宮内庁職員が前例と言ったのは、天皇がなくなった時の前例
つまり明治天皇や大正天皇の崩御の時に倣ったんだろ。
貞明皇后と比較しても意味無いよ。
普通に考えればそう
>>900 昭和天皇は貞明皇后の喪中に婚約発表させているけど?
>>901 そして祝福されている
それは世相だったのかな?
貞明皇后崩御の当時は朝鮮戦争の渦中で、
第三次世界大戦が来るかもと考えていたそうだ
@母宮貞明皇后とその時代
順宮も礼宮も両方喪中婚約でOK
前に天皇の葬儀は国葬で、皇太后の葬儀は皇室葬だとホラ吹いていた婆もいたよなw
服喪令がなくなって皇族の喪は一律1年ということになったんだろ?
そういう不文律で。
戦前の服喪令では孫の服喪期間は150だということでは?
宮内庁が天皇の葬儀と他の皇族の葬儀を区別して考えている以上
同じ「大喪」という名がついても天皇の「大喪」とその他皇后、皇太后などの「大喪」とは
内容(服喪期間を含む)が違っていると考えるのが正しいと思う。
>>902 礼宮のときだって国民は祝福したじゃん。
>>906 >宮内庁が天皇の葬儀と他の皇族の葬儀を区別して考えている以上
>同じ「大喪」という名がついても天皇の「大喪」とその他皇后、皇太后などの「大喪」とは
>内容(服喪期間を含む)が違っていると考えるのが正しいと思う。
違っているのが正しいと思うって、それは単にあなたの感想や願望に過ぎないよ。
皇室服喪礼では天皇の喪も皇太后の喪も、同じ大喪だと書かれているんだから。
では、礼宮自身が喪中婚約だと発言したのは何故だ?
>>909 戦後において服喪に関する規定はない。
単なる不文律で1年ってことになったんだろ。
前例に従うのが宮内庁や皇室の伝統であるならば、皇太子殿下が会見で、
昭和天皇が貞明皇后の喪中に厚子内親王の婚約発表をさせた前例を引き合いに出して、
一部のマスコミを厳しく非難されたことこそ、あの婚約発表は皇室の伝統や
前例に倣ったことを物語っている。
大正天皇や明治天皇崩御時の前例に倣って一年間の服喪期間となったんだろう。
単なる不文律ではない。
>>911 貞明皇后の大喪のときは、昭和天皇は1年間の喪に服した。
香淳皇后が崩御されたときには、今上天皇の服喪期間は何日だったの?
前例に倣うのが皇室の伝統であるならば、今上天皇は1年間喪に服しなければ
ならないけど。
今上は1年間喪に服されたんですか?
211 :最新の服喪期間:2007/08/29(水) 03:45:34
2007/08/29時点
●亡くなった方が皇族の場合
1 天皇(昭和天皇 1989年1/7日崩御) 皇族全員→1年
2 皇太后(香淳さま 2000年6月16日崩御) 皇族全員→150日
3 家族のない宮妃(高松宮喜久子さま 2004年12月18日逝去) 皇族全員→5日
4 家族のいる宮家当主(高円宮憲仁親王 2002年11月21日逝去) 皇族→5-90日
●亡くなった方が民間人の場合(入内した妃の身内)
5 父母(正田英三郎 美智子さまの父 1999年6月18日逝去) 美智子さま@皇后のみ→90日
6 祖父母(江頭豊 雅子さまの祖父 2006年9月26日逝去) 雅子さま@皇太子妃のみ→30日
(参考)
亡くなった方が民間人の場合、服喪期間が新聞で発表されるのは身内の妃殿下のみ
>>211修正:祖父母(江頭豊 雅子さまの父 → 祖父母(江頭豊 雅子さまの祖父
>>913 だから、戦後は決まった服喪の決まりなんて無い証拠だよ。
前例に倣わずにコロコロ変わっている。
『平成皇室事典』稲生 雅亮 ・ 松崎 敏弥 監修
■貞明皇后大喪儀
戦後初めて行われた大喪儀は貞明皇后の大喪儀である。貞明皇后は昭和二六年
五月一七日、大宮御所で崩じられたが、戦後初の大喪儀ということで政府と宮内庁
で検討した結果、「準国葬」というとり扱いになった。
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の大喪儀は夜間行われたが、貞明皇后の場合は旧
「喪儀令」を簡素化して戸島岡墓地内葬場)と多摩東陵の陵所で昼間、霊柩馬車を使
用して行われた。葬儀は「皇太后大喪儀」の名称で「大喪儀委員会」が設けられ、当
時の田島道治宮内庁長官が委員長となり、旧「喪儀令」にほぼ沿った儀式が行われ
た。
『平成皇室事典』稲生 雅亮 ・ 松崎 敏弥 監修
【天皇大喪儀】
皇室典範には、天皇が崩御したときは、大喪の礼を行うとあるが、葬儀の細目につ
いては、何の定めもない。要するに時代に応じて旧皇室葬儀令に準じて行われる。ま
た服喪については、天皇が大行天皇、太皇太后、皇太后、皇后のために服喪するこ
