であったのは、壁の死角に六人目が存在したことだ。
「な、なんだ――ッ!?」
右の男が叫ぶ。左の男は呆然となる。だが六人目の男は即座に低い姿勢
をとり、机のうしろへ姿を隠した。
「美童は右をッ!」
野梨子は叫びざま、ダッと室内へ踏み込んだ。恐怖や迷いなど、もう無い。
初弾をチャンバーに装填した瞬間から、心を占めるのは使命感のみだ。
正しく一陣の風となって、真っ直ぐ左の男へと突き進む。
標的となった男はひぃぃっと隙間風のような悲鳴を洩らし、床へ突っ伏した。
その首筋に、野梨子の銃口はビタリと照準を合わせている。いざと言う時の
為にと家人の寝静まった夜夜中、野梨子はひとり密かに鍛錬を重ねて来た
のである。白鹿家の柱の疵はおととしの背比べではない。弾痕だ。

サプレッサー付きの麻酔銃が立て続けに弾を吐く。雨粒の炸けるような幽か
な音は、騒然となったこの部屋では撃ち手の耳にさえ届かない。
床へ伏した男の体がダラリと垂れたのを視認し、ようやく野梨子は銃口を上
げた―――残るは二人。
(美童は…ッ!?)
銃を構えて振り返る。
そこで野梨子が目にしたものは、まさに今振り下ろされんとする鉄パイプ
だった。
105これ、いただくわ 127:2008/11/27(木) 00:29:04

強い衝撃を受け、野梨子は壁に叩き付けられた。だが鉄パイプを食らった
衝撃ではない。横合いから突き飛ばされたのだ。
焼けるように痺れる肩を抱き急いで振り返ると、そこには交差させた両腕
で鉄パイプを受け止める裕也が居た。
「野梨子に……何しやがるッ」
つかんだパイプをグンと引き、前のめりになった男の鼻頭に頭を突き入れ
る。ふらついたところを押し倒し、裕也はそのまま馬乗りになった。
「ぶっ―――殺すッ!」
だが敵も簡単な相手ではなかった。裕也が右の拳を振り上げた隙に、胸倉
を押さえていた左手を捻って裕也を引き倒した。
揉み合い、縺れ合い、ふたりの男は床を転がった。互いの体をガッチリ攫
み、隙あらば一撃見舞わんと鬼の形相で転げ回り、その度に押し遣られた
鉄パイプがガラガラと嫌な音をたてる。
野梨子は肩の痛みを堪え、どうにか体を起こした。そして突き飛ばされた
拍子に手放してしまった銃を血眼になって捜す。
ようやくそれを机の下に見つけ、体を投げるように手を伸ばした。床との隙
間に腕を突っ込み、指先で引き寄せる。だが思い通りに手が動かない。
肩の痛みの所為ではなく、目の前で繰り広げられる乱闘に体が怯えてい
るのだ。

野梨子は音がするほど奥歯を噛みしめた。痛む肩をわざときつく掴み、今
為すべきことに意識を集中する。そして再度力を篭めると、右手は辛うじ
て銃握を包み込んだ。
106これ、いただくわ 128:2008/11/27(木) 00:31:33
キッと乱闘に目を戻す。と、今度は裕也が組み敷かれていた。
上になった男は左手で裕也の首を押さえ付け、裕也に掴まれた右手には
鈍く光る何かを握っている―――ナイフだ。
体勢を立てなおす暇は無い。顔にかかる髪を払う猶予すら無い。床に体を
投げ出したまま、野梨子は右手ひとつで引鉄を引いた。
(お願い、当たってッ!)
だが一撃として満足に標的を捉えることが出来ぬまま、あっと言う間に残弾
を撃ち尽くした。
弾倉の替えなら未だある、焦るな―――強く自分に言い聞かせ、太腿のベ
ルトから予備のそれをもぎり取った。右手で空のマガジンを振り落とし、左で
新しい弾倉を突き入れる。がしかし、血の気の引いた手指はいまだ小刻みに
震え続け、マガジンはガチガチと徒に音をたてるだけで思うように入らない。
素早く再装填を行う訓練など、厭きる程してきた筈だ。それなのに此の期に
及んで手間取るとは一体何の為の訓練か。自身の不甲斐無さに眦を朱に染
めた野梨子は、役に立たぬ己が両手を力一杯机の足に打ち付けた。
ズン、と鋭い痛みが腕を伝う。それと引き換えに震えは一瞬、止んだ。その機
を逃がさず、即座にフル装填のマガジンを叩き込んだ。
だがその矢先。
ナイフを止めていた裕也の手が、力任せに振り払われる光景が目に入った。
スライドを引き初弾を装填するも、もう、間に合わぬ。
「ゆ…う…」
咽喉が引き攣れる。視界が歪む。男はヌラリと嗤って居る。
「……ぃ」
刃が、振り下ろされる。
「ぃいやあああ―――ッ!」
―――その時。
ガチリと音をたて、男の頭に銃口が突き立った。
そして無言のまま引鉄を絞る長い指と、その後ろで冷徹に細められた美しい
碧眼を、野梨子は見た。

         つづきます
107名無し草:2008/11/27(木) 09:28:41
>これ、いただくわ
続きがこんなに早く読めるなんて嬉しいです。
裕也も美童もかっこいい!
そして野梨子の以外な活躍がかっこいいです。
ほんとにはらはらどきどきしながら読ませて頂きました。
続き楽しみに待ってます。
108名無し草:2008/11/27(木) 12:26:35
連続うpキタワァ━━(n‘∀‘)η━━ !!

>白鹿家の柱の疵はおととしの背比べではない。弾痕だ。

ワロタ。カコイイけど何やってんだ野梨子w
手に汗握るストーリーなのに、富士山麓オームの法則とか
毎回小ネタがきいていて笑っちゃいます。
次回も楽しみにしています。
109名無し草:2008/11/28(金) 09:19:22
>これ、いただくわ
アクションシーンって文章にするのが難しそうなのに本当にお上手ですね。
場面の瞬間、瞬間が絵になって浮かんで来て、ドキドキしてしまいました。
それと、自分もあちこちに散りばめられた小ネタに笑ってますw
続き、楽しみにしています!

【act.2】中学三年生・夏

 ――これがチャンスだと、心の奥底で囁く自分がいた。
 その声に従い、僕の服の裾を掴むようにしていた彼女の指を解き、
背中を押した。
 そうして我が幼馴染殿が殻を破って外の世界に触れていくのを、僕は
にこやかに微笑みながら見守っているつもりだった。

                       ※

「そしたら悠理がこう言いましたのよ」
 野梨子と肩を並べて下校するのは幼稚舎を卒業して以来の日課では
あったが、話の内容はここのところ様変わりしている。
 少し前までは級友たちの輪に入れず戸惑っていたというのに、最近の
彼女の話題は新しくできた友人たちのことばかりである。
 ことに、同性である剣菱悠理や黄桜可憐とは自分以上に親交を深めて
いるようであった。
 派手な聖プレジデントの制服をあくまで清楚に着こなす野梨子の姿に、
先週末に見た私服が重なった。
「清四郎、ぼんやりとなさって、どうしましたの?」
「いやなんでも。それで、来週も彼女たちと?」
「ええ。来週は……」
 反応の薄い僕へ首を傾げた野梨子に対し、話を反らせることに成功
した僕は、楽しげな彼女の横顔を見詰める。
 先週の土曜日も可憐と買い物をしに銀座へ出かけていた。
 大胆に肩を露出させたキャミソールと流行の形にカットされたスカート
を着た野梨子の表情は、それまでになく明るかった。
 芯が強くも頑なであり、品がありながらも地味だった野梨子の印象は
たったひと薙ぎで払われ、夏の明るい夜の下、燐光がまとわりつくように
彼女は輝いていた。
「お、清四郎と野梨子」
 校門の外に出てからしばらくして、僕たちは知った声に呼び止められた。
 変声期はとっくに終わったのだろう。少年というよりは、いかにも
野梨子が苦手そうな男くさい声であったが、彼女はぱっと顔を輝かせた。
「魅録! どうしましたの。悠理は職員室でお説教でしてよ」
「まだまだ終わりそうにありませんよ」
 野梨子の言葉に僕が言い添えると、魅録は「マジか」と顔を顰めた。
「ライブに連れてけって言ったの、あいつの方だってのに」
 ぼやく魅録に、野梨子はくすくすと笑った。
 彼女に影響を与えたのは、女友達だけではない。
 松竹梅魅録という少年は、野梨子にとって今まで近寄りもしなかった
類の人種だろう。
 その彼に、こうして心を開いて笑っている様子は、僕をどこか落ち着か
ない気持ちにさせた。
 ――このとき胸に覚えた不快感は、おそらく親離れを前にした寂寥と
似たようなものだろうと僕は結論づけている。
 もしそれが僕の傲慢であるというのなら、ただシンプルに、兄妹の
ように育った野梨子が離れていくことに対して、頑是ない執着であった
とでも。
 だからこそ。
「今度、お前らも来てみろよ。曲知らなくても燃えるぞ」
 ――だからこそ、どう考えてもロックのライブなど不似合いな野梨子
に対し、揶揄いではなく本気で誘う魅録と、それに頷く彼女を、
このときの僕はただ笑って見ていた。

                       ※

 兄のように彼女を守ることをゆるされた幼馴染という特権的立場から、
対等な親友へと立ち位置を変えるということの本当の意味を、このとき
の僕はまだ知らなかった。
 知らないでいたからこそ、手を離せたのだろう。
                              act3へ
112名無し草:2008/11/30(日) 09:38:28
>薄情女
いままで自分は野梨子の世界のほとんどを占めていたのに5分の1(+α)になっていく
のってどういう気持ちだろうと思っていたので、不感症男のときにはわからなかった
清四郎の心の細かい動きがわかってすごくおもしろいです。
続き楽しみに待ってます。
113名無し草:2008/11/30(日) 12:12:31
不感症と読み比べるとおもしろいです。
清四郎はこう思ってたのかと薄情女では新たな発見がありそうですね。
これからの清四郎の変化にwktkしてますw
114名無し草:2008/11/30(日) 18:47:06
>薄情女
野梨子視点では、朴念仁に見えてた清四郎が
この話では人間味のある反応をしてるのがイイ。
魅録登場で清四郎の心情の変化が気になる。
清四郎視点、GJです。
115Graduation:2008/12/02(火) 12:33:58
>>86 第八話は前41レスの予定です。今回8レスいただきます。
116Graduation第八話holy night(1):2008/12/02(火) 12:36:15

球技大会の翌月曜日の昼、六人は生徒会室で昼食をとっていた。天気が良く暖かかったので、
外へ出ても良かったのだが、学園中が球技大会の興奮冷めやらぬ中、六人が一緒に
公に姿をさらすことは面倒の種を蒔くようなものだと、皆の意見が一致したのである。

「まあ、では、あの後B組はずっと悠理の家で打ち上げパーティーでしたの?朝まで?」
「うん、全員ってわけじゃないけど。ほら、皆、門限に厳しくて、外泊なんて
とんでもないって奴等だから。けど、父ちゃんや母ちゃんが電話で説明したら、
結構残れる奴もいてさ。部屋は一杯あるから、寝る所には困んねーし。普段あんまり
話さない奴等とも話せて、楽しかったぜ。」
「ああ。何か、こう、ここに来てクラスの皆とぐっと親しくなれた気がすんな。」
(皆が寝静まった後も、悠理と魅録は二人で仲良くお酒でも飲んでもいたんでしょうね……。)
野梨子がぼんやりとそんな事を考えていると、悠理の大きな声が響いた。
「何言ってんだよっ!一番に寝ちまいやがったくせに!」
悠理は思い出したように、箸を握り締めながら、魅録を振り向いて睨みつけた。
「初めに皆で乾杯して……シャンパン出しちまったんだけどさ……、あたいたち
バレーチームの一人一人が一言ずつ挨拶した後、魅録たちにバトンタッチしようとしたら、
こいつ、一人でテーブルに突っ伏して寝てやがんの。叩こうが、喚こうが起きないんだぜ。」
「は、はは……。悪かったな。」
魅録はさすがに面目ないらしく、赤くなってひきつりながら、手の平を向けて、
悠理をけん制していた。
「まあまあ、あれだけの試合をしたんだもの。疲れてたんだよね、魅録も。」
美童が同性のよしみで助け舟を出した。
「う……、まあ、それにしても、やっぱ、不甲斐無いけどな。」
魅録は頭をかいた。そして、話題を変えようとしたのか、おもむろに清四郎の方を向いて言った。
「そういや、清四郎。おまえ、いったい何時、何処で、バスケ練習したんだ?
上手くなっててたまげたぜ。正直、あそこまでやるとは思ってなかったからな。」

117Graduation第八話holy night(2):2008/12/02(火) 12:38:13

一瞬、座がシーンとした。微妙な緊張感が部屋に張り詰めた。清四郎は、箸を置いて、
お茶を一口飲むと、微笑みながら魅録を見つめた。
「別に隠していたわけではなかったんですけどね。やるとなったら、やはり勝ちたいですし。
基本的には、バスケの本とDVDを沢山見て研究しました。それから、イメージトレーニングと、
裏庭のゴールを使っての自主練習は毎日かかさず。あとは、魅録たちの練習風景も見て、
傾向と対策を立てたことでしょうかね。」
テーブルの上に乗せた両手を組んで、清四郎は表情一つ変えず、まるで答えを
用意していたかのようにスラスラと問いに答えた。そして、この話はこれでお終い、
とでも言うように、最後の台詞をピシリと言い放った。
「高校生活最後の試合は、やはり勝ちたかったですから。これ位の努力は当然です。」
「うへえ。」
魅録は、「こいつにはかなわない。」というように、肩をすくめた。清四郎は再び箸を取り、
弁当を口に運び始めた。五人は、100%納得したわけではなかったが、かといって、
一応つじつまは合っているし、更なる詮索をしたところで、清四郎がこれ以上
何か話すとも思えず、有閑倶楽部内でのこの話題は一先ずお開きになったのであった。

しかし、一般生徒の間では、憶測が憶測を呼んでいた。皆に与えられた課題の問いは、
『何故、いつも冷静な菊正宗さまが、親友の松竹梅さま相手に、あれほど熱くなられたのか?』
であり、大方の推理は、
『白鹿さまをめぐっての男の戦いでは?』
であった。それは以下の三つの事実を根拠としていた。
「文化祭での息の合った競演をなさった松竹梅さまと白鹿さま。」
「その後、菊正宗さまの目の前で、白鹿さまを松竹梅さまがバイクで連れ去ったことがあった。」
「球技大会当日、バレーボールのコートで倒れた白鹿さまを、松竹梅さまが
お姫様抱っこで保健室に運び、それを菊正宗さまが見ていらした。」
118Graduation第八話holy night(3):2008/12/02(火) 12:39:33

しかし、これが決定打にならなかったのは、
「でも、試合中、白鹿さまは菊正宗さまを応援なさっていましたわ。皆さん、
お聞きになりましたでしょう?」
「それに、松竹梅さまは、試合後、剣菱さまにハチマキを差し上げていらっしゃいましたわ。」
という確固とした事実があったからである。
「では、松竹梅さまは、やはり剣菱さまと…?」
「あれは、同じクラスのよしみ、というものではないですかしら?」

この様に、三年生にとっての高校生活最後の球技大会は、謀らずも聖プレジデント学園中の
生徒達に強い印象を残し、彼等の意識下に長く残るものとなったが、表立っては、
その興奮はそう長くは続かなかった。
なぜなら、進路を左右する期末テストがいよいよ迫って来たからである。

期末テストは、三週間前に範囲と時間割が発表になった。三年生たちは再び勉強一色になり、
生徒会室も無論例外ではなかった。可憐は黒ぶちのメガネを再度かけ始め、
髪はひっつめになり、今回は美童も金髪を一本の長い三つ編みにして気合を入れていた。
ある放課後、皆は生徒会室で各自の勉強に勤しんでおり、野梨子は自分の復習の傍ら、
美童の苦手な古典を見てやっていた。
「では、ここからここまで、現代文に訳してみて下さいな。」
「ううっ。う〜ん……。」
「大丈夫。必要な文法はもう全部教えましたから、落ち着いて考えれば出来る
はずですわ。あせりは禁物ですわよ。」
「ちぇっ、……全く、何でスウェーデン育ちの僕が、もう使われていない日本語なんて
覚えなきゃならないんだよ。現代語が出来れば十分じゃないか。ラテン語の方がまだましだよ……。」
美童が歯ぎしりしながら、頭をかかえて源氏物語の訳に取り組んでいる間に、
野梨子はふっと中休みとして顔を上げた。すると、いつになく真剣な面持ちを
した悠理が、清四郎にぴったり寄り添って、彼が自分の持って来た「マイ黒板」で
数式の説明をするのを、頷きながら聞いていた。

119Graduation第八話holy night(4):2008/12/02(火) 12:41:14

(ふふ……、悠理も、今回は最初から本気ですわね。)
野梨子が微笑ましく二人を眺めた後、つと視線をその先にやると、魅録が窓際で
一人漢文に挑戦しているのが目に入った。襟のホックをはずし、椅子に寄りかかって、
左手で教科書を立て、文を覚え込もうとしているのだろう、眉間にしわを寄せ、
かすかに開いた口元でブツブツ言っている。
「……。」
野梨子の心臓が、魅録を見る度にギュッと締め付けられるようになることは、
今や野梨子の日常の一部になっていた。デパートデート後に自覚した魅録への
ただならぬ想いは、野梨子の恐れていた通り、その後消えることはなく今に至っていた。
想いの火種を消そうと、当初試みたあらゆる抵抗が無駄だと悟った末に、野梨子は、
それを育てようとも、消そうとも思わず、ただなすがままにまかせておくことにしていた。
野梨子の心の中だけで揺らめいている分には、その炎は誰にも迷惑をかけないのだから。
その時、野梨子の持っていた赤ペンがスルリと手から滑り落ちた。

「カタン」
静寂の中、その音は思いの他、よく響いた。魅録が野梨子を見たのと、野梨子が
視線を下に落とすのと、僅かな誤差が生じ、一瞬、二人の目が合った。それは
0.1秒にも満たないわずかな時間だったが、野梨子の耳を赤くさせるのには十分だった。
野梨子は赤ペンをノロノロと拾いながら時間稼ぎをし、わざわざ席を立って美童の横に行き、
魅録たちに背を向けながら、赤ペンで美童のノートを指した。
「そう、ここまで、合っていますわよ。あと半分、頑張って下さいな。」
「簡単に言うなあ、野梨子は……。」
「政経学部に入る為ですわ。」
「ちぇっ。あ〜あ、どうせ源氏物語なら、もっと色っぽい場面を訳させてくれれば
はかどるんだけどな。」
美童が口を尖らせて、再び教科書へ目を戻した時、
「よお、野梨子、今時間空いてんなら、俺の漢文も見てくれよ。」
120Graduation第八話holy night(5):2008/12/02(火) 12:45:12

魅録がガタッと席を立ってこちらへやって来た。野梨子が微動だにせずにいると、
魅録は野梨子の隣にドカッと腰を下ろし、
「ここなんだけどよ。」
と、しかめっ面をしながら顔と教科書を近づけて来た。野梨子が平常心ならば、
その時、美童と可憐がチラッと彼女を見たこと、そして、清四郎と悠理の会話が
ピタリと止まった事に気付いたはずだった。しかし、実際は野梨子は高まる胸の
鼓動を抑えようと必死で、それどころではなかった。が、何とか発した声は、
自分でも褒めてやりたいほど冷静なものであった。
「どちらですの?」
(ちょ、ちょっと声が低すぎましたかしら?)
「ほら、ここ。三行目から……。」
野梨子は魅録から教科書を奪いとると、自分の顔を隠すようにして、子どもの
ように両手で広げて持った。
(ええと……。何行目でしたっけ?ああ、もう、訳が分かりませんわ……。)
意外な所から助け舟が出た。
「そこ、さっきあたしがやった所だから、教えてあげるわ。」
可憐が、野梨子から教科書を取り上げると、にっこり笑って言った。
「おう、可憐、頼むぜ。」
魅録は可憐の隣に席を移った。
「で、では、わたくしはお茶でも入れて来ますわ。」
可憐に感謝しつつ、野梨子はそそくさと給湯室に引っ込んだ。そこで、湯が沸くのを待ちながら、
野梨子はふと、可憐に、このもどかしい気持ちを何もかも話してしまいたいという衝動にかられた。
しかし、可憐は今一番大変な時だ。話すとしても、今ではない。野梨子は深呼吸して、
再び自分の想いを大きく飲み込んだ。

学園中が、今だかつてないピリピリした空気に包まれた中、ついに期末テストは幕を開け、
そして容赦ない決定を下した。
今回は基礎的な問題と応用問題の難度の差が激しく、終わった時、可憐の顔は青ざめていた。
121Graduation第八話holy night(6):2008/12/02(火) 12:46:42

成績発表では、赤点の該当者は出ず、取り合えず三年生全員の大学進学は保証された。
数日後、各生徒に、志望学部の合否を記した個人データが配布された。
ここで第一志望に合格しなかった者たちは、改めて第二志望を提出し最考査してもらう。
それでも駄目なら、第三、第四志望と、本人の希望からはどんどん離れるものの、
落第さえしていなければ、聖プレジデント大のどこかの学部には進めることになっていた。

清四郎は二位以下に大差をつけ、総合成績トップで医学部への進学が決まった。
人知れず物思いの多かった野梨子も、ベストの状態ではなかったとはいえ、
総合4位という成績をキープし、女子のトップかつ文学部のトップとして進学を決めた。
魅録も、倍率が低いのも幸いして余裕で工学部に決まったし、美童も苦手の地理、古典を
何とか攻略して、他者の追い上げを何とかかわし、無事、政経学部におさまった。

悠理は落第は免れたものの、第一志望の国際文化学部へはあと少し届かなかった。
元々その学部に興味の無かった悠理は、とにかく皆と同じ大学へ進めるということで
大喜びしており、内部生に人気のない第二志望の体育学部への進学に満足しきっていたが、
母、百合子はそうではなかった。悠理のレディー教育を諦め切れない百合子は、
直接学園にかけあい、あの悠理がここまで点を伸ばしたのだから、その努力を
認めて欲しいと詰め寄った。学園側も、通常の人間では到底太刀打ち出来ない、
背中に大蛇を背負った百合子のど迫力に加えて、剣菱家には幼稚舎からずっと
相当の援助をして貰っているし、今回の制度改定時にも、自分たちに不利になると
分かっていながらも積極的に支持して貰った、という恩義もあり、また、確かに
悠理の成績の伸びは考慮に値するものであったので、この件に関し、臨時の職員会議を開くに至った。
その結果、国際文化学部等、落ちた人数が数名だった学部のみ、数名の枠を広げ、
冬休みの補習に参加した後、最終日のテストで合格点を取った者全員が第一志望に
入れるという恩赦を設けた。
「えー、まだ勉強すんのかよー!」
しかし、これは悠理にとっては迷惑意外の何物でもなかったのだが。

122Graduation第八話holy night(7):2008/12/02(火) 12:48:19

だが、医学部や政経学部、経営学部等の人気学部は、落ちた人数も多い為、
この恩赦は取られず、残念だった者たちは第二志望以下に進むか、あるいは、
学部に固執する者は、内部進学の権利を放棄して、一般受験をするしかなかった。
女子の場合は、ほとんどが学部変更をしたが、男子の場合は、家業の関係から
一般受験を選ぶ者も僅かながらいた。一般受験とはいえ、少しは下駄をはかせて
貰えるらしいという噂もあった。

果たして、可憐は経営学部には届かなかった。二代目、三代目の多いこの学園では、
経営学部の人気は非常に高く、中間テスト直後はいけると思ったものの、ジュニア達の
家を上げての猛追に、可憐は僅差で敗れたのだった。
可憐の落胆振りは激しく、「一人で考えたい」と言って、ずっと学校を休んでいた。

「まだ、美童にも連絡がありませんの?」
5日目の放課後、生徒会室で野梨子が珈琲を出しながら、美童に尋ねた。珈琲を
入れるのは可憐の方が上手いので、その香りは嫌でも彼女の不在を思い出させた。
「うん……。」
美童はジノリの白いカップを口に運びながら、歯切れ悪く言った。最近、彼が、
らしくもなくイライラしているのを他の四人は皆気付いていた。

ガチャリ。
「可憐!」
久し振りに会った可憐を、皆はもう逃がさないとでも言うように、素早く、
ぐるりとその周囲を取り囲んだ。
「大丈夫か?」
美童が真剣な顔で、可憐の両肩を掴んで顔を覗き込んだ。可憐は、少し痩せたように
見える顔で元気よく笑った。
「大丈夫よ。心配かけてごめん。」
123Graduation第八話holy night(8):2008/12/02(火) 12:49:55

思っていたよりも、明るい声で、皆は一様にホッとした。
美童がそのまま手を離さず、可憐を席に誘うと、野梨子が慌てて、可憐の分の珈琲を入れて戻ってきた。
「可憐のように美味しくは入れられませんでしたけれど……。」
「あったかい……。」
可憐は、ふんわりとアロマの立ち上るほろ苦い漆黒の飲み物を一口飲むと、
キリッと顔を上げて、皆を見た。
「あたし、一般受験することにしたわ。今、手続きをして来たの。」

生徒会室は静まり返った。
美童はもちろん、魅録、野梨子、悠理、そして清四郎までが息を飲んで、言葉を失っていた。
可憐はいったい、何を言っているのだろう?
可憐は早口で先を続けた。
「第二志望の芸術学部にしようかとも散々考えたわ。元々行きたかった学部だし。
でも……、今あたしが求めているのはそこじゃないのよね。」
「で、でも……、一般受験するとなると、内部進学を放棄することになりますわ……。」
ようやく口のきけるようになった野梨子が震える声で言った。
「承知の上よ。」
「一般受験で受かればいいけど……。実際、あと二ヶ月もないんだぜ。」
魅録が、眉根を寄せて、言いたくなさそうに、片手で口をふさぎながら押し殺した低い声を出した。
「分かってる。だから、他の大学も併願するわ。浪人も考えてる。」

「嫌だよ、そんな!」
悠理が席から飛び上がって叫んだ。顔は真っ赤になり、大きく見開いた目はギラギラした光を発している。
「可憐が、可憐が、仲間からいなくなっちゃうなんて、あたい、絶対、嫌だかんな!
あたいたちは皆、聖プレジデント大に行くんだ!そいで、そこでも有閑倶楽部を続けるんだ!
あたいたちは、ずっと一緒だ、そうだろう?」

続く
124名無し草:2008/12/02(火) 18:11:24
>Graduation
お待ちしてました!うーん。こういう展開がきましたか。
ずっと野梨子の想いの行方が気になっていたけど、進学話の方も気になります。
みんな揃って聖プレの大学に進めるといいな。
でも、妥協しない決断は可憐らしいなと思いました。かっこいい
とにかく続きを楽しみにしています。
125名無し草:2008/12/02(火) 18:28:01
>Graduation
私もお待ちしてました。
それぞれに方向が定まってきましたね。
私も、妥協しない可憐姐さんが好きだ。
合格を祈る。
それにしても読んでいると、丁寧な描写のおかげで
はるか昔に置いてきたいろんな感情を思い出して切ないなぁw
126名無し草:2008/12/02(火) 20:53:03
>Graduation
野梨子の気持ちを全くわかってなさそうな魅録がなんか魅録らしいですね。
自分もこのお話を読んでいると純粋だった頃を思い出しますw
可憐の進学がどうなるかも気になります。
127名無し草:2008/12/02(火) 23:19:31
>薄情女
前シリーズのキャミソールの回が懐かしいですw
最近復習に前シリーズを読みかえしてます。
好きなシリーズなので続きを期待してます。

>Graduation
倶楽部内の様子に、進学に悩んだ時期を思い出します。
野梨子の純情さがかわいいです。
可憐の一般受験は応援したいな。
でも刻一刻と卒業が近づいてる気がして寂しいです。
128ゴゼン二ジノウタ0:2008/12/03(水) 02:30:26
長編投下させて下さい。
カプは清野と魅悠で、美→←可の描写もありの予定です。
ホラー要素有りの上に行事の時期がずれていたりします。
お嫌いな方はスルーして下さい。




―――――お前を自由にしたかった。
―――――君を守ってあげたかった。

【ゴゼン二ジノウタ】
129ゴゼン二ジノウタ1:2008/12/03(水) 02:32:34
ことり。小さな白い手が紙袋から一つの缶を取り出す。
生徒会室の簡易なキッチンに白鹿野梨子が立っていた。取り出した極彩色の缶を開けると、そこから優しい香りが漂う。
小さなスプーンで茶葉を掬い、透明の可愛らしい茶器の中へ。
湯沸かし機のお湯を注ぐと、その香はさらに強くなった。
茶器と揃いのカップも出した。ガラス製で、こちらは玩具のような小ささである。
誰かさんなら足りねえよ、と別のカップに注ぎたがるのでしょうねと、彼女は軽く笑みを零した。
しかし今、彼女を待つ彼はそんな無粋は言わないはずだ。
トレイに茶器と二人分のカップ、そして茶器を乗せる台とマッチ。徐々に濃くなる赤茶色を、彼女は香りごと持ち上げた。

テーブルの彼―――菊正宗清四郎は何時ものように、その長い足を組みながら本を読んでいた。
柔らかな午後の光が彼の端正な顔にも淡く陰影をつけていて、野梨子はしばしそれに見とれた。
―――こういう時には、彼女も学園の女生徒の気持ちを理解することができた。
聡明にして文武両道。大病院の息子という肩書きがなくても、なるほど彼は魅力的だ。
普段は幼馴染みとして見慣れ過ぎていて、…その嫌味で高慢な所ばかり目につくのだけれど。

――――素敵よね、菊正宗さま。だけど白鹿さんがいるから…
――――あら、彼は何時も『野梨子とはただの幼馴染み』だっておっしゃってるじゃない。
いつか聞いた噂話が、不意に蘇る。
なぜ?――――痛くもないはずの胸がずきんと痛んだ。
「…野梨子?」
頬杖をついたまま、彼は野梨子を見遣った。野梨子ははっとして、いそいそとトレイをテーブルに置いた。
何時も以上に手際良く台の中のキャンドルに火を着けて、赤茶色の中国茶をカップに注いだ。彼は立ち上ぼる華やかな香りに微笑む。
「ライチ茶ですね」
「えぇ。父さまからのお土産ですの」
どうぞ、と差し出すと無言で礼をして清四郎はカップに口付けた。
茶器を台に置いてから、野梨子もそうする。緩やかな沈黙が訪れた。
優しい香りと光。
小さなカップを持つ大きな手はなんだか可愛らしくて微笑ましい。
こんなとても静かな時間を、野梨子はとても気に入っていた。

130ゴゼン二ジノウタ2:2008/12/03(水) 02:33:51
「「野梨子ぉーっ!!!」」

大声に、ガラス細工の時間はあっと言う間に壊れて消えた。
生徒会室の扉を開けて、入ってきたのは金髪の貴公子と学園のヒーロー…もとい破天荒な財閥令嬢だった。
「どうしましたの、二人して…」
言いかけた野梨子の手を、二人の手ががっちりと掴んだ。
「野梨子、お願い」
「助けてくれよーっ」
※※※
今日は何の日か。………そう。先日のテストの順位発表である。
先頭にはもちろん、菊正宗清四郎の名。
今回も5位以内に入った野梨子や常に理数で高点数を稼ぐ魅録と違い、他3人には緊張の朝である。
学力向上の名の元に、赤点の生徒は教科ごとの補講と追試が行われる。
補講はきっちり一週間で、土日も欠席は許されない。しかも追試に合格しなければまたさらに一週間の補講。
そして追追試にも合格できなければ更に一週間…

そんな無限地獄の中でも、特に怖いのは古文、原由美子の補講であった。
他の教師が追試では問題のレベルを落とす中、彼女は決してそれをしない。
むしろ追試も回ごとに難度を増し、最終的には国語教師も悩むほどの難題になるとの噂だ
(現に去年の可憐のクラスには単位を落とされた生徒が2名いた)。
………故に、生徒は「古文だけは」と勉強をするのだが、………どうやらこの二人。

「…やってしまいましたのね」
「………」
「今回はあの柳鶴くんも赤点回避したそうですよ。まぁ、他が散々だったようですが」
「僕は違う範囲教えられたんだよー!美佐希ちゃんに騙された…」
「騙されるようなことしてるからだろ!」
「ちゃんとやってりゃ補講なんか受けずに済んだんだよ!」
キャンキャンと言い争う姿は仔犬のようで、日本人形はため息をついた。
「それで?私に山でも掛けさせる気ですの」
131ゴゼン二ジノウタ3:2008/12/03(水) 02:34:58
総合トップは清四郎だが、国語…特に古文は野梨子の独壇場だった。事実今回のテストもトップである。
「いや、そうじゃなくて…」
「じゃあ家庭教師?カンニングペーパー?それとも試験問題の持ち出しでして?」
ぽんぽんと、彼女を知らぬ者なら耳を疑う台詞を吐き出す野梨子に向けて、2匹の仔犬はバツが悪そうに言った。
「いや…それも違ってさ…。交換条件、出されたんだよね…」
「交換条件…」
野梨子はさっと青褪め、嫌な予感に後退る。
「ま……さか…」
「うん…多分そのまさか…」
「いやですわっ」
野梨子はぶんぶんと首を振り、半ば叫ぶように言った。
「そんなぁ!お願い!金曜に伶花ちゃんとデートなんだよー!」
「あたいだって土日なんか学校来たくなあーい!」
「絶・対・い・や・で・す!」
「おーねーがーいー!!!」

がちゃ。
そこに扉の開く音。松竹梅魅録が欠伸を噛み殺しながらやって来た。
「遅かったですね。補講のお知らせでも?」
「ねーよ。遅刻したから答案取りに行ってただけ」
魅録はひらひらと持っていた答案をテーブルに落とした。ざっと見ただけでも赤点はなし。
むしろ数学や物理はクラストップぐらいのハイスコアだ。
ピンクの髪のこの男は、意外と真面目で優秀である。
「…で?これはなんの騒ぎだ?」
「さぁね…あぁ、魅録も飲みますか」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ三匹になった子犬を尻目に、魅録もライチ茶を頂くことにした。
「お、うまいな。誰の持ち込みだ?」
132ゴゼン二ジノウタ4:2008/12/03(水) 02:35:53
再び、扉の開く音。
しかしここに5人揃ってるとあらば、残りは一人しかいなかった。
「遅かったな。おい、数学大丈夫だったのか―――…あ」
「ごきげんよう」
そこに居たのは可憐ではなかった。

その女は横幅ならば軽く可憐の2倍はありそうな体格で、黒髪をアシンメトリーにカットしていた。
瞼には真っ青なシャドウが塗られ、反対に唇は血のように赤い。
真っ白に塗りたくった顔に目の周りも黒く囲んでいて、その顔はまるで歌舞伎役者のようですらあった。
ごてごてした真珠のネックレスと金の指輪が威圧感を醸し出している。

一同、沈黙。そう、彼女こそが…
「は、は…原せんせい…」
学園中が恐れる原由美子、その人であった。白のピンヒールでカツカツと、生徒会室に乗り込んで来る。
カツン、と自分たちの背後で足音が止まったのを聞き、赤点二人は抜群のコンビネーションでびくりと跳ねた。
二人の顔の間から不自然に白い顔を出して、赤い唇でニタリと笑った。
「二人とも、説得してくれたかしら………?」
「…ひっ………」
ぎゅっ、と美童と悠理の肩に赤い爪が食い込んだ。
「あのー、い、今、話してた所でー…その、な!」
「うん。そ、そうなんです先生。も、もし野梨子が駄目でも二人で出ようねーって…」
「三人じゃなきゃ意味がないのよ!」
二人の話をぴしゃりとはねのけ、今度は野梨子の手を握った。
肉厚な手のひらが小さく白い手を包み込む。
お願いよ白鹿さん!今演劇部にはあなたが必要なの!」
133ゴゼン二ジノウタ5:2008/12/03(水) 02:36:52
演劇部の顧問が昨年定年退職し、その後釜が原だった事を野梨子は嫌と言うほど知っていた。
去年のシラノを観た原はいたく感動したらしく、特に美童が野梨子に愛を囁くシーンでは絵面の良さに惚れ惚れしたという。
その頃から『来年は是非自分が顧問を!』と張り切りだした原は、事有るごとに野梨子と美童にラブコールを掛けていたのだ。
ファンからの黄色い声を活力とする美童はともかく、野梨子の返事は好ましくなかった。
前回のシラノで酷い目にあったので、もう懲り懲りだったのである。

今年の演劇部には華のある人物が居らず、部員たちもそれを自覚していた。
なんとしても去年の感動をもう一度…いや、それを超えていきたい原にとっては、
学園の憧れである有閑倶楽部の協力が絶対に必要だったのである。

しかしいくら声を掛けても、野梨子は色良い返事をしない。
半ば諦めかけていた所で、今回の補講メンバーの名前を見た時は天の助けだとさえ思ったのだった。
美童グランマニエ、剣菱悠理。
…彼女の中に閃きが走った。
自分は去年と同じキャスト―――つまりは美童と野梨子を使うことばかり考えていたが、それに拘る必要はなかったのだ。
華やかな人物は必ずしも二人でなくても良い。
去年の二人に剣菱悠理が入れば、話題的にも絵面的にもばっちりではないか。

そして、補講を前に憂鬱な顔をした二人にこう持ち掛けたのだ。
「補講…なしにしてあげてもいいわよ。次はちゃんと頑張ってね」
あの原由美子が微笑んでいる!神の気紛れかと、とりあえず飛び上がった二人に原は言った。
「でも条件があるの。いい?」
条件は二つ。野梨子と三人で、今年の演劇に出演すること。そして成功させること。
それを聞いた美童は唸った。去年のことを思い出したのだ。
「うーん…僕らはいいけど…野梨子はなんて言うか…」
「いーや!あいつ絶対断るぞ」
悠理が言い切ると原は不機嫌に眉をひそめた。
「じゃあいいわ。補講を始めましょう。言っておくけど卒業まで休日があるとは思わないでね?」
「…え?でも夏休みや冬休みは…」
「もちろん補講よ。合格するまでね。大丈夫?今回は初っ端から最難関で制限時間は10分だけど」
134ゴゼン二ジノウタ6:2008/12/03(水) 02:37:35
「…ほとんど脅迫でしたわね…」
帰り道、野梨子はどんよりとした空気を纏いながら呟いた。
―――結局、原の迫力と親友二人の説得に、野梨子は負けてしまったのだ。
満面の笑みで生徒会室を去る原の後ろ姿を、きっと忘れることはないだろう。
「返事してしまった以上は仕方ないですね」
平然と言い切る幼馴染みに、野梨子はまたため息をついた。
「…人事ですのね」
少し暗くなった空。風が野梨子の黒髪をさらう。無言の時間は先程ほどは優しくなかった。
―――仕方ないな。
しゅんとしてしまった可愛い幼馴染み。言うつもりはなかった事を彼は口にすることにした。

清四郎は立止まり、それに気付いて野梨子も振り向く。
黒い瞳がかち合った。少女の瞳は不安げに揺れている。
「僕は何があっても野梨子を守る。………それだけですから」
黒い瞳が驚きに開く。そしてそれはゆっくりと微笑みに変わった。
「ありがとう。…頼りにしてますわ」
清四郎は満足そうに目を細め、小さな彼女の背を押した。
「行きましょう」
再び歩き出した少女の瞳に、もう不安の影はなかった。

続く
135名無し草:2008/12/03(水) 05:43:19
>ゴゼンニジノウタ
おお、また新作が!嬉しいです。
いまのところ、ホラーを感じさせる描写は(先生の化粧を除く)ないですが、これから
どう展開していくのか楽しみです。
136名無し草:2008/12/03(水) 09:06:19
>ゴゼン二ジノウタ
なんか、連載多くてすごいうれしい〜。
ホラーはこのスレでも久しぶりですね。
まだ話の内容が読めませんが、楽しみにしています。
長編新連載乙です。
137名無し草:2008/12/03(水) 10:06:29
>ゴゼンニジノウタ
うわぁっ!新連載だ!
ほんと、嬉しいです。
これからどういうふうにホラー展開になっていくのか楽しみです。
あと、原作の野梨子の演劇部客演の話が好きなのでそちらも楽しみです。
138名無し草:2008/12/03(水) 22:07:40
ゴゼンニジノウタ
久々に作品読んでて萌えました。
内容も文章も言葉遣いも素敵です。
139名無し草:2008/12/03(水) 23:16:21
>ゴゼン二ジノウタ
美童も美しいから舞台向きだけど、悠理と野梨子は宝塚の男役と女役って感じで
二人並ぶと絵面が映えそうだなと思ってました。
次もお待ちしてます!
140Graduation:2008/12/04(木) 08:43:13
>>116 今回8レスいただきます。
141Graduation第八話holy night(9):2008/12/04(木) 08:44:58

悠理は可憐の席に回りこむと、切羽詰った表情で激しく可憐を揺さぶった。
「冗談だろう?可憐、冗談だって、言ってくれ!」
可憐の顔が激しく歪んだ。
「そう……、あたしも、何、馬鹿なことやってるんだろうって思うわ。……でも、
あたし、ママの結婚が決まってからずっと、何かこう、目に見えない不思議な
力に引っ張られているような気がするのよ。人生の重要な岐路に立っているというか……。
頭では、第二志望に内部進学した方が良いって分かっているんだけど、心が納得しないっていうの?
あたし、自分の力を試してみたいの。やれるところまで、やってみたいのよ。
今、そうしないと、また他力本願の元の自分に戻ってしまうような気がするの。」
「可憐……。」
可憐の声には、既に結論を出した者の有無を言わさぬ力強さがあり、悠理は
力なくだらりと腕を落とした。再び沈黙が訪れた後、次に口を開いたのは清四郎だった。
「とどのつまり、可憐が一般受験で聖プレジデント学園経営学部に合格すればいいことですよ。
僕たちに協力させてくれるでしょうね、可憐?」
可憐は嫌な仕事が済んでほっとしたように、今度こそ心から明るい声を出した。
「勿論よ。こちらからお願いするわ。」

「可憐。」
その時、今まで黙っていた美童がガタッと席を立ちながら言った。心なしか、
顔が青ざめているように見えた。
「話があるんだ。一緒に帰らないか?」
「え……?いいけど……。」
今来たばかりなのに?という表情で、可憐は他の皆の顔を見回したが、皆は申し合わせた様に黙って頷いた。
「じゃ、お先。」
美童は、鞄を手に取ると、バッと可憐の腕を取って、外へ引っ張るようにして出て行った。
「ちょ、ちょっと、美童、痛いじゃない……。」
「あ、ごめん。」
昇降口で可憐にこう言われ、美童はハッとして、可憐の腕を離した。そして、
校庭に出ながら歩みを緩めると、長い金髪で顔を隠しながら、可憐の顔を見ずに言った。
142Graduation第八話holy night(10):2008/12/04(木) 08:46:22

「どうして……、どうして、僕に相談してくれなかったんだよ。」
「美童?」
美童は、つい最近まで黄金色の衣装を誇らしげに身に纏っていた銀杏の大木に体を預けると、
下を向いて金色の落ち葉を足で踏みしめていたが、その内、ゆっくりと視線を下から上げて可憐を捉えた。
「夏休みから今まで、何でも相談してくれてたじゃないか。僕だって、ずっと
可憐の事、真剣に心配していたんだよ。なのに、こんなに大切な事、相談もしないで決めるなんて酷いよ。」
美童の、いつも晴れやかに輝いている青い瞳には、悲しい様な、情けない様な、
見慣れない表情が浮かんでいた。顔を赤くして、眉尻を下げ、唇を尖らせている美童は、
まるで駄々をこねている子供の様に見えた。
美童と可憐はしばし無言で見詰め合った。最初に視線を外したのは可憐だった。
「いやあね、美童ったら。相談しなかったからって、拗ねてるの?」
そして、後ろで手を組んで、ぴょんと一歩後ずさって、悪戯っぽく笑った。
「ははーん、美童、さてはあたしと離れるのが寂しいんでしょう?あんたもついにあたしの魅力に……。」

「茶化すなよっ!」
北風が吹いて美童の長い金髪をザッと吹き上げ、黄色い葉がヒラヒラと舞い落ちる中、
今や怒りに目を光らせ、青い唇を噛みしめている美童の顔が可憐に晒された。
「可憐は、僕の気持ちなんかどうでもいいんだね。真剣に考えるにも値しないってわけか。
いいよ、勝手に受験して、どこの大学でも行けよ!」
言い放つと、黄金色の蝶が乱舞している様に見える銀杏の並木道を、美童は
金髪を風に好き勝手に煽らせながら、可憐を置いて走リ抜けた。途中、自分の
取り巻きグループを見つけると、走るのを止めて彼女達を回りにはべらせ、
その肩を抱きながら、必要以上に大きな笑い声を上げて校門を出て行った。

143Graduation第八話holy night(11):2008/12/04(木) 08:47:33

「な、何よ。勝手なのはどっちよ。言いたいこと言っちゃって!」
可憐はしばらくの間、髪を逆立て、赤い顔をして校門を睨みつけていたが、
やがてストンと肩を落とすと、かすれた声で呟いた。
「全く、何が世界の恋人よ……。女心も分からないくせに……。あんたに…、
あんたに相談したら、決心が鈍るじゃないの……。そんな事も分からないなんて、
本当に……、本当に馬鹿なんだから……!」
そして、可憐は全ての気力が尽きたかのように、ヘナヘナと大銀杏の根元にしゃがみ込むと、
金色の落ち葉の絨毯に隠れるようにして、両手で顔を覆った。

一方、生徒会室に残っていた四人はそれぞれの考えに浸り、誰一人物を言う者もなかった。
しばらくして、珈琲を飲み終わった魅録がやっと口を開いた。
「俺、もう行くよ。悠理、どうする、乗って行くか?」
「うん。」
二人は、黙ったまま、バイクを置いてある裏庭まで来た。何かを話さなくてはと思いながら、
何を話して良いのか二人共分からなかった。メットをつけ、バイクに跨ると、
魅録は前を向いたまま、低い声で言った。
「今日は飛ばすぜ。いいな。」
「うんっ。」
帰り道、バイクの後部座席で、いつもより大分激しい風を全身に受けながら、
悠理は魅録に回している手にギュッと力を込めた。後、何回、こんな風に魅録のバイクに乗れるのだろう?
可憐は自分から離れて行ってしまうかもしれない。魅録、魅録は……?
144Graduation第八話holy night(12):2008/12/04(木) 08:48:40

超高級住宅地の中でもひときわ目立つ、剣菱邸の巨大な正門のわきで、悠理はバイクから降りた。
12月を過ぎた今、時間は5時半をまわって、既に辺りは暗くなっており、街灯と、
各豪邸の照明だけが明かりの拠り所であった。季節柄、趣向を凝らしたクリスマスの飾りつけが、
高い塀の向こうから所々垣間見られていた。
「じゃあ、また明日。」
魅録が行こうとすると、悠理が制服の上着の裾を掴んだ。

「どうした?」
怪訝な顔をして振り向くと、悠理が目を大きく見開き、ガタガタ震えながら魅録をじっと見つめていた。
「……震えてるのか?」
悠理のただならぬ気配に、魅録は眉を顰め、バイクから降りた。悠理は魅録の
上着の裾から手を離さないまま、地面を向くと、歯をガチカチ鳴らしながら声を絞り出した。
「あたい……あたいは、怖いんだ……。可憐がどっか行っちまうんじゃないかって……。
もう、会えなくなっちまうんじゃないかって……。そんな事、考えちゃいけないって、
分かってるんだけど、でも……。そいで、いつかは、み、皆も、あたいを置いて、
どっかへ行っちまうかもしれないって……。」
「悠理……。」
「魅録。」
悠理は、顔を上げると、涙に濡れた瞳で魅録を見つめた。
「おまえは、傍にいてくれるよな?あたいを置いて、どっかへ行っちまうなんてこと、ないよな?」
心細げな、すがりつく様な、揺れる褐色の悠理の瞳。こんな悠理の瞳を見るのは初めてで、
魅録の胸はかつて無いほどざわついた。
(可憐の話が、よっぽどショックだったんだな。俺だって、そうだけど……。)
魅録は悠理の両腕を両手でしっかりと支え、安心させるように微笑んで言った。

145Graduation第八話holy night(13):2008/12/04(木) 08:49:51

「ああ。俺はどこにも行かねえよ。」
「魅録!」
悠理は魅録に体ごと抱きついた。
「魅録、魅録、本当に……?」
悠理は、今まで凍って止まっていた体中の血が、再び熱くドクドクと流れ出した気がした。
しかし、それは長くは続かなかった。魅録は、悠理を優しく抱きしめると、猫っ毛を撫でながら続けた。
「ああ。俺達は、親友だからな。この先、お互い結婚したって、ガキが出来たって、
俺達の仲は永遠に変わんねーよ。」

これを聞くと、悠理はバッと、弾け飛ぶように魅録から体を離し、首を左右に
振りながら2、3歩後ずさった。
街灯に照らされた悠理の顔は真っ青で、唇には血の気がなかった。
「悠理……?」
魅録が言うよりも早く、悠理は後ろを向くと、物も言わず駆け出した。
「あたいだ!開けろ!」
悠理の声に、警備員が重厚な門を開いた。
ギギィ……。
僅かな隙間から中に飛び来んだ悠理は、後ろも見ず、「閉めろ!」と叫んだ。
「悠理!」
ガッシャー…ン……。
暗闇にそびえ立つ巨大な要塞のような鉄の大門は、慌てて追いかけて来た魅録の目の前で、
悠理を奥に飲み込むや否や、大音響を轟かせ、再び閉じられた。

146Graduation第八話holy night(14):2008/12/04(木) 08:51:22

一方、野梨子と清四郎は、やはり口数少なく、家路を急いでいた。野梨子はいつもの様に
清四郎の意見を聞きたかったが、あまりのショックにそれすらも出来ずにいた。
一般入試は、聖プレジデント大の場合、学部によって難易度にかなり差がある。
下から経営者の子女が多く上がって来る経営学部は、他大学にはない特色があり、
志願者数では医学部を差し置いて一番であり、それ故難易度も飛び切りであった。
入試問題の特色としては、文系の英語はヒアリングと長文読解に癖があり、国語の代わりに
小論文が課せられていることだ。また、センター試験を採用していないのは救いといえよう。
とはいえ、何年もかけて準備して来ている受験生達に比べ、付け焼刃の可憐は常識的に考えてまず無理だ。
可憐の気持ちを理解出来ないわけではない。可憐の選択は彼女の成長の証だ。友人として、その勇気を
褒め称えこそすれ、彼女の選択を無謀だ、馬鹿げている、と非難するつもりは毛頭なかった。
問題は……。

(可憐は、わたくしたちと一緒にいる事よりも、自分の道を選んだのですわ。)
それは、どう繕おうと、紛れもない事実だった。そして、誰がそれをせめられよう?
自分達はもう19歳だ。来年は20歳。正式に大人として認められる年齢なのだ。
大学進学に当たって、仲間よりも自分の将来を最優先するのは当然だ。
(ああ、でも……。)
野梨子は眉を顰め、目を瞑って、何十回目かのため息をついた。心は、鋭い刃物で傷つけられ、
あちこちから血が流れ出しているようだった。
(つい先ほどまで、わたくしたちは、いつまでも、いつまでも6人一緒……と
信じていましたのに。そして、その気持ちは皆同じだと思っていましたのに……。)
それは、自分の子供っぽい願望でしかなかったのか?単に自分が甘かったのか?
これは、単なる始まりでしかなく、皆、いずれは各々の道を行き、離れ離れになり、
有閑倶楽部は高校時代の旧き良き思い出になってしまうのだろうか?

