1 :
名無し草:
それまではテクニック重視バンドみたいなのをやろうとしてたから、
その部分は三柴君とやればいいんだろうと思って。
でも、そのバンドをやめた理由は、
やっぱりテクニック至上主義に疲れてたからだろうね。
結局三柴君がやろうとしてたのに近いようなことの
ハードロック版というかさ。
ハードロックって、そういうとこあるじゃない。
”おぅら、ギターこんなにメケメケ弾けるゾ!”みたいな。
★★ ★
★★ ★
で、その壁も見えてたから、
そこに正面から取り組むか、
どうしようか悩んでた時に、
大槻の存在が見えたわけ。
すごく三柴君がうらやましく見えたのね。
三柴君があれだけピアノにはまっていられるのは、
やっぱり大槻のあの部分が大きいんだろう。
これはいいゾと。
俺は今まで通りテクニック至上主義でいられるし、
三柴君とそういう部分は堪能しながら、
それでいてテクニック至上主義バンドが
陥りがちな盲目の部分、
それは大槻がいる限り解放されてるわけだからさ。
で、やろうと思ったんだよね。」
■しかし、実際には橘高の描いた青写真は
もろくも崩れ去ることになってしまう。
橘高が正式なオーディションを受けたその当日、
三柴が脱退を表明したのだ。
しかも、その時橘高には、
まだこの事実は知らされていなかった。
【7】数々のメンバーチェンジ
■数々のメンバーチェンジを繰り返してきた波瀾万丈の、
筋少の歴史の中でも、
最大の事件といえるのが、
三柴の脱退だった。
デビュー2年目、これからが勝負という矢先、
サウンドの要である彼の脱退は誰の目にも致命的と写った。
当時の状況を大槻はこう述懐する。
大槻「『シス・ベリ』作った頃はもう、
エディはまだ言わなかったけど、やめる気だったのね。
で、一回能野さんが心配して
”このままでいいんだろうか”
なんて話をしていて、
俺は全然そんなのわかんなかったから、
”大丈夫だよ、なに心配してんだよ”とか言ってたの。
で、横関さんがヘルプだからじきやめるってことで、
新たなギターを入れようって話をしてたら、
エディが”実は、やめるよ”って言い出したの。
”ガーン! これで解散かぁ” と思ったけどね。
だから『シスター・ストロベリー』はエディがやたらにやってたよ。
で、その後のツアーはエディと横関さんだけは新幹線で、
我々はワゴン車で移動してたんだよ。」
★★ ★
★★ ★
■当時の険悪なムードを如実に物語るようなエピソードだが、
精神的に参っていたのは大槻だけではない。
もう一人のオリジナル・メンバー内田にとっても、
三柴脱退は最もヘヴィな出来事だった。
内田「バンド内の人間関係というのを、
一応取り持ってたつもりなんですよ、僕は。
で、デビューして疲れちゃって、
いい加減にしてたらそういうことになっちゃったんで。
………うん、
僕のせいだなっていう風に思っちゃったからね。
いつかはやめるなとは思ってましたけどね、
入った時から。
まあクラシックの人で、
ピアニストになりたいっていう人だったから、
結局ロックバンドをやっちゃうと、
すごくマイナスがあるんですよ。
練習ができない、
ツアーに出るとピアノが弾けないっていう。
あんまり外に言わない人で、
だからよくよく考えて言い出したことなんだろうから。
じゃあしようがないと。
すぐ”次どうしようか”って話になりましたけどね。
………僕と大槻にだけは言わないでっていうね、
能野が言うなって言っててね。
太田は知ってた。
太田は入ってすぐの頃だったから、
”どうする?”みたいなこと言ってたのかな。
あれは橘高のオーディションの日だったんだ。
”やめる”って言い出したのは。
だからすぐ新バンドの構想を練り始めましたよ。
……それで区切りですからね、昔のバンドの。
今と違うバンドですからね。
同じ曲やってますけどね。」
■普段あまり心情を吐露することのない内田だけに、
印象的な発言である。
つまり、これを転換点として筋少は一度ゼロに戻り、
全く新しいバンドとしてスタートすることになるのだった。
まず迎え入れられたのは橘高だった。
正式加入が決定したいきさつを彼は次のように語っている。
橘高「オーディションに行った時、
まだ三柴君はいたんだよね。
で、それが終わって、
そのちょっと後で大槻から電話がかかってきて、
”やってくれる?”
”うん、そうだねー”
とかいう感じになって、
”いや、実はね、三柴君がやめることになってねー”
”うっそぉー!”
とか言って(笑)。
大槻が連絡取ってたんだよね、考えてみたら。
内田とかが取りそうなもんだけど、
最初の電話も大槻からきてたしね。
ていうか、
もう心配だったんじゃない、それだけ。
それで電話が来て、
もうやるって決めたから、
決めたものをやめられないのね、性格的に。
★★ ★
★★ ★
で、どうすんのかなと思って、
そっからけっこう内田なんかと
キーボードどうしようとか話してて。
キーボード入れんのやめようかって話になった時に、
オイちゃんの存在があって。
それはそれで、
向こうの青写真があったらしいんだけど。
で、初めてバンドで音出した時にはもう本城と一緒だったのね。」
■キーボードを新たに入れるよりも、
ツインギターで行こうという方向に落ち着いたのは、
やはりどんなキーボードを連れてこようと
三柴を超えられまいという結論に達したのと、
橘高と対照的なギターを入れて
ギター・バンドとしての新展開を計ろうという
目論見があったからである。
そこで浮上したのが本城の存在だった。
大槻の記憶によると、
本城と話をしたのはちょうど昭和天皇崩御の日だったという。
しかし、本城は三柴とは旧知の間柄、
スンナリとOKを出せる立場ではなかった。
本城「要するに三柴と俺はつながってたから。
その間、三柴から筋少情報が入ってくるわけでしょ。
で、”そろそろやめる”って言い出して。
”もう俺は大槻についていけないから”って話になって。
で、そのやめる寸前ぐらいに何となくだけど、
”大槻、お前を入れようとしてるから。お前どうするんだ?”
って言われて。
その時は全然やる気無かったのね。
興味ないしなーと思ってたし、
三柴も”入ったら絶交だからな!”みたいなノリだったのよ。
”そうか、それもヤだな。どうしよう、どうしよう”
とか思ってたんだけど。
それと並行して、
俺は自分のバンドやりながらすごい煮詰まってたから、
もう頭使って音楽やるの嫌だったし。
それで太田から電話かかってきて、
”やんないか?”って話になって。
それで会いに行ったら橘高がいてさ、
橘高がいるから、
その後ろをちょっと支えてやってくれみたいな。
最初は『あっちの世界』ツアーを
お手伝いで回りますってノリだったのよ。
手伝いのつもりだったの。
そうしたら思ったより早く
『猫のテブクロ』を作んなきゃなんなくなって。
で、作っちゃったでしょ。
結局、ライブを1回やってみたところで、
気が変わっちゃったの。
”ああ、気持ちいい!”って、
”今までやってたのは何だったんだろう”みたいな。
だから未だに小賢しいことはしたくない。
みんな一緒に遊ぼうぜっていうその楽しさがあるからさ。
で、ライブハウスツアーが始まって、
そしたらもうあれよあれよという間に。
俺の友達連中はバンド作ろうと思って
俺をアテにしてたみたいなのね。
”やってもきっと1年ぐらいだよ”って俺も言ってたのに、
”どうした?”って訊かれて、
”もうダメだな、抜けられなくなった”(笑)。
そういうノリだったの。」
■メンバーの話を一人一人聞いていると、
やはり激動の時期を乗り越えた今だからこそ言える、
というニュアンスの発言も多い。
太田の証言を聞いてみることにしよう。
★★ ★
★★ ★
太田「だから橘高と本城の存在を得たのは、
とても明るい兆しだったというか。
本城は三柴君からはきっと筋少に対して
いいこと聞いてなかったと思うし、
なかなか明るい方向では考えてくれなかったんだけど、
その辺は”お願いだから割り切って!”