とを「大喪」といい、そのほかのかたがたへの服喪を「宮中喪」といった。これらの規定
は戦前は旧皇室服喪令によって厳しく定められていたが、戦後、「大喪」「宮中喪」とも
廃止され、かなり緩和されている。昭和六四年(平成元年)一月七日崩御された昭和
天皇の大喪の礼は以下のように執り行われた。
秋篠宮様・紀子様と親王様・内親王様大好きスレ第十章
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/ms/1192284368/ 170 :可愛い奥様:2007/10/16(火) 21:18:38 ID:htFtF9aa0
画像板よりおもらい。
どうか、御自分の御仕事の収入だけでも予算にプラスして頂きたいと願っております。
>>紀子様は、もう少し華子さまのように、私たちの目を楽しませていただきたいなあと思います。
確かベストドレッサーに選ばれたことはありませんよね。(美智子さまはおありでしたが)
宮家の予算は限られているのですよ。
お子様のいらっしゃらない華子さまや、裕福なご実家から衣装代のご援助を受けられた若い頃の美智子さまと、
限られた予算の中で、親子5人の生活を考えなくてはならない紀子さまとでは、
ご自分のお衣装にかけられる予算が違っても仕方のない事です。
なるべく着回しの利く無難なデザインのものを何度も着回していらっしゃる紀子さまの姿勢は、納税者として好ましいものに感じられます。
最近はお若い頃のお洋服をリフォームして着回していらっしゃる写真もお見かけしています。
ご予算的に色々と厳しいものがあるのではないでしょうか。
171 :可愛い奥様:2007/10/16(火) 21:23:55 ID:htFtF9aa0
続き
服代、生活費、教育費、医療費、宮邸の私的な職員の給料、これだけではありません。
なんと、公務の旅費まで宮家の方は自分持ちなんです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
公務を依頼した側が謝礼を出してくれる場合もあるみたいですが、強制ではありません。
つまり、働けば働くほど貧乏になる。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
天皇家と東宮家は宮廷費(オフィシャルマネー。公務にかかる費用はここから出る)と内廷費(生活費)は別だから、
働けば貧乏になるなんて事にはならない。でも働かないと予算が余(ry
秋篠宮家の公務に関しては、両陛下・天皇家と同じく「宮廷費」から賄われています。他の宮家の方々も同じ。
ただし、宮廷費から払われているからすき放題使えるというわけではなく、
全体の公務に使う額は【天皇>東宮>筆頭宮家>その他宮家】という風に格によって配分されていますから、
どちらにしろそれほど使えるというわけではないし、
東宮や両陛下が公務に行かれるのにグリーン車を一両貸しきるとすれば、
秋篠宮家の場合は前後の席を確保するという格差は当然あるでしょう。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
これでも
『寄付される』のなら、泣いてお止めします
172 :可愛い奥様:2007/10/16(火) 22:13:46 ID:1dHxBLp30
>>170>>171 宮家が公務のお金を皇族費から払わなければならないなんてデマもいいとこ。
公務に関するお金は宮廷費から出ます。
で、171にあるように、宮廷費から出るのだから交通費・服装の費用に宮家と
両陛下および東宮家の格差があるのは当たり前です。
仮に印税が入ったとしても、それをグリーン車貸切の費用にしたり公務のときの
服をあれこれ勝ったりはなさらない。てか、できないと思うが。
確かに宮家のお手元金である皇族費は両陛下や東宮家に比べると安い。
これは、戦後日本にお金のない時代、皇族方にかける費用がなく、だからといって
天皇・皇后や東宮家にあまりにもみすぼらしい扱いをするわけにもいかなかった
シワ寄せが全て宮家に押し付けられたことに端を発していると思います。
当時、宮家の皇族費は決まった額の7割しか支給されず、運転手を雇うお金すら
なかったそうですから。
とはいえ、日本には皇族にかかる費用が多すぎる、と考えている人々がいることも
事実であり、そのためこれまで天皇家を始めとして皇族方はなるべく質素に
暮らしてこられた。秋篠宮家はまさにその伝統を踏襲していらっしゃるのですから
それでいいと思います。
むしろそれでこそ秋篠宮家、ではないでしょうか?