147Graduation第八話holy night(15):2008/12/04(木) 08:52:33

大人になるに連れ、各自の生活の中心は仲間から、職場、そして家庭へと移って行く。
それは、人として正しい営みだ。自分は、有閑倶楽部とそれらは両立できると思っていた
いや、今でもそう思っている。大丈夫、例え可憐が同じ大学に行かなくても、
そんな事は有閑倶楽部には何の影響も与えない。でも、本当に……?
野梨子は体がグラリと揺れるのを感じた。

「野梨子!」
清四郎が野梨子の体を支えた。
「大丈夫ですか?」
野梨子は清四郎を仰ぎ見た。15年間も一緒に通い続けた住宅地の通学路。クリスマスの季節には、
どの家の飾りつけが一番か話し合って帰るのが恒例となっていた。今年も既に、
二人のお気に入りの、ある邸宅の巨大なモミの木に、星のようなイルミネーションが煌き、
そのはるか彼方に本物の星空が見えている。それらを背景に、清四郎の落ち着いた
漆黒の瞳が目に入り、野梨子は安心した。物心ついてからずっと、自分はこの瞳に
見守られながら生きて来たのだ。そう、清四郎は特別だ。清四郎だけは、決して
何処にも行かないはずだ。しかし野梨子は、それを今改めて確認しなければ気がすまなかった。
野梨子は大きな瞳に星を映しながら言った。
「清四郎……、清四郎は、何処かへ行ってしまったり、しませんわよね?」

野梨子は、清四郎が「もちろんです。」と言うのを待っていた。
信じ切って、待っていた。
どうしてこんなに返事が遅いのだろう?
清四郎は微笑みを絶やさなかったが、やっと、彼の口から出た言葉は、しかし
予想に反したものだった。

148Graduation第八話holy night(16):2008/12/04(木) 08:54:03

「そうですね。……最近、思うのですが、野梨子を助けるのは、必ずしも僕で
なくてもいいような気がして……野梨子?」
清四郎は最後まで言えなかった。途中で、野梨子が悲鳴にも似た小さな叫び声を上げたからである。
野梨子は清四郎を、初めて見る人物でもあるかのように、驚愕の目でまじまじと見つめ、
次の瞬間、清四郎の胸を両のこぶしで叩き始めた。

「何故?何故、そんな事を言いますの?清四郎、意地悪ですわっ!」
そしてそのまま清四郎の胸に顔をうずめると、ワァッと泣き出した。
清四郎は忽ち後悔した。野梨子が今欲している答えが何か、分かりすぎる程分かっていたのに。
自分も思っている以上に動揺していたのだろう、このところ絶えず頭の片隅に
ある考えが、この非常時にふと魔が差して、つい口をついて出てしまった。
「すみませんでした。……野梨子が望むなら、僕は決して、何処かへ行ったりはしません。約束します……。」
清四郎は泣きじゃくる野梨子を強く胸に抱きしめた。野梨子は、何かが大きく
変わろうとしている予感に怯え、いつまでも清四郎の胸の中で泣き続けた。

続く
149名無し草:2008/12/04(木) 09:35:49
>Graduation
リアルタイムで読みました。
全員切なかったですが、悠理と清四郎が特に切なかったな。
最近は個人的に野梨子や魅録より、清四郎に一番感情移入して読んでます。
魔が差して、つい口をついて出てしまう気持ちもよく分かります。
可憐の一般入試発言から、六人の関係が動き出しつつありますね。
150名無し草:2008/12/04(木) 12:56:08
>Graduation
それぞれが不安な気持ちでいる様子がよくわかって、切なくなってしまいました。
美童と可憐はすぐ仲直りできるのかな?
続き楽しみにしています。
151ゴゼン二ジノウタ7:2008/12/05(金) 00:35:17
「白鹿さん」
野梨子は週明けの月曜日、四限終わりに呼び止められた。原の手には大きめの封筒。
今回の演劇に有閑倶楽部が三人も出演する事は既に噂として広まっていたので、周りの生徒たちも興味津津で見守っていた。
「中にメモが入っているわ。それに配役なんかが書いてあるから」
野梨子は内心、ついに来たかとげんなりとしたが、顔には出さずに笑顔を作った。

持参の弁当を持ち生徒会室へ向う。
少し遅れた野梨子を除き、そこに全員が揃っていた。
「それでね、伶花ちゃんが『まだ帰りたくない…』って言うんだよ。それで僕はさぁ…」
金曜のデートは大成功だったらしい。美童はとても機嫌良く見えた。
悠理はその隣にいながら、聞きもせず次々とファンからの弁当を平らげてゆく。
ちらりと見えたメッセージカードには、可愛らしい字で『演劇楽しみにしています。頑張って下さいね』とあった。
そんな2人の向かいから、野梨子は分厚い封筒を差し出した。

「…原先生からですわ」
「…う」
悠理の箸が落ち、美童は話を止めた。封筒を中には、古めかしい台本と二つ折りになった便箋が入っていた。
「随分年季入ってんだな。………『桜の下に眠る鬼』」
魅録が台本を手に取り、言った。
可憐は悠理が落としたままの箸を拾いあげて渡そうとした。しかし悠理の表情は固まって、魅録の手元を凝視している。
「………悠理?」
台本は魅録から清四郎に渡り、野梨子が便箋を広げて読んだ。

『台本を決定しました。今日から早速練習に入りたいと思います。
きちんとした台本はそのときに渡します。詳しいこともそこで。
配役は、
綾白(あやしろ)…白鹿野梨子
月闇(つくやみ)…剣菱悠理
朝波(あさなみ)…美童グランマニエ
三時半、演劇部部室へ
原』
152ゴゼン二ジノウタ8:2008/12/05(金) 00:36:52
「変わった名前だな」
「性別も解らないね」
「どこのお話?日本?中国」
聖プレジデントの演劇は、去年のシラノのような古典的で有名な物語が使われることがほとんどだ。
聞いたこともないような話が使われるのはとても稀である。
「見た限りでは和風ファンタジーという雰囲気ですが…それより悠理、月闇は多分男役ですよ」

ぱらぱらと台本をめくっていた清四郎が言うと、美童が笑った。
「男役?悠理、また女の子のファンが増えるね」
「…………」
「男装ね…声援が凄そ。食べ物の差し入れも増えるわよきっと」
「…………」
「ま、お前の嫌いなひらひらしたドレス着せられるより良かったんじゃねぇか?…………悠理?」
悠理は固まったままだったが、呼び掛けられてはっとして頷いた。
「う、…うん。そうだな、良かったかも」
「まぁ、詳しいことは放課後に説明があるようですし」
清四郎は台本を閉じ、テーブルの上に無造作に置いた。
演じる側はやはり気になるのか、野梨子がそれを手にとって、美童と一緒に覗き込む。

「あんたはいいの?役者でしょ」
可憐が言うが、悠理は決してそれに近付こうとはしなかった。
153ゴゼン二ジノウタ9:2008/12/05(金) 00:37:23
帰りのHRが済むと、教室の人数は瞬く間に減って、ついに悠理と魅録だけになった。
三時半まで15分。悠理は自分の席で突っ伏したままだ。
―――寝てんのか?
もうすぐ初練習なのに呑気なもんだな。
開け放された窓からは気持ち良く晴れた空が見える。
「悠理」
魅録は横の机に腰掛け、悠理に声を掛けてみた。
「練習あるんだろ?起きろよ」
「………………」
「……悠理」
悠理の席は窓際の、前から三番目である。
べったりと上体を机に預け、顔を窓の方に向けていた。
―――完全に寝てやがる。
そう思った魅録が悠理の肩を揺すろうとした時、彼女が小さく何かを言った。
「…………ない」
小さくて覇気のない声だった。
「何?」
聞き返すと、今度はきちんと内容も聞こえた。
「……行きたくない……」
…はぁ。
魅録は呆れてため息をついた。
「おいおい。補講なしになったんだろ?野梨子まで巻込んだんだから、面倒臭がらないで行けよ」
「………そういうことじゃなくて」
「………体調でも悪いのか?」
…そういえば昼から元気がなかった事を思い出し、魅録は声のトーンを落とした。
「…違う」
「じゃあどうしたんだよ。俺には言いにくいことか?」
「そうじゃない…けど…」
悠理はゆっくりと顔を上げ、不安そうに魅録を見上げた。
そして頼りなく目を伏せ、小さな声で魅録に言った。
154ゴゼン二ジノウタ10:2008/12/05(金) 00:38:08
「信じてくれるかわかんない…つーか、自分でもよくわかんないし…」
「なんだよ。言ってみ?」
「…………」
また黙り込み、伏せた瞼の下で瞳が迷っていた。自分の中で言葉を探し、それでも伝え切れない何かに苛立っているようだった。
魅録は急かさず黙って悠理を待つ。そして、ついに悠理も魅録を見据えた。

「……嫌な予感がするんだ。なんか、よく解らないけどあの台本…ヤバいと思う」
「………」
根拠は無く、信憑性がないのは悠理も承知の上だった。いや、信じて貰えてもどうしようもない。
魅録は顎に手を当て、暫く考え込んでいた。
それを見て、悠理はやはり言うべきではなかったと思い知った。
「ごめん。あたい行くわ。………忘れて」
困らせてしまった。
申し訳なく思いながら鞄を持ち、教室を出ようと立ち上がった。
嫌な予感で胸が重い。―――大丈夫だろうか。
「悠理」
背後からの声に振り向くと、魅録が机に腰掛けたままこちらを見ていた。
「俺にはよくわかんねぇけどさ…頑張れよ。今日ならまだ台本も変えられるかもしれねぇし」
ポケットに手を入れ、バイクのキーを取り出した。
「今日待ってるよ。終わったら生徒会室な。気晴らしにバイクで送ってやる」
根拠のない話を笑い飛ばしもせず、安易にわかるよ、と同意もせずに―――ただ、理解しようと
心配してくれる魅録が悠理はとても嬉しかった。
―――今日は遠回りして、思いっきり飛ばしてもらおう。
そう思うと、悠理の胸は少し軽くなったのだった。
「さんきゅ。……じゃ、行ってくるわ」

気がつけば半まであと三分だった。走り出す悠理の背中を、魅録が真剣な顔で見送っていた。
155ゴゼン二ジノウタ11:2008/12/05(金) 00:40:08
悠理が部室に到着したのは時間丁度だった。もう部員も揃っていて、空席は美童の隣だけである。
席に着くと、野梨子がまっさらの台本を渡してくれた。
「………あれ」
綺麗に印刷された台本からは、少しも嫌な感じはしなかった。
試しにページを捲っても何も変わらない。
「どうかしまして?」
「ん?…いや、なんでもない」
野梨子の問い掛けは適当に誤魔化した。
(気のせいだったのか?でも、さっきは確かに………。あの台本だけが不吉だったのか?…なんだ)
悠理はほっとして席につくと、初めて内容を目で追った。
―――げ。漢字が多い。

「すごいよ。僕たち三人の台詞、オリジナルと違う」
読めない漢字にチェックを入れていると、美童が横から台本を見せてきた。
「いや、さっきの見てないからわかんないけど」
「言葉遣いが違いますのよ。きっと原先生が変えて下さったのね」
「僕たちの普段の言葉に近くしてあるよ。演じやすくなったね、悠理」
「自然体の乱暴な言葉遣いで平気らしいですわ」
「…お前らなぁ…」
言いながら、悪戯な笑みを見せるシラノペアに悠理の緊張は溶かされていった。


しばらくの後に原由美子が入ってきた。今全員が持っているのと同じ台本を抱えている。
四角く組まれた机の上座に席を取ると、ホワイトボードにペンを走らせた。
『桜の下で眠る鬼』

「始めましょう」
真っ赤な唇がにっこりと微笑んで、第一回のミーティングが始まった。
156ゴゼン二ジノウタ11:2008/12/05(金) 00:42:35
「今回の演目は『桜の下で眠る鬼』。皆さんもう、内容は頭に入ってますね。…品川くん」
原が一人の男子生徒を指名すると、彼は張り切って立ち上がった。
「はいっ!『桜の下で眠る鬼』は幸せとは何かを問い掛ける、切なくて深い物語です」
品川がつらつらと、何かを読み上げるようにあらすじを語りだすのを聞いて、
悠理はぼんやりとこいつ、顔は良くないけど役者向きの良く通る声だと思った。

あらすじはこうだ。
その昔、ある家の娘に災いの象徴、鬼の化身とされる紅い髪の子―綾白が生まれた。
両親はそれを周囲に隠し、城の一室に閉じ込めて育てる。綾白は美しく成長したが、その髪はどんどん紅く、そして頭からは二本の角まで生え始めた。
実の両親にさえ気味悪がられ、孤立する彼女を側近の朝波は誰よりも大切に思っていた。
そんな十七年目の春、鬼の里の若頭である月闇が綾白を見初める。月闇は城に閉じ込められた綾白を不憫に思い、自分が外の世界に連れ出してやろうとする。
両親はむしろそれを喜びさえしたが、朝波は異形の彼女を外に出せば、
人々の奇異の目や差別…不幸は避けられないと連れ戻す。
自由が幸福か、安全が幸福か―…

台本をきちんと読んでいない悠理は、内容をふんふんと聞いていた。
―――つまりあたいと美童で野梨子を取り合うわけだな。
語り尽くして満足そうな品川少年を着席させ、原は生徒たちに向けてはっきりと言い放つ。
「いい?今回重視するのは面倒な時代考証や正しい言葉遣いじゃない。
これはファンタジー。優先するのは舞台や絵面の美しさ!見た事がない、うっとりするような舞台を目指すわよ!」
「はい!」
部員たちが声を揃えた。全員目がきらきらとしている。
「照明も小道具大道具、その他裏方も厳しく行くわよ。覚悟してなさい」
「はい!」
そしてその目は三人に向いた。
「あなたたちも。忙しいとは思うけど宜しくね。みんなの努力が実を結ぶかは、あなたたちにかかってる」

※※※
―――怖いのか?大丈夫。広い世界がお前を待ってる。
―――怖いのでしょう?大丈夫。僕が世界から君を守る。

続く
157ゴゼン二ジノウタ:2008/12/05(金) 00:44:57
前回へのリンクを忘れてしまいました。>>128-134です。
また、11が被ってしまいました。最後の通し番号は12です。
重ね重ね申し訳ありません。
158名無し草:2008/12/05(金) 09:23:44
>ゴゼンニジノウタ
悠理と魅録の絶対的な信頼関係に萌えました。
舞台のあらすじもとても面白くて演じてる三人の姿を思い浮かべました。
続きが楽しみです。
159インテリ鉄砲玉:2008/12/05(金) 21:06:26
小ネタですが投下させてください。
短編で、7レスお借りします。

・魅録と裕也の友情(?)ものです
・恋愛要素、CP要素はありません
・原作にない妄想設定がありますので、苦手な方はスルーお願いします

山もオチも意味もありませんが、暇つぶしにでもなればと思います。
160インテリ鉄砲玉 1/7:2008/12/05(金) 21:07:09

「おい、大丈夫かよ。ったく、だから女関係はほどほどにしろって言ってるだろ」
「くそっ、おまえに言われたくないぞ」

典型的な痴情のもつれだ。
しかし、刈穂裕也は女好きではあるが、周囲に思われているほどの節操なしではない。


今回だって、誘いをかけたのは相手の女の方だった。
もちろん、男がいるだなんて聞いていなかった。
――当然、待ち受けていたのは修羅場だ。
しかも、男というのがたちが悪く、見るからに堅気ではありえないような風体のやくざ者だった。

やばいと思ったのか、女の行動は早かった。
何がって、変わり身が。
あっけにとられている裕也の方を思いっきり、殴ったのだ。
それもグーで。
銀細工の指輪が結構なダメージになった。
……そんな修羅場から、大きな怪我もなく帰って来られただけで十分運がいいと言えるだろう。
161インテリ鉄砲玉 2/7:2008/12/05(金) 21:07:46
しかしながら、いいパンチをもらってふらふらしながら走っている裕也を捕まえたのがいつもの仲間だった。
そのうちのひとり(皮肉なことに、女だ)は、きゃあと悲鳴をあげて松竹梅魅録を呼んだ。
そして彼に連れられて、今に至る。

「……それで、どこ行くんだよ」

半ば引きずられながら裕也は尋ねた。
不覚にも、女のパンチで口の中を切って痛い。
あまりに意外すぎて歯を食いしばる暇さえなかったのだ。

「ああ、……まあ、うちが一番近いんだけどな」

奥歯に物が挟まったような口調の彼に、裕也は当然浮かび上がる疑問を口にした。

「親がいるとか?」
「いや。親父もお袋も仕事だ。気にするな」

魅録の口調には、親を疎ましく思うような響きは込められていなかった。
暴走族の頭をやっているような不良少年は、大抵、親との確執を抱えているものだが。
裕也自身もそんな感じだ。
意外ではあったが、特に追及はしなかった。
なにせ口の中が痛い。


「おい、くそっ、重いぞ。しっかり歩けよな」

口で文句を言いつつも、ぼろぼろの裕也を見捨てず引っ張っていってくれる魅録は、しごくいい奴だった。
162インテリ鉄砲玉 3/7:2008/12/05(金) 21:08:36
「……おい、何ぼんやりしてるんだよ」
「何って……」

そうつぶやいた裕也は、結局再び黙ってしまった。
自分の目が信じられない。

立派な一軒家、とかそういうレベルじゃない。
隣家が恐ろしく遠い、大邸宅だ。
門を見るだけでその高級さがわかる。
不良少年にまったく似つかわしくない場所なのだが、魅録は平然としているし、
表札には「松竹梅」と達筆な字で書かれていた。

「急げよ。親父もお袋もいないはずだが、見つかったら面倒だ」

そう言って、魅録はさっと門をくぐりぬける。
当然、その勢いで引っ張られて痛い。
抵抗もできやしない。
庭にいた大柄なコリー犬をなだめるように軽くなで、迷わず魅録は邸宅内を進む。
そのよどみない足は、彼がこの家に慣れている証だった。
これまた立派な玄関で靴を脱いで、一階の一室へと裕也を招いた。
その部屋を見れば、なるほど、魅録の部屋だった。
見るからに高そうな機材、車やバイクの雑誌、最新の電化製品。
思いのほか片づいている。
椅子に裕也を座らせて、救急箱を取りに立ちあがった魅録の背中に問いかける。

「まさか、おまえも松竹梅財閥のご令息なんていうんじゃないだろうな」
163インテリ鉄砲玉 4/7:2008/12/05(金) 21:09:20
裕也の脳裏に浮かぶのは、天下の剣菱財閥の末娘、剣菱悠理である。
魅録や裕也ともよくつるむ彼女は、男装の麗人という言葉がぴったりの少女だったが、
いかんせん品位や落ち着きとは無縁のじゃじゃ馬娘だった。
男のような口調でしゃべり、乱闘ともなれば真っ先に首を突っこみたがる彼女が剣菱財閥令嬢であると知らされても、
到底信じることができなかった。

「まさか! 変なこと言うなよ。ただ、親父……いや、お袋が元華族の娘なだけだ」

裕也のような人間にとって、「かぞく」と聞かされて思い浮かぶのは家の族だ。
数秒経って、ようやく別の漢字を思いつく。

「華族って、華の族か?」
「ああ」
「……世が世なら宮様ってか」
「馬鹿なこと言うなよ。そんな大層な血が入ってるように見えるか?」

心底嫌そうに眉をひそめた魅録は、手慣れた様子で救急箱から消毒薬やガーゼを取り出した。
事実、他人の手当てには慣れているのだろう。

そういえば、と今さらのように裕也は思った。
確かに、魅録は暴走族の頭などをやっている不良少年ではあるが、どうにも得体の知れないところがある。
164インテリ鉄砲玉 5/7:2008/12/05(金) 21:10:18
魅録はさほど着飾ることにこだわりはないようだったが、
高校生のバイト代では手が出ないようなバイクや機械や時計を所持している。
そんな疑問を裕也が口にしたとき、頭の軽い女は、
「魅録さんにだったら、あたしだっていくらでも貢いじゃうよお」などと言っていたが、
結局その金の出所は謎だった。
魅録は女に金を出させることはないのだ。

大胆で度胸があるのは確かだが、ひとつひとつの所作は不思議ときれいだ。
外国人が集まるクラブで、平然と異国出身の男とコミュニケーションを取っていたこともあった。
ボディランゲージもなしで、だ。
酒が入っていればコミュニケーションなんかどうとでもなると魅録は言っていたが、
今となっては彼が外国語を話していたと考える方が自然な気がした。

悠理が大財閥の娘だと知ったときは確かに驚いた。
しかし、悠理の本質は裕也や、大多数の仲間たちとよく似ていた。
喧嘩が好きで、楽しいことが好きで、馬鹿騒ぎも好きで、
難しいことや堅苦しいことが苦手などこにでもいるじゃじゃ馬だ。
しかし裕也は、ふたつ年下の松竹梅魅録という人間の底を推しはかることができずにいた。
典型的な暴走族の頭でありながら、妙に知的で育ちの良さが垣間見えるところなどを、
不思議に思いつつも今まで追求することはなかった。

――まさか、ここまで良家の息子だと思っていたわけではなかったが。
165インテリ鉄砲玉 6/7:2008/12/05(金) 21:11:21
「……おまえ、いずれ組でも結成すれば?」
「はあ?」
「いい組長になると思うぜ」

最近のやくざの幹部はインテリが多い。
アウトローにも学歴と学力が必要な時代なのだ。
裕也のような多少腕が立つだけのチンピラでは、せいぜい鉄砲玉がいいところだ。
魅録ならば、さぞ立派なインテリ幹部になるだろう。

そんな裕也の内心を知らず、魅録は笑う。

「ばかなこと言ってるなよ。お袋に殺される」
「おまえが?」
「……言っとくがな、あれは俺なんかよりずっと強いぜ」

言いながら、魅録は器用に裕也の腕に包帯を巻きつけた。
166インテリ鉄砲玉 7/7:2008/12/05(金) 21:12:07



――しばらくして、悠理から「魅録の父親が警視総監だ」と聞かされたときは、本当に倒れるかと思った。
裕也は、怖いもの知らずではあるが、不良少年たちの例にもれず警察とのご縁だけは勘弁してほしかったのだ。
そう思えば、あのとき魅録は「母親が元華族だ」とごまかすしかなかったのだろうし、
やくざの幹部になどなれるわけがない。
警視総監の家に上がりこんでいたなど、今思い返してもぞっとする。
一体、どこまで底が知れない男なのか。



そして、その数年後、魅録の父親である警視総監に世話になることになろうなどとは、
当然このときの裕也には知る由もなかった。
167名無し草:2008/12/05(金) 21:34:51
>インテリ鉄砲玉
裕也と魅録の話って新鮮でおもしろかったです。
GJでした!

168名無し草:2008/12/05(金) 22:02:48
>ゴゼンニジノウタ
3人の舞台が楽しみだなあ。
台本もよく考えられてるし。
最後の意味深な台詞が気になります。

>インテリ鉄砲玉
魅録と悠也の関係いいですよね。
原作の書かれてない話を読んでるみたいでした。
題名が好きでした。
169名無し草:2008/12/06(土) 09:42:43
>インテリ鉄砲玉
魅録カコイイ!!
自分もタイトルと、文章に漂う独特の間合いというか静けさが好きです。
原作の松竹梅邸が浮かびました。
170名無し草:2008/12/06(土) 13:06:19
>ゴゼンニジノウタ
面白いです!文章がうまくてすごく読みやすい〜。
魅録と悠理の関係が好きですvvv
続き楽しみにしてます!!

>インテリ鉄砲玉
この2人、カッコイイです!
いい組長になるといわれて、おふくろに殺されると言った魅録が
かわいい。
171名無し草:2008/12/07(日) 22:12:40
ほしゅ
>>110

【act.3】高校二年生・秋


 あの時期、今まさに堤防が決壊するかという瀬戸際にいたことを、
のちに僕は知る。
 だが全てが無自覚でいたわけではなかった。
 僕は半ば意図的に、その事実から目を逸らしていただけなのだ。


                       ※


 下駄箱を開けた瞬間、幼馴染は小さく吐息をついた。
 その姿を見て、僕はすぐそこに何があったのか察しをつけた。
 毎度お決まりの光景である。
 世間知らずなお坊ちゃまたちによる純情の賜物――ラブレターがそこ
にあったのだろう。
 もともと異性に人気があった野梨子だが、中学三年生の頃に今の仲間
たちと出会ってからというもの、ファンを増やし続けている。
 生来の輝きを覆いつくしていた内向さが影を潜めたからであろう。

「懲りませんこと」
 そう呟いた野梨子は、無感動な手つきで下駄箱の中にあった数通の
封筒を掴んだ。
(相変わらず情のないことだ)
 とはいえ人のことを言える身ではない僕は、結局、そのままゴミ箱へ
葬り去られるのを黙って見ていた。
 しかし文句は言わないものの、自然と苦笑は浮かんでいたのだろう。
 野梨子は少しだけバツの悪い顔をしていた。
 僕は苦笑を納めると、自分の下駄箱を開けた。
 一通の封筒。

 一瞬、手が止まりそうになるのを意思の力で無理やり動かし、
僕はさりげなくその封筒を制服のポケットへ仕舞い込んだ。
 何も、隠す必要などない。
 野梨子は人の恋路を吹聴してまわるような人間ではないのだ。
 しかしどういう感情に根ざした行為であるか自分でも不可解ながら、
幼い頃から僕は一貫して、自身へ向けられる色恋がらみの事象を野梨子
の目から隠し続けている。


                       ※


 放課後、僕は手紙に指定された校舎裏の桜の木の下にいた。
 目の前に立つ女生徒から意識を外した僕は、涼しい秋の風が褪せ
始めた木の葉をカサカサと鳴らせる音を、ぼんやりと聞いていた。

「……だからね、菊正宗君。私と付き合って」
 長口上がようやく終わりを告げたらしい。
 僕はすっと視線を年上の彼女へと戻すと、なるべく誠実に見える
だろう口調を計算しながら、答えた。
「申し訳ありませんが」
 お決まりの告白劇に、お決まりの断り文句。
 更には、追いすがるような切り替えしの台詞すら、予想の範囲内で
あった。
「やっぱり白鹿さんなの?」
 ――やはり陳腐、かつ退屈極まりない。
「野梨子は関係ありませんよ」
 むろん愛の告白などにオリジナリティが必要だと言うつもりは毛頭
ないが、これまで幾度と無く繰り返されてきた茶番である。
 ただひとつだけ、心を揺らせることがあるとすれば、それは目の前の
女性に対して、中学時代の短い期間、かすかな憧れを僕が寄せていたと
いう事実である。
 ――凛と前を見ていた瞳、まっすぐに伸びた背筋。
 あのとき彼女は、ただひとり孤高に存在していた。
「じゃあどうして?」
 僕の思い出の中だけにあるその姿は、甘えた口調でそんなことを聞いて
くる彼女とは重ならない。
 かつての僕が彼女の本質を見誤っていたのか、それとも少女時代という
過渡期をこえて彼女自身が変わってしまったのか、それは分からない。
 ただひとつ確実なのは、今の彼女に僕がなんの興味ももてない、ただ
それだけだった。
「どうしてと言われましても」
 心底どうでもいいと思った心のうちがそのまま出てしまったのだろう。
 僕の言葉に、先輩は悔しそうに唇をかみ締めた。
「――噂は本当なの?」
「噂?」
「教えて、菊正宗君。――あなたにとって、愛ってなあに?」
 くだらない質問に僕は哂った。
「愛も憎しみも、感情のすべからくは脳内から分泌されるホルモン産物
に過ぎませんよ」

 そう言った瞬間、先輩は強張った表情のまま、無理やり口元を笑みの
形に刻み、言った。
「噂どおりの冷血人間ね……最低!」


                       ※
 翌日の放課後、いつものように僕は野梨子と肩を並べて下校して
いると、悪戯っぽく野梨子が聞いてきた。
「聞きましてよ、清四郎」
 人気の無い場所での会話だったにも関わらず、昨日のことはすでに
野梨子の耳に届いていた。
 おそらく先輩の友人の中に口が軽い人間がいたのだろう。
「まいりましたね。野梨子もお説教ですか?」
 僕はポーズだけでなく、存外本気で肩をすくめた。
 今日は散々、高嶺の花とされる先輩の告白を断ったことで、人に絡まれ
たのだ。
 これまで誰に告白されても表沙汰にならないよう穏便に断ってきたと
いうのに、昨日は失敗した。
 思った以上に僕は先輩に対して失望していたのだろう。
「お説教だなんて。でもよろしかったの? 清四郎はあの方みたいな女性
がお好きだったんじゃありませんか」
(気づいていたのか)
 僕は野梨子の台詞に少し驚いたが、ポーカーフェイスを保ったまま、
否定した。
「そんなことありませんよ」
「本当に?」
「ええ」
 やけに野梨子がこだわるところを見ると、そんなに僕の気持ちはあから
さまだったのだろうか。しかし先輩への感情は恋といえるほどのものでは
なく、単なる机上の理想に過ぎなかった。
 居心地の悪くなった僕は、話題をそらせることにした。
「それよりも野梨子、今週の土曜日は開いてますか」
「夕方からであれば」
「N響の定期演奏会のチケットが手に入りましてね」
「まあ!」
 頬を染めた野梨子と音楽談義に花を咲かせながら、しかし僕は別の
ことを考えていた。
『――清四郎ちゃん、あのね』


 僕は彼女と談笑を続けながら、その横顔を盗み見た。
 歩くリズムに合わせ、つややかな黒髪がはらはらと揺れる。
 黒真珠のような大きな瞳は穏やかだが、その裡に孕む苛烈さを僕は
知っていた。
 どこまでも女性的でありながら、実のところ、彼女は誰の手にも拠らず
ひとりで立っている。

 中学時代の野梨子は硬い殻に篭っており、どこか僕には物足りなかった。
 だがあのころの僕が持っていた理想にいま一番近いのは、間違いなく
野梨子だ。
 先輩が変わったように、野梨子も変わったのか。
(いや、違う)
 僕は幼いころの野梨子を思い出し、内心でそれを否定した。
 これが野梨子本来の姿なのだ。
 中学時代の彼女は、一時的に元来の性質を引っ込めていたに過ぎない。
 そしてその姿を取り戻させたのはこの僕ではない。


         『清四郎ちゃん、あのね。約束して――』


                       ※


 僕たちがただの幼馴染、ただの親友と言えたのは、きっとこの時期が
最後だろう。
 ――決壊する日はすぐそこまで来ている。

                           act.4へ
177名無し草:2008/12/08(月) 09:07:36
>薄情女
「愛ってなあに」ってこの先輩が言った言葉なのかあ!
誰が言った言葉なのか分からず、気になってました。
謎が解けてうれしい!w
この話の楽しさの1つは、曖昧だった謎が解ける事だと思いました。
所所に挿入されてる野梨子との約束がなになのか、こっちも凄く気になります。
178名無し草:2008/12/08(月) 11:48:29
>薄情女
自分も「愛ってなあに」の言葉が清四郎の憧れの先輩の言葉だったことに驚きました。
朴念仁だとばかり思っていた清四郎の本音がわかっておもしろい!
続き楽しみに待ってます。
179名無し草:2008/12/08(月) 20:18:06
>薄情女
器用にみえて不器用な清四郎に萌えます。
それにしても、清四郎にも憧れの女性がいたんですねぇ。
孤高だったときの憧れてた先輩と、今の野梨子は似てるのかな。
180名無し草:2008/12/09(火) 00:40:23
>薄情女
お待ちしてました。
不感症男もよかったけど、薄情女はかなり好みです。
不感症男では朴念仁とばかり言われてたから、清四郎視点が余計に面白いです。
181Graduation:2008/12/09(火) 09:23:39
>>141 今回6レスいただきます。
182Graduation第八話holy night(17):2008/12/09(火) 09:28:26

期末テスト後、学園は、ほとんどの生徒の進路が決まり、再び華やかな雰囲気に包まれていた。
冬休みも近づき、クリスマスや年末年始の話にあちらこちらで花が咲いていた。
しかし、可憐を含め、数名の一般入試受験者達にとっては、辛い日々が始まった。
生徒会室の雰囲気は一変した。最初のショックが収まると、皆は可憐の受験勉強の
バックアップにすぐさま取り掛かった。悠理の方は、冬休みの補習が始まってから、
清四郎が集中的に見てやることになっていた。
明るい話題としては、清四郎と野梨子が掴んだ情報として、学園側が、一般入試を
選んだ生徒達に非常に同情的だということだった。

「ですから、一般入試といえども、内部生には、ある程度の下駄を履かせて
もらえるのではないかという考えにはかなりの信憑性があります。駄目押しに、
可憐は足しげく職員室に足を運び、積極的な質問などして、懸命な姿を教師たちに
アピールするのもあながち無駄ではないでしょう。あ、その際は、ひっつめ、
黒ぶちメガネでお願いします。メイクで目の下にくまなど作っても可です。」

「ところで、英会話を美童に習っていたのはラッキーでした。ヒアリング力が大分上がっていますから、
英語はここでかせぎましょう。最大の弱みは圧倒的な単語力不足ですが、過去
20年の過去問を全部洗い出して、出題件数の多い単語と文法のリストを作りました。
最低、これだけは覚えて下さい。美童は引き続き、ヒアリングの強化と英語全般をお願いします。
社会の選択科目の経済は、これも過去問リストを作りましたので、最低これを
覚える事と、経済関係の時事を抑える事です。幅広い時事は小論文対策にも必要ですから、
これらは魅録にお願いしましょう。また、小論文は、大体一定のサイクルで
同一のテーマが繰り返されていますから、ある程度のやまをはることにします。
文章の指導は僕でも良いのですが、女性の書く文章ですから、ここは野梨子の
力を借りたいと思います。後は、とにかく書くことです。まず、短い文章から
始めて……云々……。」
183Graduation第八話holy night(18):2008/12/09(火) 09:30:07

可憐が一般受験をすると宣言した日から、6人の間にはそれまでとは異質の空気が漂っており、
それは、通常であれば、ごく鈍い者でもそれと察せられる程のものであったにも拘らず、
6人が何とかバランスを取りながら日々を過ごすことが出来ていたのは、「何が何でも
可憐を一般受験で合格させる」という、目の前の共通の目標があったからで、
すなわち、それ以外の事を話す必要がなかったからであった。
野梨子にとってその状況はとても有難く、朝夕の通学時の清四郎との会話は、
受験に関するものばかりであった。その話題がなければ、野梨子は清四郎と
どう向き合えば良いのか、途方に暮れていたであろう。

(最近、思うのですが、野梨子を助けるのは、必ずしも僕でなくてもいいような気がして……。)
このセリフが何度頭の中をリフレインしたことであろう。あの日から野梨子は、
自分と清四郎の関係について自問自答を繰り返していた。
父親以外に好きな男性は、と聞かれたら、自分は間髪いれず「清四郎」と答えるだろう。
清四郎は自分にとって特別な男性だ。何しろ、零歳からの付き合いなのだ。
兄妹のような関係?それとも自分を守ってくれる保護者のような存在?けれど、
兄妹や保護者ならお互いに好きな相手が出来て、そして結婚しても、その絆は続く。
その点、幼馴染というものは、どうなのだろう?野梨子は清四郎のいない人生は
想像できなかった。隣にいるのが当たり前の存在、それが清四郎……。

刈穂裕也との恋はあまりに短くて、それが自分と清四郎の関係にどういう影響を
与えるのか考える必要さえなかった。清四郎と悠理の婚約騒動の時は、一体全体
なぜ清四郎がそんな事を考えられるのか皆目検討がつかなかったが、今なら、
子供っぽい野心から生まれたでき心と理解出来なくもない。
結局上手くいかなかったのは、神のご意思によるものであろう。

184Graduation第八話holy night(19):2008/12/09(火) 09:32:01

清四郎はどういうつもりであんな事を言ったのだろう?
野梨子は散々頭を悩ました結果、ある恐ろしい考えに行き当たった。
(清四郎は……、わたくしの、魅録に対する気持ちに気が付いている……?)
野梨子は、球技大会の日、保健室で清四郎が発した言葉を思い出した。
(僕が、……僕が助けてやれなくて、すみませんでした。)
あれは、脳震盪を起こした自分を魅録が抱きかかえて保健室へ運び込んだ後だった。
あの時、自分は、清四郎が何故そんなに苦しげな表情をしているのか不思議だったものだ。
そしてその後の、不可解な程の、清四郎の魅録への対抗意識の表れた、バスケの決勝。
清四郎は、自分の魅録への想いに気付き、そして今、自分の保護者としての役割を
見つめ直そうとしているのだろうか。
(そんなの……可笑しいですわ。わたくしと、魅録は、何でもありませんのに……。
これまでも、そしてこれからも。)

勿論、これはあくまでも憶測であり、清四郎の言葉の真意は今だ測りかねた。
しかし、野梨子はあの言葉をリフレインする度、清四郎がいなくなったら……と思って
背筋がぞっと寒くなり、それは自分にはとても耐えられないと、自分における
清四郎の存在の大きさに改めて驚くのだった。そして、自分の内だけで秘めて
おけば良いと思っていた魅録への想いに対し、罪の意識のようなものを覚え始め、
今までよりも一層深く、心の奥底へ、力ずくでそれを仕舞い込んだ。

そのようにして日々は流れ、学園は待望の冬休みに入ったのだった。
185Graduation第八話holy night(20):2008/12/09(火) 09:39:16

「クリスチャンではありませんけれど、やはり教会のミサは身が清められる思いがしますわ。」
野梨子がほうっと、感動した後のため息をついた。今日はクリスマス・イブ。
いつもなら、6人で集まって大騒ぎするのだったが、今年は補習中の悠理と、
そしてやはり2月の入試に向けて勉強中の可憐の為に、パーティーはお預けとなった。
代わりに、美童から、グランマニエ家が通っている教会のミサへ行かないかというお誘いがあり、
清四郎、野梨子、魅録がそれにのったのだった。スウェーデン大使館の近所のその教会は、
規模は大きくはないが、場所柄周囲の大使館の大使達を始めとする外国人が多く来ており、
説教も日本語と英語でなされ、国際色豊かで、一種独特の洒落た雰囲気を醸し出していた。

今日は教会のミサだというので、皆、意識的に黒っぽい格好をしていた。野梨子は
白襟、白カフスのついた、明るい紺色のベルベットのシンプルなワンピース姿だった。
ウエストが少し絞られただけの、膝丈のストンとした形で、白襟の間から下に三つ、
コロンとした貝パールのボタンがついていた。左胸には小粒のパールで雪の結晶を
象ったブローチをつけていた。清四郎は、黒とグレーの細いストライプのシャツに
黒い縄編みの丸首セーターを合わせ、グレーのフラノのパンツといういでたちだったし、
魅録はそれこそシンプルに、グレーの無地のタートルネックのセーターに、黒いレザーのパンツだった。
美童は、さすがに華やぎを求め、薄手の黒の綿タートルをインナーにして、
光沢のある黒のベルベットのジャケットとパンツをゆったりと纏っていた。
ジャケットの襟元と裾周りには黒と銀色のビーズでアラベスク模様が浮き出ており、
黒タートルの胸元ではプラチナのクロスのペンダントが白金の光を放っていた。

子どもたちによるイエス誕生の生誕劇等もあり、蝋燭の灯火や、パイプオルガンの音等が、
しばし皆を俗世間から遠ざけた。ミサの後、3人はグランマニエ家のクリスマス・ディナーに呼ばれた。

186Graduation第八話holy night(21):2008/12/09(火) 09:44:36

ターキーを始めとする、真理子夫人特製の心づくしのクリスマス・ディナーの味は素晴らしく、
ウィットに富んだ伊達男のヴィヨン氏と、やんちゃで生意気盛りの杏樹たちのお蔭で、
4人は悠理と可憐の不在をあまり感じずに済み、そして今、美童の部屋で食後の珈琲を飲んでいた。
「うん……何か、感動したよ、俺。」
「そう?何かを感じてもらえたのなら嬉しいな。クリスマスのミサがイベント化してて、
にわか信者が押し寄せるのには辟易してるんだけどね。でも、キリスト教を知ってもらうには
確かに良い機会だしね。誘って良かったよ。」
美童が珈琲を一口飲むと、にっこり微笑んだ。
「悠理と可憐が頑張っているというのに、我々だけパーティーというわけにも
行きませんからね。かと言って、やはりイブですし……一人で何もしないというのもね。
ミサというのはぴったりでしたよ。」
清四郎も今宵の趣向にいたく満足したらしかった。美童は、澄ました顔の清四郎と魅録を
横目でちらりと眺めると、教会で二人が賛美歌を持って、赤い顔をして真剣に、
「主はっ、きまっせぇり〜、主はっ、きまっせぇり〜」
と競い合うように声を張り上げて歌っていたのを思い出し、一人密かに笑いを噛み殺した。

「ところで、悠理はどんな按配だ?」
魅録がふと清四郎を振り向いて尋ねた。
「おや、魅録ともあろうものが、本人から聞いていないんですか?」
清四郎が右の眉毛をぴくりと動かした。
「……ああ。連絡したい時は自分からすっから、俺からは連絡してくんな、だと。
数理くらい俺が見てやろうかって言っても、凄い勢いで嫌がるし、清四郎がいるからいい!……だってよ。
信頼されてねーのな、俺。」
魅録がめずらしく拗ねたように言った。
「では、魅録は冬休みになってから一度も悠理と会っていないということですの?」
「ああ。いつもなら、長い休暇になるとあいつの方から遊べ、遊べってうるさいから、今回は調子狂うな。」
「それだけ、真剣に勉強してるってことだよ。僕、今日も神様に祈っておいたよ、悠理と可憐のこと。
……勿論、毎日祈ってるんだけどね。」
美童が胸元のクロスにそっと手をやった。

187Graduation第八話holy night(22):2008/12/09(火) 09:46:09

そこへ、清四郎がコホン、と咳払いして話し出した。
「悠理は、やることはやっていますよ。可憐と違い、補習で勉強した箇所だけが
試験範囲になるんですから、かなり楽と言えるでしょう。……普通ならね。」
「普通なら……ね。そこは何てったって悠理だからな。今回は赤点じゃなきゃ
いいって訳じゃねえだろ?合格点って……70点だっけ?」
「そうです。悠理も必死ですよ。でもまあ、可憐と違って、悠理は学部にはこだわっていないので、
ここまで来れば、いざとなればどこかには入れるのが救いですね。学部にこだわっているのは
剣菱夫妻の方で、悠理自身は両親が怖いから国際文化学部を目指しているようなものですから。」

「……ったく、あいつは、どーすんだよな?」
魅録がイライラしたように言った。
「黄桜家や白鹿家を積極的に継ごうとしている可憐や野梨子と比べて、あいつは
剣菱家の娘っつー自覚があんのか?」
「魅録。」
思いがけなく強い口調に、魅録だけでなく、美童と野梨子もハッとして清四郎を見た。
清四郎はブルーオニオンのカップから揺ら揺らと上り立つ、白い湯気越しに魅録の目を捉え、そして目を細めた。
「魅録。悠理は、魅録が思っているよりもずっと将来の事を考えていますよ。
剣菱の娘だという自覚だって勿論ある。」
「へ、へえ……。」
魅録は突然の清四郎の迫力に、柄にもなく一瞬たじろいで間抜けな返事をし、
その事に気が付いて、顔を心持赤らめた。
妙な雰囲気を和らげようと、美童がマイセンのデザート皿をテーブルの中央に置いた。
「これ、とっておきのシャンパン・トリュフだよ。食べてみて。ところで、
清四郎は、悠理と良くそんな話をしたりするの?」
「……最近になっての事ですけどね。」
清四郎は白磁のカップの中の漆黒の液体の揺らめきを見つめながら、悠理との会話を思い返した。

続く
188名無し草:2008/12/09(火) 12:32:15
>Graduation
メイクで目の下にくま〜のくだりがおもしろかったです。
清四郎、頼もしい。
イブの過ごし方は以外でしたが、あったかい雰囲気でほっとしました。
189名無し草:2008/12/09(火) 16:11:08
>Graduation
野梨子の自問自答は、複雑な想いがよく判りました。
けど、こういう感情描写は読んでると萌える。
悠理も将来について考えていたんですね!
魅録に言った清四郎は、仲間思いの面が出ててカッコよかったです。
190名無し草:2008/12/09(火) 18:48:47
>Graduation
ちゃんと将来を考えてる悠理と、それを知っていてフォローする清四郎に
ちょっと萌えた。
このみんなの絆はいいなぁ。
191名無し草:2008/12/10(水) 01:17:28
>Graduation

>190 ちゃんと将来を考えてる悠理と、それを知っていてフォローする清四郎に
ちょっと萌えた。

同感です!でも、野梨子はどんな気持ちでそれを聞いたかなー、というのにも、萌えるw
続き、楽しみにしています。
192ゴゼンニジノウタ13:2008/12/10(水) 04:16:37
>151-156
しんとした生徒会室に、清四郎と魅録がいた。
清四郎は野梨子待ち。魅録も悠理を待っている。
背の低い本棚の上に投げ出された一冊の台本。――きっと美童あたりが読み捨てたのだろう――を手に取って、魅録はまじまじとそれを眺めた。
古さで多少は汚れているが、特に変わった印象は受けない。
しかしすることもないのでそれを持ったままソファに座り、少し読んでみることにした。
「…気になりますか」
不意の清四郎の問い掛けに言葉が詰まる。悠理の言ったことを除いても、気にならないわけではなかった。
「お前は?もう読んだのか」
「もちろん。ざっと一通りはね」
苦笑し、そして思い立つ。清四郎ならば、何かと力になってくれるだろう。
「…で、どうだった」
「何がです?」
「なんつーかさ、読んで不吉な感じとかしなかったか?」
「いいえ。確かにハッピーエンドではありませんでしたがね。………どうかしましたか」

「ん。いや実はさ…」
魅録は先程の悠理との、会話の一部始終を語った。清四郎は腕を組み、じっと耳を傾けていた。
「今までのことを考えると…無視はできない話ですね」
「…あぁ。俺もそう思う」
「たしか台本の最後のページに、持ち主と思しき名がありました」
魅録が背表紙からページを捲る。
そこには手書きの署名があった。

【3/28・高須理人】
「高須理人…」
その名前を、2人はしっかりと記憶した。
193ゴゼンニジノウタ14:2008/12/10(水) 04:17:12
原が今後の活動予定と各係のリーダーに指示を伝える。
夏休みの練習内容を聞いて、美童は少しうんざりしていた。
結局、夏休みは補講は無くても練習ばかりになりそうだ。
しかも後半には合宿まである。
………はぁ。
部員たちには聞こえないよう、美童はこっそりとため息をついた。
夜が空いているだけまだマシだが、原の指導は厳しそうだ。
そんな練習後に疲れていても、会いたいと思う女の子が自分にはいるだろうか。

――――1人だけ、いないことはない。
けれど彼女もそう思うかは全く別の問題である。彼女もデートに忙しいだろう。
長い豊かな髪をくねらせ、男と腕を絡ますのだろうか。
「だめだだめだ!」
美童は両手でぴしゃんと頬を打ち、自分に活を入れなおした。

こうなったら、ひと夏真剣に稽古に取り組むのも悪くないかもしれない。
最高の劇を作りあげたなら、少しは見直してもらえるだろうか。

この劇は伶花のためではなく、ニコでもベティでも真弥のためでもない。
ただ彼女のため、否――彼女に振り向いて欲しい自分のためだ。

―――どうしちゃったのかな、僕。
美童は人知れず自嘲した。
ゆっくり息を吐きながら目を閉じると、その裏に新しい恋人に夢中の親友の姿が浮かんだ。
194ゴゼンニジノウタ15:2008/12/10(水) 04:17:55
※※※

「…疲れた」
原の解散宣言の後も、三人は張り切った衣装係の生徒に頭の先から爪先まで、
いたる所のサイズを計られることとなった。
初日からげんなりとした野梨子と悠理に比べ、美童は流石だ。
採寸の女生徒に笑顔を振り撒きながら、とても協力的に応じている。
演劇部に好みの生徒でもいたのかと思ったが、特にそういう気配もない。
(まぁ、元から目立ちたがりな男だからな)
悠理は1人で納得した。

野梨子も清四郎を待たせているらしいので、共に生徒会室に向う。

大分遅くなったので、もしかしたら帰ってしまったかとも思ったが、魅録は待っていてくれた。
―――夢の世界に旅立ってしまってはいたけれど。

野梨子は静かにくすくすと笑って、魅録を起こさないように清四郎と出て行った。

ソファで眠る魅録は幼くて、起こしてしまうのが可哀相なくらいだった。
膝の上には古ぼけた『あの』台本。それなのに不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ気にして読んでみてくれたのが嬉しかったくらいだ。

…やっぱり勘違いだったのかもしれない。
心配させて悪かったな。お礼にあと10分だけ寝かしてやろう。
悠理は幸せな気分で寝顔を眺め続けていた。
195ゴゼンニジノウタ16:2008/12/10(水) 04:18:30
※※※

清四郎が家に着くと丁度夕食の時間だった。
和子はともかく修平もいる。久し振りの家族揃っての食卓だった。
何か変わったことはないかと聞かれたので、野梨子がまた劇に出ることを話した。悠理と美童と共演するとも。
「本当!?いやだ、パパママ、見にいかなきゃね」
「えぇ。今度はどんな役なの?」
「今回もヒロインですよ。少し変わった役柄ではありますがね」
「そうかそうか!有休とってばっちり見んとな!白鹿さんと一緒に行こう」
この家族は昔から、野梨子のこととなると張り切る。か弱くて可愛らしい(実際はそれだけではないのだが。か弱いかどうかも疑わしい)
彼女は、菊正宗家でも大変愛されていた。
この猫可愛がりぶりには、たまに清四郎も苦笑する。
―――まぁ、いずれは義父母と義姉になれますよ。
清四郎は焼き魚を器用に食べながら思った。
「で、タイトルは?なんて劇なの」
「『桜の下に眠る鬼』です」
「…え?」
清四郎がそれを口にした瞬間、和子の表情が曇った。
しかしそこは清四郎の姉だ。すぐに曇りもかき消して、普通の顔で会話に戻った。
「………」
清四郎もすぐにピンと来た。
―――清四郎、後でね。
そんな姉弟の無言の意思の疎通が成立した瞬間だった。

夕食の後、少ししてから清四郎が和子の部屋を訪ねると、中からは電話をしているのだろう―――話し声が聞こえた。
ノックをしようか迷っていると、足音に気付いた和子が内側からドアを開けた。
耳には依然、携帯電話がくっついている。無言で弟に入るよう促した。
「うん…そう!あの噂って―――そうそう、やっぱり………よね」
電話の相手はおそらく高校時代の同級生だろう。黙ったまま清四郎はソファに座った。
「うん…わかった、急にごめんね。ん?なんでもないわ。ちょっと気になって」
それじゃあ今度、食事でも。社交辞令を口にして、和子はその電話を切った。
196ゴゼンニジノウタ17:2008/12/10(水) 04:19:25
「待たせたわね」
そう言って壁に寄り掛かる。姉弟良く似た賢そうな目だ。
和子の背後にある窓から白鹿家の邸宅が見える。そこに住む少女を思うと、胸がぐっと引き締まった。
「………何を知ってるんです?」
「噂で聞いただけだから…なんて前置きはあたしも嫌いだからはっきり言うわね。…あの台本はいわく付き」
単刀直入な切り出しに返る明瞭な答え。
全く、この姉は話が早くて助かる。「どういうことです?」清四郎は続きを促した。
「あの台本は昔、うちの生徒が書いたものらしいわ。で、その年にそれを上演した」
清四郎は相槌もやめ、先にすべてを喋らせることにした。

―――『桜の下に眠る鬼』は初の生徒の脚本作品として当時大いに話題を呼んだらしい。
作者自身も役者として出演し、積極的に演出等にも関わったという。
ヒロインである綾白役に決まったのは当時の演劇部部長で、彼女はとても美しいが自己中心的で我が儘な性格だった。
それが途中で練習にも支障を来たし始め、部員の総意でキャストを降ろされてしまった。
代わりに綾白を演じることになったのは彼女の親友で、それがますます部長のプライドを傷付けた。
―――彼女は怒り狂い、嘆いて自宅で首を吊ってしまったのだ。

「―…それでも上演予定は変わらなかった」
メイン三人の好演で、『桜の下に眠る鬼』は大成功を納めたのだった。
しかしそれからたったの一週間後…綾白を演じた少女と月闇役の少年が同じ日に自殺を図った。
少女は飛び降り、少年は服毒だった。
遺書もないあまりにも不可解な自殺に、学校中がパニックになった。「部長の少女の呪いだ!」と。
学校側は原因を『受験ノイローゼ』とし、生徒たちにも強く口止めをした。
―――『綾白』の名を口にしただけで呪われるという噂も広まり、生徒の中にもそれには触れない暗黙のルールができた。
上演が成功した事実さえかき消され、いつしか時に埋もれていったのだった。
197ゴゼンニジノウタ18:2008/12/10(水) 04:20:45
「受験ノイローゼですか。…うちの学校にはあまり馴染みませんね」
「でしょう?とりあえず聖プレジデント大学には進めるんだからね」
「一年に三人も自殺した年が本当にあったんですかね」
それすらも疑わしい、と清四郎は思っていた。
「それが…あったのよ」
和子はこの話を、演劇部だったクラスメイトに聞いたらしい。
普段から冗談を好む彼女のこと、ふと思い出したころに調べてみたらしい。
「あの頃で20年くらい前だったかしら」
「生徒たちの名前は覚えてますか?」
和子は暫く考えこんだが、息を吐き出しながら首を振った。
「いえ。でも、確かに部長と役者の二人が死んでいた。あんたも調べてみればわかる」
「そうですか…そうしてみます」
それでもこれは大収穫だ。少なくとも事実『桜の下に眠る鬼』が上演されたこと、そして三人の自殺者が出た事が判った。
根も葉もない噂ということでもないかもしれない。
…悠理の『嫌な予感』が現実味を帯びてくる。
…………何か打つ手はないものか…どう策を講じるか…………

「でも大丈夫。今年の綾白は死なないわ。もちろん月闇役の子も」
和子は自信たっぷりに微笑んでいた。髪を掻き上げ腕を組む。
根拠のない励ましにも聞こえるが、和子は現実主義。適当な事は言わない。それは弟が一番よく判っていた。
「あんたが守るのよ」
当然でしょとでも言いたげだった。
―――なるほどね。
清四郎も笑顔を返した。
「………えぇ、絶対に」
「あたしの弟ならそれくらいしてよね」
そして姉弟は笑い合う。姉からの絶対的な信頼。裏切れないものがまた一つ増えた。

※※※
―――行こう綾白。俺と共に。

続く
198名無し草:2008/12/10(水) 12:18:11
>ゴゼンニジノウタ
ホラーっぽくなってきましたね!
和子さんの話を聞いてると、もしや野梨子や悠理にもなにかあるのでは
と思わせる内容ですね……。
これからの展開にドキドキしてきました。
199名無し草:2008/12/10(水) 13:19:41
>ゴゼンニジノウタ
有閑らしい展開でテンポが良くて読みやすいです。
>まぁ、いずれは義父母と義姉になれますよ。
 清四郎がなにげに自信があってらしいですねw
一体昔、何があったのか謎が解明されていくのが楽しみです。
200名無し草:2008/12/10(水) 16:57:27
三日続けて連載が読めて幸せです。
作家さんたち、ありがとう!
201名無し草:2008/12/10(水) 21:44:46
>ゴゼンニジノウタ
義父母〜の部分、自信がある言い回しですが、
清四郎と野梨子は今どの程度の関係なのか気になりました。
もう幼なじみ以上なんだろうか。

便乗して、投下してしてくれてる作家様有難うございます。
ここを見るのが楽しみになってます。
202名無し草:2008/12/10(水) 22:01:18
>>201
付き合ってはないけど清四郎は勝手に自信満々なんだよ。
私はそう思ってる。
203名無し草:2008/12/10(水) 22:49:45
修平は病院の院長なんだから有休をとるんじゃなくて、休診するとか
代務を頼むとかいう表現のほうがいいかも。
医療関係者なので気になる。勤務医なら有休でいいと思うけど。
204名無し草:2008/12/11(木) 00:30:46
>ゴゼンニジノウタ
禍々しい雰囲気がたまりません!!
楽しみにしています!