みたいな感じだったんですけど。
どこまでやれるかは解らないけど、
筋少を利用するつもりでもいいからやってくれないか、
みたいに話をしたのかな。
橘高は、『シスター・ストロベリー』を聴いて
初めて筋少を音楽的に評価してくれて、
理解してくれた。
橘高は三柴君とバトルができるとか
そういうところで入ってきたの。
だから橘高は三柴君が抜けることは
何も知らずにやってきたから、
”あれっ?”って思ってたところもあるんじゃない。
本城には伝えていたの。
騙しちゃったかもしれない。
よくここまで来ましたよねー。
それで、やっぱりそれなりのレコードが
残せたから軌道に乗れたというか。
あの頃は人気はあったけど、
バンド自体は状態も悪かったでしょ。
でも後から追っつけたからね。
だからその辺はホント、
みんな頑張ったでしょう。
やっぱりバンドって長く続けないと、
良いことないなーと最近つくづく思いますよ。」
■本城、橘高のギターを二枚看板に、
新生筋少のオリジナリティを打ち出そうという試み。
アルバム制作は試行錯誤の連続だったが、
彼等は徐々に自分達のスタイルを築いていった。
太田「もうできないと思ってた、レコードなんて。
で、もうとても不安で、
それで是永さんを呼んできたの。
是永さんは才能ある人だから、
絶対いい方向に俺たちを導いてくれると思って。
オイちゃんも知り合いだったから、
是永さんだったらいいみたいな。
で、是永さんにこれこれこういう状況で、
橘高っていうのはこういう男で、
お互いに探りあいをしてたのね、本城と橘高で。
で、本城は本城で悩んでることは俺に言ってたし。
”橘高はこういうふうにくるから、
俺はどうしたらいいんだろう?”とか。
意外と引く方だし、立てる方だからね。
橘高は橘高でやっぱりそういう悩みはあったし。
このままレコーディングなんて、
とてもじゃないなっていうのがあってね。
で、もう是永さんしかいないなと思って。
結果は、是永さんは見事にお互いの方向性という
ものの道を作ってくれたと思うし。
だから、ホント良かったな〜と思いますよ、
是永さんの存在というのは。」
★★ ★
★★ ★
本城「なんか変にバランス良かったんじゃないの。
『猫テ』の頃はわけわかんなかったもん。
ていうか、
橘高は絶対自分のやりたい方向があるから、
曲げないじゃない。
それと全く違う、
逆のアプローチをしてくれって言われた時に、
すっごい悩んだよねー。
で、朝まで煮詰まったりとかずっとやってて。
だから、その頃は『これでいいのだ』とか録ってて、
”これはちょっとキツイよ……”
とか思ってたの。
無理があるとか、強引すぎるとか思ってたの。
でも、それが良かったのね。
それが逆に普通のハードロックにならないで。
”ハードロック・バンドじゃん、俺たちって”
って友達に言うと
”あれはハードロックじゃないだろ”
って言われる、
その要素の一つに自分がなれてるのかなって。」
橘高「ただ、いちばん何が辛かったかというとさ、
演奏の一種テクニカルな部分と
大槻のギャップで売ってきたバンドだから、
そこの部分とさ、
ギタリストだけでいられればいいんだけど、
三柴君の音楽的な大きさっていうのも
引き継いでいかなきゃいけなかったわけじゃない。
だから、常に、
ギタリストだから横関さんより
三柴君がずっとここにあってさ。
三柴君と横関さんの2人でやってたことを、
けっこう俺がやらなきゃいけない
みたいに背負わされちゃっててさ。
ずっといつもアルバム作る時も。
最近になってホントにわかったのは、
ずっと頭の隅に『シスター・ストロベリー』があって、
これじゃないものを作んなきゃいけないんだっていうのを、
ずっと意識してやってきて、
アレンジするにしても、
キーボードに弾かしてもいいものを
意地になってギター・アレンジでやったりとかしてたからね。
だからガチガチにギター入れてるじゃない、
アルバムここ3枚ぐらいさ。
あれってやっぱ、
キーボードは入れなくてもいいように
上げちゃおうと思ってたからさ。」
■89年7月5日、新生筋少の第一弾アルバム
『猫のテブクロ』リリース、
続く『ボクと猫のテブクロツアー'89』も大盛況と、
ここからはまさに快進撃だった。
彼等にとってラッキーだったのは、
大槻のオールナイト・ニッポン、
そこから生まれた「ボヨヨンロック」のヒットという波及効果と、
折からのバンドブームの追い風もあって、
メンバーチェンジがさほど打撃にならずに済んだことだ。
4月の汐留PITで、
筋少は現メンバーでは初の大きなステージを経験しているが、
チケットは即完売。
客の盛り上がりは異様なほどだった。
★★ ★
★★ ★
大槻「芝浦インクの後がPITで、
”何でPITなんか取ったの? 入るわけないじゃないか!”