もちろん、宮内庁病院における医療費や御料牧場の食料は内廷皇族はタダ
宮家は全額払うなどの時代錯誤の不合理な不平等は直ちになくすべきだとは思いますが。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6800/news/20060906ic02.htm 新宮さまに今月分から「皇族費」定額の1割を追加支出
新宮さまには、皇室経済法によって、
国から年度ごとに年間生活費の「皇族費」が支出される。
皇族費は定額が3050万円。
秋篠宮家の場合、秋篠宮さまがその全額、紀子さまが5割、
眞子さま、佳子さまがそれぞれ1割で、
ご一家に年に計5185万円が出されている。
新宮さまも定額の1割で、9月分から追加支給されることになる。
宮内庁関係の費用は、
皇室の行事や皇室の生活費の「皇室費」(今年度は約68億5200万円)と、
宮内庁の人件費や事務費などの「宮内庁費」(106億6200万円)
に大別される。
皇室費はさらに、両陛下や皇太子ご一家の私的生活費となるお手元金の
「内廷費」(3億2400万円)、儀式や外国訪問など皇室の公的な活動に
必要な経費などの「宮廷費」(62億5400万円)、
宮家皇族の生活費の「皇族費」(2億7400万円)に分かれている。
(2006年9月6日13時59分 読売新聞)
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/takedatsuneyasu/koshitsu72.html 皇室のきょうかしょ
vol.72 皇室と税金
皇室と税金は無関係だと思う人も多いことでしょう。ところが、ある部分では非課税ですが、
基本的には一般国民と同じ納税の義務があることはあまり知られていません。
天皇家と皇太子家を「内廷(ないてい)皇族」といい、
それ以外の皇族を「内廷外皇族」といいますが、内廷皇族には「内廷費」が、
そして内廷外皇族には「皇族費」が歳費(さいひ)として国から支払われます。
所得税法第九条は、これら内廷費と皇族費は非課税であると規定しているため、
内廷費と皇族費は源泉分(げんせんぶん)が差し引かれることなく
満額が支払われます。
皇室に関する予算について、詳しくは第10回「年間の皇室費用は戦闘機1.5機分」を参照してください。
(中略)
皇室経済に関しては、占領下に「日本国憲法」と「皇室経済法」
「皇室経済法施行法」という法律によって定められたまま、現在に至ります。
皇族は医療保険もなく、いざ大きな病気にかかられた場合は、
全て決められた歳費の中でやりくりをしなくてはいけないという問題があるほか、
皇位継承権のない愛子内親王殿下は皇太子家なので養育に大きな予算が組める一方、
三番目の皇位継承権をお持ちの秋篠宮家の悠仁(ひさひと)親王殿下は、
内廷外皇族なので養育に限られた予算しか組めないという矛盾もあります。
そろそろ皇室経済法などを見直してもよいのではないでしょうか。
>>912 貞明皇后(崩御時は皇太后)→
@子(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)は1年
A他の皇族は150日
香淳皇后(崩御時は皇太后)→
全皇族150日
---------------------------
高淳皇后のときは
貞明皇后のときの「@子(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)は1年」がなくなって
Aが残ったのでは
http://allabout.co.jp/finance/assetmanagement/closeup/CU20060912K/ 皇室の家計 悠仁さまご誕生でこう変わる
秋篠宮家の年間予算は5,490万円
天皇家以外の宮家の皇族費は家族構成により決まります。