205名無し草:2008/12/11(木) 01:25:00
どの話も展開がすばらしいですね!
連載ラッシュという感じでとても幸せです!
206これ、いただくわ 129:2008/12/11(木) 02:52:58
>>106
悠理の裏をかいて追い込む事に、これほど苦戦を強いられるとは思いも
しなかった。清四郎はすでに三度も好機を逃がしている。
向こうも死に物狂いで逃げ回っているのだろうから、少しばかり梃子摺る
のは仕方がないにしても、これでは余りにも時間が掛かり過ぎである。発
信機のスイッチを切り忘れていたこともそうだ。普段の自分なら決して犯さ
ぬ些細なミスが、ボディブローのようにジワジワと効いている。注意力が散
漫になっている事を認めざるを得なかった。
『心配しなくても大丈夫よ。魅録が助けに行ってるんだから』
可憐にそんな指摘をされるとは―――
野梨子からのメーデーを受けてからと言うもの、どこか浮き足立っていた
のは確かだが、傍から見て分かるほど顔色に表れていたとは不覚である。
忸怩たる思いに清四郎は顔を顰めた。
あれを最後に、魅録からの連絡はない。既に野梨子たちの救出に向かった
のであろうが、何も言って来ないところをみるとまだ進展は無いらしい。
―――魅録に任せておけば間違いはない。
可憐に諭されるまでもなくその意見には全面的に賛同するのだが、自分自
身で行動出来ない事がどうしようもなく清四郎を苛立たせていた。


野梨子の事となるとついつい過干渉になり勝ちな自分に、清四郎はずいぶ
ん前から気付いていた。
それをはっきりと自覚したのは或る夏の日の午後。いつものように連れ立っ
て本屋へ出掛けたその帰り、野梨子が白鹿邸の門内へ帰って行くのを見届
けていた時の事である。
帰宅のついでに郵便受けから配達物を取り出した野梨子がその内のひとつ
に目を留め、ふっと顔を綻ばせたのだ。その笑みが気に懸かり、清四郎の
意識も自然とその封書へ吸い寄せられた訳だが、そこにある表書きが目に
入った瞬間、思わず感嘆の唸りを洩らさずには居られなかった。
207これ、いただくわ 130:2008/12/11(木) 02:54:23

  東京都××区××町××番地
  白鹿野梨子様
         机下

まさしく豪気闊達。それで居ながら細雪の降るが如くの繊細さをも匂わせ
る優美な墨蹟。まったく見事としか云い様のないそれは―――どう見ても
男文字であったのだ。
けれど年配の者による筆ではない。威風堂々たるその文字には溢れんば
かりの若さが漲っていた。
どこの誰だか知らぬが相当な手合いだ、と清四郎は見た。
日本画の大家を父に、茶道の家元を母に持つ白鹿野梨子の相手として申
し分のない素養を備えた人物である事を、その表書きは此見よがしなまで
に物語っていたのである。
清四郎は常々、野梨子の相手となる男はそれなりの人物でなくてはならぬ
と考えてきた。倶楽部の面々に交じって無茶をするようになってから、多少
は世間を知った野梨子だが、一対一の付き合いとなればやはり彼女と同じ
世界に住む人間でなければならぬのだ。
その候補がついに現れたと云う事になる。目出度し目出度し、となる筈が
何故だろう、胸がささくれ立って仕方ない。
以前、野梨子が巻き込まれた掛け軸盗難事件―――刈穂裕也の一件とは
比べ物にならぬほどの困惑を覚えずには居られなかったのだ。
たしかに刈穂の時もそれなりに気懸かりではあった。だがあれは、思春期
に有りがちな気の迷いの傾向が強かった。野梨子のような純粋培養のお嬢
様が異世界のならず者に惹かれる事は間々あるもので、そしてそれは往々
にして長続きしない。早晩おのれの属する世界へ帰るのが規定路線であり、
そうでない場合が稀だからこそ、歌劇や小説で持て囃されもするのだ。
案の定、刈穂との一件は彼が金沢へ引っ込んだ事であっさり幕引きとなり、
清四郎は保護者としての立場で胸を撫で下ろしたものだった。

けれど―――今回は勝手が違うようだ。
208これ、いただくわ 131:2008/12/11(木) 02:56:19

清四郎が小難しい顔をしている事に気付かぬまま、野梨子はその封書を
見せるように持ち替え口を開いた。
だが僅かに清四郎の方が早かった。
「―――感心しませんね」
言った途端、口中に苦いものが広がり清四郎は顔を顰めた。
今どき墨痕淋漓たる封書を送って遣すなど、それだけを取ってみても生半
でない人物なのだ。ようやく野梨子に見合いそうな者が現れたと喜びこそ
すれ、文句を言う筋合いはどこにも無い筈である。それに―――未だそう
と決まった訳でもない。
その点を強く己に言い聞かせ、詰まらぬ事を言って悪かったと素直に詫び
るつもりになった清四郎であったが、詫びるどころか更に余計な事を口走
る結果になってしまったのは、キッと唇を引き結んだ野梨子があからさま
な非難の眼差しを遣したからだった。
「その方ときちんとお付き合いする覚悟があると言うのなら構いませんが
ね。けれどそうでないのなら、思わせ振りな態度を取るのは相手の方に失
礼ですよ」
「思わせぶりだなんて……別にわたくしはそんなつもりで文通をしている
訳ではありませんわ」
野梨子はぷいっと顔を背けてそう言った。
しかし図らずもその弁明は、手紙の差出人がそう成り得る異性であること
をしっかりと裏付けていた。恐らく野梨子もそれに気付いただろう。
この方は父さまのお弟子さんで。
この方は母さまのお知り合いで。
そんな言い訳が続くことを無意識の内に期待しつつ、清四郎は待った。けれ
ど野梨子はそれっきり口を開こうとはしなかったのだ。
―――言い訳が出来る相手ではない、と言うことですか。
だからと言って咎め立て出来る筋合いではない。それなのに矛を納める気
には到底なれそうにない自分が酷く不愉快だった。
209これ、いただくわ 132:2008/12/11(木) 02:59:02

家に戻ってからも根拠の無い苛立ちが募り、気を紛らす為に本を開いても
一向頭に入らない。それどころか野梨子に貸すと約束していた推理小説を
開き、犯人の名前に○を付けようとした自分に気付いた時は情けなさに頭
を抱えた。
長らく彼女の保護者を自任してきたが、いま自分の中に渦巻いている感情
はその領分を逸脱したものである。その事を、このとき清四郎は自己嫌悪
と共に自覚したのだった。

その日以来、ふたりの関係はぎこちないものとなった、かと云うとそうでも
ない。相変わらず他愛もないお喋りに興じもすれば、碁盤越しに目で殺し
合いもする。本屋の帰りにはお茶ぐらい飲むし、そして時々は周りの者が
肝を冷やすような、辛辣な厭味の応酬をしたりもする。
けれどふとした拍子に、以前とは違う余所余所しい空気が流れ出したと感
じるのは気の所為だろうか。
もしかするとそれさえも只の思い込みで、野梨子の方は何ひとつ含むもの
など無いのかもしれない。そう考えるとそれはそれで肩透かしを喰らったよ
うな気分になる。
まったく―――くだらない。
この一言に尽きる。
今度の古文書奪還作戦が持ち上がったのは、丁度そんな事でうだうだと詰
まらぬ日々を過ごしていた頃の事だった。

気晴らしには持って来いの催しで、準備期間はそれなりに気が紛れた。
ただ、何を思ってか野梨子は魅録の家に入りびたり、どんどん要らぬ知恵
をつけ始めた事は新たな心配の種となった。
魅録がまとめたシステムの防壁破りに関する資料を熱心に読み耽る姿を
見掛けてからは、出来るだけ彼らの活動の場に立ち会うようにしてきたが、
まさか麻酔弾の実験台にされるとは夢にも思わなかった。
無様に寝姿を晒してしまった事も、知らぬ間に化粧をされてしまった事も
酷く心に応えたが、しかしそれ以上に、自分の与り知らぬ世間の海でのび
のびと泳ぐ野梨子の姿に、一抹とは言い切れぬ虚しさを覚えたのだった。
210これ、いただくわ 133:2008/12/11(木) 03:04:09

―――いつもすぐ隣であどけなく微笑んでいた少女。その少女が傷付く姿
など見たくはない。そこに端を発した思いであったが、結局自分は幼馴染
であるのをいい事に、その座に胡坐をかいて来たのだろう。保護者を気取
り、恰も彼女のすべてを見届ける権利があるかのように錯覚していたのだ。
野梨子にしてみれば、さぞや窮屈な存在であったろう。たまたま隣同士に
育ったと言うだけで、いつまでも口喧しく意見されたのでは遣り切れまい。
互いにもう十九。多分ここらが潮時だ。
野梨子にとって、誰かの庇護を必要とする少女時代はもう―――終わった
のだ。


そこまで思いを巡らせた時、視界の隅を何かが横切った。ほんの一瞬の
出来事であったが、清四郎の目は正確にそれを捉えていた。
―――髪の毛だ。
黒光りする長い髪が、幾重にも交差する通路の向こうでサヤサヤと翻った
のである。
急いでモニタで確かめてみると、悠理を示すブリップはちょうど黒髪が翻っ
た地点を移動中だ。だが改めて思い起こす迄もなく、悠理は長髪でも黒髪
でも、無い。
可憐に言って聞かせた己の言葉が反射的に脳裡を掠めた。
『ここは首塚の跡地だと言うのに、ろくに地鎮祭も行わずこのビルを建てた
んですよォォ……』
背筋に厭なものが走る。
清四郎は今一度モニタを睨み据えた。その顔に、明らかな動揺が浮んだ
のにはもうひとつ、理由がある。
待ち伏せ地点で静止している筈の可憐のブリップが、動いていたのだ。
そしてそれは不規則な動きを見せた後、四十階のマップから忽然と消え
ていったのである。
 
211名無し草:2008/12/11(木) 08:50:27
ちょっと何この盛り上がり。このスレにまたこんな時が来るなんて(感涙

>これ、いただくわ
>それどころか野梨子に貸すと約束していた推理小説を
ちょw清四郎、アホだーー!ww
でも嫉妬からこういうつまらない嫌がらせをする清四郎って実はツボ。
次々に繰り出されるハラハラと笑いと萌えの攻撃に、もうノックアウト寸前です。
続き待ってます。
212名無し草:2008/12/11(木) 13:45:08
>これ、いただくわ
自分も推理小説に○をつけようとする清四郎が、ツボに入りました。
小さないやがらせが妙に可愛いと思ってしまったw
野梨子宛ての手紙は、一体誰からなんでしょう。
悠也とは過去の思い出になってる表現が前に出てきてたから、
悠也ではない気がするけど。
213名無し草:2008/12/11(木) 14:00:39
>これ、いただくわ
いやぁ、今回も笑わせてもらいました。
清四郎ってばかわいい奴めw
いままで清四郎の心理描写があまりなかったのでなにを考えてるのか今回でわかって
おもしろかったです。

>>212
でも裕也とは文通してたよー。裕也がへましちゃって最近はやりとりが途絶えてるんだったと思う。

続きが読めて嬉しかったです。また、楽しみにしています。
214名無し草:2008/12/11(木) 22:06:39
>これ、いただくわ

自分も推理小説に吹きましたw
>>213の意見と同じく、今まで清四郎の心理描写がなかった分、
興味深く読んでたところで、この小オチだったもので余計にw
続き待ってます。
215ブランドスーツと手榴弾:2008/12/12(金) 21:18:43
長編というほど長くはないけれど、
一度に投稿するには長すぎる話をupさせてください。

・そこそこ長い割にCP要素はなしか、あってもごく薄いものになる予定です
・可憐と野梨子がメインで、他の四人はあまり登場しません
・オリキャラも少し登場予定なので、苦手な方はスルーお願いします
・いろんな意見の人が登場する予定ですが、
 書き手である私がそのどれかの意見を主張したいというわけではないので、
 軽く流してくださると助かります
・当然ですが、実在の人物・団体・事件出来事とは一切関係ありません

長期連載にはならない予定ですので、
上記が苦手な方は申し訳ありませんがしばらくの間スルーお願いします。
216ブランドスーツと手榴弾・序:2008/12/12(金) 21:19:32

少年がぼやく。

「最近、なんか視線を感じるんだよな」

少年は眉を寄せる。

「うわあ、危ないよ、それ。男でも女でも」

少女は自慢げに手のひらを差し出す。

「それよりさ、見て見てこれ!」

少年は少し驚く。

「おや、懐かしい」



少女は得意げに笑う。

「ふふん、これ素敵でしょう。新作なのよ」

そして、少女はバッグを覗きこんで悲鳴を上げる。

「きゃあ!」
217ブランドスーツと手榴弾・一 1/5:2008/12/12(金) 21:20:52


少数精鋭というような言葉があるように、
人間というのはどこかしらで数を馬鹿にするようなところがあるのではないかと思う。
不況になれば余剰の人員を減らして人件費を削減するのは世の常だ。
有能な少人数が、無能な大多数に勝るというのは、一理あるのだろう。

――しかし、厳然たる事実として、数は強大で立派な力なのだ、と菊正宗清四郎は嫌でも実感することとなる。

人間の身体で武器として使えるのは、せいぜいが両腕両足と頭の五か所ほどである。
だからといって、その五か所を同時に攻撃に回せるはずもなく、
身体を支えたりバランスを取ったりしなければならない。
そしてまた、生きものである以上急所はある。
心臓や肺や脳に損傷を受けたらほぼ即死であるし、眼や脚に重大な損傷を受ければ、
生命にはかかわらずとも戦うという意味ではほぼ致命的である。
そもそも、末端の小さな傷であろうとも痛みから逃れることはできないし、
血を失えばそれだけで戦闘不能になる弱い生きものなのだ。
――すなわち、ひとり相手に四、五人でかかってこられたら、まず勝ち目はない。
人海戦術でこられたら多少の腕の差など吹き飛んでしまう。

自らの師である雲海和尚のような達人や、鋼の精神と肉体をもつモルダビアのような超人ならば、
どのような危機的状況からでもひとりで生還することができるのかも知れない。
しかしあいにく、清四郎はそのふたりに比べればまだまだ「人間」の範疇なのだ。

よっぽどうまく張られていたのだろう。白昼堂々、四人は囲まれてしまった。
そういえば、松竹梅魅録が「最近視線を感じる」と言っていた。
218ブランドスーツと手榴弾・一 2/5:2008/12/12(金) 21:21:43
襲撃者は老若男女のうち女だけが欠けている集団だ。
服装もスーツやらつなぎやらさまざまで、統一感はない。
素手の者も多いがナイフや警棒のようなものを握っている者もいる。
法治国家もかたなしだった。

恨まれる覚えはない、とも言えるし、ありすぎていちいち挙げられない、とも言える。
しかし、他人よりも多少脳みそのしわが多い自分の記憶力をもってしても、
この集団の中に見覚えのある顔はなかった。

「剣菱悠理、松竹梅魅録、美童グランマニエ、――それに、菊正宗清四郎、か。
 抵抗は認めない。来るんだ」

悠理が、何事か叫ぼうとした口を、彼女の傍にいた男が無造作に手でふさぐ。
名前を知られている。
やはり、魅録の感じていた通り監視されていたのだ。
その言葉を信用するならば、おとなしく従う限りここで今すぐに殺されることはなさそうだった。

人通りの途切れた一瞬を囲まれて、まだ一分も経っていないだろう。
恐ろしく用意周到で、効率的なやり方だ。
後ろ手に拘束された美童が、大型のワゴン車に放りこまれる。
次いで魅録、悠理。
そして清四郎の手にも手錠がかけられた。
ちゃちなおもちゃではない、かなり重い本格的なものだ。


清四郎がワゴン車に押しこまれたその寸前、
彼の前にいた悠理の手のひらからぽろりと何かがこぼれおちた。
先ほど彼女が得意げに見せびらかしたアクセサリーだった。
219ブランドスーツと手榴弾・一 3/5:2008/12/12(金) 21:22:36

黄桜可憐は上機嫌だった。
髪の毛のセットも上々だし、化粧のノリも最高。
冬の東京にしては暖かく、風もない。
何より彼女をご機嫌にしているものは、新作のスーツだった。
可憐の趣味よりは若干シックではあったが、
シンプルでラインの美しいデザインは彼女の抜群のスタイルをよく引きたてていた。

隣を歩く白鹿野梨子は、あくまで上品なワンピースを楚々と着こなしている。
昨夜、可憐は野梨子の家に泊まったのだった。
可憐が野梨子と歩いていると、当然ながら周囲の視線を集める。
特に男性の。
声をかけられてあげてもいいのだけれど、今日はあの連中と待ち合わせをしているし、
野梨子があからさまに嫌がるので軽くあしらうにとどめる。

いつものように倶楽部内でじゃんけんをして、勝ったのはいつものように悠理だった。
旅行もアスレチックもカラオケもジャングル風呂も食べ放題もしばらくは懲り懲りだ、
と言った悠理が提案したのは大食いだった。
食べ放題とどう違うのだと抗議したが、
よくある「時間内に完食できたらただ」というようなものは食べ放題とは違うらしい。
「残した奴のおごりだからな!」と言っていたが、冗談じゃない。
あの面子で一番食べられないのは可憐か野梨子に決まっている。
――しかし、勝者は絶対。
学校をさぼってラスベガスに行ったのがばれて留年したことを思えばなんてことない。
そう結論づける可憐は、自分が常識人なのかそうでないのかわからなくなりつつある。
ともあれ、憂さ晴らしで新作スーツを購入し、当てつけのように今日の日に初めてそでを通したのだった。
傍らの野梨子も気乗りがしないというか、憂鬱そうなのが手に取るようにわかる。
220ブランドスーツと手榴弾・一 4/5:2008/12/12(金) 21:23:16
待ち合わせは、それほど人通りが多くない駅の外れだった。
(美童がいると、人の多い場所で待ち合わせるのは面倒が増えるだけなのだ)
約束の時刻は午前九時。
その三分前に到着したふたりは、周囲を見渡した。
四人のうち、誰ひとりとして姿が見えない。
隠れる場所はないし、そもそもあの連中はひとりでも十分すぎるほど目立つ。

「おっかしいわねえ。清四郎くらいは来てると思ったんだけど」
「お手洗いにでも行っているのかも知れませんわね」

ふたりで顔を見合わせて、それでもおとなしく待っていたが、
待ち合わせ時刻を五分過ぎても誰も来ない。
それぞれ手分けして全員にメールを送ってみたけれど、返事はなかった。
すでに十分が過ぎようとしていた。

「変ですわね」
「まったく、遅れるなら連絡のひとつも入れなさいよね」

所在なく可憐は歩きまわる。
そのとき、ふと足元に光るものを見つけた。
しゃがんで拾い上げると同時に可憐は小さく声を上げた。

「これ!」
221ブランドスーツと手榴弾・一 5/5:2008/12/12(金) 21:23:58

手元を覗きこんだ野梨子は、「あら、懐かしい」と目を丸くした。
悠理の愛猫である多満自慢と富久娘をデザインした、ジュエリーアキのオリジナルだった。
特注品は当然ながら一点もので、店の刻印も間違いない(娘が言うのだから確かだ)。
目立った傷や汚れもなく、この場所に長い間放置されていたとも思えない。

「……どういうこと?」
「少なくとも悠理は、いったんここに来ていたのかも知れませんわ」
「んっもう! 携帯に慣れちゃうと、連絡取れないときにどうしたらいいか困るのよね」

恨みがましい思いを込めてつながらない携帯電話をにらんだ可憐は、どうするべきかと口を閉じた。

                                         続
222名無し草:2008/12/12(金) 21:39:12
>ブランドスーツ
またまた新連載が!嬉しいです。
タイトルもいいですね。
あの4人がたやすく捕まってしまうなんて、一体何者なんだろう?
続き楽しみです。
223名無し草:2008/12/12(金) 23:23:32
黄身のなをよぶやチルチルは同じ人だと思ってたけど嗚呼、ナンテは気がつかなかったな。
結構書いてそうだね。
ドライブの人も上手だったし、楽しみだな。
あとは病因が読みたかったけど、1年すぎちゃったね。
224名無し草:2008/12/12(金) 23:24:22
誤爆です。本当にすみません。
225名無し草:2008/12/13(土) 00:54:33
>ブランドスーツ
新連載、ほんとに嬉しいです。
可憐と野梨子がメインというのも、二人のコンビが好きな私としては余計に嬉しい。
続きを楽しみにしています。
226名無し草:2008/12/13(土) 10:33:25
>ブランドスーツと手榴弾
これからどうなってゆくのか、楽しみです。
冒頭の台詞が題名に関ってそうで気になるw
それにしてもこのふたり以外が誘拐されるのは、
原作で正月に誘拐された逆パターンを思い出しました。
227名無し草:2008/12/13(土) 15:30:09
>ゴゼンニジノウタ
今、一番楽しみにしている連載です!!!
昔何があったのかがすごく気になる。
菊正宗一家とのりこの関係もいいですね。続き楽しみです。

>これ、いただくわ
最近、連載復活したようですっごーーくうれしいです!!!!!
テンポのいいお話なので、読みやすくて読んでてわくわくします。
私も、推理小説の犯人に○をつけようとする清四郎に萌えましたv
悠理が今どうなってるかも気になります。魅録との関係も。

>ブランドスーツと手榴弾
やったー!新連載うれしいです!!!
題名がまずいいですねー。
タマフクブローチ確かに懐かしい。
4人を誘拐した人物(しかも大勢の)は一体何者なんでしょうか。
続き楽しみにしてます。
228ブランドスーツと手榴弾・二 1/5:2008/12/13(土) 20:01:50
>>216-221 注意書き>>215


取り壊し前の廃ビルの地下だな、と魅録は見当をつけた。
移動時間を想像するに、そう遠くへは来ていないはずだ。
都外に出ているということはないだろう。

後ろ手に拘束されたまま、急かされながら階段を降りる。
人気のないビルの地下といえば、男山が誘拐されたときのことを思い起こさせる。
あのときは一歩間違えたら死ぬところだった。
――今回も「一歩間違えたら死ぬところだった」で済ませられたらいいのだが。
すでに死ぬ一歩手前まで来ている、これ以上はたくさんだ。

壁際に座らされると、今度は足首を拘束される。
魅録や、他四人の腕にはまっているものと同じロシアの軍事用の拘束具だった。
これで魅録はまともに歩けない。
続いて、美童、清四郎、悠理と順繰りに足の自由を奪われていく。
229ブランドスーツと手榴弾・二 2/5:2008/12/13(土) 20:02:49
「お、おまえら何するんだ! この悠理さまを誰だと思ってんだよ!」

――おまえ、そりゃすでに名乗ってるだろ。
そもそもこいつら、俺らのフルネームを知ってたじゃないか。

ツッコんでしまうのは、余裕があるのかあきらめの境地なのか。
ちなみに、剣菱という姓は控えめに言っても相当に珍しい名字で、
この国で剣菱財閥の名は老若男女に知れ渡っている。

「そうだよ! 僕らは善良で真面目な一般市民で、貴方たちと会ったこともないのに、何の恨みがあるんだよ!」

――前科がついても不思議じゃないようなことをした人間が善良で真面目、ねえ。
そもそも大使の息子は一般市民かどうか。
それでもって、会ったことがないからといって、必ずしも恨みを買わないということはない。

美童にテレパシーがあれば「どっちの味方なんだよ!」と責められそうなことを考えている魅録は、
このプレイボーイにそんな能力がないのは重々承知である。
色恋沙汰に関しては、稀に悠理をうならせるほどの勘をはたらかせるのだが、
色気とは程遠いこの場でその能力が発揮されることはないだろう。
残念だ。
230ブランドスーツと手榴弾・二 3/5:2008/12/13(土) 20:03:21
ともあれ、きゃんきゃんと吠える悠理と美童を横目に、魅録は静観を貫いている。
圧倒的優位に立っている相手にわざわざ警戒してもらうことはない。
情報を引き出すのは、何も考えていない悠理と美童に任せておけばいいのだ。
おそらくは清四郎も魅録と同じ考えなのだろう。
彼も一言も発さずにいる。

全員の携帯電話は移動中につぶされてしまった。
証拠になるから捨ててはいないだろうが、もう使いものにはならない。
改造して自分好みにカスタマイズした愛機は、
値段のつけられない、まさにプライスレスな携帯電話だったのに。
データのバックアップは取ってあるものの、それを差し引いてもなお惜しい。

――この状況でそんなことを考えている時点で相当な修羅場慣れをしているということに、
とりあえず魅録は気づかない振りをした。
せめて油断ぐらいはしていてもらわないと、勝負にすらならない。
231ブランドスーツと手榴弾・二 4/5:2008/12/13(土) 20:04:05

野梨子と可憐が松竹梅邸に行ってみようと考えたのは、ある意味当然だった。
悠理の行方がつかめず、他三人とも連絡が取れない。
まめな美童や清四郎が着信やメールに反応しないというのはよっぽどのことだが、
魅録については携帯電話の電源を切り、
時間を忘れて機械いじりに没頭しているということもあり得るからだ。
離れで怪しげな発明品を製作しているか、ガレージでバイクをいじっているのだろう。
きっとそうだ。

半ば祈るような気持ちで松竹梅邸にお邪魔すると、
玄関に姿を見せたのは、魅録の父・松竹梅時宗だった。
時宗は意外そうに野梨子と可憐を迎えたが、ふたりにしても意外だった。
ああ見えて、警視総監という職は多忙かつ激務だ。

「おじさま、こんにちは。今日はお休みですの?」
「ああ、いらっしゃい。どうかしたのかね?」
「今日は魅録と待ち合わせしていたんだけど、いつまで経っても来ないし連絡も取れなくて。
 もしかして約束を忘れてるんじゃないかって思って」
「ふむ……今朝は顔を合わせなかったからなあ。よし、見てみよう。上がりなさい」

時宗に促され、ふたりは彼について松竹梅邸の廊下を歩く。
魅録の部屋は一階、玄関からほど近くだと何度もお邪魔したふたりは知っている。
すぐに部屋の前まで辿りつき、時宗がドアをノックしながら声をかける。

「おおい、魅録! いないのか?」

ノブを回して開ける、と、鍵がかかっていなかった。
隙間からひょいと覗きこむと、部屋の主はいないようだった。
最新型のパソコン、高性能の機械類、ギター、モデルガン、バイク雑誌……と、
相変わらずの魅録の部屋だが、機材が散乱するようなこともなく部屋は整っている。
ここで作業をしていた様子はない。
232ブランドスーツと手榴弾・二 5/5:2008/12/13(土) 20:04:56
「いないようだな。じゃあ、ちょっと離れを」

見てこよう、と時宗が言うのを遮って、携帯電話の着信音が響いた。
反射的に期待をしたものの、すぐに自分たちの電話のものではないと気づく。
ちょっとすまない、と手で断って距離をとり、時宗はポケットから取り出した電話を耳に当てた。

「ああ、私だ。うん、うん……何ィ!?」

最後の一言は、ふたりから離れたのがまったく無意味なほどの大声だった。
野梨子も可憐も驚きそちらに視線をやるが、時宗はまるで構わずに駆け出した。
突然のことにあっけにとられていたふたりだったが、顔を見合わせ後を追う。

時宗の駆けこんだ部屋は居間だった。
少し遅れてふたりが辿りついたときには、大画面の液晶テレビが再放送のドラマを流していた。
時宗が点けたのだろう。

そのとき、急に画面が途切れ、ぱっと映像が変わった。
報道部。
いつもはにこやかな民放の美人アナウンサーが、こわばった顔で手元に資料を手繰り寄せている。
戸惑いを隠せないまま、彼女がニュースを読み上げた。

『番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします。
 スウェーデン大使ご令息、剣菱財閥ご令嬢、警視総監ご令息ら四名の少年、少女が誘拐されました。
 繰り返します、スウェーデン大使ご令息、剣菱財閥ご令嬢、警視総監ご令息ら四名が誘拐されました。
 ただ今マスコミ各社に、犯行グループから声明が届きました。
 まことに申し訳ありません、番組の途中ですが予定を変更して臨時ニュースをお送りいたします――』

「すぐ向かう!」

テレビを消すことも忘れ、時宗は携帯電話に叫びながら駈け出して行った。
野梨子は、可憐とふたり、呆然と立ち尽くしていた。
                                             続
233名無し草:2008/12/13(土) 21:42:51
>ブランドスーツと手榴弾

続きktkr
可憐と野梨子がどう救出するのか
楽しみに待ってます。
確かに、清四郎とあと可憐なんかは
報道では説明されなさそうだね。
234名無し草:2008/12/13(土) 22:45:25
>ブランドスーツと手榴弾
携帯を惜しがっている魅録がなんか魅録らしかったです。
どうやって可憐と野梨子で助けるんだろう。
続き楽しみです。
235名無し草:2008/12/14(日) 03:00:33
最近連載多いけど、
野梨子メインばっかで
なんだかな・・・

もっと悠理が活躍したり
愛されたりするのが
読みたいからおねがい><

清野ばっかじゃなくて清悠も。さ!
236名無し草:2008/12/14(日) 03:26:44
>ブランドスーツと手榴弾
わくわくする展開ですね。
可憐と野梨子がこれから活躍するのかな?
女性コンビに期待。

投下作家さんのおかげでスレに通うのが楽しい。
今の作品全部好きです、作家さん有難う!
237名無し草:2008/12/14(日) 10:15:18
ちょっとブルーだったので、嵐さんのところで
■紫色の衝撃■を読んできた。
メッチャ元気になった。
ありがとう、清四郎。
238名無し草:2008/12/14(日) 11:58:10
>>235
巣に帰ればいい
239名無し草:2008/12/14(日) 13:52:04
まぁこのスレはオールカプなんて名目だけで、実際は清野スレだからさ。
240名無し草:2008/12/14(日) 15:55:31
K−21の宣伝番組で魅録の作ったようなヘリが出てきた
本当にあるんだね
241ブランドスーツと手榴弾・三 1/5:2008/12/14(日) 21:00:22
>>228-232 注意書き>>215


「ど、ど、ど、どういうことよ!」

衝撃から立ち直りきれていない可憐が、
よそさまのお宅の居間だというのにも関わらず叫ぶ。
野梨子の優秀な脳みそは、半分では可憐同様に混乱しきっているのだが、
残りの半分は臨時ニュースで流される情報を効率よく整理していた。

「悠理と魅録と美童、それから四人ということは清四郎も、誘拐されたようですわね……。
 それも、私たちが来るほんの少し前に」

自分が口にした言葉にも関わらず、
野梨子はなんだか自分以外の誰かが話しているのを聞いている第三者のような気分だった。
現実感がまったくない、信じられない。
普通だったら真っ先に狙われとらわれてしまうような自分と可憐がこちら側に残ってしまっているのもそれに拍車をかける。

「じゃあ、これ……悠理たちはやっぱりあの場所にいたのね」

可憐がバッグから取り出したのは、悠理のオリジナルブローチだ。
今考えれば結構な重要証拠品だ。
しかしこれを渡すべき時宗はとうに家を離れ、臨時捜査本部へと向かっている最中だろう。

「四人ともあそこにいたのでしょう。よっぽどの理由がない限り、四人をわざわざ個別にさらったとは考えにくいですわ」

よほどの理由――まさかマイクロフィルム入りの食べものを口にしたとも思えない。
あんな偶然は一生に一度でも多すぎる。
242ブランドスーツと手榴弾・三 2/5:2008/12/14(日) 21:00:57
「で、でも! 大丈夫よね、人質を殺したりなんかしたら、身代金が――」
「しっ! 可憐、見て!」

野梨子が液晶画面を指差した。
女性アナウンサーが固い顔でニュースを続ける。
いつの間にか、隣に解説員のような年配の男が座っていた。

『――つまり、犯行グループの声明を簡単にまとめると、どういうことになるのでしょうか』
『ええ、犯人たちは、この秋から続く不況の影響を受ける層を省みない、
 経済界や政界のトップを打破しようとしているということです。
 ――しかしながら、政府も次々と雇用・景気対策を立てていますし、
 まして罪のない少年少女を人質にとって訴えるなど、言語道断です。
 そのような自己中心的で暴力的な訴えは、決して許されることではありません』
『その通りですね。それでは犯人グループの声明文をもう一度繰り返します――』

「ど、ど、ど、どういうことよ!」

先ほどと同じ台詞を可憐が繰り返す。

「――つまり、身代金目的の営利誘拐ではないということですわ。
 すぐに殺すようなことはないでしょうけれど、いざとなれば……」

可憐が唇を震わせる。
野梨子も続きを口にできなかった。

「な、何なのよお! 清四郎や魅録がいながら、何でこんなことに!」

営利誘拐でないというのは最悪の事態だった。
剣菱財閥、さらにそれぞれの家の財力を考えれば、金銭で解決できる問題なら問題のうちに入らない。
少なくとも人質の無事は確保されるのだから。
243ブランドスーツと手榴弾・三 3/5:2008/12/14(日) 21:01:46
――そして野梨子の脳裏には、さらに悪い想像が駆けめぐる。

「警察も、苦しい立場になると思いますわ」
「……どうして?
 そりゃあ、時宗のおじさまは心中穏やかではいられないでしょうけど、
 息子が人質になっても『おまえの骨は拾ってやる』って犯人に屈せず捜査を続けるような人でしょう」
「おじさま個人はそうでも、警察という組織はそうはいきませんわ。人質のカードが強力すぎますもの」

動悸を抑えるように胸元で両手を重ね、野梨子は続ける。

「清四郎はともかく――剣菱財閥の娘、警視総監の息子、スウェーデン大使の息子。
 経済と公権力と外交のトップの子女が誘拐されたんですのよ。
 犯人は絶対に逮捕しなくてはならない。
 でも、万に一つでも人質救出に失敗したら? 責任を取れる方なんていませんわ。
 それどころか日本中が混乱に陥ることになりますもの。
 犯人側には四人の人質がいる。包囲されても、いざとなればひとりずつ盾にしていけばいい。
 これでは圧倒的に犯人側が有利すぎますわ」

いくら人質のひとりが警視総監の息子だからといって、強硬策を失敗したら時宗の首が飛ぶだけでは済まない。
警察そのものの重大な汚点になる。

無言で野梨子の話を聞いていた可憐が、ふと顔を上げた。
その顔は青ざめていたが、にらみつけるような強い視線でこちらを射抜いている。

「――それで、どうするの?」

明晰な彼女でも、その質問の意図を理解できなかった。
気迫に押されたように一瞬言葉を詰まらせ、そして静かに口を開く。

「どうって……何がですの?」

「不可能を可能にするのが有閑倶楽部だって、言ったのはあんたじゃないの」
244ブランドスーツと手榴弾・三 4/5:2008/12/14(日) 21:02:27

「くそっ! 悠理さまをこんな目にあわせやがって! おまえら覚えてろよ!」
「……悠理、それじゃ悪役の捨て台詞ですよ」
「うるさーい! 清四郎、おまえどっちの味方なんだ!」

隣に座った清四郎に声も荒く叫ぶ悠理だったが、その勢いは少しずつ衰えていく。
当然だ。
今日は、この間できたばかりのカフェの目玉メニュー「特盛りジャイアントパフェ(通常のものの十人前)」を、
昼食代わりに食べる予定だったのだ。
そのため、悠理は朝食を抜いていた。
手足の拘束を解こうともがいたり、それができないとなると見張りの男に叫んでみたりはしていたが、
いい加減、力も出ない。

くったりと壁にもたれかかって、ふてくされたように悠理は訊いた。

「身代金はいくらなんだよ。早く解放してよ」

すっかり誘拐慣れしきっていた。

地下のこの部屋の出入り口はひとつきりで、窓や逃げ出せるような脱出口もない。
そのため、今この室内に見張りはふたりだけだった。
入口にひとり、そして悠理たちの目の前の男がひとり。
リーダー格をはじめ、他の仲間たちは別室に引き上げてしまっている。
手と足の枷さえなければ、ふたりぐらいの男、どうとでもしてやれるのに。
245ブランドスーツと手榴弾・三 5/5:2008/12/14(日) 21:03:14
目の前の男は――悠理とそれほど年は変わらない、まだ若い男だ――
どこか自慢げに笑うと上から見下ろしながら言った。

「ふん、俺たちは身代金を奪い取ろうなんてげすな考えじゃないんだよ」
「何だとお!? こんなことする奴らのどこがげすじゃないんだよ!」
「おまえらみたいな生まれながらの金持ちはわからないだろ。
 底辺にいる俺たちの生活の苦しみなんか。
 不況の折でも剣菱財閥は収支を増やしてるそうじゃないか。
 自家用ジェットを二台も持ってるって?
 馬鹿らしいぜ、こっちは働きたくても職がなくて、アパート借りるのにも苦労してるのにさ!」

うっ、と悠理は言葉に詰まった。
痛いところを突かれたからではない。
剣菱財閥の娘としての生活が当然で、
金持ち学校で金持ちの子女に囲まれて生きているのが当然の悠理は、
一般人の生活が本当にわからないのだ。

「俺たちはこんな体制に復讐して、この腐った社会を変えてやるんだ!
 この国のためだ! 汚れた金を奪おうなんて思っちゃないぜ!」

……しかし、こんな方法で自分たちを拘束して、さも正義だと言わんばかりの態度に、
悠理のはらわたがふつふつと煮えたぎる。
社会を変えるなら勝手にやれよ、どうして人を巻きこむんだ!
危なくなったときのために人質を取っとくような奴の言い分が信用できるか!

「おまえらの気持ちなんかわかるか! 自家用ジェット持ってて何が悪い! それで迷惑かけたかよ!」
「てめぇ……! 開き直りやがって!」

―――入口にいる男の制止で、何とかたこ殴りは免れた。

ああ、パフェ食えなくてもいい。それより先に、今すぐこいつ殴りたい。
                                             続
246名無し草:2008/12/15(月) 00:42:15
>ブランドスーツと手榴弾
さっそく続きが読めて嬉しいです
腕におぼえのあるメンバーがつかまって、弱そうな女性陣二人が救出にまわる設定が新鮮で面白い
続きが楽しみです
247名無し草:2008/12/15(月) 14:06:34
>ブランドスーツ
敵も手ごわそうですね。
朝食抜きの悠理も心配です。
続き待ってます。
248ブランドスーツと手榴弾・四 1/6:2008/12/15(月) 21:01:08
>>241-245 注意書き>>215


――不可能を可能にするのが有閑倶楽部だって、言ったのはあんたじゃないの。

そう告げると、野梨子は唇を結んで静かに思案に沈んだ。
頼りなげではかなげな様子は霧が晴れるようにかき消えて、
開き直ると強い腹のすわったお嬢さまの表情になる。
そう長くない時間が経つと、野梨子は可憐に提案した。

松竹梅邸を辞して、いったん白鹿邸に戻り、余計な荷物などを置いて必要なものだけを身につける。
不安げな野梨子の母を励まして、ふたりは停めたままにしておいたタクシーに再び飛び乗った。

向かう先は、一軒のクラブである。

――魅録の行きつけのお店を知りません?

野梨子は静かな目で言った。

「行きつけのお店って? 服屋? クラブ? 飲み屋? ライブハウス?
 電子機器関連やミリタリー関連みたいなマニアックなところは知らないわ」
「魅録のお友達がたむろしているようなところですわ」

彼女は、お友達という単語に微妙なニュアンスを置いていた。
すなわち、暴走族やチーマー関係の「お友達」ということだ。
249ブランドスーツと手榴弾・四 2/6:2008/12/15(月) 21:01:42
「その方たちに協力をお願いしましょう」

正直に言えば、かかわりたくない。
いくら魅録の仲間とはいえ、女ふたりでそんな連中のところに乗りこんでいくのは怖い。
しかし今はそんなのんきなことを言ってはいられない。
可憐はうなずいて、とあるクラブの名前を口にした。
魅録や悠理がよく顔を出して「仲間たち」と飲んでいると言っていた店だ。
他にもいくつか候補はあるが、その店の名前を一番よく話に出していた気がする。

そして、迷いのない眼差しで野梨子は提案した。

「そこに向かいましょう」

タクシーの中から外を見れば、警官やパトカーがやけに目に留まる。
まさか検問に引っかかりはしないでしょうね、と可憐はやたらと不安になる。

辿りついた場所でタクシーを降りてみると、昼間、午前中のクラブは薄暗くてうら寂しい。
それほど立派な外装ではなく、いかにも知る人ぞ知るといった雰囲気の店だった。
「CLOSED」の札を無視して試しに扉に手をかけると、鍵はかかっていないのか抵抗なく開いた。
怪訝に思う間もなく、その理由はすぐに知れた。
小さな店内には、客がまだたむろしていた。
――正確に言えば客ではないのかも知れない、昨夜から飲んで騒いでいた人間がそのまま居座り、
閉店時間が来たのでとりあえず店を閉めてみた、という感じだった。
250ブランドスーツと手榴弾・四 3/6:2008/12/15(月) 21:02:16
いかにもな服装の男どもが、けだるそうに振り返り、そして表情を動かす。
可憐は他人に注目されることを好んでいたが、
値踏みされるような視線で服の下の身体を想像されるのはさすがにいい気分はしない。
意を決して、可憐は息を吸いこんだ。

「松竹梅魅録と剣菱悠理のことで来たの。どっちかと親しい人はいない?」

魅録と悠理の名前を出すと、ふたりを値踏みしていた男たちの表情がまた変わる。
と、そのとき、くるりとひとりがこちらに身体ごと振り返った。

「なあにい、魅録さんと悠理ちゃんの知り合い?」

この空間で――可憐と野梨子を除いて――おそらく唯一の女性だった。
悔しいけれど、可憐と張れるほどのプロポーションだ。
しかし、年より大人びて見られることの多い可憐と比べると、
彼女は野梨子よりもまだ小柄で、童顔のグラビアアイドルを連想させる。
どう見ても十代、化粧を落とせばさぞあどけないだろう。

「そうよ。貴方、魅録や悠理と親しいの?」
「うーん、親しいってほどでもないかなあ。……いいや、こっち来て」

間延びした声で答えた彼女は、ひょいひょいと身軽に店内を歩いて可憐と野梨子を先導する。
「PRIVATE」という札のかかった従業員専用の扉を迷わず開けて入りこみ、そしてふたりを招き入れた。

「ねーえ、魅録さんと悠理ちゃんの知り合いが来てるんだけど、用事みたい。通してもいい?」
「馬鹿、もう通してるだろ。座ってもらいな」

薄汚れたソファに座っている男が、どうやらこの店のオーナーらしかった。
可憐の目から見ても男の容姿はそこそこ整っていると言っていいが、
道ですれ違っても絶対に目を合わせたくないようなタイプの男だ。
251ブランドスーツと手榴弾・四 4/6:2008/12/15(月) 21:02:52
野梨子と並んで、男と向かい合って座る。
少女は男の隣に無理やり腰を下ろして嫌そうな顔をされていた。

「綺麗どころが並ぶと目に楽しくはあるな。
 あんたらみたいなお嬢さんがよくこんな店に入ってきたもんだ。……それで、用事ってのは?」

手っ取り早く、可憐が今日の出来事を説明する。
魅録たちが誘拐されたこと、犯人グループの犯行声明、警察の立場。
そして。

「……だから、力を貸して欲しいの。ふたりを探すのを手伝ってくれない?」

少ししなを作って言ってみたものの、この男に色仕掛けの効果は薄そうだった。
おまけに、隣にこれだけ見事なスタイルの少女が座っていたら効果も半減といったところだ。
予定が狂ってしまって、可憐はまったく顔に出さずに歯噛みした。

「話はわかった。協力してやりたいところだが、答えはノーだ」
「何でよ!」
「……あんたら、本当に魅録さんのダチなのか?
 実はその犯人たちとグルで、逃げ出した魅録さんを何としてでも探したいと躍起になってるとしたら?
 魅録さんのためなら協力は惜しまないが、信用ならない相手に力を貸してあの人の首を絞めるのはごめんだ」

――悔しいが、理屈が通っている。
可憐は携帯電話を取り出して、写真を呼び出した。
制服姿の野梨子と悠理が並んで座っている一枚を表示して突きつける。
「同じ学校の友達なのよ!」
「同じ学校の奴らが、犯人とグルでないとは言い切れない」
「そんなことあるわけないじゃない!」
252ブランドスーツと手榴弾・四 5/6:2008/12/15(月) 21:03:36
熱くなった可憐をすっと冷まさせるような、間延びしたしゃべりが男を援護する。

「学校にいると、そんな仲よくない子とメールしたり写真撮ったりなんて普通だよねえ。
 挨拶代わり、っていうかさあ。あたし、ケータイのつながりだけじゃ親しい友達って言わないもん。
 あ、誤解しないでね。そーいう付き合いも、それはそれで好きだよ」
「……そういうわけだ。メールや着歴を見せてくれてもいいが、よほどのことがない限り信じられないな」

はっと気づいて、可憐はバッグから例のブローチを取り出した。

「これ、悠理のよ! 気に入ってしばらく身に着けてたから、貴方たちの前でもつけてたはずだわ」

興味を持ったのだろう少女が上体を伸ばして覗きこむ。
首を傾げて角度を変えて眺めていたが、申し訳なさそうに言った。

「うーん、見たことあるような、ないような。
 悠理ちゃんって、いっつも服が派手だから、あんまり小物の印象って残らないんだよねえ。
 それに、会うのって大体夜だから暗いし」
「悪いな。俺も女の服に興味はなくってね」
「やらしーい! 悠理ちゃんで変な想像しないでよね!」
「馬鹿なこと言うな。どう見たらあれが女に見えるんだよ」
「だよねーかっこいいもんねえ! そのへんの男なんかよりずーっと素敵!」

これでもう打つ手はない。しかし、彼らの協力が野梨子曰く「絶対に必要」なのだ。
必死で知恵を絞ろうとしたそのとき、
今までの交渉を可憐に任せきり思案にふけっていた野梨子が、初めて口を開いた。
253ブランドスーツと手榴弾・四 6/6:2008/12/15(月) 21:04:08

「大湊組の金剛さんと、チンピラのサブローさん」

少女とじゃれ合っていた男が、静かに野梨子に視線を向けた。
空気を察してか、少女も黙る。

「『赤い牙』の名前で、いつだったか魅録が探すようにお願いしていましたわね」
「……ああ」
「サブローさんがスナック緑で飲んでいたら、金剛さんがやってきて、大湊商事に向かった――
 確か、そうでしたわよね」
「よく覚えてるな。そのスナックはもう潰れた」
「私も、その事件の当事者のひとりだったんです。その節は本当にお世話になりました」

感謝の言葉を口にしたとき、野梨子は照れたように微笑んでいた。
野梨子の口にした固有名詞は、可憐も聞いたことがあるような気もするけれど自信はない。
「赤い牙」は鯉を誘拐したときの過激派の名前だったろうか。

ひゅう、と男が口笛を吹いて、小さく「マジかよ」とつぶやいた。
そして、にやりと笑った。

「オーケイ。信じよう。魅録さんの一大事だ、力を貸す」

                                          続
254名無し草:2008/12/15(月) 22:28:04
>ブランドスーツ
1日見てないだけで、2回続けて読める幸運がw
早い投下乙です。
ひと言で黙らせてしまう野梨子がカッコよかったです。
童顔のグラビアアイドルって言葉だけだと、ほしのあきが浮かびました。
可憐と全然体型違いそうだけど。
255名無し草:2008/12/15(月) 22:43:14
>ブランドスーツ
話が動いてきましたね。
でもほんとに悠理と魅録って顔が広いというか、いろんな知り合いがいて、
倶楽部のみんなも知らない世界があるんだなと思いました。
どうやって犯人にたどり着くか楽しみです。
256名無し草:2008/12/15(月) 23:00:47
>ブランドスーツ

立て続けに投下、乙です
野梨子を一言で落ち着かせた可憐カッコイイ!
肝が据わったとたん、頼りになる野梨子も
この二人の友情いいね。
257ゴゼンニジノウタ:2008/12/16(火) 00:40:09
先日は申し訳ありませんでした。
私の調べ不足で修平の休みを『有給』としてしまいました。
ご指摘ありがとうございます。

また、清四郎と野梨子の関係ですが、付き合ってはいないものの
清四郎→←野梨子
の雰囲気で、本人たちもそれを自覚している…
と思っていただければ幸いです。
失礼いたしました。

今回は>192-197の続きで、10レスいただきます。
258ゴゼンニジノウタ19:2008/12/16(火) 00:41:03
和子から聞いた話を簡潔に纏め、清四郎はその日のうちに魅録に連絡した。
次の日久し振りに予定のなかった可憐を交え、放課後に集まることにした。
「…でさ、あいつあの後『やっぱり勘違いだったかも』って言ってたぜ」
昨日の放課後、悠理は配られた真新しい台本になんの拒否反応も示さなかった。
そればかりか魅録が目覚めた時、あれ程嫌がっていた古い台本を捲ってさえいたのだ。
つまり嫌な予感がしたのは、昨日の昼休みだけだったことになる。
「しかし悠理の勘は鋭い。…現に無視できない過去もありましたしね」
「そうだな…調べてみる価値はあるよな」
清四郎は一枚の紙を取り出した。パンフレットのコピーのようだ。
『19XX年聖プレジデント高等部公演・桜の下に眠る鬼
綾白…片岡あゆみ
月闇…小手川賢治
朝波…高須理人』
「!見つけたのか」
「昼休みにね」
演劇部の公演は、学校にとってもそれなりに大きな行事だ。歴年多くの資料が生まれる中―――この年のものだけが極端に少なかった。
隅々まで探してやっと見つけたのがパンフ一枚だったのだ。
「…怪しいな。この事件を消そうとしてる」
「それから、姉貴の言った通りでした。月闇役の小手川賢治と綾白の片岡あゆみは確かに自殺しています」
「もう1人、役降ろされた奴は?」
「えぇ。事実を確認できました。彼女の名は………宮川紗也子」
「つーことは、少なくともこの時に死んでいないのは―――高須理人。こいつだけか」

その時扉を開いて、可憐がやって来た。
「お疲れ様です。どうでしたか」
「………だめ。見つからない」
可憐のクラスの最後の授業が自習であったため、清四郎は卒業アルバムを調べるように頼んでおいた。
可憐は知らされた四人の名前を何度も繰り返し探したが、誰一人見つからなかったという。
「前後五年分は探したわ。何度も確認したから間違いない」
「残る1人も手掛かりなし」
「となると転校か、それとも…」
それともの先は、誰にも解らない。
259ゴゼンニジノウタ20:2008/12/16(火) 00:41:47
「それより、今後の方針を決めていきましょう」
後味の悪い沈黙を切り捨てて、清四郎が事務的に言った。大切なのは、これからどう調べていくか―――…

「俺は、人脈使って三人の情報調べてみる」
「では僕は自殺に動機の他の不自然さがないか調べてみます」
「じゃあ、あたしは………」
自分の役割を瞬時に見つけた二人に対し、可憐は少しの後に閃いた。
「柏木先生!」
柏木は昨年定年退職した教師で、ずっと演劇部の顧問をしていた。
原に代わるまで随分長くその役目を努めていたと聞いた事がある。
「…なるほど。あの先生なら何か知っているかもしれませんね」
「可憐、行けるか?」
「任せて」
可憐は笑顔で言い切った。その顔から自信が溢れている。
彼女に恋愛感情のない清四郎や魅録にとっても、その笑顔は眩しく思えた。

―――この所彼女の放課後は、新しい恋人に独占されていた。
「今度こそ運命の人」らしいお相手はまさに理想の人らしい。
おかげで、最近の彼女はとても上機嫌であった。

………それと反比例するように、金髪の貴公子は収まりかけていた女遊びをまた始めた。
清四郎や魅録にはこれが何を意味するか、言われなくてもうっすらと判った。
彼女の前でわざと他の女の話をする彼は、逆にとてもピュアにさえ見える。

『運命の人』は昨日から出張らしかった。
しかし可憐の心は彼とロンドンなのだろう。こんな時でも足取りは軽かった。
260ゴゼンニジノウタ21:2008/12/16(火) 00:42:23
※※※
清四郎たちが影で動いていることも知らずに、演劇組は毎日の練習に大忙しだった。
発声に始まり、台本の読み合わせや衣装の相談。
慣れた美童や野梨子と違い、悠理は台詞を覚えることに悪戦苦闘だった。これに立ち位置や動きも加わるのだから先行き不安だ。
朝はまだないが、昼休みは呼び出されることも多くなってきた。
やる気とこだわりの衣装係は、既にいくつもの試作品を作っていた。
「―――…鬼め、綾白さまを惑わせたな」
「………あぁ?こいつは自分の意思で外に出た。お前が何か言う筋合いはない」
「朝波、私は大丈夫です。心配しないで」
衣装の準備の合間を縫って、三人はこうして台詞を合わせていた。
まだ少したどたどしいが、少しずつ形になって来ている。
「…で、ここから僕が悠理に切り掛かる…と」
「何も言わないで不意打ちかよー。卑怯な奴ぅ」
「手段は選んでいられませんのよ」
役柄を抜け出したやり取りに野梨子は笑った。
「な、ここで『月闇の血が朝波と綾白にかかる』ってあるけど、どうやってやんの?まさか本当に斬ったりしないよな」
「するわけないでしょう。きっと血糊か照明演出ですわ」
白鹿さーん。衣装係から声が掛かって野梨子が立ち上がる。紅い髪の鬘の相談だった。

「…なぁ美童」
「なに?」
揺れる野梨子の黒髪を、目で追いながら悠理は言った。
「朝波と綾白ってさ…清四郎と野梨子みたいじゃないか?」
「………え?」
261ゴゼンニジノウタ22:2008/12/16(火) 00:43:02
綾白という少女を、ただ1人守ろうとする朝波。
絶対的な信頼を寄せられ―――それ故に触れられぬジレンマ。
剣の達人にして優秀な頭脳を持つ彼。確かにイメージは近いかもしれない。
「んー………まぁねぇ。判らないこともないかな」
「…………」
「でも、清四郎は実際、野梨子を狭い世界に閉じ込めようなんて思ってないよ。むしろ広い視野を持つことを薦めてるくらいだ」
「そりゃ、『今』だからな」
悠理が野梨子を見つめたまま言った。
視線の先の野梨子は何種類もの鬘を被せられ、その度に生徒が唸っていた。もっと紫がかったほうが…いや、むしろほとんどオレンジの………
「どういう意味?」
美童の目は完全に悠理に向いていたが、横顔の悠理は動かない。表情は鋭くて怖いくらいだ。
「『今』はさ、野梨子は普通の人間で…むしろ好かれるくらいの容姿だけど、もし―――野梨子が本当に…
それこそ綾白みたいに忌み嫌われる存在だったら、それでも清四郎は外の世界を見せようとするか?」
「それは…………」
清四郎ならどうするだろう。まず安全な場所を確保するのは間違いない。
…………たとえ自分が恨まれてでも、野梨子の心と身体を守るかもしれない。
――――朝波がそうしたみたいに?
「……………」
野梨子が五つめの鬘を被ると、生徒たちから歓声が上がった。少し暗めの深い紅。
それは野梨子の白い肌と絶妙のコントラストを描いていた。
それを眺めながら、2人はそれ以上何も語らなかった。
※※※
――――綾白さま、どうして泣いているのです。僕があの鬼を斬ったからですか?
あの男が齎す自由はこういう事です。………世の醜さと引き換えなのです。
あなたに血塗られた未来を歩ませはしない。―――――決して。

262ゴゼンニジノウタ23:2008/12/16(火) 00:43:31
翌日、可憐は柏木の家を訪ねた。前日に電話でアポイントを取ってはいたが、
さして親交のなかった可憐の訪問の申し出に柏木は戸惑ったことだろう。
しかし生徒想いの良い教師であった柏木は、何か困ったことでもあったのだろうかと快く返事をしてくれた。
………いいよ。丁度毎日暇だったんだ。

奥さんは友人と旅行らしく、子供も成人して家を出ている柏木は家に1人だった。
可憐をソファに座らせて、コーヒーを入れてきてくれた。
「すみません、急に」
「いや、いいよ。若い人と話したかった所なんだ」
「私のことなんか、忘れてたんじゃありません?私、歴史の成績は良くなかったし」
可憐が申し訳なさそうに微笑むと、柏木は笑った。
「いいや。よく覚えているよ。君は………なんというか、………昔の生徒に似ていたし」
そして何故か、段々と少し悲しい目をして、彼は可憐の顔から目線を外した。
その後少し他愛もない話をし、可憐はついに本題に入った。
「…先生はずっと、うちの学校の演劇部顧問だったんですよね」
「あぁ、それこそ新任の頃からね」
「………19XX年は」
柏木の表情が固まる。そして目を見開いて可憐の顔を見、驚きの表情を隠さなかった。

「………どうして」
心なしか青褪めている。
「今年の演劇部『桜の下に眠る鬼』です。ヒロインは野梨子………白鹿野梨子です」
「!…白鹿さんが……」
柏木は更なる驚きの後、そうか、そうか……と額に手をあて目を閉じた。
やはり何かあるのだ。可憐はさらに押した。
「何かご存じなら教えて下さい。私達それを知りたいんです」
「……………」
優しい柏木は、生徒の自殺に本当に心を痛めていたのだろう。
その傷をえぐり出してしうかもしれない。可憐の良心がじくじくと痛んだ。

263ゴゼンニジノウタ24:2008/12/16(火) 00:44:41
※※※
可憐は柏木から預かったスクラップ帳を胸に抱き、菊正宗家の門を潜った。
清四郎が迎え出て、部屋にはすでに魅録も居る。
「何か収穫はありましたか?」
その言葉に静かに頷き、可憐はスクラップ帳を提示した。
「…これは?」
「柏木先生から預かってきた。先生は定年まで毎年、その年の演劇部に関するものを集めたスクラップを作っていたの。これがあの年の」
魅録と清四郎が顔を見合わせる。
「すげえ!可憐大収穫だぜ………何そんな浮かない顔してるんだ?」
「……」
可憐は無言でスクラップを捲った。そこにはパンフレットや文書だけでなく、ちょっとしたメモや写真も含まれていた。
細い指の差す先に、四人の男女が写った写真。
それを見た瞬間、二人は驚きの声を上げた。
「可憐…!?」
※※※
四人のうち1人は、可憐にとてもよく似ていた。大人っぽくて綺麗な少女だ。
休憩中なのか、草原に座って弁当を食べていた。
仲の良い四人らしく、皆楽しそうに笑っていた。生徒想いの柏木が取りたがりそうな写真だ。
「これが…そうですか?」
「そう。あの事件に関わった四人」
…四人、とは具体的には綾白役の片岡あゆみ、月闇役の小手川賢治、朝波役の高須理人、
それからヒロインを降ろされた宮川紗也子のことを指す。
可憐似なのは宮川紗也子で、彼女が呪いの元凶と噂される元部長だった。

片岡あゆみは紗也子ほど華はないものの、優しげな可愛らしい少女で、くりくりの茶色の髪をポニーテールにしていた。
小手川賢治は若干冷たい雰囲気の、しかし相当に整った顔立ちの男だった。
そして高須理人は、知的そうな眼鏡の似合う、柔らかな表情の好青年といったところだ。
「柏木先生が教えてくれたの。この4人は生徒会役員もしてて、すごく目立った存在だったって。―――今のあたしたちみたいに」
脚本は文化部長の高須理人が書いたらしい。
この中で唯一あの時生き残ったのも彼だ。最も、彼はこの後転校しイギリスに飛んでいる。そしてその後の消息は不明だ。

264ゴゼンニジノウタ25:2008/12/16(火) 00:45:35
―――とても華やかな子たちでね。君達のように他の生徒とも一線を画していたよ。
それが誰1人消えた後の学園は………暫くとても暗かった。
柏木はそう言って目を伏せていた。
彼が可憐を印象深く覚えていたのは、宮川紗也子に似ていたからに他ならなかったのだ。
可憐は思う。
柏木はずっと、どんな想いで私を見ていたのだろう。
もしかするとそれだけで、彼の心を傷付けていたのでは………