とか言って、また能野さんと口論してね。
で、行ったら入ったんだよね。
でも、考えてみたら、
PITの時も大槻人形が落っこってきて、
バーンと暴発すると俺が出てくるという、
完全にコミカルな展開だったよね。
あれってダッチワイフなんだよ。
誰が持ってきたのかなぁ。
それで当日、
上柳さんてアナウンサーの人が遊びに来てて、
”出てよー”とか言って
司会をやってもらったりね。
何かホントにデタラメでしたね。
でもあの頃はみんなそうだったのよ。
アンジーもレピッシュも
ポコチン・ロックとかやってた頃で、
”俺たちは何でもできるぜ”
っていう時代だったんだよね。
デビューしたばっかで怖いもの知らずだったよ、みんな。」
太田「あのツアーは、
今までの筋少にはなかったような雰囲気で回れたから、
僕個人としてはとても楽しかった。
とてもイケイケなツアーでしたよ。
大槻も一所懸命新しいメンバーを
引き立てようとMCを振ったりとか、
そういう面は以前はなかったでしょ。
日本青年館までの筋少のイメージっていうのは、
やっぱり大槻が中心的存在で、
俺等は演奏を守るだけの役割みたいな
感じだったんですがね。
それがPITでとてもバンドっぽい一面が見えてきたという。」
橘高「俺等が入る前の筋少って、
すごくショー的っていうか、
ヴォーカリストがいてバックがいて、
すごく職人っぽいっていうかさ。
それがカッコ良かったんだけど、
本城と俺が入ってからは、
もっとバンドとしての固まりで、
みんなで客席に向かっていくような
形になればいいなとも思っていたのね。」
■ライブツアーの成功、
そして「日本印度化計画」が注目を集めたこともあって、
筋少は更に新しいファンを獲得していく。
バンドの勢いが止まることなく、
セールス的にも大幅な伸びを示したことは、
メンバーに大きな自信をもたらした。
上り調子の気運の中で、
次のアルバムの準備に入ろうとする頃、
ちょっとしたアクシデントが起こる。
大槻が極度の鬱状態に入ってしまったのだ。
★★ ★
★★ ★
大槻「だから原因は、『深夜改造計画』ですよ。
もうホントに総てイヤんなっちゃったからね、
あれがきっかけで。
その頃は、バンドをやってるのが辛くて
しょうがありませんでしたよ。
で、悪い時には悪いことが重なるもので、
その鬱的状況の中でマネージャーが失踪して、
上を下への大騒ぎという、もう大変でしたよ。」
■世間が求める面白おかしい大槻像と自身とのギャップに苦しむ大槻。
一方他のメンバーは、
ようやくバンドが固まりつつある時期に、
芸能人としての大槻のイメージのみが、
一人歩きすることを警戒していた。
橘高「『深夜改造計画』をやる時にさ、
ほんとうはもうやりたくもクソもないんだけど、
メンバーが出るのはイヤだったのね。
大槻もそれをすごく嫌がってたんだけど、
『筋肉少女帯の深夜改造計画』として通ってたわけよ、その企画が。
そうするとさ、
『筋肉少女帯の』って名前がつくからには、
メンバーが出ないことには俺は許せないっていう話をしてたのね、
今思うとおかしいんだけど。
俺たちもコーナーを持たないと、
バンドの番組なんだからおかしいってことになって、
最初は大槻が出ずっぱりで、
俺たちがたまにコメントを述べる程度だっていう話だったんだけど、
それはだから結局、
世間の思ってたところでさ、
自分たちで作る番組なのに、
バンドとして番組を作れないんだったらおかしいからってさ。
で、結局それやっててイヤだから、
絶対逆効果になるからね、
プロモーションとして。
で、後半は番組タイトルも変えて、
大槻だけにしたんだけどね。
だから俺はバンドになろうとする努力と、
あと周りが芸能人としての大槻を重宝しだした頃と重なっててさ、
せっかくバンドになり始めようとしてるのに、
芸能界が大槻を呼んじゃうわけよ。
だからたまにはこっちもそっちについてって
やってもバンドとしては守ろうと思ってたのね、
あの頃、けっこう。」
■いずれにせよ不本意な番組の放映からスタートする中、
メンバーは山中湖での曲作り合宿、
そして『サーカス団パノラマ島へ帰る』のレコーディングに突入する。
更に過密スケジュールの合間を縫ってニューヨークへ。
トラックダウンは、
かのパワーステーションスタジオで行われた。
帰国後、すぐさまツアーのリハーサル。
そして12月6日の立川市民会館を皮切りに
”サーカス団パノラマ島へ帰る”ツアー'89〜'90が始まったのだった。
12月5日にはインディーズ時代の名曲
『高木ブー伝説』が『元祖高木ブー伝説』とタイトルを改め、
高度なアレンジによって蘇生。
オリコン・シングルチャート8位というヒットを放つ。
★★ ★
★★ ★
橘高「『ブー』のヒットで救われたのよ。
結局、勝てば官軍ってとこあるじゃん。
このメンツになったらセールスを伸ばすってことがけっこう大事だったのね。
売るためにやったことはないけど、
伸びたってことで、
”がんばってきたんだな”
っていう数字が見れるじゃない。
てことは、
世間はそれを受け入れてくれたんだと思って。
そういう世間の評価っていつも気になってたからさ。
『シス・ベリ』の何倍もアルバム売れたのに、
世間は『シス・ベリ』の方がいいんじゃないかっていう被害妄想が、
いつも俺あってさ。
それでいつも数字が出る度に、
”あー、良かったー”と思って。
それで次に向かえたのよ。
だから『ブー』のヒットが出て、
『サーカス団〜』のツアーもまたがんばれて、
みたいなさ。
それがけっこう『月光蟲』まで続いたんだよね。」
■長いツアー(サーカス団〜ツアー)のラストを締めくくったのは、
筋少にとって初の武道館ライブだった。
後にライブビデオにもなったこの日のステージは
独自の幻想性とエンターテイメント性を存分に発揮した
スケール感溢れるものだった。
この時の感想をメンバーのコメントから拾ってみることにしよう。
本城「どうだろう。何も覚えてないんだよね。
何もわけわかんないまんま終わっちゃったから。
だから、こないだの(月光蟲ツアーファイナル)が
初めてやっと武道館を実感したの。
一回目は無我夢中。
気がついたら終わってて、動けなかった。
精神疲労で15分ぐらい動けなかったんだもん。
緊張とか通り越しちゃって、
体カチンカチンに固まっててさ。
”何なんだこれは? ちょっと勘弁してくれー”みたいな。
それがこないだの武道館は”あー、これが武道館なんだな”って、
やっと思ったっていう。」
大槻「僕は武道館でやるっていう、
プリンセス・プリンセス的なさ、
サクセス・ストーリーみたいなそういうのに
あんまり興味がないからね。
ロックの栄光みたいの、
あんまり好きじゃないから、
別に武道館でやるから感動するとかそういう………
武道館でやって感動するっていうのが、
俺はヤなのね。
僕のスタイルとしては。
だから、あんまり武道館だからどうだっていうのはないですね。」
橘高「”ああ、武道館でやれるバンドになったなぁ”と思って。
けっこう最初に入る時に、
このバンドどうなんのかなと思って。
けっこうアングラな部分があるじゃない。
で、ホール・ツアーはできるかも
わかんないなっていう時期だったから、
でもどうせやるなら武道館に立てるような
バンドになりたいなと思ってたの、個人的に。
で、その夢がちょっとかなっちゃってね。
その後ちょっと気が抜けちゃってね。
なんか達成しちゃった感じがその時の武道館終わったあと。
”なんか、やっちゃったなぁ”みたいな。
で、その頃に
”次、どうすんだろう?”