2006年度の当主の基本定額が3,050万円、妃殿下にはその半額の1,525万円、
子どもたちは当主の定額の10分の1の305万円です。
子どもの予算が、成人すると3倍になるというルールも興味深いものです。
今回の親王ご誕生で、秋篠宮家の予算には子ども一人分の305万円が
追加されこととなり、秋篠宮家の皇族費は総額5,490万円となります。
一般の家計と異なるのは、住居費でしょうか。
秋篠宮は赤坂御所の官邸にお住まいですから、住居費はかかりません。
さらに、宮内庁で手配した9人の職員たちの給与も公費(宮廷費)でまかなわれています。
5人家族で5,000万円台の収入といえば、庶民のレベルからいえばうらやましい限りですが、
国民の注目を浴びている著名人の収入としては、法外なものではありません。
家計のスタートは皇族離脱の一時金5,420万円から
戦前に比べて宮家の予算が小さくなったことには、理論的な根拠があります。
それは、敗戦後の法律改正にさかのぼります。
皇族に対する優遇、恩恵を削減する作業で想定された条件は、
公費は75%、あとの25%は自分の仕事や運用でなんとか自立してほしいというものでした。
そうはいっても、現実に秋篠宮さまがどこかで働かれて
給料をかせぐということはむずかしいですし、
さまざまな名誉職を受けられてもお受け取りになる報酬には
法令による制約があり、ままなりません。
宮家の経済状態は世間の予想を裏切り、それほど潤沢ではありません。
ですので、天皇家から離れて自立されたときに、一時金がでます。
1990年6月に秋篠宮さまが紀子さまと結婚したときには、
5,420万円が天皇家離脱の一時金として支給されています。
将来は天皇となる可能性のある悠仁さまの生活費が305万円というのは、
意外な気がいたします。
皇族といえども、資産運用を禁止されているわけではありません。
ここからは想像の域を出ませんが、秋篠宮家でも、
特別なファイナンシャルアドバイザーを雇って
資産運用をされるのではないでしょうか?
もちろん、宮内庁のお墨付きのアドバイザーであることでしょう。
婆が貧しい貧しい言うほど秋篠宮家は貧しくもないし、
>>921の表では二番目に多くの額を支給されている。
>>918 171 :可愛い奥様:2007/10/16(火) 21:23:55 ID:htFtF9aa0
続き
服代、生活費、教育費、医療費、宮邸の私的な職員の給料、これだけではありません。
なんと、公務の旅費まで宮家の方は自分持ちなんです。
------------------------------------------------------
自分持ちなのは>服代、生活費、教育費、医療費
宮廷費から出る>宮邸の私的な職員の給料、公務の旅費
また、
>宮廷費から払われているからすき放題使えるというわけではい
それは天皇や東宮家も同じ。
>>914 そのとおりだと思う
戦後の典範で既定されているのは、天皇の葬儀が「大喪の礼」である
という、それだけ
皇族が、今上に倣って一年の喪に服すのは慣習法による
--------------------
皇太后さまご逝去 お別れ、古式伝えて 「皇室行事」で葬儀、武蔵陵墓地埋葬へ
2000. 06. 17 東京朝刊
にもかかわらず、貞明皇后の葬儀が準国葬となった背景について、
古参の宮内庁職員は、「あのころは憲法解釈も混とんとしていて、
今のように厳密な政教分離の考え方は浸透していなかった」と振り返る。
これに対し、今回の皇太后さまの葬儀は、国の行事とせず「皇室行事」
と位置づけられる見通し。何事も前例を重んじる同庁としては、極めて異例のことだ。
---------------------
今後は昭和天皇・香淳皇后の例に習うだろうから、
天皇の葬儀は、皇室行事の「葬場殿の儀」と国家行事の「大喪の礼」
皇后もしくは皇太后の葬儀は、皇室行事
>今後は昭和天皇・香淳皇后の例に習うだろうから、