そんな思考を読むかのように、魅録が声を掛けてきた。
「気にすんな。………お前は悪くないよ」
「うん………。ありがと」
結局清四郎や魅録の調査結果は、可憐にほとんど内包されていた。
強いて上げれば、魅録が4人を含めた当時の生徒会役員の連絡先を手に入れたことだろう。

「それでは次からは、遺族を含めた生徒会役員とその家族を当たってみますか」
「そうだな。じゃあ明日は―――」
「待って」

2人の話を止めて、可憐は静かに息を吐く。
「もうひとつ、柏木先生が教えてくれたの」
「………なんだよ」
「ゴゼン二ジノウタ」
265ゴゼンニジノウタ26:2008/12/16(火) 00:46:44
※※※
放課後に集まり、三人で話し、何かを知りそうな人物が居れば電話を掛け、場合によっては会いに行く。
それがここ最近日課になっていた。
柏木の話では当時の生徒会役員も仲が良かったらしい。残りの2人や遺族であれば何か知っているのではないかと言っていた。
「………どうでした?」
「全然だめ」
可憐が全く進まないメモを机に投げ捨てた。
「会長も駄目か…」
可憐が日曜に足を向けたのは当時の生徒会長の所だった。
彼は行き着けのバーで可憐に声を掛けられた時は鼻の下を伸ばしていたものの、本題になると一変、
泣きそうな顔で何も知らない、と繰り返すだけだった。こっちが教えてほしいくらいだと。
遺族についても同じだ。話を聞けても嘆くばかりで、ほとんど何も知らなかった。
「大分削られたわね…」
魅録の集めた連絡先は打ち消し線でいっぱいだった。
「宮川紗也子の両親にも連絡が付きません。まぁ当時から留守がちで、何か知ってるとも思えませんがね」
「家族は両親と………弟か。でも事件の時まだ小学生でしょ?それこそ意味なんてないわよね」
「…ただいま」
午後の授業を抜けていた魅録がうんざりした顔で帰ってきた。
「おかえり。どうだった?」
「やけにお喋りな奴でな。時間の無駄だった」
魅録は宮川紗也子の元婚約者に会ってきていた。
しかし所詮親が決めた婚約者であり、たまに儀礼的に顔を合わせる以外に接点はなかったという。
彼女の自殺に自分の責任がないことを延々と語り、終いには
「彼女との結婚は嫌でもなかったんだけどね。美人だったろ?あぁいう女をモノにするのも悪くなかったなぁ」
と下品に笑ったその男に、魅録は吐き気がしたくらいだ。

「となると残りは…彼女ですね」
清四郎はトントンと卒業アルバムを指差した。
ふくよかで、長い黒髪を三つ編みにした眼鏡の少女。――――最後の生徒会メンバーだった。

266ゴゼンニジノウタ27:2008/12/16(火) 00:47:23
※※※
野梨子は舞台裏で、1人台本を読みながら出番を待っていた。
今表では悠理…月闇の、鬼の里でのシーンが練習されている。
美童は別室で髪をああでもない、こうでもない、と結われているようだ。
野梨子は一通り不安な部分にチェックを入れると、ぱたんと台本を閉じ息をついた。

―――難しい役柄だと思う。
綾白はどこまでも純粋無垢で、………そして何より無知で幼い。
あまりに世界が狭すぎて、自らが忌み嫌われる存在であることさえ知らない。
そしてその愚かさ故、愛する人も自らをも傷付けるのだ。

未だ野梨子は綾白という役を掴みきれずにいる部分があった。
舞台裏の鏡に映る不安気な顔。今回の役は、さすがに荷が重すぎたかもしれない…。
「………え?」
鏡に写った野梨子の背後で、何か紅いものが動いた。
「綾白の………鬘?」
少し色が違った気がする。打ち合わせの時のあれはもっと深い紅だった筈…
「………!?」
一度消えたそれは、鏡の端にまた現われた。ゆらゆらと揺れているのは、確かに長い髪の毛に見える。
「………だれ、ですの」
返事はない。震える声がただただ響いた。それは何かの尾のように、生き物の如く揺らいでいる。
気味が悪くなり、野梨子は勢い良く振り向き立ち上がった。大袈裟な音をたてパイプ椅子がガタンと倒れた。

揺れる、紅。
こっちにおいでと手招きしているようだった。

野梨子が凝視する内、ひゅ、と突然それは消えた。否、引っ込んだのか、逃げたのか――…
野梨子は半ば無意識に、誘われるようにそれを追っていた。

267ゴゼン二ジノウタ:2008/12/16(火) 01:01:21
すみません、規制にひっかかって書き込めなくなってしまいました。
解除されたらすぐに投下します。
268ゴゼンニジノウタ28:2008/12/16(火) 01:02:33
『それ』はゆらゆらと、決して野梨子を置いてゆくこともなく、逆に捕まることもなく移動する。
野梨子は何かに魅せられたように、それに手を伸ばして走る。

それは控室を抜け、狭い階段を上り、小さな部屋の中に消えた。
野梨子が息を切らせて追いつくと、そこは古い音響の部屋だった。
ここで行き止まりの筈だ。しかし、辺りを見回すもなにもない。
古ぼけた茶色の壁紙と、埃っぽい空気―――…
「…………?」
不思議に思った野梨子の視界に、また紅い髪が入った。
音響室のたったひとつの、舞台が丁度見渡せる窓。その窓の隙間から、紅い髪が逃げていった―――?
野梨子は駆け寄って下を覗いた。しかし、何も落ちた形跡はない。
悠理や役者の数人が、原と舞台稽古に勤しんでいるのが見えただけだ。

………なんだったのだろう。
野梨子が諦め―――内心安堵し―――帰ろうとした時、振り向きざまの視界に、紅。
「え」
同時に彼女は身体に衝撃を受け、窓の外へと突き落とされた。

※※※
≪『綾白』の名を語ってはいけないらしい。…あれは彼女ひとりのものだから。―――当時の学園内の噂より≫

続く
269ゴゼンニジノウタ:2008/12/16(火) 01:03:49
…重ね重ねすみません、書き込めました。
270名無し草:2008/12/16(火) 03:35:32
いろいろな作家さんの更新が相次いでいて、ここをのぞくのが本当に楽しみです!
皆さん、いい世界を作ってらして、読み手はしあわせものです!
271名無し草:2008/12/16(火) 03:36:36
いろいろ読めて幸せー
皆さん乙すぎです。
272名無し草:2008/12/16(火) 03:51:38
>ゴゼンニジノウタ

とてもいい展開になってきましたね〜
有閑倶楽部らしい雰囲気にあふれていて
更新が待ちきれません。楽しみにしています。
273名無し草:2008/12/16(火) 09:40:59
>ゴゼンニジノウタ
待ってました。
う〜ん、恐くなってきましたね。
ドキドキしながら読みました。
野梨子はどうなってしまうんだろう・・・
続き楽しみにしています。
274名無し草:2008/12/16(火) 16:12:38
>ゴゼン二ジノウタ
可憐に似た人まで登場ですか、後々キーポイントになってくるのかな。
野梨子は大丈夫なのかな。
綾白の名を語る野梨子の身に危険が起きてる?
展開が読めないので続きが気になってしかたないです。
275ブランドスーツと手榴弾・五 1/9:2008/12/16(火) 20:54:14
>>248-253 注意書き>>215


乗せられた車は、意外なことに三列シートの大型ワゴン車だった。
素人目に明らかなほど改造されているというわけでもなく、
ペイントもされていないごく常識的なものだった。
可憐と野梨子は三列目に座り、二列目に男と少女が座っている。
運転をしているのは可憐の知らない男で、助手席は空いている。

待ち合わせしていた場所と時間を男に教える。
さらわれた時刻と犯行声明の出た時刻を照らし合わせると、
都内にいる可能性が高いということも野梨子が短く説明した。

「魅録さんと悠理以外の写真、ケータイに入ってるか?」
「ええ。送るわ」

手早くメールアドレスを交換して、清四郎と美童の写真を送信する。
その間も、車はパトカーと警察の目立つ道を、法定速度をきっちり守って走る。
男は携帯電話をひっきりなしにいじっている。
四人の写真が、おそらくは恐ろしい勢いで都内の一部の属性の人間に広がっているのだろう。
276ブランドスーツと手榴弾・五 2/9:2008/12/16(火) 20:54:47
「馬鹿野郎! 叩っ起こせ! 魅録さんの危機だ、ここらで少しぐらいは恩を返しとくんだよ!」

電話の向こうの誰かに向かって男が怒鳴る。
少女は、背もたれに腹を預けるような体勢で可憐たちの方を向き、
どこかのほほんと送られた写真を見ていた。

「悠理ちゃんも魅録さんもかっこいーけど、他のふたりもかっこいーね。今度紹介してね」
「わかったわ。そっちの金髪の方は喜んでデートでも何でも現れるわよ、きっと」
「ラッキー」

可憐と少女がこの場の空気にそぐわない会話をしている間にも、
男が次々ともたらす情報を野梨子が確認している。
今なら野梨子が「彼らの協力が必要だ」といった理由がわかる。
本当に、いくら情報化社会だと言っても、恐ろしく情報が早いのだ。
人海戦術というのは恐ろしい。

――待ち合わせ場所には確かに四人全員が来ていたらしい。
――当たってみた結果、電車やバスで移動という線はなし。タクシーも違う。移動は車だ。
――北の方面にそれらしい車はなし。引き続き聞きこみを続ける。
277ブランドスーツと手榴弾・五 3/9:2008/12/16(火) 20:55:19
求めていた情報が届いたのは、情報収集開始から三十分も経っていなかったと思う。

「来たぞ。都内の廃ビルに、業者らしいスーツとつなぎの集団が入っていった。二時間ぐらい前だ。
 その集団の中に、どうやら金髪長髪の男がいたそうだ。珍しいから印象に残っていた奴がいたらしい」

可憐は息を飲みこむように思わず両手で口元を押さえた。
逆に野梨子は、小さく息をつく。

「あんたら、金髪の兄さんに感謝しなよ。そうでなきゃ到底こんな早くは見つからなかったはずだ」
「ええ……」
「で、どうする? 乗りかかった船だ、力は貸すぜ。
 ただ、あんたの話だと、人海戦術で攻めても人質を盾に取られたらやばいらしいから、
 ろくに力になれるとも思えないが」

この車内にいる人間の中で、一番賢いのは野梨子だ。
運転手以外の三人の視線を一身に集め、彼女は今日何度目か、静かに思案の海に沈んでいた。
278ブランドスーツと手榴弾・五 4/9:2008/12/16(火) 20:55:57

――やばいよなあ、いろいろと。

美童はすでに精神的に疲れきっていた。
営利誘拐であったらどれだけましか。
少なくとも身の安全だけは保障されるのだから。
これで助かったらもう二度と狂言誘拐はしません、と主に誓う。
誓わずとも、そんなことは一般常識の範疇だが。
仲間内では軟弱者とののしられることも多い美童だったが、何だかんだで結構余裕はあった。
あれだけ誘拐、もしくはそれに類するものを経験すれば、誰だって幾ばくかは耐性がつく。
さすがに、刃物や銃を突きつけられれば冷静ではいられないだろうけれど。

先ほど激しく言い合ってから、見張りの男と悠理とはにらみ合っている。
動物だったら全身の毛をお互いに逆立て威嚇し合っているだろう。
大体二十人ぐらいの男たちに包囲されここまで連れて来られたのだが、
この部屋にいる見張りはふたりだけだった。
確かに逃げ場が一か所しかない地下室を大勢で見張るのは人員の無駄だ。
まして、閉じこめている人質は全員手足を拘束されているのだから。
それなら、地上部分を見張って警察の動きを確認する方がよっぽど効率的だというのは美童にでもわかる。

――不況かあ、嫌な話だなあ。

先ほどの悠理と男との言い合いを思い起こす。
生まれながらのボンボンの美童は、正直言って彼らの気持ちはわからない。
でも、生活苦に困窮する人間をばっさり斬って捨てられるほど冷淡ではなかった。
279ブランドスーツと手榴弾・五 5/9:2008/12/16(火) 20:56:39
ただ、国際情勢に精通している美童としては、この国を擁護したい気持ちもある。
それは、美童が純粋な意味での日本人ではなく、
ある意味「外国人」としての目を持っているからこそ持てる意見かも知れないが。

資本主義である以上、景気の波が来るのは避けられない。
回復期、好況期があれば後退期も不況期もある。
ともあれ、現在の状況で通貨が安定しているというだけで、国際経済ではかなりの強みなのだ。
むしろ、国際情勢を鑑みればこの国の経済はよく踏みとどまっている方に入るだろう。

そういう意味で、剣菱財閥を責めるのは筋違いだろう。
収入だって桁違いだが、国や都に納めている税金だって桁違いのはずだ。
逆ギレした悠理は「自家用ジェット持ってて何が悪い! それで迷惑かけたかよ!」などと叫んでいたが、
それはある意味真実で、不況のときこそ資産家に金を遣ってもらわなければそれこそ余計に景気は停滞してしまう。
資産家にとって消費は義務のようなものだ。

――でも、僕だってお腹減ってるときに隣で豪華な食事を見せびらかすように食べてる奴がいたら、
やっぱり腹立つだろうしなあ。
あーあ、経済って難しい。

実業家は嫌だなあ、僕も外交官目指そうかなあ、などとこっそり考える。
しかし外交官を目指すためには、まず無事に生きて帰らなくてはならない。

無事に帰っても、きっと美童はあの生意気盛りの弟にチクチク嫌味を言われるのだろうし、
死んだら死んだで下手をしたら国交問題になってしまう。
スウェーデンと日本の国交断絶なんてことになったらどうしよう、と美童は結構本気でぞっとした。
美童はスウェーデンと同じぐらい、この国が好きなのだ。

愛する二国で国際問題が勃発することに比べたら、小生意気な弟に嫌味を言われるぐらい瑣末な出来事だ。
やはり生きて戻らなければ。

――そのとき、爆音にも似た何かが地下の美童の耳にまで飛びこんできた。
280ブランドスーツと手榴弾・五 6/9:2008/12/16(火) 20:57:17

「何だ!?」

異様な音に、入口を見張っていた男が素早く立ち上がる。
そして悠理とにらみ合っている男に素早く声をかけた。

「様子を見てくる。おまえはここを動くな、そいつらを見ていろ!」
「了解!」

ひとり残された男は、四人から十分に距離を取って、油断なく全員の顔を見回した。

「いいな、動くなよ。抵抗しようなんて思うなよ、そうしなければまだ殺さない」
「くそっ、卑怯者!」

悠理が毒づく。
しかし、男は挑発に乗るほど考えなしではないらしい。
ふん、と鼻で笑って聞き流す。
美童が不安げに天井を見上げた。
尋常でない音はまだやまない。

そのとき、男が出ていった扉が開いた。現れたのは――

「可憐!? 野梨子!?」

見張りの男が、悠理たちから視線を外し、突如現れた闖入者の方へと駆ける。
華奢な女性ふたりだったらどうとでもできると思ったのだろう。
条件が対等なら、いくら二対一でも可憐と野梨子に勝ち目はない。

そう、条件が対等なら。
281ブランドスーツと手榴弾・五 7/9:2008/12/16(火) 20:58:05
頭で理解していたわけではなく、おそらくは防衛本能だろう。
野梨子はぎゅっと目をつぶると(はっきり言って、自殺行為だ)、
持っていたバッグのチェーン部分を握り直し、思いきり振りまわした。
いつだったか、わにの剥製をそうしたときのように。

――その一瞬あと、しっかりしたつくりのブランドバッグの角が男の顎にクリーンヒットした。
遠心力、さらに相手が走って近づいていたことによるカウンターの威力も相まって、
その一撃は見事に男の脳を揺らした。
なすすべなく気絶して倒れる男を見て、清四郎は短く口笛を吹く。
ハンドバッグを武器にするのは、非力な女子の痴漢撃退法としても有効とされている。

「可憐、野梨子!」

叫ぶ悠理に、ふたりはほっと表情を緩ませた。
四人に駆け寄る。

「もう、馬鹿っ! 無事だったのね!」
「可憐、話は後ですわ。急いで逃げないと……」
「勇敢なお嬢さんたちだ」

背中から浴びせられた声に、四人の手足の拘束を解くため手を伸ばそうとした可憐と野梨子の動きが止まる。

「あれだけの人数を陽動に割くとは、悪くない手だ。だが、連携不足だったね」

リーダー格の男が、たったひとつの出入り口から姿を見せる。
その男に続いて、犯人たちは続々と入ってくる。
総勢二十人弱。
銃を持っている者はいないが、それぞれに武器を携えている。

「残念だが、作戦は失敗だ」
282ブランドスーツと手榴弾・五 8/9:2008/12/16(火) 20:58:50

「黄桜可憐に白鹿野梨子、ただの世間知らずのお嬢さんだと思っていたが、とんだじゃじゃ馬だ」
「……自己紹介の必要は、なさそうですわね」

六人のうちの誰かのところに盗聴器でもつけていたのかも知れない。
ここ最近の会話ややり取りが筒抜けだったからこそ、六人のフルネームや素性だけでなく、
今日の約束のことや待ち合わせ場所を事前に知って、
周到に準備してこれほど手際よく四人を拘束することも可能だったのだろう。

「上であれだけの騒ぎが起こったのよ、きっとすぐに警察が来るわ」
「だが、人質がいる限り手出しはできない。
 ――本当は、大使の息子と剣菱財閥の娘、警視総監の息子だけで十分だったんだが、菊正宗くんには悪いことをしたね。
 好奇心は猫をも殺す。君たちふたりも首を突っこまなければ無関係でいられたものを」

男が酷薄そうに笑う。

「さて。逃げるにしろ人質六人は多すぎるな」
「ば、ばかやろー!! ふざけるな!」
「剣菱悠理くん、安心しなさい。君はまだ生かしておく。君の家柄にはそれだけの価値がある」
「可憐と野梨子に何かしてみろ! 絶対許さないぞ!」
「許されなくても一向に構わないが、現状の君たちに何ができる?」

悠理が手の拘束を外そうともがく。
金属のこすれるような音が響くが、彼女の努力が実を結ぶことはない。
283ブランドスーツと手榴弾・五 9/9:2008/12/16(火) 20:59:38

「……のんびり雑談している暇はないな。さよなら、勇敢なお嬢さんたち」

「来ないで!」

可憐が叫ぶ。
――わずかなタイムラグをおいて、四種類の声がまるで示し合わせたかのように完璧にユニゾンした。

「可憐!?」
「近寄らないで!」


彼女の、指先まで一分の隙もない美しい手には、銃が構えられていた。

                                             続
284名無し草:2008/12/17(水) 00:26:35
>ゴゼンニジノウタ
どんどん不思議な話になってきましたね。
ちょっと清四郎と野梨子の関係がハテナだったので
はっきりしてよかったですw

>ブランドスーツ
可憐が銃を構えるのってかなり珍しそうですね。
野梨子の大胆になれる所があるせいか解るけど、可憐だとなんか意外です。
女2人の活躍が新鮮です。
285名無し草:2008/12/17(水) 02:50:20
昨日スレずっと見られなかったんだが、例の韓国サーバー攻撃か?
286名無し草:2008/12/17(水) 06:26:59
>ブランドスーツ
テンポのいい展開ですね。 どうなるのか先が読めず楽しみです。
287Graduation:2008/12/17(水) 09:57:39
>>182 今回9レスいただきます。
288Graduation第八話holy night(23):2008/12/17(水) 09:59:18

あれは、つい昨日の事だった。その日の補習の復習を剣菱邸で見てやっている時、ふと悠理が言い出した。
「なあ、清四郎……。」
その声が余りにか細く、頼りなげだったので、清四郎は気になった。
「どうしました?」
悠理は補習のプリントの上に肘をつきながら、目の前の清四郎を上目使いに
見上げて決まり悪そうに言った。
「せっかくの冬休みだっていうのに、毎日あたいにつき合わせて、本当にごめんな。
おまえだって、したい事、一杯あるだろうに。」
悠理の目が真剣だったので、清四郎は内心の動揺を抑え、これからの展開に備えて
覚悟を決め、姿勢を正し、笑顔を向けた。
「いいんですよ。どうせ他の皆も、可憐の勉強を見ているんですし。皆で頑張ろうって
始めに約束したじゃありませんか。それに、何といっても、後少しですよ、悠理。」
「でも、考えてみると、あたいの家庭教師やるのに随分おまえの時間、奪っちまったなって……。」
悠理はタマとフクのイラストがついたシャープペンシルを持ったまま、右手に
顎をついて横を向き、窓の外を眺めた。ついこの間まで色づいていた紅葉はもう一枚もない。
悠理はそのままの姿勢で、今度は、はっきりと言った。
「清四郎、おまえには本当に感謝してる。」
そして、ゆっくりと顔を清四郎に戻すと、その長い睫に縁取られた濃いトパーズのような美しい瞳で、
清四郎の目を捉えた。その瞳の表情に、かつてない濡れたような女っぽさを感じ、
清四郎の内心の動揺は益々激しくなった。
(何ですか、何ですか、何ですか、悠理!)

しかし、清四郎の試練はそれだけでは終わらなかった。悠理は続けて、こう言ったのだ。
「あたいには、清四郎みたいな男が合うのかなって、最近思うんだ。」
清四郎の表情の変化には気が付かず、悠理は再び窓の外を見ながら物憂げに話しを続けた。
「今年の文化祭の劇、皆があたいと清四郎にぴったりだ、って言ってたけど、
結局あたいもそう思ったんだ。本番では助けてもらったしな。あん時は本当にサンキュ。」
「……。」
289Graduation第八話holy night(24):2008/12/17(水) 10:00:21

「それで、考えてみたら、婚約騒動があったくらいだ、おまえなら父ちゃんと
母ちゃんも大喜びだし、あたいも剣菱のレディーとして成長できると思う。ま、
全部こっちの都合なんだけど。」
「それは……光栄ですね。」
清四郎は息も絶え絶えに、何とか言葉を絞り出した。しかし、悠理は相変わらず
清四郎の言葉は耳に入らないようで、尚も清四郎を追い詰めた。
「なあ、……清四郎……。清四郎は、あたいのこと……どう思ってる?」
「……!」
悠理はのろのろと立ち上がって、窓辺に行き、清四郎に背中を向けた。
「つまり、ほら……、みっ、魅録なんかは、あたいのこと完全に男友達だと思ってるだろ?
べ、別にいいんだけどさ。でも、清四郎はどうなのかなと思って……。あたいは清四郎にとって、
野梨子や可憐みたいな女友達なのか?それとも魅録や美童みたいな男友達なのか?」
悠理の声も、カーテンにかけた手も震えていた。清四郎は、深呼吸をして
落ち着きを取り戻そうとしていた。今が悠理にとって、とても大事な瞬間だと
いうことは察しており、頭のコンピューターはすごい勢いで動き出していた。
しかし、悠理の頼りなげな背中を見ているうちに、コンピューターに頼ることなく、
結局、清四郎は自然に言葉が口をついて出て来た。

清四郎は、この上なく、優しい声で言った。
「悠理。悠理は僕の大切な女友達ですよ。」
「ほんとかっ!」
「勿論ですよ。しかも、とびきり美人で魅力的なね。そうでなければ、婚約なんてしませんでしたよ。」
「そ、そうかあ?そういや、そうだよな、へへ……。」
悠理はパアッと頬を染め、掴んでいたカーテンをもみくちゃにしながら、嬉しそうに顔を崩した。
(全く、素直すぎて、本当に動物ですね、悠理は。)
しかし、清四郎はそんな悠理を無条件に可愛いと思い、自然に口元が緩んだ。

290Graduation第八話holy night(25):2008/12/17(水) 10:02:04

「あたいはさあ……。」
悠理は物憂げに言った。
「前も言ったけど、国際文化学部ってのに、てんで興味がないんだ。つまりは
お嬢様の国際マナー教室だろう?あたいは、今の時点で入れる体育学部で十分なんだよ。
それなら、もう清四郎にやっかいかけなくて済むんだけどな。だけど、母ちゃんが
どうしてもって……。世界に通用するレディーになるのが、あたいの剣菱の娘としての
勤めってやつなんだよな。それは、分かってるんだけど、最近、可憐見てると、
何か目的があるって羨ましいなってすごく思うんだ。このまま母ちゃんのいう
ままにマナー教室に入っちまっていいのかなって。ああ、勿論、まだ入れるか
どうかも分かんないけど。」
「……悠理は、将来何かやりたいことでもあるんですか?」
「あるって言えば、あるし……、ないって言えば、ない……。どっちにしたって、
あたい一人ではどうにもならない事だから。ただ、このまま行けば、大学卒業した後、
見合いして、どっかの御曹司か、すげえ野心家か何かと結婚しちまうのかな、
なんて思うと気が滅入るんだ。あたい、何か考え出しても、いつも途中で訳
分かんなくなっちまうんだよ。だから、いつまでたっても成長しないんだな。」
「……僕だって、考えても答えが出ない事くらいありますよ。」
「清四郎が!嘘だろう?」
「本当です。それに、人には各々の進み方がありますからね。悠理は、悠理の
速さでいいんですよ。」
悠理は今初めて見るような目つきで清四郎を見つめた。そして、俯くと、口はしに笑いを浮かべながら言った。
「おまえ……、いい奴だな。ガキの頃、からんで本当に悪かったと思ってる。
あたい……、やっぱり、おまえを好きになれば良かった。」
清四郎は、答えは分かっていながらも、聞いてみた。
「今から、試してはみないんですか?」
悠理は後ろを向くと、素早く、素っ気無いほどの声色で答えた。
「もう、遅いんだよ。おまえだって、そうだろ?」
半ばはき捨てるように言われたこのセリフは、思いもかけなく、清四郎の胸に
深く突き刺さり、しっかりと脳裏に刻まれた。
「……。」
291Graduation第八話holy night(26):2008/12/17(水) 10:06:08

「暑いな。」
悠理が蜜柑色のタートルのセーターを脱いで、タマフク印の長袖Tシャツ姿になると、
首から何か青い物を下げているのが清四郎の目に入った。清四郎の視線を感じ、
自分の胸元に目をやった悠理は、途端に真っ赤になって、それを取ろうとした。
が、焦れば焦るほど、それは逆にきつく締まって解けなくなった。
「ちょ、ちょっと、トイレ……。」
悠理は汗だくになりながら、すごい勢いで部屋を飛び出して行った。
清四郎はそれが誰に由来するものか、分かっていた。それは、球技大会でB組が
頭に巻いていた青いハチマキで、恐らく、悠理自身のものではなく、魅録が悠理に放ったものだ。
冬休み中、魅録に会わない代わりに、悠理は密かに魅録に属するものを身につけていたかったのだろう。

清四郎は考え込んだ。
悠理は魅録に関して、女として自身がない。しかし、悠理の物思いはそれだけではない。
二人の間に横たわる、もう一つの巨大な障害も彼女は察知している。
それは、剣菱だ。
魅録は剣菱に入ることに魅力を持つような男ではない。そして悠理は健気にも、
自分の剣菱における役割を理解している。剣菱の役に立つ男と結婚して、立派な後継者を産み育てることだ。
無論、兄の豊作の結婚次第ではあるが、今のところ両親の悠理に対する期待は大きい。
しかも、最近の清四郎の剣菱家への出入りの頻度の高さから、両親が夢よ再びと考えているのも想像に難くない。
だから、さっき、自分を好きになれば良かったと言ったのだ……。
(もう、遅いんだよ。おまえだって、そうだろ?)
悠理のはき捨てた言葉が脳裏を横切った。
(ほら、悠理、僕だって、幾ら考えても分からないことがあるんですよ。)
清四郎はシンとした部屋で、一人頬杖をついて悠理を待ったのだった。

清四郎が、昨日の出来事に思いを馳せている間、魅録もまた考えていた。
(悠理の奴、将来の事なんて、俺には何も話さないくせに、清四郎には話してんのかよ。
可憐が受験するって言ったあの日から、俺とはろくに口もきかねえくせに……。
俺じゃ、頼りにならないって事か?くっそー、何だか、面白くねえな。清四郎も、
俺より自分の方が、悠理のこと、理解してるみたいな顔しやがって……。)
292Graduation第八話holy night(27):2008/12/17(水) 10:07:43

そこはかとなく険悪な雰囲気が漂い始めたのを感じた美童と野梨子は、そっと目配せをかわした。
「それじゃ、そろそろ皆でプレゼント交換しようか。」
美童が腰を上げ、茶器を片付け始めた。
「悠理と可憐の分は預かっていますわ。」
野梨子が大きな紙袋からいそいそとプレゼントを取り出した。
6つの箱、もしくは袋が並べられた。プレゼントという響きには、何時でも心を弾ませる魔力がある。
クリスマスソングが流れる中、鮮やかな色とりどりのプレゼントが所狭しと並んだ光景は、
今日が聖なる日であった事を皆に思い出させ、雰囲気は再び、活気あふれる、
華やいだものになった。くじで、誰が誰のプレゼントを貰うかが決定した。

「えーっ、清四郎に行くのー!僕、女の子用に選んじゃったよ!」
慌てふためく美童のプレゼントは、紺地に、お茶目な茶色い熊の顔が中央の赤と緑の
リースの中に描かれている、とてつもなく大きな布袋で、上部を巾着型にして
大きな赤いリボンで結んであった。清四郎がリボンを解くと、中から、背丈1mは
ありそうな、巨大なテディ・ベアが出て来た。
「あら、可愛い。」
野梨子が目を輝かせた。
「そうだろう?僕、プレゼントって、どうしても女の子用しか思いつかないんだよね。」
美童が、困っちゃうな、と言うようにキラキラと金髪を大げさにかき上げた。
「……有難うございます。大切にしますよ。」
清四郎は、「よろしくお願いしますよ。」と言うように、愛嬌のある熊の頭をぽんぽんと叩いた。

悠理のプレゼントは野梨子に当たった。野梨子は、赤地に沢山のサンタとトナカイが笑っている、
大きな金のリボンのついた紙袋を開けた。
「まあ……。」
野梨子は顔を赤らめた。出て来たのは、白と紺色の、フリーサイズのTシャツのセットで、
胸にはタマとフクのイラストが大きくプリントされていた。男女兼用のフリーサイズなので、
小柄な野梨子にはワンピースになりそうな代物だった。
「プッ。あいつらしいな。」
魅録がふき出した。
293Graduation第八話holy night(28):2008/12/17(水) 10:13:16

「あら、まだ何かありますわ。」
野梨子が紙袋の奥に手をのばした。緑色の薄紙を広げるとタマフクのストラップが現れた。
一見ほのぼのとしたそれは、良く見ると、細部に様々な貴石を埋め込んである、とても高価そうな物であった。
「こんな高価な物を頂いて、良いのですかしら?」
野梨子が首をかしげた。
「悠理の気持ちだよ、貰っておけば。返されたら逆に落ち込むよ。」
言いながら美童は、可憐からのプレゼントを手に取った。それは、薄い銀色の
水玉の飛んだパウダーピンクの包み紙と、光の反射によって虹色に見える白い
フリルのようなリボンで飾られた小箱で、中には繊細な細工の施された、
シルバーの一人用写真たてが入っていた。
「さすが、可憐だね。」
美童は満足気に微笑んだ。

魅録は、くすんだ赤い和紙で包装され、これも植物の繊維で作られたらしい、
細い緑色のリボンを無造作に幾重にも巻いてある、平たい箱を開けた。中には、
大判の白麻のハンカチが2枚。広げてみると、白糸で「Y」のイニシャルが優美な字体で刺繍されていた。
「有閑倶楽部のYですわ。」
野梨子が恥ずかしそうに説明した。
「これ、野梨子が刺繍したのか?」
「ええ……。」
「そりゃあ、大切にしなきゃな……。」
魅録は、長いこと、まじまじとハンカチを見つめていた。

後には、可憐に渡す清四郎のプレゼントと、悠理に渡す魅録のプレゼントだけが残った。
「明日は僕が可憐の家庭教師に行く番だから、清四郎のプレゼント、渡しておこうか?」
「そうですね。渡すのは早い方が良いですから。では、頼みましたよ、美童。」
清四郎は美童に、光沢のある濃いブルーの包装紙に、銀の細いリボンを結んだ長方形の箱を渡した。
「その大きさ、形だと……筆記具だろう?」
「はい。クロスのボールペンとシャープペンシルです。」

294Graduation第八話holy night(29):2008/12/17(水) 10:14:18

「魅録はどうします?悠理へのプレゼント、僕が明日渡しておきましょうか?」
「あっ、ああ……。いや、いいや。バイクだし、帰り道だから、これから渡しに行くよ。」
「もう10時ですわよ。外は寒いですし。」
「平気、平気。万が一、寝ちまってたら困るけどな。」
「それでは、そろそろお開きにしますか。皆、明日もあることですし。」

四人がコートを羽織って外に出ると、今年初めての雪がちらついていた。
「まあ……、ホワイト・クリスマスですわ……!」
野梨子は軽く叫ぶかのように言うと、空を見上げながら、フワリと白いコートの
裾を翻してポーチから庭に駆け下りた。暗闇に舞い落ちる無数の雪を背景にして、
落ちて来る雪を手に受け止めようと、白い衣装でヒラヒラと舞うように動いている野梨子の、
一種この世のものではないかのような可憐な美しさに、3人の男たちは目を見張った。
「野梨子、綺麗だね。」
「ああ……。」
「……。」
しかし、雪が降るだけあって、その晩は相当な寒さとなっていた。
「野梨子、風邪を引きますよ。もう行きましょう。」
「じゃあね、皆、Merry Christmas! and Happy New Year!」
美童の甘い声が聖なる夜に心地よく響いた。

皆、年末年始だというのに、しばらく会う予定がなかった。悠理は、6日に補習の
総テストがあるので、皆で集っての正月はその後だった。しかも、その後2月1日の
可憐の一般入試の結果が出るまでは、お祭り気分はご法度だったし、実際、そんな気分にもなれなかった。
美童は、一人部屋に戻ると早速携帯を取り出したが、開いたところで動作を止めた。
そして、数秒画面を見つめていたが、結局カチリと閉めると、再び真っ赤な
レザーのロングコートを羽織って、部屋から出て行った。
295Graduation第八話holy night(30):2008/12/17(水) 10:16:48

その頃、可憐は自室で英語の長文読解と格闘していた。以前ほど洒落っ気のなくなっていた可憐だが、
今日はクリスマスという事で、体にふんわりとフィットした、オフタートルの、
マーメイドラインの若草色のニットワンピースを柔らかく身に纏っており、
ひっつめ髪には幅広のベルベットの、暗紅色のリボンを結んでいた。
ブルッ。
「何だか、冷えてきたわね……。あら、雪!?」
可憐は、駆け寄って、窓を勢い良く開け放つと、冷気をものともせず、身を外へ乗り出した。
窓辺へ頬杖をついて、うっとりと空を見上げる。可憐のマンションは都心にあるので、
窓からの眺めは、昼はあまり見られたものではないが、夜は夜景が自慢できた。
その宝石箱をひっくり返したような夜景に、しんしんと清らかな白い雪が降りしきる様は
いつまでも見飽きることがなく、さすがに勉強に疲れていた可憐にとって、
天からの贈り物のように思われた。東郷は仕事の関係で今年はパリで過ごしていたので、
今年は自宅で母と二人だけの最後のクリスマスとなった。とはいえ、一分一秒でも
勉強の時間が惜しい可憐は、ディナーを終えるとすぐさま自室に戻ったのである。
母が心配しているのは分かっていた。そして、その上で、自分のやりたい様に
させてくれている事に感謝していた。
弱気になるのは嫌だが、この受験にかなり無理があるのは自覚していた。しかし、
今、やらなければ一生後悔する。少しでも可能性があるのなら、やるだけやってみたい。
結果よりも、試すことに意味があるのだ。

(皆と離れても……?)
可憐は舞い落ちる雪の向こうに、あの日の美童の顔を思い浮かべた。
(可憐は、僕の気持ちなんかどうでもいいんだね……。)
あの翌日には、美童は既にいつもの調子に戻っており、可憐はほっと胸をなでおろした。
その後、完全な勉強モードに入った為、美童とは個人的な会話はほとんど交わさずに済んで今に至っていたのだ。
可憐は頭を振ると、窓を閉めて、気分転換にラジオをつけた。マライア・キャリーの
溌剌とした歌声が流れて来た。この時期、もう何回聞いたであろうか。でも、
可憐は、この底抜けに明るい、元気な曲が好きだったので、そのままにしておいた。
ピンポーン。
「こんな時間に誰?ママに急用かしら。」
296Graduation第八話holy night(31):2008/12/17(水) 10:22:00
可憐が再び長文読解に取り掛かろうとメガネを取り出した時、トントンと部屋の扉を叩く音がした。
「はあい。ママ?」
可憐は再びメガネを机の上に置いた。
ガチャリ。
開けられた扉の前で、世界が一瞬、真っ赤になった。
可憐は目を何度も瞬き、ようやくそれが、見事な大輪のポインセチアであることを理解した。
そして、その後ろには……。

「メリー・クリスマス、可憐。」
美童が、赤いコートにサンタの帽子をかぶって、茶目っ気たっぷりの笑顔で立っていた。
声も出せずに目を見開いて、自分を指さしているばかりの可憐をよそに、美童は
ポインセチアの鉢を置くと、サッサと部屋の中に入って来て、コートを脱ぎ、
さっき可憐が座っていた窓辺に寄りかかると、口角を上げて、悪戯っぽく首をかしげた。
「プレゼント、明日渡そうと思ってたんだけど……。雪見てたら何だか、
いてもたってもいられなくなってさ。で、来ちゃった。」
美童はおもむろに窓を開け、身を乗り出して都心の雪景色を眺めた。曲はジョージ・マイケルに変わった。
「綺麗だね。何て綺麗なんだろう……。」
そして、窓枠に腰を下ろして片足をかけ、その膝に肘を当てて頭をもたせると、
指でスッと長い金髪を跳ねかすようにすいた。白い雪の舞い落ちる夜景を背景に、
全身を黒い衣装に身を包み、胸元に白金のクロスを輝かせ、金色の髪をなびかせている美童は、
確かに現実離れした美しさで、中世の王子や騎士、あるいは聖職者の様に見えた。

美童は青い長方形の小箱を、傍に寄って来た可憐に渡した。
「それは、清四郎から。くじで当たったんだ。可憐のは僕が貰ったよ。正直、嬉しかった。」
可憐は清四郎からのプレゼントを大事そうに両手で包み込みながら、ようやく口を開いた。
「これは清四郎からって事は……、他にもあるっていうの?ああ、このポインセチア……。」
「それもそうだけど……。」
世界の恋人は、青い瞳にサファイアのような煌きを浮かべて、微笑みながら可憐の右手を取った。
「本当のプレゼントは、僕自身さ。」

続く
297名無し草:2008/12/17(水) 11:32:17
>ブランドスーツ
やっと悠理たちが見つかったのにどうなってしまうんだろう。
可憐と野梨子、がんばれ!

>Graduation
魅録からもらったはちまきを首に下げてる悠理が一途でせつないな。
そして美童の描写を読んで想像したらめちゃ萌えた。
続き待ってます。


298名無し草:2008/12/17(水) 12:27:42
>Graduation
そろそろ来るかな〜と毎日待ってました。
最後の美童のセリフに吃驚w
悠理が健気すぎて涙しそうになりました。自分は魅野派なんですが、
読んでるうちにどういう形がハッピーエンドかわからなくなってきて、複雑な心境です。
それぞれのプレゼントもぴったりですね。麻のハンカチに刺繍ってすごく野梨子っぽい。
ぬいぐるみに「よろしく」する清四郎も可愛い。
年末で忙しい時期ですが、続き待ってますのでよろしくお願いします。
299ブランドスーツと手榴弾・終 1/6:2008/12/17(水) 20:33:06
>>275-283 注意書き>>215


可憐の手の中にあるものを見定めた男たちがざわめく。

「この女……!」

鉄パイプを振り上げた背後の男を制し、リーダー格の男はあくまで余裕の態度を崩さない。
笑みを消さないまま、いっそ穏やかに言った。

「まあ、待て。――お嬢さん、銃っていうのは意外と重いだろう。そのままいつまで構えていられるかな?
 引き金を引くと、反動で銃身が跳ね上がる。
 それを抑えなければ、対象に弾を当てることはできないよ。その細腕でできるかな?」

可憐は無言で、あくまで優位を崩さない男を睨みつけている。

「跳弾が自分の身体や、大事なお友達を傷つけることになるかも知れないよ。
 ああ、銃のメンテナンスはしたことがあるかい? 暴発したら、その指が吹っ飛ぶよ。――それでも」

銃を構えたままの可憐が一歩引く。
背中が壁にぶつかった。

「君は引き金を引けるかい?」

壁に背中を預けるようにして、可憐はその場に座りこんだ。

「やれやれ、まさかこんな切り札を隠し持っているとは。手間をかける――」
「動かないで」

野梨子がコートのポケットから取り出した、片手でつかめるほどのそのかたまりは――
300ブランドスーツと手榴弾・終 2/6:2008/12/17(水) 20:33:42

「動かないで! ……動かないでね。素人だって、これだったら関係ないでしょう」

手榴弾。

「――動いたら、ピンを抜いて投げますわよ」

今まで、可憐と野梨子のことを、爪を立てる血統書つきの猫を見るような顔をしていた男が、
初めて表情を凍らせた。

特別な技能を持たない素人でも、手榴弾なら武器になる。
直撃をしなくても構わない。
爆風や破片は、周囲を無差別に襲い殺傷する。
敵味方入り乱れた乱戦では使えないが、あたり一面を攻撃するのに適した兵器だ。

「な、何を……」
「本物、ですわよ。私に試させないでくださいませね」
「……地下室でそんなものを使うなど愚の骨頂だ。君の身も、お友達の身もただじゃすまない」
「黙って殺されるよりましですわ。それに貴方がたよりは生き延びる可能性も高いでしょう」

非力な少女の手の中の手榴弾によって、状況は膠着した。
男たちは脅しだとわかっていても動けない。
そして、野梨子の方も大量殺人犯になる覚悟で実際に投げられるほどに精神は太くない。


その、固まった空気を引き裂くように、野梨子の左右をそれぞれひとつずつの人影が走った。
悠理と清四郎だった。
301ブランドスーツと手榴弾・終 3/6:2008/12/17(水) 20:34:12
腕は手錠で拘束されたままであるものの、
ふたりは風のように犯人たちの群れに突っこんでいった。
均衡が突如破られ、恐慌へと変わる。
まったく想定していなかった、ありえない状況に、
たったひとつの出入り口めがけて男たちが殺到し、ぶつかり、つまずき、もがく。
戦意も連携もなくなった弱者の群れは、武道の達人と怒りの悠理を止めることはできなかった。

数は力だ。
――数で勝る敵に負けないためには、戦わなければいい。
戦わざるをえないなら、相手が数の利を生かせないような場所で戦えばいい。
各個撃破するか、地の利を生かすか、小細工を弄すか、内部分裂させるか、戦意を消失させるか。
詭弁だろうが兵法の基本だ。
策とはそういう場面で使うためにある。

はあ、と大きく安堵の息をついて可憐が野梨子に近寄った。
その手には銀玉鉄砲ではなく――魅録の部屋から失敬したモデルガンは可憐の手を離れ今は地面に転がっている――
ナイフが握られていた。


――あのとき、野梨子は必死で考えたのだ。
補導歴や前科があっても不思議ではない魅録の友人たちを、
万に一つでも警察にかかわらせるようなことはあってはならない。
人質の四人は絶対に無事に取り戻さなければならない。
そして、許せない犯人とはいえ殺人は避けたい。
その全部を一度に満たせる策を。
302ブランドスーツと手榴弾・終 4/6:2008/12/17(水) 20:35:26
魅録の友人たちには、ビルの前で騒ぎを起こすように頼んだ。
深入りはせず、あくまで暴走族が暴れているといった雰囲気で、
犯人グループをおびき寄せて欲しい。
そして、それが済んだら警察が来る前にすぐに逃げて欲しい、と。
幸い、今日は街に警官も多いのですぐに駆けつけてくるだろう。

その隙にふたりが忍びこんで、スムーズに四人を助けられれば良し。
そうでなければ、あくまでも「友人を助けに来た無力な少女」を演じること。
数と力に勝る男たちに、優位を確信してもらわなければならない。
「本当の切り札」は最後まで取っておくもの。
それは銃ではなく、手榴弾だった。

誤って手榴弾を投下したことは、野梨子にとって忘れたい過去の中でも上位に入る。
それを思い出さないためにも、あの日の服もバッグも封印していた。
可憐が泊まりにくるということで昨日部屋を片づけていたとき、
あの日のバッグを見つけ、野梨子は悲鳴をあげた。
なぜか中に転がっている手榴弾。
あのときの騒ぎで紛れこんでいたのに今の今まで気づかなかった。
不法所持にもほどがある。
パフェよりも何よりも、そのせいで野梨子は今日の朝もまだ憂鬱だった。
何とかばれずに剣菱財閥会長夫人に返す手はないかと悩んでいたのだ。
魅録の家からいったん白鹿邸に戻ったのは、これが切り札になるかも知れないと踏んだためでもあった。

いざというときは、追いつめられたふうを演じて手榴弾を突きつける。
そしてその隙に、可憐がナイフで清四郎たちの拘束を解く。
そして不意打ちの形で反撃する。
これがあのとき野梨子の描いた筋書きだった。
ちなみに野梨子は、囲碁の打ち方も顔に似合わない強気一辺倒だった。
303ブランドスーツと手榴弾・終 5/6:2008/12/17(水) 20:35:57
拘束が、重厚な手錠だったのを見たとき、可憐は焦った。
しかし――可憐が知る由もない事情ではあったが――
犯人たちの考えていた人質に、清四郎はイレギュラーな存在だった。
三人分の手足用の手錠六個しか準備していなかった彼らは、
とりあえず全員の腕と、魅録と美童の足をそれで拘束した。
女である悠理と、「イレギュラー」である清四郎の足は、丈夫なロープで縛りあげただけだった。
それに気づいた可憐は、犯人たちの注目が野梨子に集中している隙に、
彼らふたり分の足のロープを切ったのだ。


悠理と清四郎の活躍により大勢は決していた。
それを確認して、野梨子はへなへなとその場に座りこんだ。
万に一つでも手榴弾を落とさないようにしっかりと抱えこんで。
心臓が破裂しそうだった。
同じように、疲れ果てた可憐も地面に膝をつきながら、背後のいまだ拘束されたままの魅録に言う。

「魅録、族仲間にちゃんとお礼言っときなさいよ。もう、ほんとに、ありえないぐらい世話になったんだから!」

最後のひとりを気絶させ振り返った悠理に、野梨子も力なく笑いかける。

「悠理も、おばさまにお礼を言ってくださいな。ついでに、手榴弾も返しておいてくださると助かりますわ」
304ブランドスーツと手榴弾・終 6/6:2008/12/17(水) 20:36:28


最高だったヘアスタイルも化粧も、きっともう見る影もない。
可憐は逆に笑いだしたいくらいの気持ちになった。
下ろしたてのブランドスーツは、わずか数時間で埃と土で汚れきっていた。

「買ったばっかのスーツ、弁償してよね」
「十人前のパフェは中止して、今度お茶でもご馳走してくださいませね」

「……それぐらいしてもらわないと、到底、割に合わないわよ!」



――パトカーの音が近づいてきていた。
305ブランドスーツと手榴弾・終:2008/12/17(水) 20:37:04
萌えどころのない話で一週間ほどスレ占拠状態で申し訳ありませんでした。
矛盾や間違いも多々あるかと思いますが、
素人のフィクションということで大目に見ていただければと思います。
読んでくださった皆さま、感想をくださった皆さま、本当にありがとうございました。
原作で、可憐と野梨子の(アクション的な)活躍が見られたらいいなあと期待しつつ、
皆さまよいクリスマス&よいお年を!