みたいなこと、
取材とかでも言ってた覚えがあるからね。」
■各自の見解がそれぞれバラバラなのが、
いかにも筋少らしいところだが、ともあれ、
晴れのステージを大成功のうちに終えた彼等は、
次の展開に備えるべく、2ヶ月の充電期間に入る。
メンバーチェンジの危機から驚異的な立ち直りを見せた激動の89年は、
こうして終わりを迎えた。
奇しくも武道館ライブが行われたのが、
90年の2月7日、
あの三柴脱退の青年館ライブから丸一年が経過していた。
★★ ★
★★ ★
【8】新生筋肉少女帯の大飛躍
■オフの間大槻はタイへ、内田・本城はヨーロッパ、太田はハワイと
久々にくつろぎの時を過ごしたメンバーは、
4月からさっそく『サーカス団、再びパノラマ島へ帰る』ツアーに入った。
初日のパワーステーションは、
ライブハウスならではの熱気も手伝ってか、
実に楽しげな解放感溢れるステージだったと記憶している。
全国7カ所という短いツアーだったが、
筋少ブランドは完全に定着し、
どの土地でも安定した人気を見せつけていた。
そんな中で、たったひとつだけ不幸な出来事があった。
福岡のライブの当日、
橘高のお母さんが亡くなったのである。
その3〜4日後に今度は彼自身が倒れ、
予定されていたライブハウスでのシークレット・ギグは
中止を余儀なくされた。
心身共にどん底だった当時のことを、
橘高は次のように回想する。
橘高「今、よくわかんないのね、思い出すと。
”なんだったんだろう?”みたいなさ。
けっこう荒れてたといえば荒れてたよね。
でも、いわゆる暴れるとかそういう荒れかたは
そんなにしてなかったのよ。
前向きにやろうやってずっと気が張ってて、
”そんな母親死んだぐらいでダメじゃんか”とか思って、
前向きにやろうやろうと思ってて。
倒れる前が厚生年金のライブだったんだよね。
それはすごいいいライブができたの。
で、”できたじゃん、できたじゃん。大丈夫じゃん、”とか思って。
で、翌日のファンの集い的な
ライブハウスのシークレットの時は、
本番前まですごく元気だったのね。
”よし、じゃあ5分で始まるよ”
みたいな感じになったら、
急に何かがヘンになってきてね。
なんかうまく表現できないんだけど、
誰かが邪魔するのよ、なんか。
そこでそうなったから良かったんだけどね。
そのあと東京でなんとかできたからね………。
まずね、九州のライブの日に死んだのよ、
うちの母親が。
その九州の次の公演の大阪の前に
しばらく何日かあったから、
1回ほんとはメンバー東京に帰るスケジュールで、
俺はもう危篤に近かったから
大阪に帰ることになってて。
で、九州の本番前にいっかい家族から電話があって、
とりあえず大阪の公演の前は空いてるのか?
ってことになったから、
取材かなにかあったのね、一応。
それとかは延ばしてもらえるからってことになって、
じゃあ大阪に帰るってことになって。
で、ライブが終わってホテルに帰ってくると、
様子がヘンになってて、
ま、とりあえず飯は食いに行こうと思って行ったんだけど、
行ってすぐまた部屋に戻って、
その時は本格的に危篤になってて、
ずっと部屋で待ってて。
★★ ★
★★ ★
その日の夜中の11時半ぐらいに死んで、
なんかこう、
その日はヘンだったの、すごく。
なんか、その日に怒って
ギター壊しちゃったりしてたのね。
この前の武道館みたいな
予定調和の壊しじゃなくて。
だからその日に、
俺がずっと昔から大事にしてる
フライングVのメインのやつがあるでしょ。
あれとかネック折って壊しちゃって。
そのあともう一本頭きて壊したりとか、
なんかヘンなライブをやってたの。
”俺、何やってんのかナ”
とか思ってて。
けっこう理由はあったんだけどね。
ローディーが頭くるからとか。
でもそこまでやるほど子供じゃないから。
でもなんか全部終わったあとに、
2本破損してたとかさ。
で、メインのギターまで壊しちゃったから
ライブできないじゃん、そのあと。
そんなことは、
いくらなんでも計算してるはずなのに
おっかしいなーと思ってたら、
その晩、即で。
で、その時間から移動できないじゃない、
葬式とかさ。
芸人さんは家族の死に目に会えないんだと
よく言われてたからね、
あー、俺も一人前の芸人になったんだなとか、
いろんなことを考えててね。
太田がね、最後に元気にしてる頃の母親を、
いっかい見舞いに行ってくれたことがあったの。
大阪でその時になんかね、
”文彦に酒飲まさないで下さいね”
って頼まれて、
最後だったの、太田。
それで死んじゃったから。
またバンドの話と結びつくけど、
なんかすごく
”筋少って、バンドっぽくないと思われてるけど、
こんなにバンドじゃないか”とかね、
けっこうそこでまた結びつけたこともあったの。
で、そのあとメンバーみんな葬式来てくれて、
ほんと嬉しくってね。
あのアナウンスの女の人が、
なんかいろいろ読むんだけどね、
”筋肉…少女帯の…”
って言った時はメンバーみんな苦笑いしてましたけどね(笑)。
すごく母親が死ぬことは嬉しくないことなんだけど、
すごいみんなでまとまって葬式来てくれたりとかさ、
なんか”バンドじゃん。いいじゃん、いいじゃん”みたいなさ。
俺の大好きな絵柄だったりしてさ。
で、何かね、また俺は好きになってたのね、
筋少のこと前よりも。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★★ ★
★★ ★
■そんな状況の中、6月6、7日の東京厚生年金会館でツアーは終了。
「個人的には精神的に成長できた部分が大きいと思う」
という言葉通り、
橘高にとってはいろいろな意味で忘れ難いツアーとなった。
季節は移り、メンバーは初夏の山中湖で曲作り合宿、
そして7月中旬から本格的なレコーディング作業に入った。
5枚目のアルバム『月光蟲』である。
プロデューサーは是永巧一に代わって、岡野ハジメ。
随所に顔を出す遊び心とマニアックな音作りで、
前2作とはまた違った筋少ワールドを見せてくれた作品である。
本城「正直言って、俺『パノラマ島』作った頃が、
一番ひどくてさ、精神的には。
『パノラマ島』のときに、
俺いらないじゃんって思ってたの。
橘高一人でやってくれよ、
好きなようにやんなよっていうの。
そのイヤーな気持ちのまんま、
”じゃ、これだけは入れとくよ”みたいな。
そういうノリであのレコーディングは
けっこう投げやりにやっちゃったと思う。
ライブでの存在位置っていうのは、
すごい的確に解るのね。
でもレコード作る時に必要かっていうと、
いらないんじゃない? みたいな。
でも、改めて『猫テ』を聴き直して、
”あ、俺たちこれを作んなきゃいけないんだ”って思って。
”やっぱり俺は、これやんなきゃいけないんだ。
張り合わなきゃ”って。
だから『月光蟲』作った時は、
いつになく負けん気が強かったと思うんだ。
一つ一つ突出するわけじゃなくて、
ドカンっていう固まりで、
大きい音で聴いて気持ちいいみたいな。
だから『月光蟲』が一番好きなのね。
3枚全部聴いてみて、
着実にパワーアップしてると思う。
それだけに次のアルバムをどうしようって考えちゃうけど
『月光蟲』作り終えたことによって、
今までやってきた筋少って形は、
とりあえず一段落していいと思うんだ。
先がみえないバンドにしたいっていうか、
そうあるべきだと思うし。
まだまだこんなことも出来るんじゃないか、
こんなことも出来るんじゃないかって、
可能性がありそうな感じがしてまだまだ面白いゾっていう。
筋少って何でもやれるっていうか
こんな雰囲気にしようぜって言ったらできちゃう、
変に器用なところがみんなあるから。
ただどこまでやっていいっていうアレがあるし
それを”こういう新しいアプローチが出来るんじゃないか”みたいなね。
俺は絶対同じようなものを続けられないからさ。
その度、変化した方が面白いから。
今までは”同じパターンじゃん”とか思いながらも、
確実にパワーアップして、
やっと『月光蟲』で、
”ああ、これが作りたかったんだ”
っていうぐらい気持ちいいものができて。
で、次は違うアプローチで、
またそういう風に思えるものが作れたら……
それは2枚かかるか3枚かかるか解んないけど、
やれたらいいなーと思うよ。
メンバーチェンジ?