>天皇の葬儀は、皇室行事の「葬場殿の儀」と国家行事の「大喪の礼」
>皇后もしくは皇太后の葬儀は、皇室行事
皇室服喪令では、天皇、皇太后、皇后の葬儀は大喪。
貞明皇后の葬儀も、昭和天皇の葬儀も大喪儀と呼ばれた。
貞明皇后が崩御したのは昭和26年。
そのときには皇室服喪礼の効力は無くなっていたが、戦前の例に
倣って「大喪儀」として準国葬として執り行われた。
貞明皇后(崩御時は皇太后)→
@子(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)は1年
A他の皇族は150日
香淳皇后(崩御時は皇太后)→
全皇族150日
----------------------------------------------------------------------
貞明皇后のときは、皇室服喪例に準拠して「大喪儀」として準国葬の執り行われた。
昭和天皇のときも大喪儀。
淳皇后のときは 、皇室行事として執り行われた。
貞明皇后の例から類推して、大喪の際の、子の服喪期間は1年間。
孫の服喪期間は150日間、
だということでは。
『平成皇室事典』稲生 雅亮 ・ 松崎 敏弥 監修
【昭和天皇大喪儀】
昭和天皇が崩御された翌日昭和六四年一月八日に開かれた「大喪の礼委員会」で、
「国の儀式として、憲法の趣旨に沿い皇室の伝統(旧皇室喪儀令、貞明皇后大喪儀な
どを参酌する)などを尊重して行う」ことが決められた。
戦前の大喪儀は、内閣がおっさいをとり仕切り、「大喪使」がおかれ、本葬にあたる「斂
葬」は夜間行われたが、昭和天皇の場合は平成元年二月二四日、政教分離のたてまえ
から、「大喪の礼」は国事行為で、「葬場殿の儀」は皇室行事として新宿御苑で早朝から
行われた。
また、一月くらいしたら、礼宮は昭和天皇の孫だから
服喪は150日と怒鳴り込んでくる奴が現れそうだ
>>930 皇室典範では天皇のみ大喪とすると決まっている
その時点で天皇と皇太后の扱いを変えてもいいとする概念はすでに
あったと考えることは可能。
また、香淳皇后の喪においては
1.期間は大喪より短く
2.全皇族同じ期間
である。つまり、皇族および宮内庁にそういった合意が形成されており、
それについて国民から大きな異論もなかったと記憶している。
それに近い時期・および皇族のメンバーもほぼ同じ昭和天皇の崩御において、
全皇族同じ期間とする合意があったとしても不思議は無い。
これだけ多くの資料が貼ってくれる人がいるのに、次スレでは天皇の葬儀は大喪で
準国葬。皇太后の葬儀は宮中喪。
扱いは違う、と喚き散らすんだろうな、婆はw
>>932 礼宮が喪中に婚約したという現実をどうしても受け入れられないのだろう
>>933 いちおう、香淳皇后の時にも「皇太后大喪儀委員会」が設置された
旧典範に準拠して行われた昭和26年の貞明皇后…大喪儀(準国葬)
現典範に前例を加味して行われた昭和天皇…大喪の礼(国家行事)葬場殿の儀(皇室行事)
現典範に明文法がない皇太后の葬儀/香淳皇后…大喪儀(皇室行事)
>>935 ネットでしか見たことがない>昭和天皇の喪が孫だから150日
宮内庁と本人が喪中婚約を認めているんだからこれ以上のソースは無いよ
前例があり、家族(親・兄・妹)も祝福している
やかまし屋はともかく、一般国民も祝福した
なぜ受け入れられないのかが、本当に理解できない
>>935 どうしてそんなに喪中に婚約したことにこだわるのかね?
昭和天皇だって喪中に内親王の婚約を裁下している。
それに旧皇室服喪令に従えば、既に喪はあけている。
どうしてこの事実が受け入れられないんだろうか?
>>937 皇室服喪令や多数の資料がここに貼られていても、まだそんなこと言うか(呆
天皇陛下と宮内庁が許し、皇室会議において前回一致で認められ、国民から
祝福されたあの結婚をいまだにケチつけるんだろうか?