※嵐さん、勝手を申し上げますが、この話はサイトに掲載しないでいただけると嬉しいです

タイトルを褒めていただきましたが、
かの名作「セーラー服と機関銃」のパロディですので、決して私の功績ではありませんw
306名無し草:2008/12/17(水) 21:01:21
>ブランドスーツと手榴弾
連載乙でした!
可憐と野梨子のペアって大好きなのでこの二人のかっこいい活躍が読めて
楽しかったです。
307名無し草:2008/12/17(水) 21:05:16
>ブランドスーツと手榴弾
モデルガンとかw犯人と一緒に自分も釣られたw
けっきょく切り札を持ってたのは野梨子のほうで
冒頭の台詞は、やっぱり伏線になってたんですね。
女ふたりの活躍が面白かったです、お疲れさまです。
また何か書いてください。
308名無し草:2008/12/17(水) 21:46:02
>ブランドスーツと手榴弾
連載終了、乙でした。
原作にあっても不思議ではないくらい、テンポの良いアクションストーリーで
とても楽しめました。
私も可憐と野梨子のペアは大好きなので、読めて嬉しかったです。

また何か思いついたら、是非書いてください。
楽しみにしています。
309名無し草:2008/12/18(木) 00:15:07
>ブランドスーツと手榴弾
よかったです!野梨子と可憐かっこいいですね!
310名無し草:2008/12/18(木) 00:42:02
>>309
sage推奨
mail欄にsageと入れてくれ
311名無し草:2008/12/18(木) 19:09:09
>Graduation
プレゼントや反応がみんなそれらしくて、微笑ましいです。
悠理と可憐の反応もみたかったです。
それにしても美童やるなあ。
美童と可憐の恋の行方も気になります。

>ブランドスーツ
乙でした。
話も文も上手くて、もっと読んでいたかったです。
恋愛がなくても原作にありそうな話で楽しかった。
手榴弾の野梨子も、ブランドスーツの可憐もカッコよかったです。
312Graduation:2008/12/19(金) 09:15:04
>>288 今回6レスいただきます。
313Graduation第八話holy night(32):2008/12/19(金) 09:17:27

剣菱邸に着いたところで、魅録はさてどうしたものかと首をかしげた。勉強に集中したいのか、
最近悠理はいつも携帯の電源を切っている。まともに取り次いで貰ってもいいが、
時間が時間だし、勉強中ということを思えば気が引ける。
「ニャア」
運良くそこへ、タマとフクがひょっこり現れた。どうも、夜の散歩から戻って来たところらしい。
魅録を見つけると、「久し振りですね」とでも言うように、二匹とも嬉しそうに
ゴロゴロと喉をならしながら擦り寄って来た。この後、悠理の元へ戻るのだろう。
「ラッキー。」
魅録はサラサラとメモ書きをすると、しゃがんでそれをタマの首輪に結びつけた。
そして、自分から離れようとしないフクを抱きかかえると、タマの頭を撫でた。
「よろしく頼むぜ。」
元々魅録びいきのフクは、既に目を細めて心地よさそうに、魅録の腕の中で丸くなっている。
タマは「がってんだ」というように目を光らせると、あっという間に猫用扉から、剣菱邸の中に消えて行った。

机に突っ伏し、ラジオをかけっ放しにして、うとうとしていた悠理は、再三の
タマの泣き声にも気が付かず、怒ったタマはついに爪を出して悠理の足を軽くなぞった。
案の定、悠理は飛び上がった。
「いってえ!何だよ、タマ!ひどいじゃないか!」
「ニャアオー」
ラジオからはこの季節にお決まりの、『クリスマス・イブ』のイントロが流れて来たところだった。
「あれ?いつの間にか、雪になってる……。」
悠理は、目を細めて、放心したようにしばし窓の外を眺めた。
「きっと、君は来ない、か……。」
悠理が小さなため息をついた時、タマがじれったそうに悠理の膝に飛び乗って、
首輪をぐいぐいと押し付けて来た。
「そういや、フクはどうしたんだよ、タマ。あれ、何だ?これ。」
悠理は首輪に巻いてあるメモに気が付いて取ると、広げて読んだ。
『フクは預かった。返して欲しければ秘密の花園へ来い。怪盗M』

次の瞬間、空っぽの部屋にはラジオの歌声だけが響いていた。
314Graduation第八話holy night(33):2008/12/19(金) 09:18:59

しかし、悠理は玄関で一旦走るのを止め、息を整えると、今度は緩慢ともいえる動作で、
コートを羽織り、ブーツをはいた。そして、玄関に据え付けてある、とてつもなく
大きな姿見で全身をチェックした。クリスマスに合わせて、真っ赤なタートルネックの
フワフワしたセーターに、黒いミニのキュロット、赤いタイツに黒いブーツ。
さっき無造作に羽織ったのは袖口とフード回りに存分に白いファーを使った、
白いダウンのショートコートだった。セーターの襟元には、ラインストーンの
ニコニコサンタのブローチがついている。
悠理は自分がそれほど気を抜いた格好をしていなくて良かったと胸を撫で下ろし、
素早く手串で髪の毛を整えた。
「あら、悠理、こんな時間に何処行くの?」
タイミング悪く百合子が通りかかったが、
「気分転換に、雪、見てくる。」
と言うと、悠理はスルリと外へ飛び出した。

「すげえ、雪・・・。」
空を見上げると、夜空から無数の粉雪がかなりの早さで舞い落ちて来ており、
時折風にあおられて乱舞する様を見ていると、悠理は眩暈がしそうになった。
既に足元には薄っすらと白い絨毯が敷かれている。庭を数歩進んだ所で、悠理はふと立ち止まった。
可憐が一般受験を宣言した日から、悠理は魅録を避け続けていた。二人切りで
会うのは久し振りで、彼の前でどう振舞えば良いのか忘れてしまったようだった。
そのくせ、本当は、彼の元へ走り出したくてたまらなかった。しかし足が動かない。
そこへ、タマが「早く」とでも言う様に「ニャア」とやって来た。
「そうだ、フクを助け出さなきゃな。」
悠理は顔を上げると、一歩一歩ゆっくりと雪を踏みしめて歩き出し、次第にそれは早足に変わり、
ついには全速力で駆け出した。
315Graduation第八話holy night(34):2008/12/19(金) 09:26:43
西にある小さな扉は、プライベートな用事に使われる、隠し扉のようなもので、
中で働く者たちでさえ、ごく一部の者しかその存在を知らされていなかった。
児童文学の「秘密の花園」のように、蔦がびっしりと絡まった塀の一部部分が隠し扉になっているので、
6人はその扉を「秘密の花園」と呼んでいたのだ。それは中からしか開かないようになっていた。
悠理は白い息を吐き、顔を紅潮させて辿り着くと、蔦の中の隠しボタンを震える指で押し、
その指紋を選別して、西門がギギィ……と開いた。
(し……、静まれ、静まれ、あたいの心臓……。)
「ニャア」
フクが嬉しそうに一声鳴いた。
「よお。」
扉はあっという間に閉じ、次の瞬間には、目の前に、魅録が懐かしい笑みをたたえて立っていた。
黒い革ジャンの襟を立て、首元にモスグリーンのマフラーを巻きつけている。
どの位待っていたのか。鼻の頭と耳が真っ赤で、髪には雪で真っ白だった。
「よく、出て来られたな。」
「雪、見て来るって言って……。」
悠理はそう言って、再び空を見上げた。
「粉雪だから、積るな……。」
悠理は舞い落ちて来た雪を掌に受け止めた。それは呆気ないほど、スッと消えてなくなった。
「勉強してたのか?」
「うん、まあ……。」
「頑張るな。見直してるんだぜ。」
「……清四郎のおかげなんだ……。」
「……。」
そうしている間にも、雪は益々激しくなって来た。
「寒いな。部屋に来るか?」
「あ、いや、ここでいい。直ぐ帰るから。ほら、クリスマスのプレゼント、
くじで俺のが悠理に当たったんだ。おまえのは野梨子に行ったぜ。」
悠理はパッと顔を輝かせた。
「わざわざ、届けに来てくれたのか?」
悠理の声のトーンが上がる。喜んでいるのが分かり、魅録も先ほどからの妙な緊張感が溶けて行くのを感じた。

316Graduation第八話holy night(35):2008/12/19(金) 09:27:57
「ああ。ほら。」
魅録は皮ジャンのポケットから、小さな小箱を取り出して、悠理に放った。
それは、英字新聞に包まれ、大きな緑色のリボンが結んであった。
「開けていいか?」
「もちろん。」
悠理はかじかむ手にハアと息を吹きかけながら何とか箱を開け、中身を取り出した。
それは、4×5cm位の紫色の正絹の平たい袋で、色とりどりの糸で小鳥や花
などの何やらおめでたそうな、美しい刺繍が施してあり、紫の細い組みひもがついていた。
「何だ、これ?」
悠理が指でひもをぶらさげて怪訝そうに袋を眺めた。
「お守り袋だよ。」
「お守り袋?」
「ああ。プレゼント探してて、デパート回ってる時、願かけコーナーがあってさ。
季節柄、受験生用だな。神頼みの色んなグッズがあったんだ。それ、袋の中に、
いわゆるお守りや、あと自分の大切にしてるもんでも何でもいいんだけど、
そういうもんを願かけして入れて、口は自分で縫うんだと。それで、首からかけて
肌身離さず持っていられるってわけ。もちろん、本番中もな。おまえか、可憐に
当たればいいと思ってたんだけど……まあ、おまえで良かったよ。」
「……かけてくれよ。」
「おう。」
風が吹いてバッと雪が乱れ舞った中、魅録は自分を真っ直ぐに見つめる悠理の
無垢な瞳を目を細めて見つめながら、意外なほど細い首に、その紐をかけてやった。
「中に入れるもん、あるか?」
「うん。」
「そうか。じゃ、俺、行くよ。ごめんな、勉強中、寒いのに外に呼び出して。
あ、フクは返すよ。って、寝てるな、こいつ。」
フクは、お気に入りの魅録の肩の上で満足げに目を閉じていた。悠理は手を伸ばして
フクを腕に抱き取ると、長い睫を伏せ、慈しみに満ちた表情でフクをそっと撫でた。
その横顔に、甘く柔和でまろやかな母性のようなものを感じ、魅録は一瞬面食らった。
(あれ……?悠理って、こんなに綺麗だっけ……?)
317Graduation第八話holy night(36):2008/12/19(金) 09:29:15

悠理が再びボタンを押し、隠し扉が開いた。魅録は扉をくぐる直前、ふと足を止め、後ろを振り返った。
「あとさ、悠理。」
魅録はちょっと躊躇いがちに言った。
「清四郎が頼りになるのは分かるし、今までずっとあいつに教えてもらってたから慣れてるのも分かるけど……。
たまには、俺にも声かけてくれよ、勉強のこと。理数なら、清四郎にも負けない自信はあるんだぜ。」
悠理は驚いたように目を見開いて魅録を見た。魅録は少し照れたように、
視線をはずして下を向くと、ポケットに手を突っ込んで、積った雪を足で踏みつけながら続けた。
「何ていうか……、俺だって、少しはおまえの役に立ちたいんだよ。」

何処からか、『きよしこの夜』の調べがかすかに聞こえて来た。
その音色に聞きほれるかのように、しばし二人の間に沈黙が流れた。
「う……、ひっく……。」
「?」
魅録が顔を上げると、悠理が両手を握り締め、仁王立ちして、涙を流していた。
「なっ、何だよっ!」
「だ、だって……。あ、あーん……。」
今や悠理は空を向いて大声で泣き出し、その音に隠しセンサーがパッと反応し、
サイレンを鳴らし出した。

318Graduation第八話holy night(37):2008/12/19(金) 09:30:12

「やべっ、……警備員が来るぜ。」
魅録は青くなった。
「あーん……。ぐぐっ、魅録……もう、帰って……。あ、あーん……。」
悠理が、泣きながらも手を扉に向けて「帰れ」のポーズをしたので、魅録は外に出た。
顔だけ戻して心配そうに悠理に問う。
「悠理、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……、早く、行け……あーん……。」
人が走ってくる気配がして、魅録は扉を閉めると、急いでバイクの所まで戻り、
飛び乗って、エンジンをかけた。
「悠理!大丈夫?」
百合子と、数人の警備員が走ってやって来た。
「だ、大丈夫だよ。……タマに足、ひっかかれちまって……。痛くて泣いたら、
センサーが反応しちまったんだ。」
悠理が、先ほどタマにひっかかれた足の傷を見せた。
「まあ、人騒がせにもほどがあるわ。さっ、もう戻りますよ。風邪でも引いたら大変。」
悠理は警備員たちに囲まれて、すごすごと家に戻って行った。しかし、百合子はその場に、
いかにも男のものらしい足跡が雪の絨毯についているのを見逃さなかった。
「……。」
そして、その直後、塀の向こうからバイクのエンジンのかかる音が聞こえ、
それがあっという間に遠く消えていくのを、益々激しく雪の降りしきる中、
百合子は身じろぎもせず聞いていた。

続く
319名無し草:2008/12/19(金) 11:46:12
>Graduation
大声で泣いてしまう悠理が素直でかわいい。
まだ誰かに恋をしていないのって(自覚がない)魅録だけなんですよね。
これから魅録の気持ちはどう動くんだろう。
百合子さんもなにか気付いたみたいだし・・・
続き楽しみにしてます。
320名無し草:2008/12/19(金) 17:30:34
>Graduation
魅録のプレゼントが当たって顔を輝かせる悠理がかわい杉。
魅録と悠理も応援したくなりますね。
魅録の気持ちがキーポイントになってるけど、どうなるのかな。
321Graduation:2008/12/20(土) 07:52:54
>>313 今回4レスいただきます。

暫くPCが使えない状況になる為、次回の投下はお正月明けの予定です。
皆様良いお年をお迎え下さい。
そして、来年も沢山の作品が読めますように……。
322Graduation第八話holy night(38):2008/12/20(土) 07:54:46

一方、野梨子が雪の中を少し歩きたいというので、清四郎と野梨子は各国の大使館が
ひしめく高級住宅地を雪の降る中、傘もささずに大通りまで歩いて行くことにした。
野梨子は、フードつきの白いカシミアのAラインのコートに身をすっぽりと覆っていた。
フードの顔まわりと、首まわり、袖口には白いファーがついており、野梨子を暖かく包み込んでいる。
清四郎は、チャコールグレーのカシミアのステンカラーコートの前をきっちりととめ、
ブルーの縄編みのマフラーを巻いていた。
「寒いでしょう。大通りでタクシーが直ぐにひろえると良いのですが。」
「大丈夫ですわ。わたくし、雪って、とても好きなんですの。雪の降る中にいますと、
自分の中の汚れたものが全部洗われて、清められるような気がしますわ。」

少し行くと、先ほど皆でミサに行った教会がその荘厳な姿を現した。既に10時を超えていたが、
今日、何回目かのミサが行われているらしく、正面のステンドグラスは、内からの明かりに照らされて、
暗闇に聖母マリアと幼子イエスの姿を幻想的に浮かび上がらせていた。しばし、
二人は申し合わせた様に無言でそれを眺めていたが、突然、野梨子が入り口の階段をゆっくりと上り出した。
「野梨子?」
「中には入りませんわ。入り口のすぐ奥にある、ピエタ像をちょっと見るだけですの。」
20段ほどの階段を上ると、そこが教会の入り口になっていた。扉は、今日はいつでも誰でも入れるようにと、
鍵がかかっていなかった。入り口と中の教会堂の間には小さなホールがあり、
そこに、白大理石で出来た小ぶりのピエタ像があった。野梨子はミサに来たときに
それがとても気に入ったのであったが、その時は人も多く、時間もなかったので近づけず、
この機会にじっくり鑑賞したいと思ったのである。十字架に磔にされた後の
イエスの亡骸を腕に抱く、聖母マリアの表情は謎めいた憂いをたたえ、悲しんでいる様にも
微笑んでいる様にも見え、野梨子はその真意を汲み取ろうと、一人マリア像と長い対話に入った。
323Graduation第八話holy night(39):2008/12/20(土) 07:56:37

野梨子が中に入って5分も経つと、じっと待っているだけの清四郎は流石に体が冷えてきた。
それでも尚、腕を組み、軽く足踏みをしながら待っていると、ふと、ある尋常でない気配を感じ、
教会を振り向いた。大きくはないが白く美しい優美な教会は、シンボルである
十字架を抱いた尖塔を、雪の舞い散る黒い夜空に誇らしげにそびえ立てていた。
キリスト生誕の様々な場面を表したステンドグラスの明かりが、非現実的な雰囲気を
否が応でも盛り上げている。白い雪は、今宵天からの聖なる贈り物であるかの
ようにひたすら舞い続けている。教会からは、パイプオルガンの伴奏に合わせたソプラノで、
グノーの『アヴェ・マリア』が漏れ聞こえてきた。
そして、そんな中、階段の上のポーチに、野梨子は白いフードを目深に被り、
雪が彼女に吹き付けるに任せながら、穏やかな微笑みを浮かべて、静かに清四郎を見下ろしていた。

(……。)
野梨子は、清四郎が今まで見た事もない微笑をたたえていた。それは、無邪気な夢見る少女のようであり、
人生を謳歌している艶やかな貴婦人のようでもあり、また、汚れを知らぬ無垢な処女のようでもあり、
人生の酸いも甘いもかみ分けた妖艶な娼婦のようでもあった。
そしてまた、アダムを誘惑して罪に陥れた悪女イヴのようでもあり、慈しみにあふれた、
イエスを抱く聖母マリアのようでもあった。

清四郎は、もう一度、目を瞬いて、野梨子を見上げた。野梨子は相変わらず黙ったまま、
清四郎を見下ろしていたが、ふっと、静かに右手を伸ばした。
清四郎は、何かに魅入られたかのようにフラフラと階段を上っていき、震える手で野梨子の手を取った。
野梨子の背後から、目には見えない翼あるものが、ザアッと空へ飛び立ったような気がした。

そしてそれは、清四郎にとって、野梨子が妹のような幼馴染から、
一人の特別な女性へと変わった瞬間だった。

324Graduation第八話holy night(40):2008/12/20(土) 07:58:07

野梨子がこんなに様々な女性の表情を見せるとは考えたこともなかった。自分の知っている、
芯は強いが、勝気で、純粋で真っ直ぐであるが故に時に折れやすくもある、
己が守らなければならない少女は、いつの間に一人前の女性としての魅力を身に纏い始めていたのか。
彼女の女性としての萌芽はまだごく小さいものではある。だが、それは、あの
男への秘めた想いが生じさせたというのか。

野梨子が魅録に惹かれるかもしれないという予感は、文化祭で二人が『月の光』を
練習している時から既にあった。そして、その予感は、小さな、しかし中身の
濃い偶然が重なるに連れ、現実のものとなった事に、清四郎はとっくに気付いていた。
野梨子が自分の気持ちを隠そうとしているのは良く分かった。彼女自身もとまどっていたのであろう。
好きになろうと思って好きになったわけではない。野梨子は良くやっていた。
お蔭で、魅録当人は、全く気が付いていない。他の三人は別としても。悠理に
いたっては、それまで自分でも気が付いていなかった想いに気が付いてしまった。
そして自分……。

野梨子が魅録に惹かれていると確信してから、自分はいつも言い様のない苛立ちに包まれていた。
嫉妬……?
今こそ、認めよう。そう、嫉妬だ。
だが、何に対する嫉妬かと問われれば、本当に分からなかったのだ。
即ち、自分の野梨子に対する想いは何なのかと。
野梨子を特別な女性として好きだから、相手の男を羨むのか。
それとも、自分という優れた男が隣にいながら何故別の男に惹かれるのか、
という単に男としてのプライドの問題なのか。
はたまた、大切に育てて来た娘や妹が自分から離れて行ってしまう事に対する、
肉親の様な寂しさから来るものなのか。
325Graduation第八話holy night(41):2008/12/20(土) 07:59:56

それにしても……、と清四郎は思う。
期末テストが終わってからというもの、可憐の事もあって、皆慌しい生活を送っており、
正直、もうそれどころではないだろうと、野梨子の恋心を甘く見ていた。
実際、野梨子の魅録に対する態度は一時に比べてずっと落ち着いており、視線や声色も安定していた。
しかし、野梨子はずっと、心の奥底で、魅録への秘めた想いを燃やし続けていたのだろう。
それは、外に出せない分、内部から彼女の身を焦がし、少しずつ、少しずつ、
彼女を少女から女性に変化させて来たに違いない。
清四郎は思い出した。
球技大会の日、魅録に抱きかかえられて保健室に運ばれる時の、あの野梨子の表情を。
自分の声に振り向いた野梨子は、熱に浮かされたように、顔を赤く火照らせ、
目を潤ませて口をかすかに開け……、そう、恥じらいと怯えを身に纏いつつも、
恋する男の腕の中にいる喜びに陶酔していた。
それは女の表情で、清四郎は、見てはいけないものを見てしまった気がしたのだった。

清四郎は身震いした。
口に出してもいない恋心だけでここまでの変化を見せる女性とは、では、その
恋い慕う相手と身も心も結ばれた時、どのような変貌を遂げるのだろう。
そして、その相手が自分ではないとはっきりした時、己は耐え切れるのだろうか?

「清四郎?」
気が付くと、二人はもう大通りに来ていた。不思議そうな顔で自分を覗き込んでいる野梨子は、
もういつもの野梨子だった。しかし、その内部には、あの幻惑的な微笑みを持つ、
様々な顔の野梨子がいるのだ。

(もう、遅いんだよ。おまえだって、そうだろ?)
狂ったように舞い落ち続ける雪の中で、悠理の声が頭の中でリフレインした。

第九話 boys and girls に続く

326名無し草:2008/12/20(土) 08:37:17
>Graduation
ずっと読んできて、6人のそれぞれの気持ちに共感できてしまって切ないです。
特に、清×野×魅×悠のスクランブルの行方は気になりますね。
切ないんだけど、面白い…。やっぱり魅録がキーポイントなのかな?
年明けを楽しみにお待ちしてます。
327名無し草:2008/12/20(土) 09:49:18
>Graduation
乙です!
清四郎がせつないです。ずっとそばで見守ってきて野梨子のちょっとした変化でもわかってしまうのに
自分の手によらないで女へと変化してく野梨子を見るのは辛いだろうな。
でも苦悩する清四郎が好きなので自分的にとってもツボです。(清四郎、ごめんよ)

連載が始まってからとても楽しみに読ませて頂いています。
来年もwktkしてお待ちしています。




328名無し草:2008/12/20(土) 14:32:50
前回の悠理もかわいかったですが、今回の女っぽく変化する
野梨子もかわいい。
2人をここまでさせる魅録は罪ですね。
野梨子の変化を見続けてる清四郎の感情も凄く伝わってきます。
けど、同じくこういう清四郎はツボですw
来年も楽しみにしています。
329名無し草:2008/12/20(土) 16:12:01
>Graduation
自分の恋心についていけず戸惑って泣き出す悠理が可愛いw
野梨子と悠理で初心で晩生な点は共通してるけど、
反応がそれぞれで違ってて面白いです。
そして、悩める清四郎は私も大好きですw
来年の続きを心待ちにしています。
330名無し草:2008/12/22(月) 20:40:21
病院坂まだまだお待ちしています。
331名無し草:2008/12/22(月) 22:26:43
同じく、ずっと病院坂お待ちしてます。
今の連載陣好きなのでお待ちしてます。
332名無し草:2008/12/24(水) 20:57:50
イブの話って意外と少ないんだね。
12月、点灯が好きだな。
333不感症男のクリスマス:2008/12/25(木) 22:58:34
不感症男〜の番外編です。
番外編乱立ですみません。
不感症の最終回でちょろっと書いたように、
今連載している「薄情〜」とは別に、こういった単発の番外編も、思いついたら書くかもしれません。

清四郎×野梨子で新婚1年目の初クリスマスという設定です。
334不感症男のクリスマス(1):2008/12/25(木) 23:00:01

 ――もうすぐクリスマスが終わる。
 12月25日の夜遅く。
 私は寒い居間でひとり、清四郎の帰りを待っていた。
 窓の外の暗い夜は、雪どころか雨が降っている。
 それもまた、私をメランコリックな気分にさせた。

                   ※

 ここ最近の清四郎は多忙を極めている。
 病院実習にラボ、勉強会など、医学生五年目として一日が勉学に占められて
いるのだ。
 むろん次期家元として日々を過ごす私もまた暇とは言えないが、清四郎の
それとは比較にならない。
 清四郎とまともに顔をあわせることが出来るのは、朝食の席ぐらいのもの
だった。

(仕方のないこと、ですわね)

 そう思いながらも、溜息が出るのは禁じえない。
 清四郎と夫婦になってから――いや、彼と想いを通じ合わせてからと言った
方がいいだろうか――はじめての年末である。
 冬至の柚子湯も、クリスマスイブのケーキも、私は楽しみにしていたのだ。
 殿方とまともなお付き合いをしたことがないまま、私は清四郎を婿に迎えた。
だからこそ、これまで密かに憧れてきた華やかな冬のイベントを彼と過ごした
かった。
 けれど結局、冬至の日の清四郎は、レポートの手伝いのために学生仲間の家
へ泊まり、昨日のイブは帰ってくるなり力尽きて、すぐに眠りこんでしまった。
 日本でもトップクラスの体力を誇るであろう清四郎を疲労困憊させるとは、
よほどのことに違いない。
335不感症男のクリスマス(2):2008/12/25(木) 23:02:24
 とうとう時計の針が23時を指した。
 タイムリミットである。
 仕方なく私は就寝の準備をはじめた。
 本当はもうすこし起きて清四郎を待ちたかったが、当の彼自身が私の
夜更かしを快くは思っていないのだ。
 大勢の内弟子たちと私生活をともにする私の朝は早いからである。
 そのため清四郎からは、自分の帰宅を待つ必要はないとあらかじめ申し
付けられていた。逆らうと煩いのだ。
 私の体調を慮ってくれているのは分かるが、私自身の気持ちは考慮の外で
あるらしいところが、相変わらずといえば相変わらずだった。
 これも過保護というのだろうか。

                   ※

 布団に入ってもしばらくは起きていたのだが、いつの間にか眠っていた
ようだった。
 すっと背後に気配を感じ、私は浅い眠りからゆるゆると覚め、うっすらと
瞼をあけた。
 どうやら帰宅した清四郎が、寝巻きに着替えているところらしかった。
「起こしてしまいましたか」
 豆電球の下、少し困ったような顔をした清四郎が、囁くように言った。
「……今、何時ですの?」
「24時10分前ですよ」
 そう答えた清四郎は、なぜか何かを諦めたかのような表情を浮かべていた。
 覚醒したとはいうものの、まだどこか寝ぼけていた私には、ただでさえ
分かり難い彼の心の機微を読み取れるはずもなく、ぼんやりと彼の顔を
見つめていた。
336不感症男のクリスマス(3):2008/12/25(木) 23:06:51
 ああ、相変わらず疲れた顔をしてますのね、と思いながら。
 すると何を思ったか、清四郎は大きく溜息をついた。
「清四郎?」
「……申し訳ありません」
「?」
 訳が分からない。
 とにもかくにも、清四郎は何かを謝りたいらしい。
 ようやく私は、きちんと目を開けると、のそのそと布団の外へ這出た。
「友人にも怒られてしまいましたよ。――僕としてはけっして君をないがしろ
にするつもりはなかったんですが」

 ――清四郎とは幼少時よりの長い付き合いではあるが、ごく最近になって
ようやく気づいたことがひとつある。
 弁の立つ筈の彼がこのように要領の得ない物言いをする場合。
 その多くは私たちの夫婦関係について――はっきり言えば、愛だの恋だの
といった面映い事項について――の話題なのだ。

「ないがしろにされているとは思ってませんわ」
「しかし」
「……ええと、もし清四郎がおっしゃいたいのがクリスマスのことについて
なら、わたくし気にしてませんし」
 そう答えると、清四郎ははっとした様に時計を見た。
「まだ間に合いますね」
 それから彼はちょっと笑ってしまうくらい機械じみた機敏な動作で、通学用
の鞄の中を探った。
 それから少し気まずそうな仕草で、取り出したものを私に渡した。
 ――渡されたのは、鮮やかな和紙でラッピングされた小さな箱だった。
「これは……」
「クリスマスプレゼントです」
「! ありがとうございます」
 箱を受け取る指が少しだけ震えた。
337不感症男のクリスマス(4):2008/12/25(木) 23:11:59
 思えば、結婚指輪などを除いて、これは夫としての清四郎からのはじめて
の贈り物ではないだろうか。
 私はどきどきしながら、丁寧に包装を解いた。
 中から出てきたのは簪だった。
 心のそこから感嘆した。
「――綺麗……」
 簪の中央には、玉虫色の石で出来た飾り玉が付いている。
「野梨子の黒髪によく似合うと思いまして」
 はっとして清四郎を見ると、彼はいつもどおりのポーカーフェイスだった。
しかしもうすぐ結婚して一年になろうかという私は、もちろん彼の耳朶が
ほんのり赤くなっていることを見逃さなかった。
 私は手にした簪を清四郎の手に戻し、彼に背を向けた。
 意を察した清四郎は、その心持ちとは正反対に器用な手つきで私の髪を
結う。私は彼の大きな手が、その眼差しと同じぐらいに好きだった。
 最後に清四郎は簪を挿してくれた。
 誇らしげな気持ちと、甘やかな心地が胸の中でないまぜになって、私は
いっとき目を瞑ると、大きく息を吐いた。 


                   ※


 いつのまにか、すでに日付は26日となっていた。
 メリークリスマスと言いそびれた私たちは苦笑して、居間へ移動した。
明日も平日だったが、お互いに眠気など去ってしまっている。
 すこし乾燥してパサついてしまったブッシュドノエルを冷蔵庫から取り
出した。
「来年はレストランでも予約しますか」
 寝巻き姿でコタツに入り、玉露を片手にコタツに入りながら甘ったるい
ケーキをつつく。
338不感症男のクリスマス(5):2008/12/25(木) 23:17:37
 清四郎の苦笑に、私もまたつられて笑う。
 確かに世間で言うクリスマスの華やかさからは遠く、友人――主にあの
二人だが――からは年寄り臭いと言われてしまうだろう。
 けれど、笑われたっていい。
 おそらく清四郎にとって、本来こういったイベントは大切なものではない
のだろうとは思う。
 けれど私のためにこんな時間を用意してくれる。
 その気持ちがうれしく、何よりの贈り物だった。

 ――ケーキを食べ終わった後、私は静かに言った。
「幸せですわ」
 独身時代に張り合った意地などもう私の中にはなく、素直な言葉が出てくる。
 そして清四郎も微笑んでくれるのだ。
「……僕もです」
 年々気難しくなる清四郎の目元が緩み、優しく揺れる。
 私たちは見つめあい、どちらともなくゆっくりと口付けた。




 特別でないクリスマスが終わり、明日からまた特別でない――そしてやはり
特別な、私たちの日常がはじまる。



                             終わり
339名無し草:2008/12/26(金) 00:20:08
>不感症男のクリスマス
おおっ!まさにジャストタイミングで好きな作品の番外編が読めて嬉しいです。
清野らしいクリスマスの情景ですね。
野梨子の髪を結い、プレゼントの簪を挿してあげる清四郎に萌えました。
薄情女はもちろん、単発の番外も大歓迎です。これからも楽しみにしてます。
340名無し草:2008/12/26(金) 07:08:39
>不感症男のクリスマス
野梨子がポーカーフェイスの清四郎の本心がわかるようになってて、ちゃんと夫婦してるんだなぁと
読んでて幸せな気分になりました。
ケーキに玉露もこの二人らしいw
自分もこのシリーズ大好きなのでこういう単発の番外編も大歓迎です。
素敵なクリスマスプレゼントでした。

341名無し草:2008/12/26(金) 10:19:21
>不感症男のクリスマス
クリスマスSSは今年は投下ないのかなあと思っていたから、吃驚しました。
しかも不感症のクリスマスが番外編で読めるなんてうれしいです。
ゴージャスやお洒落なクリスマスではないけど、コタツに入っての
ほんわり暖かいクリスマスが返って良かった。
読んでるとこっちまで幸せになれました、おもしろかったです!
342名無し草:2008/12/26(金) 19:02:26
清四郎って不感症でもなんでもないですよね。
むしろこんなステキな夫を持つ野梨子がうらやましい。
野梨子にとっては夫婦になってから初体験が多いですねw
ラストの「特別な、私たちの日常」って所が特に好きでした。
343名無し草:2008/12/26(金) 23:30:03
>不感症男のクリスマス
連載中はお互いすれ違いばかりだったせいか、余計に何か来るものがありました。
この話の清四郎は、ポーカーフェイスなのに本当は照れ屋だったりして、ギャップがとても好みです。
楽しみにしてるシリーズなので、番外編を思いついたらまた書いてほしいです。
薄情女も楽しみにしています。
344名無し草:2008/12/28(日) 21:39:27
大掃除めんどい。
有閑メンバーで掃除しそうなのは可憐と野梨子かな。
345名無し草:2008/12/28(日) 22:07:12
>>344
可憐と野梨子は普段からキレイにしてそうだから、大掃除はそんなに時間かからない
かも。
普段の掃除をお手伝いさんに任せきりの悠理や魅録は、それぞれの親に"自分の部屋ぐらいきちんと掃除しろ"
とか言われて嫌々やりそう。
346名無し草:2008/12/28(日) 22:23:25
器用で凝り性な魅録はやりだすと、
めちゃめちゃ機能的な整理整頓しそう
悠理は…・。
347梅の木:2008/12/30(火) 06:44:46
季節はずれですが、梅の小話です。
カップリングとかはなしです。
348梅の木1:2008/12/30(火) 06:45:44
彼女の家にある梅の木は、ほとんどが観賞用になっている。
唯一の例外は裏庭にある梅の木だ。
あれだけは観賞用ではない。
6月になると彼女は梅の木の下にネットをひろげ、
自然に落ちた黄熟した梅を丁寧に取り梅干しをつける。
もいだほうが早いのに、とは思うもののその手間暇が極上の梅干しを作るのかもしれない。
そしてそれは値段が付けれないほど贅沢な物だと思う。
桜の季節には八重桜を漬けるが、それは弟子たちも一緒に漬け込む、いわば春のイベントだ。
梅干しつくりと梅酒、梅シロップつくりは彼女の6月から7月にかけての彼女だけのイベントだ。
八重桜に使う白梅酢は、もちろん彼女の梅干しから取れたものだ。
彼女が梅干しをひとりで漬け始めたのは小学4年生の頃からなのだと思うが、その辺の記憶が曖昧だ。
父親の清洲氏の母親、彼女の祖母が亡くなってから一人で作り始めたのだ。
幼いころは彼女が祖母と一緒に梅干し作りを手伝うのを、ぼんやりと眺めたものだ。
――今も、縁側に座り彼女が一生懸命手を動かしてるのを、僕はぼんやりとみてる。
「手伝いますよ」
僕は腰をあげてヘタ取りしている彼女の隣に座った。
彼女は少しだけ顔をあげて嬉しそうな顔をして僕を見つめ、言った。
「ありがとうございます。今年は可憐からのリクエストで梅酒をたくさん作らなければなりませんの。」
「毎年毎年、おいしい梅酒や梅干しをありがとうございます。お礼を言うのは僕のほうですよ」
彼女はニッコリ笑った。
「梅を褒められるのは、なによりも嬉しいですわ。自分の子供を褒められるってこんな気分ではないかしら、と思うくらい。」
喋りながら手を動かす。
そのうち可憐が手伝いに来る、と言っていた。
半時ほどたってから可憐が来た。――みんなを連れて。
「おまたせ〜。みんな連れてきたわよ〜!あんた一人に毎年作らせたら可哀想だもん。
今年は皆でたくさん作って飲みましょうよ!」
349梅の木2:2008/12/30(火) 06:46:38
野梨子指導のもと、可憐や魅録、美童、悠理が懸命になってヘタを取り、
――まぁ悠理は力任せにヘタを取ろうとしたりして魅録が付きっきりで教えてたりしたが――
氷砂糖を計ったり日本酒やブランデーの計量をしたりと働いた。
梅の実の匂いがするなかの作業に何かしら華やいだ気分になり、
彼女の祖母が漬けたという40年物の梅酒を飲んだりしては作業にもどっては話をした。
多分、この梅の量じゃ2日仕事だろうと思っていたが夜には全部の梅がおいしそうに漬かることになった。
それを半地下の倉庫に置きに行ってから解散した。
「梅干しつくりも手伝いにくるから」の言葉を残して。

後片付けを手伝いながら僕は言った。
「今年の梅酒も――楽しみですね」
「みんなで漬けた、記念の梅酒ですものね。…何十年かして、おじいさんやおばあさんになった時――
皆で縁側で飲めたら素敵でしょうね。」
「なら、何個かは隠しておかなくては。みんな飲み干すつもりですよ。」
「最初からそのつもりでしてよ、清四郎」
そして二人で顔をあわせて笑う。

数十年後、皆揃って飲む梅酒はどんな味だろう?
きっと、その人生の中で一番美味い極上の味だろう。
いや、それを考えて心の中で温かい思いがすることが、実は一番の美酒なんだろう。

裏庭の梅の木には、梅干し用に、と取ってある青い梅の実がたわわになっている。

終わり
350名無し草:2008/12/30(火) 09:42:37
>梅の木

乙でした!
原作の夢の話(悠理が記憶喪失になっちゃうやつ)を
思い出しました。
「あんた一人に〜」って言う可憐の優しさがらしくっていいですね。
351名無し草:2008/12/30(火) 10:43:46
>梅の木
梅酒の香りがしてくるようでほんわりいい気分で読みました。
わいわい言いながらみんなで作った梅酒、飲みたいな〜。
352名無し草:2008/12/30(火) 22:58:32
>梅の木
自分も原作の話を思い出しました。
あの原作のラストシーンは気に入ってるので、思い出せるような話が読めてうれしいです。
年末は来ないかなと思ってたんですが、見ておいてラッキーでした。
また投下してくださいね。
353名無し草:2008/12/31(水) 10:31:34
>梅の木
いまから梅酒を隠しておく計画をしている清四郎が微笑ましいw
年寄りになっても6人にはずっと仲良くいて欲しいな。
暖かい気持ちになれる作品を有難うございました。
354或る恋の終わり:2008/12/31(水) 17:12:49
悠理⇒魅録の片思いという設定の短編です。
ハッピーエンドじゃありません。
ラストは曖昧ですが、お好きなように想像していただければ幸いです。
355或る恋の終わり 1:2008/12/31(水) 17:13:26
 家から外へ出た途端、肌に張り付くような痛みを伴う冷気に襲われた。
 悠理はボアの耳当てがついた帽子を深くかぶり直し、温かなダウンの襟
をきゅっと押さえつける。
 吐く息が白い。
 ふと見上げると、丸裸になった街路樹の隙間に見える空は灰色で、
今にも自分に圧し掛かってくるような、そんな天気だった。


       *   *   *


 当然のように車を回そうとした運転手である名輪の申し出を断り、
悠理は徒歩と電車を使って羽田まで向かった。
 人ごみに揉まれてふたつ電車を乗り継いだ先、品川から空港までの
京急電車は、決して田舎とは言えないもののどこか長閑な景色を車窓に
映す。それを瞬きも少なく、彼女は見ていた。
 多摩川のゆるやかな流れ。
 河川敷で転げまわる犬。
 ――魅録。覚えてるよな。
 出会ったばかりの中坊の頃、川崎の夜をあたいたちは幾度となく走った。

 ゴトンガトン。
 線路に揺れる体。引きずられる記憶。


 まだ少年臭さの残る魅録とその背にかじりつく悠理の後ろを、時代
遅れの暴走族たちが続く。
 今でも思い出すのは、中学生の魅録に見え隠れした複雑な表情だった。
 底抜けの明るさと憂いを同時に持つ仲間たちの中で、彼こそがもっとも
光と影のコントラストが強い少年だったのかもしれない。
 隠し切れない品の良さと、スレたような粗野な一面。人の心を解き
ほぐす大らかさと、触れることを躊躇うほどの鋭さ。
356或る恋の終わり 2:2008/12/31(水) 17:14:23
 そして無邪気な子供のような笑顔と、年齢に不相応を通り越して怖い
くらいの色気。
 男気があり、男惚れされるのは今も変わらない。だが、あの頃の魅録
には、今の彼にはない危うさがどこかあった。だからこそ不良少年たち
が熱狂したのかもしれない。
 いつ終わるとも知れぬ毎夜の馬鹿騒ぎは、しかし、意識することも
なく、ごく自然な成り行きによって、いつのかにか幕を閉じていた。
 かつての少年たちはもう夜を走らない。
 大人への不満を口にしない。
 むやみやたらに、見当違いな未来を見ない。
 思春期はとっくに過ぎて、好きな女性を抱きしめるのを躊躇いもしない。


 ゴトンガトン。
 線路に揺れる体。霧散する記憶。

 物思いに耽るうちに、車窓の景色は川崎から移り変わっていた。
 平日ではあったが、冬休みということで割合に混んでいた車内も、
随分と乗客の数が減っていた。
 それでも悠理は空いた席に座ることなく、外を眺め続ける。
 昼間だというのに薄暗い天気は続いており、窓ガラスに自分の顔が映る。
 キラリと頬に何かが光った。


       *   *   *


 国際線ターミナルに悠理が顔を見せたとき、待ちかねた仲間たちが
来るのが遅すぎると憤慨する中で、魅録だけが驚いたよう目を瞠って
いた。
 ――来ないと思っていたのだろう。
 魅録は知っているのだ。
357或る恋の終わり 3:2008/12/31(水) 17:15:16
 悠理が誰の目からも隠して、大切に大切に暖めてきたこの気持ちを、
けれど、当の本人が気づいてしまった。
「ごめんごめん、遅くなっちゃって」
「もー。みんなでお茶する時間なくなったじゃないか。魅録、もう
そろそろ手続きの時間だろ?」
「美童の言う通りですわ。これからしばらく魅録と会えませんのに」
 全員を代表して文句を言う美童が野梨子に、ごめんごめんと謝りながら、
それでも悠理の意識は彼らにではなく、魅録へ向かっている。
 言葉なく視線を逸らせる彼の気配だけに向かって、一直線に。
 胸がきゅっと引き絞られた。
(ごめんな)
 好きになって、ダチのライン超えてしまって、ごめんな。
(お前が困ってるのなんて、ちゃんと分かってる)
 分かってるから、告白なんてしたりしないよ。
 だから。


(最後くらい、笑ってよ)


 子供のように駄々をこねて泣きたいのをぐっとこらえ、悠理は魅録へ
笑顔を向けた。
「魅録」
 はじかれたように魅録が顔をあげた。
 意識の遠く、ひっきりなしのアナウンスを耳にする。魅録と同じ便の
乗客たちはとっくに出国審査を終えているだろう。別れの時間は近い。
 静かな緊張感の中、絡み合った視線に、悠理は懇願した。
(どこにも行かないで。手を繋いで。ずっと傍にいて。
 あたいの知らない顔をしないで。
 あたいじゃない誰かを見つめないで。
 遠くに行くだなんて全部嘘だよと言って。)
358或る恋の終わり 4:2008/12/31(水) 17:16:06
 けれど結局、口に出来たのはありきたりな友人としての激励だけだった。
「頑張って」
「………」

 ―――早く。
 なんでもいいから、早く頷けよ!

(でなけりゃ泣いちゃうじゃんか。)

 ほとんど助けを求めるかのように魅録を見つめたが、しかし彼は硬直
したままだった。葛藤を秘めたその瞳に縫いとめられて、悠理にはもう
どうすることも出来ない。
 いつにない二人の様子に仲間たちが顔を見合わせる中、とうとう悠理は
たまらずに視線を逸らせた。
 みっともなく泣くよりはマシだ。
 そう思って、立ち去ろうとした、まさにそのとき。
「待てよ」
 魅録が悠理の二の腕を掴んだ。
(ひどいよ魅録)
 もう我慢できなかった。
 目の奥が焼けるように熱くなったかと思うと、まるで冗談かのように
ぶわっという音つきで、滂沱の涙が流れ落ちた。

 馬鹿みたいだ。あたい、ほんとに馬鹿だ。
 でも全部台無しになったのは、魅録、お前のせいだかんな。

 仲間たちが息を呑んだが、もう悠理には聞こえなかった。
「あ、あた、あたいっ、み゛ろ゛ぐのことっ……」
 そこまで口にしておきながら、けれど最後までは音にはならず、涙に
詰まる喉の奥へと消える。
「――ありがとう」
 嗚咽と鼻水交じりの滑稽な言葉に、魅録はそれでも真摯に返事をくれた。
359或る恋の終わり 5:2008/12/31(水) 17:17:17
 それから少し迷うように――、そして一度心を決めてからは力強く、
抱きしめてくれた。
 自分から抱きつくことはあっても、こんなふうに魅録から――いや、
男性から抱きしめられたこと自体、初めてのことだった。
 自分を包み込む魅録の腕は力強く、もうあの頃の危うさを見出すこと
はない。お前はあたいを置き去りに、ひとり大人になってしまった。
 それなのにあたいはこんなにお子様で。
 恥じた悠理の心の裡を聞いたかのようなタイミングで、魅録は囁いた。
「お前はいい女だよ」
(馬鹿馬鹿、魅録の馬鹿)
 残酷なその言葉に、悠理は心の中で盛大に罵ると、腹いせまじりに
ターミナル中に響き渡る声で泣いてやった。


 本格的に時間が迫ってくると、悠理は自分から離れた。
 気を利かせたのか、仲間たちはもういない。
 ふたりは無言で離れ、数秒だけ見つめあい、そして別れた。
 言葉はなかった。
 お互いに何かを言おうとしたが、ともに過ごした五年そこそこの短い
月日を前にして、言葉は驚くほどに無力だった。
 
 背を向けて入国審査場への入り口へ消えていく魅録の背中を眺め
ながら、悠理は笑おう、と思った。
 笑って見送らなければ。
 たとえもう魅録は振り返らないのだとしても、笑ってその背中を
見送って、彼の新しい生活を祝福しなければ。
 だって、そうじゃないとあたいと魅録の友情があんまりに可哀想だ。
 真っ赤な瞳のまま、悠理は乾いた涙を頬に張り付かせ、全開の笑顔
で手を大きく振った。

 バイバイ。
 さよなら、あたしの――。
360或る恋の終わり 6:2008/12/31(水) 17:19:00

       *   *   *


 背中がほんのりと温められたような気がした。
 真冬にあってもひまわりを連想するような、力強い悠理の笑顔。
 手荷物検査を潜り抜けた魅録は、つるりと光るロビーを歩きながら、
背後を強く意識した。

(――笑うな)
 俺たちの別れに、笑ってくれるなよ悠理。

 自分勝手だ。
 分かってる。
 それでも悠理がふたりの関係に笑顔で区切りをつけ、新しい生き方を
選ぼうとしているのが許せなかった。
 この自分は、きっと一生お前のことを忘れることなんて出来やしない
というのに。

 もう振り返っても大丈夫だろう。
 そう思うが、けっして振り返らない。
 振り返る必要もない。
 別れはもうすませてしまった後だ。
 
 彼女への友情は、限りなく愛に近いものであったのかもしれない。

 もっと早くに気づいていれば違う未来もあったのかもしれない。
 けれどそれに気が付いたのは、違うものを選び取ってしまった後だ。
 もう自分は決断してしまった。戻ることはない。
(好きだったよ、悠理)
 自分から切り捨てたというのに、離別の痛みに身を切り裂かれそうだ。
361或る恋の終わり 7:2008/12/31(水) 17:21:01


 広大な滑走路に雪が降る。
 全ての音を覆い隠し、しんしんと雪が降る。


 ――出会ったばかりの頃、その輝きが俺にとってどんなに眩しかった
のか、きっとお前は知らない。
 自分が人とは違うだなんて。
 今思えば笑っちまうような俺の下らない悩みを、自由に生きるお前が
馬鹿みたいに吹き飛ばしてしまった。
 凍えた夜を走る背中に、ぴったりしがみついてくるお前の体温が
どんなに愛しかったか。
 お前は知らないだろう。知らせるつもりもない。

 もうすべてが過去だ。
 俺はお前とは違う女を選び、お前の傍でない生き方を選ぶ。



 やがて魅録は飛行機の座席につき、機内から見える灰色の世界を眺めた。
 ――これが見納めだ。
 今から自分は冬のない国へ向かう。
 亡国の危機に瀕するあの国の混乱具合からして、一度足を踏み入れた
後は、おそらく簡単には帰省のかなわぬ身となるだろう。

 いつの間にか雪が降っている。
 新たな旅立ちを祝福するような、華やかな白に灰色が霞んでいく。
 魅録は思わず微笑みを刻もうとして――失敗した。
362或る恋の終わり 8:2008/12/31(水) 17:23:23
 この後に及んで脳裏に浮かぶのは、憂いを含んだあの熱い国の王女では
なく、鼻水を啜った子供っぽい親友だった。
 頭を抱え込むようにして蹲った魅録に、機内のアナウンスが流れる。

 ――そして。



       *   *   *


 しんしんと、深々と雪が降る。
 記憶にあるのは温もり。
 夜の街を走る背中に、添えられた幼いお前の温もり。



                            終わり
363名無し草:2008/12/31(水) 18:03:46
>或る恋の終わり
お互いに思っているのに別々の生き方を選んだんですね。
二人の気持ちが切なすぎます・・・
投下乙でした。読めてよかったです。

364名無し草:2008/12/31(水) 23:33:04
>或る恋の終わり
魅録はチチの所にいくのですね。悠理の心情がせつなくて、胸が痛くなりました。
魅録の一人語りも、悠理への想いと諦観がよく表れていて、これまたジーンときました。
仲良し魅悠のこんなシチュエーションも萌えます!
365名無し草:2009/01/01(木) 15:09:38
昨年はたくさんの素敵な作品を読むことができて幸せな一年でした。
今年も色々な作品を読んで、萌えられますように。
366ゴゼンニジノウタ29:2009/01/01(木) 22:44:04
>>258-268
「誰が何を言おうが、俺はあいつと生きると決めた」
月闇役の悠理は、鬼役の生徒達を睨み付けながら模擬刀を抜いた。
真剣な表情の目はぎらぎらとしている。
意外なことではあるが――舞台稽古の悠理はとても評判が良かった。
台詞を覚えるのは遅いものの、モノにした場面の迫力はダントツである。
普段の賑やかな雰囲気とは違う、触れれば切れそうなそれを醸し出していた。

ピンと張り詰めた空気。原も黙って見守っていた。

「何を言っても無駄か………愚かな、………え?」
不意に一人の生徒の緊張が切れた。悠理の背後…上を見つめて目を見開いている。
「白鹿さん!?」
悠理が驚いて背後を振り向くと、今まさに野梨子が落ちる瞬間だった。
「危ない!!」
誰かの叫ぶ声より早く、悠理は駆け出していた。
躍る黒髪、白の制服。―――――間に合え!届け!!!
367ゴゼンニジノウタ30:2009/01/01(木) 22:44:39
※※※
舞台袖には殺陣等の戦闘シーンのために、マットが用意されていた。
悠理はすんでの所で野梨子を抱き留め、そのままそこに倒れたため怪我はなかった。
野梨子は固く目を閉じていたが、覚悟していた衝撃はなく、やがてゆっくり目を開けた。
「…………悠理………」
「な…………な、……にやってんだよっ………!」
悠理はぜいぜいと肩で息をしている。
「ごめんなさい。お怪我は…?」
原も血相を変えていた。
「2人とも、大丈夫!?」
「あたいは大丈夫だけど…」
すぐに悠理は安堵のため息と共に立ち上がった。野梨子はマットの上で青い顔をしている。
「白鹿さん、一体何があったの!?………ううん、いいわ。とりあえず保健室………玉田さん、付き添って」
「はい」
大丈夫ですか?と差し出された後輩女子の手をとりながら、野梨子は自分がいやな汗をビッショリとかいていることに気がついた。
心臓がばくばくと鳴っている。嫌な夢から醒めた気分だ。
転落した窓を見上げようとして、やめる。何が………どうして、わたくし…………

「大丈夫!?」
騒ぎを聞き付けた美童は逆の舞台袖から野梨子に駆け寄った。
震える野梨子に手をかけながら上を見遣ると、紅い髪の束が見えた気がした。
368ゴゼンニジノウタ31:2009/01/01(木) 22:45:18
「野梨子!!」
話を耳にした清四郎は保健室に走った。魅録と可憐はつい先程調査に出たばかりだ。
保健室には教師は居らず、一年生らしき女の子が慣れない手つきで野梨子の手当てをしている所だった。
マットに擦れて血が出ただけらしい。清四郎は緊張を解き、深く安堵した。
「僕が代わります」
突然の生徒会長の登場に女生徒はたじろぎ、じゃ、じゃあ失礼します!顔を真っ赤に染めて駆け出した。

………無言。
清四郎は手際良く野梨子の消毒を済ませていく。
「………音響室から落ちたらしいですね」
「…………すみません」
「すみませんじゃなくて。何があったんです?」
「…………それは………」
音響室は高さにすれば二階程度だ。死の可能性が高いわけではないが、打ち所によっては危険である。
処置を終え、清四郎は心配そうな視線を送った。そして、じっと待つ。
野梨子はそれを受けゆっくりと、自身の記憶を確かめるように追って話した。
揺れて逃げる紅い髪、そして落ちる瞬間に見た―――――
「見間違いかもしれません。だって、そんなのあるわけが…」
「いいから話して下さい。………何を見たんですか」
清四郎が強く促すと、恐怖が再び襲ったのだろう。野梨子の瞳に涙が溜まり、ポロポロと落ちた。
あの時、彼女が見たのは朱の着物、紅い髪、そこから伸びた二本の角。それは―――
「………綾白………」
あるはずのない光景。その姿は決して自分ではない。衣装係が野梨子のために用意したものと、それらすべてが微妙に違った。オレンジに近い紅の髪。
のあるそれが乱れて、真紅の爪に飾られた手で―――
その手から受けた衝撃を、野梨子は忘れられなかった。

震える幼馴染み。伏せた目の下にできる睫毛の影、透明の水滴。細い身体を抱き締めた。
―――ついに来たな、綾白。お前の好きにはさせない。
「せいっ…しろ………」
「君は僕が守ります。必ずです」
野梨子は抵抗もしなかった。恐る恐る両手を彼の背中に回し、愛しい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
369ゴゼンニジノウタ32:2009/01/01(木) 22:46:23
※※※
その日はそのまま(半強制的に)野梨子を家まで送り届け、調査の結果はまた菊正宗家で聞くこととなった。

野梨子の転落事件を聞き、可憐と魅録は驚きを隠せなかった。
「無事で良かったけど…ついに呪いっぽいのがきたな」
「悠理が舞台上にいて、しかもマットがあったから良かったものの……一歩間違えれば大惨事ですよ」
「紅い髪に誘われた…ってことはやっぱり…………」
紅い髪の鬼―――綾白。
脳裏に浮かぶのはやはり、自殺した宮川紗也子だ。
「ますます怪しくなってきましたね」
清四郎が腕を組む。
「で、そちらはどうでした?」
魅録と可憐は今日、最後の生徒会メンバー、設楽 麻弓のもとへと向かっていた。アポイントが取れていたわけではない。彼女は………特別だったのだ。
始め電話を掛けた時、彼女は疑り深そうな声で応対した。そして清四郎が聖プレジデント、そして演劇の話題を出した時、彼女は異常な反応をした。
「やめ………やめやめやめてよぉ………!!もう嫌なんだから!
結界とか儀式とかいくらかけてると思ってるのよ!!あたしは守られている!あのうたもあたしに向けてじゃないんだからっ!」
あのうた?………『あのうた』とは『ゴゼン二ジノウタ』ですか?
と清四郎が口にすると、悲鳴のような声を上げて電話は切れた。

―――――いかにも怪しい。
設楽麻弓は無職であり、都内の高級マンションでこもりきりの生活をしているらしかった。
魅録と可憐は今日そこにむかったのだ。
しかし麻弓は2人の聖プレジデントの制服を見た途端、インターホンを切ってそこからだんまりだったという。
「儀式とか結界とかわけわかんねぇけどさ、あの怖がりかたは異常だよ。俺、明日も行ってみる」
「1人で大丈夫ですか?」
「あぁ。あの精神状態じゃ、紗也子似の可憐もいないほうがいいかもな」
ぽつり、ぽつり。
雨が降り出した。大分蒸し暑くなってきた空気、鈍色の空。
もうすぐ夏休み――――毎年楽しみだったそれを待遠しくも思えずに、可憐は窓越しの水滴を見て思う。
―――麻弓だけが『今』だった、と。多くの人々が『過去』として封じ込めているあの事件を、彼女だけが今日も抱えて生きている。
彼女は何を知り、何に怯えているのだろう。
370ゴゼンニジノウタ33:2009/01/01(木) 22:47:21
※※※
魅録の手帳には当時の生徒会の6人の名前が記されていた。
【生徒会長・高橋郷晴(生存。可憐が接触済、新情報なし)
副会長・宮川紗也子(元・綾白役。首吊り自殺……元凶か?)
運動部長・古手川賢治(月闇役。服毒自殺)
文化部長・高須理人(朝波役、作者。生存?……消息不明)
会計・片岡あゆみ(綾白役。飛び降り自殺)
書記・設楽麻弓(生存、都内に1人暮らし。)】
汗が首筋を伝う。魅録はバイクに寄り掛かりながら設楽麻弓を待っていた。
インターホンを鳴らしても返事がないのはわかっていたので、こうしてマンションの前で待っている。
1人暮らしならば日に一度くらいゴミ出しか買い物に出るだろう。
今日は清四郎は演劇部の練習を見守りに行き、可憐は会室で当時の部員に片っ端から電話を掛けて、更なる情報を探している。
もう、これ以上当たる宛もないのだ。
ここで駄目なら打ち止めか―――…更なる手立てはあるのだろうか。
魅録にはなんとしても麻弓から何かを聞き出さなくてはという焦りがあった。

しかし、もし。………仮に、万一、考えたくもないが………
自分が大切な友達を三人も失ったとする。
そして何年も経った後にその事を年下の高校生に嗅ぎ回られたら、やはり不愉快だろうか。
自分なら後輩たちに協力してやることはできるのだろうか―――?