それはもうないでしょう。
でも今回のツアーで、やたらに
もうやめるんですか? って言われたね。
でも、その危機感は必要じゃないかな。
いつでも聴き手の刺激になるように、
”ああ、このバンドはこのままこうなっていくんだな”
みたいなのが見えちゃうとつまんないでしょ。
安心はさせないでしょう。
それもいいと思うよ。
★★ ★
83 :
名無し草:2007/07/31(火) 21:51:00
邪魔しちゃって申し訳ないけど、乙です。
後追いだから、太田・橘高・おいちゃんとかの発言聞けるのはほんとおもろいわ。
いえいえ どうぞみなさんこのスレ自由に使ってくださいね
雑談でも独り言でも何でもw
ミュージシャンとしても個性バラバラな5人だけど
発言も見事にキャラが立ってて面白いですよね
★★ ★
俺から見たメンバー評?
コレはやだなー。
変なこと言うと後で怒られるからな(笑)
大槻は天才でしょう、やっぱり。
俺にいつも興味を失くさせないから。
俺とは全然違うところで、
その時代時代のこれだ! っていうものを
見つけてくる勘というかセンスは凄いと思うな。
内田はやっぱりいつまでたっても後輩。
弟っぽくなってきたな。
基本的に初めて会った頃から変わんないだろうし、
とりあえず何かあると真っ先に話ができるしね。
太田はね、すごい助かる存在。
ホントに煮詰まってどうしようもない時、
何言ってるだ、そんなこと気にしないで、
こうすりゃいいじゃないかって風に言ってくれる。
太田はやっぱりすごい気を使ってくれるから、
一番大変だろうなと思うよ。
橘高はダメ人間だね(笑)。
もうちょっと痩せろ、
練習くらい来い! って感じ(笑)。
さんざん今までほめてきたから
ここでちょっと落とさせてもらうよ(笑)。」
■レコーディングを終えた筋少は、
横浜アリーナを始めとする夏のイベントツアー、
テレビ、ラジオへの出演、
音楽雑誌の取材など、
多忙なスケジュールをこなしていく。
11月からは早稲田大学など数校で学園祭ライヴを敢行。
そしていよいよ、12月21日から千葉を皮切りに、
全国25カ所を回る『月光蟲』ツアーがスタートするのである。
★★ ★
★★ ★
太田「『月光蟲』はホントにみんな競い合ったっていうか、
それでああいう集大成ができあがったんですけどね。
僕はあれでやりたいことはやっちゃった、
というか、
自分なりの自己主張は出せたし。
今聴いてみるとちょっとせせこましいというか、
余計なところまで叩いちゃったりしてるので、
もうちょっと一歩引くというか、
今度のアルバムはもう少し楽にやろうかなと思ってるんですけどね、
前ほど競い合おうとか、
テクニック全部出してやろうとか、
そんなことは今は全然思ってなくて、
トータル・サウンドを作り上げる方に頭はいってますね。
やっぱり徐々にそうなってきたと言うか、
自分としても以前は焦りがあったと思うんですよ。
周りから筋少の存在はどう見えるんだろうとか、
その筋少の中のドラムの俺はどう見えるんだろうとか。
それが良い作用でここまで来たんだろうけど、
ちょっと大人気なかったかなという気もしてるんですね。
最近、このツアーに入ったぐらいからですけど、
バンドにおけるドラマーの役割とかを考えるようになって。
そんなに大きな心境の変化があったわけでもないし、
別に僕のドラム・スタイルが変わったというわけじゃないんだけど。
たとえばストーンズとかピンク・フロイドとかも
ドラムはホント大っきい持ってき方しかしないのね。
16とか難しいことはみんなパーカッションに任せて、
自分は全体のもっていきだけをドーンと叩いてたりするんです。
そういうドラマーのカッコ良さが、
最近解ってきたのかな。
前から頭では解ってたつもりなんだけど、
最近しみじみ思うようになったというか、実感として。
それはやっぱり同じメンバーで、
バンドを長く続けてきたからというのもあるでしょうね。
筋少入った時は、
こんなに長くいることになるとは全然思ってなくて。
★★ ★
★★ ★
何回も悩んだことはありましたけどね。
大槻も言ってたんだけどね。
筋少というものを学校みたいに思えるって言ってたの。
で、大槻が芸能活動をしたりするのは、
課外授業のクラブ活動であったりとか、
そういうもので、
やっぱり筋少という学校があるから、
そういうクラブ活動をやっていられる。
筋少でやってて、
自分の欲とかってあるでしょ
ーーー音楽欲だとか、別のやりたいとか。
それはみんなばらばらに
個人でセッションとかやればいいわけで、
やっぱり学校という
筋肉少女帯というものがあるからこそというところが、
最近みんなメンバー強く思ってると思うんですよ。
それは楽しようとかそういうのではないけど、
そういう魅力というのは、
今とてもバンドにありますね。
で、やってるうちに、
みんなメンバーそれぞれの存在って大きくなってきて
スケール感ていうのもすごく大きくなってきてるから、
例えばセッションで別の人間が一人いたりすると、
やっぱりはたから見ると俺らの方が
全然大きく見えると思うんですよ。
ライブ・ハウスとかでやっててもね。
これは何のお陰かというと、
やっぱり筋肉少女帯のお陰。
だから、とても大事に思ってますよ、今」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■筋少というバンドの不思議さは、
本来ならば一緒にバンドをやるはずもなかったメンバーが、
何か運命の糸に手繰りよせられるようにして
集まってきていることだ。
音楽性も個性も考え方も違う5人、
しかしその5人がバンドになった時、
当人達すら予測し得なかった大きなパワーを生んだ。
筋肉少女帯は、
現在6枚目のオリジナルアルバムのレコーディングを完了したばかり。
彼等が次に見せてくれるのはどんな世界なのか、
こちらも予断抜きで待っていたいと思う。
以上
CHP.7『筋少物語』より抜粋
取材日時はおそらく武道館直後、『断罪!〜』レコーディング中あたり?
このSHOXX SPECIAL vol.1 には他に
全員のパーソナルインタビューや武道館のライヴレポ等が掲載されてます
自分はエディ大好きだし復活筋少に正式加入してほしいですし
N・H・Kへようこそで橘高さんとの共演が実現して感激しました
でも
22期のメンバーが『シス・ベリ』の呪い(は言い過ぎですが)から脱却しようとすごい頑張ってた頃のことが忘れられないし忘れたくないし
いまだに1st.&2nd.の評価が高いのも後期でファンになった方がけっこう居るみたいなのも嬉しいですが
い や そ の 間 も ス ゴ イ ん で す !