貞明皇后の葬儀も昭和天皇の葬儀も大喪儀。
昭和天皇の大喪儀は、貞明皇后の大喪儀を参考にして執り行われた。
天皇の葬儀だけが大喪だと言い張っているのは、ここの住人だけだろ。
「天皇の喪は大喪」と書いてあるけど「天皇の喪だけが大喪」とは
書いてなかったよ
どこかにあった?
中央公論 2006年11月号
皇室典範改正は避けられない 井上茂男(読売新聞編集委員)
兄弟間の差は歴然
宮内庁の組織は「宮内庁法」や「宮内庁組織令」などによって決められている。そ
れらに基づく秋篠宮ご一家と皇太子ご一家のお世話の体制が大きく違う。
秋篠宮家などの宮家のお世話については、宮内庁組織令に基づいて長官官房に
「宮務主管」が総括特命担当として置かれ、宮務課が皇族に関する事務をつかさど
ると定められている。そして各宮家に「宮家付」が配置されている。
一方、皇太子ご一家のお世話を担う「東宮職」は宮内庁法で「皇太子に関する事務
をつかさどる」とされている。
宮内庁秘書課によると、その定員は秋篠宮付が九、東宮職五一。秋篠宮付の職員
か環境省から出向している宮務官のほか、侍女長、次女長補、事務担当の主査三人
、運転担当二人、料理担当となっている。このほか身の回りのお世話をする私的職員
が二〜三人いる。
一方、東宮職は前ロシア大使の野村一成・東宮大夫をトップに、東宮侍従長、東宮
侍従五人、東宮女官長、東宮女官三人、東宮侍医長、東宮侍医三人がおり、庶務や
行啓、会計、監理などの事務職員が一三人、看護師四人、身の回りのお世話をする
女嬬などがいる。
秋篠宮付の定員には運転の担当と料理の担当が含まれるが、東宮職は運転や料
理・配膳担当は別。皇太子ご一家の運転を担当するのは車馬課配車第二係の六人、
料理を作るのは大膳課厨房第五係の五人、配膳を担当するのは大膳課主膳第二係
の五人で、東宮職以外にも計一六人がお世話に携わっている。
これらの職員を含めると、皇太子ご一家のお世話係は計六七人になる。一人当たり
の職員数を計算してみると、定員では秋篠宮ご一家一・八、皇太子ご一家一七と約九
倍の開きだが、運転や調理担当を加えると皇太子ご一家は二二・三三人になり、その
差は約一二倍に広がる。
>>941 亡くなった方が天皇であり、今上がその喪に1年間服するときは
皇族も全員それに倣って1年間服する
中央公論 2006年11月号
皇室典範改正は避けられない 井上茂男(読売新聞編集委員)
皇太子ご一家のお世話は、両陛下の「侍従職」などと同様、当直を置いているため
にどうしても人数が必要で、これでもギリギリの陣容だという。
この体制の違いがお出かけ先の調査に表れている。両陛下や皇太子ご一家のお出
かけでは必ず事前調査が行われるのが、秋篠宮家は「ぶっつけ本番」が常態化してい
るという。
医療体制も違う。
東宮職には東宮侍医長も含めて四人の医師がいて、二四時間体制で詰めている。し
かし、秋篠宮家など宮家に常駐する医師はいない。
宮内庁は二〇〇一年十月から、秋篠宮さまの地方での公務に宮内庁病院の医師一
人を同行させているが、それは秋篠宮さまに軽い不整脈があるためだ。紀子さまの出
産や、眞子さまや佳子さまの病気などは、ご夫妻の意向もあって、かかり付けの医師
に任せているという。
悠仁さまが生まれて、宮内庁は秋篠宮家に看護師三人を公費で配置した。宮家のお
子さま担当の看護師は私的に雇われており、宮内庁が公費負担としたのは初めてだっ
た。うち一人が宮内庁職員として採用されたが、今年度中は欠員枠を使ったため、定員
にはカウントされないという。
一方、愛子さまの場合は、誕生後に看護師四人が公費で置かれ、その後、小児科の
侍医一人、愛子さま担当の侍従一人、看護師二人、お世話係の出仕一人の計五人が
増員された。