そんな時、マンションのガラス戸が開いた。
出て来たのはガリガリの中年女性で、ため息をついて魅録は頭を掻いた。
(―――ん?)
風で女の髪がなびいた。その頬に三つならんだ小さな黒子………
(!)
魅録は走った。印象が変わりすぎてわからなかったが、彼女は紛れもなく設楽麻弓本人だった。
ふくよかだった体が気味悪いほど細くなり、長かった髪は短くボサボサに乱れていた。
生気のない顔つきで歩く顔にはよくみれば面影もある。魅録は急いで後を追った。
371ゴゼンニジノウタ34:2009/01/01(木) 22:47:56
「設楽麻弓さん!」
名前を呼ばれた麻弓はびくりと振り返り、魅録の聖プレジデントの制服を見て悲鳴を上げた。逃げ出す麻弓に魅録は舌打ちする。
―――くそ。これじゃあ俺が犯罪者みたいじゃねぇか。
「ちょっ…!ちょっと待ってくれよ!話がしたいだけなんだって」
できる限り彼女を刺激しないように、言葉を選んで追いかけた。
容易く腕を捕らえたが、麻弓は激しく抵抗した。
「やめてよっ……!あたしは悪くないんだから!全部あゆみが仕組んだの!あたしじゃないんだから…!」
―――あゆみが仕組んだこと?
やはり麻弓は何かを知っている。
※※※
麻弓が叫び出し、警察を呼ばれかねない雰囲気だったので、その日魅録は仕方なく場を後にした。
可憐と清四郎に報告すると、やはり不可解に首を傾げた。
「あゆみの仕組んだこと………ねぇ。一体なんのことかしら」
「きちんと話を聞いてみたい所です」
魅録は思った。人…片岡あゆみのせいとは言うが、彼女には何か後ろめたいこともあるのかもしれない。
あれから麻弓は電話にも出ず、沈黙を守ったままだ。
魅録はこっそりマンションの前の花壇と裏口にカメラを設置してきていた。
設楽麻弓に警戒され、出ていかれたりしたらまずいからだ。
しかし早送りでチェックしたそれに、彼女の姿は映っていなかった。
「今日も俺、行ってみるわ」
次の日もまた次の日も、魅録はそのマンションに向かった。
炎天下の張り込みは辛いが、そうも言ってはいられない。必ず、何かを掴んでみせる。

372ゴゼンニジノウタ35:2009/01/01(木) 22:48:30
清四郎は転落事件から練習を見守り続け、可憐は当時の部員全員に片っ端から電話をしている。
しかしついに有力な情報は掴めないまま今に至っていた。
可憐が主に聞いたのは、
・四人(宮川紗也子、高須理人、片岡あゆみ、小手川賢治)はどんな人物だったか
・不思議な噂を聞いてはいないか
・『ゴゼン二ジノウタ』を知っているか
の三つだった。
ほとんどの生徒からは特に得るものもなかったが、大分人物像は絞れてきていた。
・宮川紗也子は美しく憧れの的だったが、とにかく性格がキツく恐れられていた。
部員たちに怒鳴り散らすこともあったという。
・片岡あゆみは反対に穏やかで、少し大人すぎるくらいだったが、彼女の笑顔は場を和ませていた。
紗也子に怒鳴りつけられた部員のフォローもしていたらしい。また、やはり紗也子とは親友であったという。
・高須理人も穏やかで朗らかな人柄であった。後輩たちにも大変受けが良く、そんな彼の作品だからと、気合いの入っていた部分もあるらしい。
・小手川賢治は無口でミステリアスな人物だった。彼の胸の内は高須ぐらいしか知り得ないのではと、誰もが口を揃えて言っていた。
ちなみに当時一番の美形であったという。
噂という面では、誰も似たり寄ったりだ。ゴゼン二ジノウタを知る者はいなかった。

「今日も全滅………手掛かりなし」
可憐はため息をついて携帯電話を置いた。
―――疲れた。
とりあえず出張中の恋人からのメールだけを支えにして生きている。
彼は青年実業家。超がつくほどの金持ちではないが、安定しており真面目だった。顔もスタイルも申し分ない。
出張が多いのが玉にキズだが、そんなことも問題にならないくらいに可憐は彼に夢中だった。
最近よく結婚の話題を口にする彼。向うもそれを意識してくれているのが、可憐はとても嬉しかった。
よし!と気合いを入れて、可憐はまた電話を手にした。
今から掛けるのは当時1年生の衣装係で、大した期待もしていなかったが。
373ゴゼンニジノウタ36:2009/01/01(木) 22:49:02
※※※
いつものように報告会が開かれる。麻弓の住居に動きはなし。今日の練習も異常なし。
「可憐の方はどうでした?」
「こっちもお手上げ。掛けられるとこは掛け尽くしたわ」
打ち止めだった。情報の手掛かりはすべて潰れ、唯一のキーパーソン・設楽麻弓はこちらを警戒しひきこもりきり。
ただひとつできることは麻弓の自宅前を見張り続けることのみだが、それにも限界があるだろう。
麻弓はたまに窓からちらりと顔を出し、魅録を見つけるとすぐにカーテンを引いた。
またいる…彼女の顔には恐怖と憎悪が入り混じっていた。
「でも、それしかないなら俺はやる。何週間でも通いつめるよ」
…それでも効果があるかはわからない。こんなにも長く外出をせずにいられるということは、あらかじめ部屋に食料などが
大量にストックされていたか、または誰かが彼女の代わりにそれらを供給しているのだろう。
前者ならばそれが尽きるのを待てばいい。が、後者であったら?…麻弓は永遠に外に出なくても生活できることになる。
それは口にしないだけで、全員が感じていた。

沈黙に、遠くから蝉のなく声が聞こえた。たった数日の短い命を燃やして何かを叫んでいる。
清四郎はふと、壁に掛かったカレンダーを見遣った。そしてはっとする。そうだ。明日は――――
「宮川紗也子の…………命日」
※※※
―――なにかが狂いだしているよ
どうして気がつかないの?
どうしてそれを考えもしないの?
きっともう抜け出せないよ。お願い、わたしの声をきいて

野梨子の夢の中でだれかがないていた。
374ゴゼンニジノウタ:2009/01/01(木) 22:50:31
続きます。
375名無し草:2009/01/02(金) 14:35:49
>ゴゼンニジノウタ
新年投下乙です。
悠理GJ、格好よすぎ。
清四郎はいるだけで野梨子の支えになってますね〜。
ますますどうなるのか分りませんが、続き楽しみにしてます。
376名無し草:2009/01/02(金) 22:16:31
>ゴゼンニジノウタ
おお、新年から乙です。
話の展開から目が離せなくなってきました。
それにしても、野梨子と悠理の二人の舞台での絡みは、一部女生徒の悲鳴が聞こえそうだw
377名無し草:2009/01/03(土) 04:39:04
>ゴゼンニジノウタ
新年からわくわくする展開になってきましたね。 続きがとても楽しみです。 
連載が満載でここにくるのが本当に楽しみです。
378これ、いただくわ 134:2009/01/03(土) 17:47:17
>>210
不安が頂点に達した可憐は必死の形相で通信機を弄繰り回していた。
「どこ行っちゃったのよ清四郎、早く戻ってきて!」
こうなる事を見越して清四郎がスイッチを切っているのか、それとも操
作手順が悪いのか、何をどう弄ろうが通信機は沈黙したままである。
こうなれば野梨子がしたようにメーデーでも発信しようか。そうも考えた
が、しかしやり方が分からない。すべて清四郎に任せ切りで説明をろく
に聞いてこなかった事が今更ながら悔やまれる。
「もお誰でもいいから助けに来てよッ!」
泣けど叫べど応答は返らない。その代わり聞こえてきたものがある。足
音だ。遠くの方から複数の足音がまるで地鳴りのような迫力で聞こえて
きたのである。
通路の角から恐る恐る覘いてみると、人相の悪い男たちが渡り鳥のよ
うなV字編隊で進軍して来る光景が目に入った。彼らのうち数人は黒光
りする物騒なものを携えている。
「モ、モデルガンよね?」
―――だってここは日本なんだから。
そう思うと同時に、悠理の母が友人の危機を救うため武装して現場へ
乗り込み、その友人宅を手榴弾で吹き飛ばした事を悲しい気持ちで思
い出した。
(……あれも日本だったわ)
剣菱家に武器弾薬があるように。清四郎宅に用途不明の薬物がある
ように。魅録宅に無断で桜田門に直結させたコンピュータがあるように。
有るところにはあるのだ。そして今の自分には。
(そうだわっ)
可憐は大急ぎで麻酔銃を取り出した。
379これ、いただくわ 135:2009/01/03(土) 17:49:28
その小ささはなんとも心細い限りだが、しかし威力は清四郎が身を持っ
て実証済みだ。これを使えば己の手で血路を拓くことも不可能ではない。
グリップをきつく握り締めてみる。すると心のどこかにポッと希望の火影
がチラついた。豆粒のようなこの希望が消えぬ内に手を打っておかねば
なるまい。
(えーっと、えーっと、どうすればいいんだっけ…)
たしか魅録はこう言っていた筈だ。ナントカ装置を外し、ナントカを引き、
初弾をナントカに装填してから引鉄を引けと。
(ナントカばっかりで分かんないわよっ)
それでも出鱈目に弄くる内にカツリと小気味良い音がした。魅録が実演
をみせてくれた時に聞いたような気のする音である。試しに引鉄を引い
てみる。と、銃の先から何かがプシュッと飛び出した。
(いけるわッ)
すぐさま可憐は角から銃口だけのぞかせ立て続けに撃った。サプレッサ
付きの小銃は情けないほど微かな音と共に無数の麻酔弾を吐き出した。
しかし、ひとりとして倒れてくれぬのはどうした事だろう。あれだけの集団
に向けて引鉄を引いたのだ。一発ぐらい誰かに当っても良さそうなものだ
が、男たちは平然と歩き続けている。
『―――急所を狙いますのよ』
ようやくその言葉を思い出した可憐は、気を取り直してもういちど引鉄に
指をかけた。曲がり角からチラリと片目を覗かせ、的を定めて引鉄を絞る。
今度は確実に当たった筈だ。だが結果は変わらず敵はまったく眠らない。
(なによコレ、ほんとに弾出てんのッ!?)
可憐は唇を震わせながら麻酔弾を撃ち続けた。
380これ、いただくわ 136:2009/01/03(土) 17:51:43

『見てくださいな可憐。急所、つまり首筋や頭部に撃ち込めばこの通り。
これは使えますわよ!』
仕留めた清四郎の横で満足そうに野梨子が話すのを、いそいそと化粧
ポーチを取り出していた可憐は適当に聞き流していた。ただ急所という
言葉だけが脳裏に刻み付けられた結果、可憐はいま一途に股間を狙い
続けている。
(全っ然使えないじゃない、野梨子の嘘つきッ!)
これではいくら撃ったところで時間の無駄だ。敵の無力化は諦めざるを
得ない。
ではどうする。18階のエレベーター前で難なく敵を四散させた清四郎の
作戦に倣い、今度は自分から敵の前に姿を現してみるか。そして首塚
の怨霊になりきって呪いの雄叫びをあげてみるのはどうだろう―――否。
やはりそんな危険を犯すことは出来ない。世の中には幽霊のたぐいを屁
とも思わぬ、清四郎のような不届き者も存在するのだ。万が一敵中にそ
のような人物があれば、逃げるどころか勇んで捕獲に来るだろう。
可憐は血走った目で辺りを見回した。だが清四郎が消えていった方角は
おろか、自分がどこから来たのかさえ最早分からない。慌てて腕のモニタ
に助けを求めるも知らぬ間に不要のボタンを押していたらしく、半径2メー
トルの拡大表示となった地図はものの役に立たぬ。
「通路を映しなさいよ、私しか映ってないじゃないッ!」
そうする内にも男たちはずんずんと距離を詰めて来る。
「や、やだ…来ないでよ…」
顔を引き攣らせた可憐は無意識に走り出していた。
「あっ、いま向こうに何かッ」
「女か?」
「はっ、おそらく」
「よし確保だ」
途端にバラバラと雹が軒を打つような足音が巻き起こった。
381これ、いただくわ 137:2009/01/03(土) 17:55:40

このまま直進していてはすぐに追いつかれてしまうだろう。可憐は角とい
う角を闇雲に曲がり、全速力で逃げた。
(清四郎どこに居るの、助けに来てッ!)
通路が交差する度、パートナーの姿を探し求める。否、この際清四郎で
なくとも構わない。悠理でも魅録でも、誰か見知った顔に出逢える事を心
の底から希う。だが期待は悉く裏切られ、幾ら走れど目に映るのは冷淡
な壁ばかりであった。
(誰か助けて……ッ)
息は上がり、足はもつれる。追手は容赦なく迫る。
(……もう…ダメ)
と思ったその時、視野の端に見慣れた緑色のランプが現れた。ギッと目
を尖らせた可憐はその非常扉に向かい奮然と駆けた。
(お願い開いて、おねがいッ!)
爪が傷つくことなど構っていられない。分厚い鉄扉に指を立て、渾身の力
で抉じ開ける。ようやく出来た隙間に体を捩じ込むと、その先は白一色に
塗り込められた狭い空間であった。
内壁を舐るようにグルグルと続く階段は恰も不吉な出来事を暗示するか
の如く気味の悪い静けさを湛えていたが、しかし仲間の誰とも連絡のつか
ぬ今、この階段だけが頼みの綱だ。
「西だ、西の非常口だッ!」
追手の怒声が背中に降り注ぐ。瞬時の躊躇も許されぬまま、可憐は無我
夢中で階段を駆け下りた。
「他班に連絡を入れろ、回り込めッ!」
頭上に渦巻く足音はみるみる膨れ上がる。ともすれば縮み上がってしまい
そうな身体を叱咤しつつ、時によろめきつつ、更に泣きつつ、転がるように
可憐は走った。
382これ、いただくわ 138:2009/01/03(土) 17:58:09

―――こんな所に居ては袋の鼠だ。

そう警告する声は階段を下り始めた当初から頭のどこかに響いていた。
だが背後に迫る恐怖はあまりに大きく、その声に冷静に耳を傾ける余裕
など微塵も残されてはいなかった。
そしてそれは踊り場を何度か回り、何度目かの非常扉の前を駆け抜けた
直後、ついに現実のものとなったのだ。

俄かに開け放たれた扉の向こうから禍禍しい影がヌッ――、と伸びた。
鼓膜がその獰猛な息遣いに凍りついた時、すでに可憐の体には鉄条の
如き男の腕がぎっちりと巻き付いていたのだった。

 続きます
383名無し草:2009/01/03(土) 21:30:21
>ゴゼンニジノウタ
ドキドキする展開ですね。
余裕で野梨子を助ける悠理がかっこいい。
続き楽しみに待ってます。

>これ、いただくわ
急所と聞いて股間を狙い続ける可憐に笑いました。
せっぱつまった場面なのにユーモアがあって相変わらずおもしろいです。
続き待ってます。
384名無し草:2009/01/04(日) 19:33:17
 
385名無し草:2009/01/06(火) 16:41:54
この時期、日本酒が目立つ所においてあったりして、ついにやけてしまうのは
自分だけか。
386名無し草:2009/01/06(火) 20:27:39
わかるわかる。
普段でもつい捜しちゃう
387名無し草:2009/01/06(火) 22:23:50
名前がおめでたいからかな。松竹梅が目立ってた。
388名無し草:2009/01/08(木) 01:10:50
このスレは、たくさんの連載があるにも関わらず、ほとんどが野梨子贔屓で、作者たちもそれが当然だと思ってるあたりが、なんだかムッとする。
オールカプスレなのに、清悠はだめみたいなふいんきがある。
わたしは清悠が読みたいし、そうじゃなかったら総受け(悠理の)とかが読みたいよ。
作家はちゃんとそういうの考えてほしい。
389名無し草:2009/01/08(木) 01:24:11
作家さん達には好きなものを好きなように書いて欲しいな
こういうの読みたい!って思ったならまず自分で書いてみてはどうだろう>>388
390Graduation:2009/01/08(木) 09:27:55
>>322 第9話は46レス前後の予定です。今回9レスいただきます。
391Graduation第9話boys & girls(1):2009/01/08(木) 09:29:32

悠理は、国際文化学部への進学を決めた。蓋を開けてみれば、冬休み補習の総テストは
かなり緩めに出来ており、平均点80点で、皆志望学部へ進めたのだ。とめどなく
涙を流す百合子の喜びを他所に、悠理の顔は今一つ冴えなかった。

「嬉しくないのかよ?」
生徒会室で、魅録が皆の疑問を代表して聞いた。悠理は慌ててブンブン首を横に振った。
「そんなことないよ。勿論、嬉しいさ!あんだけ頑張ったんだから、駄目だったら、
それこそ落ち込んでるよ。たださ……。」
悠理は頬杖をついて天井を見上げた。
「可憐みたいに、自分が行きたくて行く学部じゃないし……。ああ、何か、これでもう
決まっちまったんだなーって……。可憐の前じゃ、こんな事言えないけどな。
贅沢だって怒られちまう。あ、それから、清四郎。父ちゃんと母ちゃんが
おまえに礼したいから、今度うちに来いってさ。また、詳しく連絡するよ。」
「分かりました。」
清四郎は喜ぶでも驚くでもなく、顔色一つ変えず返事をした。
「あれえ、清四郎だけ?僕達はないの?」
美童が、ちょっとだけ口を尖らせながら、冗談ぽく尋ねた。
「悪いな。」
悠理はすまなさそうに、美童、野梨子、そして魅録を見て、頭をかいた。
「仕方ないですわ。悠理に関しては、清四郎の役割は特別でしたもの。」
野梨子が気にしていないという素振りで、微笑んだ。
「そうだな。」
魅録の呟きに、悠理は、一段と申し訳なさそうな顔で彼を見た。

クリスマス・イブの日、魅録がああ言ったものの、結局、清四郎の立てたスケジュールを
乱すわけにもいかず、悠理は魅録に勉強を見てもらうことはなかったのである。
事情を告げる為、悠理はイブの翌日の補習の帰りに魅録の家に寄った。
魅録は玄関先で、突然の来訪に驚いた顔をしたが、事情を聞くと、
「気にすんな。仕方ねえよ。かえって気ぃ使わせて悪かったな。」
と言って笑い、悠理の髪をくしゃりとした。
392Graduation第9話boys & girls(2):2009/01/08(木) 09:30:35

「お守り袋、使ってっか?」
「もっちろん!ここにあるよ。」
悠理は胸をはって、胸元を叩いた。
「そっか。あと少しだ。頑張れよ。さっさと終わらせて、また遊ぼうぜ。」
「うんっ!」
たったそれだけの会話だったが、その時の悠理には十分だった。悠理は松竹梅邸を後にすると、
キッと顔を引き締めて車に乗り込み、そして補習の試験結果が出るまで、魅録に
会うことはなかったのである。

「これで、いよいよ残るは可憐一人ですね。」
清四郎の言葉に、一同は皆背筋を伸ばした。この所、可憐は授業の後、生徒会室へは寄らず、
図書室で勉強している。聖プレジデント大の前に二つの併願大学を受けるので、
初めの試験日まであと二週間だった。この約一ヶ月半の間、清四郎、野梨子、
魅録、美童は役割分担をして、可能な限り可憐の協力をし、可憐はそれに懸命に応えていた。
皆、可憐を聖プレジデント大に合格させたくて必死だった。皆の真剣なその思いは、
計らずも6人の間の空気を以前よりもより濃く、熱いものにしており、彼等が
気が付かない内に、目に見えない絆は一層固くなっていた。


ザワザワザワ……。
聖プレジデント大の合格発表まであと30分もあるというのに、もう掲示板の前には
大きな人だかりが出来ている。勿論、可憐もその中の一人だった。隣には美童がいる。
本当は一人で見に行くつもりだったのだが、彼が一緒に行くと言い張った時、
自分でも不思議な事に、それを素直に受け入れたのだった。美童にはその権利が
十分あるように可憐には思われた。
393Graduation第9話boys & girls(3):2009/01/08(木) 09:32:55

(本当のプレゼントは僕自身さ)
気障なセリフ。今時、陳腐とさえ言えそうだ。一体、今まで何人の女性に使ったのだろう。
しかし、あの時の可憐にとっては、本当に最高のクリスマス・プレゼントだった。
勉強に疲れ、心がかさついていたあの時、わざわざ自分の為に、そう、自分だけの為に
雪の中を来てくれた、という事実は、可憐の感じやすい胸を熱いもので一杯に満たした。
結局、あの後二人は母の入れてくれたクリームたっぷりのホット・ココアを
ふうふう言って飲みながら、教会でのミサの事、グランマニエ邸でのディナーの事、
プレゼント交換の事等についておしゃべりをし(可憐はもっぱら聞き役だったが)、
小一時間して美童は雪の中をまた帰って行ったのだった。
その時もその後も、美童と特別な会話を交わすことは一切無かったが、雪のイブの夜に
突如訪れた夢の様な一時間は絶えず可憐の心の中に温かな灯りを点し続け、
時々そっと取り出して見ては、可憐は自分を慰め、励まして今日まで来たのだった。

正直、試験の出来は満更でもなかった。
清四郎がはった小論文のヤマは見事に当たり、野梨子が予め作成しておいた内容を
そのまま書けばよかった。魅録がまとめた時事は経済だけでなく、英語の長文でも役に立ったし、
美童のおかげでヒアリングはばっちりだった。しかし、自己採点してみると、
やはり取りこぼしはあるし、合格は微妙なところだ。あとは何処まで学園側が
下駄を履かせてくれるかにかかっている……。

永遠とも思われる30分が過ぎ、ついに係りの者たちが現れ、大きな白い紙を掲示板に張り上げた。
可憐の受験番号は「333」。
美童の腕を掴んでいる可憐の手にぐっと力がこもった。中々前に進めないでいると、
頭上から美童の明るい声が聞こえた。
「大丈夫、大丈夫。結果がどうだって、死ぬわけじゃないよ。世の中、生きていれば、
どうにかなるんだから。ねっ。」
可憐は傍らの親友を仰ぎ見た。こんな状況でも、どこか面白そうに陽気に光っている青い瞳。
最近、どういうわけかこの青い瞳を見ると安心する。可憐は勇気が湧いてきた。
下がっていた細い眉はピンと挑戦的に跳ね上がり、瞳は再び爛々と輝きだした。

394Graduation第9話boys & girls(4):2009/01/08(木) 09:34:07

「そうねっ。でも、もし結果を見てあたしがショックで倒れたら、あんた、面倒見てよ。」
可憐は赤く艶やかな唇をキュッと上げて上目遣いで美童を見た。
「万事おまかせあれ。」
美童が眉を上げて胸を叩き、そして、可憐は掲示板への第一歩を踏み出した。

(……305、318、324、330……33…3……!)
「333!美童っ!美童っ!あったわっ!」
「可憐っ!」
満面の笑顔で走り込んで来る可憐を、両腕を広げて胸に受け止めると、美童は、
ぱっと右手を上げて、さっきまで首に巻いていた赤いマフラーを振り回した。
すると、いったい何処に隠れていたものやら、清四郎、魅録、野梨子、悠理が一斉に飛び出して来た。
「やったな!可憐っ!」
「素晴らしいですわっ!」
「すげえじゃないかっ!」
皆に囲まれ、もみくちゃにされながら可憐は顔をくしゃくしゃにして、泣き笑いしていた。
いや、泣き笑いは皆同じで、皆が目を輝かせて顔を真っ赤にし、体中から熱い蒸気を立ち上らせていた。

最初の興奮が収まったところで、最後に清四郎が可憐に右手を差し出して言った。
「おめでとうございます、可憐。本当によくやりましたね。」
仲間のリーダーである清四郎の落ち着いた声色は、可憐に、合格が現実であることを再確認させた。
可憐は涙に濡れる目で、清四郎の真摯な暖かい眼差しを受けとめ、その逞しい右手をしっかりと握った。
「クリスマス・プレゼントに清四郎から貰ったボールペンで願書を書いて、
シャープペンシルで試験を受けたわ。
皆、あんたたちのお蔭よ……本当に有難う。……、って何?きゃあ、やめてよ、
今日、あたしスカートなのよっ!」
「へへっ、関係なーい!せーのっ!可憐、合格おめでとーっ!」
悠理の掛け声と共に、可憐の体は軽やかに空中に舞い上がった。

395Graduation第9話boys & girls(5):2009/01/08(木) 09:35:20

「チーズはこれ位種類があればいいかしら?ああ、美童用に青カビ系を買わなくっちゃ。」
白い水玉模様をちらしたグレーのざっくりとしたセーターにストレートのデニム、
上にグレーのファーのついたスモーキーピンクのダウンコートを羽織った可憐は、
ポイッとブルーチーズをカートのカゴに投げ入れた。
「後はブイヤベース用の魚介類だけですわ。」
水色のアンサンブルのニットに、動きやすい紺色のしっかりとしたカットソーのフレアースカート、
白いピーコート姿の野梨子がメモを確認しながら、先頭を歩く可憐に続く。
「へえへえ、どこでもお好きなように。」
白地に金ラメの入ったTシャツに、黒レザーのミニスカートと黒のロングブーツを合わせ、
上質の豹柄のフェイク・ファーのコートをバサリと羽織っている悠理は、大きなカートを押しながら、
二人の後をひたすら付いてまわっていた。
「最近、毛皮は日本ではフェイクにしてんだ。ま、動物愛護ってやつだな。」
それが動物好きの魅録と話し合って決めたという事を、野梨子と可憐は了解済みだった。

三人は東郷邸の近くの高級スーパーで食材の買い物中だった。今、東郷氏の娘の
ソフィーが仕事で東京に来ており、可憐の合格祝いと、また可憐の素敵な仲間達に
会いたいというリクエストを兼ねて、この土曜日に6人を東京の東郷邸へ招待してくれたのだった。
可憐が皆への感謝の気持ちで、手作りディナーを振舞いたいと申し出たところ、
先送りになっていた悠理の進学の祝いも兼ねてあったので、悠理自身もお礼の
意味で手伝いたいと殊勝にも言い出し、それならばと、野梨子も参加したのであった。
ソフィーは日中は仕事だが、ディナーには参加することになっており、それまでの時間、
好きに家を使ってかまわないと言ってくれた。また、どうせお酒が入るだろうから、
晩は泊まって行くように進めてくれ、6人は久し振りに小旅行のような、ワクワクした気分で
この日を迎えたのだった。

396Graduation第9話boys & girls(6):2009/01/08(木) 09:36:24

可憐は、生鮮魚売り場でしばらく巨大な伊勢海老を、顎に手をやりながらじっと睨みつけていたが、
やがて覚悟を決めたように、それをポイ、ポイ、ポイと三つカゴに乗せた。
「無きゃ無くてもいいんだけど……やっぱり、縁起物だから。」
可憐は手際よく品定めしながら、ブラックタイガー、貝類、イカ、魚等を次々と
カゴに詰め込んでいった。
「これでリストのものは全部そろいましたわ。レジに並びましょう。あら悠理はどこですの?」

いつの間にか、悠理はカートごと陳列棚の反対側に移動していた。カートの取ってに肘をつき、
顎を乗せたポーズで、斜め下を向きながら一人物思いに浸っている。いつも生き生きとしている目は
ぼんやりと半ば伏せられ、切なげに下唇を噛みしめて、何か急に込み上げて来た想いを
必死にこらえているように見えた。
その姿は触れれば壊れてしまいそうな程儚げで、見る者の心を締め付けた。

「悠理……?」
可憐と野梨子が心配そうに顔を見合わせ、走って傍に行った。
何か、辛い事でも思い出したのだろうか?

二人に気が付くと、悠理はぼんやりとした目で吐息を漏らしながら、
途切れ途切れにかすれた声を出した。
「……だな……。」
「え?」
「美味そう……だな……。」
悠理は目を細めて、口元を手の甲でぬぐった。
目の前には、最高級松坂牛の試食販売コーナーがあった。
397Graduation第9話boys & girls(7):2009/01/08(木) 09:37:22

「今、おばちゃんが休憩中なんだよ〜。そのうち、戻って来ると思うんだけど〜。」
未練がましい悠理を何とかその場から引っぺがし、レジに向かう途中で、今度は可憐が足を止めた。
「何だよ、まだ何か買うのか?」
既にカート上に山盛りになった食材の向こうから、自分の事はどこへやら、
悠理が面倒くさそうに頭をかきながら顔を出した。
「う〜ん……。」
可憐が中々動かないので、野梨子と悠理がカートを置いて傍にやって来た。
「あら、これ……。」
そこは、バレンタインの手作りチョコ用の材料のコーナーだった。
そう、今日はバレンタインだったのだ。
「……チョコ、手作りしたいんだったら、買っとくけど。どうする?あ、それとも、もう用意済み?」
「はぁっ?!可憐、いったい誰が誰にやるってんだよっ?」
悠理が顔を赤くして反論した。
「……そ、そうですわ。わたくしたち、一度もバレンタインなんてしたことありませんのに……。」
確かに、バレンタイン・デーには、毎年、美童と悠理は勿論、清四郎と魅録も
大量のチョコを抱えて生徒会室にやって来たが、仲間内では特に何もやらない
というのが、暗黙の了解になっていた。
「それにしても、今日は学校が休みですから、皆のファンの方々はさぞかし残念がっていますでしょうね。」
「朝、出て来る時、もう何人からか貰ったぞ。家の前で待ってたんだ。そういや、
五代がポスト見て何か騒いでたなー。」
悠理が思い出した様に言った。可憐は一人頷いた。
「あたしは、チョコ作るつもりよ。あんたたちは?」
「えっ!可憐、誰にやるんだよっ?」
「やはり…美童…ですわよね……?」
野梨子が小さいながらも声に出して言いい、チラリと可憐の反応を窺った。
「馬鹿ね。三人によ。あたし、本当に今回は皆にお世話になったもの。本当は
野梨子にもあげたいところよ。」

398Graduation第9話boys & girls(8):2009/01/08(木) 09:38:39

野梨子はちょっと考えた。
「三人になら……、いいですわね。高校生活最後のバレンタインですし。わたくしも作りますわ。」
悠理はポカンとした顔で二人を交互に見比べていたが、仕舞いにおずおずと可憐に尋ねた。
「作り方、教えてくれんのか?あたいでも、作れるかな?」
「勿論。」
可憐がにっこりと頷き、悠理の顔がパアッと輝いた。
「なっ……、なら、あたいもっ!」

「すげえ荷物だな……。」
スーパーの駐車場で車をとめて待っていた魅録は、カートで運ばれて来た紙袋の山に目を丸くした。
助手席には、いつもなら当たり前の様に悠理が座るところだが、今日は東郷邸への道案内があるので、
可憐がおさまった。
「あ、次の信号を左折して。」
「OK。」
魅録の運転する車はさすがに乗り心地が良く、今更ではあるが、可憐は魅録の
軽やかにステアリングを操る手元に目を奪われた。
(こっ、これが美童だったらどうなのかしら?そりゃあ、魅録と比べちゃいけないのは
分かってるけど、でも、運転中に「ギャー」とか「ヒー」とか「アアーン」とかやられちゃ厭だわ。
って、あら、あたし、何で美童の車に乗る事なんて想像してるの?
……………………………車はやっぱりボルボかしら……?)
可憐の妄想は一人続いていた。

399Graduation第9話boys & girls(9):2009/01/08(木) 09:39:40
「次、どっち?」
魅録に聞かれて、ハッと我に返った可憐は、バツの悪さから棘のある声を出した。
「二つ目の信号を右折して、500メートル位行って。道路の右側の、正面に
広い芝生のある赤い屋根の洋館よ。目立つからすぐ分かるわ。」
「了解。」
滑らかに車を走らせる魅録の涼しげな横顔を横目で見つめながら、可憐はフフンと小さく鼻で笑った。
(魅録。そんな澄ました顔していられるのも今のうちよ……。)
可憐は怪しく目を光らすと、自分のバッグから覗いている茶色の紙袋をそっと握り締めた。

東郷邸は都心の一等地にあった。外国からの客が多く、ゲストルームが沢山必要な為、
旧い洋館を買い取って内装を改め、設備を最新の物にあつらえてあった。
今日は、男性陣用と女性陣用にゲストルームが割り当てられ、各々ベッドが
三台あるベッドルームと、リビングルーム、それに勿論、バス、トイレも備えられてあった。
東郷邸の、歴史を感じる広大な庭に一歩を踏み入れた時、野梨子と可憐は悠理の様子を
確認せずにはいられなかった。
こういう年代ものの建築物は要注意である事を嫌というほど知っていたからだ。
悠理は目を瞑って、全身の気を集中したが、パッと顔をほころばせると、万歳をして踊りまわった。
「わーい、ここには何にもいないぞ!ただの素敵な洋館だいっ!」

続く

400名無し草:2009/01/08(木) 10:06:40
そんなに清悠読みたいなら、清悠トピにお逝きなさいな。
401名無し草:2009/01/08(木) 10:43:06
>Graduation
お待ちしていました。
悠理も可憐も合格してほっとしました。
でも卒業が近くなってちょっぴり寂しいです。
いよいよ6人の恋模様が動きだすのかな?
続き楽しみにしています。
402名無し草:2009/01/08(木) 12:01:15
>Graduation
連載再開ウレシス!!
可憐が合格できて良かった。美童の励ましも格好いい。
六人の友情の厚さや言動が彼ららしくて、読んでいると心温まります。
バレンタインでそれぞれの恋がどう動くのか、楽しみに待ってます。
403名無し草:2009/01/08(木) 18:33:17
>Graduation
お待ちしてました!
私も可憐の合格が人事ながら嬉しかった。
そして美童との関係が少しずつ変わっていきそうなところに
キュンキュンする。
早く続きが読みたい。
404名無し草:2009/01/08(木) 23:10:33
>Graduation

今回の悠理もかわええ
健気なのに逞しいところがかわいすぎる
続き、楽しみにしてますね
405Graduation:2009/01/09(金) 09:06:18
>>391 今回8レスいただきます。
今回ほんのちょっぴりだけH風味あります。(よくあるネタです。)
406Graduation第九話boys & girls(10):2009/01/09(金) 09:08:06

魅録の大活躍により、大量の荷物を何とかキッチンに納めるやいなや、可憐は
チャキチャキと指揮を取り始めた。
「じゃ、あたし達は料理の準備に取り掛かるから、魅録は適当に何かやっててよ。」
「俺、何か、手伝うことあるか?清四郎と美童はまだ来ねえし。暇なんだよ。」
「あんたは荷物運びに呼んだだけだもんね。あ、じゃあ、確か暖炉があるって
言ってたから、薪の準備でもしててよ。暖炉の火を燃やすのって意外と難しいのよね。」
「へえ、暖炉か……。」
薪によって轟々と火を燃やすという事に男のロマンを感じたのか、魅録は
上機嫌で自分の仕事場へ向かった。

「さあ、やるわよっ。」
可憐は髪を一本の三つ編みにして背中に垂らすと、腕まくりをして、薄いライラック色の
フレアーのたっぷりあるエプロンをつけた。
野梨子はキビキビとした動作で白い割烹着と三角巾を身に付けると、にっこり笑った。
「働く時は、これが一番ですわ。」
悠理は、野梨子のクリスマスプレゼントと同じタマフクのデザインが胸元についた、
紺色のカフェエプロンをつけ、口元を引き締めてキュッと赤いバンダナを頭に巻いた。
「フンフン、可憐、どんどん指示してくれっ!」

「本当だ。結構難しいんだな、火、熾すのって。」
数十分後、魅録が暖炉に薪をくべて、何とか火を熾そうと火かき棒をかき回して四苦八苦していると、
悠理がそうっと部屋に入って来て、魅録の隣にチョコンと座った。
「どうした?」
その元気の無い様子に、魅録が手を止めて尋ねると、悠理は抱えた両膝に顎を乗せ、小さな声で話し出した。
「あたい……、可憐と野梨子の役に立ちたいと思って、料理の手伝い、頑張ってんだけど……、
ヘマのしっぱなしなんだ。剥いちゃいけない海老の殻を剥いちまったり、茹で
上がったジャガイモの皮を剥こうとしたら、熱くて飛び上がった弾みで、全部
床にぶちまけてつぶしちまうし……。慌てて拾おうとしたら、調味料棚にぶつかって、
今度は塩やら砂糖やら油やら、あと何だか分かんない色んな匂いのする葉っぱとか
床にぶちまけちまって……。」
407Graduation第九話boys & girls(11):2009/01/09(金) 09:10:45

(そ、それは大変な惨事だな……。)
魅録は、カタストロフィーの状況を可憐と野梨子の悲鳴つきで想像して、悠理に
気がつかれないようにそっと横を向いて眉を顰めた。
「後始末の手伝いに行ってやろうか?」
「ああ、それはもう、皆で片づけたから大丈夫。でも、そん時もあたい、雑巾
絞る位しか出来なくてさ。雑巾で拭くってのも、コツがいるもんなんだな。」
「……まあ、おまえはお嬢様だから、そんな事したことねえもんな。学校でも
掃除は業者がやってくれるし。」
「でも、可憐や、野梨子はてきぱきと働いてたぞ。」
悠理は納得出来ないらしく、口を尖らせた。
「何だよ、らしくねーな。自己嫌悪か?。」
「うん……。」
両手で抱えた膝に顔をうずめて、しょんぼりとする悠理を、魅録はしばしの間
無言で見つめていたが、再び暖炉に向き直り、火熾しの作業を再開しながら言った。
「じゃあ、暫くここにいろよ。」
悠理はぱっと顔を上げると、魅録の背中をじっと見つめていたが、やがて
聞こえるか聞こえないか位の小さな声で呟いた。
「ん……。ありがと。」

ガチャッ!
「あっ、見つけたっ!悠理、あんた、こんな所でさぼってたのねっ!」
ドアを開けるや否や、可憐が叫んだ。悠理が慌てて手を振って説明する。
「だ、だって……、あたい、手伝うとかえって皆に迷惑かけっから……。」
「迷惑なんかしてないわよっ(本当はしてるけど……)!ポテトサラダ作るのは
あんたの仕事って決めたでしょ。新しいの茹でたから、今度こそ皮むきやってもらうわよ。さあ、いらっしゃい!」
「え〜。」
可憐にズルズルと引っ張っていかれながらも、尚も歯切れの悪い悠理を下から
見上げながら、魅録はニヤリと笑った。
「でも、俺、おまえが作ったポテトサラダ、食ってみてーけどな。」

408Graduation第九話boys & girls(12):2009/01/09(金) 09:11:48

「えっ?そ、そう?」
目が点になるやいなや、自らスタスタと歩き出した悠理と、澄ました顔をして
口笛を吹きながら暖炉を火かき棒でつついている魅録を見比べ、可憐は半ば呆れた顔をした。
(魅録って……、ああ見えて、時々妙に女心のツボを押さえて来るのよね。
清四郎の場合は全て見通した上での事だし、美童の場合は趣味と実益を兼ねて
るだけだけど、魅録のあれは……天然?)
可憐は首を振り振りキッチンに戻った。

ピンポーン。
誰も出ない。
ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
「うっせえな〜、おい、誰か来たぞ!清四郎たちじゃねえのか?!」
やはり、誰も出ない。
「チェッ、しょうがねえなあ……。キッチンの方が近いのに、あいつら、何やってんだ?」
「ハーイ!お待たせーっ!」
魅録がブツブツ言いながら玄関のドアを開けると、突然極彩色の世界が広がった。
それと、むせるような香り。花屋で飾り付け用の花を買って、両手一杯に色とりどりの
花々を抱え持って来た美童が、金髪を陽光に透かしながら、満面の笑みで登場したのだ。
しかし、出迎えたのが魅録だと分かると、途端にテンションを下げた。

「何だ、魅録か。女の子かと思ったのに。せっかく劇的な登場を狙ったのに、邪魔しないでよ。」
「(ムッ)何、勝手なこと、言ってんだよ。清四郎は?」
「いますよ……。」
魅録がひょいと後ろを覗くと、華やかな美童の後ろで、清四郎が両手に厚手の
高級スーパーの紙袋をぶら下げて苦渋の表情を浮かべていた。
「頼まれていたワインです……。結構重いんですよ、これ……。」
409Graduation第九話boys & girls(13):2009/01/09(金) 09:13:01

「あーあ、言ってくれれば、車出したのに。」
魅録が慌てて、紙袋を一つ受け取った。
「男二人だから大丈夫だと思ったんですが……、美童がどうしても花を持ちたいって。
それで、電信柱毎にじゃんけんをして、買ったら花、負けたらワイン、という
取り決めでここまで来たのですが……。」
「ごめんねっ。僕ばっかり勝っちゃって!」
「いいえ……。」

「可憐たちは?」
「キッチンだよ。でも、さっき誰も出なかったな。どうしたんだろ?」
三人がキッチンに通じるドアの前まで来ると、女性陣の楽しげな声が聞こえてきた。
「きゃあ、悠理、嫌ですわ!」
「へへ、いいじゃん。お、野梨子、さすが感度がいいね。もうこんなに潤ってる……。」
「可憐には負けますわよ。この色艶といい、ぬめり加減といい……。やはり
経験の差ですかしら。どうしたら、こんなに……うぅん……。」
「あら、野梨子も、とても初めてとは思えないわ。特に指先の使い方が。
リズミカルでこねくり回し方が絶妙……。そう、そうよ!そう、そう……、
躊躇わずに、そのまま……一気に!」
「ハァ……。悠理はやはり攻めのタイプですわね。初めてにも拘らず、怖いもの知らずというか、
積極的で、大胆かつ挑発的……。ほら、もうこんなに汗が滴り落ちてますわよ。
ここもこんなに濡れて……。」
「フゥッ……そぉかあ?やっぱり、先生がいいんだよ。何たって自分の体はって教えてくれんだもんな。」
「そうですわね。結局、可憐の教え方が上手なんですわ。ああ、癖になりそう……。」
「うふふ。気に入ってくれたのなら、今度また別のを教えてあげるわ。もう少し
高度なテクニックなのをね。あたしこそ、この世界を何にも知らない子達に、
手取り足取り一つ一つ教えて行くのって、今まで知らなかった喜び……。
あっ、やだっ、悠理っ、やめてよっ!あーっ!」
「本当、悠理、止めて下さいなっ!こんな所でっ!行き過ぎですわよ、あああっ!」
410Graduation第九話boys & girls(14):2009/01/09(金) 09:14:19

固唾を飲んで耳を澄ましていた男性陣は、眉間に深い皺を刻みながらも、
ほのかに紅潮した顔を見合すと、目だけで会話した。
(こ、これは、助けに行く状況なのかっ?)
(そ、それとも、中に入ってはまずい状況なのですかねっ?)
こういう事は美童に聞くべしと、清四郎と魅録の探る様な視線は美童に向かった。
そうしている間にも……。
「いやぁぁぁ…ん……。こんなにベトベトになっちゃったぁ……。」
「うぅん……。はぁ、こんな姿、誰にも見せられませんわ……自分が自分でないようで……。
こんなの……恥ずかしすぎですわ……。こうなったら……。」
突然、野梨子の口調が変わった。
「可憐、行きますわよ。」
「そうね、悠理、覚悟しなさいっ!」
「あっ!何すんだよっ!あっ、わーっ!ごめんなさい、もうしません、許して下さいっ!
ぎゃーっ!助けてーっ!」

(助けてって言ってるんだから……。)
(そうですね、これは助けに入るべきでしょうね……。)
顔の赤みを一層強めた清四郎と魅録はどちらからともなく頷いた。そして相変わらず
眉を顰めた険しい顔をしながら、美童に了解を取るかのように、再びその顔を見た。
色白の美童は他の二人にも増して頬と耳の赤みが強かったが、彼は迷っていた。
(どうしよう、中に入りたいのは山々だけど、しまった、妄想モードにスイッチ入っちゃったよ。
ああ、もう止まらない。もしかして、あんな事やこんな事……。いや、こんな
事やそんな事とか……、それは、やばいよな、いや、やばいよ、やばい……。)
「助けてーっ!」
その時、悠理の絶叫が聞こえ、バタバタッと足音が聞こえたかと思うと、内側からドアがガチャッと開いた。
「わあああーっ!」
ドアに寄りかかるようにして立っていた男三人はたちまちキッチンにドドッと転がりこんだ。
男性陣と女性陣の目がピタリと合った。

411Graduation第九話boys & girls(15):2009/01/09(金) 09:15:35

キャアアアアアアアッ!
キッチンを劈く女の悲鳴。
「何だっ!おまえらっ!」
「いやだっ!出て行って!」
「信じられませんわっ!」
バタンッ!
次の瞬間、女性3人に文字通り手と足を使ってキッチンから叩き出された男たちは、
廊下に足を投げ出して座り込んだまま、先ほど目にした光景を反芻していた。

可憐は、ぬめぬめと光るねっとりとしたこげ茶色の液体で、両目の周りをぐるりと囲まれ、
口と鼻の間には三本の縦線を引かれて、そして頬はバカボンだった。
野梨子は同じ液体で極太にされた眉毛をくっつけられ、鼻は丸く塗りつぶされて、
そして口の回りを同じく極太の線でぐるりと囲まれていた。そして、悠理は額に横波の三本線、
顔の下半分には点々と無数の長嶋青髭。そして鼻はおおきく胡坐をかき、その
黒々とした鼻の穴といったら、さながら一息で全てを吸い込むブラックホール……。

「……。」
3人は廊下に座り込んだまま、しばし呆然としていたが、そのうち、思考が段々と
形を成してくると焦りだした。3人は青ざめた顔で、再び目で会話した。
(いけない…さっきの光景を……思い出しては……いけない……。)
女性3人を敵に回すつもりは毛頭ない。
そんな事をして得るものは何もない。
友よ、共に頑張ろうではないか。
何か、他の事を考えなければいけない。そう、例えば、見よ、この花の見事なこと……。
「花って……、本当に綺麗だよね……。」
美童が目を伏せたまま、紅薔薇に触って言った。
「ええ……、どうしてこんなに……綺麗なんでしょうね……。」
清四郎も、手で目を覆いながらピンクのチューリップを撫でる。
「匂いも……いいよな……ゴホッ!」
魅録は、目を瞑ってカサブランカの甘苦しい香りを思いっきり吸い込み、一人むせた。
412Graduation第九話boys & girls(16):2009/01/09(金) 09:16:51

美童は突然、何かに憑かれたように呟き出した。
「花といえば……、はな……、鼻……、悠理の……鼻……。」
「美童、言うなっ!」
ドカッ。魅録が慌てて美童を蹴りあげた。
「……。」
セーフ。
心頭を滅却すれば火もまた涼し。
実に不思議な事であったが、言葉も交わさず、目も合わせないにも拘らず、
この時の3人には、まるでテレパシーがあるかのように、お互いの考えている
ことが手に取るように分かり合えた。
(可憐の……ほっぺた……。)
と一人が思えば、他の二人も同じ事を思う。魅録が誰にも聞き取れない程の小声で口ずさむ。
そう、誰にも聞こえないはずなのに……。
「西から上った」
「お日様が……ハッ!」
(いけない、僕としたことが、釣られてしまいましたっ!)
(清四郎、GJ!)
魅録は一人親指を立てた。
精神統一っ!
セーフ。
一つ乗り切ったかと思えば、直ぐにまた次の波がやって来る。
(野梨子のあの髭は……どうみても……。)
(いけないっ。止めるんだ、自分っ!)
精神統一っ!
セー……。
その時、本当に突然同時に、、先ほどのメイクを施した野梨子がニッコリと笑って
こう宣言する映像が、3人の脳裏に電光をほとばしらせた稲妻の如く閃いた。
「それにつけてもおやつはカールですわ。」
413Graduation第九話boys & girls(17):2009/01/09(金) 09:18:07

「……グヴォッ……。」
ついに耐え切れなくなった美童は、突然、喉の奥からこの世の物とは思われない声を出した。
間髪入れず、魅録が裏返った、かん高い声を発する。
「ヒーッ、美童、やめてくれっ……、悪いよ、やっぱり……笑っちゃ……グッ、グフゥゥゥッ……!」
この間、呼吸を止めていたのか、清四郎の顔は真っ青だった。
「ああ、もう魅録まで!勘弁して下さいよっ。彼女たちを傷つけてはいけませんよ、
いけませ……ん……ヴヴッ…ヴフォォォッ!」
顔を上げた三人の目がピタリと合い、もう、止まらなかった。

正にドアを破かんばかりの大爆笑を、三人の乙女達は歯軋りをして聞いていた。
「全くっ!悠理がつまらないことするからいけないのよっ!あいつらに、一生
言われるわよっ!一生よ、一生!」
「可憐なんか、まだいいじゃないかよっ!あたいなんて、この鼻どーすんだよっ!」
「二人ともまだ可愛げがありますわよ……。わたくしなんて……、わたくしなんて……、
憎憎しい続き眉に、いやらしい泥棒髭ですのよっ。くっ…屈辱ですわっ。屈辱ですわよっ……。」
「くっ、悔しいーっ……!」
ハンカチを思いっきり歯で噛みしめながら、可憐は怒髪天を衝いていたが、暫くして、
いい案が思いついたとばかりに、二人を呼んだ。
「あいつらに、仕返ししてやらなきゃ気が済まないわ。あのね……。」

続く

414名無し草:2009/01/09(金) 12:06:36
会社で盛大に吹いたwwwヤメテwww
415名無し草:2009/01/09(金) 13:56:54
>Graduation
H風味?とドキドキしながら読んだら自分も吹きました。
女3人でなにやってるんだかw
男性陣も危ないのかな?
416名無し草:2009/01/09(金) 22:44:22
おなじく盛大に吹きました。 3人ともおかしすぎです。それを笑うまいとする
男性陣の我慢がさらにおかしかった。
417名無し草:2009/01/10(土) 10:44:52
宗教の人か
418名無し草:2009/01/12(月) 08:31:40
悠理の成人式は万作さんがすごい豪華なパーティー開いて祝いそう。
419名無し草:2009/01/12(月) 22:22:43
そだね、そして百合子さんの見立てた物凄い豪華な振袖を着せられて、
「きつくて、メシ食えねーじゃないか!」と泣き叫んでる姿が思い浮かぶよw
420Graduation:2009/01/13(火) 08:44:25
>>406 今回5レスいただきます。
421Graduation第九話boys & girls(18):2009/01/13(火) 08:54:40

この様なハプニングがありながらも、午後7時にはテーブルの用意が整い、
後はソフィーの帰りを待つばかりとなった。6人はダイニングルームの隣の部屋で
アペリティフを飲みながら胸躍る時間を共有していた。女性達は既にシャワーを浴びて着替え済みだった。
可憐はソフィーから贈られた、シン・トーゴーのセカンドラインのスーツで、
オレンジがかった薄いピンク色で、胸元はスクエアに開いて大きめの襟がついており、前身ごろには
共布のボタンが並んでいる。トップスはウエストが小気味良く絞られているが、ボトムは膝丈で
フワリと張りをもたせて膨らませており、高級布地をたっぷりと使った贅沢なデザインだった。
野梨子はクリーム色のAラインのワンピースで、袖口とスカートの裾は軽く広がり、
二重になってヒラヒラと動き、ウエストの左部分で共布のリボンが揺れていた。
ラウンドに大きく開いた胸元にはシルバーのリボンのペンダントが光っていた。
悠理は華やかなカシュクールの白いドレスシャツを腰でブラウジングし、ボトムは
ダークグリーンのベロアのパンツ姿だった。
男性陣は、清四郎は襟に黒いラインの入った白いシャツにチャコールグレーのジャケット、
黒いフラノのパンツという格好。魅録は黒シャツ、黒ジャケットに光沢のある玉虫色のパンツを
合わせており、美童は鮮やかなロイヤル・ブルーのチュニックを腰でブラウジングし、
黒いレザーパンツといういでたちだった。

29歳のソフィーは、日本人の父とフランス人の母を持つが、温かみのある
栗色の目と髪の為、日本人にもフランス人にも見えた。背の高い、スラリとした
知的な女性で、柔らかい髪を顎のラインで切り揃え、内巻きにしており、意思の
強そうなまっすぐな眉と、くるくると表情の変わるビロードのような大きな目をしていた。
厳密に言えば美人ではないが、パリジェンヌにありがちな、小粋な女っぽさに
溢れており、母であり、妻であり、そして有能なビジネスウーマンであるという自信が、
彼女に一層の魅力を与えていた。日本語を流暢に話す彼女は、今日は、薄ピンクの
タートルのインナーに、ボルドー色のテーラードスーツという、日本人では
とうてい組合さないような艶やかなコーディネートを品良く決めていた。
422Graduation第九話boys & girls(19):2009/01/13(火) 08:55:57

「まあ、何て素敵なテーブルなんでしょう!料理もコーディネートも素晴らしいわ。
可憐、あなたは将来きっと一流のマダムになれるわね。」
「野梨子と悠理が手伝ってくれたからよ。」
ソフィーの率直な賛美に、しかし可憐は素直に嬉しそうな顔をした。ソフィーは
栗色の目をキラキラと輝かせ、生命力に満ち溢れており、たちまち5人を魅了した。
「まずは、シャンパンね。本当言うと高校生には飲ませたくないけど、今日は
何だか気分もいいし、特別にドン・ペリニョン開けちゃおっか。」

シャンパンの乾杯に引き続き、待ちに待ったディナーが始まった。オードブルは、
可憐が予め家で作って来た自家製パテと、白身魚のカルパッチョ、トマトと
モッツァレラチーズのサラダ。それに見た目鮮やかなほうれん草のポタージュ、
マスタードをきかせたポテトサラダ、具沢山のブイヤベースと続き、メインは
香草をきかせたラムのローストだった。
パテ以外はどれも特別手のかかった料理ではないが、素材の良さと、あと調味料に
最高級の物を使っている為、ソフィーを始め、舌の肥えているメンバー達にも大好評であった。
給仕役は、東郷邸の住み込みの管理人夫妻が引き受けてくれたので、皆腰を落ち着けて
ディナーを楽しむ事が出来た。
また、テーブルを始め部屋のあちらこちらに、可憐と野梨子が活けた花が飾られて居り、
美味しい料理とお酒、美しいしつらえ、暖かい部屋に、気の置けない仲間達、
そして尊敬すべき人生の先輩に囲まれ、6人はこの数ヶ月分を取り戻すかのように
休むことなく先を争うようにして話し、笑い続けた。
ソフィーはそんな若者達を目を細めて嬉しそうに見守り、絶妙なタイミングで会話に参加し、
そのエスプリのきいたトークは座を一段と盛り上げた。そんな中、一しきり全員の
人となりを確認する作業を終えたソフィーは、満足気に言った。

「……本当、可憐、素敵な仲間達ね……。大切になさい。これは一生物だわ。」

423Graduation第九話boys & girls(20):2009/01/13(火) 08:57:43
程よくワインの酔いがまわって来たところで、美童がソフィーをほれぼれと眺めながら質問した。
「ソフィーのご主人はフランス貴族ということだけど、僕、二人の馴れ初めを聞きたいな。」
「まあ、美童ったら、初対面なのに失礼ですわよ。」
野梨子が軽く美童を睨むと、ソフィーは笑って言った。
「いいのよ。そりゃあ興味があるわよね。何も聞かれないっていうのも寂しいものよ。」
ソフィーは可笑しくてたまらないという様な顔をして一同を見回した。

「あのね、私たち、幼馴染だったの。」
清四郎と野梨子がピクリと肩を震わせた。
「でも、私はすっごいお転婆だったから、彼はずっと私の事、男友達扱いしててね。」
魅録と悠理のグラスを持つ手が止まった。
「おまけに、彼ときたら、とんでもないプレイボーイで。」
美童と可憐の目が合った。
「で、小学校から高校生まで一緒の男女三人ずつの仲良しグループだったの。
ふふ、どこかで聞いたような話でしょ。」
「あたしも、その話初めてだわ。でも、そんな関係で、いつから付き合いだしたの?」
可憐が身を乗り出して質問し、ソフィーは腕を組んで、考える振りをした。
「う〜ん、それが良く分からなくってね。大学は一緒じゃなかったから、前ほど
会ってなかったし……。その頃はそれぞれの青春を楽しんでたわね。勿論、
仲間としての交流は続いてたけど……何だろう、お互い就職して、仕事も軌道に乗って来て、
ふと気が付いたら彼がいたの。あとはもう、あれよあれよという間に結婚しちゃった。
日本風に言うと、ご縁ってやつかしら?」

可憐の追及は尚も続いた。
「仲間として一緒にいる時に、好きだったというわけじゃないの?」
「そういう時期もあったかな。でも、その時は何かタイミングが合わなくってね。
お互い、他の人に惹かれてた時期もあったと思う。」
「それは、仲間内でってこと?」
「そうであったり、そうでなかったり。ほら、フランス人って恋愛が趣味のようなものだから。」
ソフィーがウィンクした。

424Graduation第九話boys & girls(21):2009/01/13(火) 08:58:57

「仲間内でお互い別の相手に惹かれてたっていうのって、相手を良く知ってるだけに、
しんどくないのかしら?」
可憐は、どこか納得出来ないといった様子で質問を続け、ソフィーは益々面白
そうに可憐を見つめた。
「そうかもしれないって、思ってるだけで、実際に本人から聞いたわけじゃないもの。
聞くつもりもないし。言葉に出さない限り、それはある意味、真実にはならないわ。
知ってるけど、知らないふりをするって、実は人間関係において大切な事よ。
何もかもさらけ出すのは子どものする事。私は、相手が知らないふりをして
くれていることに感謝するし、私も相手には知らせないように努力するわ。
たとえ相手が知っているって分かっていてもね。それは相手に対する思いやりよ。
そして相手もこの思いやりを嬉しく思ってくれるわ。これは立場が逆でも同じ。
お互い、今、一番大事なのは目の前にいる相手なんだから。」
「……他の仲間達は今どうしてるの?」
「もう一組は私たちより早く結婚したし、もう一組は男性の方が大学時代から別の
相手と付き合ってたけど、一年前に分かれたらしくって、最近良い感じなのよね。
このまま行けば多分……。そうなったら最高よ。だって、ナタリーは……、
小学生の頃からずっとフランシスが好きだったんだもの……。」
ソフィーは口元に笑みを浮かべながら、うっとりと夢見る表情になった。

「皆、幸せになると良いですわ。」
野梨子がうっすらと赤みをおびた頬を手で押さえながら、潤んだ瞳でそっと呟いた。
「そうね。でも、幸せって、結局、自分がそう思うかどうかじゃないかしら?」
ソフィーは野梨子に目をカチッと光らせて微笑んだ。

デザートの洋ナシのコンポートと珈琲が済むと、ソフィーは立ち上がって言った。
「じゃあ、私は明日早いからもう失礼するわ。あなたたちの夜はこれからよね。
暖炉のあるリビングを使っていいわよ。最後に火の後始末だけ気をつけておいて。
じゃ、ボン・ニュイ。」
425Graduation第九話boys & girls(22):2009/01/13(火) 09:00:39

テーブルの後片付けは管理人夫妻に任せ、6人は隣接している広いリビングルームに移動した。
リビングに移る直前、男三人は廊下で何かコソコソと話していた。
「清四郎、魅録。今日、あいつらから何か貰った?」
「あいつらって……、野梨子と悠理と可憐のことですか?いいえ、特に何も……。」
「俺も別に。」
美童はごくりと唾を飲み込んだ。
「ディナーの前に管理人のおばさんから聞いたんだけど、今日、キッチンで、
可憐たちがチョコを作ってたらしいんだよ。」
「チョコを使っていたのは、あのお絵かき事件で分かっていましたが……。
そういえば、今日は……!」
「学校がないから忘れてたぜ。」
「そう、バレンタイン・デー……。」
美童は人差し指をピッと立てると、キラリと青い目を光らせた。

「僕も、今まで倶楽部の女の子たちは僕等にチョコくれた事なんかないから、
昼間はデザート用のチョコレート・ケーキを作ってるのかなって思ってたんだ。
けど、デザートは違ったから……。」
「美童……。」
清四郎の目が細まり、奥に鈍い光を放つ。
「ということは……。」
魅録が難しい顔をして天井を見上げる。
「で、管理人のおばさんが言うことには、皆、一人一人すごく真剣にラッピング
してたらしいんだ。カードなんかつけて。駄目押しに、おばさんたら、
『見てて分かった。あれは皆本気だ。』って言うんだ。だから……。」
「だから……?」
清四郎と魅録は神妙な顔をして美童の次の言葉を待った。
「……だから、頃合を見計らって、僕たち、一人になった方が良いと思うんだ。」
清四郎と魅録は無言で頷いた。

続く
426名無し草:2009/01/13(火) 09:19:51
>Gradation
ソフィのエピソード、素敵なのに「ナタリーとフランシス」でフイタw
いつも思うのですが、衣装の描写がとっても素敵ですね。ヴァレンタイン本番、
続きを楽しみにしています。
427名無し草:2009/01/13(火) 11:39:15
>Graduation
自分もナタリーとフランシスにフイタw
ソフィー、素敵な女性ですね。
きっとご主人も素敵な人なんだろうな。
廊下でこそこそ話す男性陣がかわいい。
続き待ってます。
428Graduation第九話boys & girls(23):2009/01/14(水) 09:26:27
>>421 今回8レスいただきます。
429Graduation第九話boys & girls(23):2009/01/14(水) 09:27:59

その頃、暖炉のあるリビングルームにて、可憐と野梨子はサイドテーブルにワインとグラス、
つまみのチーズ等をいそいそと用意していた。悠理は焼き林檎を作る為、林檎の
芯を抜いて赤砂糖とバターを詰め込む作業に余念がなかった。そして楽しい二次会の準備は整い、
6人はオレンジ色の炎をパチパチと燃している暖炉の前に心地よくおさまった。