って言いたくてたまりません
ちょうど月光蟲ファイナルの武道館DVDが発売になるのでそれに間に合えばいいなと思ってこの記事を選んだんですがちょっと遅くなりました
イワンも新録されるみたいだし
ミュージック・ジャパンに出たときのトークで少女王国の崩壊の話題も出たりして
懐かしかったです
どうぞ雑談に使ってくださいね
↓ ↓ ↓
お疲れ様でした。
私も初期から筋少を見てた人間で、この記事もリアルタイムで読みましたが、
改めて懐かしく楽しく読ませて頂きました。
◆Czaask2uOQさんのおっしゃりたい事とても良くわかります。
また機会があれば(たいへんでしょうが)色々と書いて頂ければ…と期待しています。
>>99 お疲れ様でした。むっちゃ楽しかったですw
俺もあの5人の組み合わせが一番好きだよ。エディの凄さもよく分かってるけど。
しかし太田さんのインタビューは今見るとちょっと泣けるな…。
わがままだけど、ゲストで一回切りでも良いので、いつかまた一緒にやって欲しい。
>>100-101 ありがとう
アルバムごとの当時のメンバーによる解説を探してみました
仏陀Lのは見つからなかったのでシス・ベリから順に
★★★シスター・ストロベリー★★★
『レコーディングはバトルだ!』
Rockin'f(掲載号不明) 取材:大野祥之
■今年の六月に『仏陀L』でデビューした
超個性派音楽集団である筋肉少女帯が、
早くも次作のレコーディングをほぼ終了させた。
インディーズ時代を含めて、
レコードを出すたびにギタリストが違うという
筋少の今回のミニ・アルバムには、
自身のソロ・アルバム制作を終わらせたばかりの
横関敦がゲスト・ギタリストとして参加している。
スタジオでのソロ・バトルなどを、
ロクfインタヴュー初登場のメンバーたちが語ってくれた。
ーーー12月にリリースされる今度のミニ・アルバムは何曲くらいになるの?
大槻:6曲で、1曲9分くらいの曲がありますね。
前からライヴでやっていた曲で、
ライヴの時は14分くらいあって(笑)。
ーーー収録される6曲は昔からやってた曲?
大槻:4曲はそうですけど、2曲は新しく作った曲ですね。
ーーーギタリストだった加藤クンがやめて、今回のレコーディングは横関クンが手伝っているけど?
大槻:ドラムの太田明の友だちでムーという人がいて、
その人が「楽器屋で、すごいギタリストを見た」って(笑)。
太田:トニー・マカパインのようだったって言うんですよ、ムーが(笑)。
大槻:ギタリストを探していて、
その人が横関さんだったんですけど、
いろんな人に「いいギタリストいない?」って聞いていたら、
やっぱり横関さんの名前が出てくるんですよ。
それで、なんやかんやがあって、こうなったと。
ーーー横関クンが入ってから、かなりリハーサルはやったの?
内田:5〜6回くらい。
太田:9月中ツアーがあって、それと重なっていたから、
あまりリハーサルができなかった。
ーーーリハが少なくて、レコーディングに入ったの?
横関:いまだに曲名がわからない(笑)。
イントロが始まるとわかるんだけどねー(笑)。
大槻:でも、横関さんの口から「スシ人間」とか出ると異様だね(笑)。
横関:ボク、勝手に「ダンダダン」とか曲名つけちゃって、
そう言ってみんなにわかってもらうという(笑)。
曲自体は覚えてるんだけど、曲名と一致しない。
ーーー横関クンはレコーディングだけ?
大槻:できたら、ライヴもいくつか手伝ってもらいたいんだけど、
とりあえずロクfの「Street Fighting Men」には一緒に出ます。
あれはメタル集結ということで、負けたくない(笑)。
江戸蔵:おもいっきりノリまくって、
ビシッときめてやろうと思ってます。
ーーーなるほど。で、アルバム・タイトルは決まった?
大槻:ええ、『シスター・ストロベリー』。
内田:エッ、知らなかった!
太田:それ、どういう意味?
江戸蔵:なんか、ユーミンみたい。
ソフトな感じだけど、聴いたらハードだから……。
大槻:いや、べつに意味はないんだけど、
キレイでカワイイ、
それでカッコイイっていうタイトルにしたかったから。
ーーー今はレコーディング中だけど、手応えはどう?
大槻:前のアルバムにいたのは3人だけど、前のよりもスゴイ。
内田:前のよりも音数は少ないんだけど、キチッとキマッてる。
江戸蔵:ドラムとギターがバッチリきまっているから、
オレは完璧に装飾にまわれるし、
好きなこともできているから、
ワクワクしてレコーディングをやってます。
横関:すごく楽しくやってます。
今だから言えるけど、前のバンドよりもみんなうまいから(笑)。
前から三柴クンがうまいっていうのは聞いていたけど、
ドラムもベースもしっかりしていて、ホントに弾きやすいんですよ。
江戸蔵:横関さんとできて、ボクは大感謝で。
思ったとおりに弾いてくれるんですよ。
オレは外国の音をよく聴いているんだけど、
そういう感じに仕上がっていくし、
ソロのかけ合いも楽しくって。
横関:すごく圧倒されたところがあって、
”マズイ!”って真剣になっちゃったけど、
やっていくうちに楽しくなりましたね。
大槻:最初はコワイ人かなって思ってたけど、
みんな中野あたりの出身だったんで、それで盛り上がって(笑)。
ーーーミニ・アルバムでは、どういう世界を作るつもり?
江戸蔵:けっこうハードでピアノが入るっていう。
スラッシュ・メタルにピアノが入ってきたような、
珍しい感じにしたかった……。
ーーー1枚目でもハードな曲があったけど?
江戸蔵:1枚目はパンクっぽい。
今回はメタルのノリにしたかったんです。
オレ、そういうの好きだから。
それから、けっこうオーケストラっぽいアレンジがあったりもするし……。
大槻:でも、けっこう曲調はバラバラで、「マタンゴ」って曲は速い!
内田:死にそうだっていうくらい速い。
大槻:それでラテン調の曲があったり、
フュージョン・ハード・ロックみたいなのもあるし。
太田:その曲は5拍子。
大槻:あれはライヴでできるのかなって心配だけど。
横関:だいじょうぶ、できるよ(笑)。
大槻:それから、9分あるプログレの生き残りのような
「いくじなし」という曲もあるし……。
いわゆる売れ線ではなく、マニアックな世界ですね。
1曲、「日本の米」というタイトルからしてバカな曲があるんですけど、
それはボクが高校生の時に作った初めての曲で、
ライヴでは今までもやってた曲です。
ーーー詩の世界は?
大槻:『シスター・ストロベリー』っていうことで、
女の子が出てくるのが3曲あって、
3曲とも女の子が死んじゃうんです。
みんな病死ですね。
ーーーその世界は健在なんだね(笑)。「日本の米」も、たしかおじいさんが死んじゃう?
大槻:そうですね。
横関:とにかく、こんなにヴァラエティに富んでる曲を
レコーディングしたのは初めてだったし、
とにかくすごいレコードになりますよ。
★★★
乙。横関さんも普通にインタビュー加わってたのか。
実力のある人とはいえ、かなりの特別待遇な感じを受ける。
ロクf的に横関さんのが知名度があって、「横関サポートのアルバムが出ますよこんなバンドがいますよ今度うちのフェスにも出ますよ」っていう紹介だったのかも
>>109 ちょw
エディ、その言い方はみのすけさんやヒロシさんに悪いよww
>>117 エディって、文章で読むと結構冷たいというか失礼な言い方してることが多い気がする。
実際しゃべってるところ見るとそうは感じないんだけど。
うーん…
でも実際みのすけ+ヒロシコンビと、太田+横関コンビでは、
実力は雲泥の差だから、エディの発言も当然というか仕方ないような。
や、まあそうなんだけどさ
それだけに、そんなハッキリ……
辞めた(つーか辞めてもらった)ばっかなのにさ
ま、アーティストだから音に真剣なんだろうなー
辞めてもらったんだったんだ。
ヒロシの理由は知らないんだけど、みのすけは役者に専念するっていって辞めたんじゃなかったけ?
