山野様とティーパーティーしたいスレ

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602山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ
>僧兵という存在があって戦争をしていたと習った記憶があります
>昔のお坊さんは兵隊の役割もしていたのでしょうか
まず、「僧兵」という言葉が適用された中世という時代を考える必要があります。
中世とは、単純に言えば「自力救済の時代」でした。
個人であれ、組織であれ、独力で外部からの干渉をはねのけねばなりませんでした。
そのために必要とされた複数の力の一つが武力です。

大寺院や大社もまた組織として存在していた以上、武力保持は当然のことでした。
僧侶だけが武装していた訳ではありません。
「刀狩」に象徴されるように、武士以外もあらゆる人が武装するのが当然でした。
こうした「中世の需要」が僧侶・教団の武装化を求め、かつ容認したものです。
そもそも、「僧兵」という言葉自体、「僧侶が武装するのはおかしい」という常識
が出来ていた江戸時代に出来た言葉で、中世は言われなかったものです。
603山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/08/06(水) 21:52:05
>それからお坊さんなのに人を殺しても許されたのでしょうか
こう言った意見は勿論存在しており、反論も複数存在しています。
寺院を護り、仏教を護り、衆生を救うためだというのが主な理由です。
また、寺院を破壊するような人間を殺すことは、自らが殺生の罪を犯して相
手が罪を重ねる前に殺してあげるのであり、慈悲とする見解もありました。
結局、現に戦火が存在していた中では、反論が勝利せざるを得なかった。

寺院に限らず、武装した複数の権力が存在していたのが中世です。
現代のような僧侶に対する常識は(そのままでは)通用しませんでした。
なお、織田信長はこれらを全てつぶすということはしておらず、自分に従う
ようであれば、寺社の所領を安堵していました。

>>601
>釈迦にも前世があったんですねー
かつての日本の仏教では「釈迦は遙か昔に悟りを開いて仏になっており、王
子として生れてからの成道は人々に悟りのありがたさを伝える方便」だとい
う説が受け入れられていました。
今いう「歴史上の釈迦」よりも偉大な存在扱いですね。

>年いって本当に貧乏になってから
お金があると書けないか、面白くないかもしれませんね。

>お金抱えてるってところが最高にいいですw
ただ、本人はあまりお金には執着していなかったようですね。
604名無し草:2008/08/06(水) 22:01:54
中世は自力救済の時代だったのですか
いいですねって言っちゃいそうだけど今とはやはりだいぶ意味が違うでしょうね
なんとなく仏教と離れて単なる権力集団のような感じもしますが

>>603
お金への執着というより
他人を信用してない感じがいいですw
服も着込んでたとか
605名無し草:2008/08/06(水) 22:02:58
山野先生ありがとうございます
教えていただいて感激です!
すごくよくわかりました
山野先生の説明のおかげでガンジーや十字軍を思い出したので
自分でも勉強してみます!
606名無し草:2008/08/06(水) 22:05:07
>>603
その釈迦の前世ってキリスト教の父と子と精霊とかいうのの父の部分とか
モハメッドがアラーの預言者って立場とかと似てますね
権威付けに有効な感じだったのかな
607山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/08/06(水) 22:20:26
>>604
>なんとなく仏教と離れて単なる権力集団のような感じもしますが
逆というか、違うと思われます。
組織が自律(自立)している以上は権力集団にならざるを得ず、その正当性
が仏典によって改めて説かれたということです。←中世当時の話
そもそも、この時代に仏教以外に道徳観念を説く根拠となるものが他にあ
りません。儒典も僧侶が講じていましたからね。

>仏教と離れて
現代人の考える「仏教」の役割が当時に比べて狭すぎるのですよ。
当時は極端な話、どちらの足から踏み出すかも全てこれ仏教、でした。
これには異論もありますが、仏教に対抗する宗教的論拠を見出せていない以
上、成立しえないと思われます。

>>605
ただ、十字軍が信仰に由来したのに対し、中世寺院の武装は中世という現実
に適応したなど、違いもありますね。共通点もありますが。御文運を。

>>606
釈迦の教え通りなら、「過去七仏」やそれ以前の仏、未来の仏も存在しうる
というのが後代の僧侶たちの考えたことでした。
しかし、そうなると釈迦の存在も無数の仏の中に埋没してしまいます。
それをふせぐために、釈迦は遙か以前から仏であり、無数の仏はその分身だ
という説が説かれたものでしょう。

もっとも、キリスト教やイスラームとは異なり、創造主という性格だけは最
後まで付加されず、凡夫のなれる仏と本質的には同じ存在であり続けました。

それでは、今夜はこれにて。ありがとうございました。
608名無し草:2008/08/06(水) 22:30:18
>>607
>どちらの足から踏み出すかも全てこれ仏教
今よりも仏教の色が濃いというか影響の強い世界だったのでしょうか
外国見るとちょっとそんな感じがあったりしますね

レスありがとうございましたです
お休みなさいですー