野梨子は、暖炉の正面の一人掛け用ソファに背をもたせかけて、キリムを敷いた床に
直接膝をかかえて座りこみ、赤いタータンチェックのブランケットをかけていた。
後ろのソファには清四郎が座っており、彼がBGMに合わせて指でリズムを取るたび、
野梨子の髪が少し揺れた。
魅録は暖炉のすぐ傍に腰を下ろし、今や彼の一部となっている火かき棒で薪を動かしており、
その隣で可憐が一人用ソファに座って、サイドテーブルでグラスにワインを注いでいた。
暖炉の反対側では、悠理と美童がマシュマロやチーズをさした棒をせっせと何本も火にかざしていた。
「ハイジ見る度に、チーズを火でとろ〜りってのをやってみたかったんだ。じゅる。」

シャンデリアの灯りを消し、キャンドルと炎の灯りのみの幻想的な世界で、
野梨子はしみじみと幸せを噛みしめていた。再び6人一緒でいられることの喜びを。
今、野梨子は確信していた。自分達は大丈夫だ。例え可憐が不合格だったとしても、大丈夫だ。
この一ヵ月半の間に、自分達もまた可憐と共に受験に参加しており、やるだけ
やったという自負がある。そして、その間に更に強固にされた仲間としての絆。
この絆は、今後自分達の進む道がいかに分かれようと、決して緩むことはないだろう。
そして、いつか進む道が分かれるのは必須なのだ。
しかし、変化を恐れる必要はない。変化の先にはより素晴らしいステージが待っている。
野梨子は、変化を前向きに考えられるようになっていた。

「はい、野梨子。まだ飲める?」
可憐が艶やかな笑顔を振りまきながら、シルバーのトレイからルビー色の液体の
入ったバカラのワイングラスを差し出した。野梨子はもう大分良い気分であったが、
あと一杯だけと、グラスを手に取った。
430Graduation第九話boys & girls(24):2009/01/14(水) 09:28:59

どの位うとうとしていたのだろうか、野梨子が気が付くと、その場が妙な雰囲気になっていた。
「おい、可憐、幾らなんでも、もうよせよ。大分回ってるぞ。」
魅録が可憐のワイングラスを取り上げているところだった。既に床には10本
近い空のワインボトルがころがっている。
「大体ねえ〜。」
可憐の目はすわっていた。
「今日こそ言わせてもらうわ。魅録、あんた、ちょっとおかしいわよっ!」
「おっ、俺かよっ?」
魅録は自分を指差して心底驚いた表情を見せた。
「いい年して、女と付き合うより男と遊んでる方が楽しいなんて。前から聞こう、
聞こうと思ってたんだけど、あんたって、もしかして……。」
「なっ、何だよ?」
可憐の、ただ事ではない攻撃的なオーラを感じ、顔を引きつらせながら魅録は次の言葉を待った。
「ゲイなの?」
「ゲヘッ!ゴホッ!」
魅録は酒を気管支に入れた。
「ほらあ、マッチョな、外見は男っぽい男によくいるじゃない。あのタイプ?
チチの事があるから、真性ではないだろうけど……。」
「ゴホッ!ゴホッ!ゴホッ……!バッ…バカッ!俺はノーマルだよっ!」
今や魅録の顔は真っ赤だった。
「じゃあ、なーんで、女に興味がないのよ。」
可憐が魅録の胸をチョンチョンと人差し指でつつく。
「興味がないこたぁ、ねーよ。ただ、面倒くせーんだよ。」
口を尖らせてそっぽを向く魅録。しかし今日の可憐は容赦なかった。
彼女は鬼の首を取ったように胸をそらせ、声高らかに言った。
「ほーら、出た!いつものセリフ。いっつもそれで逃げるんだから。今日はそうはいかないわよっ。」
可憐の目が妖しくギラリと光る。

431Graduation第九話boys & girls(25):2009/01/14(水) 09:30:06

「……ったく、何で、今日はこんなに俺に絡むんだよ!?」
魅録はほとほと情けないといった顔で、男性陣に助けを求めた。しかし、何故か
二人とも知らん顔をしている。その顔に『いい気味だ』と書かれているように
見えるのは気のせいだろうか?悠理と野梨子の方を見る。野梨子はトロンとした目をして
半ば向こうの世界に行っているし、悠理はこっちに背中を向けて暖炉の火を棒でつっついている。
……助ける気はなさそうだ。

「あたしはね、あんたに、頭に来てんのよ。」
可憐の声のトーンが下がった。
「はぁっ?!俺がおまえに何かしたかあ?」
もはや四面楚歌だと悟った魅録は、もう何でもいい、早くこの会話を終わらせたいと願うばかりだった。
「何にも。でもね、あたしに言わせれば、あんたは女の敵よ。美童なんか目じゃないわ。」
「ぼっ、僕っ?」
知らん顔を装いながらも、実は息をつめて成り行きを見守っていた美童は、
急に名前が出て来てつい反応した。
「だから、何なんだよ……。何が言いたいのか、さっぱりわかんねーよ……。」
「その鈍さが罪なのよっ!」

ドンッ!
可憐は興奮してサイドテーブルをこぶしで思いっきり叩くと、肩を上下させてゼイゼイ言った。
「ほらっ、19歳の男といえば、あの女いいな、お付き合いしたいな、なんて、
健全な心と体を持っていれば当然よ!まあ、美童と清四郎は常識の範囲外だから、
また別のものの尺度が必要だけど、あんたはその点、いたってノーマルなカテゴリーに入るわ。
それなのに、何で女に興味がないのっ?きっと、何か理由がある筈よ。」
(んっ?)
(えっ?)
比較対照として登場させられた美童と清四郎は各々密かに眉を顰めた。

432Graduation第九話boys & girls(26):2009/01/14(水) 09:31:12

「ええええ……。」
(可、可憐の奴……パワーアップして戻って来やがったな……。)
魅録は、酔っ払った可憐のもう誰も止められない勢いに、もはや逃げられないと
悟ったのか、ついに、殊勝にも腕を組んで自分なりに答えを模索し始めた。
「やっぱあれ…かな…?」
「何っ?」
魅録の小さな呟きを聞き逃すような可憐ではなかった。
「あ、いや……。別に……。」
「何よ、言いなさいよ。」
「何でもないって。」
(ここまで来たら、あともう一息ね。)
可憐は不気味に目を光らすと、魅録のグラスに新しい酒を注いだ。案の定、
魅録は習慣で、よくも見ず、それを一気にあおった。
ボウッ!
魅録の喉が火を噴いた。
「ゲホッ!ゲホッ!げっ、こ、これ、ワインじゃないじゃないか!」
「そうよ。アルコール度数75.5度のラム……。」
「……あ、悪魔……。」

ハァ……。
可憐の罠に落ちた魅録は、熱さに黒シャツの襟元を緩めると、遠い記憶を
たぐりよせるように目を細めながら、ポツリ、ポツリと語り出した。
「言っておくけど、俺はまだ酔っちゃいねえからな。酔った勢いで話すような内容じゃ……ないんだ。
これが原因で女に興味がなくなったっていうのとは違うんだけど……。けど、確かに
女との付き合い方のターニングポイントではあった。今まで、お前等にも
話した事なかったし、ま、話すような事でもないんだけど……。何といっても
相手の名誉があるし。でも、もう時効なんかな。丁度いい、俺の懺悔だ。聞いてくれ。」

433Graduation第九話boys & girls(27):2009/01/14(水) 09:32:32

魅録は懐かしいような、遠い目をした。
「俺、中一ん時、付き合ってた女がいてさ。いや、正確に言うと、いつの間にか
そいつのペースに乗せられてたっていうのが本当で、一度だけっていう約束が、
二度、三度、デートするようになってさ。ま、デートったって、中一のするもんだから、
地元をうろつく程度のもんだったんだけど。でも、地元だから、皆の目に触れる機会も多くて、
いつの間にか、俺達は付き合ってるって事になってた。その頃、中一の俺は、
上級生から生意気な奴って目ぇつけられてて、敵も多かったんだ。そいつも、
ハキハキ物を言う気の強い女でさ、髪が……うん、サラサラの髪がすごく長くて
綺麗だったのを覚えてる。で、すげえ美人の上にきつくって、つるむタイプじゃなかったから、
女に嫌われてたし、その時の番長がそいつに惚れて、でも俺と付き合い出した
もんだから、結局、俺達二人ともすげえ敵視されちまったんだよ。」

「そいつは、おふくろさんの出が、俺と同じで、華族様だったらしくて、そんな所から
俺に興味を持ったらしいんだ。でも、うちと違って、向こうは没落貴族っていうのを
すごい気にしてるプライドの高い母親だったらしくって、家庭内は複雑だったらしい。
で、何回目かのデートの時、急に雨が降って来て……、そういや、あいつと
一緒の時って良く雨が降ったっけ……。そうだ、悠理と初めて会ったのも、あの頃だな。」
「……。」
悠理は、オレンジ色の炎の揺らめきの中に、雨の中の赤い傘と長い髪を思い出していた。

「で、雨が降って来て、近くの神社の境内に雨宿りに入ったんだ。たまたまだったんだけど、
何か、夕暮れで、暗くって、小雨も降ってるし、変な気分だった。あいつは、
その日の朝、家で親ともめたらしくって、始めからちょっと情緒不安定だった。
だからだと思うんだけど……、俺に、キスしてくれって言って来たんだよ。」
434Graduation第九話boys & girls(28):2009/01/14(水) 09:33:36

バチッ。
暖炉にくべてある薪が弾けて火の粉を飛ばした。
「さっきも言ったけど、好きで付き合ったわけじゃなかった。けど、その頃には
それなりに情も移ってたし、家の事情とか聞いて、同情もしてた。元々嫌いってわけでもなかったし……、
俺だって、それこそ健全な、好奇心旺盛のお年頃だったから、雰囲気もあって……。」
「それは、もう、本当にガキのキスだったんだけど、緊張してっから、気が付いたら
体のバランスがくずれて、つい、そいつを押し倒す形になっちまって……、
そうしたら、その時、フラッシュが光ったんだ。」
「フラッシュ?」
「ああ……。俺達のこと、目の敵にしてる奴等に写真を撮られて、直ぐに学校にばら撒かれた。」
「……!」
「ちくしょうっ!」
野梨子は口を手で押さえて声にならない声を発し、悠理は暖炉の前で飛び上がった。

「写真が写真だろ?そりゃあ、話に尾ひれがついて大変な騒ぎだった。皆、
ある事無い事いいやがって……。俺は男だからいいけど、あいつは女だから……。」
「俺たちが否定すればするほど、周囲は面白がって騒ぎ立てるから、結局俺たちは
何も言わないことにした。二人でいれば、何か言われるから、気まずくなって、
自然とあいつと話す事もなくなってった。その内先公たちの知る所になって、
退学沙汰にまでなったんだ。校長に双方の親も呼ばれて話合いになったんだけど、
うちの親はあんなんだろ?俺の事、全面的に信じるって言うんだ。向こうの親は、
女側だから仕方ないんだろうけど、娘を傷物にしたとか、責任取れとかすごくってさ。
あいつは、俺は何も悪くない、自分から誘ったんだし、キス以上のことは何も
していないって何度も繰り返したんだけど、聞く耳持たなくてな。結局、同じ
元華族様のよしみで、しかも和貴泉家の方が格が上だったらしくて、おふくろが
自分の子供も信じられないのって一喝したら、やっと大人しくなった。でも、
俺はもう二度と娘に会うなって約束をさせられた。ま、当然といや当然だな。」

435Graduation第九話boys & girls(29):2009/01/14(水) 09:34:38
「俺にはいいダチもいたし、そいつらは皆俺の事を信用して味方になってくれた。
けど、三学期にはあいつはもう完全に学校で孤立してて、結局、二年になる前の春休みに、
あいつは引っ越して、転校して行った。親の仕事の都合って事だったけど、
本当のところは違うと思う。学校では、話はおろか、あいつは二度と俺と目も合わせなかった。
家に行ってもずっと会わせてもらえなかったんだけど、引越しの日にあいつの
方から
別れを言いに俺の家に来たんだ。」
「あいつは、一度も俺の事を責めなかった。最後まで、悪いのは自分だって言ってた。
そんなあいつを……、俺はその時初めて好きだって思ったんだ。」
「結局、俺は何も出来なかった。ガキの俺にはあいつを守れなかった。あいつが
何て言っても、悪いのは俺だったんだ。」
魅録は思い出が生生しく蘇って来たのか、吐き捨てるように最後の言葉を放った。

美童がやっと口をはさんだ。
「でも、誘ったのは向こうだったんだろ?」
「……、俺は、あの時点ではあいつのこと、そういう風には好きじゃなかったんだよ。
ただ、あいつが女で、俺が男だったから……。」
魅録は苦々しげに唇を噛みしめた。
「だから、俺は決めたんだ。これから先、安易な気持ちじゃ女と付き合わないってな。
何かあったとき、傷つくのは、結局女なんだよ。俺は、もう二度と女にあんな
思いはさせたくねえんだ。」
436Graduation第九話boys & girls(30):2009/01/14(水) 09:39:10
しばらく座が静まり返った後、魅録は声のトーンを変えて皆の方を向いた。
「それに、実際、彼女が欲しいとか思った事もねーんだよ。他に興味あること一杯あっから。
女っつったら、お前等といるだけで、十分満足してるしな、俺は。」
魅録は、さっきの仕返しのつもりなのか、それとも天然なのか、傍らの可憐にキルユーの流し目を送った。
「あっ、あらぁ、魅録ったら……。」
可憐は不覚にも顔を赤らめたが、直ぐに気を取り直して言った。
「なら、三年の間に、あたしたちを女として意識するとか無かったの?」
魅録は馬鹿な事を聞くもんだと、呆れたような顔をした。
「何言ってんだよ。可憐はずっと玉の輿願望の塊だったし、野梨子にゃ清四郎がいるし、
悠理は昔っからのダチだし……、だよな?お前ら。」
魅録は男二人を振り返った。美童は考えるように言った。
「うーん…、あながち間違ってないかも……。確かに、可憐の玉の輿願望がなくなったのって、
二学期からだし……。」
清四郎は一言一言をゆっくり口にした。
「……僕はそんなに野梨子に近しいように見えますかね?」
「当ったり前だろ?俺にはいつも、おまえらは対に見えるよ。」

魅録は邪気のない真っ直ぐな眼差しで清四郎を見た。清四郎は、その眼差しを受け止めながら、
少し困った様な笑みを口はしに浮かべた。
(何だ?清四郎らしくない顔しやがって……?)
魅録は清四郎に気を取られながら、サイドテーブルのグラスに手をかけた。
「あっ、魅録、それ……!」
美童が叫ぶより早く、魅録は一気にグラスの中の液体を口に流し込んだ。
ボォッ!
「さっきのラムだってば……。」
「う〜ん……。」
気の毒そうに美童が言い終わった時には、魅録は今度こそ完全に酔いつぶれて、
その場に仰向けに倒れていた。

続く

437名無し草:2009/01/14(水) 16:57:07
>Graduation
ガンガン攻める可憐姐さんがおもしろかったです。
魅録にそんな中学時代の過去があったとは。
話を聞いた野梨子と悠理がどう思ったのか気になります。
438名無し草:2009/01/15(木) 14:27:01
可憐に規格外と言われてしまった
美童と清四郎が可哀相で笑えますW
それにしても魅録にこんな過去があったとは。
続き楽しみにしてます。
439名無し草:2009/01/16(金) 14:06:58
スレが静かでチョト淋し。保守妄想。

Graduationを読んで、バレンタインに有閑内でチョコのやりとりは
あるのかないのか、どっちだろうと考えてみた。

可憐は一応、義理といいつつちゃんと用意しそう。
それで「私たち3人からよ」と気配りを見せるかも。
でも「この可憐さん、無駄打ちはしないわ!」というのもありえる。

野梨子は無関心そうだが、清州さんにはあげるかも。
そのついでに「おしるしですわ」と、倶楽部のぶんも用意する可能性はあり。
その場合悠理にもあげると思うが。

悠理はやっぱりもらう方専門。
あげるとすれば、杏樹との競争がかかっている美童が
「義理でいいから3人とも頂戴!」と懇願して
しょーがねーなーというパターン。
でも、もらった中から一番小さそうなのをポイっとするだけかもしれないw
440名無し草:2009/01/16(金) 21:52:17
>>439
>もらった中から一番小さそうなのをポイっとするだけかもしれない
ワラタw 確かにやりそう。
可憐と野梨子が男性陣に義理チョコあげてるのを見て
「なんでー!男だけー!?アタイのぶんはっ!?」っておねだりしそう。
で、可憐も野梨子もちゃんと用意してそう。
441Graduation:2009/01/17(土) 07:50:08
>>429 今回9レスいただきます。
442Graduation第九話boys & girls(31):2009/01/17(土) 07:51:37

「美童、大丈夫ですか?手伝いますよ。」
「平気、平気。魅録には借りがあるからね。」
ウィンクをしながら、美童は赤い顔をして眠り込けている魅録を背中におぶって、
男性陣のベッドルームへと運んで行った。
「わたしくも……、ちょっと飲みすぎましたわ。先に休ませて頂きますわ。」
「では、この辺でお開きにしましょうか。続きは男女別別ということで。」
清四郎が言って、暖炉の火の後始末にかかった。

女性陣の部屋は、パウダーピンクとモーヴと白で構成された、若い女性向きの
甘いロマンチックなデザインだった。リネン類は全て白とレースで統一されていたが、
決して過剰ではなく、アクセントとしてモーヴが使われているのが、パリの洗練を感じさせた。
「この、ほどほど感ってのを、母ちゃん達に教えたいよな。」
悠理は、前身ごろの中央と、襟に、細い赤いラインの入った白いパリッとした
コットンのパジャマに着替えながら、感心したように呟いた。
「あらん、今日はフリフリヒラヒラネグリジェじゃないの?楽しみにしてたのに。」
可憐がオフホワイトの、シルクのシンプルなネグリジェを頭から滑り落としながら可笑しそうに言った。
「ちぇっ。あれ、あたいが本当は苦手なの、知ってんだろ……。」
悠理が口を尖らせて可憐を睨む。
「きゃはは、ごめ〜ん。あら、野梨子、もう寝ちゃってる……。この子にしちゃ、飲んでたものねー……。」

野梨子は、梅の花模様の白い浴衣に着替えるやいなや窓側のベッドに潜り込み、
既にスヤスヤと規則正しい寝息を立てていた。子供のような真っ直ぐのおかっぱ髪を
白い枕一杯に広げ、色白の顔を桜色に染めて、軽く口を閉じ、一心に眠り込む
野梨子を、二人は微笑んで見つめた。
「ふふ……。あどけない顔しちゃって。」
「こうしてると、普段の、きっつい野梨子は想像出来ないな。」
「さ、悠理、あんたまだ大丈夫でしょ?リビングで飲みなおそう!」

443Graduation第九話boys & girls(32):2009/01/17(土) 07:53:48
(う……ん……。)
野梨子は、喉が渇いて眼を覚ました。
(ここは……何処?……ああ、東郷邸でしたわね……。二次会がお開きになって、
わたくし、直ぐ寝てしまったんですわ……。)
ベッドルームは暗くしてあったが、隣のリビングからは明かりが漏れていた。
隣のベッドには誰もいない。眼を凝らして時計を見ると、一時近くだった。
(可憐と悠理はまだ起きていましたのね。)
確かリビングに水の入ったジャグが置いてあったと思い、リビングに続くドアまで近づいた時、
可憐の声が耳に飛び込んで来た。

「……今日の話で、魅録に惚れ直した?」
「ハァッ?!な、何言ってんだよっ!可憐?」
「あたしには隠さないで。誰にも言わないわ。魅録が、好きなんでしょう?」
可憐の声は優しく、傷ついた動物がその胸に体を横たえたいと思うような包容力を秘めていた。
長い、長い沈黙の後、悠理の声がした。
「……どうして……、分かった?」
「あたしを誰だと思ってるのよ。恋愛の女神、可憐さんよ。今まで、伊達に
恋愛して来たわけじゃないわ。」
「そうか……。他の皆も、気が付いてんのかな?」
「多分、美童はね。野梨子は分からない。魅録は……お話にならないわね。」
「清四郎は……気が付いてると思う……。」
「そうね、あいつも人の事となると気が回るもんね。ま、あんたは分かりやすいから。初級者編ね。」
「あ、あいつには絶対、言わないでくれよっ!あいつの事、好きなのは認めっけど、
でも……どうこうしたいってわけじゃないから。」
「……わかったわ。で、いつから好きだったの?話すと楽になるわよ。
あんた、最近、時々辛そうな顔してるから。」
「あたい……、今日、魅録が話した相手の女、見たことあるんだ……。
あたいが初めて魅録に会った日……、雨が降って来て、途中でその子が赤い
傘差して魅録を迎えに来たんだ。顔は見えなかったけど、綺麗な…長い髪をしてた。」
悠理は切ないような遠い目をした。

444Graduation第九話boys & girls(33):2009/01/17(土) 07:55:10

中一。空気に雨と青臭い草の香りを含んだ土手の上。生まれて初めて喧嘩に負けるかと思ったその時、
突然、疾風のように走って来た一人の少年。

(加勢するぜ!)
(5人対1人なんて、ひきょうな喧嘩すんじゃねーよ!)

「あたいは、中一の時、初めて会った瞬間から、もう魅録が好きだった。
今みたいな好きとは違って……、
そう、本当に友達としてだな。男とか女とか考えたことなかったから。」

(おまえ、この辺で見たことないけど、誰だ?)
(けんびしゆうり。助けてくれて、サンキュ。おまえは?)
(しょうちくばいみろく。)

「可憐は知らないだろうけど、あたい、それまで友達らしい友達っていなかったんだ。
取り巻きが出来てからは、何となく周りが賑やかになってたけど、低学年の頃までは、
文化祭とかのイベントもいつも一人で回ってて……特に寂しいとか思ったわけ
じゃなかったんだけど……、
いつだったかな、清四郎と野梨子とかが仲良く金魚すくいなんかやってんの見ると、
無償に腹が立って苛めたくなったりしてさ。今思うと、きっと羨ましかったんだよ。あいつらが。」
445Graduation第九話boys & girls(34):2009/01/17(土) 07:56:09

野梨子は、遠い昔の記憶を蘇らせていた。あれは確か小1の頃だ。清四郎と
金魚すくいをしていた時、悠理は五代さんを後ろに引き連れて、食べ物を一杯
かかえながら二人の前に現れた。

(キ・ン・ギョ・の・フ・ン!)
(とれてよかったな、せ・い・し・ろ・う・ちゃん!)

そして、また、野梨子は今年の文化祭に思いを馳せた。両腕を食べ物で一杯に
しているのは変わらなかったが、後ろにいるのは……。

(ふー、悠理、やっとたこ焼き買えたぞ。あ、清四郎、野梨子。)
(サンキュー!魅録ちゃん、愛してる!)
(あっ、クレープだ!行くぞっ、魅録!)

あの時の悠理の、はち切れんばかりの幸せな笑顔。

「皆、あたいの事、怖がってたんだと思う。あたいも無理に皆に合わせようなんて思わなかったし。
実際、友達になりたいって思う奴もいなかったんだ。でも、魅録は違った。
あいつとは、直ぐに友達になりたいって思ったし……、いや、違うな、
あった瞬間から、あいつは友達だったんだ。あいつも同じだったと思う。
それは自信がある。それはもう、運命みたいなもんだ。」

(へへっ。俺達、いい友達になれそうだな。よろしくな、ゆうり。)
(うん。みろく。)

446Graduation第九話boys & girls(35):2009/01/17(土) 07:57:15

「いつから、魅録を男として意識するようになったの?」
「う〜ん、知り合ってからあいつはどんどん変わっていって……背が伸びて、
声変わりして、がっちりして来て……その時点で、ああ、こいつ、男なんだーって思ったけど……
けど、そんなのは別にあたいらの関係には何の影響もなかった。今みたいな気持ちになって来たのは、
今年の文化祭からだと思う。いや、そうだ。あいつと野梨子が『月の光』の
練習をし出してからだよ。練習だからしょうがないんだけど、あたいの事ほっぽっといて、
野梨子のところに行っちまう事とかあってさ……。何か、妙な気分になった。」
可憐は練習中に悠理を裏山に探しに行った事を思い出した。
「あと……、本番中に、あたい、固まっちまっただろ?コルセットのせいだって言ったけど、
本当は……、魅録のセリフに、頭にカーッと血が上って、そいで何か、ここんとこが
おかしくなっちまったんだ……。」
悠理は左胸を押さえた。

可憐と野梨子はマイ・フェア・レディを思い返していた。
(……僕と結婚して下さい。一生幸せにします!)

「それから、あれ?何だろう、変だな〜なんて思ってるところへ、野梨子が
魅録のバイクに乗ることになって……。あたい、魅録のバイクにあたい以外の
女が乗るなんて考えてみたこともなかったから、何かすごく不安になっちまって……。
早く魅録の顔見て安心したいと思ってたら、次の日休みだろ?あん時からだな、
『魅録がいなくなったらどうしよう……』って思い始めたの。何か、無性に魅録の事が
気になるようになって来て……、とにかく、いつも一緒にいたいって思うようになったんだ。」
「でも、何か上手く行かなくて、楽しみにしてたデートもおじゃんになって、あいつは、野梨子と……。」
「野梨子の事が気になる?」

長い沈黙。
「気にならないって言ったら嘘になる。でも、それはまた別の問題だ。野梨子と魅録と、そして清四郎の……。
あたいの一番の問題は、あたいが今、気が狂いそうなほどあいつが大好きで、
結婚したいほど大好きで、あいつのガキをいっぱい産みたいほど大好きなのに、
あいつはそうは思ってないって事だよ。」
447Graduation第九話boys & girls(36):2009/01/17(土) 07:58:51

大きなため息。
「……どうして、そう思うの?」
「去年の終わりに言われたんだ。可憐が一般受験するって聞いた日、あたい不安になってて、その時。
あたいの事、親友としては大切だけど、結婚とかは別だって……。」
「まあ!はっきりそう言われたの?あんた、告白したってこと?」
「ああ……、ごめん、告白なんかしてないし、そう言われたわけでもなくて、
そういう意味の事を言われたんだよ……。」
可憐は立ち上がり、悠理の細い体を抱きしめた。声は震えを帯びていた。
「あたし、あの頃、自分の事で精一杯で……、ごめんね。気付いてあげられなくて。」
「……優しいな、可憐は……。でも、もういいんだ。あたいの気持ちは決まったから。」

(心配すんな。俺はどこにも行かねえよ。)
あいつは嘘はつかない。物理的に離れようとも、親友という絆は永遠だ。心はいつも近くにあり続ける。
(何ていうか……。俺だって、少しはおまえの役に立ちたいんだよ……。)
雪のクリスマス・イヴ。魅録がやって来たのはこの言葉をいう為だと言う事を、
悠理は本能で分かっていた。そして、その気持ちを素直に嬉しく受け止めたのだった。

「決まったって、どういう事?」
「あたいは……、一度は、親友以上になれないのなら、もうこれ以上魅録を
好きになるのは止めようって思ったんだ。距離を置くっていうの?でも、直ぐに、
あたいにはそんな事出来っこないって分かった。今はもう、魅録にとって、
あたいは永遠に親友でいい。でも……。」
「でも……?」
悠理は何かに宣言するかのように、息を大きく吸って、はっきりと言い切った。

「あたいにとって、男は生涯ただ一人、魅録だけだ。」

448Graduation第九話boys & girls(37):2009/01/17(土) 08:00:02

長い沈黙。ようやく発せられた、動揺したような可憐の声。
「そ、そんな、悠理、あんたはまだ若いんだし、決め付けなくても……。
男なんてこの世に星の数ほどいるのよ。」
一方、悠理の声は落ち着いていた。
「いいや、あたいには分かる。あたいは頭は悪いけど、こういう事は分かるんだ。
あたいはこういう風にしか生きられない。あたいは、この先結婚するかもしれない。剣菱の為に。
でも、あたいの心は永久にあいつのもんだ。」

再びの長い沈黙の後、悠理は何か話してさっぱりしたように、打って変わって明るい声を出した。
「さっ、あたいの話はこれで終わりさ。今度は、可憐の番だぞ。美童とはどうなってんだよっ。」
「えっ、あたしっ……!?」
「ああ、人にばっかり話させてずるいぞ。ほら、ワインもチーズもまだ余ってるじゃないか。
まだ2時だ。夜は長いぞ。」

コツコツ。
ドアを叩く音に悠理と可憐が振り向くと、赤いガウンを羽織った野梨子が入って来た。
「たった今、目が覚めましたら、灯りがついていたものですから……。楽しそうですわね。
わたしくも参加してよろしいですかしら?」
「もっちろん!」
悠理は飛び跳ねて笑った。
しかし可憐は、野梨子のかすかな目の赤みと、目から頬を伝って薄っすらと
ついている細い筋を見逃さなかった。じっと自分を見つめる可憐と目が合うと、
野梨子は小さく頷いて、そっと人差し指を口に当てた。可憐は全てを了解し、
野梨子と悠理の肩に手を回すと、思いっきり弾けた声を出した。

「じゃあ、もうこの際だから、三人で一緒のベッドに入っておしゃべりしようか?例の物もあるし。」

449Graduation第九話boys & girls(38):2009/01/17(土) 08:01:08

クィーンサイズのベッドは、幾ら華奢とはいえ、女性3人が入るとさすがにきつかった。
「かっ、可憐の胸が邪魔なんだよっ。」
自分の目の前で、柔らかそうな大きな膨らみがフルフルと揺れるのを見て、悠理が赤くなって叫ぶ。
「分かったわよ。上向くわよ。」
満更でもなさそうに中央の可憐が姿勢を変え、野梨子と悠理が左右から横向きに
可憐を挟み込むような格好になって、各々枕に背をもたせかけた。
「はい、野梨子。あ〜ん。」
可憐が、美しく整えられた白い指先で紙袋から直系1.5センチ程の茶色い玉を取り出した。
野梨子は何も塗らなくても艶々と赤い唇を、言われるままに大きく開け、そこへ
可憐は茶色い玉をぽとりと落とした。

「う〜ん……。お酒の後のチョコレートは……最高ですわ。」
野梨子は両手で頬を押さえて、たまらないという風に首を振った。
「あっ、あたいもっ。早くっ。」
自らうっとりと目を閉じて、「ちょうだい、ちょうだい」と口を開けておねだりしている悠理に向き直り、
次のトリュフをその口ぎりぎりにまで持っていった所で……。
(あれ?まだかな?遅いな?)
悠理が我慢出来なくなって、薄っすらと目を開けたその時。
「やっぱり、やーめたっ。」
トリュフは悠理の唇をそっとかすったところで向きを変え、パッチリと目を開いた
悠理の目の前で、可憐自身の口に飛び込んだ。
「むー。美味。」
可憐はココアのついた指先をぺろりと舐めた。

450Graduation第九話boys & girls(39):2009/01/17(土) 08:02:23

「なっ、何だよっ!ひどいじゃないかっ。あたいにも食わせろよっ!」
当然の事ではあるが、悠理が真っ赤になって、可憐に飛び掛った。
「きゃはは、ごっめーん、冗談よ、冗談。あんたがあんまり可愛い顔見せるもんだから、つい……。」
「では、わたくしが差し上げますわ。」
野梨子がつと体を起こし、紙袋から一際光沢を放つ一粒を取り出した。
「これは……、この色艶からいって、可憐作成のトリュフですわね。」
出来栄えに感心しながら、野梨子は今度こそ、悠理の口にその甘苦いチョコレートを落としてやった。

「んんんんんん……。」
悠理は目をぎゅっと瞑って、感動にこぶしを握りしめて震えている。
「これは、野梨子作ね。指先の使い方で、トップに独特のひねりが出ていて色気を感じるわ。
それと、こっちは、悠理のだけど……この荒削りな感じが、ワイルドで、これは
これでセクシーともいえる……。とにかく、初めてにしては二人とも上手に作れたわよ。」
「セッ、セクシー!?」
悠理は生まれて初めて自分に関する事で「セクシー」という評価を貰い、驚いて目をチカチカさせた。
3人は自ら作ったトリュフを食べに食べた。

「あいつらも、あそこに居合わせなければ、これが食えたのになあ。」
悠理がちょっと、本来これを貰うはずだった男性陣に同情心を見せたが、
即座に野梨子にピシャリとやられた。
「自業自得ですわ。この程度の罰では軽い位ですわよ。」
「そうね。ふふ……、管理人さんに偽の情報流してもらったから、あいつら、
今ごろきっと血眼になってチョコ探してるはずよ。」

可憐、野梨子、悠理はそろって天井を向いてニヤリと笑った。

続く
451名無し草:2009/01/17(土) 09:12:44
>Graduation
せ、切なすぎるよ…。
早く続きをー!
452名無し草:2009/01/17(土) 09:15:11
>Graduation
>あいつのガキをいっぱい産みたいほど大好き〜
すごく悠理らしくて、魅録への想いの深さにジーンときてしまいました。
みんな、幸せになってほしいなぁ。
続き楽しみにしています。
453名無し草:2009/01/17(土) 10:16:51
悠理の気持ちを知ってしまった野梨子が
どうでるのか、気になります。
チョコは男性陣には回らなかったんですね。今頃どうしているのやらw
454Graduation:2009/01/19(月) 09:18:10
>>442 今回8レスいただきます。
残り、十話storm、十一話last dance 、最終話graduationの三話です。
455Graduation第九話boys & girls(40):2009/01/19(月) 09:19:42

一方、魅録をおぶっている美童は、予想外の重さに辟易していた。それは、
魅録は見かけは細身だが、筋肉質なので、実際の体重は外から想像するよりも
重かったのと、眠っているので全体重をかけている為であった。
(う……、やっぱり女の子運ぶのとは全然違うな。大体、男の体を運ぶなんて、
僕、したことないし……。やっぱり、清四郎に手伝ってもらおうかな……。)
しかし、その時美童の脳裏にある記憶が蘇り、彼は慌てて首を振った。
(駄目駄目っ。あの時、魅録が僕を運んでくれた山道と距離を思えば、
こんなのへでもないや。よいしょっと。)
美童は、気合を入れなおすと、長い廊下をよろよろと歩いて行った。

ドサッ。
「ふーっ。」
魅録をベッドに寝かせたところへ、火の始末を終えた清四郎がやって来た。
男性陣の部屋はまた趣が違い、オフホワイトの壁に、家具がマホガニーで統一
されており、リネン類はロイヤルブルーとこげ茶と白で揃えてある、クラシックでシックな部屋だった。
「ぐーっ。」
大きく口を開け、気持ち良さそうに眠る魅録は、頬が紅潮しているせいもあって、幼く見えた。
清四郎と美童は、寝顔の中に中学時代の魅録の面影を見出した。ふと清四郎が呟いた。
「全く……、魅録を嫌いになるなんて、出来っこありませんね。」
美童は面白そうに、清四郎に振り向いた。
「あれえ、何それ。じゃあ、清四郎は魅録を嫌いになろうとしたことがあるってこと?」
「……そういう訳ではありませんが……。」
清四郎は、思いがけない美童からの直球にかすかに頬を染めた。

沈黙。
「まっ、いいや。さっ、僕等はもう少し飲みなおそうよ!」
二人は寝巻きに着替えて、隣のリビングに移った。清四郎は水色と白のストライプという王道のパジャマで、
美童のはボルドーのペイズリー模様だった。それぞれ上に、用意されていた濃紺のガウンを羽織った。
ライティングは間接照明だけで、暖かみのあるオレンジ色の光は二人の間の空気を親密なものにした。

456Graduation第九話boys & girls(41):2009/01/19(月) 09:23:18
[さっきの話だけどさ。もう、隠さないでよ。それとも、僕じゃ信用ならない?」
清四郎は、複雑な顔をして目の前の金髪碧眼の男を見つめた。軟派でプレイボーイのこの男は、
実は思いやりに満ち溢れ、「他人を喜ばせる」という素晴らしい特技を持っている。
それは、軽んじられがちではあるが、非常に稀有な才能だ。色々言われる恋愛
でも、決して相手を傷つけることはない。活劇面では頼りにはならないが、
世の中いつでも非常事態というわけではない。平常時にもっとも必要とされるのは、
常に周囲を明るくする、彼のようなタイプかもしれない。

清四郎には、美童が興味本位ではなく、心から自分の事を気遣って言ってくれているのが分かった。
清四郎の胸に、ここ何ヶ月か味わった事のない、しみじみと暖かいものが広がって行った。
今の清四郎は、何でも話せなくなったという意味で、野梨子と魅録という二人の
親友を同時に失ったようなものだったので、余計に美童の存在が貴重に感じられた。
それに、彼はこの頃、以前のような女遊びはすっかり影を潜め、浮ついた部分が
消えて、とても落ち着いて来ている。
話してみようか……。結局、人は一人では生きていけない。
「僕が何を隠していると言うんですか?」
「野梨子のことだよ。野梨子が魅録に惹かれているのが、気に入らないんだろう?」

「う〜ん……。あれ、ここ、何処だ?」
窓からの月明かりの中、目を覚ました魅録は頭を押さえて体を起こすと、周囲を見回した。
「あっ……そっか。俺、ラムあおって、そのまま……。ひー、情けねえ。」
隣に目をやると、二つのベッドは空だ。隣のリビングから明かりが漏れ、
ヒソヒソと男の話し声が聞こえて来る。
「チェッ。あいつら、俺抜きで楽しそうにやってやがんな。」
魅録がドアに近づくと、美童の声がはっきりと聞こえてきた。
「で、正直なところ、清四郎は野梨子をどう思ってるの?」
「……幼馴染であり、妹であり、娘であり……親友であり、ライバルであり……でした。」
「でした?」
「……最近、変わったんです。」


457Graduation第九話boys & girls(42):2009/01/19(月) 09:24:21

長い沈黙。
清四郎が話しそうもないので、美童は自分から誘導した。
「それは、女性として好きになったっていうこと?」
「好き……?」
清四郎は、一旦言葉を切った。そして、何かを考えているかのように目を細め、
顎に手を当てていたが、ついに顔を上げ、美童を、普段よりも一段と深い漆黒の眼で、真っ直ぐに見た。
「いや、そんな言葉ではこの気持ちは言い表せない……。僕は……。」
一瞬の躊躇いの後、清四郎は言った。

「僕は……野梨子を愛している。」

清四郎の声は、生まれて初めてこのセリフを口にする男独特の、誇りと、興奮と、
緊張感に満ち満ちていた。普段の、全てを見通した様な、老成した、ふてぶて
しい程の落ち着きは影を潜め、19歳の若者そのものの初々しさと美しさに、
美童が眩しそうに清四郎を見ていると、彼は続けた。言うべき事を言って
しまうと気が楽になったのか、今度は笑みを含んだ柔らかい声色だった。
「とはいえ、変わったのは本当に最近なので、まだ『愛している』という言葉を
使うのは早いかもしれませんね。ただ、単なる『好き』という以上のものであるのは間違いありません。」
「野梨子はそれを知って……いるはずないよね。」
「はい。」
「……、今後、野梨子には気持ちを伝えるの?」
「当面は考えていません。野梨子の気持ちは相変わらずあの男にありますよ。
隠すのが大分上手になりましたけどね。」
「でも、今はまだいいけど、向こうが野梨子の気持ちに気が付いたらどうするの?……両思いになったら。」

清四郎は遠い目をした。少し間を置いた後、ゆっくりと話し出した。
「美童、僕は、今まで、己の才能と努力によって出来ない事は何もないと本当に信じていたんですよ。
でも、最近、可憐ではありませんが、この世には人智を超えた目に見えない力が
働いているのではないかと思うようになりました。」

458Graduation第九話boys & girls(43):2009/01/19(月) 09:25:51

美童は、二学期以降、野梨子と魅録に起こった数々の偶然を振り返った。
確かに、あれらの事がなければ、今、事情は全く違っていたはずだ。

「そして、その偉大な力に抗うことは、人間には到底出来ない……。ある日
ある場所で人と人とが出会うことや、走り出した想いに他人が待ったをかける
ことなど、出来やしない。でも、僕は諦めてはいません。」

清四郎は、イブの夜、野梨子を巡る不思議な体験をしたのが、他の誰でもない
自分であった事に、僅かな望みを託していた。あの場に居合わせたのが自分だ
ということは、いつかその時が来るということかもしれないのだ。

「今の僕がすべき事は、野梨個を自分に振り向かせようとすることではなくて、
僕自身を磨く事だと思っています。これから大学に入って、色々な世界を見て、
その中から専門を決めて、その道を極める。そして、その頃、野梨子もまた、
円熟した素晴らしい女性になっていることでしょう。」

清四郎は、イブの夜に魅了された、野梨子の様々な顔を思い出した。
それらの顔は、今はまだほんの時折顔を出すに過ぎない。
しかし、いずれ、野梨子はそれらの魅力を全て併せ持つ、真の女性になるだろう。

「そして、その時、僕は彼女に相応しい男でありたい……。」

清四郎は顎をぐいと上げると、頬を紅潮させ、口に震える笑みを浮かべ、
いつか来るその日を思い、目に熱い希望の火を点しつつ、真っ直ぐに宙を見つめた。

459Graduation第九話boys & girls(44):2009/01/19(月) 09:26:44

「それが……、清四郎の愛し方なんだね。」
「お恥ずかしい話ですが……。」
「ううん、いい話だよ。僕とは違うけど……、人それぞれさ、さっ、飲もう。」
コツコツ。
「魅録!」
「立ち聞きするつもりはなかったんだけど……、入るタイミングが掴めなくてさ。
悪いな、聞いちまった。」
清四郎と美童が、自分達の会話の内容を最高速でリピートしている間に、
魅録はさっさとリビングに入って来て、ドカッとソファに腰を下ろした。
「清四郎、頑張れよ。俺も応援するぜ。」
魅録はやり切れないような目で清四郎をじっと見つめた。
「……、けど、何だな。野梨子に清四郎以外の好きな男がいるなんて、俺には信じられねーな。」
(ホッ……。気が付いてないみたいだな。)
美童は胸を撫で下ろした。

「さっきも言ったけど、俺にはお前等はセットだからさ。勝手な言い分だけど、
いつもお前等は一緒にいて欲しいんだよ。野梨子が、おまえ以外の男の隣に
いるなんて、考えるだけで虫唾が走るぜ。」
魅録は思いっきり顔をしかめた。
清四郎はそんな魅録を、静かな眼差しで見つめた後、今度は美童に向き直って言った。
「それじゃ、今度は美童の話を聞きましょうかね。可憐とはどうなっているんです?」
「えっ、ぼ、僕っ!?」
「そうだよ、実は俺も気になってたんだ。」
「えー……。」
清四郎と魅録の期待に満ちた目が、世界の恋人としての美童のプライドを刺激する。

460Graduation第九話boys & girls(45):2009/01/19(月) 09:29:32
(弱ったな……。本当に何でもないんだよね。イブの夜だって、あの後、
おばさんが入れてくれたココア飲んで、おしゃべりして帰っただけだし……。
その後も可憐は受験で忙しかったし……。何か起こるとすれば、これから何だけど……、
そうだ、思い出したぞっ!)
美童は突然ものすごい形相で立ち上がった。
「今、何時っ?!」
「え……、もう2時だけど。」
「しまった!バレンタインデーが終わっちゃったよ!」
「そういえば……。」
美童は、ベッドルームにバタバタと走りだすと、自分のベッドの布団や枕を持ち上げては
何かないかと目を凝らし、それから自分の鞄を開いて、隅々まで荷物を確認した。
着ていた服のポケットまで全てひっくり返した。

「なっ、ないっ、ないっ!」
「まあ、最後の方、バタバタしちまったから、あいつらも渡し忘れちまったのかもしれないぜ。な、清四郎。あれ?」
しかし、清四郎はいつの間にか気配を消して、音も無く場所を移動し、密やかにベッドを確認し、
そして今、自分の荷物を全てチェックし終えたところだった。
「ど、どうだった?」
「現状から考えて、多大な期待はしていませんでしたが……やはり無念……。」
「みっ、魅録はっ?」
「えー、俺なんて、あるわけねえじゃん。調べるだけ無駄だよ。」
襟と前身ごろに白いラインの入った紺色のパジャマに着替えながら、興味なさそうに
言う魅録に、美童と清四郎が無言の圧力をかける。その目はこう語っていた。
(がたがた言わず、早くチェックしろっ。気になるじゃないかっ。)

仕方なく魅録が、背中を丸めてゴソゴソと荷物をかき回している間、残りの二人は気が気ではなかった。
美童が清四郎のわき腹を肘でつっつく。
(まさか……いくら何でも魅録の一人勝ちってことはないよね?)
(いや、先ほどの話が女性陣のハートをわしづかみってことは有り得ますよ。
女性っていうのは、ワルの昔話に弱いと決まっていますからね。)

461Graduation第九話boys & girls(46):2009/01/19(月) 09:30:32

「あっ!」
突然、魅録が手を止めて叫んだ。
「何っ!」
「あったんですかっ!」
美童と清四郎がすっ飛んでくる。
「ずっと探してたプラモの部品、こんな所にあったんだ。いつ、入り込んだんだろう?」
魅録はすべすべした赤いプラスチックの破片を指でつまんで、子どもの様に無邪気な、
満面の笑顔を見せていた。

「プッ……。」
最初に小さな笑いを漏らしたのは清四郎だった。
「アッハ……。」
次に美童が手で思いっきり髪をかき上げながら肩を震わす。
「全く……。」
「やってられないよね。」
今やゲラゲラと笑い出した二人をきょとんとして見つめていた魅録は、
自分だけ取り残され感を抱いたのか、こぶしを振り上げて怒り出した。
「なっ、何だよっ!二人だけで笑いやがって!俺も仲間に入れろよっ!」
「はいはい、松竹梅くん。」
清四郎がニヤニヤ笑いながら、魅録の頭をいい子いい子する。
「ハァッ?こっ、この手はいったい何だっ?」
「ああ、もう、魅録ちゃんたら、愛してるよ!」
美童がガバッと魅録に抱きつく。
「わっ!美童っ、何すんだよっ!俺はノーマルだってさっき言ったろっ!」
清四郎と美童に訳も分からず小突かれているうちに、次第に魅録にも二人の笑いがうつり、
結局、大爆笑の渦の中、男三人は各々のベッドに転がりこんだ。

462Graduation第九話boys & girls(47):2009/01/19(月) 09:32:31
翌朝、キッチンで朝食の用意をしている可憐の傍へ、美童はツツーッと寄って行った。
「あら、お早う、美童。良く眠れた?」
「お早う、可憐、今日も綺麗だよ!ところで、昨日、サッサと部屋に入っちゃってごめんねっ。困っただろう?」
「はぁっ?何のこと?」
「えーと……、ほらっ、ほらっ……そのう……。(おっかしいなー、可憐は絶対、
僕にくれるっていう自信があったんだけどなー。)」
「だから、何よ。はっきりいいなさいよ。全く男らしくないわね。それより、
キッチンでその長い髪は止めてよ。ほらぁ、今、もう少しでスープに入りそうになったわよっ。もうっ、出てって!」
「あ〜ん、ごめんなさ〜い!」

そんな二人の会話を、キッチンの奥で、野梨子と悠理は肩を震わせながら聞いていた。
「美童の奴、あたいらで、チョコ全部食べちまったなんて聞いたら卒倒するな。」
「うふふ。本当ですわね。」
野梨子は笑いがおさまると、一瞬目を伏せ、次には晴れやかな輝きと共に、
大きく目を開いて、悠理に振り向いた。
「それより、悠理。わたくし、悠理に教えて差し上げたいことがありますのよ。」
「何だ?」
「りんごのウサギの作り方ですわ。」
「へっ?何で?」
何の事か分からず目を丸くする悠理を、野梨子は目を細めて愛しげに見つめた。
「理由は分からなくていいんですの。とにかく、これから教えますから、朝食の
デザートに出して下さいな。きっと、良い事がありますわよ。」
「ふうん……。何だか良く分からないけど、野梨子の言う事だから、信じるよ。
さ、どうすんだ?教えてくれっ。」
悠理は腕まくりした。

(悠理も可憐も……これ以上ない位、大好きですわ……。)
キラキラと朝日の差し込む東向きの清潔なキッチンで、野梨子と悠理は、
特に意味もなく微笑み合うと、仲良く並んで林檎の皮をむき始めた。

第十話 stormに続く
463名無し草:2009/01/19(月) 10:23:45
結局清野に落ち着くんならガッカリな展開だ。
ここからまた一波乱に期待。
464名無し草:2009/01/19(月) 11:50:17
>Graduation
清四郎と美童の男同士のやりとりがなんか新鮮でよかったです。
苦悩する清四郎も好きですが自分の気持ちを認めて前を向いてる清四郎は
もっとかっこいいですね。
あとは魅録の気持ちがどう動いていくのかそれとも動かないのか、気になります。
続き待ってます。
465名無し草:2009/01/19(月) 23:42:11
野梨子みたいと思ったので貼る
ttp://iwata-blog.up.seesaa.net/cover/2megu4_101.jpg
466名無し草:2009/01/20(火) 02:39:27
>Graduation
話の展開に毎回ドキドキしています。
今回は清四郎の告白がかっこいいですね。こんなふうに想われたら幸せだろうなと。
各々が自分の気持ちを認識している中で、未だ不明の魅録がやはりキーパーソンなんでしょうか。
とにかく続きを楽しみにしています。
467名無し草:2009/01/20(火) 12:58:40
>Graduation
おー、清四郎カッコいい!
清四郎の想いにドキッとしました。
クリスマスとかバレンタインとかほぼリアルタイムに時間が流れてて
それも楽しみです。
前回の子供いっぱい産みたいって言った悠理もかわいかった。
468名無し草:2009/01/20(火) 21:01:12
>Graduation
うーん。虫唾が走るとまで言われたら、野梨子の失恋は決定的?
次回のタイトルがドキドキします。

>>465
怖いよ〜(((;゚д゚)))
469名無し草:2009/01/20(火) 22:53:26
>Graduation
きっぱりした前向きな清四郎かっこいいです。 魅録もらしくってかわいいし。
これからどうなるんだか気になります。
470名無し草:2009/01/21(水) 12:49:13
>>468
465はアンチでしょ。
471名無し草:2009/01/22(木) 12:05:16

ちょっと嬉しかった話を一つさせて下さい。
美容院で、アラフォー世代の、ミーハーな主婦向けの「STORY」という雑誌(清原の奥さんが
メイン・モデルって言ったら雰囲気分かる?)を何気なく見てたら、「あなたの座右の銘の漫画は?」
という特集があって、ベスト20まで出てたんだけど、6位くらいに有閑倶楽部が入っててびっくりした。
一位はガラスの仮面で、あとキャンディ・キャンディとか、上位は超メジャー系なのに。何か、嬉しかった。
(有閑は座右の銘って感じじゃないと思うけどね。単に好きな漫画ってことだと思う。)
472名無し草:2009/01/22(木) 13:03:29
有閑倶楽部も超メジャーじゃない?
アニメ化された漫画に比べたらメジャーじゃないかもしんないが
ドラマ前でも知名度は男女ともに超メジャーだと思う。
香取信吾の深夜番組のランキングでもランキングのテレビ番組でも
有閑倶楽部が入ってたの見たよ。

有閑倶楽部は幅が広いよね。
20才以上からのりぼんっこなら知ってるだるし。
473名無し草:2009/01/22(木) 17:08:59
うん。2500万部だよ。
ドラマ化で、名前があがりやすくはなってるだろうけど。
でも自分がネットを始めた時、「有閑倶楽部」を検索しても
サイトどころか好きだと言っている人さえ見あたらず
がっかりした覚えがある。
御大もそうなんだけど、知名度の割にコアなファンが少ない印象。

ここの住人は、もともとかなりの原作ヲタだった派と
あ、昔好きだった〜、懐かしいって感じで覗いて
どっぷりはまってしまった派と、どっちが多いんだろう。
474名無し草:2009/01/22(木) 18:25:31
>>473
後者ですノシ
小・中学生の頃凄く好きだったことを、このスレで思い出した。
475名無し草:2009/01/22(木) 18:56:01
>>473
その2択以外派もいると思うw
476名無し草:2009/01/22(木) 19:03:42
>>473
どちらかというと後者。
でも、初めて読んだ時から「これこそ自分の求めていた漫画だ!」という
くらい好きだった。その後、私生活が忙しくなって漫画そのものを読まなくなり、
長いブランクの後、ここで、はまった。
477名無し草:2009/01/22(木) 19:21:51
私も後者かな。
子供の頃はカプ萌えなんてしらなくて
ここ来てびっくりしたよ。
478名無し草:2009/01/22(木) 20:44:24
>>475
ここで興味持って、原作読んだって人いる?
479名無し草:2009/01/22(木) 21:22:40
>>473
どっちかというと前者かな?
ヲタと言っても単行本・関連本を何度も読み返してる程度だけどw
ここのスレを知ったのは、一昨年のTVドラマ化がきっかけ。
480名無し草:2009/01/22(木) 22:47:41
ぶっちゃけドラマ化がきっかけだ。
タイトルだけは知ってたけど有閑倶楽部読んだ事なかった。
古本屋で試しに立ち読みして面白かったんでこのスレに来た。
481名無し草:2009/01/22(木) 22:54:03
自分は原作が好きで、他の漫画全部処分したときもこれだけは捨てられなかった。
でも二次って興味なくてドラマ化がきっかけでここ見てはまった。
同じような人がいて嬉しいw
482名無し草:2009/01/23(金) 07:57:56
おお、やっぱりドラマ化の影響は大きいな。
483Graduation:2009/01/23(金) 09:25:59
>>455 流れ切ってすみません。
第十話は45レスの予定です。今回6レスいただきます。
484Graduation第十話storm(1):2009/01/23(金) 09:27:25

「あ」
「何ですか?野梨子。」
「わたくし、生徒会室に忘れ物をしましたわ。」
清四郎は空を見上げた。どんよりとした気味の悪い雨雲が、ハイペースで近づいて来ている。
2月の終わりにしては暖かかった昼間とは打って変わって、かなりの寒気が
流れ込んで来ているのも肌で感じる。もしかしたら、雪になるかもしれない。
「明日取りに行ったらどうですか?もう家に着きますし。天気が崩れそうですよ。」
「ええ、そうしたいのは山々なのですけれど、卒業文集に載せる文化部に
ついての記事の原稿で、締め切りが明日ですの。あと少し手直しを入れる必要がありますのよ。
一度締め切りを延ばしてもらっていますから、今回は遅れるわけには行きませんわ。
やはり今日、取りに行かなくては。」
野梨子の表情は確固としたものであった。
「一緒に行きましょうか?」
言いながら清四郎はちらと腕時計を見る。
野梨子は全てお見通しといった様子で、微笑んだ。
「結構ですわ。今日は悠理の家で、おじ様、おば様と一緒にディナーですものね。
悠理の国際文化学部進学の御礼ということで。」
「……はい。」
「わたくしなら、大丈夫ですわ。まだ4時ですし、急げば学校まで15分で着きますわ。」
清四郎はちらりと野梨子を見て、また空を見上げた。
「とにかく、行くのなら早く行った方がいい。もうすぐ雨が降りますよ。傘はありますか?」
「ええ、生徒会室に置き傘がありますわ。それまでは天気ももつでしょう。
では、悠理に宜しく。また明日。」
「また明日。」
なじみのある、暖かい、気持ちのこもった微笑みを向け合った後、野梨子は
直ぐに踵を返し、パタパタと走り去った。清四郎は彼女の姿が見えなくなる
まで見送っていたが、何故か表情は冴えなく、ふと胸の辺りを右手で押さえて呟いた。
「何だか、嫌な予感がしますね。この天気のせい……?」

485Graduation第十話storm(2):2009/01/23(金) 09:28:51

結局、野梨子が聖プレジデント学園に着いたのは、清四郎と別れてから1時間
近くたった午後5時だった。野梨子の家から学園までは徒歩でも20分足らずなので、
本来ならもう既に目的を果たして、家に辿り着いているはずなのに、何故こんなに
時間がかかったかというと、途中で、道に迷って困っているお婆さんを、
彼女の孫の家まで送り届けていたからであった。
灰色に墨汁を滲ませたような雨雲は、もうすっかり空を覆いつくし、辺りは
既に真っ暗で、とうとうポツポツと冷たい雨が降り出してきた。今日は月に一度の
教師達の合同研修会の日で、6時間目終了後、教師達全員が学園から移動する為、全てのクラブ活動は禁止され、生徒達も居残り出来なかった。よって、
学園は人気がなく、暗闇に雨が煙り、いつもとは全く異なる様相を見せていた。

正門はもう閉められていたので、守衛のいる通用門から入ろうとしたところ、
丁度出て行く生徒とすれ違い、そのタイミングで、IDカードを見せる必要なく、
野梨子はするりと中に入れてしまった。守衛が下を向いていたほんの一瞬のことであった。
一分一秒でも惜しい野梨子は、そのまま生徒会室へ駆け出した。
闇は一層深く、雨粒は一層、数と力強さを増し、ゴォと冷たい風が吹き出して、野梨子の黒髪をなぶった。
昼間暖かかった為、制服に薄手のコートしか羽織っていない野梨子は、少しでも暖をとろうと、
コートの襟を立て、前身ごろを手でギュッと絞った。校庭の灯がポツポツと
点き出し、幾分ほっとしたのもつかの間、ザザザザッと風に煽られ、恐ろしい
音をたてる木々は、いつものなじみのあるそれではなく、何か得体の知れない
魔物のように思われた。昇降口に飛び込んだ途端、背後で雨がザーッと降り出した。
「ハァ、ハァ……。」
正門からずっと走って来た為、肩で息をしながら、野梨子は自分の置かれて
いる状況を考え、ぞっとした。
いつもの学園の守り神たる威風堂々とした樹木達は、今は豪雨と暴風に打たれて
その頭を前後左右に激しく振り乱し、気が違った様に猛り狂っている。
この天候の中、華奢な女物の折りたたみ傘で帰るなんてことは、不可能に近い。
486Graduation第十話storm(3):2009/01/23(金) 09:30:05

野梨子は、髪の毛から滴り落ちる雨粒にも気を止めず、ただ呆然としてつったったまま、
目の前の自然の驚異を見つめていた。
(こんな天気になるなんて……。ああ、無理を言ってでも清四郎に付いて来て
もらえば良かったですわ。そうだ、今からでも電話して……いけない、携帯は
充電が切れていたんですわ!ああ、もうどうしたら……そ、そうですわ、とにかく、
原稿を取りに行かなくては……。)

本校舎の昇降口から生徒会室まで、廊下に非常灯は点いているものの、それが
また見えない部分の恐怖を増長させ、野梨子は生徒会室まで一気に駆け抜けた。
ガチガチと震える手で何とか鍵を開け、生徒会室の中に入るやいなや、バンッ!
バンッ!バンッ!と、電灯という電灯を全部つける。暗闇、豪雨、暴風、といった
大自然に対する原始的な恐怖と、さっきから走り通しの為に、野梨子の心臓は、
今、かつてないほどの凄まじい速さで波打っていた。
「ハァッ、ハァッ……。」
野梨子は、突如自分を襲ったこの異常事態に、脳が最大の危険信号を察知して
交感神経を刺激し、みるみるうちに自分が非常な興奮状態に陥っていくのを感じていた。
一つ間違えるとその場に倒れ込みそうな状態ではあったが、かろうじて踏み止まった。
誰かが消し忘れたのか、暖房がついているのが有難かった。
(……とにかく原稿ですわ。さっさとあれを見つけて、どしゃぶりでも何でも
いいですから外に出なければ。門まで行けば、守衛さんが何とかしてくれますわ。)
原稿は厚みのある茶封筒に入れてある。帰る間際に一度鞄から出してテーブルの上に置き、
鞄の中を整理した後、戻すのを忘れたのだ。だが、テーブルの上には何もない……。

ババババババババババババーッ!
風神が怒り狂ったような暴風に、激しい雨が暴力的に窓に打ちつけられる。
聴覚のもたらす影響とは、時に想像以上のものになる。今、野梨子を手で押したら、
そのまま突っ立った状態のまま倒れたに違いない。しかし、野梨子はただ
黙って手を胸の辺りで組み、じっと親の敵でもあるかのように、窓ガラスを
睨み付けるだけだった。
487Graduation第十話storm(4):2009/01/23(金) 09:31:58
野梨子は残っている理性をかき集め、必死に考えをめぐらせた。
(……さっきよりも、雨も風も激しくなっていますわ……。こ、これではとても
門までも辿り着けませんわ。清四郎は気が付いてくれますかしら?いいえ、
お婆さんを送って行かなければ、私はとうに家に帰っているはずですもの……。
悠理の家にいるから、私の部屋の明かりが点いていない事も分かりませんわ。
お父様とお母様は、今日はお二人共仕事で京都にお泊りですし、IDカードを
出さなかったから、守衛さんもわたくしが中にいることを知りませんわ……。)

ゾクッ。野梨子の背中を冷たいものが流れた。
(そう、今、わたくしがここにいる事を知る者は誰もいない……。)
野梨子は相変わらず、大きな目を見開いて必死に窓を睨み付けていた。
そうすれば、少しは雨風が治まるかの様に……。
(き、きっとこれは通り雨ですわ。一時間もすればきっと治まるに決まっていますわ……。)
一時間……。
一時間も自分はここに一人でいなければならないのか?野梨子は気が遠くなりそうだった。
怖くて気が狂いそうだったが、怖いと口に出した途端、神経の糸が切れてしまいそうで、
必死にその言葉を押し留めた。

どの位そのままの状態でいたのか。
今や、豪雨は豪雪に変わり、そして風は相変わらず猛り狂い、そう、外は雪の嵐になっていた。
もはや窓からは何も見えない。ただ、一面、暗灰色の世界が広がり、天と地からの
ゴオゥゥゥ……という、地獄の底から湧き上がってくる様なおたけびが聞こえるのみ……。
ゴクリ。
野梨子は、まさに血の出るほど唇を噛みしめると、よろよろとテーブルに手を
ついて再び茶封筒を捜し始めた。とにかく、今できる事をしよう……。
「きゃあっ!」
テーブルの裏側に回ろうとした時、野梨子は弁慶の泣き所を何かに打ち付け、
床に倒れ込んだ。

そして、その時、電気がふっと消えた。

488Graduation第十話storm(5):2009/01/23(金) 09:33:36

一面の暗闇。見えるものは何もない。
「!」
野梨子の心臓は確かに一拍飛んだ。暫くそのままの状態でいた後、何とか
床から立ち上がろうとしたが、恐怖のあまり腰が半ば抜けており、それは無駄な試みに終わった。
野梨子は床にべったりと座りこんだまま、歯をガチガチ鳴らせていた。
(耐えられない……この暗闇にはもう…耐えられませんわ……。いっそ、
このまま気を失ってしまったら……?明日になれば、誰かが気が付いてくれますわ……。)
自暴自棄になった野梨子が、体を床に静かに横たえた時……。
(何ですかしら?体の下にあるこの生暖かいものは……?しかも動いて……。)
「ヴ……。」
(音を発し……。)
何かいる。
「ぎゃああああっ!」
野梨子は自分の下の何かを思いっきり両手で跳ね除けると、その場所から逃れようと、
抜けた腰で立ち上がろうとしたが、再び弁慶の泣き所を硬い物にぶつけた。
ガラガラドッシャーン……!
「キャーッ!」
「グォッ……!」
野梨子はぶつかった弾みでまたもや体ごと下に転げ落ちた。
野梨子はうつ伏せになって倒れたまま、じっとしていた。
(ああ、体中が痛い……。下にあるものは……、一体何なのですかしら?
逃げなくては……、でも、暖かくて気持ちがいい……、ああ、もう体が動きませんわ……。
わたくし、このまま死ぬのかしら……でも、この匂い……どこかで……ハッ!)