(大槻が昔インタビューでそう言ってた記憶が)
辞めてもらったは言い過ぎだったかな;;
役者かバンドかどっちかに専念しる!て迫られて役者を選んだのは本人だよね
いまのみのすけさん見てると正解だったなと思うけどw
123 :
名無し草:2007/08/09(木) 13:52:10
>>118 俺もそう感じた。ロクfの橘高との対談なんか読んでも筋少に対する思い入れは
薄いって感じだったし。
悪気はないんだろうけどね。社交辞令的なことが出来ない人なんじゃないか?
まあ橘高がまた思い入れの深い熱い人だからねえ、
尚更温度差は出てしまうのかも。
個人的に筋少でのエディの印象は職人て感じ。
★★★猫のテブクロ★★★
『これでいいのだ筋肉少女帯』
ワッツイン(掲載号不明) 文:かこいゆみこ
■筋肉少女帯の3rdアルバム『猫のテブクロ』が、7月5日リリースされた。
ある日、大槻氏の家に迷い込んできた黒猫との出会いをモチーフに、
宮沢賢治的メルヘンと天才バカボンにおけるシュールな不条理世界、
はたまたセンチメンタリズムとヘヴィメタ/ハードロックの融合という、
実に壮大なテーマを持つ作品らしい。
普通のバンドなら、
これだけネタをぶち込めばあっけなく破綻をきたしてしまうところだが、
そうならないところが筋少の筋少たるゆえん。
実に鮮やかな手並みを聴かせてくれている。
前2作と比べるとプログレの重さが抜けた分、
聴きやすくなっているかもしれない。
「星と黒ネコ」
橘高:1曲目は短いインストで、ギターだけが入ってます。
最後の曲のエンディングのフレーズをそのままこっちに移してるだけなんですよ。
それでトータルなイメージを出そうということで。
これはあんまり長くはやれませんね。
同じことしかやってないからくどくなっちゃうんですよ。
「これでいいのだ」
大槻:これは人生いろいろというテーマを
数十年に及ぶ男の生涯に描いたものです。
人間の人生というのは、
星の巡りによってすべて決まっているものなのか、
それとも自分自身で切り開いていくものなのか、
どっちが正しいんだ!?
ということを悩み続ける男の歌。
それを強力な筋少のバックサウンドにのせて
アジテイトしているわけです。
「日本印度化計画」
大槻:これは、最近日本でも凶悪な犯罪が増えていて、
それは日本がアメリカを追っているからではないかと。
犯罪までもアメリカナイズしている。
日本は日本であればいいはずなのに。
そうだオレはカレーが好きだ。
じゃあいっそ日本をインドみたいにしてみたらどうだろう内田クン、
ということで出来た曲です。
作詞・作曲共にワタクシがやりました。
曲に関しては、
まぁボランブギという言葉がありますが、
大槻ロックといったところでしょうか。
「星の夜のボート」
大槻:これは橘高先生の泣きのギターが
炸裂する曲といったところでしょうか。
出だしがね、
フランク・ザッパのビデオの曲にちょっと似てるの。
でも一番近いのはやはり演歌でしょう(笑)。
橘高:ブルース演歌ロック。
それもメタルですよ(笑)。
この曲が一番遅いというかあんまり弾いてない。
こういうギターが本当は好きなんですけど、
メタルだからあまり弾く機会がなくて。
でもこのブルージーな感じが実は好きなんです。
「ピクニック・アット・ファイアー・マウンテン」
大槻:なんか昔のラジオから流れてくるような手法っていうのが、
ちょっと野口五郎かなって気もしたけど(笑)
まぁたまにはいいだろう。
作曲はバート・バカラック。
「ゴー!ゴー!ハイキングバス」
大槻:これも橘高先生の必殺技が出てますね。
バカラックの曲だけど、
原曲のタイトルはよく知らない。
『カジノロワイアル』っていう映画の
サウンドトラックに入ってます。
橘高:ブルージーなギターソロと
ブライアン・メイのような人工的なギターの
オーケストレーションをほんの数秒間やってます。
「最後の遠足」
大槻:起承転結の転の部分にあたる曲ですね。
かなり昔の曲です。
この曲の元の音を聴いて、
今回のを聴くと、
今の筋少のサウンドはこれだ、
みたいなのがよくわかるんじゃないかな。
内田:元の曲っていうのは
3分くらいで作ったんですけどね(笑)。
それを何年もかかってこういう風になりましたっていう感じです。
「月とテブクロ」
大槻:これは最後を締めくくるバラード。
けっこう長い曲だから、
ライブでやると客がダレるだろうなとか思いながら作ったんだけど、
でもなんかプログレみたいでいいかなと。
内田:今回一番大変だったのはこの曲ですね。
原曲が全然違うんですよ。
いろんなアイディアが出てきてしまって、
収拾がつかなくて。
最初はアマチュアプログレっぽかったんだけど、
これはあんまりだろうと言われて、
単純にする方向に持ってってやっと形になったという曲です。
★★★
★★★
ーーー今回、個性の違うギタリスト2人を柱に新しいサウンドを作るという狙いがあったと思うんですけど、その辺は成功しました?
太田:そう、橘高がバッキング中心で
本城がカッティング中心という、
全然スタイルが違うんで
2人がどういう風に弾いてったら
面白い形でできるのかなっていうところでね。
橘高の方はけっこうスタイルが出来上がってたから、
本城の方が悩んでたんですよ。
で、ギターの是永功一さんにプロデュースをお願いしたら、
その辺いい方向を見つけてくれるんじゃないかということで、
それで方向性を見いだしたかな?
本城:何となくは見えましたけど。
まだまだいろんなことが出来るなと思いました。
ーーー割合ポップな曲は白井良明さん、ハードな曲は是永さんっていうプロデュースになってますね。
太田:その辺は考えました。
けっこう曲の割り振りとか
皆で悩んだんですけどね。
ま、結果的には良かったんじゃないかと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーレコーディングはどうだったんですか。やっぱりけっこうハードだった?
大槻:ハードではなかったけど…。
全員:ハードだったよ!(笑)
大槻:スケジュール的に、
リハーサルとツアーとレコーディングが
重なっちゃってほとんど三重苦でしたね。
トラック・ダウンの時なんかムチャクチャでした。
ーーー橘高さん、筋少のレコーディングに参加した感想は?
橘高:今回、…というかそんなにレコーディング経験はないんだけど、
割と自由に楽しくやれました。
あまりいろんなこと気にしないで、
ギターのみに専念できたな、と。
非常に気持ち良かったですよ。
ーーーリズム隊はいかがでした?
太田:ええ、僕もやっぱりドラムに集中してやってましたね。
土台を固めるというパートだから、
皆がやりやすいように
自分の役割を考えてやってたつもりです。
ーーーギターが変わったということでドラムとの関係は?
太田:そんなに深くは考えてないんですけど、
やっぱりギターとか後で重ねるのが多いんですよね。
だからリズム録りの時にちゃんと録ってかないと
後になってどんどんブレてったりしてしまうんで、
その辺は気を使ってます。
ーーー前のアルバムと比べて、今回一番変わった部分は?
太田:全体的なことで言えば、ギターサウンドになった。
それに尽きると思いますけど。
けっこうレコーディング自体は和やかに進んだんじゃないかな。
前の時はけっこうサッサと録っちゃったんで、
それに比べると今回は随分試行錯誤があって。
大槻:現場でアレ考えコレ考えでやって、
そういうとこで勉強になりました。
今後につながるレコーディングをしたんじゃないかと思いますね。
ーーーもともとギターを2本にしようというのは大槻クンの考え?
大槻:言い出したのは僕かな?
内田:いや、何か偶然みんなそういう意見になったというか。
ーーーキーボードを入れるよりも、その方がいいと?
大槻:キーボードはね、
けっこう強力な人だったからあれに代わる人はあまりいないだろうというんで。
でも、ギター、ベース、ドラム、ボーカルだけだと何かなーっていうんで、
じゃあギターだと(笑)。
ーーーそんなにシンプルな発想だったの?
大槻:いや、これはもうちゃんと計算の上で、
誰と誰を入れるとこうなるだろうと予測して……
全員:しねーよ、そんなもん!
大槻:そうそう、思い出しました(笑)。そうなんですよ。
ーーーキーボードとギターのせめぎ合いが一つの核だった筋少が、ギターバンドとしてスタートするっていうのは、けっこう大きな転換でしょ?
内田:そうですね。でもレコード聴き比べると
やっぱり筋少は筋少なんだなって感じがしますね。
バックが何をやってても結局、
大槻の色の強い歌がのっかってしまうと
ああなってしまうと。
ーーーでもさ、やっぱりヘヴィメタになったなとか言われません?
橘高:だってメタルだもん、オレ(笑)。
大槻:いやー、そりゃそーなりますよ。
ロッキンfにも載るかなって(笑)。
内田:でもまだレコード出てないですからねー。
ファンの声とかはまだ全然わかんないけど。
大槻:これでメンバー全員長髪になったんだよね。
橘高:昨日のライブで大槻がね、
イアン・ギランのようにギターとかけあいをしたの。
でも誰も分かってくれなくて
パーソンズにだけウケてしまったという(笑)
大槻:まあ、今まではピアノとギターが闘ってたんだけど、
これからはバンド全体がリスナーに戦いを挑んでいくわけですから。
ーーーなるほど、ギターバンド筋少は当分揺らがないと?
大槻:ハイ、たぶん(笑)。
★★★
ローリー「お客さんもでも、自分が好きな筋肉少女帯の新譜が聞ける
という喜びと全く彼らは音楽的に裏切らなかったという喜びで
むせび泣くんでしょうね」
大槻「難しいところでしょうね。
ファンって、新曲が、久しぶりに再結成したバンドがあるとして、
ライブに行く時に、そいつらの新曲を聴きたいか、って言ったら
絶対聞きたくないんだよね。」
ロ「そうなんだよね。」
大「昔の曲やってくれ、って思うもんね」
ロ「だけど、新譜を出せ、新譜を出せってうるさいじゃん。
新譜を出せ、って言うんだけど、
出ても、あんまり聞かないんだよね。
で、結局古いのが好きなんだ。」
大「でも、我々もそうでしょ?」
ロ「我々もそうだ。」
大「だから、あれない?例えば、再結成したってバンドがあるときに、
本当は昔の旧譜の方が全然興味あるんだけど、ミュージシャンとして気持ちはわかる
って新譜を買ってあげる、で、聞いて、「んー」みたいな感じで。」
ロ「古いファンの人はね、まーあの、
むしろ、我々を憎んでいるじゃない?ファンの人って。」
大「愛憎ってやつですか」
ロ「愛憎で。好きすぎて、
だけど、自分の青春をダメにしたわけじゃん。」
大「そうね。」
ロ「本当だったらね、他にも恋人が出来て、
そのうち結婚もして、今だったら普通の家庭を持っていたはずなのに、
こんな連中に入れ込んでしまったがために
青春をパァにしてしまった。
この責任を取らなきゃいけない。」
大「だから変な部活みたいなもんだもんね。」
ロ「あの、ファンの人って、
常に、嫌いになりたいんだよね」
大「そうそうそう、まさにそう。」
ロ「本当は嫌いになるキッカケを探しているの。」
大「常に探している。」
ロ「何かあったらすっごく反応するのね」
大「だからそれまでずーっと、ファンを公言していてね、
なんかネットなんかで筋少が解散、活動休止してからも
再結成する事になったら突然そういうのをやめたりね。
歪んだ、」
ロ「ねー。」
大「気持ちはわかりますよ。そういうのも。」
ロ「流石に私も結婚もしたいわよ。
お願いだから嫌いにさせてっていうのはある」
大「だからロックバンド自体がそうでしょ
我々も、
ローリーさんもすかんちに対して
僕も筋肉少女帯に対してそういうのあるでしょ。
愛と憎しみっていう部分が」
ロ「あるねー。」
>>147-149 先日のNHK-FMかなと思ったんですが、KERAって雑誌のKERAですか?
聴けなかったので凄くうれしいです、ありがとうございます。
復活ライヴを決めてから新譜を出すことを決めるまで結構時間がありましたが
四人でこういうこと色々と話し合ったのかな、と思うと
なんかもうアルバム出るだけでうれしい、いろんな意味でw
ほしゅ
なんだかもう色々泣ける
153 :
◆boczq1J3PY :2007/09/01(土) 21:30:01
8
154 :
◆L.e3O3bIIM :2007/09/02(日) 13:09:54
7
155 :
◆zxp0MsqFoQ :2007/09/03(月) 13:13:48
6
156 :
◆algwz5lvxI :2007/09/03(月) 13:16:01
5
いよいよ明日が新譜発売日だねえ
超ベテラン&実力派の彼らに
音を聴く前にこんなことを言ってしまうのは
とても失礼にあたるっていうか本人らには知られたくないけど
やっぱり「出るだけで嬉しい」って思ってしまうなー
トリフィドを聴くとキラキラと輝くものを思い出す
あの頃から恋愛に関してのメンタリティは変わってないのかな
hosyu
ほ
前スレ156-157
一生懸命なんはわかるけどいまいちピンときてなかったんだけど
自伝読んだらなんとなくわかった気がするw
でも別にいいよねそういう人で
お、お、つ、き、け、ん、じ
貧乏大臣大大臣、貧乏大臣大大臣
びんぼう・・・
洗濯でもしよう
167 :
名無し草:2007/10/07(日) 12:56:27
0
169 :
名無し草:2007/10/19(金) 14:45:20
hosyu
170 :
名無し草:2007/10/28(日) 21:01:58
? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ('A`) ? ? ? ? なんだか無償にコピペしたくなる
? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? なのに初心者にはコピペできない
? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
171 :
名無し草:2007/11/02(金) 13:44:03
/´_>`\ アッソサーン!
175 :
名無し草:2007/11/24(土) 23:50:21
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/  ̄/\ | 下がり過ぎや!急浮上━━(゚∀゚)━━ !!
。 |_ /\ \ \__ __________________/
〃,| \ \./\ ∨
|_. \./\: \ ∠⌒∧
〃:\  ̄ \ \./ \_(´∀` ||) |__|∴
: \_ \ /\ \ ̄\ゝ) ) //∴∵
: 〃\  ̄ \ :\ / \ \/// ∵ ∴
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177 :
名無し草:2007/12/22(土) 09:30:26
178 :
名無し草:
178ヾ(**●**∀**●**)ノ