野梨子は、慌てて体を起こすと、手で辺りをまさぐった。すべすべした硬い繊維…、暖かく柔らかい凹凸……、
そして、短い毛……これは……?
その時、暗闇にようやく目の慣れてきた野梨子は、窓からの雪明り越しに、その何かの正体を見た。

「みっ、魅録っ!」

489Graduation第十話storm(6):2009/01/23(金) 09:36:41
「う……。」
何と、床には魅録が膝を立てて、苦しげに目を瞑ったまま、長々と仰向けに横たわっており、
自分はその上に覆いかぶさるようにして乗っかっていた。野梨子の左手は魅録の顔に乗せられ、
右手は魅録の短髪を握り締めていた。
ズササササササッー!
雪嵐が窓に吹き付ける。
「キャーッ!」
「グェッ!」
野梨子は、魅録を両手で突き飛ばすようにして慌てて飛び降りると、床に座り
込んだまま手と足で後ずさりし、反対側の壁にペタリと張り付いた。
(みみみみ……。)
野梨子の恐怖は、今や暗闇でも雪嵐でもなく、魅録その人に向けられていた。
黒い影がゆらりと体を起こし、警戒しているような、低いくぐもった声を出した。
「ウウッ……痛えな……。誰だ?女だな。」
「……わ、わたくし……ですわ……。」
野梨子は何とか声を出す事が出来た。
「野梨子か!」
魅録の声のトーンが高くなった。
シュボッ。小さな炎。
魅録がライターの火を点けたらしい。暗闇の中、その小さな小さな灯りは生命の
光そのものの様に感じられた。恐らく、この瞬間、そこにいるのがメンバーの
他の誰であっても、野梨子は安堵の為にその胸に抱きついただろう。
だが、魅録は……。魅録だけは駄目だ。今、野梨子はそこから動けなかった。
炎がゆっくりと近づいて来る。
(駄目……、来ないで!)
しかし、炎は位置を下げると、野梨子の目の前で止まった。
ぼうっとした炎の揺らめき越しに、魅録の驚いた顔が見えた。

「本当だ……。野梨子、何でこんな所にいるんだ?今、何時だ?何でこんなに真っ暗なんだ?」

続く
490名無し草:2009/01/23(金) 12:26:29
>Graduation
題名を見て、どんな内容になるんだろとドキドキしながら読んだら
文字通り嵐の展開ですね。
魅録が野梨子の気持ちに気がつくのかどうなのか楽しみです。
続き待ってます。
491名無し草:2009/01/23(金) 12:47:05
>Graduation
まさに「storm」な展開ですね。
続きが待ち遠しいです。
492名無し草:2009/01/23(金) 20:59:55
>>491
>>310読んだ?荒らしじゃないならsageて。 お ね が い
493名無し草:2009/01/23(金) 21:07:04
>>492
491の肩を持つわけでもないし、確かにsageはしてくれとは思うが
1回くらいならただ入れ忘れただけかも知れないし、そういう言い方しなくても。
>>310はsageが連続で入ってなかったから言ったんだろうし。
494名無し草:2009/01/23(金) 23:12:35
>>493
>>286>>309と同じ人だと思うから書いたんだけど。
違うなら謝る。
495Graduation:2009/01/24(土) 07:25:27
>>484 今回7レスいただきます。
496Graduation第十話storm(7):2009/01/24(土) 07:26:57

魅録は恐らく、眠っていたのだろう。まだこの状況が飲み込めていない様子だった。
野梨子は魅録から視線を外しながら言った。
「わ、わたくし……、忘れ物を取りに戻りましたの……。そうしたら、天気が
急に変わって、すごい雨から雪に……吹雪に変わって……。そして、さっき、
突然真っ暗になったんですわ……。」
野梨子は涙声だった。とにかく、話す相手がいるというのは、やはり有難かった。
「わかった。野梨子、落ち着け。俺がいて良かったよ。俺、ダチのライブに
行くんで時間潰してたんだけど、いつの間にか寝ちまったんだな……。
こんな天気じゃ、ライブも中止かな。張り切ってたのに、気の毒なこった。」

魅録は一瞬、運の悪い友達に思いを馳せたが、直ぐに野梨子に向き直ると、
その頭に手を乗せて、野梨子の小さな顔を覗き込んだ。
「一人で怖かっただろ?」
野梨子は視線を外したまま、唇を噛みしめ、小さくコクンと頷いた。
「ちょっと、待ってろ。」
魅録は炎ごとヒラリと立ち上がり、背を向けて何処かへ消えた。
(嫌、行かないで……。)
野梨子は慌てて、手を伸ばした。さっきは近づいて欲しくなかったくせに、
今はもうずっと傍にいて欲しい。それは、再び一人になることの恐怖だけに
よるものではない事を野梨子は知っていた。
だから、初めに近づいて欲しくなかったのだ……。
野梨子が必死に小さな灯りを目で追っている間、魅録は何やらゴソゴソやっていたが、
ついにホッとしたような声を発した。
「ああ、あった。」
カチッ。
懐中電灯の明かりが二つ、点いた。
「電池切れじゃなくて良かったよ。ほら、一本持ってろ。」
一本を野梨子に放ると、自分はもう一本を持ってまたガチャガチャやり出した。

「もう、ここ使うのもあと少しだから、皆、荷物整理しちまって、大したもんねーな……。」
497Graduation第十話storm(8):2009/01/24(土) 07:28:02

懐中電灯の明かりで、周囲の様子が分かった。視線の先にはテーブルの下に数客の
椅子が無残に転がっているのが見えた。魅録はテーブルの蔭に椅子を並べて置き、
その上に横になっていたのだろう。そして、それに自分は何度もぶつかったのだ。
そんな事を考えていると、再び魅録の声がした。
「蝋燭、見つけたぜ。こっち、来いよ。」

ポッ。
テーブルに暖かい暖色系の色が燃え上がった。
魅録は蝋をガラスのコップに垂らすと、そこへ白く太い蝋燭を立てた。
それは、可憐か美童の物だったのだろう。薔薇の香りが立ち上った。
「なっ、何か、匂うな、これ……。」
魅録がどぎまぎしているのが可笑しく、野梨子はここに来て初めての笑みを小さく浮かべた。
蝋燭の灯りは思っていたよりもずっと頼もしく、リラックス作用のある香りの
御蔭か、野梨子の神経の高ぶりは、少しずつではあるが落ち着いて来た。
魅録が再び懐中電灯を持ってどこかに消えている間に、野梨子はそろそろと腰を上げて、
這いながらテーブルまで行き、なんとか椅子に腰掛けた。

「ふぅ……。」
野梨子がぼうっと蝋燭を見つめていると、魅録が戻って来て、ガチャンと目の前に何かを置いた。
「ココア。ポットに湯が残ってたんだ。飲めよ。あったまるぜ。」
それは、一応ジノリのカップ&ソーサーに入れてはあるが、どろりとした茶色の
液体はカップの縁までなみなみとあふれんばかりで、粒粒のだまだらけ。
しかもソーサーはこぼれたココアでビショビショで、カップを持ち上げると、
底から茶色い筋が幾つも垂れた。
「……。」
野梨子がカップを持った手を止めたまま、中々口をつけようとしないので、
魅録は上ずった声を上げた。
「わっ、悪ぃなっ!普段ココアなんて飲まねえから、どん位入れたらいいか分かんなくってさっ。
スプーンが見つからなくって、適当に入れたら、今度は中々溶けねえから、
つい割り箸でかき回し過ぎちまって……。気が進まなかったら、飲まなくっていいぜっ。」
498Graduation第十話storm(9):2009/01/24(土) 07:29:10

「……頂きますわ……。」
野梨子は、左手でソーサーを持ち上げながら、コクリと一口飲んだ。
「甘い……。」
魅録は嬉しそうな声を出した。
「うん、俺のは砂糖入れてねーけど、おまえのは、うんと入れといてやったからな!」
まるで手伝いを親に褒められた子どものようだと野梨子は思った。
実際のところ、ココアは歯に沁みるほど甘かった。
甘くて、甘くて……、哀しいほど甘かった。
「……美味しいですわ……。」
野梨子の笑顔に、魅録は安堵の表情を浮かべた。そして、自分もゴクリと飲むと、
大きな粉の塊を思いっきり喉につまらせた。
「ゴッ……、ゴホッ!」
「魅録!大丈夫ですの?」
「あ、ああ……。てか、不味いな、これ……。野梨子、無理すんな。体に悪いや。」
野梨子のカップを取り上げようとする魅録の手を、野梨子はそっと払った。
「わたくしのは、本当に美味しいんですのよ。全部頂きますわ。」
「そ、そおかあ……?」
野梨子がココアを啜っている途中で、魅録は言いにくそうに話し出した。
「さっき、ブレーカーをチェックしたんだけど、関係なかった。駄目だ、これは停電だ。」
「停電……。」
「ああ。大雪と大風で、ギャロッピング現象が起きたんだろう。どの程度の範囲で
起こってんのか分からねえけど、とにかくこの吹雪が治まるのを待つしかなさそうだな。」
魅録は難しい顔をして窓を見た。
(吹雪が治まらなかったら……?)
野梨子は慌ててその恐ろしい考えを頭から追い払った。
499Graduation第十話storm(10):2009/01/24(土) 07:30:25

「野梨子。携帯、持ってるか?」
「……充電が切れてますの……。」
「そっか。俺、今日に限って、家に忘れて来ちまったんだ。」
「……。」
「親父は重大事件でここんとこ桜田門に泊り込みだし、おふくろはまたどっか
海外に行ってっから、俺が家に戻んなくても分からねえしな。野梨子の方は誰か気がつきそうか?」
「それが……、両親は共通の仕事で京都に泊まりですの。清四郎は、わたくしが
ここに戻った事は知っていますけれど、とっくに家に帰っていると思っている
はずですわ。今は悠理の家で、ディナーの最中でしょう。」
「そういや、そんな事言ってたな……。」

魅録は顎に拳を当てて考えた。
「停電ってことは、職員室の電話も使えねえな。悠理に連絡とれれば、
剣菱の力でなんとかなるかもしんねえけど、問題はどうやって連絡とるかだな……。」
野梨子は、少しカリカリしている魅録を落ち着かせようとした。
「もう少し……、天気の様子を見てみましょう。悠理達もせっかくのディナーの最中ですし……。」
「まあ……な……。」
難しい顔をしながら、魅録がふと腕時計を見る。
「7時か……。」
野梨子は飛び上がらんばかりに驚いた。
(7時!もう、学校に着いてから二時間にもなるなんて……。それにしても、寒いですわ……。)

ココアを飲みきってしまうと、急に寒気が襲って来た。暖房が切れてどれ位になるだろう。
部屋に残っていた余熱がついに尽きたようだ。それに、自分は雨に濡れて来たのだ。
今まで気が付かなかったが、着ているコートは濡れてぐっしょりしている。
野梨子は慌ててコートを脱いだ。
500Graduation第十話storm(11):2009/01/24(土) 07:31:26

「どうした?」
魅録が野梨子の異変に気が付いた。
「さ……寒い……。」
野梨子の唇は青く、両手で自分の体を抱きしめてガタガタ震えている。
魅録は眉を顰めると、再び懐中電灯を持って消え、奥でガチャガチャやっていたが、
やがて毛布を一枚持って帰って来た。
「チェッ。これっきり何にもねーや。俺も、今日、昼間は暖かかったから、
コート着て来てないんだよ。」
魅録は震えている野梨子を見下ろしながら、詰襟のホックを外し出した。
野梨子は慌てて言う。
「み、魅録、いけませんわ!それでは、魅録が……!」
「黙ってろ。」
魅録は白シャツ一枚になると、自分の詰襟を野梨子にバサリとかけた。
「袖までちゃんと通せよ。」
野梨子が半ばうな垂れながらも、言われるままに詰襟を着て、喉元までホックをとめると、
魅録はその上から毛布を巻きつけてやった。

「腹減ったろ?食いもん、あるかどうか見てくる。中からもあっためねえとな。」
魅録は給湯室へ入って行った。本来なら、自分の役割であるのに、野梨子は
どうにも体が動かなかった。
「野梨子ぉー、おまえ、カップ麺なんて食えるかぁ?ガスなら点くんだけど、
こんなもんしかねえよ。」
正直、野梨子は食欲が全くなかったが、せっかく魅録が言ってくれているので、
貰うことにした。それに、実際、寒くてたまらなく、湯気でさえ有難かった。

外は吹雪の中、暖房のきかない部屋で白シャツ一枚では、さすがに寒く、
また腹も減っていたのだろう、魅録はすごい勢いでカップ麺を平らげた。
野梨子は、汁を一口、二口啜ったところで手を止めた。

501Graduation第十話storm(12):2009/01/24(土) 07:32:31

「どうした?やっぱり、口に合わないか?」
「いいえ……、ごめんなさい。余りお腹が空いていないんですの……。
魅録、宜しかったら召し上がって下さいな。」
「そうか?まあ、まだあるから、食えそうになったら、言えよ。」
魅録は、二杯目もあっという間に腹に入れると、落ち着いた様にため息をつき、
目の前の野梨子を改めて眺めた。

野梨子は、目を半ば閉じて、毛布に包まれながら、ぼんやりと蝋燭の炎を眺めていた。
魅録は頬杖をつきながら何事か思案している様子だったが、ふと身を乗り出して話し出した。
「なあ、野梨子。こんな時に何だけど、俺、ずっとおまえに聞きたいことがあったんだ。」
「?」
野梨子はとろんとした顔で魅録を見た。
「……、お前、ここんとこずっと、俺のこと、避けてねえか?」
「……。」
「俺の勘違いだったらゴメンな。ほら、デパートでデートしたじゃん、あん時、
俺はすっげー楽しかったんだ。けど、あん時以来、何か、野梨子とちゃんと
話した事ってなかった気がするんだ。俺は何度も話しかけようとしたんだけど、
その、野梨子が……。」
「……気のせいですわ……。」
野梨子は低い、かすれた声を出した。
「……そうか?なら、いいんだけどさ。やっぱ、俺の意識し過ぎだな。
俺、この間も可憐に言われたけど、鈍感なとこがあるみたいだから…、
気が付かないうちに、何か野梨子に嫌われるような事したかなって、ずっと考えてたんだよ。」
「……。」

野梨子が黙ってしまったので、魅録は一旦それ以上話すのを止めた。しかし、この
状況で沈黙に支配されるのも苦しいと思ったのか、その後、彼にしてはめずらしく、饒舌になった。
今日、行くはずだったライブとその友達のこと、家族のこと、バレンタインデーの
騒ぎのこと等を高いテンションで話していった。

502Graduation第十話storm(13):2009/01/24(土) 07:34:22
「……で、美童ばかりか、あの清四郎まで自分の荷物を必死にかき回してさ、
あれは絶対、野梨子のチョコを期待してたんだと思うぜ。清四郎にくらい、
こっそりやれば良かったのに。」
「女同士の約束でしたもの……。」
魅録は清四郎のことを話しているうちに、野梨子に別の想い人がいることと、
また清四郎の気持ちを思い出し、つい清四郎上げに力が入った。
「けど、おまえにとって、清四郎は特別だろ?あんな優秀な凄い男って、
そうそういるもんじゃないぜ。男の俺から見たって、惚れちまう位いい男だ。
おまえは、近くにいすぎて分かんないんじゃねえのか?」
「……。」
「産まれた時からの幼馴染っていう感覚がどういうもんか、俺には分かんないけどよ……。
けど、傍から見てても、おまえらって本当にお似合い……。」
ガタッ
「清四郎の話は止めて下さいなっ!」

野梨子は突然立ち上がり、テーブルに手をつき、下を向いたまま激しい声を出した。
魅録は、野梨子の、こんな感情のほとばしりの矛先を向けられたのは、初めてだったので、
驚きのあまり言葉を失った。そして、しばしの沈黙の後、頭を掻きながら、
「何が気に障ったのか分からねえけど……すまなかった……。」
と眉を下げて謝った。
しかし野梨子は、尚もそのままの状態で肩を震わせながら立っていた。
「野梨子……大丈夫か……?」
魅録も心配して立ち上がる。
「魅録。」
野梨子は、顔を上げた。黒目がちの大きな瞳は涙で潤み、長い睫まで濡れていた。
たおやかな眉は哀しげに寄せられ、頬は紅潮し、濡れた赤い唇は震えている。
野梨子は苦しそうに首を小さく振りながら、途切れ途切れに声を絞り出した。
「わたくしは……、わたくしは……、清四郎の幼馴染である前に、一人の……
白鹿野梨子という一人の女性ですわ……。」

続く
503名無し草:2009/01/24(土) 09:57:50
>Graduation
好きな人に他の男とお似合いって言われるのって辛いだろうな。
野梨子がどう出るのか気になります。
続き楽しみにしています。
504名無し草:2009/01/24(土) 16:03:38
個人的意見だけど、魅録が謝る時「すまねえな」「すまなかった」
だと、江戸町人かジャックバウアーかという感じでちょい違和感が。
悪かった、とか、ごめんな、あたりにしてほしいかな。
505名無し草:2009/01/24(土) 16:09:33
そのへんは書き手の感性じゃないかな。
自分はそれほど違和感なかったよ。
506名無し草:2009/01/25(日) 15:00:08
悠理って普段すっぴんだよね。
パーティーのときはメイクさんでも
呼ぶののかな。
507名無し草:2009/01/25(日) 15:49:07
可憐以外は普段すっぴんでしょ。
化粧は可憐でもメイドなりできる人がいるだろうし。
508名無し草:2009/01/25(日) 17:27:44
東京の高校生だったけど、自分の時代は、学校へは色付きリップくらいで、
メイクしてくる子はほとんどいなかったと思う。髪の毛には気合入ってたけど。
でも、今の都心の高校生は制服にメイクしてるの当たり前っぽいね。
学校によるのかな。
509名無し草:2009/01/26(月) 17:30:57
あと短いSSが3〜4つ(ボリュームのあるのならSS2つくらい?)で490KBになりそう。
お約束は特に変えなくていいと思うんだけど、どうだろ。
510名無し草:2009/01/26(月) 21:01:25
このスレが充実してたって事だな〜。
511名無し草:2009/01/26(月) 21:19:40
今回は特に変更することはなにもないよね。
連載陣、お待ちしています。
512Graduation:2009/01/27(火) 09:16:38
>>496 今回5レスいただきます。

>>504
おっしゃりたいこと、分かります。基本的には、魅録が謝る時は「悪い」を
意識して使っているのですが、時々「すまん」系を使う癖があるのは、自分でも
気が付いていました。(何回か校正時に修正してます。)
自分の駄文について、色々感じられる方は多いと思います。全てのご意見を
取り入れる事は不可能かもしれませんが、積極的に、参考にさせて頂きたいと
思います。

>>505
お心遣い、感謝致します。
513Graduation第十話storm(14):2009/01/27(火) 09:18:36

今までの経過からして、魅録が、自分と清四郎を特別な関係として見て
いるのはもう分かっていた。魅録の目には自分は女性として映っていない。
魅録にとっては、いつでも、清四郎あっての自分なのだ。
そして、実際、そうではないか。
魅録に惹かれながらも、清四郎を失う勇気もなかった自分。

野梨子は、突如、力尽きたように椅子にガタリと崩れ落ちた。
「野梨子!」
魅録は慌てて席を立って、野梨子の側に回った。野梨子の顔は真っ青で、今や
縮こまって全身をガタガタと震わせている。野梨子の異変を認めた魅録は眉を顰めた。
そっと、野梨子の額に手をやってみると、熱い。まだ高熱ではないが、この分では、
それも時間の問題だろうと思われた。
(風邪……?いや、他に症状がないから、もしかしたら……インフルエンザかも……。
卒業前なのに今頃3年生で流行り出して、騒ぎになってたな。そういや、
野梨子のC組で多かったような……。)
魅録はこの状況に震えた。
時刻は8時を過ぎ、外は吹雪の夜、暖房が切れて数時間も経つ部屋の中は、
誇張でなく凍りつくように寒い。健康には自信のある男の自分でさえ、どうにかなりそうだ。
況や、もともと体力に問題があり、雨に濡れ、既に精神的に参っている上に、
熱まで出している野梨子は……。
514Graduation第十話storm(15):2009/01/27(火) 09:19:45

吹雪は先ほどよりは、若干ましになったかと思われる。後、数時間、何とかこの
寒さを乗り切れれば……。
(やっぱり、あの方法しか……。)
「野梨子。」
野梨子は黙ったまま、顔を僅かに上げた。
「真面目な話だ。聞いてくれ。」
魅録の声は低く、かすかな緊張感があった。
「?」
「この状況を脱するには、まだ時間がかかると思う。」
野梨子は力なく頷いた。
「問題はこの寒さだ。雨にも濡れて、おまえの体は相当ダメージを受けてる。
熱もあるんだ。自分でも分かるだろ?」
「……。」
「で、考えたんだけど、この寒さを凌ぐには……その……。」
魅録は、一旦言いにくそうに言葉を切ったが、次には覚悟を決めたようにはっきりと言った。
「お互い、暖め合うしかないと思う。」

ハッとした野梨子の表情に、それは予想していたと言わんばかりに魅録は続けた。
「そりゃあ、嫌なのは分かるぜ。けど、このまんまじゃ、おまえ、相当まずい
事になっちまうと思う。いや、もうなってるんだよ。」
「……。」
「絶対に、約束する。おまえに手は出さない。暖をとるだけだ。安心しろ。」
「……。」
「だから……。」
「……いいですわ……。」
野梨子は弱弱しく微笑んだ。魅録は綿の白シャツ一枚だ。
ウールの制服を二枚重ねて、しかも毛布まで掛けている自分よりもずっと寒いだろう。

515Graduation第十話storm(16):2009/01/27(火) 09:21:47
ガタリ。
魅録は返事を確認すると、野梨子を毛布ごと抱きかかえ、椅子に座って、膝においた。
そして、テーブルに自分の背をもたせかけると、野梨子の毛布を開き、詰襟を
着たままの野梨子の背中に手を回すと、そっと自分に抱き寄せた。そして、
その上から毛布をぐるりと掛け回し、毛布の上から手を回して、野梨子を抱き締めた。
野梨子の体が一瞬大きく波打ち、振るえが一段と激しくなったのを見てとった
魅録は、くぐもった低い声を出した。
「俺が……怖いか?」
「……いいえ……魅録を……信じていますから……。」
「じゃあ、どうしてこんなに震える……?」
「……寒いんですわ……。」
「そうか……じゃあ、このままで……いいか……?」
「……はい……。」
「手を、俺の背中に回せよ。その方が暖まる。」
野梨子は言われるがままに、胸の前で所在なく折り曲げていた両腕を、おずおずと魅録の背中に回した。

怖いのは自分だと、野梨子は思った。
(暖かい……。)
幾枚もの布を間に通してあるとはいえ、人肌とはこんなに暖かく、心地よいものなのか……。
(魅録の匂いがする……。)
野梨子は眩暈がしそうになり、きゅっと目を瞑った。以前にもこんな事があった。
あれは、球技大会で、脳震盪を起こした自分を、魅録が保健室まで運んでくれた時だ。
あの時、自分はいったい、どんな顔をしていたのだろう。清四郎の胸では
思いっきり泣ける自分は、魅録とは指一本触れるのさえ、怖かったというのに……。
今、野梨子が呼吸をする度、懐かしい匂いが鼻腔を擽り、甘苦しい感情が体中を駆け巡る。
ドクドクドクドク……。
(魅録の心臓の音が聞こえる……。)
魅録の胸の鼓動はかなり早く、彼もまたこの状況におさまりの悪いものを感じているのが分かる。
静寂の中、耳に直接届いて来る鼓動の音は、この閉じられた空間に、
生ある者が二人だけということを、厭というほど感じさせる。

516Graduation第十話storm(17):2009/01/27(火) 09:22:46
「少しは、あったまってきたか?」
野梨子は頷く。
「そうか。良かった。」
声色で、彼が安堵した様子が分かる。

はぁ……、それにしても、熱い……。
熱の為か、それとも他の理由からか、今や野梨子の体は溶けてしまいそうに熱かった。
体中にきしむような痛みを感じ、もはや体は少しも動かない。
意識が徐々に遠のいて行く中で、野梨子は、今まで心の奥底に封印していた
パンドラの箱が、少しずつ少しずつその蓋を開いて行くのを、なす術もなくただ感じていた。
理性は、刻一刻と崩れ去り、真の想いがゆるりと抜け出して来る。

(ああ、わたくしは……、わたくしは……)
(魅録が……好きなのだ……。)

これは、何かの罰なのだろうか。
初めは、本当に他愛ない感情だった。ちょっと今までよりも彼が気になるという程度の。
その段階で自分に正直になっていたら、もしかしたら、今ではもう、全ては
笑い話になっていたかも知れない。しかし、仲間であるという足かせがそれを躊躇わせ、
その内、偶然が重なって想いに加速がつき、同時に、清四郎を失う事を恐れる
ようになり、続いて悠理の気持ちを知ってしまった。

(気が狂いそうなほどあいつが大好きで、結婚したいほど大好きで、あいつの
ガキをいっぱい産みたいほど大好き……)
(あたいの男は、生涯ただ一人、魅録だけだ。)
517Graduation第十話storm(18):2009/01/27(火) 09:25:32
思いがけず聞いてしまった悠理の熱い想いに、野梨子はあの時、激しい戦慄を
覚え、そしてその後、彼女を心から応援しようと思った。
ついこの間まで、女っぽさの欠片も見出せなかった悠理は、実は、女そのものだ。
彼女の前に、全ての理屈は吹っ飛ぶ。彼女は、女の本能そのままに生きている。
それは、大草原で、野生の動物の雄と雌が偶然出会い、番となり、雌は雄の
子どもを産み育てるという、自然の理に基づいた生き方だ。
現実には、悠理は、卵から孵ったばかりの雛が、初めて目にした鳥を自分の親鳥だと信じるが如く、
それまで注ぎ込む場所を見つけられず、内に溜めていた友情を、出会った時の
魅録に全て注ぎ込み、そしてそれは年月を重ねて愛情に昇華されて来たのだ。
そして通常の男では、到底手に余る悠理の熱い情熱を、魅録はごく自然に受け止めてここまで来た……。
そこに、自分の入る場所はない。
それなのに、どうして自分は魅録に惹かれてしまったのだろう……?
19年もの間隣にいる清四郎には無くて、魅録にあるものは何だったのだろう?

『月の光』の練習の合間にかわした会話は何と楽しかった事か。
それらは、本当に会話とも言えないほど、他愛の無い内容だった。
あの頃、魅録は話し合いの為、頻繁に野梨子のクラスにやって来たが、窓際の
野梨子の席の前に座り、肘をついて顎を手の平に乗せ、よく空を見上げていた。
(俺……、空って好きなんだ。野梨子の席は窓際でいいな。俺の席は真ん中の
後ろだからつまんねーや。)
野梨子は、こういう事をサラッと言ってのけてしまう魅録に、最初驚いた。
自分にも、その気持ちは良く分かった。天気の良い日に、ふと緑の木々越しに
見上げる青い空は、実にすがすがしく、野梨子を幸せな気持ちにした。
しかし、一方で、「空が好き」などと言うのは、子供っぽいロマンチシズムにも思え、
それ故、恥ずかしくて他人に話すべきことではない様に思われた。
それは、心の中で、自分一人でそっと思う感情だ。そう、清四郎には言える。
「野梨子らしいですね。」
眉と唇を少し上げて、彼は言うだろう。時には揶揄を込め、時には慈しみを込めて。
そう、清四郎の前で恥ずかしがることは何もない。彼は自分の全てを理解してくれているのだから。

続く
518名無し草:2009/01/27(火) 11:56:10
>Graduation
stormの展開に、ずっとドキドキしながら読んでいます
>魅録に惹かれながらも、清四郎を失う勇気もなかった自分
贅沢だとは思うけど、どうしても野梨子に感情移入してしまいますね
二人はどうなるのか、魅録の気持ちがどう動くのか
とにかく続きが待ち遠しいです
519名無し草:2009/01/27(火) 12:49:57
>Graduation
う〜ん、いいところで続きに!
野梨子のドキドキが伝わってきて読んでて胸キュンしてしまいました。
続き待ってます。


520Graduation:2009/01/30(金) 08:52:49
>>513 容量気になりますが、投下します。今回5レスの予定です。

(注)
良い子の皆さんは、カプセルの薬はカプセルのまま飲みましょう。
飲みにくい時はお医者様の支持に従いましょう。
(まさかとは思いますが、念の為。)
521Graduation第十話storm(19):2009/01/30(金) 08:55:07

子どもの頃、世の中は、勧善懲悪がまかり通るものだと思っていた。
正しいものは、正しく、悪いものは、悪い。正義は悪に必ず勝つのだ。
そして、美しいもの、清らかなもの、整然としたものを愛し、醜いもの、邪なもの、
だらしのないものを憎み、寄せ付けまいとした。精神の弱さから、欲望に負け、
道を踏み外して行く者達を、哀れみを感じる一方で、軽蔑を感じずにはいられなかった。
しかし、今となっては、野梨子は自分のこの様な、融通のきかない、頑なで
潔癖な……良く言えば純粋な部分を、決して長所とは思っていなかった。
子どもの頃ならともかく、あと少しで成人する身としては、青く硬い少女性は
もう打ち捨てるべきもの……。世の中には白と黒だけではなく、灰色もある事を理解し、
もっと柔軟に物事に対応できる大人にならなくては。
しかし、頭では分かっていても、自分の核には誰にも踏み込ませない、
少女時代そのままの、研ぎ澄まされた、壊れやすいガラスのような純粋さが残っている。
そんな心の中の葛藤は、「空が好き」と自分に素直に言えなくさせていた。

魅録のセリフに、野梨子の気を引きたいという、ほんの少しでも気取りや、
まやかしがあれば、野梨子は瞬時にそれを見抜き、こう答えたであろう。
(晴れの日は良いですけれど、天気の悪い日は最悪ですわよ。)
しかし、目の前の彼は、野梨子には全く関心を寄せないまま、ひたすら青い空を
眩しげに見つめ続けるだけだった。野梨子は答えた。
(……そうですわね。わたくしも、好きですわ。見て下さいな、あの流れていく雲……。)
そして二人は黙って、白い雲の行方をしばし見守った。
ただそれだけなのに、野梨子は無性に、泣きそうに、嬉しかった。
恐らく、どちらの野梨子も本当の自分だ。
だが、野梨子は、素直に空が好きだと言える自分が好きだった。
522Graduation第十話storm(20):2009/01/30(金) 08:56:21

そんな触れれば溶けてしまいそうな、正体のない、儚い淡雪のような時間を
積み重ねる一方で、確固とした現実である練習中も、自分の気持ちを説明するのに、
魅録に多くの言葉はいらなかった。打てば響くとはこの事か。
驚いた事に、彼は、清四郎よりも素早く、しかも的確に、野梨子の言わんと
する所を、難なく察してくれた。
(ああ、……ってことだろ?いいんじゃね?)
(うん、俺もそう思ってた。)
(野梨子はこうしたいんじゃないか?)
あの時、周囲からも息がぴったり合っていると言われたのは、こういう理由だったのだ。
そして、野梨子は、魅録の前で、これまでの過程で身に着けてきた、自分の核を
守る鎧を一枚、一枚、脱ぎ捨て、自分が自由になっていくのを感じた。
魅録の前では、鎧は必要なかった。

(清四郎は、わたくしを理解してくれる。でも、魅録は……、魅録とは……)
(魅録とは、共感できる……。)

そして、それがどんなに自分は嬉しかったことか。
彼の前では、自分は小さな女の子に戻った気がした。
ああ、高校生活の残りの時間、自分はどんなに……。
(どんなに彼と話をしたかっただろう……)
(どんなに彼と笑い合いたかっただろう……)
(どんなに彼を見ていたかっただろう……)
(どんなに彼を知りたかっただろう……)
(どんなに彼と一緒にいたかっただろう……)

恋人同士になりたいとか、ましてや結婚したい等と考えたわけではない。
本当に、ただ、それだけで良かったのに……。
今なら分かる。人はそれを恋と呼ぶのだ。

(もう一度だけ、魅録のバイクに乗りたかった……。)
523Graduation第十話storm(21):2009/01/30(金) 08:57:26

今となってはもう全て遅い……。
悠理の気持ちを知ってしまった今、自分の恋心はもはや罪そのものだ。
悠理は魅録がいなければ生きて行けない。
誠実な魅録は、いつかきっと気付くだろう。
自分の隣で、いつも自分を力いっぱい見つめている、ひたむきな二つの瞳に……。

「ハァ、ハァ……。」
「野梨子?」
苦しげに身もだえを始めた野梨子の額に手をやった魅録は、思わず身を硬くした。
(熱い……、しかもただの熱さじゃない!)
野梨子をテーブルにうつ伏せさせ、救急箱を取って戻って来た魅録は、野梨子の
体温を測って眉を思いっきり顰めた。
「40・4度……。」
魅録は頭をフル回転させた。
(こんな時に、清四郎がいたら……。いや、いない者を言っても仕方がない。
どうする?熱の他症状がないから、やっぱりこれはインフルエンザだな……。
この状況のままではこじらせちまうに決まってる。脳症にでもなったら大変だ。
確か、特効薬が……。)
救急箱を探すと、果たして清四郎が用意していた特効薬が見つかったが、
最近の急な流行で使用したのか、既に二錠しか残っていない。
「確か、一回に一錠で良かったはず……。野梨子、おい、薬、飲めるか?」
野梨子の頬を軽く叩くが、全く反応がない。魅録は給湯室に入り、水の入った
コップと空のコップを取ってテーブルに戻った。スプーンを探したが、ココアを
入れる時もそうだったのだが、可憐が掃除の為に置き場所を変更しているらしく、
いつもの場所に見つからなく、代わりに割り箸を持って来た。
524Graduation第十話storm(22):2009/01/30(金) 08:58:32

「本当は、カプセルのままじゃなきゃ、いけないんだろうけど……、非常事態だ。」
カプセルを開いて、中身を空のコップに少量の水と共に入れ、溶かす。それを野梨子の口元に持って行った。
「ハァ、ハァ……。」
野梨子の口を少し開いてそっと流し込む。上手く入ったかと思われたその時。
「グッ……ゲホッ、ゲホッ!」
野梨子は激しくむせて、一旦口に入れた薬を全て吐き出してしまった。
魅録は慌てて自分のシャツの袖で濡れた部分を拭いてやる。
(どうする……。あと、薬は一錠しかない。絶対に失敗できない。)

魅録は眉間に皺を寄せて、固く目を瞑った。
これから、自分がやろうとしていることは、善か、悪か?
(僕は野梨子を愛している……。)
清四郎の声が蘇る。これは、清四郎への裏切り行為になるのだろうか……?
その時、ふと東郷邸でソフィーが言ったある言葉を思い出した。
(言葉に出さない限り、それはある意味、真実にはならないわ……。)
野梨子を見る。高熱に浮かされ、ただ苦しげな呼吸を繰り返すのみ。意識は全くないだろう。
(一生、俺だけの胸に秘めときゃいいことだ。いや、俺が忘れちまえばいいんだ……。
ぐずぐずしてる場合じゃない!)

魅録は意を決したように顔をひきしめた。給湯室に走って、口をゆすぎ、戻ってくると、
先ほどと同様にして飲み薬を作った。そして、間を置くと決心が鈍るとばかりに、
野梨子を再び腕にかき抱くと、薬を勢いよく口に含んで身を屈め、
そのまま一気に、野梨子の唇に自分の唇を重ねた。

525Graduation第十話storm(23):2009/01/30(金) 09:01:24
(……?!)
ほとんど意識のない中で、野梨子の残っていた五感は全て、突如、唇に訪れた
初めての感覚に集中した。
(これは……何……?)
初め氷のように冷たかったそれは、次第にしっとりと、熱を帯びてくる。
痺れるようなその感覚に、野梨子は慄いた。
少しずつ、自分の口の中に苦い液体が注がれる。それは喉元にたまり、小さな泉を作った。
(苦……しい……。息が……出来な……。)
野梨子が吐き出そうとして、頭を振ると、一層きつく唇は塞がれた。
それは今や、燃えるように熱く、有無を言わさぬ力強さで、野梨子を押さえ込んでいた。
「ウ……、グッ……。」
野梨子は1、2度体を震わすと、とうとうゴクリと薬を飲み込んだ。
魅録は、とうとう体を離し、野梨子の唇を、水をつけて指で拭ってやった。
(悪い、野梨子……。けど、これはキスじゃないぜ……。)
そして、給湯室へ急ぐと、勢いよく水を出す。蛇口の下に顔を持って行き、
凍りそうに冷たい水で、バシャバシャと乱暴に顔と口を洗った。
そして、最後にゴクゴクと水を飲むと、手の甲で口をぐいっと拭った。キュッ。蛇口を閉める。
ハァッ……。魅録はシンクに向けて首をうな垂れたまま、自分の口元を左手で覆い、
荒い呼吸をしながら、苦々しい顔をした。
「……やべぇ……。」

女と付き合わなかったからといって、中一以降、全く何もなかったというわけではない。
夜の世界にも足を運んでいた魅録は、年上の女たちから可愛がられた。
しかし、野梨子の唇の感触は、魅録に予想外の強烈な印象を残した。
初め、ひんやりとして、乾いていたそれは、次第にしっとりと湿り気を帯び、
柔らかく、優しく、そして甘く、魅録の唇を包み込んだ。
その感覚は水で洗い流したつもりでも、今もしっかりと自分の唇に残っている。
深い事を何も考えずに、ただ野梨子に薬を飲ませようとした行為は、
今、魅録の中の、眠れる何かを揺り起さんとしていた。

続く
526名無し草:2009/01/30(金) 10:53:15
>Graduation
カプセル注意書きを読んだ時点でどきーっ!ときてしまいましたw
さんざん読者をヤキモキさせた魅録の矢印が、ついに動き始めたんですね。
もうこのままなのかと思った所でこの展開。翻弄されまくりです。
卒業目前ですが一体どうなるの?
早く続きが読めないと心臓持ちそうにありません。
527名無し草:2009/01/30(金) 10:56:06
と、既に490kb超えてるようで。
すぐに続きが読みたいので、新スレ立てますね。
528名無し草:2009/01/30(金) 11:05:06
立てました。

◇◆◇◆有閑倶楽部を妄想で語ろう34◇◆◇◆
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1233280734/

この後の埋め立て、お願いします。
529名無し草:2009/01/30(金) 12:18:33
>Graduation
魅録の気持ちについに変化が!?
どうなるのかドキドキです。
続き楽しみです。

>>528
スレ立て乙です。
短編も連載も充実したスレでした。
作家さん方、ありがとう!
新スレでもたくさんの作品が読めますように。
530名無し草:2009/01/30(金) 16:58:08
>Graduation
野梨子の心の描写がとても素敵でした。読んでいてドキドキしました。
でもこのままだと、悠理と清四郎が可哀想で胸が苦しいよ〜。

スレ立てdクスです!



531名無し草:2009/01/30(金) 18:32:47
>>530
同じく。>>522のくだりなんてジーンとしてしまった。
めちゃくちゃ切なくて読み返すと泣きそう・・・
532名無し草:2009/01/31(土) 09:53:09
スレ埋めとして。
短編で好きな話について。
いっぱいあるけど、ぱっと浮かぶのだと
「彼女の傘」「天気雪」「しるし」  が好きだ。
533名無し草:2009/01/31(土) 13:57:32
私も天気雪好き。
あとは名前をあげはじめるときりがないけど、
マイナーどころ?で、ギャグ小ネタの「脱出!」
かなり古いので、知らない人がいたら読んでみて。
可憐と美童のセリフが何回読んでも笑える。
534名無し草:2009/01/31(土) 14:45:41
>Graduation
悠理がこれ知ったら死にそうで怖い
535名無し草:2009/01/31(土) 17:44:14
「Beginning is a trifling cause」の方、
今でも続き、待ってます。
536名無し草:2009/01/31(土) 22:24:21
「これ、いただくわ」「薄情女は〜」「ゴゼンニジノウタ」
続き待ってます。「病院坂」も…
537名無し草:2009/01/31(土) 22:54:02
では自分も。
「境界線」「正しい街」
どちらも本当にとっかかりの所までのうPだったけど、
すごくワクワクして読んでました。
何年も前に中断しているけれど、今でもお待ちしてます。
538名無し草:2009/02/01(日) 01:47:52
私も「脱出」大好きだ〜
可憐の「恨んでやるう〜」が、本編とシンクロしていて良かったね。
539名無し草:2009/02/01(日) 02:22:12
>Graduation
どんなに魅録と野梨子が惹かれ合っても、友達の気持ち知っているから、くっつくことできるの?
友情より恋愛とる二人は見たくないけど、二人の気持ちを知って悠理と清四郎がやせ我慢するのも嫌だし・・・
続きが気になる
540名無し草:2009/02/01(日) 11:53:16
自分も「これ、いただくわ」「薄情女〜」「ゴゼンニジノウタ」
待っています。早く続きが読みたいです。
541名無し草:2009/02/01(日) 20:14:36
夜を越えてとお江戸を未だに待ってます。
542名無し草:2009/02/01(日) 22:56:49
『菊正宗清四郎、マン』『紫色の衝撃』など、清四郎が真面目でマヌケなのが好きだ。
あとは、うた競作の『趣味の短歌』は上手くて面白くて大好きだ。
543名無し草:2009/02/02(月) 05:40:59
薄情女、自分も待ってます!
544名無し草:2009/02/02(月) 21:26:01
ギャグだったら妄想回転寿司がすきだ。
にやにやしながら読んでしまう。
545名無し草:2009/02/03(火) 00:02:22
『薔薇色の憂鬱』が好きです。
能天気を装って、薔薇を買ってくる美童に泣きました。
546名無し草:2009/02/03(火) 00:33:46
>>545
確かに、あの美童は良かった。野梨子との『銀の架け橋』も良かったし、旦那にするなら、
美童だな、やっぱ。
547名無し草:2009/02/03(火) 22:25:13
                      _  ,r―-、_
                 ,.--'" ̄=、`彡ニ -ー 、ー-、      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ./   =二、 vレ'二二ミ-、 __ \.     |
               / , /二==ミミY/  二ミ }ト、ヽ. ヽ..  │
              /.///,r、=-、ミY/ r'"ハ ミ jj ハヽ\l!.   |  次スレも楽しみましょ!
              |  ィ l ハミヾ、ヾヽ〃〃' }.j ,ィリ| | |ノハ   |
             /  |ハ ヽ.\          | | .ハイ,イヽヽ `ヽ、\
           _.ノ j  ヽヾ il }       ヽヽ ヾヾ\\_ノ、  l  ヽ.__
          / _ノ.j  .| v'〃ー-.、     ,..-‐ヾ、__ヽ \} .|     ノ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ( /r' / _.ノ jj' _,..--..._`:   r;ニ-;-;_ ,,ミ ヾヽヾ.} 川
         ゙i   /  /イjゞ'-―-ヾ   ィ'匹フ;ミニヾミ   ノ ノ八
         |ハ.  (  ./ ∧ ~        ´~~.`  ハ l /ハ!,r'~} ~`ー-、
        ノ ハ ヾヽ ヽ l .ハ      _  _      ./ノ / ..y'7. | __.ヽ.  l
    ,r‐' ̄   ノ  \\ \∧.     ゙ '~     ∧ilイノ .V,.┤ |/7 )) ,}
    j   r―'    ハ l ハ ハ   =;;;-;-;;=ァ    / / ) // ,l「./ / 〃 ハ
   r' i  (  / 彡,.リ ,レ  ,へ   ゙ー-‐''   ,ィ' ノ ,ノ./ j レ'゙ ∧ l l  ヽ
   ヽ ヽ ミ 爪 ______rイ\     ./ |./ ノ.ノ / / /(  ≧、ヾ ヽ.\
    \、ヽ )./T        ./ |  `:::-::::-'"  / イ  .ノ / /:、 \ヾ  ) ) )
      l  / !        /  ヽ       / _,..-‐'  ./ハ ヽ } \( ( /
  ,.-r‐'  /   i!       .|    \     ,イ ..:'    //ノ  ノ ノリ ヾ  (
  l    .| i  !        ヽ.    ヽ-。-'~ { ,!    / ( l   ヽ{(   )  \
548名無し草:2009/02/03(火) 22:25:56
                   .i ハレ, /,
                 _、ゞ゙`   ´ <シ
      / ̄ ̄ !゙ヽ       シ、=ミ゙≧__   ミ
      i'  .,rr`!~''i~i.}     ̄j ,;ヘ ミ:_   、シ
      |,-、i_{{ゞ、L,j.      リfiラ゙ シへ  ミ
      li ァ`'ー' 'ー゙l!     .ノ   ij´.j='ヘ;;Y´
      ,オ、lj rrrr、イ      ~ゝ  _/   从、
  _,.--‐'゙ ヾ、ヽ〉``` ス__.    ヽ-へ._r=彡'  `ー‐--、
 /      ゙(.  /    ヽ   / ̄ l|l、.         \
 |       ,:〕__);、     |  |    lli           ヽ

549名無し草:2009/02/03(火) 22:26:22
   -=、v'彡x=、
 ノr ,ゞ〃  ≧、
〃彡ィ爪 !!ヾ、ー ヾミ、
”j.てへ)iミ-へヾ ゞ、!゙
  "lー゚ ゚―' ト、ヾリ
.  ( (二二);j.6)ノ
   `ーr―_.I^ソリ`
. / ̄ハ.レ' .>―;へ.
 |  ク~「`ぐ  o/ |

       ,r' ̄ ̄ ̄ヽ
      /       \
     ./     |i_|i_l
    /    「>、!< |.|
   / / i  | O O | l
   >'ーァ1_i|j lj  ノ ヽ
   jヽ   \ヽ.><」i'‐┘
  /   |   \∧「  |
550名無し草:2009/02/03(火) 22:27:10
次スレは

◇◆◇◆有閑倶楽部を妄想で語ろう34◇◆◇◆
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1233280734/
551名無し草:2009/02/03(火) 22:28:35
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            \このスレ終了だゴルァ!! /
 パチパチパチパチ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄パチパチ
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552名無し草
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          '´ `ー-ミv'〃彡三ー=ヾー、
        /´ ̄ ̄`ー、ヾ '/ ,.== `゙ミ、 ヽ\          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       /  ,.=ニ三三,.-、 〃 、ミヾ ヾヽ`ヽ ヽ.        |
      /,r' /〃//,シ  `   ヽ.ヽ  \ ゙ミ l        |      僕
     ./// ./  / l jl  i  ハ    i ヽ   i i i .l.        |     を
     |,l l .i〃 il | リ  | 川 i、 l ヽ ゙ミ、 tt ミ、 ゙i.       |     忘
     .| li ll jll || |ハハ li、l ミヾヾヾミ、 ミヽ\ミ|l|ト  l.      |     れ
     | l|l||l l ! ||.|l.|i!.ト.l ミミヾヾ\ヾ\ ト、ト、ヾ、|l|  |.       |     る
    .|  .|   ||-ァ_人ヾ、\ヾ、\\_,ゞ、ヽ\ヾ、l ミ l       |      な
    l  | |  リノノ三=-ミ ` ー'彡三-ヾ\ヽ\i! ミ |     |      ん
     j i |,リノノ=”"~(・)`ヽヽ  〃'~(・)~`ミヽ\ヾ\ヾ |.      |      て
    j .l |/イ∧. "'ァr r ' `, l   ` r r '`` 入 ヾ、゙ミ、|      |       :
   j i| j 川ハ      / |        ハリヽ ミ ヾヽ.     |       :
  ./ lij リl バト、l      ... __, ..      /~ 人 ミ川ヽ\.  │       :
  / ,川 川ノ | li.iト.       ` '      ./ーイ 川V|l l|.ハ ヽ. 人_____
. / /ノノ jj/  川 トヽ.   ..--,,---..   ./ll,リ.トil |i|.ハ |゙ .l ヾ、
/ / / ,//  ,リ || | |ミヽ   ー― "   イハl l | l |j ! li  ト、 \
/.l /,イ/l l  || ハ |! i i |.\       / .L_ハ  /  ハ.  | ハ ト、
.,j l川 l/ i i| | | |.r'ニ|  ヽ..   /  .レ ゙┐、 l il | |  ||、 ハ. ヽ.
 ,川 |l ,イ ii| | リ  |( .|     ̄   ./  .|)ハ)| | i|||  j l ).ハ ヽ
 トイ .|| j|.l j.|!.| 爪 .| `ー、 __,..-‐'"    | ,川 | ||.| || | ハ li  l
||.ハ ii川.|.川 以-┤   | |          人_i.八. N li | |レ | || .|